劇団PU-PU-JUICE・山本浩貴 & AJIGULが語る、戦争作品に向き合う理由「自分たちの言葉で戦争を語りたかった」

【リアルサウンドより】  毎公演の動員観客数が2000人を超える人気劇団、劇団PU-PU-JUICEによる第22,23回本公演『兵隊日記 タドル /兵隊日記 ツムグ』が、12月17日(木)から27日(日)にかけて中目黒 キンケロシアターにて開催される。『兵隊日記 タドル』は、ある戦争映画を撮影していた役者たちが、1945年に池田甚八という兵隊が書いた日記をもとに、戦争の時代と向き合おうと必死にあがく物語で、キャストには俳優の山下徹大や文音、三浦力らを迎えている。連作となる『兵隊日記 ツムグ』は、1945年当時の池田甚八の一家が、戦時中にありながら、日々訪れる珍客たちが巻き起こす事件を解決しようと、明るく奮闘する物語。キャストには元・アイドリング!!!のメンバーだった外岡えりかも名を連ねている。戦後70年の節目を迎えた今年、劇団PU-PU-JUICEはなぜ戦争を題材にした作品に挑んだのか。脚本を務めた劇団PU-PU-JUICE・山本浩貴と、劇伴を担当するAJIGUL・砂川彩乃と辻本好美の3人に、インタビューを行った。

山本「下の世代に戦争を伝えるときに、自分の言葉で語る必要があるんじゃないか」

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『兵隊日記 タドル /兵隊日記 ツムグ』チラシ

ーー『兵隊日記タドル』と『兵隊日記ツムグ』は、一冊の日記を通じて、過去と現在というふたつの時代から戦争というテーマに向き合った連作となっています。こうした作品に挑戦しようと思ったきっかけは? 山本:僕自身、これまで戦争についてしっかりと向き合って考えたことがなかったので、一度、ちゃんと自分の言葉で戦争というものがどういうものなのかを語ってみたいと考えたのがきっかけです。僕らの世代は戦争を体験していないけれど、自分の下の世代に戦争のことを伝えるときには、やはり自ら調べて、納得した言葉で語る必要があるんじゃないかと思うんです。戦後70年という節目でもありますし、劇団としてもこれまでに触れてこなかったテーマだったので、メンバーと話し合った結果、今回の題材にすることにしました。 ーーAJIGULの二人は、「劇団PU-PU-JUICE」の舞台に劇伴を付けるのは二回目ですね。前回の『竜馬が生きる』『竜馬を殺す』とは、時代背景や世界観が大きく異なりますが、それについてはどう捉えていますか? 砂川:私たちは尺八とピアノのユニットで日本的なサウンドを追求していて、前回は演出に和太鼓なども入っていたので、本当にドンピシャだったのですけれど、今回は戦争がテーマの作品とのことで、正直なところ、私たちになにができるのか心配な面もあります。それこそ、映画などにも戦争を描いた名作はたくさんあるので。だから今回は、自分たちのコンセプトと作品自体をどう擦り合わせていくかというより、できる限りお芝居の世界に寄り添うことを、まずは意識していますね。 辻本:ただ、美しさにはさまざまな形態があると思うので、そこをうまく表現していきたいとは考えています。戦争をテーマにした作品となると、なかなか美しいイメージは抱きにくいですけれど、当時を生きていた人々の心境にもある種の美しさは宿っていたはずだし、それを表現することは私たちにとってもプラスになると思うんです。 ーー劇伴は芝居を見て、それに合わせて制作していくんですか? 砂川:そうですね、お芝居の稽古を見て、そのシーンに合わせて即興的に作っていく感じです。多分、こういうやり方は珍しいんじゃないかと思います。 山本:ウチの場合は、脚本が全部できてから稽古が始まるということはまず無いですからね。 砂川:本当にキャッチボールみたいな感じで、あっそう来たか、じゃあこれならどうだ、これならどうだ、という。稽古中から本番まで常に“生もの”という感じで、お芝居も演奏も日々変わっていきます。 山本:そういう作り方をするのが、一緒にやっていて一番楽しいんですよ。役者さんと音楽家さんが、芝居と音で会話する感じで、そうすると予定調和ではないものができあがってきます。もちろん、彼らはその分、大変な面も多いとは思うけれど。脚本も、ある程度のプロットはできているものの、稽古の中でどんどん変わっていきます。僕の場合、結構バラバラにいろんなシーンを書いてきてしまうので、演者さんたちは余計に大変かも(笑)。 砂川:なんか最近、稽古を見ているとパズルみたいだなって思います。「あー、ここが繋がってたんだ」って感じで。 ーーそうした手法は山本さんのこだわりですか? 山本:演出家としてこういうのもなんですけれど、僕がすべてを指示するより、演者さんたちが色々と提案してくれたほうが、結果として面白い作品になるんですよね。僕自身、稽古場に来るときは、お客さんとして来るような気持ちで、「今日の稽古は何をみせてくれるんだろう」って楽しみにしたいですし、毎日なにが起こるかわからない、昨日作ったものを今日は壊すっていうほうが、エキサイティングじゃないですか。 ーー「劇団PU-PU-JUICE」は“映像と舞台の垣根を取り払う”というテーマを掲げています。これはどういうことでしょう。 山本:この仕事をやっていると、よく舞台と映像の違いが話題に上がることが多いんですよね。たとえば演技ひとつ取っても、舞台的なものと映画的なものは違うとされています。でも、両者は見せ方が違うだけで、通じる部分はたくさんあるし、だからこそお互いの良いところをうまく組み合わせれば、その垣根を取り払った新しいものが生まれるんじゃないかと考えたんです。具体的にいうと、「劇団PU-PU-JUICE」は舞台をメインにやっているけれど、お客さんには映画を観るような感覚で気軽に来て欲しいと思っています。そのためにどんな工夫をすれば良いか、というのは常に考えているところですね。 ーー舞台を観に行くのは、映画を観に行くのと比べると、たしかに少しハードルが高く感じられるかもしれません。 山本:もちろん、シェイクスピアなどの舞台芸術もあって然るべきですが、もっと日常的に楽しめる舞台もあって良いと思うんです。理想を言えば、お客さんに「面白かったから、もう一度観てみよう」と思ってもらえるくらい、僕らの舞台はカジュアルに受け止めてほしいですね。舞台の演技というと、「あー、ロミオ!」みたいなものを想像するひとも多いと思うんですけれど、そうではない芝居のやり方もありますし、逆に映画やテレビドラマでも、大きな芝居をする作品はあります。それから、舞台の劇中で映像を使ったりすることでも両者の融和は図ることができると思いますし、舞台原作の映画もたくさんあります。実際、「劇団PU-PU-JUICE」の舞台で行った『女子高』という作品は、来年にAKB48の峯岸みなみさん主演で映画化することも決定しています。舞台にしろ映画にしろ、本質的な部分は同じだというのが、僕の考え方なんです。

辻本「その場で演じるからこそ立ち上がるリアリティはある」

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左から、AJIGUL・砂川彩乃と辻本好美、劇団PU-PU-JUICE・山本浩貴

ーー今回の『兵隊日記タドル』は、戦時中に書かれた日記を読む現代の若者たちの物語で、『兵隊日記ツムグ』は、その日記を書いた一家の物語となっています。この二重構造も「劇団PU-PU-JUICE」らしい試みかと思いました。 山本:戦争を題材とした作品はすでに世にたくさんある中、自分たちならではの切り口を考えた結果、こうした形になりました。まずは僕自身が、戦争について調べようと戦時中のひとの手紙や日記、『きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記』などを読んだのですが、これまでイメージしていた部分と随分違うところもあって。僕たちが戦争を語るのであれば、その調べて認識していく過程もまた、物語として見せる必要があると考えたんです。たとえば特攻隊の人々に対しては、国家に洗脳されて戦地に赴いたというイメージが漠然とあったんですけれど、実際に手紙を読んでみると、すごく教養があるし、当時の世界情勢についても冷静に捉えていたりします。そうしたイメージとのズレに僕自身驚きましたし、舞台を観に来たお客さんにも、僕たちのそういう姿を通して、少しでも当時のことに目を向けてみてほしいと思いました。日記から過去を辿ろうとする役者の姿は、結局、自分たちが戦争に向き合う道筋にも繋がるんじゃないかというのが、『兵隊日記タドル』で試みたことです。 ーーそれで『兵隊日記ツムグ』では、実際に自分たちなりに当時の日常を再現してみようと。 山本:そうですね。ただ、戦時中というと暗くて悲惨な印象があり、もちろんそういう側面が大きいと思うのですが、今作で描きたかったのは、その厳しい環境の中でも笑ったり泣いたりしながら生き延びていこうとする家族の姿ーーどんな状況にあっても前を向こうとする人間たちの強さです。いまは世の中の環境が変わって、家族が離れ離れでも生きてはいけるし、だからこそ独居するひとも多いと思うんですけれど、当時は本当に家族で手を取り合わないと生きていけなかったんじゃないかと思うし、そこには何か、いまの時代には失われてしまった大切なものもあるんじゃないかと思います。ただシリアスに悲惨な戦時中を描くのではなく、その中にあった人間らしい営みを同時に表現したかったんです。 ーー戦時中にあった人間らしい営みというのも、山本さんが日記などを読んで感じたことなんですか。 山本:ええ、日記を読むと、当時のひとたちは空襲でB29が飛んでくるのにも慣れているところがあって、防空壕に隠れるのを面倒臭がっていたり、普通に友達の家に遊びに行ったりもしている。今日のご飯は何を食べようとか、普通の日々の生活もそこにはあるんですよね。それは結局のところ、僕らとそう変わらない感覚の人々がそこに生きていたということだと思うんです。そして、それを描くことは、戦争というものが決して過去のものとして僕たちから切り離されたものではない、ということを示すことにも繋がると考えました。 ーーたしかに、生活を描くことでより現実味を持って当時に思いを馳せることができるかもしれません。 山本:戦争があって、多くのひとが亡くなったというのはひとつの真実だけれど、その捉え方は必ずしも一様ではないですよね。歴史を学ぶということは、単に過去の事実を調べるということではなく、その多様な捉え方に想像を巡らせることでもあって、それは自分自身と向き合うということでもあると思うんです。そこに正しい答えがあるとは限らないけれど、それでも自分で調べて、自分なりに考えたことを発信する姿勢というのは、どんな表現をするうえでも大切なんじゃないかな。 ーーAJIGULのふたりも、山本さんのそうした姿勢に共感する部分があるのですね。 辻本:この作品はまだ未完成ですけれども、ある種のリアリティが宿った作品になると思っていて。それはやはりみんながその場で一生懸命考えて、歴史と向き合おうとしているからじゃないかと思うんです。その場で演じるからこそ立ち上がるリアリティというか、なにかしら現実と交錯する感じはあるんじゃないかな、と想像しています。 砂川:音楽的な課題としては、ふたつの時代をどう表現し分けるかを苦慮していますね。戦時中と現代、違う時代だけれども、山本さんも言ったように、ふたつの時代は決して切り離されたものではないということを表現したいので、どこかで繋がっている感じも出していきたい。 辻本:今は演技を見ながら曲を作っている状態なので、そのときに、見て感じたものから自分の中でイメージができたものを出すという感じですね。そのなかで自分たちなりに、いろいろと考えてみたいと思っています。 砂川:一番はじめに稽古場に来たとき、山本さんに「台詞も音だから」って言われたんですよね。それで、生の音楽と生の演技とでキャッチボールをすること、その場で舞台が立ち上がっていくことに感動したんですけれど、その空気感はすごく大事だと思う。 山本:音楽や芝居というのは、生で演奏する音と録音された音とでは大きく異なると思います。音というのはすごく重要で、無音だって音のひとつだし、芝居にもなるんですよ。場合によっては、台詞の内容よりも音が重要なときもあります。歌だって、ただ「あー!」って歌っているところで感動したりしますよね。そういう意味では、役者も楽器だし、自分の声と体を使って、日々チューニングしています。そこにどう感情を乗せるかで台詞のトーンだって変わってきます。 ーー生で演奏をすることもまた、対象とリアルに向き合うということと繋がってくるのかもしれません。 山本:そうですね、今回は伊藤直哉さんにキャスティングをしていただいて、「この人と一緒に芝居をやってみたい」と心から思えるひとたちが集まっているんですけれど、彼らはなにが良いかというと、常に熱意を持って作品と向き合ってくれるんです。その先にはなにがあるかはわからないけれど、それでも一緒に行こうとしてくれる。AJIGULのふたりもそうです。だからこそ、「今日、このひとはどんな芝居を見せてくれるのだろう」「AJIGULはどんな音を聞かせてくれるんだろう」と、毎日楽しみなんですよね。もちろん、キツいこともたくさんあって、もしかしたら9割はそうかもしれない。でも、その辛さがひっくり返るような瞬間、自分の想像をはるかに越えた芝居になる瞬間はきっとくると思っているし、その時、この戦争をテーマとした作品はなにか意味を持って、我々はもちろん、お客さんの心にも響くんじゃないかと信じています。 (取材・文=松田広宣) ■公演情報 PU-PU-JUICE 第22,23回本公演 『兵隊日記 タドル /兵隊日記 ツムグ』 日程:12月17日(木)〜27日(日)全16公演 劇場:中目黒 キンケロシアター(〒153-0042 東京都目黒区青葉台1-15-11) チケット(全席指定):前売り4800円 当日5300円 二公演セット割引 9000円 ☆クリスマスイブ割引き(12月24日の公演は4000円)※割引の併用は不可。 『兵隊日記 タドル』出演者:山下徹大 文音 岩田知幸 飯田祐貴 ジェントル 寒川綾奈 戸田れい 浦まゆ 舟津大地 板東晴 亀田侑樹 劇団PU-PU-JUICE(山本浩貴 久米伸明 松原功 中村奈生実)ほか / 三浦力 『兵隊日記 ツムグ』出演者:寺中寿之 西山咲子(劇団 PU-PU-JUICE)外岡えりか 成松修 吉本剛士 関口アナム 橘美緒 北川富紀子 有馬健太 大里莉楠 前田隆太朗 劇団 PU-PU-JUICE(長島慎治 中野マサアキ 高橋孝輔 田中裕士 谷遼) 演出・脚本:山本浩貴 音楽:AJIGUL PU-PU-JUICE公式サイト:http://www.pu-pu-juice.com/

エディ・レッドメイン主演『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』、場面写真が公開に

【リアルサウンドより】  エディ・レッドメインが主演する、2016年冬公開の映画『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』の場面写真が公開された。  『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』は、『ハリー・ボッター』の5年ぶりの新作となる新シリーズ。『ハリー・ポッター』のロンドンから、1926年のニューヨークに舞台を移し、同じ魔法界での出来事が描かれる。  ダニエル・ラドクリフが演じたハリー・ポッターに続き、シリーズをけん引することになった主人公ニュート・スキャマンダーを演じるのは、『博士と彼女のセオリー』で第87回アカデミー賞主演男優賞に輝いたエディ・レッドメイン。ハリー・ポッターやハーマイオニーたちがホグワーツ魔法学校の授業で使っていた教科書“幻の動物とその生息地”を編纂した、魔法界きっての“魔法動物学”の魔法使い役に挑む。  このたび公開された場面写真では、レッドメイン演じるニュート・スキャマンダーがスーツケースを手に頭上を見上げる姿が写し出されている。このスーツケースは魔法のアイテムで、危険な魔法動物たちを目一杯詰め込みスイッチを入れると、魔法使い以外には中身が見えなくなる仕組みになっており、スーツケースに入れておいた魔法動物が逃げ出したことをきっかけに、ニュート・スキャマンダーが米国魔法界と衝突し、追われる立場になる物語が展開される。  そのほかのキャストには、『インヒアレント・ヴァイス』のキャサリン・ウォーターストンが、米国魔法省で働く魔法使いボーベンチナ“ティナ”・ゴールドスタイン役を演じるほか、シンガーソングライターのアリソン・スドル、『ファンボーイズ』のダン・フォグラー、『マイアミ・バイス』のコリン・ファレルらが揃い、『ハリー・ポッター』のハーマイオニーやロンといった、重要なキャラクターたちも登場するという。監督を務めるのは、『ハリー・ポッター』シリーズ4作を手がけたデイビッド・イェーツ。同じく、『ハリー・ポッター』シリーズの原作者であるJ.K.ローリングが初めて映画の脚本に挑戦している。 ■公開情報 『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』 2016年冬 全国ロードショー 監督:デイビッド・イェーツ 原作・脚本:J.K.ローリング ブロデューサー:デイビッド・ヘイマン、J.K.ローリング 出演:エディ・レッドメイン、キャサリン・ウォーターストン、アリソン・スドル、ダン・フォグラー、エズラ・ミラー、サマンサ・モートン、ジェン・マーレイ、フェイス・ウッド=ブラグローブ、コリン・ファレル 配給:ワーナー・ブラザース映画 (C)2015 WARNER BROS ENTERTAINMENT INC. ALL RIGHTS RESERVED 公式サイト:fantasticbeasts.jp

ジム・キャリーの真骨頂! 『帰ってきたMr.ダマー バカMAX』に見る、コメディアンとしての実力

【リアルサウンドより】  ジム・キャリーを代表する作品のひとつが、1994年に公開された『ジム・キャリーはMr.ダマー』である。低予算での制作にもかかわらず、興行収入は2億5千万ドルという大ヒットを収め、監督であるファレリー兄弟ともども、ジムの名前を一躍有名にしたコメディの名作だ。94年といえば、ほかにも『エース・ベンチュラ』や『マスク』と、ジム・ キャリーの人気を確固たるものにした作品が次々と生まれている。当時の作品は、とにかくおちゃらけた役柄が多く、コメディアンとして貪欲に笑いを追求するジムの姿を見ることができた。『エース・ベンチュラ』で披露した、お尻の割れ目を口に見立てて腹話術をするシーンなどは、その下品さとバカバカしさにおいて、彼のユニークな個性が発揮されたワンシーンといえよう。現在公開中の『帰ってきたMr.ダマー バカMAX』は、そんなジムの初期衝動を感じられる作品だ。
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 『Mr.ダマー』シリーズは、ジム・キャリー演じるロイドとジェフ・ダニエルズ 演じるハリーのコンビが、周囲の人々に迷惑を振りまきながら、バカ丸出しの珍道中を繰り広げていくというロードムービーである。知恵もなければ、常識もないふたりのバカっぷりは時に死人を出すほどで、その過剰さが不謹慎ながらとにかく笑えるのだ。  本作の冒頭で、ハリーが腎臓に重い病を患っていることと、実は子供がいたことが発覚する。そしてふたりは、ハリーの腎臓移植のドナーになってもらおうと、娘であるペニー(レイチェル・メル ヴィン)を探しに行くのである。前作の旅の目的は、ロイドの一目惚れ相手に会いに行くことだったが、今回はハリーと娘の再会を描いていくことになる。こう書くと“家族の再会”をテーマにした心温まるハートフルコメディのようにも感じるが、実際のところは娘の腎臓を狙っているのだから、まったく非常識な話だ。  とはいえ、前作の20年後を描いた本作では、ロイドもハリーもいい歳のおっさんである。実年齢53歳のジムの動きには全盛期ほどのキレはないはずだし、60歳のジェフもバカを演じるには年を取り過ぎているように思うかもしれない。しかし、素晴らしいことに彼らは年齢を重ねてもなにひとつ成長していない。むしろ加齢さえもネタのひとつにしていて、観るものに同情の余地さえ感じさせないのである。
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 『帰ってきたMr.ダマー バカMAX』は、ほかのコメディ映画と比較しても、群を抜いてバカをやっている作品といえる。そのバカへの情熱は、原題の『Dumb and Dumber To』の“To”という表記間違い(本来は“Two”のはず)にも感じられる。『メリーに首ったけ』『愛しのローズマリー』 を生み出したコメディの名手・ファレリー兄弟と、前作でも脚本を手掛けたベネット・イェーリンのほかに、『ふたりの男とひとりの女』『空飛ぶペンギン』でジムと映画を制作したスタッフたちが集結し、くだらないネタを詰め込んだ挙句、こうした“バカの百貨店”のような作品に仕上がったのだろう。冒頭からラストまで、ストイックなほどに下ネタのオンパレードであり、普通に考えたらアウトなブラックユーモアが連発されているのが、往年のファンには嬉しい限りだ。

『ヒーローズ』新章に抜擢! 日本人女優・祐真キキが明かす、出演の経緯と超ハードな撮影現場

【リアルサウンドより】  アメリカで2006年から4年間にわたり放送された、大ヒットテレビシリーズ『HEROES/ヒーローズ』。突然超能力を手にしたごく平凡な人々が、その能力に戸惑いながらも自らの運命に立ち向かう姿を描いたSFドラマで、日本でもマシ・オカ演じるヒロ・ナカムラの「ヤッター!」のキメ台詞と共に大ヒットを記録した。2010年のシーズン4完結から5年、このたび『HEROES Reborn/ヒーローズ・リボーン』として、新章が誕生した。本作でメインキャストの1人として登場するのが、ロサンゼルス在住の26歳の日本人女優・祐真キキだ。リアルサウンド映画部ではプロモーションのために来日を果たした彼女に取材を行い、本作で役を射止めた経緯や過去のバックグラウンド、今後の展望について話を聞いた。

「嬉しさでいうと、高校受験に受かったような感じ」

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(c)2015 NBCUniversal. All Rights Reserved.

ーー本作の出演に至った経緯を教えていただけますか。 祐真キキ(以下、祐真):私がロスで通っている殺陣クラスに中学生ぐらいの男の子がいて。その送り迎えを彼のお母さんがしていて、結構話す機会も多くて、仲が良かったんですね。で、彼女が『HEROES Reborn/ヒーローズ・リボーン』のキャスティングディレクターと知り合いで、たまたま日本人で殺陣ができる子を探してるというので、私のアクションのビデオを送ってくれたんです。そしたら、キャスティングの方からオーデションに呼んでいただいて、オーディションに行ったら、受かったって感じです。
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ーーそのオーディションは何回かあったんですか? 祐真:それが珍しく1回しかなかったんです! オーディンションは今年の2月とか3月ぐらいに行われたんですが、全部1日に詰め込んだ感じでした。最初にキャスティングの人の前で演技をやったら、「30分待ってくれ」って言われて。30分後に同じ部屋に入ったら、『HEROES/ヒーローズ』のプロデューサーが5人ぐらい並んでいたんです。それで、プロデューサーの前で用意された演技を全部やって、面接を受けました。その後、オーデションで撮ったビデオがNBCに渡って、NBC側からもOKが出て、4日後ぐらいに「受かりましたよ」っていう連絡がきましたね。準備期間を経て、4月から10月末まで撮影をしました。 ーー受かった時の心境はいかがでしたか? 祐真:いやぁもう嬉しいですよ! 嬉しさでいうと、高校受験に受かったような感じでしたね。 ーー親とかにもすぐ連絡をしたりとか? 祐真:その時はまだ、『HEROES/ヒーローズ』の続編があるってことが公にされていなかったので、できるだけ…というか、一切言ったらダメって言われたんです。でも一応、親だけには連絡して。でも、その時はまだあまりピンときていなかったみたいで。「『HEROES Reborn/ヒーローズ・リーボーン』? へぇー、スゴいやん」みたいな感じでした(笑)。 ーー過去の『HEROES/ヒーローズ』シリーズはご覧になっていましたか? 祐真:高校生の頃、ちょうどアメリカのドラマにハマってて、そのときにシーズン1を観ていました。受かった時にももちろん観ましたね。“めっちゃ面白い日本人が出てくるドラマ”みたいな印象でした(笑)。
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ーー中学生の頃からアメリカのドラマや映画に憧れていたそうですね。 祐真:その当時は『ロズウェル - 星の恋人たち』っていうドラマにハマっていました。あとは洋楽ですね。アヴリル・ラヴィーンとかバックストリート・ボーイズが好きでした。そういったものに憧れて、英語の勉強を始めたんです。海外ドラマを最初は字幕付きで観て、その後に字幕なしで観たりとか、そういうことを結構やっていましたね。 ーーその頃と比べて、好きなドラマや映画、音楽のジャンルは変わったりしましたか? 祐真:音楽については、昔はこの人が好きってなると、その人の楽曲ばかり聞いていたんです。でも今は、この人が好きってよりも、この人のこの曲が好き、みたいな感じになりました。だから好きなジャンルもかなり幅広くなりましたね。ドラマに関しては、最近アメリカのドラマにスゴい面白い作品が多いです。特に『HOMELAND/ホームランド』と『ブレイキング・バッド』はめちゃくちゃハマりましたね。『HOMELAND/ホームランド』がめっちゃ面白くて。アメリカだと新しいシーズンが始まったんですよ。それはまだ観れてないんですが、スゴい楽しみです。映画もいろいろなんですが、最近は日本映画をよく観ています。飛行機の移動とかで日本の映画があると、つい観ちゃいますね。最近観た中では、河瀬直美監督の『あん』がスゴく面白かったです!

「撮影中、頭もパックリいっちゃいました」

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祐真キキ

ーー日本では今回、『HEROES Reborn/ヒーローズ・リボーン』はHuluでの配信となります。当時と比べて、テレビや映画の視聴方法も変わり始めていますが、その辺りについて、祐真さんはどうお考えですか? 祐真:配信サービスは私もめっちゃ使ってますね。『HOMELAND/ホームランド』や『ブレイキング・バッド』は配信で観ました。役者としては結構いいかもしれない。アメリカでもHuluとかNetflixとかいっぱいありますが、その会社が独自でドラマとかを作り始めているので、まず仕事の数自体が増えますよね。特にアジア人の女の子とかでハリウッドを目指してる子にとっては、チャンスが増えるので、ありがたいと思います。 ーーなるほど。『HEROES/ヒーローズ』といえば、日本ではマシ・オカさんのイメージが強いですが、マシ・オカさんとは会いしましたか? 祐真:会いました! もう1人、内門徹君っていう日本人の男の子が出ているんですが、撮影後の日本人打ち上げパーティみたいな感じで、その3人でお好み焼きを食べに行きました。
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ーーそうなんですね。撮影前にはコンタクトをとったりはなかったんですか? 祐真:撮影前はなかったですね。というのは、マシ・オカさんは『Hawaii Five-0』という作品の撮影で、ずっとハワイにいて、忙しかったんですね。でも、撮影中にお会いして、いろいろ話を聞きました。その時にマシ・オカさんから「オンエアされた次の日とか、外を歩けなくなるぐらい人に気付かれるよ。心の準備をしときな」って言われたんですよ。だから、スゴい期待して、オンエアの次の日に人混みを歩いてみたんですけど、一切誰からも気付かれなくて(笑)。 ーーそれは意外ですね。 祐真:悲しい現実…(笑)。でもそれはたぶん、私が演じているミコというキャラクターが強烈だからなんですよ。服装はピンクで派手だし、刀を持ってるし、髪型もV字型の前髪で独特だし…。ミコの姿で歩けばたぶん気付かれると思うんですけど、スッピンだったり、髪の毛をくくったりりしてるだけでも、たぶん分からないんじゃないですかね。マシ・オカさんはヒロ・ヤマナカの役とイメージがそんなに変わらないので、そこが違いますよね。
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ーールックスもそうですが、ミコはかなり特徴のあるキャラクターですよね。 祐真:ミコは父親が残した刀を手にすると、ゲームの世界に飛んでいくんです。そのゲームの中の動きも全部私がモーションキャプチャーでやってるんですよ。そこに注目してほしいですね。たぶんこれは言わないと分かってもらえないと思うし、全部CGだと思われたくない。あんだけやったのに、みたいな(笑)。撮影は、体にドットをいっぱいつけて、顔の前に小さいカメラをセッティングしてやりましたね。相手役の人たちも同じようにセットして、私たちが実際に戦う姿を、グリーンバックの広いスペースに、360度に渡って設置された100台ぐらいのカメラで一気に撮って、それをコンピューターに取り込んで操作する、みたいな感じでした。 ーーアクションシーンも相当頑張っていらっしゃいますよね。 祐真:モーションキャプチャはほとんどアクションだし、実写の方も私の役はアクションがメインだったので、アクションはかなり頑張りましたね。でも、リハーサルが全然なかったんですよ! だから、無理矢理頼んでリハーサルをしてもらいました(笑)。あと、体が柔らかくないと怪我をしてしまうので、柔軟はするようにしていました。でも、結構怪我しちゃって。頭もパックリいっちゃいましたね。木刀がおでこに入って、血がプシャーみたいな。まぁ3針で済んだからよかったんですけど。

「日本語が分かる人が1人もいないから、たまに同じセリフが2回被ってたりした」

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祐真キキ

ーーストーリーの序盤は内門徹さんとの共演が多いですが、役作りについてお互い話し合ったりはしましたか? 祐真:英語の台本を2人で日本語に訳してたんですよ。というのも、アメリカのテレビの台本って当日までセリフが変わり続けるんです。翻訳さんを待ってる時間もないし、翻訳する人もいなかったので、日本語は徹君と2人でやってましたね。役作りについては、それぞれ個人で考えてやりました。 ーー撮影以外のオフの時間なども一緒に過ごすことは多かったんじゃないですか? 祐真:そうですね。撮影はトロントで行われたんですが、飲みに行ったりとかもよくしていました。キャストはみんな本当に仲が良くて、誰かのアパートでパーティしたり、結構遊んでましたね。私も徹君もLAに住んでいるので、撮影から帰ってきてからも引越しを手伝ってもらったりとかしました(笑)。もう普通に友達ですね。
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ーー日本とアメリカでの撮影の違いを感じることはありましたか? 祐真:撮影の違いというよりは文化の違いなんですけど、アメリカは上下関係が全くないんですよ。どんなにスゴいハリウッド俳優にも、最初に会ったときに「Hey! How are you?」みたいに言えるんです。日本は良くも悪くも上下関係が結構あるので、やっぱりそこが違いますよね。あと、発言の大切さ。日本だとあまり言い過ぎると偉そうに見えるじゃないですか。アメリカは、よりみんなで作る一体感みたいなものがあるので、思ったことは言わないとダメな感じですね。もうひとつスゴくビックリしたことがあって。撮影時に雑音が入って音が録れなかった時とかに、編集後にアフレコをするんですけど、その時に自分が出てるシーンを観るじゃないですか。で、観てみると、その編集の現場に日本語が分かる人が1人もいないから、たまに同じセリフが2回被ってたりするんですよ。例えば、「あー! 行っちゃったよ」っていうセリフのシーンがあったら、「あー! 行っちゃったよ。行っちゃったよ」みたいな感じで、2回繰り返されちゃってて。でも、編集後で本編はいじれないので、アフレコでどうにかするしかないんです。だから、一つ目の「あー! 行っちゃったよ」を口が合うように、なおかつストーリーを崩さないように、同じようなセリフを入れなきゃいけなかったんです。その時は「あー! マジ? 行っちゃったよ」みたいな感じで、後から声だけ変えましたね。そういうハプニングはありました。あとはやっぱりアクションが大変でした。 ーー元々アクションに興味があったんですか? 祐真:アメリカに行く前に、奈良橋陽子さんっていうキャスティングディレクターさんがやってる、アップスアカデミーという東京の学校に通っていたんですが、そこで興味本位で殺陣クラスを受け始めたのがきっかけですね。殺陣やアクションの基本をみっちり教えていただきました。この作品では、たまたまその経験が生かされた感じなんです。アメリカでも殺陣クラスを続けていたのは、せっかく殺陣を習ったし、何かに役立つかもしれないと思ったんです。でも、できればアクション映画とかは避けてはいきたいんですよね。というのは、怪我したくないんです(笑)。骨折しやすいので。楽しいから好きではあるんですけどね。

「普通の人間を演じてみたいです」

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ーー『HEROES Reborn/ヒーローズ・リボーン』に出演して、自分の中で何か変わったことや得たものはありますか? 祐真:変わったことはそんなにない(笑)。忙しくはなりましたけど、そこまで変わってないです。でも経験はかなり得ましたね。全てが初体験のことばかりだったので。あとキャストがみんな本当にいい人ばっかりだったので、いい仲間を得たなと。人と出会う機会も増えましたね。今もそうですけど、「1日で何人と出会うねん!」みたいな(笑)。
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ーー今後もアメリカをベースに活動されていくんですか? 日本の作品に出たりとかは? 祐真:一応、小さいヤンキー映画や、青山テルマさんの「守りたいもの」っていう曲のミュージックビデオのエキストラとか、過去に日本の作品にも出てるんですよ。スケジュールが合えば、今後も日本の作品にも是非出たいとは思います。でも一応、アメリカをメインにやっていきたいと思っていますね。 ーー今後挑戦したいジャンルや役柄は? 祐真:普通の人間を演じてみたいです(笑)。日米合作のドラマにもメインで出たことがあるんですが、その時は化け猫役だったんです。なんか妖怪だったり、今回はゲームのキャラクターだったり、人間じゃない役が多いんですよね。アクションを買われてっていうのもあると思いますが、アメリカだと身長も小さいし、キャラクターっぽく見えるのかもしれない。なので、アメリカではそういうところを生かして、Sci-Fiとかスーパーヒーローものとか、身体を使った演技をしていきたいです。日本では、ヒューマンドラマとかで普通の人間を演じてみたいです(笑)。 (取材・文=宮川翔 /写真=泉夏音)
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祐真キキ

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■配信情報 『HEROES Reborn/ヒーローズ・リボーン』 Huluにて配信中 制作:NBCユニバーサル 制作総指揮:ティム・クリング 出演:ジャック・コールマン、ザカリー・リーヴァイ、祐真キキ、マシ・オカ他 (c)2015 NBCUniversal. All Rights Reserved. 公式サイト:HeroesReborn.jp

異形の超大作『007 スペクター』が完成させる、最強のジェームズ・ボンド

【リアルサウンドより】  スパイ映画大作が次々と公開された「スパイ当たり年」の最後を飾るのは、娯楽スパイ・ヒーロー映画の代表であり、50年以上の歴史がある、シリーズ最新作にして、3億ドルともいわれる未曾有の制作費を投じたシリーズ最大作『007 スペクター』である。著作権上の問題から封印されてきた、ジェームズ・ボンド本来の敵といえる悪の組織「スペクター」が、満を持して復活する本作は、まさにスパイ映画の真打ち登場という風情である。(参考:007最大の敵「スペクター」とは何か? ボンド映画の歴史を振り返る)  その内容は意外にも、深刻さと哲学性を感じさせ大ヒットした前作と異なり、娯楽活劇に振り切ったものになっていた。だが同時に、一口では言い表せないような、不自然で異様な印象をも与えられる。いち早く観た観客からは「シリーズ最高傑作だ」とか、「いや、ワースト作品だ」などと、極端な反応が飛び交い、大変面白い状況が生まれている。今回は、賛否両論、異形の超大作『007 スペクター』の真の姿に深く切り込んでいきたい。

サム・メンデス監督の表現する「シンボリズム・ボンド」

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 007シリーズでは、オープニングで銃口に狙われたボンドが振り向きざまに拳銃を撃つ、「ガンバレル」シーンがお馴染みである。ダニエル・クレイグがボンドを演じる、この新シリーズでは、おそらく「ダブル・オー」になりたての頼りない存在が真のスパイへと成長するというコンセプトもあり、劇中かラストに配置されていた。だが本作では、それが堂々とオープニングに置かれている。これは、前作『007 スカイフォール』で、とうとうクレイグ・ボンドが真の007となり、王道を突っ切る本来のボンド映画になったのだという宣言であろう。だからその内容も、クレイグ以前のボンド映画のエッセンスを濃縮したような、まさに「ボンド映画」という印象を受けるものとなっている。  前作の撮影監督ロジャー・ディーキンスに代わり、『裏切りのサーカス』、『インターステラー』の撮影監督ホイテ・ホイテマによる、堂々とした遠景のショットは、それぞれが一幅の大きな絵画のように、異国情緒や花鳥風月を写し取り、美術館で屏風絵を眺めているような、重厚で洗練された抽象的印象を与えられる。それは、サム・メンデス監督による『007 スカイフォール』の描く、迫真性を一部犠牲とした「反映像的」ともいえる、シンボリズム(象徴性)を帯びた絵画的な世界観を継続するものだ。  メンデス監督が『007 スカイフォール』で試みたのは、時代錯誤なボンド風ダンディズムと、国としての力を失墜しつつある英国を重ね合わせるというものである。かつて威容を誇った英国の大戦艦が役目を終えて曳航されていく、ターナーの絵画を美術館で眺めながら「世代交代か…」などとつぶやくシーンなどは最も分かりやすい箇所だ。ボンドは強敵と渡り合うために、かつての力を取り戻すべく、スコットランドの郷里へ向かい敵を迎え撃とうとする。この論理を度外視した荒唐無稽な発想は、脚本のリアリティからいえば破綻したものに違いない。しかし、祖国の山河から英国を根底から再生させようという作品のテーマとしての、抽象的意味合いのなかでは正しいのである。ここから、メンデスの表現する作品世界が、リアリティから離れたシンボリズムに支配されているということが理解できるだろう。

「ボンド映画」を「ボンド映画」で描き直す狂気

 それでは、本作『007 スペクター』が「象徴」するものとは何だろうか。本作のアヴァンタイトル(タイトル・クレジットまでのパート)では、メキシコの祭り「死者の日」で仮装した群衆の頭上を、ヘリコプターで飛び回り格闘するアクションが展開する。この、何度も空中を往復するヘリのアクションは、『007 ユア・アイズ・オンリー』でのブロフェルドとの決戦の引用であり、死と音楽が結びつくイメージは『007 死ぬのは奴らだ』のニューオリンズの葬送を思わせる。他にもシリーズからの引用は多い。雪山にある病院は、『女王陛下の007』からであり、『007 ゴールドフィンガー』に代表される拷問器具やボンドカーが活躍し、往年の悪役「ジョーズ」をイメージしただろうデヴィッド・バウティスタ演じる大男との列車での死闘は『007 私を愛したスパイ』や『007 ロシアより愛をこめて』のダブル・イメージである。ボンドがねずみに話しかけるシーンですら『007 ダイヤモンドは永遠に』の引用なのだ。挙げていくとキリがない。  確かにクレイグ・ボンドのシリーズでは、過去作の名シーンがいくつか引用されていた。だが本作の異常なまでのオマージュ、セルフパロディの多さは、シリーズへの愛を通り越して病的ですらある。そうやって形づくられる異様な集合体は、あたかも「ボンド的要素」で構成された「紋章」であるかのようだ。メンデスのボンド映画に対するアプローチが「シンボリズム」であるなら、この紋章が象徴するのは、「ボンド映画」そのものであろう。つまり、「ボンド映画」のなかで「ボンド映画」そのものを象徴しているのである。ちょっと意味が分からないが、とにかくそういうことである。だから本作は、従来のボンド映画のような娯楽的な明快さがありながら、万華鏡のように複雑な印象を与えられるものとなっているのだ。この狂気をともなった驚くべき「不毛さ」は、同時に、途方もなく美学的で退廃的な試みであるともいえるだろう。そしてそこではシリーズ全体の持っている、ある種の「鈍重さ」すらをも引き受けているように見える。  今までのボンドの要素をひとつにまとめたダニエル・クレイグ演じるボンドが、終盤にして圧倒的な力を手にすることになるのは、必然であるかもしれない。拳銃ひとつを手にして悪漢を追うボンドの神がかった強さは、まさにシリーズ最強といっていいだろう。新米007として始まったクレイグ・ボンドが、とうとう「象徴」となり、人智を超える「概念」になった瞬間である。  ここに形づくられたものがシリーズの要素を総動員するジェームズ・ボンドの紋章であるならば、それに対抗するのは、悪の組織「スペクター」のタコを模した紋章である。作中でとうとう正体を現した、スペクターの首領である、悪の天才エルンスト・スタヴロ・ブロフェルドは、今までのクレイグ・ボンドの戦いについて、「私だよ、ジェームズ。全部私がやった」と、驚くべきことを言い出す。ほぼ何の説明もなく、とにかくブロフェルドが全てを闇で操っていたという。納得し難いものの、とにかくそういうことであるらしい。しかし、このアバウトさは、まさしくボンド映画らしいほほえましさがある。このような、おそらく後付けの設定が意味するものは、劇中でも図示されるタコの姿をシンボライズしようという意図であろう。ブロフェルドが頭となり、今までの悪役たちがその脚を構成するという形象は、頭が残っている限り、脚は永久的に再生し生え代わるという、組織の強固さを示している。本作が表現するものは、具体的な肉体や現実感が排された、紋章対紋章、概念対概念の対決なのである。しかし逆にいえば、全ての原因となるタコの頭をつぶすことができれば、クレイグ・ボンドの全ての戦いは終結を迎えるはずだ。

007は「呪い」のナンバー

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 しかし本作において、現代的な社会問題が全く無視されているわけでもない。テロ活動を牽制するという目的から、多国間が情報を共有する国際的な協力体制を組もうとする動きが始まり、今回もまた、ボンドのような「殺しの許可証」を持った個々の古臭いスパイ活動の必要性が揺るがされることになる。しかし、その動きを推進する政府機関の幹部の中に、悪の組織スペクターの一員が混じっていたのだ。ボンドら諜報員達は、内からも外からも監視され狙われることになる。スペクターは、利益や権力を得るために、あらゆる政府機関、企業、犯罪組織のなかに潜む、まさに実体のない「幽霊(="Spectre")」ともいえる存在だ。彼らの活動は、節操なく利益を追求し続ける経済団体や、国の規模をも超える力を持った多国籍企業、また、戦争を起こすことによって肥え太ろうとする、軍産複合体に連なる軍需産業や、悪しき情報産業などを思い起こさせる。民間の企業による政府のコントロールは、企業の力がより強まっている現代社会において、きわめて切実な問題となっているといえるだろう。  007の必要性は、ボンド自身のなかで内面化されている問題でもある。クレイグ・ボンド・シリーズで何度か描かれるとおり、ボンドは、少年期の両親の不在による孤独な心を、祖国に身を捧げる兵士やスパイになることによって埋めていた。「殺しの許可証」を行使し、行きずりの女と寝る行為が、ボンドの内面の欠落から来ているという解釈なのである。だが、いつでも「死」に取り付かれた彼の心は、満たされるばかりか、余計に孤独を深めていた。政府に雇われているとはいえ、それが「殺し屋」の宿命であり、呪いなのである。レア・セドゥー演じるボンドガールに、ベッドに入ることを拒否されたボンドが、ねずみに話しかけるシーンは印象的だ。スカイフォールで故郷の屋敷を管理していたキンケイドは、「両親が死んだとき、ジェームズは地下の穴から二日出てこなかった。しかし出てきたときには、もう子供じゃなかったよ」と証言している。だが、スパイという鎧を剥ぎ取ったボンドの精神は、いまだに穴倉のなかの孤独な子供であったのかもしれない。  長かったクレイグ・ボンドの孤独な精神の旅は、本作でついに佳境を迎える。絶大な力を手にしながらも、歴代のボンドとは異なり、ナイーヴな内面を持ったジェームズ・ボンドが、自分の心にどうケリをつけるのか。そしてどのような選択で結末を迎えるのか。その行方は、劇場に出向いて見届ける価値があるだろう。 ■小野寺系(k.onodera) 映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト ■公開情報 『007 スペクター』 12/4(金)より、TOHO シネマズ日劇ほかにて全国ロードショー 11/27(金)、28(土)、29(日)先行公開 監督:サム・メンデス 主題歌:サム・スミス「ライティングズ・オン・ザ・ウォール」 出演:ダニエル・クレイグ、クリストフ・ヴァルツ、レイフ・ファインズ、ベン・ウィショー、ナオミ・ハリス、レア・セドゥ、モニカ・ベルッチ、イェスパー・クリステンセン、アンドリュー・スコット、デイヴ・バウティスタ SPECTRE (c)2015 Danjaq, MGM, CPII. SPECTRE, 007 Gun Logo and related James Bond Trademarks, TM Danjaq. All Rights Reserved. facebook:http://www.facebook.com/JamesBond007JP twitter:http://twitter.com/007movie_JP

なぜ無名女性たちの演技が国際的評価を得た? 『ハッピーアワー』監督が語る“傾聴”の演技論

【リアルサウンドより】  今年8月、スイス・ティチーノ州で開催された第68回ロカルノ国際映画祭のインターナショナル・コンペティション部門で、4人の女性が日本人として初めて最優秀女優賞の栄冠に輝いた。5時間17分の大作となった受賞作『ハッピーアワー』の主要キャストである田中幸恵、菊池葉月、三原麻衣子、川村りらは、ともに演技未経験者で普段は別の仕事を持つ一般女性だ。同作の監督を務めたのは、『不気味なものの肌に触れる』などの作品で知られる濱口竜介監督。それぞれに切実な悩みを抱える30代後半の女性4人の人間関係を、その日常とともに丁寧に描き出した本作は、なぜ世界的に評価される鮮烈な作品となったのか。濱口監督らが行ったこれまでにない試みと、その独特な演技論について、監督本人に話を聞いた。

「“聞くこと”のプロフェショナルになることを目指した」

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ーー本作に登場するキャストのほとんどは、一般の演技未経験者ということですが、どういった経緯でこうした作品を撮ることになったのでしょう? 濱口:まず初めに、長く時間をかけて映画を作ってみたい、という発想がありました。話を単純化しますけど、そもそも人がなぜパフォーマンスにお金を払うのか、と言えば、それはこれまでの練習や経験を経てパフォーマーの内に凝縮された「長い時間」を観ることに対し、鑑賞者が価値を見出すからです。演劇やコンサートを観て過ごす2時間は、いつもの生活と同じ2時間に違いないけれど、この凝縮によって濃密なものとして感じられるのではないか、と。この理屈を突き詰めると、時間をかければかけるほど、時間が断層的に折り重なったような厚みのある映画が作れるということになります。ものごとはそうは簡単ではないですが、ある程度の規模の商業映画であれば、それぞれ固有の時間を積み重ねてきたプロフェッショナルたちが「自分の時間を持ち寄る」ことによって、観客の耳目に耐える作品を作ることができているのは確かでしょう。しかし僕たちにはそのような対価を払う予算はない。今回の制作は、そんな我々がいかにして、時間をかけた制作を行うことができるかということを考えて、その仕組みづくりから始まりました。 ーーそこで、まずはワークショップを立ち上げるところから始めたわけですね。 濱口:はい、2013年9月から「即興演技ワークショップ in Kobe」という演技のワークショップを神戸で始めました。演技経験を問わずに募集をかけて、実際には50人くらいの人に応募いただいて、その中から10数人を選ぶというかたちでした。そこから5ヶ月間、映画を作ることを前提として、毎週1回のペースでワークショップを続けました。脚本や映画そのものの企画は、2014年くらいから具体化していった感じです。 ーーワークショップではどんなことを? 濱口:「聞く」ことを一貫したテーマとして運営していました。演技のワークショップというと、通常は発声の練習をするとか、脚本を覚えて演じてみるとか、もしくはエチュードというアドリブ芝居をしたりすると思いますが、このワークショップはそういう“表現”をするのではなく、参加者が“聞くこと”のプロフェショナルになることを目指したんです。実際のワークの内容は、それぞれ興味や関心を持っている人たちにインタビューをしにいくとか、著名な人を呼ぶ機会があればトークイベントを開くとか、あとはワークショップの参加者同士がインタビューをしあうとか、そういうことをひたすらやっていました。なぜそうしたかというと、“聞く”という行為は、表現をする人を助けることにつながると考えたからです。すごく単純な話、人は聞かれると話しやすいじゃないですか。「本当にこの人は真摯に自分の話を聞いてくれる」という風に思ってもらえれば、話し手は「この人になら、あれも話してもいいかもしれない、このことも話してもいいかもしれない」となるかもしれないし、場合によっては深い沈黙の時間を一緒に過ごすこともできるかもしれない。表現が生まれることを助けるために、“聞く”ということをみんなでやってみよう、と。あくまで人の表現を引き出す側に立って、自分の表現は人に引き出してもらう、そういう互いに「聞き合う」関係性を構築するのを目指して、いわゆる演技のレッスンはほぼ行いませんでした。 ーー自ら演じようとするのではなく、お互いの表現を引き出しあうことに力を注いだ、と。それが、ふと気づいたら映画の世界に引き込まれてしまうような、自然な演技に繋がったということでしょうか? 濱口:ロカルノ国際映画祭の授賞式で、あかり役を演じた田中幸恵さんだけでなく、4人全員が「これはみんなでもらった賞なんだ」ということを言っていました。自分で演じたという感覚はほとんど無くて、演者のみんながいて、それぞれの台詞や振る舞いがあって、互いにそれに応え合ったんではないかと思います。たぶん、本当にそういう感覚だったんだな、と田中さんや他の人たちのコメントも聞いていて、思いました。

「生きづらさを抱えているというのは、もっとも必要な素養でもありました」

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ーー主演の4人は、どういった基準で選定したのですか。 濱口:50人の応募者の中から17人の出演者を選んだのですが、この時点で全員が魅力的な人たちで、誰が主役になっても良いと思っていました。ワークショップの選考に残った人たちは、皆何がしかの「生きづらさ」を抱えているように見えました。結局のところ、周りに合わせて自分を変えることができない人、ということです。そういう人が社会の中で自分を素直に表現することは難しいことです。もしかしたら、他人との間で軋轢を生むこともあるかもしれない。でも、そういう意味での生きづらさを抱えているというのは、今回のワークショップで目指された演技において、もっとも必要な素養でもありました。なにかを忖度して、器用に振る舞いを変えられるようなタイプではない、ということが重要だったんです。そういう人が揃いました。本当に誰が主役になってもいいと思っていた。それで、20代の男女がメインになる話と、30代の男女がメインになる話、30代の女性4人がメインになる話という風に、3本の脚本を書いてみて、スタッフで話し合った結果、最終的に『ハッピーアワー』の基となった30代の女性4人がメインとなる脚本を選びました。今の日本において、同年代の女性が置かれている状況においては、先程言ったような「生きづらさ」がより強調されるように思いました。だからこそ彼女たちにこの映画制作の中心になってもらおうと考えました。 ーー実際、“生きづらさ”というのは本作のテーマのひとつにもなっていますね。生きづらい人たちだからこそ、引き出される表現に説得力が宿っていたように思います。 濱口:そうですね。そういう人たちが生きていくうえで必要な映画になるといいな、とも考えていました。生きづらさにしっかりと向き合うことは、自分の中の決して否定できないような自分をみつけることです。それを生きる力に変えていけるような作品にしたいと思いました。 ーーしかし、彼女たちの演技は感情を露わにするような、派手なものではないですよね。むしろ、抑揚をあまり付けずに朴訥と話しているのが印象的でした。 濱口:撮影の前にみんなで台本を読み、台詞を覚える時間を取ったのですが、そのときにはニュアンスやイントネーションをひたすら排除して読んでもらうようにしました。感情を入れずに文字面だけを読むーーいわゆる“棒読み”のような感じでずっと読んでもらって、ある程度覚えたら台本を伏せて、また読んで、伏せてを繰り返して。そうやって覚えていって、読んでいるときと伏せているときの区別がつかなくなるくらいになったら現場に入る、という感じです。完全に“テキストが体に馴染んだ”状態で現場に入ってもらって、相手の話をしっかりと聞き、それに対して台詞を返してもらうイメージですね。その時に、なにか自分の中に入ってくるニュアンスがあるなら、それは拒まなくても良いけれど、ただ余計なものは付け加えないでほしい、という風にお願いしていました。それがときに、仰っている朴訥とした印象になるのかもしれません。 ーーそこにはどういった意図が? 濱口:そうすることによって、テキストそのものに寄り添った発声や台詞になると考えたからです。テキストにはやはり意味があるので、楽しげな台詞には楽しげなニュアンスが、人を傷つけるような言葉には攻撃的なニュアンスが含まれます。それはきちんと聞かれれば、それの意味する通りに演者の身体に影響を与えます。その影響を、各演者の間で相互に与え合っている状態、というのが現場で生まれたとしたら、そこにあえて作り込まれた演技を付け足す必要はないという考え方です。その人に、その人のまま、その場にいてもらうことをお願いしました。

「ニュアンスを排除して台詞と向き合わないと、過去の表現の再現に陥る」

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左から、三原麻衣子(芙美)、菊池葉月(桜子)、川村りら(純)、田中幸恵(あかり)

ーー劇中で行われていた朗読会のシーンで、椎橋怜奈さん演じる小説家・こずえも、「抑揚をつけずに朗読したとしても、テキストそのものの意味はちゃんと立ち上がる」という趣旨の発言をしていました。本作全体にも通じる方法論かと思いましたが、これは濱口監督独自のものなのですか? 濱口:この方法論自体はすでにあるもので、僕が始めたわけではありません。フランスの映画監督であるジャン・ルノワールが、『ジャン・ルノワールの演技指導』というドキュメンタリー映画で彼自身が解説しているのですが「演者が台本を一読して膨らませた演技は、紋切り型にとどまる」というんです。ニュアンスを徹底的に排除した状態で台詞と向き合わないと、簡単に「こういう感じにするとリアルかな」と演者の記憶から引き出した、過去の表現の再現に陥ってしまう、と。だから、何度も台詞を読み込んで、テキストそのものに固有の言い方を教えてもらう必要があるというんですね。今回、僕が採った方法論は、まるまるルノワールの方法論と重なるものではないですが、実践して、仕上がった映像を観て、ジャン・ルノワールの言っていたことは、やはり本当だったのかな、と思いました。 ーー今作にはものすごく長いシーンがあって、たとえば前半で主人公たちが「重心」というワークショップに参加する箇所などは、ほとんどドキュメンタリーといって良いほど、ワークショップの内容を丸ごと撮っています。しかし、冗長な感じはなく、むしろ一緒に参加しているような心地良さがありました。 濱口:いったいどうやって役者さんに台詞を言ってもらえばよいのか、というのは常に悩ましいことです。ただ今回は僕自身、とても心地よさを感じながら彼女たちの演技を観ることができました。ある程度の長さのあるシーンを、心地よく観ていられるということ、「嫌ではない」ということは、実はすごいことで、僕もあまり経験したことがありません。どんな映画でも、終盤やクライマックス、自然に感情が高ぶってきて、役者自身が真実味を感じながら演じているような場面というのはあります。それはある程度観ていられることもあります。ただ、なにげない日常のシーンをずっと観ていられるというのは、とても新鮮でした。 ーー今作は脚本も非常に凝っていますね。ある物語の定型に沿っているという感じがまったくなくて、まるで現実のように先の展開が読めません。偶然に偶然が重なって物事が進行しているように見えましたが、こうした脚本はどのように作っていったのですか? 濱口:ワークショップでできた初稿の段階では、非常にドラマチックな脚本だったのですが、それを演技未経験の人たちで映画化するのは無理だと判断して、演者に沿って改稿を重ねるという方法を採りました。ただ、単に演者に寄り添うだけでドラマチックな展開を排除していくと、それはそれでつまらない作品になってしまう。だから、撮影をして微妙なさじ加減を見極めながら、即興的に改稿をしていくというかたちになったんです。この時点では、こういう演技はできなかったかもしれないけれど、ある程度撮影が進んだ今なら、キャラクターも馴染んで演じられるんじゃないかとか、脚本と演者とが少しずつせめぎ合いながら撮影が進む感じです。脚本には、ドラマを展開させるための台詞というものがあるのですけれど、それを職業俳優ではない人が口にしても、観客が信じるレベルには達しないと思います。だから、観客が「この人ならこういうことを言うだろう」と信じられる台詞だけを使って、ほんの僅かでもドラマを展開できるように調整していくわけです。 ーーすごく時間がかかりそうですね。 濱口:そうですね。最終的に目指している劇的な状況はあるんですけれど、この登場人物がその台詞をリアルに口にするためには、どういう状況なら可能か、どんな問いかけが必要か、ということを考えながら進めていったら、最終的にこんなに長い脚本になってしまいました(笑)。 ーーもともと、これほど長尺の作品にしようという意図はなかったんですか? 濱口:まったくないですね。本当は2時間とか3時間という、興行の標準的なラインになんとか乗せたいと思っていたんです。でも、実際に3時間20分くらいに編集したものを観たら、この映画に引かれていたはずの感情のラインがまったく見えなくなっていました。先ほど時間の積み重ねの話をしましたけれど、この作品は短く編集することでそれが失われてしまうように思えました。最終的に、キャラクターと演者の魅力が最も伝わる形は、この5時間17分という尺がベストだと判断しました。今回の制作方法で、なにかしら人の感情を繋ぎ止める、または巻き込んでいくためには、これくらいの長さになることが必然だったということかもしれません。 ーーいわゆる一般的な映画とは、そういう部分でも大きく異なっていますよね。今作を観て、映画とはいったい何だろう?ということを改めて考えさせられました。 濱口:そういう風に観ていただいて、すごく嬉しいです。僕はジョン・カサヴェテスという映画監督がとても好きなんですけど、彼の映画『ハズバンズ』を観たときに、「人生そのものが映っている」という感じがして、すごく衝撃を受けたんです。40歳くらいのアメリカのおじさんたちがじゃれ合っているような映画なんですけれど、当時、二十歳そこそこだった僕が観ても、「これこそが人生なんだ」と思わせる作品でした。この作品との出会いが映画を仕事にしようと志すきっかけとなり、僕は映画作りを学ぶことになるんですけど、しかし映画を撮るための一般的な方法論ーー脚本があって、カット割りがあってーーというある種の段取りを学べば学ぶほど、「もしかしたらジョン・カサヴェテスの映画は、そもそも映画ではないのかもしれない」と考えるようになりました。だとすれば、ジョン・カサヴェテスの作品に影響を受けた自分が目指すものは、必ずしも映画ではないという気もします。『ハッピーアワー』では、映画というものに一本軸足を置いていますから、まだ「映画ならざるもの」までいくことができたという感じはしないのですが、観た方に映画を踏み越えたなにかを感じてもらえたのなら、それは実はとてもありがたいことだと思っています。 (取材・文=松田広宣) ■公開情報 『ハッピーアワー』 12月シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開 監督:濱口竜介 脚本:はたのこうぼう(濱口竜介、野原位、高橋知由) 製作・配給:神戸ワークショップシネマプロジェクト(NEOPA,fictive) 出演:田中幸恵(あかり)、菊池葉月(桜子)、三原麻衣子(芙美)、川村りら(純) ©2015 神戸ワークショップシネマプロジェクト 公式サイト:http://hh.fictive.jp/ja/

黒川芽以、なぜ男たちを惹きつける? 『愛を語れば変態ですか』で見せたミステリアスな色気

【リアルサウンドより】  現在公開中の映画『愛を語れば変態ですか』。主演は黒川芽以。彼女のことを強く意識するようになったのは、銀杏BOYZの峯田和伸が主演した映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』(監督:三浦大輔/2010年)を観てからだ。花沢健吾による原作漫画の時点で、多くの男たちに衝撃と戦慄を与えていた(アンチ)ヒロイン……主人公の純情を弄ぶ、一見純粋無垢な魔性の女・植村ちはるを演じていたのが彼女だった。決して派手では無いものの、男性を惹きつけてやまない魅力と色気を持った女の子。そんな微妙な役どころを、彼女は実に鮮烈に演じていたのだった。
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 その後も、江國香織の小説を映画化した『スイートリトルライズ』(監督:矢崎仁司/2010年)、吉田修一の小説を映画化した『横道世之介』(監督:沖田修一/2013年)、『ぼくたちの家族』(監督:石井裕也/2014年)など、数々の名作・秀作に出演していた黒川芽以。しかし、そのいずれもが、「あ、この女優さんは……」と気づいた途端に登場しなくなる、そんな役どころが多かった。正直、物足りないというか、率直にもっと長い時間、観たいと思った。なので、名カメラマン、たむらまさきの初監督作『ドライブイン蒲生』(2014年)の主演に、染谷将太と並んで彼女が起用されたときは思わず快哉を叫んだし、意気揚々と劇場に駆けつけた。そこで彼女が演じていた、茶髪の元ヤン、夫のDVを受けて、幼い娘ともども弟(染谷)の住む実家に出戻って来た姉という役どころは、かなり衝撃的ではあったものの、これはこれで相当グッと来た。  そして、2015年。空前の黒川芽以ラッシュがやって来た。『きみはいい子』(監督:呉美保)、『忍者狩り』(監督:千葉誠治)、『かぐらめ』(監督:奥秋泰男)、さらには東京国際映画祭で来年公開予定の映画『走れ、絶望に追いつかれない速さで』(監督:中川龍太郎)が披露されるなど、彼女の出演作が立て続けに上映された今年。その最後を飾るのが、この映画『愛を語れば変態ですか』という次第である。なんという鮮烈なタイトル。そして、なんという役どころ。聞くところによると、彼女に翻弄される5人の男たちの話であるというではないか。劇団ピチチ5を主宰し、数々の作品によって“演劇界の鬼才”と呼ばれている演出家・福原充則が、自身の戯曲「キング・オブ・心中」をベースに書き上げ、念願の監督デビュー作として撮り上げた本作。「黒川さんは、男女の関係の中に妙なドロドロとポップさを持ったまま、ギリギリ清潔感を持って演じるのが得意な人だとずっと思っていました」とは監督の弁。うむ、これは期待できそうだ。
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 映画の舞台となるのは、一軒家を改造したおしゃれなカレーショップ。妻・あさこ(黒川芽以)と過ごす時間を増やすため、夫・治(野間口徹)が脱サラして始めようとしている店だ。そのオープンを翌日に控え、手伝いに来てくれた夫の後輩・ボン(川合正悟/Wエンジン チャンカワイ)ともども、仲睦まじく準備にいそしむ治とあさこ。そこに、覚悟を決めた男たちが、次々とやって来る。まずは、バイト志望のフリーター・西村(今野浩喜/キングオブコメディ)。続いて、あさこの元浮気相手(!)で現ストーカーの釣川(栩原楽人)。さらには、この物件を紹介した不動産屋であり、どう見てもヤクザ……しかも、あさことただならぬ関係であることを匂わせる望月(永島敏行)。他人の話を聞かず、それぞれの思いをぶちまける彼らの訪問によって、店の準備は頓挫。治とあさこの夫婦関係もグラグラと揺らぎ始め……という、ある種のシチュエーション・コメディだ。
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 一見、地味で大人しそうに見えた妻・あさこが、男たちの訪問によって次第に魅力を増してゆくその様は見事だ。束ねていた髪をほどき、エプロンを外し、身体のラインが出る薄手のワンピース姿を露わにするあさこは、無言のまま、目で男たちと会話する。しかし、あさこを必死で奪い合う男たちの空疎な会話の応酬は、やがて彼女を幻滅させる。挙句の果てには、同じ女性を愛した男同士、奇妙な連帯感を持ち始めるし。あさこは思う。お前らの言ってる“愛”とは、いったい何なのか。“愛”の本質は、所有なんかじゃない。浮気と言えば確かに浮気だが、その瞬間に燃え盛った情熱は、決して嘘じゃない。というか、そんな情熱のほとばしりこそが、目の前の風景を一変させてしまう体験こそが、“愛”の本質ではないのか。かくして、覚醒したあさこの暴走がスタートする。「今のご時世、愛を語れば変態ですか?」。  とまあ、テーマ自体は非常に面白いし、“オタサーの姫”ではないけれど、さえない男たちを一歩前へと踏み出させてしまう色香をまとった「あさこ」という人物は、まさしく彼女の得意とするところであり、その意味で個人的な満足度は高かった。しかし、たとえ唇を重ねようとも、決してその内面を見透かすことのできないミステリアスな存在だった彼女が覚醒し、主体的な意思を持って行動し始めてからの展開は、正直かなり面食らった。もちろん、その荒唐無稽な面白さこそが、この監督の醍醐味なのだろうし、痴情のもつれがいつの間にか宇宙規模のスケールへと飛躍してゆくこのシュールな展開こそ、この監督が“演劇界の鬼才”と呼ばれるゆえんなのだろう。劇中の男たちは言うまでもなく、それを観ている我々すら、最終的にはただ呆然と見守るしかない、天衣無縫な奔放さを垣間見せる女優、黒川芽以。やはりこれは、気にならずにはいられない。 (文=麦倉正樹)
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■公開情報 『愛を語れば変態ですか』 公開中 出演:黒川芽以、野間口徹、今野浩喜(キングオブコメディ)、栩原楽人、川合正悟(Wエンジン チャンカワイ)、永島敏行 監督・脚本:福原充則 音楽:西山宏幸 プロデューサー:高根澤 淳 撮影:早坂 伸(J.S.C) 美術:須江大輔 照明:落合芳次 録音:栗原和弘 編集:西潟弘記 助監督:富澤昭文 製作担当:入交祥子 制作:松竹 企画:松竹撮影所 配給:松竹メディア事業部 上映時間:73分 (c)2015 松竹 公式サイト:aikata.jp

広瀬アリス、なぜ『釣りバカ日誌』ヒロインに? 好調ドラマ版に見る、ツンデレ演技の色気

【リアルサウンドより】  今期の秋ドラマの中でダークホース的存在だった『釣りバカ日誌~新入社員浜崎伝助』。西田敏行と三国連太郎の名コンビで長年愛された国民的映画のテレビ版で、キャストが一新されるともなれば、期待と不安を共に抱いた釣りバカファンも多かっただろう。視聴者全員に厳しい目でジャッジされることは間違いなく、かなりのプレッシャーの中での放送となったが、これが期待以上の出来でおもしろく、ネット上での評判も視聴率も上々。『下町ロケット』に並ぶ秋ドラマの注目作となっている。  人情劇が得意の松竹チームがしっかりとドラマを作り、リメイクものには付きもののキャスティングミス批判は、映画でハマちゃん役だった西田敏行をスーさん役にスライドさせて登場させたことで、うまく回避している。西田のおもしろ熱演とハマちゃん役の濱田学の愛嬌ある演技で、新たなる釣りバカワールドが世間に認められたと言っても過言ではないだろう。  ただ、重要人物であるみち子さんの描かれ方は、映画と大きく異なっている。映画ではハマちゃんの愛すべき奥さんで、みち子さんもハマちゃんのことは大好き。聖母のごとく広い心で何でも受け止め、しかもちょっとエロい理想の妻なのだが、ドラマでのみち子さんはまだ結婚前だ。しかも、みち子さんが元カレとの別れ話をしている最中に、ハマちゃんがそれを邪魔するという出会い方で、みち子さんにとってハマちゃんは、いわばムカつく存在からのスタートとなる。あの女神でラブラブだったみち子さんを、冷めた感じの真逆なキャラクターに演出するのは大いなる賭けで、これは制作陣による釣りバカファンに対する挑戦とも受け止められよう。  映画のみち子さん役は途中から浅田美代子が演じていたが、理解力と包容力があり、そしてエロスを感じることができる石田えりこそが、真のみち子さんであると捉えている釣りバカファンは決して少なくない。“合体”も凄い事になりそうなことが容易に想像できるそのキャラクターの印象はとても強く、彼らはいまなお、石田えりの亡霊に取り憑かれているのだ。  今回、そんなみち子さんを演じているのは広瀬アリス。1994年生まれの静岡県出身。2009年のミス・セブンティーンでグランプリを受賞し一躍有名になった彼女は、妹の広瀬すずとともに、いまや女優にモデルにと八面六臂の大活躍をしている。たまに姉妹で雑誌の表紙やCMで共演していると、パッと見は広瀬すずのフレッシュさに目を奪われるが、広瀬アリスからは包容力のある“いいお姉さんオーラ”が滲み出ていて、気づけば彼女にも心を攫われてしまうのである。  一方、農業高校を舞台とした青春映画『銀の匙 Silver Spoon』では、明るく気さくな農業高校生のヒロインを演じ、ジワジワとくる親しみやすい可愛さを発揮している。物語の序盤、主人公の男子を部活勧誘する時に、無意識で胸の谷間を強調してしまう演出がある。純粋だけどさりげなく男子の心を掴むその姿に、主人公と同様に観客も目が離せなくなり、映画が終わる頃にはもう別れるのが切なくなるぐらい魅力的に映るのだ。単純に可愛いだけではなく、最近では数少ない、若くして母性的な美しさを持っている女優だと言えるだろう(例えて言うなら、昔のジェニファー・コネリーのような)。だからこそ、みち子さん役は絶妙なキャスティングといえるし、石田えりの亡霊に取り憑かれていたファンたちも「これで成仏できるのではないのか」と期待を寄せたはずだ。  いざ放送が始まってみると、想定外のツンツンな態度に、「むむ?」「釣りバカファンは怒ってないか?」「テレ東金曜8時の年齢層に受けるのか?」と心配だったが、話しが進むにつれ、ストーリーの面白さと広瀬アリスのジワジワくるキャラの可愛さがハマってきている。実際、ハマちゃんの優しさに触れてチラッと見せるデレぶりと、唐突に出る秋田弁の純朴な魅力により、すでに新たなファンを獲得しているようだ。セブンティーンを読まない世代に、広瀬アリスの素晴らしさを気づかせた作品としては、充分成功しているといえるだろう。  ただ、気になるのはハマちゃんとの関係がなかなか発展しないこと。6話終了の時点で、やっとハマちゃんがみち子さんに対し恋愛感情を芽生えさせたばかりで、残すところあと2話である。物語としてはハマちゃんとスーさんの展開は読めるだけに、みち子さんとのツンデレな関係が映画のようなラブラブな関係になるまで、どう話が転がっていくのかに注目したいところだ。そして、釣りバカでみんなが一番期待している、映画では恒例の“合体”。ここまで前置きが長い合体は、それはそれは燃え上がること間違いないだろう。同作のプロデューサー・浅野太氏はインタビューで、「今、頭を悩ませているのは、ハマちゃんとみち子さんの「合体」をどう描くか。みんな待ってますよね(笑)」と語っているが、果たしてどんな形でその時が訪れるのだろうか。(参考:週プレNews/ドラマ『釣りバカ日誌』プロデューサーが語る舞台裏「みんなが待ってる“合体”を金曜8時でどう描くか…(苦笑)」) (文=本 手)

2PM・ジュノ主演『二十歳』が描く、男子たちの情けない恋愛模様とその魅力

【リアルサウンドより】  昨今、日本の映画、ドラマ、舞台で、いわゆるイケメンと言われる俳優が演じる役は、漫画などが原作のラブコメディのヒロインの相手役であったり、部活にあけくれる男子たちによる恋愛のない群像劇、ヤンキー群像劇などがほとんどではないだろうか。  そこに足りないものは、男子の主体的な恋愛を描いた群像劇である。こういった作品も昨今もあるにはあるのかもしれないが、例えば、今を時めくイケメン俳優が、大学で女の子に恋をする経験を通じて大人になっていく物語というのは、企画としてなかなか日本では見られないのではないか。その代わり、3人のイケメン俳優が、ツンデレな王子、癒し系王子、クール系王子などといった、三者三様の王子を演じ、ヒロインを「壁ドン」や「顎クイ」によってときめかせるという企画なら、年から年中見ることができる。また、その3人が、部活動にあけくれる群像劇もまた、頻繁に見ることができるだろう。  このように、二十歳前後の男子が恋や日常のなんでもない出来事によって成長する群像劇というのは、昨今はあまり見られなくなった気がするが、韓国にはまだ存在すると思われたのが、2PMのジュノ、「相続者たち」『チング 永遠の絆』のキム・ウビン、ドラマ『ミセン -未生-』でブレイクしたカン・ハヌルが主演の『二十歳』だ。
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 監督は、日本でも評価の高かった『サニー 永遠の仲間たち』のイ・ビョンホンが手掛ける。『サニー』では、女性たちの友情を生き生きと描いたが、『二十歳』では、男子学生たちの恋と悩みと友情を生き生きと切り取っている。  三人の主人公たちには、それぞれに苦悩がある。ジュノ演じるドンウは、高校時代に父が事業に失敗し、バイトに明け暮れながら漫画家を目指す。キム・ウビン演じるチホは、駆け出しの新人女優ウネに翻弄される。名門大学に進学したギョンジェは美しき先輩に惹かれる。三人は、映画の中で何者かになるわけではないが、とにかく、ソウルに暮らす二十歳の日常が描かれ、そしてちょっぴり大人になっていく。
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 映画の中でギョンジェは、ある女性を慰め、世の中には悪い男と付き合う女がいて、そして、そんな女を慰めるしかない情けない男(それは自分だ)が存在することを知る。  日本の作品のわかりやすい例として『花より男子』でいえば、ドSキャラの元祖ともいえる道明寺司は「悪い男」で、癒し系王子の元祖ともいえる花沢類は「慰めるしかない男」である。そして、そんな「悪い男」と「慰めるしかない男」で、多くの日本の青春ラブ・コメディはできている。しかし、それはヒロインの目線で描かれることがほとんどであるから、「慰めるしかない男」(「悪い男」も同様に)の情けなさ、かっこ悪さが語られることはない。  それはなぜか。昨今のラブコメディの観客は女子で、女子の妄想に忠実なものが人気であるからだとか、そもそも少女漫画原作が多いために、ヒロインの心情のほうが描かれているということもあるかもしれない。また、男子が女子を獲得するために右往左往すること(を恋ということかもしれない)がさほど求められておらず、そんな作品が少ないために、男子の心情の吐露が見られないのかもしれない。
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 ヒロイン目線のラブ・コメディも楽しいが、そんな作品しか見られないのも残念だ。男子が恋に対する感情を「このせつなさや情けなさは何なのか」と自問したっていいはずだ。『二十歳』の三人の男性主人公は、情けなさを自覚しているから、かっこ悪いところもあるけど、なぜかそんなかっこ悪さが心に残る。  今、青春映画に欠かせない若手イケメン俳優たちが主体の、かっこ悪さも焦燥感も描いた等身大のラブ・コメディというものが日本でも存在したら、意外と女性たちの関心を引くかもしれないのにと、この『二十歳』を見ていると思われるのだった。 ■西森路代 ライター。1972年生まれ。大学卒業後、地方テレビ局のOLを経て上京。派遣、編集プロダクション、ラジオディレクターを経てフリーランスライターに。アジアのエンターテイメントと女子、人気について主に執筆。共著に「女子会2.0」がある。また、TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演している。 ■公開情報 『二十歳』 2015年11月28日(土)より、シネマート新宿 シネマート心斎橋ほか全国ロードショー中 配給:NBCユニバーサル・エンターテイメント 配給協力:アーク・フィルムズ 公式サイト:http://www.kandera.jp/sp/hatachi (C)2015 NEXT ENTERTAINMENT WORLD. All Rights Reserved.

2PM・ジュノ主演『二十歳』が描く、男子たちの情けない恋愛模様とその魅力

【リアルサウンドより】  昨今、日本の映画、ドラマ、舞台で、いわゆるイケメンと言われる俳優が演じる役は、漫画などが原作のラブコメディのヒロインの相手役であったり、部活にあけくれる男子たちによる恋愛のない群像劇、ヤンキー群像劇などがほとんどではないだろうか。  そこに足りないものは、男子の主体的な恋愛を描いた群像劇である。こういった作品も昨今もあるにはあるのかもしれないが、例えば、今を時めくイケメン俳優が、大学で女の子に恋をする経験を通じて大人になっていく物語というのは、企画としてなかなか日本では見られないのではないか。その代わり、3人のイケメン俳優が、ツンデレな王子、癒し系王子、クール系王子などといった、三者三様の王子を演じ、ヒロインを「壁ドン」や「顎クイ」によってときめかせるという企画なら、年から年中見ることができる。また、その3人が、部活動にあけくれる群像劇もまた、頻繁に見ることができるだろう。  このように、二十歳前後の男子が恋や日常のなんでもない出来事によって成長する群像劇というのは、昨今はあまり見られなくなった気がするが、韓国にはまだ存在すると思われたのが、2PMのジュノ、「相続者たち」『チング 永遠の絆』のキム・ウビン、ドラマ『ミセン -未生-』でブレイクしたカン・ハヌルが主演の『二十歳』だ。
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 監督は、日本でも評価の高かった『サニー 永遠の仲間たち』のイ・ビョンホンが手掛ける。『サニー』では、女性たちの友情を生き生きと描いたが、『二十歳』では、男子学生たちの恋と悩みと友情を生き生きと切り取っている。  三人の主人公たちには、それぞれに苦悩がある。ジュノ演じるドンウは、高校時代に父が事業に失敗し、バイトに明け暮れながら漫画家を目指す。キム・ウビン演じるチホは、駆け出しの新人女優ウネに翻弄される。名門大学に進学したギョンジェは美しき先輩に惹かれる。三人は、映画の中で何者かになるわけではないが、とにかく、ソウルに暮らす二十歳の日常が描かれ、そしてちょっぴり大人になっていく。
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 映画の中でギョンジェは、ある女性を慰め、世の中には悪い男と付き合う女がいて、そして、そんな女を慰めるしかない情けない男(それは自分だ)が存在することを知る。  日本の作品のわかりやすい例として『花より男子』でいえば、ドSキャラの元祖ともいえる道明寺司は「悪い男」で、癒し系王子の元祖ともいえる花沢類は「慰めるしかない男」である。そして、そんな「悪い男」と「慰めるしかない男」で、多くの日本の青春ラブ・コメディはできている。しかし、それはヒロインの目線で描かれることがほとんどであるから、「慰めるしかない男」(「悪い男」も同様に)の情けなさ、かっこ悪さが語られることはない。  それはなぜか。昨今のラブコメディの観客は女子で、女子の妄想に忠実なものが人気であるからだとか、そもそも少女漫画原作が多いために、ヒロインの心情のほうが描かれているということもあるかもしれない。また、男子が女子を獲得するために右往左往すること(を恋ということかもしれない)がさほど求められておらず、そんな作品が少ないために、男子の心情の吐露が見られないのかもしれない。
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 ヒロイン目線のラブ・コメディも楽しいが、そんな作品しか見られないのも残念だ。男子が恋に対する感情を「このせつなさや情けなさは何なのか」と自問したっていいはずだ。『二十歳』の三人の男性主人公は、情けなさを自覚しているから、かっこ悪いところもあるけど、なぜかそんなかっこ悪さが心に残る。  今、青春映画に欠かせない若手イケメン俳優たちが主体の、かっこ悪さも焦燥感も描いた等身大のラブ・コメディというものが日本でも存在したら、意外と女性たちの関心を引くかもしれないのにと、この『二十歳』を見ていると思われるのだった。 ■西森路代 ライター。1972年生まれ。大学卒業後、地方テレビ局のOLを経て上京。派遣、編集プロダクション、ラジオディレクターを経てフリーランスライターに。アジアのエンターテイメントと女子、人気について主に執筆。共著に「女子会2.0」がある。また、TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演している。 ■公開情報 『二十歳』 2015年11月28日(土)より、シネマート新宿 シネマート心斎橋ほか全国ロードショー中 配給:NBCユニバーサル・エンターテイメント 配給協力:アーク・フィルムズ 公式サイト:http://www.kandera.jp/sp/hatachi (C)2015 NEXT ENTERTAINMENT WORLD. All Rights Reserved.