外道・加納秀人×頭脳警察・PANTA対談「40年蓄積されたホンマモンのことが、やっと出来る」

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頭脳警察・PANTA(左)と外道・加納秀人(右)。

【リアルサウンドより】  1973年のデビュー以来、解散・再結成を経て今なお活躍するバンド・外道が、1月7日に新アルバム『Rocking The BLUES』をリリースする。同作は外道が40周年記念アルバム『魂の叫び』(2013年)をリリースして以来の作品で、エルトン永田、金子マリ(スモーキー・メディスン、金子マリ&バックスバニー)、PANTA(頭脳警察)、ROLLY(すかんち、THE卍)といった豪華ゲストが参加している。今回リアルサウンドでは、同作にゲスト参加しているPANTAと、外道の加納秀人という、二人の伝説的ミュージシャンによる対談を実施。70年代当時の貴重なエピソードから、現在も衰えを知らない創作意欲と音楽観、さらには後続世代へのメッセージまで、じっくりと語り合った。聞き手は自らもプレイヤーとして最前線で活躍しており、同バンドを良く知るFORWORDのISHIYA氏。(編集部)

「日比谷でやった時に、外道がめちゃくちゃカッコ良かった」(PANTA)

――外道と頭脳警察は、中学校の時、80年代に初めて聞いてどちらにも衝撃を受けました。ただ、外道のファンは暴走族が多くて、頭脳警察のファンは学生運動の連中が多い印象だったので、2人の仲が良いのは意外な気もします。 PANTA:いや、暴れる業界としては一緒なんじゃない? どっちも鉄パイプ持つかな(笑)。 加納:まぁ、どっちも危なかったよ(笑)。その当時はフェスティバルで会ったりしていたね。 PANTA:日比谷でやった時に、外道がめちゃくちゃカッコ良かったの。着物みたいな衣装を着て、マイクスタンドのところにバーッと駆けていって歌っていて、「カッコいいなぁっ!」って思った。それがすごく印象に残っている。 加納:イベントで会ったりすると、そこでファン同士が喧嘩したりもしていたね(笑)。不思議なのはその当時、バンド同士は喧嘩しているわけでも何でもないし、こっちとしてはフォークの人とやってもジャズの人とやってもOKだったのに、まわりがこれはロックで、これはハードロック、こっちはフォークだからと色々決めていくんだよね。でも、やってる方は自分のやることに精一杯で、そんなことはまったく意識もしてないし、自分のやり方をやっていただけ。だけど、観る人や書く人がどんどん線引きしていって、別れていったんだと思うよ。 ――当時は外道のファンの前で頭脳警察がやったり、頭脳警察のファンの前で外道がやったりもしていたんですか。 加納:とにかくあの当時は、色んなモノがゴチャゴチャだった。今みたいに一つのジャンルだけ集めてやるようなコンサートとかなかったと思う。色んなジャンルの色んなバンドが出ているフェスティバルのような形態だった。ウッドストック(1969年8月15日から18日午前までアメリカニューヨーク州で行われた伝説的なロックフェスティバル)みたいなもんだよ。 PANTA:当時を象徴するフェスティバルとして、郡山でやったワンステップフェスティバル(1974年8月4.5.8.10日に内田裕也などの主催でオノ・ヨーコも出演した福島県郡山市の総合陸上競技場で開かれたロックフェスティバル)というのがあった。頭脳警察は出なかったんだけど、外道はトラブルがあったんだよね。東京から行った暴走族のファンと地元のグループが対立して。 加納:当時の話をするのもあれなんだけど、たぶん音楽関係で機動隊が出るのは外道ぐらいだったと思う(笑)。色んなところに行くたびに検問があって、機動隊が出てきた。ワンステップフェスティバルに行くときは、そんなにたくさん族がついてきたわけではなかったんだけど、警察も外道が来るっていうんで検問しなきゃってことになって。でも別に凶器を持って行くわけじゃなくて、楽器持って行くだけだから普通に入れたけどね。当時はそんなことが多くて、コンサートに出られなかったこともたくさんあったよ。
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――加納さんは、音楽活動を開始してからもう半世紀近く経っていますね。 加納:俺は外道の前にソロでやったり、Mってバンドやったり、その前もあるので、もう46~7年はやってる。日劇ウエスタンカーニバルとかにミッキー・カーチスさんと出たりしていた。 ――ああ、それでミッキー・カーチスさんが外道の最初のプロデュースをやったんですか。 加納:なんか知らないけど、ミッキー・カーチスさんに「今日レコーディングするか」って、急に言われたんだ。俺は当時、世界で一番すごいバンドを作りたいとは思っていたけど、レコーディングとかレコード自体には興味がなくて、レコードデビューとかまったく考えてなかった。「人間なんて30才になったら死ぬぞ」って思っていたからね。世界のロッカーがみんな20代だったし、どうせ短い人生なんだから、好きなことをやっていいバンド作りたいって、それだけだった。ましてや俺達みたいなものにレコード会社が付くなんて考えられない時代。当時はロックなんてやってると家も借りられないぐらいだった。でも、学生運動が起こったおかげで、日の目を見ることができた。世間の矛先が学生運動の方にいったから、大家さんが「あんたバンドやってるの? それじゃそんなに危険じゃないかもね」って家を貸してくれるようになったの(笑)。 ――なるほど。頭脳警察の方はどうだったんですか? PANTA:アパートのことでいうと、当時は学生運動がどんどん地下に潜っていて、爆弾を作っているような連中がいっぱいいた。その後、3億円事件が起こって、警察はローラー作戦っていうのを始めたんだ。もう片っ端から調べていった。あれは実は3億円事件じゃなくて、学生運動を調べるために行ったんだと思う。そういうことがあったので、なかなか住み辛い世の中でした(笑)。 加納:俺たちが音楽を始めた時代っていうのは、今の状況とはまったく違うよね。今、楽器を持って歩いている女の子もいっぱいいるけれど、当時はギターを持って歩いているだけで不良と見なされて、サラリーマンに囲まれたりしたから。「お前、日本男児のクセになんなんだよこれは? 許せない!」って。
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「ハードロックに一生を賭けるとか、ブルースに一生を賭けるとか、俺には出来ない」(加納)

――そんな時代にあって、外道と頭脳警察は日本語で歌うロックの先駆者でしたよね。 加納:当時は「ハードロックとロックは英語だ! 日本語なんかダメだよ。フォークならいいけど」っていう連中もいたよ。内田裕也さんが英語派だったというのもあると思うんだけど、フォークは日本語で歌ってもいいけど、ロックはダメだっていうのは、よくわかんないよね。でもミッキー・カーチスさんは「いいじゃん日本語で。いいよいいよ!」って言ってくれた。 ――外道も頭脳警察も日本語がすごく響いてきますね。今回の外道の新アルバム『Rocking The BLUES』でも、2曲目の「It’s a MAD WORLD」を聞いた時に「あ!これPANTAさんの声だ」って一発でわかるインパクトがありましたよ。 加納:「あ! これ誰だ!」ってすぐわかるのは、すごく大事だと思う。自分の声を持って、自分の歌い方を持って、自分の生き方を持ってるっていうのは、やっぱり大変なことなんですよ。歌もギターもそうですよ。そういうのが当然あって然るべき。独自のスタイルっていうのは、最初から目指していました。 PANTA:ギターもわかるもんね。「あ! これアイツだ!」って。 ――PANTAさんが歌ってる部分の歌詞も加納さんが書いたんですか? 加納:そうですね。 ――すごくPANTAさんの雰囲気が出ていますよね。これまさかPANTAさんが書いたのかな?って思うぐらい。 PANTA:すごく意識してくれたんじゃないのかな。 加納:俺はものすごく政治的なことも歌うし、エッチな歌も歌うし、バカみたいなことも、ラブソングも歌う。とにかくジャンルが無いんです。あえて言うなら「音楽」っていうジャンル、「生きてる」っていうジャンルなんですよ。ハードロックに一生を賭けるとか、ブルースに一生を賭けるとか、俺には出来ないです。ジャンル無く自分のやりたいことを表現する。言葉にしても音にしても何でも。だから色んなタイプの曲があって当然だし、今回みたいな歌詞も書くんです。 ――でも、外道節は健在ですよね。あ、やっぱ外道だなってわかります。ところで、7曲目の「イエローモンキーブルース」って、昔の「イエローモンキー」のブルースバージョンじゃないですか? 加納:ひとつの曲をどんどんどんどん発展させて、延々と出して行くっていう奴はあんまり居ないと思うんだよね(笑)。俺の場合、1曲を10回とか15回ぐらいレコーディングしたりするから。
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「50mのシールドとギターだけで10万人が総立ちになってノってた」(加納)

――昔の曲だと、今とは気持ちが違うからやり辛かったりしませんか。 加納:そういう時期があればやらないの。1回書いてそのまま終わっちゃうのもあれば、何回もレコーディングしてどんどん生まれ変わって行ったりとか、発展して行ったりとか、そういうことをやるんです。 ――12曲目の「俺のRock’n Roll」を聞くとわかるんですけど、レコーディングは一発録りですよね。 加納:俺のレコーディングスタイルっていうのは昔から「曲が出来たんでやってみようか」っていって、いきなりリードも録るし、歌も録るんです。ほとんどスタジオライブみたいな感じだよ。今回も、こんな感じだよっていう歌を入れておいて、それを聞きながらみんなで一緒に合わせて録って、というのがほとんどですね。みんなでせーので録って、サイドだけ録ってないからサイドだけ録ろうとか。それぐらいなもんですよ。ドラムとベースが一部屋で、ギターが別の部屋で別れてはいますけど。 PANTA:そこは数少ないアナログ録音が出来るスタジオなんですよ。 ――それはいいですね。オープンリールですか? 加納:そうそうオープンリール(笑)。 ――それ、レコード盤出した方がいいですよ! 外道のファンの世代の方ってレコード世代だし、若い世代もそうですけど、レコードを求めているファンも多いと思います。外道のファースト・アルバムのレコードジャケットもかっこいいじゃないですか。段ボールみたいな地に、外道って名前だけが書いてあって、中学の時にジャケ買いしましたよ。でも、そういえば頭脳警察は売ってなかったですね。 PANTA:すみませんね、発売禁止ですから。店頭に並ばせて貰えませんでした(笑)。だから、あの頃から通販を意識してやっていました。 加納:ハッハッハッ(爆笑)。 ――ところで外道は、日本で初めて海外のフェスに出演したバンドですよね。 加納:さっき話に上がっていた、ワンステップフェスティバルに出て、外道が一発で全国区になったんですよ。たくさんバンドが出ていたんだけど、NHKで外道とイエローと内田裕也さんとオノヨーコとサディスティックミカバンドが放送されて。その後、サディスティックミカバンドとかクリエイションとかジェフ・ベックとかと一緒にフェスを廻るようになって、アメリカにも呼ばれた感じです。 PANTA:ハワイのサンシャインヘッド・ロックフェスティバルでやってるもんね。 加納:世界中から有名なバンドが出る有名なコンサートで、10万人いました。映画のウッドストックとかを観て「ああ、こんなのあるんだなぁ」って思っていたけれど、日本でやってもせいぜい集まって1万人とかだから、あんまりその規模感を意識してなかったの。それで、普段日本ではマーシャル三段積みを三台ぐらい使っていたのに、50mのシールドとギターしか持って行かないで、エフェクターも持って行かない(笑)。着物は持って行ったけどね。五千人ぐらいしかいないのかと思っていたからアンプも小さいやつでいいやって。それ積んでトラックの荷台に載って着いたら10万人ぐらいいて、馬に乗ってる人とかもいるし「ええーっ! 機材持ってくれば良かった!」って(笑)。あんなにすごいイベントだとは思わなかったから。ホントみんなびっくりしていた。だって日本のバンド始まって以来ですからね、すごかったですよ。2曲目で10万人総立ちになってノってましたから。
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「狭い閉鎖された空間の中で、一緒にアーティストを観て楽しもうっていう空気がなくなった」(PANTA)

――それは観たかったですね。外道の音楽は、ライブを観てもらえれば確実に伝わるんですよね。 加納:絶対にわかる。音が違うから。ライブを体験すると人間が生きているエネルギーを、生きるために必要なエネルギーを貰えます。音楽って食事とか空気とか自然の大事な物と変わらないぐらいのものを持ってるんですよ。でも、死んだような音楽はそんなエネルギー持ってなんかいないけど、本当に生きてる良い音楽は、ちゃんと持っているので、それを体験してもらいたいと思う。絶対聴かせるから。 ――それ、よくわかります。ただ、新しい人がライブに来るまでが大変じゃないですか? やる側としては絶対完璧な自信があっても、そこに新しい人にどうやって来てもらうかっていうのは問題だと思うんです。PANTAさんは、その辺どう思いますか? PANTA:ライブハウスのあり方も問題だと思う。昔はライブハウスのオヤジさんと、そこに居座っているお客さんとで、一緒にアーティストを育てるという環境が、その情熱とともに色んなところにあったと思うのね。みんなライブハウスやお客さんとともに育っていった。ところが新宿ロフトとかのいわゆる老舗のライブハウスの形態と違って、「なんだライブハウス儲かるじゃないか」ってどんどん色んなライブハウスが出てきて、チケットノルマというものを課してくるようになった。それでアマチュアバンド何組かを集めて、チケットを売らせる。ライブハウスだけがリスクを背負わないんです。いくらもしないコーラを一杯500円で何の疑問も持たずに飲ませて、そういう中で義理でチケットを買わされた奴が行く。そりゃあ友達のを観たらすぐ帰るよ。それで狭い閉鎖された空間の中で、一緒にアーティストを観て楽しもうっていう空気がなくなった。ライブハウス自体が、もう少しやり方を考えた方が良いんじゃないかな。 ――箱側の問題もあると。 PANTA:そうそう。逆にライブハウスじゃなくて、ちょっと飯食わせるところで、楽屋も無い音響設備も無いところでもライブ出来るじゃないかって状況になっている。やる場所を探してるミュージシャンはいるから、そういうところでもやっちゃうんだよ。だからとっても寂しい状況なのね。本当はライブをやるんだったら、もう少し環境を考えなきゃいけないのに「出来るじゃないか!」ってね。そういうミュージシャンはたしかにたくさんいますよ。それで発表の場を持っている人もいるし。でもそうじゃなくて、もう少し音楽的に熟成した社会を作るためにはどうしたらいいのか? っていう問題。たとえばフェスもものすごく重要なんだけれども、最近ではとにかくフェスが大型化しちゃって、こじんまりしたフェスっていうのが無くなってきてる。自然の中で、全体の中でみんなが自由に、好きなバンドを楽しめるフェスがなかなかないんですよ。 加納:今の大きなイベントっていうのは、お金絡みになっちゃっていて良いものを聴かせるっていう発想ではなくなってきているから、残念ですよ。これとこれと出せば人気があって、これだけの収益があるってね。そういうのが今のやり方でしょ? そうじゃなくて、もともとは良い音楽を、カッコいいものをとにかく聞かせたくてやるものだと思う。だから、今回のアルバムだって40周年記念アルバムをリリースした後の、単なる新作じゃないんですよ。今までやって来た中で蓄積されて溜まったホンマモンのことが、やっと出来るスタートラインなんです。なぜ『Rocking The BLUES』かって。ブルーで落ち込んだところを俺のエネルギーと気で、Rockでハッピーにさせるってことです。俺のこと嫌いでもいいから、エネルギーを与えて、生きる力を、希望を、やっと音の中で出せるようになって来たアルバムなんですよ。本来、音楽にはどれだけのエネルギーが入ってるのか、このアルバムで体験してもらいたいですね。 (取材・文=ISHIYA/写真=石川真魚)
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外道『Rocking The BLUES』(キングレコード)

■リリース情報 『Rocking The BLUES』 発売:2015年1月7日(水) 価格:3,000円(税抜) <収録楽曲> 1. SHAKE IT BABY 2. It’s a MAD WORLD 3. Rockで行こうよ! 4. What a BITCH 5. Play BLUES 6. 逃げるんじゃねえ! 7. イエローモンキーブルース 8. Happy Birthday 9. OH my my 10. Life and Death そして運命 11. Baby Rock’n Roll 12. 俺のRock’n Roll 13. あの頃は

マキシマム ザ ホルモン「F」はなぜ『ドラゴンボールZ』劇中歌に? 鳥山明先生からコメントも

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【リアルサウンドより】  2014年12月29日のCOUNTDOWN JAPAN 14/15のステージで、その年の11月に突然発症した髄膜炎による入院&療養から完全復活を遂げたマキシマムザ亮君。2015年は1月から日本全国5か所を回るツアーを行うなど、これまで以上に精力的な活動が期待されるマキシマム ザ ホルモンから、新年早々ビッグなニュースが飛び込んできた。なんと、マキシマム ザ ホルモン「F」が劇場版『ドラゴンボールZ 復活の「F」』のバトルソングとして劇中で使用されることが決定したのだ。えっ? 「単に映画の挿入歌として流れるって話だろ」だって? いやいやいや、これはそんな淡白でビジネスライクな話じゃないんですよ。ホルモンのファンならば周知の話だと思いますが、改めてこの「F」という楽曲のバックグラウンドについて順を追って解説していきましょう。  もともとこの「F」は、ホルモンが2008年にリリースしたダブルA面シングル“爪爪爪/「F」”に収録されていた曲。当時(そして今も)世界各地で実際に起こっている民族弾圧に対するホルモン流の異議申し立てというポリティカルな側面を持つこの曲のタイトル「F」には、『ドラゴンボール』の世界における宇宙最強のキャラクター「フリーザ」を示すアルファベットという意味だけでなく、「フリーダム」(彼らに自由を!)という意味も込められている。で、当然のようにこの時点で原作の鳥山明先生の許可を取っているわけもなく、歌詞の表記では「フリー◯ フリー○ フリー○ フリー○」と伏せ字になっていた。もしそれが理由で発禁になっていたらどうしたんでしょうね? ホルモン、相変わらずなかなかのチャレンジャーだ。  さて、そんなグレーゾーン(笑)を彷徨っていたこの曲に、非公式ながらまさかのお墨付きが与えられたのがその4年後の2012年のこと。なんとホルモンの名古屋公演に鳥山明先生が娘さんとご来場。亮君は、偉大なる創造主の目の前で「フリーザ! フリーザ! フリーザ!」というあのリフレインを叫ぶという夢が叶ってご満悦。さらには楽屋にまで顔を出してくれた先生は、メンバーに似顔絵付きのイラストまでプレゼント。当時、そのイラストを浮かれてSNSにアップしたメンバーには、「ずるい!」「これが芸能人特権か!」「何かの間違いだろ!」と日本中から罵声が飛んだものだった(半分本当)。ちなみに鳥山明先生、ホルモンの面々とは「友人を通して知り合った」とのことですが、普段どのような交友関係をお持ちなのかちょっと心配になってくるエピソードですね。  その後、「F」は2013年にリリースされたホルモンにとって現在のところ最新アルバム『予襲復讐』にも収録。で、その作品に同梱された全160ページに及ぶ曲解説書には、亮君とスタッフの次のようなやりとりが記されていた。 亮「先生の前で曲も披露してフリーザのサインまで頂いた事だし、これはもう次にドラゴンボールが映画になった時は、この曲主題歌にしてもらいましょう!」 一同「無理無理無理無理無理無理(笑)」  いやはや、何でも言ってみるものですね。実際の話、今回の件は主題歌どころの話じゃないのだ。昨年、つまり2014年のある日、ホルモンのもとに鳥山明先生からこんなメールが届いたという。 「マキシマム ザ ホルモンの『F』を聴いて次回作の映画の脚本を一気に仕上げる事ができました!」  今回の『ドラゴンボール』の映画タイトルを、もう一度じっくりと見てください。そう、今回の映画タイトル『ドラゴンボールZ 復活の「F」』の「F」は、ホルモンの楽曲「F」に由来するものだったのだ。2008年にホルモンがドラゴンボールのフリーザから勝手にインスピレーションを受けて勝手に発表した「F」が、7年という年月を経て、作品本人からお墨付きをもらうどころか、新たな映画作品が生まれる重要なインスピレーションとなり、さらにはそのタイトルにまで痕跡を残してしまったというわけ。鳥山明先生いわく、今回の『ドラゴンボールZ 復活の「F」』でフリーザは「ただ復活しただけじゃない」「すさまじい対戦をどうぞお楽しみに!」とのこと。まさにそのすさまじい対戦シーンで、あの「F」が日本中の映画館で鳴り響くのだ。 ■宇野維正 音楽・映画ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌などの編集を経て独立。現在、「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「BRUTUS」「ワールドサッカーダイジェスト」「ナタリー」など、各種メディアで執筆中。Twitter

鳥山明先生のコメント

今回、フリーザが復活します! 「F」はフリーザのFです。 これは、映画の次回作の話をあれこれ悩んでいた頃、 友人を通じて知り合った「マキシマム ザ ホルモン」 の「F」という曲を聴いてひらめいたアイデアです。 「F」はフリーザのことを、えげつなくもカッコよく歌った曲です。 もちろん、ただ復活しただけじゃないので、 すさまじい対戦をどうぞお楽しみに!
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『ドラゴンボールZ 復活の「F」』

■映画情報 『ドラゴンボールZ 復活の「F」』 原作・脚本・キャラクターデザイン:鳥山明 監督・作画監督:山室直儀 音楽:住友紀人  美術監督:行 信三  色彩設計:堀田哲平  特殊効果:太田 直  CGディレクター:牧野 快  撮影監督:元木洋介  製作担当:藤岡和実 声の出演:野沢雅子 中尾隆聖 山寺宏一 森田成一 堀川りょう 佐藤正治 鶴ひろみ 田中真弓 古川登志夫 草尾 毅 緑川 光 皆口裕子 製作:「2015 ドラゴンボールZ」製作委員会  配給:東映 全国の映画館で2015年4月18日(土)より一斉公開。 公式サイト (c)バードスタジオ/集英社 (c)「2015 ドラゴンボールZ」製作委員会

乃木坂46、初アルバム『透明な色』に課せられた命題 2015年の彼女たちに必要な「色」とは?

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乃木坂46『透明な色(Type-A)』(ソニー・ミュージックレコーズ)

【リアルサウンドより】  乃木坂46が待望の1stアルバム『透明な色』を1月7日にリリースする。2012年2月22日にシングル『ぐるぐるカーテン』でメジャーデビューを果たした彼女たちは、今日までに10枚のシングルを発表しており、その全10曲の表題曲をすべて詰め込んだこのアルバムはデビューから3年間の集大成といえる1作と言える。  本来ならもっと早くにリリースされていてもおかしくなかった彼女たちの1stアルバムだが、恐らくこのタイミングでの発売には何らかのストーリーが用意されていたはず……そう、きっと昨年末の「第65回NHK紅白歌合戦」初出場という豪華な2014年の締めくくりを経て、このアルバムを発表したかったのではないだろうか。紅白に出ていたなら、時期的には昨年10月発売の最新シングル『何度目の青空か?』を歌っていたはずだろうし、その楽曲が収録された“これぞベスト盤”と呼べるような1枚が紅白直後に発売されるとあれば、年末の音楽番組を通じて彼女たちに注目した“乃木坂ビギナー”たちが手軽に手を伸ばすことができたはずだから。  しかし、現実は違った。結成からここまで順調に歩みを進めてきた彼女たちに、この紅白落選は大きな挫折感を与えたかもしれない。実際、一部メンバーは昨年の早い段階から紅白を目標にしていたそうだが、それを強く主張するようになったのは2014年も折り返しに入った夏頃から。だが、自信のないメンバーも多かったことから、全員が同じ方向を向いて「私たちの目標は紅白出場です!」とは言い切るまでには至らなかった。もしかしたらこの足並みが揃わなかったところも、少なからず落選に影響していたのかもしれない(もちろん今となっては結果論でしかないが)。この乃木坂史上初の大きな挫折を味わったことで彼女たちの紅白に対する現在の思いはより強く、より大きなものとなっている。活動4年目にして対峙した大きな壁。もちろん公式ライバルとしてのAKB48という巨大な壁もいまだに存在するが、それより先にまず飛び越えなくてはならない、一番身近にある大きな目標が2015年末の紅白出場なのだ。  ではその目標を達成するためには何が必要なのか? そのヒントが今回のアルバム『透明な色』に隠されているような気がする。3仕様用意されたアルバムのうち、Type-AとType-BはCD2枚組で、各ディスクに新曲がそれぞれ4曲、計8曲収められている。シングル曲をリリース順に並べたDISC 1の冒頭10曲は、人によっては「味気ない」「アルバムとしての工夫が足りない」と感じるのかもしれない。しかし、“乃木坂46の足跡をたどる”という意味ではこれ以上はない曲順だと個人的には考えている。実際、デビューシングル『ぐるぐるカーテン』から最新シングル『何度目の青空か?』までを順々に聴いていくと、最初はほぼソロパートもなく、メンバーの個性が感じられなかった歌声も、4thシングル『制服のマネキン』あたりから徐々に“個”が強まりつつあることが感じられる。そういった進化、成長を現在進行形で体感できるのが、今作のために新録された新曲と言える。  これらの新曲を最初に聴いた感想、各楽曲の解説は昨年12月上旬にオフィシャルサイトに寄稿したので割愛するが(参照:http://www.nogizaka46.com/news/2014/12/46-101323.php)、少人数でのユニット曲、昨年のシングルでセンターを務めた生田絵梨花、西野七瀬によるソロ曲、そして選抜、アンダー+研究生による楽曲(意外にも研究生参加曲はDISC 2収録「自由の彼方」が初となる)と、シングル以上にバラエティに富んだ内容は、アルバムだからこその実験心や遊び心に満ちあふれている。このアルバムで初めて乃木坂46にじっくり触れる人たちが新曲を通じて、メディア露出の多い生駒里奈や白石麻衣のようなメンバー以外の個性を感じることができる。なんならType-AにはライブDVD(さわりの1時間のみだが)も付属しているわけだし、こうやって楽曲や映像を通じてメンバーの“個”を知ることで、グループ全体に対する理解を深めていくこともできるわけだ。  48グループと比較して、現在の乃木坂46は明らかに個々のメンバーに対する認知度は低いと言わざるを得ない。ほかのアイドルグループと比べてもガツガツした印象がなく、どこか清楚でお嬢様的なイメージが(よくも悪くも)つきまとっていた。そのイメージは『透明な色』というアルバムタイトルにも反映されていると言える。この矛盾するタイトルこそ、実は彼女たちのパブリックイメージそのものなのだ。いい意味で捉えれば「結成4年目の現在も透明感がある」、悪い意味で言えば「明確な色がない」。色ですらない透明を、色の例えに使う意味……それぞれが個性を強めて色を付け、それをグループに持ち寄ったときにどういう化学反応を起こすのか。乃木坂46にとって2015年の真の課題は、実はここにあるのではないだろうか。この課題がどのような形で達成されるかは現時点ではわからないが、いい意味で透明感を保ちつつも、変幻自在なカラーを兼ね備えたときこそ、彼女たちの目標は誰もが認める形で叶うはず……そしてその実力はすでに持っているのだから、それをどのようにしてうまく発揮するかにすべてはかかっている。  昨年リリースしたシングルがすべて売上50万枚を突破し、メンバーのソロ仕事も増加。それまで露出の少なかったアンダーメンバーや研究生もアンダーライブを通じて経験と実力を付けていき、もはや選抜メンバーに肉薄している。すべてのお膳立ては揃った今、乃木坂46の本当の意味での快進撃は、この『透明な色』から始まる。 ■西廣智一(にしびろともかず) Twitter 音楽系ライター。2006年よりライターとしての活動を開始し、「ナタリー」の立ち上げに参加する。2014年12月からフリーランスとなり、WEBや雑誌でインタビューやコラム、ディスクレビューを執筆。乃木坂46からオジー・オズボーンまで、インタビューしたアーティストは多岐にわたる。

2015年、セカオワ現象はどこまで広がるか? 2年半ぶりのアルバム『Tree』の射程距離

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SEKAI NO OWARI オフィシャルサイト

【リアルサウンドより】  「『Tree』は一体どのくらい売れちゃうのか?」。それは、2015年の日本の音楽業界における最初にして、もしかしたら最大のトピックになるのではないか。1月14日にリリースされる、SEKAI NO OWARIにとって実に2年半ぶりとなるアルバムとなるメジャー2ndアルバム『Tree』。2010年にインディーズからリリースされた『EARTH』は全7曲のミニアルバム的な作品だったので、本作がようやく実質上2枚目のアルバムということになる。ちなみに2012年7月にリリースされたメジャー1stアルバム『ENTERTAINMENT』は初週に約6.5万枚を売り上げて初登場2位。その後、延々とロングセールスを続けて、2014年初頭には30万枚に届いた。今回の『Tree』は、おそらくかなり早い段階でその数字を超えてくるだろうが、焦点となってくるのは50万枚を超えるかどうかだ。  「セールスの話かい!」とツッコミが入りそうだが、そこは重要なポイントなのだ。もし今の時代にデビューから5年未満の彼らのようなバンドが50万枚以上のアルバム・セールスを上げることになったら、それはシーン全体にとっても大きな起爆剤になるに違いない。実際に、2年半前の『ENTERTAINMENT』の大ヒット以降、いくつかの若手バンドが00年代後半にはほとんど例のなかった10万枚以上、20万枚以上のヒットを記録するようにもなった。また、当初は白い目で見られがちだったSEKAI NO OWARIの積極的な地上波テレビでの露出も、今や若手バンドにとっては当たり前のプロモーション戦略となりつつある。彼ら自身にはシーンを代表する自覚なんてまったくないだろうし、むしろ現在の「ロックシーン」へのカウンター&オルタナティブであろうとする意識をその音楽においても言動においても強く打ち出してきたバンドだが、好むと好まざるとに関わらず、セカオワ以前/以降で音楽シーンの景色は確かに変わった。  さて、では肝心の『Tree』とはどのような作品なのか? 曲目リストから一目瞭然なように、ここには彼らがこの2年半の間にリリースしてきたすべてのシングルの表題曲はもちろん、大部分のカップリング曲、さらにライブや映画のテーマソングなどで既に発表されている曲まで収められている。この一年はあまりに多忙であったことに加えて、そもそもデビュー当時から多作家であった試しなどない彼らにとって、本作はオリジナルアルバムというよりも、限りなくベストアルバムに近い作品となっている。しかし、実際にアルバムを最初から最後まで通して聴いた時に浮き上がってくるのは、まるで当初からコンセプトアルバムとしてまとめることを狙っていたのではないかと錯覚してしまうほどの強固な作品世界。「シングル曲を寄せ集めただけのアルバムとしては散漫な作品」か「アルバムとしての統一感はあるもののインパクトに欠ける曲も入った作品」、アルバムというのは往々にしてそのどちらかに振れるものだが、この作品はどちらでもない。入門編的なベスト盤として十全に機能しながら、リスナーに「好き」か「嫌い」かその立場を明確にすることを否が応でも突きつけてくるセカオワ濃度100%の作品となっている。  よく「中高生に大人気のセカオワ」、あるいは「小学生の間で最も人気のあるバンド」といった、若年層からの圧倒的な支持について語られることが多いSEAKAI NO OWARI。しかし、本作を聴いて自分が強く感じたのは、小室哲哉プロデュースワークや初期ミスチル/スピッツやドリカム以降途絶えて久しかった「普通の若者の生活に寄り添う歌」の復権だ。宇多田ヒカルや椎名林檎の音楽も確かに流行したが、あれは基本的にはパーソナルな音楽、つまり一人で聴く音楽だった。近年、AKB48や中田ヤスタカ・プロデュースワークの楽曲のいくつかは「2010年代の流行歌」として消費されてきたが、それらもかなり限定されたシチュエーションにおける、限定されたリスナー層のための音楽だったと言わざるを得ない。ところが、SEKAI NO OWARIの本作『Tree』は、リアルワールドから隔絶したファンタジックな作品であると同時に、そのファンタジー世界への敷居がとてつもなく低くて広いのだ。    ファンタジックな言葉の装飾を取り除いた時に見えてくる本作の楽曲の背景は、実はただの雪景色や遊園地や水族館や遠距離カップルが別れを惜しむ夜の東京駅だったりする。曲間に耳を澄ませば、花火が打ち上げられる音や祭囃子まで聞こえてくる。そう、まさに若いカップルの春夏秋冬のリア充ライフに寄り添う流行歌そのもの(そりゃ、ネット民の多くから嫌われるはずだ)。これから先の数年間、本作は80年代のユーミンやサザンのような若者にとってのリゾートミュージック的な役割まで果たすことになるんじゃないか、と自分は予想する。もちろん、今の時代の「リゾート」とは恋人のBMWやボルボでビーチやゲレンデに行くあの時代とは違って、足は電車や軽自動車やレンタカーだったり、その行き先はフェスだったり地元の花火大会だったりするわけだけど。  (現在までのところ)その人気のピーク期、しかもFNS、Mステ特番、レコ大、紅白の年末フルコースでお茶の間を絨毯爆撃した直後のタイミングに、ヒット曲満載のベスト盤的アルバムにして、ここまで完璧な「普通の若者の歌」の数々を収めた作品をリリースすることになるSEKAI NO OWARI。インディーズ時代初期から取材をしてきた一人として、彼らが今いる場所にその先も安住することになるとはとても思えないのだが、少なくとも2015年の彼らが一体どこまで行ってしまうのか、その行方をとことん見届けていきたいと思う。 ■宇野維正 音楽・映画ジャーナリスト。音楽誌、映画誌、サッカー誌などの編集を経て独立。現在、「MUSICA」「クイック・ジャパン」「装苑」「GLOW」「BRUTUS」「ワールドサッカーダイジェスト」「ナタリー」など、各種メディアで執筆中。Twitter

『ニッポンの音楽』が描く“Jポップ葬送の「物語」”とは? 栗原裕一郎が佐々木敦新刊を読む

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佐々木敦『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)

【リアルサウンドより】 「史観」という言葉がある。「唯物史観」であるとか「自虐史観」であるとか、音楽の場合だと「はっぴいえんど史観」であるとか、歴史に対するときに採られる見方や立場、価値判断のことだ。これが極端に偏ると、捏造に基づく偽史や、悪い意味での歴史修正主義に陥ったりするわけだが、無数にある史実のどれを選び、どう評価するかということだけでも、史観は自動的に生じてきてしまうものではある。学校の歴史教科書にも史観はあるし、たとえば、あらん限りの資料を渉猟し、できうる限りそれらをそのまま提示して、1968年という「政治の季節」を実証的に丸ごと描き出そうとした小熊英二の『1968』にだって史観は存在している。  結局、人それぞれに史観はあり、史観の数だけ歴史はあるわけで、主観と客観は史観の強弱のグラデーションでしかないということもできるだろう。  歴史を描こうとする者は、このグラデーションの幅のどこかに自分を置くことになるわけだが、本書はかなり主観に寄ったところに位置している。「はじめに」で「筆者なりの、あるひと繋がりの「物語」としての「歴史」を綴ってみようというのが、本書の企図」だと宣言されているので、この立場は意識的に選ばれたものだ。当然、小熊『1968』が意図したような全体性や実証性はほぼ自動的に放棄されている。というより、枝葉を徹底的に刈り込み、「物語」を際立たせることにこそ、むしろ狙いはあると見るべきだ。 続きはこちら

トライセラ和田×バイン田中が語る、ロックバンドの美学(前編)「お互い違う場所で切磋琢磨してきた」

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【リアルサウンドより】  ともに97年デビュー、変わり続ける音楽シーンの中で独自のスタンスを守りながらサヴァイブを続けてきたTRICERATOPSとGRAPEVINE。デビュー当時はライバルと目されたこともあったが、いまや互いに認め合う関係となった両バンドのフロントマン、和田唱と田中和将の特別対談が実現した。  TRICERATOPSは『SONGS FOR THE STARLIGHTS』(12月10日リリース)、GRAPEVINEは『Burning Tree』(1月28日リリース)と、新たな環境での新作を作り上げた両者。前編となる今回は、お互いの出会いやルーツから音楽シーンの変化、そしてバンドを続けてきた原動力を語ってもらった。

「(GRAPEVINEは)自分たちに近い人たちなのかなって印象があったな」(和田)

――お二人が最初に出会ったのって、いつ頃のことですか? 田中和将(以下、田中):たしかデビュー前だったよね? 和田唱(以下、和田):そうそう。当時の『R&R NEWSMAKER』という雑誌が主催してた「BRAVO Night !」というイベントで、一年以上にわたって一緒にライブしてた。 田中:たしか7~8バンドくらいいて、東名阪を何度も回るようなサーキットイベントで。 和田:基本的にいつも一緒だったのが僕らとDragon Ashと――。 田中:あとは、ZEPPET STORE、the PeteBest、スキップカウズ、PLECTRUMだったかな。それが最初でしたね。 ――その頃、お互いはどう意識してました? 田中:今でもそうやけど、僕らはもともと社交性も少ないし、音楽性も、キャラクター的にも媚びてなかったんですよね。だから「俺らはあんな風には客に媚びひんぞ!」みたいに思ってた。 和田 あははは! そうなんだ! 田中:その頃はまだ若いですしね。今思えば、若気の至りで尖がってた。 和田:たしかに当時のバンドはサービス精神を持った人が多かったですからね。俺らもどうやったらアピールできるんだろう、どうすればお客さんを掴むことができるんだろうって努力してたタイプだし。ただ、Dragon Ashはちょっと人種が違うと思ったな。俺、初対面で睨まれましたからね、kjに(笑)。 田中:でも、やっぱり彼らは抜きん出てたよね。 和田:そうだね。で、GRAPEVINEは確かに媚びない感じだったし、マーヴィン・ゲイの名曲をバンド名にしていた時点で、自分たちに近い人たちなのかなって印象があったな。 ――田中さんからトライセラはどう見えていたんでしょう? 田中:トライセラはすごくナチュラルな感じだった気がしますね。自然に3人が曲を作ってバンドを楽しんでるスタンスに見えた。やっぱり、新人ばっかり集めてるイベントだから、みんな「どっか抜きん出てやろう」ってガツガツ、ギラギラしてたんですよ。それでパフォーマンスも過剰になっていたんだと思う。僕はそういうノリは嫌いやなと思ってましたけど(笑)。 ――ちなみに、お二人にとって97〜98年の頃のJ-POPや日本のロックシーンはどういう風に見えていたんでしょう? 和田:ヴィジュアル系が多かったイメージがあるな。で、当時は雑誌でよく言ってたんですよ。「みんな衣装を着すぎだ!」って。 田中:ははは! 和田:俺らは普段着姿でステージに出てたし、みんな私服でステージ上がればいいじゃんって思ってた。バインもそうだったし。俺らぐらいからじゃない? 普段着姿のロックバンドが普通になってきたのって。 田中:それは俺も後から知った感じやな。俺らはTシャツ系ロックとか言われてた(笑)。 和田:ははは! そうそう! スニーカー系とか(笑)。 田中:そういう感じでカテゴライズされてたんですよ。それは世界的にも97年がグランジとかマンチェ以降の時代だから、世代的にそういう流れがあったっていうのもあると思うんです。で、ヴィジュアル系っていうのは日本独特の文化やから、あれはあれで独自のガラパゴス的な発展をしてきた。それだけの話やと思います。 ――それ以前、90年代前半にはバンドブームがありましたよね。そことも世代感は違う。 田中:そうですね。バンドブームが一番熱かったのは中3から高2ぐらいまでかな。 和田:そのぐらいの時って日本のバンドの人たちに影響された? 田中:されたよ。正直こういう性格なので、表だってやってる感じの人たちは正直チャラいなって思ってたのよ。だからBO GUMBOSとかRED WARRIORSとか、そういうのが好きでしたね。 和田:俺は日本のバンドは疎かったんだよね。やっぱりビートルズとストーンズが大好きで。だからクラスの子たちと話が合わない。 田中:早熟だったんやろね。 和田:そうでしょ? だからバンドブームは全然通ってきてなかった。 田中:僕も始めたきっかけはまったく無関係で。RCサクセションを中学2年生ぐらいの頃に聴いてギターを始めたんですよ。そこからしばらくしてから、世間はバンドブームだということに気付きはじめた。だからやっぱり友達とは話が合わなくて。唱くんはビートルズとかストーンズをどうやって知ったの? 和田:僕は最初にマイケル・ジャクソンがあったんですよ。とにかく、小学生の時はマイケル一色だったわけ。その後マイケルが『スリラー』の「ガール・イズ・マイン」っていう曲でポール・マッカートニーとデュエットしてたんです。当時は「なんだ、このおっさん」みたいに思ってたんだけど、その後親父に聞いたりいろいろ調べてるうちに「こういうすごい人たちがいたんだ」と知って。あと、ビートルズの「カム・トゥゲザー」をマイケルが映画の中でカバーしてたんだよね。そういうところからいろいろつながって、ビートルズはすごいぞ、と。 田中:なるほどね。僕はもう、RCサクセション、ストリート・スライダーズって聴きはじめたんですよね。そうなったら、そのままストレートにビートルズ、ストーンズにいく感じでした。
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「「ポスト・ミスチル」って言われたことに関しては「よっしゃ、言うとけ言うとけ」っていう感じでした」(田中)

――デビュー当時はバンドの間にもライバル意識のようなものもありました? 田中:それはあったと思いますよ。みんなギラギラしてたと思う。やっぱりちょっとでも抜きん出てやろうっていうためのイベントなわけでしょ? 今だからこそ思いますけれど。 和田:ただ、俺は当時からこの人とは喋りたいなと思ってたんだよね。「覚醒」のブルージーな歌い回しを聴いて、「この人、やっぱり違うな」って思って。わりと早い段階で喋りかけた記憶がある。 田中:喋ったよねえ? でも、ほんと人付き合いが下手だった(笑)。 和田:俺らもわりと苦手だったよ。今でこそいろいろ人とコラボレーションとかしてるけど、当時はダメだった。 ――GRAPEVINEもTRICERATOPSも、デビューからどんどん人気や知名度を増していったわけですが。ブレイクした、売れたという認識はどれくらいありました? 和田:売れてたかなあ? 俺たち(笑)。 田中:いやあ、正直あれでブレイクなのかって今でも思いますよ。時代がよかったんですよ。CDバブルの時代だった。日本でCDが一番売れてたのが、僕らがデビューした97年から99年くらいの頃ですから。僕らがブレイクしたと思われているのもその頃だと思います。それに、僕らの歴史の中でもその時期がいちばん枚数売れてるんです。でも、それはCDバブルの追い風があったからだというのは否めないですね。ブレイクしたという自覚はさほどないです。 和田:僕もないです。全然ないですね。 ――当時はただ慌ただしく日々が過ぎていくような時期だった。 田中:そうですね。右も左も分からないままに過ぎていった。 和田:取材ばっかりしてたね。 田中:あの頃は多かったね。雑誌も多かった。地方キャンペーンもしっかりやってたし。 ――前に和田さんからタワレコのポップを破壊したことがあるっていう話を聞いたことがありますけれど。 和田:いやあ、あの頃の自分はバカでしたからね(笑)。 田中:なんでポップを破壊したの? 和田:ちょうどセカンドアルバムが出たばっかりの時で、広島のタワーレコードに行ったんです。そこで店にポップを作って大きく展開してくれてたんですよ。でも、書いてあった文章が全然こっちの意図と違ってて。書いてる本人はそんなつもりはなかったんだろうけど、少しバカにしてるような感じに思ってしまって。特にあの頃って、なにかと「カワイイ」とか「ポップでキュート」とか言われてたから、それにすごく反発していて。やっぱりロックバンドたるもの、カワイイとは何事だっていう意識があったんでしょうね。 田中:それで? 和田:「すいません、これ書いたの誰ですか?」って店員さんに聞いたら、たまたま書いたのがその人で。その人の態度がちょっとエラそうだったの。だから「おい! 何なんだよ、この文章」みたいな感じで言って。そしたら向こうも「いや、こっちは思ったこと書いただけですけど?」みたいに言うからさ。それで次の瞬間、こっちもカーっとなって、バーン!って。よくやったよ、あんなこと。 田中:ははは! 熱いね。 ――田中さんは、自分の音楽と周りから語られるイメージとの齟齬は感じてましたか? 田中:いや、それはもちろんあるもんだと思ってましたね、僕は。褒めてくれる人もたくさんいらっしゃるでしょうけれど、それだってズレてるのも多かっただろうし。自分らの音楽について言及されてるものは、あんまり見たくなかった。 ――当時のGRAPEVINEは「ポスト・ミスチル」って言われていましたよね。 田中:ああ、ありました。でも、それは逆に武器だって思った覚えがあるな。売れるもんなら売れるに越したことはないだろうっていうことは思ってたし。「ポスト・ミスチル」って言われたことに関しては「よっしゃ、言うとけ言うとけ」っていう感じでした。そんなにイラっともこなかったな。
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「常に新鮮な空気を入れ替え続けるのがいちばん重要なんじゃないかな」(田中)

――その頃、10年後や15年後にバンドがどんな風に続いていくかのイメージはありましたか? 田中:それはなかったな。正直、10年とか続くことをあまり想定するもんじゃないでしょ、バンドっていうもんは。いや、もちろん続くんであれば続くに越したことはないけれど、実際思い描けるもんじゃないですよ。 和田:でも、俺はあったな。ロックは歳とってやってもいいんだっていう意識があったし、できることなら長くやりたいなと当時から思ってました。それはロックの歴史的にストーンズがいたからかもしれない。もし70年代だったら40になってロックをやってる自分たちの想像がつかなかったと思うんです。でも、当時ですでに50代のローリング・ストーンズも見てたから。 田中:そうね。バンドスタイルで長く転がるっていうのは、ストーンズみたいにいい見本がいますからね。これはこれで究極にカッコいいことだと思う。でも、僕らは特別具体的な目標を持たなかったですね。武道館とかドームとか、そういうことを思ったって仕方がないとは思ってました。 ――結果的に今に至るまでバンドが続いてきたわけですけれど、やはり平坦な道ではなかったわけですよね。 和田:そうですね。危機だって何度もありましたよ。 田中:まあ、あるもんやろうな。 和田:ずっと仲良しなバンドもいるけれど、俺らはそうではなかったですね。そのへん、GRAPEVINEはどういう感じなんだろうと思って。 田中:僕らは僕らで、仲良しグループで集まったバンドじゃないんです。もともと全員の間に最初から距離があるんですよ。あんまり干渉しない。おそらくそのバランスが良かったんだろうとは思う。 和田:ああ、わかる。近すぎる人たちがだいたい解散するから。 田中:あと、エゴが強い人はいない。「俺が、俺が」という人があんまりいなかった。お互いの意見を尊重し合うというか、自分の意見が全てではないとみんなわかってる。そういう感じのバランスで進んできたんですよね。 ――バンドの危機はありました? 田中:もちろん、ありましたよ。ウチの場合、いちばんの危機はベーシストが抜けた時。あの時はマジで解散も選択肢の中にありました。 和田:けっこう前だよね。今の体制になってから長いもんね。 田中:そう。それも10年以上前。なので、今はこのままバンドで転がっていこうということにあたっては、どうやって刺激を得るかが問題になってきたりもしていて。モチベーションの維持というか、常に新鮮な空気を入れ替え続けるのがいちばん重要なんじゃないかなと思ってますね。 ――そのあたりはどうやって対処しているんでしょうか。 田中:俺らは自分らでやることももちろん大好きなんですけれども、やっぱり人から刺激をもらうことが多いですね。今回はレーベルを移籍したんで、そのことによって出会った人たちの意見を踏まえて作ったりしたし。何かしら窓を開けて空気の入れ替えをすることによって新しいチャレンジをしてきたと思います。あとは、メンバーの脱退と共にサポートメンバーに入ってもらったり、人との出会いによって助けられてるところは大きいかもしれない。 和田:僕らはメンバーチェンジがないですからね。 田中:それを見てると、トライセラはいったいどうやってるんだろうってよく思う。大変だろうなっていう気がするし。 和田:そうだな……田中くんは作曲って今どのぐらい関与してるの? 作曲の名義がGRAPEVINEになってる場合は? 田中:あれは基本的にはみんなで何気なくジャムりながら作ってくんですよ。メロに関しては俺が歌う。で、コード進行とか展開はその場でできたりできなかったりなので、それを後からちゃんとまとめていく。 和田:そういうやり方なんだ。 田中:そう。うちの場合は、一応全員曲を書くので。といっても亀井くんの負担が大きいんだけど。そう思うと、トライセラの場合は唱くんひとりの負担やね。 和田:そうそう、そうなんですよ。だからそういう曲作りにおいてのチームワークは羨ましいなって思う。でもまあ、ウチは二人が信じてついてきてくれてるんだと思います。 ――和田さんはTRICERATOPSというバンドを続けてきた原動力はどういうところにあったと思いますか? 和田:僕らも移籍は多かったですし、環境の変化は常にありましたね。あとはまあ、「これやめたらどうするんだ」っていうのもありましたよ。他にすることもないし、他のことで認められたこともない。自分が音楽という武器を手にしてこの世界に飛び込んだ時に「ようやくこれで評価してもらえる!」みたいな思いがあった。「何としてもこれだけは続けなきゃいけない」って気持ちが強いんでしょうね。たぶん、それが原動力だと思いますね。 田中:立派なもんだ(笑)。
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「ライブバンドって言われることに関してジレンマもある」(和田)

――TRICERATOPSとGRAPEVINEは、デビューから10年以上経った2008年に新宿LOFTで初めて対バン形式でのライブが実現しています。これはどういう体験でした? 田中:これはね、正直、ほんまに感慨深かった。「Bravo NIGHT!」の頃は7〜8バンドいる中で、みんな頑張って頭角を現すぞっていうムードがあって。そういうのはイヤだなと思う俺らみたいなヤツもいて。でも、そこから僕ら同士は、なぜかこんなに近しい世代のバンドなのにあんまり会わなかったのよね。 和田:そうだね。フェスでたまに一緒になるぐらいで。 田中:フェスでも基本的にはニアミスが多かったしね。なので、2008年の新宿LOFTのガチンコ2マンはすごい感慨深いものがありましたね。よくぞこれを組んでくれたなと思いましたし。デビューから10年以上経て、お互い違う場所で切磋琢磨してきたんだなっていうことをすごく感じましたね。 和田:初の2マンというのも意外でしたね。デビュー当時から何かと比較されて、ライバルみたいな言われ方をして。僕は比較されることに関してイヤだななんて思ったことは一度たりともないですけど。 田中:俺もないな。 和田:それこそビートルズ対ストーンズみたいな憧れに自分たちを当てはめられたので、バインとそういう見られ方をしてることに関してはすごく嬉しかったんですよ。でも2マンは意外に初めてで。で、お客さんが何しろ喜んでましたね。 田中:お客さんの顔を見た時にそれを感じましたね。そりゃそうですよ、それだけデビュー時期が近くて同期で比較されて、お客さんもきっと相当数かぶってるでしょうし。そんな人らが実は観れてなかった2マンをやっと観れるっていう顔で来てるわけじゃないですか。「あ、そうよな!」と。お客さんの立場になってグッときましたね(笑)。 和田:あと、やっぱりいい相乗効果があるんですよ。2マンのときは、なぜかたまたまいつもバインが先で僕らが後っていうスタイルで今のところやらせてもらってるんです。で、バインがやっぱり熱のあるいい感じのライブをするわけですよ。そうすると当然火がつきますよね。あからさまに劣るライブをやってしまったらその後の評価に繋がってくるんで。だからとにかく一生懸命やる。 田中:あははは。熱いなぁ(笑)。 和田:バインとの2マンはそういう意味で緊張感が走るというか、ムード的にはリラックスしてますけど、「やるぞ!」っていう感じはやっぱりありますね。 ――トライセラもバインもライブバンドとしての評価は高いですからね。 和田:ただ、俺らとしてはライブバンドって言われることに関してジレンマもあるんですよ。ロックバンドたるもの、やっぱりライブが良くなきゃダメだと思う。でも、アルバムだって時間かけて一生懸命作るわけでしょ? なのに「トライセラのあの曲、ライヴのほうが全然良かった」みたいな評価をされると切なくなるところもある。 田中:わかるわかる、それはもちろんそうやな。でもそればっかりはしょうがないかな。だって「CDのがいいよね」って言われてもちょっとイヤでしょ? 和田:いや、俺は今回、そうやって言われようと思ってアルバム作った。 田中:ああ、なるほど。確かにアルバム聴いて思った。ライブでどうやんの?って曲、多いもんね。 ――00年代からの10数年というのは、CDが一番売れていた時代からだんだんライブに価値が入れ替わっていたようにも思うんですが、そのあたりはどうでしょう? 田中:でもね、たぶんそれは単純に入れ替わってるという図式ではないと思いますけどね。ライブに人が入るようになったというのはまやかしで、それはフェスだったりの動員が増えたっていうことなんですよ。バンドが単独でツアーをまわっても、みんなひいひい言ってますよ。平日のライブも減りましたからね。 ――フェス偏重の時代になっている。 田中 そう。単にフェスの動員が増えたからそう見えてるだけなんです。僕らはすごく狭間の世代でね。CDも売れなくなってきてるから、CD以外の発信の仕方も増えてきている。正直、僕らは狭間の世代だと思ってるんですよね。(後編に続く)
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(取材・文=柴那典/撮影=下屋敷和文)
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TRICERATOPS『SONGS FOR THE STARLIGHT』(SPACE SHOWER MUSIC)

■リリース情報 TRICERATOPS 『SONGS FOR THE STARLIGHT』 発売:2014年12月10日 TTLC-1005 ¥2,593(税抜) 01. GRRR! GRRR! GRRR! 02. HOLLYWOOD 03. スターライト スターライト 04. ポスターフレーム 05. GOOD ENOUGH 06. PUMPKIN 07. 僕はゴースト 08. 虹色のレコード 09. FLASH!!! 10. 恋するギターとガーベラの花 11. ふたつの窓 ※別DISC (TTLC-1006)                                                    特典音源CD付き(内容事前情報公開無し)
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GRAPEVINE『Burning tree(通常盤)』(ビクターエンタテインメント)

GRAPEVINE 『Burning tree』 発売:2015年1月28日 通常盤 VICL-64266 ¥3,000(税抜) 初回限定盤 VIZL-756 ¥3,700(税抜) 収録曲 01.Big tree song 02.KOL(キックアウト ラヴァー) 03.死番虫 04.Weight 05.Empty song 06.MAWATA 07.IPA 08.流転 09.アルファビル 10.Esq. 11.サクリファイス 初回限定盤DVD 01.「Empty song」Music Video 02.VIDEOVINE Vol.2 ■TRICERATOPS HP http://triceratops.net/ ■GRAPEVINE HP http://www.grapevineonline.jp/

J-POPの歌詞を今どう語るか? 磯部涼編著『新しい音楽とことば』が提示する新たな歌詞論

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『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)

【リアルサウンドより】  音楽ライターの磯部涼氏と編集者の中矢俊一郎氏が、音楽シーンの“今”について語らう新連載「時事オト通信」第3回の前編。磯部氏が編者を務めた書籍『新しい音楽とことば――13人の音楽家が語る作施術と歌詞論』が11月14日に発売されたことを受け、今回は同書のテーマである、J-POPを中心とする歌詞について、そのありかたを考察していく。(編集部) 中矢:今年の夏から磯部さんと一緒につくってきた、『新しい音楽とことば――13人の音楽家が語る作施術と歌詞論』という歌詞に焦点を当てたインタヴュー集が11月に刊行され、ありがたいことに好評をいただいていますが、そもそも本書は2009年に刊行された『音楽とことば――あの人はどうやって歌詞を書いているのか~』の続編ですよね。  前作は、磯部さんも私も関わっておらず、今作のデザイナーである江森丈晃さんが監修を務めたもので、同じく13人の自作自演系ミュージシャンにインタヴューをしているものの、基本的には各人の具体的な作詞のプロセスを聞き出すというスタンスであり、それぞれのファンが読んで楽しい歌詞にまつわるインタヴュー集、という趣の一冊になっていたかと思います。でも今回は、それぞれ異なるフィールドで活躍しながら、歌詞に意識的だと思われる13人へのインタヴューを通じて、今この時代の“歌詞論“を提示しよう、という編集意図があった。しかも、音楽ファンが「面白い」と評価する歌詞だけじゃなく、「つまらない」とか「劣化した」とか「翼広げすぎ、瞳閉じすぎ」とか揶揄しがちなJ-POPの歌詞も議論の俎上に載せようとした。  というのも、磯部さんがまえがきに書いていますが、「歌は世につれ世は歌につれ」という言葉があるように、社会のリアリティが変容するとともに歌詞のリアリティも変容するのであって、あれこれボヤくのは時代についていけていないからなんじゃないかと。また、ひとつの歌がすべての大衆の気持ちを代弁できる時代でもない。そこで、毛色の異なるミュージシャンたちに作詞術と歌詞観を訊くことで、今の歌詞のありかたを浮かび上がらせようとしたわけです。ただ、歌詞についての論考集ではなく、あくまでインタビュー集なので、明確な結論は書かれていません。あえて今まで尋ねていなかったのですが、磯部さんはそんな本書の監修を通じて何か“答え“らしきものは見つかりましたか? 磯部:まず、制作の発端から話しておくと、僕は、いま説明してくれたように、前作の監修者である江森丈晃くんから依頼を受けて、今作の監修者を引き受けることになったわけだけど、江森くんはもともと歌詞に興味がないひとだったんだよね。例えば、前作の前書きの冒頭部分はこんな感じ。  歌詞ってなんだ? という問いかけから、この本を作ろうと思いついたのが、去年の春頃のこと。  いきなりの私事になるが、その10年前までは、まったく日本語の音楽を聴くことがなく、それについて訊かれるたび、「だって部屋で映画を観るときに、副音声はオフるでしょう? 音楽は楽器の響きだけで伝わるものが多いからさ、余計な解説はいらないし、こっちから聴こうとするまでは、歌詞なんか入ってこない方がいいんだよ」……と、ヒネていた自分にも、確実に刺さり、気持を揺さぶられ、「この歌詞を書いた人は、いったいどんな回路を持っているのだろう?」と興味の湧く言葉というのが増えてきた、というのがそのきっかけだ。 (江森丈晃・編『音楽とことば――あの人はどうやって歌詞を書いているのか』、ブルース・インターアクションズ、09年より)  そういうひとがつくったからこそ、『音楽とことば』は好奇心に満ちた瑞々しい本になっていたと思う。一方で、僕は日本のラップ・ミュージックを取材対象にしてきたこともあって、これまで、歌詞について考える機会が多かった。北田暁大が、ライトな音楽リスナーに多い、歌詞を重視する“歌詞フィリア”と、コアな音楽リスナーに多い、歌詞を重視しない“歌詞フォビア”という2項対立について書いたことがあった(『ユリイカ』03年6月号掲載、「ポピュラー音楽にとって歌詞とは何か――歌詞をめぐる言説の修辞/政治学」)けど、江森くんが後者から前者に寄ったのが『音楽とことば』だったとして、僕が『新しい音楽とことば』をここぞとばかりにつくったかと言うとそうでもなく、むしろ、今作を機会に前者と後者の中間に立ってみたようなところがあったんだよね。次に、今作の前書きをちょっと長目に引用してみる。  これは、歌詞についての本である。――というか、そもそも歌詞ってなんだろう。まずはそんな根本的なことから考えてみたい。  しかし、答えはすぐに出てしまう。歌詞とは、文字通り、“歌”における“詞”のことである。そして、言うまでもなく、“歌詞”は、“メロディ”だったり“アレンジ”だったりと同じように歌を構成する要素のひとつなわけだけれど、それにしても“歌詞”は他の要素に比べて、特に愛されているように思える。  たとえば、グーグルの検索バーに、ある歌のタイトルをタイプしてみる。すると、たいてい、「○○○○○(歌のタイトル) 歌詞」という候補が最上位に表示される。そして、それを選ぶと、画面にいわゆる歌詞サイトがずらっと並ぶことになる。つまり、単純に考えて、歌を検索しようと思った人の中では、歌詞を知りたがっているひとが最も多いわけだ。一方、コード譜やバンド・スコアといったものは候補にすら出てこないこともある。もしくは、本屋で楽譜を買おうとした場合、たいてい、それは隅っこに追いやられているし、置いていない店も多い。それでいて、歌詞だけを詩集のようにまとめたいわゆる歌詞本は一般書籍とともにどーんと山積みになっていたりする。  また、ツイッターには、歌詞botと呼ばれるアカウントがたくさんあって、お気に入りのアーティストのものをフォローすれば、タイムラインに定期的に彼らの歌詞が流れてくる。あるいは、日本の歌詞サイトの使い方がテキストを読むだけなのに対して、近年、英語圏で人気のGeneusでは、掲載されているテキストに利用者が「この箇所は、実はこういう意味なんだ」といった解説を書き込むことが出来る。日本でもそんなサイトがあれば面白いのにと思うけれど、すでに個人のブログで好きな歌詞を読み解いている人も多いし、それは商業ライターも同じかもしれない。歌の批評においては、楽曲分析よりも歌詞分析が主流だ。  もちろん、人々がまず耳を傾けるのは“歌”、そのものである。しかし、歌詞やメロディやサウンドが絡み合った歌という芸術の中でも、歌詞という要素は妙に偏愛されているように思えてならないのだ。 (磯部涼・編『新しい音楽とことば~13人の音楽家が語る作詞術と歌詞論』、スペースシャワー・ネットワーク、14年より)  特に日本では、「この国の音楽市場でデータ販売がそこまで伸びないのは、データには歌詞カードが付いていないからだ」っていう説がまことしやかに囁かれるぐらい歌詞が偏愛されている。また、ニコ動×ボカロ文化以降、MVに歌詞を付けるケースが増えて、歌詞フィリアの傾向はさらに強まってきているように思う。一方で、江森くんは、近年、「興味の湧く言葉が増えてきた」と書いていたけど、実際には、中矢が言ったように「最近のJ-POPの歌詞、翼広げすぎ、瞳閉じすぎ」みたいな意見もよく聞かれるようになっている。  ちなみに、引用した前書きでは「歌の批評においては、楽曲分析よりも歌詞分析が主流だ」と書いたけど、アカデミックな分野ではそのような歌詞を偏重した分析の仕方に疑問を呈しているひとも多くて、例えば、サイモン・フリスも、ポピュラー音楽の歌詞においては“何が歌われるか”ではなく“どう歌われるか”が重要――要するに、歌詞を単なるテキストとして読むだけでなく、“歌”という表現のパフォーマンス性やメディア性にも注目しなければいけないというようなことを言っている。最近でも、細馬宏通『うたのしくみ』(ぴあ、14年)なんかは、歌を論じるにあたって歌詞を“読む”のではなく、歌詞を“聴く”ことにこだわっていた。  そして、『新しい音楽とことば』では、歌詞フィリアにハマりすぎないように注意しつつも、歌詞フィリアが蔓延し、歌詞が劣化したと思われているガラパゴスな状況を喝破するのではなく、そこに、何らかの“新しさ”を見出せないか、というテーマをまずは立ててみたんだよね。では、そこからどんな答えが見えてきたか……ってことについてはもう少し後で語ろうか。 中矢:“歌詞が偏愛されている”ということで言うと、今回、取材したミュージシャンはみな、サウンドやリズム、曲構造などの音楽面と歌詞は不可分の関係にあることは大なり小なり意識しているようでした。それと、ミュージシャンのパーソナリティと歌詞を同一視すべきか否か、ということも本書のひとつのポイントになっているかなと。実際、アジカンの後藤正文さんは、ツイッターでの発言と歌詞と自分自身を統一させられる昨今の風潮に窮屈さを感じていると言ってました。 磯部:現代では、ミュージシャンは如何に音楽をつくるかだけでなく、メディアにおいて如何に振る舞うかということも審査される。その結果、アメリカではミュージシャンの社会貢献がデフォルトになったり、ヒップホップにおけるホモ・フォビアが是正されたりもした。一方、この国では珍しく、積極的に政治的な活動をしているミュージシャンである後藤さんのツイッター・アカウントに寄せられるリプライが、「音楽だけやっていてくれ」派と「政治的な活動もしてくれ」派に二分されているのを見ると、日本はまだまだ過渡期なのかなと思う。ただ、どちらの一派も、SNSによってミュージシャンの声がダイレクトに届くようになったことで、“ミュージシャンがメディアにおいて如何に振る舞うか”について過敏になっているという点では共通していて、そして、それは、ミュージシャンとその発言や歌詞に同一性を求める雰囲気をつくり出しているようにも感じる。  70年代以降の日本のポピュラー音楽では、歌い手が作詞を手掛けるケースが増えたこともあって、歌詞フィリアがアーティスト信仰に結び付き、歌詞から歌い手の思想や生き様を読み解くような分析も増えたわけだけど、そこにさらにPC(ポリティカル・コレクトネス)まで求められるのはキツいだろうなぁ、そもそも、歌詞をいたってフィクショナルにつくっているひともいるわけだし……と思っていたら、やはり、今回、インタヴューしたミュージシャンも、歌詞と自身の関係についてはそれぞれの見解を持っていたよね。 中矢:例えば、自分自身のことを歌詞にダイレクトに表すイメージがあまりない石野卓球さんは、電気グルーヴ初期の代表曲である「無能の人」(90年)とそのリメイク「N.O.」(94年)のサビ「学校ないし 家庭もないし/ヒマじゃないし カーテンもないし」は、人生解散後の自身の実体験がベースになっていると言っていましたよね。まあ、そのこと自体はファンの間では広く知られていますが、当時の“リアル”を歌った曲だけに、それが“リアル”に感じられなくなった時期に歌えなかったという話が印象的でした。 磯部:「(「無能の人」では)人生が解散した後の卓球さんの心情が表現されていると言われていますね」という質問に対して、「心情ってほどのことではないかな」と断りを入れつつも、「あの曲は25年近く歌ってても、そんなに恥ずかしくないというか。素直すぎて逆にね。かといって、そのときの自分の状況を必要以上に赤裸々に表現はしていないし」って答えていた。でも、それを、「N.O.」としてリメイクしろとレコード会社から指示された時は、「自分の興味はインストのテクノに向いてて、ああいう歌ものは真逆だったからすごく嫌だった」と。「デビューして数年経った頃だったから、あの曲をつくったときの気持ちとは全然違って。ビッグ・ヒットこそ出ていないけどそこそこ売り上げもあったし、あの歌を歌うことにリアリティが感じられなかった」。しかも、「無能の人」の頃は「四畳半の部屋に住んでて、カーテンの代わりにブルース・リーの『死亡遊戯』のポスターを窓に貼ってた」けど、「N.O.」の頃は「家にカーテンがあったもん」。そして、「逆に今は何で歌えるかっていうと、カーテンが必要ない家に住んでいるから」……というのは実に明解な説明だったよね(笑)。  一方で、「一番遊んでた頃」の体験を基にした「虹」なんかは「今のムードに合わなくてライヴでは全然やってない」。また、アブストラクトでシュールな「Oyster(私は牡蠣になりたい)」なんかも具体的な経験がモチーフになっている。あるいは、「(ピエール瀧)と二人でよく話していたのは、「歌いたいこと何もねぇな」ってことで。で、「本当は何もないのに、さも自分の意志があるような感じで歌うのはやめよう」と。だったら、あるものをそのまま歌う。「富士山」とかね。そこには嘘がないから」とも言っていたし、電気グルーヴの歌詞は俗に言う“リアルな歌”みたいなものとは懸け離れているけど、それは、本当に“リアル”にこだわっているからこそなんだと思ったな。  他にも前野健太くんなんかは、シンガー・ソングライターであるがために、個人的な体験を歌詞に書いていると思われがちだけど、「歌詞はすべてフィクションです。ただ、感情は入れたい。だから物語にして登場人物にセリフをしゃべらせたり。ただ、(略)自分の声を使うと熱くなってしまう部分はある。それが目下の課題で。ホントは物語なので、うまく演じることができればいいのですが」と語ってくれた。それを読んで、以前、やはりシンガーソングライターである豊田道倫さんが、「(私小説的だと)人からよく言われるんですけど、自分ではあまりそう思いません。私小説自体、川崎長太郎とか耕治人とか、よっぽど極北の人以外は読まないし。もうちょっと違うことをやっているつもりです」(『ele-king vol.1』、メディア総合研究所、11年)と発言していたのを思い出したな。そもそも、“私小説”というジャンル自体がそうであるように、“歌詞”と“作者”の関係は決して単純に“=”で結ばれるわけではないんだけど、かと言って“≠”でもなく、時に“≒”だったり、あるいは、“×”だったり、“÷”だったりすることを考えながら聞くと面白いかもしれない。 中矢:卓球さんは「日本のロック・メディアでは歌詞から作者個人の心情を読み解こうとすることが多いですよね」という質問に対して、「特に『ROCKIN’ON JAPAN』のインタヴューは、当初、そういう訊き方しかしてくれなくて」とも言っていましたよね。同誌のインタヴュー記事は、「ロキノン節」と小馬鹿にもされてきました。ただ、編集者目線で話をすると、90年代、あの雑誌は若いミュージシャンのポートレイト撮影に新人のHIROMIXなんかを起用したりして被写体と写真家の距離が物理的・心理的に近かった覚えがあり、ヴィジュアル面でも音楽家のパーソナルな部分に迫ろうという編集意図があった気がします。そういうアプローチは日本の他の音楽雑誌はやっていなかったので、ある種の音楽ジャーナリズムのスタイルを確立したという意味では評価したいと思いますが、今はそれがやや形骸化しているきらいもあるかなと。 磯部:『ROCKIN’ON JAPAN』のインタヴューって、まさに、歌詞フィリア/アーティスト信仰者にターゲティングしたものなんだよね。ただ、日本の音楽市場のメインがそうである限り、それを全否定してもしょうがなくて、この本もまずは各ミュージシャンのファンに読んでもらおうと考えてつくったようなところがある。その上で、あえて、各ミュージシャンに共通する質問を投げかけたり、もしくは、各ミュージシャンから共通する単語を引き出したり、そして、それをリンクさせることによって、各ファンが目当てのミュージシャンの発言とはまた別の“答え”らしきものを見つけてくれたら良いなと思ったんだ。 (つづく) ■磯部 涼(いそべ・りょう) 音楽ライター。78年生まれ。編著に風営法とクラブの問題を扱った『踊ってはいけない国、日本』『踊ってはいけない国で、踊り続けるために』(共に河出書房新社)がある。4月25日に九龍ジョーとの共著『遊びつかれた朝に――10年代インディ・ミュージックをめぐる対話』(Pヴァイン)を刊行。 ■中矢俊一郎(なかや・しゅんいちろう) 1982年、名古屋生まれ。「スタジオ・ボイス」編集部を経て、現在はフリーの編集者/ライターとして「TRANSIT」「サイゾー」などの媒体で暗躍。音楽のみならず、ポップ・カルチャー、ユース・カルチャー全般を取材対象としています。編著『HOSONO百景』(細野晴臣著/河出書房新社)が発売中。余談ですが、ミツメというバンドに実弟がいます。

アメリカン・アンダーグラウンド・ロックの巨星、スワンズの歩みを振り返る

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スワンズ『To Be Kind [帯解説・歌詞対訳 / 2CD + 1DVD / 国内盤] 』

【リアルサウンドより】  すっかりご無沙汰しておりました。今回は来年1月27、28日に来日公演を控えているアメリカン・アンダーグラウンド・ロックの巨星スワンズをご紹介しましょう。来年(2015年)で結成33年を迎える大ベテランですが、最新作『トゥー・ビー・カインド』が、米サイト・ピッチフォーク選出の2014年年間ベスト・アルバムに、若手に互して第6位に選ばれるなど(http://pitchfork.com/features/staff-lists/9558-the-50-best-albums-of-2014/)、その鋭い現役感覚は依然衰えを見せぬばかりか、ますます研ぎ澄まされています。2年前の来日公演の壮絶としか言いようがないパフォーマンスはいまだ記憶に新しいところですが、より大きな会場でのスケールアップしたライヴが期待できそうです。  スワンズのリーダー、マイケル・ジラ(vo,g)は1954年2月、LAに生まれています。少年期に父親に連れられてヨーロッパを放浪し、イスラエルではドラッグの密売で投獄された経験があるということです。 続きはこちら

ミスチル、スピッツ級の逸材か? indigo la End・川谷絵音が担う「歌ものロック」の未来

川谷絵音がJ-POPシーンに発見された2014年

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indigo la End『幸せが溢れたら』(ワーナーミュージック・ジャパン)

【リアルサウンドより】  まだまだ裾野の広がりを見せる女性アイドルブームを背景に、2014年も盛んだったロックミュージシャンのアイドルへの曲提供。手法としては乱発されすぎた感も否めず、もはやちょっとやそっとのコラボでは大した話題にもならないが、中には思わぬ化学反応を生む組み合わせももちろんある。2014年のトピックとして外せないのは、オリジナルラブの田島貴男が編曲で参加したNegiccoの「光のシュプール」。洗練されたギターポップアレンジに唸らされただけでなく、田島自身がCDを購入して彼女たちのオリコントップ10入りを後押しする光景は非常に微笑ましかった(CDを小沢健二に手渡したというエピソードも一部で話題になった)。  女性アイドルグループではないが、「ロックミュージシャンとのコラボ」をここ数年うまく活用することで自らのブランドイメージを向上させているのがSMAP。日本一のスターが若手の音楽家を積極起用する構図はなかなか夢があるように映る。2012年の紅白歌合戦でSMAPは山口一郎作の「Moment」を披露したが、山口は翌年の紅白にサカナクションとして出場して日本の音楽の殿堂に「2年連続」でその名を刻んだ。また、2013年には「Joy!!」で赤い公園の津野米咲がフックアップされたことも記憶に新しい。外の空気を吸った津野を中心に、2014年の赤い公園は開放的なムードが強調されたアルバム『猛烈リトミック』を発表してレコード大賞の優秀アルバム賞を獲得した。  2012年の山口一郎、2013年の津野米咲。そして、2014年は川谷絵音のターンだったと言って差し支えないだろう。SMAPの最新アルバム『Mr.S』に提供したのはアッパーな「アマノジャク」とミディアムチューンの「好きよ」。趣の異なる2曲で作風の幅を示し、その縁もあってか「SMAP×SMAP」にもゲスの極み乙女。としてゲスト出演。さらには、終わってしまった恋について山下智久がエモーショナルに歌い上げるバラード「戻れないから」や、少女の切ない妄想をそのまま具現化したかのようなチームしゃちほこの「シャンプーハット」など、様々な形の楽曲提供でJ-POPファンを楽しませてくれた。  どんなタイプの曲でも十分なクオリティを提示できるのは、射程距離の広いメロディを生み出せる川谷のセンスゆえだろう。そして、そんなメロディメイカーとしての側面をバンドフォーマットで展開するのがindigo la Endである。

「うた」にこだわるロックバンドの存在意義

 2012年の春にindigo la Endの「緑の少女」を初めて聴いた時、「歌やメロディが中心にあるバンドを久々に聴いたなあ」と感じた記憶がある。川谷のキーの高い声で歌詞を噛み締めるように歌われるサビは一度聴いたら忘れられないキャッチーさがあり、澄んだ音色のギターフレーズもそれ自体が印象的でありつつボーカルのメロディを邪魔しないように構成されている。ロックバンドでありながらも歌そのものをしっかり届けようという姿勢にとても好感を持った。  日本のロックを受容する若い世代の重心が「ライブでノれる」「BPMが速い」という要素に傾いていく中で支持の獲得に少し苦戦した雰囲気もあったが、そういった市場環境も踏まえて今年ドロップされたメジャー1作目の『あの街レコード』はそんなフラストレーションを吹っ飛ばすかのような素晴らしい作品だった。美しいメロディはそのままに、昨今のギターバンドとしての必要条件でもある「疾走感」が絶妙に取り込まれた本作は10年代のギターロックにおける一つの金字塔だと感じている。  インディゴの楽曲には「一体感を味わうため」でなく「じっくりと聴き入るため」の音楽的な工夫が各所に施されており、特に最新シングル「さよならベル」ではその路線をさらに推し進めているようている)、「君」との埋められない距離を描いた繊細な歌詞。「みんなで一緒に熱狂すること」が第一義とされがちな時代に「リスナーをたった一人の世界に連れていくこと」を志向するインディゴのチャレンジは、「歌とメロディを誰に気兼ねすることなく深く味わう」というともすれば忘れ去られてしまいそうな音楽の楽しみ方を次世代に継承しようとしているようにも見える。

「エヴァーグリーンな日本のロック」の系譜

 90年代初頭から半ばにかけて一気に浸透したJ-POPというムーブメントの中心には、「ロックバンドのフォーマットをとりながら」「覚えやすく歌いやすいメロディ(=J-POPの誕生とともに「時代遅れのもの」として切り捨てられた歌謡曲のエッセンス)を鳴らす」というアンビバレントな魅力を持ったグループ、Mr.Childrenとスピッツがいた。彼らはいまだに現役として日本の音楽マーケットのど真ん中で活躍しており、その後に続く存在というのは現れていないのが実情である。彼らのブレイク以降雨後の筍のようにあらわれた「ミスチル風」「スピッツ風」のバンドはその大半が姿を消し、ゼロ年代に入ってミスチルと同じく小林武史の薫陶を受けたレミオロメンが大きなヒットを飛ばしたものの国民的バンドとなるには至らなかった。  「シーン」「ブーム」といった後押しとは関係なく、いつの時代に聴いても良いと思えるような歌を提供する。この「言うは易く行うは難し」としか言いようのないことを、Mr.Childrenと桜井和寿、スピッツと草野マサムネは20年近く淡々と続けている。そして、バンドサウンドに乗せて流麗なメロディを届けようとしているindigo la Endと川谷絵音の取り組みは、「四つ打ちロックへのアンチテーゼ」というような短期トレンドの話ではなく日本のポップミュージック全体の大きな潮流の中で位置づけて考えるべきだろう。川谷絵音が桜井和寿や草野マサムネに匹敵するようなソングライターになれるのか、もちろんその答えは誰にもわからない。ただ、「インディゴの目標は東京ドーム」と語る川谷の目線の先には、自分が作る音楽が普遍的なものとして多くの人に受け入れられる状況をすでに見据えているのではないだろうか。何年先になるかわからないが、そんな未来が実現したら・・・「歌もののロック」が大好きないち音楽ファンとして、最高としか言いようがない。 ■レジー 1981年生まれ。一般企業に勤める傍ら、2012年7月に音楽ブログ「レジーのブログ」を開設。アーティスト/作品単体の批評にとどまらない「日本におけるポップミュージックの受容構造」を俯瞰した考察が音楽ファンのみならず音楽ライター・ミュージシャンの間で話題に。2013年春にQUICK JAPANへパスピエ『フィーバー』のディスクレビューを寄稿、以降は外部媒体での発信も行っている。 Twitter レジーのブログ レジーのポータル

音楽ビジネスはどこへ向かう? ストリーミング以外の手法を探るミュージシャンの動きも

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『Spotify』公式ホームページ。

【リアルサウンドより】  先日、ある記事が音楽業界を賑わせた。大手テクノロジーメディアのVentureBeatが12月19日号に掲載した記事のタイトルは「Spotifyはミュージシャンのことよりも自分たちのIPO(株式上場)のことで頭がいっぱいだ」というもの。同記事は「Spotifyの本当の存在理由は上場によって株主に数十億ドルをもたらすこと。その恩恵は(株を保有する)レコード会社にももたらされるが、楽曲を提供しているミュージシャンにはボーナスが共有されることはないだろう」と述べている。(参考:VentureBeat)  2014年の音楽業界を見渡すと、実に様々な動きが見受けられた。日本上陸も噂されたSpotifyの世界的躍進とそれに追随するPandora RadioやRhapsodyといった老舗ストリーミングサービスの存在感。アマゾン(Amazon Prime Music)やアップル(iTunes Radio)、グーグル(YouTube Music Key)といった巨大IT企業の参入。アメリカでは上半期の売上で初めてストリーミング(8億6000億ドル)がCDの売上(7億1900万ドル)を上回り、フィジカル同様にデジタルダウンロード市場の縮小は止まらずにいる(前年度比13%減の13億4400万ドル)。  一方でミュージシャンや音楽レーベルにとっては「ストリーミングサービスは儲からない」ということが定説となり、テイラー・スウィフトは「音楽は無料であるべきではない」という言葉と共に、Spotifyから全アルバムを撤退した。このような論争はかねてからミュージシャン間でも続いており、トム・ヨークは「ユーザーがSpotifyで発見した新人アーティストには金が支払われていない。一方で、株主にはそのうち金が転がり込むことになる」と自身のソロ・アルバムとアトムス・フォー・ピースの音源を引き上げ、それに同調したデヴィッド・バーンはガーディアン紙に「ストリーミングサービスは世界中から全てのクリエイティブなコンテンツをダメにする」というエッセイを寄稿。Spotifyのようなビジネスモデルはクリエイティブな作品を支援していくためには長続きしないと主張している。また、先日には音楽業界で最も影響力のある権利団体「Global Music Rights」がYouTube Music Keyからファレル・ウィリアムスやジョン・レノンなどの楽曲およそ2万曲を削除するよう声明を発表している。   他方、若いミュージシャンの間ではストリーミングサービスを戦略的に利用する動きも見られる。ワン・ダイレクションは新作アルバム「Four」でSpotifyとTwitterを連動させたマーケティングを実施。テレビCMや音楽誌ではない新しい形のプロモーション施策を展開した。またエド・シーランは「Spotifyによって認知が拡大したおかげで、ウェンブリースタジアムで3夜ライブができるまでになった」とSpotifyを擁護。「南アフリカのライブはソールドアウトだった。韓国でも東南アジアでもアリーナがソールドアウトだった。僕にとってSpotifyは音楽について回る必要悪とは思わない。Spotifyは僕がやりたいことを支援してくれるんだ」と同サービス収益源としてではなく、ライブへファンを動員するためのプロモーションツールとして活用していることをBBCのインタビューで明かしている。(参考:BBC  果たして音楽ビジネスはどのような方向に向かうのか。既存のCDやデジタルダウンロード売上の縮小は今後も続くだろう。過渡期ともいえる状況下のなか、ワン・ダイレクションやエド・シーランのようなストリーミングサービスをプロモーションとして使う手法の他にも、前衛的なミュージシャンの間では新たなビジネスのやり方を模索する動きが出てきている。ひとつはパッケージの高付加価値化。ヒップホップの歴史に名を刻む伝説的グループ、ウータン・クランはデビュー20周年となる記念アルバム「A BETTER TOMORROW」において、世界中の王室をクライアントに持つデザイナーYahyaのハンドメイドによる彫刻が施された高級ボックス・セットを制作した。この作品はあくまでプロモーション用として美術館への展示などを目的としているが、ミュージシャンの間では単にCDを売るのではない高級パッケージの販売がトレンドとなっている。「CD=音楽を収録したメディア」という概念にとらわれず「CD=観賞するためのパッケージ」というCDのグッズ化の流れは今後も続くものと思われる。  そしてもうひとつ。ミュージシャン自身が自分のサイトで音源を発表するというのも今年よく見られた傾向だ。前述のトム・ヨークは最新アルバム「Tomorrow’s Modern Boxes」をファイル共有システムTorrentファイルによって販売。リリースからわずか6日で100万ダウンロードを突破した。またナイン・インチ・ネイルズは過去のライブ音源をネット上で公開。こちらはフリーでダウンロードが可能で、900以上のライブ音源を527GB分のオーディオファイルとしてTorrentファイルでダウンロードすることができる。一風変わったところではヒップホップ・アーティストのニプシー・ハッスルが新作ミックステープ「Crenshaw」をフリーで公開。同時に100ドルもするCDバージョンを限定1000個でリリースし、24時間で全て完売して話題となった。自身のサイトで音源の販売を行う場合はあいだのマージンを節約することができる。またフリーで公開する場合も大きなプロモーション効果が期待できることが明らかとなった。先の高付加価値化と併せて、高音質音源のみ販売という形にすることも可能。このような新しい流通の仕組みは来年以降も広がりを見せそうだ。  以上、昨年みられた新しい音楽ビジネスの潮流を振り返ってみた。ストリーミングサービスは今後も拡大を続け、一方でそれだけに依存しない手法はミュージシャンの間でも浸透していくだろう。来年にはどのような動きが見られるか、今後もその動向から目が離せそうにない。 (文=北濱信哉)