Annie The Clumsy&西寺郷太インタビュー「鼻で笑えるような音楽を作りたい」

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【リアルサウンドより】  ウクレレ片手に弾き語るシンガー・ソングライターAnnie The Clumsyが、NONA REEVESの西寺郷太が主宰する〈GOTOWN RECORDS〉よりデビューを飾った。2010年、イギリス留学中に手にしたウクレレで奏でられるデビュー・アルバム『From My Messy Room』は、オリジナル曲をはじめ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやビーチ・ボーイズのカバー曲までを収録。飾り気のない実直なAnnie The Clumsyのスタイルが見て取れる。  ここでは彼女のありのままのインタビューに加え、レーベルの主宰者である西寺郷太にも同席してもらい、彼女の果てなき魅力に迫ってみたい。

「僕にとっては言ってみれば<紀元前>な感じ」(西寺)

――リリースから約1カ月経過しましたが……反響はいかがですか? Annie The Clumsy(以下:Annie):うーん、よくわかんないです(笑)。でも、地元の大宮のモア・レコードでは<Albums of the Month>に選んでくれたこともあってすぐに売り切れたみたいで。 西寺郷太(以下:西寺):この『From My Messy Room』に関しては、リリースしてすぐに世間に大きな衝撃を与えることを望んでいたわけではないんですよ。僕としてはこれと同じようなデモ的なアルバムをもう1枚出して、さらにそのあとでもっとプロデュースされたアルバムを作って、その3点セットで<Annie The Clumsy>というアーティストの凄さが伝わったらいいなと思っていて。  今回のアルバムはあくまで彼女がいままでやってきたことをパッケージングして手に取りやすいようにしたもので、僕にとっては言ってみれば<紀元前>な感じなんです。だからそもそもスタートラインにすら立っていないし、そういうつもりもなかったというか。彼女のことを高く評価していた人はもともと僕の周りに結構いて、それはデザイナーだったりモデルの子だったり、一番早くおしゃれなことに気づく、いわゆるアーリーアダプターみたいな人だったから、いまはそれを少しずつ増やしていくような段階ですね。 ――これから始まる本編の前日譚的なアルバムというか。 Annie:はい、名刺代わり的な。 西寺:やっぱり彼女のデモテープが素晴らしかったし、もちろん荒いところだらけではあるんだけど、それを配信ではなくそのままパッケージできることなんて今の時代あんまりないと思うので。それをあえてやってるのが今回の作戦ですね。その作戦自体はうまくいってると思いますよ。 ――それにしても……アルバム・タイトルにある<Messy Room>って日本語に置き換えると<とっちらかった部屋>、いわゆる<汚部屋>じゃないですか。さらにそこにきてステージネームが<不器用なアニー>。 Annie:そうですね、〈フラフラしてる〉とか〈おっちょこちょい〉とか。 ――だからYouTubeで事前に動画をチェックしていたとはいえ、どんな人が現れるのか正直心配でした(笑)。 西寺:まあ、変な人ですよ(笑)。 ――この2つのワードからイメージしていくと、完全に社会不適合者じゃないですか(笑)。 Annie:確かにあまり外に出ないです(笑)。

ANNIE THE CLUMSY - YOU ARE A MASSIVE WINKER (BalconyTV)

「ウクレレの魅力はコードが押さえやすいのと、あと持ち運びに便利」(Annie)

――この名前の由来を教えてもらえますか? Annie:イギリスに留学していたときのニックネームが<Annie>だったんですね。で、ウェイトレスをやっていたときにグラスやボトルを割りまくっていて、「なんでそんなにフラフラしてるんだ? お前はclumsyだ!」って言われるようになって。 ――ドジっ娘だ。 Annie:いまもバーテンダーやってますけど、お店のグラスが少しずつ減ってますから。「あれ、もう半分しかない!」みたいな。 ――音楽をやり始めたきっかけがまたゆるい感じで……プロフィールには「2010年、イギリス留学中にもらったウクレレで音楽を始める」とありますね。 Annie:ギターが難しすぎて、もっと小さいのが欲しいってなって当時の彼氏からクリスマスプレゼントでウクレレもらったんです。 西寺:え、2010年? ――そうなんですよ、めちゃくちゃ最近でびっくりしました。渡英前には一切音楽活動はしていなかったんですよね? Annie:それが音楽にはぜんぜん興味がなくて。音楽より映画が好きだったこともあって、演技の勉強がしたくてイギリスに行ったんですよ。ただ、周りにミュージシャンの友達が多かったから、たしなむ程度に音楽をやり始めて、日本に帰国してからもうちょっと本格的にやってみたいと思うようになりました。それで運良く進んでこんな感じに。 ――たった4年でいまのこの状況はすごいと思いますよ。 西寺:初めて会ったのは2年前だよね? 2年前のちょうどいまごろ。 Annie:そうですね。2012年のヤマハ主催の『Music Revolution』というコンテストで郷太さんが審査員長を務めていて。 西寺:そう、だから音楽を始めて2年でコンテストに出場していたってことなんですよ。 Annie:まあ、周りに恵まれていたんですよね。 ――「もらったウクレレで音楽を始める」という軽さと、いまのこの状況とにものすごい飛躍を感じてしまいます。 Annie:そんなにガツガツはしてないんですけどね。 ――初めてウクレレを手にしたときのカジュアルさの延長でここまできた、みたいな。 Annie:ウクレレは持ち運びやすいし、コードも簡単だし……例えばギターのFのコードはすごく難しいけど、ウクレレなら2つだけ押さえればいいから。 ――ウクレレの魅力はコードが押さえやすいのと、あと持ち運びに便利だから(笑)。 Annie:本当にそれです……重いものは担ぎたくないから(笑)。
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「<プロデュースをしない>というプロデュース」(西寺)

――気負いがないというか、生活レベルで音楽やっている感じがするんですよね。 西寺:だから彼女には期待しているというか、化けると思ってるんですよ。単純にビジネスとしていけるんじゃないかって。正直、彼女に対してはぜんぜんプロデュースしてないんですけど、それは<プロデュースをしない>というプロデュースというか……見たことのない花の種を見つけたからとりあえず水をやっておこうか、みたいな(笑)。新人アーティストを育成していくときのいまの日本の音楽業界のルールは必ずしも彼女にはそぐわないと思うし、僕らの計算を越えたところに辿り着く可能性があるんじゃないかって。オフィシャルブログをさかのぼって見たら昔の彼氏とバスルームでハグしてる写真とか普通に載ってたりするし(笑)、とにかくここまで業界を全力でサヴァイブしてきた僕の感覚とはなにもかもが違うから面白いんですよ。 ――こんなこと言ったら怒られてしまうかもしれないけど、良い意味でプロ感が希薄ですよね。 西寺:でも、アニーちゃん、全体的に偉そうなんですよね(笑)。悪い意味じゃないんですけど。偉そうというか、堂々としてるって言ったほうがいいのかな? ――確かに、これが初めてのインタビューとは思えないところがありますが……で、いま話に上がったブログも一通りチェックさせてもらいましたけど、音楽だけでなく映像製作や演技もやってるんですよね。なんというか、アートやクリエイティブな活動全般への関心が高くて、音楽もそのチャンネルのひとつとして存在しているような印象を受けました。 Annie:たぶん、そうなんだと思います。ゆくゆくは演技がしたいと思っているんですけど、昔モデルの事務所にいたこともあって、その道の厳しさもわかっているつもりなので。だから、いまは音楽が自分の表現としてあるからこれをがんばっていけたら……その過程のなかでなんかいいことがあったらいいなって(笑)。 西寺:演技やってるなんて初めて知ったわー(笑)。 Annie:最終的には海外に出ていきたいぐらいの野望はあるんですけど、とりあえずいまはこれでやっていって。 ――いろいろなチャンネルを持っていることがアニーさんの音楽のカジュアルさや生活感に少なからぬ影響を及ぼしていると思うんですけどね。 Annie:コマーシャルの音楽をやっていると、音楽の表現と演技の表現は似てるところもあるなって思って。だから一石二鳥というか、例えばミュージックビデオを作るときは自分で監督も演技もできるわけですよね。 ――アニーさんのそういう音楽に対するスタンスと、ウクレレという楽器がまた抜群に相性がいいんですよね。 Annie:チープな感じだけど癒しにもなるかなって。作曲もウクレレでやってるんですけど、チープなニュアンスを出したいときはいちばん最初にもらった安いやつを使ったりしてますね。あとは最近打ち込みを覚えたくてかんばってるんです。やっぱりウクレレだけだと自分も歌っていて飽きるので……次のアルバムには打ち込みの曲も入れてみたいですね。 ――やっぱり宅録感みたいなものは大事にしていきたいというか。 Annie:はい、それは押し出していきたいですね。

Free as a bird - annie the clumsy

「別に歌で誰かを幸せにしたいとは思ってなくて」(Annie)

――あとプロフィールに<フライト・オブ・ザ・コンコルドに触発されて本格的に曲作りを始める>って書いてあったんですけど、コメディバンドに強い影響を受けてるというバックグラウンドも相当めずらしいですよ。 Annie:だから歌詞も下品なものが多いんですよね(笑)。音楽って愛や失恋のことを歌わなくちゃいけないと思っていたんですけど、フライト・オブ・ザ・コンコルドを聴いて「あ、何を歌ってもいいんだ!」って。別に歌で誰かを幸せにしたいとは思ってなくて、鼻で笑えるような音楽を作りたいんです。掃除中に聴いたりして、鼻で「フッ」と笑えるような。フライト・オブ・ザ・コンコルドはもうすべてが面白くて、外でひとりで聴いていても肩を震わせて笑っちゃうぐらい。やっぱりユーモアがあるのがいいですよね。海外だとウクレレを弾くコメディ・アーティストって結構いて、彼らもそうですけど演技もやったりするんですよ。私がやりたいことを全部やってるから惹かれるんでしょうね。だからシー&ヒムも大好きで、ズーイー・デシャネルは私にとって女神です。 ――シー&ヒムが好きなのはSoundCloudのカバー曲の選曲からも伝わってきましたよ。ほかに好きなアーティストっています? Annie:フィオナ・アップルとかケイト・ナッシュとか、女性のシンガー・ソングライター系が好きですね。 ――あー、フィオナ・アップルもそうですけど、僕はアニーさんの音楽を聴いていてレジーナ・スペクターを連想しました。 Annie:レジーナ・スペクター、大好きです! 映画のワンシーンで流れるような曲が好きなんですよね。 ――あとはチープな録音状態も含めてアノラック系に通ずる良さもありますよね。パステルズやマリン・ガールズのあの脱力感。 西寺:僕はもともとヤング・マーブル・ジャイアンツとかヴァセリンズとか、アノラック系がすごく好きだったんですよ。コンテストの流れで作った自主制作のアルバム(2013年の『Annie Volume 1』)はそういう良さが損なわれてしまって彼女自身不本意な部分もあるみたいですけど、今回、僕的には仮にオーディオ的に粗悪な音でも気持ち良かったらそれでいいと思っていて。 ――そういう経緯を聞くと、『From My Messy Room』ってタイトルは本当によくできていますよね。アニーさんのパーソナリティを端的に伝えるフレーズであると同時に、アニーさんのアーティストとしての素材の良さを知ってもらいたいという意味でもしっくりくるし、前のアルバムを踏まえると、<汚い音かもしれないけどこれがわたしの本当の音楽なんだよ>と解釈することもできますから。この『From My Messy Room』の制作にあたって郷太くんからのアドバイスは何かありましたか? 西寺:カバー曲を何曲か入れてほしいということと、最初から同じような内容で「双子のアルバム」を2枚作ろうって言っていたので曲数をあんまり増やさないようには意識してましたね。曲そのものに関してはなんにも言ってないです。

「最終的にはエイミー・ワインハウス的なサウンド・プロダクションで歌ってるのを聴いてみたい」(西寺)

――結論からいくと、この『From My Messy Room』は、何を聴くか迷ったときにすっと手が伸びるようなカジュアルさやフレンドリーさがあってそれが大きな魅力になっているのは間違いないんですけど、でも単なるおしゃれな心地よい音楽として消費されることを頑なに拒むような毒気があるんですよ。だからヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「Sunday Morning」をカバーしてるのはものすごく合点がいきます。 西寺:うん、そう思いますね。ちょっと怖いんですよ。 ――で、この毒気はどこからきてるんだろうって考えたんですけど、やっぱりそれはフライト・オブ・ザ・コンコルドを聴いて培われたユーモアだと思うんですよね。ユーモアがこの作品を魅力的にしてる、と言ってもいいと思うんですけど。レジーナ・スペクターの名前を引き合いに出したのもそういうところなんですよ。 Annie:さっきも言いましたけど、やっぱり鼻で笑われる感じは欠かせないですよね。そんなに大声で笑うほどのものでもないと思うから(笑)。「フッ」と笑わせられたいいな、ぐらいのつもりで作ってるので……そういうのとダサさを混ぜてる感じ? 西寺:いいですよねえ(笑)。 Annie:どこかのお店の宣伝文句に<こじらせ女子>って書いてあって、言われるまでは気づかなかったんですけど、「あー、きっと私はこじらせてるんだろうな」って。そういうひねくれたものが自然と出ちゃうんでしょうね。 ――宅録感やウクレレもそうですけど、やっぱりユーモアがこのアルバムを軽やかにしているんだと思いますよ。ソングライティング、主に歌詞を書くときに心掛けていることはありますか? Annie:うーん、頭の中に思い浮かんだことをそのまま書き綴ったような……。 ――それこそツイッター感覚というか。 Annie:本当にそんな感じですね。まあ日記みたいなものです。 ――歌詞は今後も基本的には英語詞でいく感じですか? 自分の言いたいことを表現するにあたって日本語よりも英語のほうが書きやすいとか。 Annie:日本語だとあまりにもストレートすぎてたぶんファンがいなくなっちゃうと思うんですよね。もうあまりにも下品すぎて(笑)。英語だとスラングに包みながら曖昧にできますからね。あと日本語で歌うとリズムも崩れちゃうような気がして。 ――漠然とでも構わないのですが、最後に今後のビジョンについて教えてください。 Annie:男ふたり女ひとりの編成でバンドをやってみたいっていうのはありますね……それは単に男に囲まれたいってだけなんですけど(笑)。あとは多国籍バンドも組んでみたいんですけど、そうするとスタジオを借りなくちゃいけなくなるし、面倒くさいからいまはとりあえずこれでいいやって(笑)。 西寺:僕は最終的にはエイミー・ワインハウス的なサウンド・プロダクションで彼女が歌ってるのを聴いてみたいんですよね。例えば、レトロなドラムでホーンセクションもちゃんと入って、でも歌はいまの彼女のままっていう。めちゃくちゃかっこよくなると思うんですよ。いずれにしても、もうちょっと作り込んだプロダクションをやってみたいです。 Annie:あとはバーテンダーの仕事もやめたくなくて……私、これまで1年以上続いた仕事がないんですよ。前もボスに中指立ててクビにされちゃったから。 西寺:え、日本で(笑)? 中指? それすごいな!(爆笑) (取材・文=高橋芳朗)
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annie the clumsy『From My Messy Room』(ヴィヴィド・サウンド・コーポレーション)

■リリース情報 『From My Messy Room』 価格:2,000円(+税) GOTOWN RECORDS:http://www.gotown.jp オフィシャルブログ:http://annietheclumsy.blogspot.jp

Acid Black Cherryは現代ロックのドンキホーテか? 作品に込められた“挑戦”を分析

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【リアルサウンドより】  10月22日にリリースされたAcid Black Cherryのニューシングル『INCUBUS』は、初週に自己最高初動売り上げとなる約65.000枚を売り上げて2位にランクイン。実はこの記録には「CDシングル週間ランキング1位未獲得アーティストによる最多2位獲得」という珍記録までオマケでついてきたという。昨今、チャート上位の常連アーティストでも熱心なファン以外の音楽リスナーからはあまりその実態がよく知られてない、というのはよくあることではあるが、それにしても現在のAcid Black Cherryを取り巻く状況は異例のものだと言えるだろう。  Janne Da ArcのyasuがAcid Black Cherryの活動をスタートさせてから今年で8年目、Janne Da Arcでの活動も含めると実に18年という長いキャリアを持つ音楽家が、現在その人気の新たなピークを迎えているわけである。通常、ここまで長期にわたってポピュラリティを維持/拡大しているバンド/ミュージシャンにはどこかで一般層にバッと広がるブレイクポイントが訪れるものである。しかし、Acid Black Cherryの活動は一部のファンにとって密かな楽しみとして愛でられたまま、その感染範囲をジワジワと拡大させている状況なのだ。ちなみに、今回の『INCUBUS』のリリースタイミングのプロモーションも、テレビ/ラジオ出演など一般的な意味でのプロモーションは一切なし。基本的には公式HPとブログでの発信のみというから驚かされる。  これまで機会がある度に耳にしてきたAcid Black Cherryの音楽から自分が受けてきた印象は、いわゆるビジュアル系の枠組みに収まるものではなく、誤解を恐れずに言えば「歌謡曲」的なものだった。70~80年代の歌謡曲界で異物であり続けてきた沢田研二、バラード曲においてはその甘い声から郷ひろみ。もちろんAcid Black Cherry=yasuの音楽的ルーツの中核にはBOØWYやL’Arc-en-Cielが存在しているわけだが(今回の『INCUBUS』のカップリングでもBOØWY「CLOUDY HEART」のカバーという大ネタをかましている)、もっと広い大衆層にもアピールし得る日本的な歌モノの担い手という認識。Acid Black Cherryのコンセプトとしてよく語られる「エロ」というのも、実はそんな歌謡曲本来が持っていた側面の一つである艶歌(現代もそこに自覚的な表現者の筆頭といえばサザンオールスターズの桑田佳祐だ)の現代的な解釈なのではないかと。しかし、その認識は部分的には正しいかもしれないが、アルバム作品も含めてこれまでの作品をまとめてじっくり聴いてみて、Acid Black Cherryの表現の核はどうやら別のところにあるのではないかと思い至った。  アメリカの犯罪小説の大家ジェイムズ・エルロイの代表作(後にブライアン・デ・パルマも映画化)のモチーフとしてもよく知られる、1940年代のロサンゼルスで起こった実在の未解決猟奇殺人事件「ブラック・ダリア事件」から着想を得たという2009年のアルバム『Q.E.D.』。マヤ暦の予言と世界終末時計と2012年の現在という3つのキーワードを結びつけて、「生きる」ことへの祈りに昇華させた2012年のアルバム「『2012』」。Acid Black Cherryがその活動の本筋であるアルバム作品でやってきたことは、実は70年代の古典ロック的な壮大なロックオペラに近い。すっかりシングル単位、いや、楽曲単位でしか音楽が消費されなくなったこの時代にあって、Acid Black Cherryのそんなドン・キホーテのような挑戦は着実に支持を広げてきた。    来年2015年2月4日には3年振りとなるアルバム『L-エル-』がリリースされることが既に発表されているAcid Black Cherry。「INCUBUS」(睡眠中の女性を犯す悪魔のこと)はその予告編的な位置づけの楽曲とのことで、その歌詞やミュージックビデオには来るべきアルバムへの多くのヒントが隠されているという。そもそもロックオペラという表現形態のルーツにあるのはTHE WHOの1969年のアルバム『TOMMY』という作品で、それは「ロックには人の意識を変革する力がある」という信念から生み出されたものだった。「Acid Black Cherryはその後継者である」なんてところまで大風呂敷を広げるつもりはないが、この2010年代にあっても、そんな大仰な夢を描いて作品に取り組んでいるミュージシャンがいるということは、もっと広く知られてもいいと思うのだ。 (文=宇野維正)
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Acid Black Cherry『L-エル-(Project『Shangri-la』LIVE 盤)』(motorod)

■リリース情報 『L-エル-』 発売:2015 年2 月4 日 【CD+DVD①】〈Project『Shangri-la』LIVE 盤〉 品番:AVCD-32241/B 価格:¥4,800(税抜) ◇「L-エル-」コンセプトストーリーブック付き(100 ページ予定) ※初回限定仕様:デジパック仕様 ヒットシングル4 枚を含む全13 曲収録予定 ・「Greed Greed Greed」 ・「黒猫 ~Adult Black Cat~」 ・「君がいない、あの日から…」 ・「INCUBUS」 ◆Acid Black Cherry “Project『Shangri-la』” LIVE Project『Shangri-la』Encore Season アリーナツアーより 日本武道館LIVE 映像 全17 曲を全曲完全収録 〈2014 年5 月29 日 日本武道館にて開催〉 01_Greed Greed Greed 02_Murder Lisence 03_楽園 04_蝶 05_1954 LOVE/HATE 06_黒猫 ~Adult Black Cat~ 07_君がいない、あの日から… 08_Maria 09_so…Good night. 10_ピストル 11_罪と罰 ~神様のアリバイ~ 12_Black Cherry 13_シャングリラ 【Encore】 E1_doomsday clock E2_scar E3_SPELL MAGIC E4_20+∞Century Boys 【CD+DVD②】〈Project『Shangri-la』ドキュメント盤〉 品番:AVCD-32242/B 価格:¥4,500(税抜) ◇「L-エル-」コンセプトストーリーブック付き(100 ページ予定) ※初回限定仕様:デジパック仕様 AVCD-32241/B のCD 収録曲と同様 ◆Project『Shangri-la』完全密着ドキュメントムービー 2013 年8 月から2014 年6 月まで約10 ヶ月に渡り開催され、18 万人を動員したProject 『Shangri-la』全都道府県ツアーの完全密着ドキュメント映像を収録 約60 分に渡るドキュメント映像では、yasu のライブや作品に対するこだわりからの緊張感あ るバックステージ、また各地でオフショットなど、ABC にとって最長ツアーとなった今プロジ ェクトの貴重映像を、yasu インタビューを交え収録 ◆シングル楽曲4 曲のMUSIC CLIP 収録 1.Greed Greed Greed【MUSIC CLIP】 2.黒猫 ~Adult Black Cat~【MUSIC CLIP】 3.君がいない、あの日から…【MUSIC CLIP】 4. INCUBUS【MUSIC CLIP】 ◆Project『Shangri-la』MC ベストセレクション 1st Season 2013/8/13 福島公演から、Final Season 2014/6/22 宮城公演ま での全61 公演分のライブMC から選りすぐりのMC を収録(全公演分収録予定) 約120 分収録予定 【CD ONLY】 品番:AVCD-32243 価格:¥3,000(税抜) 【初回特典】 ※CD ONLY(AVCD-32243)初回盤のみ Acid Balck Cherry 44 ページフォトブックレット付き yasu の最新撮りおろしビジュアル画像満載、Acid Black Cherry44 ページフォトブックレット付き! 初回限定:スリーブ仕様 ※「L-エル-」コンセプトストーリーブックは封入されていません。 AVCD-32241/B のCD 収録曲と同様
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Acid Black Cherry『INCUBUS(初回生産限定盤)』(motorod)

『INCUBUS』 発売:2014年10月22日 【CD+DVD】〈初回生産限定盤〉品番:AVCD-32238/B ¥1,600(税抜) 1. INCUBUS 2. CLOUDY HEART (“LAST GIGS” ver.)【Recreation Track】 1. INCUBUS 【MUSIC CLIP】 2. OFF SHOT 【CD ONLY】〈通常盤〉品番:AVCD-32239  ¥1,000(税抜) 2曲入り ※AVCD-32238/BのCD内容と共通 【初回特典 ※AVCD-32239限定】 ・ミニフォトブック 封入 Special Price盤 (1曲入り)【CD ONLY】〈初回生産限定盤〉 品番:AVCD-32240 369(税抜) 1曲入り 1. INCUBUS 【封入特典】 ABCオリジナルトレカ1枚封入(全4種) ■オフィシャルサイト http://www.acidblackcherry.com/

巨匠・大野雄二が語る、日本のポップスの発展と成熟「ジャズの影響力は、実はものすごく大きい」

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Yuji Ohno & Lupintic Fiveのメンバー。

【リアルサウンドより】  『ルパン三世』などのテレビアニメや映画音楽、CM曲などを数多く手がけてきた戦後日本を代表するポピュラー音楽の作曲家・編曲家であり、ジャズピアニストの大野雄二が、自身のバンドであるYuji Ohno & Lupintic Five名義での最新作『UP↑』を12月10日にリリースした。バンドのメンバーのみによる演奏にこだわり、ライブ感を重視した最新アレンジで『ルパン三世』の楽曲群に新たな光を当てた同作には、どんな仕掛けがあるのか。大野雄二本人にアルバムについての話を聞くとともに、その長い音楽家人生の歩みと、ジャズとポップスに関する鋭い考察、さらに近年演奏活動に注力する理由まで、大いに語ってもらった。

「『擬似』なんだけど『ライブっぽいでしょ?』っていうのが大事」

――Yuji Ohno & Lupintic Fiveの最新作『UP↑』は、ライブ仕立ての非常に楽しい作品に仕上がっています。 大野:Yuji Ohno & Lupintic Five with Friendsという名義でもアルバムを出しているので、わかりにくいかもしれないけど、Yuji Ohno & Lupintic Fiveの6人だけで演奏するアルバムとしては5作目なんです。それで、1作目が『New Flight』。ものすごく当たり前のタイトルです(笑)。2作目が『What's Going On』。3作目が『Feelin' Good』。4作目が『Let's Dance』。だからそのまま行くともう『UP↑』しかないという感じでした。 ――どんどん高まってますね(笑)。アナウンサーの土井敏之さんがMCで演奏を盛り上げていますが、彼は前作に続いての登場ですね。 大野:土井さんは前作で『A.T.M.』という曲で1曲やってもらって、一種の和製ラップのような雰囲気で面白かったんですよ。あとはライブっぽくしようと思っていたので、そうすると土井さんにやってもらった方がいいな、と。 ――TIGERさんを招いた『MANHATTAN JOKE』は、1985年に河合奈保子さんが歌った名曲で、ルパンファンのみならず、歌謡曲ファンの間でも長く聴かれています。もともとAORやフュージョン的なテイストを持った曲ですが、今回のアレンジについてはいかがですか。 大野:1993年に声優の山田康雄さんと作ったアルバム『ルパン三世・Tokyo Transit〜featuring YASUO YAMADA』でやったバージョンなんです。もちろん細かいところは変えてますけど、ポップな4ビートで「こういう感じ」というところは同じ。河合奈保子が歌ってるときはシンセがメインで打ち込み、それにブラスや弦も入ってるけど、これはあくまでLupintic Fiveのアレンジなので、僕がシンセをいっぱい弾いています。Lupintic Five名義の決まりごとは、演奏にほかの人を入れないというだけなので、今回はライブで演奏できる形じゃなくてもいいやと割り切って、ダビングはけっこうやっています(笑)。ブラスもたまに4管(4人編成)にしたりしているんですけど、「うちのメンバーがダビングしてるんだからいいか」と。 ——ライブでの再現性にはあまりこだわらなかったと。 大野:再現するのが大事っていうこともあるけど、あえて外すのもけっこう面白いです。そのあたりが、僕がCM音楽などを長年手がけて培ってきたノウハウというか、「無視するところは無視しちゃえばいい」というところ。その時に、どのくらい無視していいかをチョイスするのがセンスです。 ——なるほど、ちょうどいいバランスがあるわけですね。 大野:具体的にいうと、聴いてくれた人が「すげえダビングしてるな」と思わない程度なら、やってしまっても構わない。ちょっとお化粧が濃いくらいです。「擬似」なんだけど「ライブっぽいでしょ?」っていうのが大事で、「やっぱりちょっとはトッピングが入っていた方が食べるときおいしいよね」というときに、それを我慢する必要はない。ポピュラーミュージックはそういうセンスが大事なんです。

「ちゃんとポップスを聴くと、素晴らしいドミソはすごいんだ、ということに気付いた」

——そのあたりは、日本のポピュラーミュージックの礎を築かれた一人である大野さんならではのご発言だと思います。もともと1960年代中盤にジャズのピアノ奏者として出発された大野さんがポップスの魅力に開眼されるプロセスとは、どんなものだったのでしょうか。 大野:僕が音楽を志してから最初の頃の5年間くらいは、ポップスはつまらないものだと思っていて、ビートルズさえも聴かなかったです。ジャズというのはたしかに勉強すると難しい音楽で、気が狂ったような状態で5年はやらないとうまくなりません。僕の場合は高校1年の秋から大学卒業までの5年半、ジャズに没頭していて、大学4年の頃にはプロとしてやっていました。 ——その後、数々のジャズグループへの参加を経て、1970年前後からポピュラーミュージックも含めた作曲活動を展開されます。そのきっかけとは? 大野:その頃の日本のジャズはまだ未熟だったので、アメリカに追いつけ追い越せという文化でした。いっぽうで当時のアメリカのジャズは層が非常に厚く、ジャイアントたちがたくさんいました。そして、あの頃は戦争前と違って、リアルタイムですぐに聴くことができたわけです。それを聴いた時に日本の人たちは一番新しい音楽を求めすぎちゃって、評論家からプレイヤー、お客さんまで、「新しいことをやっている人がすごいんだ」と思っちゃった。アメリカでは、ジョン・コルトレーンたちが新しいことをやって、彼らに追い抜かれていく人たちもいるわけだけど、本当はその人達だってすごいんです。つまり、新しいものが生まれる背景には、昔ながらの素晴らしい演奏をしている人たちがいて、そのせめぎ合いがあるからこそすごいのですが、日本の場合は急に新しいところにいった。僕から見ると「それは違うな」という感覚がどんどん強くなったんです。はっきりと意識できるようになったのは、アメリカのプレイヤーが来日公演をするようになった頃、コンサートの終了後にお店に遊びにきた彼らと一緒に演奏する機会があったから。 ——大野さんの著作では、1968年に六本木の「マックスホール」という店で、サム・ジョーンズやボビー・ダーハムらと共に演奏したエピソードが紹介されていますね。 大野:彼らは伝統的なこともすべてできて、その上で新しいことをやっている。それに比べて、日本の人たちはベーシックなところがあんまりうまくできない。それで僕は「これじゃダメだ」と思って、どんどん後ろに下がって勉強していったら「あいつはマンネリだ」「ちょっと前までは尖っていたのにそうじゃなくなった」という感じに受け止められた。だけど、向こうの人には「お前はすごくいい」と言われて、「昔にさかのぼってまともなことを勉強していることをわかってくれているんだな」と思いました。日本の人たちはそのことをいまいちわかっていなくて、ピアニストだったら当時一番新しいハービー・ハンコックとかマッコイ・タイナーとかのプレイをそのままやっているような人が「すごい」、ビーバップとかハード・バップのピアノを弾いている人は「古い」ということになっていた。それで「こんな世界で音楽やっていたくないな」という気持ちになって、段々離れていきました。 ——そんなときに、CMのお仕事の誘いがあったと? 大野:本当に偶然にね。すると、今度は今まで馬鹿にしていた音楽を聴かなきゃいけない。しかし、ちゃんとポップスを聴くと、素晴らしいドミソはすごいんだ、ということに気付いたんです。それまでは複雑な和音が最高だと思っていたんだけどね。つまり、音楽的に難しくてもつまらない音楽はつまらないし、易しいことをやっていてもすごい音楽はすごいんだということを、仕事として思い知らされた。それで死ぬほどポップスを聴くようになったんです。

「ギャンブル&ハフのセンスに驚いた」

——当時、ポップスですごいと思った音楽はどんなものでしたか? 大野:例えば、サンタナとか。ジャズをやっていた頃は、なぜこれを素直に受け止めなかったんだろうと思いましたね。ビートルズを聴いたときは、簡単なコードしか使わなくても、工夫して使うとこういう風になるんだ、と関心しました。それから、ドリス・デイだとかエルヴィス・プレスリーのようなアメリカのポピュラーは、良き時代のジャズの影響を受けていて好きでしたね。アメリカ以外では、フランスやイタリア、スペインのポップスも聴きましたし、イスラエル、アフリカ、ブラジルまで、手に入るものは何でも聴きました。70年代のはじめの頃ですね。 ——ちょうどその頃はソウル・ミュージックで言えば、マーヴィン・ゲイのように新しいサウンドに挑戦するミュージシャンが活躍し始めた頃でした。 大野:マーヴィン・ゲイも、サウンドで言うとジャズに影響を受けているんです。その影響の受け方がポップで、それは僕らのようなジャズをやっている人間には受けつけられなくて、シャットアウトしちゃうわけ。でも、自分が変わったおかげで、「俺もこういうのすぐできそうだよ」となるんです。受け入れさえすればサウンド的にはすぐわかるから。一番勉強になったのはリズムです。リズムセクション、ドラムとかベースのパターンの絡みとかね。ジャズの場合、同じような一定のリズムをずっとループする、ということを嫌っていて、どんどんぶっ壊していきたいんです。でもソウル・ミュージックは踊ることが基本だから、それがなくなっちゃったら意味がない。それで、ループをつまらなくしないために、ドラムスのバスドラムに対してベースがどう合わせるかとか、韻を踏んだりとか、ラテンパーカッションが入ってくるとか、いろいろな工夫があるんです。単純なことでもこんなに組み合わせのパターンがあるとすごい、ということを勉強しました。 ——一番関心を惹かれたソウル・ミュージックはどんなものですか? 大野:普通にマーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダーあたり、途中からフィリー・ソウルですね。これはもうギャンブル&ハフのセンスに驚きましたよ。ただ、彼らのように洗練されたものばかりじゃなくて、ミリー・ジャクソンのような南部の土着っぽいもの、ただわめいちゃう、みたいなものも嫌いじゃない。土地によって違うんだな、と思いながら聴いてました。 ——非常に幅広くお聴きになったのですね。 大野:それはCMをやっていたからです。一番多い時で年間200本近くやっていました。僕は、小林亜星さんのようにジングルっぽいものやそれに歌をつけてわかりやすくするというより、ちょっと難しいものを頼まれることが多かったんです。その頃から企業CM的なものが増えてきて、一種の劇伴的な要素というか、「うちの会社は損得考えずに良いことやってますよ」というようなものね(笑)。そういうのはけっこう音をつけるのが難しいんですよ。「マルハのちくわ」と歌っているだけじゃダメで、僕はそういう仕事の方がやりたかったんだけど、そっちはあんまり来なかった。専門色が出る、難しめ、かっこいい感じのCMが多かったですね。

「音楽全体が劇的に変わったのは60年代から80年代の途中までじゃないかな」

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いまなお多くのライブを行っている大野雄二。

——いろいろなジャンルへの興味は今も継続してお持ちですか? 大野:最近ちょっと不勉強ですね。昔のものを聴いちゃいます。ジャズがそうなんだけれど、20年、30年とやり尽くしたところがある。だから最近のジャズの雑誌を読むとわかるけど、新しい人は取り上げないで、亡くなった人をもう一度違う角度で研究する、というようなものが多いですね。 ——音楽には無限に新しいパターンがあるという見方もある一方、各ジャンルでできることは有限であるという考え方もありますね。大野さんはどうお考えですか。 大野:ファッションと同じで繰り返すんじゃないでしょうか。何十年か経つと、あるジャンルの要素をうまく取り出して、それを核にしていながら、その間に変わっていったものやそのアーティストの個性を盛り込んだ音楽がまた流行する。それを聴くのは、そのジャンルの音楽を一生懸命聴いていた世代じゃなくなっているから、新しく聴こえる、という風に。だからある意味で、音楽全体が劇的に変わったのは60年代から80年代の途中までじゃないかな。  例えばプレスリーは今考えればそれほどロックな人じゃなくて、ポピュラーソングの人です。でも形態としてロックのスタイルを取りました。あの人はどちらかというと黒人音楽派です。ナッシュビルとか、いわゆるカントリー・ウェスタンみたいなものからロカビリーとかヒルビリーが出てきて、白人でもリズム&ブルースが好き、というような流れからロックスターになりました。だからヒットした曲は、ロックというよりスタンダードナンバーという感じの曲です。完璧にロックなバンドとして出てきたのがやっぱりビートルズで、ここでひとつ変わりました。ロックといってもただうるさいだけじゃなくて、知的なこともできるバンドで、ローリング・ストーンズはその対として、ビートルズがいたからこそ際立った面があると思います。アメリカの黒人達は黒人達で、ソウル・ミュージックを生み出してスティービー・ワンダーが出てきてモータウンがあって、そうするとそれに対をなすように、例えばフィラデルフィアが出てきたりするわけです。で、やっぱりその中で大きく音楽を変えたのはEarth Wind & Fireですね。でもそのEarth Wind & Fireも、一時代を築いたけれど廃れちゃった。ただ、アメリカがすごいのは、そういう興亡がいろいろあっても、それぞれがそこそこ生き抜いてはいるんです。 ——70年代から80年代にかけて数多くの作品を世に送った大野さんも、新しいものを作っていこうという気概を持っておられたのでは。 大野:そうですね。いち早くミキサーもできる作曲家になりたかったです。70年代の途中から、機械のこと、ある楽器にどうエフェクターを掛けるか、というようなことが分からないアレンジャーは置いていかれました。機材や録音の仕方が、最終的に音を作るときにすごく重要になってきたんです。昔は「技師」という感じでミキサーは聖域で、作曲家が何か言うと怒られたものでしたが、それが段々口出しできるようになっていきました。  CMの世界でも作曲家の役割は変化していきました。終戦後に民放ができて、初めてCMというものができました。それもラジオからです。それまではNHKしかなかったからCMという考え方がなくて、広告といったら電柱や雑誌や映画館のニュースの合間にやるものだった。それがまずラジオCMからできました。ただ、そういう専門家は誰一人いなかったから、器用な人たちがやっていたわけです。その第一世代が「CMの父」三木鶏郎さんとかです。そこにいたいずみたくさんなどがだんだん分かれて自分で会社を作っていきました。いずみたくさんは第二期とか第一期の亜流という世代で、僕は第三期くらいになります。その頃になると多少CMのやり方はわかってきているけど、完璧なノウハウというのはない。CM専門の監督というのもいないから、映画監督でちょっと仕事がない人なんかがやる。だから、CM音楽を作るときの打ち合せというと「明るく楽しく」とかで終わっちゃうんです。自由だったのである種のやり甲斐はあったんだけれど、時が進むに連れて、だんだんサンプルを渡されるようになってきました。要するに広告主に「こういう風に作りますから」と言ってあるので、そういうものを作れ、要するに盗作しろ、ということです。広告主の要求とズレないようにサンプルを渡すようになっていったんですね。だから広告代理店の中で、制作よりも営業の方が強くなっていきました。それでだんだんつまらなくなって、少し離れていったんです。 ——それは、大野さんが演奏活動を再開された時期と重なっていますか? 大野:だからそうした、というわけじゃないですが、重なっていますね。昔の仲間に「年に1回でもいいから一緒にやってくれ」という人がいて、ついやっちゃったんですよ。作曲家をしていた頃は、一度もお客さんの前では弾いたことはなくて、観客のいないところで音楽を作ってきました。それで、久しぶりにお客さんの前で演奏したら「楽しいな」と思っちゃった。 ——20年弱くらいブランクがあったことになりますね。作曲家としての活躍を経て、再び観客を前にジャズミュージシャンとして活動するのは、以前とはまた少し違う感覚でしたか。 大野:作曲家をやってプロデュースもやって、いろいろと俯瞰してものを見るようになった上でプレイヤーに戻っているので、ジャズ・ピアニストとして初めてやった頃の感覚にはもう戻れません。若い頃は、「やりたいことをやってるんだから、お客さんは勝手に聴けば良い」なんて思っていましたが、いまはやっぱりお客さんが楽しめるようにと考えます。でも、だからといって媚びちゃダメなんです。これ以上易しいことをやってウケようと思うなら、ジャズなんてやってる意味がない。たとえば、ここに川があるとして、僕はこっちの岸にいます。お客さんは向こうの岸にいる。そこで、僕は川を渡ってお客さんの岸に行くことはしないんですが、そっちの岸のことはよく見ていて、「こっちに来たい人はおいでよ。こっちも楽しいよ」と手を振ることはします。それ以上はやらない。生意気なことを言うと、僕らの音楽を聴いて理屈抜きに楽しくて、ジャズを好きになったら、僕らを通り越してもっとマニアックなところに行ってくれればいいんです。自分の経験で言うと、それで難しいものを聴いたりしても、けっこうまた戻ってきます。聴き方の深さが違うと、こっちがどれくらい深いかもわかるものです。

「まともなジャズの影響力というのは、実はものすごく大きい」

——大野さんのお仕事は90年代後半くらいからクラブDJやミュージシャンからも評価され、例えば中納良恵さんのEGO-WEAPPIN'も広い意味で影響を受けていると思います。そうした新しい世代のジャズへの取り組み方をどう見ていますか? 大野:例えばルパンのサンプリングものでは、あまりにも気負いすぎて何やってるんだかわからないものもあるけれど(笑)、ちゃんとしたものはある意味でインパクトを出してくれるので、僕らがやっているだけよりも有効にお客さんに広めてもらえている部分があります。みんなやっぱり、どこかジャズの要素がないとかっこよくならない、ということを知っているんだよね。 ——ジャズの要素が入ることでポップスはどう変わりますか。 大野:例えば3コードだけじゃなくて、難しいコードをうまいことちょっと入れるとか、そういうところですね。ちょっとわかっている人だと「俺の感覚ではこの音が入るとカッコいいんだけど、どう(弦を)押さえたらいいのかわからないな」という憧れがあるんじゃないかな。 ——ジャズには、ポップスの枠をちょっと超える効果があると。 大野:まともなジャズの影響力というのは、実はものすごく大きいんです。その代わり、アーティスト個人が突然有名になる、ということにはなりにくい。インパクトがそこまで強くないんです。インパクトが強い人は一言で言うと、センスはなかろうとバカテクの人です。これはサーカスと一緒。いち早く「すげー」と思わせるのは何かとんでもないことをやる人なんだけど、僕から言わせると「それが音楽的に何の意味があるんだ?」というものでしかありません。そういうものはやっぱり聴いたらビックリするんだけど、長続きするかというとすぐに飽きます。僕がよく言うのは、「白いご飯や水や空気が一番強い」ということで、そういうものはインパクトは弱いけれど、なくなったら大変なことになる。 ——Yuji Ohno & Lupintic Fiveのアレンジを手がける際は、どんなことを心がけていますか。 大野:Lupintic Fiveは6人ですから、だいたい音の想像はつきます。「こう書いたらこいつはどうプレイするかな」、ということもある程度わかります。その人をうまく使いこなすために、放し飼い的に書くか、あるいはかなり縛りを入れて書いたらどうなるか、ということは要素がいっぱいあって楽しいです。管が2管のバンドだったら、ユニゾンか2音のハーモニーしかないので、いろいろ考える場合は逆に難しいんです。人数が増えたら増えたで、ストリングスがいてブラスがいて、となると、これはこれで楽しみが別になっていきます。書いても想像しきれないところもあるので、それはそれで楽しみです。特にLupintic Fiveは、和泉聡志くんというギターが完璧に別の世界の人で、もともとロック畑だから、アレンジを書いていても想像がつかなくて楽しいです。他のひとはだいたいジャズの括りだから、だいたいどんなブレがあっても予想の範囲内なんだけれども、でも和泉くんはわからない。 ——大野さんからしても予想外、と? 大野:あいつが面白いのは、ロックなんだけどやっていくうちに段々ロックがつまらなくなってきて、ジャズや難しい音楽に傾倒してきた奴だから、こっちにすごく興味があるわけ。かといって、あいつがジャズっぽくやったら「あんたがいる意味がないよ」と俺が怒るわけ。ジャズギターの上手い人は他にいるから、ジャズっぽくやるんだったらそいつを使えばいい(笑)。 ——和泉さんの存在がこのバンドの大きな特徴になっているということですね。 大野:ものすごく特徴になっています。今回は『UP↑』というアルバムですが、和泉くんとトランペットの松島啓之くんが一番わかりやすくアップでしょうね(笑)。Lupintic Fiveの場合は、僕のピアノはどちらかというとあんまり目立たない感じです。 ――大野さんはたくさんの作品を手がけていらっしゃいますが、その中でもルパン三世がライフワークになっています。やはりご自身にとっても特別な作品ですか? 大野:はい。モンキーさんが作ったあの人数といい、絶妙な関係性といい、よくこの登場人物を作ったな、という感じがします。ルパンは生い立ちとか行動がよくわからない存在だから、何をやってもOKで「世界を股にかける」ということも簡単にできてしまう。だから、僕が世界を股にかけて聴いて蓄積してきた音楽のノウハウが存分に使えるわけです。基本はジャズなんだけど、ボサからソウル・ミュージックから、イスラエルやアフリカ音楽やスペインポップまで聴いてきたことが全部活かせるんです。例えばルパンの劇伴とかが一番そうですけど、他ではそうはいきません。その感覚で日本の普通のドラマの劇伴を書いても合わないんです。フォークソングの四畳半的なものが入ってこないと日本のドラマでは合いません。だから意識してそういう要素を入れて書いてるんだけど、ルパンの場合は四畳半フォークソングを入れる必要があんまりないんです。唯一あったのは、あまりにも五ェ門がずっと平泉にいる話だったから(笑)。そのときには生ギターを多く使いましたけど、普通はどちらかというとエレキギターの方が合うようなところがあります。だからやりやすいんだよね。あとは、ルパンの性格が、何十年もやっていたら自分に似てきた、というのはあるかもしれない(笑)。俺があっちに似たのかもしれないけどね。音楽でも文章でも、面白い、オシャレ、間抜け、みたいなところが上手いことミックスしていないと嫌なんです。だからアルバムでも、全てオシャレにまとめるのもたまにはいいんですけど、そのまま突っ走るみたいなのは好きじゃない。 ——そういう意味でも(ルパン役の)山田さんも含めてすごく相性が良いんですね。 大野:山田さんとは本当に気が合いましたね。だからきっと、あの人もルパンが乗り移っちゃったんだよ(笑)。 (取材=神谷弘一/構成=松田広宣)
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Yuji Ohno & Lupintic Five『UP↑with Yuji Ohno & Lupintic Five』(C)モンキー・パンチ/TMS・NTV

■リリース情報 『UP↑with Yuji Ohno & Lupintic Five』 発売:12月10日(水)発売 定価:¥3,000+税 <収録曲> 1.ATMIDO feat. 土井敏之 2.UP with ATM #1 3.COMIN' HOME BABY 4.MANHATTAN JOKE feat. TIGER 5.UP with ATM #2 6.BEI MIR BIST DU SCHON 7.FAIRY NIGHT 8.UP with ATM #3 9.ZENIGATA MARCH 10.LOVE SQUALL 11.UP with ATM #4 12.SEXY ADVENTURE feat. 中納良恵 (from EGO-WRAPPIN') 13. UP with ATM #5 14.DESTINY LOVE feat.TIGER 15.UP with ATM #6 16.THEME FROM LUPIN THE THIRD ’89 (Lupintic Five Version) 17.SAMBA TEMPERADO ■ライブ情報 11月29日(土) 小金井市民交流センター リリースツアー『Lupintic Jazz Live TOUR 2014』 12月25日(木) Motion Blue YOKOHAMA 12月29日(月) Billboard Live OSAKA 12月30日(火) NAGOYA Blue Note and more

長澤知之が明かす、“歌”と向き合う切実な日々「音楽はメッセージがなくても崇高なもの」

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長澤知之「IN MY ROOM」公演の模様。東京キネマ倶楽部にて。

【リアルサウンドより】  長澤知之が、企画盤『長澤知之』シリーズの第3弾となるアルバム『長澤知之Ⅲ』を11月14日から行われた「IN MY ROOM”TOUR 2014」で会場先行販売し、現在はAugusta Family ClubとiTunes Storeで販売している。同作は、自室を模したセットをステージに設置した「IN MY ROOM」公演とリンクした作品であり、長澤知之の“部屋”に遊びに来たような感覚で楽曲を聴くことができる一枚。デビュー前の初期作品を含む粒ぞろいの楽曲がアコースティック基調のサウンドで収められているほか、人間の頭部模型にマイクを取り付けて録音する“バイノーラル録音”という手法で制作した楽曲も収録。長澤の生々しくも艶やかな歌声を臨場感たっぷりに聴くことができる。シンガーソングライターとして新たな表現を模索する長澤は、どんな思いからこうしたライブやレコーディングの発想を得たのか。宇野維正氏による長澤本人へのインタビューに加え、編集部では今回レコーディングを担当したエンジニアの佐藤洋介氏にも話を聞いた。(編集部)

「『IN MY ROOM』は、自分にとってある種のリハビリでもあった」

――リアルサウンドには初登場ということで、改めて訊きますが、長澤くんのことはシンガーソングライターって呼んでいいのかな? それとも、ただのミュージシャン? 歌うたい? あるいは、ロックミュージシャン? 長澤知之(以下、長澤):シンガーソングライターでいいです。ロックミュージシャンと言われると、面映い感じですね(笑)。 ――じゃあ、長澤くんにとってシンガーソングライターとは? 長澤:直訳の通り、曲を書いて歌う人。で、なんで曲を書いて歌うのかというと、書きたい曲があって、それを歌いたいから。うん、だから、自分にすっぽり当てはまりますね。 ――ただ、一般的に「シンガーソングライター」という言葉って、聴いていて心地がよい歌を歌う人というイメージがあるじゃないですか。あるいは、音の革新性とかとは関係なく、ただグッドメロディを追求する人みたいな。そういう意味で、長澤くんがやってきたことはただ心地よい歌だけじゃないし、曲によっては革新性なサウンドを鳴らしてきましたよね。 長澤:うん。そういう曲もあるし、そうじゃない曲もあります。自分の頭の中に曲が浮かぶ時には、そのサウンドも含めて浮かぶことが多いし、そういう時は自分が信頼しているミュージシャンやエンジニアの方に相談してなるべくそのサウンドに近づくようにアレンジもしていきます。ただ、やっぱりそれも含めて、歌が中心にあることは間違いないから、やっぱりシンガーソングライターでいいんじゃないかな。 ――いや、なんでそんな話からしたかというと、今回の『長澤知之Ⅲ』は、これまでの長澤くんのアルバムやミニアルバムと比べて、極めて素のシンガーソングライターとしての面が出ている作品で。どうしてこのタイミングで、こういう作品をリリースしようと思ったのかを訊いていこうと思ったからなんですけど。
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ステージ上には、長澤の部屋のようなセットが用意されていた。

長澤:今年(2014年)は、「IN MY ROOM」という、ステージの上をまるで自分の部屋のようにして、一人で演奏するという企画ライブをずっとやってきたんですよ。自分が一番歌いやすい環境、自分が一番妄想しやすい環境を現実に作って、そこで思う存分に歌うという。春から秋にかけては青山のライブハウス(月見ル君思フ)で、そして、ちょうど終わったばかりですが、11月には東京、名古屋、福岡、大阪と回って。今回の『長澤知之Ⅲ』はそれが直接的なきっかけになっていて、もう一つは、単純に、自分の新しい曲を世に出したいという思いがあって。最初は全部ライブ録音にするとか、今回、昔からあった3曲で試みているバイノーラルレコーディングで全部録音するとか、いろんなかたちも考えてみたんですけど、結果的に一番自然なかたちになったのがこの作品ですね。 ――バイノーラルレコーディングの3曲は、ヘッドフォンで聴くとちょっとビックリするほどの臨場感ですよね。 長澤:すごく面白かったです。こんなにも自分の声が明け透けに聴こえるのかって、照れくさくもあったけど、それはそれで表現として美しいものになっているんじゃないかって。ただ、収録曲の全部をあの方法で録るというのは、自分がリスナーの立場になって考えてみると、ちょっと嫌だなって(笑)。ちょっと濃すぎるというか(笑)。 ――そうかもしれないですね(笑)。 長澤:この作品では、自分の部屋ではあるんだけど、いきなり部屋の中で二人きりというわけじゃなくて、「部屋においでよ」ってところからやりたかったので。 ――なるほど。じゃあ、一曲目の「只今散歩道」は、駅に迎えに行って、そこから部屋のあるアパートまで歩いている感じだ。 長澤:そうそう。それに、部屋に入った瞬間からいきなりテンション上げられても怖いでしょ(笑)。人の部屋に上がるのって、それだけでも緊張するし。だから、まずは「どうぞお茶でも」という感じで始めたかった。 ――そもそも、どうしてステージ上に自分の部屋を作って、そこで一人でライブをやろうと思ったんですか? 長澤:まぁ、ぶっちゃけて言ってしまいますけど、ある時期から、ライブをやるのがしんどくなっていたんですよ。ライブの直前になると、「逃げたい」という気持ちになることが多くて。 ――え? そうなんだ? それ、ミュージシャンにとって結構深刻な話ですよね。 長澤:そうですね。今年一連の「IN MY ROOM」をやってきたことで、その「逃げたい」という気持ちがようやくなくなってきて。だから、自分にとってある種のリハビリでもあったんですよ。ある時期からライブが怖くなって、いろいろ周りの人にも相談をして、それで自分は一番リラックスできる環境をステージ上に作ればできるんじゃないかって。それが大きな理由の一つでもあったんです。 ――なるほど。そんな切実な背景があったんですね。 長澤:切実っすよ(笑)。ただ、それだけじゃなくて、これまでライブをやってきて、もっと自分の妄想が実現できるような場所を作りたかったという思いがあって。だから、一石二鳥というか、自分にとって意味のある企画になって本当に良かった。ちゃんとステージ上で心から楽しめる状況までいけたってことが、今はすごく嬉しい。
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床に胡座をかいて歌う一幕も。

――じゃあ、リハビリは終わったと思ってもいいのかな? 長澤:はい、大丈夫です。2014年は自分にとってそういう年で、せっかく声をかけて頂いても出れないイベントとかも結構あったんですけど、もう大丈夫なので、よろしくお願いしますという感じです(笑)。 ――確かにね。こんな話、その渦中にあったら言えないですもんね。 長澤:はい(笑)。 ――いや、でもその話を聞いていて思ったのは、僕らのような見る側の人間は、ライブの演出って「お客さんにどう見せたいか」というところだけでいろいろ考えているだけだと思いがちですけど、演る側の人間が一番やりやすい環境をどう作るかっていうのも、実は大きなテーマだったりするんだろうなってことで。その視点というのは、これまであまり考えたことがなかったですね。 長澤:どうなんでしょうね。人によってはそうかもしれないですね。

「こう見えて、世の中に適応したくないわけじゃない(笑)」

長澤知之 / 享楽列車

――『長澤知之Ⅲ』の2曲目「享楽列車」の舞台はラッシュアワーの新宿駅ですが、ちなみに長澤くん、満員電車は平気なんですか? 長澤:好きじゃないけど、乗らなきゃいけない時は乗りますよ(笑)。この歌は、夕方の新宿駅で行き交う人たちを見ながら、そこでいろいろ妄想していって生まれた曲で。もちろん、その中には自分のことも投影されてますけど。 ――自分はマジで満員電車ムリですからね。僕より全然マシじゃないですか。 長澤:いや、こう見えて、世の中に適応したくないわけじゃないんですよ(笑)。適応したいし、ものすごく適応できている友達とかを見ていて憧れることもある。ただ、世の中にどうしても嫌だなって思うことはあって、その気持ちをどこかに吐き出さなくちゃいけない。それが自分にとって音楽になったり、詞になったりしていくというのはありますね。もちろん、それがすべてじゃないですけど。ただ、たとえば宇野さんが今言ったみたいに「俺、ムリだわ」って思ってるようなことがあったとして、そこで自分の音楽が何かの助けになるというか、共感してもらえて気持ちがちょっとでも楽になるようなことがあれば、それが自分にとっての救いなんですよね。そういう時に「俺、生きててもいいんだな」って思える。もし自分の音楽、というか、自分に価値があるとしたら、それだけかもしれない。自分にとって音楽をやるというのは生命線みたいなものだし、それが誰かにとっても生命線のようなものになることができたら、それが一番嬉しいし、続けていきたいなって思えるんですよ。 ――「適応できねえ!」って開き直ってるんじゃなくて、「適応したい」と心から思っているというのは、すごく音楽から伝わってくるし、そこに長澤くんの音楽の誠実さがあるのかもしれないですね。 長澤:僕、人が好きなんですよ。たまに「みんな死ね!」って思うこともありますけど、「みんな死ね!」って思うのも、人が好きであることの裏返しだから。僕の歌が時々辛辣なものになるのも、小学校の頃に好きな子の上履きに悪戯をするみたいな、こっちを見てほしいからだけなんですよ。シカトされるくらいだったら、悪態をついていたいというか。それがきっかけで愛が生まれることもあるって信じてる(笑)。

長澤知之 / 只今散歩道

――今回の『長澤知之Ⅲ』は、そういう意味でも長澤くんのある種の原点回帰と言えるような作品で。素のメッセージが響いてくるんですよね。1曲目の「只今散歩道」も、散歩という長澤くんの曲が生まれるシチュエーションの原風景に立ち返ったような曲で。 長澤:「気楽にやろうぜ」っていうのが、この曲のテーマですね。 ――今日の話を聞いた後だと、その「気楽にやろうぜ」ってすごく切実なメッセージとして響きますね。 長澤:まぁ、メッセージというか、単純に自分にとって気楽なものを追い求めているだけなんですよ。僕は音楽にメッセージが必要だとは思ってなくて、音楽って、音楽そのもので崇高なものだし、高尚なものだと思うんですね。だから、つい自分が歌にメッセージを詰め込みそうになる時は、「あ、なんだかな」って思ったりするんです。音楽はそれだけで素敵なんだから、それでいいじゃないかって。自分のスタンスとしては「只今散歩道にいます」って、そのくらいでいいんじゃないかって。 ――でもね、「気楽にやろうぜ」って、本当に気楽な人が歌ってても聴き手に何も響かないけど、長澤くんみたいに放っておくと気楽じゃない人が歌うから、それが響くんだと思いますよ。 長澤:「放っておくと気楽じゃない」っていうのは本当にその通りですね(笑)。まぁ、基本的に感情的な人間なんで、そういう意味では「気楽にやろうぜ」って自分に言い聞かせているのかもしれないし、気楽じゃない、音楽はそれだけで素晴らしいものなのにそこにメッセージを込めたがる人に対してアンチを表明しているのかもしれない。そうやって掘り下げられると、「結局はお前もメッセージを込めてるんじゃないか」って思われそうで嫌ですけど(笑)。 ――今回の『長澤知之Ⅲ』には、「犬の瞳」や「宛のない手紙たち」や「いつものとこで待ってるわ」といった、10年近く前に書いた曲も収録されています。それが現在の曲と並んでもまったく違和感がないというところが、長澤くんの音楽のすごいところだと思うんですよ。 長澤:もちろん昔書いた曲の中には、あまりにも表現が稚拙で、今はもう歌いたいと思わない曲もあります。ただ、こうして今も歌いたいと思う曲がたくさんあるということは幸せなことだと思っています。自分が曲を書く時にいつも考えるのは、この先何年経ってもずっと歌っていたい曲を書きたいということなんです。それは、もちろんメロディもそうなんですけど、その時に「これが絶対だ!」って思って書いた曲よりも、その時に「これが疑問だ」って思って書いた曲の方が、僕にとって歌い続けたい曲になり得るんですね。 ――それは、時代の風化に耐えられるエバーグリーンな曲を書きたいという、ソングライターにとっての命題のようなものですか? 長澤:いや、そうじゃなくて、単純に自分が歌いやすいかどうかということ。あとで振り返って、恥ずかしくなるような曲は書きたくない。だから、何かを言い切るような曲を書く人はバカだと思いますね。 ――(笑)。 長澤 最後にちょっと悪態ついちゃいましたね、失礼しました(笑)。  (取材・文=宇野維正/写真=杉田真)

エンジニア担当・佐藤洋介氏の証言

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レコーディング中の風景。左、長澤知之。右、佐藤洋介。

 『長澤知之Ⅲ』のレコーディングでエンジニアを担当したのは佐藤洋介氏。彼は初期作品から手がけてきた、長澤の音楽の良き理解者でもある。今回の作品では、楽器の響きを活かした立体的でメリハリのあるサウンドを聴くことができるが、これには佐藤氏の貢献も大きいであろう。佐藤氏自身も初挑戦だったというバイノーラル録音について、そして長澤知之の音楽的魅力について話を聞いた。(編集部) ――『長澤知之Ⅲ』はサウンドに立体感があり、ギター中心の演奏ながらも各楽器の音が気持よく響いています。佐藤さんが彼の音に向き合うときに特に考えていることは? 佐藤:デビュー作から一緒に仕事をしてきて、一番は本人が表現したいサウンドをいかに汲み取るか、ということを考えます。なので、レコーディング前に、お酒を飲みながらけっこう話をしますね。その場でYoutubeを観て、「今何聴いている?」とか、「これカッコいいよね」と。そこから理想の音を探って、ボーカルの立ち位置の音響やドラムの響き方を汲み取るようにしています。 ――長澤さんからは、「佐藤さんから予想外の音が返ってくる」「挑戦がある」という話を伺いました。ご自身の中で違う球を投げ返そう、という意識はありますか。 佐藤:僕もアイデアだしは好きなので、「こういう風になったら面白いんじゃないか」ということは提案として最初に聴いてもらいます。頭の中では「たぶんこれはナシと言われるな」ということはだいたいわかるんですけど、あえて提案はしていますね。 ――そこで長澤さんが「いい!」となることも? 佐藤:あります。もちろん逆もあってバッサリ切られることも(笑)。そういうやりとりは、最近のほうが多いですね。僕の方はあまり変わらないんですけど、長澤くんが「これはアリ、これはナシ」ということを言いやすくなってきたんではないかと思っています。最近は思っていることを明確に伝えてくれるので、こちらもその方向に舵を切りやすいんです。ただ、ふたりともコミュニケーションがうまい方ではないので、いつも「俺たち、なんでこんなに時間かかるんだろうね」と笑ってます(笑)。 ――今作はバイノーラル録音の曲とノーマル録音の曲が入っています。それぞれどのような方針でレコーディングに臨みましたか。 佐藤:バイノーラルは人間の頭部模型の外耳口部分にマイクをセッティングして録音する方法で、ヘッドフォンで聴くと録音した環境と同じように聞こえます。ただ、僕もヘッドフォンミュージックは好きなんですけど、音楽としては2つのスピーカーから正当に聴こえてほしい、という感覚もあるんです。バイノーラルだとどうしても、ヘッドフォンにしか特化しない。最終的にはバイノーラルを2スピーカーで聴いた時にも自然に聴こえるように調整していく、ということになりました。
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頭部模型に向かって歌う長澤知之。

――バイノーラルではないレコーディングに関して、何か方針はありましたか? 佐藤:今作はハイレゾリューションでもリリースされるので、ひとつひとつの音の録り方にいつも以上に気を使い、極力ノイズを少なくしようと心がけたところはあります。音的に言うと、長澤くんの場合は普通、ビット数は24bitでサンプリングレートは48kで録るのですが、ハイレゾリューションというということで今回は24bit/96kで録りました。それもあるせいか、ダイナミックレンジ(最小と最大の音圧差)がだいぶ広がっているので、同じように録っても聴こえ方の幅がかなり広がっていると思います。CDに入れた時でもそれが影響している感覚はあったので、「これから96kで録ろうかな」と(笑)。 ――ダイナミックレンジが広がったことで、「どの音域を強調するか」というポイントは変わりましたか? 佐藤:彼の場合、声は放っておいても出るので、いつも気を使うのはギターとドラムです。処理も含めてですが、ドラムは鳴った瞬間に、そのアーティストがどこにいるのか、外なのか、部屋ならどんな部屋なのか…という、場所を決めてしまう楽器なんです。例えばドラムが「ドォーン パァーン」と大きく響いてからボーカルがオン(近く)で入ってきたら、「広い空間で近くに寄ってきてくれた」という印象を与えます。だからレコーディングのときは、スタジオの鳴りも含めていろいろなところにマイクを立てます。そのへんは後で使えるように、ということで気を使います。 ――「只今散歩道」などは、密着感のある音のように感じました。 佐藤:あれは散歩しているので外なのですが、外は意外と聴こえ方がデッド(反響がない)な感じなんです。そのなかで、ちょっと弾んでいるような、弾んでいないような…というリズム感を出す音響にしました。 ――ベースの音が気持ちよく聴こえますね。レコーディングの魔法というものはあるのでしょうか? 佐藤:これは本当の話ですが、レコーディングでもプレイヤーの音の個性はすごく出るので、うまい人がやると誰が録ってもうまく録れるものなんですよ。ドラムが特にそうで、うまい人は音量が一定で、叩いているパーツのバランスが抜群にいいから、1本のマイクでもよく録れる。あまり上手でない人は、常に力いっぱい叩いて、ハイハットがシャーシャー鳴りすぎたりするんです。今回は素晴らしいミュージシャン揃いで、特に苦労はしませんでした。 ――ボーカルに関して、バイノーラル録音だとかなり近く聴こえることもあって、全体的なバランスは佐藤さんの方で調整されたのでしょうか? 佐藤:バイノーラルの場合は、部屋全体で鳴っているものをそのまま拾います。だから実は、後から調整するのは難しいんです。逆に言えば、それを前提として録っているので、他の曲のイメージをそこに近づけよう、という作業はしませんでした。僕はもともと個々の楽曲で考えて、アルバムトータルの音像を揃えよう、とはあまり考えず、サウンドはバラエティがあっていいと考えるタイプです。アルバムトータルの流れは曲順などで考えることかな、と思っています。 ――スタジオにダミーヘッドを置いて録るという場合に、何度も位置を調整していくという感じですか? 佐藤:そうですね。最初に数テイクやってもらいながら調整します。「宛のない手紙たち」は彼の部屋で録ったので、反射音を消すために布団を立てたりしました。今回はTEACのスタジオで無音状態の部屋でも実験を行いました。ばっちりと場所を決めるとすごく定位感が出るので、意外と楽でしたね。

長澤知之 / いつものとこで待ってるわ(Binaural Live Recording at 月見ル君想フ 2014.7.29)

――「いつものとこで待ってるわ」はライブでのバイノーラルレコーディングでしたが、それはいかがでしたか? 佐藤:ライブの場合は、「ここにしか(ダミーヘッドとマイクを)置けないよ」というものなので、調整のしようはありません(笑)。ライブが終わった後に録れた音を「なるほど」と聴きました。この曲だけは流れを考えて、他の曲と揃うように音像を調整しました。 ――佐藤さんがバイノーラル録音に本格的に取り組むのは初めてでしたか? 佐藤:初めてですね。なかなか難しくて、コンセプト的にはその場で聴いている音を再現しようというものですが、人間の耳のように視線の先にあるものをフォーカスして聴こう、というシステムではないので、鳴っている音がそのまま録られてしまう。マイクの性能でも変わることは多いですし、聴かせ方も含めてまだまだ研究の余地がありそうです。 ――興味深いお話です。人間は能動的に選んだ音にフォーカスしていくが、バイノーラルではある意味で強制的に鳴ったまま録音される…ということですね。逆に言うと、通常の音源ではリスナーの耳がフォーカスしようとする音を意識しますか。 佐藤:意識します。例えば一貫して鳴っている音があって、サビでもそれを鳴らしたいけれど歌とぶつかる、という場合があるとします。サビは一番音が重なって音圧が上がるセクションなので、どうしても誰かに一歩下がってもらわないと収まりがつかなくなる。そういうときは入り口だけ突き(音量を上げ)ます。そうすると「(その音が)入ってきた!」と感じ、その後は音量を下げてもずっと鳴っている感じがするんです。そういう耳のフォーカスにまつわる錯覚を利用して音の強弱を付ける方法はよく使います。 ――さて、佐藤さんから見て、長澤さんのボーカルとギターの魅力はどんなところにありますか? 佐藤:彼のギターは独特で、ロックでありながら、センシティビティのある柔らかい音も出すんです。何か人に感じさせるようなツボを持っているから、「かっこいいな」と思っちゃいます。僕が口を出すのは、ギターの音作りについてですね。アンプ選びにも口を出しますし、エフェクターも、このアルバムで使っているのはたいがい僕が貸したものだと思います(笑)。デビュー当時からずっと貸していて、ライブでも使っているものがあるんですけど、この間、誕生日だったからプレゼントしました。彼には思い通りのフレーズを弾いてもらえればそれで十分で、それで説得できるギターが録れます。  また、声も大きな武器ですね。初期に比べると最近、特に下の太い部分が出るようになったので、洗練されて、大きく捉えられる音になっていると思います。彼は若い頃は「自分の声が好きじゃない」と言っていました。今も攻撃的な部分がなくなったわけじゃないんですが、それを曲によって使い分けることができるようになった気がします。実際、好きな声ですね。切なさを伝える何かを持っている声だし、倍音をたくさん持っていてサラサラしているので、小さくつぶやいても聞こえやすい、人に届くところが魅力だと思います。 (取材・文=編集部) ■佐藤洋介 岡本定義との宅録ユニット、COILとして1998年「天才ヴァガボンド」デビュー。エンジニアとしてサウンド面の中核を担い、COILのみならず外部アーティストからもそのサウンドメインキングのクオリティは高く評価されてきた。2014年4月にCOILを脱退。脱退後は幅広い視点からサウンドプロデュースができるエンジニアとして、活動の場を広げている。 オフィシャルウェブサイト
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『長澤知之Ⅲ』

■リリース情報 『長澤知之Ⅲ』 発売中 価格:2300円(税込) iTunes Augusta Family Club オフィシャルウェブサイト オフィシャルFacebook

“音楽屋”ガガガSPは今のシーンでどう戦っていく?「板の上に乗ったときに何が出来るか」

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【リアルサウンドより】  資料には“パンクはガキのお遊びではございません。大人の本気を見せつけるのがパンクなんです。”という気合いの入った文言が。ガガガSPの10枚目のオリジナルアルバム『ガガガを聴いたらサヨウナラ』は、30代半ばになった4人のメンバーが“本気のパンク”を真っ直ぐに体現した充実作となった。どこまでも泥臭く、自分たちの道を進み続けるガガガSP。その独特なスタイルの起源、現在のシーンに対する思い、そして、バンドを続けていくモチベーションについて、コザック前田(唄い手)、山本聡(ギター弾き手)に聞いた。

「タイトルとかコンセプトは他のジャンルから取り入れる場合が多い」(コザック前田)

――まずは「ガガガを聴いたらサヨウナラ」という強烈なタイトルについて。同名の曲が1曲目に入ってますが、これがアルバムの軸になったということですか? コザック前田:2、3年くらい前にこのタイトルを思いついて、「このタイトルでアルバムを出したい」って思ったんですよ。なかなか形にできなかったんですけど、ようやくタイトル曲が出来たんで。まあ、もともとは一之瀬さんの本なんですけど。 ――「地雷を踏んだらサヨウナラ」(報道写真家の一之瀬泰造が残した書簡などをまとめた書籍)ですか? 山本聡:そうです。 コザック前田:逆説的に使ってるというか、「ガガガの音楽を聴いたら、ほかの音楽からはサヨウナラせんとあかんぞ」っていう意味なんですけどね。じつは前回のアルバムでもこのタイトルを使おうと思ってたんですけど、山本が作ってきたのがシミッタレタ曲ばっかりだったんで…。 山本:ハハハハハ! コザック前田:これは西村賢太やなと思って、「くだまき男の飽き足らん生活」っていうタイトルにしたんです。西村賢太の小説に“飽き足らない”って言葉がよく出てくるんですよ。 ――いろんなジャンルからネタを持ってきてるんですね。 コザック前田:パロディですよね、言ってみれば。特にアルバムのタイトルは、そういうのが多いです。まずタイトルを付けてから、それをコンセプトにするっていう…。たとえばチャップリンにハマってたときは『青春狂時代』っていうアルバムを作りましたし、クレイジーキャッツをよく聴いてたときは『無責任一家総動員』だったし。 ――なるほど。そういうアイデアって、ほかにもあります? コザック前田:ありますよ。次は「ミッドナイト・イン・ジャパン」にしようと思って。 ――ネタ元はウディ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」? コザック前田:そうです(笑)。ちょっと洒落た恋愛の曲を多めに入れたミニアルバムもええなって思って。コメディを撮ってたときのウディ・アレンじゃなくて、最近の感じですよね。 ――コザック前田さんがウディ・アレンを観てるのも衝撃ですが(笑)。 コザック前田:音楽から直接的な影響を受けるのは曲作りだけで、タイトルとかコンセプトは他のジャンルから取り入れる場合が多いんですよ。もちろん、解釈みたいなことは聴いてる人が勝手にしてくれていいんですけど。こっちが考えてるのは「いびつな言葉を入れたほうがいいやろうな」っていうことくらいですかね。
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写真:青木カズロー

「僕らの場合は「どんだけ目立てるか」ということですからね」(コザック前田)

――表題曲「ガガガを聴いたらサヨウナラ」もかなり尖ってフレーズが含まれてますよね。「その辺のチャラチャラした音楽とはレベルが違う」もそうだし。 山本:パンチがありますよね。 コザック前田:こういうものを求めてるヤツがいますからね、ウチの客のなかには。イベントとかに出たときも、ほかのバンドの客に対して「ほら、これがガガガSPや。すごいやろ」って自分のことのように威張ってたりするんで(笑)、そういうヤツに痛快さを与えておかないと。そうしないと、ライブに来なくなりますからね。もちろん、この曲から入って来てもらっても嬉しいですけど。 ――「難しいリズムを覚える前に女心を覚える」も印象的でした。最近の若いバンドって、リズムが複雑ですからね(笑)。 山本:テクニカルですよね、確かに。 コザック前田:パソコンを駆使できる世代ですからね。俺らが高校のときにそんなのなかったし、その差は大きいと思いますよ。子供のときから普通にパソコンを使ってたら、そこまで難しいことをやってる感覚もないと思うし。 山本:そうやな。俺らのとき、メインはタブ譜やったから。 コザック前田:チューナーじゃなくて音叉やしな。 山本:ハハハハハ! え、そこまで古い? コザック前田:(笑)。あと、いまのバンドさんは性質が変わってきてる気はしますね。これは自分の印象ですけど、最近のバンドは内向きの人が多いような気がするんですよ。メンバー同士の世界のなかだけで曲を作ってるというか。僕らの場合は「どんだけ目立てるか」ということですからね。何にも出来ないのに、とりあえず外に出ていって、「誰よりも目立ってやる!」っていう。 山本:そこはいちばんの違いっすね。 コザック前田:いまは音楽を発信するツールがあるから、内向きでもええんやろうね。俺らはもう、とにかくライブをやって、レコード会社の人なんかに見つけてもらうしかなかったから。そう考えると、同じ音楽っていっても、カテゴリーがぜんぜん違いますよね。スポーツに例えるとテニスと相撲くらい違うんじゃないですか。 ――そういう状況のなかで、どう戦っていくか?みたいなことも考えますか? コザック前田:新しい感覚のものが出てきたとしても、逆に古いものが重宝されることも多いと思うんですよ。いろんなメディアがあっても、落語の寄席には人が集まるわけやし。 山本:そうやな。 コザック前田:そういう意味ではライブ型ですよね。板の上に乗ったときに何が出来るかっていうことを考えるし、そこでやれないことは音源にも入れないんで。キーボードもぜんぜん入ってないですからね、俺らは。4人で出せる音しか収録しないっていう。 ――でも、音楽的なトライは多いですよね。 コザック前田:一応、いろいろやってますけどね。でも、結局「ガガガSPだな」って言われるんですよ。やまもっちゃんがウィーザーみたいなリフを弾いても、誰も気付かないっていう(笑)。 山本:そうやな(笑)。 コザック前田:アークティック・モンキーズのパクリみたいな曲に泉谷しげるっぽいメロディを乗せて「すごいの出来た!」って言ってたこともあったよな? 山本:あのときは革命が起きたと思ったんやけど、「ガガガSPらしい曲」って言われて終わり(笑)。 ――(笑)。ボーカリストのキャラクターが強烈ですからね。 山本:うん、そうやと思います。 コザック前田:そういうタイプのボーカリストになりたいって思ってますからね。たとえば清志郎さんは、CMで流れただけで「清志郎さんや」ってすぐにわかるじゃないですか。エレカシの宮本さんもそうだし。そういうボーカリストを目指してますね、いまも。

「俺らは数量型なんですよ。1年に1枚出し続けて、なかには佳作もある」(コザック前田)

――そういえば前田さん、ブログのなかで「渋谷系のアーティストに憧れてた」みたいなことを書いてましたよね? コザック前田:それがコンプレックスだったんですよね、ずっと。何で俺はChocolatに会えないんだっていう…。 山本:いまの活動やってたら無理やな(笑)。 コザック前田:でもなあ、ピチカート・ファイヴだって、野宮さんが入る前から聴いてたんやで? カジヒデキさんといっしょにやりたいと思ってたのに、泉谷しげるさんといっしょにやってるのは何で? 山本:ハハハハハ! ――自分の声やキャラクターに渋谷系の音楽は合わないって、認識した瞬間もあったんですか? コザック前田:ありましたね。ある日、風呂場で自分の顔かたちを見て…。 山本:「これでウィスパーボイスは無理や」って? コザック前田:そうやな(笑)。でも、自分が好きな音楽は誰かがやってくれてますからね。ビリー・ジョエルやベン・フォールズも好きですけど、それを自分でやる必要性はないかな、と。聴く側としては、パンクはほとんど聴かないですけどね。 山本:ほかのメンバーはわりと聴きますけどね。ドラムとかベースはパンクが好きなんで。 コザック前田:でも、パンクに固執してるわけではないやん? ポップスも聴くし、いろんな音楽が好きなんで。 ――では、ガガガSPの現在のスタイルは、どういうふうに生まれたんですか? コザック前田:入り口はフォークだったんですよ。でも、ただフォークだけをやってもつまらないし、誰も聴いてくれないじゃないですか。僕ら自身、ファンクとかガレージとかメロコアも聴いてたわけで、「そこで何を取るか?」っていうことを考えていて。ちょうどそのときね、ゆずが出てきたんですよ。「夏色」を聴いたときに「吉田拓郎さんみたいな曲をパンク調でやってみよう」と思ったんです。それだったら、メロコアにもならないし。だから、パンクもフォークも特別好きってわけではなくて、バンドをやるためのツールなんですよね。 ――でも、そのスタイルを貫いてるじゃないですか。好きじゃないと出来ないと思うんですが。 コザック前田:それはもう、高倉健以上に不器用ですから。 山本:ハハハハハ。 ――そのやり方でアルバム10枚作るのもすごいですけどね。 コザック前田:これは俺の考え方なんですけど…。3年に1枚、5年に1枚くらいのペースで質の高さに拘るのも素晴らしいと思いますが、俺らは数量型なんですよ。1年に1枚出し続けて、なかには佳作もあるっていう。 ――いつも傑作というわけではなくても、作品を出し続けることに意義があるというか。 コザック前田:清志郎さんもそうだったと思うんですよ。ウディ・アレンも40年間、毎年のように新作を発表してますけど、半分くらい佳作じゃないですか。そっちのほうが好きなんですよ、俺は。“下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる”じゃないけど(笑)。 ――とにかく試合に出て、打席に立ち続けると。 コザック前田:そうです! せっかく野球に例えてくれたので言いますけど、最近はシュッとした野球選手が多いですよねぇ。川藤みたいな選手(‘68年~‘86年、阪神タイガースに在籍したプロ野球選手。‘80年代は代打の切り札として活躍、ファンの絶大な支持を得ていた)、おらんでしょ。17年の現役生活で16本しかホームラン打ってないのに、客席に大弾幕がかけられるっていう。 山本:「川藤が走った!」ってだけでめちゃくちゃ盛り上がるっていうね。野球選手やから、当たり前なんですけど(笑)。 ――成績とは関係ないところで強烈な印象を残した選手ですからね。 コザック前田:そうなんですよ。そういう人にこそ魅力を感じるんですよね、俺は。カジヒデキさんも最高ですけど…。 山本:“カジヒデキor川藤”か。ずいぶんふり切ったな(笑)。 コザック前田:ハハハハハ! 最近のバンドの子らも、シュッとしてますよね。押し出しの強い人は減ったかな。 山本:そうね。ルックスが暑苦しくて、押しの強いヤツが出てきと思っても、ぜんぜん売れなかったり。 コザック前田:カウンターにすらなれない(笑)。だからこそ、ガガガSPみたいなバンドがひとつくらいいてもいいかなって思うんですけどね。

「いちばん最初の頃のことがフラッシュバックして、自分自身もシャキっとした」(山本)

――今回のアルバムには「高架線」という神戸をテーマにした曲がありますが。地元への愛着も強いバンドですよね、ガガガSPは。 コザック前田:地元に「スタークラブ」っていうライブハウスがあって、俺らはずっとそこでライブやってたんです。そこで教わったこともたくさんあるし、成長させてもらったんですよね。「スタークラブ」がなくなるって話が出たときに――結局、経営者が変わって続くことになったんですけど――最後にオールナイト・イベントをやろうってことになって。そのときにやまもっちゃんが書いたのがこの曲なんですよ。 山本:何て言うか、立ち返ったような気持ちになったんですよね。すごく不思議だったんですけど、1日中ホワーッとした気分になって、そのままギターを弾いてたら曲が出来たっていう。 ――バンド結成当初の気持ちが蘇った? 山本:そうですね。いちばん最初の頃のことがフラッシュバックして、自分自身もシャキっとしたというか。自分らの年齢になると、生活に疲れて、こうやって(背中を丸めて下を向く)歩いてるヤツも多いと思うんですよ。そういうヤツがシャキッと出来るような曲を作りたいと思ったんですよね。 コザック前田:……いいコメントやな。いつもは夜這いとか風俗の話してんのに。 山本:(笑)そういう話をしてもいいけど、時間の無駄やろ。 コザック前田:この前、ミント神戸っていうオシャレなビルでアコースティックライブをやったんですけど、この人、「こんなオシャレな感じになってるけどな、このへんはもともと闇市やったんやで!」って言い出して。だから何やねん?!って話じゃないですか。 山本:そこまで蒸し返さんでも…っていうね(笑)。 ――僕は好きですけどね、そういう話。「いくらカッコつけてても、お里は隠せませんよ」っていう。 コザック前田:人もそうですからね。いくらミュージシャンとかいっても、もともとは普通の中学生、高校生だったわけで。俺、いまだに“ミュージシャン”って言われると違和感があるんですよ。“音楽屋”くらいがちょうどええかなって。 山本:そうやな。 ――では、音楽屋を続けている動機って何ですか? コザック前田:動機ですか? やっぱりライブが好きってことですかね。ライブをやるためにはCDも作らないとあかんやろうし。ステージの上で、どれだけおもしろいことができるか、お客さんを楽しませられるか。そこですよね。だから俺、他のバンドさんがMCで「楽しんでいって」みたいなこと言うのがよくわからないんですよ。何でそんなに人任せなん? 自分らで楽しませないとあかんやんって。 ――板の上に立つ人間の責任として? コザック前田:うん、そうですね。ライブは水もんやから、うまくハマることもあれば、ハズすこともあるんですけど、とにかくお客さんを楽しませるっていう気持ちはいつもあります。川藤もそうじゃないですか。三振してもお客さんは喜ぶし、堂々としてて(笑)。 (取材・文=森朋之)
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ガガガSP『ガガガを聴いたらサヨウナラ』(Pacific Records)

■リリース情報 『ガガガを聴いたらサヨウナラ』 発売:2014年12月10日 ¥2,500(税抜) / LDCD-50106 [収録曲] 01. ガガガを聴いたらサヨウナラ 02. 君がみた 03. くそくらえ節 04. 何言っとんのかわかりまへんわ 05. 戻らない夏 06. 誰もが 07. 晩年の青春 08. こんちきしょうめ 09. 輝く日々 10. 高架線 11. サバラ ■『ガガガを聴いたらサヨウナラ』特設サイト http://www.ldandk.com/gagaga/2015/ ■ライブ情報 『ガガガSP 全国行脚ツアー2015「ガガガを聴いたらコンニチワ!!』 2月28日(土) music zoo KOBE 太陽と虎 3月07日(土) 柏ALIVE 3月08日(日) 横須賀PUMPKIN 3月14日(土) 津山K2 3月15日(日) 福井CHOP 3月28日(土) 出雲APOLLO 4月04日(土) 松本ALECX 4月05日(日) 金沢Van Van V4 4月11日(土) 渋谷Star Lounge (ワンマン) 4月18日(土) 長崎DRUM Be-7 4月19日(日) 小倉WOW 5月03日(日) 高崎Club FLEEZ 5月04日(月) 仙台PARKSQUARE 5月05日(火) 盛岡the five morioka 5月09日(土) 名古屋CLUB UPSET 5月10日(日) 中津川BREATH 5月23日(土) 松坂M’AXA 5月24日(日) 京都MOJO 5月30日(土) 松山サロンキティ 6月06日(土) 水戸LIGHT HOUSE 6月13日(土) 鹿児島SR HALL 6月14日(日) 熊本 B.9 V2 6月19日(金) 高松DIME 6月20日(土) 岡山ペパーランド 6月21日(日) 広島BACKBEAT 6月27日(土) 大阪梅田Shangri-La (ワンマン) ■オフィシャルサイト http://www.ldandk.com/gagaga/

AKB48高橋みなみは何を背負ってきたか? 一年後の卒業発表に見る、“総監督”の重責

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高橋みなみ『Jane Doe (Type A)(初回プレス盤) 』(NAYUTAWAVE RECORDS)

【リアルサウンドより】  昨日12月8日に行なわれたAKB48劇場9周年特別記念公演で、AKB48グループ総監督でAKB48・チームAキャプテンの高橋みなみが、一年後を目処にした卒業を発表した。彼女の芸能活動は、そのままAKB48がスタートし現在の大きさに至る歴史と重なる。しかし他の最初期メンバーたちと違うのは、その卒業までの道程がソロの芸能人へのステップとして以上に、48グループという組織を貫く支柱になるための歩みとなってきたことだろう。だからこそ、早晩訪れるだろうと予測が十分にできていたはずの彼女の卒業発表は、これまでの主要メンバーの卒業発表にも類を見ないタイプの衝撃になった。この衝撃はまた、メンバーも運営側もそしてファンも、彼女にあまりに大きなものを委ねすぎていたことの証でもある。  初期からの中心メンバーだった高橋は2010年、彼女が在籍期間を通じて所属し続けることになるチームAのキャプテンに任命される。しかし、そうした主要メンバーとしての活躍や肩書以上に、48グループという組織の膨張が彼女の立場を特異なものにする。各地域に姉妹グループが増えたことに伴って総員が増加し、合計チーム数も多くなったために、その巨大な軍団全体を統べるような地位が必要になった。そこに押し上げられていったのが高橋だった。その象徴となる言葉が、2012年8月から彼女に与えられた「総監督」という役職である。当初はともすれば冗談のようにも見えたこの大仰な役職は、しかしやがて高橋みなみをそのまま映したようなフレーズになっていく。  48グループが圧倒的な知名度を獲得し、関わる人員の数もかつては想像できなかったほどに膨れ上がるのと歩調を合わせるように、運営が恣意的に仕掛ける“サプライズ”も大掛かりになっていく。時に露悪の度を越したような企画に、48メンバーは幾度も振り回され、肉体的にも精神的にも揺さぶられることになる。そのたびに、多人数のメンバーの動揺を受け止める支柱となり、すぐさま前を向かせるための手綱となったのが高橋みなみだった。恐ろしいスピードで展開するサプライズに直面しても、メンバーたちは即座にそれに順応せざるをえない。そのための指揮者として高橋みなみは存在した。常に目まぐるしく変化する状況を彼女が受け入れ支柱として立ち続けることが、誰にとっても当たり前のことになっていた。そう思い返す時、外部に向けて興味を持続させるために人工的に「波乱」を生み出してきた運営は、本来メンバーの一人でしかない高橋みなみがいてくれることに甘え続けてきたのではないかとさえ思えてくる。  大規模なチーム組閣にせよ、今では受け手もすっかり慣れきってしまった総選挙というあからさまな順位付けにせよ、度の過ぎた仕掛けに不服を訴えるメンバーも受け入れないメンバーももちろんいたし、それもまた各々に一人前の理由があっての拒否だったはずだ。しかし、彼女だけはそれができない立場にいた。誰よりも早く受け入れて前を向き、組織としての活動を成立させなければならなかった。あるいは、48グループがはたから見れば理不尽さを温存する体質に映った時、その不合理さや息苦しさを体現する人物として表象されるのも高橋みなみその人だった。シンボルとして孤高の存在だった前田敦子とはまた別の意味で、彼女はあらゆるベクトルから向けられる有象無象の視線の矢面に立ち続けた。  だからこそ、次期総監督に横山由依を指名することには、相応の苦しさがあっただろう。自身が務めてきた立場が必要不可欠であることは重々承知していても、総監督が継承されることはそのまま、高橋が背負ってきたある種の呪いを後輩にパスすることでもある。そのパスをいかにソフトランディングさせるのか、試行錯誤するために設けられたのが卒業までの一年間という時間なのだろう。 11月22日深夜にTBSで放送されたAKB48・チームK所属の田野優花のドキュメンタリーでは、横山のキャプテンシーに引っぱられながら意識改革がなされていく田野の姿が描かれた後、ラストで田野自身の口から「キャプテンをやりたい」という将来の夢が語られた。それは横山の背中を見ての言葉だったが、この時点では横山もまだAKB48グループを引っ張る“次期”高橋みなみ的ポストにいたに過ぎず、田野が「向いていると思う」と自認する自らのキャプテン像も、まだまだ幾重か先の未来を描いているように見えた。その楽観的な振る舞いは、もはや言うまでもなく高橋みなみという支柱がまだいてくれることを前提にしたものだった。しかし、これからの一年は横山から“次期”という但し書きが外れ、田野ら次世代が中枢的な立場に否応なく近づかなければならない助走期に入る。その準備のために、一年という設定期間はどうしたって必要なのだろうし、AKB48が組織として永らく続いていくことが前提になっているからこそ設けられた猶予期間でもある。願わくはそれぞれが手にする新しい立場が、現在よりも希望に満ちたものであってほしい。  最後に付すならば、これからの一年、高橋みなみという存在を見届けることが心地よいものになればと思う。先に、高橋をAKB48の手綱と表現をした。常に手綱として立ち続けなければならないからこそ、その手綱に最も拘束されてきたのは他ならぬ彼女自身だった。ここからの一年は、彼女がそのくびきから解かれていくプロセスでもあるのだ。もう長い間、ファンは「総監督」という言葉に象徴される、組織を締める役柄としての高橋みなみしか目にしていない。「総監督」としての立場が完全に彼女の人格に張り付いたものと錯誤しかねないほどに、組織と彼女とを結びつけて考えることに慣れてしまった。しかし、高橋がAKB48に入った当時は、この組織に居続けることに今ほど容易に意義を見出せない時代だった。つまりソロの芸能人へのあくまで一時的なステップとしてこのグループを捉えることが当たり前だったはずである。卒業発表に引き続く言葉の中で、自身と同じくソロデビューを目標にする横山に総監督を託すことを、「夢から遠ざけることになるかもしれない」と表現したのは、多分にこのグループに所属することの「個人」としての意義を念頭に置いた言葉である。彼女が卒業の先に、48グループにどのように関わるのか、あるいは距離を取るのかはまだ見えない。しかし、いずれにせよこの組織に所属し、大きすぎる貢献をしてきたことがこの先、高橋みなみ「個人」として報われるのならば幸いだと思う。 ■香月孝史(Twitter) ライター。『宝塚イズム』などで執筆。著書に『「アイドル」の読み方: 混乱する「語り」を問う』(青弓社ライブラリー)がある。

中島みゆき、ユーミン、ドリカム……NHK朝ドラ主題歌の歴史とその特徴とは?

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中島みゆき『麦の唄(NHK連続テレビ小説「マッサン」主題歌)』(ヤマハミュージックコミュニケーションズ)

【リアルサウンドより】  9月末から始まったNHK朝の連続テレビ小説『マッサン』も、とうとう全150回のうち1/3が終了した。ニッカウヰスキーの創業者にして“日本ウイスキーの父”とも呼ばれる竹鶴政孝とその妻リタの物語をベースにした本作は、朝ドラ初の外国人ヒロインも話題となり、放送当初は視聴率20%越えという高視聴率を記録。現在はやや失速気味ではあるものの、ちょうど物語が大きく動いていく段階にあり、後半突入に向けた盛り上がりも期待できそうだ。  朝ドラと言えば、毎回注目を集めるのが主題歌。『マッサン』では、御大・中島みゆきが『麦の歌』を提供している。当初は早朝から鳴り響くみゆき節がやや胃もたれするようでもあったが、話数がすすむにつれ、そんな感覚もどこへやら。むしろヒロイン、エリーの故郷スコットランドの民謡を思わせるメロディーや彼女の思いをそのまま込めたかのようなドラマチックな歌詞が胸を打つ。中島は今年12年ぶり2度目の紅白出場も決め、おそらくこの曲をステージで披露することになると思われる。  近年、好調が続く朝ドラだが、その主題歌を見ても錚々たる顔ぶれが並んでいる。『ゲゲゲの女房』のいきものがかり、『カーネーション』の椎名林檎、『梅ちゃん先生』のSMAP、そして平均視聴率が22.6%と今世紀2番目の好成績だった『花子とアン』は絢香が担当した。視聴率が良い作品は、当然楽曲セールスにも影響を与える。特に朝ドラはふだんJ-POPになじみの薄い中高年の視聴者が多いため、アーティスト側にとっても知名度を広げる格好のきっかけもなるだろう。作品側にとっても楽曲側にとっても価値を高める関係、これがタイアップである。  ドラマの主題歌を人気アーティストが手がけるタイアップは、今や当然のこととなっているが、かつて、それこそ朝ドラ開始当時(1960年代)はまだまだテーマ曲がその役割を担っていた。いわば歌なしのメロディのみの曲で、近年だと『あまちゃん』がまさにこのパターンの作品である。初めて主題歌が登場したのは1966年。『おはなはん』で倍賞千恵子が歌った『おはなはんのうた』だった。これが作品とともに、楽曲もヒット。以降、70年代にはたびたび主題歌を持つ作品が登場したものの、80年代にはまたほとんどテーマ曲パターンに戻ってしまっている。主演のアイドルがドラマの主題歌を歌ったりと、民放の番組ではすでにタイアップが一般化していたころだから、NHK朝ドラ独自の方針だったのだろう。『おしん』など重めのテーマの作品が多かったのも影響しているのかもしれない。  90年代に入ると、まず『ひらり』(1992)の主題歌にドリームズ・カム・トゥルーが『晴れたらいいね』を提供。続いて井上陽水、山下達郎ら大御所を起用し、いよいよ主題歌パターンが本格化する。特に94年~95年の異例の1年クールで放送された『春よ、来い』で、松任谷由実が歌った同名曲はミリオンセラーを記録。大きな効果を上げた。2000年代からは、MISIAや福山雅治、アンジェラ・アキ、aiko、ゆずといったJ-POP勢も登場するようになり、現在にいたっている。  普通のドラマ主題歌と朝ドラ主題歌の一番の違いは、週のうち6日毎日流れること。さらに昼帯やBSでの再放送、日曜の一挙放送を含めるとかなりの回数オンエアされることとなる。ラジオやCMとは比べ物にならないほど、何度も耳に入るチャンスがあるというわけだ。正直、これほどお得かつ効果の期待できるタイアップはほかには見当たらない。もちろんNHKという放送局の立ち位置ゆえに、アーティストの選択にもそれなりの気配りはあるだろう。しかし一方で、『あまちゃん』では『潮騒のメモリー』や『暦の上ではディセンバー』といったある意味イロモノ楽曲をも世間に浸透させた実績がある。今回の中島みゆきも、朝ドラのイメージを鑑みれば十分に変化球。今後はどんなアーティストに白羽の矢が当たるのか、引き続き注目していきたい。 (文=板橋不死子)

m.c.A・Tが証言する、90年代日本語ラップの興隆とその手法「ラップとメロディの融合を試みた」

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m.c.A・Tこと富樫明生。

【リアルサウンドより】  日本初の音楽ダンス映画として1992年に公開された『ハートブレイカー[弾丸より愛をこめて]』が、東映Vシネマの25周年を記念してDVD化され、11月7日に発売された。  同作は、ダイアモンドユカイこと田所豊演じるディスコ探偵が、無国籍な雰囲気の漂う世界で事件に巻き込まれ、登場人物たちがダンスバトルを繰り広げるという内容で、日本だけでなくアジアの音楽シーンにも大きな影響を与えたとも言われるカルト映画だ。監督を務めたのは、数々のミュージックビデオやライブビデオを中心に制作を続ける小松莊一良(当時:壮一郎)で、全編の音楽および編曲も担当した富樫明生が“m.c.A・T”としてデビューする前に主題歌「Bomb A Head!」を提供した作品としても知られている。今回、リアルサウンドではラピュタ阿佐ヶ谷にて11月7日に行われた同作の上映会に向かい、m.c.A・T本人にインタビューを実施。一世を風靡した「Bomb A Head!」の誕生秘話や、当時の日本語ラップシーンや自身の方法論について、さらには現在の音楽シーンについてまで、幅広く話を聞いた。

「m.c.A・Tとして、ラップとメロディの融合を試みていた」

ーー『ハートブレイカー』で、音楽製作を務めた経緯を教えてください。 m.c.A・T(以下A・T):『ハートブレイカー』の富樫明生とm.c.A・Tは、いちおう別人という設定なんですけど(笑)。僕自身は、89年くらいから富樫明生名義でプロとしてやっていて、歌うのはもちろんなんですけど、音作りも得意だったので、プロデューサーとして90年以降、色んな音楽を作っていました。特にソウルやR&B、ヒップホップやニュージャックスイングといった、ブラックミュージック/ダンスミュージック寄りの音楽を作っていたので、そういうアーティストとの関わりが多かったんですね。それであるとき、音楽評論家の平山雄一さんが、「今度、ダンスミュージックの映画を撮るから」ということで、小松監督に僕を紹介してくださったんです。 ーーこの映画では、m.c.A・Tとしてデビューするきっかけにもなった「Bomb A Head!」が主題歌となっています。小松監督からは、制作に当たってどんな要望がありましたか。 A・T:僕はダンスミュージックに携わるうえで、ポッピングやロッキング、ヒップホップといったダンスの種類をあらかじめ知っていたので、基本的に小松監督との話は早かったです。ひとつ覚えているのは、監督に、「とにかく色んなシーンの音楽を作ってほしいんだけど、一番力を入れたいのはテーマソングなんだ」といわれて、そのイメージとしてカセットテープで聞かされたのが、当時、売れっ子作曲家としても名を馳せていた大澤誉志幸さんの曲だったことですね。僕自身、大澤さんとは友好が深かったものですから、それを聴いて「ちきしょう、負けてらんねぇな。びっくりさせてやろう」と思いまして、ずいぶん気合いが入りました(笑)。その頃の僕は、m.c.A・Tとしてラップとメロディの融合というのを研究していて、ライブでそれを披露したりもしていたんですが、ただそれを世に出すか否かは迷っていました。そんな折りに大澤さんに刺激されて、とにかく彼に負けないようにスリリングな曲を作ろうと思ってできたのが、「Bomb A Head!」だったんです。 ーーラップとメロディの融合という試みは、当時、とても新鮮なものだったかと思います。実際、1993年にリリースされた「Bomb A Head!」は、大きな話題となり、売り上げ枚数15万枚を越えるヒット曲となりました。そういった方法論は、どのように育まれたのでしょうか。 A・T:僕は当時、FUNKY GRAMMAR UNITのRHYMESTERやEAST END、スチャダラパー、いとうせいこう、高木完、藤原ヒロシ、それからヒップホップではないけれど電気グルーヴとか、そういう人たちの音楽をずっと聴いていましたが、僕は北海道出身だったので、東京のカルチャーの中にはいなかったんですね。そんな中で僕が独自に考えていたのが、もしかしたらラッパーが歌も歌うというのもアリなんじゃないか、ということ。ただ、歌でブラックミュージックを表現しているひとは、それこそこの映画にも出ているGWINKOや、久保田利伸、横山輝一、AMAZONSなど、すでにたくさんいた。つまり、R&Bやソウルはそれなりに成熟していたものの、まだまだラップというのは黎明期で、そこに新しい表現の可能性があったんです。今でこそ、アメリカのヒップホップをベースに、韻を踏むことーーライムというものが理論的に研究されて、スキルフルでかっこいい日本語ラップがたくさんあるけれど、当時はまだ探り探りで、後韻が多くて一般の人にはダジャレみたいに聴こえるものばかりだった。僕も最初はそれに近いものを作っていたんだけど、やはり違うなって感じていて。それで考え出したのは、日本語の「ま」や「ぱ」や「だ」の子音とか、あとは「っ」の付く促音便とか、そういう部分を活かした、つまりは韻を排除したラップだったんですね。そして、そのラップに加えて、歌も一人でやってしまうと。そうやってメロディとラップを近づけるとともに、人との差別化を計ろうとしていました。どこで息継ぎしているんだろう?と思わせるくらい、スリリングな歌唱法。それが当時、僕が辿り着いた答えだったんです。

「94年はヒップホップにとってエポックメイキングな年だった」

ーー「Bomb A Head!」はその後、注目を集めるわけですが、もともとメジャー志向を持って作られた曲だったのでしょうか。 A・T:そうですね、僕の作る物は常にメジャー感があるものだと自分では思っていて、アンダーグラウンドなものにはしないようにしています。あえて作ることもできるし、サントラではそういう曲もあるんだけど、自分で歌うものに関しては、ダークにならず、必ずポップでなければいけないと思っていました。ただし今回の映画に入っている「Bomb A Head!」に関しては本当のオリジナルなので、多くの人が知っているそれとは少し違います。オリジナルの「Bomb A Head!」は町田のavexのスタジオでレコーディングしていたところ、エンジニアの方が「これは面白い」と言って松浦勝人社長に聴かせて、そこからトントンとm.c.A・Tとしてのデビューの話が決まったのですが、ただこのままだとポップさが足りないということで、ラップのパートを減らしたり、メロディーを変えて増やしたりして、より多くのひとに届きやすい形にしました。去年リリースした『Bomb A Head!生誕20周年記念盤~ありがとう編~』には、映画の楽曲と同じバージョンも入っているので、聴き比べてもらえると面白いかもしれません。 ーー90年代前半から半ばにかけては、メジャーシーンにもラップが浸透していった時期かと思います。m.c.A・Tさん含め、当時活躍したラッパーは後の音楽シーンにどんな影響を与えていきましたか。 A・T:僕がデビューしたのは1993年12月で、翌94年にブレイクしたのですが、その年は日本のヒップホップやラップにとってエポックメイキングな一年でした。僕だけではなく、スチャダラパーは小沢健二と「今夜はブギーバック」を発表して知名度を上げましたし、East Endは東京パフォーマンスドールの市井由理を加えて、EASTEND×YURIとして「DA.YO.NE」で一大ブームを巻き起こしました。まさに日本のヒップホップの当たり年だったわけです。そして、その流れは後の日本のヒップホップにも受け継がれていきます。スチャダラパーは一聴するとコミカルに聴こえるけど、ライムや内容について素晴らしく研究していて、後学のラッパーに大きな影響を与えましたし、EASTENDのGAKU MCが得意としていたメロラップーーラップなんだけどメロディもあるスタイルは、同じFUNKY GRAMMAR UNITのRIP SLYMEやKICK THE CAN CREWにも受け継がれていったと思います。僕の場合はひとりで打ち込みもやるし、歌も歌っていて異質だからか、純然たるフォロワーというのはいないのですが、97年にDA PUMPのプロデュースを手がけて、彼らにはダンスもあったので、やりたかったことのひとつがそこで結実したんじゃないかと。最近だと、avexで頑張っている若手、とくにAAAなんかが僕のことを慕ってくれているので、これまでやってきたことは間違ってなかったなと、いまは思っています。 ーー同じくavexのEXILEに関してはどう捉えていますか。 A・T:彼らがJ Soul Brothersのときから知っていて、コーラスにも参加したことがあるし、HIROさんも友達ですから、もちろん好感を抱いています。ダンスに力を入れていて、avexとタッグを組んでダンススクールを展開したりしているのも、すごくシーンに貢献していると思うし、文化的にも素晴らしいものだと思います。ただ、初めてEXILEとして彼らを見たときは、目から鱗が落ちましたね。というのも、僕はDA PUMPを育ててきたので、 “歌って踊れる”というスキルをすごく重要なファクターとして捉えていたんですね。そのために、ダンスと歌のアクセントを揃えたりして、メンバーが無駄なく踊れるように研究して曲を作っていました。また、ダンスミュージックを作る人はクラブに行って自分も身体を動かさなければいけないし、グルーヴ感を体得している必要があると考えていました。だけど、EXILEの場合はシンガーとダンサーを別々にして、しかもシンガーはダンスミュージックの出自じゃないひとを起用している。日本の歌謡曲とダンスミュージックを融合させるのに、極めて画期的かつシンプルな手法で、これは僕からは絶対に出てこないアイデアでした。そういった意味でも彼らは新しかったですね。ダンサーのHIROさんがリーダーだからからこそ、既存の枠組みにとらわれないカルチャーを展開できたのかもしれません。 ーーカルチャーというところで『ハートブレイカー』に話を戻すと、映画はクラブカルチャーよりディスコカルチャーに近いものだったと思います。改めてその違いを教えてください。 A・T:ディスコはみんなで同じことをして楽しむカルチャーで、クラブは個人技を見せるカルチャーじゃないかと。ディスコの時は、鏡を見てみんなで同じステップを踏んでいましたし、DJはジャンルレスに流行している音楽をかけて、それをみんなで共有するという感じでした。いっぽうでクラブは、ハウス、ヒップホップ、トランス、EDMと、ジャンルが細分化されていて、選曲は流行よりもそのDJのセンスに依るところが大きく、箱自体にも得意ジャンルというものがあります。ダンスに関しても、みんなで一緒にというよりも、訪れたひとがそれぞれ自由に踊っている感じで、やはり“個”での楽しみが大きい。たとえてみると、原宿と裏原宿の違いみたいなところがあるんじゃないかと思います。 ーーなるほど、より個人の趣味嗜好に依って多様化しているという意味でも、クラブは昨今の風潮に合っているのかもしれませんね。では最後に、いま『ハートブレイカー』が再び世に出ることについて、一言お願いします。 A・T:『ハートブレイカー』は本当にカルト映画だと言われていて、多くのダンスミュージック愛好家に影響を与えてきた作品です。これまでVHSとレーザーディスクでしかリリースされていなかったので、今回やっとDVDになったことを喜ぶ方は多いと思います。小松監督は若いときの作品だから照れくさいって言いますけど、これに出ているダンサーにはすでに亡くなった方もいますし、日本の音楽ダンス映画の原点としても価値のある作品だと思いますので、当時を懐かしく思う人はもちろん、ダンスミュージックに興味がある若い子まで、ぜひたくさんの方に観てもらいたいです。 (取材・文=松田広宣)
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『ハートブレイカー[弾丸より愛をこめて]』

■リリース情報 『ハートブレイカー[弾丸より愛をこめて]』 発売:11月7日(金) 価格:2,500円+税 尺:本編74分 販売:東映  発売:東映ビデオ キャスト:田所豊、アンナ・バナナ、GWINKO、市村聡、ブラザー・コーン(特別出演) スタッフ:脚本=小松壮一郎、青柳初郎/監督=小松壮一郎 製作年:1993年作品 ■m.c.A・T関連情報 ・現在、DA PUMPのアルバムをレコーディング中。来年初頭にリリース予定。 ・2015.2.21(土)舞浜アンフィシアターにて『21th ANNIVERSARY 2015 m.c.A・T祭 俺フェス!』開催。詳しくは公式HPで。(12月中旬発表) ・毎週月曜23:00~CX系列にて『マネースクープ』レギュラー出演中。

ドレスコーズ志磨遼平、“ひとりぼっちのアルバム”を語る「極限状態を望んでいる自分がいる」

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【リアルサウンドより】  渦中のバンドが12月10日にアルバム『1』をリリースする。9月24日に丸山康太(ギター)、菅大智(ドラム)、山中治雄(ベース)が脱退し、「4人体制での活動終了」を発表したドレスコーズ。つまりはボーカルの志磨遼平ひとりが残ったわけだが、今回届いた『1』は“災い転じて福となす”を地で行く充実作である。リズムアプローチに重点を置いた前作『Hippies E.P』から一転、シンプルな歌モノが並ぶ本作では、志磨のメロディメイカーとしての才気が際立つ。ポップでメロウ、それでいて荒涼としたサウンドはバンドの新境地でもある。今回のインタビューでは、ひとりでアルバムを作り上げた過程や、メンバー脱退から約2ヶ月を経て感じること、さらにはこれからの展望について話を訊いた。

ひとりになったことはまだ受け止めていない

――9月に他のバンドメンバーの脱退という衝撃の発表があり、その後、志磨さんひとりでアルバムを作り上げました。発表の時点ではアルバムの構想はどの程度あったのでしょうか? 志磨:9月24日の発表の時点では、ゼロパーセントですね。4人での活動を終了させると決めた時点で、録音できていた曲はすべて『Hippies E.P』に収録したので。断片的に考えていた曲は当然、ありましたけど、結果としてこのアルバムに入った曲は、メンバー脱退以降に書いたものです。 ――『Hippies E.P』に関する志磨さんの発言を振り返ると、「個人的ではない音楽」を志向していて、特にリズムパートで意欲的な取り組みをしていましたね。一方、こうして届いたニューアルバムは、まさに志磨さん個人以外の何ものでもない作品に仕上がっています。ご自身としては、ひとりになってどんな作品を作ろうと思いましたか。 志磨:メンバーの脱退という事実よりも、僕の32年の人生の中で得た知識、音楽的な素養―—楽典的というよりはもっと慣れ親しんだ曲のこと―—だったり、友人との言葉遊びだったり、読んだ本だったり、あるいは人との出会いや別れという経験が、そのまま音楽になっているという感覚です。ひとりで作るものとしては当たり前のことかもしれませんが、これまではそういう風に音楽を作ろうと思ったことがなかったんですよね。「新しいことをやろう」という計算は皆無で、はからずも自分としてはえらく新鮮な作品になったな、という感じです。 ――毛皮のマリーズにしてもドレスコーズにしても、パーソナルな意味合いの楽曲はあったと思います。けれど、本当の意味で個人として作るのは初めてで、そういう意味での新しさはあったと。 志磨:そうですね。これまでは「何者かになりたい」という、自己否定ともいえる変身願望のようなものがあって。例えば、イギー・ポップのように強くなりたいとか、デヴィッド・ボウイのように華麗なステージングがしたいとか(笑)。いろんな音楽を研究して、それを分析しては、自分の型にする――毛皮のマリーズというバンドはそういうものを得意としていたし、ドレスコーズは最初から、僕がずっと憧れていたような完全なオリジナリティを持ったメンバーを誘っていますから。ドレスコーズは、このメンバーといれば、僕が憧れていた、誰にも似ていない音楽を生み出せるかもしれない、という挑戦でした。なので、今回のアルバムは最初から僕の憧れのようなものが視野に入っていない、初めての作品ですね。だからすごく早くできたし、たぶんそういう物を作ろうとして急ぎました。 ――自分の中から出てくる感覚を、生のうちに作品にすると? 志磨:そうです。バンド時代とひとりぼっち制作とのいちばん分かりやすい違いがそこですね。今日書いた曲を明日録音できるという、インスタントな感じ。ドキュメントというか、そういうものにするべきだと思ったんです。 ――作品の冒頭から「別れ」がひとつのテーマですね。1曲目の「スーパー、スーパーサッド」は、恋人や家族との別れかもしれないし、リスナーはメンバーとの別れを想像するかもしれない。それを描きながら、始まりや復活が描かれているのが、この作品に不思議な明るさをもたらしていると思います。あらためて、バンドでの理想の形が途絶えたことをどう受け止めたのでしょうか? 志磨:まだ受け止めていないんです。受け止める前に、アルバムを作るということに逃げましたから。受け止めると、ちょっとやそっとでは立ち直れないショックを自分が受けることは、火を見るより明らかなので。だから、『Hippies E.P』のレコーディングの後、4人での活動終了の次の日から作曲にとりかかって、そこからはずっと休みなく制作に没頭して。そうすると、すごく楽なんですよ。自分の内面と向き合って悩むのは、音楽制作のひとつの側面であって、レコーディングはものすごく単純な作業なんです。それに没頭することで、現実逃避しました(笑)。 ――これから受け止めていくということですね。 志磨:そうですね。恋人との別れのようなもので、ふとした瞬間、些細なことで気づいたりするんだと思います。例えば、テレビ局の楽屋が広かったり、どこかに移動するとき、かならずメンバーの家の中間地点ということで明大前に集合していたのに、自分の家から出かけられるとか(笑)。いろいろと楽にはなっているんですけど、そんなふうに「ああ、ひとりなんだな」って感じることはあります。
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「こういう状況の人間が作る音楽が面白くないはずはない」

――アルバムについて話を戻すと、志磨さんの音楽の軸足はドレスコーズ以降、バンドのアンサンブルとその革新にあったと思います。けれど本作は、ロック史でいうとジョン・レノンの『ジョンの魂』やルー・リードの『コニー・アイランド・ベイビー』のような、ポップでありつつ歌が真ん中にあるアルバムですよね。“災い転じて…”ではありませんが、これは素晴らしいアルバムだなと思って聴いています。 志磨:僕自身、こういう状況の人間が作る音楽が面白くないはずはないなと思う(笑)。今回のアルバムのテーマは、「とにかく、いますぐに出すこと」という、ただ一点でしたから。2週間ですべてを録りきらないと、発売が延期になってしまう……という期限があったのもよかったですね。最初から、僕のキャリアの中でも面白いものができるだろうな、と思っていました。 ――孤独の影は感じるのですが、それがある種の色気というか、官能的なものに昇華されている印象でした。ひたすら落ち込んで止まっていたら、こんな作品はできなかったでしょうね。 志磨:人間の持っている恐ろしいところですよね。こんなときに笑うなんて、「この悪魔め!」と(笑)。極限状態をどこか楽しんでいたり、もっと言うと望んでいる自分がいて。エロスとタナトスじゃないですけど、生きているからこそ死というものに妙な魅力を感じるし、「死ぬかと思った」というときこそ、人は生き生きするものでもあって。 ――なかでも「スーパー、スーパーサッド」はすごく官能的です。イエ・イエ・イエという声が、志磨さんの叫びなのだけれど、それがマッチョなものではなく、優しく響いてくる。 志磨:ものすごく悲しいときって、僕はこういう心象風景ですよね。言葉で伝えるのは難しいけれど、音楽なら上手に表現できる。口で言えないというのはメンバーも同じで、みんな不器用だったと思います。苦しいとか、辛いとか、誰も言わなかったし、僕もそうでした。 ――曲にすると、一発で伝わるところがありますよね。 志磨:そうなんですよね。もちろん悲しいんだけれど、不思議と風通しがいいというか。「ああ、何もなくなったんだな、僕には」って。 ――今回のレコーディングは、どんなふうに進んだのでしょうか? まずは志磨さんがデモを作ってという感じでしょうか。 志磨:そうです。そこから、『Hippies E.P』のときにご一緒した、作曲家・編曲家の長谷川智樹先生に協力していただいて。年は親子ほど離れているんですが、音楽的なつながりがものすごく強くて、迷わずにお願いしました。最短距離でゴールまでうまくたどり着けるようにお手伝いしてください、と。それで、先生とベース以外のすべてのトラックを録音して。僕のフェティシズムみたいなもので、ベースだけはベーシストに弾いてほしい、ということで、友人の有島コレスケくんにお願いしました。最後にベースを入れるという、ポール・マッカートニー方式で(笑)。
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「レコーディングでしか起こりえない音のバランスを尊重した」

――『Hippies E.P』のリズムアプローチとは異なり、今作は歌を活かす意味でのリズムやギターアレンジも特徴ですね。とはいえ“歌があるから演奏がある”という作品でもない。今回、サウンド面で求めたものは? 志磨:意外とサウンドのことは聞かれないので、この話ができるのはうれしいです(笑)。今回、ちょっとやってみたかったのが、あからさまに一人で録っているというのが、音像的にわかるように表現できないかと。たとえばロックには“一発録り”という言葉があって、「せーの」で演奏して、お互いのアイコンタクトとか、長年の築き上げた呼吸で、グルーブで合うようなところダイナミズムだったりする。ロックのほとんどがそういうものを理想として演奏されていて、ナチュラルに演奏しているように聴こえなければ、録り直したりするんですよね。でも、今回の僕は「1(ワン)」なので、それを目指したってウソになってしまう。 ――確かに、バンドのダイナミズムを目指した作品ではないですね。 志磨:では、いまほど録音技術が発達していなくて、トラック数が限られていた時代はどうだったか。たとえば、最初にベースを録って、ドラムを録って、ギターを録って、その後に歌を録って、最後に「じゃあ、手拍子でも」なんて入れてみたりして。それでハードがいっぱいいっぱいになるから、最初に録った大事な楽器がぼやけていって、最後に録った手拍子が一番きれい、みたいなわけのわからないことになるんですよ(笑)。でも、それがすごくマジカルに聴こえるし、僕が個人的に好きな音楽がその時代のものなので、ああいう感じにならないかなと思って。普通にはあり得ない空間が、そのレコードの中だけに存在してるという。僕からすると、それがとても音楽らしいなと思う。なので今回、僕は“まるでライブ”のようなものではなく、レコーディングでしか起こりえないバランスとか力関係というものを、なるべく尊重して作ったんです。 ――後から録った手拍子や歌声などが、不思議な官能性に絡んでくるんですよね。 志磨:そうなんですよ。最終的に人間がものすごくクローズアップされてくる。自分がひとりでやる曲には、そういうものがすごくふさわしい気がしました。 ――日本語の音楽で人間をクローズアップしようとすると、フォークのような方法論が多くなるんですが、今作はそうではないところも面白いですね。あくまでポップミュージックであり、ロックであって。そこが志磨さんの特徴でもあるのかなと。 志磨:うれしいですね。意図的にフォークっぽいものを狙って作る曲はあっても、僕はひとりで音楽をやるということに憧れた時期がないんです。やっぱり、バンドのなかで偉そうにしてる人……ボーカルというポジションにずっと憧れていましたから。楽器も弾かないし、移動のときは荷物も少ないのに、インタビューやビデオクリップではメインになる(笑)。だから、好きなアーティストはたくさんいても、自分がフォークシンガーになりたいという憧れはないんです。 ――「才能なんかいらない」などは後期ヴェルヴェッツのような綺麗な曲ですが、けっこうドキッとすることを歌われていますね。志磨さんは、よりよい音楽を求めるという意味で、才能を渇望してきた方でもあると思うんです。それがこの曲では、音楽をやることや歌うことを、どこか突き放したように表現している。 志磨:繰り返しになりますけど、僕は今回、メンバーがいなくなったという事実から逃げるためにアルバムを作ってるわけです。だから、音楽以外、何もできないんですけど、音楽さえやっていれば働かなくてもいいだろうし、優れた曲を書ければ友人はいらないってずっと思っていました。歌詞の<3分だけこの雨がしのげるなら>というのは、そういうことですよね。自分が堪え難いような悲しみとか、怒りとかに襲われたとき、やっぱり僕はよく曲を書いて、そういうものをなんとか中和して、けろっとした顔で生きてきたんです。そんなやらしい能力を持たなければ、もっと問題と向き合って、「ああ、僕はなんてバカなことをしたんだ。いますぐ謝ってヨリを戻してもらおう」とか「もう二度とこんな過ちは繰り返さないでおこう」とか、「もっと友だちを大事にしよう」と思えたはずで。もっと早い段階で気づけばよかったんですけどね。 ――そうした構図を理解した上で表現者の道を選んで音楽を作っていくと、やっぱり困難もありますよね。 志磨:まぁ、自分が作っているときだけは困難から逃れられるという感じなんですよね、やっぱり。 ――そういう意味では、ある種のアクシデントが生み出した作品ともいえると思うんですけど、このアルバムはすごくよくて、ここから新路線が始まると期待が膨らみます。でも、ジョン・レノンがソロの1stアルバムをなかなか超えられなかったという例もあり(笑)。 志磨:そこだけ気をつけようと(笑)。僕は本当に楽天的で、これは親に似たんですけど、ひとりでいると何の悩みもないんですよ。さっきの話に戻すなら、音楽を聴いてたまに曲書いて、「あぁ、またいい曲できちゃったな」って寝るという(笑)。だから、僕はいま自分の将来の展望みたいなのをものすごく楽観視していますけどね。それは、バンドの時にはどうしても思えなかったことで、僕はなんとかこのバンドで成功したいと、いつも思っていましたから。 ――なるほど。“自分ではないものに向かって”というお話もありましたが、そこに向かってがむしゃらに進んでゆくのがこれまでの志磨さんの姿だったとするならば、この作品をきっかけに違うモードで創作する姿勢は、しばらく続くということなんでしょうか? 志磨:そうですね。僕を変化させてくれるものが、きっと完全に第三者になるというのが楽しみですね。バンドメンバーの関係って、家族によくたとえられますけど、赤の他人ではないですよ、決して。たとえば、「曲ができたよ」といってスタジオに持っていくとき、初めて聴かせる他人でもあるんですけど、そこからは完全な共同作業になる。そこで、自分たちの曲というふうにいつしか認識が変わっていって、その曲の反応にみんなで一喜一憂するっていう。でも、これからはそういう中継地点を経由せずに、僕と世界との完全な対話式になるんですよね。 ――世界と直で向き合う。 志磨:だから、たとえばこの作品がものすごく評判よかったら、気をよくしてまた作ると思う(笑)。僕ってそういう人なんだと決めるのは、これからはみなさんになるわけですよ。それが20代といまの違いですね。昔は「僕はこういうやつになるんだ」「僕はこういうやつじゃなきゃいけない」「僕はきっとこうなるべきだ」って、自分で決めていましたから。でも、バンドメンバーがいるときは、バンドというものを目指すことになる。あいつの横に立っていて相応しい男になりたいとか、4人で何かひとつの完成型を目指したいとか。単純に「こういうふうに歌ってくれ」とか「こういうふうに弾いてくれ」というのもあったわけですし。でもこれからは、それは他の誰かが決めることなんだろうなというのが、大きな違いでしょう。それが楽しみですね。 ――ライブをやることは考えていますか? 志磨:そうですね。どんな構成になるかはまだ秘密だけれど、やっぱりライブも大きく変わると思います。すごく細かいところに凝るのが好きなので、そういうステージを作りたいですね。もしかしたら、いろんなプレイヤーに声をかけて、独身貴族を満喫するように、いろんな行きずりの人たちと遊ぶかもしれないです(笑)。 ――最後に、このアルバムをどんな気持ちでリスナーに届けますか。 志磨:この間、友だちの家でおしゃべりしていて、自分がひいきのバンドの曲をどういうタイミングで聴くか…という話になって。そいつは、夜に聴くと言っていたんです。で、このCDを「できたよ、聴いてね」って渡したときに、「おまえが帰ってから聴く」と言われて。それがすごくうれしかったんですよね。……僕は朝に聴くんですよ。寝起きで聴いたり、余裕があるときにひとりで聴くのが、僕のあらたまった音楽との向き合い方で。なんか、そういう風にそれぞれの聴き方で、このアルバムと対面して楽しんでもらえたら、僕の望みとしてもうそれ以上のことはないです。これはちょっとしたわがままだし、もちろん、忙しい人は通勤中とか、仕事をしながらでもいいんですけどね(笑) (取材=神谷弘一)
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ドレスコーズ『1(初回限定盤)』

■リリース情報 『1』 発売:12月10日(水) 価格:初回限定盤(CD+DVD) ¥3,500+税    通常盤(CDのみ) ¥3,000+税 <CD収録内容> M1. 復活の日 M2. スーパー、スーパーサッド M3. Lily M4. この悪魔め M5. ルソー論 M6. アニメみたいな M7. みずいろ M8. 才能なんかいらない M9. もうがまんはやだ M10. 妄想でバンドをやる(Band in my own head) M11. あん・はっぴいえんど M12. Reprise M13. 愛に気をつけてね <DVD収録内容> 「スーパー、スーパーサッド」MUSIC VIDEO 「ワン・マイナス・ワン」DOCUMENTARY VIDEO <『1』法人別購入特典> 【TOWER RECORDS】 オリジナル特典:特典CD「アルバム収録曲アコースティックver. 2曲収録」 予約特典:the dresscodes“1”ENTRY CARD(志磨遼平直筆サイン&シリアルナンバー入り) ※下記、期間内で予約の場合はの方に別途上記のENTRY CARDを提供 対象店舗:TOWER RECORDS全店(オンライン含む) 予約期間:10月20日(月)~ 11月11日(火) ※店舗ごとに営業時間に違いあり。 ※現時点での予約者も特典対象 【TSUTAYA】 オリジナル特典:中村明日美子描き下ろしマンガ+アニメ絵コンテ(36P予定) 【HMV】 オリジナル特典:志磨遼平「1」オーディオコメンタリーCD ※志磨遼平による「1」解説音源 【メーカー多売特典】 告知ポスター ※配布店は後日発表。 ■ツアー情報 『Tour 2015 “Don't Trust Ryohei Shima』 ・大阪 umeda AKASO 日程:1月17日(土) 前売り:¥3,240 当日:¥3,800 OPEN:17:15 START:18:00 問い合わせ:清水音泉 06-6357-3666 ・名古屋CLUB QUATTRO 日程:1月18日(日) 前売り:¥3,240 当日:¥3,800 OPEN:17:15 START:18:00 問い合わせ:JAILHOUSE 052-936-6041 ・新木場studio COAST 日程:1月25日(日) 前売り:¥3,240 当日:¥3,800 OPEN:17:15 START:18:00 問い合わせ:HOT STUFF PROMOTION 03-5720-9999

亀田誠治にアイドルプロデュース待望論? 万能型音楽クリエイターの遍歴を辿る

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亀田誠治『カメダ式J-POP評論 ヒットの理由』(オリコン・エンタテインメント)

【リアルサウンドより】  亀田誠治は東京事変のベーシストとしても知られているが、もちろん元々は音楽プロデューサーとして数々の優れた仕事を行っていた人物である。そもそも彼が東京事変に参加することになったのも、バンド結成前から椎名林檎の初期作品でアレンジャーを務めていたという経緯によるものだ。付け加えておくと椎名林檎の楽曲は1998年のファーストシングル『幸福論』から2000年の『罪と罰』まではすべて亀田がアレンジを担当しており、同じく全曲アレンジを担当した『無罪モラトリアム』『勝訴ストリップ』という2枚のアルバムはどちらもミリオンセラーになっている。その後、椎名林檎は3枚のアルバムを出しているがこれだけの売り上げを稼いではいない。もっとも、彼女は最近「CDはもうダメ」と語っており、たしかに今年出たアルバムは初週販売枚数4.2万枚という結果になったので、売り上げ不振はプロデュース陣がどうこうという問題ではないのかもしれない。  話がそれたが、ともあれ亀田が椎名林檎の仕事で名を馳せて、それ以降に多くのJ-POPミュージシャンからラブコールを受けるようになったのは間違いない。とはいえ彼がそれ以前にやっていたのはアイドルや声優の楽曲である。彼が編曲やアレンジの仕事をするようになったのは1989年からなので、いわば彼はアイドル冬の時代にして声優オタク文化が社会的にあまり好ましく思われていなかった時代を支えてくれた重要な作家である。相手もCoCo、西田ひかる、観月ありさ、チェキッ娘、櫻井智、椎名へきる、国府田マリ子など、いずれも楽曲に定評のある者ばかりだし、実際に彼が担当した楽曲を聴くと理論派の彼らしい、ジャンルを自由に横断する面白さのある楽曲を作り続けている。  90年代といえばもうひとつ、渋谷系のような過去楽曲への参照性のある曲作りが全面的になった時代で、亀田はバンドとして登場したわけではないが、似たような志向性を強く感じさせる。90年代中盤以降、渋谷系を担った作り手たちが声優などのプロデュースへと流れていったのともパラレルなものだと思わせる。そんな彼が椎名林檎と出会ったのは時代の必然というほかない。アイドル文化にもつながるキャラクター性の重視と演劇的な演出、過去のカルチャーに対する参照性の高さなどが90年代後半のディーヴァ系の台頭と結びついて、彼は見事にヒットを飛ばしたようだ。その後、亀田は深い音楽的知識を持つプロデューサーとして、またはチャーミングなベーシストとしてJ-POPのメジャーシーンに迎え入れられ、ヒット曲の構造について分析的に語る姿もよく見られるようになった。しかしだからこそ、個人的には今こそよりハデにアイドルのプロデュースもやってくれたら面白いことになりそうだと思う。90年代から培ったジャンル横断性、越境性をいま全面展開してあらゆる場所で活動することが、音楽シーンの閉塞を越えてくれる……と思うのは、穿ちすぎだろうか。  亀田の特徴がジャンル的な横断にあるとするならば、椎名林檎以降、つまりJ-POPの人気プロデューサーとなってからの亀田が90年代に花開いたオルタナティブロックのテイストを感じさせるアプローチを数多く行ってたことも頷ける。ニルヴァーナやスマッシング・パンプキンズのように音圧のあるギターとメロディアスでわかりやすいリフやメロディー、そして繊細さとドラマティックさのある展開の作り方などは、洋楽だけでなくいわゆる歌謡曲的な要素もごちゃ混ぜになって成り立つJ-POPというジャンルに似つかわしい。90年代以降に日本のポピュラー音楽は急速に洗練されていったが、こうした流れにもオルタナティブ的なジャンル横断性を日本の文脈にうまく転用した亀田の手腕が重要な役割を果たしたのは間違いない。 ■さやわか ライター、物語評論家。『クイック・ジャパン』『ユリイカ』などで執筆。『朝日新聞』『ゲームラボ』などで連載中。単著に『僕たちのゲーム史』『AKB商法とは何だったのか』『一〇年代文化論』がある。Twitter