競馬界史上最強のアイドル降臨! 藤田菜七子騎手はビジュアルも技術も一級品!?

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JRA公式サイト
 競馬界に、前代未聞の“アイドル”が降臨する。  11日、JRA騎手課程32期生の合格発表が千葉県白井市の競馬学校で行なわれ、16年ぶり史上7人目のJRA女性騎手となった藤田菜七子(18)ら6名が巣立った。  その剛力彩芽似といわれるルックスから、競馬学校に入学した15歳の頃から注目を集めていた藤田菜七子騎手。先日、無事にJRAの騎手課程を終え、いよいよ来月にもデビューを迎える。  その取扱いや騒がれ方は、超一流騎手の息子として注目を集めていた武豊騎手や福永祐一騎手のデビュー当初と比較しても「それ以上」といえる状況だ。競馬学校在籍時からテレビ番組で特集が組まれるなど、その当時から現役騎手の知名度を上回っている。  また、テレビ番組でAKB48の倉持明日香と共演した際は「アイドルと比較してもまったく遜色なし」「どっちがアイドルかわからん」「オレは菜七子派」と競馬ファンはネット上で大騒ぎ。某掲示板では早くも藤田菜七子を応援するスレッドが立つなど、その人気ぶりは一流アイドルさながらだ。  話題ばかりが先行している彼女だが、肝心な騎手としての腕も期待できるものがありそうだ。  可愛いルックスとは裏腹に空手初段、剣道二段の実力を持つなど身体能力は抜群。先日行われた卒業供覧の模擬レースでは果敢にハナを奪い、ペースをコントロール。最後の直線では力強い手綱さばきを見せ、後続を突き放すと見事に優勝。教官のねぎらいの言葉に「ありがとうございます」と声を震わせ涙した。  まるで昨年末に香港でG1を制覇した武豊騎手とエイシンヒカリの逃げっぷりを彷彿とさせる見事な内容に、師匠となる根本康広調教師も「一番いいところを持っていったね」と笑顔。愛弟子が持つ勝負強さに頬を緩めていた。  そんな藤田菜七子が目指す騎手像は、カナダの伝説的女性騎手シャンタル・サザーランド。  主にカナダやアメリカで活躍し、新人賞に輝くなど1,000勝に迫る勝ち星を挙げているサザーランド騎手。雑誌の表紙を飾ったり「世界で最も美しい女性100人」に選ばれるなど、現役時から女優やモデルとしても活躍しているカナダ有数の女性アスリートだ。  だが、当然ながら現実はそう甘くはない。これまでJRAでデビューした女性騎手は6名いるが、増沢由貴子騎手が挙げた通算34勝というのが最高成績。JRAで女性の騎手が成功することは決して簡単なことではない。  しかし、地方競馬に目をやれば100勝以上の活躍を見せている現役女性騎手も数こそ多くはないものの存在している。藤田菜七子自身も「緊張もプレッシャーもあるけど、楽しみとワクワクが多いから大丈夫」と極めて前向きだ。  そして何よりも、今からすでに「菜七子フィーバー確実」と目されている人気ぶりは、過去の女性騎手の比ではない。新星のアイドルジョッキー見たさに競馬場へ足を運ぶ大勢のファンが出るのは確実で、そうなれば大物“エロ”馬主が話題作りで全面バックアップに名乗りを上げる可能性も……。 「デビューから早い段階で結果を出せるかが、藤田菜七子が騎手として生き残っていけるかの最大のカギですね。大きく注目されている中で結果を残せば、必然的に有力馬も集まるようになるでしょう」(競馬記者)  すでに「かわいい、かわいいよ」「マジ天使」「絶対成功してほしい」などネット上の競馬ファンを虜にしている藤田菜七子騎手。今から競馬場で会えるのを待ちきれないファンも数多くいることだろう。 「デビューした時には、ちょっぴり応援していただければうれしいです」  18歳の美少女にこんな声を掛けられては、競馬ファンならずとも応援せずにはいられない!?

「つ、強すぎる……」日本ダービー“断然候補”サトノダイヤモンドが抱える「大きすぎる不安」とは

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JRA公式サイト
 2億4,150万円という超高額馬・サトノダイヤモンドの評価がうなぎ登りだ。  2月7日に行われた第56回きさらぎ賞(G3)は単勝1.2倍の断然人気に支持されたが、想像の斜め上をいく圧勝ぶりに度肝を抜かれた競馬ファンも少なくないだろう。  ネット上の匿名掲示板では「ディープインパクトを思い出させる強さ」といった書き込みがみられ、早くも皐月賞(G1)、東京優駿(G1)の本命候補に名乗りを上げた。  確かにここまで3戦3勝、しかもそのすべてで「本気を出さず」に圧勝と、内容も文句なし。ハーツクライやウオッカといった名馬に跨がってきた外国人騎手のC.ルメールが「能力はG1クラス」と語っているが、営業トークでないことは明らかだ。  そもそも2億4,150万円という評価の時点で、このくらいの活躍は期待されていたに違いない。種付け料だけで3,000万円のディープインパクト産駒とはいえ、その8倍以上の評価はただごとではない。いくつもの高額馬がレースで結果を残せないまま表舞台から去った事実を考えれば、同馬は今のところ“大当たり”ともいえるが。  サトノダイヤモンドは現時点で購入額の5分の1ほどしか賞金を獲得していないが、皐月賞と東京優駿を勝てば賞金的にプラスに転じる見込み。このまま無事に成長すればその皮算用も現実を帯びてくるが、決して不安がないわけではない。勝てば勝つほど不安視されているのが「オーナーが(運を)持っていない」といわれていることだ。  サトノダイヤモンドのオーナーである里見治(さとみはじめ)氏は遊技機メーカー、セガサミーホールディングス株式会社の代表取締役会長兼社長としてお馴染み。総資産は500億円以上で年収は20億円ともいわれており、東日本大震災では個人で2億円を寄付、さらに総額17億円の自宅に銃弾が撃ち込まれたこともあってか、愛車は特注の防弾仕様。次女の結婚式には安倍晋三内閣総理大臣、菅義偉官房長官、小泉純一郎といった超大物政治関係者、プロ野球界からは長島茂雄、王貞治といった大物が列席するほどの人物だ。  昨年のセレクトセールでも、最高額となる2億3,500万円馬を筆頭に総額7億6,300万円の「爆買い」を行うなど、これまでに数十億円の競馬投資を行っており、今や個人馬主の中でも3本の指に入る金持ちといわれるほど。  しかし、1992年から20年以上の馬主歴で200頭以上の競走馬を所有しながら、G1レースはいまだ未勝利。あれだけの高額馬を所有しながらも、数百万円の安い馬でG1レースを勝利しているDr.コパや北島三郎に及ばないというのは、まさに「持っていない」といわざるを得ない。  それだけに、いかにサトノダイヤモンドが強くてもオーナーの「負の力」がマイナスに作用するのではないかと競馬ファンは危惧しているのだ。また、競馬サークル内での内部事情も少なからず影響があるという。 「オーナーの代理人が東西で別の担当者になったりなど、昨年ぐらいからちょっとバタバタしていました。それでオーナーサイドや調教師と意思の疎通がちゃんと取れているか心配な部分もあったのです。これから大事なレースが続きますから、そのあたりで今後大きなトラブルがなければいいのですが」(某エージェント)  これから本格的に春のクラシック戦線が開幕するが、サトノダイヤモンドがNo.1になれるかどうかは、馬自身よりも人間サイドにかかっているといえるだろう。

ベッキーと清原和博がまさかの共演!? 芸能界の闇と“最底辺”の仕事とは?

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清原和博公式ブログ(現在は閉鎖)ベッキー公式サイト
 好感度No.1タレントのベッキーの不倫、球界の番長といわれ生涯年俸50億円以上ともいわれた清原和博の薬物逮捕、日本を代表するアイドルグループSMAPの解散謝罪騒動など、まさに芸能界の一寸先は闇、といったところだろう。  ベッキーにしろ清原にしろ、ある意味頂点を極めた成功者。しかし、一つのきっかけで天国から地獄へと転げ落ちてしまった。勝ち組と負け組がはっきりしている芸能界において彼らの過去の栄光は通用せず、もはや一線級で活躍することは難しいだろう。  視聴者に見放され、スポンサーから去られた芸能人は敗者そのもの。芸能人として最上級の仕事は、タレントであれば地上波ゴールデンタイムの冠番組、俳優であれば月9に代表されるドラマ枠の主演や映画の主演といえるだろが、逆に最底辺の仕事はなんだろうか?  芸能関係者に話を聞くと「仕事といえるかわからないけど、競馬情報会社の広告塔だろうな」と教えてくれた。  競馬情報会社の広告塔とは簡単にいえば「会員を集めるためのイメージキャラクター」であり「自分もこの会社の予想で儲かっています」と宣伝するのが主な役割。ある意味、通販番組の出演者に近いところがあるが、はっきりいえることは「タレントにとって表に出したくない仕事」ということ。  実際にマスコミを集めて記者会見でイメージキャラクター就任をアピールするわけでもなく、また本人の公式プロフィールに実績を残すようなこともしない。誰かに誇れる仕事でも世間に大きくアピールできるような仕事でもなく、どちらかといえば「目立たないようにひっそりとやってほしい」というのが本音だという。  どんなタレントがそういった仕事受けているのかを芸能関係者に話を聞いてみると、出てきたのは意外な人物。 「さすがに一流どころは出ないですね。ピークを超えて売れなくなったタレント、問題を起こして表舞台に出なくなったタレントが多いですね。前者ではあべ静江、谷隼人、テツandトモ、元プロ野球選手の広澤克実。後者ではせんだみつお、桜塚やっくん(故人)、清水宏次朗といった人達が出ていました」  かつてそれぞれのジャンルで一世を風靡し、名前を聞けば誰でも知っているようなタレント達だが、彼らが競馬情報会社の広告塔をやっていたと知っている人間は少ないだろう。ではなぜ彼らはそんな仕事を受けたのだろうか? 「結論からいえば仕事と収入が減り、なんでもいいからお金になる仕事が欲しかったというのが大きな理由ですね。報酬の相場は10~50万円ほど。内容によってプラスされる場合もあるようですが、基本的に最初に何パターンかイメージ写真を撮影して終わり。あとは会社側がその写真を使い回してインタビューしている風景を作ったりします。タレントにとっては1回1時間程度写真を撮るだけで数十万円の小遣い稼ぎですからおいしいですよ。ただ、この仕事を受けてから表舞台で復活なんて話はあまり聞かないですね」(芸能記者)  さらには先日、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された元プロ野球選手の清原和博も、過去に暴力団と繋がりがある競馬情報会社の経営者がタニマチであったことがフライデーされている。  もしかしたら、ベッキーと清原がひっそりと競馬情報会社の広告塔としてコンビを結成することもあったりして……。「底辺芸能人最後の仕事」なのは間違いない。

ベッキーと清原和博がまさかの共演!? 芸能界の闇と“最底辺”の仕事とは?

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清原和博公式ブログ(現在は閉鎖)ベッキー公式サイト
 好感度No.1タレントのベッキーの不倫、球界の番長といわれ生涯年俸50億円以上ともいわれた清原和博の薬物逮捕、日本を代表するアイドルグループSMAPの解散謝罪騒動など、まさに芸能界の一寸先は闇、といったところだろう。  ベッキーにしろ清原にしろ、ある意味頂点を極めた成功者。しかし、一つのきっかけで天国から地獄へと転げ落ちてしまった。勝ち組と負け組がはっきりしている芸能界において彼らの過去の栄光は通用せず、もはや一線級で活躍することは難しいだろう。  視聴者に見放され、スポンサーから去られた芸能人は敗者そのもの。芸能人として最上級の仕事は、タレントであれば地上波ゴールデンタイムの冠番組、俳優であれば月9に代表されるドラマ枠の主演や映画の主演といえるだろが、逆に最底辺の仕事はなんだろうか?  芸能関係者に話を聞くと「仕事といえるかわからないけど、競馬情報会社の広告塔だろうな」と教えてくれた。  競馬情報会社の広告塔とは簡単にいえば「会員を集めるためのイメージキャラクター」であり「自分もこの会社の予想で儲かっています」と宣伝するのが主な役割。ある意味、通販番組の出演者に近いところがあるが、はっきりいえることは「タレントにとって表に出したくない仕事」ということ。  実際にマスコミを集めて記者会見でイメージキャラクター就任をアピールするわけでもなく、また本人の公式プロフィールに実績を残すようなこともしない。誰かに誇れる仕事でも世間に大きくアピールできるような仕事でもなく、どちらかといえば「目立たないようにひっそりとやってほしい」というのが本音だという。  どんなタレントがそういった仕事受けているのかを芸能関係者に話を聞いてみると、出てきたのは意外な人物。 「さすがに一流どころは出ないですね。ピークを超えて売れなくなったタレント、問題を起こして表舞台に出なくなったタレントが多いですね。前者ではあべ静江、谷隼人、テツandトモ、元プロ野球選手の広澤克実。後者ではせんだみつお、桜塚やっくん(故人)、清水宏次朗といった人達が出ていました」  かつてそれぞれのジャンルで一世を風靡し、名前を聞けば誰でも知っているようなタレント達だが、彼らが競馬情報会社の広告塔をやっていたと知っている人間は少ないだろう。ではなぜ彼らはそんな仕事を受けたのだろうか? 「結論からいえば仕事と収入が減り、なんでもいいからお金になる仕事が欲しかったというのが大きな理由ですね。報酬の相場は10~50万円ほど。内容によってプラスされる場合もあるようですが、基本的に最初に何パターンかイメージ写真を撮影して終わり。あとは会社側がその写真を使い回してインタビューしている風景を作ったりします。タレントにとっては1回1時間程度写真を撮るだけで数十万円の小遣い稼ぎですからおいしいですよ。ただ、この仕事を受けてから表舞台で復活なんて話はあまり聞かないですね」(芸能記者)  さらには先日、覚せい剤取締法違反(所持)容疑で逮捕された元プロ野球選手の清原和博も、過去に暴力団と繋がりがある競馬情報会社の経営者がタニマチであったことがフライデーされている。  もしかしたら、ベッキーと清原がひっそりと競馬情報会社の広告塔としてコンビを結成することもあったりして……。「底辺芸能人最後の仕事」なのは間違いない。

ヒールから主役へ、そして壮絶な死……誰もが“感情移入”した「刺客」ライスシャワー

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「競馬」というのは、もちろん馬が競走する競技であり、馬に人間が思い描く「競走」の意志があるかどうかは定かではなく、それは経済動物を扱う関係者にとって永遠のテーマでもある。  ただ、長い競馬の歴史の中で、彼らがどう考えても「レースに臨んでいる」としか思えない瞬間がたくさんあった。90年代のオグリキャップやトウカイテイオー、最近でもブエナビスタやオルフェーヴルなど、人間の意志が乗り移ったようなレースをする馬は確かに存在するのが現実だ。だからこそ「感情移入」することで感動が生まれ、だからこそ長期にわたり人気を保持しているのである。 “感情移入”というくくりでいえば、ライスシャワーという馬も、多くのファンの琴線に触れた馬だったといえる。ライスシャワーの生涯は、最初から最後までドラマ尽くしだった。  北海道登別市のユートピア牧場で、1989年に産声を上げたライスシャワー。漆黒の馬体、小柄ながらも人間の指示に従順で、走りも滑らかということから評判がよかったらしい。しかし、足元がもろく、骨折などもあって出世までは時間がかかった。  通算成績4戦2勝で迎えたクラシック第1弾・皐月賞は8着、当時はG2だったNHK杯でも8着と連続して結果を出せず、当然ながら大一番・日本ダービーでは16番人気と最低クラスの評価となった。世間の注目は皐月賞を無敗で制した怪物・ミホノブルボンに注がれており、ライスシャワーは刺身の“ツマ”にもなっていなかったということだ。仕方がない話ではある。  無論、日本ダービーでもミホノブルボンが圧巻の逃げ切りで無敗2冠達成。ただ、2着には16番人気のライスシャワーが入る大波乱となった。多くのファンが愕然としただろう。どうやら、牧場などではさほど驚きではなかったそうで、ミホノブルボンとの馬連馬券1000円分をボーナス代わりに出したなんて話もあったというのだから驚きだ。  皐月賞は2000m、そして日本ダービーは2400m。血統的にも戦績も、距離が伸ばすことが得策なライスシャワーは、秋の大目標を京都競馬場のクラシック最終戦・菊花賞(3000m)に定める。  無敗のまま菊花賞に臨んだ3冠候補・ミホノブルボン、そしてここに全てをかけて臨んだライスシャワー。その軍配は、ライスシャワーに上がる。  ミホノブルボンを直線半ばで交わした見事な勝利だった。強靭なステイヤー(長距離馬)誕生の瞬間でもあった。  しかし、ミホノブルボンの“クラシック3冠”を期待していたファンとしては、歴史的瞬間をライスシャワーに「邪魔された」という認識がほとんど。G1制覇にもかかわらず、その評価は、現代風にいうなら「KYな悪役」でしかなかった。  そしてライスシャワーの「悪役」っぷりに追い討ちをかける出来事が起きてしまう。翌年春、京都競馬場で開催され、日本一の長距離馬を決定する天皇賞・春(3200m)3連覇を狙ったメジロマックイーンを撃破してしまうのである。メジロマックイーンの鞍上は、当時すでにスターだった武豊。「またライスシャワーか」「大記録がなくなった」と、ため息を漏らす結果の立役者となってしまったのだ。  もっとも、この時のライスシャワーはマイナス14キロ、メジロマックイーンを倒すべく究極の仕上げ、極限まで削ぎ落とした馬体で出走していたのだ。その点を鑑みることなく「悪役」「関東の刺客」になってしまった部分は、気の毒としか言いようがない。  その後、無理な減量がたたったのか、ライスシャワーは惨敗を繰り返し、翌年の春には重度の骨折を負う。10カ月近くを休養に当てざるを得ず、復帰したのはその年の有馬記念。レースは3着だったものの、年明けの2レースは連続で6着と、いよいよ忘れられた感があった。  しかし、2年ぶりに出走した天皇賞・春で、ライスシャワーは再びの激走を見せる。食い下がる年下のライバルたちをねじ伏せ、得意の京都競馬場での復活勝利。さすがのファンもケガを超えての復活劇に感動したようで、ここへきて一気に人気馬となる。  力を見せながらも立てなかった主役の舞台。それをようやく手に入れたライスシャワーは、ファン投票1位で夏のグランプリ・宝塚記念(この年は京都競馬場で開催)に出走する。初の真打ちとしての登場だ。  順調にレースを進めたライスシャワー。堂々たるレースぶりで馬群を進めていた。連勝も期待したファンもいたはずだ。  しかし第3コーナー、一瞬にして期待や夢は断ち切られる。  誰の目から見ても「絶望的」と言わざるを得ない左前脚の骨折。もはや立ち上がることすらできなくなったライスシャワーは、その場で安楽死処置を取られた。主戦騎手であった的場均は、馬運車で運ばれる彼を最敬礼で見送った……。  一瞬にして失われたライスシャワーの命……その衝撃と世間の反応は凄まじく、高速馬場への批判や、記念碑の建立になるまでの騒ぎとなった。しかし、そのような「死後ブーム」に意味があるのかと疑問を呈する人間も多くはなかった。  競馬場で骨折して安楽死というのは、競馬においては決して珍しいことではなく、「ヒール」から「スター」になってしまったライスシャワーの突然の死を美談にしたいジャーナリズムだという意見もある。そして世間というのは、そういうストーリーに弱く、それこそ“感情移入”してしまうのである。  ただ、彼を評価する際は、ミホノブルボンやメジロマックイーンという紛れもない強豪を京都の舞台で真っ向から下したこと、骨折を乗り越え、天皇賞を制したその強さ、現代競馬最後の「本物の長距離馬」の姿であるべきで、死の瞬間ではないはず。京都で躍動したその美しい馬体でなくてはならないはずだ。そういう意味でも、ライスシャワーは何ともドラマ性ある馬だったのは間違いがない。  京都で咲き、京都で散った「刺客」ライスシャワー。彼は現在も、サイレンススズカなどとともに「悲劇の名馬」の1頭としてファンの記憶に刻まれている。

ヒールから主役へ、そして壮絶な死……誰もが“感情移入”した「刺客」ライスシャワー

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「競馬」というのは、もちろん馬が競走する競技であり、馬に人間が思い描く「競走」の意志があるかどうかは定かではなく、それは経済動物を扱う関係者にとって永遠のテーマでもある。  ただ、長い競馬の歴史の中で、彼らがどう考えても「レースに臨んでいる」としか思えない瞬間がたくさんあった。90年代のオグリキャップやトウカイテイオー、最近でもブエナビスタやオルフェーヴルなど、人間の意志が乗り移ったようなレースをする馬は確かに存在するのが現実だ。だからこそ「感情移入」することで感動が生まれ、だからこそ長期にわたり人気を保持しているのである。 “感情移入”というくくりでいえば、ライスシャワーという馬も、多くのファンの琴線に触れた馬だったといえる。ライスシャワーの生涯は、最初から最後までドラマ尽くしだった。  北海道登別市のユートピア牧場で、1989年に産声を上げたライスシャワー。漆黒の馬体、小柄ながらも人間の指示に従順で、走りも滑らかということから評判がよかったらしい。しかし、足元がもろく、骨折などもあって出世までは時間がかかった。  通算成績4戦2勝で迎えたクラシック第1弾・皐月賞は8着、当時はG2だったNHK杯でも8着と連続して結果を出せず、当然ながら大一番・日本ダービーでは16番人気と最低クラスの評価となった。世間の注目は皐月賞を無敗で制した怪物・ミホノブルボンに注がれており、ライスシャワーは刺身の“ツマ”にもなっていなかったということだ。仕方がない話ではある。  無論、日本ダービーでもミホノブルボンが圧巻の逃げ切りで無敗2冠達成。ただ、2着には16番人気のライスシャワーが入る大波乱となった。多くのファンが愕然としただろう。どうやら、牧場などではさほど驚きではなかったそうで、ミホノブルボンとの馬連馬券1000円分をボーナス代わりに出したなんて話もあったというのだから驚きだ。  皐月賞は2000m、そして日本ダービーは2400m。血統的にも戦績も、距離が伸ばすことが得策なライスシャワーは、秋の大目標を京都競馬場のクラシック最終戦・菊花賞(3000m)に定める。  無敗のまま菊花賞に臨んだ3冠候補・ミホノブルボン、そしてここに全てをかけて臨んだライスシャワー。その軍配は、ライスシャワーに上がる。  ミホノブルボンを直線半ばで交わした見事な勝利だった。強靭なステイヤー(長距離馬)誕生の瞬間でもあった。  しかし、ミホノブルボンの“クラシック3冠”を期待していたファンとしては、歴史的瞬間をライスシャワーに「邪魔された」という認識がほとんど。G1制覇にもかかわらず、その評価は、現代風にいうなら「KYな悪役」でしかなかった。  そしてライスシャワーの「悪役」っぷりに追い討ちをかける出来事が起きてしまう。翌年春、京都競馬場で開催され、日本一の長距離馬を決定する天皇賞・春(3200m)3連覇を狙ったメジロマックイーンを撃破してしまうのである。メジロマックイーンの鞍上は、当時すでにスターだった武豊。「またライスシャワーか」「大記録がなくなった」と、ため息を漏らす結果の立役者となってしまったのだ。  もっとも、この時のライスシャワーはマイナス14キロ、メジロマックイーンを倒すべく究極の仕上げ、極限まで削ぎ落とした馬体で出走していたのだ。その点を鑑みることなく「悪役」「関東の刺客」になってしまった部分は、気の毒としか言いようがない。  その後、無理な減量がたたったのか、ライスシャワーは惨敗を繰り返し、翌年の春には重度の骨折を負う。10カ月近くを休養に当てざるを得ず、復帰したのはその年の有馬記念。レースは3着だったものの、年明けの2レースは連続で6着と、いよいよ忘れられた感があった。  しかし、2年ぶりに出走した天皇賞・春で、ライスシャワーは再びの激走を見せる。食い下がる年下のライバルたちをねじ伏せ、得意の京都競馬場での復活勝利。さすがのファンもケガを超えての復活劇に感動したようで、ここへきて一気に人気馬となる。  力を見せながらも立てなかった主役の舞台。それをようやく手に入れたライスシャワーは、ファン投票1位で夏のグランプリ・宝塚記念(この年は京都競馬場で開催)に出走する。初の真打ちとしての登場だ。  順調にレースを進めたライスシャワー。堂々たるレースぶりで馬群を進めていた。連勝も期待したファンもいたはずだ。  しかし第3コーナー、一瞬にして期待や夢は断ち切られる。  誰の目から見ても「絶望的」と言わざるを得ない左前脚の骨折。もはや立ち上がることすらできなくなったライスシャワーは、その場で安楽死処置を取られた。主戦騎手であった的場均は、馬運車で運ばれる彼を最敬礼で見送った……。  一瞬にして失われたライスシャワーの命……その衝撃と世間の反応は凄まじく、高速馬場への批判や、記念碑の建立になるまでの騒ぎとなった。しかし、そのような「死後ブーム」に意味があるのかと疑問を呈する人間も多くはなかった。  競馬場で骨折して安楽死というのは、競馬においては決して珍しいことではなく、「ヒール」から「スター」になってしまったライスシャワーの突然の死を美談にしたいジャーナリズムだという意見もある。そして世間というのは、そういうストーリーに弱く、それこそ“感情移入”してしまうのである。  ただ、彼を評価する際は、ミホノブルボンやメジロマックイーンという紛れもない強豪を京都の舞台で真っ向から下したこと、骨折を乗り越え、天皇賞を制したその強さ、現代競馬最後の「本物の長距離馬」の姿であるべきで、死の瞬間ではないはず。京都で躍動したその美しい馬体でなくてはならないはずだ。そういう意味でも、ライスシャワーは何ともドラマ性ある馬だったのは間違いがない。  京都で咲き、京都で散った「刺客」ライスシャワー。彼は現在も、サイレンススズカなどとともに「悲劇の名馬」の1頭としてファンの記憶に刻まれている。

「黄金世代」と称される“華の2014年組”。輝く新人騎手の中で金になる「大穴男」はコイツだ!

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松若風馬騎手(JRA公式サイト)
 一般的に「社会人は3年経ってようやく一人前」といわれるが、競馬界において今年でデビュー3年目を迎えるのが、「黄金世代」と称される新人騎手たちだ。  一昨年の春にデビューした新人騎手は、松若風馬(ふうま)、石川裕紀人、井上敏樹、小崎綾也、木幡初也、義英真(よし えいしん)の6人。彼らは初年度から存在感を発揮し、順調なステップを踏み続けている。  特に1年目で“新人王”を獲得した松若風馬(栗東)は、2年ですでに100勝越え。昨年は60勝を挙げG1初騎乗、重賞勝利も果たし、関西リーディングで10位にランクインした。「今、最も乗れている若手」といえば、間違いなく関西の松若がNo.1だろう。  関東の石川裕紀人(美浦)も負けてはいない。1年目は年間12勝と奮わなかったが、2年目の昨年は40勝と急成長。年末の有馬記念でG1初騎乗も果たし、今年のブレイクは必至と評価されている逸材だ。  素質なら小崎綾也(栗東)も同等のものを持っている。他にも玄人ファンをうならせる木幡初広騎手の息子の木幡初也(美浦)、インパクトのある名前で実績以上の存在感を出している義英真(栗東)と、とにかく粒ぞろい。  ただ、中でも面白いのが関東の井上敏樹(美浦)だ。  デビュー1年目は7勝、2年目は23勝。順調にステップアップしているものの、特に目立った成績を上げているわけではない。ではなぜ井上を一押しするのかというと、それは「金になる騎手だから」だ。  競馬ファン、特にライトな競馬ファンなら誰でも「一度でいいから万馬券を獲ってみたい」と考えるもの。それならば今のうちに“井上ファン”になっておいた方がいいかもしれない。  なんせこの男、自他ともに認める大穴男。単なる穴男ではない、“大”穴男である。  通常、単勝100倍以上の馬がレースを勝つことなど「年に何回あるか」といったレベル。だが、井上は新人ながら2年で3度も達成。特に昨年4月に単勝136.7倍の馬で勝利した際は、3連単で123万馬券を演出した。  2着まで視野を広げても、単勝50倍以上は当たり前の穴馬だらけ。特に昨年のオークス(G1)の出走権がかかったレースでは、単勝164.4倍の超人気薄を2着に持ってきてG1の出走権をゲット。しかし、本人が通算30勝に満たないため、規定によりG1で乗れなかったという“新人穴男”ならではのホロ苦いエピソードもある。 「松若や石川の陰に隠れがちですが、井上も新人ながら乗れる騎手です。ただ、今はまだ知名度が低いため、騎乗馬の人気が上がりにくい状況になっています。有能な新人は同時に穴騎手としても注目されて育ちますが、彼も間違いなくその一人ですね」(競馬記者)  G1を100勝以上している武豊が4番人気より下でG1を勝ったことがないように、有力な騎手は乗るだけで人気になってしまうのが宿命……。ならば“先物買い”ではないが、井上の馬券も「注目度が低いうちに買っておいた方がお得」ということか。  セールスポイントに「穴馬を持ってくるところ」と断言し、騎乗馬の人気がない時には「絶対に穴をあけてやる!」と闘志を燃やす井上敏樹騎手。同期に実績では後れをとっても「黄金世代」の「金」の部分では、彼の“大穴男”ぶりに大いに期待したい。

「黄金世代」と称される“華の2014年組”。輝く新人騎手の中で金になる「大穴男」はコイツだ!

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松若風馬騎手(JRA公式サイト)
 一般的に「社会人は3年経ってようやく一人前」といわれるが、競馬界において今年でデビュー3年目を迎えるのが、「黄金世代」と称される新人騎手たちだ。  一昨年の春にデビューした新人騎手は、松若風馬(ふうま)、石川裕紀人、井上敏樹、小崎綾也、木幡初也、義英真(よし えいしん)の6人。彼らは初年度から存在感を発揮し、順調なステップを踏み続けている。  特に1年目で“新人王”を獲得した松若風馬(栗東)は、2年ですでに100勝越え。昨年は60勝を挙げG1初騎乗、重賞勝利も果たし、関西リーディングで10位にランクインした。「今、最も乗れている若手」といえば、間違いなく関西の松若がNo.1だろう。  関東の石川裕紀人(美浦)も負けてはいない。1年目は年間12勝と奮わなかったが、2年目の昨年は40勝と急成長。年末の有馬記念でG1初騎乗も果たし、今年のブレイクは必至と評価されている逸材だ。  素質なら小崎綾也(栗東)も同等のものを持っている。他にも玄人ファンをうならせる木幡初広騎手の息子の木幡初也(美浦)、インパクトのある名前で実績以上の存在感を出している義英真(栗東)と、とにかく粒ぞろい。  ただ、中でも面白いのが関東の井上敏樹(美浦)だ。  デビュー1年目は7勝、2年目は23勝。順調にステップアップしているものの、特に目立った成績を上げているわけではない。ではなぜ井上を一押しするのかというと、それは「金になる騎手だから」だ。  競馬ファン、特にライトな競馬ファンなら誰でも「一度でいいから万馬券を獲ってみたい」と考えるもの。それならば今のうちに“井上ファン”になっておいた方がいいかもしれない。  なんせこの男、自他ともに認める大穴男。単なる穴男ではない、“大”穴男である。  通常、単勝100倍以上の馬がレースを勝つことなど「年に何回あるか」といったレベル。だが、井上は新人ながら2年で3度も達成。特に昨年4月に単勝136.7倍の馬で勝利した際は、3連単で123万馬券を演出した。  2着まで視野を広げても、単勝50倍以上は当たり前の穴馬だらけ。特に昨年のオークス(G1)の出走権がかかったレースでは、単勝164.4倍の超人気薄を2着に持ってきてG1の出走権をゲット。しかし、本人が通算30勝に満たないため、規定によりG1で乗れなかったという“新人穴男”ならではのホロ苦いエピソードもある。 「松若や石川の陰に隠れがちですが、井上も新人ながら乗れる騎手です。ただ、今はまだ知名度が低いため、騎乗馬の人気が上がりにくい状況になっています。有能な新人は同時に穴騎手としても注目されて育ちますが、彼も間違いなくその一人ですね」(競馬記者)  G1を100勝以上している武豊が4番人気より下でG1を勝ったことがないように、有力な騎手は乗るだけで人気になってしまうのが宿命……。ならば“先物買い”ではないが、井上の馬券も「注目度が低いうちに買っておいた方がお得」ということか。  セールスポイントに「穴馬を持ってくるところ」と断言し、騎乗馬の人気がない時には「絶対に穴をあけてやる!」と闘志を燃やす井上敏樹騎手。同期に実績では後れをとっても「黄金世代」の「金」の部分では、彼の“大穴男”ぶりに大いに期待したい。

まるでニシン漁!?  武豊騎手が独占する歴史に名を残す大記録の数々にボー然

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 JRA騎手・武豊。言わずと知れた日本を代表する超一流の騎手である。ディープインパクトやオグリキャップといった名馬に騎乗して数々のビッグレースを勝利。実力、人気、実績すべてで不動の存在といえるだろう。  2016年1月24日、中山競馬場で行われた第57回アメリカジョッキークラブカップに騎乗した武豊騎手は、約3年ぶりのコンビとなるディサイファに騎乗しデビューから30年連続となる重賞勝利を達成。  武豊騎手がデビューしたのは1987年。その年の10月に重賞初勝利を成し遂げデビュー一年目で重賞3勝。翌年には菊花賞を優勝してG1ジョッキーの仲間入り。そして積み上げた重賞勝利数はなんと403というから恐れ入る。しかもこれは日本馬のみの成績であり外国馬に騎乗して勝利した海外の重賞を加えると415勝にも達する。  通算400勝もできない騎手が多くいる中、重賞だけで400勝以上とはまさに天才。現在日本競馬を席巻している外人騎手のM.デムーロは37歳で国内重賞45勝、C.ルメールは36歳で国内重賞31勝。さらに日本人のトップジョッキーである戸崎圭太騎手は35歳で国内重賞38勝、岩田康成騎手は41歳で国内重賞141勝ということを考えると、これは今後破られないであろうとてつもない大記録といえる。  加えてその403勝のうちG1クラスの優勝は106勝となっており、これも破格の成績。中でもすべての騎手の目標である東京優駿(日本ダービー)は史上最多の5勝を記録している。  また武豊騎手は海外遠征にも積極的であり、過去にはアメリカやフランスに長期滞在したこともある。アメリカ、フランス、イギリス、ドバイ、香港で通算重賞21勝という成績も凄い。シーキングザパールのモーリスドギース賞(G1)、ステイゴールドのドバイシーマクラシック(G2)、アドマイヤムーンのドバイデューティーフリー(G1)、そして記憶に新しい昨年12月13日のエイシンヒカリによる香港カップ(G1)優勝…。この記録もおそらく破られることはないだろう。  デビューから30年、国内外で2万回以上騎乗して通算3797勝(記録・データが少ない海外で50勝以上しているため実際はもっと多い)。通算勝利数は川崎競馬の佐々木竹見騎手が7151勝のため印象は弱いが、獲得賞金は海外や地方を合わせて約780億円でダントツの1位。この賞金額は国際的に見ても破格で、おそらく世界一ではないかと推測されている。  また騎手としてだけでなく芸能活動も活発でバラエティやドラマに多く出演、騎手としては異例なほど多くテレビCMにも出演している。そのCMは三菱自動車のOUTLANDER、サントリーのザ・プレミアム・モルツ、フィールズのCRエヴァンゲリオン 、NTTドコモ、トヨタ自動車のカローラ、日産自動車、サッポロ黒ラベル、ムラテック(村田機械)、世界リゾート博、そしてJRAなど多数、これもおそらく他の騎手の追随を許さないところだろう。  まさに生ける伝説として数々の記録を更新し続ける武豊騎手。2016年もさらなる飛躍を期待したいところだ。 武豊騎手の歴史に残るであろう主な記録[2016/1/24現在] ・30年連続重賞勝利 ・重賞415勝 ・G1レース106勝 ・獲得賞金約780億円 ・騎手としてのテレビCM出演数

勝率8割!? 「ユタカを買ってるだけで競馬は勝てる」 競馬王・武豊の全盛期がハンパない

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「昨年よりも、さらに良い騎手になれるよう努力します」  そう力強く抱負を語ったのは昨年、2009年以来の100勝越え(106勝)を達成し、まさに完全復活を印象付けた武豊騎手だ。  しかし、“競馬界の帝王”としてプライドの高い本人は、まだまだ満足していない。「こんなもので完全復活したと思ってもらっては困る」と話していた。確かにかつて「年間212勝」という驚異的な記録を達成した武豊騎手からすれば、これでも物足りない数字ないのかもしれない。  ただ、そんな武豊の全盛期はいったいどれだけ凄かったのだろうか……。数字だけでは伝わらないものを“現地”で聞いてみた。  関西所属の武豊騎手が、年間を通じて騎乗している阪神(仁川)や京都(淀)の競馬場近辺には、競馬ファンが集まる居酒屋があちらこちらに点在している。そういった“馬吉(うまきち)”の溜まり場によく顔を出している10年、20年来のオールドファンは、酒で顔を真っ赤にしたまま武豊の主張に激しく同意していた。 「そりゃ、あんなもんやないよ。ワシら昔は競馬場来たら、まず新聞広げて武豊だけをチェックしてたもんよ。最初に武ちゃんが来るのか来ないのかだけ考えるんや」(Nさん) 「昔は馬券が簡単やった。ユタカを軸に買ってるだけで半分は当たるんやから。けど安いのよ。万馬券なんかめったに出ない」(Wさん)  ノンアポでの突撃取材だったので、アルコールで話が大げさになっている部分もあるだろう。だが、それでも最盛期といわれた1990年頃から2008年まで、毎年の連対率(1着か2着に入線する確率)が4割弱あったのだから、あながち“ホラ話”でもなさそうだ。  そこからは、オグリキャップに始まりディープインパクトまで、競馬を語る上で武豊騎手の話は尽きないらしい。口調はまるで、付き合いの長い息子か親友の話でもしているようだ。結局、日が沈む直前まで付き合わされたが、その中でひと際「本当かよ!?」と思える“伝説”が飛び出したので詳しく調べてみた。 「1日競馬場におって、全部武ちゃんに勝たれたんよ――」  まさかと思い調べてみた結果、さすがに「1日12レース全勝」とまではいかないものの、「1日8勝」という驚異的な記録を発見。当然JRAの最高記録、それもその日の武豊騎手は10レースしか騎乗していないため、正確には10戦8勝、「勝率8割」である。  昨年のJRA最多勝騎手の戸崎圭太騎手の年間勝率が0.138だったことを考えれば、この日の武豊騎手がどれだけ“異常”だったか理解できるのではないだろうか。  02年の12月7日。この日、阪神競馬場で騎乗した武豊騎手は朝から1、2レースを連勝と幸先の良いスタートを切った。3レースは騎乗せず、4レースは3着、5レースは障害で騎乗せずと午前中は「2勝」で終わる。  爆発したのはメインレースが近づく午後からだ。6レースから最終の12レースまで、7レースで一度負けた以外はすべて勝利。「勝率1割以上で一流騎手」といわれる競馬で、「1日8勝」の金字塔を打ち立てている。 「その日は“競馬の神様”が、背中をグッと後押ししてくれたのかもしれません」  後日、武豊騎手本人も当時を振り返り、そう表現するほどの“奇跡の一日”。ただ、この02年はなにも12月7日だけが凄いのではなく、年間の連対率が0.435とまさに“武豊一色”だったことが伺える。ちなみに昨年の戸崎騎手の連対率は0.267。これでも超一流の数字だ。 「あの時の『次は1日9勝を目指します』という言葉は、今でも僕の中で生きています」  あくまで貪欲にそう語る競馬界の帝王。いや、それだけの常人ならぬ向上心があるからこそ、今年で47歳を迎える今なお一線で輝き続けているのかもしれない。