森田剛、山田涼介、生田斗真……ジャニーズ俳優が演じる“美しき殺人鬼”たち

【リアルサウンドより】  V6・森田剛が古谷実原作の映画『ヒメアノ〜ル』にて、快楽殺人犯・森田正一役として主演を務めることが話題になっている。森田の殺人者役が注目を集めている理由のひとつには、彼の本業がジャニーズ所属のアイドルだということが挙げられるだろう。夢や希望を与える輝かしい存在であるジャニーズと、人々に恐怖と混乱を与える殺人犯は、イメージが大きくかけ離れており、だからこそ人々の好奇心をそそる部分もあるはずだ。実際、稲垣吾郎や二宮和也など、過去を振り返ると様々なジャニーズ俳優たちが、殺人犯や異常性を持った役に挑戦している。そのギャップのある演技によって、業界内外から高い評価を受けることもあった。  記憶に新しいのは、小説家・伊坂幸太郎原作の映画『グラスホッパー』で、若き殺し屋・蝉を演じたHey! Say! JUMPの山田涼介だ。山田が演じた蝉は、抜群の身体能力を駆使しナイフでの殺しを得意とする殺人者で、上司の岩西(村上淳)が指定したターゲットを容赦なく殺害する。おしゃべり好きが由来して蝉というニックネームがついており、人殺しの最中、血しぶきを浴びながら笑顔で軽口をたたく美少年の姿は、薄気味の悪さを感じさせると同時に、人目を奪う魅力も兼ね備えている。山田涼介の純真無垢なキャラクターと蝉の異常性が合わさることで、その危うい美しさがより濃度を増して画面に映し出されていた。  また、『グラスホッパー』で虫も殺せないような優しい草食男子・鈴木を演じた生田斗真も、瀧本智行監督作『脳男』では感情のない殺人鬼を演じている。透き通るような白い肌と端正な顔立ち、そしてミステリアスな空気を纏うキャラクターから、公開当時は「美しすぎる殺人鬼」というキャッチコピーがついていた。同作で生田が演じた入陶大威(いりすたけきみ)は、並外れた知能を持つが故に、育ての祖父に、犯罪者を抹殺する殺人マシーンに育て上げられた悲しい過去を持つ。基本的に道具は使わず、強靭な肉体を武器に殺しを実行する。劇中ではナイフで刺されながらも自宅に侵入した強盗を絞殺したほか、更生したフリをする児童誘拐犯(染谷将太)も殺害した。爆破に巻き込まれようが、罵倒されようが、感情を一切出さない役に徹しながらも、時折、心の奥に眠る感情が浮き出てくる様子を表情の微妙な変化で演じていた。世間一般の常識には当てはまらない、現実と非現実の狭間の演技が求められるのも、異常性を持つ役柄の難しさだろう。  SMAPの香取慎吾と草なぎ剛が揃って異常殺人鬼役に挑戦したドラマが『沙粧妙子 - 最後の事件 -』(フジテレビ系)だ。猟奇殺人犯を追う女性刑事・沙粧妙子(浅野温子)を主人公に、プロファイリングや異常心理、洗脳などを題材にした重厚なサスペンスストーリーは、現在もカルト的な人気を誇っている。本ドラマで香取は、殺害後に死体の右手の小指の爪を剥いでいく爪剥ぎ連続殺人犯・谷口光二役を演じ、草なぎはスペシャル版の『沙粧妙子- 帰還の挨拶 - 』で、女性をスタンガンで弱らせた後にじわじわいたぶりながら殺していく連続婦女暴行犯・百合岡貞嗣役をそれぞれ演じた。当時、香取は18歳、草なぎは22歳という若さでありながらも、頭のネジが二三本外れた狂気的な若者役を体当たりで演じることで、役者としての新境地を世間に示したと言える。  ジャニーズきっての演技派と称される風間俊介も、心に闇を抱えた若者の役を何度もこなしてきた役者のひとりだ。学園ドラマの金字塔『3年B組金八先生』(TBS)で、クラスを裏から操る知的で闇の深いいじめっ子役を好演し、本格的に役者としてのキャリアをスタート。最近だと、坂元裕二が脚本を務めた『それでも、生きてゆく』(フジテレビ系)で、幼女に異常な興味を示す元殺人犯役を演じ、学園ドラマ『鈴木先生』(テレビ東京)の劇場版では、鎌を構えヒロインの小川蘇美(土屋太鳳)に「服を脱げ」と迫る青年役を演じていた。風間が演じてきた、そのような役柄は、大人しそうな雰囲気を装いながらも内面にドロドロとした異常性を秘めている、という共通項があった。アイドルでありながら、平凡な好青年になりきることができる風間の演技力と、心に狂気を持つキャラクターとのズレが、現実味を帯びた恐怖を生み出していくのである。  今回、『ヒメアノ〜ル』で森田が演じるのは、高校時代にひどいいじめを受けた経験を持つ青年・森田正一。一見おとなしそうに見えるが、人間を殺すことそのものに性的快感を覚える快楽殺人者であり、原作ではどこか抜けた愚かな人物としても描かれていた。その考えの至らなさゆえ、計画性もなく無秩序に人殺しを犯すのだが、だからこそ物語をドラスティックに掻き回す強烈なキャラクターだった。ほかのジャニーズ俳優と比べると、映画やドラマであまり目立った活動は見せていないが、演劇では蜷川幸雄『血は立ったまま眠っている』、宮本亜門『金閣寺』、行定勲『ブエノスアイレス午前零時』などの名だたる演出家のもとでキャリアを積んできており、実はもっとも演技力のあるジャニーズ俳優のひとりとも言われている。役者としての地盤がすでに固まっているといえる森田が、本作でさらなる飛躍を遂げることは間違い無いだろう。  有名な話だが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが、日本文化の特徴を書き記した著書『菊と刀』のなかで、日本人には菊を愛でる一方で刀を好む、矛盾した性質があると指摘している。ジャニーズ俳優が演じる殺人鬼は、まさに“菊と刀”の感性を反映したキャラクターではないだろうか。そのギャップに驚きを覚えるものの、実は日本の映画・ドラマ界において欠かせない存在なのかもしれない。演技派ジャニーズ俳優たちの卓越した表現力に期待したい。 (文=泉夏音) ■公開情報 『ヒメアノ~ル』 5月28日、TOHOシネマズ 新宿ほか全国公開 出演:森田剛、濱田岳、佐津川愛美、ムロツヨシ  原作:古谷 実  監督・脚本:吉田恵輔 製作:日活 ハピネット ジェイ・ストーム 制作プロダクション:ジャンゴフィルム 配給:日活 (c)2016「ヒメアノ〜ル」製作委員会 公式サイト:http://www.himeanole-movie.com/

森田剛、山田涼介、生田斗真……ジャニーズ俳優が演じる“美しき殺人鬼”たち

【リアルサウンドより】  V6・森田剛が古谷実原作の映画『ヒメアノ〜ル』にて、快楽殺人犯・森田正一役として主演を務めることが話題になっている。森田の殺人者役が注目を集めている理由のひとつには、彼の本業がジャニーズ所属のアイドルだということが挙げられるだろう。夢や希望を与える輝かしい存在であるジャニーズと、人々に恐怖と混乱を与える殺人犯は、イメージが大きくかけ離れており、だからこそ人々の好奇心をそそる部分もあるはずだ。実際、稲垣吾郎や二宮和也など、過去を振り返ると様々なジャニーズ俳優たちが、殺人犯や異常性を持った役に挑戦している。そのギャップのある演技によって、業界内外から高い評価を受けることもあった。  記憶に新しいのは、小説家・伊坂幸太郎原作の映画『グラスホッパー』で、若き殺し屋・蝉を演じたHey! Say! JUMPの山田涼介だ。山田が演じた蝉は、抜群の身体能力を駆使しナイフでの殺しを得意とする殺人者で、上司の岩西(村上淳)が指定したターゲットを容赦なく殺害する。おしゃべり好きが由来して蝉というニックネームがついており、人殺しの最中、血しぶきを浴びながら笑顔で軽口をたたく美少年の姿は、薄気味の悪さを感じさせると同時に、人目を奪う魅力も兼ね備えている。山田涼介の純真無垢なキャラクターと蝉の異常性が合わさることで、その危うい美しさがより濃度を増して画面に映し出されていた。  また、『グラスホッパー』で虫も殺せないような優しい草食男子・鈴木を演じた生田斗真も、瀧本智行監督作『脳男』では感情のない殺人鬼を演じている。透き通るような白い肌と端正な顔立ち、そしてミステリアスな空気を纏うキャラクターから、公開当時は「美しすぎる殺人鬼」というキャッチコピーがついていた。同作で生田が演じた入陶大威(いりすたけきみ)は、並外れた知能を持つが故に、育ての祖父に、犯罪者を抹殺する殺人マシーンに育て上げられた悲しい過去を持つ。基本的に道具は使わず、強靭な肉体を武器に殺しを実行する。劇中ではナイフで刺されながらも自宅に侵入した強盗を絞殺したほか、更生したフリをする児童誘拐犯(染谷将太)も殺害した。爆破に巻き込まれようが、罵倒されようが、感情を一切出さない役に徹しながらも、時折、心の奥に眠る感情が浮き出てくる様子を表情の微妙な変化で演じていた。世間一般の常識には当てはまらない、現実と非現実の狭間の演技が求められるのも、異常性を持つ役柄の難しさだろう。  SMAPの香取慎吾と草なぎ剛が揃って異常殺人鬼役に挑戦したドラマが『沙粧妙子 - 最後の事件 -』(フジテレビ系)だ。猟奇殺人犯を追う女性刑事・沙粧妙子(浅野温子)を主人公に、プロファイリングや異常心理、洗脳などを題材にした重厚なサスペンスストーリーは、現在もカルト的な人気を誇っている。本ドラマで香取は、殺害後に死体の右手の小指の爪を剥いでいく爪剥ぎ連続殺人犯・谷口光二役を演じ、草なぎはスペシャル版の『沙粧妙子- 帰還の挨拶 - 』で、女性をスタンガンで弱らせた後にじわじわいたぶりながら殺していく連続婦女暴行犯・百合岡貞嗣役をそれぞれ演じた。当時、香取は18歳、草なぎは22歳という若さでありながらも、頭のネジが二三本外れた狂気的な若者役を体当たりで演じることで、役者としての新境地を世間に示したと言える。  ジャニーズきっての演技派と称される風間俊介も、心に闇を抱えた若者の役を何度もこなしてきた役者のひとりだ。学園ドラマの金字塔『3年B組金八先生』(TBS)で、クラスを裏から操る知的で闇の深いいじめっ子役を好演し、本格的に役者としてのキャリアをスタート。最近だと、坂元裕二が脚本を務めた『それでも、生きてゆく』(フジテレビ系)で、幼女に異常な興味を示す元殺人犯役を演じ、学園ドラマ『鈴木先生』(テレビ東京)の劇場版では、鎌を構えヒロインの小川蘇美(土屋太鳳)に「服を脱げ」と迫る青年役を演じていた。風間が演じてきた、そのような役柄は、大人しそうな雰囲気を装いながらも内面にドロドロとした異常性を秘めている、という共通項があった。アイドルでありながら、平凡な好青年になりきることができる風間の演技力と、心に狂気を持つキャラクターとのズレが、現実味を帯びた恐怖を生み出していくのである。  今回、『ヒメアノ〜ル』で森田が演じるのは、高校時代にひどいいじめを受けた経験を持つ青年・森田正一。一見おとなしそうに見えるが、人間を殺すことそのものに性的快感を覚える快楽殺人者であり、原作ではどこか抜けた愚かな人物としても描かれていた。その考えの至らなさゆえ、計画性もなく無秩序に人殺しを犯すのだが、だからこそ物語をドラスティックに掻き回す強烈なキャラクターだった。ほかのジャニーズ俳優と比べると、映画やドラマであまり目立った活動は見せていないが、演劇では蜷川幸雄『血は立ったまま眠っている』、宮本亜門『金閣寺』、行定勲『ブエノスアイレス午前零時』などの名だたる演出家のもとでキャリアを積んできており、実はもっとも演技力のあるジャニーズ俳優のひとりとも言われている。役者としての地盤がすでに固まっているといえる森田が、本作でさらなる飛躍を遂げることは間違い無いだろう。  有名な話だが、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが、日本文化の特徴を書き記した著書『菊と刀』のなかで、日本人には菊を愛でる一方で刀を好む、矛盾した性質があると指摘している。ジャニーズ俳優が演じる殺人鬼は、まさに“菊と刀”の感性を反映したキャラクターではないだろうか。そのギャップに驚きを覚えるものの、実は日本の映画・ドラマ界において欠かせない存在なのかもしれない。演技派ジャニーズ俳優たちの卓越した表現力に期待したい。 (文=泉夏音) ■公開情報 『ヒメアノ~ル』 5月28日、TOHOシネマズ 新宿ほか全国公開 出演:森田剛、濱田岳、佐津川愛美、ムロツヨシ  原作:古谷 実  監督・脚本:吉田恵輔 製作:日活 ハピネット ジェイ・ストーム 制作プロダクション:ジャンゴフィルム 配給:日活 (c)2016「ヒメアノ〜ル」製作委員会 公式サイト:http://www.himeanole-movie.com/

斎藤工と池松壮亮、ぶつかり合う“色気と技術”ーー『無伴奏』ラブシーンの凄みに迫る

【リアルサウンドより】  斎藤工と池松壮亮のラブシーンが話題を読んでいる。  その作品は、直木賞作家・小池真理子の半自叙伝的な同名小説を、『ストロベリーショートケイクス』などの矢崎仁司監督が映画化した『無伴奏』だ。学園紛争まっただ中の1969〜1971年の仙台を舞台に、成海璃子が演じる高校3年生の響子が初めての大恋愛を経験し、少女から大人へとメタモルフォーゼする姿をセクシャルなシーンを交えながら叙情的に描く。  響子が関わる2人の大学生、祐之介と渉を演じるのが斎藤と池松だ。同じ大学に通う2人は幼いころからの腐れ縁で、渉は現在、祐之介の実家に居候中である。「無伴奏」という名の名曲喫茶で、祐之介の恋人・エマを交えて出会った4人は急速に親しくなり、一緒に海へ行き、祐之介の家の茶室で酒を飲み、芸術論を交わし、タバコをくゆらす。学園紛争から距離をとり、芸術家のような日々を送る彼らに、やり場のない情熱を持て余す響子が魅了されるのに時間はいらなかった。
20160113-mubansou06.jpg

渉を演じる池松壮亮

 さて。すでに、件のシーンに関する画像が公表されているので、祐之介と渉が少なくとも上半身は裸で肌を重ねていることを前提に書き進めたい。薄暗い茶室の畳の上に仰向けに横たわっている渉に、クールな表情の祐之介が覆いかぶさり、首筋に唇を寄せている。注目すべきは渉の表情だ。行為に埋没しているわけでもなければ、歓喜も嫌悪も感じられないが、その瞳にはたしかに涙が滲んでいる。このワンショットだけで2人の関係をあれこれと想像させるのは、この渉の表情の力が大きい。さすが、若手実力派として評価の高い池松である。  池松は、25歳という若さでありながら、ベッドシーンが多い男優である。『恋の渦』では門脇麦、『海を感じるとき』では市川由衣、『紙の月』では宮沢りえ、そして本作『無伴奏』では成海璃子とセックスシーンに挑んでおり、すべての作品で女優たちの体当たりの芝居が話題になったが、いやいや、池松の体当たりの度合いも相当だよ! 女優がヌードを決意する際の「必然性があれば脱ぎます」という決まり文句があるとしたら(聞いたことないけど)、池松にとっての必然性とはなんだろう? それはおそらく、監督の思い、女優が演じる女という存在、そして人間の欲望を、その肉体のみで受け止めるろ過装置に徹することではなかろうか。彼はこれまで受け身の役が多かったからこそ、個人的には、『私たちのハアハア』で演じていた攻めるキャラクターが印象的に残っている。彼が演じたのは、九州から東京を目指す女子高生4人組がヒッチハイクする車のドライバー。真夜中のサービスエリアの喫煙コーナーで、1人の女子高生と談笑中に、突然キスをする。次に何を仕掛けてくるのかがまったく読めないあたり、『MOZU』で演じた殺人鬼に通じる色気と恐ろしさ……。  一方、祐之介を演じる斎藤工は34歳。「ネクストブレイク候補歴13年」と自虐するポジションだったが、上戸彩が演じるパート主婦とダブル不倫の関係になる教師役を演じた2014年のフジテレビドラマ「昼顔」で、肉感的な唇と低い美声、禁断の恋に悩む表情がセクシーと評判になり、大ブレイクを果たす。斉藤のキャリアもまた、濡れ場のある作品への出演が多い。しかも、ボーイズラブというジャンル映画にも、『BOYS LOVE』『スキトモ』『いつかの君へ』など多数出演。今年1月クールの主演ドラマ「臨床犯罪学者 火村英生の推理」もかなりBL要素が強かった。彼のキャリアからは、自らに求められる「セクシー」というイメージを引き受け、楽しみながら、消費される覚悟が感じられる。“壁ドン”CMや、白ブリーフ姿で登場した『週刊文春』でのヌードグラビアなども、素材として世間の欲望を逆手に取って遊んでいる証拠ではなかろうか。
20160113-mubansou03.jpg

祐之介を演じる斎藤工

 そんな斉藤と池松の共通点は、映画になみなみならぬ愛情をもっていること。斉藤の映画オタクぶりは有名であるし、池松もまた、インタビューでは寡黙ながら、その発言の端々に映画愛をにじませている。筆者が池松にインタビューした際の、「祈りのある映画が好きです」という発言が今でも忘れられない。祈りとは、すなわち願い。観客に何かが届くことを信じ、願い、作品に我を捨てて身を投じている。『無伴奏』の祐之介と渉のラブシーンもまた、どんなに逃れようとしても逃れられない、人間の業や他者への思いを肯定する救いのシーンなのである。  どんな映画でも、前情報を一切入れずに見るにこしたことはない。しかし、このシーンがあることを前提に、祐之介と渉のやりとりに注目することもまた、『無伴奏』においては幸福な映画の見方といえる。なぜなら、2人はこのラブシーンをクライマックスに、視線を動かし、言葉を飲み込み、表情と放つ言葉を矛盾させるなど、ありとあらゆる技術を駆使した演技を緻密に折り重ねているからだ。2人の色気と技術がぶつかり合う様を、ぜひ堪能してほしい。 ■須永貴子 インタビュアー、ライター。映画やドラマを中心に俳優や監督、お笑い芸人、アイドル、企業家から市井の人までインタビュー仕事多数。『NYLON JAPAN』『Men’s EX』『Quick Japan』『Domani』『シネマトゥディ』などに執筆。 ■公開情報 『無伴奏』 3月26日、新宿シネマカリテほか全国ロードショー 出演:成海璃子、池松壮亮、斎藤工、遠藤新菜、松本若菜、酒井波湖、仁村紗和、斉藤とも子、藤田朋子、光石研 監督:矢崎仁司 原作:小池真理子『無伴奏』(新潮文庫刊、集英社文庫刊) 主題歌:「どこかへ」Drop's(STANDING THERE, ROCKS / KING RECORDS) 配給:アークエンタテインメント 製作:「無伴奏」製作委員会(キングレコード/アークエンタテインメント/オムロ) 2015年/日本/カラー/16:9/5.1ch/132分/R15+ (c)2015 「無伴奏」製作委員会 公式サイト:mubanso.com

『断食芸人』が映し出す“現在の日本”と、俳優・山本浩司の“何もしない演技”

【リアルサウンドより】  映画はおおよそ撮影から1年ぐらいの時間を経て、ようやく公開の時を迎える。制作したときと、公開までは当然、タイムラグが生じる。にも関わらず、公開の時、そのときまさに旬となっている話題や事件に、内容が重なってしまう作品が時折出てくる。まるで何かそのときを待ち狙っていたかのように……。2007年の『幽閉者 テロリスト』以来になる足立正生監督の新作『断食芸人』は、まさに“現在の日本”に奇しくも合致してしまった1作といっていいかもしれない。
20160323-geinin-sub1th.jpg

 今はSNSで誰もが気軽につながることができる一方で、知らぬ間にトラブルに巻き込まれる時代。ひとつ問題を起こせばすぐに世間の好奇の目にさらされ、容赦なく断罪される。ひとつのトラブルが命取りになり、許されない。特に著名人への風当たりは加速度を増しているような気がしてならない。今年に入って起きたスキャンダルの反応はそれを物語っていると思うのは自分だけだろうか?  ゲス不倫にゲス議員、麻薬での逮捕に経歴詐称……。標的になった人物はことごとく吊るし上げられた。事が事だけに彼らに同情する余地もなく、擁護するつもりはない。ただ、こうも思う。“当人たちが社会から完全に抹殺されて、姿を隠すしかなくなり、何も言えなくなってしまう社会がこのまま進んでいってしまって果たしていいのか”と。  足立監督の『断食芸人』が突くのはまさにそこ。カフカの原作をベースにアイロニーとユーモアをもった語り口でひとつの寓話に仕立ててはいて、一瞬、奇天烈なカルト映画に思えるが、実はどっこい社会派。ポップな口調を隠れ蓑に日本の今をぶった斬り、まるで今の日本にたちこめる、なんともいえない不自由な空気を予見したかのように映し出す。有名人に祭り上げられた断食芸人の体を借りて。
20160323-geinin-sub2th.jpg

 シャッターが下りた店舗も目立つアーケード商店街に、ひとりの男が現れ、閉まった店の前でへたり込む。そこを通りかかった少年が何の悪気もなくSNSに写真を投稿。すると瞬く間に彼の情報が拡散され、誰が呼んだか男は断食男と祭り上げられる。男は何ひとつ語らない。すると周りが勝手に彼のことを解釈し始める。ある者は“これは今の社会に対する怒りの行動”と叫び、ある者は“単に有名になりたいだけのこざかしい行為”と断じる。それでも男はなにも語らない。すると周り反応はさらにエスカレート。侮蔑した汚い言葉を投げつけるものもいれば、現代の“神”と崇める者も出てくる。さらには政治利用しようとする者もいれば、勝手に男に集まってきた寄付金をふんだくる者も出てくる。本人の都合など構いなしで、時に多くの人間が押し寄せる。かと思えば、賞味期限が過ぎれば次には一気にひいていく。      この過程たるや今年に入っておきたいろいろなスキャンダル報道の一連の流れを一部始終再現したかのよう。何かのデジャヴが起きたような錯覚に陥る。そこからは否定しようのない、一瞬の熱狂によって見境がなくなった人間の下劣さ、愚かさ、卑劣さが露呈する。それは一方で自分が自分でいるために、いまどれだけ困難な状況かを物語ってもいる。さらに言えば、足立監督は、そこに戦争や原発事故を事象としてさりげなく差し込む。そう考えると、この作品は“日本の国民性”について言及した1作といってもはなはだ間違ってはいない気がする。
20160323-geinin-sub6th.jpg

  それにしても断食男を演じた山本浩司がいい。例えば『魔女の宅急便』のおソノの旦那のフクオ役であったり、NHKのドラマ『外事警察』の大友役であったり、メジャー作品でも欠かせない俳優になっている彼だが、ここでは何の感情も露わにしない、文字通り、ただそこにいるだけの男としてそこに存在している。“ただそこにいる”というのは簡単なようでいて、実は難しい。たとえば自分と照らし合わせたとしても、人は誰かと向き合ったとき、少なからず何かを演じている。役者という仕事を生業にした人間ならばなおさら。何かを演じることに全力を注ぐことを基本にしている彼らにとって、実は“何もしないでくれ。芝居をしないでくれ”といわれるほどぐらい辛く、戸惑うことはない。感情をストレートに出して表情豊かに演じるほうが、おそらく気持ちがいいし、“役を演じきった”という手ごたえもある。   だから役者は基本的にどんな役でも表現しようとする。その演じるということの中には、自己アピールも入っている。それは何も悪いことではない。やはり役者だったらその役を輝かせたいと思わねばならないし、その演技を認めてもらいたい。認められなければ次の声は決してかからない。キャリアにのちのちにつながっていくのだから、多少なりとも前に出ていかないと、という気が出るのは当然で、自分をPRすることも役者には大切な仕事だ。   その中にあって山本浩司という俳優は、役になにも足さないでただそこにいるだけのことができる稀有な存在だ。ある種の天賦の才。奇跡の役者といったら言い過ぎか。己の欲望や欲求をすべて捨てられる。ここはこうしたら役がもっとよくなるのではないかといった色気や役者としてのサービス精神も封印して、余計なことは一切しない。それができる。   今回の断食男役で、彼はただただそこにいつづける。悪夢にうなされることはあっても、それは内面であり、外に何か感情を発露することはない。傍から見ると、とらえどころのない男を苦も無く、自然にかといって存在感がないわけでもなく、空気のように体現してみせる。ここで見せる彼の演技にみえない演技は、どこか無名の人として存在し続けていた山下敦弘監督の初期作品『どんてん生活』や『ばかのハコ船』といった作品を想起させる。そういう意味で、山下監督作品を通ってきた人にとっては、あのころの山本浩司にどこか出会ってしまったような妙な感覚に陥るかもしれない。そんな楽しみもあることを付け加えておきたい。 (文=水上賢治) ■公開情報 『断食芸人』 渋谷ユーロスペースほか公開中 監督・編集:足立正生 主演:山本浩司 c2015「断食芸人」製作委員会 公式サイト:http://danjikigeinin.wordpress.com

タイが生んだカンヌ常連、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督が語る『光りの墓』の映像美学

【リアルサウンドより】  2010年に発表された『ブンミおじさんの森』が、第63カンヌ国際映画祭パルムドールに輝いた、タイ出身のアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の最新作『光りの墓』が3月26日より公開される。2000年に発表された初長編作『真昼の不思議な物体』以降、長編作をはじめ、中編・短編などのアートプログラムを精力的に発表し続け、美術作家としても個展を開催するなど、世界的に活躍し大きな評価を得ているウィーラセタクン監督。今年1月から2月にかけては、日本では長らく劇場未公開だった『世紀の光』を始めとする、すべての劇場長編作とアート傑作選の特集上映「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ 2016」が、シアター・イメージフォーラムにて開催され、連日満員の大盛況を博した。最新作『光りの墓』は、かつて学校だった病院を舞台に、病院を訪れた女性ジェンが、“眠り病”にかかった兵士イットの世話を見始めたことから、その土地の記憶が“眠り病”に関係していることに気づいていく模様を描いている。リアルサウンド映画部では、ウィーラセタクン監督にSkypeインタビュー。本作の製作背景や、タイの故郷コーンケンに対する思い、そして映画製作における自身の考えを語ってもらった。 ーーこの作品を手掛けることになった経緯を教えていただけますか。 アピチャッポン・ウィーラセタクン監督(以下、ウィーラセタクン):いくつもの要素があって、そのコンビネーションによって生まれた映画なんです。私は普段、ノートにいろいろなことを書き留めているんですが、そういうメモのようなものが集積してできた映画と言えるかもしれません。例えば、私は主人公のジェンを演じてもらったジェンジラー(・ポンパット・ワイドナー)の人生にすごく関心があって、彼女と近況を知らせ合ったりしています。最近彼女は結婚したんですが、結婚後どういう生活をしているかということにも興味がありました。また、タイの政治状況に対する関心も含まれています。そして、この作品のテーマのひとつである“睡眠”も、私が長年考えてきたことで、睡眠を通して現実から逃避する、夢に逃げ込むということと、映画にはどういう関係があるのかということを考え続けてきました。暗闇の中で物語を見るという必然性を、私たち人間は身体的に持っているのではないかということです。『ブンミおじさんの森』のあとに書いたいくつかの脚本をプロデューサーに見せ、最も現実的で映画化しやすいということでできあがったこの作品が、その集合体と言えますね。ただその脚本も、ロケハンをして現場で撮影をする初日まで、いろいろと変化を遂げ、最終的に今の形になりました。 ーー脚本は現場に入るまで変わっていくんですね。 ウィーラセタクン:脚本は常に変わりますし、撮影後、編集に至るまで変化していきますね。ただ、コンセプトは最初から変わらずに一貫していました。この映画の場合は、“夢”というテーマ、現実とファンタジーの組み合わせ、そして“病”という存在ですね。 ーー夢と睡眠の描き方が印象的でした。監督自身、夢はよく見るんですか? ウィーラセタクン:私自身、夢を集めるような傾向があるんです。というのは、夢を見ることは映画を観に行く経験にとても似ていると思うんです。人生の生きている時間の半分は、自分が見た夢の中にあると考えることもできるわけです。見たあとに忘れがちになってしまいますが、夢は自分の頭の中で作った映画のようなものです。なので、自分の中で記録しておきたいというこだわりはありますね。
20160322-Cemetery-sub1.png

ーーこの作品のアイデアは新聞で読まれた記事がきっかけらしいですね。 ウィーラセタクン:そうですね、それがインスピレーションのひとつです。その記事では、タイ北部の小さな町の軍の病院で、ある病気にかかった人たちを隔離していたと書いてあったんです。小さなコラム記事だったので、理由や詳細は書かれていませんでしたが、その情報だけで自分のイマジネーションが掻き立てられたんです。タイにはいろいろな陰謀説があるんですが、そこにはきっと陰謀があるには違いないと思わせられました。 ーー実際に陰謀があったんですか? ウィーラセタクン:何かその後のストーリーが確かにあったと思うんですが、結果には興味がなかったので、あまり深追いはしませんでした。映画の撮影中も、病の正体は何だったのかとスタッフから聞かれることが多かったのですが、実際はわかりません。わからないことが面白いと思うので、理由は追求しませんでした。 ーー今回の作品のタイ語題の意味は「コーンケンへの愛」だそうですが、このタイトルにはどのような意味が込められているでしょうか? ウィーラセタクン:実は全編コーンケンで撮影したのは今回が初めてなんです。コーンケンは自分が育った故郷でもあるのですが、最近は急成長を遂げていて、他の町と同じような、特徴のない町になってしまいました。ただ、やはり自分の故郷ということで思い入れも強いので、撮影するにあたって、自分の記憶を手繰り寄せるような体験がしたいと思っていました。例えば、湖や市場、映画館など、自分自身の思い出がある場所を訪ねました。そして、退屈になってしまった町を舞台に、面白い映画が作れるかどうかという、自分への挑戦という意味もありました。
20160322-Cemetery-sub2.png

ーーどのような場所で撮影をするか、リサーチにも時間をかけるのでしょうか? ウィーラセタクン:そうですね。ロケハンには時間をかけて、かなり周到にやります。でも今回は、町を知り尽くしているということもあり、これまでの作品に比べて最も容易なロケハンだったと思います。ただ、自分が気に入った場所をいくつかに絞り込むという作業がありました。結果、コーンケンの代表的な場所ではなく、自分の記憶の象徴のような場所を選ぶことになりました。現在のコーンケンにはセブンイレブンや大きなマンションもありますが、この映画にはそういった場所はあまり出てきません。まるでフィクションのような、タイムマシーンに乗って過去に戻り、昔のコーンケンを映し出したような映画になっているんじゃないかと思います。 ーー映画館での印象的なシーンがありますが、あの映画館は監督が実際に通っていた映画館なんですか? ウィーラセタクン:いえ。私が昔よく通っていた映画館は、もう既になくなってしまっているんです。昔は大きな映画館がたくさんありましたが、日本や世界と同じように、シネコンやショッピングモールの中にあるような映画館が増えています。映画の中で登場する映画館は比較的新しい映画館で、今も営業しています。内装にとても魅力を感じたんです。 ーーあのシーンで上映されているのは昔のタイ映画ですか? ウィーラセタクン:あれは『The Iron Coffin Killer』というタイの新作映画なんですが、古いタイ映画のような雰囲気がありますよね。今はもう作られていないような、自分が子供の頃によく観ていて大好きだった映画のような雰囲気がある作品だったので、許可をもらって映画の中で使わせてもらいました。ある意味、古いタイ映画へのオマージュ的な役割を果たしています。

「映画製作におけるすべてのプロセスを楽しめるようになってきた」

20160322-Cemetery-subsub1.png

ーーこれまで一緒に組んでいたカメラマンではなく、今回初めてメキシコ人カメラマンのディエゴ・ガルシアと組まれていますね。 ウィーラセタクン:技術力はもちろん、心穏やかで本当に素晴らしい人です。学生の頃に私の作品を観てくれていたということを彼から聞いて、なんだか年寄りになった気分になりましたが(笑)。ただ、そのおかげで、私が持っているリズムや照明の感覚みたいなものに、すぐに呼応してくれたと思います。実はこの映画は、私にとって、初めてプロのデジタルカメラで撮った長編作品なんです。まったく新しい体験でもあったので、私や他のタイ人スタッフには当然のようなことも、外国人の視点で意識的に見てくれたような気がしますね。 ーー色や照明の美しさが印象的でした。 ウィーラセタクン:色や光へのこだわりは強く、それをどう実現するかにも苦労しました。というのは、自然光を利用したいと思っていたからです。病院の中の照明もエフェクトで出したのではなく、コンピュータープログラムを使ってLEDライトに発色させるというような形でした。OKカットが撮れても「カット」と言いたくなくなるほど、自分自身もその世界に魅了されてしまうほど美しい光でしたね。
20160322-Cemetery-sub3.png

ーー病院もそうですが、町の色が次第に変化していく様子も美しかったです。 ウィーラセタクン:色の変化には、観客を夢の世界に誘う役割があると思うんです。登場人物たちもまさにそうで、新しい現実に導かれていく転換点になると思います。この経験によって観客は、この映画が作りごとなんだ、イリュージョンなんだということに気が付くはずです。例えば、もっと暖色寄りにするだとか、もっと寒色寄りにするだとか、色補正をして画面を変える作業が映画作りの中ではあります。この町の色の変化は、そのプロセスに気付いてもらう効果を上げようとして取り込んだのですが、と同時に、病院内の照明の色の変化に呼応しています。病を持った兵士たちが光を受けているように見えるのと同じように、私たちも光を受けているんだということを観客に感じ取ってもらうようにしたかったんです。 ーージェンジラーさんをはじめ出演者の皆さんはとても自然体な演技をされていますが、演出はどの程度されるのでしょうか? ウィーラセタクン:演出はキャスティング段階から始まっているとも言えますが、いろいろな要素があると思います。私は脚本を書くときに当て書きをすることが多いんです。ジェンジラーもそうで、彼女の性格を取り込んだ役を書いたりします。また、キャスティング段階で私自身が好きな特徴を持っている人を選びがちなんですが、その特徴を活かすような脚本にまた自分で書き直していくという作業があります。人に応じて脚本を書いていると言えますね。だからこそ、役者の方々には、カメラの前では自分らしくいてほしいと指示をしています。でもそれは結構難しいようで、みなさん演技をしたがりますね。
20160322-Cemetery-subsub5.png

ーーロケーション選びから、脚本執筆、撮影、演出などの話をうかがってきましたが、監督にとって、映画作りにおいて最も重要な作業をひとつ選ぶとしたらどの過程ですか? ウィーラセタクン:そうですね……たったひとつだけを選ぶのは不可能ですね(笑)。もともと若い頃は脚本を執筆する作業や、企画を考える作業がすごく好きだったんです。私の作品の多くは低予算なので、撮影時にはいろいろな問題が起こり、なかなか思うようにいかずストレスがかかることも多く、撮影が嫌いだったんです。でも今は、トラブルを予測しながら撮影を行うこともできるようになってきたので、撮影も脚本も含め、すべてのプロセスを楽しめるようになってきました。それはひょっとしたら、自分が年齢を重ねてきた経験値によるものかもしれません。あるいは、こういうふうになるだろうという期待値がもう少し現実的になってきたのかもしれませんし、何か問題が起こってもその問題を楽しむことができるようになった能力のせいかもしれません。なので、今の自分にとっては、企画、脚本、キャスティング、撮影、編集……すべてのプロセスが大事だと言えますね。 (取材・文=宮川翔) ■公開情報 『光りの墓』 3月26日(土)シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー 製作・脚本・監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン 出演:ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー、バンロップ・ロームノーイ、ジャリンパッタラー・ルアンラム 英語題:CEMETERY OF SPLENDOUR 配給・宣伝:ムヴィオラ 宣伝協力:boid 2015年/タイ、イギリス、フランス、ドイツ、マレーシア/122分/5.1surround/DCP (c)Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015) 公式サイト:www.moviola.jp/api2016/haka

シネコンは映画をどうキュレーションする? 『リリーのすべて』と合わせて上映するなら……

【リアルサウンドより】  東京は立川にある独立系シネコン、【極上爆音上映】で知られる“シネマシティ”の企画担当がシネコンの仕事を紹介したり、映画館の未来を提案したりするこのコラム、第2回は「シネコンのキュレーション」について。  キュレーションという言葉は、映画業界周辺で使われることはあまりなく、主に博物館や美術館の特別展示を企画することなどを指します。単純にある作家展やどこかの所蔵品というだけでなく、モチーフでまとめたり、作家を組み合わせたりすることで作品に新たな意味や解釈や理解もたらすことが出来たなら、企画者としては最高の気分です。    シネコンの場合、意図せず偶然に“それっぽいこと”が起こることもあります。例えば少し前立川シネマシティでは『黄金のアデーレ 名画の帰還』と『ミケランジェロ・プロジェクト』を同時に上映していました。  『黄金のアデーレ』はナチスに没収された叔母をモデルにしたクリムトの絵を取り戻そうとするおばあちゃんの物語です。『ミケランジェロ・プロジェクト』はナチスがユダヤ人から没収した膨大な美術品を奪還する連合軍特殊部隊の話です。併せて観ると、特殊部隊がナチスから奪い返した絵画が政府の手には戻ったものの、すべてが個人の元にまでは返らず、今もなお戦争の傷跡は残り続けていることがわかります。  『ミケランジェロ~』は一度公開が延期になったという経緯があり、まさにこの2本が同時に上映されたのは偶然です。シネコンでは常時たいてい20本以上の映画が上映されていますから、時にこういうことが起こるのです。  僕の映画人生で強烈な思い出として残っているのは、旧恵比寿ガーデンシネマさんで偶然(?)隣の劇場同士で上映していた実写版『ハイジ』とテリー・ギリアム監督の傑作『ローズ・イン・タイドランド』の組み合わせ。これ両方とも親を失った幼い少女の、それでも強く生きる姿を描いた作品なのですが…似た題材でここまで違うものなのかと(笑)。  かたや大自然が舞台、文科省推薦的優等生少女の物語で、かたや麻薬中毒の父母がオーバードーズで死んで、首だけのバービー人形でひとり遊ぶ妄想少女の不道徳な物語。この対比の激烈さ。面白いのは、この2本を併せて観たときに浮かぶ疑問、「だが、より“子どもらしい”のはハイジかローズか?(あるいは、より幸福なのは?)」。  その答えは各自ご覧になり考えていただくとして、とにかくここで申し上げたいのは、映画に限らずですが、ただその作品だけ観るよりも、料理にあわせたワインが共に輝くように、複数観ることによって引き出される面白さというものがあるということです。  『レ・ミゼラブル』でマリウス、『博士と彼女のセオリー』でホーキング博士を演じたエディ・レッドメインが、世界で初めて男性から女性への性別適合手術を受けた実在の女性を演じる『リリーのすべて』が3月18日(金)に公開になりました。  例えば、この作品の魅力をひきだすのに、どんなキュレートがいいか。すぐに思いつくのは性別の違和を題材にした作品を集めることです。僕ならばやはり同じ英国男優キリアン・マーフィの女性姿が美しい『プルートで朝食を』、ピュアさやイノセントさがリリーと共通する、女の子になりたい少年のとまどいをファンタスティックに描いた『ぼくのバラ色の人生』を推したい。  あるいは『リリーのすべて』の最も新鮮な部分、6年間結婚生活を共に送ってきた妻が女性になっていく“夫”をかいがいしくサポートしていく、というドラマに注目してもいいでしょう。尽くして尽くすほど、愛する人が少しずつ“消えていってしまう”という矛盾。この関係性で思い当たるのはアルツハイマーになってしまった妻が、老人ホームで夫のことすらも忘れてしまい、夫は妻が別の男性と恋に落ちる姿を見守るしかないという『アウェイ・フロム・ハー 君を想う』です。このやりきれない切なさは『リリーのすべて』同様、「愛を成立させるものはなにか?」という深遠な問いを観客に投げかけてきます。「愛とは性なのか」「愛とは記憶なのか」それとも、別の何かなのか?  空想だけでなく、これまでにシネマシティで行ったキュレーションの一例を挙げましょう。  上映時期が重なっていた『オペラ座の怪人25周年記念公演inロンドン』と『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』と『フラメンコ・フラメンコ』の3本を音響家による綿密な調整を行って上映した「舞台芸術映画祭」、音楽業界の頂点と底辺、『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』の公開時に併せて上映した、マイケルとほぼ同い歳の、音楽をあきらめきれないヘヴィメタオヤジの傑作音楽ドキュメンタリー『アンヴィル!夢をあきらめきれない男たち』、最近ならアニメ『ガールズ&パンツァー』とDVD/ Blu-raydでのコラボレーションが話題になったブラッド・ピット主演の戦車映画『フューリー』を『ガールズ&パンツァー劇場版』の初日から上映し、リアル映画館でもコラボを実現しました。こういうのを企画するのは本当に楽しい。  この“シネコンのキュレーション”というテーマ、まだまだ全然書き足りないので、またいずれ別の機会に。You ain't heard nothin' yet!(お楽しみは、これからだ) (文=遠山武志) ■立川シネマシティ 映画館らしくない遊び心のある空間を目指し、最高のクリエイターが集結し完成させた映画館。音響・音質にこだわっており、「極上音響上映」「極上爆音上映」は多くの映画ファンの支持を得ている。 『シネマ・ワン』 住所:東京都立川市曙町2ー8ー5 JR立川駅より徒歩5分、多摩モノレール立川北駅より徒歩3分 『シネマ・ツー』 住所:東京都立川市曙町2ー42ー26 JR立川駅より徒歩6分、多摩モノレール立川北駅より徒歩2分 公式サイト:http://cinemacity.co.jp/ ■公開情報 『リリーのすべて』 3月18日(金)全国公開 監督:トム・フーパー 脚本:ルシンダ・コクソン 出演:エディ・レッドメイン、アリシア・ヴィキャンデル、ベン・ウィショー、アンバー・ハード、マティアス・スーナールツ 配給:東宝東和 原題:The Danish Girl /R15+ (C)2015 Universal Studios. All Rights Reserved. 公式サイト:lili-movie.jp

トム・フーパー監督が語る『リリーのすべて』制作裏話 「内面の葛藤を描くことが本来のドラマ」

【リアルサウンドより】  トム・フーパー最新作『リリーのすべて』が現在公開中だ。実話を基に制作された本作は、世界で初めて性別適合手術に臨んだトランスジェンダーの女性リリーと、その妻ゲルダの深い愛と葛藤を描いたラブストーリー。第88回アカデミー賞では、リリー役のエディ・レッドメインが主演男優賞にノミネートされ、ゲルダ役のアリシア・ヴィキャンデルが助演女優賞に輝き、日本でも注目された。今回、リアルサウンド映画部では、『レ・ミゼラブル』や『英国王のスピーチ』などの作品でも知られるトム・フーパー監督へインタビューを行い、『リリーのすべて』にまつわる制作裏話や作品に込めた想いを語ってもらった。
20160317-tom-th.png

トム・フーパー監督

ーー監督は脚本を読んだだけで、三回も泣いてしまったと聞きました。 トム・フーパー(以下、トム):リリーとゲルダが織りなす愛の物語が、あまりにも素晴らしかったので。結婚という完成した関係性の中で、そのうちのひとりが変貌を遂げていく。夫を失うとわかっていても、リリーが本当の自分になるための手助けをするゲルダの姿には、慈愛の心を見ることができました。犠牲を払いながらも真の愛を貫き通す力、そこに深い感動を覚えたんです ーー仮に、監督がゲルダと同じ立場になったとしたら? トム:彼女のように行動できたら、どんなに素晴らしいだろうと思います。しかし、愛において彼女はある意味で超越した存在なので、その真似することは並大抵の気持ちでは難しいでしょう ーーまさに究極の愛が描かれている作品だと思います。トランスジェンダーを扱う本作は、監督にどんな影響を与えましたか? トム:脚本が完成してからもう7年経ちますが、私にとって大変勉強になる作品でした。ロンドンやニューヨークなど、各都市でトランスジェンダーの方々と出会い、素晴らしいインスピレーションを受けました。それに、トランジション経験者であり、ハリウッドの監督として活躍しているラナ・ウォシャウスキーとも知り合うことができました。当時、エディ・レッドメインが彼女の作品に出演していたことがきっかけで出会ったんです。彼女もリリーの存在を知っていたので、いろいろと話を聞き、トランスジェンダーのことを幅広い意味で理解することができました。
20160317-lili-sub6-th.png

ーー先日、ラナの(元)弟、アンディ・ウォシャウスキーも性別適合手術を受け、「リリー」と名乗ることを公表していました。実際に、トランスジェンダーの方と接してみてどんな印象を受けたのか教えてください。 トム:非常に勇敢な人々だと思います。生きていく上で様々な差別を受けることがあるだろうし、周囲の環境に抑圧されることもあるでしょう。トランジションを認めていない国では、自分を解放することさえできない。しかし彼女たちには、そんな逆境の中に立たされていたとしても、自分のアイデンティティーを守るために行動できる闘志が備わっている。その闘志を胸に苦難を乗り越え、輝いている人たちの姿に私はとても惹かれました。 ーーこの作品がトランスジェンダーの方々に勇気を与える可能性は大きいと思います。 トム:本作が広く話題になることで、自身の性別を拒否することに抵抗を持たなくなる人が出てくるかもしれませんね。リリーは、あの時代に生まれたからこそ性別適合手術を受けることができました。つまり、現代に生きる私たちも、強い意志を持ってすれば自分を自由に解放することができるし、自分のアイデンティティーを追求することもできるということです。 ーー映画の舞台は約80年以上も前ですが、現代にも通じるメッセージが内包されている、と。本作は、絵画的な構図を意識した美しいカメラワークも特徴的だと感じました。 トム:アイナー時代のリリーとゲルダの職業が画家だったことと、彼らが描く美しい絵からインスピレーションを受けました。アイナーは風景画をワイドショットで描いており、一方ゲルダは人物をクローズアップするポートレイトを描いています。その二つの描き方を映像で表現しようと、本作を制作する最初の時点で決めていました。そして、その美しさを最初から最後まで維持し続けたいと考えていました。アイナーの辿る人生が、最後までリリーに対する美の追求だったことを表しているんです。 ーー二人が暮らす部屋の内装も素敵でした。 トム:彼女らがコペンハーゲンで暮らす部屋や光の演出は、デンマークに実在した画家、ヴィルヘルム・ハンマースホイの絵を参考にしています。青とグレーを基調とした部屋の中にただ人が立っている、厳格なスタイルを持つ絵が印象的です。
20160317-lili-sub3-th.png

ーー方、彼らがパリに移住してから暮らす部屋は、コペンハーゲンの部屋と比べて華やかな印象を受けました。 トム:パリのセットは、ラナのアイディアが活かされています。彼女は、リリーが出現するシーンの背景はアールヌーヴォのセットがいいんじゃないかとアドバイスをしてくれました。アールヌーヴォは直線と男性の拒絶がコンセプトになっているので、男性から女性に変わる背景としては、文脈としても、当時の歴史においても合っています。パリのシーンの撮影自体は、アール・ヌーヴォの美しい建物が数多く残っているブリュッセルで行いました。 ーーアイナーとリリーの内面の変化が装飾にも表れているんですね。鏡や水の反射を使った演出も多用されていた印象があります。 トム:水や鏡の反射には昔から興味がありました。自己投影もこの映画のテーマの中に含まれているので、水の中で揺らいだり途切れながら写っている姿は、トランスジェンダーのアイデンティティーに苛まれている登場人物の心情を表現していると言えます。水は変化のメタファーであると同時に、旅を意味します。本作でもコペンハーゲンの運河、パリのセーヌ川、ドイツのエルベ川がリリーの変化と旅路を象徴しているのです。 ーーアイナーが自分の中の女性性(リリー)を自覚するシーンは、演出が衝撃的でした。 トム:あのシーンはもともと脚本に含まれていて、リリーとアイナーが持つ肉体の複雑な関係を示す重要なシーンだと考えています。リリーの美しい肉体の中で唯一捉えがたい、衝動的な部分を隠すことで、リリーは初めて心から笑うことができた。その瞬間が重要だとエディも話していました。
20160317-lili-sub1-th.png

アリシア・ヴィキャンデル

ーーアリシア・ヴィキャンデルはアカデミー賞の助演女優賞に選ばれました。現場ではどんなやりとりを行いましたか? トム:ここ2年間、本作の撮影期間を含めて彼女は多忙を極めていました。とても忙しいのは知っていましたが、ゲルダになりきってほしいと彼女にお願いしました。同じく忙しいエディも頑張っているんだからって(笑)。君とゲルダのどこが違うのか、自分なりに考えほしいという話もしましたね。 ーーゲルダは男性的な要素を多く持っているキャラクターだったと思います。アリシアとゲルダの間には、どんな差異があったと感じましたか? トム:アリシアは聡明で、よく鍛錬された大きなハートを持っている役者です。幼い頃からバレエを続けてきた経験もあって、練習を繰り返すことに抵抗がないし、撮影でリテイクを何度繰り返しても揺るがない精神力を持っている。そんな内面的な強さはゲルダにも負けていないでしょう。ただ、ゲルダは1920年代に実在した力強い女性です。内面だけでなくボディーランゲージなど、男性的な要素を多く持っているところはアリシアとは全く違うところでした。時代を先取りする女流画家であり、夫のジェンダーを理解することに努力を惜しまない良き妻。たとえ夫を失うことになったとしても、決して犠牲者にはなろうとしない強靭さを最後まで彼女は守っていた。そんな心のしなやかさや慈愛の精神は、アリシアや僕とは比べものにならないくらい大きい。愛の天才であり、強靭なハートと意志を持つ女性だったんじゃないかと、アリシアと話し合いました。
20160317-lili-sub2-th.png

エディ・レッドメイン

ーーエディとは、『エリザベス1世 ~愛と陰謀の王宮~』『レ・ミゼラブル』に続き、3度目のタッグですね。 トム:エディは今回の役作りを一年間かけて行ったといいます。役者としてのプロ意識や集中力が高く、撮影期間中は休日にも演技をする時間がほしいと言っていました。本作を撮影している時期にオスカーの受賞式がちょうどあったのですが、受賞式の後は空港から撮影セットまですぐ戻ってきて、集中力を切らすことなく重要なシーンを演じてくれました。普通であればお祝いをするところですが、役者としての成功を収めても謙虚で、何事もなかったようにプロの仕事をしてくれたことが深く印象に残っています。 ーー監督は今後も、苦難を乗り越えていく人を描いていくのですか? トム:昔から複雑さを抱えているキャラクターや題材に興味を持っていました。映画に限らず現実においても、みんなの人生にそれぞれの障害があります。しかし、人間は愛の力や自分を変えていく力をもってして、人生の障害を乗り越え、一番自分らしい姿を獲得していく。そんな内面的な葛藤を描きたかった。かつて大学の恩師に、「内面の葛藤を描くことが本来のドラマで、人と人との間の葛藤を描くのはメロドラマなんだよ」と言われました。その言葉に習い、これからも本当のドラマを作り続けていきたいですね。 (取材・文=泉夏音) ■公開情報 『リリーのすべて』 公開中 監督:トム・フーパー 脚本:ルシンダ・コクソン 出演:エディ・レッドメイン、アリシア・ヴィキャンデル、ベン・ウィショー、アンバー・ハード、マティアス・スーナールツ 配給:東宝東和 原題:The Danish Girl /R15+ (C)2015 Universal Studios. All Rights Reserved. 公式サイト:lili-movie.jp

有村架純は涙腺を刺激する女優だーー『僕だけがいない街』で健気なヒロイン演じる

【リアルサウンドより】  NHK連続テレビ小説『あまちゃん』で、主人公の母・春子の若かりし頃を演じ、世の男性ファンの心を鷲掴みにした逸材、有村架純。アイドルを夢見て上京し、夢破れた少女の姿を健気に演じ切った彼女の最新作『僕だけがいない街』が、本日3月19日より公開されている。  発表されるや否や、その映像化を巡って争奪戦が繰り広げられたという三部けい原作のコミックは、“リバイバル”というタイムリープ能力で2006年と1988年を行き来する時空を超えたSFミステリー。
JP-photosub4-BOKU-th-th.png

 18年前に連続殺人犯の手によって殺害された、幼馴染みの同級生を、過去に戻って救う運命を背負った主人公・藤沼悟(藤原達也)が、様々な困難に苛まれながら、事件の解決に向けて突き進んでいく姿を描いている。有村架純が本作で演じているのは、主人公・悟のバイト先の同僚で、2008年パートに於いて重要な役割を担うヒロイン片桐愛梨だ。  SF小説や映画の世界ではポピュラーなタイムリープ物ではあるが、本作で描かれる“リバイバル”は、これまでの物とは少々違っている。最もポピュラーな『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『ターミネーター』といった作品では、主人公自身がタイムマシンを使い、過去や未来に直接乗り込んでいったが、“リバイバル”は肉体ではなく、意識だけが過去に戻る。『僕だけがいない街』では、現在(2006年)の記憶をもったまま、1988年の小学生の頃の肉体に戻る。そして、本作での特殊能力“リバイバル”は、自分の意思とは無関係に起こってしまう。  “リバイバル”という能力が発動されるタイミングは、悟の周りに関わる人間を救わなければならないという宿命とともに訪れる。そしてそれは、その事故(事件)を回避するまで何度も繰り返される。愛梨は、そのループに巻き込まれていく登場人物の一人だ。
JP-photosub3-BOKU-th-th.png

 両親を亡くし、親戚の家に居候しながら夢を叶えるため、ピザ屋でアルバイトをしている愛梨を、有村架純はその笑顔で周りを明るくするほど天真爛漫に演じる。そして悟のループに巻き込まれ、殺人事件に関わるようになってからは、主人公の悟以上に複雑な人生を歩んでいる少女・愛梨というキャラクターをシリアスかつ繊細に表現するなど、同一人物でありながら異なる運命の中にいる両者を、ごく自然に演じ分ける。  容疑者の逮捕ですでに解決されていたと思われていた事件が、18年後に再び動き出した事から悟のリバイバルが発動し、一気に小学生時代まで巻き戻されてからの展開は、スリリングで、タイムリープがもたらす時間軸の変化に対するもどかしさを強調する。  そこで登場するもう一人のヒロインであり、18年前に連続殺人犯の手によって殺害されてしまった少女、雛月加代を演じている鈴木梨央の大人顔負けの名演技も本作の見どころの一つだが、一度事件の解決に失敗し、再び2008年に戻ってきた悟を匿う、悟の唯一の理解者となったバイト仲間の愛梨の存在感は、特筆すべきものがあるだろう。  自らも殺人事件の容疑者として警察に追われる身となっても、他人に心を開かない悟を献身的に見守り、単なる同僚という関係から恋愛感情へ発展していく過程を、有村架純が繊細な表情で見事に演じている。その健気な姿に世の男性ファンは打ちのめされるだろう。  愛梨までも真犯人に命を狙われ、ボロボロに傷つきながらも、それでも悟を信じ続ける姿は、美しく、そして切ない。
JP-photosub1-rev-BOKU-th-th.png

 過去を修正することによって、新たなタイムラインが作られ、未来が変わってしまうのがタイムリープ物の常だが、それが主人公にとって幸福な展開になるのか、不幸になるのか、改編された世界が万人に幸福をもたらすという事は少ない。その歯がゆいジレンマを、『僕だけがいない街』は明確に描いた。  ヒロイン愛梨を演じた有村架純の明るい笑顔と、その表情から滲み出る芯の強さは、切ないクライマックスを更に昇華させる。愛するものを守るために“リバイバル”という特殊能力を使って、時に自らの身体を張ってまでも時空を超える悟の姿は多くの観客を魅了するに違いない。しかしそれ以上に2008年の悟を献身的に支え続ける愛梨の姿と、二人を待ち受ける映画オリジナルの結末は、確実に観客の涙腺を刺激するであろう。

『僕だけがいない街』予告映像

■鶴巻忠弘 映画ライター 1969年生まれ。ノストラダムスの大予言を信じて1999年からフリーのライターとして活動開始。予言が外れた今も活動中。『2001年宇宙の旅』をテアトル東京のシネラマで観た事と、『ワイルドバンチ』70mm版をLAのシネラマドームで観た事を心の糧にしている残念な中年(苦笑)。

高畑充希の“視線”はなぜ好感を持てる? 若手演出家が『東京センチメンタル』の演技から考察

【リアルサウンドより】  若手の脚本家・演出家として活躍する登米裕一が、気になる俳優やドラマ・映画について日常的な視点から考察する連載企画。第四回は、放送中のドラマ『東京センチメンタル』(テレビ東京)や『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ)などに出演しているほか、次クールのNHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』で主演を務めることも決定している、いまもっとも勢いのある女優のひとり、高畑充希の“視線”の演技を考察する。(編集部)  誰もが「人と話をするときは目を見て話しなさい」と言われた経験があるはずです。そして「人の目を見て会話が出来る人の方が正しい」と、どこかで意識づけられているのではないでしょうか。けれど、芝居の上手い俳優さんの中には目を合わせない人が案外多かったりします。目を合わせる事が苦手な人こそ、実はコミュニケーションに対する意識が高い人だったりもします。  ドラマ『東京センチメンタル』を鑑賞しながら、改めて高畑充希さんは「芝居が上手い人だな」と見入っていました。素敵なところがたくさんある人ですが、中でも今回は“目”の演技について考えたいと思います。  ドラマの中で高畑充希さん演じる須藤あかねは、よく目が泳ぎます。会話をする際、どう目を合わせていいか戸惑い、目を合わせられなかったりします。人に何かを伝えたいと言う感情よりも、何かが伝わり過ぎて相手を傷付けてしまったらどうしようと考える、優しさのある人物なのだと思います。
20150108_tokyo2-th.jpg

メイン写真とともに『東京センチメンタル』より

 日常においても、他者からの情報や感情を受信する能力が高い人ほど、中途半端な形で情報を送信する事を避けます。目を背けたり、泳いだりしてしまうのは、ある意味ではコミュニケーション能力が高いからこそ起こる現象だと言えるでしょう。  ドラマにおいてあかねは、色々とクリエイティブな活動に手を出している住田龍介に対し、才能がないとストレートに伝えてはいけないと言う気持ちから、いつものごとく目が泳ぎます。そんなあかねは龍介に「夢を諦めても死にはしない」と、初めて目を背けずに真っ直ぐ伝えます。目を見てものを言うことが、相手の感情を突き刺してしまうことを知っているあかねだからこそ、このシーンが愛と緊張感の両方を持った豊かな場面となるのです。  どう伝わるかを意識し過ぎて、本音を喋っていない女性は、“ぶりっ子”と陰口を叩かれてしまうケースがあります。逆に、何も考えずにただ思ったことを言える女性は、“天真爛漫”と称されたりもしますが、ときに鋭すぎる意見から“毒舌”と言われたり、場合によっては“空気を読めない”と言われるわけです。  他者とうまくコミュニケーションすることは本当に難しく、それゆえに奥深いものですが、高畑さんはそのバランスが絶妙だからこそ、同性からの支持も高いのではないでしょうか。“目が泳ぐ”ことも、バランス感覚のなせる技であり、かえって好感度を高める一因となっているはずです。  最近では、人の目を見て話せないと“コミュ障”なんて言われますが、人とずっと目を合わせるのは、お互いにとってむしろストレスにさえなります。高畑さんのように、ここぞと言う時だけしっかりと目を合わせるくらいの方が、ずっと素敵だと思います。 ■登米裕一 脚本家・演出家。映画『くちびるに歌を』CX『おわらないものがたり』NHK『謎解きLIVEシリーズ』などの脚本を担当。大学時代に旗揚げをした劇団『キリンバズウカ』の主宰も務める。個性豊かな登場人物たちによる軽快な会話の応酬を持ち味としており、若手作家の躍進著しい演劇界の中でも、大きな注目を集める。また演技指導家としても評価を得ており、現在多くのワークショップ依頼を受けている。 ■ドラマ情報 『東京センチメンタル』 2016年1月15日(金)24時12分より放送開始 監督:三木康一郎、今泉力哉、渡部亮平、日向朝子 出演者:久留里卓三、高畑充希、片桐仁、大塚寧々 脚本:松本哲也、ブラジリィー・アン・山田、新井友香 チーフプロデューサー:山鹿達也 プロデューサー:井関勇人、阿部真士、藤原 努 制作協力:ホリプロ 製作著作:テレビ東京 公式サイト:http://www.tv-tokyo.co.jp/tokyo_sentimental/

『あさが来た』丸メガネの「のぶちゃん」役で注目! 吉岡里帆の骨太な“女優魂”

【リアルサウンドより】  すでに全撮影が終了したことが報じられ、4月2日(土)の最終回に向けて、いよいよクライマックスへと突入しようとしているNHK連続テレビ小説『あさが来た』。このドラマの出演によって一気にブレイクした感のある「五代さん」ことディーン・フジオカの退場により、一時は騒然とした本作だが、その後、瀬戸康史演じる「成澤泉」(主人公“あさ”と女子大設立に奔走する教育者)、小芝風花演じる“あさ”の娘「千代」、森下大地演じる「眉山藍之助」(“あさ”の姉“はつ”の長男)、西畑大吾(関西ジャニーズJr.)演じる「眉山養之助」(“はつ”の次男)など、若手俳優たちが演じる新キャラクターを次々と投入。今月末には、「平塚明(のちの“平塚らいてう”)」役として、元AKB48の大島優子(!)の登場が予定されているなど、波瑠や玉木宏といったメインキャストはもとより、これまで以上にフレッシュな座組みのもと、「炭鉱経営」、「銀行設立」から、実業家=白岡あさ(波瑠)にとって最後の目標となる「女子大設立」に向けて、いよいよ盛り上がりを迎えている……というのが、『あさが来た』の現在の状況である。  ここで注目したいのは、そんな新キャラクターのひとりである「田村宜」……あさの娘「千代」が通う女学校で同部屋となり、今やあさの秘書見習いとして、ほぼレギュラー出演を果たすようになった、丸メガネの「のぶちゃん」こと吉岡里帆の存在だ。2月上旬に登場して以来、その素っ頓狂なキャラクターと、腹の据わった声、さらには「ボク」という一人称によって、お茶の間の注目を集めてきた彼女。何の気なしにその名前を検索して出現したグラビア画像に、思わず前のめった方々も、きっと多いのではないだろうか。ちなみに筆者がそうである。  1993年、京都出身の23歳。東映や松竹の撮影所がある太秦にほど近い場所で育ったため、幼少期より映画や演劇に親しみ、高校時代からは自らも女優の道を志し、さまざまな自主映画の撮影に参加。大学進学後、女優としての活動を本格化させた彼女は、『マンゴーと赤い車椅子』(2015年)で商業映画デビューを果たす。  とはいえ、彼女の存在が多くの人の目に留まったのは、2014年の10月にリリースされた、チャットモンチーのシングル「いたちごっこ」のミュージックビデオだったのではないだろうか。というか、記憶を辿るに、まさに筆者がそうだった。晴れやかな朝の目覚めから、軽やかにステップを踏んでにこやかに街を歩く吉岡。しかし、ふとした瞬間に起こす大胆な行動と、歌詞の世界に合わせて覗かせる神妙な面持ちが、ちょっと気になるミュージックビデオだった。というか、恥ずかしながら、この子が丸メガネの「のぶちゃん」であることに気づいたのは、かなり最近のことである。それを言ったら、ももいろクローバーZの面々が出演したことで話題となった、本広克行監督の映画『幕が上がる』(2015年)にも彼女は出演していた。ももクロの面々が所属する、高校演劇部の後輩のひとりとして。改めて観返してみたところ、結構な数のシーンに登場していたので、今さら驚いてしまった。台詞は少ないけれど。

チャットモンチー 『いたちごっこ』Short Ver.

 楚々とした面持ちでありながら、時折見せる表情に、何か複雑な内面を感じさせる女の子。それが彼女の第一印象だった。しかし、彼女の内面にある「女優魂」は、『勇者ヨシヒコ』でお馴染み福田雄一監督の映画『明烏 あけがらす』(2015年)で爆発する。古典落語に着想を得た、ある種のシチュエイション・コメディである本作。品川のホストクラブを舞台に、主演の菅田将暉をはじめ、ムロツヨシなど芸達者な役者たちが当意即妙な会話劇を繰り広げる本作で、ほぼ唯一の女性キャストでありヒロインでもある吉岡が見せたのは、三戸なつめもビックリの前髪パッツンのおかっぱ頭で躍動する、はっちゃけたコメディエンヌぶりだった。ほとんどドタバタ喜劇の主人公。そんな、ほぼ“体当たり”と言っていい役柄も、全力で演じてみせる女優、吉岡里帆。とにもかくにも、出番が増えれば増えるほど、その見た目とのギャップというか、意外と骨太な「女優魂」を感じさせるのが、彼女なのであった。  そんな彼女の最新出演作は、この3月19日(土)から公開される、石倉三郎主演の映画『つむぐもの』。老境に差し掛かった福井の紙すき職人を主人公としながら、彼を取り巻く介護の問題や外国人労働者の問題をも射程した本作で、彼女は石倉三郎演じる主人公をサポートし、突如彼の前に表れた韓国人の女性に翻弄される、生真面目な女性介護士役を演じている。どこか自信無さ気な佇まいはもちろん、その「発声」が、あまりにも「のぶちゃん」と違うので、本当に驚いてしまったけれど。というか、この映画『つむぐもの』の何よりの見どころは、『息もできない』(2008年)などで知られる韓国人女優、キム・コッピの圧倒的な演技力にあるのだが、そんな実力派女優との貴重な共演は、きっと彼女自身にも、多くのものをもたらしたことだろう。とはいえ、この映画の撮影は、『あさが来た』に大抜擢される以前のこと。NHK連続テレビ小説への出演を通じて大きく状況が変わったであろう彼女の女優としての真価が問われるのは、いよいよこれからなのだ。そこに飛びこんで来たのが、この4月17日(日)からスタートする、宮藤官九郎脚本のテレビドラマ『ゆとりですがなにか』への出演だ。岡田将生、松坂桃李、柳楽優弥といった当代の人気俳優たちが一堂に会するなか、彼女はそこにどんな爪あとを残してくれるのだろうか。心して観たいと思う。 ■麦倉正樹 ライター/インタビュアー/編集者。「CUT」、「ROCKIN’ON JAPAN」誌の編集を経てフリーランス。映画、音楽、その他諸々について、あちらこちらに書いてます。 ■ドラマ情報 『あさが来た』 NHK総合テレビ 月〜土 午前8:00〜8:15(総合テレビ) 月~土 午後0:45~1:00(総合テレビ)※再放送 BSプレミアム 月~土 午前7:30~7:45(BSプレミアム) 月~土 午後11:00~11:15(BSプレミアム)※再放送 出演:波瑠、玉木宏、ディーン・フジオカ、山内圭哉、友近、桐山照史、楠見薫、竹下健人、杉森大祐、郷原慧、畦田ひとみ、梶原善、風吹ジュン 語り:杉浦圭子 原作・脚本:大森美香 公式サイト:http://www.nhk.or.jp/asagakita/