暴れん坊健在! 朝青龍、舞の海氏を「虫」呼ばわりも“序の口”の「過激Twitter」全容

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 元大相撲力士、第68代横綱の朝青龍(ドルゴルスレン・ダグワドルジ氏)がTwitterで「暴言」を吐いた。  朝青龍の「攻撃」は、この日千秋楽を迎えた大相撲春場所に関連したもの。“攻撃対象”となったのは2者。まずは、横綱白鵬が勝てば優勝が決まる結びの一番で、変化を見せて勝利したことにブーイングが沸いたことに関してだ。白鵬の優勝インタビューでも「恥ずかしくないのか!」とヤジが飛んでいた。  これに対し朝青龍は「優勝インタビュー中いらん事飛ばす客腹立つ!! なら相撲見に来るな!!」と野次った観客をSNSで批判し「外人こそ国技守る!!」と挑発。  さらに矛先は「解説者」にも向かう。「舞の海がまたいらん口出したらしいな!あいつ誰や?身体が虫見たい」(原文ママ)と、大相撲解説者の舞の海秀平氏も糾弾。引退して5年以上が経つが、SNS上でその“暴れん坊”っぷりは健在であることがわかった。現在、これらのツイートは削除されている。  もともと、朝青龍のTwitterは一部ネットユーザーの間で“過激”で“熱い”と評判だった。実際に今回も、涙を流していた白鵬に「白鵬泣く番多い!! 泣くなバカやろ!! 涙血の色に変えて戦え!!」(原文ママ)と熱いメッセージを送っている。ただ、こんなのは序の口だ。  以前「ドロドロドロコバ! はんなはーら! まじ」というツイートを残した時は「どうしたんだ」「朝青龍がおかしくなった!?」とネットは騒然となったが、サッカー好きの彼が元コートジボワール代表のディディエ・ドログバ選手に興奮しただけということだった。  また、以前白鵬がマスコミにバッシングを受けた際は「謝罪しろ?うるせんだ!やかましいアホタレ!!」とまるで小学生のようにキレた。しかし、当時朝青龍はニュースなどをあまり見ていなかったようで、なぜ白鵬が怒られているのかは知らなかったとか。  まだまだある。大相撲力士の宝富士が活躍した際は「良い出足だたのに!! 宝富士? 宝くじ大当たり!!(爆笑)」と完全なオヤジギャグを披露するなど、まさに独壇場。これらのツイートのたびにネットユーザーは注目した。  終いには「どうだい? 俺のつぶやき? オモロイやろ??」と自画自賛する始末。現役時代も奔放な言動でマスコミを騒がせた朝青龍だが、Twitterではいまだ強い影響力を有しているようだ。  過激な言動で今回はバッシングの対象となってしまったものの、現役時の全盛期の強さはまさに「怪物」だった時と同じく、どこか憎めないという感想を抱いた人も多いようだ。

優等生からヒールへ……舌禍事件で批判集中! 大相撲・横綱白鵬の知られざる素行不良

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『白鵬のメンタル』(講談社)
 これまで“優等生横綱”といわれていた大相撲の横綱白鵬に一転、逆風が吹き荒れている。  原因は、優勝力士が行う一夜明け会見で公然と審判批判をしたことだ。白鵬は13日目の稀勢の里との取り直しについて「子どもの目でもわかるような相撲。もっと緊張感を持ってやってもらいたい」と審判部にダメ出しした上で「本当に肌の色は関係ないんだよね。土俵に上がって、まげを結っていることが日本の魂なんですよ。みんな同じ人間です」と、協会内の人種差別をにおわせた。  角界関係者は「審判部批判よりも問題なのは、差別発言したこと。協会には数百件の抗議電話があった」と話す。  確かに、ここ数年は白鵬が“強すぎる”あまり、番狂わせを期待し、相手力士を応援する観客が増えている。一昨年の九州場所では、白鵬が稀勢の里に負けた際に万歳三唱が巻き起こり、遠藤との取組時には遠藤コールが飛んだ。  「肌の色」発言は、そんな日頃のうっぷんが爆発してしまったことによるものだろうが、白鵬を知る人物いわく「かねてから素行面でも問題があった」という。“問題横綱”で同郷の朝青龍が引退してから、角界を1人で引っ張ってきたという自負が慢心に変わり「ちょっと勘違いするところがあった。記者の質問に機嫌が悪くなり、取材を早々に切り上げることも。彼に注意できる人が周囲にいないことも大きかった」(同)という。  別の関係者も、声を潜めて重大証言する。 「タニマチ付き合いも、どこかよそゆきなんですよね。過去にはある後援会がご祝儀を出したのに、横綱からお礼の言葉もなかったことに腹を立て、その後、後援会は解散している。角界は実力もそうだが、そういう人間関係が大事。白鵬が無敵の横綱になれたのも、周囲の資金的なバックアップがあったからこそ。単なる腕っぷしだけで、あそこまで上り詰めることはできない」  その白鵬は3日、千葉・成田市の成田山新勝寺の節分会(せつぶんえ)に参加したが、ここでも取材はNG。いまだ報道陣の前では、舌禍事件について釈明していない。このままでは、優等生横綱からヒール横綱になってしまいそうだ。

白鵬、会見キャンセルのナゼ……原因は「家族に関すること」だった!?

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『横綱白鵬 試練の山を越えて はるかなる頂へ』(学研教育出版)
 大相撲夏場所で2場所ぶり29回目の優勝を達成した横綱・白鵬が、千秋楽から一夜明けた26日の優勝力士の会見を行わなかった。  優勝力士の一夜明け会見は恒例行事で、白鵬は過去28回の優勝ではすべて応じてきただけに、異例の事態だ。関係者は千秋楽(25日)の深夜まで説得を試みたが、白鵬は拒否の姿勢を崩さず。相撲担当記者によれば「今場所、特に終盤は普段と少し様子が違った。14日目(24日)の取組後から、一切の問いかけに無言になった。NHKの優勝力士インタビューには応じたが、囲み取材では口数が極端に少なかった」という。  一体何があったのか――。  あるスポーツライターは「29回目の優勝は果たしたが、相撲は危ない場面もあり、内容に満足できなかったためかもしれない。また土俵下控えで白鵬自身が物言いをつけたことなど、土俵の内外でも何かと話題になった場所だった。心中穏やかではなく、冷静に受け答えできないと考えたのかもしれない」と推測する。  ネット上では、「週刊金曜日」に掲載された“舞の海発言”が影響しているという声も上がっている。これは、大相撲OBの舞の海秀平氏がある講演会で「外国人力士が強くなりすぎ、相撲を見なくなる人が多くなった。NHK解説では言えないが蒙古襲来だ。外国人力士を排除したらいいと言う人がいる」と、モンゴル人力士に対して否定的な発言をしたというもの。ただ、これに関しては同誌が舞の海発言を歪曲したという情報もあり「白鵬本人もまったく気にしていない」(同)という。  そんな中、会見拒否の真相についてテレビ関係者は次のように明かす。 「どうやら、家族のことを聞かれるのを嫌がったらしい。それがなんなのかは不明だが、一部マスコミがある情報をキャッチして、千秋楽前に白鵬サイドに当てたらしい。悪い話ではなく、オメデタい話のようだけど。そこから白鵬がピリピリしだしたそうだ」  悪い話でないのなら、堂々と受け答えしても良いと思うのだが……。

「国民的大スターの、父の名前を汚すことになる」落ちこぼれの青年が、横綱・白鵬になるまで

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白鵬オフィシャルサイトより
アスリートの自伝・評伝から読み解く、本物の男の生き方――。  2000年、モンゴルから渡ってきた7人の青年たちは、大阪・大東市に連れてこられた。「いったい、これからどんなことが待ち受けているのだろうか……」。日本語も話すことができない彼らの胸は、期待と不安でいっぱいだった。  「摂津倉庫」そこは、アマチュア相撲では有名な実業団だ。彼らは、大相撲の力士になるためにやってきたのだった。この中にいた青年、ムンフバト・ダヴァジャルガルはおとなしく、色白で、か細い青年だった。とても、相撲なんか取れないだろう……誰もがそう思った。相撲部屋の親方やスカウトたちが稽古風景を見学し、モンゴルからやってきた青年たちは次々と入門部屋を決めていくのに、彼の元に近づく親方はいない。仕方なくモンゴルに帰国するためのチケットを取り、両親にも帰国することを電話で伝えた。だが、見るに見かねた同郷の大先輩・旭鷲山の計らいで、彼は宮城野部屋への入門が決まった。  白鵬の、横綱への第一歩はこうして始まった。  父、ジグジドゥ・ムンフバトはモンゴル相撲の横綱選手。モンゴルでは「長嶋茂雄や王貞治ぐらい知られている」という国民的な大スターだ。レスリングのモンゴル代表としても活躍し、メキシコ五輪でモンゴル人初となる銀メダルを獲得する快挙を成し遂げている。一方、母親の職業は医者。遡ればチンギス・ハーンにつながる家系の出身であり、親戚にも大臣や実業家などが多い。幼き日の白鵬は、サラブレッッドとして生まれ育ったのだ。  少年時代は、マイケル・ジョーダンを神様と仰ぎながら、バスケットボールに熱をあげていた白鵬青年。しかし、初めての海外旅行に行けるという軽い気持ちで、来日した。  宮城野部屋に入門すると、細身の青年は、同じモンゴル人の先輩・龍皇関の存在を支えに、厳しい稽古に文字通り歯を食いしばりながら耐えた。相手を指名して続ける「申し合い稽古」や、ひたすらに相手にぶつかっていく「ぶつかり稽古」などで身体を鍛えていく日々。新弟子の頃は、その厳しさについていけず、「兄弟子に髪の毛をつかまれ、引きずり回された」と振り返る。言葉の壁にもぶつかり、何度となく兄弟子から怒られた。 「いまシンドイからと相撲をやめてモンゴルに帰ったら、お父さんに恥をかかせることになる、名前を汚すことになる。それだけは避けなければならない。だったらどうするか。頑張って我慢して、一つでも上位の力士たちと戦って強くなることだ」(『相撲よ!』角川書店)  2001年3月の大阪場所で初土俵を踏んだ白鵬。しかし、デビュー直後の序の口、三段目で一度ずつ負け越している。横綱に昇進した関取で、序の口で負け越した者はいない。つまずきながら、一歩ずつ白鵬はステップを上がっていった。  そんな彼が、なぜ横綱になることができたか? 白鵬は、師匠・熊ヶ谷親方の言いつけを守り、入門した当時主流となっていた欧米式のウエイトトレーニングに手を出さず、四股やすり足などの伝統的な稽古を熱心に行った。そして、先代貴ノ花や、名横綱・双葉山などの相撲をDVDでひたすら研究する。真面目に、愚直に努力を重ね、横綱という最高級の栄誉をもぎ取ったのだ。  そして2007年、白鵬の横綱昇進を受けて誰よりも喜んだのは父だった。  「私は20世紀の横綱、ダヴァ(白鵬)は21世紀の横綱です。こんなことって世界に例がないでしょう」と喜びを爆発させた父。そして、息子に向けて、横綱の心得をこう語った。「大横綱になるには、心・技・体がそろい、常に自分を磨くことだ。国民に愛される横綱になりなさい」  横綱になって以降、白鵬は双葉山に続く連勝記録63勝や、7年連続最多勝記録を打ち立て、現代の名横綱に数えられる存在になった。モンゴル相撲で、そして日本の大相撲でと、親子2代にわたって国民的スターとなった白鵬は、父の教えを守り、父の存在を支えにしながら土俵へと上がっているのだ。今場所では、いったいどんな闘いを見せてくれるのか楽しみだ。 (文=萩原雄太[かもめマシーン]) ●はくほう・しょう 本名は、ムンフバト・ダヴァジャルガル。1985年3月11日、モンゴル国ウランバートル市生まれ。姉3人兄1人の5人きょうだいの末っ子。15歳で来日。中学時代はバスケットボール選手として全国3位と活躍。宮城野部屋入門後、2007年に結婚した夫人との間に1男1女。初土俵:2001年3月場所。新十両:04年1月場所。新入幕:04年5月場所。