羽鳥慎一はジャンルを越えて自由に羽ばたく NHK『LIFE!』生放送スペシャル(9月3日放送)を徹底検証!

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『ヒーロー/明日へ』(ドリーミュージック)
 1994年4月、日本テレビへ入社。『ズームイン!!SUPER』など局の顔ともいえる番組の司会を務め、2011年4月からはフリーに転身。その直後に、テレビ朝日系『モーニングバード』の司会に就任するという前代未聞の離れ業を成し遂げた。あれから4年半。いまやテレビ局や番組の種類を問わず、まさに「バード」という愛称にふさわしいほどに自由に羽ばたくアナウンサーが、羽鳥慎一である。  現在も『モーニングバード』の司会者として月曜から金曜まで朝の顔を務め、硬軟織り交ぜた話題を紹介。日本テレビ系『人生が変わる1分間の深イイ話』『ぐるぐるナインティナイン』では、他のタレントのよさを引き出す名バイプレイヤーだ。そして『24時間テレビ』では、総合司会として視聴者の感動を誘う、なくてはならない存在である。    番組に応じてその色を変えられるのが、羽鳥慎一の魅力のひとつであることは間違いない。ではなぜ、羽鳥慎一にそれができるのか? その答えは、9月3日に放送されたNHK総合『LIFE!宇宙人総理 みんなで投票 生放送スペシャル』において明らかになっていた。  普段はオムニバス・コント番組である『LIFE!』だが、この日は生放送。コントのキャラクターである宇宙人総理こと小暮井総理(内村光良)らが政見放送や党首討論を行い、視聴者がデータ放送で参加することによって総選挙の投開票を行うという主旨だ。そしてこの総選挙特番の司会を務めたのが、羽鳥慎一である。  もちろん、台本はある。選挙特番に進行台本が存在するように、『LIFE!』の総選挙特番にも台本は存在している。視聴者が参加して結果を決めるという性質上、どのような結末になっても進行できるよう、台本は用意されていて当然だ。  しかし、生放送では何が起こるかわからないというのも事実である。大方の予想を覆る展開というのは往々にしてあり得るし、実際にこの日の『LIFE!』でもそれは起きた。香取美海人(星野源)と蜷川かずお(ムロツヨシ)、ならびにイカ大王(塚地武雅)の三つ巴による選挙戦の結果、明らかに当て馬であるはずのイカ大王が多くの票を集めて当選してしまったのだ。  もちろん、こういった展開も番組スタッフとしては予想の範疇だろう。だが視聴者としては、あるいは出演者もそうかもしれないが、イカ大王が当選するというのは番狂わせだといってもいい。ゆえにその展開は、予想し得る範疇のものであっても、生放送ならではのハプニングだといえる。そして羽鳥慎一は、その機を逃さない。戸惑うイカ大王の姿を見つけると、こんな言葉を口にする。 「イカ大王さんが一番驚いています」  そして、こう続けるのだった。 「(落選した)蜷川さん、香取さん、今日NHKに午後2時入りでしたが、出番は以上です」  このセリフが台本にあったかどうかは判断が難しいところだが、生放送のハプニング感は明らかにこのセリフで公のものとなっている。少なくとも多くの視聴者は、これは羽鳥慎一のアドリブでだと思ったのではないか。なぜならこのセリフは、番組を俯瞰した者にしか言えない、メタ視点からの言葉だからだ。そして、こういったメタ視点の言葉が下品に見えない落ち着いたトーンと、そもそも番組や出演者を俯瞰して見つめる羽鳥慎一の普段の作法が、このせいふを自然なものとしている。  その後も、アシスタントを務める女性が「当選しました」と言うべきところで「投票しました」と口にしてしまったとき、羽鳥慎一はこう受ける。 「若干、みんな緊張しています」  羽鳥慎一は、どの番組においても常に当事者ではない。一歩引いた存在として、いま収録場所で何が起こっているのかを解説するという立ち位置だ。それは、おそらく『ぐるぐるナインティナイン』で習得した技術なのではないかと思うのだが、羽鳥慎一は自分が面白くなるのではなく、今その場で起こっていることの何が面白いのかを冷静に視聴者に伝えるのだ。  だからこそ羽鳥慎一は、どの番組においても決してぶれることがない。空を羽ばたく鳥が地上の獲物を目で追うように、羽鳥慎一は俯瞰で番組を見つめている。そしてまた鳥のように自由に、局やジャンルの垣根の上を飛んでいくのだ。 【検証結果】  この秋の改編で『モーニングバード』は『羽鳥慎一モーニングショー』に名前を変えてリニューアルする。赤江珠緒が卒業し、単独MCとなる羽鳥慎一。だが、不安要素はほとんどないといっていいだろう。石原良純や長嶋一茂らの無自覚な天然ぶりを俯瞰で見て冷静な言葉を放つことができるのは、羽鳥慎一をおいてほかにいないのだから。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

ムロツヨシという「余計なこと」をする男 日本テレビ『しゃべくり007』(8月10日放送)を徹底検証!

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ムロツヨシ公式サイトより
 2015年現在、テレビバラエティの登場人物として主軸を務めているのは、いわゆる「芸人」と呼ばれる職種の人々だ。「ひな壇」や「チームプレイ」といった笑いの取り方はすでに出演者にとっても、視聴者にとっても基本的な作法となっているため、そこに合わせることができないタレントが必要とされることはまれである。ただ、そんな中でも、何か予想外のノイズを起こす人物がどこかで求められている。予定調和なものが当たり前になっているからこそ、その反動として、そうでないものが貴重となる。  そんな中でいま注目を浴びているのが、俳優・ムロツヨシだ。『勇者ヨシヒコ』シリーズ(テレビ東京系)をはじめとしてクセのある存在感でドラマファンにはおなじみだが、この夏、本格的にバラエティから求められ始めている。『カクガリ君!』(TBS系)では民放初のMCに抜擢。さらに『しゃべくり007』(日本テレビ系)では、そのキャラクターを存分に発揮し大きなインパクトを与えた。  なぜいま、ムロツヨシが必要とされているのか。それはムロツヨシが、余計なことしかしないからだ。予定調和でこうなるであろうという流れを壊し、あるいは引っかき回し、いじられ、突っ込まれる。ムロツヨシが余計なことをすることによって、チームプレイであったはずの番組が、さらに一段深いものとなる。  それはムロツヨシに、「俳優」という確かなバックボーンがあるからだ。だから、余計なことが許される。似たような環境のタレントとしては、大泉洋やユースケ・サンタマリアもそれにあたるが、彼らはみなバラエティ番組以外での肩書を持っている。だからこそ、バラエティ番組において「芸人」にはできないような余計なことができるわけで、つまりは異物に近い存在だともいえるだろう。  そして実際、ムロツヨシは余計なことばかりしている。『しゃべくり007』では、これまでどんな活動をしてきたかを一人でしゃべり続けるのだが、一向に本題に近づかない。「(仕事が)増えた話、教えてくれよ!」と突っ込まれても「昨日のうちから言いたかった!」と主張して、本人が用意してきた「鍋キャスティング」の話をしようと粘る。それが明らかに、余計なことだったとしても。  『カクガリ君!』でのVTRフリもそうだ。アシスタントの女子アナウンサーからVTRのフリを求められたときの一言目が「それでは、これよりVフリをやりたいと思います」という宣言。それは別に、なくてもいいんじゃないか。すっと行けるだろう、すっと。だがムロツヨシは、あくまでも、余計なことにこだわっている。  もちろん、こういった余計なことをしてくれるからこそムロツヨシが必要とされているわけだが、そのさじ加減はなかなかに微妙なものがある。単純に余計なことをするだけの人になってしまっては、視聴者としても乗りにくい。大泉洋やユースケ・サンタマリアのフォロワーがどんどん出てこないというのは、余計なことをする、という行動が本人の素のキャラクターや、いわばそれまでに培った人生に重なっていなければ、ひどく薄っぺらいものになってしまうからだ。  その点でいっても、ムロツヨシの余計なことをするという行動は、実は本人のこれまでの歴史に裏打ちされている。洋泉社MOOKの『21世紀深夜ドラマ読本』というムック本での、ムロツヨシへのインタビューを読めばそれがわかる。『勇者ヨシヒコ』シリーズの福田雄一との出会いについて、ムロツヨシはこう語っている。 <――福田さんに出会う前は、ほかの監督たちから、ときには「普通にやってくれ」と怒られたと聞いたことがあります。 ムロ 「ちゃんとやって」とも言われました。アレッ? ちゃんとやって? 「ちゃんとやる=コレ」なんだけどなぁって。「余計なことすんな」って言われたときもありますね>  そういった過去もあった。だが、ムロツヨシはそこで自分を変えることはなかった。嫌われたり、煙たがられたりしても、普通にやるよりはやりたいことをやって何かを思われたほうがいい、と考えてそのままのムロツヨシを通したのだった。そして現場にも恵まれ、共演者や、視聴者が、徐々に「アリかな」と気付くようになる。 <ムロ そしたら、これまでいろんな現場でウザがられていたのが、今度は一気に「ムロさん、なにかやってくれるんですよね?」って感じになってきて。好きなようにやらせてもらえる環境と経験はとても大きかったですね>  つまりムロツヨシは、余計なことをし続けることで、「余計なことをするムロツヨシ」という商売道具を手に入れたのだ。そこには意志と、歴史がある。その都度都度で学んだ知恵もある。だからムロツヨシがする余計なことは、共感と笑いを呼ぶ。一朝一夕ででっち上げた、薄っぺらい技術ではなく、むしろそれはムロツヨシの芸であるといってもいい。  ムロツヨシは仕事がない時期に、さまざまな飲み会に顔を出し「ムロツヨシです。使ってください!」とお願いするというのを日課にしていたそうだ。だがおそらく、もうその必要はないだろう。2015年、明らかに、ムロツヨシの時代が訪れつつある。 【検証結果】 『しゃべくり007』において、ムロツヨシは自身のことを「マイナスからのゼロ」という言葉で表現した。最初にマイナスの印象を与えておいて、それをゼロに持って行くのだと。それは結果としてゼロではないかと突っ込まれるが、マイナスからゼロまで持って行った勢いがあるから、そのゼロはただのゼロではなく上に向かうゼロだ。この発想というか哲学は、どんな仕事においても役立つ考え方だといえないだろうか。最初にマイナスを与えるという一見余計なことは、振り返れば、決して余計なことなどではないのだった。ムロツヨシ、やはりただ者ではない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

めちゃ×2イケてる中居正広のオトし方 フジ『FNS27時間テレビ』(7月25日&26日放送)を徹底検証!

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 今年の『27時間テレビ』のテーマは「めちゃ×2ピンチってるッ!本気になれなきゃテレビじゃないじゃ~ん!!」というものだった。番組の全体的な内容や、あるいはそもそもテレビはピンチなのか、といったことにはここでは触れない。この連載はタレントに焦点を当てるものであり、そして今年も『27時間テレビ』では数多くのタレントが活躍した。その中でも、最も素晴らしい働きをしていたのは、紛れもなく中居正広だろう。  『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)のメンバーをメインに据えた今年の『27時間テレビ』だったが、MCのナインティナインと共にほぼ出ずっぱりで番組を支えていたのは中居正広だった。時にナインティナインを立ててフォローに回り、時に自らが出ていって番組を進行し、さらにSMAPのメンバーとしての仕事もきっちりとやってのける。まさに、八面六臂の大活躍だったといえるだろう。  バラエティの中居正広を語る上で、避けて通れない名前がある。中居正広はかつて雑誌で、こう述べているのだ。 「僕は野球でもダンスでも芝居でも、『絶対の人』を見つけてその人についていく。テレビのバラエティに関しての『絶対の人』は、『いいとも』で出会った片岡飛鳥さんです」  片岡飛鳥といえば、『めちゃイケ』の生みの親だ。今回の『FNS27時間テレビ』でも総監督を務めている。そんな「絶対の人」の前で、また自分と同じように片岡飛鳥を信頼する盟友、ナインティナインの横で、中居正広は見事な仕事人っぷりを発揮していた。それが最も如実に表れていた場面のひとつが、26日の13時ごろから始まった「TED×27hTV」のコーナーである。  「TED」とは「テレビがえらいことなってるけど、どーすんの?」カンファレンスの略。TEDカンファレンスに似せたセットで、何人かの芸人が今日のテレビ界へ提言、苦言をプレゼンするというコーナーだ。芸人が一人ずつプレゼンをするという流れになるため、プレゼンごとにオチをつける必要がある。そのオチによってCMへ行く、というのが基本的な展開だ。  もちろん、プレゼンをする芸人自身がオトすのであればそれでいいわけだが、そうでない場合、他者がオトさなくてはならない。そこでの中居正広のテクニックは、まさに見事だった。ここでは象徴的な、3人の芸人について中居正広がどうオトしたかを述べてみたい。 <カンニング竹山>  カンニング竹山は写真を使ってプレゼンをする。感動的な写真を紹介し、一枚ずつその素晴らしさを述べて、最後に『笑っていいとも!』の最終回の写真を見せる。そのはずだったのだが、実際にモニタに映し出されたのは、かつて「週刊現代」(講談社)に掲載された自身の浮気写真。ドッキリを仕掛けられた竹山は憤慨し、彼のもとに矢部浩之と中居正広がマイクを持って話を聞きに行く。  矢部浩之と中居正広は、竹山からのコメントを引き出し続ける。ここでの中居正広のしつこさがすごい。オチになるようなキラーワードが出るまで、しぶとく粘る。矢部浩之の「(この浮気は)本気?」という問いかけに対して竹山は「あの日だけは本気だよ!」と答えるが、それでもまだオチには足りない。そこで中居正広は「(場所は)どちらで?」と質問し、竹山から「京王プラザだよ!」という絶叫を引き出し、それが無事にオチとなる。  重要なのは、中居正広は決して自分の言葉でオトそうとしていないという点だ。あくまでも、オチの言葉は竹山でなくてはならない。だからこそ、彼は何度も竹山に質問をするのであって、それは結局、中居正広が芸人という仕事をリスペクトしているからだろう。粘れば必ず、オチになる言葉を出してくれる。そう信じているからこそ、変に自分がオチ要員になろうとせず、竹山からの言葉を待ち続けるのだ。 <田村亮(ロンドンブーツ1号2号)>  プレゼンをするのは田村淳だ。淳は「ある人」と中継をつないでいると煽る。数年前に事件を起こして表舞台から姿を消しているが、今回の『27時間テレビ』で復帰するのではとウワサされている人物を想起させながら、「彼は犯罪者じゃない! しゃべっていいんですよ!」と切々と語る。そして中継がつながった先では、視聴者が想像する「あの人」ではなく、淳の相方である亮が釣りをしていた。  亮に対してはこの中継はドッキリであり、当然ながら何がなんだかわかっていない。そこでの中居正広の一言目が、まずすごい。 「亮くん。今ね、TED」  ここで最初に『27時間テレビ』であることをバラさない。何がなんだかわかっていない亮が何を言うかを待つために、わかりやすいネタバラシをしないのだ。実際に亮は「TED」という言葉の意味もわからないため、とんちんかんな返答をして笑いが起こる。亮のパーソナリティを存分に引き出す、素晴らしい仕事だ。  そしてまた、オチを呼ぶのも中居正広だ。「亮くん、ひとつ聞きます。テレビの危機についてお願いします」と問いかけ、亮から「……テレビは危機ではないと思います!」という亮らしい実にアホな答えを引き出し、見事にオチにする。ここでも、オチの言葉を発しているのは中居正広ではなく、あくまでも亮である。 <出川哲朗>  出川哲朗はリアクション芸人として、現代のコンプライアンスについてプレゼンする。だが本筋は、実はそこではない。舞台には落とし穴と熱湯風呂がひそかに仕掛けられていて、そこに落ちるまでが出川哲朗の展開だ。だが、出川哲朗は興奮してしゃべっているため、落とし穴が仕掛けられている場所よりも前のほうへ出てきてしまっている。  そこで中居正広がステージの上に立ち、出川哲朗をうまいこと落とし穴の場所へ誘導するのだ。カメラ位置やカット割りなど、よくわからない理屈をつけて。重要なのは、この仕事は、芸人にはできないという点である。いくらなんでも、出川哲朗がプレゼンを行っている最中に、ほかの芸人がステージに上がるというのは不自然だ。何かある、と感づかれてもおかしくはない。  だが中居正広は、芸人ではない。そこで出川哲朗に油断が生まれる。中居正広は、芸人のルールをよくわかっていないというような顔をしながら、出川哲朗がおいしくなるために動く。この空気の作り方は中居正広の軽やかさ、飄々としたスタンスがあるからこそできることであって、ほかの誰がやるのも難しいだろう。  このようにして中居正広は、芸人がオチを作る場所を周到に作り上げる。どうすれば芸人が面白くなるか、どうすれば芸人がオチとなるような破壊的に面白いフレーズを口にするか、それを考えて実行する。決して自分が主役ではない。芸人に対するリスペクトがあるからこそ、中居正広はその場所だけを作る。目に見える手柄を取りに行くのではなく、芸人のために、番組のために、中居正広はひそかに奔走していた。その姿を、めちゃ×イケてるッ! と思わない者が、果たしているだろうか? 【検証結果】  今回の『27時間テレビ』で何度かでてきたフレーズとして「型にはめたがるディレクター」というものがあった。確かに片岡飛鳥は、あるいは『めちゃイケ』は、その傾向を作ったのかもしれない。だがその上で、そこからはみ出る何かが、テレビの面白さだともいえる。片岡飛鳥を「絶対の人」と信頼する中居正広は、おそらくそのことを知っているだろう。「型にはめたがる」こと自体が悪いわけでは決してない。どのような型を作るか、そしてその型の中でどううまく動くかがタレントの肝であり、少なくとも「TED×27hTV」での中居正広はそういった意味で抜群の仕事をしていたというのは、紛れもない事実である。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

ミスターSASUKE・山田勝己はバカであることを恐れない TBS『SASUKE2015』(7月1日放送)を徹底検証!

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『「SASUKE」30回記念DVD ~SASUKEヒストリー&2014スペシャルエディション~』(TCエンタテインメント)
 今年もまた、『SASUKE』がやって来た。日本が誇る特大スポーツエンタテインメント番組であり、究極のサバイバルアタックであり、そしてある種の人間にとっては、人生を懸けた祭りである。1997年に初めて放送され、今回の放送で実に第31回大会。ただのスポーツバラエティではない。数々の伝説的なドラマを生んできた、ある種のドキュメンタリーだといっても過言ではないだろう。  そして『SASUKE』が生んだ最重要人物といえば、もちろん山田勝己である。『SASUKE』によって人生を変えられ、また『SASUKE』にも大きな影響を与えた、ただの素人。しかし「ミスターSASUKE」という異名はだてではない。自宅に『SASUKE』を模したセットを自ら作り、そのために職を失うほどだ。そんな彼はいま、山田軍団・黒虎というチームを結成し、後進の指導に当たっている。  数多くの出場者が軒を連ねる『SASUKE』ではあるが、やはり山田勝己という存在は特別だ。視聴者の心をつかんで離さない、独特の何かを山田勝己だけが持っている。番組でもそれをわかっているのだろう、山田勝己の発言テロップだけは筆文字で表記する、という特別な扱いを与えている。  ではなぜ、山田勝己は人の心をつかむのだろうか? その秘密を探るため、今回は番組における山田勝己の発言をすべて書き起してみる。山田軍団・黒虎からは3人の資格がエントリー。彼ら、弟子に対して山田勝己はどんな言葉を投げかけたのか? それを知ることで、山田勝己の神髄に触れてみたいと思う。 <倉庫管理 松原慎司へのコメント> ※1stステージ挑戦中&失敗後 「何も言うことなし」 「回らないよ OK もう一歩 回らない OK もう大丈夫 もう大丈夫 跳べ」 「(セットの裏側からは)見えない 見えない なんにも見えない」 「ゆっくりええぞ」 「もっと もっと もっと」 「よっしゃ! 行け!」 「松原早く 時間ない もうここは行くしかない 行くしかない」 「外せ 足上げとけ 足上げとけ」 「上がれ えい えいっ 上がれ 上がった 上がれ 登れ 登れ」 「あと10秒か」 「下りをトントンと降りてたら」 <建築現場指揮官 渡辺陽介へのコメント> ※1stステージ失敗後 「はい 終わり」 「キツいな これタイムキツいぞ これたぶん」 「これ全然やもん 全然間に合えへん」 「よう日置間に合ったな」 「サンキュー サンキュー」 <ゲームセンター従業員 山本浩茂へのコメント> ※1stステージ挑戦中 「楽勝 楽勝 はい 段 段」 「OK OK」 「(セットの裏側でも)見えるやん ここから」 「ここ軽く 軽く跳べよ 跳んだらつかめるから 行け GO!」 「行ける! 押せ! 靴が脱げてる」 「靴! 靴履け!」 「腕を振れ 腕を振れ 腕振らんと腿上がらんぞ」 「よっしゃー!」 「もう行け! もう行くしかない 行くしかない」 「根性 根性 根性」 「いける 10秒 10秒 楽勝 楽勝」 「よっしゃー! よっしゃー!」 「はぁ~」 <ゲームセンター従業員 山本浩茂へのコメント> ※1stステージ成功後 「よっしゃ やったやった OK OK ええで」 「ええぞ ええぞ またきた」 「キツい キツい しんどいよ、それは」 <ゲームセンター従業員 山本浩茂へのコメント> ※2ndステージ挑戦中&失敗後 「1st終わったら、すごい肩の荷がおりる 2ndから不思議と楽しくなる」 「OK 山本 楽しめ 得意や 得意! お前の得意なとこや 行け」 「下りも楽勝 楽勝 楽勝」 「そこは慎重に 降りるとこ重要」 「泳げ!」 「まだ時間ある 時間ある」 「うわぁ そのまま行っとったら 行けとんや」 「疲れてんねん 疲れた時に顔つけるのが怖いんや」 「一瞬顔つけた時に、恐怖感を感じたんやろ 溺れるという」  以上が、今回の『SASUKE』における山田勝己のすべてのコメントである。どうだろうか? 文字にしてみるとあらためてわかるが、具体的なアドバイスは、ほぼ何もしていない。「行け」「上がれ」「登れ」「泳げ」などは、そもそもそうしなければいけない場面なのだから、山田勝己に言われなくたってそうするだろう。山田勝己はほとんど何も言っていない。ただ夢中で、ただがむしゃらに、『SASUKE』に対する思いを、その熱量だけを叫んでいる。  だが、まさにそれこそが、山田勝己が人の心をつかむ理由なのだ。確かに、ツッコミどころは数多くある。何を言っているんだと笑うこともできるだろう。バカなんじゃないか、と。しかし、だからこそ、それゆえに、人は山田勝己に心をつかまれる。ゲストのNON STYLE井上裕介は「俺も黒虎に入りてえよ!」と叫んだ。山田勝己は、言葉は悪いが、確かにバカなのかもしれない。しかし、もっと大事なことがある。山田勝己は、バカであること、あるいはバカだと他人から思われることを、一切恐れていないのだ。  今回、山田軍団・黒虎として唯一1stステージをクリアした山本浩茂は、こう言った。「(山田軍団のことで)いろいろバカにされてますけど、山田さんあっての僕らなので」と。やっぱり、バカにされているのだった。そりゃあ、そうかもしれない。完全制覇したからといって、大金が手に入るわけではない。わかりやすい地位や名誉は、そこにはない。そんなことのために、日々、鍛えている。バカなんじゃないか。だけど、こうも言えるだろう。バカだって、いいじゃないか、と。  数字や結果が求められる世の中で、バカになれることが、一つぐらいあったっていい。本当は誰だって、そう思っているんじゃないか。そして山田勝己は、実際にそうやって生きている。だから人は、心のどこかで山田勝己に憧れる。バカであることを恐れないという生き方を、自ら選んだその人に。  そしてそれは、決して他人事なんかじゃない。人は誰だって、山田勝己になることが許されている。ツッコんだり、ツッコまれたりが蔓延する昨今だ。山田勝己という生き方は、そんな今だからこそ、必要とされているのではないだろうか? 【検証結果】  山田勝己がそうであるように、そもそも『SASUKE』自体が、バカであることを恐れない番組である。今回、4年ぶりの完全制覇を成し遂げた出場者の密着VTRが多く放送されていたが、これはたまたま彼が完全制覇を成し遂げたからであって、ほかの出演者に対しても程度の差はあれそういった映像素材は存在しているのだろう。その無駄を『SASUKE』は恐れない。そしてこの番組は、時間の都合でカットされたり、放送時間が短かった挑戦者に対して、わざわざその人のためだけに映像を編集してDVDを渡しているという。非合理で、非生産的で、言ってしまえば、バカである。だから『SASUKE』は素晴らしい。バカであることを恐れないと決めた者は、誰よりも強いのだった。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

指原莉乃が継承する太田プロイズムとは? TBS『HKT48のおでかけ!』(6月18日放送)ほかを徹底検証!

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 6月18日に放送された『HKTのおでかけ!』は「選抜総選挙 歓喜と涙の舞台裏を全て見せますSP」と題して、HKT48メンバーがこのたびのAKB48選抜総選挙について振り返った。その際、番組のMCを務める指原莉乃は、人気を集める極意として、たった一言の言葉を述べる。すなわち「不幸感」である、と。  今月6日に行われた「第7回AKB選抜総選挙」にて、首位返り咲きを果たした指原莉乃。得票数は、過去の選抜総選挙史上最多となる19万4,049票という驚愕の数字を叩き出した。そんな彼女だからこそ、その言葉には説得力はある。「不幸感」はそのまま得票数に跳ね返ると、指原は語る。ファンに、“自分が支えてあげなくてはならない”と思わせる部分がどこかにないと、多くの票を集めることはできないのだ。  あるいは、6月11日に放送された『僕らが考える夜』(フジテレビ系)でもそうだ。「総選挙 悔いなく戦い切りましたか?」をテーマにして行われたこの放送で、ランクインできなかったメンバーからアドバイスを求められた指原はこう答える。「心配される要素がないからじゃない?」と。これもまた「不幸感」と同様、彼女の特性をそのまま伝える言葉だ。指原莉乃は神ではない。どこか不幸で、心配される要素を持ち、そしてそれが多くの人々の共感を集め、彼女は総選挙1位という座を手にしたのだった。  「不幸感」「心配される要素」、そして彼女が所属する「太田プロ」。この3つをつないだときに、真っ先に思い出される先人が存在する。すなわち、ダチョウ倶楽部である。  いわゆる「リアクション」を、芸の域までに高めたダチョウ倶楽部。そこには不幸感がある。心配される要素には事欠かない。太田プロの直接の先輩となるそんなダチョウ倶楽部が、指原莉乃の生き様に影響を与えているのは間違いないといえるだろう。実際、指原莉乃の特にバラエティ番組における振る舞いは、ダチョウ倶楽部のリアクション芸に近い構造を持っている。それでは、ダチョウ倶楽部のリアクション芸とはどのようなメカニズムによって成り立っているのか? 大きく分けて、以下の3つの過程を踏まえている。 (1)「自らの意志」を打ち出す  ダチョウ倶楽部が「リアクション」という伝統の上で新しいのは、この点だといえるだろう。芸人に対しての理不尽な暴力は、時にいじめと感じられたり、あるいは一部の視聴者から不快感を持たれることもあるわけだが、彼らはまず「自らの意志」を打ち出す。やらされている、という状況の中でも、最終的には「自らの意志」でそれをやることを決めている。「俺がやるよ」「どうぞどうぞどうぞ」というくだりは、まさにその象徴だ。  「不幸感」や「心配される要素」はリアクション芸に不可欠なものではあるのだが、それはあくまでも結果的なものでなくてはならない。「自らの意志」がそこにあるからこそ、視聴者は笑ってそれを見守ることができる。言ってしまえば、視聴者を共犯者にすることによって、リアクションは初めて安心して見られるものになる。ダチョウ倶楽部の革命は、まさにこの点にある。 (2)「アクシデント」に見舞われる  前提としての(1)があった上で、当然(2)が起こる。これによって、リアクションを起こすことができる。この「アクシデント」をいかにコミカルに見せることができるかも、重要なところだ。リアクション芸とは、大きく分類すると「お約束」という種類の芸に入るわけだが、ここでどう「アクシデント」を起こすかが肝になってくる。  ダチョウ倶楽部でいえば、「押すなよ!」からの流れである。そこからのパターンだ。「押すなよ!」と言っているのに押される、「押すなよ!」と言って自分から足を滑らせる、「押すなよ」と言ったらほかの人間から押される、あるいはメタ的に結局誰も押さずに「押せよ!」というパターンもある。いずれにせよ、それは「アクシデント」でなくてはならない。手法やタイミングを含めて、視聴者の予想をどう裏切るかが重要な点である。 (3)「強いもの」に対してかみつく  リアクションが終わった後の対応にも、気を配る必要がある。「不幸感」や「心配される要素」を視聴者は(2)で消費しているわけだが、そのまま終わってしまっては悪い後味が残る。共犯者に仕立て上げた視聴者から、罪悪感を取り除かなくてはならない。その際に最も効果的な手段は、より「強いもの」の存在を想起させ、その「強いもの」に罪をなすりつけるというやり方である。  ダチョウ倶楽部の「殺す気か!」という言葉は、この(3)のために用意されている。それはときにメンバーであったり、あるいは番組のMCであったり、もしくは熱すぎるお湯を用意した番組スタッフであったりする。自分より「強いもの」に対してかみつくことで、視聴者の罪悪感を緩和させなくてはならない。少なくともリアクションを職業にするためには、この行程は必要不可欠だといえるだろう。  以上のように、ダチョウ倶楽部のリアクションは(1)から(3)までの構造によって成されている。これによって「不幸感」と「心配される要素」は、職業として成立するのだ。それでは、指原莉乃はどうか? もちろんダチョウ倶楽部ほどとはいえないが、バラエティ番組での振る舞いの多くがこのメカニズムをなぞっている。  たとえ、ば6月7日に放送された『この差って何ですか?』(TBS系)にゲスト出演した指原莉乃。テーマとしては、一度口をつけたペットボトルはいつまで飲んでも健康的に問題がないかという話なのだが、その際の指原莉乃は忠実に(1)から(3)までをなぞる。 (1)「自らの意志」を打ち出す  まず指原莉乃は、こう口にする。「お茶とかお水とかは全然いけます。1カ月でも」と。ここには「自らの意志」がある。自分の立ち位置を明確にしている。こうして視聴者は、指原莉乃からの視点によって、このテーマに取り組むことが可能となる。 (2)「アクシデント」に見舞われる  指原莉乃は「ペットボトルをストローで飲んでいる」と話すのだが、これに対して専門家から「ストローは絶対にやめたほうがいい」と忠告される。これは、ストローで飲むと口の中の菌がペットボトルの中に戻ってしまうからなのだが、指原にとっては予期せぬ「アクシデント」だといえるだろう。ここでの指原が慌てるコミカルな反応も、視聴者にとっては笑いになる。 (3)「強いもの」に対してかみつく  専門家からストローを否定された指原莉乃は、最終的にこうほえる。「えっ!? だってこの番組が(ペットボトルに)ストロー入れてるんです!」と。指原莉乃にとって番組、及び番組スタッフとは「強いもの」にほかならない。最終的に、悪いのは「強いもの」であるというアピールとともに、(1)から(3)に至るメカニズムは成立している。  指原莉乃がメンバーに言うように「不幸感」や「心配される要素」は、少なくともAKB選抜総選挙で多くの票を獲得するためには、必要なことだといえるだろう。だが、それだけがあれば良いというものではない。ダチョウ倶楽部から学んだ太田プロイズムと、そして本人の知恵によって、指原莉乃は「不幸感」や「心配される要素」を一つの武器にまで磨き上げている。ダチョウ倶楽部から指原莉乃へと継承される、太田プロイズム。それはなかなかに、深いものなのであった。 【検証結果】  なお、前述した『僕らが考える夜』(6月11日放送)で、指原莉乃は、ダチョウ倶楽部の上島竜兵と共演している。AKB総選挙1位と太田プロ総選挙1位の夢の共演である。そこで上島竜兵は、何を語ったか? 何も、語らなかった。驚くべきことに、30分の番組の中で、ほぼ一言もしゃべっていない。頭の太田プロ総選挙の話題の際に何度か返事をするだけで、以降は一言も言葉を発しないのであった。「心配される要素」をこれほどまでに強く保ち続けるタレントは、ほかにいないだろう。見事というほかない。指原莉乃は、果たしてこの上島竜兵に追いつくことができるだろうか? おそらく、まだまだ時間はかかるだろうが、注目して見守りたいところだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

平愛梨の天然さが愛される理由とは何か? 日テレ『笑ってコラえて!』(5月20日放送)ほかを徹底検証!

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『あい・たい―平愛梨1st.写真集』(彩文館出版)
 5月24日に放送された日本テレビ系『スクール革命!』で平愛梨は、自分には兄妹がいるから周りの空気を読んでしまう、と発言した。それを聞いてスタジオは、文字通り変な空気になる。「あまり感じないけどね」「現場では生かされてる?」と訊ねられた平愛梨は、はにかみながらこう答えた。 「現場では、やりたい放題やらせてもらっちゃって……(照)」  まさにこの言葉は、平愛梨の立ち位置を的確に指し示している。いわゆる「天然」と呼ばれる種類のタレントではあるが、その言動を予測することが難しいため、かなり自由な位置に置かれることが多い。そもそも『スクール革命!』にしたって、この「やりたい放題やらせてもらっちゃって」という言葉を生かすということは、平愛梨の自由さを許しているということにほかならない。逆に言えば、素材の味が野趣に満ちているためヘタな調理をしたら良さを殺してしまう、平愛梨とはそういったタレントである。  彼女の自由さは20日に放送された『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』(同)の冒頭でもまた、いかんなく発揮された。番組中に突然、深夜から翌朝までひとつの駅近辺の飲み屋をハシゴするという「朝までハシゴの旅」コーナーへの出演を発表された平愛梨は、誰もが予期していなかった行動に出る。号泣するのだ。「朝までハシゴの旅」へ行きたくない、という理由で。  平愛梨は、涙を流しながら切々と告げる。 「私、人としゃべれないんですよ」 「基本、疑問がないんですよ、人に対して」 「友だちも、三瓶さんくらいで」 と、根っからの人見知りであることをカミングアウトする。この辺り、すでに平愛梨の真骨頂であるといっていいだろう。行きたくないのは分かる。人見知りだというのも仕方ない。だがそこで、泣く、という誰も思いつかないような行動に出てしまうのが平愛梨だ。それはもう「天然」というジャンルを超えている。素っ頓狂な人間の言動を見るというよりも、どちらかと言えば、何をするのか分からない野性動物を楽しむという感覚に近い。作為的かどうかを考える暇も与えないほどに、行動がトリッキーなのだ。  結局、平愛梨は「朝までハシゴの旅」へと出かけるのだが、その中から印象的な、そして対照的な2つの発言を取り上げてみたい。どちらも「マリ子の部屋」という飲み屋を訪れての発言である。 【1】 (ママのマリ子が63歳だという話を聞いて) 「63歳まで人生過ごされて、一言で言うと、なんですか?」 【2】 (ディレクターから「マリ子さんに何か相談してみたら?」と問われて) 「このポン酢、どこで買ったんですか?」  どちらもかなり面白く、個性的な返しであることは間違いない。【1】に関しては、63歳という人生の長さを一言でまとめさせようとするアバンギャルドさ。初対面の人間からこんな質問をされるとは、さすがのマリ子さんも思っていなかっただろう。そして【2】に関しては、もはや相談ですらない。しかも平愛梨が気にしているポン酢は、一目見ただけではっきりと分かるが、どこにでもある普通の味ぽんである。マリ子さんも「スーパー」と答えるのだが、ほかにどんな答えを期待していたというのだろうか。  上記2つは、どちらも「天然」の発言としてカテゴライズされておかしくない。だが、どちらがより平愛梨らしいかといえば【2】となる。というのは、【1】に関しては、考えて出てこない答えではない。たとえば「63歳のママに一言。何?」という大喜利に対して、この回答は成立している。だからこの答えは、平愛梨以外でも答えられることができるだろう。言い換えれば、ほかの「天然」タレントがこの言葉を口にしているところを想像することができる。  だが【2】に関しては、おそらく平愛梨以外からは出てこない答えだ。というのも、この答えはディレクターからの質問に対してじっくり考えるのではなく、むしろ食い気味に質問をしている。ということから考えると、この質問をディレクターからされる時点で、平愛梨の中ですでに疑問が生まれていたのだということが分かる。「このポン酢、どこで買ったんだろう」と、ロケの最中で考えていたのだ。カメラが回っているにもかかわらず。ただじっと「このポン酢、どこで買ったんだろう」と考えてしまっていたのだ、平愛梨は。  ここに、平愛梨の魅力がある。いわゆるただの「天然」であれば、面白い答えが飛び出るタイミングを予想することができる。だが平愛梨は、そのような問いの枠組みさえ飛び越える。どこでどう予想を裏切ってくるかが分からない。それは視聴者に対してはもちろんであるが、同時にテレビを作るスタッフにとっても、あまりにも魅力的な素材だといえるだろう。  そしてこの「朝までハシゴの旅」は、人見知りだった平愛梨が心を開くまでの、一晩の成長物語として描かれる。終盤、中島みゆきの「地上の星」をBGMとして選びながら「悪女」の話に持ち込み、歌詞の中から最初に訪れた居酒屋「マリコの部屋へ」とつなげるあたりには、ディレクターの意地と本気が見える。素材に対して全力で向き合おうとする、それは料理人にとってのプライドだろう。  「天然」とは、あるいは「おバカ」とは、多くの場合しっかりした成人に対しての欠けている者、という存在である。そこには直線上の優劣がある。だが平愛梨の場合は、むしろその直線自体をねじ曲げ、無効化する。前述したが、何をしでかすか分からない動物だったり、あるいは赤ん坊に近い。彼女は彼女の世界を持っている。そのルールに対して正しく生きているわけで、だから平愛梨へ抱く感情は劣った者に対する優越感ではなく、むしろ愛情であり、あるいは時として羨望でさえある。 「朝までハシゴの旅」で平愛梨は、その日に初めて出会った酔客に話しかける。 「ニコニコされててイメージ良いじゃないですか」  酔客は、少し戸惑ったように、だがしっかりと、平愛梨に答える。 「あなたを見れば、みんなそうなります」  平愛梨は、正しく生きている。その生き方が他人とは少し違ったものだとしても。それが分かるから、伝わるからこそ、彼女は愛され、ときに人々の憧れとなる。平愛梨を見れば、みんな、そうなってしまうのだった。 【検証結果】  「朝までハシゴの旅」への出演にあたって過度の人見知りであることを告白した平愛梨だが、「このポン酢、どこで買ったのですか?」という問いでも分かる通り、やはり他者とのコミュニケーション方法は少し独特なのだろう。そこに魅力の根底があり、彼女がリア充であれば、ここまで多くの人気を得ることはなかったのではないか。「天然」というよりも、あるいは「不思議ちゃん」に近いといえるのかもしれない。彼女に対する男女での反応の差を、ここから考えるのも興味深いが、それをするためにはもうページが足りない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

飽和状態の“ハーフ枠”でユージがひとつ抜き出る理由『解決!ナイナイアンサー』(5月12日放送)を徹底検証!

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レプロエンタテインメント公式サイトより
 5月12日に放送された日本テレビ系『解決!ナイナイアンサー』にて、ハーフ芸能人を集めた座談会が行われた。人気企画の第2弾で、今回の座談会出演者は植野行雄(デニス)、JOY、春香クリスティーン、リロイ太郎、ざわちんという5人のメンバー。ハーフタレントならではのあるあるやエピソード、あるいは過去の秘話を披露し、座談会自体は盛り上がった。  だが、この番組の中で最も印象的だったのは、デニス植野が冒頭に発した「ハーフタレントは飽和状態」という発言であった。これは確かに事実である。現在の日本の芸能界において、ハーフタレントの人数はかなり多い。そしてまた、大抵の場合、テレビが求める「ハーフタレント」とはそれ以上でも以下でもないため、スタジオゲストのアントニー(マテンロウ)が語ったように、自分が行けなかった仕事がデニス植野に回っているなどの現象はしばしば起こっている。そもそも番組で「ハーフ芸能人座談会」が企画されているという時点で、ハーフタレント界はいま一つの転換期を迎えていると言ってもよいだろう。  そこで必要になってくるのは、ハーフタレントという枠からの脱却である。ハーフタレントとしてではなく、その人自身として番組から呼ばれるようにならなくては、芸能界で生き残ることはできない。たとえばベッキーやローラ、ウエンツ瑛士もいわゆる「ハーフタレント」を出自としているが(ローラは正しくはクォーターだが)、いまやハーフタレントとして呼ばれることはない。あくまでもベッキーとして、ローラとして、ウエンツ瑛士として呼ばれるわけであり、つまり「ハーフタレント枠」から飛び出し自分自身の枠を作れるかどうかが、彼らの行く末を決めることになる。  さて、このようにハーフタレントが乱立する中で、いま現在進行形でその枠から脱却しようとしているタレントがいる。それがユージだ。かつてはJOYとのコンビで人気を博したユージだが、2014年2月に一般女性と結婚し、父親になったころを契機として、徐々に仕事の幅をスライドさせている。明らかに多くの番組で、ハーフタレントとしてではなく、あくまでもユージとして求められている仕事が増えている。  それでは、いかにしてユージは「ハーフタレント」枠から脱却を果たすことに成功しつつあるのだろうか? そのヒントは、ユージ自身が書いた青春自伝的小説『マミーが僕をころしにやってくる』(※以下『マミー』)の中にあった。若くして両親が離婚し、日本で母親に育てられたユージが小学校にいじめられた反動で手の付けられない不良となり母とも絶縁、だが生まれ変わることを決意し母親と和解する、というストーリーだ。この『マミー』で描かれるユージ本人のエピソードとともに、ユージがいま現在行っているハーフタレントからの脱却方法を検証したい。 (1)自分だけの居場所を作る  『マミー』の中でユージは小学校時代、ハーフであるということを理由にいじめを受ける。そのため、いわゆる中学デビューを果たすべく、中学校の入学式の日にヤンキーとなり、その後は不良の道へと進むことになる。この行動が倫理的にどうかというのはあるにせよ、ここでユージは自分だけの居場所を自らの手で作った。流された場所にいるのではなく、自分だけの居場所を作ることを決めたのだ。  これはハーフタレントに置き換えれば、ハーフタレント枠ではない仕事をしっかり取ってくる、ということにほかならない。たとえばユージで言うならば、日本テレビ『所さんの目がテン!』やNHK Eテレ『すイエんサー』『趣味の園芸』への出演である。これだけ見てもかなり意識した上で、いわゆる知的な番組への出演を選択していることがわかる。これはもちろん、マネジメントの力も大きいとは思うが、しかしどの番組でもしっかり自分の立ち位置を理解して動くことができている。  ハーフタレントとしての仕事をこなしているだけでは、その先もハーフタレントとしての仕事しか来ない。いじめられっ子であったユージが自らの生きる居場所を決めたように、ときにハーフタレント枠の仕事を蹴ってまでも、新しい居場所となる仕事を見つけるというのは重要だろう。 (2)謙虚な姿勢を打ち出す  『マミー』の中に、こんなエピソードがある。小学生時代、クラスで自慢大会がブームになった時期、ユージは自慢することがなく悲しい思いをしていたそうだ。そこで母親に相談してみたところ、自分の曾祖父がドミニカ共和国の元大統領だったという事実を初めて知り、自信満々にそれをクラスメイトに自慢するのだが、ウソつき扱いされてさらに孤立してしまったというのだ。  ハーフタレントとしてのキャラクターは数々あるのだが、その中でも最も難易度の高いものが、上から目線でのキャラクターだ。確かに火がつくのは早いのだが、顔やスタイルのよいハーフタレントがそれをやってしまうと、無意識下にコンプレックスを抱いている日本の視聴者からは反感を買うことが多い。そして火がつくのが早い分だけ、消費される速度はそのぶんだけ早く、このキャラクターを保ったまま芸能界を長く生きていくのは至難の業だといえるだろう。  この辺りユージは、小学生時代の自慢大会の記憶もあってか、謙虚な姿勢を決して崩さない。たとえば『趣味の園芸』に出演する際も「ちょっとやっていいですか、ボクも」とあくまでも園芸初心者の立ち位置を守り、また共演者がおかしなことを言った際はツッコミを入れながらも「いや、ボクは好きですけど」とフォローを付け加えることを忘れない。これはユージ本人の性格的な優しさというのももちろんあるのだろうが、この謙虚な姿勢を崩さなければ、長く必要とされるタレントでい続けることができるはずだ。 (3)個としてのキャラクターに成長する  『マミー』という自伝的小説は、一人の少年が個としてのアイデンティティを持つまでの物語だ。母子家庭となり、いじめられっ子となり、ヤンキーになる。これらはすべて個としてのアイデンティティではなく、カテゴリーにすぎない。そんなユージが自分を見つめ直し、そして自分自身の意志で母親との仲を修復する、つまり個としてのアイデンティティを確立するというのが『マミー』で描かれている物語だ。  ハーフタレントからの脱却において必要なのは、まさにこの部分である。ユージにおいてその転機となったのは間違いなく結婚と、それと同時に父親になったというタイミングであり、現在のユージの多くの仕事は「ハーフタレント」ではなく、むしろ「良き父親」としてのそれだ。それは例えば『趣味の園芸』での一言にも表れている。前回トマトを育てた感想を尋ねられたユージの答えは「トマト、ぼく大好きだし、息子も大好きなんですよ」というものだった。この「息子も大好き」という一言を付け加えるということが個としてのアイデンティティそのものであり、ユージが個としてのキャラクターに成長したという証だといえるだろう。  ユージの興味深い点は「ハーフタレント」からの脱却、いわばタレントとしての成長が、ユージ本人の環境の変化やあるいは人間的な成長と、そのままリンクしているというところにある。ユージ本人が人間として経験を得れば得るほど、タレントとしての幅もそのまま広がっていくことだろう。そう、ユージはまだ、成長過程にある。これまでの「ハーフタレント」が産み出し得なかったタレント像を、もしかしたらユージなら、見せてくれるかもしれない。 【検証結果】  ユージの青春自伝的小説『マミーが僕をころしにやってくる』は、母親からユージに宛てた手紙で終わっている。母親との仲が決裂し、ユージがアメリカの祖母の家で暮らすことになってからも、母は遠くからユージのことを見つめていたそうだ。その手紙の一節にはこうある。「おばあちゃんの家で花を育てていると聞いた時は、涙が出るほど笑ったことを覚えています。」と。人も、花も、育てるのは難しい。いつだって思うようにはいかないし、時間も忍耐も必要だ。それでも諦めてはいけない。育てることを諦めなければ、いつかきっと、花は咲くのだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

高田純次が実践する“テキトー”という笑えるライフスタイル フジ『ペケポンプラス』(4月28日放送)を徹底検証!

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 高田純次。「元祖テキトー男」「ミスター無責任」などの異名で知られるこの男は、68歳になってもなお、テレビの第一線で活躍し続けている。こういった年齢になれば少しは落ち着いたり、真面目なことを口にしたりするものだが、そのテキトーさには一切衰えがない。むしろ年を重ねることによって、変わらないテキトーさにますます磨きがかかるという、かなり特殊なベテランタレントだといえるだろう。   現在でも数多くのバラエティ番組から引っ張りだこなわけだが、4月27日に放送された『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)の高田純次は、いつもとは少し違っていた。この放送では、オリエンタルラジオが高田純次のアドバイスを聞くという流れ。普段は真面目なことを一切語らない高田純次だが、この日はお酒のせいもあってか、いくつかの、いわゆる名言と言われるような言葉を残した。代表的なその言葉を、以下に挙げてみよう。 「(ベテランになっても守っている自分なりのルールは)説教、自慢話、思い出話。この3つは抑えていかないと、自分は伸びていかない」 「自分が成長するために、(他人に)価値観を押し付けることは絶対にしない」 「(風呂に)裸で飛び込むのは88歳までだね」 「そんな楽しいことない、毎日。毎日は普通か悲しいことが多いと思えば、ちょっとした楽しいことも大きな楽しいことになりそうな気がする」  いずれも高田純次が言うからこそ、説得力がある。高田純次はまさにこの言葉通りの活動をこれまでずっとしてきているし、そしてこれからもずっとしていくだろうからだ。タレントというある種特殊な職業に限らずとも、この言葉を聞いて感銘を受ける方も多いのではないだろうか。  しかしながら、分かっていてもなかなか実践できるものでもないというのもまた事実だ。その言葉を守り生きていくために、それでは具体的にどうすればいいのだろうか? そのヒントが、28日に放送された『ペケポンプラス2時間スペシャル』(フジテレビ系)にあった。この番組でなぞなぞのコーナーにゲスト出演した高田純次は、テキトー節を連発。そのいくつかの発言には、高田純次的な生き方を目指す人にとっては非常に参考になる、具体的なヒントが残されていた。高田純次のように生きるためには具体的にどうすればいいのか、以下の3点に分けて検証してみたい。 (1)少年の心を忘れない  人は年を取れば大人になる。そんなことは、当たり前の話だ。しかし高田純次は、少年の心を、というか男子小学生の心を忘れず、それを堂々と口にする。たとえば冒頭、出演者一同が、中世の西洋的な世界観で統一されたコーナーにそぐう衣装をもらっていないと次々に話す流れで、高田純次はこう発言する。 「俺もTバックもらってない」  確かに流れとしては、衣装をもらってない、という意見は正しいのだが、ここでTバックという単語を選ぶのが高田純次だ。中世の西洋などまるで関係ない。むしろTバックという、男子小学生が喜ぶ単語は常に高田純次の中に用意されていて、それを口に出したいだけ、という意図すら感じられる。あるいは高田純次が、重いものを持つという流れになったときの発言はこうだ。 「これはクルね~。オシッコ漏らしそうになっちゃった」  これにしたって、オシッコと言いたいだけじゃないのか。だが、Tバックにしろオシッコにしろ、その場ですぐに出てくる単語ではない。高田純次の辞書には、こういった男子小学生が喜ぶ単語がかなり大きく掲載されているのだろう。それはつまり、少年の心を忘れていないということだ。言葉を換えるなら、年を取った自分を拒絶するということでもある。年齢を重ねたがゆえの真面目な発想や経験を、高田純次は自ら放棄しているのだ。 (2)アクシデントを恐れない  先述した重いものを持ち上げた高田純次は、自らギブアップを提案する。一同に「限界来ちゃいました」と述べ、スタジオのサブのほうを向き「家から電話?」とウソをついてその場を離れようとする。そして立ち上がって振り向き、歩き出そうとするのだが、次の瞬間、高田純次は頭をスタジオセットのバーに思い切り当ててしまう。この自分勝手なアクシデントの起こしっぷりは、見事というほかない。  68歳にもなれば、もうちょっと落ち着いてもいいのではないか。誰もがそう思うが、それは錯覚にすぎない。高田純次はあえて周囲に目を配らないことで、アクシデントを引き寄せる。これは確かに偶然ではあるが、偶然を自ら呼び込んでいるという点で決してまぐれではない。  そのアクシデントを、高田純次は心から楽しんでいる。これは言い換えれば、凝り固まった常識やルールへの拒絶だとも言えるだろう。自分が予想しなかったことが起こる、だからこそ人生は面白い。自分の思い通りに物事が進まなかったときに、それをストレスと感じずにむしろ楽しんでしまおうという信念。高田純次のこのイズムは、窮屈な世界で生きる私たちにとってもまた、参考になるものではないか。 (3)とにかく笑う  高田純次は、とにかく笑う。ほかの出演者の発言というよりは、むしろ自分の言ったことで大きな声を上げて笑うのだ。たとえば先ほどから述べている、重いものを持ち上げることになった際に「ただ俺、吹き出物が治ったばかりだから」と遠慮しようとして全員から突っ込まれる。そのときの、高田純次のうれしそうな顔ったらない。そして、高田純次はこう言う。 「じゃあ、持ち上げられるか! ワハハハハ!」  ものすごく笑うのだった。とにかく楽しんでいる。それが分かるような、実に素敵な笑顔を見せて。  そしてこれが、おそらく高田純次の生き方の根本にあるように思う。何があっても、楽しもう。何があっても、笑ってやろう。その意識の強さと、そしてまたしぶとさこそが、68歳になってもなお高田純次で居続けられる理由だろう。高田純次の言う通り、毎日は楽しいことばかりではない。それでも人は、笑うことができる。どれだけしんどい社会であっても、高田純次はそこにいる。今日もまた、テキトーなことばかりを口にして。 【検証結果】  『1分間の深イイ話』でオリエンタルラジオを相手に少し真面目に語った後、高田純次は笑いながら言う。「まったく思ってないこと言っちゃった」と。それが本当なのかウソなのかは、もはやどうでもいい。それすら関係ないのだ。高田純次は、自らが築き上げたもの、すべてを壊していく。だからきっと、このコラムをもし読んだら、高田純次はこう言うだろう。「俺、こんなこと言ったっけ?」とか、なんとか。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

女優・松岡茉優のロケが面白すぎる3つの理由 フジテレビ系『正直さんぽ』(4月11日放送)を徹底検証!

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ヒラタオフィス公式サイトより
 ここ数年、いわゆる“女性タレント枠”は群雄割拠の時代が続いている。女たちが血で血を洗う、まさしく戦国時代だ。今年2月に放送された『時間がある人しか出れないTV』(TBS系)で真のワイプ女王に輝いたベッキーを筆頭として、指原莉乃や嗣永桃子、菊地亜美といったアイドル勢、ローラやSHELLYなどのモデル勢、鈴木奈々をはじめとするおバカ勢、そして小島瑠璃子やおのののかなどのグラビア勢の躍進も目覚ましい。そんな戦いに今、ひとりの女優が足を踏み入れようとしている。若手女優、松岡茉優がその人である。  もともとは子役としてキャリアを始めたが、脚光を浴びたのはテレビ東京『おはスタ』。ここでバラエティの感覚を培った松岡茉優は、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』への出演で一気にブレイク。数々の映画やドラマにも出演し、女優としての評価も高いわけだが、彼女の実力はそこに留まらない。それが明らかになったのが、4月11日に放送された『正直さんぽ』(フジテレビ系)だ。この番組において松岡茉優は、ロケタレントとしての才能を見事に開花させている。  『正直さんぽ』で松岡茉優が出演する回は『正直女子さんぽ』と銘打って、柳原可奈子と関根麻里と一緒に街を散歩するという主旨の番組である。ずんの飯尾和樹もお目付役として出演。極めて実力の高い布陣となるメンツではあるが、それでも松岡茉優の存在感と結果の残し方は目を見張るものがある。決して負けていない、どころかしばしば共演者を食っている。ロケという戦場において、松岡茉優の魅力は見事に炸裂しているのだ。 ロケにおける松岡茉優の魅力は、いわゆる“女性タレント枠”の近年の活躍とは少し違うところにある。ワイプという手法が当たり前になった現代のテレビにおいては、天性の才能ではなく、研ぎすまされた技術力が必要とされているのが実情だが、松岡茉優のロケに技術はない。むしろ天性の人間力で見せている。これはかつて“バラドル”と呼ばれた人々のやり方に近い。例えて言うならば、井森美幸の系譜を引き継いでいる。それは技術というよりも、人としての面白さを打ち出すという手法だ。松岡茉優はいわば、先祖返りした稀有な存在だと言えるだろう。  それでは、ロケにおける松岡茉優の一体どこがすごいのか? 彼女のロケが面白すぎるのは、一体なぜだろうか?以下、3つの点に分類して論じていきたい。 (1)独特の言語センスが面白すぎる  番組の性質上、さまざまな店を訪ねて料理を食べるという場面が多々あるわけだが、そのときに述べる感想がいちいち独特である。たとえば「もちパイ」という、中がアツアツのお菓子を食べたときの感想はこうだ。 「とろっとしたのが中に入ってて、それがマグマなんです」  熱さをたとえるときに、「マグマ」という単語をすぐに繰り出せる人間はそうはいない。さらに言えば、普通こういった際は「マグマみたいなんです」とたとえるわけだが、それを省略して一気に「マグマなんです」と言い切る。これは、技術でできることではない。天性の勘で、自身の感情を最短距離で見つける。これは、女優としてのセンスとしか言いようがない。通常の食レポの常套手段とは異なるが、しかしこれこそが、松岡茉優の個性でもある。このほかにも、 「私、塩分大好きなんで」(店頭に並んだわさび塩を見つけて) 「よかったぁ、成長期で」(ステーキがたくさん食べられる自分の胃を評価して) 「男の子の発想ですよ!」(鉄板焼きのステーキをパンの上に載せるというアイデアに対して) など、ちょっと名言がすぎる。ある意味で出川哲朗的なテイストも感じさせるわけだが、弱冠20歳の女優が発言することによって、それはツッコミどころではなく、シンプルな魅力となる。この独特の言語センスは、やはり松岡茉優ならではのものだ。 (2)無言のリアクションが面白すぎる  ワイプ全盛時代の現在において、基本的には無言というリアクションはあり得ない。よっぽどのことでもない限り、その場で求められた的確な言葉を発して、カメラを自分に向けさせるというのが現代の主流である。  だが松岡茉優は、ワイプタレントとは一線を画している。あまりにも堂々と、無言でリアクションを行う。たとえば柳原可奈子がおかしなことを口にしたとき、何も言わずに目を見開いて「?」という顔を向けるというリアクションを披露する。決して出しゃばらない。そしてそれは、言葉によるツッコミが応酬する現代の流れとは別軸にあり、どこか懐かしく、ほっとさせてくれるものでもある。  おいしいものを食べたときもそうだ。ステーキ店で肉を食べた際、何も言わずに無言でガッツポーズをする。それだけで、おいしいということは伝わるのだった。想いを伝えるのに、言葉が必要だというのは錯覚である。松岡茉優は言葉に頼らず、表情や動きで感情を表現する。それは、女優としての顔も持つ松岡茉優だからこそできる、新たなリアクション像なのだ。 (3)無意識な自然体が面白すぎる  すでに述べたように、松岡茉優のロケの面白さは、人としての面白さだ。もちろん『正直さんぽ』の独特な自由な雰囲気がそれを可能にしているわけだが、それでもやはり、松岡茉優の無意識な自然体はちょっとどうかと思うくらいには面白い。たとえばこの回は、いちご狩りでいちごを食べる。そのときの松岡茉優の感想はこうだ。 「目がしみるぐらい! あん? 目がしみる……? (気付いて)目が覚めるぐらい甘いです!」  完全に間違っている。人はあまり、いちごを食べて目がしみるということはない。だがまあ、そこはよい。重要なのは、この間違ったセリフを口にした後に、一切何もなかったかのようにそのまま次の動作に移るという点だ。ここで、誰かにツッコミを入れさせたり、あるいは自分で、おかしなこと言っちゃった的なフォローを入れることがない。ここがすごい。つまり松岡茉優は、笑いを取りに行っているわけではない。カメラの前で、そのままの姿で、普通に過ごしているのだ。  それが最も分かりやすく映ったのが、同じくイチゴ狩りの場面だ。松岡茉優は「あれ食べたい!」と少し遠くのイチゴを目にして畝(うね)をまたぐのだが、そのときに完全に尻をカメラに向けている。共演者や視聴者どころか、カメラすら気にしていない。だが、それがまったくく下品ではないのだ。松岡茉優にはよこしまな気持ちなどなく、ただ単純に遠くのイチゴを取ろうとしている。その純粋な欲求が伝わるからこそ、下品には映らない。女性タレントというよりも、むしろ子どもや動物を見る感覚に近い。この無意識な自然体は、やはりほかのタレントでは真似ができないのだった。  松岡茉優は人間の面白さを見せる。そのロケのスタイルは現在の主流とは少し離れているが、しかしどこか懐かしい面白さにあふれている。この純粋な面白さは、これから先どのような形で進化を遂げるのか。いずれにせよ松岡茉優、2015年再注目の女性タレントであることは間違いないだろう。 【検証結果】  冒頭でも述べた通り、現在の“女性タレント枠”に最も必要とされている資質はワイプにある。あるいは、ワイプは女性タレント、ロケは芸人さん、という形での棲み分けが暗黙のうちにされている空気があると言っていいだろう。そしてワイプ芸とは、批評的な感覚が必要とされる。もちろんその感覚とそこで研ぎすまされた技術は評価されるべきだが、テレビはそれだけではない。ひな壇では輝かない才能もある。松岡茉優という才能はまさしくそういった種類のものであり、これから先、ロケという戦場で彼女が新しいテレビのあり方を提示してくれることを願ってやまない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

松岡修造がテニスから学んだ感謝の食レポ術 フジ『くいしん坊!万才』(3月16日&23日&30日放送)を徹底検証!

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『まいにち、修造!』(PHP研究所)
 日めくりカレンダー『まいにち、修造!』の大ヒットも記憶に新しい、松岡修造。その熱い人間性は誰もが知るところであり、先行きの見えない現代の日本社会において、一筋の光を常に与えてくれる稀有な存在だといっていいだろう。錦織圭選手の活躍によって元テニスプレイヤーとしてのメディア露出も多い松岡修造だが、彼のもう一つの功績もまた忘れてはならない。フジテレビ系『くいしん坊!万才』での、11代目くいしん坊としての活躍である。  『くいしん坊!万才』と聞いて誰を思い浮かべるかによって、その人の世代が分かる。1974年に放送を開始した長寿番組だ。年輩の方なら宍戸錠を思い浮かべるだろうし、梅宮辰夫や村野武範、あるいは山下真司という名前を挙げるかもしれない。だが実は、これらの歴代くいしん坊の中でも突出してくいしん坊キャリアが長いのが、現役のくいしん坊である松岡修造なのだ。およそ2年程度でくいしん坊を卒業するというのが通常のところ、松岡修造はなんと西暦2000年からくいしん坊を務めている。 もちろん、そこには理由があるに違いない。これだけ長くくいしん坊を任される松岡修造の一体どこが優れているのか。『くいしん坊!万才』3月16日放送分から3週にわたって確認したところ、ひとつの答えが導き出された。松岡修造の食レポは、彼がテニスから学んだ技術と精神によって成し遂げられている。以下、5つの点に分けて紹介しよう。 (1)正確なラリー  テニスにおいて最も重要なのは、来た球を打ち返すということ。つまりラリーである。松岡修造は出演する一般の方と、会話という名のラリーを実に正確に行う。具体的に言うと、とにかく相手の言葉を繰り返す。たとえば会話の相手が「サザエごはん」と口にしたら「え? サザエごはん!?」と、あるいは相手が「(鍋の)ダシはもうとってある」と言えば「ああ! もうダシはとってある!」とそのまま球を返すのだ。この正確無比なラリーは、松岡修造の特徴の一つだといえる。  番組の性質上、松岡修造と共演するのは多くの場合、一般の方だ。テレビに慣れていない人がほとんどであり、当然のように緊張もしているだろう。松岡修造は彼らの緊張をほぐすように、あなたの話を聞いていますよ、という意味で言葉を返す。会話術の基本ではあるが、このことで相手に与える安心感は大きい。松岡修造はラリーという言葉の繰り返しによって、相手の心の壁を取り払うのだった。 (2)常人離れした集中力  テニスというコンマ数秒単位で戦うスポーツでは、集中力がカギを握る。そして松岡修造は、その集中力を食事に対して発揮する。いちばん肝心なのは一口目だ。いったいどんな味がするのか。どんな歯ごたえで、どんな風味なのか。最も集中力が必要とされる場面である。ここで松岡修造は、必ずといっていいほど、目を閉じて一口目を味わうのだ。  目を閉じて視覚を遮断し、全身の神経を味覚に集中させる。その様子は真剣そのものであり、サービスを放つ直前のテニスプレイヤーを思わせる。多くの場合、食レポとは味を他者に伝えるものではあるが、松岡修造は集中して一口目を味わうということをまず優先する。料理に対して真剣に向き合うというその姿勢は、やはりアスリートならではのものだといっていいだろう。 (3)攻撃的なサーブ&ボレー  松岡修造の現役時代のプレースタイルといえば、攻撃的なサーブ&ボレー。現在はラケットの性質向上によりリターンがしやすくなったことからほとんど見られなくなった戦術ではあるが、『くいしん坊!万才』というコートにおいて松岡修造はこの攻撃的なスタイルを崩さない。具体的に言うと、出された料理をものすごい勢いでかき込むのであった。  とにかく、一口で食べる量が多い。そして、勢いよく口にかき込む。まさに、攻撃的としか表現できないスタイルだ。松岡修造の食レポは決して言葉数の多いものではなく、気の利いたフレーズを口にするわけではない。だが、その勢いよく食べる姿そのものが、おいしさを感じさせる。まさに『くいしん坊!万才』という番組タイトルにふさわしい。小手先で逃げない、正々堂々とした食レポスタイルを、松岡修造は貫いている。 (4)驚異的なスマッシュ  『くいしん坊!万才』では、最後に松岡修造が感想を述べて終わるというのがフォーマットとなっている。テニスでいうところの、スマッシュだ。ここで松岡修造が放つスマッシュはやはり彼独自のものであり、なかなかほかの人間に真似のできるものではない。たとえば3月16日の放送では、86歳の海女さんである、島さんという女性が海から獲ってきたサザエを食べるのだが、この回の感想はこうだ。 「島さんが獲ってきてくれたから、より感無量! そして島さんは一生現役! ワーッハッハ!」  この一点の曇りのない明るさはどうだ。見事なまでに清々しい。そして誰一人として傷つけることなく、誰もを笑顔にしている。自分が海から獲ってきたサザエをおいしそうに食べてくれて、こんなことを言われたら、島さんでなくても嬉しいだろう。松岡修造はこうして最後に見事にスマッシュを決めて、その場にいる全員と視聴者を笑顔にして帰すのであった。 (5)感謝の気持ちがそこにある  テニスにおいて最も重要な精神とは何か。それは感謝の気持ちである。テニスの試合では勝敗がついた後に、必ず相手選手と握手をする。それは、自分と戦ってくれてありがとう、という感謝の気持ちの表れであり、この精神がないプレイヤーは決して強くなることができない。松岡修造の根底にはこの感謝の精神があり、『くいしん坊!万才』でもそれは存分に発揮されている。  たとえば3月23日の放送では、あじろという食材を食べて「あじろに感謝したい。あじろとうございます!」とユニークなジョークを飛ばして感謝の意を伝える。あるいは3月30日の放送では坂本龍馬が愛したシャモ鍋を口にして「このシャモには龍馬さんの想いもたくさん詰まってるんですね。ありがとう!」と、もはや誰に対して感謝しているのかも定かではないが、とにかく感謝していることは間違いない。  松岡修造が長年にわたってくいしん坊という大役を務められているのは、この感謝の気持ちが根底にあるからだ。食材に対して。あるいは料理を作ってくれた一般の方に対して。そしてそれは、テニスにおいてもそうであるように、食べることそのものの本質である。松岡修造はテニスに感謝し、食べることに感謝し、そして人生に感謝する。ただの食レポではない、松岡修造の人生観こそが『くいしん坊!万才』には詰め込まれているのだ。 【検証結果】  松岡修造は現役時代、決して華麗なプレイヤーではなかった。時に熱く、時に泥臭く、そういったプレーが観客の心をつかんだのだ。彼は自分が強くなった理由をこう語っている。「僕が戦う相手は、いつも自分よりも強かったから」と。くいしん坊の旅はこれからも続く。おいしい、強い料理が、全国で松岡修造を待っている。これからもますます強くなっていくであろう松岡修造のくいしん坊っぷりから、これからも目が離せない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa