
ラモス瑠偉 オフィシャルブログより
元日本代表MFラモス瑠偉氏が、2016年リオデジャネイロ五輪のサッカー男子代表監督に立候補することがわかり、話題となっている。リオ出身のラモスは、リオ五輪開催が決定した時から日本サッカー協会幹部に監督就任をアピールしていたが、そんな本人の希望とは裏腹に、サッカー界にラモスを五輪代表監督に推す声は少ない。
■実は“監督的”な選手だったラモス
選手としてのラモスは、日本のサッカー史上、5本の指に入る名プレーヤーだった。技術面だけでなく、戦術的視点も突出していた。ブラジル時代はDFとしてプレーし、来日してからはFWとして得点王を獲得、ゲームメーカーとしても名を馳せた。日本代表では、チームに落ち着きがなければ、ボランチの位置に下がり、試合をコントロールした。ほかの選手への指示も的確で、チームの雰囲気を読めるモチベーターでもあった。アメリカW杯アジア最終予選時に、韓国に勝っただけで浮かれるチームやメディアを一喝したのは有名な話である。
選手時代に発揮した監督としての資質だが、引退後の解説者としてのキャリアがそれを薄めさせてしまう。ラモスは、日本人選手を評する時に、「気持ち」という言葉に終始してしまう。もちろん、日本人選手の戦う姿勢は、海外に比べると弱い。それは本田圭佑も認めている。しかし、「気持ち」だけで勝てないのも事実であり、「気持ち」以外に話が向かないことで、ファンの間では「ラモスは根性論しか持っていない。監督に向いていない」という印象が強まった。
■監督ラモスの実績
そんなラモスの真価が問われたのが2006年。ついに、東京ヴェルディの監督に就任する。だが、監督初年度はJ2で7位という微妙な成績に終わった。「練習通りに試合でプレーできない選手がわからない」という言葉を口にしていたが、これは名選手にありがちなフレーズである。こういったできない選手を、どのように伸ばして、どう使うかが監督力でもある。元Jリーガーが、少年サッカーのコーチになった時に同様の発言をすることがあるが、その発想から強くなるチームはない。7位という成績は、その姿勢が現れたともいえる。
1年目の成績を受け、東京ヴェルディは2年目にJ1顔負けの大型補強を行った。しかし、
シーズンを通した試合内容は、豪華メンバーのハーモニーとは言い難く、2位でJ1昇格を果たすのがやっと。それを物語るように、ラモスはJ1昇格後に退任したが、惜しむ声は少なかった。
このようなラモスの成績から考察すれば、五輪日本代表監督の座は、時期尚早といったところだろう。まず、五輪代表監督になるためには、ビーチサッカーではなく、J1での実績が必要だ。たとえば、ロンドン五輪を率いた関塚隆(現:ジュビロ磐田監督)は、川崎フロンターレをJ1の強豪クラブに引き上げた手腕を買われた。川崎にはジュニーニョという絶対的なストライカーがいたが、ロンドン五輪でその役を担ったのが永井謙佑である。その永井の活躍もあり、ベスト4に進出したが、その半面、永井を抑えられると力が半減してしまう課題は川崎時代と同様だった。
つまり、J1リーグでの実績と五輪代表監督の結果はリンクしている。北京五輪を率いた反町康治(現:松本山雅FC監督)は、アルビレックス新潟を、J2下位からJ1中位まで引き上げた実績を買われた。ただし、中位止まりというのを憂慮すべきだった。結果、北京五輪でも上位に進出することはできず、グループリーグで敗退となった。また、アテネ五輪を率いた山本昌邦(現:解説者)は、グループリーグで敗退した後に、J1の監督を務めたが、アテネ五輪同様に結果を残すことはできなかった。
このように、史実から考えれば、リオ五輪代表監督に手倉森誠(現:ベガルタ仙台監督)の名前が挙がっているのは妥当だ。手倉森監督は、ベガルタ仙台をJ2からJ1上位チームへと引き上げた。しかも、外国人に頼ったサッカーではない。ラモスよりも、リオ五輪での結果を期待できる。
ただし、先日、ラモスへの期待が高まる出来事があった。このジャストタイミングで、ラモスがネルシーニョと食事をしていたらしい。J2に降格した柏レイソルを、J1リーグ優勝に導いたネルシーニョがコーチ・参謀となるならば……。ラモス五輪日本代表監督は、一気に現実的なものになるだろう。
(文=石井紘人@FBRJ_JP)