孫が祖父母を殺害する事件は、決して珍しいものではない。ここ数年だけでも、2015年に山梨県河口湖町で高校3年生の孫が80代の祖父母を、16年には兵庫県赤穂市で19歳の孫が介護をしていた祖父母を殺害。今年7月にも、神戸市北区で26歳の孫が「誰でもいいから攻撃してやろう、刺してやろうと思った」と、祖父母ら3人を刺殺している。 しかし、14年に埼玉県川口市で当時17歳の少年が金欲しさに祖父母を殺害した事件は、数ある祖父母殺しの中でも極めて特殊なケースだ。毎日新聞記者・山寺香が記した『誰もボクを見ていない』(ポプラ社)を一読すれば、“いったい、本当の加害者は誰か?”という疑問に突き当たるだろう。 事件の犯人となった優希(仮名)は、幼少時こそ、両親と3人で暮らしていたものの、4歳になる頃に一家の借金は膨れ上がり、父方の祖母を頼って関東近郊の地方都市に夜逃げ。母の幸子(仮名)は家計が苦しくても働かないどころか、父親が家賃として渡した金を大家に支払わず、パチンコなどに浪費した。 しかし、浪費癖があっても、いつも一緒にいてくれる幸子は、優希にとってまだ「いい母親」であった。 優希の小学校入学を機に、一家はさいたま市内のアパートに転居し、幸子は水商売で働き始める。優希の人生が狂い始めるのはこの頃からだ。父親は愛人の元に入りびたり、アパートにはほとんど帰らない。優希が2年生になると、幸子はホストクラブに通い詰め、働かなくなる。両親のいない家で、優希はコンビニ弁当を食べながら孤独を募らせるばかりでなく、幸子が友達を連れて帰宅したり、ホストや元ホストが居候したりと、生活はメチャクチャに。不規則な日々の中、次第に優希は朝起きることができなくなり、4年生になると学校に行かなくなった。その頃、正式に両親は離婚。優希は、母親側に残ることを選んだ。 その後の彼の暮らしは、「異常」という言葉がふさわしい。母子は店の客で、「金づる」と呼んでいた中年男性と暮らすこととなるが、すぐに幸子はインターネット掲示板で知り合った名古屋のホスト・亮の元へ身を寄せ、1カ月にわたって家出する。この時の「捨てられた」と感じた絶望的な経験は、優希の心に深い傷を残した。ようやく戻ってきた幸子は、優希を連れて名古屋へと向かい、亮の元に転がり込む。その後、亮も一緒にさいたま市に戻るが、2人とも仕事をせず、優希が持っていたゲームを売ったり、亮の親戚に金を借りるなどして生活費を工面した。それも尽きると「金づる」をだまして、数十万円の金を得るなど、その場しのぎの毎日だった。 その後、各地を転々とした彼らがようやく落ち着いたのは、ラブホテルだった。彼らは、なんと2年間にわたって、ここで生活を営んでいる。優希は学校に通わず、幸子とともにゲームセンターや漫画喫茶でチェックインの時間となる20時まで時間を潰し、日雇いの仕事から帰ってくる亮を待った。その部屋で亮と幸子は、優希の存在に構わずセックスをした。セックスを見せつけるだけでは飽き足らなくなった亮は、優希の顔をつかみ、フェラチオを強要。幸子は、ただ笑ってその様子を見ているだけだった。そして、日雇いで食いつないでいた亮の収入がなくなり、親戚への金の無心もできなくなると、ラブホテルの敷地にテントを張って野宿をするという、どん底の暮らしが優希を待っていた。 その頃、幸子は、亮との子を妊娠した。生まれた女児は結衣(仮名)と名づけられたものの、出生届も提出されず、戸籍のない子どもとなる。一家は、親しくなった家族の金を持ち逃げして、横浜市へ逃走。初めはホテル暮らしをしていたものの、ほどなくして金も尽き、横浜スタジアム周辺や児童公園で野宿をするようになった。結衣の面倒はすべて優希が見ていた。しかし亮は、野宿のストレスから、次第に優希に対して暴力を振るうようになる。当時、優希は「死ねたら楽だろうな」と何度も考えたという。 どん底の生活に陥った優希たちに、希望の光が差すのがこの頃。生活困窮者向けの相談窓口に足を運ぶと、生活保護を受給することができるようになった。普通なら中学2年になる優希と、まだ幼い結衣のことを心配した児童相談所は一時保護を勧めるも、幸子は「家族一緒でないとダメ」と拒否。しかし、野宿生活を脱し、簡易宿泊所で生活しながら、優希はフリースクールに通うことができるようになった。 これでようやく安定するかのように見えた生活も、わずか半年間でついえる。生活保護費を得ても、ホテルやゲームセンター、パチンコなどで浪費する幸子は、行政から保護費の使い方について指導を受けるのを嫌い、簡易宿泊所を出て元の生活に戻る。幸子の川口市の実家、亮が住み込みで働いた横浜市鶴見区の新聞配達店、埼玉県内の建設会社や塗装会社の寮などを転々とした。そんな生活に愛想を尽かし、亮は消えた。 その後、今度は優希が同じ塗装会社で働き、そのまま会社の寮に住むことができるようになった。亮は、数カ月分の給料を前借りし、会社の先輩にも借金をしていたが、それでもなお、幸子は遊ぶ金を工面するため、優希に指示して給料を前借りさせた。幸子から捨てられることにおびえていた優希には、その言葉に従う選択肢しかなかったのだ。しかし、借金が膨らんだ一家は、ここからもまた姿を消した。 行き場を失った母子は、幸子の実父母への借金の申し入れも断られる。「ばあちゃんたち殺しでもすれば(金が)手に入るよね」と漏らす幸子に、優希は冗談だと思い、「そうだね」とあいまいに返事をしたが、それに対して、幸子は「本当にできるの?」「結局できないの?」とたたみかけた。翌日、2人は殺害方法を話し合い、優希は祖父母宅を訪ねた。初めは金を借りることで済ませようとした優希だが、これまで何度も借金を引き受けてきた祖父母は、その申し出を拒否。そして、優希は祖母の首を延長コードで絞め、キッチンにあった包丁を使って殺害、祖父も後ろから刺殺すると、現金8万円、キャッシュカード、カメラなどを盗んで家を出た。その後、母と妹と合流すると、ホテルにチェックイン。祖父母を殺して得た金も、幸子によって、わずか3日あまりで使い尽くされた。事件から1カ月後、優希は逮捕された。 裁判で、優希は懲役15年の刑が確定した。もちろん、この事件の加害者は優希だが、本書を通じて彼が過ごしてきた短い人生をたどっていくと、彼もまた被害者のひとりという気がしてならない。彼は17年、山寺に送った手記の中で「本当は罪なんて犯したくない。でも、もうこれしかなかったんだ」とつづっている。一方、強盗の容疑で懲役4年6カ月の刑に服している幸子は、もうすぐ刑期を終えて出所することになる。 幸子の浪費癖さえなかったら、児童相談所が一時保護をしていれば、この環境から逃げ出せていれば、彼は「殺人犯」ではなく、真面目で内気な「普通の子」だったはずだ。しかし、運命はそれを許さなかった。 皮肉にも、刑務所に入った今、彼はようやく勉強に打ち込むことができるようになった。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『誰もボクを見ていない: なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』(ポプラ社)
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母親の浪費癖、ラブホテル生活、野宿の果てに……17歳少年による「川口祖父母殺人事件」の悲劇
孫が祖父母を殺害する事件は、決して珍しいものではない。ここ数年だけでも、2015年に山梨県河口湖町で高校3年生の孫が80代の祖父母を、16年には兵庫県赤穂市で19歳の孫が介護をしていた祖父母を殺害。今年7月にも、神戸市北区で26歳の孫が「誰でもいいから攻撃してやろう、刺してやろうと思った」と、祖父母ら3人を刺殺している。 しかし、14年に埼玉県川口市で当時17歳の少年が金欲しさに祖父母を殺害した事件は、数ある祖父母殺しの中でも極めて特殊なケースだ。毎日新聞記者・山寺香が記した『誰もボクを見ていない』(ポプラ社)を一読すれば、“いったい、本当の加害者は誰か?”という疑問に突き当たるだろう。 事件の犯人となった優希(仮名)は、幼少時こそ、両親と3人で暮らしていたものの、4歳になる頃に一家の借金は膨れ上がり、父方の祖母を頼って関東近郊の地方都市に夜逃げ。母の幸子(仮名)は家計が苦しくても働かないどころか、父親が家賃として渡した金を大家に支払わず、パチンコなどに浪費した。 しかし、浪費癖があっても、いつも一緒にいてくれる幸子は、優希にとってまだ「いい母親」であった。 優希の小学校入学を機に、一家はさいたま市内のアパートに転居し、幸子は水商売で働き始める。優希の人生が狂い始めるのはこの頃からだ。父親は愛人の元に入りびたり、アパートにはほとんど帰らない。優希が2年生になると、幸子はホストクラブに通い詰め、働かなくなる。両親のいない家で、優希はコンビニ弁当を食べながら孤独を募らせるばかりでなく、幸子が友達を連れて帰宅したり、ホストや元ホストが居候したりと、生活はメチャクチャに。不規則な日々の中、次第に優希は朝起きることができなくなり、4年生になると学校に行かなくなった。その頃、正式に両親は離婚。優希は、母親側に残ることを選んだ。 その後の彼の暮らしは、「異常」という言葉がふさわしい。母子は店の客で、「金づる」と呼んでいた中年男性と暮らすこととなるが、すぐに幸子はインターネット掲示板で知り合った名古屋のホスト・亮の元へ身を寄せ、1カ月にわたって家出する。この時の「捨てられた」と感じた絶望的な経験は、優希の心に深い傷を残した。ようやく戻ってきた幸子は、優希を連れて名古屋へと向かい、亮の元に転がり込む。その後、亮も一緒にさいたま市に戻るが、2人とも仕事をせず、優希が持っていたゲームを売ったり、亮の親戚に金を借りるなどして生活費を工面した。それも尽きると「金づる」をだまして、数十万円の金を得るなど、その場しのぎの毎日だった。 その後、各地を転々とした彼らがようやく落ち着いたのは、ラブホテルだった。彼らは、なんと2年間にわたって、ここで生活を営んでいる。優希は学校に通わず、幸子とともにゲームセンターや漫画喫茶でチェックインの時間となる20時まで時間を潰し、日雇いの仕事から帰ってくる亮を待った。その部屋で亮と幸子は、優希の存在に構わずセックスをした。セックスを見せつけるだけでは飽き足らなくなった亮は、優希の顔をつかみ、フェラチオを強要。幸子は、ただ笑ってその様子を見ているだけだった。そして、日雇いで食いつないでいた亮の収入がなくなり、親戚への金の無心もできなくなると、ラブホテルの敷地にテントを張って野宿をするという、どん底の暮らしが優希を待っていた。 その頃、幸子は、亮との子を妊娠した。生まれた女児は結衣(仮名)と名づけられたものの、出生届も提出されず、戸籍のない子どもとなる。一家は、親しくなった家族の金を持ち逃げして、横浜市へ逃走。初めはホテル暮らしをしていたものの、ほどなくして金も尽き、横浜スタジアム周辺や児童公園で野宿をするようになった。結衣の面倒はすべて優希が見ていた。しかし亮は、野宿のストレスから、次第に優希に対して暴力を振るうようになる。当時、優希は「死ねたら楽だろうな」と何度も考えたという。 どん底の生活に陥った優希たちに、希望の光が差すのがこの頃。生活困窮者向けの相談窓口に足を運ぶと、生活保護を受給することができるようになった。普通なら中学2年になる優希と、まだ幼い結衣のことを心配した児童相談所は一時保護を勧めるも、幸子は「家族一緒でないとダメ」と拒否。しかし、野宿生活を脱し、簡易宿泊所で生活しながら、優希はフリースクールに通うことができるようになった。 これでようやく安定するかのように見えた生活も、わずか半年間でついえる。生活保護費を得ても、ホテルやゲームセンター、パチンコなどで浪費する幸子は、行政から保護費の使い方について指導を受けるのを嫌い、簡易宿泊所を出て元の生活に戻る。幸子の川口市の実家、亮が住み込みで働いた横浜市鶴見区の新聞配達店、埼玉県内の建設会社や塗装会社の寮などを転々とした。そんな生活に愛想を尽かし、亮は消えた。 その後、今度は優希が同じ塗装会社で働き、そのまま会社の寮に住むことができるようになった。亮は、数カ月分の給料を前借りし、会社の先輩にも借金をしていたが、それでもなお、幸子は遊ぶ金を工面するため、優希に指示して給料を前借りさせた。幸子から捨てられることにおびえていた優希には、その言葉に従う選択肢しかなかったのだ。しかし、借金が膨らんだ一家は、ここからもまた姿を消した。 行き場を失った母子は、幸子の実父母への借金の申し入れも断られる。「ばあちゃんたち殺しでもすれば(金が)手に入るよね」と漏らす幸子に、優希は冗談だと思い、「そうだね」とあいまいに返事をしたが、それに対して、幸子は「本当にできるの?」「結局できないの?」とたたみかけた。翌日、2人は殺害方法を話し合い、優希は祖父母宅を訪ねた。初めは金を借りることで済ませようとした優希だが、これまで何度も借金を引き受けてきた祖父母は、その申し出を拒否。そして、優希は祖母の首を延長コードで絞め、キッチンにあった包丁を使って殺害、祖父も後ろから刺殺すると、現金8万円、キャッシュカード、カメラなどを盗んで家を出た。その後、母と妹と合流すると、ホテルにチェックイン。祖父母を殺して得た金も、幸子によって、わずか3日あまりで使い尽くされた。事件から1カ月後、優希は逮捕された。 裁判で、優希は懲役15年の刑が確定した。もちろん、この事件の加害者は優希だが、本書を通じて彼が過ごしてきた短い人生をたどっていくと、彼もまた被害者のひとりという気がしてならない。彼は17年、山寺に送った手記の中で「本当は罪なんて犯したくない。でも、もうこれしかなかったんだ」とつづっている。一方、強盗の容疑で懲役4年6カ月の刑に服している幸子は、もうすぐ刑期を終えて出所することになる。 幸子の浪費癖さえなかったら、児童相談所が一時保護をしていれば、この環境から逃げ出せていれば、彼は「殺人犯」ではなく、真面目で内気な「普通の子」だったはずだ。しかし、運命はそれを許さなかった。 皮肉にも、刑務所に入った今、彼はようやく勉強に打ち込むことができるようになった。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『誰もボクを見ていない: なぜ17歳の少年は、祖父母を殺害したのか』(ポプラ社)
「警察庁長官狙撃事件」の真犯人はなぜ黙殺された? 凶悪犯たちの肉声を聞け!『昭和・平成 日本の凶悪犯罪100』
いつの時代も、殺人、強姦、強盗、放火など、スキャンダラスな事件が起こるたびに報道合戦は過熱、疑者の生い立ちや精神分析、近所の住人のコメントなど、さまざまな側面が取り沙汰される。だが、過熱するメディアの報道が、本人の声を取り上げることは少ない。そして、一定の時間がたつと、「世間を震撼させた」事件のニュースバリューはなくなり、別の話題へと移り変わっていく。 別冊宝島編集部による『昭和・平成 日本の凶悪犯罪100』(宝島社)は、凶悪犯罪の犯人たちの肉声を取材したルポライターによる記事を集めた一冊。塀の中で、凶悪犯たちは深い反省に沈むばかりでなく、時に冤罪を主張し、時に意気揚々と自分の「功績」を語っている。そんな彼らの素顔を、本書からのぞいてみよう。 2015年、淡路島で5人を殺害した平野達彦は、神戸拘置所の面会室でルポライター・片岡健に対面すると、真顔で事件の真相を「ブレインジャック」と答えた。犯行の数年前からFacebookやTwitterなどで「日本政府は何十年も前から各地で電磁波犯罪とギャングストーキングを行っている」と訴え、近隣住民を「日本政府の工作員」と中傷。裁判では「被害者は私であり、私の家族です」と語っている。判決公判で死刑を宣告されるも、顔色ひとつ変えなかった理由について「電磁波攻撃という、死刑以上のことを何年もされていますからね」と、悪びれる様子もない。彼は、いまだ被害者に謝罪するどころか、電磁波攻撃という妄想をまくし立てている。 「桶川ストーカー殺人事件」は、一定以上の年代であれば、ほとんどの人が覚えている事件だろう。1999年、JR桶川駅前で女子大生の猪野詩織さんが、元交際相手・小松和人の配下の男によって刺殺されたこの事件。主犯である和人が屈斜路湖で自殺したことにより、真相解明は困難を極めた。裁判の結果、和人の兄である小松武史がこの事件の首謀者のひとりとされたものの、彼はその容疑を否認し続けている。取材に対して、武史は「脅しをかけられた」「恐ろしい」と、弟に対する恨みつらみを証言。また、実行犯である久保田祥史も、裁判の中で「武史からの依頼であると、虚偽の供述をしていた」と認め、冤罪の可能性は高まる。この事件では、埼玉県警上尾署が詩織さんからの被害相談に対してずさんな対応をしていたことから批判にさらされたが、その裁判の結果も同様にずさんなものだった可能性が持ち上がっているのだ。 地下鉄サリン事件の直後となる、95年3月30日に、当時の警察庁長官・國松孝次が狙撃され、重傷を負った事件は、犯人が見つからないまま、10年に時効を迎えた。しかし、この事件の「真犯人」だと自ら主張しているのが中村泰という人物。02年に名古屋で現金輸送車を襲撃し、無期懲役刑に服している中村は、チェ・ゲバラに憧れ、ニカラグア革命戦争に参加すべくアメリカで射撃の腕を磨く。そんな彼は、地下鉄サリン事件以降も、容疑者を検挙できない警察の対応に業を煮やし、オウム信者を装って警察庁長官を狙撃することで警察のオウムに対する危機感を煽ろうとした。長官狙撃事件をオウムによる犯行と踏んだ警察は、次々と信者を逮捕。中村のもくろみは成功を収めた。だが、「世に知られないままに消えてしまうことに多少とも心残りを覚えていた」という中村は、時効成立前から狙撃事件の犯人であることを自供する。しかし、そんな「真犯人の証言」は、警視庁公安部がかたくなに否定したといわれている。真相は、いまだ闇の中だ。 凶悪犯たちの胸の内は、必ずしも裁判だけで明らかにされるものではない。塀の中までを取材し、事件の真相を解明しようとするルポライターたちの執念に脱帽するばかりだ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『昭和・平成 日本の凶悪犯罪100』(宝島社)
「名古屋闇サイト殺人事件」ハンマーで40回殴打されながらも被害者が守り抜いたものとは?
2007年8月24日夜の11時過ぎ、その事件は起こった。 帰宅途中の磯谷利恵さん(当時31歳)が、愛知県名古屋市千種区の路上を歩いていたところ、白いワンボックスカーから出てきた男に道を尋ねられた。そして、一瞬の油断をつき、利恵さんは車の中に押し込まれ、手錠をはめられてしまう。バッグから現金とキャッシュカードを奪った3人の男たちは、拉致現場から30キロメートルあまり離れた愛西市の駐車場まで移動。彼女の頭にガムテープをぐるぐる巻きにし、頭にレジ袋をかぶせた上、40回にわたってハンマーで殴りつけて殺害。無残な遺体は、岐阜県内の山林に埋められた。 凄惨な内容もさることながら、犯人グループがインターネット上の「闇サイト」と呼ばれる場所で知り合い、犯行に及んだこともあり、発生当初から、多くの注目が集まった この事件。あれから10年、作家の大崎善生がこの事件を追ったノンフィクション『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』(角川書店)が刊行された。本書の内容に従って、この事件を振り返ってみよう。 加害者たちが知り合ったのは、インターネット上の掲示板「闇の職業安定所」だった。 「刑務所から出てきたばかりで、派遣をやっています。実にばかばかしい。東海地方で一緒になんか組んでやりませんか」 この書き込みをしたのが、住所不定無職の川岸健治という男。そして、この言葉に呼応して、堀慶末は「どうですか、何か一発やりますか?」というメールを送信。神田司は「以前はオレ詐欺をメインにしていたのですが貧乏すぎて強盗でもしたい位です」と、メールを送った。さらに、途中で離脱するもうひとりを加えた4人の男たちが、犯罪のために動きだしたのだった。 それぞれ、金に困っていた4人だが、どんな犯罪をするのかは誰ひとり考えていなかった。8月21日、ファミリーレストランで落ち合った即席の犯罪集団は、「夜間金庫を狙うか、パチンコ屋がいいのではないか」などと話し合う。しかし、いざ実行に移そうにも、強盗のターゲットを尾行中に見失い、ダーツバーを襲撃しようとしたら休み、さらに昔勤めていた会社事務所に忍び込み金庫を盗もうとしたところ 、金庫自体が 見当たらなかった。行き当たりばったりで、何一つ成果も挙げられない。これで終われば、ただの間抜けな人間たちだった。 しかし、初対面から3日後の8月24日。事件は起こった。 業を煮やした彼らが計画したのが、女性の拉致だった。 「ブランド品とか持っていなくて、黒髪で、あんまり派手じゃない地味系のOLだったら、たくさん貯金しているだろうから」というもくろみで、名古屋市内をぐるぐると移動しながら ターゲットを物色。磯谷利恵さんの外見は、まさに彼らが考えてたものと一致した。155センチと小柄な彼女の体格は、180センチの堀に押さえつけられるとひとたまりもなく、車の中に引きずり込まれた。 車内で手錠をはめられ、包丁を突きつけられ、恐怖のどん底に突き落とされた利恵さん。しかし、彼女は、犯人たちに臆することもなく、気丈に振る舞った。母親に家を買うために貯めていた800万円以上の預金が入ったキャッシュカードを奪われても、決して正しい暗証番号を伝えることはない。頭をハンマーで殴られ、血が飛び散りながらも、利恵さんは「ねえ、お願い、話を聞いて」「殺さないって約束したじゃない」「お願いします。殺さないで」と犯人を説得しようとした。彼女は、母親に女手一つで育てられた。もしかしたら、その脳裏には、ひとり残される母親のためにも、死ぬわけにはいかないという強い思いがあったのかもしれない。しかし、そんな希望は、無残にも振り下ろされるハンマーによって打ち砕かれた。 翌日、犯人グループのひとり、川岸の自首によって、事件は明らかになった。 被害者の母、富美子さんは、事件後、加害者の死刑を求める署名活動を行い、その数は33万人にまで膨れ上がった。この署名は結果として判決に反映されることはなかったが 、神田・堀両被告に対して被害者がひとりの事件としては異例の死刑判決が言い渡される結果を勝ち取った(堀は、上告で無期懲役の判決となるも、余罪が判明し、死刑判決が下された)。 闇サイトで集った男たちによる、無計画な犯行の犠牲となった磯谷利恵さん。あまりにも短絡的な犯行によるその死を追っていくと、怒りや悲しみといったありきたり体の言葉ではとうてい表現できないような強い感情に襲われる。しかし、大崎が注目するのは、そんな卑劣な犯人たちを前に堂々と自分を保ち続けた利恵さんの勇気だった。 「凍りつくような恐怖の中で、 それでも利恵は最後まで自分を保ち続けた。どんなに痛かっただろう、どんなに苦しかっただろう、どんなに怖かっただろう。しかし孤絶する状況の中で、死の恐怖に向かい、 理恵はひとりで戦い抜いた。凍りつくような絶体絶命の状況で、取り乱すこともなく、また絶望することもなかった。敢然と立ち向かい、ひたすら耐え抜いた。その知性と勇気を“誇り”に思い、また“感謝”する」 死の淵に立っても、利恵さんは暴力に屈しなかった。大崎は、その毅然とした態度を後世にまで書き残そうとしている。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』(角川書店)
「対話」の末に見えた、人が人を殺す“理由”とは――『殺人犯との対話』
なぜ、人は人を殺すのか? 殺人事件の被害者数は年間383人(2012年)。実に、1日に1人以上が殺人事件の被害者となっており、殺人の報道を耳にしない日はほとんどない。怨恨、強盗、保険金、強姦、快楽など、さまざまな理由で人は人を殺す。にもかかわらず、司法の場以外で、殺人犯たちの生の声が社会の中で語られることはほとんどない。 ノンフィクション作家・小野一光は、「週刊文春」(文藝春秋)の連載「殺人犯との対話」で、凶悪殺人犯たちの素顔を追いながら、そんな疑問に迫っている。角田美代子が首謀者となった「尼崎連続変死事件」や、畠山鈴香による「秋田児童連続殺人事件」など、10の事件を追ったこの連載が、同名タイトルの書籍として刊行された。 02年に発覚した「北九州監禁連続殺人事件」は、主犯である松永太が自らの手を汚さずに、マインドコントロール下に置いた被害者たちに殺し合いをさせ、合計7人が殺害された事件。小野は、福岡拘置所で松永と面会すると「私の裁判はね、司法の暴走ですよ」「いわゆる魔女裁判のように裁こうとしているんです」と、饒舌にまくし立てられる。「一光さん、神に誓って私は殺人の指示などはしていません」。殴る蹴るにとどまらず、電気コードを用いた通電の虐待など暴力行為が常習化し、暴力の末に被害者が死ぬと、生き残っている家族に遺体の切り分けや肉を鍋で煮込むなどの処理をしていた松永は、後ろめたさも卑屈さもなく、そう断言した。小野は「大きな目でこちらを射抜くように直視して言い切る姿は、確信に満ちていた」と振り返り、「悪魔とは、意外とこんなふうに屈託のない存在なのかもしれない」と殺人犯の素顔を描写する。 同じく福岡県で04年に発生した「福岡一家4人殺人事件」は、3人の中国人留学生による凶悪な事件。犯人として捕らえられた楊寧、魏巍には死刑、王亮には無期懲役の判決が下された。金銭目当ての犯行にもかかわらず、彼らが手にしたのはわずか3万7,000円のみ。その金額と引き換えに、一家4人の命は失われ、福岡市内の箱崎ふ頭に沈められたのだった。小野は、中国に飛ぶと、魏巍の父親との面会を果たす。「進んだ技術を勉強するため、日本に送り出した」と語る父親は、親戚から自身の10年分の年収に相当する金を借り、息子に希望を託した。しかし、息子は日本で遊びほうけてアルバイト代も使い果たし、学費の支払いにも窮するほど金に困るようになると、「少なくとも100万円の分け前をもらえる」という甘言に乗り、事件に加わったのだ。中国では「優秀学生」にも選ばれた魏巍だが、異国での生活が彼を変えてしまった。彼の父親は、死刑判決の出る直前「どうして事件を起こすとき、私たちのことを思い出さなかったのか」と叱責し、「裁判官にありのままを話すように。失意のどん底に落ちてはいけない」と、親として最後の言葉を手紙にしたためた。 山地悠紀夫は、05年に大阪のマンションに住む19歳と27歳の姉妹を強姦し、殺害した。山地はこの事件を起こす5年前、16歳の時に自分の母親も殺害しており、取り調べに対して「母親を殺した時のことが楽しくて、忘れられなかった」と、快楽が動機であることを語っている。20歳で少年院を退院するとき、彼は「勉強をしたい」「ワーキングホリデイで海外に行きたい」という希望を手紙を弁護士に送り、これからの生活に希望を抱いているように見えた。しかし、退院し、パチンコ店に務めると、過去の殺人という履歴がバレてしまい、職を転々とせざるを得ない状況に追い込まれる。山地はゴト師グループの打ち子にまで身を落とすも、ここでも元締めから稼げないことを叱責されてグループを飛び出し、強姦殺人という凶行に及んだ。死刑判決を受けて、山地は弁護士に対して「私は生まれて来るべきではなかった」という手紙を送り、自らの控訴を取り下げ、死刑を確定させている。09年7月、大阪拘置所で山地の刑は執行された。 本書に掲載されている10人の殺人犯との対話から、「共通項」というべきものは浮かび上がってこない。ある者は深い後悔の念に沈み、ある者は反省の色を見せることがない。その動機だけでなく、出自も、性格も、振る舞いもさまざまなのだ。小野はそんな彼らへの取材を通じて、以下のような確信を得ている。 「なぜ私は闇に目が向いてしまうのか。それは、殺人犯を通じて人間を見たかったからに違いない。非人間的な殺人という行為は、人間だからこそやってしまうのだということを、改めて確認したかったのだ」 殺人が、人間の手による仕業であると確認する。それは至極当たり前のことではあるが、しかし、非人間的な殺人行為からは、「極悪非道」な姿しか浮かび上がってこない。本書を通じて、小野は動機や犯行手法などを積み重ねて犯人を裁く司法のシステムでは明らかにできない「殺人犯という人間」を描き出している。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『殺人犯との対話』(文藝春秋)
実行犯は韓国人? 著者が肉薄した、20世紀最後の未解決事件『世田谷一家殺人事件』の真相
2000年12月31日。20世紀最後の日として世間が沸き立っていたこの日、恐ろしい惨劇のニュースが飛び込んできた。世田谷に住む会社員・宮澤みきおさん宅で、一家4人が惨殺されたこの事件は、年末気分、世紀末気分に浮かれた日本中に冷水を浴びせかけた……。 事件からもうすぐ15年となる現在も、いまだ解決の糸口はつかめず、迷宮入りとなっているこの事件を追い続けたジャーナリストの一橋文哉氏が、『世田谷一家殺人事件 15年目の新事実』(角川書店)を上梓した。いったい、なぜ犯人は見つからないままなのか? そして、一橋氏がつかんだ「新事実」とは? 本書の記述に即して、15年前の未解決事件を振り返ってみよう。 当初から、その異常性が取り沙汰されたこの事件。一家4人を惨殺するというだけでも十分に卑劣な犯行だが、みきおさんに対しては十数カ所のめった刺しにして殺害。妻・泰子さんには70カ所以上の切り傷、打撲痕などがあり、顔は原形をとどめないほどに切り刻まれていた。さらに、8歳の長女・にいなちゃんに対しては殴打によって歯を砕き、包丁で顔面を切り刻んだ挙げ句、腹部をえぐる……と、とても人間の仕業とは思えない方法で殺害されたのだった。 さらに犯人は、推定犯行時刻である午後11時から、少なくとも数時間にわたって血まみれの被害者宅にとどまり、ペットボトルのお茶や、冷蔵庫にあったメロン、ハムなどを平らげ、スプーンも使わずアイスをむさぼっていた。書類の山を風呂場に投げ捨てたり、トイレに大便を放置するなど、犯行後の行動も常軌を逸していたのだ。 だが、この事件は早期に解決するものと思われていた。現場には、犯人の指紋や血痕、靴の跡、トレーナー、バッグ、帽子など、大量の遺留品が残されていた。それにもかかわらず、この事件が迷宮入りしたのはなぜか? 一橋氏は、その理由に初動捜査のミスを挙げる。 「特捜本部は、犯人を『指紋や物証を随所にベタベタと残した、賢くない粗暴な若者』か、『精神に障害を持った人間』と決め付け、『捜査の網を大きく広げて不審な人物の情報を掴むか、病院で待ち構えていれば、即逮捕できる』と油断した、としか思えない。だが、過去の未解決事件の多くがそうだったように、そうした先入観やある種の思い込みに基づいて捜査を始めると、警察関係者はもとより、事件当事者や一般市民も事件の本質や犯人像について誤ったイメージを抱いてしまい、そこに大きな落とし穴が待ち受けていることが多いのだ」 そして、一橋氏はそんな警察の捜査をよそに、独自の取材で事件の深層を追及してゆく。すると、警察の見立てとは異なった人物像が浮かび上がってきた。 一橋氏の取材によって浮上してきたのが、韓国人の李仁恩(仮名)という男。一橋氏は、韓国に赴き、この男性に直接の取材を敢行する。すると、世田谷事件についてやたら詳しく、軍人としてのキャリアがあることも判明。何よりも、李の指紋を採取し、捜査当局が採取した事件現場の指紋との照合を試みたところ、「ほぼ一致する」という結果を得たのだ。残念ながら、李はすでに死亡しており、その亡がらは京都にある墓に葬られているとされる。 しかし、一橋氏によれば、彼はあくまでも実行犯にすぎず、本当の黒幕は別のところにいるという。一橋氏が事件の主犯と目しているのは、李が「カネダのおっちゃん」と語り、心酔していた人物。「カネダ」はキリスト教系宗教団体の幹部であり、宮澤さんの妻・泰子さんが参加していた言語障害児を抱える親のための福祉グループでボランティアをしていた。この「カネダ」を直撃すると、一橋氏の追及に対してしどろもどろの釈明をし、ついに「(世田谷事件は)私がやらせたことじゃない。本当の黒幕はBだ」と告白する。 カネダの発言に登場するBとは、裏社会で暗躍する不動産ブローカーとも密接な付き合いのある資産家。当時、宮澤家は都立祖師谷公園の拡張に伴って、土地を東京都に売却するなどして1億数千万円に上る現金を持っていた。一橋氏の見立てによれば、この金を狙ってBが犯行を計画し、カネダが李を実行犯に指名して犯行が行われる。その結末が、一家4人の惨殺という悲劇だったのだ……。 15年にわたって、警察が動員した捜査員の数は延べ24万人。それにもかかわらず、解決への筋道はついていないままだ。はたして、一橋氏の見立て通り、宮澤家が手にした金をめぐって一家惨殺が行われたのだろうか? 現在、犯人逮捕につながる情報提供には2,000万円の懸賞金がかけられ、捜査はいまだに続行されている。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『世田谷一家殺人事件 15年目の真実』(角川書店)
実行犯は韓国人? 著者が肉薄した、20世紀最後の未解決事件『世田谷一家殺人事件』の真相
2000年12月31日。20世紀最後の日として世間が沸き立っていたこの日、恐ろしい惨劇のニュースが飛び込んできた。世田谷に住む会社員・宮澤みきおさん宅で、一家4人が惨殺されたこの事件は、年末気分、世紀末気分に浮かれた日本中に冷水を浴びせかけた……。 事件からもうすぐ15年となる現在も、いまだ解決の糸口はつかめず、迷宮入りとなっているこの事件を追い続けたジャーナリストの一橋文哉氏が、『世田谷一家殺人事件 15年目の新事実』(角川書店)を上梓した。いったい、なぜ犯人は見つからないままなのか? そして、一橋氏がつかんだ「新事実」とは? 本書の記述に即して、15年前の未解決事件を振り返ってみよう。 当初から、その異常性が取り沙汰されたこの事件。一家4人を惨殺するというだけでも十分に卑劣な犯行だが、みきおさんに対しては十数カ所のめった刺しにして殺害。妻・泰子さんには70カ所以上の切り傷、打撲痕などがあり、顔は原形をとどめないほどに切り刻まれていた。さらに、8歳の長女・にいなちゃんに対しては殴打によって歯を砕き、包丁で顔面を切り刻んだ挙げ句、腹部をえぐる……と、とても人間の仕業とは思えない方法で殺害されたのだった。 さらに犯人は、推定犯行時刻である午後11時から、少なくとも数時間にわたって血まみれの被害者宅にとどまり、ペットボトルのお茶や、冷蔵庫にあったメロン、ハムなどを平らげ、スプーンも使わずアイスをむさぼっていた。書類の山を風呂場に投げ捨てたり、トイレに大便を放置するなど、犯行後の行動も常軌を逸していたのだ。 だが、この事件は早期に解決するものと思われていた。現場には、犯人の指紋や血痕、靴の跡、トレーナー、バッグ、帽子など、大量の遺留品が残されていた。それにもかかわらず、この事件が迷宮入りしたのはなぜか? 一橋氏は、その理由に初動捜査のミスを挙げる。 「特捜本部は、犯人を『指紋や物証を随所にベタベタと残した、賢くない粗暴な若者』か、『精神に障害を持った人間』と決め付け、『捜査の網を大きく広げて不審な人物の情報を掴むか、病院で待ち構えていれば、即逮捕できる』と油断した、としか思えない。だが、過去の未解決事件の多くがそうだったように、そうした先入観やある種の思い込みに基づいて捜査を始めると、警察関係者はもとより、事件当事者や一般市民も事件の本質や犯人像について誤ったイメージを抱いてしまい、そこに大きな落とし穴が待ち受けていることが多いのだ」 そして、一橋氏はそんな警察の捜査をよそに、独自の取材で事件の深層を追及してゆく。すると、警察の見立てとは異なった人物像が浮かび上がってきた。 一橋氏の取材によって浮上してきたのが、韓国人の李仁恩(仮名)という男。一橋氏は、韓国に赴き、この男性に直接の取材を敢行する。すると、世田谷事件についてやたら詳しく、軍人としてのキャリアがあることも判明。何よりも、李の指紋を採取し、捜査当局が採取した事件現場の指紋との照合を試みたところ、「ほぼ一致する」という結果を得たのだ。残念ながら、李はすでに死亡しており、その亡がらは京都にある墓に葬られているとされる。 しかし、一橋氏によれば、彼はあくまでも実行犯にすぎず、本当の黒幕は別のところにいるという。一橋氏が事件の主犯と目しているのは、李が「カネダのおっちゃん」と語り、心酔していた人物。「カネダ」はキリスト教系宗教団体の幹部であり、宮澤さんの妻・泰子さんが参加していた言語障害児を抱える親のための福祉グループでボランティアをしていた。この「カネダ」を直撃すると、一橋氏の追及に対してしどろもどろの釈明をし、ついに「(世田谷事件は)私がやらせたことじゃない。本当の黒幕はBだ」と告白する。 カネダの発言に登場するBとは、裏社会で暗躍する不動産ブローカーとも密接な付き合いのある資産家。当時、宮澤家は都立祖師谷公園の拡張に伴って、土地を東京都に売却するなどして1億数千万円に上る現金を持っていた。一橋氏の見立てによれば、この金を狙ってBが犯行を計画し、カネダが李を実行犯に指名して犯行が行われる。その結末が、一家4人の惨殺という悲劇だったのだ……。 15年にわたって、警察が動員した捜査員の数は延べ24万人。それにもかかわらず、解決への筋道はついていないままだ。はたして、一橋氏の見立て通り、宮澤家が手にした金をめぐって一家惨殺が行われたのだろうか? 現在、犯人逮捕につながる情報提供には2,000万円の懸賞金がかけられ、捜査はいまだに続行されている。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『世田谷一家殺人事件 15年目の真実』(角川書店)
名古屋大生殺人事件から1年……止らない「人を、殺してみたかった」という“いびつな願望”の連鎖
当時14歳ながら、自身が通っていた中学校の校門に切断した男児の頭部を置くという残忍な事件を起こした神戸連続児童殺傷事件(1997年)の犯人は、酒鬼薔薇聖斗と自称した。2005年、少年院を退院した彼は、社会に復帰し、日本のどこかでひっそりと生活を行っていた。しかし、退院から10年の時を経て、にわかに動きを活発化させている。「元少年A」の名で手記『絶歌』(太田出版)を出版し、公式ホームページを開設。さらに、有料ブログマガジンまで配信しているのだ。 一般的な人間の多くは、彼の起こした事件について憎悪の感情を抱いている。しかし、仙台に住むひとりの少女は違った。彼女は「7月7日!!酒鬼薔薇聖斗くん32歳の誕生日おめでとう♪(///∇///)」とTwitterに投稿し、世間が蛇蝎のごとくに嫌う凶悪犯に対して、あたかもアイドルのような声援を送っている。酒鬼薔薇聖斗のほかにも、彼女は秋葉原事件の加藤智大、池田小児童殺傷事件の宅間守、オウム真理教の麻原彰晃など、残忍な犯行に及んだ犯罪者たちを称揚していた。 Twitterでつぶやいているだけであれば、「犯罪ミーハー」と呼ばれる風変わりな趣味を持つ少女にすぎなかっただろう。しかし、名古屋大学に進学した少女は、14年12月、名古屋市昭和区にあるアパートの自室で、殺人という凶行に及んだのだった。 いったい、彼女はなぜこのような事件を起こしたのだろうか? ジャーナリスト・一橋文哉氏の著書『人を、殺してみたかった 名古屋大学女子学生・殺人事件の真相』(角川書店)から、ちょうど1年前に起こった惨劇を振り返ってみよう。 14年12月7日、少女は顔見知りだった77歳の女性・森外茂子さんをアパートに招き入れた。そして、部屋の中に保管していた手斧を取り出し、森さんを背後から力いっぱい殴りつける。しかし、何度殴っても、森さんはなかなか死なない。少女は森さんが身につけていたマフラーに手をかけて、力いっぱい首を絞めた。動かなくなった森さんの体を浴室まで引きずり、洗い場の床に放置すると、彼女は「ついにやった。」とTwitterに書き込み、携帯電話のカメラで遺体の撮影も行った。 殺人は、少女にとって幼い頃からの夢だった。彼女は、小学生の頃から殺人願望を抱いており、犯行に使われた手斧は、中学生の頃に購入したもの。犯行後、彼女は仙台の実家に帰省しているが、その際にも、手斧を肌身離さず持っていた。犯行に使われた凶器が決定的な証拠になることは、火を見るよりも明らか。しかし、彼女は「そう簡単に“宝物”は捨てられないし、いつも身近に持っていたかったんです。大事なモノは肌身離さず持ち歩く。当たり前じゃないですか」と、取調官に向かって平然と言い放ったのだ。 「幼い頃から、人を、殺してみたかったんです」 「殺した時は、やった、という気がしました」 「人を殺して、達成感があった」 少女の供述からは、反省の弁ではなく「夢」をかなえた喜びだけが聞こえてくる。さらに、逮捕後の取り調べによって、さまざまな余罪があることが明らかになっていく。 高校時代には、同級生の男子生徒に対して硫酸タリウム入りのジュースを飲ませ、失明寸前に追い込んだ。劇薬ながら、無味無臭で水にも溶けやすいタリウムの投与は、周囲に気づかれにくい。男子生徒は、原因不明の体調不良として処理された。校内では彼女の犯行を疑うウワサも流れ、病院側からも学校側に「特殊な薬物が使われた可能性が高い」といった通報がなされたものの、「受験シーズンが控えており、(生徒たちに)動揺を与えたくない」という保身とも取れる対応で、学校側はこの事件を内々に処理してしまったのだ。 さらにこの事件の前にも、少女は一緒にカラオケへ行った中学時代の同級生に対してタリウムを投与していた。同級生の入院中、少女は病室に見舞いに訪れているが「見舞いはタリウム投与の効果を見極めるために行っただけで、意外と元気でがっかりしました」と供述している。また、森さん殺害後の1月には、帰省中の実家近くで「焼死体を見てみたかった」という動機から放火事件を起こしている。 一連のタリウム事件の背景には、2005年に母親にタリウムを服用させ、殺害しようとした静岡女子高生母親毒殺未遂事件の影響が色濃い。酒鬼薔薇の犯行声明文を持ち歩き、「秋葉原の事件現場に行きたい」と語る少女は、まるで、アイドルに恋い焦がれるように犯罪者たちへのシンパシーを寄せる。その動機は、恨みでも衝動でもなく、快楽ですらない。ただ、少女は憧れのセンパイたちのように、人を殺して凶悪犯罪者の仲間入りをしたかっただけなのだ。 「酒鬼薔薇聖斗や静岡のタリウム少女は、マリー(注:書籍内で一橋が少女に与えた仮名)にとってアイドルであった。いったんアイドルに憧れると、もうそれしか見えなくなる。やることは追っ掛けと模倣だから大したことはないが、ことが犯罪、特に殺人となれば、通常ならば躊躇するものだが、マリーはさっさと躊躇を乗り越え、前進してしまうのだ。それが『人を、殺してみたかった』の考え方なのである」 今年8月には北海道で19歳の少年が、今年10月には東京で33歳の男性が、それぞれ殺人の動機として「人を、殺してみたかった」と述べている。彼らの身勝手な好奇心の餌食になるのは、次は私たちかもしれない。 少女の心理を解き明かし、事件の全容を解明しなければ、今後も「人を、殺してみたかった」という動機から行われる殺人がなくなることはないだろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『人を、殺してみたかった 名古屋大学女子学生・殺人事件の真相』(角川書店)
事件の裏に暗躍する半グレ、暴力団、中国マフィア……「餃子の王将社長殺人事件」は“企業テロ”だったのか
2013年12月19日、京都市山科区で一人の男が殺された。大東隆行、「餃子の王将」として知られる王将フードサービスの4代目社長だ。その死因は、4発の銃弾による失血死と判明している。事件から1年を経て、いまだに解決のめどがつかないこの事件をノンフィクション作家・一橋文哉氏が取材し、『餃子の王将社長射殺事件』(角川書店)として上梓。すると、そこには、ただの殺人事件にはとどまらない疑惑が数々に満ちていた……。 大東氏は、餃子の王将の創業者、加藤朝雄氏の義弟として、創業当初から会社経営の中枢に関わってきた人物だ。「大番頭」として勤務すること31年、00年4月に王将の社長に就任。しかし、当時は今とは比較にならないほど、王将のありさまはひどいものだった……。384億円の売上高に対して、有利子負債は470億円。3代目社長であり創業者の息子・潔氏による不動産投資などへの過剰融資が原因だった。誰もが、その社長就任を「貧乏くじ」「敗戦処理」として見ていたが、不良債権の処理や、不採算店舗の閉鎖といった改革を断行し、「王将の原点に戻る」と決意。2年後には、黒字化に成功し、デフレ景気も追い風となって、例年2ケタ成長を記録するV字回復を果たしたのだった。しかし、創業時の苦労を知る大東氏は、社長に就任してもなお、自ら朝一番に会社に赴き、正面玄関の掃除や水まき、トイレ掃除までを率先して行っていた。 大東氏が命を奪われたのは、この早朝出勤の時だった。 朝5時45分、会社に到着し、車から降りたところを大東氏は狙われた。右胸に2発、左脇腹に2発の銃弾が命中。車の中や背広のポケットなどに入っていた現金百数十万円には手が付けられていなかったことから、強盗を目的とした殺人ではないと推測される。しかし、早朝の時間、小雨模様だった天候などから、目撃情報や遺留品は乏しく、また、サイレンサーが付けられていたのか、発砲音を聞いたという住民もいない。 取材を進めながら、一橋氏は、大東氏個人のみならず、「王将フードサービス」という企業を狙ったテロである可能性をつかむ。そして、その実行犯の最有力候補として、中国人ヒットマン「抱きつきのリン」の名前を得るまでになった。 ではなぜ、王将はこのような企業テロに巻き込まれ、「中興の祖」とまでいわれた社長を失わねばならなかったのだろうか? 王将側は、事件直後の記者会見において「思い当たるトラブルは何もない」との声明を発表した。しかし、それは、真っ赤な嘘だったと言わざるを得ない。一橋氏が取材すると、そこにはさまざまな問題が浮かび上がってきたのだ……。 例えば、12年12月、金沢の「餃子の王将」で、10人の男性客が全裸になった写真をインターネット上に公開し、炎上する騒ぎとなった。一見、王将を被害者とした炎上騒動として見過ごされてしまいそうな事件だが、その実態は大きく異なるものだった。写真を撮影した10人は、近くのショーパブに務めるホストであり、以前から出店計画を練っていた場所に王将が先に進出。経営者らが、王将に押しかけたことが騒動の発端になったと警察は突き止めている。 さらに、この事件の取材を進めると、思わぬ団体との関係が見え隠れしてきた。ショーパブの元オーナーら幹部が、関東連合と盟友関係にある半グレ集団「怒羅権」のメンバーだったのだ。この騒動の起こった金沢片町店は、その後、閉店に追い込まれている。 また05年、大東氏の肝いりで、餃子の王将が中国・大連市に進出した際にも地元マフィアとのトラブルが勃発。現地コーディネータの後ろ盾となっていた地元マフィアと揉め、用地取得の契約交渉が暗礁に乗り上げたばかりか、マフィアの仲間とみられる客から連日嫌がらせを受けるなどのトラブルに発展。成功報酬の不払いが、マフィアの怒りの火に油を注いだという。 ほかにも、放漫経営で会社を破産寸前に追い込んだ3代目・潔氏の長男・貴司氏は行方不明となっており、創業者の朝雄氏には終戦前に満州である事件を起こしているのではないかという疑惑が持ち上がっている。朝雄氏の時代から、「懐刀」として暗躍してきたU氏は、許永中や山口組などともつながりを持つ、闇社会の仕事請負人だった。どれも、事件の直接の原因として確証までは至らないものの、事件につながる可能性のあるトラブルは山積している。そして、その背後には、中国マフィアの暗躍や、「東京(警視庁)から『ゆっくり捜査しろ』と指示が出ているんや」と証言される不可解な地元警察の捜査など、国境を超えた思惑がうごめいているようだ。 いったい、「餃子の王将」は、どのような虎の尾を踏んでしまったのか? 事件の全容が解明されるためには、まだまだ時間がかかるだろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『餃子の王将社長射殺事件』(角川書店)
佐世保女子高生殺害事件は本当に第二の酒鬼薔薇事件なのか――2つの事件の関連性をひも解く
今年7月に長崎県佐世保市で発生した「佐世保女子高生殺害事件」は、15歳の少女が同級生を殺害し、その遺体から首と左手首を切断するという猟奇的な事件だった。容疑者の女子高生は「人を殺して解体してみたかった」と供述し、高校生ながら佐世保市内で一人暮らしを送っていること、父親が地元でも有名な弁護士であることなどの生活環境も含めて、新聞、テレビ、週刊誌などで大きく報道されている。この事件を受けて思い出されるのが、今回と同様の未成年者による遺体損壊事件である「酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺傷事件)」だ。すでに一部からは、この事件との類似を指摘する声が上がっている。 では、いったい酒鬼薔薇事件とはどのような事件だったのだろうか? 事件から17年の歳月を経た今でも、いまだに日本社会に暗い影を落としている酒鬼薔薇事件。その舞台となったのは、神戸市須磨区のニュータウンだった。このニュータウンでは、1997年2月に小学生の女児2人がハンマーで殴られひとりが重傷、3月に小学4年生の山下彩花さんがハンマーで殴られ死亡、同じ日に別の小学生がナイフで刺され重傷を負うなど、不穏な事件が頻発していた。ただし、これらの連続性を指摘する声は少なく、その報道もまだ小さなものだった。 そして、同年5月27日、友が丘中学校の正門前で、3日前から行方不明になっていた男児・土師淳くんの首が発見される。その口には、「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る人物からの犯行声明文がくわえさせられていた。 さあゲームの始まりです 愚鈍な警察諸君 ボクを止めてみたまえ ボクは殺しが愉快でたまらない 人の死が見たくて見たくてしょうがない 汚い野菜共には死の制裁を 積年の大怨に流血の裁きを SHOOLL KILLER 学校殺死の酒鬼薔薇 この前代未聞の遺体損壊事件が発覚すると、全国に報道され、瞬く間に国民的な注目を浴びた。テレビ、新聞、週刊誌などでは日夜報道合戦が繰り広げられ、「30代のポリ袋を持った男」「中国人による犯行」など、奇怪な犯行声明からの推測や目撃証言などでさまざまな犯人像が語られていく。そして、この事件の結末は、事件の発生と同じかそれ以上に再び人々を震撼させた。事件から1カ月後の6月28日、兵庫県警が逮捕したのは、当時まだ14歳の少年だったのだ。 思春期の入り口に立ったばかりの少年は、いったい、なぜこんな凄惨な事件を引き起こしてしまったのだろうか? 少年は小学生の頃から、いじめや万引き、放火をし、さらに動物虐待を繰り返していた。家族の目を盗み、自宅の庭や車庫の陰で猫を殺しては解剖を重ねていく……。それによって得られる快感は性的な興奮であり、猫を殺しながら少年は初めて射精を経験した。そして、そんな自分のアブノーマルな精神構造に耐えかねたのか、彼は「酒鬼薔薇聖斗」という人格を生み出した。さらに、夢に現れた「バモイドオキ神」を信仰し、その暴力性はますますエスカレート。その終着点は、男児の首を切断し、自身が通っていた中学校の正門前に置くというものだった。 逮捕後、次々と驚愕の事実が発覚する。2月に引き起こした「第一の事件」を振り返り、彼はこう供述した。 「僕の心の中にあった理性とか良心といったものの大半を、そこに落としてしまった。僕自身、越えられるはずがないと思っていた一線を、気がついたら越えていた」(『暗い森』朝日新聞大阪社会部編集・朝日新聞社) 理性や良心を落としてしまった14歳の少年は、内なる神・バモイドオキ神への信仰として、「聖なる実験」に着手。「人間の壊れやすさを確かめるため」に、2人の女児をハンマーとナイフで襲撃したのだ。事件後、彼は「実験ノート」に「バモイドオキ神」に対する感謝の言葉を捧げている。 そして、日本中を震撼させた土師淳くん殺害事件。 自宅の近くにある通称「タンク山」へと男児を誘い出し、淳くんの首を絞めて殺害。遺体を山に隠していた少年は、翌日、頭部切断の衝動に駆られる。金のこぎりで首を切断するとき、彼は射精をした。そして、血が流れ出すのを防ぐために敷いていたポリ袋に溜まった血を口に含んでいたのだ。 「僕の血は汚れているので、純粋な子どもの血で清めたかった。幼い子供の命を奪って気持ちいいと感じている自分自身への嫌悪感があった」(『暗い森』) そして、頭部の入った黒いポリ袋を近くの池の畔に隠し、死体の朽ちてゆく経過を観察したいと思っていたものの、翌日に頭部を見てみると、なんの変化もなかった。遺体への興味を失った少年は、この首を捨てる代わりに人目に晒すことを思いつく。5月27日深夜、家族が起き出してこないよう窓からそっと部屋を抜けだすと、少年は自転車で友が丘中学校へと向かった……。 佐世保事件の加害者少女もまた、いじめや放火などを行っていた神戸の少年と同様に、小学校時代から給食に洗剤を混ぜたり、小動物を解剖するなどの行動を起こしていた。また、少年は作文に「ぼくもお母さんがいなかったらな」と記しており、親との確執をうかがわせていたが、佐世保女子生徒は父親に対して金属バットで殴りつけ、頭蓋骨陥没させる事件を起こしている。このほかにも、事件の少し前に愛する肉親を失ったことなど、その人物像には確かに類似する点は少なくない。佐世保の少女の動機についてはいまだ明らかにされていない点は多いが、精神科医の町沢静夫氏は、産経新聞の取材に対して「『性的サディズム』の傾向がある」(http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/140812/waf14081207000001-n1.htm)と分析し、パリ人肉事件の佐川一政は、「『遺体をバラバラにしてみたかった』という供述に、同性愛的な愛情を強く感じます。『なぜ親友を解体できるのか』ではなく『親友だからこそ解体したかった』と解釈すべきなのです」(週刊ポスト8月15・22日号)とコメントするなど、性的な欲望に注目する声は少なくない。 佐世保事件の少女は、11月まで3カ月間精神鑑定のため医療施設に送られ、責任能力の有無を調査されている。彼女は第二の酒鬼薔薇聖斗なのだろうか? それとも、まったく別の種類の殺人者なのか? 事件の全容が解明されるためには、まだ多くの時間が費やされるだろう。 (文=萩原雄太[かもめマシーン])『暗い森―神戸連続児童殺傷事件』(朝日文庫)







