2016年の芸能界は、1月から騒がしい。数多くの芸能ニュースやスキャンダルが立て続けに起きているわけだが、その中でも日本国民が固唾をのんで見守ったのがSMAPの解散報道だろう。連日、テレビや新聞はトップニュースとして取り上げ、1月18日に放送された『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)では、緊急生放送としてメンバーの肉声を伝えた。そこで何が行われたのかは、すでに皆さんの知る通りだ。 いったい何が正しいのかとか、誰がどうしてどうなったのかなどということは、ここでは述べない。そんなことを書いていても、キリがないだろうから。その代わりにここでは、SMAPの中居正広が、いかに特別なMCであるかを書き記してみる。 1月20日に放送された『ナカイの窓』(日本テレビ系)は「ラッパーSP」と題して放送された。この番組がいつ収録されたのかは知るよしもないが、そこにはいつもの中居がいた。だって、一言目からこうだ。 「いろんなテーマありましたけど、一番不安ですね」 中居のMCとしての特殊性は、この一言に集約されていると言っても過言ではないだろう。番組の冒頭で、不安である、という本音を伝えるMCなんてほかにはいない。これこそが中居正広のMCの特殊性であり、そして大きな魅力のひとつだ。中居は、テレビの内側にいるにもかかわらず、テレビの外側にいる私たちと同じ目線でその場を享受する。 この日のゲストは大地洋輔(ダイノジ)、入江慎也(カラテカ)、LUNA、m.c.A・T、R-指定という5人。ラッパーSPにもかかわらず、芸人が5人中2人を占めている。かつ、LUNAはタレントとして、m.c.A・Tは大御所として知られている存在であるから、視聴者は純粋なラッパーとして捉えるわけではない。おそらく、コアなヒップホップのファンや現役のラッパーが見たら、首をかしげるメンバーだろう。 それをギリギリの線で、テレビとしてショーアップするのは中居だ。自身、歌手でありエンターテイナーであるにもかかわらず、「ラッパーに向いている」と言われたら立ち上がって「ヨーヨーヨーヨーヨー!」と声を上げ、おかしなポーズで「ティピラッピー!」と叫ぶ。やっていることは、そこら辺にいる大学生とほぼ変わらない。だが、スターである中居がそれをやることによって、視聴者は安心して、その場を楽しむことができるようになる。 思えば中居がMCを務める番組が、スベっているのを見たことがない。それは、中居が視聴者と同じ目線、視聴者と同じ視点を持っているからだ。この日の番組でもゲストがフリースタイルに挑戦し、R-指定は見事なラップを披露するが、芸人たちのラップはうまくいかない。さすがに、微妙な空気が流れる。普通のMCであれば、なんとかしてその状況を壊して面白くするであろうところで、中居は冷静な表情を浮かべてこう告げるのだ。 「R-指定いなかったら、今日どうしてた?」 それは、視聴者である私たちの気持ちと、まったく同じだ。中居は番組のMCでありながら、それを口に出す。何があっても、どんなときでも、視聴者の目線、視聴者の視点を欠かすことがない。 緊急生放送となった『SMAP×SMAP』では、これまでSMAPを見てきた視聴者からのメッセージが読み上げられた。そう、確かに私たちは、ずっとSMAPを見てきた。テレビの真ん中で、エンターテイナーとして輝くSMAPのことを。だが、中居に関しては、それだけではない。中居は私たち視聴者と同じ目線、同じ視点でテレビを見ていて、つまり私たちは中居を見ながら、同時に中居と同じものを見ていた。これまでずっとだ。中居が笑うときに私たちは笑い、中居が涙するときに私たちは涙し、中居と同じテレビをずっと一緒に見てきたのだ。だから中居を思い浮かべるとき、私たちは特別な気持ちになる。中居がテレビを楽しめないなら、それは私たちもまたテレビを楽しめないということでもあるから。 テレビが、芸能界が、アイドルが、夢を見せることができないのなら、存在意義なんてどこにもない。中居には、テレビの中で笑っていてほしい。そのとき私たちは、彼と同じ笑顔で笑っているだろう。 【検証結果】 『ナカイの窓』で大活躍を見せたラッパー、R-指定に、中居はこう言った。「今日、本当、いてくれてありがとう」と。それは、まさに私たちが中居に対してずっと思っていたことであり、そしてこれからも、言い続けたいと願っている言葉だ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa
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テレビが打ち出す“発掘”の新たな可能性 2016年注目の、3つのバラエティ番組とは?
2015年もテレビからは多くの番組やタレントが生まれたわけだが、印象に残っているのはお笑い芸人というより、むしろ他ジャンルからのニューカマーかもしれない。たとえば最近テレビで見かける有名人といえば、佐藤栞里や羽田圭介、あるいは藤田ニコルなど。新たなタレントが数多く発掘された年だといえるかもしれない。 そして昨年は、バラエティ番組においてもまた発掘の年だった。いわゆる素人発掘系の番組は『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)、『アウト×デラックス』(フジテレビ系)や少し毛色は違うが『有吉反省会』(日本テレビ系)など、少し前からひとつの流れとしてはあったが、昨年もその流れは続いた。10月に始まった『指原カイワイズ』(フジテレビ系)もそうだし、あるいは『しくじり先生』(テレビ朝日系)も取り上げているのはタレントではあるが、これまで見せてこなかった部分を見せるという意味では、発掘系の番組だといえるだろう。 その流れを踏まえて、昨年スタートした、あるいは昨年元気だった3つのバラエティ番組を挙げてみたい。いずれも発掘という要素を持ちながら、それぞれ強い個性を持つ番組であり、16年も要注目のバラエティだ。 ■『人生のパイセンTV』(フジテレビ系) 15年10月にレギュラー放送スタート。人からバカだと言われようが己のポリシーを貫き人生を謳歌している先輩のことを「パイセン」と呼び、たまにウザいけど一緒にいて楽しい愉快なパイセンたちを紹介する番組だ。これだけ聞くと、最近よくある素人発掘番組のようではあるが、対象者との距離感がほかの番組とはまったく違う。変わった人を見て笑うというのではなく、変わった人と一緒になって笑おうという、あまりにも近すぎる距離感が全編通して伝わってきて、底抜けかつ裸の楽しさが尋常ではない。 テロップや音など編集を駆使して「パイセン」の素敵さを伝えるVTRも見どころ満載だが、それを見るオードリー・若林正恭とベッキーがとにかく楽しそうなのも素敵だ。ほかの番組では見えない自然体の姿があり、ゲラゲラ笑いながらVTRにツッコむ若林もさることながら、一人ミュージカルという隠された秘技まで披露してしまうベッキーの姿が見られるのは、この番組ならでは。これまでのテレビの常識に捉われない、新たな息吹を感じることができる。 番組では登場する「パイセン」のことを「たまにウザいけど一緒にいて楽しい」と表現しているが、この番組もまさにそうだ。たまにウザいけど、一緒にいて楽しいバラエティ。日曜の夜に暗澹たる気分に陥っている人が見て、人生ってそう悪いもんじゃないかもしれない、と思える番組である。 ■『マツコ会議』(日本テレビ系) 15年10月スタート。もはや現代のテレビには欠かせない顔となったマツコ・デラックスだが、昨年4月に始まった『夜の巷を徘徊する』(テレビ朝日系)と並んで、マツコしか持ち得ない特性が存分に発揮された番組だ。毎回話題となっている場所と中継をつないで一般の方に話を聞いていくわけだが、この番組でのマツコ・デラックスはMCだけではなく、総合演出として出演している。 とにかく、中継先の相手へのマツコのツッコミの入れ方が絶妙。もちろん一般の方に対してツッコむ場面もあるのだが、その場合は決して過剰にひねったり悪く言うことなく、むしろ敬意を持って接している。強いツッコミを入れる相手は必ず中継先のディレクターであり、そのさじ加減が素晴らしい。一般の方を「素人」というように扱わず、むしろ「玄人」と呼ばれる側のディレクターが怒られる様子が新鮮であり、この番組をほかの番組と違う位置へと押し上げている。 『夜の巷を徘徊する』もそうだが、テレビとは限られた種類の人間だけが作るものではなく、むしろ土地から生まれるものだという信念すら感じられるほど。15年のマツコが密かに行っている挑戦とは、街頭テレビの時代への原点回帰であり、あるいは新たな形での萩本欽一的テレビの復権だといえるのかもしれない。 ■『水曜日のダウンタウン』(TBSテレビ系) 14年4月にスタートした番組だが、その勢いは昨年も止まらなかった。というかむしろ、ますます勢いを増しているといって少しも過言ではない。昨年で言うと「松本人志メキシコからきた謎のマスクマンとしてプロレス会場に登場してもバレない」説と「『結果発表』のコールが日本一上手いの浜田雅功」説は、15年以降のダウンタウン像を確かに発掘している。 あるいは、天龍源一郎のハスキーボイスや松野明美の大根っぷりなど、タレントの新たな側面の発掘や、大友康平を面白いという切り口で捉える手法など、とにかく新しいものが毎週のように発掘され続けている。どの回を見ても抜群に面白いという確変状態は止まる気配すらない。16年もまた、最注目のバラエティ番組だ。 以上、3つの番組は、発掘というだけにとどまらず、社会性をどこかに感じるという点でも共通している。テレビは小さなスタジオの中だけで作られるものではなく、むしろ世間の中にあるべきものだ。15年はテレビが狭いモニタの中から飛び出し、世間に向かって正しく対峙しようとする、その最初の年だったといえるかもしれない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa『人生のパイセンTV』フジテレビ
水卜麻美が唯一無二の女子アナである理由とは? 日テレ『ヒルナンデス!』(12月11日放送)ほかを徹底検証!
先日発表されたORICON STYLEによる「第12回好きな女性アナウンサーランキング」で見事首位を獲得したのは、今年も日本テレビの水卜麻美だった。一昨年、昨年から引き続いての3連覇となり、他の追随を許さない。盤石の水卜体制がテレビ界に築かれつつある、といっても過言ではないだろう。 これまでテレビは、数多くの人気女性アナウンサーを輩出してきたわけだが、水卜の特殊性は技術や容姿だけではなく、そのキャラクターの強さにある。一言でいえば、よく食べる人。そのキャラクターが、彼女の魅力だ。これほどまでにキャラクター性に特化した女性アナウンサーは過去にはいなかったし、言ってみれば水卜とは女性アナウンサーというカテゴリーよりも、むしろふなっしーなどのゆるキャラとして、視聴者から求められている。 そのわかりやすい例が、11月22日に放送された日本テレビ系『笑点』だ。この日は女性アナウンサー大喜利ということで、いつもの『笑点』メンバーと、日本テレビの女性アナウンサーがタッグを組んだ。ここでの水卜の存在は大きい。自分から面白いことを言うというよりも、むしろ面白いネタになることで、『笑点』らしさを生み出していた。 お題は「秋」に絡めて、「あ」「き」で文章を作ってください、というもの。ここで同僚の女性アナウンサーたちから、水卜は三連続でいじられる。 水卜麻美の口癖として「あー、おなかへった。きつい」(笹崎里菜アナ) 水卜麻美の日常として「明日からダイエット。今日は焼肉食べ放題」(徳島えりかアナ) 水卜麻美のさらなる日常として「明日焼肉なのに、今日も焼肉ですか?」(尾崎里沙アナ) このいじりに対して、笑顔で「ばれたー」「そうなんです」「毎日焼肉なんですー」と返す水卜も見事だが、前提として“よく食べる人”という共有の知識があるからこそ、きっちりした笑いが起きる。そもそも出演者のキャラクターに特化するという『笑点』のスタイルとも合致する形で、水卜は自分から攻めるわけではなく、受けに徹することにより、全体としての笑いを生んでいる。 水卜の魅力は、まさにこの点にある。強いキャラクターは、自分が前に出るためではなく、共演者を生かす。『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)でも、毎週金曜日の有吉弘行との名タッグは見物だ。12月11日の放送では、日本ハムファイターズの大谷翔平選手のプロフィールで、高校時代に体を大きくするためにご飯を1日に13杯食べていた、というエピソードが紹介されるのだが、ここで有吉は、 「水卜さんも、体を大きくするためにご飯をだいぶ食べてらっしゃる」 と発言。すでに水卜のキャラクターと、有吉との関係性が出来上がっていることもあり、水卜はカットインする形で「13杯まではいかないです!」「別に大きくしたくてやってるわけじゃないんです。(体が大きく)なっちゃった!」と瞬時に返し、その場に大きな笑いが生まれる。 特筆すべきは、ここで水卜が自分から前に出ているわけではない、という点だ。あくまでもいじられて、返す。そしてその返しは、自分が笑いを取りに行くためというよりも、むしろ自身のキャラクターを強化する発言に終始している。つまり水卜の返しは、その場で笑いを起こすためというよりも、未来の共演者に向けたパスだとも言えるだろう。 殺伐とした時代であり、前へ前へと出る大きな声の人間が幅を利かせている昨今、水卜というキャラクターの存在はテレビ全体における癒やしであり、救いだ。受けに徹するという、ある意味での古き良き日本の伝統を、水卜は今日も紡いでいる。 【検証結果】 「よく食べる」かつ「高いキャラクター性を持つ」という意味で、水卜麻美の比較対象になるのは藤子不二雄が生んだ名キャラクター『オバケのQ太郎』だといえるだろう。実写版『オバケのQ太郎』が企画されるとしたら主演は水卜であるべきだし、かなり再現性も高くなることは間違いない。かつて『オバケのQ太郎』のヒットと商品化により、小学館は高い収益を収め、当時建築された本社ビルは「オバQビル」という異名で呼ばれたほどだ。汐留に「水卜ビル」が築かれるのも、そう遠い未来の話ではないのかもしれない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa「Hanako (ハナコ) 2015年2月26日号」(マガジンハウス)
2015年のニューカマー、羽田圭介はすなわち蛭子能収であるという説 フジ『SMAP×SMAP』(12月7日放送)を徹底検証!
2015年も、テレビ界には数々のニューカマーが誕生した。だがその中でも誰一人、おそらく本人でさえ、予想しなかったほどの活躍を見せているのが、小説家の羽田圭介だろう。ピースの又吉直樹とともに芥川賞を受賞し、その時点では当然のようにメディアの話題は又吉一色。だが、その独特の存在感を、テレビは放ってはおかない。あれよあれよと出演回数を重ね、いまやテレビで見ない日はないほどの売れっ子となった。 その確かな証拠といえるのが、12月7日に放送された『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)への出演だ。「2015年の人気者大集合SP!!」として題されたこの日のビストロスマップには、とにかく明るい安村、厚切りジェイソン、藤田ニコル、三戸なつめといった紛うことなき人気者に並んで、羽田の姿があった。その人選に一切の違和感を覚えないほど、羽田は今年下半期のテレビを席巻していた。 それでは、タレントとしての羽田の魅力とはどこにあるのか? 今回は、こんな説を挙げてみたい。すなわち「羽田圭介=蛭子能収」説である。唐突に聞こえるかもしれない。確かに年齢も大きく違えば、印象も異なるだろう。だが、見れば見るほど、羽田と蛭子はそっくりなのだ。具体的に類似点を挙げてみよう。 (1)表情の均一さ 『SMAP×SMAP』でも、本人が「『いつも無表情で映ってる』って、いろんな人から言われますけど」と語っていた通り、羽田は表情を変えないという印象が強い。もちろん笑うこともあるのだが、無表情という表情がどこか顔に貼り付いている。これは、羽田とほかのタレントと大きく違う部分であり、ある意味でワイプ芸など過剰な表情に辟易した視聴者が好ましく思うところでもあるだろう。 一方の蛭子もまた、常に同じ表情をしていることでおなじみだ。両者の表情の均一さはともに、共演者やスタッフが求める表情をしないという、自己の強さと捉えることもできる。個であっていいというそのスタイルは、ときに価値観を押しつけられがちな現代社会において、ある種の視聴者が無意識下に求めているものだともいえる。 (2)度を越した偏食 蛭子といえば『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)でも、決して地元の名産品を食べずにその偏食をいじられるというのがお決まりだが、羽田の偏食ぶりもまた度を越している。同3日に放送された『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)の中で羽田の食生活が紹介されたのだが、毎日、朝昼晩、同じ鶏ハムメニュー。この点でいえば、蛭子を超えていると言っても過言ではない。 食欲とは言わずもがな、人間の三大欲求のひとつなわけだが、そこに対しての趣向のなさが生き物としての異物さを強調している。最後の最後で共感できなさそう、という雰囲気がどこかにある。だからこそ、怖いもの見たさで、視聴者は羽田や蛭子のような人知を超えた存在を求めるのかもしれない。 (3)ギャラに対する考え方 『ダウンタウンDX』においては、羽田のギャラに対する考え方も明らかになった。というか、ギャラ自体を自らの口で明かしていて「僕の原稿料だと(1本)80万円。それだと、テレビに3~4本出れば……」と堂々と発言。松本人志から「もうちょっと包み隠してもらっていいですか?」とクギを刺されるほどにあけすけであった。 そしてこの思想は「テレビに出るほうがギャラが良いから、漫画は描きたくない」と日々公言する蛭子とまったく同じだ。もちろん羽田はまだ若く、蛭子のような態度で創作に当たるということはないだろうが、本質は等しい。もし羽田が競艇にハマることがあったら、事態はどう動いてもおかしくはない。 以上、3つの点から「羽田圭介=蛭子能収」説を立証してみた。両者がかなり近い存在であることが、おわかりいただけたのではないだろうか。そして両者に共通するのは、徹底的な異物感であり、それはテレビという場所においても自己を曲げない、という態度に由来している。無理をせず、ウケを狙わず、ただ自分としてそこにいる。さまざまな意味でアイデンティティを失いつつある現代日本において、社会を象徴するメディアであるテレビが彼らのような強い自己を求めるのは、ある意味で必然だといえるのかもしれない。 【検証結果】 「羽田圭介=蛭子能収」説でさらに補足するなら、両者とも、人が言いにくいことを堂々と言ってくれるという点も挙げられるだろう。それを言うか、と視聴者が驚くような、身もフタもないことを彼らはしばしば口にする。それは異物のみに許される行為だが、一般人である視聴者のストレスを解消している。社会全体を息苦しい空気が包む中で、羽田圭介と蛭子能収の発言は、確かに求められているのだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa
2015年のニューカマー、羽田圭介はすなわち蛭子能収であるという説 フジ『SMAP×SMAP』(12月7日放送)を徹底検証!
2015年も、テレビ界には数々のニューカマーが誕生した。だがその中でも誰一人、おそらく本人でさえ、予想しなかったほどの活躍を見せているのが、小説家の羽田圭介だろう。ピースの又吉直樹とともに芥川賞を受賞し、その時点では当然のようにメディアの話題は又吉一色。だが、その独特の存在感を、テレビは放ってはおかない。あれよあれよと出演回数を重ね、いまやテレビで見ない日はないほどの売れっ子となった。 その確かな証拠といえるのが、12月7日に放送された『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)への出演だ。「2015年の人気者大集合SP!!」として題されたこの日のビストロスマップには、とにかく明るい安村、厚切りジェイソン、藤田ニコル、三戸なつめといった紛うことなき人気者に並んで、羽田の姿があった。その人選に一切の違和感を覚えないほど、羽田は今年下半期のテレビを席巻していた。 それでは、タレントとしての羽田の魅力とはどこにあるのか? 今回は、こんな説を挙げてみたい。すなわち「羽田圭介=蛭子能収」説である。唐突に聞こえるかもしれない。確かに年齢も大きく違えば、印象も異なるだろう。だが、見れば見るほど、羽田と蛭子はそっくりなのだ。具体的に類似点を挙げてみよう。 (1)表情の均一さ 『SMAP×SMAP』でも、本人が「『いつも無表情で映ってる』って、いろんな人から言われますけど」と語っていた通り、羽田は表情を変えないという印象が強い。もちろん笑うこともあるのだが、無表情という表情がどこか顔に貼り付いている。これは、羽田とほかのタレントと大きく違う部分であり、ある意味でワイプ芸など過剰な表情に辟易した視聴者が好ましく思うところでもあるだろう。 一方の蛭子もまた、常に同じ表情をしていることでおなじみだ。両者の表情の均一さはともに、共演者やスタッフが求める表情をしないという、自己の強さと捉えることもできる。個であっていいというそのスタイルは、ときに価値観を押しつけられがちな現代社会において、ある種の視聴者が無意識下に求めているものだともいえる。 (2)度を越した偏食 蛭子といえば『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)でも、決して地元の名産品を食べずにその偏食をいじられるというのがお決まりだが、羽田の偏食ぶりもまた度を越している。同3日に放送された『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)の中で羽田の食生活が紹介されたのだが、毎日、朝昼晩、同じ鶏ハムメニュー。この点でいえば、蛭子を超えていると言っても過言ではない。 食欲とは言わずもがな、人間の三大欲求のひとつなわけだが、そこに対しての趣向のなさが生き物としての異物さを強調している。最後の最後で共感できなさそう、という雰囲気がどこかにある。だからこそ、怖いもの見たさで、視聴者は羽田や蛭子のような人知を超えた存在を求めるのかもしれない。 (3)ギャラに対する考え方 『ダウンタウンDX』においては、羽田のギャラに対する考え方も明らかになった。というか、ギャラ自体を自らの口で明かしていて「僕の原稿料だと(1本)80万円。それだと、テレビに3~4本出れば……」と堂々と発言。松本人志から「もうちょっと包み隠してもらっていいですか?」とクギを刺されるほどにあけすけであった。 そしてこの思想は「テレビに出るほうがギャラが良いから、漫画は描きたくない」と日々公言する蛭子とまったく同じだ。もちろん羽田はまだ若く、蛭子のような態度で創作に当たるということはないだろうが、本質は等しい。もし羽田が競艇にハマることがあったら、事態はどう動いてもおかしくはない。 以上、3つの点から「羽田圭介=蛭子能収」説を立証してみた。両者がかなり近い存在であることが、おわかりいただけたのではないだろうか。そして両者に共通するのは、徹底的な異物感であり、それはテレビという場所においても自己を曲げない、という態度に由来している。無理をせず、ウケを狙わず、ただ自分としてそこにいる。さまざまな意味でアイデンティティを失いつつある現代日本において、社会を象徴するメディアであるテレビが彼らのような強い自己を求めるのは、ある意味で必然だといえるのかもしれない。 【検証結果】 「羽田圭介=蛭子能収」説でさらに補足するなら、両者とも、人が言いにくいことを堂々と言ってくれるという点も挙げられるだろう。それを言うか、と視聴者が驚くような、身もフタもないことを彼らはしばしば口にする。それは異物のみに許される行為だが、一般人である視聴者のストレスを解消している。社会全体を息苦しい空気が包む中で、羽田圭介と蛭子能収の発言は、確かに求められているのだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa
プロレスラーがバラエティで決して負けない3つの理由 日テレ『ダウンタウンDX』(11月12日放送)を徹底検証!
2015年11月15日、両国国技館にて、ひとりのレジェンド・レスラーがリングを去った。男の名は天龍源一郎。プロレスファンならずとも、一度は名前を聞いたことがあるのではないか。数々の団体を渡り歩き、多くの革命を起こしてきた”ミスター・プロレス”。昭和のプロレス界を駆け抜けていった昇り龍は、超満員の観客の涙と笑顔とともに、リングを後にしたのだった。 そんな天龍が引退試合の相手に選んだのは、新日本プロレスに所属するオカダ・カズチカ。ゴリゴリの昭和気質あふれる天龍とは対照的に、甘いマスクに高い身体能力、数多くの派手な技を駆使するオカダは、まさに平成プロレスの申し子ともいえる。この両者が果たしてかみ合うのかという声もあったが、実際に闘ってみたら、まさにこれこそが天龍の最後の試合にふさわしいと思える名勝負であった。昭和プロレスと平成プロレスのハイブリッドが、確かにこの試合には存在していた。 さて、昨今のバラエティでは数多くのプロレスラーが出演することが多いわけだが、これらの番組でもまた、昭和と平成のハイブリッドが行われていると言っても過言ではない。この1週間だけを振り返ってみても、11月10日放送の『ペケポンプラス 2時間SP』(フジテレビ系)には飯伏幸太(DDTプロレスリング&新日本プロレス)と高木三四郎(DDTプロレスリング)、11日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)にはスーパー・ササダンゴ・マシン(DDTプロレスリング)、12日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)には長州力(リキプロ)と真壁刀義(新日本プロレス)が出演と、ゴールデン&プライムの時間帯にこれほど多くの、かつ世代を越えた多様なプロレスラーが出演しているというのは、ただごとではない。 かつ重要なのが、これらの番組ですべてのレスラーがそれぞれ重要な役割を任され、その上でしっかりと結果を残しているという点にある。バラエティ番組においても、プロレスラーは決して負けない。実際、トークバラエティにおけるプロレスラーの重要性は、ここ数年で確かに増しているといえるだろう。それではなぜ、プロレスラーはバラエティ番組においても強いのか? ここでは、12日に放送された『ダウンタウンDX』に出演した長州力のすごさを検証してみたい。 (1)確実にダメージを与える得意技がある プロレスは、一発の技でいきなり試合が決まるという種類のものではない。試合を組み立てるためには、ある程度のダメージを相手に何度か与える必要がある。トークバラエティにおいてはつまり、確実にある程度の笑いが起こるエピソードトークがその技に当たる。試合を決める一発の爆笑トークではなく、プロレスラーという非常に特殊な職業ならではのエピソードトーク。この数と質において、プロレスラーの右に出る者はいない。 『ダウンタウンDX』においては、長州の後輩である真壁がその役割を担っている。アントニオ猪木から、氷の入った水槽に入るよう言われたというエピソードは、猪木がそのことを異常だと思っていないからこそ、一般視聴者にとっては確実に笑えるエピソードになる。そんな猪木が、長州の引退興行で突然自分も引退すると言いだし、長州がそれに対して「訳わかんなかったですね」と素朴に語る様子もまさにプロレスラーならではであり、特に昭和時代のプロレス業界においては、こういったすべらない話が山のように存在している。 特に昨今のトークバラエティにおいては、エピソードトークをどれだけ持っているかがゲストとしての強さを示すバロメーターだと言っても過言ではない。そういった意味で、過剰な人間ばかりが集まるプロレス業界は、エピソードトークの宝庫だ。それを視聴者にしっかり説明できる人間がいれば、確実に笑いは起こるわけで、そりゃゲストに呼ばれるだろうという話だったりするのだ。 (2)力強いタッグパートナーがいる プロレスには1対1のシングルマッチではなく、複数のレスラー同士が戦うタッグマッチという形式もある。その際、どんなタッグパートナーがいるかが重要になってくるわけだが、『ダウンタウンDX』では、その意味で最強のタッグパートナーがゲストに配置されていた。プロレスファンを代表してプロレスのエピソードを視聴者に対して語れる、勝俣州和がその人である。 勝俣が重要なのは、プロレスマニアではなく、あくまでもプロレスファンとしてそこにいるという点だ。マニアであれば知っていて当たり前の情報を、プロレスファンとして、新鮮に語ることができる稀有な人物である。この日も、かつて長州が放った「テメエが死んだら、墓にクソぶっかけてやる!」という名言を紹介。プロレスマニアなら誰もが知っているこの名言だが、もちろん多くの出演者や視聴者はマニアではない。この発言を新鮮なものとして聞かせることで、長州の無茶苦茶さをしっかりと視聴者に伝えている。 かつ、タッグパートナーは、実は勝俣だけではない。勝俣をこの日のゲストに呼んでいるスタッフもまた、タッグパートナーだといえるだろう。基本的にプロレスファンはどの世界にも潜んでおり、プロレスの素晴らしさを世間に対して届けようと企んでいる。長州をただの面白おじさんとして扱うのではなく、さまざまな意味において、プロレスラーとしての長州の面白さを引き出したいと思うからこそ、スタッフが勝俣をそこに配置しているのだろう。その意味で、スタッフをも巻き込んだ優秀なチームプレイが、ここでは発揮されているのだ。 (3)オリジナルのフィニッシュホールドを持っている プロレスの試合においては多くの場合、プロレスラーがオリジナルのフィニッシュホールドを繰り出して勝敗が決定する。誰もが使えるような技ではなく、そのプロレスラー独自のオリジナルの技がそこにはある。プロレスラーは、ただプロレスをやればいいというわけではない。自らの人生や個性や生き様を象徴するようなファイトスタイルを自ら選び取り、それに見合ったフィニッシュホールドで相手から勝利を奪うというのが名プロレスラーだといえる。 この日の『ダウンタウンDX』の最後のオチ、いわばフィニッシュホールドを決めたのは、長州その人だった。遠征中の宿泊先で本当にあった怖い話を披露する長州。部屋のカーテンの上のほうを見たら、本来いるはずのない男性と女性が向かい合っている……。そこまで話して、ローラから「見たの?」と問われると、「いやボク(が見たん)じゃないんです」と答え、なんだそれは、という雰囲気で笑いが起こる。そこで決めるのが長州だ。隣にいる真壁に対して「俺、滑舌悪いか?」と一言。まさしく大団円といえるだろう。 プロレスラーは、自らの人生や個性や生きざまがすべてそのまま武器になるという特殊な職業である。昨今、滑舌が悪い人として扱われることの多い長州だが、それを逆手に取っての見事なフィニッシュ。一切満足げな顔を見せることなく、当たり前の仕事をして帰って行く長州の姿は、やはり昭和のレジェンドのそれであった。 結局のところ、バラエティ番組もプロレスも、基本は一緒である。そこには論理的なテクニックとサイコロジーがあり、普段からプロレスという場でその能力を研ぎすませているプロレスラーが、バラエティ番組で面白くないはずはないのだった。天龍をはじめとして、これからも昭和の時代を築いたプロレスラーがリングを後にしていくのだろう。だが、そのイズムは確かに継承されていく。再びプロレスブームを巻き起こすのは、昭和のレジェンドから魂を受け継いだ、これからのプロレスラーに違いない。 【検証結果】 ここでは昭和のレジェンドである長州力を取り上げたが、現在のプロレスラーは多種多様な個性を持っているため、場面場面でしっかりと結果を残している。立命館大学出身の棚橋弘至はクイズ番組に呼ばれることも多く、真壁刀義はその無骨な顔に似合わず、スイーツが好きという個性を生かしている。また、飯伏幸太の天然キャラは視聴者の評価を確かに勝ち取っているし、スーパー・ササダンゴ・マシンに至っては「近年のプロレス、幅広がってる説」を披露し、プロレス自体にプロレスラーが言及するという離れ業を成し遂げている。個性にあふれ、百花繚乱ともいえる現在のプロレス業界。隠し球もまだまだ多数存在しているため、プロレスラーがバラエティ番組のある部分を席巻するという時代は、思いのほか早く到来するのかもしれない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa長州力オフィシャルサイトより
プロレスラーがバラエティで決して負けない3つの理由 日テレ『ダウンタウンDX』(11月12日放送)を徹底検証!
2015年11月15日、両国国技館にて、ひとりのレジェンド・レスラーがリングを去った。男の名は天龍源一郎。プロレスファンならずとも、一度は名前を聞いたことがあるのではないか。数々の団体を渡り歩き、多くの革命を起こしてきた”ミスター・プロレス”。昭和のプロレス界を駆け抜けていった昇り龍は、超満員の観客の涙と笑顔とともに、リングを後にしたのだった。 そんな天龍が引退試合の相手に選んだのは、新日本プロレスに所属するオカダ・カズチカ。ゴリゴリの昭和気質あふれる天龍とは対照的に、甘いマスクに高い身体能力、数多くの派手な技を駆使するオカダは、まさに平成プロレスの申し子ともいえる。この両者が果たしてかみ合うのかという声もあったが、実際に闘ってみたら、まさにこれこそが天龍の最後の試合にふさわしいと思える名勝負であった。昭和プロレスと平成プロレスのハイブリッドが、確かにこの試合には存在していた。 さて、昨今のバラエティでは数多くのプロレスラーが出演することが多いわけだが、これらの番組でもまた、昭和と平成のハイブリッドが行われていると言っても過言ではない。この1週間だけを振り返ってみても、11月10日放送の『ペケポンプラス 2時間SP』(フジテレビ系)には飯伏幸太(DDTプロレスリング&新日本プロレス)と高木三四郎(DDTプロレスリング)、11日放送の『水曜日のダウンタウン』(TBS系)にはスーパー・ササダンゴ・マシン(DDTプロレスリング)、12日放送の『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)には長州力(リキプロ)と真壁刀義(新日本プロレス)が出演と、ゴールデン&プライムの時間帯にこれほど多くの、かつ世代を越えた多様なプロレスラーが出演しているというのは、ただごとではない。 かつ重要なのが、これらの番組ですべてのレスラーがそれぞれ重要な役割を任され、その上でしっかりと結果を残しているという点にある。バラエティ番組においても、プロレスラーは決して負けない。実際、トークバラエティにおけるプロレスラーの重要性は、ここ数年で確かに増しているといえるだろう。それではなぜ、プロレスラーはバラエティ番組においても強いのか? ここでは、12日に放送された『ダウンタウンDX』に出演した長州力のすごさを検証してみたい。 (1)確実にダメージを与える得意技がある プロレスは、一発の技でいきなり試合が決まるという種類のものではない。試合を組み立てるためには、ある程度のダメージを相手に何度か与える必要がある。トークバラエティにおいてはつまり、確実にある程度の笑いが起こるエピソードトークがその技に当たる。試合を決める一発の爆笑トークではなく、プロレスラーという非常に特殊な職業ならではのエピソードトーク。この数と質において、プロレスラーの右に出る者はいない。 『ダウンタウンDX』においては、長州の後輩である真壁がその役割を担っている。アントニオ猪木から、氷の入った水槽に入るよう言われたというエピソードは、猪木がそのことを異常だと思っていないからこそ、一般視聴者にとっては確実に笑えるエピソードになる。そんな猪木が、長州の引退興行で突然自分も引退すると言いだし、長州がそれに対して「訳わかんなかったですね」と素朴に語る様子もまさにプロレスラーならではであり、特に昭和時代のプロレス業界においては、こういったすべらない話が山のように存在している。 特に昨今のトークバラエティにおいては、エピソードトークをどれだけ持っているかがゲストとしての強さを示すバロメーターだと言っても過言ではない。そういった意味で、過剰な人間ばかりが集まるプロレス業界は、エピソードトークの宝庫だ。それを視聴者にしっかり説明できる人間がいれば、確実に笑いは起こるわけで、そりゃゲストに呼ばれるだろうという話だったりするのだ。 (2)力強いタッグパートナーがいる プロレスには1対1のシングルマッチではなく、複数のレスラー同士が戦うタッグマッチという形式もある。その際、どんなタッグパートナーがいるかが重要になってくるわけだが、『ダウンタウンDX』では、その意味で最強のタッグパートナーがゲストに配置されていた。プロレスファンを代表してプロレスのエピソードを視聴者に対して語れる、勝俣州和がその人である。 勝俣が重要なのは、プロレスマニアではなく、あくまでもプロレスファンとしてそこにいるという点だ。マニアであれば知っていて当たり前の情報を、プロレスファンとして、新鮮に語ることができる稀有な人物である。この日も、かつて長州が放った「テメエが死んだら、墓にクソぶっかけてやる!」という名言を紹介。プロレスマニアなら誰もが知っているこの名言だが、もちろん多くの出演者や視聴者はマニアではない。この発言を新鮮なものとして聞かせることで、長州の無茶苦茶さをしっかりと視聴者に伝えている。 かつ、タッグパートナーは、実は勝俣だけではない。勝俣をこの日のゲストに呼んでいるスタッフもまた、タッグパートナーだといえるだろう。基本的にプロレスファンはどの世界にも潜んでおり、プロレスの素晴らしさを世間に対して届けようと企んでいる。長州をただの面白おじさんとして扱うのではなく、さまざまな意味において、プロレスラーとしての長州の面白さを引き出したいと思うからこそ、スタッフが勝俣をそこに配置しているのだろう。その意味で、スタッフをも巻き込んだ優秀なチームプレイが、ここでは発揮されているのだ。 (3)オリジナルのフィニッシュホールドを持っている プロレスの試合においては多くの場合、プロレスラーがオリジナルのフィニッシュホールドを繰り出して勝敗が決定する。誰もが使えるような技ではなく、そのプロレスラー独自のオリジナルの技がそこにはある。プロレスラーは、ただプロレスをやればいいというわけではない。自らの人生や個性や生き様を象徴するようなファイトスタイルを自ら選び取り、それに見合ったフィニッシュホールドで相手から勝利を奪うというのが名プロレスラーだといえる。 この日の『ダウンタウンDX』の最後のオチ、いわばフィニッシュホールドを決めたのは、長州その人だった。遠征中の宿泊先で本当にあった怖い話を披露する長州。部屋のカーテンの上のほうを見たら、本来いるはずのない男性と女性が向かい合っている……。そこまで話して、ローラから「見たの?」と問われると、「いやボク(が見たん)じゃないんです」と答え、なんだそれは、という雰囲気で笑いが起こる。そこで決めるのが長州だ。隣にいる真壁に対して「俺、滑舌悪いか?」と一言。まさしく大団円といえるだろう。 プロレスラーは、自らの人生や個性や生きざまがすべてそのまま武器になるという特殊な職業である。昨今、滑舌が悪い人として扱われることの多い長州だが、それを逆手に取っての見事なフィニッシュ。一切満足げな顔を見せることなく、当たり前の仕事をして帰って行く長州の姿は、やはり昭和のレジェンドのそれであった。 結局のところ、バラエティ番組もプロレスも、基本は一緒である。そこには論理的なテクニックとサイコロジーがあり、普段からプロレスという場でその能力を研ぎすませているプロレスラーが、バラエティ番組で面白くないはずはないのだった。天龍をはじめとして、これからも昭和の時代を築いたプロレスラーがリングを後にしていくのだろう。だが、そのイズムは確かに継承されていく。再びプロレスブームを巻き起こすのは、昭和のレジェンドから魂を受け継いだ、これからのプロレスラーに違いない。 【検証結果】 ここでは昭和のレジェンドである長州力を取り上げたが、現在のプロレスラーは多種多様な個性を持っているため、場面場面でしっかりと結果を残している。立命館大学出身の棚橋弘至はクイズ番組に呼ばれることも多く、真壁刀義はその無骨な顔に似合わず、スイーツが好きという個性を生かしている。また、飯伏幸太の天然キャラは視聴者の評価を確かに勝ち取っているし、スーパー・ササダンゴ・マシンに至っては「近年のプロレス、幅広がってる説」を披露し、プロレス自体にプロレスラーが言及するという離れ業を成し遂げている。個性にあふれ、百花繚乱ともいえる現在のプロレス業界。隠し球もまだまだ多数存在しているため、プロレスラーがバラエティ番組のある部分を席巻するという時代は、思いのほか早く到来するのかもしれない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa長州力オフィシャルサイトより
ロッチの『KOC』1本目はなぜ、あれだけウケたのか 日テレ『世界の果てまでイッテQ』(10月25日放送)を徹底検証!
『キングオブコント2015』(10月11日放送、TBS系)で主役の座を射止めたのは、ダークホースともいえる、コロコロチキチキペッパーズだった。2人のキャラクターを生かした設定と4分間の見事な使い方は、優勝にふさわしいものだった。だがこの日、主役はもう1組存在していた。コロコロチキチキペッパーズに優勝を譲る形になった、ロッチである。 ロッチの1本目のネタは、アパレルショップの試着室という設定。店員役のコカドケンタロウが何度声をかけても、お客の中岡創一はまだ着替えの途中でパンツが丸出し。このボケを繰り返すという、言ってしまえばただそれだけのネタだが、ウケにウケた。1本目が終わってからの結果は第1位。誰もが優勝を予想したわけだが、2本目のボクシングチャンピオンのネタで失速し、逆転を許すことになる。 なぜロッチの1本目は、あれほどウケたのか。そして、なぜロッチの2本目は、ウケなかったのか。結論からいえば、中岡のキャラクターがおそらく本人たちの予想以上にお茶の間に認知され、そして好意的に迎えられていたからではないか。ここ何年かで、中岡のドッキリ番組やリアクションの面白さは、それほどまでに周知のものとなっている。 10月25日に放送された『世界の果てまでイッテQ 秋の2H拡大SP』(日本テレビ系)でも、中岡の魅力は存分に引き出されていた。面白動画を撮影、投稿するという趣旨の「Q Tube」というコーナーは、まさに中岡にしかできない笑いにあふれていた。 ここ10年単位の話になるが、「リアクション芸」という名称が一般的なものとなって久しい。それは上島竜兵、出川哲朗という二大巨頭の偉大なる足跡だ。ただの「リアクション」と呼ばれていた行為は、「リアクション芸」というひとつの芸にまでなった。だが中岡の場合、この「リアクション芸」という高みにまで上らない、素のままの中岡がどこかに残ってしまうところに面白さがあり、それがある意味で視聴者の共感を呼んでいる。 例えば「Q Tube」の中で、水蒸気で作った竜巻を吸い込むいうネタがある。海外のYouTube職人が水蒸気を口に含み、それを竜巻のような煙にして吐き出し、吸い込むというものだ。この映像に中岡が挑戦すると、どうなるか? 中岡が、水蒸気を口に含む。すると、むせてしまう。何度やっても、むせるばかり。だから、それ以上の進展がない、という画期的な面白さが生まれてしまうのだった。 このように、中岡のできなさは尋常ではない。段ボールで作ったサーフボードを池に浮かべて水面を滑ることができるかというネタでは、池にたどりつく前に転んでしまう。しかも、メガネを池の中に落としてしまうというおまけまでついている。そもそもの主旨とはまったく離れたところに着地しているのだが、そのできなさが面白さとなる。 あるいは、人間振り子に挑戦するというネタでもそうだ。何人かの人間をクレーンで吊るして振り子にし、一直線になる瞬間が撮れるかどうか。かなり大掛かりなロケである。結局、一直線にはならないのだが、ナレーションでは「別の面白い動画が撮れた」と語られ、出川を撮影したカメラの後ろに不規則に中岡が現れるという場面が紹介される。スタッフさえおそらく予想していなかったと思うが、この意外性は中岡にしかできないものだといえるだろう。 上島や出川が成し遂げた「リアクション芸」はあくまでも芸であり、そこには努力と技術の蓄積がある。そこには「リアクション道」ともいえるストイックささえあるが、中岡にはそれがない。一切の気負いがなく、いつだって自然体だ。だからこそ、できないし、本人やスタッフが想像していなかった面白さが逆に生まれている。 『キングオブコント』の1本目は、そういった中岡の魅力が詰まったコントだった。『イッテQ』などの番組を通じてお茶の間が知っている、あるいはお茶の間が期待する中岡創一の姿がそこにあった。『キングオブコント』は今年から審査方法が変わり、客席も芸人ではなく一般視聴者ばかりになったというのも強く影響していると思うが、だからこそ1本目はあれだけウケた。言ってしまえば、ウケすぎてしまった。 ロッチの2本目はロッチらしいコントで、完成度も高い。だが1本目があまりにもウケすぎたことによって、観客は1本目のような、中岡(あるいは、コカド)の素の面白さが見えるようなコントを期待してしまったのだろう。もちろん、これらはすべて結果論だ。終わってからなら、なんだって言うことができる。それを事前に予想するのが不可能に近いから、『キングオブコント』は難しいのだ。 『キングオブコント』で、ロッチはつかみかけた優勝を逃してしまった。だが逆にいえば、2本目のような完成度の高いロッチらしいコントとは別に、1本目のような中岡の素の面白さが見える方向性のコントを手に入れた、ともいえるだろう。これで終わりではない。ロッチのコントがこの経験によってますます幅を広げ、そして誰も見たことのない境地に達することを、心から願ってやまない。 【検証結果】 本文でもつづったように、中岡は基本的にできない。そしてそのできなさが、笑いになっている。これは『キングオブコント』で中岡が演じたお客に対してもそうだが、できなくても笑いになる、ということ自体が救いにつながっている。それは誰も傷つけることのない、ロッチの笑いの本質でもある。できなくても笑いになるというのは、芸人に限った話ではなく、我々視聴者にとっても救いだ。できなくても笑える。負けても笑える。だから、お笑いは、素晴らしい。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa『ロッチ単独ライブ「ストロッチベリー」』(アニプレックス)
泉ピン子の恐るべしロケテクニックとは テレ朝『世界の村で発見!こんなところに日本人』(10月9日放送)を徹底検証!
泉ピン子。1947年9月11日生まれの御年68歳。『おしん』(NHK)や『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)といった国民的なドラマの顔であり、近年になっても『マッサン』(NHK)で存在感を見せつける大女優の中の大女優だ。おそらく、日本中で彼女を知らない人間はいないのではないかといえるほどの大御所であり、日本のテレビの歴史を支えてきたひとりであるといっても過言ではないだろう。 とはいえ、彼女は最初から女優としてそのキャリアをスタートさせたわけではない。10月12日に放送されたTBS60周年特別番組『TBSもさんまも60歳 伝説のドラマ&バラエティ全部見せます! 夢共演も大連発SP』ではレジェンドとしてゲスト出演した泉ピン子だが、初めてのTBSバラエティ出演は『決定版!!尾行大作戦』という、いわゆるドッキリ番組。当時は女優ではなく歌謡漫談家であり、スタジオでニセのケーキの中から飛び出すという、若手芸人的な扱いだった。 そう。泉ピン子は、芸人なのだ。そしてそれを見事に証明したのが、10月9日に放送された『世界の村で発見!こんなところに日本人 2時間SP』(テレビ朝日系)であった。大御所である泉ピン子が、番組MCの千原ジュニアと2人で旧ユーゴスラビアへ出かけ、日本人を探すという海外ロケ。このロケにおいて泉ピン子は、恐ろしいほどの現役感を見せつける。これがロケの教科書である、と言わんばかりの完璧なロケタレントとしての仕事を成し遂げていた。 そこで今回は、同番組での海外ロケにおける泉ピン子のすごさを検証してみたい。ただの大御所女優ではない、現役バリバリのロケ芸人としての泉ピン子が、そこには確かにいたのだ。 (1)最初に演出プランを宣言する 泉ピン子がロケVTRで放った最初の一言が、以下である。 「今日はですね、人を探して歩くというこのテーマですね。私はテレビを常々見ながら、なんてタレントはブーブーブーブー文句を言うんだろうと。私はさわやかに、人を探してみたいと思います」 この最初の一言によって、視聴者の見方が決定される。ここが、まずすごい。「人を探す」という番組のテーマはもちろん存在しているのだが、そこに「さわやかに人を探す」という演出を乗せると宣言するのだ、泉ピン子は。これは、視聴者に対してのわかりやすい誘導となる。このVTRをどう見ればいいのかという、いわば解説書を、最初に視聴者に呈示している。 すると視聴者は、果たして泉ピン子は本人が言うように「さわやかに人を探す」ことができるのだろうか、という期待値とともに番組に参加することになる。実際はかなり早い段階で文句を言いだすのだが、それはあくまでも結果論に過ぎない。泉ピン子は冒頭で早くも、視聴者にとっての最初の入り口として見方を呈示するという、基本ではあるが、重要なテクニックをさりげなく披露するのだった。 (2)編集を前提として、同じ質問をする 日本人を探して現地で聞き込みを行うわけだが、あるスーパーを訪れた泉ピン子と千原ジュニアは、その日本人を知っているという情報を店員から聞き出す。2人が探している日本人は、このスーパーをたまに訪れているらしい。どの辺りに住んでいるのかなどの質問をし、それでは探しに行こう、と店を出るその直前、泉ピン子はこう質問するのだった。 「(その日本人を)見かけたことはありますか?」 この情報はすでに入手しているものであり、見かけたことがあるからこそ、この店員と話し込むことになったわけだが、泉ピン子は最後の最後であらためてこの質問を投げかける。一見これは無駄に見えるが、決してそうではない。実際にこの最後の質問は編集で切らずに放送で使われているし、この質問と店員の回答をあらためて受ける形で、泉ピン子と千原ジュニアは次の場所に向かうという流れになっているからだ。 これは泉ピン子が、ロケというものは編集されるものだという前提に立っているからこそできることだ。使う必要がなければ、編集で切ればいい。だが、この「(その日本人を)見かけたことはありますか?」という質問と店員の回答は、確実にどこかでディレクターが使うはずの必要な素材であることは間違いないから、ある程度編集で切られる前提で同じ質問を繰り返している。つまり、使いどころを複数用意しているのだ。泉ピン子は、いわばロケをしながらディレクター目線で自らを見ている。この技術は、さすがにベテランならではといえる。 (3)事件は起きるものではなく、起こすものである ロケの初日、セルビアに午後11時についた泉ピン子と千原ジュニアは、夜も遅いが現地のレストランで食事を取ることになる。店内では何やら楽器を持った人々が生演奏を行っているのだが、泉ピン子はそれを見つけた瞬間、その輪の中に飛び込んでいく。そして陽気に人々に声をかける。「何言ってるか、全然わかんないよ」と言いつつも、とにかくこの、事件を起こそうという姿勢が尋常ではない。 あるいは日本人を探す際でも、街を歩きながら大きな声で「日本人の方いませんかー!」と叫び倒す。このバイタリティは、いったいなんだろうか? そして泉ピン子のこの行動により、人々が集まってきて声をかけてくるが、アメリカ大使館の近所だったため、最終的には警官から叱られて撮影中止になるという展開にまで発展するのだ。 これほどまでの大御所であっても、決して受け身にならない。むしろ自分から動き、事件を起こそうとする。まさに「テレビは事件である」ということを理解しているからこそできる仕業だ。この攻めの姿勢は、泉ピン子の根幹が芸人にあるということを指し示している。 (4)対立構造を作る このロケは泉ピン子と千原ジュニアの2人のロケであり、最初は仲良く協力してロケを行っている。だが、その関係が徐々にマンネリ化していると感じた瞬間、泉ピン子は千原ジュニアとの対立構造を作る。この緩急の付け方が、ロケに一種の緊張感を生むことになる。 対立構造の原因自体は「千原ジュニアがスーツケースから荷物を抜いている」というひどく些細なことなのだが、重要なのはその原因ではなく、対立構造を作るという目的そのものだ。これを中盤で作っておくことによって、視聴者の中での期待が膨らむことになる。いま2人の仲が良くても、また対立することになるかもしれない、という予想が視聴者の仲で出来上がるからだ。 2人が仲良くしているだけでは、ドラマは生まれない。ドラマとは葛藤や対立の中でこそ生まれるものだ。女優としての顔も持つ泉ピン子は、ロケの中にドラマをも持ち込んでいる。視聴者を飽きさせない、見事な名演ではないだろうか。 (5)最終的なオチはタレントがつける ロケのテーマが「日本人を探す」というものである以上、日本人を見つけたらそれがひとつのゴールではある。だが泉ピン子は、非常にシビアに、視聴者としての目線も持っている。旅の途中、千原ジュニアが「苦労して探して日本人を見つけると、本当に感動しますよ」と伝えたときの泉ピン子の冷静な一言にも、それが表れている。 「感動する? でも、向こうはそうでもないんだよね」 この一言を受けて、千原ジュニアが過去に行ったロケのVTRが流れるのだが、実際に見つけられる日本人はそれほど感動しているわけではない。それはまあ、当たり前の話であり、見つける側がどれだけ苦労しようと、向こうにはそんなことは関係ない。だから「日本人を探す」という目的が達成されたからといって、それはあくまでも番組側の都合であり、少なくとも視聴者とってはそれがオチになるわけではない。 だから泉ピン子は、自らの手でオチをつける。それは具体的には、泉ピン子がちょっといい感じのことを言う、という形で行われる。遠いコソボで暮らし、少し弱気なことを言う日本人に対して、泉ピン子はちょっといい感じのことを言うのだ。 「人間、ほとんど決めてないわよ。その通りにいかないのが人生よ。ケセラセラ。どうにかなるわよ」 絶妙なまでに、ちょっといい感じだ。感動的になりすぎず、かといって、どうでもよすぎることもなく、ちょっといい感じの一言。泉ピン子がこのちょっといい感じのことを言うことによって、視聴者的なオチが生まれる。オチというか、安心感といってもいいだろう。これを作ることが出来るのは番組ではなくあくまでもタレントであり、泉ピン子は最後まで、抜群にすぐれたロケタレントなのであった。 泉ピン子。1947年9月11日生まれの御年68歳。大御所であり大ベテランではあるが、彼女は決してその位置に安住しない。考えに考えた上で挑戦を重ねる、現役のタレントである。少なくとも『世界の村で発見!こんなところに日本人 2時間SP』の泉ピン子のロケには、あらゆるタレントが学ぶべき技術があふれていた。大御所である。大ベテランでもある。だが同時に、泉ピン子の精神は、若手芸人のそれでもあるのだ。 【検証結果】 泉ピン子とのロケを終えた上で、千原ジュニアはこう語っている。「ピン子さんの根幹は芸人やねんな、とホンマに思いました。カメラが回っていないところでも、ずーっと面白い話をして、とにかくバッテリーを残さずに1日を終えるんです。そういうところは芸人としても見習わないといけないなとホンマに感じました」と。レジェンドは死なない。いつまでも現役で生き続けるからこそ、レジェンドは、レジェンドなのだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa『みんな悩んでる ピン子のツンデレ人生相談』(光文社)
赤江珠緒は12年間、毎朝何を思っていたのか? テレ朝『モーニングバード』(9月25日放送)を徹底検証!
9月25日の放送をもってテレビ朝日『モーニングバード』が終了した。4年半続いた番組の終了であり、もちろんそれ自体がトピックのひとつではあるが、より大きな意味合いがここにはある。前番組『スーパーモーニング』がスタートした2003年6月30日から12年以上、朝の顔を務めてきた赤江珠緒の卒業である。9月25日の『モーニングバード』最終回でも、「全力で駆け抜けた12年」として、これまでの彼女の足跡がかなりの時間を割いて紹介された。 近年、TBSラジオ『たまむすび』で素のキャラクターが人気を集める赤江珠緒。『モーニングバード』の最終回でも、一緒にタッグを組んできた羽鳥慎一が「残念」という言葉を使うほど、共演者にも、またスタッフにも愛されている。確かに「子どもの頃に虫取りへ行き、パンツの中にセミを入れて帰った」というお茶目なエピソードや、それを公共の電波に乗せてしゃべってしまうといううっかり具合など、人間として魅力的なのはわかる。だがそれだけが、彼女の愛される理由ではない。 それではなぜ、赤江珠緒はこれほどまでに愛されるのか? その答えは『モーニングバード』の最終回で紹介された、彼女のこれまでの足跡に詰まっている。 <あまりにも素直すぎる感情表現> とにかく、感情表現が豊かだ。豊かというか、驚くほどに素直である。大人なのだし、しかも情報番組のキャスターなのだから、普通であれば表情を装うものだろう。だが赤江珠緒は決してそうしない。自分の感じた思いを、そのままの形であっけらかんと表に出してしまうのだった。 例えば、レスリングの吉田沙保里選手にインタビューをした際。父親に肩車をしたあの名場面を再現してもらおうということで、赤江珠緒は吉田沙保里に肩車をしてもらう。それはまあ、わかる。だが、肩車をしてもらった瞬間、彼女の口から出た一言が実に赤江珠緒らしい。 「わー、うれしい! やったー!」 そう言って赤江珠緒は、両手を挙げてガッツポーズをするのだ。いやいや、何もやっていない。だが、おそらく赤江珠緒の頭の中には自分を見つめる大観衆が見えていたのだろうし、歓声も聞こえていたのだろう。まるっきり子どもだ。しかしこの素直すぎる感情表現が、彼女が多くの人から愛される大きな理由のひとつであることは間違いない。 <対象への真摯な向き合い方> キャスターである赤江珠緒は、多くの取材対象と出会うことになる。それら一つ一つの対象への向き合い方が、とにかく真摯だ。東日本大震災が起こった直後に陸前高田市で出会った方と今でも交流があり、節目ごとに訪れているというエピソードは、まさに彼女ならではだろう。真摯であり、そこには一切のウソがない。言葉や行動のすべてにおいて、しっかりと地に足がついているのだ。 あるいは、「別に……」発言でバッシングを受けた沢尻エリカへのインタビューもそうだ。騒動後、沢尻エリカにとっては初めてのインタビュー。少しでも欲があれば、そのバッシングの流れに乗るか、あるいは過度にフォローするなどして、良いコメントを求めるというのが人の業だ。しかし、赤江珠緒はそうしない。真摯に沢尻エリカと向き合い、彼女の言葉をただ素直に聞き、そして瞳に涙をためてこう言うのだった。 「いろんなことを言われるだろうし、本当に複雑な立場だと思うけど……。つらさっていうのは、その人にしかわからないと思うんですけど……。頑張ってくださいね」 取材時期を考えれば、沢尻エリカに対してこんなに寄り添った言葉をかけられる人間はそうはいないはずだ。おいしくしようとすれば、いくらだっておいしくできる状況なのだから。だが、赤江珠緒にはそういった欲そのものがない、というかそういった欲よりも、目の前にいる対象への真摯さが優先される。だからこそ、彼女の言葉はまっすぐに、視聴者の胸へと届くのだろう。 <「伝える」という行為そのものへの信念> 彼女はこの12年間、さまざまなニュースと出会ってきた。もちろん、いいニュースばかりではない。素直な感情と、そして対象に真摯に向き合う赤江珠緒であるからこそ、悲しいニュースに対して深く傷つくことも一度や二度ではなかったはずだ。それでも彼女は、12年間、テレビの前の視聴者に対して「伝える」という仕事を続けてきた。それは間違いなく、信念がなければできないことだろう。 『モーニングバード』の最終回で、赤江珠緒は視聴者に向けて最後に感謝の気持ちを述べた。少し長くなるが、引用させていただきたい。 「本当にあの、いろいろと至らない点もあった司会者だと思いますが。毎朝毎朝ですね、全国津々浦々の皆さんにですね、『おはようございます』と挨拶できる仕事を、12年間もやらせていただけたことは本当に幸せでした。皆さんの朝が、これからも明るくて、そして素敵なものになりますように、お祈りしています。本当に、本当に、ありがとうございました!」 この素晴らしい言葉に、赤江珠緒の信念と、そして彼女の魅力がそのまま詰まっている。「おはようございます」と挨拶できる仕事。赤江珠緒は12年間、毎朝そう思って視聴者と向き合ってきたのだった。彼女が朝の顔でなくなってしまうのは、やはり寂しい。だが赤江珠緒の思いと信念は、きっとこれからも、後へ続く者へと伝わっていくのだろう。 【検証結果】 最後の挨拶が終わってからも、赤江珠緒は笑っていた。これでもかというほどの涙を瞳にたたえてはいたが、それでも笑顔を崩すことなく、最後までえくぼを見せていた。涙を拭くことは一度もなく、俯いたり顔をそむけたりもせず、視聴者に笑いかけていた。人は泣いていても、笑うことができる。それはおそらく赤江珠緒が、12年間もの間ニュースと向き合うことで知った、素晴らしい真実であるに違いない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa『たまむすび』(TBSラジオ)公式サイトより







