「ノースキンは亡国病」女帝が見続けた吉原の変遷を読む『吉原まんだら』

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清泉亮氏
 吉原といえば江戸時代からの歴史が続く性風俗の街。明治維新から150年の時間がたっても、いまだに日本一のソープ街として独特の輝きを放っている場所だ。  そんな、吉原には「女帝」と呼ばれる女がいる。  彼女の名前は「高麗きち」。かつて吉原が赤線時代だった頃からソープランドを経営し、浮き沈みの激しい時代の荒波をくぐり抜けてきた。93歳となった現在、店の経営こそ引退したものの、吉原の地で生活を行いながら女帝として君臨し続けているのだ。そんな彼女に4年間にわたって密着を続けてきたノンフィクションが、清泉亮氏による『吉原まんだら』(徳間書店)。清泉氏にインタビューを行ったところ、そこには女帝をはじめとするソープ経営者たちのプライドが見えてきた。 ──本書の主人公となる高麗きちこと「おきち」さんは、これまでメディアに一切登場していない人物です。いったい、どのようにして彼女と出会ったのでしょうか? 清泉 吉原について調査するために、町内会の古い人たちに話を聞いていたら「自分たちよりもはるかに吉原に詳しい人がいる」と、おきちの名前を紹介してくれました。けれども「気むずかしい人だから……」と警告されたんです。町内会の有力者たちですらビビってしまうおきちさんという人が、いったいどんな人だろうと思い、怖いもの見たさで飛び込んでいったのが出会いでした。けれども、出会って早々、僕のお線香の立て方が気に入らなかったらしく「おめえ、なんにも知らねえな!」と叱られてしまいます。 ──おきちさんの気性の激しさが伝わってきますね(笑)。 清泉 煙草を吸いながら、べらんめえ口調でガーッとまくし立てるから、やはり怖いんです。ただ、その怖さの中でシンパシーを覚えたのが、おきちの持つ「蔑まれてきた」という感覚。ソープを始めるとき、親戚から「あんなところで3日と持つわけない」と露骨に笑われたように、彼女は世間から常に蔑まれ「あいつら覚えてろよ」という反発心をバネに歯を食いしばってきたんです。 ──世間から蔑まれてきた人間だから持ちうる魅力があった、と。 清泉 ただ、お話を聞いていくにつれ、おきちの持つ経営者としての才覚にも注目するようになりました。中卒で、経営学を学んだわけでもないのに、彼女だけが最後までソープランドを続けて引退して、老後を迎えている。他の経営者の多くはバブルのときに、株や土地に手を出して没落してしまいました。おきちには経営者としての才能があったんですね。 ──「経営者としての才能」とは、具体的にどのようなものでしょうか? 清泉 おきちはソープだけでなくキャバレーをはじめとする男女のあらゆる職業を手がけましたが、絶対に浅草・吉原周辺からは出ないという哲学がありました。日経新聞的にいえば「選択と集中」ですか(笑)。彼女はそんな難しい言葉は知らないけれど、結果的にそれを選んでいたんです。また、絶対に博打的な経営を行うことなく、こつこつと事業を展開していきました。
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現在の高麗きち氏。書棚には往年の吉原に関する貴重な文献がズラリ
──堅実に経営を行っていった結果、吉原の女帝にまで上り詰めることができた。 清泉 たたき上げの人生の中で、皮膚感覚で身につけた経営論を実践してきたんですね。単純に言えば、失敗した場合でも同じ轍を二度は踏まないというだけのことかもしれません。しかし、それを頭で、理屈で理解できても、確実に実行し続けられる経営者はそうはいないのではないでしょうか。また、経営者の常として、少し商売が成功すると、すぐに成功体験に酔い、浮足立ってしまう。おきちが踏み込んだ商売は、売春防止法に抵触するかどうかという、ある意味で崖っぷちを走り続ける正真正銘の“ブレードランナー”とは言えないでしょうか。そして、どこかで何かの瞬間に足を滑らせて、奈落に落ちる者も多い。そのなかで、「このおばあさんの生き様が面白い」という興味だけではなく、経営者としての感覚、才能にも興味を惹かれたんです。 ──おきちさんと実際に話しながら、「女帝」として凄味を感じる部分はありますか? 清泉 彼女のもとには、地元の警察署長から、かつて総理候補の呼び声高かった超有力代議士、さらには区議会議員や地元の有力者、銀座で店を構えるクラブのママまでがよろず相談ごとに訪れるんですが、彼らの怯えっぷりが尋常ではない。いくら頭がはっきりしているとはいえ、おきちは93歳のおばあちゃん。彼らはそんなおきちに圧倒され、とにかく頭が上がらないんです。経済力だけではなく、会話での間合いの取り方、話題への切りこみ方など、老婆の所作、作法が、社会的に成功を収めている表の人間たちを圧倒していく……怖いほどの光景です。まるで、松本清張の『黒革の手帖』に登場するフィクサーを間近に見ているような錯覚さえありました。 ──本の中では、吉原で働くボーイたちがおきちに頭を下げる描写もありますね。 清泉 おきちは口癖で「人殺し使えるようじゃなきゃ、やってらんねえ」と言っていました。彼女が使っていた人間の中には、実際に、神戸のソープでオーナーを殺して刑務所に入ったボーイもいる。「人殺し」というのは比喩ではないんです。そんな荒くれ者や、気性の激しい女の子たちと上手く関係を作りながら、おきちは店を経営していきました。おきちのもとには、店を辞めたボーイからも、女の子たちからも「ママにはお世話になりました」っていう手紙が届けられています。 ──在籍期間も短い風俗の世界では、その場限りの人間関係になりがちですが、おきちの場合はそうではなかった? 清泉 おきちは、女の子たちにもボーイたちにも情を込めて付き合っていたんです。それが、彼女のいちばんの魅力でした。おきちには子どももいなかったので、その愛情を周りの従業員に向けることができたんですね。  赤線やトルコの時代には、自分の店だけでなく、働く女の子たちのために、ヒモや悪い男から守ってあげていたこともあるようで、今でも、かつて働いていた女性がおきちのところに挨拶に訪れて近況を語っているのには驚かされました。やはり風俗業というのは、携わった人間にとっては、あえて振り返りたくはない過去になるのだろうと信じていましたから。でも、還暦を過ぎた女性たちも、ママなんて言って、おきちのところを訪れてくるんです。風俗業で働く女性とオーナーとが、人生の晩年でも、信頼関係でつながり続けているというのは、それもまた一面の真実として新鮮に受け止めました。 ──本書には、おきちと並んで角海老グループを取り仕切る鈴木正雄会長の姿も描かれていますね。 清泉 彼は、輪タク屋を経営し、吉原界隈で働く女性たちから、ときに煙草を分けてもらいながらお金を貯めて、日本最大のソープランドチェーンを持つまでに至った人物です。はじめにつくったお店はベニヤ板で部屋を区切っただけの「あけぼの2号店」というお店。そこから店を増やし、一代で「ソープの帝王」へと駆けあがりました。
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寝首をかこうとする者には時に凄みも必要。この商売はまさに“真剣勝負”
──83歳の高齢でありながら、現在も、グループの経営に現役で携わっていますね。やはり、おきちと同様に吉原の荒波をくぐり抜けることができた人物です。 清泉 鈴木さんは戦後、上野駅の地下道で、餓死した死体を間近にしながら戦後の日々を暮らしていました。その底辺から這い上がって今の地位を手に入れたから、お金を手にする苦労を知っています。決して余計な出費などありえない庶民がこぞって、株だ、海外の国債だと資産運用に奔走する現代に、鈴木さんは有り余る財を持っていても、身の丈を超えた博打まがいの投資をすることはないし、不動産は買えども、利ざや稼ぎに転がすことはない。どんなに小さな、猫の額ほどの土地でも決して手放さない。それは決して、彼が吝嗇だから、ではないでしょう。手離すことよりも、手に入れることの苦難を知っているからだと思います。そして、それは彼の戦中戦後体験によって強く育まれたものでしょう。ソープランドという、ともすれば人に蔑まれる商売でありつつも、1円、1銭を稼ぐ大変さを肌身で理解している経営者だと思います。おきちも、吉原で働く女性たちからマー坊と呼ばれて愛された鈴木さんも、共通するのは、戦中戦後に死線をさまよったという体験です。死線を経験した人間には、僕のような第二次ベビーブーマーにはない、絶対体験があると思います。それは、言い換えれば、不退転の覚悟、とでもいうような。 ──本書では、膨大な資料から吉原の明治~平成にかけての変遷を辿っていますが、その中で吉原の「町」について印象的なものありますか? 清泉 角海老の創業者である宮澤平吉を調べていたら、意外にも当時、吉原の経営を支えていたのは明治維新後の華族たちだったことを知りました。立場のある人々が、妓楼の出資者だったのには驚きましたね。今でも、吉原神社の玉垣(神社の周囲にめぐらされている石でつくられた柵)には、昭和初期に名門・角海老のオーナーであり、衆議院議員だった遠藤千元の係累の名前も刻まれています。妓楼を持つことは、当時の人間から見れば相当のステータスだったんです。  また、今回、法務局に入っている吉原の土地台帳をすべてコピーしてもらい、戦前からの各店のオーナーから店長、そして土地の所有者を照らし合わせていったんですが、わかったのは、いずれも名前が一致しないということです。わかりやすく言えば、土地、建物、店のすべてで所有者が異なり、そして、オーナーと呼ばれる人間は「のれん」を持っている。近代以降の遊郭は、極めて輻輳的な支配関係が入り乱れているということなんです。ですから、名オーナーと呼ばれてきたような人物が、登記関係の書類には一切、登場しないということになります。  この複雑な支配関係が、赤線廃止によって構造的に変わる時代が来るんです。トルコ風呂に移行できたのは、土地の所有権を持っている人々になります。土地を担保に銀行が金を貸付けて、銀行自身がトルコ風呂経営を積極的に後押しし始めたからなんです。そうすると、土地を持っていた者がオーナーとして生き残る時代がやってきました。店のオーナーと登記上の所有権者とが初めて一致する時代を迎えるわけです。江戸以来の旧態とした支配関係の構造が、赤線からトルコ風呂への移行において初めて劇的に変わったんですね。  このように、吉原という遊郭の所有関係には、見方によっては近代日本の支配構造が象徴的に凝縮されていたようにも見えて、大変に興味深いです。
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爬虫類との愛の交歓を客たちに見せつけた「ヘビ女」の艶技は話題を呼んだ。
──今、政治家がソープランドを経営していたら大問題に発展しそうですが、かつては粋な遊びとして許容されていたんですね。 清泉 今の吉原の経営者たちには「風俗業」という認識しかないかもしれませんが、おきちや鈴木さんはソープランドに対して、江戸時代からの遊郭文化を今に引き継いでいるという誇りがあります。そんな誇りを持つ最後の世代が彼らなんでしょうね。そんな歴史を保存するため、吉原の資料を展示する博物館が作れないかと、彼らは資料を収集しているんです。 ──では、現在の吉原に対して、おきちさんはどのように感じているのでしょうか? 清泉 一時期はデリヘルに客を取られて閑古鳥が鳴いていたんですが、現在、吉原に客が戻ってきています。その理由がノースキン(NS)の店が流行しているから。そんな風潮を、おきちさんは「ダメだ」と激怒しています。 ──「ダメ」というのは、いったいどうして? 清泉 吉原は江戸の頃から衛生管理をきちっとやってきた街だったのに、NSが流行すれば衛生的に問題となる可能性がある。エイズが蔓延したら大変なことになりますよね。おきちさんは「エイズは亡国病だ」と語っています。 ──「亡国病」……ですか? 清泉 それも、江戸時代からの遊郭文化の上にいるという気概の現れでしょう。また、おきちさんはNSは商売をする女たちがかわいそうだと嘆いている。女の子を使い捨てにしたら、この商売は決して長くは持たない、女の子を犠牲にする店は生き残らないというのがおきちさんの考え方なんです。NSで吉原がにぎわうことは、女の子を犠牲にして金儲けをしているに等しい行為なんだと、そう憤るわけです。 ──いくら儲かったとしても、国を滅ぼし、女の子を犠牲にするNSはまずい、と。 清泉 そう。ソープランドのような商売にはさまざまな意見があるとは思いますが、おきちはおきちなりに女の子たちのことを考え、愛情を持って接していました。おきちと吉原にいるときに、道で「ママー!」と呼ばれて振り向くと、昔おきちの店で働いていた女性がいたんです。「あんたー、どうしたの? 寂しかったよ」と、2人は再会を喜んでいた。その光景は、経営者と風俗嬢という関係を超えて、本当の親子なんじゃないかと錯覚するような姿でした。 ──おきちさんを通じて吉原を見ていくと、文化や人情など、とてもソープランドとは縁遠いと思われていた世界が広がって見えてきますね。 清泉 だから、おきちや鈴木さんの人生はとても興味深いし、我々が学ぶところはたくさんあります。人生、経営、人付き合い、そして男と女……生々しい現実に揉まれてきた末の言葉だからこそ、あるいは、一歩間違えれば逮捕か廃業かという決死のブレードランナーとして、今まで生き残り続けて来た彼らの言葉だからこそ、その含蓄は何より説得力があるのだと思います。業種が業種だけに、彼らはこれまでも決して表立って登場することはありませんでしたが、彼らの背中は、風俗論にとどまらず、経営論、渡世論としても、これまでにない実践術として、大いに学ぶべきところがあるのではないかな、と思っています。  そして、彼らは何よりも、哀しみを抱えて生きています。「女郎屋」と世間からは蔑まれる商売に身を投じることになった哀しみをしっかりと意識して今を生きています。それがあるからこそ、彼らの言葉は戒めにはなりえても、傲慢には響かないんです。そこがまた、無二の魅力でもあります。 (取材・文=萩原雄太[かもめマシーン]/撮影=名鹿祥史)
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●清泉亮(せいせん・とおる) 1974年生まれ。近現代史の現場を訪ね、「訊くのではなく聞こえる瞬間を待つ」姿勢で、消えゆく記憶を書きとめ、発表している。本書は、清泉亮としての単行本デビュー作となる。