武豊の不倫以外にも、自殺・引退・落馬負傷……一筋縄ではいかない「競馬騎手2015」

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 今年の競馬界は、日本競馬の“顔”である武豊騎手が6年ぶりの100勝を達成し、G1も3勝(地方・海外ふくむ)と久々に「天才」らしい活躍をしてくれた。ただ、競馬に特別興味のない一般層には、別の意味で注目された1年でもあった。いろいろあった2015年の競馬界の人間模様を振り返る。

後藤浩輝騎手の自殺……抱えた心の闇と壮絶な人生

2015年2月27日、自宅の脱衣所で首を吊っている状態で死亡しているのが発見された後藤浩輝騎手。死の前日に後藤騎手と話した知人も、『いつもと変わらない様子で、まさか翌日に自殺するなんて想像もできなかった。いまだに信じられない。これは何かの間違いなんじゃないかって思う』と話しているほど、突然すぎる死だった。明るいパフォーマンスで競馬界を盛り上げて、G1レースを制し、JRA(日本中央競馬会)歴代16位の通算1447勝を挙げた後藤騎手は、まぎれもない名ジョッキーであった。 ファンの間でささやかれているのは落馬、負傷を繰り返しているうちに「死にたくなったのかもしれない」という疑念だ。確かに、後藤騎手は度重なる落馬トラブルに遭っていた。12年に5月6日のNHKマイルカップなどで2度落馬し、「頸椎骨折、頭蓋骨亀裂骨折」と診断。復帰後の14年4月27日の東京競馬10R「府中市制60周年記念」でも落馬し、「第五、第六頸椎辣突起骨折」に見舞われた。  その一方で、後藤騎手にも近しい別の競馬サークル関係者は、それは根本的な自殺原因ではないと断じる。  小さい頃、実父に一家心中させられそうになり、父と離れてからも母や種違いの弟との生活など、後藤騎手が歩んだ人生は一般人とは一線を画すものである。そうした家庭環境が、後藤騎手の“闇”を作る根源にあるのではないかと……。  亡くなる一カ月前には、イベントでガラの悪い連中との接触も語られている後藤騎手。謎は深まるばかりだが、まずは改めて、心からご冥福をお祈りしたい。
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『特別模範男』(東洋出版)

藤田伸二が引退……日本競馬の“現実”に敗れた?

 JRA所属、ダービージョッキーの藤田伸二騎手(栗東・フリー)が9月6日、札幌競馬騎乗をもって引退することを発表した。JRA通算1918勝(うちG1・17勝)名手がターフから去ったのだ。ただ、なぜ今年だったのか。  藤田が、特にエージェント制度や外国人騎手偏重を中心として、JRAを公然と批判した著書「騎手の一分 競馬界の真実」(講談社)を発表したのは2013年5月。その時点で競馬界への興味はほぼなくなっていると語っており、とうに引退していても不思議ではなかったはずである。未練があった、ということか……。11年に「ヒルノダムールが引退したら、俺も一緒に辞める」と発言したという情報や、G1競走4勝(地方交流含む)のトランセンドについても、「トランセンドが辞める時は、俺も潮時だな」などとつぶやいたという話もあったが、2頭が現役を引退しても、藤田が身を引くことはなかった。「もう辞め時かも」とグチることで同情を誘い、騎乗の営業をかけているという良からぬ噂も流れていたようだ。  今年引退した本当の理由、それは“立つ瀬”がなくなったというのが主な見解だ。昨年まで「短期免許」で数カ月の滞在のみだったM・デムーロとC・ルメールというなじみ深い外国人騎手に、今年から「JRAの通年免許」が与えられ、当然のごとくリーディング上位に食い込んできた。『騎手の一分』によってJRAから距離を置かれた上、外国人騎手に騎乗馬を奪われた中で、騎手でいることが難しくなったという意見もある。 “男・藤田”として、長きにわたり中央競馬に確かなスパイスを与えてくれた藤田伸二。結局は、彼も現在の競馬界の“現実”に屈したということなのだろうか。
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武豊とフリーアナ・美馬玲子の不倫騒動と競馬界の“圧”

 武豊の“手つなぎ不倫デート”を、10月22日発売の「女性セブン」(小学館)が報じた。お相手は15歳年下でセントフォース所属、モデル・フリーアナウンサーの美馬玲子(りょうこ)と記事は伝えている。名前に「馬」があるのがなんとも武らしい。2人は競馬番組をきっかけに知り合ったという。  武が中山競馬場で開催されたスプリンターズS(G1)に騎乗した夜のこと。フランス凱旋門賞の解説など仕事をこなした後、武は美馬アナとの“危険な逢瀬”を楽しんだのだ。記事によると、下品なほど露出度の高いドレスを着た美馬アナと手をつないだ武は、時折ドレスのスリットに手を這わせて腰や尻を触っていたのだとか。   武自身は取材に対し「特別親しいわけではない」と語ったようだが、手をつないで素肌を触りまくっている時点で説得力はほぼ皆無だ。ネット上では「あなたもオトコだったのね」「がっかり」「最低」など、誠実そうな物腰と風貌の“武豊イメージ”崩壊になげくファンの声であふれ返った。武の妻である元タレントの佐野量子が、同月10日の『豊さんと憲武ちゃん!旅する相棒~1泊2日京都編~』(テレビ朝日系)で20年ぶりに揃ってテレビ出演し、その「おしどり夫婦」ぶりを見せたばかりでのこのスキャンダル。「女性セブン」もなかなかエグい。  しかし、この一大スキャンダルに、新聞やテレビは完全スルーを決め込んだ。ジョッキーのスキャンダルはタブー中のタブー。JRAは最も大事なクライアントで、毎年莫大な広告費を落としてくれる。何気なく見ている出走馬の載った馬柱も、実は広告料が発生している。新聞、テレビはおろか、男性誌やゴシップ誌もJRAの広告なくしては成り立たない。スキャンダルをやれるとしたら、競馬と無縁の女性誌しかないらしい。  なんともいやな側面もあるが、それでもその騎乗技術や華、トーク術やタレント性は競馬界のスターに足るものには違いがない。不倫くらい許してもいいのでは、と思ってしまう。
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福永祐一公式サイトより

福永祐一がまた落馬事故。大レースで結果を出せない理由

 10月31日、京都競馬場で行われたスワンステークス(G2)で落馬した福永祐一騎手。「右肩鎖関節脱臼、右鎖骨剥離骨折、右肩の靱帯断裂、右胸骨骨折」という全治4カ月の重傷を負い、現在まで独走状態だった2年ぶりのリーディングジョッキーも、厳しい状況となってしまった。  そもそも、福永騎手は“落馬が多いジョッキー”と競馬ファンから揶揄され、大手ポータルサイトの検索で「福永祐一」と書き込むと、落馬関連の表記がズラッと並ぶほどだ。  2年前、エピファネイアで菊花賞を勝つまで、牡馬クラシック競走(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)は1996年のデビュー以来未勝利。デビュー当初のキングヘイローにはじまり、最近もワールドエースやリアルスティールなど世代きっての素質馬に乗り続ける福永としては、物足りなさすぎる数字だ。特にG1ではあと一歩、ほんの少しの差で2着に甘んじる姿も目立つことから、勝負弱いともいわれている。「武豊になれない」最大の理由だろう。  私生活でもその“ユルさ”を露呈しているようで、13年に当時フジテレビアナウンサーの松尾翠との婚約を発表するまでは、武幸四郎騎手など、関西の若手騎手とともに多くの合コンに参加していた遊び人で知られていた。モデルの松田樹里、交際当時タレントの若槻千夏、仲根かすみ、グラビアアイドルの森下悠里、手島優といった、多くの芸能人と浮き名を流していたことも周知の事実。オンナ関係の尻尾をなかなかつかませなかった武とは対照的に、福永の恋愛事情はアケスケだったようだ。  福永騎手は結婚を機に合コンは控えているようだが、馬に乗れない期間をどう過ごしたのか? お金はたっぷりあるようなので、遊び人の血が騒ぎ出すのではないかと周囲は危惧している。ファンとしては、まずトップジョッキーらしくG1を勝利しまくってほしいものだ。  トップ騎手たちの悲喜こもごも。来年は暗いニュースやスキャンダルなどなく、競馬ファンを例年以上に大いに湧かせてほしい。

「日本競馬はイージー」!? “ハンデ”あっても強すぎ「外人騎手」2人に、日本人騎手は……

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現在99勝のM.デムーロ騎手(JRA公式サイト)
 これでは、日本人ジョッキーの立場などまるでないではないか。  今年の中央競馬も残り2ヶ月となり、すでに菊花賞、天皇賞・秋などビッグレースが開催された。今後はジャパンカップ、有馬記念など、国内最高レベルのレースとともに2015年の日本競馬はクライマックスを迎えるわけだが、気になるのは「リーディングジョッキー」争いだ。  現在、リーディング1位は121勝の福永祐一(落馬負傷で年内絶望)、2位には地方・大井競馬から移籍して3年目の戸崎圭太が103勝となっており、乗鞍にも恵まれて、危なげないレース運びのできる2人がトップを走っているのだが、問題は現在3位の騎手だ。  イタリアのトップジョッキーで、今年から史上初の「JRA所属の外国人騎手」として活躍するミルコ・デムーロが、99勝で現在リーディング3位。同じくフランスで活躍するクリストフ・ルメールも、今年からJRA騎手としてのキャリアをスタートさせており、現在88勝、リーディング8位と十分な成績を残している。  もともと日本には短期免許でよく訪れていた2人。デムーロは2003年、ネオユニヴァースで皐月賞・日本ダービーの「2冠」や、2012年、天皇賞・秋をエイシンフラッシュで勝利した際の天皇・皇后両陛下への「最敬礼」などで広く知られる人気者。ルメールは海外での実績でいえばデムーロよりもはるかに上。2005年の有馬記念でハーツクライにまたがり、あのディープインパクトに初めて土をつける好騎乗を見せつけたことが有名だ。  2人とも親日家で、日本でのレースに対する気合いのノリ具合は半端ではない。デムーロにいたっては「ずっと日本で乗りたい」とも語っているほどである。これまでの活躍や実力を考えればこの成績にも特に驚きはないのだが、このままでは「やはり外国人騎手のほうが上」と、誰もが認めざるを得ない“現状”がある。 「デムーロがJRA騎手として騎乗を開始したのは、今年の3月。つまりリーディング争いで『2ヵ月』のハンディがあるんです。ルメールは2月に『調整ルームTwitter使用』事件でデビューが4月に遅れましたから、そのハンディは『3カ月』にもなる。にもかかわらず、デムーロはもう100勝に手が届く寸前で、トップの福永祐一が負傷で離脱したために、初年度からリーディングジョッキーの称号を得る可能性すら出てきました。ルメールも問題なく100勝を超えるでしょう。いい馬を多くあてがわれているのは間違いありませんが、それは上位騎手ならみな同じ。あっという間に抜き去られた日本人騎手は少し情けなく映りますね」(競馬記者)  9月に引退を発表した藤田伸二騎手が、自身の著書『騎手の一分』(講談社現代新書)で「外国人騎手の全てがうまいわけではない」という考えを示しているが、この2人は例外なのだろうか。いくつもレースを見ていると、2人と日本人騎手の差も少しずつ見えてくると記者は語る。 「ルメールは中団のポジションを確保して、日本人がなかなかやらないインコースから鋭く抜け出すレースが多い。JRA移籍後も、何度も人気薄の馬をこの“イン突き”で馬券圏内に持ってきています。レースの流れを読む力、進路どりの上手さは別格です。デムーロは、今年ドゥラメンテで2度目のクラシック2冠を達成したように大舞台での強さが印象的ですが、馬の力を最大限に引き出す『仕掛けのタイミング』が抜群にいい。後方から一気に抜き去るレースが多いのも、彼の仕掛けの上手さがあってこそだと思います。本場の欧州はポジションの取り合いが非常に激しいですから、“安全第一”で各馬が間隔を空ける日本競馬は、やりやすいでしょうね(笑)」  以前、ルメールは取材で、日本競馬に関し「(海外と比べると)イージー」という言葉も残している。この2人は今年の日本競馬界を席巻しているが、彼らですら現在の欧州競馬では思うような活躍ができないというのだから、やはり「騎手レベルが違う」と結論づけるしかないのだろうか。

エージェント批判、暴力団フロント企業との関係、そして芸能活動をする姪……引退を発表した藤田伸二元騎手の素顔

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※イメージ画像
 43歳の若さながら突然の引退を表明した、ダービージョッキー・藤田伸二。ここまで日本ダービーを含むG1レースを17勝、歴代8位となるJRA通算1918勝を記録した、誰もが認める名ジョッキーだ。レースで稼いだ賞金は24億円以上といわれ、『騎手の一分――競馬界の真実』(講談社現代新書)といった著作の多くが競馬界では異例のベストセラーになるなど、武豊騎手に続く人気を誇っていた。  藤田元騎手が引退を表明したのは、9月6日のレース終了直後。事前にマスコミを含め、JRA(日本中央競馬会)にすら伝えていなかったという前代未聞の引退劇だった。しかし、以前から競馬関係者の拠点である栗東(滋賀県)から、奥さんが雑貨店を経営する札幌へ住居を移すなど引退に向けた準備はしていたようで、関係者の間では「地元の札幌開催が最後だと思った」という声も聞かれていたという。  そんな藤田元騎手だが、引退にあたり、JRAのエージェント制度を批判したことも話題になった。競馬界の代理人制度ともいわれるエージェント制度とは、騎手に代わって競馬新聞の記者らが厩舎を回り、「どの騎手が」「どのレースで」「どの馬に乗るのか」を決める“慣習”である。藤田元騎手は自身の著作などでもこの制度を批判していたが、現役関係者は冷ややかな目で見ているという。関西の騎手はこう語る。 「もともと優秀なエージェントを雇って、優先的に実力のある馬を手配してもらい、レースに勝利して賞金を稼いでいたのは藤田さん本人。それを今さら批判するのは、正直みっともない。現場から誰も藤田さんに賛同する声が出ないのは、どの口がそれを……と思っているからですよ」  この騎手が語るように、本人も過去にエージェントを利用し、実力馬に乗ってG1レースを勝つなど、エージェント制度による恩恵があったのは否めない。特に関西所属の藤田元騎手が関東に遠征する際は、そのエージェントが騎乗馬確保に動いており、関東の馬でもG1レースを2勝しているほどだ。  藤田元騎手のエージェントを務めていたA氏は日本屈指の“敏腕”として知られ、藤田元騎手も多くの馬をこのA氏を通じて確保していたのだ。にもかかわらず今回のような批判をするのは「的外れ」という声も多く、その後エージェント制度に関して内外から声が上がっていないことからも、単に藤田元騎手の愚痴だったと見る向きが多い。  そもそも藤田元騎手は、2014年に出演したテレビ番組『有吉反省会』の中で、自らを「チャラい」「(既存のルールを)打ち砕いていこう」といった発言をしていたが、その破天荒ぶりを示すように、多くの武勇伝が存在する。レース中の若手騎手への恫喝、レース後の先輩騎手への暴言、極めつきは06年暮れに起こした飲食店店員に対する暴行事件(書類送検後、示談により起訴猶予で3カ月の騎乗停止処分)もある。そして本人にとって“悪い意味”で転機となったのは12年4月、信頼していたエージェントの死だろう。敏腕エージェントであったA氏の死を境に、藤田元騎手は騎乗確保が困難になり、さらに自由奔放な性格が災いして競馬界を牛耳るグループや大物馬主から敬遠され、騎乗が激減した。  最後にG1レースおよび重賞レースで勝利したのは11年12月であったことからも、やはり12年を境に生活環境は激変していく。藤田元騎手の年間勝利数は06年の127勝がピークで、その後10年まで100勝前後で推移し、11年59勝、12年31勝、13年50勝、14年は33勝、今年も引退当日の9月6日まで18勝と大幅に減少している。加えて11年には年間重賞8勝を記録したが、12年以降は未勝利。また13年に競馬界の内部事情に触れた本『騎手の一分』の出版で関係者から距離を置かれるようになり、弟のようにかわいがっていた若手騎手も離れていってしまった。  この環境でプライドの高い藤田元騎手がモチベーションを維持できるはずもなく、騎手生活を終了するという選択に至ったのである。 ●引退の裏側に見える、ある競馬予想会社の存在  さて、15年9月6日、藤田元騎手の引退表明と同時に、ある競馬サイトに本人の直筆メッセージが公開された。そのサイトでは藤田元騎手が引退直後の9月8日に、札幌にオープンするカフェバー「cafe bar favori」を紹介している。さらにそのサイトに記載されている引退表明後のサポートやマネジメントをすることになったO社のM社長は、北海道出身で藤田元騎手と20年ほどの付き合いがある人物。藤田元騎手が親友と認める数少ない一人だ。そのM社長、過去に札幌のカラオケコンテストで2位になるなど歌唱力に定評があり、飲食店経営を経て、歌手デビューを目指して上京。その際、CDデビューの面倒を見たのが東京を拠点にする某競馬情報会社グループだったという。 「松本大地の名前でデビューし『ありがとうのうた』は、北海道日本ハムファイターズの公認ソングに決定するも、その後、歌手として成功するには至らず、北海道全市町村を回るなどといった企画も頓挫。以降は大きな活動はしていませんでしたが、今では歌手は諦めたようですね」(芸能関係者)  O社は同グループが陰で設立したという会社で、社名はそのグループ名から一字をもらったそうだ。  実は同グループ、過去に法人税法違反で二度起訴されて、実質代表だったS氏は実刑が確定。このS氏は静岡出身の元暴力団組員である広域暴力団のフロント企業として、不動産、飲食、芸能興行など多岐にわたって展開していたと報じられた。11年2月には「週刊文春」(文藝春秋)による記事に端を発し、当時与党だった民主党議員(野田佳彦、蓮舫、前原誠司など)への黒い献金疑惑が国会で追及されたが、同年3月に発生した東日本大震災の影響で、うやむやになったという。事情を知る競馬関係者は、次のように語る。 「藤田さんが競馬サークルから離れて活動するにあたり、バックアップをしたのがそのグループとみられています。おそらく藤田さん本人はご存じないでしょうが、今もJRAがマークする競馬予想会社の一つであるため、藤田さんを集客に利用するのでは、といった声もあるみたいですね」  ただし藤田元騎手本人は競馬業界内での活に動は消極的で、周囲の競馬関係者も非協力的な状況だという。それでも過去に発刊した書籍の販売が好調だったため、現在藤田元騎手による本の出版や雑誌のコラム、対談などが企画されているとの話もある。その書籍で競馬界の裏事情を暴露されるのではないかと、JRA、騎手、馬主、調教師は戦々恐々としているというが、あまり過激なことは書けないのではと、ある出版関係者が語る。 「藤田さんの姪が大手芸能プロ・スターダストプロモーションに所属し、芸能活動をしているためか、あまり敵を作りたくないともっぱらだそうです。AKBグループや演歌の大御所・北島三郎さんなど、芸能界には馬主も多いですから。あまり過激な本を書いて姪に飛び火するのは避けたいはずです」  43歳といえば、サラリーマンでは最も脂が乗っている時期。アスリートとはいえ体力の限界ではなくモチベーションや制度への不満が引退の要因のようだが、本人はこれからどんな活動をしていくのだろうか。多彩な才能を持つ希有な存在だけに今後はマルチな活躍が見られると思われるが、多くの競馬ファンから慕われる存在でもあり、経験と見識を生かして、いつまでも競馬に接していってほしいものである。 (文=桑山謙太郎)

エージェント批判、暴力団フロント企業との関係、そして芸能活動をする姪……引退を発表した藤田伸二元騎手の素顔

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 43歳の若さながら突然の引退を表明した、ダービージョッキー・藤田伸二。ここまで日本ダービーを含むG1レースを17勝、歴代8位となるJRA通算1918勝を記録した、誰もが認める名ジョッキーだ。レースで稼いだ賞金は24億円以上といわれ、『騎手の一分――競馬界の真実』(講談社現代新書)といった著作の多くが競馬界では異例のベストセラーになるなど、武豊騎手に続く人気を誇っていた。  藤田元騎手が引退を表明したのは、9月6日のレース終了直後。事前にマスコミを含め、JRA(日本中央競馬会)にすら伝えていなかったという前代未聞の引退劇だった。しかし、以前から競馬関係者の拠点である栗東(滋賀県)から、奥さんが雑貨店を経営する札幌へ住居を移すなど引退に向けた準備はしていたようで、関係者の間では「地元の札幌開催が最後だと思った」という声も聞かれていたという。  そんな藤田元騎手だが、引退にあたり、JRAのエージェント制度を批判したことも話題になった。競馬界の代理人制度ともいわれるエージェント制度とは、騎手に代わって競馬新聞の記者らが厩舎を回り、「どの騎手が」「どのレースで」「どの馬に乗るのか」を決める“慣習”である。藤田元騎手は自身の著作などでもこの制度を批判していたが、現役関係者は冷ややかな目で見ているという。関西の騎手はこう語る。 「もともと優秀なエージェントを雇って、優先的に実力のある馬を手配してもらい、レースに勝利して賞金を稼いでいたのは藤田さん本人。それを今さら批判するのは、正直みっともない。現場から誰も藤田さんに賛同する声が出ないのは、どの口がそれを……と思っているからですよ」  この騎手が語るように、本人も過去にエージェントを利用し、実力馬に乗ってG1レースを勝つなど、エージェント制度による恩恵があったのは否めない。特に関西所属の藤田元騎手が関東に遠征する際は、そのエージェントが騎乗馬確保に動いており、関東の馬でもG1レースを2勝しているほどだ。  藤田元騎手のエージェントを務めていたA氏は日本屈指の“敏腕”として知られ、藤田元騎手も多くの馬をこのA氏を通じて確保していたのだ。にもかかわらず今回のような批判をするのは「的外れ」という声も多く、その後エージェント制度に関して内外から声が上がっていないことからも、単に藤田元騎手の愚痴だったと見る向きが多い。  そもそも藤田元騎手は、2014年に出演したテレビ番組『有吉反省会』の中で、自らを「チャラい」「(既存のルールを)打ち砕いていこう」といった発言をしていたが、その破天荒ぶりを示すように、多くの武勇伝が存在する。レース中の若手騎手への恫喝、レース後の先輩騎手への暴言、極めつきは06年暮れに起こした飲食店店員に対する暴行事件(書類送検後、示談により起訴猶予で3カ月の騎乗停止処分)もある。そして本人にとって“悪い意味”で転機となったのは12年4月、信頼していたエージェントの死だろう。敏腕エージェントであったA氏の死を境に、藤田元騎手は騎乗確保が困難になり、さらに自由奔放な性格が災いして競馬界を牛耳るグループや大物馬主から敬遠され、騎乗が激減した。  最後にG1レースおよび重賞レースで勝利したのは11年12月であったことからも、やはり12年を境に生活環境は激変していく。藤田元騎手の年間勝利数は06年の127勝がピークで、その後10年まで100勝前後で推移し、11年59勝、12年31勝、13年50勝、14年は33勝、今年も引退当日の9月6日まで18勝と大幅に減少している。加えて11年には年間重賞8勝を記録したが、12年以降は未勝利。また13年に競馬界の内部事情に触れた本『騎手の一分』の出版で関係者から距離を置かれるようになり、弟のようにかわいがっていた若手騎手も離れていってしまった。  この環境でプライドの高い藤田元騎手がモチベーションを維持できるはずもなく、騎手生活を終了するという選択に至ったのである。 ●引退の裏側に見える、ある競馬予想会社の存在  さて、15年9月6日、藤田元騎手の引退表明と同時に、ある競馬サイトに本人の直筆メッセージが公開された。そのサイトでは藤田元騎手が引退直後の9月8日に、札幌にオープンするカフェバー「cafe bar favori」を紹介している。さらにそのサイトに記載されている引退表明後のサポートやマネジメントをすることになったO社のM社長は、北海道出身で藤田元騎手と20年ほどの付き合いがある人物。藤田元騎手が親友と認める数少ない一人だ。そのM社長、過去に札幌のカラオケコンテストで2位になるなど歌唱力に定評があり、飲食店経営を経て、歌手デビューを目指して上京。その際、CDデビューの面倒を見たのが東京を拠点にする某競馬情報会社グループだったという。 「松本大地の名前でデビューし『ありがとうのうた』は、北海道日本ハムファイターズの公認ソングに決定するも、その後、歌手として成功するには至らず、北海道全市町村を回るなどといった企画も頓挫。以降は大きな活動はしていませんでしたが、今では歌手は諦めたようですね」(芸能関係者)  O社は同グループが陰で設立したという会社で、社名はそのグループ名から一字をもらったそうだ。  実は同グループ、過去に法人税法違反で二度起訴されて、実質代表だったS氏は実刑が確定。このS氏は静岡出身の元暴力団組員である広域暴力団のフロント企業として、不動産、飲食、芸能興行など多岐にわたって展開していたと報じられた。11年2月には「週刊文春」(文藝春秋)による記事に端を発し、当時与党だった民主党議員(野田佳彦、蓮舫、前原誠司など)への黒い献金疑惑が国会で追及されたが、同年3月に発生した東日本大震災の影響で、うやむやになったという。事情を知る競馬関係者は、次のように語る。 「藤田さんが競馬サークルから離れて活動するにあたり、バックアップをしたのがそのグループとみられています。おそらく藤田さん本人はご存じないでしょうが、今もJRAがマークする競馬予想会社の一つであるため、藤田さんを集客に利用するのでは、といった声もあるみたいですね」  ただし藤田元騎手本人は競馬業界内での活に動は消極的で、周囲の競馬関係者も非協力的な状況だという。それでも過去に発刊した書籍の販売が好調だったため、現在藤田元騎手による本の出版や雑誌のコラム、対談などが企画されているとの話もある。その書籍で競馬界の裏事情を暴露されるのではないかと、JRA、騎手、馬主、調教師は戦々恐々としているというが、あまり過激なことは書けないのではと、ある出版関係者が語る。 「藤田さんの姪が大手芸能プロ・スターダストプロモーションに所属し、芸能活動をしているためか、あまり敵を作りたくないともっぱらだそうです。AKBグループや演歌の大御所・北島三郎さんなど、芸能界には馬主も多いですから。あまり過激な本を書いて姪に飛び火するのは避けたいはずです」  43歳といえば、サラリーマンでは最も脂が乗っている時期。アスリートとはいえ体力の限界ではなくモチベーションや制度への不満が引退の要因のようだが、本人はこれからどんな活動をしていくのだろうか。多彩な才能を持つ希有な存在だけに今後はマルチな活躍が見られると思われるが、多くの競馬ファンから慕われる存在でもあり、経験と見識を生かして、いつまでも競馬に接していってほしいものである。 (文=桑山謙太郎)

「なぜ今年!?」 藤田伸二騎手は競馬界の“現実”に飲み込まれた

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競馬(中山競馬場)
 JRA(日本中央競馬会)所属、ダービージョッキーの藤田伸二騎手(栗東・フリー)が、6日の札幌競馬騎乗をもって引退することを発表した。JRA通算1918勝(うちGI17勝)を誇る名手の突然の引退に、競馬界は大きく揺れている。  以前から「エージェントでリーディング騎手が決まってしまう」現在の中央競馬に不信感を抱いていた藤田。「何が面白いのか? 2、3年前から疑問を抱くようになり、競馬に対するモチベーションが無くなっていました」と引退メッセージでも語っている通り、最後までその思いは変わらなかったということだろう。  ただ、正直に言えば「なぜ今年なのか?」という疑問を拭い去ることができない。競馬記者の間でもそれは同じのようだ。 「藤田が、特にエージェント制度や外国人騎手偏重を中心として、JRAを公然と批判した著書『騎手の一分 競馬界の真実』(講談社)を発表したのは2013年5月。その時点で競馬界への興味はほぼなくなっていると語っていました。にもかかわらず、本当の引退は約2年半後の今月。本当に競馬に興味がなくなったのであれば、とうに引退していても不思議ではないでしょう。本人にしかわからない“未練”があったのかも」(競馬記者)  11年、ヒルノダムール(当時4歳)で藤田が「どうしても勝ちたかった」天皇賞・春(GⅠ)に勝利し、「ヒルノダムールが引退したら、俺も一緒に辞める」と発言したという情報や、GⅠ競走4勝(地方交流含む)のトランセンドについても、「トランセンドが辞める時は、俺も潮時だな」などとつぶやいたという話もあったが、2頭が現役を引退しても、藤田が身を引くことはなかった。 「調教師や厩舎スタッフに『もう辞め時かも』とグチることで同情を誘い、騎乗の営業をかけているという良からぬ噂も流れていました。強気でコワモテなイメージに反して、藤田は歴代最多19回の『フェアプレー賞』を受賞するなど、騎乗はいたってクリーン。ある意味、騎手としての“誇り”を強く持っていた男と言えます。騎手への愛着を簡単に捨てきれないのも十分に理解できる」(同)  そして記者は、現在の競馬界の“現実”により、藤田は「引退せざるを得なかった」のではないかと考えている。 「『騎手の一分』を発売したことで、当然ですが藤田はJRAからは距離を置かれる形になってしまった。それでも13年には50勝とまずまずの成績をおさめていました。しかし、やはり顔の広いエージェントを抱える福永、岩田、川田、戸崎などリーディング上位騎手の勝鞍には遠く及びません。さらに、昨年まで『短期免許』で数カ月の滞在のみだったM・デムーロとC・ルメールというなじみ深い外国人騎手に、今年から『JRAの通年免許』が与えられ、当然のごとくリーディング上位に食い込んでいます。他の騎手が割を食うのは当然でしょう。藤田はその中の一人として、ついに“立つ瀬がなくなった”という可能性もあります」(同) “男・藤田”として、長きにわたり中央競馬に確かなスパイスを与えてくれた藤田伸二。結局は、彼も現在の競馬界の“現実”に屈したということなのだろうか。彼の引退が、エージェントや外国人騎手礼賛の競馬界を見直す契機になるのかは、定かではない。