「スベったら大吉さんに相談すればいい」博多華丸はなぜ、“博多のお父さん”に徹するのか

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吉本興業公式サイトより
「芸談」の意味を知りたくて辞書を引くと、「芸道の秘訣や苦心についての話」と書かれていた。  この手の“濃い話”が芸人に求められる場面は少なくない。芸に対して、どのようなスタンスで取り組んでいるか? ネタ作りにまつわる“秘訣”はあるのか?  ひな壇で、どのようなチームワークを駆使しているか?  いまや、視聴者から高いニーズのあるトークテーマだ。もしくは、プライベートで芸談を展開するタイプも少なくないだろう。  そんな中、頑なに芸談を避けることで定評があるのが博多華丸だ。飲みの席で松本人志と今田耕司と東野幸治の3人が芸談を繰り広げる中、同じテーブルに座るも、華丸は眠りに落ちてしまったと、相方の博多大吉に暴露されている。  華丸の言い分は「難しいんですよ、話が」というもので、彼の“芸談嫌い”はどうやら本物である。 ■華丸が「大吉さんについていけばいいんだ」と気づいた瞬間  10月1日放送『博多華丸のもらい酒みなと旅2 ~京都スペシャル~』(テレビ東京系)に、麒麟の川島明と椿鬼奴がゲスト出演した。この日は華丸と鬼奴、川島とテレビ東京の須黒清華アナウンサーという2組に分かれ、京都の飲み屋街をハシゴ酒するロケが行われている。  華丸と分かれ、川島とペアを組んだ須黒アナは、プライベートの華丸について川島に質問した。すると、川島は華丸のことを“お父さん”だと断言する。 「仕事の話をしないんじゃなくて、(仕事の話に)ならないんです。お父さんとしゃべってるみたいな。いい意味で、仕事の話をしてもしょうがないんです」(川島)  後輩にお笑いの質問をされても「仕事の話は大吉さんに聞け」というスタンスを崩さない華丸。ピュアというべきか、肩の力が抜け切ったそのパーソナリティにはある種の“悟り”のようなものを感じてしまうが、実は、これにはきっかけがあるらしい。  博多華丸・大吉は、『R-1ぐらんぷり 2006』で華丸が優勝したことを契機にブレークの足がかりをつかんだコンビである。しかし、その後は相方・大吉によるセンスあるコメントが定評を集め、コンビ間の関係性が逆転した。  あくまでボケは華丸で、ツッコミを担当するのは大吉。なのに、大吉のみが番組に呼ばれることが次第に増えていく。お笑いコンビでボケが呼ばれないのは、当人にとってかなり複雑な心境になる事態だ。  この時期の華丸が屈辱をどのようにして乗り越えたのか、後輩の川島が明かしている。 「『アメトーーク!』(テレビ朝日系)に“ネギ大好き芸人”ってあったんですよ。みんな、ネギをインカムみたいにつけてて。その時は大吉さんがおらんから『実は俺がおもろい!』って華丸さんはむっちゃ頑張ったんやけど、思ってた笑いが来なくて全然ダメやったんです。で、雨さん(雨上がり決死隊)に『今のボケ、大吉さんが聞いたらどう思いますかね?』と聞かれ、華丸さんがネギのインカムに『すいません大吉さん、スベりました』って言ったら、その瞬間に体がむっちゃ楽になったって。ふわって浮いたって」(川島)  この瞬間、華丸は「スベったら大吉さんに相談すればいいんだ」「大吉さんについていけばいいんだ」と気づき、「俺は“博多の明るいお父さん”になろう」と決心したという。 ■相方との関係性が逆転したコンビは多い  こうした転機は、華大に限った話ではない。エピソードを明かした川島自身、相方の田村裕と立場が逆転したことがある。  容姿と声質が良く、コンビのネタ作りを担当するセンスの持ち主の川島だが、相方との関係性がひっくり返ったのは07年だった。田村が自伝『ホームレス中学生』(ワニブックス)を出版するや、川島への出演オファーは激減。コンビで呼ばれてもピンマイクが付けられるのは田村だけで、川島は田村のピンマイクに向けてしゃべる時さえあったという。  このような例は、いくらでもある。当初は岩尾望が脚光を浴びるも、ツッコミの秀逸さが注目されて後藤輝基が先行することとなったフットボールアワー。アクの強いキャラを持つ春日俊彰より“猛獣使い”若林正恭へのニーズが上回ることとなったオードリー。南海キャンディーズの山崎静代と山里亮太も、こうしたケースに当てはまるだろう。  かつての時代とは異なり、昨今は仲の良さを隠さないコンビが多い。「仕事が終われば会話しない」という関係性が当たり前だった20年前の状況を振り返ると、隔世の感がある。相方も、ある意味でライバルといえる芸能界において人気のバランスは複雑な感情を誘発するが、そのような火種を無事に乗り越えたコンビは、実は数多いのだ。  その絶好例が、博多華丸・大吉だろうか。「すいません大吉さん、スベりました」の一言で屈辱を乗り越えた華丸の境地に、ある意味で今の“コンビ芸人らしさ”が凝縮されている気がする。 (文=寺西ジャジューカ)

お笑い評論家・ラリー遠田緊急寄稿『THE MANZAI 2014』博多華丸・大吉が優勝した3つの理由

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日清食品 THE MANZAI 2014 公式サイト
 12月14日、今年最も面白い漫才師を決める『日清食品 THE MANZAI 2014』の決勝が行われた。エントリー総数1,870組の頂点に立ったのは、博多華丸・大吉。決勝12組のうちで最長となる、コンビ歴24年を誇るベテランが貫禄を見せた。  この日、博多華丸・大吉が見せた2本の漫才は、面白いのはもちろん、さまざまな角度から見て隙のない、完璧に近い出来だった。一通り終わってから振り返ってみれば、この大会で頂点に立つのは彼らしか考えられなかった。彼らが優勝したのはなぜなのか? その理由を3つのポイントに絞って解説していきたい。  1つ目は、普段通りの漫才をやっていた、ということ。「普段通り」とひとくちに言っても、それは簡単なことではない。特に、この手の賞レースでは、普通の芸人ならばどうしても、優勝することを意識して、勝つためのネタ作りをしたくなってしまうものだ。  もちろん、博多華丸・大吉も優勝を狙っていないはずはない。ただ、彼らは、他の若手ほど優勝に対する切迫感がない。彼らにとってより重要なのは、目先の大会で優勝することよりも、末永く漫才をやり続けることだ。芸歴24年を数え、漫才師としての大きな目標が見えてくる段階だからこそ、目の前にある餌に対してがっつかなくて済む。その余裕が見ている人にも伝わり、安心して笑える雰囲気を作った。  そんな彼らのスタンスを象徴するシーンがあった。1本目の漫才の冒頭、大吉の第一声を聞いた瞬間に私は「ああ、やられた!」と思った。大吉は、相方の華丸が丸坊主になっていることに触れてこう言ったのだ。 「改めて聞くのも何ですけど……華丸さん、髪の毛どうしたんですか?」  それに対して華丸は、福岡ローカルのドラマで主演を務めることになった、という内容のことを答えた。まるで寄席や劇場でやっているような、ごく普通のゆったりしたツカミだ。ネタ時間4分の賞レースで、この手のゆるいツカミに30秒も費やすなんて通常では考えられない。でも、彼らはあえてそれを選んだ。そのことによって、「僕らは今日は普段通りの漫才をやります」という確固たる意思を示したのだ。  2つ目は、キャラを生かす漫才をやっていた、ということ。彼らは決勝12組の芸人の中で最も売れていて、知名度が高い。どういうキャラクターの人間なのかということは世間にはすでに知れ渡っている。そこで、彼らはその武器を素直に利用することにした。  2本のネタには、日々明るく楽しく酒を飲み、人生を謳歌する華丸のキャラクターが前面に出ている。そんな華丸の底抜けの陽気さに対して、声を荒げず、あくまでも冷静沈着にツッコミをいれる大吉。こちらもテレビでおなじみの「大吉先生」そのもの。2人のキャラに違和感がないということが、漫才として分かりやすく見やすいということにもつながる。  私が思わずハッとしたのは、1本目の漫才の中で華丸が「いいじゃないの~」と日本エレキテル連合の流行りのフレーズを入れてきたこと。もし芸歴数年の若手であれば、こういう手法をやることはまずあり得ない。お笑いライブの世界では「最もダサいことの1つ」とされているからだ。  でも、漫才の中で華丸がやる分には全く違和感がない。なぜなら、タレントとしての彼がバラエティ番組などでふざけてそれをやるのはちっともおかしくないからだ。彼らは自分たちのタレントイメージを決して否定せず、世間が見ているままの等身大の姿で漫才を演じていた。  3つ目は、緻密な戦略があった、ということ。1つ目と矛盾するように思われるかもしれないが、彼らは賞レース用の仕掛けを何も準備していなかったわけではない。2本のネタは、確実にこの日の決勝のために磨き上げてきたものだ。  1本目の漫才では、華丸が「ユーチューバーになりたい」と切り出す。おじさんキャラの華丸が、あえて若者世代の流行を追いかけようとするという構図。そして、2本目の漫才では、引き続きそのおじさんキャラをなぞるようなネタを見せた。  しかも、2本目の漫才では、「酒のチャンポンと親の意見はあとから効いてくる」などと、いかにも酔っぱらったおじさんが口にしそうな「新しいことわざみたいなもの」を何度も挟んでくる。爆発的な笑いを生んだこの仕掛けが決定打となって、彼らの勝ちが決まった。1本目で出てきたサンドイッチを食べるくだりを2本目で取り入れた箇所もあった。この2本のネタはワンセットで優勝を取りに行くための漫才になっていた。  テレビにたくさん出て、いくら有名になっても、彼らの本業は漫才だ。結果的には、知名度が上がったことで2人のキャラクターが世間にも知れ渡り、漫才自体もさらに深みを増した。円熟の極みに達した博多華丸・大吉が、横綱相撲で強豪たちをねじ伏せる。文句なしの快勝だった。 (文=お笑い評論家・ラリー遠田)

博多大吉が叫ぶ「(この本を読んで)若手芸人よ、大志を抱け!!」

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撮影=尾藤能暢
 企画意図を的確に読み取る“上品芸人”であり、ひな壇では抜群の安定感を醸し出す“先生”であり、もはやバラエティ番組に欠かせない存在である博多大吉。初めての著書『年齢学序説』(幻冬舎)も文庫化されるなど、絶好調、怖いものなし、この世の春かと思いきや……。くべてもくべても燃えない焚火のように、頑なに「そんなことないです」を繰り返す、あぁ上品。というわけで、年齢本に込めた思いから昨今のお笑い事情まで、愛と毒を絡めて語る大吉ワールドをご堪能あれ。 ――まずは、この本を書こうと思ったきっかけを教えてください。 大吉 僕が『やりすぎコージー』(テレビ東京系)で「26歳にまつわる都市伝説」を発表したのがきっかけです。実はこのネタ、ゴールデンでは丸々カットされたんです。言葉悪いですけど、その辺のネットで拾ってきたようなネタを言う人がゴールデンでオンエアされていまして。あぁそんなもんかと。それが深夜でオンエアされたものを、幻冬舎の編集さんが見ていてくださったんです。声をかけてもらった時は、うれしかったですね。見ている人は見ているんだなぁと思いました。 ――年齢の法則に気づいたのは? 大吉 大物芸人さんはみんな26歳で冠番組を持っているなぁと思って、調べてみたらそうじゃない人だらけだったんですけど、追いかけていくと必ず何かあるんですよ。基本、そこをくっつけているだけの戯言です。 ――でも、『年齢学』ですよね(笑)。 大吉 このタイトルを編集さんから提案された時は、おいおい全然「学」じゃないし、その上「序説」なんて何を言っているんだって、慌てましたよ。何度も言いますが、戯言なんですよ。お笑い、プロレス、漫画、昭和歌謡……自分の好きなことを書いているだけなんです。しかも回りくどく!! ――構想8年、執筆3年、大作です。 大吉 ある程度、ネタはあったんです。1ページに1ネタくらいのネタ本にしましょうかって提案もしてもらったんですけど、たぶん自分が本を出せるなんて最初で最後だと思ったんで、それではちょっとさみしいかなと。それで「一回書かせてもらっていいですか?」ってお願いして、前半部分を書いてみたんです。それを読んでもらって、こんな感じで書けるならやってみましょうと。ただ、前半にだいぶ出し尽くしてしまったんで、後半はほぼほぼ残りかすを集めた厳しい戦いでした。EXILEの年齢を足して割っている時なんか、ドキドキですよ。「26になれ、26になれ」って祈りながら計算して、26になったら「やった~!」って。もういろいろな人の年齢を計算してますから。四則計算駆使して。 ――そうはおっしゃいますが、この本には大吉先生のクールで鋭い視点が詰まっていると思います。 大吉 小さい頃から、大人の顔色をうかがう子どもだったんでね。仕事中はフロアさん(フロアディレクター)の顔ばっかり見てしまいますね。今何が起こっているのか、だいたい顔を見れば分かりますから。 ――相手が求めていることをやりたいと。 大吉 まずはそれですね。その相手というのが、僕の場合はMCの方とかではなくてスタッフさんなんです。そのあたりが、上品芸人と呼ばれるゆえんですかね。 ――あの「上品芸人」(テレビ東京系『ゴッドタン』での一企画)のくくりは、大発見でしたよね。 大吉 よくぞ言ってくれた、と思いました。だって、しゃべりながらも「絶対ここ使わないだろ」っていうこと、いっぱいありますもん。ただ現場のためにやってるっていう。そういうカンペは、だいたい僕に出る。もちろんオンエアされない。あれ? あんなに疲れたのに、テレビでは全然しゃべってないな……と思いながら。 ――『年齢学序説』が文庫になると聞いた時は、いかがでしたか? 大吉 僕、その話はてっきり立ち消えになったと思っていたんで、「まだあったんだ」っていうのが正直な感想でした。装丁が決まったころでしょうか、やっと実感が湧いてきて。実際、駅なんかで売ってるのを見かけると、「うわっ」ってなります。買っちゃいますもん。恥ずかしくて。だいたい一冊しかないから。 ――『サンデー・ジャポン』(TBS系)でもせっかく宣伝できたのに、すぐ(本を)隠しちゃいましたよね。 大吉 編集さんには申し訳ないですけど、恥ずかしいんです。 ――芸人さんなのに、本を書いているということが恥ずかしい? 大吉 ここまで時間をかけて書いたものなので、言い訳できないんですよ。面白くないって言われたら、もう「すいません」としか言いようがない。で、自分でも思うんですけど、年齢層や趣味とか読者を選ぶ本なので、ハタチそこそこの、なんとなく僕のことを好きだなって思ってくださっている方が読んだところで、ちんぷんかんぷんですから。だから、なるべく知られたくないっていう気持ちのほうが前面に出ちゃいまして。本当は同窓会で売りたいんですよ、手売りで。 ――先日、大吉先生のラジオでの発言がネットニュースで出回っていたのをご存じですか? 大吉 知ってます。すぐニュースになるんですね。 378A7148.jpg ――「若い子がテレビを見ない理由」。世代間で話題を共有できていないと。 大吉 その、(テレビに出てくるネタの世代間格差の)集大成みたいな本ですよ、これは。 ――この本で、若い子たちに知ってほしいという気持ちはありますか? 大吉 いや、同世代で趣味も僕と合う人が懐かしがって読んでくれたらいいです。若い子が知る必要のない情報が山盛りですからね。 ――そうは言っても、普遍的なアドバイスをさりげなく忍ばせてますよね。たとえば、「妥協すること」と「諦めること」の違いとか。 大吉 僕は「前向きな撤退」っていう言葉が大好きなんです。妥協するっていう自覚は持ちにくいかもしれませんが、ちょっとずつ目線を下げていく……それは「諦める」こととは違う。 ――今、NSCに入学する人が年に2000人いて、その割には出ていける場所は少ない。芸人を続けていこうか悩んでいる人に相談された時、大吉先生はどんな言葉をかけるんですか? 大吉 相談されたら、「辞めたら?」って言います。でも、相方は「絶対辞めるな!」としか言わない。だから、どっちに相談するかです。今ね、40歳付近で固まってしまってるじゃないですか。この世代、強すぎるでしょ。MCにもいるし、ひな壇にもいるし。『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の年間大賞とか、あれだけ芸人がいて、一番若手が品川君(品川庄司)ですよ。そりゃあ、20代30代、出てこれないですよ。 ――まるで自民党の議員みたいです。 大吉 そんな中、パンサーとかジャンポケとか頑張ってますけど……数が違う。この城は、なかなか落とせないと思いますよ。 ――その40歳周辺の芸人さんたちがテレビにも出て、毎年ライブもやって、自分たちでネタも書いて……もっと調子に乗ってくれないと、若手の出番がないのでは? 大吉 僕たちも、月イチで新ネタを作るようにしてますね。浮かれられないんです。吉本はギャラが安いとはいえ、おかげさまでここまで働いていればある程度はもらえるので、遊ぼうと思えば遊べるんですけど、やっぱりダメですね。 ――それは恐怖感ですか? 大吉 どんどん年を取ってますからね。もう44ですよ。じっとするのが怖い。華丸さんが結構ね……僕はまだ咀嚼しきれてないんですけど、華丸さんがいま変な面白さを出しているんですよ。フツーの一言が、めっちゃウケたりするんです。それはそれですがりたいんですけど、怖いんです。よく分かってないから。長いこと一緒にいすぎて、華丸さんの何が面白いのか、よく分からなくなってきてる(笑)。自分が作ったネタを演じてもらってなら、理解できるんですけどね。「今日は寒かね~」でドカーンとウケたりする。 ――すごい、金脈ですね。 大吉 ただ、これ以上埋まっているのかなという不安もありますよ。そこに頼っちゃうと、実は泥でしたっていうこともあるかもしれないので。 ――そういう用心深いところが、大吉さんが「先生」と呼ばれるゆえんなのでしょうか? 大吉 僕らは変に年を取ってる後輩芸人なので、雨さん(雨上がり決死隊)に気を使っていただいてるだけですよ。僕のことは「先生」で、華丸さんは「岡崎さん」。それを見て、周りの芸人さんたちもそう呼んでくれるようになったので、ありがたいですね。 ――やはり『アメトーーク!』での「博多華丸・大吉芸人」は大きかったですか? 大吉 あれは、僕らの中ではゴールだったんです。これでいつでも福岡に帰れるし、あとはもう言ってみれば余力というか。行けるところまで慣性の法則で行こうみたいなノリでした。実際、あれで爆発的に仕事が増えたわけでもないですし。それより、ちゃんとしたマネジャーがついてくれたことのほうが大きいかもしれません。 378A7116.jpg ――基本、スタンスは変わらないと。 大吉 変わらないですね。劇場やってるからじゃないですかね。お客さんの前で漫才をすることで冷静になれる。テレビに出られなくても、劇場でウケていればいい話なんで。あと福岡にも仕事があるし。慌てないんですよ、僕たち。 ――故郷を捨てて、東京で成功してやる! っていうのも、芸人として成功する一つのモチベーションだと思うのですが、あくまで福岡と東京の両立にこだわった理由はなんでしょう? 大吉 僕も福岡のことが好きですし大事にしたいですけど、僕以上に華丸さんが動かない。何よりも福岡を優先させるので。福岡を優先させているのか、福岡のゴルフを優先させてるのかは謎ですが。ちょっとは山っ気が出る時もあるんですよ。ピンでいろいろな仕事に呼んでもらって、それがウケればいいんですけど、失敗して落ち込んだ時、ふと振り返ると華丸さんが福岡でほほえんでる。それがどうしたって顔で、こっちを見てる。それで僕も「あぁそうでしたね」って。なんかすいません、ちょっと調子に乗ってました。反省とかしなくてよかったんですねって。 ――華丸さんの存在が大きいんですね。 大吉 本当にアイツが僕以上に博多が好きなので。全国ネットで「有名なラーメン店は?」って聞かれて、パッと浮かんだところを言うべきなのに、あの人は言わない。どこの名前を出しても角が立つ。あの店は、俺は好きだけど最近行ってないから味が落ちてるかもしれない。そういうことを気にして、結果、黙るという、テレビとしてあるまじきことをするんですよ。その一瞬は「何やってるんだ」ってムッとはしますけど、よくよく理由を聞いてみると、あの人はブレてない。昔っから何も変わってない。 ――華丸さんが『R-1』で優勝して先にブレイクして、その隣で大吉先生はどんなことを考えていたのですか? 大吉 華丸さんばっかりテレビに出てると、親たちから「アンタ何やってるの?」って言われるので、その辺は確かにキツかったですけど、個人的にはなんとも思っていなかったですね。すごい失礼な言い方ですけど、『R-1』にそこまで期待していなかったので、そんなに重要なタイトルだとは、当時は思っていなかったんですよ。たまたま優勝しただけのこと。それでTBSだったり、フジテレビだったり、いろんなテレビ局を見学させてもらったと。お金をもらって芸能人を生で見れて。ウィニングランの気持ちで一年間を過ごしました。 ――ご自身も芸能人なのに。 大吉 違いますよ。たまに街で僕のことを見かけて喜んでくれる方がいらっしゃるんですけど、困るんです。「またまた」と。綾野剛さんのほうがうれしいでしょ? 僕とばったり会うより。ごめんね、だけど綾野剛はここにはいないんだよ……と。 ――考えすぎです(笑)。 大吉 この間ですね、ロケで嵐の櫻井翔さんがカレーを召し上がったんですけど、カメラが止まった後に「大吉さん食べますか?」って言っていただいて、翔さんが使ったスプーンで食べてしまったんですよ……。さらに、その後、翔さんがまた同じスプーンで食べた。ラリーがあったんです。これは調子に乗ってるなと、自分で自分を戒めました。 ――(笑)。最後に、読者にメッセージをいただきたいのですが。 大吉 まぁきれいごとみたいですけど、売れてない若手が読んでくれたらいいなと思って書きました。世に出れなくてもがいている、ウチの、吉本の芸人に読んでほしいなと思って書いたんですけど、まぁ思っていた以上に誰も読んでくれなくて、はらわた煮えくり返るのみです。アイツら! だからお前ら売れないんだ! ――だから、26がダメでも38がある。38がダメでも……というふうに書いたのに。 大吉 僕の計算では、毎年2000冊売れるはずなんです。NSC生が買うから。 ――授業で読んでほしいと。 大吉 本当ですよ。今でこそこんなエラそうに言ってますけど、自分たちもそうだったので。35歳、知名度ゼロで東京に出てきてました。人生なんてあっという間ですから、若手は早くこれを読んで、辞めるなら辞める。続けるなら続ける。僕に謝るなら謝る。その三択です。 (取材・文=西澤千央)

博多華丸・大吉 地味ささえも武器に……“九州芸人”の象徴的コンビが「二度売れた」理由とは

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『博多華丸・大吉式ハカタ語会話』(マイクロマガジン社)
 お笑い界では「関西芸人は二度売れなくてはいけない」という定説がある。笑いの都・大阪には東京とは違う独自のお笑い文化があり、テレビ、ラジオ、劇場で多くの関西芸人がしのぎを削っている。関西芸人は、関西でいったん人気を得てそれなりの地位を築いてから、東京に出てきて全国区で通用するかどうかの勝負をしなくてはいけない、というわけだ。  関西以外の地方では、お笑いを取り巻く環境が十分に整備されていないため、全国区を目指す芸人は初めから東京に出てきてしまうことが多い。「関西芸人は二度売れなくてはいけない」という定説の根底にあるのは、「そもそも関西でしか一度目に売れる環境が整っていない」という事実なのだ。  ただ近年、関西以外の地域からついに「二度売れた」芸人が現れた。それは、福岡吉本出身の博多弁漫才師、博多華丸・大吉だ。彼らは福岡を拠点として芸人活動を開始。1990年にデビューするとすぐに地元でレギュラー番組が始まり、MCを務めることになった。それが実現できたのは、彼らがたまたまこの時期に設立されたばかりの、福岡吉本の初期メンバーだったからだ。  華丸・大吉はローカル番組に数多く出演し、九州芸人のリーダー的な存在として長きにわたって君臨してきた。ただ、この恵まれた環境のせいで、のちに彼らは思わぬ苦労を強いられることになる。  2005年、華丸・大吉は満を持して東京進出を果たした。だが、ここで彼らは、これまで経験していなかった未知の分野に挑戦することになった。それは、全国ネットのバラエティ番組における、ひな壇での立ち振る舞い方だ。ローカル番組でずっとMCを務めていた彼らには、ひな壇芸人としての経験がほとんどなかった。横並びで大勢の共演者がいる状況で、いつどうやって前に出ればいいのか分からない。このときの彼らは、関西で天下を取った芸人が東京に出たときに直面するのと同じような壁にぶつかっていたのだ。  そんな苦手意識を打ち破るきっかけになったのは06年、華丸がピン芸日本一を決める『R-1ぐらんぷり』で優勝したことだ。このとき彼が披露したのは、『アタック25』(朝日放送)司会者で俳優の児玉清(故人)のものまね。華丸のものまねは、全国ネットのバラエティ番組に挑む彼らにとって貴重な飛び道具となった。  また08年、大吉は『アメトーーク!』(テレビ朝日系)の「中学の時イケてないグループに属していた芸人」に出演。冴えない学生時代を過ごした芸人たちが、その頃の思い出を面白おかしく語るこの企画は大きな反響を呼んだ。  大吉は、文化祭のときに焼却炉でゴミを燃やす仕事に没頭していたため、「焼却炉の魔術師」というあだ名が付けられたというエピソードを披露。「焼却炉の魔術師」は、この年の「アメトーーク!流行語大賞」に選出された。徹底的に地味で目立たないという大吉のキャラクターの魅力が、このときにようやく開花した。  これ以降、彼らはピンでもコンビでもバラエティ番組に通用する戦力として少しずつ認められていった。11年には『THE MANZAI』で決勝進出。博多弁漫才師としての確かな実力を見せつけた。  タモリ、内村光良を筆頭に、九州出身の芸人は今までにも大勢いた。だが、九州で確固たる地位を築いてから、ローカル色の強い芸風を貫いて全国区で成功を収めた芸人は今までいなかった。  博多ラーメンのとんこつスープのように、濃厚でこってりした芸風の華丸。辛子明太子のように、ピリッと辛口でクールな目線が冴えわたる大吉。九州仕込みの2つの個性がぶつかり合うことで、博多華丸・大吉という唯一無二のコンビが誕生した。彼らは関西以外の地域から「二度売れる」という前人未到の偉業を成し遂げて、生きる伝説となった。 (文=ラリー遠田)