視聴者の言葉をつなぐ90分間のDJショー NHK総合『今夜も生でさだまさし』(6月29日放送)を徹底検証!

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『さだまさしトークベスト』(フォア・レコード)
 言うまでもないことだが、テレビ番組とは多くの人たちの手によって作られている。出演者、ディレクター、プロデューサー、カメラマン、音声スタッフ、美術、などなど。これだけ多くの人々が関わるというのはテレビの世界では常識であるが、その常識に歯向かっているのが『今夜も生でさだまさし』(NHK総合)だ。出演者はさだまさしと、構成スタッフと音響スタッフの3人のみ。VTRは差し込まれず、セットは簡素そのもので、テロップでさえ手書きのボードで提示される。制作にかかる人数と予算を極限まで抑え、原始的なテレビの形を模索しているのが『今夜も生でさだまさし』だともいえるだろう。  6月29日放送の舞台は京都の清水寺であった。普通なら貸してもらえない珍しいシチュエーションだが、さだはそのことに感謝を述べつつも、番組のスタイルはいつもと少しも変わらない。“清水寺の隠された秘密を暴く”的なノリは一切なく、いつものように淡々と視聴者からのハガキを読み続け、しゃべり続ける。それはいわゆるテレビの常識には反しているが、それでもテレビとして成立している。削ぎ落としたものが欠落ではなく、むしろ豊かさとして示されていて、わびさびの世界さえ感じてしまうほどだ。  もちろんそこには、さだのしゃべり手としての稀有な能力がある。ミュージシャンでありながら、ライブでのトークだけを集めたCDボックスセットを発売しているだけあって、どんなハガキの内容に対しても面白く落とすのはさすがだ。しかし、それはさだの才能の為せるわざではない。淡々と進行していく番組を注意深く見れば、さだは一切、どのハガキを読もうかと悩むそぶりを見せていないことに気づくはずだ。そこには、横にいる放送作家のスタッフさえもタッチしていない。さだは淡々と、あらかじめ決められた、というかおそらくさだが、決めた順番で、視聴者からのハガキを読み続ける。  この番組は、一見するとAMラジオのテレビ版に似ているが、むしろやっていることは90分間のDJショーだ。視聴者からのハガキをレコードとして、本来の音楽的な意味でのディスク・ジョッキーの作業をさだは行っている。だから注目すべきは、さだのしゃべり手としての能力よりも、むしろ「選曲」のセンスだ。90分間という時間の中で、視聴者からのハガキが最も効果的に聞こえるようなセットリストを作っているのは、明らかにさだまさしその人である。  たとえばこの日の番組では、東京都港区在住の稲見正子さん(65歳)によるハガキが読まれた。さだは「今夜も生でさだまさし。港区、稲見正子さん、65歳……」とハガキを読み上げたところで苦笑する。カメラに向かってハガキを見せると、その宛先の面には番組の名前が、もう一方の面には住所と氏名、年齢は書かれているのだが、そのほかのメッセージが書かれていない。「何かにご応募なさったんでしょうか?」と戸惑ったふりをしながらも、さだは港区の稲見正子さんだけに向かって「次はハガキのこの辺にご意見などお書きくださると、番組も盛り上がるという風に思います」と語りかける。  これは、明らかにアドリブではない。間違いなくさだは事前にこのハガキを読んでいるし、その上でこのハガキを選び、このタイミングで読もうと決めているはずだ。そしてそこにこそ、さだまさしというディスク・ジョッキーの選曲センスが現れている。バカにせず、嘲笑もせず、何もメッセージが書かれていないハガキを港区の稲見さんがわざわざ番組まで送ってきてくれたということに敬意を払いながら、その現象自体を楽しんでいる。それを稲見正子さんも含めた視聴者とともに、共有しようとしているのだ。  冒頭に戻れば、一般的にテレビ番組とは多くの人たちの手によって作られているわけだが、それでは本当の意味でテレビに必要なものとはなんだろうか? プロの技術だろうか? ある程度の予算だろうか? それとも時間なのか? どれも違う。テレビに最も必要なのは、視聴者だ。さだと視聴者がいれば、この番組は成立する。さだはそれを視聴者と一緒になって実践しているのだ。だからそこには、テレビの本来の豊かさがある。視聴者の意見が正しいかどうかではなく、生放送で自分のハガキが読まれ自分の名前が呼ばれるという、根源的な喜びにさだは寄り添っている。それを見て「さだはテレビを信じているのだ!」と言うこともできるだろう。あるいは逆に「さだは今のテレビに対する批判を行っているのだ!」と言うこともできる。どちらも間違ってはいないのだろうが、しかし実は、そんなのはどちらだっていいのだ。何が正しいかどうかではない。さだがいて、視聴者がいる、ただそれだけでいい。テレビなんてものは今までずっとそんなものだったのだし、これからもきっと、そんなものであり続けるのだろう。  ここ最近、テレビとネットの断絶は延々深くなり続けている。テレビはネットユーザーに代表される視聴者層をあまりにも雑にカテゴライズし、ネット側はテレビに代表されるマスコミを単一化する。それが楽しいのならそれはそれでいいのだろうが、しかしわざわざせせこましく生きる必要もないだろう。テレビがある。視聴者がいる。それだけで、本当はとても豊かなのだ。『今夜も生でさだまさし』はこれまでも、これからも、その一番大切なことだけをきっとつぶやき続けるのだろう。NHK総合の深夜枠という、世界の中心であり、片隅でもあるという不思議な場所から。 【検証結果】  補足的になるが、この番組における出演者がさだまさしを含めて3人であるという点は重要だろう。さだひとりであれば、さだとハガキとでの意見のやり合いになってしまう。さだの隣にもうひとりだけいたとしても、さだはハガキ側か、もうひとり側のスタッフ側に立たなければならなくなる。だが、もうひとり加えて、現状のようにさだともう2人がいれば、敵対関係は必要なくなり、そこで雑談が生まれる。この番組は低予算、低人数をコンセプトとして求めているが、それでも出演者は3人いないといけないというのは重要な点だ。正しさはいらない。少なくともさだが求めているのは、正しさではなく、雑談そのものなのだろう。 (文=相沢直) ◆「タレント解体新書」過去記事はこちらから◆ ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

古舘伊知郎に学ぶ、3つのしゃべりの極意 日本テレビ『おしゃれイズム』(6月12日放送)を徹底検証!

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 12年間のブランクなど、みじんも感じさせない。むしろ、12年間の鬱憤を叩きつけるように言葉をまきちらしている。もちろん、古舘伊知郎のことだ。この3月で『報道ステーション』(テレビ朝日系)のキャスターを降板し、最後の放送では7分46秒にわたって台本なしの一人しゃべりを展開。それを皮切りに、『ぴったんこカン・カン』(TBS系)や『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)に立て続けに出演し、まさに立て板に水、これぞ古舘といえる真骨頂を発揮している。  くしくも、テレビ朝日でアントニオ猪木とモハメド・アリの死闘が繰り広げられた6月12日、その裏番組の『おしゃれイズム』(日本テレビ系)に出演した古舘が、またすごかった。おそらく番組史上、これほどしゃべったゲストはいないだろう。一人というにはあまりにもおしゃべりすぎるが、二人というには人口のつじつまが合わない、惚れ惚れするようなハイスパートトーク。トークバラエティ番組における古舘の強さを、まざまざと見せつけた30分間であった。  では具体的に、古舘の話術のどこがすごいのか? ここでは、3つのポイントに分けて紹介したい。もちろん古舘は天才であり、簡単に真似ができるような代物ではないが、そのエッセンスを盗むことは可能なのではないか? 普段、おしゃべりが苦手だと悩んでいる方にとっても、有益なものとなれば幸いである。 (1)上げて落とす、は基本である  おしゃべりの基本は、上げて落とす、である。あるいは、緊張と緩和といっていいかもしれない。特に年齢が上がると、人はしばしば自慢話をしがちだが、他人の自慢話ほどつまらないものはない。上げたら必ず落とすように心がけたい。たとえば『おしゃれイズム』の中では、ニュース番組を真面目に原稿を読むものではなくカジュアルなものにしたかった、という古舘は、こんな話をする。 <「(堅苦しく)国会対策委員長会談が開かれました」っていうのは読んでる感じになるから、そうじゃなくて。「(カジュアルなしゃべり方で)いやね。国会の中も広いですけど、皆さん。その中でね、一室ですけど、こういう会議が開かれた。これたいへん、消費税をアップするのか据え置くのかに関して重要な会議なんですよ。今日の午前中からあったって言うんですけど、ご覧ください」とかやって、カジュアル化したつもりになってるんだけど。聞いてるほうは、僕が流暢にしゃべるもんだから、やっぱり、読んでる(って思われる)……つまり、俺がうますぎるんですよ>  特にこのカジュアルなしゃべり方の部分は、古舘の話術の巧みさもあって、それだけで客席からは感心したような声が起こる。これで終わると、ある意味で自慢話で終わってしまうわけだが、最後の「つまり、俺がうますぎるんですよ」で自画自賛している自分を演出することで落としている。自分を上げたままで終わるのは確かに気持ちいいかもしれないが、聞いているほうはたまったものではない。上げたあとは落とす、というのは鉄則である。 (2)鉄板のエピソードにつなげる  おしゃべり上手な人は、必ず鉄板のエピソードをいくつも持っている。そして、そのエピソードを会話の流れの中で、さりげなく入れてくる巧みさがある。話をしながらたまたま思い出すのではなく、自分の中に鉄板のエピソードを隠し持っているのだ。『おしゃれイズム』で最後の『報道ステーション』での挨拶の話になった際、時間読みが大変だったのではないかと振られた古舘はこんな話をする。 <……そうすると、早口になっちゃったりするじゃないですか。『紅白歌合戦』の司会をやらさせていただいたときなんか、大変だったんですよ。たとえば五木ひろしさんで、あの演歌の素晴らしいあの曲のイントロが28秒ある。28秒で、俺の大好きなあの前説イントロづけ。「常に演歌の王道を歩んでまいりました、五木ひろし。いま歌いますのは、あの二十年前の……」ってやりたいわけですよ>  このあとも紅白の裏話がしばらく続くのだが、当然のように興味深いし、面白い。このエピソードを古舘は、ちゃんと持っているのだ。そもそも、このときの流れはあくまでも『報道ステーション』の最後の挨拶に対しての質問なのだが、時間読みという共通項から、この隠し持ったエピソードを取り出している。話をしながら自分の面白い話を偶然思い出すことができる天才は、ほとんどいない。だが、自分ができる鉄板のエピソードをいくつも鍛え上げ、場合に応じてそれを取り出すというのは努力でできる。人は努力で、おしゃべり上手になることは可能なのだ。 (3)他人から聞いた話を忘れない  他人から聞いた話を忘れないというのは、特に対人でのおしゃべりにおいては重要だ。自分が昔した話を相手が覚えているというのはそれだけでうれしいし、自分が特別な存在であるという気にさせてくれる。『おしゃれイズム』では、女性を口説くという話の流れで、古舘はこうしゃべり始める。 <前、『おしゃれカンケイ』だったかな? 上田さんが来てくれたときに、口説くときにわざとなんだかめっちゃめちゃキザなことを耳元でささやく。そうするとキザすぎて、バカみたいって笑ってほぐれて、そこから口説き始めるっていうのを聞いて。耳元で、花束のこと言うの、なんでしたっけ?>  この記憶力ったらない。一人のゲストのこんな些細なトークを覚えているのだ。おそらく本人でも、そんな話をしたことを忘れているだろうが、相手がそれを覚えていると知ったら、少し感動さえ覚えるだろう。もちろん、すべての人のすべての話を記憶するというのは無理があるが、重要な相手と話した際はメモに取っておいて、あとで思い出すなどしてもよい。きっとその人にとって、あなたは特別な人として認識されるだろう。 【検証結果】  古舘伊知郎がバラエティに帰ってきた。まずはそのことを喜びたい。そしてもちろん、今後が楽しみで仕方ない。12年間の報道経験は、現在のバラエティとどんな化学反応を起こすのだろうか? 『報道ステーション』での最後の挨拶で、古舘は「つるんつるんの無難な言葉で固めた番組など、ちっとも面白くありません!」と叫んだ。ほとんどほえるように。宣戦布告である。その過激な才能は、間違いなく、テレビの新しい景色を見せてくれることだろう。 (文=相沢直) ◆「タレント解体新書」過去記事はこちらから◆ ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

古舘伊知郎に学ぶ、3つのしゃべりの極意 日本テレビ『おしゃれイズム』(6月12日放送)を徹底検証!

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 12年間のブランクなど、みじんも感じさせない。むしろ、12年間の鬱憤を叩きつけるように言葉をまきちらしている。もちろん、古舘伊知郎のことだ。この3月で『報道ステーション』(テレビ朝日系)のキャスターを降板し、最後の放送では7分46秒にわたって台本なしの一人しゃべりを展開。それを皮切りに、『ぴったんこカン・カン』(TBS系)や『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(ニッポン放送)に立て続けに出演し、まさに立て板に水、これぞ古舘といえる真骨頂を発揮している。  くしくも、テレビ朝日でアントニオ猪木とモハメド・アリの死闘が繰り広げられた6月12日、その裏番組の『おしゃれイズム』(日本テレビ系)に出演した古舘が、またすごかった。おそらく番組史上、これほどしゃべったゲストはいないだろう。一人というにはあまりにもおしゃべりすぎるが、二人というには人口のつじつまが合わない、惚れ惚れするようなハイスパートトーク。トークバラエティ番組における古舘の強さを、まざまざと見せつけた30分間であった。  では具体的に、古舘の話術のどこがすごいのか? ここでは、3つのポイントに分けて紹介したい。もちろん古舘は天才であり、簡単に真似ができるような代物ではないが、そのエッセンスを盗むことは可能なのではないか? 普段、おしゃべりが苦手だと悩んでいる方にとっても、有益なものとなれば幸いである。 (1)上げて落とす、は基本である  おしゃべりの基本は、上げて落とす、である。あるいは、緊張と緩和といっていいかもしれない。特に年齢が上がると、人はしばしば自慢話をしがちだが、他人の自慢話ほどつまらないものはない。上げたら必ず落とすように心がけたい。たとえば『おしゃれイズム』の中では、ニュース番組を真面目に原稿を読むものではなくカジュアルなものにしたかった、という古舘は、こんな話をする。 <「(堅苦しく)国会対策委員長会談が開かれました」っていうのは読んでる感じになるから、そうじゃなくて。「(カジュアルなしゃべり方で)いやね。国会の中も広いですけど、皆さん。その中でね、一室ですけど、こういう会議が開かれた。これたいへん、消費税をアップするのか据え置くのかに関して重要な会議なんですよ。今日の午前中からあったって言うんですけど、ご覧ください」とかやって、カジュアル化したつもりになってるんだけど。聞いてるほうは、僕が流暢にしゃべるもんだから、やっぱり、読んでる(って思われる)……つまり、俺がうますぎるんですよ>  特にこのカジュアルなしゃべり方の部分は、古舘の話術の巧みさもあって、それだけで客席からは感心したような声が起こる。これで終わると、ある意味で自慢話で終わってしまうわけだが、最後の「つまり、俺がうますぎるんですよ」で自画自賛している自分を演出することで落としている。自分を上げたままで終わるのは確かに気持ちいいかもしれないが、聞いているほうはたまったものではない。上げたあとは落とす、というのは鉄則である。 (2)鉄板のエピソードにつなげる  おしゃべり上手な人は、必ず鉄板のエピソードをいくつも持っている。そして、そのエピソードを会話の流れの中で、さりげなく入れてくる巧みさがある。話をしながらたまたま思い出すのではなく、自分の中に鉄板のエピソードを隠し持っているのだ。『おしゃれイズム』で最後の『報道ステーション』での挨拶の話になった際、時間読みが大変だったのではないかと振られた古舘はこんな話をする。 <……そうすると、早口になっちゃったりするじゃないですか。『紅白歌合戦』の司会をやらさせていただいたときなんか、大変だったんですよ。たとえば五木ひろしさんで、あの演歌の素晴らしいあの曲のイントロが28秒ある。28秒で、俺の大好きなあの前説イントロづけ。「常に演歌の王道を歩んでまいりました、五木ひろし。いま歌いますのは、あの二十年前の……」ってやりたいわけですよ>  このあとも紅白の裏話がしばらく続くのだが、当然のように興味深いし、面白い。このエピソードを古舘は、ちゃんと持っているのだ。そもそも、このときの流れはあくまでも『報道ステーション』の最後の挨拶に対しての質問なのだが、時間読みという共通項から、この隠し持ったエピソードを取り出している。話をしながら自分の面白い話を偶然思い出すことができる天才は、ほとんどいない。だが、自分ができる鉄板のエピソードをいくつも鍛え上げ、場合に応じてそれを取り出すというのは努力でできる。人は努力で、おしゃべり上手になることは可能なのだ。 (3)他人から聞いた話を忘れない  他人から聞いた話を忘れないというのは、特に対人でのおしゃべりにおいては重要だ。自分が昔した話を相手が覚えているというのはそれだけでうれしいし、自分が特別な存在であるという気にさせてくれる。『おしゃれイズム』では、女性を口説くという話の流れで、古舘はこうしゃべり始める。 <前、『おしゃれカンケイ』だったかな? 上田さんが来てくれたときに、口説くときにわざとなんだかめっちゃめちゃキザなことを耳元でささやく。そうするとキザすぎて、バカみたいって笑ってほぐれて、そこから口説き始めるっていうのを聞いて。耳元で、花束のこと言うの、なんでしたっけ?>  この記憶力ったらない。一人のゲストのこんな些細なトークを覚えているのだ。おそらく本人でも、そんな話をしたことを忘れているだろうが、相手がそれを覚えていると知ったら、少し感動さえ覚えるだろう。もちろん、すべての人のすべての話を記憶するというのは無理があるが、重要な相手と話した際はメモに取っておいて、あとで思い出すなどしてもよい。きっとその人にとって、あなたは特別な人として認識されるだろう。 【検証結果】  古舘伊知郎がバラエティに帰ってきた。まずはそのことを喜びたい。そしてもちろん、今後が楽しみで仕方ない。12年間の報道経験は、現在のバラエティとどんな化学反応を起こすのだろうか? 『報道ステーション』での最後の挨拶で、古舘は「つるんつるんの無難な言葉で固めた番組など、ちっとも面白くありません!」と叫んだ。ほとんどほえるように。宣戦布告である。その過激な才能は、間違いなく、テレビの新しい景色を見せてくれることだろう。 (文=相沢直) ◆「タレント解体新書」過去記事はこちらから◆ ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

ゆうたろうはなぜテレビから愛されるのか? フジ『人気者から学べ そこホメ!? 2時間SP』(5月31日放送)を徹底検証!

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ゆうたろうオフィシャルサイトより
 ゆうたろう旋風が巻き起こっている。石原裕次郎ファッションに身を包み、渋い声でワイングラスを傾ける男がなぜ突然ブレークを果たしたのだ、と考えるのは早計であり、彼の話ではない。17歳の美少年ショップ店員、ゆうたろうの話だ。今年の2月に『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)に出演しタレントデビューを果たすと、人気が沸騰。わずか3カ月でテレビや雑誌の取材数は60を超えたそうで、いま一番熱いタレントの一人だといって間違いない。  実際、明らかに美少年であり、とにかくかわいらしい。ゆうたろうに会うためにショップにやって来た女性ファンが「守ってあげたくなる感じがいい」「超かわいい」「ギュッとしたくなります」と熱を上げているのもよく分かる。5月31日に放送された『人気者から学べ そこホメ!? 2時間SP』(フジテレビ系)では心理学者がその魅力を分析しているのだが、それによると、ゆうたろうの人気は自分を小さく見せていることにあるらしい。  確かにゆうたろうは、常にサイズの大きい服を着ている。それゆえに見ている人はゆうたろうを弱々しく思い、愛さずにはいられなくなるらしい。また、そんな守ってあげたいゆうたろうが自然体で自立して役に立っている姿を見ると、ポジティブイリュージョン効果というものが生まれるらしい。つまり、小さなゆうたろうが頑張ることで元気を与える。それが人気の秘密なのだそうだ。  確かにその通りで、ゆうたろうがただの美少年なのであれば、これほどまでに人気を得ることはなかっただろう。愛される姿形をしていながらも、そこに甘んじることなくショップ店員として働く姿にファンは魅了される。守ってあげたいと思わせるゆうたろうが、しっかり社会に個人として立っていることが重要なのだ。  そしてそのメカニズムは、タレントとしてのゆうたろうにも同じように働いている。かわいいだけのショップ店員、だけでは飽きられるし、瞬間的に風が吹いても長く活躍するのは難しい。だが、ゆうたろうは、タレントとしてもまた求められつつある。その個性が、共演者を活躍させるのだ。  たとえば、ゆうたろうの着ている服の話になった際、柴田理恵が口を挟む。「ソデにしょうゆがついちゃう」と心配する柴田に対して「また発想が昭和だな!」とツッコミが起き、笑いが生まれる。あるいは、最近若者の間で話題の写真で顔を入れ替えるアプリが紹介され、岸博幸とゆうたろうの顔が入れ替わった写真は単純に面白いし、ゆうたろうがトシをコーディネートした姿はワクワクさんにそっくりだ。ここでは、ゆうたろうはすでに主役ではない。ゆうたろうが持ってきた材料を使って、共演者が生かされている。  アプリにしてもコーディネートにしても、本人たち発信ではない。本人たちから言いだしてしまったら、それはただのお遊びになってしまう。あくまでもゆうたろうという、ある意味での異物が持ち込んだ材料だから、共演者たちが楽しんでいる姿が視聴者にとって意味のあるものとなる。このようにして、ゆうたろうは共演者を生かす。そしてそのような形で、テレビはゆうたろうを生かしている。ストリートとテレビの融合。2016年、ゆうたろうの存在によって、そんな壮大な実験がひそかに行われているのかもしれない。 【検証結果】  あるいはゆうたろうは、かつてのアイドルであると言うこともできるだろう。まだアイドルが高嶺の花で、一般人と別の世界をアイドルが生きていた時代、アイドルの言葉は常に神秘的だった。ゆうたろうは番組でも好みのタイプを問われた際、戸惑ったように「僕の中でまだ恋愛感情がわかってなくて」と答えるが、それはまさにかつてのアイドルの答えそのものだ。今ほどアイドル文化が消費された時代、アイドルが真っ当にそう答えるのもどこか薄っぺらい。だが、人々はいつの時代でも神秘性を求めている。かつてアイドルが成しえていたことを、ストリートという異界から持ち込んだ存在が、ゆうたろうだといえるのではないか。 (文=相沢直) ◆「タレント解体新書」過去記事はこちらから◆ ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

久本雅美は20年間でどう進化してきたのか? 日本テレビ『メレンゲの気持ち』(5月14日放送)を徹底検証!

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 マイケル・ジャクソン、プリンス、マドンナ。この3人が1958年生まれの同学年であるということは知られているが、実は久本雅美も同い年だ。今年で58歳を迎えるとは信じられないほどアクティブに活動を続ける彼女だが、初回からMCを務めているのが、日本テレビ系『メレンゲの気持ち』だ。1996年4月からスタートしたこの番組も気づけば放送1000回を目前に迎え、5月14日のオンエアでは「1000回記念月間 歴代MC大集合スペシャル」と題して過去の映像を振り返った。  ひとつの番組のMCを20年間にわたって続けるというのは、並大抵のことではない。たとえば、歴代の久本以外の番組司会者の名前を見ても、高木美保、菅野美穂、水野真紀、若槻千夏、などなど。特に女性タレントの場合は結婚や出産によって仕事を休止したり、あるいは年齢によって芸能人としてのステージを変えることが多いため、ひとつの場所に居続けることは難しい。だが、久本はそうしている。久本のいない『メレンゲの気持ち』を想像するのは、おそらくタモリのいない『笑っていいとも!』(フジテレビ系)を想像するのと同じ程度に難しいといえるだろう。 『メレンゲの気持ち』は毎週のレギュラー放送番組だから、久本は常に変わらずそこに居るように思える。今週の久本は調子が良いな、あるいは調子が悪いな、と思って『メレンゲの気持ち』を見る視聴者もそう多くはないだろう。だが20年前の久本は、いま現在の久本とは明らかに違っていて、それは20年間における久本のゆっくりとした、だが着実な進化でもある。それでは彼女は一体、20年間でどのような変化と進化を遂げてきたのだろうか? (1)騒々しさからの脱却  96年12月、『メレンゲの気持ち』がまだ1年目の時代だ。トークの流れから、ゲストの内藤剛志とキスをすることになる。この流れ自体は今でもあり得るかもしれないが、重要なのはキスをした後のリアクションだ。内藤とキスをした久本は、興奮し、嬌声を上げながら、スタジオを走り回る。観覧している観客から「(キスは)どんな味?」と尋ねられ、「友だちか、お前は!」と言って激しめにツッコむのだが、いま見ると非常に若い。それはおそらく、当時38歳の久本が求められていたポジションではあるのだが、それを見て不快感を覚える視聴者もある程度はいたのではないかと推測できる。  現在の久本は、その様子を見ながら「土曜の昼の番組じゃないですよね」と冷静につぶやく。まさにその通りで、おそらくこの風景は今の『メレンゲの気持ち』にはふさわしくない。体を張り、どぎつい下ネタを口にし、騒々しさを形にしたようなタレントであった久本は、『メレンゲの気持ち』とともに大人になっていったのだといえる。今に続く女性芸人のパイオニアのひとりである彼女は、いかにして女性芸人がお茶の間にフィットできるかを、身を持って実践したのだった。 (2)お笑い芸人感の払拭  20年前の久本を見たときに今との違いを感じるのは、その喋り方だ。驚くほどに関西弁がきつい。関西弁ならではのとげとげしさを隠すことなく、むしろそれを押し出すかのように喋っていて、まるで関西弁の芸人口調を真似ているかのようだ。もしかしたら、ある程度、そうだったのかもしれない。当時女性芸人は今よりも圧倒的に数が少なく、また劇団出身でもあることから、まごうことなき芸人だとも言い難い。当時の久本は。芸人であることにアイデンティティを求めていたのではないか。  それは『メレンゲの気持ち』の初回放送を見てもわかる。この日、菅野美穂がドラマの収録のため遅刻してしまうのだが、久本はそのハプニングを笑いに変えながら、菅野に対して「君、結構お笑いいけるね!」と評価する。芸人がそうではない職業の人と絡む際によくある流れではあるのだが、女性同士ということもあってどこかに緊張感がある。一方で、現在の久本はどうかというと、たとえば伊野尾慧(Hey!Say!JUMP)が何かコメントやアクションをする際、一切の緊張感を感じさせない。親が息子を見つめるかのように優しく見守り、愛を持ってツッコミを入れる。彼女はいまや芸人としてではなく、『メレンゲの気持ち』の久本としてそこにいる。番組全体に流れるアットホームな雰囲気は、彼女のそんな変化と決して無縁ではないだろう。 (3)鉄板ネタの円熟  久本のお決まりの鉄板ネタといえば、年齢・結婚・出産に関するトークやリアクションであり、『メレンゲの気持ち』においてもそれは変わらない。だが、その切れ味は日々増していて、もはやひとつの芸に近いほどに昇華している。  スタジオには、初代司会者でもある高木美保がいる。過去の写真を見ながら「高木、変わらない」と口にする久本。それに対して高木は「自分(=久本)も変わらないよ」と返す。その次の瞬間、本当に一切の間を空けずに久本は言う。「いや、変わったよ。どんどんキレイになってるって」と。爆笑が起き、不思議そうな顔をする久本。この一連の流れはあまりにも見事で、美しさすら感じるほどだ。  これほどまでに完璧な流れを、その瞬間で作り上げることはおそらく不可能だろう。久本は意識してか無意識的にかはわからないが、年齢・結婚・出産に関するトークになった際の、正解のパターンを大量に抱えて収録に挑んでいる。それは間違いなく、20年間における鍛錬の蓄積だろう。久本は20年間ずっと進化を続けてきた。そして彼女は今もってなお、進化を続けているのだ。 【検証結果】  長寿番組とは、変わらないことと変わることを同時に求められる宿命にある。変わらなければ飽きられる。かといって、あまりにも変わってしまっては、これまでの視聴者が離れてしまう。『メレンゲの気持ち』は久本という絶対的なエースをセンターに置き、ほかの司会者が数年ごとに交代するというスタイルによって、1000回という金字塔を打ち立てようとしている。それはバラエティ番組における大きな発見のひとつだが、同時に組織やチームのマネジメントという意味においても、非常に効果的な手法であるといえるだろう。 (文=相沢直) ◆「タレント解体新書」過去記事はこちらから◆ ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

“バラエティの女王”若槻千夏の帰還 テレビ朝日『まとめないで!!』(4月9日&16日放送)を徹底検証!

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 かつて彼女は、バラエティの女王と呼ばれていた。大物司会者にいじられれば的確なコメントを返し、おバカタレントとしては数々の偉業を成し遂げ、またMCになった際は進行を務めながらもしっかりと場を荒らし、ときに体まで張ることもあった。彼女の名は若槻千夏。どんな場所でもその状況に対応する天性の勘の良さと、努力に裏打ちされた確かな技術は、まさにバラエティの女王と呼ばれるにふさわしかった。だが彼女は2009年、自身のアパレルブランドを設立し、表舞台から去る。時を経て、今。長すぎる沈黙を破って、若槻がバラエティに帰ってきた。  いわゆるバラドルという呼称も死語となり、いまやバラエティの女性タレント枠は群雄割拠だ。グラビア界からはもちろん、アイドルグループを卒業したタレントもその椅子を狙っていて、さらには女優やモデル界からもスターが生まれつつある。結果、彼女たちが求められる技術は向上しており、昨今ではワイプに映るための練習までしているという。そのタイミングでの、若槻の帰還である。かつての女王は、ロートルとして醜態を晒すことになるのではないか? 彼女の技術力は、今ではそう大したものではないのではないか? それはただの杞憂に過ぎなかった。若槻は、本格的なバラエティ復帰以降、すべての番組で確実に爪痕を残している。  なぜ、若槻は特別なのか? 彼女の特性を一言で表すならば、テロップいらずの女、だといえるだろう。彼女はバラエティ番組におけるテロップの役割を、しゃべりで担っている。  テロップとは、大きく分けて2つの種類がある。まずは、コメントをフォローするためのテロップ。出演者がしゃべったセリフを、そのまま文字にする種類のものだ。そしてもうひとつは、番組サイドが出演者にツッコミを入れるテロップ。収録の現場では誰もツッコまなかったことに対して、後から番組が編集でツッコミを文字で出す。若槻はこの2種類のテロップを、現場のしゃべりで補っている。  4月9日&16日に放送された『まとめないで!!』(テレビ朝日系)では、MCとして劇団ひとりと共に出演した若槻。立ち位置の明確な役割はないが、どちらかといえば劇団ひとりがメイン、若槻がアシスタント的なポジションで番組は進行していく。番組の主旨として、食通で知られる渡部建がほかの出演者からツッコミをいれられるわけだが、渡部の“知人の薦めた店にしか行かない”という姿勢に対して、それはただの受け売りではないかと指摘されてしまう。普通はそうだろう、と反論しようとする渡部に対して、若槻はこんな言葉を投げかける。 「でも、それを大きな声でテレビで言ってるだけでしょ!?」  重要なのは、このコメントに対してはテロップが入らないという点だ。これを受けて、劇団ひとりが「大きな声で言って、お金をもらうっていう……」とかぶせたコメントで初めて、テロップが乗る。  これと同じ流れが、番組では何度も見受けられる。渡部の言うことは聞いている時点で力量がないということがわかる、というコメントに対して「力量がないんですね!?」とかぶせ、寺門ジモンは本当の食通だが、本当の食通はテレビ向けではないというコメントを聞くと「ジモンさん、テレビ向きじゃないんですか!?」と即座に返す。これらの若槻の発言のすべてにテロップは入らない。というか、不要なのだ。この発言自体が、テロップの役割を果たしているから。たとえば「力量がない」のくだりでは、あとから編集で渡部の顔のアップに「力量がない」というツッコミテロップを入れることもできるが、若槻のコメントがあるからその作業は不要になる。視聴者の熱をテロップで冷ますことなく、自然な流れで番組が進行していく。    現在のバラエティの主流はむしろ、いかに自分のコメントでテロップが出るかという技術勝負になりがちだ。それは、たとえば『ナカイの窓』(日本テレビ系)のゲストMCスペシャルのときに、テロップの回数でランキングがつけられる、というのを見てもわかる。実際、自分が出演者としておいしいのは、そちらのはずだ。笑いも取れるし、印象にも残る。だが、若槻は逆に、自分のコメントでテロップが入ることをおそらく是としていない。前述した「でも、それを大きな声でテレビで言ってるだけでしょ!?」という発言も、間を取ることなくかぶせにいっている。ゲストMCという立場でありながら、その手法はガヤのそれに近い。  それではなぜ、若槻は自分のコメントでテロップが入ることを是としないのか? それはおそらく、自分が個人として結果を残すことよりも、番組全体の流れや面白さを重視しているからだ。かつて『痛快!明石家電視台』(毎日放送)でお笑いモンスターからスパルタ教育を受け、03年から『オールザッツ漫才』(同)でMCを務めた彼女は、バラエティ番組とはチームプレイであるという精神を叩き込まれたはずだ。そしてそれは、今もって若槻の中に息づいていて、新たなバラエティ女性タレント像を作りつつある。  どんな女性タレントも、若槻の真似はできない。なぜならば若槻自身が、誰の真似もしていないからだ。彼女はこれまでの人生で学んだ教訓を、ただただ愚直にバラエティ番組にぶつけている。女王はひとりでいい。誰も歩いたことのない道を、若槻千夏は歩いている。 【検証結果】  若槻は4月13日に放送された『ずっと引っかかってました。~ヒロミ&ジュニア 心のとげぬき屋~』(日本テレビ系)で、かつて自分のことを応援してくれていたファンを心配した。自分のことを応援したのを後悔していないかと。かつてのファンは彼女へのコメントで、DVDのことをデーブイデーと発音する。ほかの出演者や視聴者がそれを笑う中、若槻だけが「悪意がある、今の!」「DVDって言ってんじゃん! テロップ直してくださいよ!」と、たったひとりでファンの側に立った。そこには、計算など微塵もない。ただ愛と感謝だけがあった。若槻は、そのようにして、バラエティの世界で生きている。 (文=相沢直) <「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから> ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

“バラエティの女王”若槻千夏の帰還 テレビ朝日『まとめないで!!』(4月9日&16日放送)を徹底検証!

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 かつて彼女は、バラエティの女王と呼ばれていた。大物司会者にいじられれば的確なコメントを返し、おバカタレントとしては数々の偉業を成し遂げ、またMCになった際は進行を務めながらもしっかりと場を荒らし、ときに体まで張ることもあった。彼女の名は若槻千夏。どんな場所でもその状況に対応する天性の勘の良さと、努力に裏打ちされた確かな技術は、まさにバラエティの女王と呼ばれるにふさわしかった。だが彼女は2009年、自身のアパレルブランドを設立し、表舞台から去る。時を経て、今。長すぎる沈黙を破って、若槻がバラエティに帰ってきた。  いわゆるバラドルという呼称も死語となり、いまやバラエティの女性タレント枠は群雄割拠だ。グラビア界からはもちろん、アイドルグループを卒業したタレントもその椅子を狙っていて、さらには女優やモデル界からもスターが生まれつつある。結果、彼女たちが求められる技術は向上しており、昨今ではワイプに映るための練習までしているという。そのタイミングでの、若槻の帰還である。かつての女王は、ロートルとして醜態を晒すことになるのではないか? 彼女の技術力は、今ではそう大したものではないのではないか? それはただの杞憂に過ぎなかった。若槻は、本格的なバラエティ復帰以降、すべての番組で確実に爪痕を残している。  なぜ、若槻は特別なのか? 彼女の特性を一言で表すならば、テロップいらずの女、だといえるだろう。彼女はバラエティ番組におけるテロップの役割を、しゃべりで担っている。  テロップとは、大きく分けて2つの種類がある。まずは、コメントをフォローするためのテロップ。出演者がしゃべったセリフを、そのまま文字にする種類のものだ。そしてもうひとつは、番組サイドが出演者にツッコミを入れるテロップ。収録の現場では誰もツッコまなかったことに対して、後から番組が編集でツッコミを文字で出す。若槻はこの2種類のテロップを、現場のしゃべりで補っている。  4月9日&16日に放送された『まとめないで!!』(テレビ朝日系)では、MCとして劇団ひとりと共に出演した若槻。立ち位置の明確な役割はないが、どちらかといえば劇団ひとりがメイン、若槻がアシスタント的なポジションで番組は進行していく。番組の主旨として、食通で知られる渡部建がほかの出演者からツッコミをいれられるわけだが、渡部の“知人の薦めた店にしか行かない”という姿勢に対して、それはただの受け売りではないかと指摘されてしまう。普通はそうだろう、と反論しようとする渡部に対して、若槻はこんな言葉を投げかける。 「でも、それを大きな声でテレビで言ってるだけでしょ!?」  重要なのは、このコメントに対してはテロップが入らないという点だ。これを受けて、劇団ひとりが「大きな声で言って、お金をもらうっていう……」とかぶせたコメントで初めて、テロップが乗る。  これと同じ流れが、番組では何度も見受けられる。渡部の言うことは聞いている時点で力量がないということがわかる、というコメントに対して「力量がないんですね!?」とかぶせ、寺門ジモンは本当の食通だが、本当の食通はテレビ向けではないというコメントを聞くと「ジモンさん、テレビ向きじゃないんですか!?」と即座に返す。これらの若槻の発言のすべてにテロップは入らない。というか、不要なのだ。この発言自体が、テロップの役割を果たしているから。たとえば「力量がない」のくだりでは、あとから編集で渡部の顔のアップに「力量がない」というツッコミテロップを入れることもできるが、若槻のコメントがあるからその作業は不要になる。視聴者の熱をテロップで冷ますことなく、自然な流れで番組が進行していく。    現在のバラエティの主流はむしろ、いかに自分のコメントでテロップが出るかという技術勝負になりがちだ。それは、たとえば『ナカイの窓』(日本テレビ系)のゲストMCスペシャルのときに、テロップの回数でランキングがつけられる、というのを見てもわかる。実際、自分が出演者としておいしいのは、そちらのはずだ。笑いも取れるし、印象にも残る。だが、若槻は逆に、自分のコメントでテロップが入ることをおそらく是としていない。前述した「でも、それを大きな声でテレビで言ってるだけでしょ!?」という発言も、間を取ることなくかぶせにいっている。ゲストMCという立場でありながら、その手法はガヤのそれに近い。  それではなぜ、若槻は自分のコメントでテロップが入ることを是としないのか? それはおそらく、自分が個人として結果を残すことよりも、番組全体の流れや面白さを重視しているからだ。かつて『痛快!明石家電視台』(毎日放送)でお笑いモンスターからスパルタ教育を受け、03年から『オールザッツ漫才』(同)でMCを務めた彼女は、バラエティ番組とはチームプレイであるという精神を叩き込まれたはずだ。そしてそれは、今もって若槻の中に息づいていて、新たなバラエティ女性タレント像を作りつつある。  どんな女性タレントも、若槻の真似はできない。なぜならば若槻自身が、誰の真似もしていないからだ。彼女はこれまでの人生で学んだ教訓を、ただただ愚直にバラエティ番組にぶつけている。女王はひとりでいい。誰も歩いたことのない道を、若槻千夏は歩いている。 【検証結果】  若槻は4月13日に放送された『ずっと引っかかってました。~ヒロミ&ジュニア 心のとげぬき屋~』(日本テレビ系)で、かつて自分のことを応援してくれていたファンを心配した。自分のことを応援したのを後悔していないかと。かつてのファンは彼女へのコメントで、DVDのことをデーブイデーと発音する。ほかの出演者や視聴者がそれを笑う中、若槻だけが「悪意がある、今の!」「DVDって言ってんじゃん! テロップ直してくださいよ!」と、たったひとりでファンの側に立った。そこには、計算など微塵もない。ただ愛と感謝だけがあった。若槻は、そのようにして、バラエティの世界で生きている。 (文=相沢直) <「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから> ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

山寺宏一は小学生に何を伝えてきたのか? テレビ東京『おはスタ』(4月1日放送)を徹底検証!

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おはスタ公式サイトより
 平井理央の声は、早くも涙で震えていた。フジテレビのアナウンサーになる前、おはガールとして活動していた頃のことを思い出していたのだろうか。2016年4月1日に放送された『おはスタ』(テレビ東京系)は、いつもと様子が違っていた。この日のタイトルは「サヨナラのかわりにありがとうSP」。番組の立ち上げからメインMCとして、実に18年半にもわたって『おはスタ』を引っ張り、小学生に勇気と元気を与え続けたやまちゃんこと山寺宏一が、この日をもって番組を卒業する。 『おはスタ』という番組が特殊なのは、視聴者を原則として小学生に限定している点にある。いわゆる子ども番組のように漠然とした子どもではなく、あくまでも小学生に向けられている。だから番組のエンディングでは、いつもやまちゃんは「今日も元気に、行ってらっしゃい!」と視聴者に声をかける。まるで背中を押すように。そうして多くの小学生が、憂鬱な気分を振り切って小学校へ出かけて行った。やまちゃんは18年半、毎日毎日小学生を見送り続けてきたのだ。そして、そんなやまちゃんが初めて見送られる。  この日の『おはスタ』はこれまでのやまちゃんの誠意に応えるように、はなむけの道を用意した。やまちゃんと共に番組開始時のMCを務めたレイモンドをサプライズで呼び、鉄拳はやまちゃんをはじめとする多くの番組出演者が集った1枚の絵を描いた。そしてまた、これまでに番組に関わってきたのであろうスタッフを大勢呼び、アーチを作った。やまちゃんが小学生たちに毎日してきたように、心からの誠意を持って、やまちゃんを次の場所へと送り出したのだ。  小学生だって、毎日楽しいわけじゃない。勉強もスポーツも人間関係だって、そう簡単なものではないし、小学校へ行くのが嫌な日だってある。でも、やまちゃんは知っている。楽しいことは、世の中にいっぱいあるということを。だから笑顔で、自信満々に、小学生の背中を押すことができる。「おーはー!」とはきっと、そんなときに使う魔法の言葉だ。  この日の番組の最後で、やまちゃんは「『おはスタ』を見てくれている小学生たち、そして元小学生たちに最後のメッセージをお願い致します」と請われ、テレビを通して小学生たちに語りかける。かなり長くなるが、そのまま全文書き起こしてみたい。 ***  えー、ビックリしました。とにかく信じられません。卒業を発表してからいろんな人がメッセージをくれたり、『おはスタ』でこうやってゲストがたくさん来てくれたり、今日も本当にたくさんの方々に来てもらって、本当にうれしいです。心から感謝しています。ありがとうじゃ足りない。やまちゃんは世界一の幸せ者です。今日ここに来られないけど、テレビの前で応援してくれている人もたくさんいます。本当に本当にありがとう。  19年前、本当はこの司会の話、断ろうと思いました。声優の仕事しかしたことのない僕にできるわけがない、みんなに受け入れてもらえるわけない。でも、やらないで後悔するより、チャレンジして失敗したほうがいいと思って、やって本当によかったです。始めて2カ月たたないときに、街で小学生、野球少年に会ったらこんなこと(※「おーはー!」のポーズ)をやってくれて。「もしかしたら『おはスタ』見てる? やまちゃんだよ」って言ったら駆け寄ってくれて。「見てるよ。やまちゃん応援してるよ」「バイバイ、明日も見てね」。見えなくなるまでずっと「やまちゃん頑張れー!」って言ってもらったのが、2カ月たってないとき。そのとき、やれるだけずっと頑張ろう、と思いました。  たくさんのキラキラした笑顔、「やまちゃん、おーはー!」ってやってくれるみんなの声で本当に励まされました。あの、みんなの笑顔とか、一生懸命頑張ってる姿ってすごいパワーがあるんです。やまちゃんは、そこからたくさんの元気をもらいました。だから、楽しいことは世の中でいっぱいあるからね。何か夢中になれることを見つけてください。そんなことをお手伝いするのが、『おはスタ』であり、やまちゃんの仕事だったと思ってます。みんなを笑顔にするお手伝い、少しはできたのかな? できてればよかったと思います。  ひとつだけ、やまちゃんから。思いやりのある人になってください。(武田)双雲先生、「思いやりってなんだ?」って『おはスタ』でポスター書いてくれたけど。自分がされて嫌なこととか、言われていやなこととか、そういうことやってても絶対楽しくないもんね。だから、人の気持ちが分かる、思いやりのある人になってください。それだけ最後にやまちゃんからお願いです。そしてテレビを見てるみんな、やまちゃんね、『おはスタ』卒業するけど、これからいろんなことにまだまだチャレンジします。頑張っていきます。いつかみんなに会えると思う。いろんなところに行くから、そのときは、「やまちゃん。『おはスタ』見てたよ! おーはー!」って絶対やってください。  みんなが大人になってからもだよ? みんながおじさん、おばさんになってからでも、やまちゃんに会ったら「見てたよ! 4月1日、見たもん!」って言ってください。そのとき一緒に「おーはー!」やりましょう。そのためにやまちゃん、長生きするよ。まだまだ頑張るから。そして、はなちゃんとおのちゃんが引っ張ってくれる新しい『おはスタ』をみんな応援してください。本当に今まで、ありがとうございました! ***    あの日の野球少年も、今はすっかりいい大人だろう。どこで何をしているのか、それを知るすべはない。だが、彼が18年半前にやまちゃんに送った言葉は、今でもやまちゃんの胸の中で色褪せぬものとしてあり、その言葉を胸にやまちゃんは小学生たちを見送り続けた。それだけは間違いない。やまちゃんの言う通り、楽しいことは、世の中にいっぱいあるのだ。 【検証結果】 『おはスタ』の番組の中では紹介されなくても、多くの人々やメッセージが番組に寄せられたのだろう。たとえばかつて、おはガールとして番組に出演していた生田衣梨奈(モーニング娘。'16)は、やまちゃんの最後の出演に駆け付けていたことをブログで明かした。感謝の気持ちは、こうして連鎖する。それはきっと『おはスタ』のイズムとして、今後も引き継がれていくのだろう。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

おすぎとピーコに学ぶ、夫婦円満の秘訣とは? TBS『サワコの朝』(2月20日放送)を徹底検証!

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 かつて、オカマタレントというジャンルがあった。ゲイという言葉はまだ一般的ではなく、LGBTという言葉を誰も知らなかった時代のジャンルだ。それは現在のオネエタレントに系譜としてはつながっているが、しかし決してイコールではない。オカマとは多くの人にとっては蔑称であったし、一般人から理解できない人種としてテレビの中にいた。だが、それは昔の話だ。テレビというか社会全体が、マイノリティに対する差別に対して自覚的になり、それを改善しようとしてきた、あるいは差別感情を隠す技術を覚えた現代では、オカマタレントというジャンルそのものが成立しない。  そんなオカマタレントとして一世を風靡したのが、おすぎとピーコだ。共にオカマである。しかも双子だ。なおかつ抜群に面白い。特に『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)などでのタモリとのやりとりは、手だれの剣士が笑いながら斬り合うような迫力があった。ついには冠番組まで持ち、押しも押されもせぬ人気タレントとなったおすぎとピーコだが、現在東京のキー局に出演する機会はまれだ。おすぎはいまや福岡県に在住しており、2人とも、テレビ出演に関してはほとんど地方ローカル局を主戦場としている。そんな彼らがそろって出演したのが、2月20日に放送された『サワコの朝』(TBS系)だった。  キー局での出演は減ったが、トークの切れ味はいまだ健在、というか、ますます磨きがかかっている。口から出る、あらゆるフレーズが面白い。そして重要なのは、おすぎとピーコがいまだに2人で出演している点だ。共に我が強そうな2人だが、今もちょくちょくご飯を食べに行くらしい。なぜ、おすぎとピーコは、ずっと2人でいられるのだろうか? 『サワコの朝』で語ったエピソードから、その秘訣を抜き出してみたい。夫婦円満のヒントになること、請け合いである。 <1>意味のないプライドは持たないこと  現在でも、2人でよく食事に行くという話になったとき。おすぎが「頻繁にご飯食べてるよね」と言った瞬間、ピーコが「ごちそうさまですー」と口を挟む。聞くと、食事の代金は、常におすぎが支払っているのだそうだ。「(ピーコの)稼ぎが少ないから」と、さらっと言い放つおすぎ。それに対して、ピーコが何か言い返すこともない。気兼ねしている様子も見受けられない。2人の中ではそれが当たり前のことであり、申し訳ないとか恥ずかしいとかという感情は、そこにはないのだ。  夫婦はしばしば、お互いに無駄なプライドを持って、それに固執しがちだ。自分はこれだけ稼いでいるとか、自分はこれだけ家の中で頑張っているとか。だが、そんなことは、実はどうだっていいことだったりする。おすぎとピーコがそうであるように、夫婦もまた、自分たちにふさわしい在り方がある。やれるほうがやればいい、というただそれだけの話であり、その形を見つけることが大事なのだ。そしてもちろん、何かをしてもらったときには、ピーコのように感謝の気持ちを相手に述べるようにしたいものだ。 <2>お互いに違う世界を持つこと  おすぎとピーコの中では、どちらかが友達になった人とは友達にならない、というのが共通のルールになっているそうだ。「違う世界を持つことが大切」と2人は口をそろえる。阿川佐和子も、かつてそれを“乗り換えた”ことがあるらしい。2人の中では、人によっておすぎ印、ピーコ印という分類があり、相手の仲の良い人間とは一定の距離を置くというのがルールになっている。  夫婦にとっても、これは大切なことだろう。ずっと家に2人でいて、同じ世界だけを共有していると、いつか息苦しくなってしまう。お互いに相手の入ってこない自分だけの世界を外に作るというのは大事なテクニックだ。また、それを言うと愛情が足りないという風に捉えてしまいがちなため、おすぎとピーコのようにちゃんとルールとして明文化しておくとよいだろう。違う世界で得たものを、夫婦という帰る場所におみやげとして持って帰るのもお忘れなく。 <3>2人だけの、忘れられない思い出を作ること  おすぎとピーコは、かつてオカマタレントとして活動していた日々を振り返る。当時は、彼らのような存在は一般的な認知も低く、普段から差別を受けることも少なくなかったが、最も反発したのは同類の人々だった。新宿二丁目を歩いていたら「そんな汚いのが、みんなの前で男が好きなんて言わないでよ!」と罵倒されたという。彼らは社会からも異物として扱われたが、新宿二丁目からも拒絶されていたのだ。  だが、おすぎは笑って言う。「(オカマという蔑称は)差別だって、みんなで言ってた時代のほうが断然面白かったよね」と。ピーコも笑いながらうなずいている。それは過去への郷愁ではなく、ただの感想だろう。少なくともおすぎとピーコの2人にとっては、そして面白いか面白くないかという観点だけで捉えれば、今よりもあの頃のほうが面白かった。もちろん異論もあるだろう。誰もが、おすぎとピーコのようなメンタルを持っているわけではない。LGBTへの意識の向上で社会が得たもの、あるいはこれから得るであろうものは多くある。だが、そういった異論を含めて面白いのだ、おそらくおすぎとピーコにとっては。  おすぎとピーコは当時を振り返りながら、本当に楽しそうに笑っている。2人だから、2人だけが経験できた思い出がたくさんあるのだろう。夫婦もまた、そのようにありたい。世界で、たった2人だけだ。特別な思い出をたくさん作り、いつか笑って語り合える、そんな2人でありたい。 【検証結果】  おすぎとピーコがテレビに出た時代、テレビはそこに“あるもの”を“あるもの”として見せた。決して、“あるもの”を“ないもの”として扱わなかった。オカマというものがあり、珍しいからテレビに出してみよう。そうしておすぎとピーコは世に出たのであり、それは時代の要請だったともいえるだろう。そこには無邪気さと無知が共在していて、もちろん賛否はあるが、少なくともテレビがそういう時代だったというのは事実だ。あるものはある。それは、今のテレビや社会全体からは許されにくい思想だが、そこで見捨てられてしまった面白さは、やはりあるものはある、としか言えない。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa

℃-ute岡井千聖はやさしさで人を笑顔にする フジ『クイズやさしいね』(1月26日放送)を徹底検証!

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℃-uteオフィシャルサイトより
 テレビのタレントの枠のひとつに、バラエティアイドル、というジャンルがある。アイドルが神秘的な存在から素を見せる人間に変化を遂げた1980年代に生まれたこの枠は、かつてはバラドルと呼ばれ、少し前まではおバカタレントと呼ばれていた。だが現在では、指原莉乃、菊地亜美、嗣永桃子といった、空気が読めて仕切りもでき、あるいは逆にいじられることもできるアイドルがその席に座っている。そんな中、2016年、この潮流に真っ向から抗おうとするアイドルがいる。彼女の名は岡井千聖。アイドルグループ、℃-uteのメンバーである彼女が、徐々にテレビに見いだされつつある。  彼女の武器は、堂々たるアホさ加減だ。バラエティがスタイルとして進化を遂げた今、原点回帰ともいえる真っ向勝負。これまでも『アフロの変』(フジテレビ系)への出演や、『ミレニアムズ』(同)での暴露トークなどで着実に結果を残してきた岡井がここ最近出演を果たしたのが、内村光良が司会を務める、優しい人なら解けるクイズ番組『クイズやさしいね』だ。ここでパネラーとして座る岡井の破壊力は尋常ではなく、1月19日に放送された2時間SPと翌週の1月26日の放送では2週連続で出演。八面六臂の活躍を見せている。  それでは果たして、岡井のタレントとしての魅力はどこにあるのか? 1月26日に放送された同番組から検証してみたい。 <1>誰もが思いつかない発想力  とにかく、クイズの回答の破壊力が尋常ではない。クイズ番組であり、岡井に求められているのは多くの場合、正解ではなくアホ回答なのだが、視聴者の予想と期待をはるかに超えてくる。たとえば「50代以上の女性向けの、コンパクトのやさしい工夫とは?」という問題。やさしい工夫がされているらしい。50代以上にとって、ということは、老眼の方に向けた工夫だろうか? 鏡が何か特殊なのかもしれない。そこで岡井が出した回答が、これだ。 「マトリョウシカみたくあければあけるほど違う鏡が出てくる」  どういうことなのか、まず理解ができない。岡井の頭の中では、どんな光景が浮かんでいるんだ。どうやったら、こういう発想ができてしまうのか。さらにいえば「マトリョウシカ」という書き方や「みたく」という言葉の使用法も味わい深い。これ以上の面白い回答がちょっと浮かばないほど、独特の感性である。  この番組は知識勝負ではなく、やさしい人なら考えて解くことのできる番組だけに、発想がすべてだといえる。そういった意味で、岡井は番組のテイストにもフィットしており、司会の内村の「昨日どんな酒飲んだ?」「もう一度飲み直してきてください」というツッコミも、やさしさを引き立てている。これは努力でどうこうなるものではなく、ひとつの才能である。幼い頃からこの世界で暮らし、純粋培養で育った彼女の生き方が、笑いという形で結実されているのだ。 <2>テレビとは思えないほどの自然体  テレビであり、かつゴールデン番組である。普通だったら緊張する。そして、さまざまな準備をして臨むだろう。だが岡井は、完全に手ぶらで番組に臨んでいる。考えるタイプが多い昨今のアイドル業界では、かなりまれだといっていい。だがその新鮮さが、むしろ個性として発揮されている。紛れもなく、それは彼女の素の魅力だ。  たとえばクイズの問題を考えるとき「なんですかねぇ」と、頭の中の言葉がつい口から出てしまう。内村は「なんだろうね。それを答えるのが、クイズ番組だよ」と、やさしく伝える。さらに彼女は、日村勇紀(バナナマン)の「一回聞いてみ?」という差し金を受けて、「あの……これってなんですか?」と内村に直接訊ねてしまう。かつ、そこに笑いを取ろうという作為や、わざとらしさが一切ない。ただ感情が赴くままに、彼女は言葉を発している。  かつて島田紳介は『クイズ!ヘキサゴン』(同)で、おバカというネーミングによってクイズを大喜利化した。それは、ある意味では競技に近く、全体の空気を読めるという資質が出演者には求められていた。だが、岡井の場合は本当に空気を読んでいない。面白い回答をしようとか、目立とうとか、笑わせようという気持ちさえそこにはなく、ただただ純粋にクイズと向き合う。そのピュアな姿勢が、作られたものにいささか辟易した現在の視聴者には合っているのだといえるだろう。 <3>そもそもの人間性がやさしい 『クイズやさしいね』は知識や知能を競う番組ではなく、やさしさが問われる番組だ。そして、岡井がこの番組で結果を残せているというのは、彼女が単純にやさしい人間であるという証明にほかならない。そう、彼女は、そもそもの人間性がやさしい人物なのだ。  それは、クイズに不正解したときにも表れている。通常クイズ番組とは、クイズの正解が出るまでの過程を楽しむものであり、クイズの正解が出てしまった後の場面は、ほぼ使われない。だが岡井には、そんな大人の常識など関係ない。クイズの正解が出た後でも、自分の小学校時代の体験を思い出し、それを長々と語ってから、「思い出せれば良かったですね。くそー、次は頑張ります!」と感想を述べる。子どもの読書感想文のようだ。大人が忘れてしまった大切なものが、そこにはある。内村を「なんて前向きな子なんでしょう」と、驚かせるほどに。  かつて岡井は℃-uteのメンバーに、自分たちが老人になった頃には年金がもらえなくなってしまうらしいという話を聞かされたとき、こう答えたという。「大丈夫、いい子にしてたらもらえるよ」と。この発想が普通にできてしまうやさしさが、彼女にはある。やさしさは、たいていの場合、無力で、甲斐もなく、裏切られることもしばしばだ。それでも岡井は、あるいは人は、やさしくあろうと願い続けることができるほどにはしぶとい。そんなひどくシンプルな、だけど人生にとってとても大切なことを、彼女は教えてくれるのだった。 【検証結果】  また、岡井の魅力のひとつに、考えている顔が面白い、というものがある。クイズ番組だから、一生懸命考える。その一生懸命さが表情として顔に出てしまい、ああ、一生懸命考えているんだなあ、というのが見ているこっちに確実に伝わってくるのだ。そういったとき、人はどこかやさしい気持ちになる。自らのやさしさで視聴者をやさしくする、それが、岡井千聖という人物である。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa