
「チョッチュネ」でおなじみな、アフロの面白いおじさん・具志堅用高。
今はテレビでのタレント活動で目にする機会が多いが、元WBA世界ライトフライ級チャンピオンで、日本記録となる13回も王座を防衛。2015年には国際ボクシング殿堂入りを果たすなど、ボクシング界のすごい人なのだ。
そんな、元チャンピオンならではの含蓄ある名言から、テレビで見る天然キャラならではの面白エピソードなど、具志堅さんの名言&迷言を集めた書籍『具志堅良好!語録』(宝島社)が発売された。
なかなか常人には理解しがたい、具志堅さんならではのすごい伝説がいっぱい載っていて、ビックリさせられる一冊! ……ということで、具志堅さん自身にさまざまな伝説が本当なのか確認しつつ、「チャンピオンだったんだぞ!」というアピールをしてもらった。
■入試で名前を書き忘れて、人生が決まった
――今の若い人たちの中には、具志堅さんがすごいボクサーだったということを知らない人もいるんじゃないかと思うので、そのあたりのことを中心に聞いていきたいんですが。
具志堅用高(以下、具志堅) そうなんだよねぇ~。テレビの、お笑いの人だとか思われてるから……。
――子どもの頃はボクシングじゃなくて、野球に興味があったそうですね?
具志堅 小学生の頃、石垣島ってテレビはNHKしかなかったからね。プロ野球はNHKで流れてるからさぁ~。
――サイン入りの野球ボールを手に入れて、そこに自分の名前を書いちゃったという伝説がありますけど、それはいつ頃の話ですか?
具志堅 それはいつだったかな……。そんなことあったかな……?
――えーっ、覚えてないんですか!? それじゃあ、当時好きだった選手は?
具志堅 やっぱり長嶋茂雄さんと王貞治さん。ジャイアンツが強かったからね。野球は(中学)2年までやってたよ。
――じゃあ3年生の時は?
具志堅 卓球。
――なんで急に卓球を!?
具志堅 野球は団体競技だから、レギュラーになれなくって。体が小さかったし、うまくなかったからさぁ~。ボール拾いとかばっかりさせられてたし。卓球は個人の競技だから、面白いなと思ったなぁ~。動きが。目で追うし。早いし。
――早い?
具志堅 早く終わるでしょ? 卓球。
――ああ、野球だったら1試合3時間くらいはかかりますからね。それから高校に進むわけですけど、入試で名前書き忘れたらしいですね。
具志堅 名前を書き忘れて、落とされちゃったの。そしたら中学の担任の先生が、那覇の興南高校を勧めてくれたんですよ。「島を出て勉強してこい!」と。
――そこでボクシングと出会うわけですよね。
具志堅 最初は野球部に行ったんだけどね。
――え、中2でやめたのに?
具志堅 んまあ、興南は野球で有名だったからね。行ってみたかったのよ、甲子園に。入れてもらえなかったけどね。「無理だからやめとけ」って。そこで人生が決まったね。最初の高校に受かって野球部に入れていたとしたら、ボクシングをやってなかったと思うよ。
――それでは、ボクシングを始めたきっかけは?
具志堅 ボクシングって、それまで見たこともなかったけどね。クラスの人に誘われたのよ。「お前も来いよ、ボクシング部に」って。
――球技とは全然違うスポーツですけど、殴り合うことに怖さはなかったですか?
具志堅 それはなかったのよ。誘われてついて行って、構えを教えてもらったら、先輩に褒められたんだなぁ~。
――「お前、構えがいいな!」みたいな?
具志堅 そうそう、左利きだから、最初からサウスポーだったんですよ。右利きからわざわざサウスポーに変える人もいるんですよ、ボクサーは。格好良く見えるんだなぁ~。で、調べた。「サウスポー」って言われたけど、サウスポーの意味がわからなくて。
――ウハハ! 褒められたけど、わかってなかった!
具志堅 その後、グローブをはめて、殴られたけどね。最初、痛かったね~。
――痛いからやめようとは思わなかったんですか?
具志堅 我慢してたよ。負けず嫌いなところがあるから、とにかく続けてみようって。そしたら、試合にすぐ出された。
――始めてどれくらいでですか?
具志堅 3カ月。まあ新人戦……1年生、2年生だけの試合だけど。無我夢中でガンガン攻めたら、行ったよ決勝戦まで。決勝は、同じ高校の2年生に負けましたよ。
――同じ高校同士が決勝で当たるなんて、興南高校はボクシングが強かったんですね。
具志堅 あの頃は、沖縄全体でボクシングが盛り上がってたからなぁ~。沖縄の予選は全国大会並みなんだから。
――その沖縄で、始めて3カ月でいきなり決勝戦に進んだっていうのはすごいですね。
具志堅 それで、2年生の時にまた(同じ先輩に)決勝で当たって勝っちゃってさぁ~。先輩は最後の試合で、勝ったらインターハイ行けたんだけど、僕が(インターハイに)行っちゃったのよ。高校2年の時に。それから2年続けて行ってね。
■チャンピオンになればモテる! ……でも、遊ばなかった
――その頃には、プロボクサーになろうと思っていたんですか?
具志堅 いやいや、大学に行って五輪を目指そうと思ってたの。それで東京に行ったんだけど、空港で協栄ジムのマネジャーに捕まっちゃってね。
――それで、無理やりプロに?
具志堅 空港からジムに連れてかれて、そのままプロ入り記者会見をさせられちゃったからね。まあ、それも運命だよね。
――大学に進んでいたら、五輪に行けたと思いますか?
具志堅 いやいや無理だ。チャンスがあったとすれば、モントリオールかモスクワ五輪だったんだけど、モスクワはボイコットしたでしょ。結局、プロの道に進んで、モスクワ五輪の頃には、もう世界チャンピオンで10回くらい防衛してたんじゃないかな?
――一番脂が乗ってる時期に、モスクワ五輪だったんですね。
具志堅 ああいう、運命の……なんていうかな、どこへ行くかっていうので変わっちゃうんだろうなぁ、人生は。
――プロボクサーになっても、最初は全然お金にならないらしいですね。
具志堅 そうそう、電車の定期券買って終わりだよ。プロっていっても、みんなバイトしてるからね。デビュー戦は、先輩のトランクス借りて試合したのかな、買えないから。
――トランクスって、そんなに高いものなんですか?
具志堅 2万円ぐらいするんじゃない? 靴はもっとするよ。だから高校時代のを履いてたよ、シューズ。
――全然お金にならない世界で、将来どうなるんだろうっていう不安はありませんでしたか?
具志堅 将来なんて、なんにも見えない見えない。負けたらすぐに島に帰って、漁師になろうと思ってたもん。でもアマチュア時代からずっと、何年も負けてなかったから。どんどん勝っていって、プロ7戦目で世界ランクを倒したんですよ。それで先が見えたんじゃないかな? バイトやってる最中に、世界タイトルマッチ決定の電話がかかってきたんですよね。
――まだバイトをやってるような時期に、世界戦が! 試合中のことって、覚えてますか?
具志堅 覚えてる。あんなの二度とできないね。あの1試合だけです。挑戦者だからね、「こんなチャンスない」と思ってどんどん攻めまくったんですよ。一歩も引かないでね。だから勝てたんだし……攻めたってのがよかったね。
――世界チャンピオンになって、夢がかなっちゃった後、ボクシングに取り組む気持ちって変わりましたか?
具志堅 ボクシングが好きになったのよ。練習も好きになったね。
――チャンピオンになってから好きになった?
具志堅 だって練習ってキツいんですよ、サボりたいの。でも、世界チャンピオンになったら楽しいよ。モテるし、誘いも多いし、おいしいもの食べれるし。すごいなぁ~!
――そういう誘惑で、堕落していっちゃう人もいるんでしょうね。
具志堅 いや、ならないなぁ~。世界チャンピオンになったら、みんな気合入れてくると思うよ。ベルトなんか持って歩いている人もいるし、飲み屋に。それで、また頑張ろうと何倍も練習するし、練習も楽しい! 世界チャンピオンでい続けたいっていう目標があるからさぁ~。
――ああ、チャンピオンを続けるということが目標になってくるわけですね。やっぱり、お金もガンガン入ってくるようになるんですか?
具志堅 ああ、そうですよ。世界チャンピオンになったら、お金の価値がまったくわからなくなったよ。すごいお金が、どんどん入ってくる! 5回ぐらい防衛したら……マンション買えるよ。とにかくボクシングってのは「勝てば金が入る」ってことを頭に入れてやればいいと思う。
――勝てばお金も入るし、キャーキャー言われるし……。
具志堅 楽しかったなぁ~……。ディスコ行ってバーッと遊んで、バーッて戻って練習して。やっぱり、現役の世界チャンピオンってモテるよ! 相撲の横綱や、プロ野球選手もモテるね。だから、それを長く続けたいんですよ。そしたらもう、防衛記録がどんどん伸びていくわけですよね。
――「モテたい」という一心で! でも、セックスすると調子が狂う、なんて言いますけど……。
具志堅 そりゃ、狂いますよ。女性は敵ですよ、試合前は。だから僕はモテたけど、遊ばなかった(笑)。
――具体的に、どうおかしくなっちゃうんですか?
具志堅 だって疲れるでしょ。その力を、試合で出さなきゃいけないんですよ。プロスポーツの世界では、私生活が乱れて成績が落ちるって多いと思うよ。自分の経験から見たら。「この選手、強かったのに、なんで急に落ちたのかな?」って思ったら、たいてい、私生活のリズムが狂ってるんだよね。
■ラスベガスで試合ができるような選手を育てたい
――結局、日本最多記録となる13回もタイトルを防衛したわけですが、途中でやめたいなんて思うことはなかったですか?
具志堅 チャンピオンのまま引退しようなんて思ったこともあるけど、やめられなかったね。だって、ジムのオーナーが、あちこちで契約交わしてるから。もう先々の試合まで決まっちゃってるもん。ジムのスタッフもいっぱいいるし、勝手にはできなかったね。最後のほうは体もつらかったよ、やっぱり。
――14回目の防衛戦では、試合前にアイスクリームを食べられなかったから負けた、なんて伝説もありますけど。
具志堅 それね! 計量が終わったらいつもアイスクリームを食べてたんだけどさぁ~、その日は取り上げられちゃったんだよなぁ~。
――それで、保ってきたリズムが崩れちゃったということですかね?
具志堅 うまくいかなかったなぁ~、あの試合は。途中でリズムが狂っちゃった。負ける相手じゃなかったんだけどさぁ~。
――それで引退するわけですけど、それまでボクシング一筋だったのが、急にボクシングがなくなっちゃって、どうしようと思いましたか?
具志堅 とにかく第2の仕事をしなくちゃいけないからね。だからいろいろ飲食店もやったけど、長続きしなくって。その後にジムを始めたんですよ。それからテレビ番組に出て、片岡鶴太郎さんとの出会いがあった。そこからタレントもやってますよ。
――鶴太郎さん、具志堅さんのモノマネをよくしてましたもんね。あのモノマネは、どう思ってましたか?
具志堅 最初は、いい気持ちしなかったよ。「そうっすね」とは言ってたけど、「チョッチュネ」なんて言ってないもん。まあそれがウケるんだから、いいだろうという感じで。今は、たまに自分でも「チョッチュネ」って言ったりするけど(笑)。
――テレビの世界はどうですか? ボクシングとは、まったく違うと思いますけど。
具志堅 いやあ、やっぱりそれも一緒よ、ボクシングと。かみ合えば盛り上がるし、かみ合わなければ負けちゃう。若いタレントさんたちも、もっと人気が欲しいって、みんな一生懸命だもん。
――今は、その芸能人的な活動とジムが活動の中心ってことですかね?
具志堅 そうそうそう。
――ジムで注目している選手はいますか?
具志堅 うちに、比嘉大吾っていうユースの世界チャンピオンがいるんですよ。あと、世界を狙ってる江藤光喜っていう東洋チャンピオンもいる。年内に世界挑戦させたいなって思ってるんですよ!
――自分の若い時と比べて、今のボクサーたちはここが違うなっていう点はありますか?
具志堅 まるで変わってますよ。今の若い子たちのほうが賢いっていうか。ちゃんとバイトして、部屋の荷物もそろえて、彼女も作って……。
――私生活もちゃんと楽しんで、ボクシングにも打ち込んでいるという感じですか?
具志堅 そうだと思いますよ。でも本当は、世界チャンピオンになってから彼女を作るのが一番だと思いますけどね。彼女ができると、楽なほうへ楽なほうへ行っちゃうんですよ。ボクシングをやれる時間なんて、そんなに長くないんだから。5~6年頑張れば、次の人生があるんだから。本気でやってる人は、そういう気持ちで練習に来てますよ。そういう選手には、チャンスを作ってあげたいよね。
――そういう選手にチャンスを作ってあげて、世界チャンピオンを育てるというのが今の夢でしょうか?
具志堅 それもそうだし、いつかラスベガスで試合ができるような選手を育てたいよね。1試合で何十億円取れるような選手を。日本人ボクサーにも、そういう時代が来なくちゃいけないんですよ!
(取材・文=北村ヂン)
●ぐしけん・ようこう
1955年6月26日生まれ。沖縄県石垣市出身。元プロボクサー。生来のサウスポー・ボクサーで、76年、デビューからわずか9戦目で、WBAジュニアフライ級のタイトルに挑戦。以後、81年まで13回防衛。14回目の防衛戦でペドロ・フローレスに敗れ、引退。現在は、白井・具志堅スポーツジムの会長として、若い世代の指導に当たっている。