ビヨンセ『BEYONCÉ』(SMJ)
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AKB48メンバー襲撃事件をどう考えるか 岡島紳士が語る“接触系”アイドルの課題と今後

AKB48-『ラブラドール・レトリバー Type-K(通常盤)(多売特典生写真なし)』(キングレコード)
「もっと恐ろしいものを表現したい」坂本慎太郎が追い求める“一線を越えた”音楽とは?

「時間がたつことの恐怖のようなものも入れたかった」
ーー「人類滅亡後の地球に流れる常磐ハワイアンセンターのハコバンの音楽」というコンセプトは、歌詞がなくても成り立ちますよね。 坂本:うん、成り立ちますね。 ーー実際、前作もそうでしたが今作もインストのCDが同梱されるわけですよね。にもかかわらず歌詞をつけたというのは、音だけでは伝えきれない思いがあるということなんでしょうか。 坂本:いや、そうではなくて…日本語の歌詞にこだわって音楽をやるのが自分のテーマで。日本語の歌詞がちゃんとのってる良い曲を作るというのが、自分のやることだって、どこかで思ってるところがあるんですね。インストの音楽とか…聴きますけど、自分がやらなくても誰かほかの人がやるだろうって思いがあったりします。曲を作るって行為は、日本語の歌詞がついてる曲を作る、ってことになってますね。 ーー歌詞があるとそこには意味が出てきますし、聴き手はそこからなんらかのメッセージを読み取ろうとするわけですが、そこも含めて歌詞を書きたい、と。 坂本:そうです。言葉の意味とサウンドの組み合わせから生じる表現ということですね。歌詞で何かを言いたいというのではなくて、この言葉とサウンドが一緒になった時に出てくるもので、何かを伝えるということをずっとやってるつもりなんです。今回はこういうサウンドに、こういうストレートな歌詞が乗った時に出てくるムードがおもしろいと思ったってことですね。 ーー今回の歌詞はかなり強いですよね。裏読みの余地がないぐらいストレート、という話もありましたが、これが、ある種のどかな音楽と組み合わされた時の違和感がすごく強烈ですね。 坂本:ほんとの意味で恐怖感を与えるような音楽をやりたいっていうのがありましたね。 ーー全体を象徴するのは一種の終末思想的な。 坂本:ありますね。あとは…すごく時間がたつことの恐怖というか。そういうのも入れたかったですね。 ーーそれは「死」ということですか。 坂本:もちろん「死」も含まれるんですけど、個人的な死とかじゃなくて、もっとスケールの大きい…ただ時間が流れることへの恐怖っていうか。身近なことでいうと、昔のマイナーなソウルのコンピレーションとか買うと、当時のレコーディング風景の写真が載っていて、みんな20歳ぐらいですごく楽しそうに録音してる。昔は何も思わなかったんだけど、最近見るとすごく怖くなったりするんです。この人たちはもういないんだけど、その念だけがレコードに閉じ込められている。当時のムードなり空気なりが時空を超えて自分の部屋にやってくるわけで。で、プレイするとそのムードが立ちあがってくる。そのへんに音楽の重要な要素もある気がしますね。それってミュージシャンが目の前で演奏してるのとまったく違う感覚じゃないですか。もう死んだ人の声が生々しく聞こえる。かければ当時の雰囲気がそのまま自分の部屋で再現されるっていうのも、考えるとちょっと怖い…それは死が関係してるんですけど。道を歩いてると、この道も江戸時代はちょんまげ結った人が歩いてたんだなと思うと(笑)。すごい不思議なのと同時に怖くなる。そういう感じを全体的に入れたかったんですよ。 ーーなるほど。 坂本:あと自分が死んでーー自分が死ぬのはもはやどうでもいいんですけどーー死んだあともそのまま何万年も時が流れていく感じ。そういう途方もない感じというか。 ーー普通の人だったら、死んだらそれでオシマイですけど、クリエイターの人は死んでも作品が残りますよね。それは意識することはあります? 坂本:意識することはないですね。自分が死んだら終わりだと思ってるんですけど、今言ったことは作品を作る原動力にはなるっていうか。 ーーそういうことを想像することが。 坂本:そうですね。 ーーある音楽家がね、10年後20年後に自分という存在が忘れられても、自分の曲なり作品なりが残ってくれればいいと言っていたんですが、その気持ちはわかりますか。 坂本:う~~~~~~ん………そうですねえ……わかるとこもありますけど…うーん…わかんないとこもありますねえ。 ーー自分が死んだらあとはどうでもいいっていう感覚。 坂本:うん、その感じもすごくありますねえ。自分を出すんじゃなくて作品だけ世に出て、自分は消えたいとか、そういう思いもあるんで、半分わかるとこもあるんですけど。
「自分が聞きたいレコードを作りたいってことだけ」
ーー作品だけあって自分は消えたいっていうのは、自分をアピールするために作品を作ってるんじゃないってことですよね。自分の存在証明のためとか、そういう意識ではない。 坂本:うーん…まあそれもねえ…掘り下げていくとどんどん矛盾が生じてくるんですけど(笑)。作品を出して、もちろんそれは評価されたいんですけど…当然ですが、いわゆるロックスターとか芸能人になりたいとか、そういうのはないってことですかね。 ーーゆらゆらをやめてからの坂本さんは、なるべく自分の存在も音楽も透明なものにしたいというような意志があるように感じるんですが、透明だからこそ伝わってくる強烈な個性や念の強さのようなものが…今作はすごくわかりやすく出てますね。そういうある種の矛盾というか葛藤が坂本慎太郎なのではないかと。 坂本:ああ、それは狙ってやってる部分と、無意識にやってる部分があると思うんです。僕の音楽を作る原動力って、完全に自分が聞きたいレコードを作りたいってことだけで。そうした時に、自分が好きな(ほかの人の)レコードと並べて聞けて、同等かできればそれ以上のものを作りたいと、それだけを考えてやってるんですね。そうすると、たいがいはもう死んだ人の音楽だったりして(笑)。そういうのも関係してるのかなって思うんですけど。 ーーほとんど表に出なくなっちゃったじゃないですか。ライヴもやらない、メディアにも滅多に出てこない。となると純粋に作品だけの評価になるわけですが、それはご自分の望むところなわけですか。 坂本:ええと、今の時点ではそうですね。あと、とくに今回のアルバムの曲はライヴをやらないから作れるようなところもあるんですよね。ていうのは、すごいストレートな歌詞だけど、自分が発してるんじゃない、どこか違う所から来ているように響かせる、ということが狙いなんですね。それは出来てる気がするんですけど、ライヴで自分の口で目の前で歌っちゃうと、どう考えても僕のメッセージになるし。そうするとこのアルバムでやりたかった一番重要な部分が台無しになっちゃう。ものすごい恐ろしい世界を作ったんだけど、最後に種明かしするみたいになりそうで。緞帳が開いて、キャストが全員出てきて、挨拶するみたいな。聞く人に安心感を与えることになりそうな気がするんですよね。なんかね、得体のしれない感じを出せたと思ってるんですよ今回。ちょっと気持ち悪いっていうか不安になるというか。 ーーありますね、すごく。 坂本:それはすごくうまく出来たと思うんで、これをライヴでやっちゃうと、みんな安心しちゃいますよね。 ーーひとつの普通の歌として受け入れるでしょうね。 坂本:ええ。だったら、作った人がいるのかどうかも怪しい、っていうほうが、音楽の価値はあがるんじゃないか、とは思いますけどねえ。 ーーすごく仰りたいことはわかりますが、でもそれでも、ここから坂本慎太郎というアーティストの個性や存在が透けて見えるのが面白いところですね。 坂本:うん…うん。そうかもしれないですね。 ーーこういう作品を作っていて、昔のゆらゆら帝国のころのように、爆音でギターをかき鳴らしたいとか、そういうロック的な愉悦みたいなものに対する思いみたいなものは、残ってないわけですか。 坂本:ああ、爆音でギターというのはまったくないですね。 ーーあ、まったくない? 坂本:ええ。全然ないです。今回レコーディングのために久しぶりにスタジオに入って、3人で演奏してたら、演奏したり歌ったりするのは楽しいんですよ。でもいざライヴをやるとなったら、その場が自分が思ってるものと違うものになるのは目に見えてるので、その途端にやる気がなくなるっていう。たとえば誰も知らない世界で3人で演奏して、みんなが踊ったり酒飲んだりしてたら、それは素晴らしいと思いますけどね。 ーーある種の記名性が邪魔になる。 坂本:それはありますねえ。ちょっと自意識過剰かもしれないですけど(笑)。 ーーライヴではレコードとは違う期待をするでしょうからね。お客さんも。 坂本:たぶんライヴで、「期待されて期待に応える」みたいな過程の中に、自分が音楽に求めている要素が、もう、ないんだと思うんですよね。「この世界で一番あってはいけないことは、例えば観葉植物が話しかけてくること」
ーー私がゆらゆらの取材をやらせてもらったのは、ゆらゆらがメジャーに行ってすごくポップになった時期だったんですけど、その時話していただいた、ポップになった理由もすごく納得のいくものだったんで、そのあたりのことは解決されているのかと思ってました。 坂本:ああ、どうなんでしょうね。やってる時は解決してたのかもしれないけど。後期はまたちょっと違ってきたと思うし。すごく簡単にいうと、初期のお通夜みたいなライヴがあって(笑)、メジャーで出したら、普通にわーっと騒いだり暴れたりする人がライヴに来るようになって、それが当初はすごく面白かったんですよ。それがしばらくするとまた初期のお通夜に戻っていったんです。巨大な(客の人数の多い)お通夜(笑)。全員がすごい集中力で一挙手一投足を見逃さないようにしてる。一緒に歌う人がいると怒られちゃう、みたいな。踊ったりすると、静かにしろ、ぐらいの雰囲気があったり。それは、それだけ真剣に聴いてくれているということでもあるんですけど、、、、そういう感じがあったと思うんですよね。 ーーそれに違和感を感じはじめた。 坂本:それはあります。でもそれって全部自分のせいなんですけど。もちろんバンドを辞めたのは、それだけが理由じゃないですけど。 ーーとすると、坂本さんってもともとロックに向いてなかったんじゃ…(笑)。 坂本:(真顔で)それはあるんですよね…。 ーーええっ、いやいや冗談ですけど(笑) 坂本:だから…なんでしょうね…個人に向かう音楽が好きなんですよね、たぶん。みんなで一体感を求めるようなヒッピーっぽい感じとか、ハンド・イン・ハンド的な。絆とか。そういうのが昔からほんとに苦手で。でもロックでも個人に向けた音楽もいろいろあると思うんですよね。 ーーそれは今のライヴ事情だとなかなか実現しにくいかもしれませんね。みんながライヴやフェスで受けるような音楽を目指しているみたいな状況もあります。 坂本:うん…でもね、ライヴやらなきゃいけないって法律でもできたら、僕はそういう音楽やりますよ(爆笑)。今回のアルバムの曲をライヴでやっても意味がないって思ってるだけで。だからもしライヴをやらなきゃいけないんだったら、ダンスバンドとか盛り上がるような音楽をやりますよ。それはそれで嫌いじゃないですから。 ーーでも法律がなきゃやらないんでしょ(笑)。 坂本:うん、まあそうですね(笑)。 ーーライヴもやらなくなったし、音楽的にもゆらゆら時代とは変わってしまったかもしれないけど、もともと坂本さんの音楽にあった強烈な違和感や一種の気持ち悪さのようなものは、今の音楽にもちゃんと残ってますね。 坂本:うーん、そこのみかもしれないですね、こだわってるのは。激しくないから毒がないとか、鋭くないとは思わないし、自分の音楽に限らず。社会の仕組みとか法律とか、その枠の中の危険なことじゃなくて、もっと恐ろしいものを表現したいというのがあるんですよね。それはさっき言ったような、時間の流れであったり。死もそうですけど。昔読んだ本ですごく印象に残ってるんですけど、この世界で一番あってはいけない、許されないことは、殺人とかではなく、例えば観葉植物が話しかけてくることだっていうんですよ。法律よりももっとベーシックな世の中の決まり事があるじゃないですか。植物は話しかけてこない、イカは喋らない。その一線を越えてくるのは、あってはならないことだと。自分の音楽でそういう恐怖心を与えられるとすごいなと思ってるんです。大前提の約束事があって、それはふだん意識もしないしあえて見ないようにもしてるけど、そのへんを目の前に突きつけられると、やっぱり怖いし、気分悪いですよね。楽しくないかもしれないけど…。 ーー楽しくもないし、安易なカタルシスがあるわけでもない。なんとなくもやもやとした気持ちの悪さ、割り切れなさを抱えて聞くような。そんなアルバムですね。 坂本:うん、音楽の感動って、その要素はちょっと入ってると思うんですよ。 ーー割り切れない部分があるからこそ、何度も聞き返すし、繰り返しの鑑賞にも耐えうる。 坂本:そうですよね。あと、今回は特にロック好きでもなんでもない普通の小学生とか中学生に聞いてもらって「これ面白い」とか言ってもらえるほうがいいな、と思いましたね。「およげたいやきくん」みたいに普通に歌っちゃうんだけど、大人になって初めて、あれはこういう意味だったんだ、怖い曲だったんだと気づくような。そういうアルバムになってくれるといいなと思います。 (取材・文=小野島 大/撮影=金子山)
坂本慎太郎『ナマで踊ろう(通常盤)』(zelone records)
稲葉浩志がタモリとジョギング談義 10年ぶりにソロで『Mステ』出演果たす
『ミュージックステーション』公式ホームページ。
坂本慎太郎はなぜ“人類滅亡後の音楽”を構想したか「全体主義的なものに対する抵抗がある」

「曲がほとんどベースで決まるんだなっていうのが改めてわかった」
ーー2年半ぶりの新作です。構想2年ということなんですが、どういう形で今作の制作は始まったんでしょうか。 坂本:1曲ずつ作っていって…特にアルバムの制作期間だから曲を作り始めるとか、そういうのではなく、日常的にギターで曲を作っていった中で、ちょっと面白いなと思えるのが出来て、それが2曲目の「スーパーカルト誕生」って曲なんですけどね。そこからアルバム全体に繋がるイメージみたいなものが浮かんできて。それを時間をかけて、妄想を熟成させて…って感じですかね。 ーー最初に浮かんだアルバムのイメージというのは、「人類滅亡後の地球で鳴り響く音楽」という歌詞のテーマも込みで? 坂本:いえいえ、歌詞は最後のほうに作るんで。最初に曲だけ作っていって、レコーディングする時点で(歌詞は)あるって感じですね。 ーー前作のあとで反省点とか、次はこうしよう、というようなものはあったんですか。 坂本:それはないんですけど、前作では自分でベースを弾き始めて、ベースラインからアレンジするっていうのを初めてやって。それがすごく面白かったんですけど、そのあとのシングルとかで、その手法はだいたい見えてきたところがあって。次やるならベースは人に頼んで、バンド形式で録ろうと思ったんです。それぐらいですかね。 ーーふたつお聞きしたい点があるんですが、ひとつは、ベースで曲を作ることで何が変わってきたかという点。もうひとつは、前回はほとんどおひとりで作られていたと思うんですが、今回はきっちりとメンバーを決めてリハーサルも積んでレコーディングに臨まれたんですよね。なぜそうしようと思ったのか。 坂本:バンド(ゆらゆら帝国)の時はギターで曲を作って、それをスタジオに持っていってドラムとベースが合わせて、っていう作り方で。基本的にはパートを任せるという感じですね。でもベースで曲を作り始めると…曲がほとんどベースで決まるんだなっていうのが改めてわかったんです。たとえば…抜くタイミングとか。コードに沿って弾かないで、歌メロと、もうひとつ対になるようなベースラインが縫うように来る、っていうアレンジの仕方をやるようになって。あとは、コードがあって、コードの中の一番低いルートの音をベースが弾くっていうのが普通なんですけど、違う音から入って、ギターもコードを弾かないで、鳴ってないんだけど変なコード感が出るとか。ベースだけ聴くと違うコード進行に聴こえるんだけど、歌と、ギターの単音と、3つがあわさってコードになるとか。そういう出来上がりをイメージして、ここはギターが入るからベースを抜いておこうとか。そういう作り方ができるようになったってことですかね。 ーー作り方の自由度が増したということと、鳴らさなくても想像させる、というような考え方ができるようになった。 坂本:そうですね。あとは…曲の完成形が頭にあって、それに向かってどうすればいいか、いろんな方向から、自分の思い通りに考えられるようになったっていうか。 ーーバンドだと自分の思い描いていたものとは違う方向にいくことがあって。それがバンドの醍醐味でもあると思うんですけど…。 坂本:はい、そうですね。その通りですね。一人でやるとそういう細かいところまで自分で考えられる。それって、面白さと同時に仕上がりも見えすぎるところがあって。で、今回ベースは違う人にお願いしようと。バンドでやったのは、スタジオで一緒に練習することで出てくる人間のノリみたいなやつを記録したかったというのがあります。 ーーこういう風に弾いてくれ、という指示は全部坂本さんが出されるわけですよね。 坂本:今回もデモテープを自分で作って、そこには基本的なドラムのパターンと、べースラインは入っていて。それをもとにスタジオに入るんで、全然違うものにはならないんですけど、タイム感が違うので、自分でベースを弾くものとはやはり違ってきますね。 ーー自分の構想した通りのものができるんだけど、最終的な演奏の段階を人に委ねることで、違うニュアンスもそこに加わってくる。 坂本:ああ、そうですね。自分以外の要素をちょっと増やしたかったというか。1枚目はあまりにも「隅々まで自分」だったんで。それをちょっと薄めたい、というのもありました。
「人類が滅亡した地上で、ハトヤのCMがただ流れている、みたいなイメージ」
ーー1枚目に関しては、長年バンドでやってこられたから、「全部自分の世界」というのをやってみたかったんだろうな、というのは感じました。 坂本:あ、そうですね。そうですそうです。一回やったんで気が済んだってところもありますね(笑)。 ーーじゃあ今回のアルバムは「バンドもの」だと思っていいんですか。 坂本:あのう…そこで…いわゆるロック・バンドの感じにはしたくなくて。それはメンバーにも言ったんですけど、ステージに立ってロック・コンサートで演奏しているようなロック・バンドのテンションじゃなくて、もっと寂れたホテルのラウンジとかフィリピンパブのハコバンとか…。 ーーああ、わかります。ビヤガーデンで演奏してるみたいな。 坂本:そうそう。そういうバンドのテンションと空気感の演奏にしたい、と説明して。その感じは出てるかな、と思ってるんですけど。 ーーなぜそんなことをやろうと思ったんですか。 坂本:ええと…それはコンセプトの話に戻るんですけど。2曲目(「スーパーカルト誕生」)が出来た時に考えたイメージっていうのが、昔の常磐ハワイアンセンターとか、ハトヤ温泉とか、ファミリーランドみたいな遊園地でもいいんですけど、そういう人工的な楽園みたいなものを作ろうと思った人達…その人達はもう死んじゃってるんだけど、その人たちの意志や志みたいなものだけが、まだふわふわとこのへんに漂っているような、そんなイメージなんです。人類が滅亡してもその気持ちや魂だけが残って、誰もいない宇宙に漂っているっていうのが、すごいかっこいいと思ったんですね。もっと具体的にいうと、人類が滅亡した地上で、ハトヤのCMがただ流れている、みたいな。 ーー星新一っぽいイメージですね。 坂本:ああ、そうですね。子供のころ読んでたSFマンガやSF小説にも通じるような、そういう世界観をイメージしたんですけど。そこに出てくるバンドってことなんですけどね。それはロックじゃなくて…。 ーー滅亡したあとに流れているのはゆらゆら帝国のような音楽じゃなくて。 坂本:もっとムード音楽みたいな…いろんなロックがありますけど、今の規模の大きいロック・コンサートの、一致団結・連帯、みたいな、ああいうのと真逆の感じがやりたかった。 ーーものすごくわかります(笑)。ゆらゆら帝国でも、特に後期はそういう路線でしたよね。共感とか一体化した熱狂を拒否するような方向。 坂本:僕はずっと、そういう「連帯」とか、「ひとつになる」っていうのがいやで、こういうバンド始めたはずなんですけど、気が付くといつのまにか巨大なステージの中心にいたりして。ふと、こんなはずじゃなかっていうのがよぎったり。 ーーそういうことを感じつつ、どこかで開き直ったのかと思ってましたけど、そうではなかったんですか。 坂本:うーん、今となってはもう覚えてないですねえ。でも…ロック・コンサートの宗教的なノリっていうのは、逃げたい要素ではありますよね。 ーーソロになってからライヴをされてないですよね。それはそういう理由もあるんですか。 坂本:それもありますね。 ーーゆらゆらの『空洞です』の当時のインタビューで、ライヴで盛り上がらない曲ばかりなんでライヴをどうしようか悩んでる、みたいなことをおっしゃってたのが印象的でした。 坂本:曲作りの方向性とかはその当時から変わってないと思うんですけど、一番大きな違いはライヴやってるかやってないかで。レコーディングしたあとにライヴ用にアレンジし直したりするし、やっぱり大きな会場で演奏すると演奏自体も変わってくるから。そうすると意味が変わってきたりとか、ありますよね。同じ曲でも。「さすがに、メッセージ的なものが何もない音楽って、今どうなんだろうって」
ーー今回はバンドとしてちゃんと練られたものとは言っても、ライヴを前提としては考えてないってことですか。 坂本:そうですね。ただあるとしたら、さっき言ったみたいな、ホテルのラウンジとかビアガーデンとか。お客さんがいて、いい感じの音楽が流れていて、音楽をみんなで共有はしてるんですけど、それぞれ全然別の方向を向いて喋ってたり、あるいは音楽を聴いてのったり踊ったりしてる人もいて、という。いろんな人がバラバラに共存してるところに、バンドの音楽がいい感じで流れている、というイメージなんです。そんな感じでライヴができるなら、ライヴもアリなんですけど(笑)、絶対無理なんで(笑)。 ーー人類滅亡後に流れている常磐ハワイアンセンターのハコバンの音楽、というテーマなんですが、音楽は言ってみれば楽園的な--幻想上の楽園かもしれないけど--のどかなものだけど、歌詞は逆にディストピア的なダークなものになってますね。 坂本:人類が滅亡したあとに、かって人類が目指そうとした楽園を作ろうとした人たちの、意志だけがあるって妄想した時に、なんでかわかんないけど、自然とこうなりましたけどね。ストーリーを作ってそれに沿って作詞したんじゃなくて。 ーーそこには文明批判的なニュアンスはあるんですか。 坂本:文明批判というよりは、今現在生きてて感じているような…さっき言ったような、巨大なロック・コンサートの宗教的なノリもそうですけど、なんかこう、全体主義的なものに対する抵抗とか…それが一番大きいですね。あとは、宗教的な陶酔とか熱狂とか、そういうものに対する恐怖もありますし。 ーーそういう宗教的な同化指向とか全体主義的な同調圧力とか、日々暮らしていて感じることが多いわけですか。 坂本:そうですね。 ーー坂本さんはもともと、そういう皮膚感覚というか、社会的な事象に対しての自分の感じ方や考え方を作品に反映させていきたいと考えるほうなんですか。 坂本:いや、考えない方です。 ーーですよね。 坂本:政治的な発言もしないですし、社会的なメッセージみたいなものも--もちろん普通に生きているんで、ありますけど--それを音楽で表現しようとは思わない。思わないんですけど、今回は作品をSF的な設定にしたことによって歌詞を--深読みできないぐらいストレートだと思うんですけど--ストレートに言っちゃったほうが、単純に面白い、というのと、あと…意外と生々しくないっていうのを発見して。僕個人の叫びに聞こえないっていうか。歌詞を単純化することによって、CMのコピーとか標語みたいな感じになる気がしたんですよね。それは強烈だし、なんか面白いなと。今まで自分がとってきたスタンスと矛盾するとは思わなかったし。 ーーなるほど。 坂本:あと、さすがに、メッセージ的なものが何もない音楽って、今どうなんだろうって、ちょっと思いますね。 ーーあ、思いますか。 坂本:はい。歌詞で言うとか言わないとかじゃなくて。なんでしょうねえ…ただ楽しければいいとか、おしゃれだからいいとか…そういうのを今作ろうとは思わないですね。 (後編へ続く) (取材・文=小野島 大/撮影=金子山)
坂本慎太郎『ナマで踊ろう(初回盤)』(zelone records)
AKB48が出演番組の“問題点”を討論 島田晴香「若手メンバーばかり推すのをやめるべき」

AKB48『AKB48 リクエストアワーセットリストベスト200 2014 (200~101ver.) スペシャルBlu-ray BOX (Blu-ray Disc5枚組)』(AKS)
菊池桃子、シティポップの担い手としての魅力とは ラ・ムーの“早すぎたサウンド”も検証
80年代のアイドル界に旋風を巻き起こした菊池桃子。
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Especia「No1 Sweeper」
菊池桃子『青春ラブレター ~30th Celebration Best~』(ERJ)
逆輸入版きゃりーが見せた「100%の本気」 音圧もスピードもアップした”日本公演”レポート

5月17日、18日にZepp Tokyoで『KPP NANDA COLLECTION WORLD TOUR 2014』の東京公演を行ったきゃりーぱみゅぱみゅ。


AKB48、ももクロも出演 「氣志團万博」はなぜ規模拡大を続けるのか?

『氣志團万博2014 ~房総大パニック!超激突!!~ Presented by シミズオクト』各出演者の日割りは5月21日12:00にオフィシャルサイトにて発表。
初音ミクはどう世界を変えたのか? 柴那典+円堂都司昭+宇野維正が徹底討論

柴 那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)
「ボカロカルチャーに10代特有の熱を感じた」(柴)
ーーまずは、柴さんが本を書くことになったきっかけから訊いてみたいと思います。 柴:僕が運営している「日々の音色とことば:」という個人ブログに初音ミクの話を書いたら、それを読んだ太田出版の林和弘さんから連絡があって、これで一冊書きましょうよと。書いた当初は本にしようという気は全然なかったけれど、ブログには単純にその時興味を持ったいろんなネタを載せておいて、それをきっかけにいろんな繋がりができたらな、とは思っていました。 宇野:ブログから始まったという意味でもネット的な本だよね。 円堂:僕も柴さんのブログは面白くて読んでいたし、本としてまとまるのをすごく楽しみにしていました。ただ、本の中でJPOPや洋楽についても触れられてはいるけれど、ここまで初音ミクに特化した内容になるとは思わなかった。こういう形は意外でしたね。 ーー円堂さんの著書『ソーシャル化する音楽』(2013年。青土社)でも初音ミクについて触れられていますが、取材をベースとした柴さんの著書とは異なる、文化批評的なアプローチですね。 円堂:僕は『ソーシャル化する音楽』を書く10年前に『YMOコンプレックス』(2003年。平凡社)という本を出しています。その時にビートルズのレコーディング風景にまで遡り、テクノロジーと音楽の関係を軸にした文化論を考えました。その本の進化版として、『ソーシャル化する音楽』を書きました。僕の場合は文芸・音楽評論家を名乗っていて、文芸評論的なアプローチというか、文献にあたることを軸とするスタイルです。また、本では音楽史を語ることもしていますが、それ以上に近年の音楽と周辺文化の関係性、たとえば音楽とインターネット、あるいはカラオケ、ゲーム、ケータイ・スマホなどとの関係性を、網目状に浮かび上がらせることに力点をおきました。 ーーそれに対して柴さんの本は、取材を通して事実を掘り起こしていくというスタイルで書かれている。 柴:初音ミクに関しては本にも書いている通り、僕自身がムーブメントに乗り遅れていて、ミクが誕生した2007年に居合わせていないんですよね。そういう意味で圧倒的な情報量の足りなさがあるので、執筆の際はクリプトン社の伊藤博之社長や、開発担当者の佐々木渉氏に証言を取りに行くというスタイルになりました。また、僕は2010年に入ってからボカロの音楽を聴いたり、クリエイターに話を聞いたりするようになったのですが、その時に初期の「みくみくにしてあげる」みたいな、いわばキャラクター文化的な初音ミクとは明らかに違う受け取り方をしている層がいることに気付いたんです。きっかけは米津玄師さんだったと思うんですけど、そこに10代特有の熱をーーいわば僕が00年代にロックバンドを通して感じていた熱と似たものを感じたんですね。今回、この本を書いた後に、まだ10代だった2008年からボカロを聴いていた女の子が「『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』って本があって『変えてねぇよ』って思っていたけど違った。私を変えてくれていた」って言っていたのが印象的で。それって主語は初音ミクだけど、それをロックミュージックに置き換えることもできるのかと。「ロックンロールは世界を変える」みたいな話って、実際、サンボマスターなどのロックミュージシャンもよくそういった発言をするわけで。その意味で同じ構造があったということも、この本で主張したかったところです。「セカンド・サマー・オブ・ラブは極めて局地的なムーブメントだった」(宇野)
ーー今回の本では初音ミクを発端とするムーブメントを、1960年代末のサマー・オブ・ラブ、1980年代末のセカンド・サマー・オブ・ラブに続く、サード・サマー・ラブ・ラブと位置づけているところに特徴があります。 円堂:サマー・オブ・ラブに着眼して整理するというやり方は、面白かったと思う。いまだに最初のサマー・オブ・ラブの世代は頑張っていて、去年はローリング・ストーンズとポール・マッカートニーが来日して、今年はポールが再来日だし。彼らの時代から現在までの音楽史を見渡そうとした時、サマー・オブ・ラブはわかりやすいとっかかりになる。 ——宇野さんはセカンド・サマー・オブ・ラブの現役世代ですが。 宇野:現役世代というか、ギリギリ間に合った世代。学生の頃、90年、91年、92年とかに毎年イギリスのクラブやフェスに行ったりして、現場の空気と、それがダメになっていく過程を一応は体感できた。郊外での非合法レイブとか、そういうのは当時ハードルが高すぎて行けなかったけど(笑)。そういう世代だから、柴くんから最初の案の「初音ミクとサード・サマー・オブ・ラブの時代」ってタイトルを聞いた時は、腑に落ちるところと、そうではないところがあった。ファースト・サマー・オブ・ラブはみんななんとなく知ってると思うけど、セカンドのあり方というのが世間的にはいまいち理解されていない気がするんですね。実際、この本で触れられている実証例も少ないと思う。実はセカンドって最初はイビサを経由してのUKドメスティックなもので、極めて局地的なものだったんですよね。レイヴカルチャー自体は、ベルギーとかドイツとかのテクノ系のレーベルとも連動してヨーロッパには広がってはいたけど、それでも当時は、電子音楽先進国といえるような国々にある程度限られていたムーブメントだった。 円堂:1960年代末のサマー・オブ・ラブは、当時のベトナム戦争への反対運動や学生運動などと地続きの現象でした。だから、その世界に浸っていない人でも、社会への反抗といったイメージで外からとらえやすかった。それに比べるとセカンド・サマー・オブ・ラブは、政治性、社会性の希薄な快楽主義で、踊らない人、ムーブメントの外にいる人にとってはいまひとつ、つかみどころがないものだったと思う。 宇野:で、改めて考えると、今のEDMって当時はダンスミュージックの後進国だったスウェーデンとかオランダとかのDJがその中心にいて。それがダンスミュージックの後進国中の後進国であるアメリカの全土にまで広がっていった。つまり、20年以上前にセカンド・サマー・オブ・ラブで蒔かれた種が、当時の子どもたちのDNAに刻まれて、それがこの時代に世界中で爆発しているのがEDM現象だっていう見方もできる。そういう意味で言うと、柴くんが初音ミクをサード・サマー・オブ・ラブと位置付けたとき、恐らく多くの人は「とはいっても日本での話でしょ」って違和感を感じたと思うんだけど、セカンドだって最初は局地的なものだったんだよっていう。それが20年以上経って、より大衆化、風俗化することによって現在の音楽界を覆っているという現状を考えると、もしかしたら20年後には台湾や韓国といった日本の周辺国によってボカロが主流化することだってあり得るかもしれない。そんな想像をかき立てるという点で、あのタイトルは個人的にすごく腑に落ちたんですよね。 ーーセカンド・サマー・オブ・ラブは、円堂さんが指摘したように政治性や社会性、いわばラブ&ピースといった理念性はあまりなくて、さらに言えばセックスやドラッグの快楽を追求するという面が大きかったのでは? 宇野:そう。そこが腑に落ちなかったところ(笑)。僕らが生まれる前のファーストだってそうだっただろうし、セカンドなんて当時の現在進行形のムーブメントでいうならその90%くらいがドラッグカルチャーで、音楽的な部分は10パーセントくらいだった。それゆえに、日本ではあまりリアリティを持って語られなかったんですよね。そう考えると、初音ミクをサードと位置づけたときに、ドラッグに相当するものはなんだろう、という疑問が湧きます。 柴:DOMMUNEの宇川直宏さんの見方を借りると、ファーストはドラッグを意識改革に使っていて、セカンドは快楽のために使っていた。で、ヒッピーカルチャーの中心的人物のひとりで、60年代にドラッグによる意識改革を研究したティモシー・リアリーという心理学者がいるのですが、彼は晩年になるとコンピューターをLSDに見立てて研究しているんですね。つまり、インターネットが意識や感覚を拡張したっていう見方ができる。 宇野:なるほど、そこには意識の改革もあるし、快楽もあると。そう考えると、一応筋は通ってくるね(笑)。 柴:ヒッピーカルチャーが、インターネットの誕生とリンクしていたことを発見したとき、サマー・オブ・ラブを軸とした見立てに確信めいたものを感じましたね。「JPOPが高速化するのと並行して、グダグダを楽しむ文化も広まってる」(円堂)
ーー先ほど円堂さんは、ある時期における音楽と周辺文化の関係性を網目状に記述したと仰ってましたが、柴さんはいわば縦軸、歴史性の導入の方に興味があった。 柴:言ってしまえば、単純にロックとつなぎたかったんです。僕はロッキング・オン出身で、そのキャリアが活かせるブルーオーシャンは他にないと思いました。 ーー柴さんがつなぎたかった“ロック”という文化は、どういったものを指している? 柴:日本のロックシーン自体が、2003年にTHEEMICHELLEGUNELEPHANTが解散したあたりから、思春期的でエモーショナルなロック・バンドが主流に切り替わってきたように感じています。ロックには、いわゆるスタイリッシュなかっこよさ、遡って行くとそれこそザ・フーやローリング・ストーンズといった、ロック・レジェンドから脈々と続くバンドのかっこよさもある。しかし00年代以降の日本のロックは言ってみれば「中二病」的な部分も魅力になっているのかと。僕自身は、それをポジティブに捉えていて、そういう文脈でも初音ミクとつなぎたかったんですよね。 円堂:それはよくわかりますが、キャラクターではない楽器としての初音ミクについて、もう少し読ませてほしかったという感想も持ちました。僕の場合、『ソーシャル化する音楽』の中で、キャラクターとしてのミクに至るまでを追っていて、その後に関しては、あまり追求していなかった。その先は、柴さんがやってくれるだろうと思っていたので(笑)。あと、最近の音楽について、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』の「浮世絵化するJポップとボーカロイド」の章では、楽曲のBPMが高速化して密度が濃くなっている、という指摘をしていますが、それって単純に体力が続かないと思ったんですね。たとえば、ももいろクローバーZのライブなどを観ると、3曲くらい続けて歌い踊った後、ゼイゼイしてグダグダなMCが始まったりするじゃないですか。ファンは、そんなグダグダも愛している。だから、高速化する一方で、グダグダもセットになっているのではないかと。そんな議論もしてみたいですね。 宇野:PerfumeのMCが長いのも、ある意味同じですよね。特にワンマンになると異様に長い(笑)。 円堂:曲の間はテキパキ踊っていても、そうしないともたないわけだし。あんまり間をおかずガンガン演奏するバンドだったら、1時間ちょっとでおしまいとか。2時間も3時間も高速でノンストップなんてできないでしょうし。結局、JPOPが高速化するのと並行して、グダグダを楽しむ文化も広まってる気がします。 柴:ニコ動などはそういう文化ですしね。それはあるかもしれません。 宇野:日本のロックバンドのBPMが速くなったきっかけって、凛として時雨とか、9mm Parabellum Bulletとか、X JAPANマインドがDNAに刻まれている世代のバンドが台頭してからだから、もう随分経つよね。最近はダンスロック系のバンドにしても、そうじゃないバンドにしても、また違ったフェーズに入りつつあるようにも思うんだけど。 柴:それはあるかもしれない。僕は、今の20代のバンドって、90年代とかに比べて遥かに演奏能力が上がっていると思っていて。 宇野:上がっている、上がっている。みんな上手くてビックリする! 柴:sasakure.UKっていうボカロPがプロデュースする有形ランペイジっていう日本のバンドがいて、2011年に「人間では演奏不可能なボカロ曲を演奏する」っていうコンセプトでデビューしたんですよね。で、「千本桜」っていう曲などを演奏していたのですが、今となっては「千本桜」はけっこうみんな演奏するんですよ。高速化を多くのバンドが乗りこなしつつある。この演奏能力の向上には、僕なりに思い浮かぶ理由がある。初音ミクを好きな子ってゲームから入っているケースが多いんですよね。実は初音ミク最大のヒット作は『初音ミク-ProjectDIVA-』というリズムゲームのシリーズで、曲に合わせてタイミングよくボタンを押すというものなんです。こういった音楽リズムゲームはずっと定番で、90年代からあるものなんですけど、最近の若いミュージシャンはあのアーキテクチャに適応している人が多くなってるんじゃないかと。リズムゲームで良い点数を取るには、0.01秒とかの単位でタイミング良くボタンを押さなければいけないので、正確に細かくリズムを刻むことができる才能が育まれたのではないかと思うんです。「ボカロには開発者側の前提を無視した冒険がもっとあってもいい」(円堂)
宇野:僕がわからないのは、YMO世代には電子音楽に対する強烈なフェティシズムがあったじゃない。彼らは電子音楽の歴史や、そのルールのようなものに強いプライドや排他性を持っていた。だけどボカロ世代のフェティシズムのあり方がいまいちわからない。自分は、音楽って結局のところフェティシズムだと思うんですよ。今でも、海外の若いバンドはそれを音圧に込めたり、音色のテクスチャーに込めたりするじゃない。なんかその音圧やテクスチャーが希薄な感じがしちゃうんだよね。 柴:たしかにボカロ界は複雑なところはあって、僕が本の中で評価したり紹介しているクリエイターって、基本的にはそれを使って自分の表現をしたいクリエイターで、あくまでボカロをツールとして使っている人たちなんですが、でも一方で、ニコニコ超会議とかにいくと、初音ミクと添い寝や握手をできるっていうコーナーに長蛇の列がある。フェティシズムはそこにあるんですね。つまり、いるかいないかわからない、2次元のものだけど自分がそこに愛情を注ぐことができるっていう。そこはもう音楽的なフェティシズムとは違うのだけど、そこがボカロカルチャーを初期から支えている要素には間違いない。だからそこにひとつのネジレがありますね。 宇野:自分がハマるかハマらないかは別として、そっちのフェティシズムの方にむしろ突破力を感じるな(笑)。 円堂:ボカロがキャラか楽器かって議論をした時に、楽器として使っていると言っても、結局は歌声として使っている。言葉を歌わせるソフトとして開発されたんだから、当然なんだけど。で、過去のことを考えると、僕がシンセサイザーという楽器を意識するようになったのは、逆説的ですが、クイーンがきっかけなんです。彼らの1970年代のアルバムは「ノー・シンセサイザー」を売りにするところがあった。そこでシンセっぽい音を出していたのは、ブライアン・メイのギターと、コーラスなんですよ。コーラスで一番高い声を出しているのはドラムのロジャー・テイラーなんだけど、金属的なキンキンした音色なのね。それでメンバーの声を多重録音して加工して、キーボードや効果音のように使った。声を楽器として使うというと、僕はそういう領域の表現を想像してしまう。初音ミクに関しては、実験的なことをやっている人はいても、やっぱり詞のある歌が主流。でも、開発者側の前提を無視した冒険がもっとあってもいいんじゃないか。登場した時には珍しかったメロディを歌わないヒップホップ、歌がなくて反復ばかりのハウスやテクノだって、大衆音楽になったんだから。 柴:たしかに実験的なことをやっているクリエイターもたくさんいるけれど、再生数は伸びていなくて、実際にフックアップされるのは、内面的な葛藤や物語を歌詞に託すタイプのクリエイターです。僕はポップスが好きなので、ランキング1位になるような人たちを取り上げていったのですが、結果として当時の思春期の人たちに刺さるような音楽性のものが多く、そういった意味で00年代のロックシーンと相似点があったのかもしれません。そういった論点も含めて、この本をきっかけにいろいろな人が初音ミクの可能性について議論を深めていければ嬉しいですね。 (取材・構成=編集部) ■柴 那典 1976年神奈川県生まれ。ライター、編集者。音楽ジャーナリスト。出版社ロッキング・オンを経て独立。ブログ「日々の音色とことば:」/Twitter ■円堂都司昭 文芸・音楽評論家。著書に『エンタメ小説進化論』(講談社)、『ディズニーの隣の風景』(原書房)、『ソーシャル化する音楽』(青土社)など。 ■宇野維正 音楽・映画ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌などの編集を経て独立。現在、「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「BRUTUS」「ワールドサッカーダイジェスト」「ナタリー」など、各種メディアで執筆中。Twitter
柴 那典『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』(太田出版)