「この年で愚直に生きるのはマジでツラい!」……けど、俺たちが文化系にこだわる理由

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撮影=後藤秀二
「プロレスブーム再燃」といわれて久しい。棚橋弘至、オカダ・カズチカ、中邑真輔、飯伏幸太など、人気・実力ともに兼ね備えたレスラーが続々と登場し、古参のプロレスファンはもちろん、若い女性たちも黄色い声援を飛ばす。そのブームの一端を担う団体が、“文化系プロレス”を名乗る「DDT」だ。体育会系のプロレス界に、文化系な発想でエンタテインメント要素を持ち込んだDDT。そのオリジナリティあふれるスタイルはいつしか「文化系プロレス」と呼ばれ、いまや業界の盟主・新日本プロレスに次ぐ規模にまで成長している。  そんなDDTのエース・HARASHIMAと、新日プロレスのエースで“100年に1人の逸材”といわれる棚橋の対戦を軸に、DDTの歴史、そしてプロレスの魅力に取りつかれてしまった男たちの姿を追ったドキュメンタリー映画『俺たち文化系プロレスDDT』が、11月26日(土)より公開される。  メガホンを取ったのは、DDT所属のレスラーであり、前作『劇場版プロレスキャノンボール2014』のヒットも記憶に新しいマッスル坂井氏と、坂井主宰の興行「マッスル」でプロレスに目覚めたドキュメンタリー作家、松江哲明氏の2人だ。  アラフォー男たちの愚直な青春ドキュメンタリーに、2人が込めた思いとは――? *** ――そもそも『俺たち文化系プロレスDDT』に、松江さんが参加した経緯は? 松江哲明(以下、松江) DDTの高木三四郎社長から頼まれたんですけど、僕は「坂井さんと一緒なら」って。 ――お2人とも「監督」とクレジットされていますが、役割分担は? 松江 レスラーたちの日常を追ったりしたのは、坂井さんと今成(夢人)さん。僕が現場に行ってるのは、「#大家帝国」の興行と、新潟くらいですね。最初からべったり撮影にくっついてやるつもりはなかったんで。 マッスル坂井(以下、坂井) 完全に遠隔操作してましたよ(笑)。この映画を撮るって決まったのが昨年の春で、夏にいよいよ「映画どうしよう」ってなったときに、松江くんが「坂井くんが一番得意なことをやるべきだ」って。「一番得意なことはなんですか?」って聞かれて、「興行を自分で企画して、その興行を通してプロレスとは何かということを見せたり、考えたりすることかなあ」って答えたら、「じゃあ、それをどっかでやりましょう」って。興行なんてなかなかやらせてもらえないから、それをどうしたらできるかってところから考えていったんです。 松江 たぶん当初、高木さんはもっと客観的なドキュメンタリーを期待してたんだと思う。けど、僕が作りたいプロレスのドキュメンタリーって、「マッスル」なんです。興行ってやっぱり、お客さんが体験するものじゃないですか。でも、ドキュメンタリーで撮ることによって、それとはまったく違う視点を作ることができる。だから、視点作りだけを僕がやって、何を見せたいとか、どういうことを表現したいかっていうのは、坂井さんがリングの上でやったんです。 ――松江さんは「ドキュメンタリーは手法だ」とよくおっしゃっていますが、プロレスも、虚実皮膜を行き来する部分など、表現方法としてドキュメンタリーと近いですよね。そのプロレスをドキュメンタリーで撮ることに、やりにくさのようなものは感じませんでしたか?
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松江 いや、それは感じませんでしたね。僕は映画を作るときに、何が真実で何がウソかっていうのは正直言うとどうでもよくて、撮れた素材にどれだけ真実味があるかっていうことのほうが大事なんですね。だから、素材の力が強いか弱いかが重要なんですけど、ヘタな芝居って、素材として弱いんですよ。それでいうと、今回の作品を編集してて面白かったのは、いい意味でレスラーの人たちみんながカメラを意識するんです(笑)。今成さんや坂井さんがカメラを回していると、高木さんがチラッとカメラを見てから「お前たち、覚悟しろよ!」とかやってくれたりする。それが完全に芝居かっていうと、そうではない。カメラの前で誇張しているだけで。それを日常的にやってるから面白い。だから、普通にしゃべっているのが、いちいちセリフみたいに聞こえるんですよ。 ――特に、大家健選手なんかは常に激情的ですね。 松江 そう! だから英語字幕版を見たときに、大家さんがすごいいいこと言ってるふうに聞こえる。あれは、もともとの言葉が、そういうセリフっぽいからなんです。僕は、被写体にカメラの前で自然でいてほしいとは思わない。ミュージシャンを撮るのが好きなのも、そういうところなんです。 ――本作は棚橋弘至選手とHARASHIMA選手の対戦が軸になっていますが、それは最初から決まっていたんですか? 松江 最初は<DDTの1年間を追ったドキュメンタリー>という構成だったんですけど、素材としてDDTを象徴してるなって思ったのが、「#大家帝国」の試合でした。棚橋選手と小松(洋平)選手が、すごい巨大な存在として君臨してくれてたのがよかったですね。もちろん、棚橋選手のインタビューを撮ったりもできたんですけど、それをやっちゃうと……。 坂井 弱くなっちゃうんだよなあ。 松江 そうなんです。やっぱり“強者”でいてほしい。説明より、存在を強調したいんです。そんな人があそこで……という仕掛けもありますから。 坂井 そこでの公平な視点は、いらないんですよ。言い方は悪いけど、あくまで“いじめられっ子”の視点で見たほうがいい(笑)。 ――今回の映画の性質上、いわば最初から「ネタバレ」をしている部分がありますが。 松江 そこは、最初から心配していませんでしたね。「#大家帝国」の興行のラストで何が起きたのか、観客が知っていても全然いい。ただ、あの場で何が起こっていたのか、観客席からは見えない視点を作れる自信があったので。それは、前後のドラマも含めてですけど。あの現場の出来事を、単に両国国技館の大会から始まった数カ月のドラマっていうのではなく、もっと以前の、2000年代初頭からの坂井さん、HARASHIMAさん、大家さん、(男色)ディーノさんたちの関係性があっての一夜だったんだっていうのを描ける自信はあった。現に、映画の中では棚橋選手の言葉は切っていますし。むしろ、あそこで棚橋選手が何を語ったのかよりも、なぜ“あの展開にしたのか”のほうが重要だと思う。そこの関係性を描けば、あの試合を見た人でもこの映画は楽しめるって確信してました。 ――坂井さんやDDTにとって、棚橋選手の存在はどんなものだったんでしょうか? 坂井 俺は今のプロレス界の象徴であり、正義だと思ってる。こっちが棚橋選手にお願いしたくても、「新日本プロレスがなんて言うか……」って、周りのみんなは言うんですよ。でも、それは違う。棚橋選手が「やる」って言ったら、会社も「イエス」って言うんですよ。器がでかいからこそ、こっちも飛び込みがいがある。棚橋選手も言ってるけど、良くも悪くも自分たちがやっているプロレスと棚橋選手がやっているプロレスっていうのは、「違うんだ」と。違うものをやっているという意識は僕の中にもあって、そういう意味では、わかり合える部分もある。 ――だから、最後の場面で棚橋選手に協力してもらうために、坂井さんが直接交渉されたんですね。その一部始終は、映画にはありませんでしたが。 坂井 だって俺、カメラをまいていきましたもん! 撮られたら危ないじゃないですか。DDTにバレたらいけないんです、あのミッションは。 松江 監督なのに(笑)。僕は、“監督だったら、回してよ”って思いましたけど。ドキュメンタリーに、あの素材はあってもいいじゃないですか(笑)。 坂井 でも! あの場を成立させることが、勝ち負けを超えた何かを見せることが俺の勝負だと思っているから、あそこはいらないんですよ! 松江 まぁ、結果を一番知っているのは坂井さんですからね。僕は新潟まで行きましたけど、「#大家帝国」で何をやるのかは別に聞かなかったし、プロレスで本当に撮っていいものと撮っちゃいけないものの最終的なジャッジは、坂井さんにお願いしてましたから。 坂井 アハハハハ。ないですからね、そんなの! あるがままを撮っているだけですから。
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松江 この前、『ザ・ノンフィクション』(フジテレビ系)で「アイスリボン」が取り上げられたドキュメンタリーを見ましたけど、「こういう視点になっちゃうかー」と思いました。 坂井 いつまでプロレスは、世間にだまされ続けるんだって! 世の中に仕掛ける側であってほしいのに、なに仕掛けられてるんだよって。 松江 「プロレスラーって、こうなんですよ」ってノリで語っちゃうと、魅力が消えるんですよ。プロレスラーは常識人じゃないんだから。『ザ・ノンフィクション』である以上、日曜昼に見ている人に向けた「わかりやすさ」は絶対に崩せないんですよ。そこを崩せない以上、プロレスを撮るのは難しいと思いました。みんなが知っている1センチ、2センチ、3センチ……っていう物差しを持ってきちゃいけないんですよ。僕がマッスルとかDDTに教わったのは、俺たちの物差しは違うんだってことなんですよ。自分たちの物差しじゃなきゃ描けない世界があるんだよ、っていうのをやってるんですよ。プロレスって、そういうものなんですよ。 坂井 親がプロレスやるのを反対していようがしてなかろうが関係ないんだけど、絶対、親を連れてきたがりますね、テレビは(笑)。でも、関係ないから! お客さんが沸くか沸かないか、レスラー仲間がバックステージで「グッドマッチ!」って握手してくれるかどうか、トレーナーの先輩たちが「いい試合だった」って評価してくれてるかどうかだけなんです。勝ち負けを超えて、自分がレスラーとして表現したいことができたかどうか、それだけを考えてるから、親がどう思ったかなんてホンットどうでもよくて、親が止めたからってやるんですよ、プロレスラーは! バカなんですよ!  松江 「学校辞めます」なんて、当たり前じゃん!って。 坂井 実家の家業継ぐためにプロレスラー引退するやつなんて、いないですから! ――そうなんですか!(笑) 松江 でも、そこを取ると「わからない」ってなっちゃうんですよね。日曜昼に見る人は。 坂井 お父さん、お母さんは反対しないの? って当然思いますよね(笑)。まあ、しょうがないか。 松江 でも、そこを超えたものを撮っているはずなのに、排除しているなっていうのが、ドキュメンタリーを作っている身としては残念で。この映画は、そういうドキュメンタリーにはしないぞって。なるはずはないんですけど。大家さんは、『プロレスキャノンボール』上映のとき、パンフレットを買った人への特典として握手会してるのに、上映が終わった後、来場した人全員と握手しちゃう(笑)。ルールを超えちゃう人なんですよ。 坂井 そういうところって、確かに『ザ・ノンフィクション』では描けない。「マジでヤベえ」ってなっちゃうから。 一同 (爆笑) 松江 僕が感動したのはね、HARASHIMAさんがモヤモヤしてるときに引っ張るのが、やっぱり大家さんをはじめとする“文化系”のアラフォーの人たちで、僕は、大森での映像(※棚橋組との再戦日時が発表された大森駅東口前公園「UTANフェスタ2015」でのHARASHIMAと大家の挨拶)が好きなんですよ。 坂井 わかる! 松江 あのとき、HARASHIMAさんが大家さんに「ガンバレ、HARASHIMA!」って言われて、ちょっと戸惑ってるんですよね。あれがすごい大事なんですよ。ああいうときに立ち上がるのが、“文化系”の仲間。僕はそこにちょっとグッとくるんですよね。で、最後に「ガンバレ、オレ!」で締めるっていう図々しさ(笑)。そこもまた素晴らしいじゃないですか。あのシーンが、この作品での友情物語になっている。たぶん、普通のドキュメンタリー作る人が今のDDTを撮ると、飯伏(幸太)さんや竹下(幸之介)さんが主役だと思うんですよ。“輝く人”っていて、テレビだったらそっちなんですよ。でも、暗闇で見る映画だと、大家さんなんですよ。
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(c)2016 DDTプロレスリング
――今回の映画で“主役”となっているのはみんな同世代ですが、そこに特別な意識はありますか? 坂井 ありますね。今、お客さんがプロレスやプロレスラーに求めるものって、変わりつつある。2000年代当時は、プロレスに対抗する概念として、総合格闘技とかアメリカのWWEがあったから、「プロレスはこんなことができるよ」って表現のひとつがDDTだったりマッスルだったんです。けど、今は総合格闘技などが当時ほど影響力を持っていない中で、若い人たちにとって、プロレスは真剣勝負だという前提で見るスポーツになってしまっている。だから、僕たちがやっている「文化系プロレス」というアプローチは、今のプロレスファンには必要とされない時代になってきているという自覚はあります。そんな中で、DDTのエースであるHARASHIMAさんは純粋に強さを競う「体育会系プロレス」にもちろん対応して、DDTを引っ張る存在として、「キング・オブ・スポーツ」を社是としている新日本プロレスのエース・棚橋選手と同じ土俵で勝負を挑んだんです。そこから起こった齟齬とか、価値観の違いとかは、HARASHIMAさん個人に対してではなくて、DDT全体へのメッセージだと思ったから、自分らとしても何らかの答えは出さなきゃならないなって。だから僕は、映画っていうジャンルでプロレスの面白さを表現したんです。 松江 僕はこれまで自分の映画って若い人たちに見てもらいたかったんですが、今回の映画は同世代に見てもらいたい。 坂井 ホント、そう! 松江 意外とこういう「文化系」の表現をアラフォーまで続けている人っていないんだってわかってきたんですよ。みんなやめちゃう。自主映画をやってた人も、もうそういうんじゃないよねって。僕と一緒に自主映画やってた仲間も、漫画原作の映画の監督とか、名前が重視されないディレクターをやるわけですよ。愚直にサブカルを続ける人は、本当にいなくなった。「文化系」をアラフォーになっても続けるって、ホントに他人事でなく、体を壊すし、お金にならないし、マジでツラいし、キツイんですよ。 坂井 確かに、いま愚直にものづくりをしようとしても、情報も入ってくる。ちゃんと考えればエラーが起きにくいし、能力さえあれば、いい会社に入れたりする。結局、ホントにすげーヤツって朝井リョウみたいになりますからね。 松江 そう、そう、そう! 坂井 東宝に入れちゃうんですよ! われわれの世代なんて募集してないですからね、きっと(笑)。 松江 いや、ホントにそういう話で、僕らの映画が好きな若い人は今、東宝とかに入ってるんですよ。ちゃんと金を稼いだ上で、生活は生活、好きなものは好きなものってやっている。僕らのお手本は、お金よりも大切なものがあるはずだっていう、例えばいましろたかしさんとかだったんですよ。僕らは、あれが正しいって思ってたんです。でも実はね……、あれ、正しくなかったんです(笑)。 坂井 ええっ!? でも、たとえあきらめたとしても、意外と夢がかなってしまうことはあるし、最近、それを感じさせてくれるような素晴らしい出来事もたくさんありました。同世代の人で、何かの形でやめたり、まだ続けている人も少なからずいるわけで、そういう人にはどうしても見てほしいし、共有したいし、一緒に戦っていきたいなって思いますね。でも、愚直にものづくりしようとしている人が東宝に入れる、いい時代なんですよ、実は。 松江 俺、入れたかな…? 坂井 入れないよ! 専門学校卒だから!(笑) 松江 そうだった、そうだった(笑)。 (構成=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/※このインタビューのロングバージョンは、近日、てれびのスキマのブログで公開予定です。
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●『俺たち文化系プロレスDDT』 監督:マッスル坂井、松江哲明 音楽:ジム・オルーク 出演:マッスル坂井、大家健、HARASHIMA、男色ディーノ、高木三四郎、鶴見亜門、KUDO、伊橋剛太、今成夢人、棚橋弘至、小松洋平 配給:ライブ・ビューイング・ジャパン 11月26日(土)から新宿バルト9ほか全国公開 公式サイトURL http://liveviewing.jp/obpw2016/ 予告URL https://www.youtube.com/watch?v=WJCyqA3ggIQ&feature=youtu.be

激しい会話劇『黒い十人の女』で見せる、天才・バカリズムのロジック

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『黒い十人の女』読売テレビ
「全員狂ってるよ」  そこに集まったのは10人の女たち。テレビプロデューサー・風松吉の9人の愛人と、ひとりの妻である。つまり風は“10股”しているゲス野郎なのだ。  集まった10人を前に、ひとりの愛人が口を開く。 「一緒に風を殺さない?」  もともと『黒い十人の女』は市川崑が監督し、船越英二が主演した昭和の名作映画である。これを、お笑い芸人・バカリズムが脚本を担当してリメイクしたのが、ドラマ版『黒い十人の女』(日本テレビ系)だ。  主人公・風松吉を演じるのは、映画版で演じた船越英二の息子・船越英一郎。これ以上ないキャスティングだ。なんでこんな中年のオッサンがモテるのかわからない。けど、なんかわかる、という絶妙なラインを演じている。  だが、リメイクといっても、主人公が10股をしていて、彼への殺害計画が持ち上がるという大まかな設定以外は、ほぼ完全オリジナル。もちろん、舞台は現代。バカリズムらしく、コメディが基調になっている。 “愛人歴”が最も長いのは、水野美紀演じる舞台女優・如野佳代。彼女が所属する劇団「絞り汁」は、“芸術性”を言い訳に、つまらない芝居を長時間見せるような集団だ。とにかくこの佳代というキャラクターは、ウザくてダサい。そんな小劇団にもかかわらず、実力派女優気取り。風のコネで、ドラマでエキストラ同然の役をもらっても、主役級の振る舞い。デリカシーが皆無なのか、愛人たちを引き合わせ、「愛人同士仲良くしよう」と提案する。「悪いのは全部、風なんだから」と。  しかし、同じ愛人である以上、恋敵。うまくいくはずがない。頻繁にほかの愛人たちと口論になり、そのたびに水やカフェオレなどを顔にぶっかけられる。  だが、彼女が愛人同士仲良くしようとしていたのは、実は風を一緒に殺そうとしていたからだったのだ。  このドラマ版では、たびたび登場人物同士が議論するシーンが登場する。「不倫は本当にいけないことなのか?」「いけないとしても、本当に別れないといけないのか?」などなど。  これは、バカリズムのコントを想起させる。たとえば「俺の斧」というネタがある。斧を落としてしまったきこりが、川から出てきた女神に「あなたの落としたのは金の斧? それとも銀の斧?」と問われ、正直に答えたら金の斧をもらえたというイソップ童話『金の斧』をモチーフにしたものだ。  バカリズムが扮するのは、この童話の最後にわざと斧を落として金の斧をもらおうとするきこりを思わせる男。童話では「金の斧を落とした」とウソをつくきこりにあきれ、何も渡さなかった。そこから、このコントは始まる。 「待って待って、帰るんですよね?」と、女神を呼び止めるバカリズム。「俺の斧は返してください」と。ウソをついた罰で返さないと主張する女神に「罪と罰のバランスおかしくないですか?」と、バカリズム節が始まっていく。そもそも、なぜ自分がウソをついていると言いきれるのか? それは、女神が自分で金の斧を用意したからだ。にもかかわらず、さも自分のものではないかのように、どれを落としたかと問うことも立派なウソではないか? どんな理由があろうともウソは罪だというならば、女神こそ罪を犯している。女神はそれを必要悪だと言うが、自分はこれまで犯罪歴はなく、他人を苦しめてきたわけではない。そんな自分を懲らしめるのは必要悪とは到底言い難く、ただの悪である。言うなれば、他人の斧を奪う強盗未遂。犯罪だ。だから自分には賠償を受ける権利がある、と女神を言い負かし、金の斧と銀の斧、果てはそれを入れる手提げ袋を女神から奪い取るというネタだ。  理路整然と矢継ぎ早に並び立てることにより、屁理屈もそうとは見えず、ついには常識を覆していく、バカリズムの真骨頂だ。  そうした会話劇が、このドラマの至るところで展開されていくのだ。  そして、それが最高潮に達したのが、第8話(11月17日放送)だ。この回は、ほぼ全編がワンシチュエーションの会話劇。佳代が10人の女を集め、風の殺害計画を語るのだ。  もちろん、それを聞いたほかの愛人たちは、その突拍子もない申し出に、最初は戸惑う。ここから、佳代はそれまでのウザくてダサい、言うなれば「バカ」キャラから一変。その仮面を脱ぎ捨て、バカリズムが憑依したような理論派へと変貌する。  まずは「殺す殺さないかは別にして、風がこの世からいなくなるのはどうか?」と問う。戸惑いながら、「いなくなってくれたらいい」と口々に言う愛人たちに、「だったら、それは自分が殺すのは嫌」ということだと言い、その「嫌」の理由をひとつひとつ解きほぐしていく。  やはり最初に問題になるのは、殺人は犯罪だということ。つまり「罰への恐怖」だ。だったら、完全犯罪ならばどうかと。具体的にそのやり方を指南する。  それでも「自分が殺すこと自体が怖い」と「罪への恐怖」を主張する愛人たちに、佳代は論理的に説得していくのだ。 「風がやってきたのは、10人の女の人生を狂わせる行為」 「言ってみれば10人分の殺人」 「殺さないと、私たちの人生が今後も狂わされ続ける。あくまでも、自分の人生を守るための手段にすぎない」 「ある意味、正当防衛だ」  確かにそうだ、と思わせてしまうのが、バカリズムのスゴいところであり、怖いところだ。  そんな中で浮き彫りになるのは、被害者意識で塗り固まった人も、加害者であるという事実。そして、その加害者意識を最後まで隠す者のズルさだ。全員が被害者であるのと同時に、加害者でもある。まさに「全員狂ってる」のだ。  しかし、ここで単純に全員が納得して殺害に同意する話にしないのが、天才・バカリズムたるゆえん。バカリズムの手のひらで踊らされるように、最後に思わぬ大どんでん返しで、ほぼ全編をかけたこの議論をすべて台無しにする、ある展開が起きる。  それは、積み重ねた理論をいっぺんに無意味なものにするパワーを持つ感情を呼び起こすのだった。  天才・バカリズムが周到に用意したのは、激しい感情の前では、精緻な理論はなんの意味も持たないというロジックだったのだ。  理論 vs 感情の果てに、いよいよドラマはクライマックスに突入する。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

『ドラクエ』vs『F.F.』が実現? 『勇者ヨシヒコと導かれし七人』が挑む冒険

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『勇者ヨシヒコと導かれし七人』テレビ東京
 『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』といえば、日本のコンピューターゲーム界における2大RPGだ。  ライバルである2つの世界観が相まみえると、どうなるか?  そんな夢の対決が実現した。ドラマで。  それが『勇者ヨシヒコと導かれし七人』(テレビ東京系)の第3話である。このドラマは2011年から始まった「勇者ヨシヒコ」シリーズの第3弾。数々の深夜ドラマを手がけてきた福田雄一が演出・脚本を担当する「予算の少ない冒険活劇」コメディである。 「予算の少ない」と銘打っているだけに、登場するモンスターが張りぼてやぬいぐるみだったり、突然、雑な紙芝居風のアニメになったりとチープ。  だが、「協力」として『ドラゴンクエスト』の発売元、スクウェア・エニックスがクレジットされており、モンスターの絵柄がそのままだったり、BGMもまったく同じだったりと、半ば公認の『ドラゴンクエスト』パロディが展開されている。  主人公のヨシヒコ(山田孝之)も、職業は「勇者」。その仲間であるパーティは、「戦士」ダンジョー(宅麻伸)、「魔法使い」メレブ(ムロツヨシ)、そして「村の娘」ムラサキ(木南晴夏)だ。  彼らは仏(佐藤二朗)に導かれ、集められた。今シリーズは「魔王」を倒すため、オーブを持つ運命の7戦士を集めていくというシナリオだ。  第1話では菅田将暉、第2話には片岡愛之助や滝藤賢一と、毎回のように思わぬ大物ゲストが登場するのも魅力のひとつ。村中の人たちがゾンビになってしまった第2話では、ゾンビ化する仲間たちをよそに、ヨシヒコは「ミギー」ならぬ「ヒダリー」という“寄生獣”っぽいものが左腕に寄生する。そういったパロディ満載のドラマなのだ。  そして、第3話では、渡辺いっけい扮する盗賊などとの戦いで、HPがわずかの瀕死の状態になってしまったため、村に戻ろうとするも、たどり着く直前にモンスターに遭遇するという“RPGあるある”が展開される中、突然、「ルーラ」的力で一行はどこか見知らぬ土地に飛ばされてしまう。  その村の入り口には、「エフエフの村」という看板が掲げられている。どこかオシャレ感の漂う、いつもとは違う雰囲気の村。  そこで一行は、長身で細身のスタイリッシュなイケメンに出会う。明らかに『ファイナルファンタジー』的な主人公の風貌だ。 「ヴァリーだ」と自己紹介する男(城田優)。 「バリーではなく、唇をかんでヴァリーだ」 と、名前へのこだわりもハンパない。彼は、自分のアジトにヨシヒコたちを連れて行き、仲間を紹介する。 「モンク」「白魔道士」「黒魔道士」という聞き慣れない職業を名乗る彼らに困惑するムラサキたち。「モンク」が「武闘家」と同じだとわかると、「武闘家は武闘家でよくねえ?」と悪態をつく。  彼らが話している間にも、ヨシヒコはアジトにあるツボや樽の中を確認するために割り始め、ヴァリーたちに「ええー! なんでぇ?」と驚かれる。 「ヨシヒコ、ここは明らかにルールが違うようだ」 というメレブの声も無視し、引き出しも勝手に開ける。もちろんこれは『ドラクエ』の勇者たちが勝手に村人の家のものを壊してあさることへのパロディだ。  それでも一緒に戦うことになった一行は、モンスターたちに遭遇。 「隊列を組め!」  ヴァリーの号令とともに、斜め2列になる一行。 「なんでこんな斜めのところで戦わなくてはいけないんだ?」  ヨシヒコが疑問をぶつけるが、ヴァリーは当たり前のように言う。 「ここでは、こういう感じなんだ」  モンスター側の攻撃で、そのダメージが数字になって表れると、「なんだ、今の数字は?」と、ヨシヒコはいちいちパニックになるのだった。  さらに異世界に飛ばされると、バカでかいモンスターにバカでかい武器で戦うモンスターをハントするような世界に足を踏み入れたり、勇者だけがどこかへ飛ばされ戻ってきたと思ったら、全身モザイク処理。モザイク越しには赤い帽子にモジャモジャのヒゲ、青いつなぎに赤シャツというどこかで見慣れた風貌になっているのがわかってしまうのだが、ヨシヒコは意に介さず興奮気味に言う。 「素晴らしい世界なんです。ちょいとジャンプするだけで、お金がどんどん入ってくる。苦労して魔物を倒さず、キノコやらカメを飛び越えて、柱にしがみつくだけでいい」  メレブが「それ以上言うな」と制するも、ヨシヒコはさらに続ける。 「カートでレースなどもできて、とてつもなく楽しい」  もう、やりたい放題である。  最後には仏が登場し、「主役の自覚を持てよ!」とヨシヒコを叱責。 「そういうチャレンジはさ、プロデューサーが苦しむだけだからさぁ」と愚痴ると、ムラサキが「でも『F.F.の村』は普通に行けたぜ」と疑問を挟む。 「その理由はゲーム通の人はわかっているから、ここでいちいち説明しません!」 『ドラクエ』のポップさと『F. F.』のスタイリッシュさは、相いれないものだ。だが、パロディドラマの中でなら、融合することができる。その世界にどっぷり漬かっていると気づかない、あるいはなかったものとされる違和感を、パロディはあぶり出す。だから世界観が違えば違うほど、そのズレが笑いを生んでいく。 『勇者ヨシヒコ』シリーズは、パロディにパロディを重ね、いつの間にか『ヨシヒコ』的としか言いようのない世界を作り出した。そしていまや、その『ヨシヒコ』的世界までも、パロディの対象にし始めたのだ。  深夜ドラマという予算の限られたフィールドで、どこまで自由に遊べるか――。そこへの戦いこそが『勇者ヨシヒコ』シリーズの冒険なのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「日7戦争」勃発! “負け戦”必至のTBS『クイズ☆スター名鑑』の戦い方

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『クイズ☆スター名鑑』TBSテレビ
 いよいよ“日7戦争”が始まった。  今秋から、日曜午後7時台のテレビは、かつてないほどの激戦区となる。  これまで視聴率的に“絶対王者”に君臨していたのは、日本テレビ系の『ザ!鉄腕!DASH!!』。『笑点』から始まり、『世界の果てまでイッテQ!』『行列のできる法律相談所』へと連なる鉄壁のラインナップは、視聴率を支えるファミリー層に絶大な強さを誇る。  その強力な相手に、単独で応戦してきたのが、テレビ東京系の伊藤隆行による『モヤモヤさまぁ~ず2』だ。  そして、10月からテレビ朝日系では、加地倫三の『アメトーーク!』がゴールデンと深夜の2本立てになって登場。さらに、TBS系では、藤井健太郎による『クイズ☆タレント名鑑』が『クイズ☆スター名鑑』と名前を変えて奇跡の復活。  王者『鉄腕!DASH!!』に、各局のお笑い番組のエーススタッフが挑む、という構図ができあがった。  ちなみにフジテレビでは、やや遅れて11月から古舘伊知郎のバラエティ番組レギュラー復帰作となる『フルタチさん』がスタート。Eテレでは、先日『24時間テレビ』(日本テレビ系)の真裏で、「感動ポルノ」批判で話題を呼んだ『バリバラ』もあるという充実っぷりだ。  この“日7戦争”が開戦となったのが、『アメトーーク!』『スター名鑑』がスタートした10月16日だ。  どちらの番組も初回に弾みをつけようと2時間スペシャルを組む中、迎え撃つ王者・日テレも容赦がない。『鉄腕!DASH!!』と『イッテQ』の合体スペシャル「はじめての交換留学」と題したコラボ企画をぶつけてきたのだ。  一方の『モヤさま』も、2時間半スペシャルで番組アシスタントを務めてきた狩野恵里アナの卒業、そして注目された次期アシスタントの発表という目玉を用意した。 『アメトーーク!』の2時間スペシャルは、「芸人体当たりシミュレーション」と「ついつい食べ過ぎちゃう芸人」という、これまでのゴールデンスペシャルでも鉄板の人気企画。  そんな中、『DASH×イッテQ』や『アメトーーク』よりも数分早く、18時55分に放送が開始された『スター名鑑』。ここはその数分で少しでも視聴者をくぎづけにし、奪いたいところ。そこで『スター名鑑』が投入したのは、まさかのベン・ジョンソンだった。  どう見ても、数字を持っているとは言い難いドーピング男である。この不可解ともいえる人選のオープニング。しかし、『クイズ☆タレント名鑑』ファンは歓喜した。 『スター名鑑』の前身は、前述の通り『クイズ☆タレント名鑑』だ。約4年半前にあえなく終了したが、ファンからは熱烈な支持を受けた番組だ。  2010年8月からレギュラー放送が始まり、「日本一下世話なクイズ&バラエティ」を自称したこの番組は、「クイズ」を隠れみのに、隅々まで悪意をまぶし、悪ふざけの限りを尽くした。この『クイズ☆タレント名鑑』が日曜夜8時という完全なるゴールデンタイムに放送されていること自体が、それだけで「今もテレビは面白い!」と胸を張れるものだった。  だが、ファンの熱狂とは裏腹に、視聴率は決して高いわけではなかったため、正直言って、番組ファンもいつ誰かの逆鱗に触れて終わってもおかしくないと思っていた。  そして、2012年1月。ついに終了が発表された。  その“大役”を結果的に担ったのが、ベン・ジョンソンだったのだ。230メートル先の本殿を目指して一斉に男たちが走りだし、先着3名だけが「福男」の称号を得られ、「福」が訪れるという「福男選び」。  番組では「福男チャンス」と題して、山田勝己、ダンテ・カーヴァー、そしてベン・ジョンソンという3人の刺客を「福男選び」に送り込んだ。クイズ優勝チームが賞品獲得を懸けて、誰が「福男」になるかを当てるクイズ企画だった。  しかし、あえなく3人は「福男」となることができなかった。 「3人のふがいない走りにより、2012年の『タレント名鑑』に福が舞い込むことはなかった」  そんなナレーションとともに、『タレント名鑑』の終了が発表されたのだ。 「ベン・ジョンソンのせいで……」 というテロップ付きで。 「打ち切り」の発表にまで、笑いと悪意をねじ込む徹底っぷり。そこに『タレント名鑑』の神髄があった。  だから、復活スペシャルのオープニングは、ベン・ジョンソンでなければならなかったのだ。  こうした『タレント名鑑』や、終了から復活までの4年間で藤井が手掛けた『テベ・コンヒーロ』や『Kiss My Fake』などから継承された“ネタ”が、本編でも随所に登場。もちろんこれらは、長く番組を見れば見るほど気づき、楽しめるものだ。だが、それに気づかなくても、ちゃんと面白い。  藤井は自著『悪意とこだわりの演出術』(双葉社)の中で「『わからなくても成立するけど、わかったらもっと面白い』要素がありつつ、その中に引用やオマージュが多く入っているのが僕の作りの好み」と書いている。また、「気づかなくても楽しめるけど、気づけば気づいた人にだけ楽しめるモノを用意しておく。そんな奥行きのようなモノを少し意識しています」とも明かしている。 『スター名鑑』は、まさにその「奥行き」が深い番組だ。  今のバラエティ番組の主流は、“親切さ”最優先。「ながら見」でも途中から見ても、視聴者が理解できるようにきめ細かい工夫がされている。もちろん、それは視聴者を楽しませるという観点でも、視聴率を獲るという観点でも正しいアプローチだろう。  だが、そればかりではつまらない。  毎週見ていないと置いていかれるから、食い入るように見る。そんな番組こそ、僕たちは見たいのだ。ベン・ジョンソンが福男にリベンジしても、早坂好恵の名前がやたら出てきても、ボビー・オロゴンが米俵を抱えて走っても、クイズなのに「予約」がある、意味不明なシステムがあっても、視聴率は上がらないだろう。犯罪者や前科者の名前が頻出したり、気まずい空気の不穏で怖い映像を流しても、クレームのリスクが高まるだけかもしれない。だけど、ここでしか味わえない面白さがあふれている。  本来、バラエティ番組は、「面白さ」こそが最優先されるべきものだったはずだ。視聴率的には“負け戦”かもしれない。けれど、だからこそ「面白さ」だけを追求するのが『スター名鑑』の戦い方だ。  終了から4年半。前フリは十分すぎるほど効いている。  いよいよ、面白いだけの“クソ番組”が帰ってきた! (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「日7戦争」勃発! “負け戦”必至のTBS『クイズ☆スター名鑑』の戦い方

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『クイズ☆スター名鑑』TBSテレビ
 いよいよ“日7戦争”が始まった。  今秋から、日曜午後7時台のテレビは、かつてないほどの激戦区となる。  これまで視聴率的に“絶対王者”に君臨していたのは、日本テレビ系の『ザ!鉄腕!DASH!!』。『笑点』から始まり、『世界の果てまでイッテQ!』『行列のできる法律相談所』へと連なる鉄壁のラインナップは、視聴率を支えるファミリー層に絶大な強さを誇る。  その強力な相手に、単独で応戦してきたのが、テレビ東京系の伊藤隆行による『モヤモヤさまぁ~ず2』だ。  そして、10月からテレビ朝日系では、加地倫三の『アメトーーク!』がゴールデンと深夜の2本立てになって登場。さらに、TBS系では、藤井健太郎による『クイズ☆タレント名鑑』が『クイズ☆スター名鑑』と名前を変えて奇跡の復活。  王者『鉄腕!DASH!!』に、各局のお笑い番組のエーススタッフが挑む、という構図ができあがった。  ちなみにフジテレビでは、やや遅れて11月から古舘伊知郎のバラエティ番組レギュラー復帰作となる『フルタチさん』がスタート。Eテレでは、先日『24時間テレビ』(日本テレビ系)の真裏で、「感動ポルノ」批判で話題を呼んだ『バリバラ』もあるという充実っぷりだ。  この“日7戦争”が開戦となったのが、『アメトーーク!』『スター名鑑』がスタートした10月16日だ。  どちらの番組も初回に弾みをつけようと2時間スペシャルを組む中、迎え撃つ王者・日テレも容赦がない。『鉄腕!DASH!!』と『イッテQ』の合体スペシャル「はじめての交換留学」と題したコラボ企画をぶつけてきたのだ。  一方の『モヤさま』も、2時間半スペシャルで番組アシスタントを務めてきた狩野恵里アナの卒業、そして注目された次期アシスタントの発表という目玉を用意した。 『アメトーーク!』の2時間スペシャルは、「芸人体当たりシミュレーション」と「ついつい食べ過ぎちゃう芸人」という、これまでのゴールデンスペシャルでも鉄板の人気企画。  そんな中、『DASH×イッテQ』や『アメトーーク』よりも数分早く、18時55分に放送が開始された『スター名鑑』。ここはその数分で少しでも視聴者をくぎづけにし、奪いたいところ。そこで『スター名鑑』が投入したのは、まさかのベン・ジョンソンだった。  どう見ても、数字を持っているとは言い難いドーピング男である。この不可解ともいえる人選のオープニング。しかし、『クイズ☆タレント名鑑』ファンは歓喜した。 『スター名鑑』の前身は、前述の通り『クイズ☆タレント名鑑』だ。約4年半前にあえなく終了したが、ファンからは熱烈な支持を受けた番組だ。  2010年8月からレギュラー放送が始まり、「日本一下世話なクイズ&バラエティ」を自称したこの番組は、「クイズ」を隠れみのに、隅々まで悪意をまぶし、悪ふざけの限りを尽くした。この『クイズ☆タレント名鑑』が日曜夜8時という完全なるゴールデンタイムに放送されていること自体が、それだけで「今もテレビは面白い!」と胸を張れるものだった。  だが、ファンの熱狂とは裏腹に、視聴率は決して高いわけではなかったため、正直言って、番組ファンもいつ誰かの逆鱗に触れて終わってもおかしくないと思っていた。  そして、2012年1月。ついに終了が発表された。  その“大役”を結果的に担ったのが、ベン・ジョンソンだったのだ。230メートル先の本殿を目指して一斉に男たちが走りだし、先着3名だけが「福男」の称号を得られ、「福」が訪れるという「福男選び」。  番組では「福男チャンス」と題して、山田勝己、ダンテ・カーヴァー、そしてベン・ジョンソンという3人の刺客を「福男選び」に送り込んだ。クイズ優勝チームが賞品獲得を懸けて、誰が「福男」になるかを当てるクイズ企画だった。  しかし、あえなく3人は「福男」となることができなかった。 「3人のふがいない走りにより、2012年の『タレント名鑑』に福が舞い込むことはなかった」  そんなナレーションとともに、『タレント名鑑』の終了が発表されたのだ。 「ベン・ジョンソンのせいで……」 というテロップ付きで。 「打ち切り」の発表にまで、笑いと悪意をねじ込む徹底っぷり。そこに『タレント名鑑』の神髄があった。  だから、復活スペシャルのオープニングは、ベン・ジョンソンでなければならなかったのだ。  こうした『タレント名鑑』や、終了から復活までの4年間で藤井が手掛けた『テベ・コンヒーロ』や『Kiss My Fake』などから継承された“ネタ”が、本編でも随所に登場。もちろんこれらは、長く番組を見れば見るほど気づき、楽しめるものだ。だが、それに気づかなくても、ちゃんと面白い。  藤井は自著『悪意とこだわりの演出術』(双葉社)の中で「『わからなくても成立するけど、わかったらもっと面白い』要素がありつつ、その中に引用やオマージュが多く入っているのが僕の作りの好み」と書いている。また、「気づかなくても楽しめるけど、気づけば気づいた人にだけ楽しめるモノを用意しておく。そんな奥行きのようなモノを少し意識しています」とも明かしている。 『スター名鑑』は、まさにその「奥行き」が深い番組だ。  今のバラエティ番組の主流は、“親切さ”最優先。「ながら見」でも途中から見ても、視聴者が理解できるようにきめ細かい工夫がされている。もちろん、それは視聴者を楽しませるという観点でも、視聴率を獲るという観点でも正しいアプローチだろう。  だが、そればかりではつまらない。  毎週見ていないと置いていかれるから、食い入るように見る。そんな番組こそ、僕たちは見たいのだ。ベン・ジョンソンが福男にリベンジしても、早坂好恵の名前がやたら出てきても、ボビー・オロゴンが米俵を抱えて走っても、クイズなのに「予約」がある、意味不明なシステムがあっても、視聴率は上がらないだろう。犯罪者や前科者の名前が頻出したり、気まずい空気の不穏で怖い映像を流しても、クレームのリスクが高まるだけかもしれない。だけど、ここでしか味わえない面白さがあふれている。  本来、バラエティ番組は、「面白さ」こそが最優先されるべきものだったはずだ。視聴率的には“負け戦”かもしれない。けれど、だからこそ「面白さ」だけを追求するのが『スター名鑑』の戦い方だ。  終了から4年半。前フリは十分すぎるほど効いている。  いよいよ、面白いだけの“クソ番組”が帰ってきた! (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

てれびのスキマ×太田省一特別対談「芸人はなぜ、“最強”になったのか?」

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太田省一氏(左)とてれびのスキマこと戸部田誠氏(右)
 日テレ『スッキリ!!』加藤浩次、フジ『ノンストップ!』設楽統、あるいは、日テレ『Going! Sports&News』上田晋也など、いまや芸人が情報番組やスポーツ番組の“顔”を務めることは珍しくなくなった。テレビだけではない。政治、文学、芸術などの分野においても、どこもかしこも芸人、芸人、芸人だらけ。一体、いつからこんなことになったんだっけ?  そんな芸人“最強”時代を、『中居正広という生き方』(青弓社)の著者である社会学者・太田省一氏が、戦後の日本人の深層心理と芸能史からひもとく『芸人最強社会ニッポン』(朝日新聞出版社)を上梓した。高度経済成長とともに育まれた「テレビ文化」と「芸人」の切っても切れない関係に、テレビっ子ライター・てれびのスキマが迫る! *** てれびのスキマ(以下、スキマ) 「どこもかしこも芸人だらけ!」という帯が、見事に現在のテレビを表していますが、『芸人最強社会ニッポン』では、「芸人万能社会」という言葉が重要なキーワードになっていますね。 太田省一(以下、太田) 歴史をさかのぼると、80年代のビートたけし、タモリ、明石家さんまの「お笑いBIG3」の登場がターニングポイントとなって、芸人は憧れの職業のひとつになっていきました。たけしさんたちが、お笑いが知的で誰にでもできるものではないということを啓蒙していった結果もあって、芸人が尊敬の対象となり、地位が上がっていった。  それが前提にあって、芸人がお笑いの分野に限らず、活躍し始めました。それまでも音楽や演技の分野に芸人が出ていくことはあったんですが、そういう場合、芸人をやめて、そちらの分野に行ってしまうことが多かった。だけど、たけしさん以降、芸人をベースにしたまま、他ジャンルに出ていくのが普通になりました。むしろ、芸人であるっていうことが、すごく価値を持つようになった。それが、90年代から現在に至る中で拡大していったように僕には見えたんですね。芸人であることや芸人が持っているスキルが、なんにでも応用できてしまう。それが「芸人万能社会」です。 スキマ かつては、芸人が他ジャンルに行くと「芸人のくせに」って言われてましたけど、今は当たり前すぎて、ギャグ以外でそんなこと言う人はいませんもんね。この本で、ちょっと意表を突かれたのは、日本が「笑いを中心にしたコミュニケーションを重視している社会」だという指摘です。言われてみれば確かにそうなんですが、とかく「日本人は真面目で勤勉」で、コミュニケーションは苦手と言われることが多いですよね。 太田 それは、今回強調しておきたかった部分ですね。戦後の歴史を大きく捉えつつ、芸人さんがどういうポジションにいたかを見ていくというのが、本書のコンセプトのひとつでした。「日本人は真面目で勤勉」というイメージは、直接的にはおそらく高度経済成長期に出来上がったものだと思うんです。戦争に負けて、そこからなんとか豊かな社会を作ろうと、国民が一致団結した。そのためには真面目に働くしかないし、実際にそれが豊かさとして自分に返ってきた。そのひとつがテレビです。高度経済成長が文化として何をもたらしたかといえば、やっぱりテレビなんです。そして、テレビからわれわれが受け取った一番大きなものが、「お笑い」だと思うんです。 スキマ 欽ちゃん(萩本欽一)や、ザ・ドリフターズですね。 太田 僕は1960年生まれですけど、彼らの登場で大きく変わったような感覚がありました。社会の真面目な雰囲気を感じつつ、実はテレビで不真面目なものばっかり見ていた(笑)。だから、僕らの世代が社会の中心になったとき、みんな不真面目というか、そういうものが好きな人たちばかりだったんです。僕らはずっと、「面白い人」になりたいと思っていた。人を笑わせられる人になりたいって感覚は、ごく自然なものでした。だから、「BIG3」が出てきたのは、時代的な必然だったんだと思います。 スキマ 「楽しくなければテレビじゃない」といった、おもしろ至上主義的な価値観は、テレビの中だけではなかったということですね。
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太田 お笑いこそ至高、みたいな考え方は、世代的に染み付いていますね。でも今、その時代がある意味、ひと巡りしたというか、時代が変わりつつあることを、この本を書く中で感じました。世の中の雰囲気が、テレビに対して冷ややかになっている部分がありますよね。80年代くらいからテレビでやっていたバラエティ的なお笑いの世界は衰えていないけど、それを世間が一緒になって面白がる熱気がなくなってきましたよね。 スキマ そのことは、本書でも「内輪受け社会」という言葉を使って説明されていますが、かつては、世間がテレビの内輪に入り込んでいた。だから少々、ムチャをやっても許されていた。けれど、今は外側から常識的な目で判断され、ちょっとしたことでクレームなどにつながってしまっているように感じます。 太田 そうですね。内輪みたいなものがピークだったのは、フジテレビの『27時間テレビ』で、さんまさんの愛車破壊をやった頃だと思います。間違いなく、今やったら大バッシングでしょう。でも、当時僕らは、あれに熱狂したわけですよね。実際には参加していないわけですけど、一緒に見ているというだけで、参加している気分になった。 スキマ 自分がやっているわけでもないのに、なんだか誇らしくなったりしてましたよね(笑)。 太田 バブル崩壊以降、一致団結していたみんなが、一人ひとりになった感覚が強まったと思うんです。そうした中で、そういうものに乗れない人たちがたくさん出てきた。それはテレビとの関係だけではなく、人と人との関係もそうで、それまで総中流意識の中で、以心伝心で自然とコミュニケーションが成立するというのが日本の社会だったんです。けれど、90年代から現在に近づけば近づくほど、格差が広がり、コミュニケーションは自分で身に付け、鍛えなければいけないものになった。そうすると、芸人さんはそれまでとは別の意味で、ある種のお手本になっていく。過酷になっていく日本の社会の中で生きていくには、コミュニケーション力が必要不可欠になる。ふと、われわれの周囲を見渡したときに、それを一番うまくやっているのは芸人さんだったんです。 スキマ 確かに。言われてみればそうですね。象徴的な芸人って、誰ですか? 太田 一番わかりやすいところでいえば、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さん。人を話術とかで動かしながら、自分の望むような結果に持っていけるような“コミュニケーションの達人”としての芸人という側面がクローズアップされだしたんです。それは、私たちの日常と近いところで芸人を捉えているっていうことですよね。 スキマ 太田さんは『中居正広という生き方』(青弓社)などを書かれている通り、アイドルにも深い造詣をお持ちですが、そうした芸人の側面は、SMAPのようなアイドルに関しても通ずる部分があるのではないですか? 太田 アイドルはまだ、ライブやコンサート、いわゆる「現場」の比重がすごく高いんですが、SMAPはその中でも別格だと思うんです。テレビにあそこまでフィットして、テレビの歴史を作ったという存在は、アイドルには今までいなかったし、これから出てくるのも難しいと思いますね。ある種、特殊なケースだと思います。  僕は、テレビの本質って「バラエティ」だと思うんですよ。つまり、いろんなジャンルがあるわけだけど、ジャンルがないジャンルっていうのがバラエティ。最終的に、なんでもありになっていくんです。なんでも受け入れるし、なんでもできるっていう楽しさがある。アイドルにしても芸人にしても、バラエティという、なんでもありな空間に入っていくことは必然で、SMAPがテレビを通じてそういう存在になっていったっていうのは、大げさにいえば、戦後日本における大衆的な娯楽とか文化の世界におけるひとつの完成形なんだと思います。
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スキマ 僕がいま、すごく象徴的だと思うのは、女子高生を中心とした若い世代に、出川哲朗さんやNON STYLEの井上さん、トレンディエンジェルの斎藤さんとかが、すごく人気があることなんです。いわゆる「気持ち悪い」とか「ブサイク」とか見た目の部分でネガティブな評価を受けがちな人たちが、これほどまとまって支持されたことって、歴史的に見てもあまりないんじゃないかと思うんです。実際、出川さんなんかは、かつて女性たちには本当に嫌われていましたから。彼らに共通するのは、ブレないポジティブさですよね。 太田 「コミュ力が高い」「コミュ障」っていう言い方がありますけど、当然、コミュ力が高い人たちばかりじゃない。そういった人たちにとって、いまスキマさんが挙げた人たちは、救いになっている。女性から見ればネガティブに受け取られる特徴を持った人たちっていうのが、お笑いの中でポジティブな輝きを持つことがある。そういうことを、僕らは日々、目撃してるわけじゃないですか。それって、冷静に考えるとすごいことだと思うんですよね。彼らに人気があるのは、女子中高生たちが、空気を読むコミュニケーションばかりが重視される今の時代に、生きにくさを感じているからかもしれないですね。 スキマ さまざまなジャンルに芸人さんが進出し、支持されている一方で、芸人の本業ともいえる漫才やコントなどのネタがなかなかテレビではできない状況があります。これは、芸人さんたちにとって不幸な状況だと思いますか? 太田 テレビに関しては、芸人にとって不幸なのかそうじゃないのかっていうのは、難しいところだと思いますね。今、テレビでネタは世に出るきっかけのひとつになってしまって、それだけで生きていくのが難しいというのは不幸なことかもしれませんね。でも、「バラエティこそ、テレビだ」って考え方からいくと、ネタももちろん笑いのひとつなんですけど、それだけではない。テレビで何が面白いかっていうと、それまでの常識を壊すことだと思うんです。それは別に、ネタじゃなくてもいいわけですよ。 スキマ なるほど。では、このような「芸人万能社会」は、これからも続くと思いますか? 太田 芸人が巧みなコミュニケーションのお手本だけなら、長く続かない。けれど、コミュニケーションがうまくない人だってこんなに面白いし、魅力的じゃないかというのを示してくれるのも、今の芸人さんだと思うんですよね。また、『万年B組ヒムケン先生』(TBS系)のように、空気を読むとか気にせずに、そこに存在するだけでいいんだと肯定してくれるような番組もある。芸人は、あらゆる人のロールモデルになっていると思うんです。今回、『芸人最強社会ニッポン』とタイトルをつけましたけど、その「最強」というのは、単に勝ち負けの強者という意味ではなくて、芸人こそがわれわれにとって助けになってくれる、救いになってくれるような“強さ”を持っている存在だっていう意味合いもあるんです。テレビの持っていた自由さが、ここまでのバリエーション豊かな文化を可能にした。笑いは、生きた文化なんです。だから、これからもなくならないと思いますね。 ●おおた・しょういち 1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなど、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』『アイドル進化論-南沙織から初音ミク、AKB48まで-』(筑摩書房)、『社会は笑う・増補版-ボケとツッコミの人間関係-』『中居正広という生き方』(青弓社)など。 ●てれびのスキマ(戸部田誠) 1978年、福島県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛するテレビっ子ライター。2015年にいわき市より上京。著作に『タモリ学』(イースト・プレス)、『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか』『コントに捧げた内村光良の怒り』(コアマガジン)、『1989年のテレビっ子』(双葉社)。当サイトにて「テレビ裏ガイド」を連載中。

地獄のような空気が漂う『水曜日のダウソタウソ』に見る、藤井健太郎「地獄の軍団」の真髄

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『水曜日のダウンタウン』TBSテレビ
「若林は、歌ヘタくそやもんね」 「そうなんですよ、すごい透明感あるなと思って。隣に“奇跡の歌声”いますからね」  そうオードリー若林正恭が振ると、すかさずハリセンボン近藤春菜がお決まりのフレーズを言う。 「いや、スーザン・ボイルじゃねーわ!」  さらに、宮川大輔が「あれ、ギターは?」と追随。 「いや、サンボマスターでもねーわ!」  そのやりとりに「あははは」と笑う浜田雅功。あえてキョトン顔をする松本人志。  そして、松本が口を開く。 「浜田のそっくりさんが、浜田の嫁に電話するとかはどう? 『こいつ、女いるで』って」 「やめろ! そこは……そこはアカン言うてるやろ!」  すごむ浜田に、松本が「よかった、この距離で」と、大げさにおびえる。その姿に、浜田が「ニャハハハ」と笑う。  文字で見ると、よく見る鉄板のやりとりだ。  だが、実際の映像では、猛烈に違和感がある。“間”がなんだかおかしく、流れが悪いから、地獄のような空気が漂っている。  なぜなら、それを演じているのがすべて、モノマネ芸人だからだ。  これは、9月21日放送の『水曜日のダウソタウソ』(TBS系)の一幕。『水曜日のダウンタウン』ではない。「ダウソタウソ」だ。ラテ欄には「今日は『水曜日のダウンタウン』は休止で……『水曜日のダウソタウソ』をお送りします」とある。番組名が変わっているので、録画機によっては毎週録画の設定も解除されてしまう。総合演出・藤井健太郎率いる「地獄の軍団」(番組で、出演者らにそう呼ばれている)は、視聴者を、いや録画機までも混乱に陥れる“いたずら”を仕掛けてきたのだ。  司会はもちろん、ダウンタウンのそっくりさんのダウソタウソ。プレゼンターには、宮川大輔のそっくりさんの宮川大好。パネラーには、若林や近藤、キャイ~ンウド鈴木、そして松田聖子のそっくりさんが並ぶ。オープニング曲なども、なんだかいつもとテンポや曲調がアレンジされている(ちなみに音楽担当はPUNPEE「パンピー」だが、今回のエンドロールではちゃんと「パソピー」とクレジットされていた。細かい!)。番組のロゴも、ちょっとだけ変わっている。  番組全体に、絶妙なパチもん感が漂っている。喩えるなら、中国のディズニーランドそっくりなテーマパーク「石景山遊楽園」を見ているときの居心地の悪さだ。  番組の流れは“本家”と同じ。プレゼンターがある“説”を提唱し、それをVTRで検証する。  この日、宮川大好が提唱した説は「水曜日のダウンタウン モノマネ芸人に頼りすぎ説」である。  そこから、検証VTRとして、「有名人の身内 気をつけないと悪いモノマネ芸人に オレオレ詐欺でだまされる説」「野球モノマネ芸人 リアルにバッティングうまい説」「歌うま外国人なら日本人アーティストのモノマネもうまい説」、そして謎の感動を呼ぶ名作「ものまねショーに本人がそっくりさんとして出ても、意外と気づかれない説」など、過去に『水曜日のダウンタウン』でモノマネ芸人が登場した説を振り返っていく。  もう、お気づきだろう。    これは、説立証に見せかけた『水曜日のダウンタウン』の総集編である。  番組改編期などには、多くのバラエティ番組が総集編を放送する。出演者やスタッフを休ませる、という意味合いもあるのだろう。だから、普通の番組であれば、ただ過去のVTRを再編集して流すだけだ。気の利いた番組でも、それに出演者のコメントを挟んだり、後日談を挿入したりする程度だろう。  総集編である以上、その番組の中で面白かったシーンがまとめられているので、一定の面白さは保証される。視聴者としても、見逃した面白いシーンを見られるというメリットがあるから、そういうもんだと思って別に文句は言わない。  だが、『水曜日のダウンタウン』は、ただの総集編で終わらせようとはしないのだ。それは、今回に限らない。  たとえば、同局の人気番組『ランク王国』とコラボレーションし、ダウンタウンがパジャマ姿で『ランク王国』の看板キャラ「ラルフ」と“共演”。お決まりのフレーズで、VTRフリなどを行ったりもした(ちなみに番組では、それ以前に「ランク王国のテーマどうでもよすぎる説」を提唱し、番組をイジっている)。  また、別の回では「パー子の笑い声を足したらVTR3割増しで面白くなる説」を提唱。「ロメロスペシャル相手の協力なくして成立しない説」や「大友康平普通にも歌える説」などの、過去の名作VTRに林家パー子のあの笑い声を足すという暴挙。途中から、その笑い声にも、ある仕掛けがあったことが明かされるという遊びまで。確かに、3割増しに、というか、別の意味でも面白いVTRに仕上がっていた。  前述のように、総集編なんて手を抜こうと思えばいくらでも手を抜ける。だが、逆に工夫をしようと思えばいくらでも工夫できてしまうものだ。でも、そんな工夫、普通の番組はやらない。やらなくてもいいことだからだ。けれど、普通はやらないからこそ、それをやったら目立つ。ほかの番組との差別化ができる。  思えば『水曜日のダウンタウン』は、いつもそういったこだわりが細部まで行き届いている番組だ。隙あらば、ふざけてやろう。それも、ほかの番組とは違う切り口で、と。  それこそが、「地獄の軍団」と呼ばれる藤井健太郎チームの真髄だ。  そうした番組の精神が総集編にも、いや総集編だからこそ如実に表れているのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

千原ジュニア、ロバートが自らのネタを種明かし! 過酷な芸人サバイバル『笑けずり』が“けずる”もの

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NHK『笑けずり シーズン2 ~コント編~』
 マッチョな美容師が、客にポイントカードを渡す。が、そのカードがめちゃくちゃ重い。そんなボケを駆使した若手コンビ「あがすけ」のコントを見た時、千原ジュニアはこう評した。 「最後にポイントカードを彼(美容師役のタツキ)がまあまあ重そうに出したとき、そこでネタ作ってるのはこっち(客役の吉村)なんやってわかりました。あそこは、普通に出したほうがいい」  確かによく見ると、タツキは若干だが、重そうにポイントカードを差し出した。重いはずのないものがめちゃくちゃ重いというボケなのだから、そこは一瞬でもそんなそぶりを見せると、ボケが台無しになってしまう。  ネタを書いて理解していれば、そんな演技はしないはずと、そのちょっとした動作ひとつでジュニアは看破してしまったのだ。  吉村も「(ジュニアに)すべて読まれている感じがしました」と、驚きを隠せなかった。  これは、「日本一面白い無名芸人」を決めるという触れ込みの『笑けずり』(NHK BSプレミアム)の一幕。『笑けずり』は昨年、第1弾が放送され、今年9月から第2弾が始まった。第1弾は漫才師9組がしのぎを削ったが、今回は「コント師」編である。  富士山の麓のペンションにオーディションで選ばれた若手芸人たちが集まり、合宿。そこで一流の芸人たちの講義を聞いた上で新ネタを披露し、その都度、順位が発表されていく。そして最下位になった芸人が脱落、つまり「けずられる」という、若手芸人のサバイバル成長記を描くリアリティーショーだ。  第1弾の優勝者である「ザ・パーフェクト」のピンボケたろうは、いまや『あさイチ』(NHK総合)のコーナー「ピカピカ☆日本」の生中継レポーターとしてレギュラー出演を果たしている。また、ファイナル進出者である女性コンビ「Aマッソ」は、その独特な世界観が注目され、ライブはもちろん、テレビのネタ番組などにも数多く出演し、ファンを増やしている。同じくファイナルに出演した「ぺこぱ」も、松陰寺太勇の強烈なキャラクターを武器に『有田ジェネレーション』(TBS系)などの番組に出演し、インパクトを残している。  一方、合宿に参加した9組のうち、合宿終了からわずか1年で半数近い4組がコンビを解散したという厳しい現実もある。  いま、若手芸人は飽和状態。「若手」と呼ばれる年齢も、どんどん高齢化しているのが現状だ。ライブでは実力が認められ、確かな人気があって名が通っていても、テレビでは「無名」と言われてしまうような存在がゴロゴロいる。  そんな中で、20代を中心とした文字通りの「若手」で「無名」なコンビを集めたのが『笑けずり』なのだ。  もちろん、この番組の見どころのひとつは、若手芸人の成長ドキュメントである。だが、それと同じくらい、いや、それ以上に大きな見どころになっているのは、講師役の一流芸人たちの講義だ。  第1弾では中川家、笑い飯、千鳥、サンドウィッチマンといった、一流の漫才師が参加。今回も、ロバート、シソンヌ、サンドウィッチマン、そして千原ジュニアらが講師として登場するようだ。  そこで彼らは、「ここまで明かしてしまっていいの?」と、見ているこちらが心配になってしまうほど、自分たちのネタを“教材”にして、具体的なネタの作り方から、その工夫の仕方、考え方までを解説してくれるのだ。もちろん、若手芸人たちにとってあまりにも勉強になるものだが、それは視聴者にとっても同じだ。  今まで気づかなかったポイントや、こんなところまで考えているのかというこだわりを知ることで、漫才やコントを見る際、新たな視点を持つことができるようになるのだ。  よく、笑いを解説するのは野暮だとか言われることもある。そんなことをしたら、笑えなくなってしまうと。だが、そんなのはウソだ。彼らの解説を聞くことで、より漫才やコントを多角的に見ることができる。その結果、笑いのポイントがそれだけ増えていく。だから、より一層笑える。  そのことは、この『笑けずり』が証明しているのだ。    第1回では、オーディションに合格した8組が集合。……のはずが、さらにもう8組登場。この16組から本当の8組に「けずられる」最終オーディションが行われた。  そして第2回、いよいよ1組目の講師としてロバートが登場。ロバートは事前に「今まで誰も見たことがないオリジナルの遊びやゲームを3つ作る」という宿題を芸人たちに課した。  授業のテーマは「引きずり込み力」。  コントは通常、その世界に観客を引き込むのに時間がかかってしまう。漫才と比べ、状況を説明しづらいからだ。だから、いかに早くコントに客を引きずり込むことができるかが重要だ。ロバートのコントは、それこそが最大の武器である。「何、この遊び?」と客を驚かせて引きずり込むことが多い。実際、ロバートは自分たちがやる「遊び」から、ネタに化けることが多いという。だから、「オリジナルの遊びやゲーム」を作るように課したのだ。  彼らは「オリジナル」であることも重視する。 「なんか見たことあるなとか、ちょっとカブってるんじゃないかとか連想させると、もったいない」  ここで秋山は、「ダメ」ではなく「もったいない」という表現を使った。また、実際に真似かどうかはともかく、客に「連想させる」こと自体が「もったいない」と。  つまり、過去のネタに似ていると見ている側が気づくと、どんなに面白くても、そのフィルターがかかってしまって損をする。だから気をつけたほうがいいと、単にダメと言うわけではなく、その理由までを端的に語っているのだ。  実際、今回ロバートによって「けずられた」のは、「動きとかセットとかの言葉のチョイスとか、これまであったようなにおいがするんですよ。それがあった瞬間に、急に損する」と評された「レイトブルーマー」だった。  彼らはネタ作りのシーンでも、コンビ間で衝突。細かな動きにこだわって、ネタ全体を覚えようとしない相方に、かにが不満をぶちまけていた。まだコンビ歴わずか3カ月。無理もない。  ジュニアが審査前に「こういう時に言われた一言って、いまだに覚えてますから。僕も25年前にある人に言われたこととか、先輩の一言とか、全部覚えてますんで、(みなさんには)非常に丁寧にお話ししたいと思います」と語っている通り、先輩芸人たちの一言一言は、彼らの血肉となっていくだろう。 『笑けずり』で「けずられる」のは、芸人自身だけではない。彼らは、過酷な状況の中で、必要以上のプライドや先入観をけずられ、自らを見直し、変わっていく。また視聴者である僕らも、それまで死角で見えなかった部分がけずられ、芸人たちへの見方が広がっていくのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

千原ジュニア、ロバートが自らのネタを種明かし! 過酷な芸人サバイバル『笑けずり』が“けずる”もの

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NHK『笑けずり シーズン2 ~コント編~』
 マッチョな美容師が、客にポイントカードを渡す。が、そのカードがめちゃくちゃ重い。そんなボケを駆使した若手コンビ「あがすけ」のコントを見た時、千原ジュニアはこう評した。 「最後にポイントカードを彼(美容師役のタツキ)がまあまあ重そうに出したとき、そこでネタ作ってるのはこっち(客役の吉村)なんやってわかりました。あそこは、普通に出したほうがいい」  確かによく見ると、タツキは若干だが、重そうにポイントカードを差し出した。重いはずのないものがめちゃくちゃ重いというボケなのだから、そこは一瞬でもそんなそぶりを見せると、ボケが台無しになってしまう。  ネタを書いて理解していれば、そんな演技はしないはずと、そのちょっとした動作ひとつでジュニアは看破してしまったのだ。  吉村も「(ジュニアに)すべて読まれている感じがしました」と、驚きを隠せなかった。  これは、「日本一面白い無名芸人」を決めるという触れ込みの『笑けずり』(NHK BSプレミアム)の一幕。『笑けずり』は昨年、第1弾が放送され、今年9月から第2弾が始まった。第1弾は漫才師9組がしのぎを削ったが、今回は「コント師」編である。  富士山の麓のペンションにオーディションで選ばれた若手芸人たちが集まり、合宿。そこで一流の芸人たちの講義を聞いた上で新ネタを披露し、その都度、順位が発表されていく。そして最下位になった芸人が脱落、つまり「けずられる」という、若手芸人のサバイバル成長記を描くリアリティーショーだ。  第1弾の優勝者である「ザ・パーフェクト」のピンボケたろうは、いまや『あさイチ』(NHK総合)のコーナー「ピカピカ☆日本」の生中継レポーターとしてレギュラー出演を果たしている。また、ファイナル進出者である女性コンビ「Aマッソ」は、その独特な世界観が注目され、ライブはもちろん、テレビのネタ番組などにも数多く出演し、ファンを増やしている。同じくファイナルに出演した「ぺこぱ」も、松陰寺太勇の強烈なキャラクターを武器に『有田ジェネレーション』(TBS系)などの番組に出演し、インパクトを残している。  一方、合宿に参加した9組のうち、合宿終了からわずか1年で半数近い4組がコンビを解散したという厳しい現実もある。  いま、若手芸人は飽和状態。「若手」と呼ばれる年齢も、どんどん高齢化しているのが現状だ。ライブでは実力が認められ、確かな人気があって名が通っていても、テレビでは「無名」と言われてしまうような存在がゴロゴロいる。  そんな中で、20代を中心とした文字通りの「若手」で「無名」なコンビを集めたのが『笑けずり』なのだ。  もちろん、この番組の見どころのひとつは、若手芸人の成長ドキュメントである。だが、それと同じくらい、いや、それ以上に大きな見どころになっているのは、講師役の一流芸人たちの講義だ。  第1弾では中川家、笑い飯、千鳥、サンドウィッチマンといった、一流の漫才師が参加。今回も、ロバート、シソンヌ、サンドウィッチマン、そして千原ジュニアらが講師として登場するようだ。  そこで彼らは、「ここまで明かしてしまっていいの?」と、見ているこちらが心配になってしまうほど、自分たちのネタを“教材”にして、具体的なネタの作り方から、その工夫の仕方、考え方までを解説してくれるのだ。もちろん、若手芸人たちにとってあまりにも勉強になるものだが、それは視聴者にとっても同じだ。  今まで気づかなかったポイントや、こんなところまで考えているのかというこだわりを知ることで、漫才やコントを見る際、新たな視点を持つことができるようになるのだ。  よく、笑いを解説するのは野暮だとか言われることもある。そんなことをしたら、笑えなくなってしまうと。だが、そんなのはウソだ。彼らの解説を聞くことで、より漫才やコントを多角的に見ることができる。その結果、笑いのポイントがそれだけ増えていく。だから、より一層笑える。  そのことは、この『笑けずり』が証明しているのだ。    第1回では、オーディションに合格した8組が集合。……のはずが、さらにもう8組登場。この16組から本当の8組に「けずられる」最終オーディションが行われた。  そして第2回、いよいよ1組目の講師としてロバートが登場。ロバートは事前に「今まで誰も見たことがないオリジナルの遊びやゲームを3つ作る」という宿題を芸人たちに課した。  授業のテーマは「引きずり込み力」。  コントは通常、その世界に観客を引き込むのに時間がかかってしまう。漫才と比べ、状況を説明しづらいからだ。だから、いかに早くコントに客を引きずり込むことができるかが重要だ。ロバートのコントは、それこそが最大の武器である。「何、この遊び?」と客を驚かせて引きずり込むことが多い。実際、ロバートは自分たちがやる「遊び」から、ネタに化けることが多いという。だから、「オリジナルの遊びやゲーム」を作るように課したのだ。  彼らは「オリジナル」であることも重視する。 「なんか見たことあるなとか、ちょっとカブってるんじゃないかとか連想させると、もったいない」  ここで秋山は、「ダメ」ではなく「もったいない」という表現を使った。また、実際に真似かどうかはともかく、客に「連想させる」こと自体が「もったいない」と。  つまり、過去のネタに似ていると見ている側が気づくと、どんなに面白くても、そのフィルターがかかってしまって損をする。だから気をつけたほうがいいと、単にダメと言うわけではなく、その理由までを端的に語っているのだ。  実際、今回ロバートによって「けずられた」のは、「動きとかセットとかの言葉のチョイスとか、これまであったようなにおいがするんですよ。それがあった瞬間に、急に損する」と評された「レイトブルーマー」だった。  彼らはネタ作りのシーンでも、コンビ間で衝突。細かな動きにこだわって、ネタ全体を覚えようとしない相方に、かにが不満をぶちまけていた。まだコンビ歴わずか3カ月。無理もない。  ジュニアが審査前に「こういう時に言われた一言って、いまだに覚えてますから。僕も25年前にある人に言われたこととか、先輩の一言とか、全部覚えてますんで、(みなさんには)非常に丁寧にお話ししたいと思います」と語っている通り、先輩芸人たちの一言一言は、彼らの血肉となっていくだろう。 『笑けずり』で「けずられる」のは、芸人自身だけではない。彼らは、過酷な状況の中で、必要以上のプライドや先入観をけずられ、自らを見直し、変わっていく。また視聴者である僕らも、それまで死角で見えなかった部分がけずられ、芸人たちへの見方が広がっていくのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

感動は障害者を救えない? NHK『バリバラ』の挑戦

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NHK『バリバラ』
 画面に大きく「24」という文字。黄色い背景に地球が描かれたロゴが大写しになって、番組が始まった。  日本テレビの『24時間テレビ』ではない。NHK・Eテレの『バリバラ』である。「笑いは地球を救う」と書かれた、黄色いTシャツを着た出演者たちが今回テーマにしたのは「検証!<障害者×感動>の方程式」。障害者を感動的に扱うことの多い『24時間テレビ』の真裏でこのテーマを生放送でやるという、かなり挑発的な企画だ。 『バリバラ』は、出演者のほとんどが、なんらかの障害を持った人たち。これまでも『バリバラ』は挑戦的ともいえる放送を行ってきた。たとえば、7月26日未明に起きた相模原障害者殺傷事件を受け、いち早く「緊急企画 障害者殺傷事件を考える」を放送。当事者である彼らが意見をぶつけ合った。こうした社会的な問題を扱う一方、同じ熱量で「SHOW-1グランプリ」といった企画も行う。「マイノリティーのお笑い日本一を決める」というコンセプトを掲げ、障害者たちがお笑いのネタで競うのだ(これは、6年前の2010年から続いている人気企画だ)。ちなみに今回の放送で、なんの説明もなくカッパ姿で後方に見切れていたのは、「SHOW-1グランプリ」出場者でもある「あそどっぐ」だ。  これまでテレビは、障害者で笑うのはタブーだった。だが、彼らは自らの障害を“ネタ”にして笑いを取っている。視聴者の側からすると、「不謹慎」などと言いたくもなるのかもしれない。けれど、演じている人は真剣で楽しんでいる。そして実際、面白い。  彼らは、口をそろえて言うのだ。 「感動するな、笑ってくれ!」と。  番組では冒頭、世界的に大きな話題を呼んだ、骨形成不全症であるステラ・ヤングの「スピーチを紹介。 「手がない女の子が口にペンをくわえて絵を描く姿」「カーボンファイバーの義肢で走る子ども」など、障害者が自らの障害に負けず懸命に立ち向かっている姿を見て感動する。だが、その感動の中に「自分の人生は最悪だけど、下には下がいる。彼らよりはマシ」という視点があるのではないかとステラは指摘する。障害者は健常者に勇気や感動を与えるための道具、すなわち「感動ポルノ」になっているというのだ。  テレビは障害者を感動的に描いてきた。それは『24時間テレビ』に限らず、『バリバラ』を放送しているNHKも例外ではない。  番組では、その歴史をNHKのアーカイブから紹介。1950年代、障害者は「不幸でかわいそうな存在」として描かれていたという。そして81年の「国際障害者年」には、数多くの関連番組を制作。障害者の社会参加が謳われ、けなげで頑張る障害者のイメージが作られていった。その結果、生まれたのが「感動ポルノ」だ。  それでは、具体的に「感動ポルノ」とはどんな番組だろうか? 『バリバラ』では、元柔道五輪代表候補で多発性硬化症の大橋グレースを主人公に「感動ドキュメンタリー『難病なんかに負けない!~これが私の生きる道~』」と題した「感動ポルノ」のパロディを制作。  ストーリーは、「大変な日常」「過去の栄光」「悲劇」「 仲間の支え」「いつでもポジティブ」という5つの“感動へのステップ”に沿って描かれる。  その間、たとえば、グレースは口からご飯を食べることができないため、胃に開けた穴にパイプを差し込み直接栄養を摂っているのだが、そこで「大変ですね」と問うスタッフに対し、グレースは表情も変えず「いや、意外と食べる手間も作る手間も省けるので、そんなことはないですけどね」と返答。だが、スタッフは「いや、そこは大変な感じでいきましょう」などとたたみかけるが、感動ポルノではグレースのこういったコメントは「放送されない部分」だと、テロップ解説が入る。  イギリスでは、こうした障害者を一面的に描く番組に対して抗議運動が始まり、90年代後半に公共放送BBCは「障害者を“勇敢なヒーロー”や“憐れむべき犠牲者”として描くことは侮辱につながる」とするガイドラインを定めたという。  司会の山本シュウは言う。 「誤解してほしくないのは、感動は悪くないんですよ。感動の種類をちゃんとわかってないと怖い」 「一番怖いのは無意識」  ちなみにグレースは、本家『24時間テレビ』にも出演。やはり前述の「感動へのステップ」をなぞるような「死も考える、苦しみ抜いた過去があった」といった感動調のVTRではあったが、ほかの多くのVTRとは一味違っていた。 『世界の果てまでイッテQ!』などで体を張っている森三中・大島が好きという彼女は、同じく『イッテQ!』に出演するNEWSの手越祐也と3人でパンスト相撲に興じ、「水かつらアート」「スローモーションアート」といった、番組名物企画に挑戦。笑いのあふれるものだった。  大島から「すごく面白かった」と言われたグレースは、笑顔で「面白いって言葉が一番うれしい」と返した上でこう語った。 「お笑いやりたいとか、体を張るのが好きな障害者もいるんだっていうのがわかってもらえたら、お互いの壁みたいなのがなくなって、私の生きる道につながっていく」 『バリバラ』が本当にやりたかったのは、単なる『24時間テレビ』批判ではないだろう。打開すべきは障害者を無視し、ないことにしているテレビ全体だ。ドラマはもちろん、バラエティにも『24時間テレビ』などの例外を除いて、障害者たちが出ることはほとんどない。たとえ出ていたとしても、そこには“障害者である”という「意味」が必ず生じるし、そうでなければ「なぜ障害者?」と問われてしまう。障害者は、普通のイチ出演者としては扱われないのだ。  特別なことではなく、障害者も健常者も多様性のある普通の人間のひとりとして一緒に笑い、一緒に泣く。それこそが「感動ポルノ」に陥らない道なのだ。最後に山本シュウは、出演者たちに問いかけた。 「裏の番組からオファーを受けたら、出るという人?」  全員が「はーい!」と高らかに手を挙げた。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから