DJ KOOの面白さを見事に引き出す、関ジャニ・横山裕 『ヒルナンデス!』(10月16日放送)を徹底検証!

yokoyamayuu1026.jpg  ふと気付くと、あるタレントがテレビに出ずっぱりになっている、という現象がまれに起こる。半年前まではテレビで見る機会がほとんどなかったタレントなのに、ある日突然、テレビで見ない日はないというほど露出している。DJ KOOは、まさにその最たるものだ。これほどまでに、さまざまな番組に出演している自分の姿を、おそらく半年前のDJ KOOは想像さえしていなかっただろう。    ここで言いたいのは別に、テレビ制作者は創造性に欠けているため売れているタレントを取りあえずブッキングする、ということではない。そうではなく、テレビ番組はその本質として、番組自体がタレントの取扱説明書になるのだ。原則としてテレビ番組は、収録した素材の中から面白い部分だけを抽出して放送する。そのため、このタレントはこう調理すれば面白くなるのだということが認知され、それはテレビ業界にとっての常識となる。そしてそのタレントは、さまざまな番組に呼ばれることになる。一般的に、タレントが売れる、というのは、このようなプロセスを踏む。  それでは、DJ KOOの取扱説明書とはどういったものか? 一言で表すなら、「キャリアのある年輩のカリスマDJだけど、実は残念な人」ということになるだろう。実際に、今回の検証のために日本テレビ『ヒルナンデス!』(10月16日放送)、フジテレビ『ライオンのごきげんよう』(10月22日放送)、日本テレビ『ダウンタウンDX』(10月23日放送)を確認したが、DJ KOOの紹介として必ず、「カリスマDJ」という肩書と、「53歳」という年齢が紹介される。これが言わばフリとなる形で、それなのに実際は残念な人間である、というオチが強調される。  この取扱説明書に応じる場合、DJ KOOのタレントとしての面白さを引き出すためには、客観的にDJ KOOを見ながらその残念さを紹介する、あるいはさらなる面白さを引き出すことのできる、実力のある人間がそばに必要となる。『ヒルナンデス!』においては、関ジャニ∞の横山裕がその役割を見事に務め、バラエティ能力の高さを見せつけた。  「100円で乗れるミニバスで東京散策」という、言ってみればありがちというか、フォーマットとしては既視感のあるコーナーだが、そこにDJ KOOという異物を投入する。その異物感を、横山裕は抜群のバランスで紹介し、DJ KOOの手綱を握る。DJ KOOが和菓子屋のレポートをするのをモニタリングしながら的確なツッコミを入れ、食レポの感想の際はDJ KOOに「DJ風に言うとしたら、なんですか?」と笑いどころを用意し、「マジハンパカナイス!」という名言を引き出す。このバランス感覚は、さすがとしか言い様がない。  そして、この番組の中で横山裕はDJ KOOに対して「バラエティの型を破ってくれて感謝してますよ」と述べている。これはまさに、バラエティ番組の本質を、あるいはDJ KOOになぜこれほどまでの需要があるかを感覚的に理解していないと出てこない言葉だ。バラエティは、ただ破壊すればいいというものではない。出来上がったものを破壊するからこそ、バラエティは番組として成立する。たとえば「100円で乗れるミニバスで東京散策」というコーナーは、以下のような過程を経ている。 (a)コーナーのフォーマットとしては特に斬新ではなく、既視感のあるもの (b)既視感のあるコーナーにDJ KOOという異物を投入する (c)DJ KOOは異物ではあるが、「53歳のカリスマDJ」というしっかりしたバックボーンを持っている (d)「53歳のカリスマDJ」というバックボーンを裏切るようなDJ KOOの残念さを、横山裕が視聴者に呈示する  視聴者として印象に残るのは(b)と(d)だが、それをしっかりと見せるためには(a)と(c)が必要となる。横山裕はそれを理解した上で、自分が前に出ることなく、そして(a)と(c)の土台を壊さぬようにバランスを取りながら、コーナーを成立させている。であるからこそ、このコーナーにはDJ KOOだけでなく、横山裕が必要なのだ。  今後もDJ KOOはテレビに出演し続けるのか? それは間違いなく、横山裕のような「相方」を各番組で見つけられるかによるだろう。53歳のカリスマDJに、素敵な出会いが訪れることを願ってやまない。 【検証結果】  今回『ヒルナンデス!』における横山裕の仕事ぶりについて取り上げたが、以上のことをスタッフサイドも理解しているというのが『ヒルナンデス!』のすごさだ。番組としての「名物」を作り、それをなるべく大事にする。DJ KOOの面白さを使い捨てにせず、その取扱説明書を上書きしようとする精神もある。『ヒルナンデス!』が放送をスタートして3年半。密かに、だがしっかりと、長寿番組への道を歩いている。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

森脇健児が見せつけた「芸能人」の意地と底力! TBS『オールスター感謝祭』(10月4日放送)を徹底検証!

moriwaki1011.jpg
松竹芸能公式サイトより
 TBSの恒例特番、『オールスター感謝祭』。その中でも目玉のコーナーといえば、健脚のタレントたちがしのぎを削る「赤坂5丁目ミニマラソン」だ。しかし、今年はいつもと様子が違っていた。キーマンとなったのは、近年になって芸人らしからぬアスリートっぷりが笑いのネタになることの多い、森脇健児その人である。森脇健児は今年、5位以内に入らなかったら「赤坂5丁目ミニマラソン」を引退すると、勝手にアドバルーンをぶち上げたのだった。  過去22回出場してきた森脇健児は、なぜ今になって引退を懸けることになったのか? その言い分はこうだ。ここ最近の「赤坂5丁目ミニマラソン」は、陸上競技のプロが上位を占めている。だが本来は、芸能人が頑張る姿を見せるというのがこのコーナーの意義であり、芸能人ランナーを鼓舞するために、自分を矢面に立たせてほしいというのである。  実際、森脇健児の言い分は正しい。『オールスター感謝祭』に呼ばれるほどの有名な芸能人が必死で走る姿が視聴者にとっては面白いわけだが、ある時期から有名ランナーを海外から招へいし、競技化がエスカレート。呼ばれた有名ランナーもまたプロとしての誇りはあるから、絶対に負けようとはしない。番組側でもそれに対抗して、「あまり名前は知られてないけど、ものすごく足が速いタレント」を呼ぶなどしているのだが、これではそもそも本末転倒である。森脇健児はそのような状況に対して、正面から異議を唱えたのであった。  とはいえ、現在の森脇健児に求められるキャラクターは、いじられ役としてのそれである。芸人としてのイロハが通じないため「逆に」面白い、という見せ方をされることが多い。実際に、マラソンのスタート直前には「47才、これは老化じゃない、進化ですよ!」「進化イコール、体からボディ、ボディから、今日はマシーンですよ! ボクの足はタイヤですよ!」と独特の言語感覚を披露し、スタジオでは今田耕司のツッコミによって笑いが起こる。このセリフは、実は例えば一流のアスリートが放てば「名言」なのだが、森脇健児が言うから「ツッコミしろのある天然セリフ」となる。それはそれでもちろん正しいのだが、重要なのはこの時点で森脇健児は「笑われる人」として共有されているという点だ。  ここで森脇健児には、2つの選択肢が用意されている。まず1つは、実際に真剣に走って5位以内に入ること。もう1つは、5位以内に入れず、結局あかんやないかという形で笑いを取ることだ。この場合、安全策となるのは、実は後者である。前者の場合、5位以内という設定を決めたのは森脇健児本人だということもあり、実際に5位以内に入ったところでそのスタジオの空気が読めない。後者の場合は、司会の今田耕司に任せさえすれば確実に笑いは取れるし、引退宣言もうやむやになるだろう。翌年しれっと復活したって、それはそれで笑いになる。5位以内に入ることが目的とされながら、実際に5位以内に入ることのリスクは案外高いのだ。  かくして、号砲が鳴る。森脇健児は走る。当初のスタジオの空気は、決して熱いものではなく、森脇健児に期待する雰囲気はほとんどない。だが、森脇健児は走る。真剣な表情で。心臓破りの坂を上るときも、自分の足下しか見ていない。スタジオの空気が、徐々に変化していく。森脇健児は走り続ける。普段は森脇健児の面白エピソードを紹介する役回りの安田大サーカス・団長安田が、後ろから声をかける。後日、ニッポン放送の『キキマス!』で明かされたところによると、前を走るランナーが森脇健児の邪魔にならないように「コースお願いします!」と叫んでいたのだという。スタジオの空気はすっかり変わり、森脇健児への声援が飛ぶ。そして森脇健児は最後まで全力で走り続け、ゴールテープを切る。結果は4位。その瞬間、スタジオはスタンディングオベーションを彼に送った。  なぜ、感動してしまうのか。よく分からない。だが、スタジオのタレントの中には涙を流す者も多くいて、西川きよし師匠は号泣しながら「吉本に来い!」と、相変わらずの素っ頓狂なコメントを残す。涙と笑いとよく分からないカタルシスが、ごちゃまぜになった空間がそこにはあった。  一つだけ言えるのは、森脇健児は嘘をつかなかった。自分自身に対して、あるいは、これまでの自分自身の人生に対して。「走った距離は嘘をつかない。流した汗は嘘をつかない」というのは森脇健児が度々口にする名言だが、その言葉を彼は実践していた。「芸人」や「タレント」としての正しさではなく、森脇健児は「人間」としての正しさを目指し、そして結果を残した。そのやり方は一般的に正解と言われるものではないかもしれないが、森脇健児は自らが作った道を完走したのだ。そのあり様こそが、職業を超えて感動を呼ぶ。「芸能人」という道を選んだ「人間」としての意地と底力を、この日、森脇健児は確かに見せつけた。  人生とは、フリとオチである。あるいは、オチが決まれば、それまでのすべてはフリになる。森脇健児は、芸人らしからぬアスリートっぷりというキャラクターやそれで取った笑いをフリにして、感動という名のオチに変えた。今田耕司が、疲労困憊の森脇健児にマイクを向ける。ここで感動的な一言があれば、大団円だ。そして森脇健児は、叫んだ。 「走った距離は嘘つくない、流した汗は嘘くつ、つかない!」  見事にかむ。しかも早口すぎて何を言っているのかが分からない。その瞬間、スタジオは爆笑に包まれた。感動の涙はその瞬間フリとなり、笑いというオチに変わった。それもまた、森脇健児という生き方なのである。 【検証結果】  冒頭にも記した通り、森脇健児は現在、芸人らしからぬアスリートっぷりが笑いになることが多い。だが果たして、その見立ては正確なものなのだろうか?むしろ森脇健児とは、芸人であり、かつ、アスリートである。その両者は矛盾するものではない。言い換えれば、芸人という競技に挑戦し続けるアスリート、それが森脇健児だ。そして芸人という競技は、生涯競技である。森脇健児はこれからもずっと、森脇健児にしかできないフリとオチの中で生き続けるだろう。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

ふなっしーが子どもたちを熱狂させる3つの理由 フジ『世界ベスト・オブ・映像ショー』(9月23日放送)を徹底検証!

funa1003.jpg
『ふなっしーの本なっしー! !』(富士見書房)
 ふなっしー。もはや日本で知らない者はいないほどの人気者であり、特に子どもたちの熱狂ぶりと彼らからの愛されっぷりは尋常ではない。活動を開始したのは2011年11月。船橋市が公認していない非公認のご当地キャラクターであり、梨の妖精である。人気に火が付いたのは2013年2月。日本テレビ系『スッキリ!!』に出演し、司会の加藤浩次との相撲勝負で豪快に投げられる姿が話題を集める。ご当地キャラクターブームやゆるキャラブームの火付け役となり、いまやテレビでその姿を見ないことがないほどの人気者となっている。  ふなっしーが世に出た当初、ここまでの存在になると予想した者はほとんどいなかっただろう。むしろ多くの視聴者は、一発屋としてその存在を認識したのではなかったか。しかし、あれよあれよという間にふなっしーはスターへの階段を駆け上り、子どもたちから圧倒的な支持を得ている。では、「一発屋」と「人気者」の境目には、一体何があるのだろうか?  9月23日に放送された『世界ベスト・オブ・映像ショー 頂上リサーチ』に、そのヒントが隠されていた。ふなっしーはこの番組でアメリカ大陸に初上陸し、誰も見たことのない「頂上映像」を撮影するという役回りだ。ここでふなっしーに命じられる指示がすごい。「海でマナティとのツーショットを撮影する」「アクロバット飛行機で逆さになる」「海の底に沈んだ海底都市を歩く」という、リアクション芸人もかくやという指令。そのすべてに、ふなっしーは応えるのであった。  キャラクターとしてかわいいだとか、面白いだとか、それだけの理由でふなっしーは子どもたちから支持されているわけではない。この番組におけるふなっしーの活躍はちょっと尋常ではなく、また子どもたちを熱狂させるいくつものエッセンスを生み出していた。というわけでこの番組から、3つのポイントを挙げてみよう。 <1>子どもたちの期待は裏切らない  アクロバット飛行機で逆さになるという指令を出された際、当然のようにふなっしーは嫌がる。しかも、用意されているのは70年前に作られたプロペラ機だ。苦悩するふなっしーだっだが、その場に集まった子どもたちの姿を見て「キャラクターとして、子どもたちを裏切れないなっしなー!」と、挑戦の決意をするのだ。  ふなっしーは自ら、子どもたちを裏切らないという性質を、言ってみればキャラクターとしてのカセを、自分自身に与えている。それが結果としてふなっしーのモチベーションにつながり、また子どもたちにとっては、ぼくたちのために頑張るふなっしー、という存在になる。ある意味でファンタジーの世界における関係性のようだが、それを梨の妖精という形でふなっしーは現実に落とし込む。子どもたちにとっては、それは間違いなく夢のような世界だろう。 <2>ちゃんと嫌がる  「子どもたちを裏切らない」という基本姿勢は根底にあるが、もちろん無茶なことを依頼されたときはちゃんと嫌がる。自ら喜んで挑むわけではなく、「無理なっしー!」「冷たいなっしー!」「移動時間が長すぎるなっしー!」とちゃんと苦しんでいる姿を視聴者に伝える。これはリアクション芸人としての基本ではあるが、指令を嫌がる様子はふなっしーの人間性を伝える。まあ、梨の妖精ではあるのだが。  子どもたちからしてみれば、“つらくて大変なことでも、ぼくたちのためにふなっしーが頑張ってくれている”という姿は、当然のように共感を呼ぶだろう。実際2014年秋現在、ふなっしーはただのゆるキャラではなくリアクションキャラへの変貌を遂げている最中だが、この流れは必然だとも言える。自分が苦しんで頑張る姿が子どもたちに勇気を与えると知っているからこそ、ふなっしーは常に新たな無茶ぶりに応え続けるのだ。 <3>見たことのない景色を見せてくれる  番組の中でも最も感動的な映像は、ふなっしーがマイアミのメモリアルリーフで海底都市を歩くシーンだ。大量のおもりを自身にインストールして、ふなっしーは海の底に沈む。そして海底を歩きながら、「水の中ってこんな、空を浮いているような感じなっしー! 素敵なっしなー!」と感激を伝える。この様子を見て、“ぼくも水の中を歩いてみたい”と思う子どもたちは、決して少なくないだろう。ふなっしーは自らがそれを体験することによって、子どもたちの好奇心を喚起させるのだ。  もちろん以上のことは、行為としては例えばリアクション芸人にもできることではある。だがなぜふなっしーだけが、子どもたちからここまで熱狂的な支持を集めるのか? それは、ふなっしーが無力だからだ。その肉体的な形状から、動きにも限界があり、いわば不自由な存在である。そして子どももまた、無力であり不自由な存在なのだ。大人のように自由に物事を決められるわけではなく、肉体的にもまだまだ幼い。そんな自分たちを象徴するのが、ふなっしーという不自由な存在である。  だからこそふなっしーは、子どもたちに勇気を与える。無力であっても、不自由であっても、こんなにすごいことができてしまうのだと、ふなっしーは自らの行動で子どもたちに示してくれる。ふなっしーは、ただの一発屋的な人気者ではない。子どもたちに勇気を与え、そしてもしかしたらその人生に影響を与えるかもしれない、子どもたちにとっての憧れの存在なのだ。 【検証結果】  現在、爆発的な人気を集めているふなっしー。だが、その人気に溺れることなく、自らは「飽きられて時間ができたら、のんびり幼稚園などを回って子どもたちを楽しませたい」と語っている。子どもたちに勇気と歓喜を与えるために生まれた、まさに妖精。ふなっしーという名のファンタジックなストーリーは、これからも終わることなく、永遠に続いていくのだろう。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

黒柳徹子として生きるための3つの方法 フジ『ワンダフルライフ』(9月14日放送)を徹底検証!

tetsuko0918.jpg
 黒柳徹子。1933年8月9日、東京都乃木坂生まれ。現在81歳。53年にテレビ女優第一号としてNHKに入社した日本初のテレビタレントであり、現在に至るまでレギュラー番組を持ち続ける。76年に放送を開始したテレビ朝日系『徹子の部屋』は、今なお続く長寿番組であり、「同一の司会者による番組の最多放送回数」としてギネス世界記録に認定されている。  日本のテレビ史を語る上で、黒柳徹子は欠かせない人物の一人である。日本のテレビ創世記から第一線に立ち続け、なおかつ81歳になる現在も帯番組『徹子の部屋』の司会を務める。今もって過去の遺物などではなく、そのエネルギッシュかつある種エキセントリックな生き方は多くの視聴者の共感を集め、テレビ朝日系『アメトーーク!』では「徹子の部屋芸人」として再評価されるなど、年齢を超えた生き方をテレビのど真ん中で見せつけてくれている稀有な存在である。  黒柳徹子について語ろうと思うとき、まっ先に思い浮かぶ言葉は「自由」の二文字だ。テレビという異常な日常の中で、これほどまでに「自由」を体現しているタレントはほかにはいない。芸人という、いわば埒外の人種に対してさえも圧倒するほどの「自由」をぶち込んでくるから、「徹子の部屋芸人」というコンテンツが成立するのだ。そして、その「自由」さは、我々視聴者にとっての憧れでもある。特に2014年現在のように世知辛く、誰もが空気を読んで生きることを強要される時代だからこそ、黒柳徹子の「自由」な生き方は憧れの対象となる。  フジテレビ系『ワンダフルライフ』は、半年間で終了してしまった薄命の番組だ。9月14日に放送された最終回で取り上げられたのが、黒柳徹子だった。その人選に、制作者の想いがどれほどあったかは推し量るよりほかにはないが、少なくともその最終回は、希望に満ちた最終回であった。ここで語られる黒柳徹子の半生とその人生哲学は、終焉よりもむしろ最初の一歩を感じさせた。黒柳徹子は我々視聴者に、黒柳徹子という一人の人間の生き方を紹介したのだ。  我々は「自由」に憧れる。我々は黒柳徹子に憧れる。それでは、黒柳徹子はいかにして黒柳徹子という人生を生きているのか。その3つの手法を、今回は紹介したい。 <1>黒柳徹子は、大切な言葉を忘れない  『徹子の部屋』がこれほどの長寿番組になっていることからも分かる通り、黒柳徹子は稀代の聞き上手である。それは通り一遍の受け答えができるということではなく、他者の言葉に対して真摯に耳を傾ける能力に長けているということを意味する。事実、彼女の人生そのものが、他者の言葉によって大きく影響を受けている。女優の仕事を始めた当初、個性が強すぎると言われ続けた黒柳徹子は番組のオーディションに合格した際、劇作家の飯沢匡に向かって「個性引っ込めますので宜しくお願いします」と告げたのだが、そのとき飯沢は首を横に振り「君のその個性が欲しいんだ」と伝える。この言葉こそが結果として、黒柳徹子のその後の芸能人生に大きな影響を与えることになった。  このエピソードは飯沢匡の慧眼を確かに伝えているが、しかしそれだけではない。黒柳徹子がこの言葉を聞き、それを大切な言葉だと信じて今に至るまでに忘れずにいるからこそ、意味を持つ。言葉とは、聞く者次第だ。同じような言葉を我々がかけられたとして、その言葉に反応できるだろうか。また、その言葉を50年以上も忘れずにいられるだろうか。黒柳徹子はそれができたからこそ、黒柳徹子で居続けられている。黒柳徹子は、飯沢匡の言葉を自らの人生に投影した。その言葉を信じて生きる覚悟をしたからこそ、彼女は個性という武器を手に入れたのだ。 <2>黒柳徹子は、自分なりのやり方を見つけ出す  『徹子の部屋』で、黒柳徹子が自作のメモを読みながら進行を進めるというのはよく知られている話だが、『ワンダフルライフ』ではライブコンサートの打ち合わせ風景が映される。そこで黒柳徹子が用意しているのは、進行台本を自らの手で書き写したスケッチブックだった。台本にメモ書きするのではなく、進行台本自体を書き写している。これにより、進行の内容や流れを頭の中に叩き込んでいるのだ。  また、トレードマークであるタマネギ頭にも、実は意味がある。司会者として番組に出演する黒柳徹子は、自分の後ろからカメラで撮られることがしばしばだ。そのときのリアクションがテレビの向こうの視聴者にも伝わるよう、首の後ろが見えるように、髪型を上げるという今のタマネギ頭のスタイルに落ち着いたのだという。結果としてヘアスタイルは奇抜なものになるわけだが、それが第一義ではない。視聴者に後ろ姿でもリアクションを伝えたいという目的に添うように、ヘアスタイルを決めているのだ。  黒柳徹子にとって「自由」というのは、何をやってもいいというわけではない。まず確固たる信念があり、その信念に添うならば固定観念や常識を変えてしまえというのが黒柳徹子流の「自由」である。彼女にとって「自由」とは、目的ではなく手段である。やり方は人それぞれにせよ、自身にとって最もふさわしいやり方を自らで見つけ出しているという点こそが重要であり、それは我々視聴者にとっても決して他人事ではないだろう。 <3>黒柳徹子は、リスクを背負って信念に殉じる  『徹子の部屋』の放送が開始した当時、黒柳徹子はまだ女優として活動をしていた。だがある日、自身が酔っぱらい役を演じたテレビドラマを見た視聴者から、普段もよく酔っぱらっているのだと勘違いされるという出来事が起こる。一方で『徹子の部屋』は、自身のパーソナリティを生かしたトーク番組である。このとき黒柳徹子は、テレビドラマで演じた役柄を本人と混同されることを危惧し、その時期から一切のテレビドラマへの出演を断ることを決めたのだった。  かつては週に8本のドラマに出演をしていたほどの女優、黒柳徹子は、そのときからテレビにおいては「黒柳徹子本人」としてしか出演しないと決める。実際にその後彼女が出演するテレビドラマは、本人役もしくは、本人に極めて近い役に限られている。黒柳徹子は自らの意志で、女優からタレントへと転身したのだ。金銭的、あるいは将来的なリスクを考えればなかなかできることではない。しかし黒柳徹子は、そのリスクを背負ってでも、自らの信念に殉じたのだった。  我々は「自由」に憧れる。我々は黒柳徹子に憧れる。しかし、それは簡単な道ではない。「自由」を真摯に求めれば、そこには必ず軋轢や葛藤が生じる。だが黒柳徹子が黒柳徹子として生きるためには、その軋轢や葛藤を乗り越える必要があった。そして彼女は、それをやって見せたのだし、今でもなおそれをやって見せている。「自由」に、あるいは黒柳徹子に、憧れるだけなら簡単なことだ。それを人生で実践できるかどうか。黒柳徹子は、それをやって見せている。彼女の足下はとても軽やかだから、傍目で見ていれば気付くことはないかもしれない。それでも黒柳徹子は、黒柳徹子として生きるために、多くのものを乗り越えてきているのだ。  現在81歳となる一人の人間が、今まさにそうやって生きている。その先人の存在が、希望でなくてなんであろうか。幸いにして、我々にはまだ時間がある。81歳になるまでには、まだ何年かあるだろう。憧れを他人事にしたくないのならば、黒柳徹子という存在は、偉大なるメルクマークとして我々の前に確かに存在しているのだ。 【検証結果】  『ワンダフルライフ』と奇しくも同じ時期、9月13日に放送されたTBS系『世界ふしぎ発見!』では、「黒柳徹子不老不死伝説」と題して黒柳徹子の「ふしぎ」さが紹介された。彼女はミステリーハンターとして楽器・テルミンを学びに行った。「空気をかき回しただけで鳴る楽器なんて、ほかにない!」と笑顔で語る黒柳徹子だったが、実はある。その楽器とは、黒柳徹子自身だ。彼女は空気をかき回すことで、視聴者の心と共鳴する一つの楽器だといえるだろう。その音色がどう奏でられるのかは、我々視聴者次第。しかし少なくとも、その音色の鳴らし方は、誰にとっても「自由」そのものである。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

城島茂のカッコ悪さとカッコ良さ 日テレ『24時間テレビ』(8月30日~31日放送)を徹底検証!

tokio-joshimashigeru0903.jpg  そのとき、TOKIOの城島茂はたった一人でゴールテープを切った。ほかの4人のメンバーは、扉の外からジェスチャーで、お前は一人でゴールしろ、と笑いながら伝えていた。戸惑いながらも一人きりでゴールした城島茂に、羽鳥慎一アナが言う。「TOKIOは『ゴールを一緒にしたくない』と言っています。なぜなら、今年は関ジャニ∞の24時間だからです」。城島茂はそれを聞いて、初めて納得のいった表情を浮かべた。彼は最後まで、一滴の涙もこぼすことはなかった。  今年もまた、日本テレビ系『24時間テレビ 愛は地球を救う』が放送された。毎年ながら、この日本最大のチャリティ番組に浴びせられる冷ややかな声は多い。感動の押し売り。愛という名の偽善。実際に、突っ込もうと思えば突っ込みどころは山のようにある。しかしだからと言って、それがなんだ? テレビとはそもそも、多様性を担保するメディアだ。不愉快ならばチャンネルを変えればいい。あるいは、テレビなんて主電源ボタンを押せばそれで消えるものだ。いろんなものがあっていい。そうやって、テレビはこれまで進化を続けてきた。  いろんなものがあっていい。TOKIOもまた、そういったアイドルグループである。ジャニーズという巨大帝国に所属しながら、夏フェスに出演し、その上で大喝采を浴びることのできるグループは彼らしかいない。さまざまな経験と年月を経て、TOKIOはそんな独自色の強いグループへと進化した。その進化に大きな影響を与えたのが、『ザ!鉄腕!DASH!!』(同)だというのは間違いのないところだろう。  今年の『24時間テレビ』の中で城島茂はマラソンランナーとして出演したわけだが、それと同じくらい後世に語り継がれるべき仕事もしている。それが、鳥取県大山町に城島茂が赴いての「ダーツの旅」である。このコーナーにおける城島茂の溶け込みぶりは、尋常ではなかった。声をかけるあらゆる人々から信用され、ごく近しい人として接せられる、その空気感の出し方は明らかにタレントとしてのものではない。よく見る近所のおっさんとして、声をかけられている。そしてまた、城島茂の懐への入り方も絶妙なのだ。 「お母さん、ぼく見たことないですか? 農業やってるアイドルなんですけど」  この一言で、通じてしまうのだ。「農業やってるアイドル」という言葉を耳にすることなどあまりないと思うのだが、それでもその言葉で通じてしまう。おそらくそんな「アイドル」は、日本芸能史上存在しなかったはずだ。だが、TOKIOはそれをアリにした。いろんなものがあっていい。TOKIOはテレビという媒体と、そして常人では信じられないぐらいの努力と根性を結果として使うことによって「農業やってるアイドル」というジャンルを強引に世に示したのである。  実際、鳥取県大山町で出会った町人は、城島茂のしょうもないダジャレを聞いてこう口にする。「ホントにそんなこと言うんですね。テレビだけだと思ってました」と。いや、これもテレビだ。言ったら『24時間テレビ』だ。だが、おそらく彼の目の前にいる城島茂は、本当に普通のおっさんだったのだろう。だから、そんな言葉が発せられる。城島茂は、テレビとそれ以外を分けていない。おそらくTOKIOのメンバー全員にその気持ちがある。これは明らかに、新しい「アイドル」の形だ。  城島茂もTOKIOのほかのメンバーも、テレビとそれ以外を分け隔てしていない。それは間違いなく、『ザ!鉄腕!DASH!!』の経験で得た収穫だろう。当たり前のように、人は努力している。自分のなすべきことを考えて、その仕事に殉じる。TOKIOにとっては、それが当たり前のことになっている。24時間テレビの功績を関ジャニ∞に譲るというのは、彼らにとっては美談でもなんでもなく、当たり前の話なのだ。だからこそ、そこにぐっと来てしまう。当たり前のようにそれがなされるからこそ、我々視聴者はその奥深さを慮り、感銘を受けるのだろう。  人は生きている限り、たいていの時間はカッコ悪い。アイドルであれ、障害を抱えた人々であれ、そうでない人間だって、大体はカッコ悪い時間を過ごしている。人生とはそういったものだ。城島茂がそうであるように。だけど、だからこそ、たまにカッコいい。カッコ悪さとカッコ良さの間で、人は生きる。当たり前の話ではあるが『24時間テレビ』という極めて作為的に作られた番組の中で、その確かな事実を証明した城島茂は、やはり素晴らしいアイドルであった。  『24時間テレビ』で取り上げられる対象は、原則としてすべて感動を求められてそこに配置され、消費される。そこに対して拒否反応を示すのも分かる。だが、彼らが見せる態度も一面に過ぎないのだ、本当は。人はそんなに単純ではない。より複雑なものが、間違いなくそこにはある。『24時間テレビ』を批判するのは簡単だが、知るべきことや考えるべきことは多く残っている。テレビをそのまま享受する時代はすでに終わっているのだ。もっと深いところに、今のテレビの本質はあるのではないか。 【検証結果】  今年、城島茂リーダーが『24時間テレビ』のランナーを務めた陰には『ザ!鉄腕!DASH!!』で農作業をいちから教えてくれた故・三瓶明雄さん(享年84)の存在があったという。4年前に明雄さんを迎えて武道館で歌った曲は、TOKIOの「花唄」であった。「嗚呼 花が咲く 理由もないけど/肩落とす僕の上 凛と微笑む/やたら咲き誇る エラクもないけど/泣きだしそうな僕のために 舞う花吹雪」。花に咲く理由などない。アイドルが走る理由もまたないだろう。だが花は咲き、アイドルは走る。それを見た者が何を思うかも知らぬまま、花は咲き、アイドルは走る。そこには何一つ、理由などはないのだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

鈴木奈々は生きることを肯定する 日テレ『ナカイの窓 ムダに明るい人達SP』(8月13日放送)を徹底検証!

51f13Uy4jTL.jpg
『一所懸命』(竹書房)
 おバカタレントというジャンルがある。言葉としての定義をするなら、突飛な言動や一般常識のなさを披露することで視聴者を笑わせるタレント、といったところだろうか。かつてヘキサゴンファミリーが席巻していたこのジャンルにおいて、2014年現在トップを走っているのが鈴木奈々だ。2011年3月に小森純の妹分として『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)でテレビ初出演を果たすと、そのキャラクターは一躍話題を呼び、現在に至るまで快進撃は続いている。  もちろん鈴木奈々以外にも、おバカタレントと呼ばれるタレントは存在している。だが彼女が特殊なのは、視聴者をなぜか元気にさせてしまうという不思議な魅力だ。こういう娘が親戚にいたら楽しいだろうなあ、と思わせてしまう、あの感じ。ほかのおバカタレントが持ち得ない鈴木奈々のその魅力は、一体何に由来するものなのか?  8月13日に放送された『ナカイの窓 ムダに明るい人達SP』(同)に、その答えの一端が見えた。この日の放送にはゲストとして鈴木奈々のほかに、岡田圭右(ますだおかだ)、かねきよ勝則(新宿カウボーイ)、金田朋子、そしてルー大柴が出演。この蒼々たる「ムダに明るい人達」の中で鈴木奈々が見せた3つの魅力を、ここで紹介したい。彼女は一体なぜ、視聴者を元気にすることができるのだろうか? <その1 鈴木奈々は一所懸命である>  ムダに明るいことで得をしたことはあるかと質問された鈴木奈々は、大物の人に何を言っても許される、と語る。その際に披露したエピソードが、「自民党の石破幹事長に『旦那の夜が雑』という相談をしても怒られなかった」というものだった。余談ながら石破幹事長の答えは「お互いの努力が必要」というものだったらしいのだが、それはさておき。  このエピソード自体が実に鈴木奈々らしくて微笑ましいわけだが、注目すべきはそのエピソードへの入り方だ。彼女は石破幹事長という名前を出す際、「石破幹事長……知ってますか?」と前置きしてから話を始めたのである。確かに「そりゃ知ってるよ」ということではあるのだが、それは石破幹事長を知っている我々だからできるツッコミである。鈴木奈々はそのツッコミを恐れるよりも前に、石破幹事長を知らない人がいるかもしれない、という前提で話す。ここに鈴木奈々の、自分の話をちゃんと聞いてほしい、理解してほしいという、一所懸命さがある。  実際、視聴者の中には石破幹事長を知らない人物も、その数は少ないかもしれないがおそらくいるだろう。鈴木奈々はそういった視聴者にも自分の話を届けるべく、一所懸命に言葉を選んでいる。その一所懸命さは彼女の言動すべてに通じる根本的な部分であり、それを感じ取ることによって、視聴者は彼女から元気を与えられるのだ。 <その2 鈴木奈々は常に鈴木奈々である>  <その1>とは逆に、ムダに明るいことで損をしたエピソードである。自身のキャラクターのせいでよく絡まれるという鈴木奈々は、しばしば「変なことやって」と無茶ぶりをされると語る。確かに、そういったことも多いだろう。気の毒な話である。それを聞いた中居正広は「そういうときどうするの?」と尋ねる。そして、鈴木奈々は答える。「そういう時は、ダンスとかします」と。答えちゃうのだ、無茶ぶりに、鈴木奈々は。「変なこと」をやってしまうのである。  この話は、間違いなく捏造ではないだろう。「ダンスとかします」という答えは急には出てこない。実際にダンスをしているのだ、鈴木奈々は。変なダンスをする鈴木奈々の姿も完全に目に浮かぶ。そしてそれは、テレビカメラが回っていようが回っていまいが、誰が見ていようが見ていまいが、鈴木奈々は常に鈴木奈々として生きているということを証明している。  この事実は、視聴者に元気と勇気を与える。おバカというのが職業上のツールではなく、鈴木奈々そのものだということ。それはすなわち、おバカでも生きていけるということにほかならない。昨今、正しいことだけが求められ、少しでも間違うとすぐさまやり玉に挙げられる時代である。そんな時代だからこそ、おバカという生き方がアリだと示す鈴木奈々の存在は貴重であり、たくましささえ感じてしまうのだ。 <その3 鈴木奈々はずっと笑っている>  鈴木奈々の鈴木奈々たるゆえんは、まさにこの、ずっと笑っている、という部分にある。岡田圭右、かねきよ勝則、金田朋子、ルー大柴が「ムダに明るい人達」としてテンションも高く話し合うわけだが、その際に鈴木奈々は、ずっと笑っているのだ。自分がトークに割り込む場面は、実はほとんどない。だが、誰よりも笑っている。楽しくて楽しくて仕方がない、というように。    ごくごく当たり前の話だが、誰かの笑顔を見れば、人はそれだけで元気になる。鈴木奈々があえてそれを意識しているかは分からないが、彼女はきっと、誰かの笑顔を見て元気になったことが何度もあるのだろう。だから、笑うのだ。笑うことで人を笑顔にして、その笑顔を見て彼女もまた笑う。人が生きる意味なんてものは、突き詰めればそれぐらいしかない。鈴木奈々は笑うことで人生を肯定する。自分自身を含めたあらゆる人の人生を肯定する。それはきっと、おバカにしか作れない、とても素敵な世界だ。  番組の冒頭から「ムダに明るい人達」のムダな明るさにやられて疲れた表情を見せていた中居正広は、しかしあまりのムダな明るさを浴びることで「……なんか楽しくなってきた」と口にする。そのとき、鈴木奈々は番組の中で一番の笑顔を見せた。「うれしー!」と喜ぶ彼女の姿を見て、思わずうれしくなってしまった視聴者は、決して少なくはなかっただろう。 【検証結果】  2013年1月に出版された書籍「一所懸命」(竹書房)で、鈴木奈々は自ら真摯でまっすぐなメッセージを語った。この本の帯にはこう書かれている。「元気のない人に、私のありあまった元気が少しでも届いたのなら、それだけでちょー嬉しいです」。鈴木奈々は人を元気にする。鈴木奈々にしかできないやり方が、そこにはあるのだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

ヒロミから読み解く「ブレーク=破壊」的バラエティ論 ここ最近の出演番組を徹底検証!

hiromi0703.jpg
ビィーカンパニーによる公式プロフィール
 ほぼ10年間芸能活動を休養していたタレントが、これほどあっという間にど真ん中に返り咲くから、テレビというメディアは面白い。まるでオセロの白い盤面をたった一手で真っ黒に塗りつぶすように、ヒロミは今、テレビを自らの色に染めつつある。これほどまでに見事なブレーク劇が過去に果たしてあっただろうか? 10年間のブランクがまるでウソか夢であったかのように、ヒロミはまさしく現在進行形で、ブレークという名の革命を起こしている。  それではなぜ、ヒロミはこれほどまでのブレークを果たしているのか? あるいはなぜ、ブレークするのはヒロミでなくてはならなかったのか? それが最も顕著に表れたのが、『ロンドンハーツ』(テレビ朝日系)(6月17日放送)への出演だった。この日の企画は「密室検証!もしもこんな2人を飲ませたら?」。ヒロミはロンドンブーツ1号2号・田村淳とサシ飲みを交わし、過去の自身の見え方と、ならびに現代のバラエティの状況を的確に批評する。  「正しくしなくちゃいけない時代」とヒロミが評するバラエティの現状。それに対して不満をこぼすように、淳はヒロミに向かって「テレビ壊してくれねぇかな」とつぶやく。これはおそらく淳ならずとも同世代やその下のタレントにも、あるいはまたテレビ制作者にも共通する本音でもあるだろう。バラエティの本質とは破壊である。予定調和や常識を徹底的に破壊するのが、バラエティの醍醐味だといえる。少なくとも淳たちに近い世代はそのようなバラエティに憧れてこの世界に入ってきているわけで、その破壊者としての象徴の一人がヒロミであることは間違いない。  ヒロミがバラエティの中心で活躍していた10年前と比べて、今のテレビがどうこうと言うつもりはない。それを口にしてしまうことは、すなわちバラエティの敗北を認めることになるだろう。だがある種のバラエティ制作者には、先人に対する敬意があり、現状に対する意地がある。それは過去への郷愁ではなく、未来への決意だ。だからこそヒロミという破壊者としての象徴が要求され、そして結果としてヒロミはブレークする。  「ブレーク」とは、すなわち「破壊」である。ヒロミがブレークするという現状はそのまま、バラエティはもっと破壊を目指すことができるはずだという、バラエティ制作者たちの決意表明だと言えるだろう。それは決して偶然やただのタイミングではなく、時代の要請であり、つまりは必然なのだ。  このように必然としてブレークを果たすヒロミは、破壊者として、異端者として、ヒロミしかできないやり方で華麗にバラエティをかき回している。『内村とザワつく夜』(TBS系)(6月24日放送)では内村光良と25年ぶりの共演を果たすことで、歴史という壁を破壊し、明日への期待を視聴者に抱かせる。『人志松本のすべらない話 10周年スペシャル』(6月28日放送)にプレイヤーとして出演した際は「俺はハズしたらまた休むから!」と言い放ち、番組から求められる役割そのものを破壊しにかかる。  そしてこれは明らかに、まだ序章に過ぎない。休養していた10年間で出来上がったテレビのルール、現在のバラエティのお約束、それらすべてのコードをヒロミは破壊するのではないか。そう思わせてくれるには充分なほど、ヒロミの肩は仕上がっている。  前述した『ロンドンハーツ』で淳から「テレビ壊してくれねぇかな」と言われた、まさにその番組の中で、ひな壇に座ったヒロミは言う。「俺(『ロンハー』に)出たくねえ!」と。下の世代である芸人たちがチームプレイで笑いを取りに行く姿を見ながら「本当に申し訳ないんだけど、全然やり方わかんねえ」と口にするその姿は、確かに破壊者としてのそれであった。 【検証結果】  と言いつつ、『ロンドンハーツ』の中で結局ヒロミは、下の世代に混じって笑いを取ることになる。「馴れ合いどうすか?」と尋ねられて「すげえ楽しい」と答える笑顔は、決してまんざらでもなく、かつて若手から恐れられていたヒロミの姿はそこにはなかった。だがこれは果たして、破壊者としてのヒロミの敗北だろうか? 10年という時間を経たヒロミが、自らのイメージすら破壊してしまおうという意志と力を得ているとしたら? どちらが正解なのかはいずれ分かるだろう。バラエティというこの広大な地に、ヒロミが暴れ回る場所はまだまだ残されている。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

坂上忍は「毒舌キャラ」じゃない!? 『くりぃむしちゅーの超!怒られた発表会』(6月15日放送)を徹底検証!

130423_01_S06616.jpg
撮影=梅木麗子
 西暦2014年もそろそろ上半期の終わりが見えてきたわけだが、今年のテレビの顔といえば誰か。おそらくその筆頭に名前が挙がるのが、坂上忍だろう。フジテレビの社運を賭けたと言っても過言ではないお昼の帯番組『バイキング』の月曜日MCを任され、4月からはレギュラー冠番組『坂上忍の成長マン!!』(テレビ朝日系)もスタート。バラエティ番組へのゲスト出演も数多く、文字通り、テレビで見ない日はないタレントの一人と言って間違いない。  それではなぜ、坂上忍はこれほどまでにブレークしたのか。あるいは、視聴者から求められる存在になったのか。『バイキング』も『坂上忍の成長マン!』も、それぞれ坂上忍の個性を引き立たせている番組ではあるが、今回検証するのは、6月15日に放送された『シルシルミシルさんデー特別版 くりぃむしちゅーの超!怒られた発表会』(同)だ。この番組に、坂上忍のタレントとしての特殊性は如実に表れている。  まずこの『超!怒られた発表会』とは、何かで怒られた人が怒られたエピソードを話すというのが主軸の番組なのだが、坂上忍は怒った側の人間としてキャスティングされている。サイドスーパーでは「坂上忍の悪行をガチ告発 被害者たちが大クレーム」とあるので、番組サイドでは坂上忍を怒りキャラとして認識している、さらに言えば、多くの視聴者が坂上忍を怒りキャラとして認識していることを理解しているのも分かる。つまり、坂上忍は、「怒る人」としてそこに配置されている。制作者も出演者も視聴者も、その共通認識の上でこの番組を体感するのだ。 では実際に『超!怒られた発表会』において、何が行われたのか。坂上忍から怒られた「被害者」として出演するのは、野々村真、富田マネジャー、井上裕介(NON STYLE)の3名。それぞれが坂上忍から怒られた体験を語るのというのが趣旨である。坂上忍が「怒る人」としてそこにいる以上、普段の坂上忍もこんな理不尽な理由で怒っている、という暴露トークに展開するというのが通常のセオリーだが、実際はそうはならない。彼ら「被害者」の言い分と、それに対する坂上忍の反論は以下の通りだ。  野々村真は、芝居の舞台でセリフが飛んでしまった際、本番中にもかかわらず坂上忍から「台本読みながらやれ!」と怒られた話を披露する。だが坂上忍の証言によれば、それは困った野々村をアドリブで救うための方策であり、実際にお客も沸いたという。富田マネジャーも、実際に怒られている理由を一つずつ確認していくと、坂上忍にむしろ理がある。井上裕介に至っては、そもそもの存在自体がちょっとあれなので、坂上忍にかなう相手ではない。以上のように「被害者」である3名は、実に納得のいく「正論」によって、坂上忍から喝破されてしまう。あくまでも、坂上忍の言っていることのほうが、客観的に見て正しいというのがキモだ。  坂上忍を評する際に「毒舌キャラ」という表現が多々使用される。確かに2013年ごろバラエティ番組へ進出しだした一時期はそういった時代もあったのだが、『超!怒られた発表会』を見る限り、坂上忍はもはや「毒舌キャラ」からは完全に脱している。強いて言うならば「正論キャラ」である。その風貌と無頼なイメージで視聴者をあざむきながら、坂上忍は常に正しいこと、すなわち「正論」を口にする。この点で坂上忍は数多くの「毒舌キャラ」と一線を画しているのだ。  では、「毒舌キャラ」と「正論キャラ」の違いとは何か。「毒舌キャラ」を評するときに多くの視聴者は「自分が普段思っていたけど言えないことを言ってくれる」といった感想を述べがちだが、実はそうではない。結果的にそうなってはいるが、「毒舌キャラ」とは基本的に、視聴者が思いつかないが無意識下で願っている言葉を現実に投下するのがその役回りだ。そして結果的に、視聴者に「自分が普段思っていた」と勘違いさせる。そんなトリックが「毒舌キャラ」にはある。対して「正論キャラ」は、もっとストレートだ。「正論キャラ」は、より真っすぐに、視聴者が普段思っているが言えないことを口にする。少なくとも、2014年6月現在の坂上忍は、そういった存在である。 『超!怒られた発表会』で、坂上忍は受ける側のポジションである。「被害者」の言い分を聞き、その上で、理詰めで彼らを「正論」によって説得する。あくまでもフラットな立ち位置を崩さない。だがこの番組の中で、坂上忍は一度だけ、本気のテンションで怒る姿を見せる。その相手は富田マネジャーである。富田マネジャーが坂上忍に対する言わば愚痴を言う際、緊張して顔がにやけたふうに見えるのだが、そこで初めて坂上忍は立ち上がってこう怒るのだ。 「大事な問題のときに、なんでお前そうやってヘラヘラ言えるんだよ!」  これは明らかに「毒舌キャラ」の言葉ではない。むしろ、坂上忍本人の心からの叱責だと言って間違いないだろう。これを聞いて、溜飲を下げる中年以上の社会人は少なくないはずだ。思っているが、言えない。昨今の社会事情や立場を考えてしまい、たとえば会社の部下に対して言えないことを坂上忍が言ってくれている。だからこそ、坂上忍はいまこの時代に必要とされているのだ。「正論」を直接言えない時代だからこそ、坂上忍という「正論キャラ」が求められているのだと言ってもよい。  そう。坂上忍の発言は、芸能界というムラの中での「キャラ」から発せられるものではなく、むしろ大きな社会から「正論」を怒鳴る。これは我々視聴者に対して、坂上忍が子役を叱って育てるという生業をほかに持っているというイメージも大きく加担しているだろう。坂上忍は芸能界にいながらも、芸能界の住民ではないというイメージ。この人は芸能界だけではなく、通常の社会とちゃんと接しているのだというイメージだ。だからこそ、その言葉には説得力があり、明日からもまた、坂上忍は「正論」を口にし続けるだろう。「正論」が直接口に出しにくくなった現代の日本社会が生んだ徒花。それが坂上忍なのである。 【検証結果】  坂上忍はタレントとして、かなり異質な存在である。「かつての天才子役」「苦渋をなめた経験がある」「ギャンブル好きの無頼漢」そして「現在は子役に対しての教育者」と、数々の歴史と顔を持つ。それらすべての要素が「正論」を述べるためにプラスに働いていて、それが時代から要請される形で、今の坂上忍の状況がある。少なくとも今後数年は、この日本社会のギスギスした感じはなくならないであろうことを考えると、本人が望む限り、この坂上忍という現象はかなり長く続くことが予想される。みのもんたの後を継ぐ形で、朝のニュース番組のメインキャスターに坂上忍が立つ未来は、案外早く到来するのではないか。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

石塚英彦が笑顔で隠す驚異の食レポ術 『メレンゲの気持ち』(5月17日&24日&31日放送)の「通りの達人」徹底検証!

5131V23-EML.jpg
「笑っているよ」(tearbridge)
毎回、1人の「バラエティタレント」にスポットを当て、地味ながらも優れた彼らの仕事ぶりを考察する連載。  食レポ。いわゆるグルメレポートである。「飯を食べて感想だけ言ってりゃいいんだから、楽なもんだ」と思われる節もあるかもしれないが、もちろんそんなわけはなく、食レポという仕事の難易度は極めて高い。ロケとしての自由度が高く、また原則としてカメラの台数も少なく編集でのごまかしも利かないため、タレントとしての素の実力が最も試される場所だといえるだろう。さらにその上で、自分の個性や長所を出さないと次に呼ばれるという保証もない。食レポタレントとは、そういったシビアな場所で日々戦っている人種なのである。  2014年現在の“食レポ三羽がらす”といえば、ってそんな言葉はないのだが、作ってしまえば、おそらく彦摩呂、阿藤快、そして本日取り上げる石塚英彦になるのではないか(関西にはタージンという怪物もいるが、あまりにも特殊なスタイルなので、ここでは取り上げない)。中でも石塚英彦は『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系)内のコーナー「通りの達人」を2000年1月からスタートさせており、食レポの第一人者といっていいだろう。パイオニアであり、かつ現役のチャンピオンでもある、偉大なる食レポーターだ。  それではなぜ、石塚英彦は10年以上にわたって食レポの王者で居続けることができるのだろうか? 今回は『メレンゲの気持ち』を3週間にわたって調査し、1つの確証を得た。石塚英彦の食レポは、極めて周到に考えて造り上げられた作品である。  石塚英彦の食レポ、そのリアクションや発言は、大きく分けて以下の3つに分類される。「(1)キャラクター」「(2)ナンセンス」「(3)詩的表現」以上の3つだ。これがいわば、石塚英彦がその笑顔に隠した、3つの罠である。それでは1つずつ確認していこう。 (1)キャラクター  石塚英彦といえば見て分かる通りデブキャラであり、たいていの日本国民にとっては周知の事実だろう。だが「通りの達人」において、石塚英彦はしつこいほどにそのデブというキャラクターを前面に押し出している。実際の発言を見てみると、 ・「デブ暦的に夏はもう始まってるね」(5月17日放送) ・「日向をデブが歩くと目がくらむ」(5月24日放送) ・「(エスカレーターで2階に上がり)まったくヒザから嫌な音がしないで2階に上がってきました」(5月31日放送) などなど、10分少々のコーナーで最低でも2回から3回は自分のデブを笑いにしている。これはもちろん笑いが取りやすいという背景もあるのだろうが、それ以上に視聴者に対する目線づけの意味合いが大きい。つまり石塚英彦は「これは、食いしん坊なデブがおいしいものをおいしく食べるロケである」ということを視聴者に伝えているのだ。そして実際、視聴者はそのようにしてVTRを見ることになる。  この結果、2つの副産物が生まれる。まず1つは、そのデブキャラに応じた笑いを作れるということであり、「まいう~」という決めゼリフはまさにその象徴だといえる。そしてもう1つ、実はここが重要なのだが、取り上げる情報に対してのハードルが一気に下がる。食いしん坊なデブである石塚英彦が何かをおいしそうに食べれば、そこでロケが成立するからだ。最新スポット情報や珍しい料理である必要はなく、どんな場所でも撮れ高が期待できる。これは制作サイドにとってもかなりのメリットでもあり、石塚英彦が長年食レポの第一人者で居続けられるのは「食レポのキャラクター化」に成功したからだと言ってしまってもいいだろう。 (2)ナンセンス  石塚英彦といえばダジャレというイメージは強いが、確かにナンセンスで下らないジョークもロケ中に多用している。実際にこの3週間でも、 ・「(冒頭で)みなさんこんにちは、ミランダ・カーです」(5月17日放送) ・「これはやられた。やらレターフロムカナダだよ」(5月24日放送) ・「(「新ゴボウ」に引っ掛けて)こんばんは。森新ゴボウです(森進一の口調で)」(5月31日放送) など、実に頻繁にこういった発言を繰り返しているのだが、あらためて注意して見てみると、予想以上に適当であった。「新ゴボウ」から「森新ゴボウ」というのは、さすがにだいぶ無理があるんじゃないか。大丈夫なのか、石塚英彦。果たして、大丈夫なのだ。実は、これらの発言はあくまでもフリにすぎない。これらの発言によって石塚英彦は言葉を無効化する。なんのために? 次に述べる「詩的表現」を、視聴者に対して自然に聞かせるためにだ。 (3)詩的表現  実は、石塚英彦の食レポの真骨頂は、まさにこの「詩的表現」である。一般的に食レポとは、食べたあとの感想やリアクションが重要だと考えられている。なぜならば視聴者が最も知りたいのは、その味だからだ。料理の見た目は視覚で認識できるが、テレビは味覚を伝えることができない。だからこそ、食レポーターは存在している。というのが定説だが、石塚英彦の食レポは、その概念を根底から覆す。石塚英彦の食レポの特殊性は、食べる前の料理に対する言葉での表現にこそあり、それはほとんど「詩」と言っていいほどに、見事に確立されている。5月17日の放送から抜粋しよう。 ・「(スープに浸かったハンバーグを見て)うまそうなカルデラ湖が出てきましたよ」 ・「(ガパオガイランチプレートの上に乗った半熟卵をつぶして)世界で一番ずるいイエローですね」 ・「(生春巻きに包まれた海老に対して)見てください。シースルーのドレスの中に海老ですよ」  どこかの歌の歌詞で出てきてもおかしくないくらいに、見事としか言いようがない表現である。食べ物に対してこれほどまでに詩的な表現ができるタレントは、おそらく2014年現在、石塚英彦をおいてほかにはいないだろう。そして繰り返すが、特筆すべきはこれらの表現が、食べる前、料理を見た段階でなされているという事実だ。石塚英彦は、食レポの概念を変えた。その笑顔に騙されてはいけない。にこやかに笑みを浮かべながら、石塚英彦は、食レポという戦場で当たり前のように革命を起こし続けているのだ。 【検証結果】  食べるという行為は、人間活動において根源を成すものである。誰もが経験している行為であり、だからこそ食レポが職業として成立するためには、不断の努力が必要となる。石塚英彦はおそらくプライベートにおいても食事の際には、この食べ物に対してどんな表現ができるかを考えているだろう。そうでなければ、これほどまでに見事な詩的表現を当たり前のようにすることなどできはしない。食べることを職業として選んだタレントは、常に仕事から離れることができないのだ。その覚悟と、プロフェッショナルとしての矜持が下敷きにあるからこそ、「まいう~」という言葉は私たちの胸に響くのだろう。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

ベッキーはなぜテレビから必要とされ続けるのか 『モニタリング』(5月15日放送分)のワイプ術を徹底検証!

41HCpriAOlL.jpg
『風とメロディー』(EMIミュージックジャパン)
毎回、1人の「バラエティタレント」にスポットを当て、地味ながらも優れた彼らの仕事ぶりを考察する連載。  ベッキーの職業は「タレント」である。そう言い切ってしまっても異論はないだろう。確かに映画やドラマに出演することもあるし、別名義で音楽活動も行っているが、しかし「女優」や「歌手」という肩書はしっくりこない。やはり「タレント」なのだ、ベッキーは。「タレント」という言葉の定義は難しいが、ここでは仮に、どのポジションでもこなすことができ、かつ一定以上のプラスの効果を番組に与える存在、としよう。テレビにおける、ユーティリティプレイヤー。それが「タレント」である。  「タレント」は、特殊なキャラクターや、目に見えて分かりやすい芸を持っているわけではない。むしろ、そういった余計な要素は「タレント」には邪魔であり、空気のようにテレビ番組のバランスを取りながら支える存在、それが「タレント」なのだ。そうである以上、常に代替可能な存在であることを余儀なくされるわけだが、そこには明らかな能力の差、優劣が存在する。ベッキーが、テレビにとって当たり前の存在となって長い。つまり、彼女は「タレント」という戦場で勝ち残り続けているのだ。では、なぜそれができているのか? ベッキーはなぜ、テレビから必要とされ続けているのだろうか?  その秘密は、5月15日に放送された『ニンゲン観察バラエティ モニタリング 関東VS関西徹底比較2時間スペシャル』(TBS系)に隠されていた。  と、『モニタリング』の話をする前に、ベッキーの現在のレギュラー番組を確認してみよう。週1のレギュラー出演番組は現在6本。『ありえへん∞世界』(テレビ東京系)、『ニンゲン観察バラエティ モニタリング』『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系)、『にじいろジーン』(関西テレビ)、『天才!志村どうぶつ園』『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)。5月14日から20日までの1週間で放送された、このすべての番組を自分は視聴してみたのだが、そこで驚くべきことに気付いてしまった。これらすべての番組において、ベッキーはスタジオでVTRを受ける、いわゆるワイプ出演が主な役回りだったのだ(※注『世界の果てまでイッテQ!』は今回、イモトアヤコのエベレスト登頂断念特番だったため除外するが、基本的なレギュラーではスタジオでVTRを受けるのがベッキーの役回りである)。  確かに現在のテレビ界において、スタジオでVTRを受けるという形式の番組は少なくはない。だが、6本ものレギュラー番組を持ちながら、クイズ番組で回答するわけでもなく、トーク番組でしゃべるわけでもなく、ロケに出るわけでもない。そんな「タレント」は、やはり稀有なのではないか。そしてその事実はつまり、スタジオでVTRを受けるならベッキーだ、という番組制作者からの信頼があるということにほかならない。ではなぜ、ベッキーなのか? ベッキーは果たして特別なのだろうか? 結論から言うと、ベッキーは果たして、特別なのであった。『モニタリング』におけるベッキーの対応力は、明らかにほかの「タレント」とは一線を画していた。  『モニタリング』とは、簡単に説明すると、街行く一般の方々やタレントにドッキリを仕掛けてその素の反応を楽しむという番組だ。その構成上、VTRを見たスタジオの出演者がどうリアクションするか、あるいはツッコミを入れるかが大きなキモとなる。ブラックマヨネーズやハリセンボンなど、瞬発力に長けた出演者もそこに配置されている。しかし、そういった才能ある芸人さんにまったく引けを取らないどころか、むしろ圧倒してしまうほどに、ベッキーのワイプ術の能力は高い。  もちろん、ベッキーの基礎能力の高さは誰もが認めるところだろう。ほかの出演者の邪魔にならない程度に、オーソドックスなツッコミをVTRに対して的確に入れるタイミングの妙。あるいは、時に大きな声を上げてリアクションすることで、CM前のアオリとなる映像を提供しておくソツのなさ。そのレベルは極めて高い。しかし、ベッキーのすごさはそんなものではなく、彼女のワイプ術は異次元のレベルに達していたのだった。それは番組内の「ガソリンスタンドにて100円でセクシー店員が窓ふきしてくれたら……」というVTRを受けたワイプで明らかとなった。  このVTRは、言うなれば「スケベな男の様子を笑う」というのが主軸である。VTRの内容を聞いたベッキーの最初のリアクションは「イヤだー!」という恥ずかしそうな叫び。そう。ベッキーは清純派なので、その声は欲しい。お茶の間の罪悪感を、その声が打ち消してくれるからだ。同じく出演者である俳優、笹野高史が興奮したため「落ち着いてお父さん!」と注意する。これも同系列のリアクションである。ベッキーはつまりここで「エッチなものを見たがる男を(あくまで軽く)軽蔑する」という立場に立ってリアクションをしているのだ。お茶の間的には、「年頃の娘」としての反応である。  ここまででも充分な仕事ぶりである。しかし、ベッキーが本当にすごいのは、ここからだった。そのVTRが進むにつれて、リアクション主体である自分の立ち位置を変幻自在に変えていくのである。具体的に言うと、実際にガソリンスタンドでセクシーな女性が姿を現したとき、ベッキーはこう言う。「いいね~」と。ちょっと下卑た感じで。つまりここでベッキーは、男目線からのリアクションに立場を変えているのだ。お茶の間的には「お父さん」になっている。さらに、目のやり場に困る男性客を見て、冷やかすように「照れ屋~」とツッコむ。お茶の間的には「ちょっと年上のお姉さん」だ。ベッキーはこのようにして、発言者としての立場を変えながら反応していく。このワイプ術は、ただ程度としてのレベルが高いということではなく、そもそもの発想の転換であり、ある意味でワイプにおける革命だとも言えるだろう。これができる「タレント」は、おそらく今の日本において彼女しかいないはずだ。  なぜベッキーは、それほど特殊なワイプ術をこなすことができるのか? ここからは推測だし、彼女本人が意識しているかどうかは分からないが、おそらくベッキーはスタジオからリアクションしているのではなく、完全に、お茶の間からリアクションしているのだ。VTRをプロとしてスタジオから見ているのではなく、VTRそのものをテレビとして見ながら、お茶の間の視聴者としてリアクションをしている。それは、彼女が幼少期からずっとタレントになりたかったという事実に由来しているのかもしれない。それも推測に過ぎない。だが、事実としてベッキーが発する言葉は、お茶の間の視聴者が発する言葉とほぼ一緒なのだ。  ベッキーを考えるということは、テレビを考えるということだ。実はテレビは、大勢で見たほうが楽しい。一人で真面目に見るよりも、両親や兄弟や友人と、なんやかんやと言いながら見る楽しみ方がある。ベッキーは、お茶の間からのリアクションをすることによって、その楽しみ方を蘇らせてくれる、現在では唯一無二の存在なのだ。そう、だからこそベッキーは、いつまでもテレビから必要とされ続けるのである。 【検証結果】  テレビの視聴環境は、この10年で大きく変わった。HDDの発展や、テレビの小型化により、テレビはお茶の間で見るものではすでになくなっている。それでもなお、テレビを誰かと一緒に見て楽しみたいという欲求は我々の中にまだ残っていて、その欲求をベッキーは現実のものにしてくれている。彼女がずっとテレビから必要とされ続けているという事実は、ある意味では過去への郷愁だと言えるかもしれない。だがそこに、テレビの一つの可能性のともしびを消すまいという大きな意志と矜持を感じてしまうというのは、さすがに言い過ぎだろうか。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa