
撮影=後藤秀二
オウム真理教の信者を追ったドキュメンタリー映画『A』『A2』の森達也監督にとって15年ぶりとなる単独監督作『FAKE』が、6月4日から渋谷・ユーロスペースほか全国で順次公開される。
今回は、あのゴーストライター騒動でおなじみの、元“現代のベートーベン”佐村河内守を追ったドキュメンタリー映画。
騒動の大きさとともに、あまりにもうさんくさすぎるルックスのせいで「ミスター・ペテン師」として日本中に知られることとなった佐村河内氏を、森監督がどう料理するのか!? いろんな疑惑を暴いてくれるんじゃないか? ……と、公開前から期待が高まりまくっている『FAKE』だが、森監督のカメラに切り取られた佐村河内氏は、ワイドショーなどで繰り返し紹介されていた「ペテン師」キャラクターとはまた違った面を見せており、映画を見た人は良くも悪くも、佐村河内氏をちょっと好きになってしまうことだろう。
とにかく、何がフェイクで何がフェイクじゃないのか? そもそも、これは本当にドキュメンタリー映画なのか!? ……など、余計なことまで深読みしまくって、いろいろと語りたくなってしまう映画『FAKE』が、今年最大の話題作となるのは間違いなさそうだ。
……というわけで、公開を記念して森達也監督に『FAKE』について話を訊いてきたのだが、訊けば訊くほど、ズブズブとフェイクな沼にハマっていくような感覚も……。とりあえずみんな、映画を見て、自分で判断してくれ!
■「フォトジェニックだな」と思ったから
――まずは、『A』『A2』『311』ときて、なぜいきなり佐村河内さんだったのかというのを聞きたいのですが。
森 彼に会ったから。
――それだけですか?
森 はい。
――もうちょっと何かあるのでは?
森 ……そもそも、彼のことを知りませんでした。新垣(隆)さんの記者会見に端を発して例の騒動になったときも、「へえ、こんな人がいたのか」くらいの感じです。それからしばらく過ぎて、2014年の8月頃に、知り合いの編集者から「佐村河内さんの本を書きませんか?」って依頼が来たのだけど、最初は断りました。忙しかったし、あまり興味もなかったし。
――あのゴーストライター騒動自体には、興味がなかった?
森 はい。でも、その編集者が、とても熱心に誘ってくれたんですね。「メディアの報道とはまったく別な面が見られるから、一度会ってみてほしい」と。それで、話のタネになるかな……くらいのレベルで、佐村河内さんの家に行った。2時間くらい話してから、「あなたを映画に撮りたい」と言いました。
――そのとき編集者は?
森 隣の椅子で呆然としていました。申し訳ないことをしちゃった。
――本を書いてほしいと頼んでいたのに……! 会う前は興味のなかった佐村河内さんを、急に撮りたいと思ったのはなぜですか?
森 彼が話す内容自体よりも、「フォトジェニックだな」って思ったんです。佐村河内さんだけじゃなくて奥さんもいて、猫もいて、ベランダに出たら、すぐそこに電車が走ってて……そういった、いろんな要素がね。これは活字じゃなくて、映像向きだなと思ったんです。
――佐村河内さんは、すぐにオッケーしてくれたんですか?
森 その場では、即答してくれなかったですね。奥さんも嫌がった。でも、奥さんが撮れないんじゃ、成立しないと思っていた。
――まあ、奥さんからしたら、撮られるメリットはないでしょうからね。
森 マイナスですよ。佐村河内さんはほとんど部屋から外に出ないけど、奥さんは買い物や銀行に行ったりする。この映画で顔を出したことによって、もしかしたら買い物にも行けなくなるかもしれないですから。
――奥さんがオッケーした決め手は、なんだったんでしょうか?
森 明確に許可はもらっていないです。なし崩しです。映画の冒頭で、テーブルの上にカメラを置いて「たぶんここは使わないから」とか言い訳をしながら撮影しているカットがありますけど、あの時点では、奥さんの撮影はダメだったんです。その後、なし崩し的にオッケーにしちゃったんです。

■当たり前だけど、全部グラデーションなんです
――やっぱりみんな気になるのは「耳は聞こえるのかどうか」「作曲しているのかどうか」という点だと思いますけど、森さん自身はこの疑惑に対して、どういったスタンスで撮影をしていこうと思っていたんでしょうか?
森 うーん、事実なんて僕にはわからないですから。それまでいろんな報道を見てきて「ずいぶんウソをついている人なんだな」と思っていたけど、実際に会って話を聞いたら「そうではない」と彼は言う。それで、映画の中にも出てくるいろんな資料を見せられたりして……。それ自体には強い興味を惹かれなかったんですが、一生懸命それを説明している彼と、手話通訳する奥さんと、向こうにいる猫と……その状況が面白かったんです。
まあ、いずれにしても、「どっちが正しい、どっちが間違っている」と決めつけるメディアや社会に対して、違和感があったことは確かです。佐村河内騒動が起こるちょっと前に、食品偽装問題ってあったでしょ? 大正エビと思って食べていたら、別のエビだったからけしからんとみんなは怒っていた。でも、おいしければどっちでもいいじゃんと思うんだけどね。STAP細胞騒動もほぼ同じ時期です。それから朝日新聞の従軍慰安婦報道騒動。あの時は産経、読売……とほぼ全メディアが、「国賊」とか「反日」などの語彙を使いながら朝日を罵倒しました。でも「吉田証言」を根拠にした記事を出したのは、ほかのメディアも同様です。確かに朝日は回数が少し多かったかもしれないけれど、それを理由になぜここまで無邪気に叩けるのか、僕にはさっぱりわからない。
これら全部に共通していることは、真実か虚偽か、正義か悪か、極端に二分化されているということです。それがとても気持ち悪くて。現実ってそんな単純なことじゃないはずなのに、なんでこんなに二極化が進行しているんだろうっていう気持ちがあったんですね。
もしかしたら、彼を撮ることで、そういうことに対しての違う視点みたいなものを提示できるんじゃないか……という、直感みたいなものがあったのかもしれないですね。……まあ、半分は後付けの理屈だけど。
――ネット時代になって価値観が多様化したかと思いきや、「叩いていいぞ」っていう人が出てきたらみんなで一斉に叩きまくって、擁護する人間は許さない……みたいな傾向は強くなっていますよね。
森 葉っぱを絵に描こうと思った時に、緑色の絵の具をそのまま使う人はまずいないでしょ? そこに茶色を足したり、黄色を足したりするじゃないですか。それがリアルであって、世界なんです。でも今のメディアは、わかりづらいとの理由で、情報を四捨五入して簡略化してしまう。その帰結として、世界が原色になる。雪は白だし空は青。つまり世界が矮小化される。ならば、それこそがフェイクです。しかも扁平。どんどん世界がつまらなくなって、息苦しくなっているなと感じています。別に、みんなが「黒だ」と言っていることを「白だ」と言うつもりはないけれど、「もっと間にいろんな色があるんだよ」とは言いたいですね。
――聞こえる、聞こえないの間に、いろんな要素があるということを言いたかったと?
森 佐村河内さんの症状は、「感音性難聴」です。聞こえる音と聞こえない音があるらしい。たとえば、こういう音(机をコンコン叩く)は聞こえるんですね。彼は「曲がって聞こえる」と言っていますが。体調によっても、聞こえる日と聞こえない日があったり。それに彼は口話ができるから、相手の口の動きで、言っていることが読み取れたりもする。でも、初対面の相手だとほとんど読み取れない。……だから、全部グラデーションなんです。さまざまな色があるんです。当たり前のことだけど、1か0かじゃない。
でも、メディア的には「聞こえるか聞こえないか」になってしまう。それまでは「全聾の天才作曲家」と呼ばれ、騒動後は「聞こえているのに聞こえてないフリをしていたペテン師」です。間の領域が見事にない。
――そういう症状について、映画の中では、あまり細かく解説はしていないですよね? 解説があったほうが、わかりやすいかなとも思うのですが。
森 もちろん、わかりづらいよりはわかりやすいほうがいいけれど、わかりやすさを求めるベクトルは、四捨五入や単純化と同義です。慎重さは必要です。
実際に存在するものしか撮れないからこそ、ドキュメンタリーにおいてはメタファーが重要だと僕は思っています。つまり暗喩。何かを撮りながら、違う何かを想起させる。その意味で、この映画では、聴覚障害は重要な要素ではあるけれど、メタファーの材料でもあるわけです。それを正確に理解することへの優先順位は、必ずしも高くはない。
最初に撮影を依頼したとき、同時に「あなたの名誉を回復する気は全然ない。自分の映画のために、あなたを利用したい」と僕は言いました。彼も、それは納得してくれました。そもそも感覚は、他人には絶対に共有できない。僕が見る黒色は、誰かにとってピンク色かもしれない。正解は誰にもわからない。どこまで行ってもグレーゾーン。そこを白黒ハッキリさせるということが、この映画のテーマじゃないので。
――森さんの表現のために佐村河内さんを利用するということですが、映画の中で、いろいろと演出をしているじゃないですか。「アレをやってください」「コレをやってください」って。ドキュメンタリーを撮るにあたって、撮影者の作為が入ってくるのはアリだと思いますか?
森 全然アリというか、それが当たり前です。辞書で「ドキュメンタリー」って引くと、演出や脚色の一切ない客観的な……どうのこうのって書かれていますけど、ならばそれは監視カメラの映像です。映画は作品ですから、僕の作為や視点は当然反映されます。
ドキュメンタリーの演出は、化学の実験に似ていると思います。ここにフラスコがある、そこに被写体を入れます、それを火であぶったり冷却したり振ったり、場合によっては、僕がカメラを持ってフラスコの中に入っていったりもする。その過程とか相互関係を描くのがドキュメンタリーだと思っています。そもそもカメラが撮れるのは、カメラによって変容した事実です。人は誰だって演技します。だから、こっちから仕掛けるのは当たり前のことです。客観的にカメラを回しても、作品になるわけがない。というか、主観がなければ、編集はワンカットもできないし、カメラもフレームを決めることはできません。
――だからこそ、森さんから「アレをやってください」と提案しているところまで含めて映画の中に入れているんですね。
森 だって相互関係だから、僕の座標軸も示さなくちゃいけない。『A』も『A2』も、全部その座標軸を出しているはずです。でも、テレビのつまらないドキュメンタリーって、作為や主観を隠して、カメラをないものとしてしまう。そのほうが客観的に見えるから。でも、客観的な映像などありえない。
――新垣さんが浮かれたテレビ番組に出ているのを佐村河内夫妻が見ているシーンなんかも、森さんからの提案なんでしょうか? 佐村河内さんからしたら、あまり見たくない番組だと思いますが。
森 意図的に見せようとしたわけじゃないですが、あの頃は、ほぼ毎日のように新垣さんがテレビに出ていたんで、撮影している中でテレビをつけると、相当な確率で新垣さんが出てくるんです。確かに佐村河内さんは「あまり見たくない」とは言っていましたけど、「見ましょうよ」くらいの提案はしましたね。
――佐村河内さんが出演を断ったバラエティ番組に、代わりに新垣さんが出ていじられまくっているのを、暗い部屋の中で佐村河内夫妻が見ているのは、いろいろと印象的なシーンでした。
森 映画の中ではフジテレビのバラエティ番組がたまたま俎上に載っていますけど、メディアに関わっている人だったら、あの人たちと自分との違いなど口にできないはずです。僕だってあの立場なら、きっとああいうことをやりますよ。本人に悪意はなくても、表現は絶対に誰かを傷つけるんです。テレビの場合は、忙しすぎてルーティーンになっちゃってますから、そればっかり考えていたら前に進めなくなるというのはわかりますけど、たまには自分たちが人を傷つけているんだっていうことを意識したほうがいいと思います。
僕がテレビをやっていた時代の先輩たちは、そういう意識があったと思う。「どうせオレたちはハイエナだ」とか「人の不幸を飯の種にしているんだ」などと。つまり、後ろめたさです。メディアに携わるのなら、この意識だけは持ち続けたほうがいい。でも、今はテレビ局が超優良企業になってしまい、その意識がとても淡くなってしまった。後ろめたさをなくしたら、報道は正義になってしまう。それは絶対に違います。
――あのバラエティ番組のほかに、報道番組からの出演オファーがあって、そっちには佐村河内さんが出演したらしいですね?
森 その番組では彼のインタビューを、僕から見ても、とても公正に紹介しました。ところが、その番組は、まったく話題にならなかった。誰かを叩いたり、ちゃかしたりする番組は話題になるのに、真摯に彼の言葉を紹介した番組だと全然話題にならない。
――そうなると、視聴率を追い求めるテレビ番組では、そういう言葉を紹介できなくなっちゃいますよね。
森 つまり市場原理です。メディアは社会の合わせ鏡として機能する。よく「マスゴミ」などと嘲笑する人がいるけれど、それは自分たちをゴミと言っているに等しいんです。

■佐村河内さんはチェックしていません
――映画の中で、森さんが佐村河内夫妻に向かって何度も「僕のことを信じていますか?」と言っていますが、あれはやはり信頼関係を築かないと、この映画は撮れないと思ったからですか?
森 うーん……。信頼関係ってよくみんな言うけど、信頼関係なんてなくてもドキュメンタリーは撮れるんです。だって、『ゆきゆきて、神軍』の原一男さんと奥崎謙三に信頼関係があるかっていったら……
――ないでしょうね(笑)。
森 それでも、あんなにスリリングなドキュメンタリーが成立する。みんな「被写体との信頼関係が前提」とか言うけど、僕は全然そう考えてないですね。
――じゃあ、なぜ「信じていますか」と、しつこく言ったんでしょうか?
森 誘導や挑発かもしれないし、手練手管かもしれないし、でもどこかで本音かもしれない……。自分でもわからないですよ。さらに、その場面を映画の中で使っているということにも、何か意味があるのかもしれない。編集には、必ず意味はありますから。説明できるかどうかは別にして。
――映画の着地点はどこにしようと考えながら撮影していたんですか?
森 撮り始めた頃は、全然想像つかなかったですね。多くのドラマだったら「ラストはこうしよう」と決めてから撮りだしますけど、ドキュメンタリーですから。まったく手探りで始めています。
――ある時点から、佐村河内夫妻のラブストーリーを撮ろうという意図を感じたんですが。
森 うん、そういえばそうだ。ラブストーリーが撮りたかったんだと思いますよ、最初から。
――本当ですか?
森 北村さんの誘導かもしれない。
――(笑)。ラスト近くに、森さんはいなくて、夫妻がお互いに撮影をし合っているという、いいシーンがありましたけど、あれはカメラを預けて撮ってもらったんですか?
森 カメラを預けたんじゃなくて、2人が自主的にスマホで撮っていたんです。あの時期、もうどうにもこの映画を終わらせられそうになくて、僕は行き詰まっていた。だから、しばらく会いに行かなかったんです。でも、僕が行かない間に彼は、ある行動を起こしていた。何度か「来てください」っていう連絡は来てたんだけど、行く気がしなくて、ほったらかしにしていたんです。
それで、しばらくぶりに行ったら、随分進行しちゃってて。その間の映像がないのはマズイなと思っていたら、奥さんがスマホで撮っていたというんで、それを使わせてもらったんです。
――そこで、落としどころが見つかったなというのはありましたか?
森 そうですね。ひとつの終わりにはなるかもな、って感じはしましたね。
――ところでこの映画、佐村河内さんは内容のチェックをしているんですか?
森 今の段階では、厳格にはしていません。音が聞こえないんだから、見てもわからないでしょ? まあ、簡易なテロップをつけたものは見てもらいましたけど。ただ撮影中から、「映画は監督のものなので、自分は何も言いません」とは言っていました。その覚悟はしてくれていたと思います。

(c)2016「Fake」製作委員会
■僕の手のひらの上で勝手にやってね
――「誰にも言わないでください、衝撃のラスト12分間」というキャッチコピーがつけられているので、よっぽどのことがあるのかと試写会で身構えてしまったんですが、僕個人としては、別に言ってもいいんじゃないかなと思ったんですが……。
森 編集が終わって、宣伝についての打ち合わせの段階で、「ホラーかサスペンス映画で、こういうフレーズがあったよね」ということでつけただけのキャッチコピーなんです……。どうせ(試写を見た)誰かが言っちゃうだろうと思っていたけれど、今のところは誰も言ってないですね。まあ約束うんぬんのレベルではなくて、知らずに見たほうがいいかなと自制してくれたような気がします。それは、とてもありがたいです。
――『FAKE』というタイトルも相まって、サブカル界隈の著名人たちがいろいろと深読みをしていますが、このタイトルには、どういう意味があるんでしょうか?
森 深い意味はないです。最近、誰かに言われて気づいたのだけど、僕の映画って今回だけでなく、『A』『A2』『311』と、全部アルファベットと数字しか使ってない。意識のどこかで「意味を出したくない」というのがあるんだと思います。普通、タイトルって、映画全体の意味を凝縮させるわけでしょ? でも「凝縮しちゃダメだろ」と常々思っていて。本来もっと多面的なのに、なんで凝縮しちゃうんだと。今のメディアに対する違和感と同じですね。だから本当はタイトルなしが一番いいんですけど、さすがにタイトルがないと興行できないから、とりあえず『FAKE』と。それも相まってなのか、多くの人が深読みしすぎて、「あそこがフェイクじゃないか」「外国人記者がフェイクだ」「奥さんがニセモノなんじゃないか」とか、いろいろ言われていますけれど……。
――町山智浩さんが『オーソン・ウェルズのフェイク』との関連性を指摘していましたが、そんなことは……?
森 その映画、見たことないです。
――ああー! みんな考えすぎですね。
森 チラシに「視点や解釈は無数です」と書きましたけど、ちゃんと作品で誘導しているつもりですから、本気で自由に解釈してほしいと思って書いているわけじゃないです。「自由に解釈してもいいけど、僕の手のひらの上で勝手にやってね」というレベルです。まあ深読みする人がいたら、それはそれでいいかなとも思いますが。映像って、そういうものですから。最初に活字じゃなく、映像にしようと思ったのは。そういう想像を広げる余白がいっぱいある素材だなって思ったからです。
――それでは、次に撮りたいと思っている題材は?
森 ……これもよく聞かれるけど、今は何も考えられないですね。さっきも言ったように、表現は必ず人を傷つけます。『A2』から15年間も新作を撮れなかった理由のひとつは、『A』と『A2』でたくさんの人を傷つけたという自覚があるからです。HPがほぼゼロになってしまった。今もまた、新作を撮り終えてほぼゼロになっちゃってるんで、ある程度時間がたって、また人を傷つける覚悟ができたら、次の題材を考える余裕が出てくるんだと思います。
(取材・文=北村ヂン)
●『FAKE』
監督・撮影:森達也 主演:佐村河内守 プロデューサー:橋本佳子 撮影:山崎裕 編集:鈴尾啓太 制作:ドキュメンタリージャパン 製作:「Fake」製作委員会 配給:東風
6月4日(土)よりユーロスペースにてロードショー、ほか全国順次公開
<http://www.fakemovie.jp/>
●同時公開『A2』完全版
森達也監督15年ぶりの新作『FAKE』公開に合わせ、2002年の劇場公開時カットされた幻のシーンを加えた完全版を、ユーロスペースにて上映。
6/18(土)~24(金)21:00
7/9(土)~15(金)21:00