オードリーがやらかした! 昼の情報番組『ヒルナンデス!』の向こう側

oodori0225.jpg
 オードリーが、やってしまった。『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)の終盤、スタジオでは視聴者プレゼント用に家具メーカーから提供された椅子が、オードリーの2人によって紹介されていた。その椅子は30年以上売れ続けているロングセラー商品で、おしゃれなデザインが人気。何より、630万回以上のテストをクリアした、耐久性に優れたアームチェアだという。  そこでオードリーは、果たして本当に壊れないか試してみることに。春日俊彰がその椅子に体重を預けるように飛び跳ね始めると、若林正恭も悪ノリ。全体重が椅子にかかるように春日の肩を押さえつけ、さらに負荷をかけた。春日が体を揺らすこと6~7回。「バキッ!」という大きな音とともに椅子が壊れ、春日が倒れ込んでしまったのだ。  スタジオには悲鳴上がる。カメラは慌てて司会の南原清隆らがいるほうに向けられるが、一同唖然。わずかな間の後、すかさず水卜麻美アナが頭を下げ、フォローした。 「大変申し訳ありません。使い方は正しく守ってください」  若林が青ざめながら「壊れましたぁ」と言うと、たまらず小島瑠璃子が身をくねらせて爆笑、南原はやや顔をひきつらせながら笑った。CMが明けてもスタジオは「やってしまった」という、ある種、異様な雰囲気。「謝ってくださいよ」と南原が春日に振ると、普段よりややかしこまった様子の春日が言う。 「普通あんな使い方しないですからね。バカヤロウですよ、わたしはね!」  そして、若林は「でも……よく見たら、壊れてなかったですよ」と、とぼけてみせた。メーカーのご厚意で提供されたものを壊してしまうという大失態。おそらくオードリーは大目玉を食らうことになっただろう。  だが、視聴者からすると、めったに見られない生放送ならではのハプニングに胸が躍る面白さだった。どこか、80~90年代にとんねるずなどのイケイケの芸人たちが、「やってはいけないこと」を無視して暴走し、胸をときめかせてくれたことを思い出した。  実は、オードリーがメチャクチャやっているのは、何も今回に限ったことではない。『ヒルナンデス!』水曜日の人気コーナー「ドケチ隊が行く!激安店ツアー」では、毎回ハチャメチャだ。特に若林の自由で悪ふざけあふれる進行は、目を見張るものがある。それに呼応して、春日もやりたい放題。ふざけまくりなのだ。このコーナーはそのタイトル通り、激安店に行き、ドケチなメンバー(=ドケチ隊)が、いかにお得な買い物ができるかを競うというもの。メンバーは春日のほか、松本明子や重盛さと美。そのほか、ゲストが加わるときもある。  そこで、オードリー同様、いや、それ以上にはじけているのが松本明子だ。松本といえば、やはり若林司会の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)で「自己中で大問題ばかり起こしちゃった先生」として登壇し、「寮では全裸で生活していた」「よかれと思って、放送禁止用語を連呼した」「先輩の衣装をフリマで売った」「寝ている息子を密かに舐めた」などヤバいエピソードを語り、大きな話題になったばかり。だが、松本のヤバさは、すでにこのコーナーで早くから見せつけていた。  たとえば、「ドケチ」ゆえ、下着もギリギリまで買い替えないという松本は、若干破れても使うと言いだす。さすがにそんなわけないと若林らが疑うと、今日も破れたブラジャーだと言い、若林を奥に連れて行き、実際にそれを見せるのだ。若林は、あまりのことに身をくねらせて爆笑。その横に、さも当たり前のような表情で立つ松本。毎回のようにそんなわけのわからないノリの、全編コントのような展開が続くのだ。  恒例といえば、松本の「全力モノマネ」もすごい。毎回、「ドケチ隊」にモノマネを披露させ、合格なら試食などができるという流れがある。通常であれば、ここでオチ要員に使われるのは春日だ。だが、「ドケチ隊」では違う。意外と芸達者な重盛が割とちゃんとしたモノマネで「合格」すると、今度は春日。微妙なモノマネでスタジオが苦笑する中、ギリギリ「合格」。そして、最後に披露するのが松本だ。彼女はエド・はるみや永野、ですよ。、鳥居みゆき、天津木村といった抜群の人選の芸人たちのネタを全力で完全コピーするのだ。見たことがない人は、それがどれくらいのものかわからないかもしれないが、軽く見積もっても、その想像の倍以上の全力さだ。長きにわたってバラエティ界に生き続ける底力を見せつけるその全力さは、まさに圧巻。すごみすら感じさせる。だが、若林は食い気味に判定する。 「不合格!」  とにかく、このコーナーずっとハチャメチャだ。  いま、お笑い系の番組は、深夜を除けばほとんど見ることができない。特にお昼となれば、情報系番組ばかりだ。だからよく「お笑い芸人が本領発揮できる場所がない」などと言われる。だが、実はそんなこともないというのは、この「ドケチ隊」を見ればよくわかる。情報系番組は裏を返せば、しっかり情報さえ伝えれば、あとはある程度、自由が許されるもの。その制約の中で、いかに全力でふざけられるか。そこが芸人の腕の見せどころだ。冒頭のハプニングが単に「やらかした」というものではなく、心底笑えるのは、ルールの中で全力でふざけているからだ。    最初からノールールでやりたい放題では面白くない。そのルールを全力ゆえに思わず踏み出してしまったから面白い。情報番組の“向こう側”には、お笑い芸人にとっての金脈が眠っているのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

オードリーがやらかした! 昼の情報番組『ヒルナンデス!』の向こう側

oodori0225.jpg
 オードリーが、やってしまった。『ヒルナンデス!』(日本テレビ系)の終盤、スタジオでは視聴者プレゼント用に家具メーカーから提供された椅子が、オードリーの2人によって紹介されていた。その椅子は30年以上売れ続けているロングセラー商品で、おしゃれなデザインが人気。何より、630万回以上のテストをクリアした、耐久性に優れたアームチェアだという。  そこでオードリーは、果たして本当に壊れないか試してみることに。春日俊彰がその椅子に体重を預けるように飛び跳ね始めると、若林正恭も悪ノリ。全体重が椅子にかかるように春日の肩を押さえつけ、さらに負荷をかけた。春日が体を揺らすこと6~7回。「バキッ!」という大きな音とともに椅子が壊れ、春日が倒れ込んでしまったのだ。  スタジオには悲鳴上がる。カメラは慌てて司会の南原清隆らがいるほうに向けられるが、一同唖然。わずかな間の後、すかさず水卜麻美アナが頭を下げ、フォローした。 「大変申し訳ありません。使い方は正しく守ってください」  若林が青ざめながら「壊れましたぁ」と言うと、たまらず小島瑠璃子が身をくねらせて爆笑、南原はやや顔をひきつらせながら笑った。CMが明けてもスタジオは「やってしまった」という、ある種、異様な雰囲気。「謝ってくださいよ」と南原が春日に振ると、普段よりややかしこまった様子の春日が言う。 「普通あんな使い方しないですからね。バカヤロウですよ、わたしはね!」  そして、若林は「でも……よく見たら、壊れてなかったですよ」と、とぼけてみせた。メーカーのご厚意で提供されたものを壊してしまうという大失態。おそらくオードリーは大目玉を食らうことになっただろう。  だが、視聴者からすると、めったに見られない生放送ならではのハプニングに胸が躍る面白さだった。どこか、80~90年代にとんねるずなどのイケイケの芸人たちが、「やってはいけないこと」を無視して暴走し、胸をときめかせてくれたことを思い出した。  実は、オードリーがメチャクチャやっているのは、何も今回に限ったことではない。『ヒルナンデス!』水曜日の人気コーナー「ドケチ隊が行く!激安店ツアー」では、毎回ハチャメチャだ。特に若林の自由で悪ふざけあふれる進行は、目を見張るものがある。それに呼応して、春日もやりたい放題。ふざけまくりなのだ。このコーナーはそのタイトル通り、激安店に行き、ドケチなメンバー(=ドケチ隊)が、いかにお得な買い物ができるかを競うというもの。メンバーは春日のほか、松本明子や重盛さと美。そのほか、ゲストが加わるときもある。  そこで、オードリー同様、いや、それ以上にはじけているのが松本明子だ。松本といえば、やはり若林司会の『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(テレビ朝日系)で「自己中で大問題ばかり起こしちゃった先生」として登壇し、「寮では全裸で生活していた」「よかれと思って、放送禁止用語を連呼した」「先輩の衣装をフリマで売った」「寝ている息子を密かに舐めた」などヤバいエピソードを語り、大きな話題になったばかり。だが、松本のヤバさは、すでにこのコーナーで早くから見せつけていた。  たとえば、「ドケチ」ゆえ、下着もギリギリまで買い替えないという松本は、若干破れても使うと言いだす。さすがにそんなわけないと若林らが疑うと、今日も破れたブラジャーだと言い、若林を奥に連れて行き、実際にそれを見せるのだ。若林は、あまりのことに身をくねらせて爆笑。その横に、さも当たり前のような表情で立つ松本。毎回のようにそんなわけのわからないノリの、全編コントのような展開が続くのだ。  恒例といえば、松本の「全力モノマネ」もすごい。毎回、「ドケチ隊」にモノマネを披露させ、合格なら試食などができるという流れがある。通常であれば、ここでオチ要員に使われるのは春日だ。だが、「ドケチ隊」では違う。意外と芸達者な重盛が割とちゃんとしたモノマネで「合格」すると、今度は春日。微妙なモノマネでスタジオが苦笑する中、ギリギリ「合格」。そして、最後に披露するのが松本だ。彼女はエド・はるみや永野、ですよ。、鳥居みゆき、天津木村といった抜群の人選の芸人たちのネタを全力で完全コピーするのだ。見たことがない人は、それがどれくらいのものかわからないかもしれないが、軽く見積もっても、その想像の倍以上の全力さだ。長きにわたってバラエティ界に生き続ける底力を見せつけるその全力さは、まさに圧巻。すごみすら感じさせる。だが、若林は食い気味に判定する。 「不合格!」  とにかく、このコーナーずっとハチャメチャだ。  いま、お笑い系の番組は、深夜を除けばほとんど見ることができない。特にお昼となれば、情報系番組ばかりだ。だからよく「お笑い芸人が本領発揮できる場所がない」などと言われる。だが、実はそんなこともないというのは、この「ドケチ隊」を見ればよくわかる。情報系番組は裏を返せば、しっかり情報さえ伝えれば、あとはある程度、自由が許されるもの。その制約の中で、いかに全力でふざけられるか。そこが芸人の腕の見せどころだ。冒頭のハプニングが単に「やらかした」というものではなく、心底笑えるのは、ルールの中で全力でふざけているからだ。    最初からノールールでやりたい放題では面白くない。そのルールを全力ゆえに思わず踏み出してしまったから面白い。情報番組の“向こう側”には、お笑い芸人にとっての金脈が眠っているのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

かつての清純派女優が企てる、危うい完全犯罪――“最強の二人”『ナオミとカナコ』の生きる道

naomikanako0218.jpg
フジテレビ『ナオミとカナコ』
 広末涼子と内田有紀。90年代に青春を過ごした者にとって、二人は“女神”だった。ともに90年代半ば、ショートカットの清純派女優としてアイドル的な人気を博した。だが、2000年代に入ると、それぞれの理由で一時的にテレビから姿を消す。そして同じ05年、示し合わせたかのように二人は女優復帰する。奇妙なほど符合する芸能生活。はたから見れば、彼女たちは“ライバル”のように見えた。事実、これまで二人の共演は実現していなかった。  そんな彼女たちが、W主演としてついに初共演を果たしたのが『ナオミとカナコ』(フジテレビ系)だ。それも、二人は親友という役柄。最強の二人だ。そしてなんと、二人で完全犯罪を企て、殺人に手を染めるのだ。  広末演じるナオミは、葵百貨店の外商部に務めるOL。本店が管轄する美術館での勤務を希望するもかなわず、営業先では顧客に無理難題を命じられ、鬱屈した日々を送っている。一方、内田演じるカナコはエリート銀行員の達郎(佐藤隆太)と結婚し、専業主婦に。誰もがうらやむ生活を送っていた。だが実際は、達郎から激しいドメスティック・バイオレンスを受け苦しんでいたのだ。ふとしたきっかけでカナコのそんな実情をナオミが知ったことから、達郎を二人で殺そうという犯罪計画が始まる。  正直言って、このドラマは物語うんぬんよりも、この二人の共演する姿を見たいがために見始めた。だが、そんな二人の共演を凌駕し、すべてを持っていくかのようなインパクトを与えたのが高畑淳子だ。彼女が演じているのは、中国食品の輸入会社・李商会を経営している中国人社長・李朱美。独特のイントネーションと豊かな表情で黄色い色眼鏡の強欲な中国人を演じ、全編シリアスなサスペンスドラマの中で明るいアクセントになっている。高畑が演じると、自分本位で守銭奴の李も、かわいげがあふれていて憎めない。いまや、早く彼女が画面に登場しないかと思ってしまうほどだ。  だが一方で、ナオミとカナコの殺人計画の背中を押す危険人物でもある。ナオミと李は葵百貨店で出会い、ナオミの日本人らしからぬ強気な姿勢を李が気に入り、意気投合する。そこでナオミは思わず「実は今、大学時代からの親友が旦那さんに暴力を受けていて……」と、李に相談するのだ。  すると李は、間髪入れずに即答する。 「殺しなさい」  唖然とするナオミに、李は「そのオトコに生きている価値はないのことですネぇ」と続ける。「捕まっちゃうじゃないですか?」とナオミが返すと、さも当然のようにこう返すのだ。 「じゃ、捕まらない方法、考えなさい。ジブンの人生、守るための、ウソや策略、すべて正当防衛!」 「殺す」という選択肢ができてしまったナオミの前には、見た目が達郎そっくりな李の会社で働く不法滞在者の中国人・林(佐藤隆太)や、ナオミに全幅の信頼を寄せ、預金口座の管理を一任してくれる認知症の顧客・斎藤(富司純子)といった人物が現れる。そしてナオミは、彼らを利用すれば、完全犯罪が実現できるのではないかと思いつくのだ。  第3話以降、その殺人計画の準備から実行までこと細かく描写されていく。かつて清純派女優として男たちの女神だった二人が、「首は3分間絞め続けないと蘇生する可能性がある」とか「バッグに入れたまま埋めたら、白骨化が遅くなる」とか、冷静に話し合っているのだ。そして、死体を運ぶ車のカーラジオからPUFFYの「これが私の生きる道」が流れるのが象徴的だ。  今、テレビではとかくコンプライアンスが叫ばれている。よく言われていることだが、ドラマの中の銀行強盗だって、逃走中の車でシートベルトをつけなければならない時代だ。そんな時代に犯罪の手口を細かく描写するのは、なかなかの暴挙だ。だが、この完全犯罪の企てはかなりずさんで、ほころびがあることは視聴者にもわかる。数多くの証拠を残していて、「死体が見つからない」という前提が崩れれば、すぐにこの犯行は露見する。そんなことは、二人もきっとわかっているのだろう。でも、やるしかないのだ。  李はナオミに言う。 「アナタ、強い! 私の会ったニホンの女の人で一番強い。だけど、その強さを使う勇気持っていないだけのこと」  自分たちの未来を守るためなら、ルールをはみ出すくらいのことをやらなければならない。そのためにすることは、すべて「正当防衛」だ。うまくいっても、ダメになっても、そこにしか生きる道はない。それは、決してナオミとカナコだけに当てはまるものではない。たとえ完璧なものでなくても、その心意気と強い思いを乗せ、とにかく実行してみること。そしてそこに踏み出す勇気こそ、今のテレビにも最も必要とされていることなのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

かつての清純派女優が企てる、危うい完全犯罪――“最強の二人”『ナオミとカナコ』の生きる道

naomikanako0218.jpg
フジテレビ『ナオミとカナコ』
 広末涼子と内田有紀。90年代に青春を過ごした者にとって、二人は“女神”だった。ともに90年代半ば、ショートカットの清純派女優としてアイドル的な人気を博した。だが、2000年代に入ると、それぞれの理由で一時的にテレビから姿を消す。そして同じ05年、示し合わせたかのように二人は女優復帰する。奇妙なほど符合する芸能生活。はたから見れば、彼女たちは“ライバル”のように見えた。事実、これまで二人の共演は実現していなかった。  そんな彼女たちが、W主演としてついに初共演を果たしたのが『ナオミとカナコ』(フジテレビ系)だ。それも、二人は親友という役柄。最強の二人だ。そしてなんと、二人で完全犯罪を企て、殺人に手を染めるのだ。  広末演じるナオミは、葵百貨店の外商部に務めるOL。本店が管轄する美術館での勤務を希望するもかなわず、営業先では顧客に無理難題を命じられ、鬱屈した日々を送っている。一方、内田演じるカナコはエリート銀行員の達郎(佐藤隆太)と結婚し、専業主婦に。誰もがうらやむ生活を送っていた。だが実際は、達郎から激しいドメスティック・バイオレンスを受け苦しんでいたのだ。ふとしたきっかけでカナコのそんな実情をナオミが知ったことから、達郎を二人で殺そうという犯罪計画が始まる。  正直言って、このドラマは物語うんぬんよりも、この二人の共演する姿を見たいがために見始めた。だが、そんな二人の共演を凌駕し、すべてを持っていくかのようなインパクトを与えたのが高畑淳子だ。彼女が演じているのは、中国食品の輸入会社・李商会を経営している中国人社長・李朱美。独特のイントネーションと豊かな表情で黄色い色眼鏡の強欲な中国人を演じ、全編シリアスなサスペンスドラマの中で明るいアクセントになっている。高畑が演じると、自分本位で守銭奴の李も、かわいげがあふれていて憎めない。いまや、早く彼女が画面に登場しないかと思ってしまうほどだ。  だが一方で、ナオミとカナコの殺人計画の背中を押す危険人物でもある。ナオミと李は葵百貨店で出会い、ナオミの日本人らしからぬ強気な姿勢を李が気に入り、意気投合する。そこでナオミは思わず「実は今、大学時代からの親友が旦那さんに暴力を受けていて……」と、李に相談するのだ。  すると李は、間髪入れずに即答する。 「殺しなさい」  唖然とするナオミに、李は「そのオトコに生きている価値はないのことですネぇ」と続ける。「捕まっちゃうじゃないですか?」とナオミが返すと、さも当然のようにこう返すのだ。 「じゃ、捕まらない方法、考えなさい。ジブンの人生、守るための、ウソや策略、すべて正当防衛!」 「殺す」という選択肢ができてしまったナオミの前には、見た目が達郎そっくりな李の会社で働く不法滞在者の中国人・林(佐藤隆太)や、ナオミに全幅の信頼を寄せ、預金口座の管理を一任してくれる認知症の顧客・斎藤(富司純子)といった人物が現れる。そしてナオミは、彼らを利用すれば、完全犯罪が実現できるのではないかと思いつくのだ。  第3話以降、その殺人計画の準備から実行までこと細かく描写されていく。かつて清純派女優として男たちの女神だった二人が、「首は3分間絞め続けないと蘇生する可能性がある」とか「バッグに入れたまま埋めたら、白骨化が遅くなる」とか、冷静に話し合っているのだ。そして、死体を運ぶ車のカーラジオからPUFFYの「これが私の生きる道」が流れるのが象徴的だ。  今、テレビではとかくコンプライアンスが叫ばれている。よく言われていることだが、ドラマの中の銀行強盗だって、逃走中の車でシートベルトをつけなければならない時代だ。そんな時代に犯罪の手口を細かく描写するのは、なかなかの暴挙だ。だが、この完全犯罪の企てはかなりずさんで、ほころびがあることは視聴者にもわかる。数多くの証拠を残していて、「死体が見つからない」という前提が崩れれば、すぐにこの犯行は露見する。そんなことは、二人もきっとわかっているのだろう。でも、やるしかないのだ。  李はナオミに言う。 「アナタ、強い! 私の会ったニホンの女の人で一番強い。だけど、その強さを使う勇気持っていないだけのこと」  自分たちの未来を守るためなら、ルールをはみ出すくらいのことをやらなければならない。そのためにすることは、すべて「正当防衛」だ。うまくいっても、ダメになっても、そこにしか生きる道はない。それは、決してナオミとカナコだけに当てはまるものではない。たとえ完璧なものでなくても、その心意気と強い思いを乗せ、とにかく実行してみること。そしてそこに踏み出す勇気こそ、今のテレビにも最も必要とされていることなのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「聞き流す名人」40周年を迎えた『徹子の部屋』黒柳徹子の驚異的な純粋さ

tetsuko0215
テレビ朝日系『徹子の部屋』
 今年2月2日をもって40周年を迎え、41年目に突入した『徹子の部屋』(テレビ朝日系)では、2月11日に「祝40周年 最強夢トークスペシャル」と題して、ゴールデンタイムで特別番組が放送された。  この特番ではマツコ・デラックスを従え「徹子とマツコの部屋」として、大谷翔平や吉田沙保里・澤穂希、王貞治といったアスリートたちが出演したが、なんといっても1991年以来、25年ぶりとなる明石家さんまの登場が話題を呼んだ。  黒柳徹子も明石家さんまも、機関銃のような“おしゃべり”が特徴の2人。しかし共演すると、その正反対ともいえるスタンスの違いが浮き彫りとなった。 『徹子の部屋』の黒柳徹子の司会といえば『アメトーーク!』(同)における「徹子の部屋芸人」でも取り上げられたように、“芸人殺し”でよく知られている。  オチを先に言ってしまう。同じ話を何度もさせる。ギャグには基本的に笑わない。いざ、気に入って笑うと、その後、何度も何度も振って、スタジオで黒柳徹子ひとりが笑っている状況になる──など、普通の司会者ではあり得ないような対応で、芸人の良さを消してしまうこともしばしば。  そんな黒柳の司会を、さんまは以前彼女が『さんまのまんま』(フジテレビ系)にゲスト出演した際、「聞き流す名人」と称している。  それを聞いた黒柳は「私は聞き流してませんよ。ちゃんと聞いています」と憮然として反論するが、「聞いてませんよ」と、さんまは改めて続ける。 「僕が今まで人生でテレビ見て、一番おもしろかったのは、『徹子の部屋』の徹子さんとさかなクンの会話」だと。  今回の『徹子の部屋SP』でも、「もう一度見たいシーン」としてさんまが挙げ、それが放送された。果たして、さんまが「永久保存版」というその放送は、確かに戦慄すら走るものすごいものだった。  さかなクンはいつものように、「ギョギョギョ~!」とか「ありがとうギョざいます!」などとさかなクン独特のフレーズを使うが、黒柳徹子はそれには一切触れない。「ありがとうギョざいます!」に至っては、黒柳が聞き逃したと思ったのか、さかなクンは3度も繰り返し使ったが、やはり彼女は完全スルー。  黒柳徹子の無反応に戸惑いながらも一層テンションを上げてしゃべるさかなクンにも、黒柳徹子はまったくペースを崩さないのだ。  そのVTRを見ると黒柳は「悪い? これは悪い? いまだにそんなに悪いと思ってないんだけど」と何が悪いのかわからないというそぶり。 「『何を言ってるんですか?』くらいでもいいんです。『つまんないわよ、それは』でもいいんです。あなた、全部スルーしてましたよね?」 と攻め立てるさんまに対しても、全然納得がいっていない。 「面白くないことを言ったのをフォローしてあげるのが司会者」 というさんまの司会者としての哲学からは、完全に真逆を行っているのだ。  番組では、途中から、やはり25年ぶりとなる所ジョージも「六本木方面とかテレ朝方面が騒がしいなと思って寄ってみた」と登場。  そもそもさんまと所がこの番組に出演したのは、所が司会を務める『一億人の大質問!? 笑ってコラえて!』(日本テレビ系)の特番にさんまと黒柳が揃ってゲストとして出演したことがきっかけだった。  そこで黒柳は「ねえ、今度『徹子の部屋』出てよ」と直接オファー。さんまが流れ上、軽く「いいですよ~」と答えると、その翌日に番組スタッフがやってきて、正式にオファーされてしまったのだ。 「いいですよ」と答えたのは「社交辞令」だったというさんまに、黒柳はキョトン顔。 「ホントにぃ? だって『出ますよ』って言われたら出ると思うでしょう? 考えてもみませんでした」 と言うのだ。さらにスケジュールをやりくりして出演したであろうさんまと所に対し「忙しくないじゃない。だって今言ったでしょ? 『六本木が騒がしいから寄ってみただけ』って」と言う始末。  もちろん、そんなことは、そういう体(てい)で言ったことくらい誰だってわかる。だが、黒柳だけは本気なのだ。  40年間、『徹子の部屋』というトーク番組をやっていて、いや、それどころかテレビ草創期からテレビの世界に身を置きながら、この“純粋さ”は驚異的だ。  何年か芸能界にいれば、いや、いなくてもテレビを見ていれば、気づくであろう「段取り」的なやりとりには一切無頓着。すべてが本気。自分が面白くなければ、それをフォローしたりしないし、自分が面白いと思えば何度でも繰り返す。そこに悪意は微塵もない。  それが黒柳徹子だ。  今は出演者のみならず、視聴者までもが「テレビ的にどうか?」などとメタ視点でテレビを見る時代だ。  そんな中で、黒柳徹子のその真っすぐさは唯一無二なものだ。  さまざまなものを斜めに見ながら面白がるのもいいだろう。けれど、彼女のように真っすぐにものを見るということも、今の時代だからこそ求められているのではないだろうか。 「じゃあ、50周年のとき、また来てください」  さんまは、そう言われ思わず吹き出したが、黒柳徹子は間違いなく本気だ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

ダメな奴らは、かわいらしい――NHK×松尾スズキ『ちかえもん』という虚実皮膜の痛快娯楽劇

chikaemon.jpg
NHK木曜時代劇『ちかえもん』
「どうも、近松門左衛門です。浄瑠璃作家として教科書に載っている、あの近松門左衛門です。大河ドラマでもナレーションさせてもらったことがある、あの近松です!」  そんなモノローグが挿入される時代劇が『ちかえもん』(NHK)だ。  NHKの時代劇? 堅そう。近松門左衛門? よく知らない。  そんな先入観で見ることをためらってしまうのは、心底もったいないドラマだ。  いま一番元気で自由なドラマ枠は何かと言われれば、僕は迷わずNHKの木曜時代劇だと答えるだろう。民放でほとんど時代劇の新作が作られない中で、それを逆手に取るように、この枠はコンスタントに質の高い作品を放送している。質が高いだけではない。とても挑戦的かつ、娯楽性の高い作品が多いのだ。  冒頭に引用したモノローグだけでも、この『ちかえもん』の特異性がわかるだろう。  本作は、近松門左衛門が人形浄瑠璃の傑作『曾根崎心中』を完成させるまでを描いたドラマだ。だが、近松が「芸の真実は、虚構と現実との微妙なはざまにある」と、「虚実皮膜」こそがフィクションの醍醐味だと説いたように、このドラマもまた、虚実皮膜の物語だ。だから近松本人のモノローグなのに、「教科書に載っている」だとか「大河ドラマでもナレーションさせてもらったことがある」などと現代人目線。さらに、「嘆き疲れた 宴の帰り これで浄瑠璃も 終わりかなとつぶやいてえ~♪」と、「大阪で生まれた女」の替え歌まで歌いだしたりもするのだ。  演じているのは、大人計画の主宰で劇作家でもある松尾スズキ。脚本は『ちりとてちん』などの藤本有紀。ドラマ脚本家が劇作家に浄瑠璃作家の思いを託し、悲劇の傑作を描くまでの苦悩を喜劇で描くという複雑な構造になっている。だから「もうちょっと褒めてくれたかてええやろー!」などという、物書きの不安や弱さがリアルかつコミカルに描かれている。  ここで描かれる近松は、プライドが高いのに自信はないという優柔不断な男。武士を辞めて浄瑠璃書きとなるが、誘われると今度は歌舞伎作家になって、ちやほや持ち上げてくれた男がいなくなると、浄瑠璃に戻ったという経歴。だが、スランプに陥って、劇場は不入りが続いている。そんなときに、親不孝を称賛する歌を歌いながら「不孝糖」なる飴を売り歩いている謎の渡世人・万吉(青木崇高)と出会ったことから、物語が始まる。その万吉が一目惚れする遊女が、お初(早見あかり)だ。そして豪商・平野屋の放蕩息子・徳兵衛(小池徹平)との三角関係を、おそらく近松が間近で見て、『曾根崎心中』の着想を得ていくのだろう。  こうした物語自体も、もちろんこのドラマの見どころではあるが、最大の魅力はそのキャラクターだ。特に、松尾スズキ演じる近松門左衛門の異常なかわいらしさだ。あふれ出す、心の声のボヤキ。それに合わせた豊かすぎる表情がものすごい。  例えば、こんなシーン。徳兵衛が遊女たちと遊んでいる最中に万吉が騒ぎを起こしてしまい、台なしにする場面だ。 万吉 「すんまへん」 徳兵衛 「待てえ。そないな謝り方で済む思うてんのか?」 近松 (あ!) 徳兵衛 「私を誰やと思ってるや。平野屋の跡継ぎやぞ」 近松 (そやった! こういう奴やった、このお人は!) 万吉 「へい。それがなんでっしゃろ?」 近松 (そしてこいつはこういう奴やぁ~~!)「すみまへん。こいつ、ちょっと変わりもんでんねん」 徳兵衛 「近松つう、物書きか?」 近松 「へえ」(呼び捨てぇ~? 年長者つかまえて、呼び捨てぇ~?) 徳兵衛 「お前の知り合いか?」 近松 「お前」~? ( )の中は心の声だ。その間中、松尾は表情筋が人の2~3倍になったかのように、形容しがたいほど顔を変形させている。さらに、土下座を要求されると(誰がそないなことするかい! けど、しゃーないや~ん!)(浄瑠璃書けなくなったら困るも~ん!)と、心の中で叫びながら頭を下げようとするのだ。  とにかく、ダメ男っぷりがかわいらしい。せっかく「近松さんは芭蕉さん、西鶴さんに勝るとも劣らん物書きや」と褒められたのに「みんな親しげに名前で呼ぶのに、なんでわしだけ名字で呼ぶんでっか!」と、しょうもないことでキレてしまう近松は、なかなか名前を覚えることができない万吉に「ちかえもん」と呼ばれたことに怒るどころか、「かわいらしいやん」と、まさかのご満悦。かわいらしいは、正義なのだ。 『ちかえもん』は、“ええ年”をしたダメな男たちが虚実皮膜の世界の中でダメなまま懸命に生きる物語だ。おそらく近松は、優柔不断で意地っ張りで弱いままだろう。それは「親孝行ブーム」の元禄の世に、「不孝糖売り」なる怪しげな商売を喜々とやっている万吉の姿が示唆している。ダメだっていいのだ。『ちかえもん』は、ダメな奴らを「かわいらしい」と肯定する。  果たして近松は、いかなる“気づき”を得て『曾根崎心中』を書き上げるのか、ひとときも見逃せない。てな、陳腐な言い回しはふさわしくないような娯楽傑作なのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

ダメな奴らは、かわいらしい――NHK×松尾スズキ『ちかえもん』という虚実皮膜の痛快娯楽劇

chikaemon.jpg
NHK木曜時代劇『ちかえもん』
「どうも、近松門左衛門です。浄瑠璃作家として教科書に載っている、あの近松門左衛門です。大河ドラマでもナレーションさせてもらったことがある、あの近松です!」  そんなモノローグが挿入される時代劇が『ちかえもん』(NHK)だ。  NHKの時代劇? 堅そう。近松門左衛門? よく知らない。  そんな先入観で見ることをためらってしまうのは、心底もったいないドラマだ。  いま一番元気で自由なドラマ枠は何かと言われれば、僕は迷わずNHKの木曜時代劇だと答えるだろう。民放でほとんど時代劇の新作が作られない中で、それを逆手に取るように、この枠はコンスタントに質の高い作品を放送している。質が高いだけではない。とても挑戦的かつ、娯楽性の高い作品が多いのだ。  冒頭に引用したモノローグだけでも、この『ちかえもん』の特異性がわかるだろう。  本作は、近松門左衛門が人形浄瑠璃の傑作『曾根崎心中』を完成させるまでを描いたドラマだ。だが、近松が「芸の真実は、虚構と現実との微妙なはざまにある」と、「虚実皮膜」こそがフィクションの醍醐味だと説いたように、このドラマもまた、虚実皮膜の物語だ。だから近松本人のモノローグなのに、「教科書に載っている」だとか「大河ドラマでもナレーションさせてもらったことがある」などと現代人目線。さらに、「嘆き疲れた 宴の帰り これで浄瑠璃も 終わりかなとつぶやいてえ~♪」と、「大阪で生まれた女」の替え歌まで歌いだしたりもするのだ。  演じているのは、大人計画の主宰で劇作家でもある松尾スズキ。脚本は『ちりとてちん』などの藤本有紀。ドラマ脚本家が劇作家に浄瑠璃作家の思いを託し、悲劇の傑作を描くまでの苦悩を喜劇で描くという複雑な構造になっている。だから「もうちょっと褒めてくれたかてええやろー!」などという、物書きの不安や弱さがリアルかつコミカルに描かれている。  ここで描かれる近松は、プライドが高いのに自信はないという優柔不断な男。武士を辞めて浄瑠璃書きとなるが、誘われると今度は歌舞伎作家になって、ちやほや持ち上げてくれた男がいなくなると、浄瑠璃に戻ったという経歴。だが、スランプに陥って、劇場は不入りが続いている。そんなときに、親不孝を称賛する歌を歌いながら「不孝糖」なる飴を売り歩いている謎の渡世人・万吉(青木崇高)と出会ったことから、物語が始まる。その万吉が一目惚れする遊女が、お初(早見あかり)だ。そして豪商・平野屋の放蕩息子・徳兵衛(小池徹平)との三角関係を、おそらく近松が間近で見て、『曾根崎心中』の着想を得ていくのだろう。  こうした物語自体も、もちろんこのドラマの見どころではあるが、最大の魅力はそのキャラクターだ。特に、松尾スズキ演じる近松門左衛門の異常なかわいらしさだ。あふれ出す、心の声のボヤキ。それに合わせた豊かすぎる表情がものすごい。  例えば、こんなシーン。徳兵衛が遊女たちと遊んでいる最中に万吉が騒ぎを起こしてしまい、台なしにする場面だ。 万吉 「すんまへん」 徳兵衛 「待てえ。そないな謝り方で済む思うてんのか?」 近松 (あ!) 徳兵衛 「私を誰やと思ってるや。平野屋の跡継ぎやぞ」 近松 (そやった! こういう奴やった、このお人は!) 万吉 「へい。それがなんでっしゃろ?」 近松 (そしてこいつはこういう奴やぁ~~!)「すみまへん。こいつ、ちょっと変わりもんでんねん」 徳兵衛 「近松つう、物書きか?」 近松 「へえ」(呼び捨てぇ~? 年長者つかまえて、呼び捨てぇ~?) 徳兵衛 「お前の知り合いか?」 近松 「お前」~? ( )の中は心の声だ。その間中、松尾は表情筋が人の2~3倍になったかのように、形容しがたいほど顔を変形させている。さらに、土下座を要求されると(誰がそないなことするかい! けど、しゃーないや~ん!)(浄瑠璃書けなくなったら困るも~ん!)と、心の中で叫びながら頭を下げようとするのだ。  とにかく、ダメ男っぷりがかわいらしい。せっかく「近松さんは芭蕉さん、西鶴さんに勝るとも劣らん物書きや」と褒められたのに「みんな親しげに名前で呼ぶのに、なんでわしだけ名字で呼ぶんでっか!」と、しょうもないことでキレてしまう近松は、なかなか名前を覚えることができない万吉に「ちかえもん」と呼ばれたことに怒るどころか、「かわいらしいやん」と、まさかのご満悦。かわいらしいは、正義なのだ。 『ちかえもん』は、“ええ年”をしたダメな男たちが虚実皮膜の世界の中でダメなまま懸命に生きる物語だ。おそらく近松は、優柔不断で意地っ張りで弱いままだろう。それは「親孝行ブーム」の元禄の世に、「不孝糖売り」なる怪しげな商売を喜々とやっている万吉の姿が示唆している。ダメだっていいのだ。『ちかえもん』は、ダメな奴らを「かわいらしい」と肯定する。  果たして近松は、いかなる“気づき”を得て『曾根崎心中』を書き上げるのか、ひとときも見逃せない。てな、陳腐な言い回しはふさわしくないような娯楽傑作なのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「1人のバカが変えていく」『人生のパイセンTV』が壊す、窮屈で退屈でマンネリなテレビ

paisentv0113.jpg
『人生のパイセンTV』フジテレビ
「ついに若林さんが覚醒しました!」  オードリーの若林正恭が荒々しいラップを歌い終わると、ベッキーがそう叫んだ。会場には、割れんばかりの「若様」コールが鳴り響いた。  そこは「PAISEN FESTIVAL マジリスペクト 2016」と名付けられた“音楽フェス”の会場。『ヨルタモリ』(フジテレビ系)の後番組として、昨年10月からレギュラー放送を開始した『人生のパイセンTV』で行われたフェスである。番組の総合演出を務める「マイアミ・ケータ」こと萩原啓太の「夢だった」ということから、番組開始わずか3カ月で実現した。  だが、実はこのフェス、開催することを上層部に報告していなかったため、大目玉を食らったという。しかも、急いでセットを組んだため、大赤字。にもかかわらず、通常回、わずか24分のオンエア。バカだ。  この番組は、人から「バカ」だと言われても信念を貫き、人生を謳歌する大人たちを「パイセン」と呼び、リスペクトする番組だ。これまでも年商10億円を超える社長でありながら365日短パンをはき続けるパイセンだとか、EXILEに憧れすぎているリーマンパイセンだとか、万物をトンガらせるヒーローのパイセンだとか、市議会議員からタレントに転身しちゃったパイセンだとかを紹介し、番組内“スター”を発掘してきた。  番組の最大の特徴は、その紹介VTRが、とにかくチャラいことだ。画面いっぱいに広がるカラフルなテロップに、騒がしくまくし立てるナレーション、けたたましく響く効果音とBGM。チャラい人をチャラい人がチャラい演出で撮り、迫ってくるのだ。最初こそ、そのチャラさに拒否反応を起こしていても、見ているうちに楽しくなってクセになってしまう。そんな中毒性があるVTRだ。  その上で、番組MCの若林やベッキーからも「2部構成」とイジられるように、VTR後半は一転し、自分がチャラくなった理由や思いが静かに真面目に語られる。チャラさを笑っていたら、時にうっかり感動させられてしまったりさえする。VTRを見終わった後、なんだか味わったことのない、新しい心地よさがあるのだ。それは「バカ」をバカにしていないからだろう。  2015年の好不調を頭の中でグラフにした時に、このレギュラー番組が始まった10月からクイッと上向いたことを告白し、 「私、ホントにこの番組と出会えて幸せ!」 と、は思わず口にしたベッキー。2人は、このグラフのクイッと上向いた部分を“パイセン坂”と命名し、若林も少し照れながら同意して言う。 「俺も悔しいよ。俺もパイセン坂あんだよ。パイセン坂を上がることで、ほかの仕事も良くなるみたいな。たぶん、人生のピークだったと思う、2015年は」  かつて卑屈で、何に対してもナナメ目線だった若林が、この番組では心から楽しんでいる。 「ホントに俺、ずっと人生つまんなかったんだけど、めっちゃ楽しかったもん、2015。全部の仕事楽しくって!」  ベッキーに至っては、この番組の収録がある日に予定を聞かれ、「オフ」だと無意識に答えてしまったこともあるという。「仕事」だという感覚がなかったのだ。若林もまた、「高速に乗る時の(浮かれた)気持ちが、『パイセン』(の収録へ)行く時とゴルフ行く時は一緒」だと笑う。いい意味で「遊び場」感覚なのだ。  かつてフジテレビの名プロデューサー・横澤彪は『オレたちひょうきん族』を作る際、「スタジオは遊び場だ」と宣言した。それによってアドリブが飛び交い、本来NGになるようなハプニングを笑いに変え、躍動感あふれるイキイキとした番組になった。その精神こそ、“フジテレビ的”なものだ。弱冠29歳の萩原啓太にも、その血は確実に受け継がれている。マイアミ・ケータを名乗り、積極的に画面に登場するのも、その表れだろう。 「人はバカになれた時、人生が楽しくなる。バカになれた時、人生が豊かになる。バカになれた時、人生が切り開ける」  そう『パイセンTV』は言う。どんな苦難があってもすべてを吹き飛ばし、明日から全力で笑うためにバカになるのだ。こんなバカなテレビがあったっていい。 「1人のバカが変えていくんですね」  若林は、本当に実現した「パイセンフェス」を眺めて言った。「パイセンフェス」の最後は、この日のために作られた「三代目パイセンオールスターズ」が歌うオリジナル曲「P.A.I.S.E.N.」で締められた。その中で若林が「窮屈で退屈でマンネリな日々ぶち壊すパイセンTV♪」とラップを披露し、盛り上がりがピークに達した後、一番オイシイところで登場し、サビを歌い上げたのがマイアミ・ケータだった。 「テレビは、あなたの思い出作りの場所じゃないんですよ!」  若林は幸せそうにツッコんだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

マツコロイドが真理を語る、NHK新春ドラマ『富士ファミリー』の肯定感

fuji0107.jpg
NHK新春スペシャルドラマ『富士ファミリー』公式サイトより
 お正月のスペシャルドラマの出演者に「マツコロイド」の名前があれば、普通は「あ、軽い感じのドラマかな」と思うだろう。マツコロイドとは『マツコとマツコ』(日本テレビ系)などに登場していたマツコ・デラックスそっくりのアンドロイド。ドラマの“出演者”としては、間違いなく“イロモノ”だろう。  だが、木皿泉・脚本のドラマなら、話は別だ。なぜなら、木皿はこれまでも、人ならざるものをモチーフにして、“人間”を描いてきた作家だからだ。  マツコロイドが出演した『富士ファミリー』(NHK総合)は、目の前に富士山がそびえ立つ古びたコンビニ「富士ファミリー」を舞台にした“ホームドラマ”だ。ホームドラマといっても、そこに住む“家族”は、血のつながりのない者ばかり。  小国家の美人三姉妹の長女・鷹子(薬師丸ひろ子)と、死んだ三姉妹の次女・ナスミ(小泉今日子)の夫である日出男(吉岡秀隆)、その三姉妹の父親の妹である笑子バアさん(片桐はいり)、そして、住み込みでアルバイトをすることになった“訳あり”のカスミ(中村ゆりか)の4人。そこに時折、三女の月美(ミムラ)も嫁ぎ先から訪れる。 「富士山よ、お前に頭を下げない女がここに立っている」と宣言する笑子バアさんを老けメイクでユーモラスに演じているのは、片桐はいりだ。そんな姿を見ると、同じようにホームドラマで老婆を演じたかつての樹木希林を想起してしまうように、『富士ファミリー』は昭和のホームドラマを彷彿とさせる。  ある時、笑子にナスミの幽霊が見えるようになるところから物語は始まる。笑子はナスミに頼まれて、彼女のコートのポケットの中から一片のメモを見つけるのだ。そこには「ストロー」「光太郎」「四つ葉のクローバー」「懐中電灯」「ケーキ」という、意味不明の単語が書かれている。5人はそれぞれメモの断片をもらい、その単語が物語を推し進めていく。  ファンタジックな登場人物は、マツコロイドや幽霊にとどまらない。ある時、月美は「吸血鬼」を名乗る青年・洋平(細田善彦)に出会う。彼は、月美に「一緒に旅しませんか?」と迫る。「エベレストの麓のホテルなら、昨日のことをくよくよ考えたり、明日のことを心配せずに済む」と。だが、月美は「富士山の目の前に住んでいても、悩みはある」と断る。「手放したくないものがある」というのだ。  それは、例えば「お風呂から上がった子どもが逃げるのをつかまえて、バスタオルでくるむこと」や、「パパの中指。昔、バスケットをやって突き指して、まっすぐにならなくなっちゃった指」「パパの定期入れにずっと入ってた、小さく小さく折りたたんだレシート。私と初めて行ったファミレスのレシート」といった“日常”だ。木皿泉作品には、そんな日常の機微がたくさん詰まっている。 『富士ファミリー』では、これまでの木皿泉作品のモチーフが踏襲されている。特に「血のつながらない共同体」を描いた『すいか』(2003年、日本テレビ系)を強く思わせる。 「私が代わりにここにいてあげる。だから、お前はどんどん転がるように変わっていけ」と鷹子から言われて上京したナスミを演じる小泉今日子。彼女は『すいか』では、勤め先の信用金庫から3億円を横領して逃亡していた馬場万里子役を演じた。    それぞれが人生の岐路に立つ中、笑子は自分の存在がそれを妨げてしまっているのではないか、自分は彼女たちの迷惑になってしまっているだけではないかと悩み、家を出ようと考える。そんな時に出会うのが、マツコロイドだ。  配送中に車から落ちてしまったというマツコロイドは、自分は「介護ロボット」だと言う。「介護するロボット」ではなく「介護されるロボット」、つまり「人に迷惑をかけるためだけに作られたロボット」だと言うのだ。なぜそんなものが作られたのか、意味がわからない。だが、マツコロイドは言う。 「意味があろうがなかろうが、すでに私たちはここにいる。そのことのほうが、重要なんじゃないかしら」  気恥ずかしいセリフでも、マツコロイドが機械的に発すると、その“真理”が素直に響いてくる。 『すいか』で、地味に働くだけの日常にふと疑問を持ち始めた主人公・早川基子(小林聡美)が「私みたいな者も、いていいんでしょうか」と漏らした問いに、アネゴ肌の大学教授(浅丘ルリ子)がハッキリと言うシーンがある。「いて、よし!」と。 『富士ファミリー』でも、笑子がマツコロイドに「私、ここにいていいのかね?」と問いかける。  すると、マツコロイドは言うのだ。 「ていうか、もういるし」  その肯定感は時を超え、その分、更新されていっている。エベレストの目の前だろうが、富士山の麓に住んでいようが、人は悩みながら生きている。だけど、富士山のような絶対的な存在があるからこそ、それが心の支えになり、生きやすくもなる。思えば、『富士ファミリー』で木皿泉によって描かれる肯定感は、「富士山」そのものだ。富士山がそうであるように、僕らの日常の中の悩みを「いて、よし!」「ていうか、もういるし」と、優しく受け止めてくれる。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

マツコロイドが真理を語る、NHK新春ドラマ『富士ファミリー』の肯定感

fuji0107.jpg
NHK新春スペシャルドラマ『富士ファミリー』公式サイトより
 お正月のスペシャルドラマの出演者に「マツコロイド」の名前があれば、普通は「あ、軽い感じのドラマかな」と思うだろう。マツコロイドとは『マツコとマツコ』(日本テレビ系)などに登場していたマツコ・デラックスそっくりのアンドロイド。ドラマの“出演者”としては、間違いなく“イロモノ”だろう。  だが、木皿泉・脚本のドラマなら、話は別だ。なぜなら、木皿はこれまでも、人ならざるものをモチーフにして、“人間”を描いてきた作家だからだ。  マツコロイドが出演した『富士ファミリー』(NHK総合)は、目の前に富士山がそびえ立つ古びたコンビニ「富士ファミリー」を舞台にした“ホームドラマ”だ。ホームドラマといっても、そこに住む“家族”は、血のつながりのない者ばかり。  小国家の美人三姉妹の長女・鷹子(薬師丸ひろ子)と、死んだ三姉妹の次女・ナスミ(小泉今日子)の夫である日出男(吉岡秀隆)、その三姉妹の父親の妹である笑子バアさん(片桐はいり)、そして、住み込みでアルバイトをすることになった“訳あり”のカスミ(中村ゆりか)の4人。そこに時折、三女の月美(ミムラ)も嫁ぎ先から訪れる。 「富士山よ、お前に頭を下げない女がここに立っている」と宣言する笑子バアさんを老けメイクでユーモラスに演じているのは、片桐はいりだ。そんな姿を見ると、同じようにホームドラマで老婆を演じたかつての樹木希林を想起してしまうように、『富士ファミリー』は昭和のホームドラマを彷彿とさせる。  ある時、笑子にナスミの幽霊が見えるようになるところから物語は始まる。笑子はナスミに頼まれて、彼女のコートのポケットの中から一片のメモを見つけるのだ。そこには「ストロー」「光太郎」「四つ葉のクローバー」「懐中電灯」「ケーキ」という、意味不明の単語が書かれている。5人はそれぞれメモの断片をもらい、その単語が物語を推し進めていく。  ファンタジックな登場人物は、マツコロイドや幽霊にとどまらない。ある時、月美は「吸血鬼」を名乗る青年・洋平(細田善彦)に出会う。彼は、月美に「一緒に旅しませんか?」と迫る。「エベレストの麓のホテルなら、昨日のことをくよくよ考えたり、明日のことを心配せずに済む」と。だが、月美は「富士山の目の前に住んでいても、悩みはある」と断る。「手放したくないものがある」というのだ。  それは、例えば「お風呂から上がった子どもが逃げるのをつかまえて、バスタオルでくるむこと」や、「パパの中指。昔、バスケットをやって突き指して、まっすぐにならなくなっちゃった指」「パパの定期入れにずっと入ってた、小さく小さく折りたたんだレシート。私と初めて行ったファミレスのレシート」といった“日常”だ。木皿泉作品には、そんな日常の機微がたくさん詰まっている。 『富士ファミリー』では、これまでの木皿泉作品のモチーフが踏襲されている。特に「血のつながらない共同体」を描いた『すいか』(2003年、日本テレビ系)を強く思わせる。 「私が代わりにここにいてあげる。だから、お前はどんどん転がるように変わっていけ」と鷹子から言われて上京したナスミを演じる小泉今日子。彼女は『すいか』では、勤め先の信用金庫から3億円を横領して逃亡していた馬場万里子役を演じた。    それぞれが人生の岐路に立つ中、笑子は自分の存在がそれを妨げてしまっているのではないか、自分は彼女たちの迷惑になってしまっているだけではないかと悩み、家を出ようと考える。そんな時に出会うのが、マツコロイドだ。  配送中に車から落ちてしまったというマツコロイドは、自分は「介護ロボット」だと言う。「介護するロボット」ではなく「介護されるロボット」、つまり「人に迷惑をかけるためだけに作られたロボット」だと言うのだ。なぜそんなものが作られたのか、意味がわからない。だが、マツコロイドは言う。 「意味があろうがなかろうが、すでに私たちはここにいる。そのことのほうが、重要なんじゃないかしら」  気恥ずかしいセリフでも、マツコロイドが機械的に発すると、その“真理”が素直に響いてくる。 『すいか』で、地味に働くだけの日常にふと疑問を持ち始めた主人公・早川基子(小林聡美)が「私みたいな者も、いていいんでしょうか」と漏らした問いに、アネゴ肌の大学教授(浅丘ルリ子)がハッキリと言うシーンがある。「いて、よし!」と。 『富士ファミリー』でも、笑子がマツコロイドに「私、ここにいていいのかね?」と問いかける。  すると、マツコロイドは言うのだ。 「ていうか、もういるし」  その肯定感は時を超え、その分、更新されていっている。エベレストの目の前だろうが、富士山の麓に住んでいようが、人は悩みながら生きている。だけど、富士山のような絶対的な存在があるからこそ、それが心の支えになり、生きやすくもなる。思えば、『富士ファミリー』で木皿泉によって描かれる肯定感は、「富士山」そのものだ。富士山がそうであるように、僕らの日常の中の悩みを「いて、よし!」「ていうか、もういるし」と、優しく受け止めてくれる。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから