『ISの人質』(光文社新書)は、2013年5月からシリアで13カ月にわたって拘束された後、奇跡的に生還した、24歳のデンマーク人の写真家ダニエル・リュー氏の体験を元にした、ノンフィクションだ。 「ジェームズのばか野郎! 寂しいじゃないか! どうしてあんたが死ななきゃならないんだ?」 物語は、14年8月にISのイギリス人戦闘員ジハーディ・ジョンによって、のどをかき切られ、殺害されたアメリカ人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏の葬式へ向かう場面から始まる。ジハーディ・ジョンといえば、日本では、後藤健二さんを処刑した実行犯としても知られている人物だ。 12年11月から行方不明になっていたジェームズ氏は、アレッポの中心部から北東へ数キロ離れた、ISの支配下にあるシーク・ナジャールの収容所にいた。ダニエル氏は、別の収容所で過酷な拷問の末、13年10月に、その場へ連れて行かれた。ほどなくして、ジェームズ氏を含む、欧米人約10名が同じ部屋に収監され、およそ8カ月を共に過ごすことになった。 ダニエル氏は、ジェームズ氏に出会ってすぐに尊敬の念を抱いた。拘束されてから間もなく1年近くたち、これまでに地獄のような拷問も体験しているはず。にもかかわらず、冷静で落ち着いて、明るさを失っていなかった。正義感が強く、人質の間でケンカのもととなる、決して十分とはいえない食事を均等に分けてくれる。手足が長いせいか、部屋の中でよくつまずいたり、水のボトルに手を伸ばし、決まってほかのボトルまでドミノ倒しにしてしまう、おっちょこちょいなところもある。彼がいるだけで、部屋の雰囲気は明るくなった。 けれど、拘束期間が長くなってくると、残酷にも解放される予定のグループ、そして、解放されないグループに少しずつ分けられていった。国によって、政府の方針がまったく違うのだ。フランス人たちは、母国の政府は公式には認めていないものの、ISに身代金を支払い、一気に解放にされた。イタリアやスペインからも身代金が支払われそうで、解放が近いようだった。デンマーク政府は、身代金の支払いには一切応じないので、人質がどうなるのかは家族次第だった。その中で、アメリカは政府が身代金を払わないだけでなく、法律で家族が身代金を集めることすら認めず(15年夏に法律を修正)、絶望的だった――。 それでも、ジェームズ氏は、 「風向きがよくないのはわかっている。でも最後まで希望を捨ててはいけない」 そう言って、不安のあまりおどおどする、アメリカ人の仲間たちを励ました。 また、ダニエル氏を待つ家族は、どう過ごしていたかについても、細かく描かれている。ダニエル氏は、「もしも何かあったら」という最悪の場合を想定し、出発前に人質救出を専門とするコンサルタント会社社長のアートゥア氏(仮名)に連絡を取り、家族にもそのことを伝えていた。そのため、ダニエル氏が予定の飛行機で帰国しなかった時点で、家族は真っ先にアートゥア氏に連絡し、政府を挟まず、ISとの直接交渉が動き始めた。だが、IS側から突きつけられた身代金は、200万ユーロ(約2億7,000万円)。デンマークのヘデゴーという小さな村で暮らす家族には、途方もない金額だった。それをどう手配し、家族やアートゥア氏がどうやってISとやりとりをしていたのかも、本書の重要なストーリーとなっている。 この本は、気軽に読めるような本ではない。拘束に至る過程、拷問の方法、人質たちとの共同生活の様子から、身代金交渉〜解放に至るまで――ISの人質が置かれている過酷な状況の詳細が描かれた、超重量級の一冊に仕上がっている。非常に完成度の高い本だが、ダニエル氏が本当に伝えたかったのは、自分のことではなく、「戦火の中で暮らす人々」だ。シリアがいつか平和を取り戻し、戦火の日々ではなく、平和な日常生活の戻る時が来ると信じたい。 (文=上浦未来) ●プク・ダムスゴー 1978年生まれ。アフガニスタンとパキスタンに長年住み、2011年よりDR(デンマーク放送協会)の中東特派員を務める。ジャーナリスト、ライターとして、いくつもの賞を受賞。『ISの人質 13カ月の拘束、そして生還 』(光文社新書)
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ISに囚われたベルギー人写真家が見た“地獄”―― 『ISの人質 13カ月の拘束、そして生還』
『ISの人質』(光文社新書)は、2013年5月からシリアで13カ月にわたって拘束された後、奇跡的に生還した、24歳のデンマーク人の写真家ダニエル・リュー氏の体験を元にした、ノンフィクションだ。 「ジェームズのばか野郎! 寂しいじゃないか! どうしてあんたが死ななきゃならないんだ?」 物語は、14年8月にISのイギリス人戦闘員ジハーディ・ジョンによって、のどをかき切られ、殺害されたアメリカ人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏の葬式へ向かう場面から始まる。ジハーディ・ジョンといえば、日本では、後藤健二さんを処刑した実行犯としても知られている人物だ。 12年11月から行方不明になっていたジェームズ氏は、アレッポの中心部から北東へ数キロ離れた、ISの支配下にあるシーク・ナジャールの収容所にいた。ダニエル氏は、別の収容所で過酷な拷問の末、13年10月に、その場へ連れて行かれた。ほどなくして、ジェームズ氏を含む、欧米人約10名が同じ部屋に収監され、およそ8カ月を共に過ごすことになった。 ダニエル氏は、ジェームズ氏に出会ってすぐに尊敬の念を抱いた。拘束されてから間もなく1年近くたち、これまでに地獄のような拷問も体験しているはず。にもかかわらず、冷静で落ち着いて、明るさを失っていなかった。正義感が強く、人質の間でケンカのもととなる、決して十分とはいえない食事を均等に分けてくれる。手足が長いせいか、部屋の中でよくつまずいたり、水のボトルに手を伸ばし、決まってほかのボトルまでドミノ倒しにしてしまう、おっちょこちょいなところもある。彼がいるだけで、部屋の雰囲気は明るくなった。 けれど、拘束期間が長くなってくると、残酷にも解放される予定のグループ、そして、解放されないグループに少しずつ分けられていった。国によって、政府の方針がまったく違うのだ。フランス人たちは、母国の政府は公式には認めていないものの、ISに身代金を支払い、一気に解放にされた。イタリアやスペインからも身代金が支払われそうで、解放が近いようだった。デンマーク政府は、身代金の支払いには一切応じないので、人質がどうなるのかは家族次第だった。その中で、アメリカは政府が身代金を払わないだけでなく、法律で家族が身代金を集めることすら認めず(15年夏に法律を修正)、絶望的だった――。 それでも、ジェームズ氏は、 「風向きがよくないのはわかっている。でも最後まで希望を捨ててはいけない」 そう言って、不安のあまりおどおどする、アメリカ人の仲間たちを励ました。 また、ダニエル氏を待つ家族は、どう過ごしていたかについても、細かく描かれている。ダニエル氏は、「もしも何かあったら」という最悪の場合を想定し、出発前に人質救出を専門とするコンサルタント会社社長のアートゥア氏(仮名)に連絡を取り、家族にもそのことを伝えていた。そのため、ダニエル氏が予定の飛行機で帰国しなかった時点で、家族は真っ先にアートゥア氏に連絡し、政府を挟まず、ISとの直接交渉が動き始めた。だが、IS側から突きつけられた身代金は、200万ユーロ(約2億7,000万円)。デンマークのヘデゴーという小さな村で暮らす家族には、途方もない金額だった。それをどう手配し、家族やアートゥア氏がどうやってISとやりとりをしていたのかも、本書の重要なストーリーとなっている。 この本は、気軽に読めるような本ではない。拘束に至る過程、拷問の方法、人質たちとの共同生活の様子から、身代金交渉〜解放に至るまで――ISの人質が置かれている過酷な状況の詳細が描かれた、超重量級の一冊に仕上がっている。非常に完成度の高い本だが、ダニエル氏が本当に伝えたかったのは、自分のことではなく、「戦火の中で暮らす人々」だ。シリアがいつか平和を取り戻し、戦火の日々ではなく、平和な日常生活の戻る時が来ると信じたい。 (文=上浦未来) ●プク・ダムスゴー 1978年生まれ。アフガニスタンとパキスタンに長年住み、2011年よりDR(デンマーク放送協会)の中東特派員を務める。ジャーナリスト、ライターとして、いくつもの賞を受賞。『ISの人質 13カ月の拘束、そして生還 』(光文社新書)
後藤健二さんを惨殺したISの処刑人「ジハーディ・ジョン」が生まれるまで
2015年、ジャーナリストの後藤健二さんと湯川遥菜さんがイスラム国(IS)によって殺害された。日本人が初めてISに人質として拘束されたこの事件、IS側は日本政府に対して身代金2億ドルを要求。72時間の猶予を発表したが、その結末は2人の死という最悪のものとなった。 当時、公開されたビデオには、オレンジ色のジャンプスーツを着て、カメラに向かってひざまずく2人の間に、黒ずくめの男が立っていた。ナイフを握り、覆面をかぶったその男のニックネームは「ジハーディ・ジョン」。ISの処刑人として、数々の西側ジャーナリストや活動家たちの首を斬ってきた、残忍極まりない人物だ。 しかし、この極悪非道なジハーディ・ジョンの生い立ちを丹念に読み解くと、彼もまた「対テロ戦争」の被害者だったのか……? と、考えが揺らいでしまうだろう。イギリス人ジャーナリスト、ロバート・バーカイクによる『ジハーディ・ジョンの生涯』(文藝春秋)から、この「処刑人」の半生を見てみよう。 ジハーディ・ジョンことムハメド・エムワジは1988年、クウェートに生まれた。湾岸戦争の戦火に巻き込まれたエムワジ一家は93年、イギリスに亡命。西ロンドンのメイダヴェール地区に移り住んだ。家族はアラビア語で話し、母はヴェールをかぶっていたが、一家は決して敬虔なムスリムというわけではなかった。特に、マンチェスター・ユナイテッドの熱狂的なファンであったエムワジは、幼少期には『シンプソンズ』を愛し、中学から高校にかけては、ジェイ・Zやエミネムなどのヒップホップを愛聴した。ベースボールキャップをかぶり、マリファナを吸い、アルコールに酔うやんちゃな少年だったのだ。 そんな彼の人生の転機となったのは、イスラム過激派グループとの交際。近所に住むムスリム移民のモハメド・サルクは、過激なイスラム思想を持つとしてMI5(イギリスの諜報機関)から徹底的にマークされた人物であり、エムワジの世界観にも多大な影響を与えたと考えられている。折しも、05年のロンドン同時爆破テロ以降、保安当局はイスラム過激派に対して目を光らせ、イスラムグループの若者たちを徹底的にマークしていた。その追及の手は、ウェストミンスター大学で学ぶエムワジにも及ぶようになる。サルクなどの人物を介してイスラムグループに入り浸るようになった彼は、日に4~5回の祈祷を行い、コーランの暗記も始めるなど、徐々に信仰に目覚めていった。また、周囲の仲間だけでなく、インターネットでイスラム過激派の「ジハードに参加せよ」というプロパガンダに触れ、その思想を先鋭化させていったのだ。だが、その頃はまだ過激な思想を持つ、その他大勢のムスリムにすぎなかった。 そして皮肉にも、このMI5のマークが、彼をムスリムから「ジハーディスト」へと脱皮させていった。 MI5は、イスラム過激派グループの若者たちに近づき、MI5のスパイとして働くか、テロリストの認定を受けるかという選択を迫るなど、脅迫のような行為でムスリムたちを追い込んでいく。その申し出を断ったエムワジを待ち受けていたのは、長時間にわたる拷問や、婚約者の家族に対する取り調べの末の婚約破談など、「嫌がらせ」の数々だった……。 MI5によって生活をむちゃくちゃにされた彼は、人生の再スタートを求めて祖国・クウェートに渡る。コンピュータ・プログラマーとしての仕事を見つけ、クウェート人女性との婚約も果たしたエムワジ。しかし、またしても、彼の幸福はMI5によって打ち砕かれた。ロンドンに一時帰国したエムワジは、クウェートに向かう飛行機の搭乗時に、テロリズム法のもとに取り調べられ所持品を没収。さらに、警察官に暴力を振るわれ、イギリスからの出国を禁じられてしまったのだ……。一度ならず二度までも幸福を奪われたエムワジが、怒りに打ち震えたことは想像に難くない。 もちろん、諜報機関としては、イスラム過激思想に触れる人間を監視する必要がある。しかし、その行動は、「嫌がらせ」と言えるような行き過ぎたものだった。ロンドン時代のエムワジは、バーカイクのインタビューに対して「MI5に人生を台無しにされた」と嘆く、紳士的で礼儀正しい青年だったという。 13年、厳しいMI5の目をかいくぐってイギリスを脱出したエムワジは、失うものもないジハーディストへと成長していた。ISに参加すると、人質となった西洋人たちに拷問を加え、カメラの前で人質たちの首を斬り、世界中を震撼させる。ロンドンにおいては、不良のケンカ程度しか暴力の経験がなかった彼は、ムスリムとしてのプライドや、過激思想、そして、MI5に対する恨みなど、さまざまな要因が絡み合って、「ジハーディ・ジョン」へと生まれ変わったのだ。後藤さん、湯川さんをはじめ、カメラの前で殺害した人質や捕虜は数十人にも及ぶ。 アメリカやイギリスなど、対テロ戦争を戦う西側諸国から、最重要指名手配犯として血眼で捜索されたエムワジは、15年11月12日、アメリカ軍のドローンからの空爆を受け、殺害された。 イギリス政府は、イスラム過激主義に対して「ゼロトレランス(不寛容)」という厳しい態度をもって臨んでいる。テロの防止という掛け声のもとに、ムスリムやムスリムコミュニティに所属する多くの人々を「テロリスト」と見なし、時には人権侵害も辞さない振る舞いに及ぶ。エムワジが殺害された翌日には、フランス同時多発テロが起こり、「非常事態宣言」のもとに1万人の「要注意人物」が取り調べられた。現在も、ヨーロッパ各地で「テロリスト」の汚名を着せられているムスリムたちは、西側政府や市民への不満を募らせている。今後も、ヨーロッパ中で、第2・第3のジハーディ・ジョンが誕生するのは、時間の問題だろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『ジハーディ・ジョンの生涯』(文藝春秋)
ソウル爆破テロ予告に、相次ぐ戦闘員志願者……ISに加担する韓国人が増えている?
日本では、一時ほど話題になっていないイスラム国(IS)。しかし、彼らの勢力が確実にアジアにも及んでいることがわかった。韓国国家情報院が10月20日に明かしたところによると、ISを支持する外国人5人が爆弾の原料・硝酸アンモニウムを韓国に持ち込もうとして、摘発される事件があったという。正確な時期は不明だが、与党・セヌリ党の議員らは現在、「(韓国は)テロ安全地帯ではない」として警戒心を強めている。 特に25日には、ISの関連組織がソウル江南のショッピングセンター「COEX」を爆破するという情報が飛び交い、警察の機動隊が動員されるなど、辺りは騒然とした。ISのテロ活動は主にアメリカやヨーロッパで行われることが多いが、あくまで対象は「アメリカの友好国」。ISの“国境なきテロ”の手は、韓国にまで伸びているのだ。 国家情報院は同日、さらに興味深い情報を明かしている。ISに加担しようとした韓国人2人を出国禁止にして、パスポートを取り消したというのだ。 実際にISに合流したとされる人物としては、18歳のキム君(本名非公開)が知られている(参照記事)。彼は今年1月、トルコ南中部の県都キリスから違法タクシーに乗って、シリアへ越境。2014年9月頃からTwitterに「僕はフェミニストを憎む。だからISISが好きだ」などというメッセージを残しており、シリアに越境後、ISに入って訓練を受けていたとされていた。しかし、国家情報院は「5月末までは行方を追跡できたが、それ以降は途絶えた。現在どんな状態なのか、詳しくはわからない」と明かし、生死すら確認されていないといわれている。 キム君や出国禁止となった2人と同じように、ISに合流しようとする韓国人は少なくないという見方もある。 それを証明するかのように、韓国のネット上では現在、IS隊員の所持品とみられる、ある写真が拡散している。その写真は、去る5月、クルド人部隊がシリア北東部にあるISの基地を攻撃し、戦闘時に死亡したIS隊員の所持品を写したもの。複数の遺品が写っているのだが、その中に韓国語で書かれたカードがあったのだ。ひとつは、慶尚北道・大邱(テグ)市で使われる「テギョン交通カード」で、もうひとつは死亡者と推定される韓国人Aさんの名前と写真が入った同市内の企業の社員証だった。韓国メディアによると、Aさんは外国人産業研修生という肩書で同社に1年間勤務していたことが確認されたという。事実ははっきりとしないが、キム君と同じようにISに合流した韓国人である可能性があるわけだ。 いずれにせよ、「COEX」爆破テロ予告に始まり、ISに合流した、しようとした人物が複数見つかっている韓国。「テロ安全地帯ではない」のであれば、韓国政府は一刻も早く、きっちりとした対策を練るべきだろう。ネット上で出回っている、IS戦闘員の遺品写真
18歳少年の「イスラム国合流ショック」から2カ月……“クリスチャン大国”韓国IS報道のいま
18歳の少年・キム君が、イスラム国(IS)に合流したかもしれないという報道(記事参照)から約2カ月。社会的なショックが大きかったせいか、韓国ではイスラム国に関連する情報が続々報じられている。 韓国メディアは過日、東京・立川市で起きた「殺人練習事件」を一斉に報じた。イスラム国に感化された中学生が、学校で飼育されていたヤギを殺人の練習台にしようと侵入し、警察に逮捕された事件だ。また、関東地方に住む男子高校生がTwitterに「『イスラム国』が東京で大規模テロを実行する」などと書き込んでいた事件も取り上げていた。同様に、アメリカや欧州、オーストラリアなどの国の実情に言及しながら、イスラム国に影響され、過激な行動を厭わなくなってきた若者の実態について、細かく取り上げている。 メディアの動向から察するに、韓国の関心は中東情勢というよりも、自国内の若者に及ぼすであろう、イスラム国の影響について焦点が集中し始めているように感じる。言い換えれば、遠い国で起こっている戦争の悲劇としてではなく、身近に起きている危機として、イスラム国問題が議論され始めている。 もし、キム君が人質になったらどうするか――。韓国では、そのような主題で議論されることも増えているそうだ。 「彼が過ちを悔いるのであれば、子どもが斬首されないように働きかけるべき」 「キム君が生きて帰ってくれば、彼の証言から第二、第三のキム君が出てくるのを防げるはず」 「自分の意思で行ったのだから、もし身代金を要求されても断るべき。そのお金で、国内の孤児や独居老人を支援するほうがいい」 「テロリスト志願者を助ければ、韓国はテロリストを保護する国になってしまう」 などなど、寄せられる意見は実にさまざまだ。日本では後藤健二さんらの人質事件を前後して世論が二分したが、今後、韓国政府も対応に追われることになりそうだ。 また最近では、こんなタイトルの記事がネット上に掲載され、話題を呼んでいる。 「『ISを許します』 ISに苦しめられたキリスト教徒、許しを宣言」 これは、イラクから避難することを余儀なくされた10歳のキリスト教徒の少女の話だ。彼女はイスラム過激派に住んでいた土地を追われ、難民キャンプで暮らさなければならない状況について、「私はISを許してくれるよう神に祈ります。彼らを苦しめるようなことを、わたし自身は何もする気はありません」とメディアに語ったそうだ。 また、リビアのとあるキリスト教徒の青年は「わたしの2人の兄弟はISに斬首されたが、ISのメンバーが救われるように祈る」と話しているという(情報の元となっているのは、米キリスト教雑誌「クリスチャントゥデイ」、中東のキリスト教系TV「SAT-7」など)。 国民の約4人にひとりがクリスチャンといわれる韓国。そのような背景からも、イスラム国絡みのニュースにはなおさら敏感なのかもしれない。 (取材・文=河鐘基)「週刊ニューズウィーク日本版 2015年2/3号」
これも“イスラム国”テロの余波? 「戒律」めぐり、イスラム教徒同士の対立も……

東京・錦糸町の繁華街
川崎市中1少年殺害事件、逮捕少年ら「IS(イスラーム国)」ならぬ「川崎国」を名乗っていた
川崎市の河川敷で中学1年生の上村遼太さんが殺害された事件で、逮捕された少年のひとりが、テロ組織「IS(イスラーム国)」になぞらえ、自らのチームを「川崎国」と名乗っていたことが分かった。 「俺らは法律関係ない。自分たちのルールで動く。川崎国だ。逆らったら、生きたまま首を切るよ」 今回逮捕された夜間高校に通う18歳の高校生らは、地元で中高生を見つけると、こう凄んでいたという。上村さんを連れて歩いていたというウワサには心配する同級生も多かったようだが、逮捕前で事件との関連性が分かっていない段階から、彼らを知る地元少年たちからは「テロ事件の影響を受けていた」という話が聞こえた。 上村さんが通っていた中学校のある周辺は、暴走族やヤンキーの姿も珍しくなく、近くにある幼稚園では昨年、複数の園児の親がチンピラまがいの恫喝騒動を繰り返し、職員が大量に辞職したという話もあった。住民に聞いても「最近は新しいマンションも建って、外から転居してくる人も多いのですが、一方で低所得者が多く住む地域は治安が悪い」という。 そんな環境だけに、不良同士のトラブルも頻発。一説には、逮捕少年が地元の暴力団構成員とも顔見知りで大きな顔をしていたともいわれるが、いずれにせよ不良少年らが勢力を拡大しようと人数集めをすることが多く、中学校に姿を現しては生徒を仲間に引き入れようとしていた者もあったという。 「川沿いに近いボウリング場のゲームセンターでも、よく見かけました。目が合うだけで凄んでくるので、怖かった。スマホを持っていると奪われたり、勝手に支払いに使われたりするという被害を耳にしたことがあります」(前出地元少年) 逮捕少年は「川崎国に入れ。特攻隊長に任命してやるよ」などと勝手に役職をつけては、強引な勧誘をし、自分たちに外国人名のニックネームをつけているようだったという。 ただ、残酷な事件が世間の強い反発を受けた現在、地元では逮捕少年だけでなく、その交遊関係にある者たちの実名が飛び交っており、地元で聞き込みをすると「●●も仲間」といった話が次々に聞かれた。ある人は「ISのテロ事件をニュースで見ると“川崎国”を思い出すんです。事件に関わっているのかは別にしても、この界隈に怖い不良少年はたくさんいて、また別の被害があってもおかしくないので、全員を取り締まってほしい」と訴えていた。 事件の解明はまだこれからだが、一部の少年が拘留されてもなお現場周辺では恐怖感におびえる住民がいる。「川崎国」などとテログループを幼稚に真似たのだとしても、実際に罪のない者をひざまずかせ首を刺すという行為自体は、テロと変わらない残虐さだ。 (文=ジャーナリスト・片岡亮)
やはり「IS」を模倣か!? 川崎中1男子殺害事件の凄惨さ――
川崎市川崎区の多摩川河川敷で中学1年、上村遼太さん(13)が遺体で見つかった殺人死体遺棄事件で“ある憶測”が飛んでいる。 捜査関係者によると、上村さんの遺体には複数の刺し傷があり、首に残されていた刺し傷は深さ数センチにおよび、頸動脈近くまで達していた。現場近くでは血の付いたカッターナイフの刃が見つかっているが、傷の形状と一致しないことから、複数の刃物が用いられた可能性が高いという。 死因は首を傷つけられたことによる出血性ショック。現場近くには荷物やケーブルを束ねる結束バンドが切断された状態で見つかっており、上村さんが抵抗できない状態にして殺害した可能性も浮上している。 捜査当局は防犯カメラに残っていた映像から、当日上村さんと一緒にいた10代の先輩男性グループを任意で事情聴取する方針。あまりにも残忍な手口から思い出されるのが「IS(イスラム国)」だ。 つい先日、ISに拘束された湯川遥菜さんと後藤健二さんが、首を切り落とされ惨殺された。捜査関係者は「あくまで憶測だが、上村さんの首には横に何度も切られた傷があり、それが致命傷となった。カッターナイフが折れたのは、衝撃に耐えられなかったため。ISの事件を彷彿とさせる」と話す。 一時、若者を中心に湯川さんと後藤さんを地ベタに座らせ、黒ずくめの男が殺害予告する動画を模写しネット上にアップする「イスラム国ごっこ」が流行ったこともあった。感受性豊かな10代にとって、一連のISの事件は衝撃的でもあり、また想像力をかき立てるものだったのかもしれない。事件の闇は深い――。The Islamic State of Iraq and Syria: The History of ISIS/ISIL
「僕はISISが好きだ──」18歳の韓国人少年を“イスラム国”合流に導いた、孤独と疎外感の正体とは
イスラム国(ISIS)の実態が世界中に広く知られつつある中、韓国でも関連報道が日ごとに増えている。湯川遥菜、後藤健二両氏の人質事件については言うまでもない。自国や韓国人とは関連の希薄なニュースながら、ほとんどトップ扱いだ。その事件経過や背後関係は、ウェブメディアを中心に毎日のように報じられている。 ISIS関連の報道には国際情勢を読み解く記事が多いが、韓国と関わる事柄も多く取り上げられている。特にISISと合流したとされるキム君(18歳 ※本名は公開されていない)については、社会的なショックとともに、さまざまな臆測を呼んでいるようだ。 キム君は2014年の9月ごろから、Twitter上にアラーをたたえる文章を掲載。10月からは、イスラム国の戦闘員や、現地の人々が写った写真をアップロードし始めた。ある時には、「現代は男性が性差別を受ける時代。僕はフェミニストを憎む。だからISISが好きだ」というメッセージも残している。失踪する3カ月前には、イスラム国への憧憬を率直に表現することが徐々に増えていったとされる。 その後、キム君は、Twitter上でメッセージをやりとりしていたとある人物から、「トルコに行けば、ISISと合流できる」と教えられた。そして、現地コーディネーターと目される“ハサン”なる人物の連絡先を教えられたのち、今年1月に韓国をたった。 1月9日には、トルコから弟に向けて「ここは今、夜だ」という携帯電話のメッセージを残しているが、それが最後のメッセージとなる。韓国当局の調べでは、キム君は翌日10日にトルコ南中部の県都キリスから、違法タクシーに乗りシリアへ越境。失踪したのではなく、自らISISと合流し、連絡を絶っている可能性が高いそうだ。 なぜ、18歳の韓国人少年はISISに合流しようとしたのか? 韓国では、少年の謎に包まれた行動の動機を探るためにさまざまな角度から検証がなされ始めているが、真実は本人に聞くまで知る由もない。ただし、いくつかの報道から、キム君の韓国社会での生活が浮かび上がり始めている。 キム君は小学校で暴力を受け、3回にわたり転校。中学にもなじめず、入学早々から休学となる。その後、自宅に引きこもり、ほとんど外に出てこない生活を長く続けていた。そのせいか、キム君を知る人はほとんどいない。両親ともメモを使って話すほど、外部との接触を徹底的に拒んでいたという。その、キム君と外の世界をつないでいたのは2つ。ひとつは、最後にメッセージを受け取った弟。失踪するまでの3カ月間、キム君は1666回にわたって携帯電話で通話したり、メッセージを送ったりしているが、そのうち1657回は弟にかけたものだった。そしてもうひとつが、イスラム国メンバーとされる人々とのやりとりだった。 自宅に引きこもった少年は、昨年3月からPCで“イスラム”、“ISIS”という単語を、延べ517回にわたって検索していた。Twitterなどオンラインで“友人”になったイスラム国メンバーらしき人物たちは、キム君にとても優しく接した。両者が“Brother”と呼び合うようになるには、そう長い時間はかからなかった。 「Brother, Just I say I want to join ISIS」――。 キム君から、そんなメッセージが発せられていたことが、後に明らかになっている。出発前にはすでに、ISISに合流すると固く心に決めていたのだろう。ある日、キム君は「トルコ旅行に行きたい」、そして「帰ってきたら検定試験(資格試験)を受ける」と、自ら両親に話を切り出した。外の世界とのつながりを拒んでいた息子の前向きな言葉に、両親は喜び、旅の手助けをすることを厭わなかった。家計は決して潤沢ではなかったが、息子に起こっている変化を逃したくない一心で資料を集め、個人ガイドを手配した。そして出発から数日後、息子は行方をくらました。キム君の両親は、「ISISに惹かれていることに気付けなかった」と、深く後悔している。 多くの韓国メディアは、残されたキム君の足跡から、韓国社会で孤独感を感じており、自分を認めてくれる居場所になるかもしれないISISに、深く惹きつけられたのではないかと推測している。 ISISと接触する若者が多いフランスで、ジャーナリストとして活躍するアンナ・エレナ氏も、イスラム国に惹きつけられる青年たちの中に、同様の疎外感と孤独感を見いだしている。彼女は、著書『Dans la peau d'une djihadiste’(直訳・ジハーディスト女性の身代わりになって)』の中で「淋しさに打ちひしがれている青少年たちは、自身に関心を寄せてくれるISISのメンバーに簡単に惹かれてしまう」と語り、フランス社会のひずみを暗に示唆した。 現在、ISISには国籍や人種を問わず、さまざまな国の若者たちが参加していることがすでに広く知られており、今後も増え続けるだろうと懸念するメディアや専門家も少なくない。もし、世界中の若者がISISに合流する動機のひとつに、社会に対する孤独感や疎外感があるならば、看過できない問題ではないだろうか。 朴槿恵政権は昨年、反イスラム国を鮮明に打ち出す欧米諸国に歩調を合わせる意を明らかにしている。一方で、足元の韓国社会では少子化、世代間格差など若者の生にとって不利な条件が整いつつある。そこから第2、第3のキム君が生まれないとは、誰も断言できない。実際に、欧米のメディアによると、キム君のほかにも2名ほどの韓国人がイスラム国に所属しているとの報道もある。ゆくゆく、韓国が自国民に銃を向けるという最悪のシナリオさえも、ただの妄想ではなくなってきた。 インターネットと孤独感に国境がない以上、日本でも同じような問題は容易に起こりうるかもしれない。テロに屈しないという言葉の意味は一体何なのか? その内実については、熟慮すべきだろう。 (取材・文=河鐘基)
後藤健二さん“殺害映像”公開の裏で、現地対策本部・中山外務副大臣は「自分の宣伝に躍起」だった?
フリージャーナリスト、後藤健二さん殺害の映像が、イスラム過激派組織「イスラム国」(IS)側からネット上に公開されると、ヨルダンの首都、アンマンにある日本政府の現地対策本部は慌ただしい雰囲気で動きだした。 その中で、陣頭指揮を執る中山泰秀外務副大臣は、沈痛な面持ちで「現地の対策本部の指揮を執っていた立場から、心から哀悼の誠を捧げ、衷心よりご冥福をお祈り申し上げたい」と語った。当初より3時間遅れの会見は、わずか3分で終了。事態の深刻さを表した会見だった。 この会見の約24時間前、記者団の取材に対し「膠着状態という形になっている」と語り、事態の進展がないと明言したばかりだが、最悪の結果を迎えることとなった。 「24時間態勢で情報収集に当たってきた対策本部だが、実態はヨルダン政府頼みで、主体的に交渉を進めることはできなかったことの証左だ」(ジャーナリスト)との批判の声も上がっている。 しかし、それ以前に政府の中では、中山氏に対してダメ出しが出ているという。どういうことか。 「後藤さん殺害の映像が出るまで、中山氏のやることといえば広報対応のみ。実は本人はかなりヒマだったようで、テレビや新聞に自分のことが映ったり掲載されたものをFBにアップするよう日本のスタッフに指示したりしていたようです」(官邸関係者) 連日、神妙な面持ちの中山氏が、テレビ画面に何度も映し出されていた。新聞でも中山氏のコメントが、写真とともに掲載されていた。それを自分の宣伝に利用しようと、躍起になっていたというのだ。 確かに、中山氏のFBページ「外務副大臣 中山泰秀のアイラブ大阪」では、自身の顔が映し出されたニュース映像が、1日に何回もアップされている。ある人がコメントを寄せると「すぐに本人から、お礼のコメントがアップされました。よほどヒマなのかな、って正直思いましたよ」と、感想をチラリ。 この事態に官邸も怒り心頭だったと、前出の関係者は証言する。 「実は政府が、中山氏を更迭し、城内実外務副大臣、または別の人間を現地に送り込もうと考えていたようです。しかし、イスラム国側から時間を区切った要求が届いたことから断念。菅義偉官房長官は中山氏に何度も苦言を呈したようですが、一向に改められなかった」 情けないことこの上ない裏話である。中山 泰秀facebook







