
『久保みねヒャダ こじらせナイト』フジテレビ
「『笑っていいとも!』が生んだ最後のスター(笑)」
久保ミツロウは時折、そんなふうに「(笑)」付きで呼ばれることがあるが、「(笑)」を取ってしまいたくなるくらい、久保は親友の能町みね子とともにテレビ界で快進撃を続けている。
「破滅の始まりですよ。始まりってことはどこで終わるか、虎視眈々と見てるわけでしょ」
「堕ちた時に何言われるだろうなってことばかり考えますね」
番組初回からそんな後ろ向きな言葉から始まったのが、漫画家の久保ミツロウ、能町みね子、音楽プロデューサーのヒャダインによる『久保みねヒャダこじらせナイト』(毎週土曜日25:35~25:55、フジテレビ系)だ。もともとは、久保とヒャダインで2012年12月から不定期に放送されていた番組に能町が加わり、13年10月からレギュラー化したものだ。3人が生み出す“いい違和感”は視聴者の人気を集め、元旦には『明けましてこじらせナイト』という特番が組まれた。また4月4日には、初の全国放送『こじらせナイト 全国のみなさま初めましてSP』が放送予定だ。
こじらせとは、雨宮まみの著書『女子をこじらせて』(ポット出版)の「こじらせ女子」(自意識にとらわれ、世間でいう“女性らしさ”に抵抗を感じ、生きづらさを感じている女性のこと)に由来する。しかし、この番組タイトルにも、久保と能町は違和感を隠さない。
「こじらせてはいません。これね、自称し始めると非常に面倒くさくなるんで、あくまでも私はこじらせてなどいない。勝手に皆さんが言っているだけで、私はただ自分らしく生きようとした結果がこれであって」という久保に、能町も「『こじらせナイト』とか言ってますけど、しょせん、見てるヒトがこじらせてるだけですから。どストレートです」と同調する。そして久保は「ただヤンチャに生きたいだけ」、『やんちゃナイト』のほうがいいと言うのだ。
「こじらせ」にこじらせている。
この番組は、3人が世の中の“こじらせている”ヒト、モノ、デキゴト……をテーマに語り合うのだが、毎回、考えること、妄想することの快楽を呼び起こしてくれる。
「ひとつ実験なんですけど、これもし歌ってるのが先生だとしたら、結構スゴいことになるなって思ったんですよ」
と、能町が斉藤由貴の「卒業」の歌詞について、主人公は学生ではなく「23~24歳の女性新任教師」ではないかという“新説”を語りだした。
それは、3月8日深夜の放送された人気コーナーの「青春こじらせソング」でのことだった。
「青春時代の名曲をあらためて聞いてみると、新たな解釈を発見することもある」というコンセプトのコーナーで、斉藤由貴の「卒業」が「<泣かないと冷たい人と言われそう>という部分の、すごいドライな感じに妙な違和感を感じる」という投稿があったのだ。それに対し、そのドライさの“正体”を、能町は「女性新任教師説」という妄想で説明したのだ。
歌いだしの<制服の胸のボタンを~>のシーンは、「先生」として見ている。
<人気のない午後の教室で/机にイニシャル彫るあなた/やめて思い出を刻むのは>というのは、先生である以上、学校に残りずっとそれを見ることになるから「やめて」なのだと。<東京で変わってくあなたの未来は縛れない>も、教師目線であると考えるとしっくりくる。
「そうすると<卒業式で泣かないと~>のところがすごく複雑になってきて、<卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう>って、先生にとってはおかしなセリフなんですよ。けど、自分の中の他人視点なんですよ。こんなに好きな人が行っちゃうんだから普通だったら泣くよねって言うんだけど、でもとどめなきゃいけないから、こんな恋愛は私別に本気じゃないしって思いながら<もっと哀しい瞬間に涙はとっておきたいの>って言って、泣くのを我慢してるってことになるんですよ!」
久保やヒャダインから「名推理!」「漫画で読みたい!」と絶賛される切ない妄想を能町は即興で繰り広げるのだ。
このコーナーでは過去にも、岡村孝子の「夢をあきらめないで」を「女性が過去の恋愛を上書き保存していく様を克明にあらわした曲」と分析したり、「ゲレンデがとけるほどに恋したい」の歌詞を読んで「広瀬香美はスキー場に行ったことがない」と看破し、狩人の「あずさ2号」を「山岳部の先輩とのBLソング」と大胆に推論、ドリカムの「大阪LOVER」は「愛されていな女の子が主人公」であるとし、ドラマ化するなら「ヒロインはIMALUで、若手芸人と付き合っている」と盛り上がり、その続編「大阪LOVER、ほんで」まで勝手に作ってしまう。
その妄想が妄想を呼ぶ、論理の飛躍と説得力のバランスが絶妙だ。
中でも、YUKIのことを久保が評した「『YUKIは素晴らしい、でも私は醜い』という往復運動こそYUKIの本質」という慧眼は、それに対して「『亜美が好きか、由美が好きか』の往復運動が本質」というPUFFY評と併せて、それだけで新書1冊分になるのではないかという「こじらせ」だ。
さらに、ヒットソングの“隙間”を狙った恵方巻きソング「SETSUBU・ん…鬼っぽい」や、「大型連休に働きたくない君も好きだよ」を即興で作り上げるのも、気鋭のクリエーター集団ならではだ。
自分の価値観を世間が許してくれない時、人はこじらせる。そして、考えすぎて、「どうせ私は」と開き直り、自虐や自嘲に向かってしまう。それもいいだろう。しかし、もう一歩進んで、“ヤンチャ”な妄想を武器に、それに向かい合って乗り越えようともがく術を、この番組は教えてくれる。自分の思うまま、世間との違和感を楽しめばいいのだ。
3人が『こじらせナイト』でしているのは、いわば「テレビ番組ごっこ」あるいは「芸能人ごっこ」だ。前出の文に当てはめれば「自意識にとらわれ、世間でいう“テレビ番組(芸能人)らしさ”に抵抗を感じ、生きづらさを感じているテレビ番組(芸能人)」と言える。彼女たちはそんな違和感や抵抗感を抱えたまま、それ自体を“遊び道具”として楽しんでいる。
今、テレビに出ているのは、「空気を読む」プロフェッショナルたちばかりだ。番組を成立させるために秒単位の技術で収めていく。しかし、そればかりでは窮屈だ。だから、彼女たちのような“異端”で、アマチュアリズムを保った人たちが支持されるのではないか。思えば、タモリだってそうだ。番組の成立よりも、自分の興味のあるものや目の前のゲームに熱中したりしている姿がしばしば見られるように、いまだに彼はプロになりきるのを拒否してアマチュアリズムに徹している。
「『笑っていいとも!』が生んだ最後のスター(笑)」である久保も、タモリフリークである能町やヒャダインも、そんなタモリイズムを継承している。妄想とこじらせの往復運動と即興性が、今のテレビに薄れた“いい違和感”を生みだしているのだ。
(文=てれびのスキマ <
http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>)
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