『バットマン vs スーパーマン』、キャストと監督が2大ヒーローを語る2種類の特別映像を公開

【リアルサウンドより】  バットマンとスーパーマンの世紀の対決を描いた映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』より、2種類の特別映像が公開された。  本作は、『マン・オブ・スティール』のザック・スナイダー監督がメガホンを取ったアクション映画。3月25日に日米同時で公開され、全世界興収では、スーパーヒーロー映画史上No.1のオープニングを記録した。2種類の特別映像は、映画の大ヒットを記念して公開されたもの。バットマンを演じるベン・アフレックと、スーパーマンを演じるヘンリー・カヴィルが、それぞれのヒーローが抱える心理的な葛藤と、彼らが衝突する理由を語っている。

映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』特別映像 バットマン編

 “バットマン編”と題された映像では、バットマン役のアフレックが、「今回のバットマンは過去の作品に比べ、歳を重ね、世界に幻滅している」と、過去作との違いを明かしている。一方、スーパーマン役のカヴィルは、「本作のバットマンは容赦がない」と語る。アフレックの「守るべきものがある2人のヒーローが対決する」というコメントとともに、バットマンとスーパーマンの戦いの模様が描かれていく。

映画『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』特別映像 スーパーマン編

 “スーパーマン編”では、カヴィルとアフレックに加え、スナイダー監督やマーサ・ケント役のダイアン・レインも登場。スナイダー監督は、「スーパーマンの行動が非難を生むこともある。常に善の側ではいられない」と話し、レインは「スーパーマンは人の心を持つからこそ苦しむの」と、それぞれがスーパーマンの葛藤を分析している。 ■公開情報 『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』 公開中 監督:ザック・スナイダー 脚本:クリス・テリオ and デイビッド・S・ゴイヤー 製作:チャールズ・ローブン、デボラ・スナイダー 製作総指揮:クリストファー・ノーラン、エマ・トーマス、ウェスリー・カラー、ジェフ・ジョンズ、デイビッド・S・ゴイヤー 出演:ベン・アフレック、ヘンリー・カヴィル、エイミー・アダムス、ジェシー・アイゼンバーグ、ダイアン・レイン、ローレンス・フィッシュバーン、ジェレミー・アイアンズ、ホリー・ハンター、ガル・ガドット 配給:ワーナー・ブラザース映画 (c)2016 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC., RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC AND RATPAC ENTERTAINMENT, LLC 公式サイト:http://wwws.warnerbros.co.jp/batmanvssuperman/

映画業界に生きる“いかがわしい人々”の愛嬌ーー『下衆の愛』に滲み出た映画愛を読む

【リアルサウンドより】 「一回味わうと抜け出せねぇぞ。シャブよりもタチが悪いからな、映画っていうのは」──古舘寛治演じる映画監督が、新人女優にそう囁く通り、『下衆の愛』は映画を愛し、その底なしの深みに耽溺してしまった人々をシニカルに取り上げたコメディ映画である。「監督とプロデューサーは全員クソヤロー!」と銘打たれているように、芽が出ないまま性格をこじらせた“下衆”な映画人たちの姿がブラックかつコミカルに描かれる。主演は2015年映画出演本数11本を誇り現在最も注目される俳優・渋川清彦。野心的な新人女優役を岡野真也が務め、ある種ファム・ファタールとも言える役柄に挑戦している。ほか、細田善彦、忍成修吾、でんでん、内田慈、津田寛治、古舘寛治、木下ほうか等、近年の日本のインディペンデント映画を中心で盛り上げている個性豊かな俳優が数多く出演。第28回東京国際映画祭「日本映画スプラッシュ」部門、第45回ロッテルダム映画祭での上映を経て、4月2日より公開される。すでに海外配給や各国の映画祭での上映も決定している。近頃、“下衆”という言葉が流行語のようになっているが、本作からは不快な印象をほとんど受けない。むしろ、卑しく品性に欠いた行動を取ってしまう人間に対して、決して愚かな面を断罪して咎めようとするのではなく、もっとおかしみや愛嬌を見出そうとしているように思える作品である(それは作り手たちが、オックスフォード英語辞典に“下衆”という日本語を「下劣なこと、もしくはその人、しかし愛嬌がある」という意味合いで申請したことからもわかるだろう)。(参考:「GESU(ゲス)」を英語辞典に採用申請へ 「下衆の愛」の渋川清彦「ゲスは悪い言葉ではない」
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 映画は、前の晩に関係を持ちそのまま眠ってしまったと思しき真っ裸の男女が、朝になり目覚めるところからはじまる。男が自宅に連れ込んだスタイルの良い女(卯水咲流)は先に起き、そそくさと衣服を着て荷物をまとめると、男がまだ寝ぼけ眼のなか、言葉少なに帰っていく。生々しい雰囲気で自堕落な生活を送っている39歳の男の生態が捉えられるが、この男こそ主人公の自称・映画監督のテツオ(渋川清彦)だ。テツオは過去に映画祭で受賞した経験を持つことが唯一の自慢で、その後は満足に映画を撮っていないまま、現在まで実家に寄生しつづけており、監督とは名ばかりの、いわばパラサイト・ニートである。  テツオは後輩で助監督も務めるマモル(細田善彦)がハメ撮り(!)して稼いできたお金をピンハネしながら、役者志望者を集ってはワークショップを自ら主催している。彼の周りには、うだつのあがらない俳優や胡散臭いプロデューサーたちばかりが集まっている。飲み会で知り合った監督やプロデューサーに近づいては枕営業を試みることに賭ける──寝る前にその相手がどのような実績があるか、最近は活動しているのかなどを入念に調査する──女優の響子(内田慈)がいれば、逆に自分の作品に出してやるとそそのかして女性に性的行為を求める監督やプロデューサーがいる。このように、本作に登場する映画業界の人々の人物像は、それぞれ売れない監督や俳優たちの戯画になっているのである。そこには、「週刊プレイボーイ」ライターを経て、脚本家、映画監督となったキャリアを持つ内田英治らしいゴシップ的な俗っぽい観点があらわれているだろう。  新人女優にすぐに手を出す映画監督、ハメ撮りで生計を立てる助監督、枕営業にチャンスを賭ける打算的な女優、セクハラ&パワハラするプロデューサー……『下衆の愛』は、観客がたしかにどこかで噂を見聞きしたことがあるような映画業界のダーティなイメージを少し誇張的に戯画化してコメディ・タッチの中で取り扱っている。たとえば、バンドマンの彼氏の安定を求めない“ロックな“生き様に惚れていたのに、彼から音楽を辞めて働くと宣言されてしまった女の子カエデ(山崎祥江)のキャラクター設定は(いささか観念的ではあるが)好ましく映る。バンドマンの彼氏がほかの男たちと同じ“つまらない大人”になってしまったことに失望した直後、彼女は居酒屋のトイレでテツオが女を連れ込んで大胆にも行為に及んでいるところに遭遇し、彼に一目惚れしてしまうのである。あるいは、とにかく映画にはふんだんに濡れ場を盛り込め!と煽っていた団塊世代のプロデューサー貴田(でんでん)が、突然、裸よりも「犬や猫が死ぬ映画が今は売れる」と言い出す様は、実に粗雑なプロデューサーのいかがわしい 面があらわされている。この多分にコミカルだけれど、実際にいるかもと思わせる塩梅でキャラクターを造形しているのが、内田の上手いところだろう。また、売れない俳優の一員に元劇団員だったことで知られる芸人のマツモトクラブが紛れていたり、テツオの妹でネットに自身のエロ動画をアップしている女子高生をAV女優の川上奈々美が演じていることも、さらなる説得力をもたらしているかもしれない。こういった細部まで目を配らせた俳優陣へのアプローチとひとりひとりの好演が、映画におかしみと愛嬌を宿らせているのである。  しかし思うに、テツオという人物を見ていると、彼にとってワークショップを開くことは映画を作るためではなく、むしろ金を集めたり女と出会うためのものでしかなくなっているのかもしれない。いまやテツオは、ワークショップに参加してきた若い女の子や才能のない女優と寝るための名目として、「映画」の名を使っているだけに過ぎないのだ。テツオの下衆さは、彼のだらしなさや甲斐性のなさにあるのではなく、映画への冒涜した態度にあるのである。かつて抱いていた映画製作への情熱を失いかけていたテツオの元に、ふたりの才能ある若者──脚本家志望のケン(忍成修吾)と女優志望のミナミ(岡野真也)──が訪ねてきたことで、徐々に彼はその胸の内にあった映画作りへの純真な気持ちを再燃させていく。
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 テツオが稽古場で新人のミナミに対して、手をグーにしたら「好き」と、パーにしたら「嫌い」と言葉を発させるよう演技指導をする場面は、彼のミナミへの熱心な期待を感じさせると同時に、その行為の中に見られるモラル上の問題をもアイロニカルに示唆する印象的な場面だ。演出家として納得のいく芝居がまだまだ引き出せていないと考えるテツオは、いきなり彼女の胸を揉みしだく。すると、ミナミは激しい嫌悪感を露わにするが、それによって前よりもはるかに憎しみのこもった「嫌い」という言葉を涙を流しながらもテツオにぶつけられるようになる。つまり、テツオは真に迫った演技を引き出すために胸を揉んだのだ。“下衆”な行為でありながら、結果だけを見ればそれは演技指導の効果を発揮しているとも言うことができるのかもしれない。しかし、果たしてそれはセクハラではないのだろうか……? そんなことを考えさせるのだ。  また、稽古場でミナミに対して熱心に演出するテツオの後ろでは、それに何の興味関心もないような目で彼女の演技を見ているほかの役者たちがいる。ここではほとんどの人物が、損得のためでしか人を見ていないのだ。映画のためにいつのまにか監督やプロデューサーは権力を振りかざすようになり、女優は映画の仕事を得るためなら進んでその犠牲者にすらなっていく。純真で汚れのなかった新人女優ミナミは、大物に取り入っていくことで横柄な売れっ子女優へとのしあがっていく──まるで罪を重ねていくかのように。
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 ここで興味深いのは、日本映画業界に巣食ういかがわしい人々やそれにまつわるエピソードの数々について、内田が自分の身近なスタッフや役者から見聞きしたもので創作したと言う一方で、渋川は本作を一種の「ファンタジー映画」と語っていることだ。自分の周りでこのような人たちを実際に見たことはない、というのがその理由である。たしかに上述したように、ありそうでなさそうな絶妙なリアリティラインで描かれているからこそ、観客はある種ファンタジー映画のようにして、映画人たちのひねくれた一途さを滑稽なものとして微笑ましく見ることができるのかもしれない。  そしてやはり、現在の日本の映画作りの現場というものの矛盾や皮肉を描いたブラックなコメディとして『下衆の愛』が成立している最も大きな要因は、主演の渋川清彦の放つ魅力である。いい年になっても世間から注目を集める映画に不平ばかり吐いて、ろくに作品も撮れてこなかったテツオは、“商業主義”に走って魂を売ることを毛嫌いしている。“俺は魂を売ってこなかった”と心の中で理由をつけて納得することで、彼は楽天的な態度の裏でプライドだけは守ってきていたのだろう。一方では、それは全く芽の出ることない自分の才能を慰めていた言い訳とも言える。しかしもう一方では、金儲けにあまり罪悪感も持っていないほかの登場人物たちとは異なる、純粋なまでの愚かしさが彼の中にあるとも言えるのではないだろうか。思うに、渋川の飄々とリラックスしていて親密感のある演技と、彼の持つ身体性こそが、本作を滑稽たらしめているのである。テツオは誰よりも軽薄な人物ではあるが、彼がなにを喋ろうと、長い手足でルパン三世がそのまま飛び出してきたかのような風貌と甲本ヒロトを彷彿とさせる屈託のない笑顔からは、人間臭い愛嬌とその純粋な愚かしさが滲み出ているのだ。
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 そのような渋川のいい大人でありながらも決して子ども心や遊び心を忘れていない“あんちゃん”的なキャラクター性によって、映画は業界のある種汚い側面を戯画して描きながらも、あくまでも楽天的なムードをまとっている。日本のインディーズ映画シーンであがく者たちの姿は、映画作りの世界に淫した負け犬たちのように映るかもしれない。しかし、ジョン・カサヴェテスやカート・コバーン、ラモーンズに憧れ続け、40歳になるまで夢を諦めきれなかったテツオには、愚かなまでのピュアな映画への信仰心が感じられる。いつまでもプライドだけは持ち続けていた諦めの悪い男が、ただひとりのヒロインを求め、それをかなぐり捨て土下座することは、冒涜してしまった映画そのものへの懺悔なのである。  彼らは、映画しか愛せないどうしようもない人間であり続けるのだろう。たとえその愛が報われなかろうと。 (文=常川拓也) ■公開情報 『下衆の愛』 2016年4月2日(土)よりテアトル新宿レイトショーほか全国順次公開 (C)third window films 配給:エレファントハウス  製作会社:サードウィンドウフィルムズ 宣伝:フリーストーン  2015年/日本/110分/カラー  公式サイト:http://www.gesunoai.com

『あさが来た』では玉木宏のお母さんに なぜ風吹ジュンは“母親役”で重宝される?

【リアルサウンドより】  福山雅治、木村拓哉、長谷川博己、玉木宏、綾瀬はるか、北川景子、上野樹里……これ、何のリストか分かります? 実はこれ、ここ5年ほどのあいだに風吹ジュンが、その「母親」を演じてきた役者のリストなんです。というか近年、ドラマや映画の中で「母親=風吹ジュン」の姿を見る機会がとても増えているように思えるのは、決して気のせいではないのです。たとえば、NHK連続テレビ小説『あさが来た』。波瑠演じる主人公「あさ」が嫁いだ先……すなわち玉木宏演じる「白岡新次郎」の母親「白岡よの」を演じたのは、風吹ジュンでした。あさの破天荒な言動に当初は戸惑いつつも、やがてあさの良き理解者として、新次郎ともども、あさを支える存在となった「よの」。彼女の存在がこのドラマに、ある種の安定感とほっこりとした温かさをもたらせていたのは、多くの人が認めることでしょう。そして、先日最終回を迎えた香取慎吾主演のドラマ『家族ノカタチ』。上野樹里演じるヒロイン「葉菜子」の母親「律子」を演じていたのもまた、風吹ジュンでした。その第8話、葉菜子がどうしても言い出せなかった離婚の理由(不妊)を律子に告白するシーン。それは観る者が思わず涙してしまうほど、感動的な「母と娘」のシーンに仕上げられていました。  主人公もしくは主人公の相手役の母親を、風吹ジュンが演じること。それは何も今に始まった話ではありません。昨年、杏主演のドラマ『デート~恋とはどんなものかしら~』で、長谷川博己演じるもうひとりの主人公「巧」の母親役を演じていたのも、風吹ジュンでした。高等遊民を気取るニートである巧を、突き放すことなく見守りながら同居する母親。このドラマの「母と息子」のシーンにも、何度か目元を潤ませた記憶があります。さらに次のクールでは、木村拓哉主演のドラマ『アイムホーム』で、木村拓哉扮する主人公「家路久」の母親として登場。記憶を失くした主人公に、以前と変わることなく接する姿が、とても印象的でした。名作の影に「母親=風吹ジュン」の姿あり。これはもはや、ある種「鉄板の法則」といっても過言ではないでしょう。しかし、一体いつ頃から、彼女はこれほどまでに八面六臂の「母親ぶり」を各所で披露するようになったのか。まずはその前に、40年を超える彼女のキャリアを駆け足で振り返ってみることにしましょう。  1973年、初代「ユニチカマスコットガール」に選出され、芸能界入りした風吹ジュン。その翌年には歌手デビューも果たした彼女の魅力は、何と言ってもそのコケティッシュで愛らしい表情と抜群のスタイルにありました。とりわけ、村川透監督の映画『蘇る金狼』(1979年)で、彼女が松田優作相手に演じた濃厚なラブシーンは、のちのちまで語り継がれるほど、実にセンセーショナルなものでした。以降、本格派の「女優」として、数え切れないほど多くの映画やドラマに出演している彼女ですが、その役柄は「謎めいた美女」から、やがて「可愛らしい妻」へと転じていきました。そんな「可愛らしい妻」役として、彼女の代表作のひとつに挙げられるのが、竹中直人監督主演の映画『無能の人』(1991年)です。この映画で彼女は、竹中演じる主人公の妻役を演じ、見事ブルーリボン賞をはじめ各映画賞で助演女優賞を受賞します。そして、中原俊監督の映画『コキーユ・貝殻』(1999年)。この映画で、小林薫と繰り広げた「大人の恋愛」も、非常に印象的なものでした。ちなみに、この年彼女は、原田眞人監督の映画『金融腐蝕列島 〔呪縛〕』で、役所広司演じる主人公の妻役も好演し、そのいずれもが高い評価を獲得するなど、今日に至る「演技派」女優としての彼女の立ち位置は、この時期にもはや完全に確立されたと言えるでしょう。  そして近年、彼女はその役柄を、「美しい妻」から「温かい母親」へとシフトさせていきました。そこには、90年代から彼女が長らくキャラクターを務めてきた頭痛薬、「ナロンエース」のテレビCMのイメージも影響していたかもしれません。いつまでも美しくて可愛らしいお母さん。それは今日まで脈々と続く、彼女にとって新たなハマり役となったのです。たとえば、是枝裕和監督の映画『そして父になる』(2013年)。そこで彼女は、福山雅治演じる主人公の継母という難しい役どころを、情感たっぷりに演じていました。さらに、塩田明彦監督の映画『抱きしめたい-真実の物語-』(2014年)で、北川景子が熱演した身体の不自由な主人公を温かく見守り続ける、やさしい母親役も風吹ジュンが演じていました。名作の影に「母親=風吹ジュン」の姿あり……は、映画の場合も同様です。一方、同時期のテレビドラマに目を転じてみれば、2013年、綾瀬はるかが主演したNHK大河ドラマ『八重の桜』で、彼女は綾瀬はるか演じる「八重」の母を演じ、強い印象を残しています。そして、その後の「母親=風吹ジュン」の留まることのない勢いは、先述の通りです。  しかし、なぜ彼女がこれほどまでに「母親」役として重宝されるのでしょうか。そこで思うのは、彼女が演じる「母親」は、言わば「飾り物」としての役どころではなく、要所要所に必ず「息子/娘」と心を通い合わせる、エモーショナルな名シーンがあるということです。激しい感情のぶつかり合いというよりも、泣きながら笑い合うように、ジワリと心を通わせる「母と子」のシークエンス。そんな場面で彼女は、他の誰よりも魅力的な輝きを打ち放つのです。福山雅治、木村拓哉、長谷川博己、玉木宏、綾瀬はるか、北川景子、上野樹里……たとえ、どんな「息子/娘」であろうとも、「彼/彼女」がどんな状況に陥ろうとも、そのすべてをやさしく受けとめてくれる、「母親=風吹ジュン」の包容力。しかも、それらの役どころを、決してありがちな「母親像」に落とし込むことなく、個別の状況や関係性のなかを生きてきた「ひとりの女性」の現在として、きっちり繊細に、なおかつ可憐に演じてみせること。ひょっとすると我々は、そこに女優「風吹ジュン」のキャリアを、どこか重ね合わせながら観ているのかもしれません。 ■麦倉正樹 ライター/インタビュアー/編集者。「CUT」、「ROCKIN’ON JAPAN」誌の編集を経てフリーランス。映画、音楽、その他諸々について、あちらこちらに書いてます。

『いつ恋』も『ダメ恋』もハッピーエンドに 冬ドラマ最終回の“傾向”を読み解く

【リアルサウンドより】  3月も残りわずかとなり、年明け1月スタートの主要ドラマが終了した。今期を振り返る上で挙げておきたいのが、ハッピーエンドの多さ。  たとえば、恋愛ドラマでは『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(フジテレビ系)、『ダメな私に恋してください』(TBS系)、『お義父さんと呼ばせて』(フジテレビ系)、『スミカスミレ』(テレビ朝日系)、『家族ノカタチ』(TBS系)の恋が成就。刑事ドラマでも、『ヒガンバナ』(日本テレビ系)、『スペシャリスト』(テレビ朝日系)、『警視庁ゼロ係』(テレビ東京系)の事件や謎が解決した。  さらに、製薬会社の悪事を暴き、メンバーが元に戻った『フラジャイル』(フジテレビ系)。結果的に誰も死なず、名作を書き上げた『ちかえもん』。(NHK)、誘拐事件解決に加え、主人公が夢への一歩を踏み出した『悪党たちは千里を走る』(TBS系)など、最終回に大団円を迎える作品が目立った。  特筆すべきは、「後味の悪い結末にしかならないだろう」と思われていた『ナオミとカナコ』(フジテレビ系)と『わたしを離さないで』(TBS系)も、「主人公に救いを、視聴者に希望を感じさせる」結末だったこと。特に『ナオミとカナコ』は、「殺人の罪を犯したWヒロインが捕まったのか? それとも逃げ切ったのか?」、どちらとも取れる曖昧なラストカットが物議を醸した。これは制作サイドが、「3か月間楽しく見てきたドラマを暗い気持ちで締めくくりたくない」という視聴者心理を汲み取ったからだろう。  “どちらとも取れる曖昧なラストカット”という点では、『怪盗 山猫』(日本テレビ系)と『火村英生の推理』(日本テレビ系)も同じ。「主人公は死んだのか? それとも死んでないのか?」、視聴者を戸惑わせるようなラストカットだった。  終了後、当然のように賛否両論の声がネット上にあふれたが、「視聴者の想像に任せる」という終わり方は、もともと連ドラの定番。「無理に作り手の思いを押しつける」わけでも、「視聴者の願望に迎合する」わけでもないバランスの取れた方法なのだが、この結末も「バッドエンドを避けよう」という発想から選ばれたのではないか。  思えばちょうど一年前の春、相棒・甲斐享(成宮寛貴)が犯罪者だった『相棒』(テレビ朝日系)、ヒロイン・ひかり(柴咲コウ)が不良に絡まれて事故死する『〇〇妻』(日本テレビ系)、悲運の主演2人が相次いで死んだ『ウロボロス』(TBS系)など、後味の悪いバッドエンドが続出。とりわけ『相棒』『〇〇妻』には「ありえない」「時間を返せ!」などの批判的な声が相次ぐ騒動になった。  以降、連ドラの結末は視聴者心理に配慮したハッピーエンドが増えていたが、今期はその傾向がますます加速。しかし、制作サイドとしては、「ただのハッピーエンドではつまらない」ため、ラストカットに含みを持たせるなどの思いや工夫を施したのだろう。  連ドラはこのままハッピーエンドばかりになってしまうのか? その答えはノー。少なくとも私が取材する限り、制作サイドは「ハッピーエンドは1つの形に過ぎない」という意識を持っているし、「それが定番になりすぎると、予定調和でハラハラドキドキのない作品ばかりになってしまう」と危惧している。  おそらく「今は視聴者の反応を見ながら、試行錯誤をしている」という段階なのだろう。だからこそ視聴者としては、ハッピーエンドではない結末に批判の声をあげるだけではなく、制作サイドの思いや工夫を考えるゆとりを持ちたいところ。そんな姿勢こそが制作サイドの意識を高め、作品の質を高めることにつながるからだ。また、そもそも「結末が予想できない作品があるからこそ、定番のハッピーエンドが際立つ」ということも忘れてはいけない。  ここまで連ドラの結末にクローズアップして書いてきたが、今期は視聴率こそ低調だったものの、多彩なジャンルの良作が多かった。ここ数年間、一話完結の痛快さを売りにした作品が増えるなど、画一的になりがちだった連ドラ界に多様性を取り戻してくれたような気がする。各局には、現代の指標としては疑問の残る視聴率にとらわれすぎず、見応えのある作品を手がけてほしいと切に願う。 ■木村隆志 コラムニスト、芸能・テレビ・ドラマ解説者、タレントインタビュアー。雑誌やウェブに月20~25本のコラムを提供するほか、『新・週刊フジテレビ批評』などに出演。取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーでもある。1日のテレビ視聴は20時間(同時視聴含む)を超え、ドラマも毎クール全作品を視聴。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』など。

岩井俊二『リップヴァンウィンクルの花嫁』“3時間の長尺”から伝わる意志

【リアルサウンドより】  3時間である。映画としては、間違いなく、長い。なぜ映画は90〜120分ぐらいの作品が多いのか、映画館の編成都合(回転率)や人間の集中力の問題など諸説あるが、具体的な理由はともかく、映画は娯楽のひとつに過ぎず、デートなり家族サービスなりといった実際の用途を考えれば、2時間以内というのは妥当なセンなのだろう。映画を観るためだけに街へ繰り出す人は少ないだろうし、買い物をしたり外食したりという時間のことも考えると、やはり長すぎる作品は選択肢から外されるリスクがあるわけだ。岩井俊二というブランドをもってしても、製作サイドは覚悟が必要な尺だろう。つまり、自分をめがけてやって来る者を求めているのが、この『リップヴァンウィンクルの花嫁』とも言えるのだ。  長い作品ではあるが、まったく退屈はしない(と思う)。物語の展開が予想外に転がっていくため、ほぼ一定の緊張感があり、ボンヤリとしている暇はない。時折訪れる、ゆったりとしたシークエンスも、美しい映像や、自分に問いかけられているようなセリフで、飽きさせない。
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 また、この3時間が、おおむね1時間ごとに彩りを変えるということも、見続けていられる大きな理由だろう。  最初の1時間は、2016年のリアリティ。生きづらさというとおおげさだが、日常的な些末な事象(諸事情により、結婚式を2度やった私は、結婚式の準備シーンなど、本当に「ある! ある! 」でした…)とそれに対して(恐らく誰もが)何となく感じる疑問を丁寧に拾いながら、コミュニケーション齟齬によって、脆くも破たんしていく人間関係を描く。  中盤は、現代のファンタジー。ひょっとしたらこんなことあるかもしれない、本当にあったらいいなと思わせる素敵なモラトリアムの時間。皆川七海(黒木華)と里中真白(Cocco)が楽しそうにしている空間を永遠に覗いていたいと思わせる。  そして最後は、普遍的な愛の話。人を想うって素敵やんということを改めて気づかせてくれる。(どうでもいいのですが、女性はどうだか知りませんが、最近、精通前に感じたあの恋心こそ、本当の愛ではないかと考えていたのですが、そう単純なことでもないなと気づかせてくれました)  キャスティングも素晴らしくハマっている。主演の黒木華は言うに及ばず、個人的には、得体のしれない便利屋の安室行舛(あむろ ゆきます)(飄々としながら、ソコが深いのか浅いのか、善人か悪人か、結局よくわからず、でも現実は、真っ白な善人も真っ黒な悪人もいないわけで)を演じた綾野剛、AV女優のマネージャー恒吉冴子(もしかしたら、冴子自身も元AV女優でいろいろ苦労したのかなとか、演者本人の経歴もオーバーラップし、深みを感じさせられます)役の夏目ナナ、そして文字通り体当たりの演技を見せてくれる里中珠代役のりりィが素敵で。  とはいえ、無礼を承知で言えば、綾野剛がいなければ、いや、いたとしても、かなり地味なキャスティングであることは否めないだろう。しかし、それでも、この布陣で臨んだことは、3時間の尺とともに、ある種の決意を感じざるを得ない。例えば、昨今のひとつのトレンドである「人気の少女漫画を原作に、若手俳優をキャスティングし、ターゲットを絞って、低予算で制作する」といった方程式とは、180°異なっているからだ。(むろん、どちらが正しいとか偉いとかいうわけではない)  大げさに言うのなら、本作は、「日本で、映画は、暇つぶしの娯楽でしかないのか、芸術作品たり得るのか」という、ある種の古典的な問いかけを行っているのだ。古めかしい言い方をすれば、商業主義VS作家主義といった構図の話になる。  1950年代後半から始まるフランスの「ヌーベルバーグ(新しい波という意味)」運動や、1960年代のアメリカにおける「アメリカン・ニューシネマ」の勃興など、巨大資本による娯楽ではなく、作家個人の芸術として映画を成立させてきた流れがある。日本でも、1960年代から、ATG(日本アート・シアター・ギルド)によって同様の動きがあり、大島渚・新藤兼人・今村昌平・市川崑・鈴木清順・寺山修司・田原総一朗らが、作品を発表してきた。
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 どのような映画も興行に依って立つ以上は、非商業主義ということはあり得ないわけで、じゃあ作家主義とは何かと問われれば、(低予算で暗く重い難解な作品ということでもなく、知名度のある監督の作品ということでもなく)「作り手が鑑賞者の価値観を揺さぶる意思を強く持っていること」と言えるのではないか。そういった意味では、『リップヴァンウィンクルの花嫁』は間違いなく、作家主義的な作品と言えるだろう。とはいえ、本作に限らず、岩井俊二作品は間口が広く、価値観をグリグリと強引に揺さぶってくる作風ではないので、気軽に、観てみて欲しい、3時間を覚悟して。(本作が商業的に大きな成功を収めることで、ややもすれば閉塞しがちな状況に、新しい局面が少し生まれるかもしれない) ■昇大司 1975年生まれ。広告代理店にて、映像作品の企画などを行う。好きな映画は『アマデウス』『ラストエンペラー』『蜘蛛巣城』など。Twitter ■公開情報 『リップヴァンウィンクルの花嫁』 2016年3月26日公開 監督・脚本:岩井俊二 出演:黒木華 綾野剛 Cocco 原日出子 地曵豪 毬谷友子 和田聰宏 佐生有語 夏目ナナ 金田明夫 りりィ 原作: 岩井俊二『リップヴァンウィンクルの花嫁』(文藝春秋刊)2015 年12 月4 日発売 制作プロダクション:ロックウェルアイズ (c)RVW フィルムパートナーズ(ロックウェルアイズ 日本映画専門チャンネル 東映 ポニーキャニオン ひかりTV 木下グループ BSフジ パパドゥ音楽出版) 公式サイト

岩井俊二『リップヴァンウィンクルの花嫁』“3時間の長尺”から伝わる意志

【リアルサウンドより】  3時間である。映画としては、間違いなく、長い。なぜ映画は90〜120分ぐらいの作品が多いのか、映画館の編成都合(回転率)や人間の集中力の問題など諸説あるが、具体的な理由はともかく、映画は娯楽のひとつに過ぎず、デートなり家族サービスなりといった実際の用途を考えれば、2時間以内というのは妥当なセンなのだろう。映画を観るためだけに街へ繰り出す人は少ないだろうし、買い物をしたり外食したりという時間のことも考えると、やはり長すぎる作品は選択肢から外されるリスクがあるわけだ。岩井俊二というブランドをもってしても、製作サイドは覚悟が必要な尺だろう。つまり、自分をめがけてやって来る者を求めているのが、この『リップヴァンウィンクルの花嫁』とも言えるのだ。  長い作品ではあるが、まったく退屈はしない(と思う)。物語の展開が予想外に転がっていくため、ほぼ一定の緊張感があり、ボンヤリとしている暇はない。時折訪れる、ゆったりとしたシークエンスも、美しい映像や、自分に問いかけられているようなセリフで、飽きさせない。
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 また、この3時間が、おおむね1時間ごとに彩りを変えるということも、見続けていられる大きな理由だろう。  最初の1時間は、2016年のリアリティ。生きづらさというとおおげさだが、日常的な些末な事象(諸事情により、結婚式を2度やった私は、結婚式の準備シーンなど、本当に「ある! ある! 」でした…)とそれに対して(恐らく誰もが)何となく感じる疑問を丁寧に拾いながら、コミュニケーション齟齬によって、脆くも破たんしていく人間関係を描く。  中盤は、現代のファンタジー。ひょっとしたらこんなことあるかもしれない、本当にあったらいいなと思わせる素敵なモラトリアムの時間。皆川七海(黒木華)と里中真白(Cocco)が楽しそうにしている空間を永遠に覗いていたいと思わせる。  そして最後は、普遍的な愛の話。人を想うって素敵やんということを改めて気づかせてくれる。(どうでもいいのですが、女性はどうだか知りませんが、最近、精通前に感じたあの恋心こそ、本当の愛ではないかと考えていたのですが、そう単純なことでもないなと気づかせてくれました)  キャスティングも素晴らしくハマっている。主演の黒木華は言うに及ばず、個人的には、得体のしれない便利屋の安室行舛(あむろ ゆきます)(飄々としながら、ソコが深いのか浅いのか、善人か悪人か、結局よくわからず、でも現実は、真っ白な善人も真っ黒な悪人もいないわけで)を演じた綾野剛、AV女優のマネージャー恒吉冴子(もしかしたら、冴子自身も元AV女優でいろいろ苦労したのかなとか、演者本人の経歴もオーバーラップし、深みを感じさせられます)役の夏目ナナ、そして文字通り体当たりの演技を見せてくれる里中珠代役のりりィが素敵で。  とはいえ、無礼を承知で言えば、綾野剛がいなければ、いや、いたとしても、かなり地味なキャスティングであることは否めないだろう。しかし、それでも、この布陣で臨んだことは、3時間の尺とともに、ある種の決意を感じざるを得ない。例えば、昨今のひとつのトレンドである「人気の少女漫画を原作に、若手俳優をキャスティングし、ターゲットを絞って、低予算で制作する」といった方程式とは、180°異なっているからだ。(むろん、どちらが正しいとか偉いとかいうわけではない)  大げさに言うのなら、本作は、「日本で、映画は、暇つぶしの娯楽でしかないのか、芸術作品たり得るのか」という、ある種の古典的な問いかけを行っているのだ。古めかしい言い方をすれば、商業主義VS作家主義といった構図の話になる。  1950年代後半から始まるフランスの「ヌーベルバーグ(新しい波という意味)」運動や、1960年代のアメリカにおける「アメリカン・ニューシネマ」の勃興など、巨大資本による娯楽ではなく、作家個人の芸術として映画を成立させてきた流れがある。日本でも、1960年代から、ATG(日本アート・シアター・ギルド)によって同様の動きがあり、大島渚・新藤兼人・今村昌平・市川崑・鈴木清順・寺山修司・田原総一朗らが、作品を発表してきた。
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 どのような映画も興行に依って立つ以上は、非商業主義ということはあり得ないわけで、じゃあ作家主義とは何かと問われれば、(低予算で暗く重い難解な作品ということでもなく、知名度のある監督の作品ということでもなく)「作り手が鑑賞者の価値観を揺さぶる意思を強く持っていること」と言えるのではないか。そういった意味では、『リップヴァンウィンクルの花嫁』は間違いなく、作家主義的な作品と言えるだろう。とはいえ、本作に限らず、岩井俊二作品は間口が広く、価値観をグリグリと強引に揺さぶってくる作風ではないので、気軽に、観てみて欲しい、3時間を覚悟して。(本作が商業的に大きな成功を収めることで、ややもすれば閉塞しがちな状況に、新しい局面が少し生まれるかもしれない) ■昇大司 1975年生まれ。広告代理店にて、映像作品の企画などを行う。好きな映画は『アマデウス』『ラストエンペラー』『蜘蛛巣城』など。Twitter ■公開情報 『リップヴァンウィンクルの花嫁』 2016年3月26日公開 監督・脚本:岩井俊二 出演:黒木華 綾野剛 Cocco 原日出子 地曵豪 毬谷友子 和田聰宏 佐生有語 夏目ナナ 金田明夫 りりィ 原作: 岩井俊二『リップヴァンウィンクルの花嫁』(文藝春秋刊)2015 年12 月4 日発売 制作プロダクション:ロックウェルアイズ (c)RVW フィルムパートナーズ(ロックウェルアイズ 日本映画専門チャンネル 東映 ポニーキャニオン ひかりTV 木下グループ BSフジ パパドゥ音楽出版) 公式サイト

多部未華子はコメディエンヌの才能を開花させた 『あやしい彼女』での熱演を分析

【リアルサウンドより】  この春公開される映画『あやしい彼女』で、多部未華子が演じるのは、見た目は20歳だが、中身は73歳という、文字通り“あやしい”ヒロインだ。これまでもテレビドラマや映画で、可愛いだけでなく、ちょっとクセのある個性的なキャラクターを数多く演じてきた彼女が、本作で本格的なコメディエンヌとしての実力と魅力が一気に炸裂した。  2014年に韓国で公開され大ヒットを記録し、後に中国でもリメイクされた『あやしい彼女』。毒舌老婆が突然美しく若返り、失われた青春を取り戻すという基本設定はそのままに、日本版ではところどころにアレンジを加えている。東京の下町を舞台にした人情コメディというテイストで、老若男女に親しみやすい設定になった。なかでも最大の変更点が、倍賞美津子が演じる73歳の主人公・カツの子供を、韓国版での男性大学教授から、小林聡美が演じるシングルマザーの雑誌編集者に変えた事だ。この変更が『あやしい彼女』の日本版に深みと感動を与え、更に多部未華子の演技にも多大な影響を与えることになる。
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 身体が20歳で中身が73歳という強烈なキャラクターを演じるにあたり、多部は数々の松竹喜劇や、重厚な人間ドラマで名をはせた昭和の名女優の演技を、自分の出番が無い時も撮影現場でじっと観察していたという。73歳になりきるため、倍賞の演技のタイミング、仕草、台詞の言い回しを、自分の演技に反映させるために吸収していたのだ。  その涙ぐましい努力の甲斐もあって、白髪交じりのおばさんパーマで73歳のファッションのまま、身体だけが20歳に戻ったカツを演じている多部の、“後姿と台詞の言い回しは完全に73歳の老婆”だが、“顔は20歳なのに表情は覇気の無い73歳の老婆のまま”という演技を、ごく自然に体現することに成功した。73年の人生経験の重みを、表情と仕草だけで20歳の女優が演じきったのである。  本作の重要な要素である“珍妙なジェネレーション・ギャップ”は、生半可な演技では表現できない。そのギャップが生みだすチグハグなギャグを、懇切丁寧に演じることで、初めて笑いが生まれてくるのだ。そしてそれが出来るのは、優れたコメディエンヌとしてのセンスと素質を持つ女優だけだ。
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 自分が若返った事を認識し、傍から見れば危ない人にしか見えない程、全身で喜びを表現する場面での振り切れた演技、同じ戦災孤児である幼馴染、次郎(名バイプレイヤーの志賀廣太郎)との掛け合い漫才のような会話。大鳥節子と名乗り、素性を隠して自分の孫である翼(北村匠海)と、失われた青春を取り戻すべく、バンド活動をする姿(そして彼女の見事な歌唱力に驚嘆させられることは間違いない)。要潤扮する自分より年下の音楽プロデューサーに目を輝かせる姿。どの場面を切り取っても、スクリーンの中を躍動する多部未華子は、生き生きと輝いてみえる。  劇中、戦災孤児だったころの姿や、苦労しながら女手一つで娘を育てる姿をフラッシュバックで見せながら、ザ・フォーク・クルセダーズの名曲「悲しくてやりきれない」を歌う。その歌詞の内容と、節子/カツの人生が重なる瞬間に、観客も思わずもらい泣きすることだろう。それほど多部の感情豊かな歌唱力には心を動かされる。  また、突然失踪してしまった母を探し続ける一人娘、幸恵を演じる小林聡美も、十代から数々のコメディ映画やテレビドラマに出演し、日本映画界でも屈指のコメディエンヌとして知られる女優の一人だ。特に大林信彦監督の名作『転校生』で、男になってしまった女の子を演じ、多くのファンからの称賛を浴びた演技は、未だに語り草になっている。今回、多部がその小林聡美と共演した事が、彼女の演技の表現力向上に影響を与えたように思われてならない。
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 ネタバレになってしまうので、あまり詳しく書けないのがもどかしいが、クライマックスで20歳の姿の母親と娘が対峙するシーンがある。オリジナルの韓国版にも、息子と母との対話シーンとして描かれていたが、本作ではシングルマザーの母親という役柄に変更した事で、“同じ境遇で子供を育ててきた母親同士”という構図が生まれ、やりなおし人生の選択というテーマと、自己犠牲というシリアスなテーマが浮き彫りになってくる。
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 73年の人生をわが子に捧げてきた母親、その母を顧みてこなかった娘との対話は、演技の域を超えて、多部未華子vs小林聡美の女優対決にも見える。そしてその対話シーンの完成度は、双方のコメディエンヌとしてのキャリアを、更に向上させた。そのクライマックスに至るまで、明るいドタバタ人情コメディ作品として楽しませてきた分、観客の感情を徹底的に揺さぶる。  前作『ピース・オブ・ケイク』の体当たり演技で、大人の女優として一皮剥けた姿を披露した多部未華子と、日本のコメディ作品を牽引してきた、倍賞美津子と小林聡美という二人の名女優との共演が、彼女が元来持っていたコメディエンヌとしての素質を、更に際立たせることに成功した。もはや怖いものはない。日本を代表する最強のコメディエンヌの一人に成長したのだ。 ■鶴巻忠弘 映画ライター 1969年生まれ。ノストラダムスの大予言を信じて1999年からフリーのライターとして活動開始。予言が外れた今も活動中。『2001年宇宙の旅』をテアトル東京のシネラマで観た事と、『ワイルドバンチ』70mm版をLAのシネラマドームで観た事を心の糧にしている残念な中年(苦笑)。 ■公開情報 『あやしい彼女』 4月1日(金)より全国ロードショー 出演:多部未華子、倍賞美津子、要潤、北村匠海、金井克子、志賀廣太郎、小林聡美 監督:水田伸生 脚本:吉澤智子 音楽:三宅一徳 劇中歌プロデュース:小林武史 製作:「あやカノ」製作委員会 製作幹事:日本テレビ放送網 制作プロダクション:C&Iエンタテインメント 配給:松竹 (c)2016「あやカノ」製作委員会 (c)2014 CJ E&M CORPORATION 公式サイト:http://ayakano.jp/

多部未華子はコメディエンヌの才能を開花させた 『あやしい彼女』での熱演を分析

【リアルサウンドより】  この春公開される映画『あやしい彼女』で、多部未華子が演じるのは、見た目は20歳だが、中身は73歳という、文字通り“あやしい”ヒロインだ。これまでもテレビドラマや映画で、可愛いだけでなく、ちょっとクセのある個性的なキャラクターを数多く演じてきた彼女が、本作で本格的なコメディエンヌとしての実力と魅力が一気に炸裂した。  2014年に韓国で公開され大ヒットを記録し、後に中国でもリメイクされた『あやしい彼女』。毒舌老婆が突然美しく若返り、失われた青春を取り戻すという基本設定はそのままに、日本版ではところどころにアレンジを加えている。東京の下町を舞台にした人情コメディというテイストで、老若男女に親しみやすい設定になった。なかでも最大の変更点が、倍賞美津子が演じる73歳の主人公・カツの子供を、韓国版での男性大学教授から、小林聡美が演じるシングルマザーの雑誌編集者に変えた事だ。この変更が『あやしい彼女』の日本版に深みと感動を与え、更に多部未華子の演技にも多大な影響を与えることになる。
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 身体が20歳で中身が73歳という強烈なキャラクターを演じるにあたり、多部は数々の松竹喜劇や、重厚な人間ドラマで名をはせた昭和の名女優の演技を、自分の出番が無い時も撮影現場でじっと観察していたという。73歳になりきるため、倍賞の演技のタイミング、仕草、台詞の言い回しを、自分の演技に反映させるために吸収していたのだ。  その涙ぐましい努力の甲斐もあって、白髪交じりのおばさんパーマで73歳のファッションのまま、身体だけが20歳に戻ったカツを演じている多部の、“後姿と台詞の言い回しは完全に73歳の老婆”だが、“顔は20歳なのに表情は覇気の無い73歳の老婆のまま”という演技を、ごく自然に体現することに成功した。73年の人生経験の重みを、表情と仕草だけで20歳の女優が演じきったのである。  本作の重要な要素である“珍妙なジェネレーション・ギャップ”は、生半可な演技では表現できない。そのギャップが生みだすチグハグなギャグを、懇切丁寧に演じることで、初めて笑いが生まれてくるのだ。そしてそれが出来るのは、優れたコメディエンヌとしてのセンスと素質を持つ女優だけだ。
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 自分が若返った事を認識し、傍から見れば危ない人にしか見えない程、全身で喜びを表現する場面での振り切れた演技、同じ戦災孤児である幼馴染、次郎(名バイプレイヤーの志賀廣太郎)との掛け合い漫才のような会話。大鳥節子と名乗り、素性を隠して自分の孫である翼(北村匠海)と、失われた青春を取り戻すべく、バンド活動をする姿(そして彼女の見事な歌唱力に驚嘆させられることは間違いない)。要潤扮する自分より年下の音楽プロデューサーに目を輝かせる姿。どの場面を切り取っても、スクリーンの中を躍動する多部未華子は、生き生きと輝いてみえる。  劇中、戦災孤児だったころの姿や、苦労しながら女手一つで娘を育てる姿をフラッシュバックで見せながら、ザ・フォーク・クルセダーズの名曲「悲しくてやりきれない」を歌う。その歌詞の内容と、節子/カツの人生が重なる瞬間に、観客も思わずもらい泣きすることだろう。それほど多部の感情豊かな歌唱力には心を動かされる。  また、突然失踪してしまった母を探し続ける一人娘、幸恵を演じる小林聡美も、十代から数々のコメディ映画やテレビドラマに出演し、日本映画界でも屈指のコメディエンヌとして知られる女優の一人だ。特に大林信彦監督の名作『転校生』で、男になってしまった女の子を演じ、多くのファンからの称賛を浴びた演技は、未だに語り草になっている。今回、多部がその小林聡美と共演した事が、彼女の演技の表現力向上に影響を与えたように思われてならない。
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 ネタバレになってしまうので、あまり詳しく書けないのがもどかしいが、クライマックスで20歳の姿の母親と娘が対峙するシーンがある。オリジナルの韓国版にも、息子と母との対話シーンとして描かれていたが、本作ではシングルマザーの母親という役柄に変更した事で、“同じ境遇で子供を育ててきた母親同士”という構図が生まれ、やりなおし人生の選択というテーマと、自己犠牲というシリアスなテーマが浮き彫りになってくる。
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 73年の人生をわが子に捧げてきた母親、その母を顧みてこなかった娘との対話は、演技の域を超えて、多部未華子vs小林聡美の女優対決にも見える。そしてその対話シーンの完成度は、双方のコメディエンヌとしてのキャリアを、更に向上させた。そのクライマックスに至るまで、明るいドタバタ人情コメディ作品として楽しませてきた分、観客の感情を徹底的に揺さぶる。  前作『ピース・オブ・ケイク』の体当たり演技で、大人の女優として一皮剥けた姿を披露した多部未華子と、日本のコメディ作品を牽引してきた、倍賞美津子と小林聡美という二人の名女優との共演が、彼女が元来持っていたコメディエンヌとしての素質を、更に際立たせることに成功した。もはや怖いものはない。日本を代表する最強のコメディエンヌの一人に成長したのだ。 ■鶴巻忠弘 映画ライター 1969年生まれ。ノストラダムスの大予言を信じて1999年からフリーのライターとして活動開始。予言が外れた今も活動中。『2001年宇宙の旅』をテアトル東京のシネラマで観た事と、『ワイルドバンチ』70mm版をLAのシネラマドームで観た事を心の糧にしている残念な中年(苦笑)。 ■公開情報 『あやしい彼女』 4月1日(金)より全国ロードショー 出演:多部未華子、倍賞美津子、要潤、北村匠海、金井克子、志賀廣太郎、小林聡美 監督:水田伸生 脚本:吉澤智子 音楽:三宅一徳 劇中歌プロデュース:小林武史 製作:「あやカノ」製作委員会 製作幹事:日本テレビ放送網 制作プロダクション:C&Iエンタテインメント 配給:松竹 (c)2016「あやカノ」製作委員会 (c)2014 CJ E&M CORPORATION 公式サイト:http://ayakano.jp/

『LOVE【3D】』ギャスパー・ノエ監督が明かす、“愛と性”を3Dで描いた理由

【リアルサウンドより】  近親相姦を描いた初の長編作『カノン』(98)、約9分にわたるレイプシーンが波紋を呼んだ『アレックス』(02)、TOKYOを舞台にしたトリップ・ムービー『エンター・ザ・ボイド』(09)。寡作ながら、作品を発表するたびにカンヌ国際映画祭をはじめ世界中で大きな物議を醸し、と同時にファンからは絶大なる評価を得てきたギャスパー・ノエ監督の最新作『LOVE【3D】』が、4月1日に公開される。本作は、アメリカ人青年マーフィーと、彼のかつての恋人エレクトラの2年にわたる愛と性の日々を、3Dで描いた作品だ。リアルサウンド映画部では、プロモーションのために来日したギャスパー・ノエ監督にインタビューを行い、本作を3Dで描こうと思った理由、作品内で登場するセリフの持つ意味、そしてエンドクレジットに記載された著名監督たちとのエピソードを語ってもらった。

『LOVE【3D】』と『エンター・ザ・ボイド』と『アレックス』の主人公には相通じるところがある

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(c)2015 LES CINEMAS DE LA ZONE . RECTANGLE PRODUCTIONS . WILD BUNCH . RT FEATURES . SCOPE PICTURES .

ーー前作『エンター・ザ・ボイド』で来日された際のインタビューで、「次回作は3Dポルノをやるかも」と言っていましたが、それが今回の作品になるわけですね。 ギャスパー・ノエ監督(以下、ノエ):まあ実際はポルノ映画じゃなくて、センチメンタルな映画なんだ。自分の身を守るためにポルノと言っておいたほうが自由な感じがするから、あの時はちょっと過激にそう言っただけだよ。最初に「セクシャルなことも描く」と言って、その結果として過激なことをやってしまうと、出資者から「ここはカットしろ」とかうるさく言われてしまうからね。最初に極端なことを言っておけば、割と自由に編集や撮影ができるようになるのさ。 ーー今回の作品はタイトル通り、3D映像で『LOVE』が描かれています。このようなテーマを3Dで描くということについて、昨今の3D映画に対する監督なりのカウンター的な意味合いも含まれているのでしょうか? ノエ:ハリウッド映画へのカウンターという意識は特にないな。でも、若い頃に僕が好きでよく観ていたSF映画やホラー映画、アメリカの大作映画に最近は疲れてきてしまっていて、退屈だなと思っていたのは事実だ。僕はもともと3D技術にすごく興味があって、好きな作品も多い。特に『ゼロ・グラビティ』のように3Dの使い方が成功していれば、素晴らしい作品になる。映画学校時代には、いろいろな撮影トリックやテクニックを学び、新技術にもすごく興味があったんだ。『アバター』が出てきた時には、3Dでこんなにクオリティの高いものができるのかと感心して、自分もいつか3Dで作品を撮ってみたいと思った。ただ、3D映画の場合、撮影や編集、ポストプロダクションにかけて、とにかくかなりの費用がかかってしまう。でも今回は、3D技術を含めた最新技術を用いて映画を製作する際、フランス政府が助成金を出してくれるという制度がちょうど始まり、それに応募して幸いにも助成金を得ることができたんだ。その助成金のおかげで2Dとの差額分ぐらいはまかなえたから、そこまでお金をかけることなく低予算でできたってわけさ。撮影もフランスで5週間だけで撮ったけど、3Dの英語作品で、有名な音楽もたくさん使って、割と高額予算映画に捉えられることも多いから、それは嬉しく思うよ。3D作品はメガネをかけた時に、まるでトンネルの中に入ったみたいに周りが気にならなくなるよね。そして現実的に感じられるものと非現実的に感じられるものが混在していき、観客も特殊な体験ができる。そういった遊び心にも興味があって、今回のような3D作品に挑んだんだ。ちなみに、君が試写で観た時は画面が暗く感じなかったかい? ーーいや、暗いとは思いませんでしたが……。 ノエ:3D映画には少し残念なところがあって、メガネの調整具合のせいで、映画館によっては暗く見えてしまうことがあるんだ。うまく調整できている映画館だと、鮮やかなところは鮮やかに映るのが、うまく調整できていない映画館だと、全体がどんより暗くなってしまう。映画館によってそういうばらつきがあるのが、3D映画の残念なところでもある。
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ーー本作の主人公マーフィーは映画監督を目指しているという設定で、彼の部屋の中には様々な映画のポスターが飾ってあり、映画に関する話もいくつか出てきます。マーフィーという役柄には、監督自身の経験や考え方が投影されていたりするんですか? ノエ:この作品は僕の自伝というわけでは決してないので、マーフィー=僕ではない。ただ、僕の若かりし頃の要素が一部入っている。それに加え、周りの友人たちのいろんな要素をパズルのように組み合わせて、複合的に取り入れた人物なんだ。でも基本的には、僕とテイストの似ている弟分的な存在かもしれない。僕自身、馬鹿げた行動を取ることはたくさんあるが、それ以上に間抜けな行動を取るような存在としてマーフィーは描いている。この映画の中心人物はマーフィーのように思われるが、ストーリーのカギとなっている中心人物は、実はエレクトラのほうなんだ。もちろんマーフィーにも重要な役割があるし、僕の一部も入っているので、彼の心理状況もよくわかる。それからマーフィーの秘密をひとつ明かすと、実はこの映画は『アレックス』と『エンター・ザ・ボイド』と同じタイミングで構想を練っていたんだ。だから、『アレックス』のマルキュス、『エンター・ザ・ボイド』のオスカー、そして『LOVE【3D】』のマーフィーにはどこか似通った部分があって、相通じるところがあるんだ。 ーーマーフィーの部屋の中には『エンター・ザ・ボイド』のラブホテルの模型が置いてありましたよね。 ノエ:そう、あれはまさに『エンター・ザ・ボイド』の時に作ったものだ。『エンター・ザ・ボイド』で出てきたホテルには「LOVE」という文字が書かれていた。それが今回の作品のタイトルと同じということもあって、使うことにした。『エンター・ザ・ボイド』のラストでは、主人公が「LOVE」と書かれたホテルの中に入って行くシーンを描いたから、実は今回の作品はその模型からズームアップして、そこから始まるようにしようとも思ったんだ。でも、あまりインパクトのある始まり方にならなかったから、そのアイデアは採用せず、マーフィーとエレクトラのラブシーンから始めることにして、ストーリーの中間ぐらいに、あの模型がマーフィーの部屋の中にあるという設定にしたんだよ。
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ーー冒頭で「メガネを装着してください」とアナウンスが出るのも面白く感じました。 ノエ:あのようなアナウンスは通常、劇場側が知らせるものだが、今回僕が入れたのには理由がある。多くの作品では映画がスタートする際、製作に関わった会社のロゴが出てくる。今回の作品には、比較的たくさんの会社が関わっていたから、ロゴがバンバン出てくると観客も疲れてしまうし面白くないと思ったからだ。映画がスタートしたぞと注意を引くために、「メガネを装着してください」というアナウンスを入れた。その後、本編はラブシーンで始まるが、あのラブシーンは最初のシナリオでは話の中間に使う予定だったんだ。ただ、結構長いラブシーンで、その前後にもラブシーンが続くため、観客に「またか」と思われて、彼らを疲れさせてしまう危惧もあった。だからあのシーンを冒頭に持ってきたんだ。いきなりあんなシーンから始まるというインパクトのあるオープニングになったので、その点は非常に効果的だったよ。

「国柄によって笑いが起こるシーンが結構あった」

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ーー後半、バーでマーフィーの友人がマーフィーに対して、「アメリカの独占欲はフランスでは通じない」と言うシーンがありましたね。映画全体を通して、アメリカの性概念に対するメッセージ的な意味合いも含まれていたんでしょうか? ノエ:セリフは元から用意していたわけではなく、俳優たちに即興でやってもらったことが多いんだ。シナリオにはシークエンスごとの設定だけを書いていて、もともとは7ページしかなかった。セリフは一切書かなかったんだ。で、あのシーンのセリフはこの作品のフランスの配給会社であるWild Bunchの社長、ヴァンサン・マラヴァルによるものなんだ。実は彼は、警察署でマーフィーを尋問をする警察官役で出演もしている。あのシーンは最初、シナリオでは想定していなかったんだけど、彼のアイデアでやってみたら結構面白かったから、そのまま採用することにした。あのシーンはアメリカではかなり笑えてもらえたよ。でもマーフィー役がアメリカ人である必要は特になかったんだ。この映画を英語で撮ろうと思ってたからアメリカ人にしたわけで、英語圏の人であれば別にイギリス人でもカナダ人でもよかった。だから僕がアメリカ人に対して何かしらのメッセージを向けているわけではない。でも、ヴァンサンは仕事上、アメリカ人とビジネスをすることも多いから、ビジネスにおいても支配欲が強いアメリカ人に対する、ヴァンサンの隠れた思いがセリフに表れているのかもしれないね(笑)。 ーーなるほど(笑)。 ノエ:でも君が指摘してくれたように、あのシーン以外にも国柄によって笑いが起こるシーンも結構あるんだ。例えば、そのヴァンサンも出演している警察署での尋問シーンで、アメリカ人であるマーフィーが「Fucking France」と言いながら、「1981年に戦争に勝って以来、何も成し遂げていない」と言うセリフがある。あのセリフはマーフィー役のカールの即興で、ドイツやデンマークでは、あのシーンで笑いが起こって拍手をしてもらえたんだ。フランスは第二次世界大戦の戦勝国みたいな素振りで戦勝国側のテーブルについていたけど、実はフランスはドイツに協力をしていた。だから、ドイツやデンマークの人たちは「本当は勝者じゃないくせに勝者ヅラしやがって」みたいな思いもあって、あのセリフに共感したんだろう(笑)。セリフに関してはそういった即興が数多く入っているけど、俳優たちには1分ぐらいのシーンでも、1時間ぐらいいろんなパターンをやってもらって、撮り溜めたものを編集時に選択していったんだ。だから、どのパターンを使えば映画にとって最も効果的かを考えるのは、ドキュメンタリー以上に大変な作業だったよ。もともとはもっとセリフが少なくて、もの哀しげな映画にしようと思っていたんだけど、俳優たちの即興が面白かったからセリフが増えていったというわけさ。
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ーーエンドクレジットのTHE DIRECTOR THANKS欄では、ニコラス・ウィンディング・レフン監督ら、ノエ監督と親交のある監督たちの名前が記載されていましたね。ひとつお伺いしたいことがあるのですが、レフン監督の『ドライブ』のエレベーターのシーンの演出はノエ監督がアドバイスをされたという話を聞いたことがあるのですが、本当ですか? ノエ:いや、それは違うんだ。ニコラスの『ドライブ』がカンヌ国際映画祭に選出された時、カンヌの経験がなかった彼は、カンヌのコンペがどういうものか体験談を知りたくて、その時ニューヨークにいた僕に聞いてきたんだ。『ドライブ』で、エレベーターの中で人を殺すシーンは『アレックス』からインスピレーションを受けているとニコラスは言っていて、お互いすごく気が合ったりもして結構いろんな話をしたよ。カンヌの体験談としては、すごい面白いところでいろんな経験ができるというようなことを話した。その後、カンヌ国際映画祭のためにカンヌに行ったら、たまたま彼に会って、またいろんな話をしながら一緒に飲み交わしたんだ。そのちょうど2日後に彼が監督賞を受賞したんだよね。ニコラスは受賞時のスピーチで、作品に携わった人たちの名前を挙げながら、「そして最後に、もちろんギャスパー・ノエにも感謝する」ということを言ったんだ。僕は映画に関わったわけでもアドバイスをしたわけでもなく、ただカンヌの経験者として、体験談を話しただけなのに。まあ、授賞式の2日前に再会したこともあって、ニコラスは友情を込めて僕の名前を言ってくれたんだろう。 ーーレフン監督以外にもジョン・カーペンター監督やマーティン・スコセッシ監督らの名前が載っていましたね。 ノエ:ニコラスも含め今回のエンドクレジットで僕が名前を載せた監督たちは、映画の中で間接的にその存在を感じられたり、何かしら協力をしてくれた人たちで、彼らに敬意を払う意味でエンドクレジットに名前を載せたんだ。ジョン・カーペンター監督は、映画の中で彼の楽曲を使用させてもらった。楽曲を使用する際、使用料を高くふっかけてくるところも結構あるが、彼はすごく良心的な値段で提供してくれたんだよね。マーティン・スコセッシ監督については、マーフィーの部屋の中に『タクシードライバー』のポスターが貼ってあるんだけど、ポスターを使う許可をもらうためにマーティンに電話をしたら、「いいよ」と言ってくれたんだ。映画学校の学生でもあるマーフィーは、『タクシードライバー』のロバート・デ・ニーロに憧れていて、映画の中では彼と同じようなジャケットを着ているので、そこにもスコセッシ監督の存在感が感じられるようになっている。
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ーーマーフィーが好きな映画として『2001年宇宙の旅』を挙げていますが、確かノエ監督もそうでしたよね? ノエ:そうなんだ。僕が映画監督としてやっていきたいと思うようになった作品や、影響を受けた作品はたくさんあるけど、その中でもマーフィーが言及している『2001年宇宙の旅』は、僕のすごく好きな作品で、映画をやるきっかけにもなった作品だ。デヴィッド・リンチ監督の『イレイザーヘッド』にもすごく影響を受けたよ。ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の『ソドムの市』もすごく好きな作品だし、ルイス・ブニュエル監督の『アンダルシアの犬』にもすごく影響を受けている。スタンリー・キューブリック監督については、映画の中でもマーフィーが「『2001年宇宙の旅』が好き」と言うから、敢えてエンドクレジットで名前を入れる必要はなかった。リンチ監督については、実は『イレイザーヘッド』に出てくる「In Heaven」という楽曲をエンドクレジットの時に流そうと思っていて、彼に許可までもらっていたんだけど、この作品がカンヌで上映されることが決まり、最後のツメの作業をしていた時に、最終的に違う曲に変更したんだ。「In Heaven」を流してしまうと、歌詞に気を取られすぎてしまって、注意が削がれてしまうと思った。だから結局、映画の中に出てきたバッハの曲を最後にもう一回流すことにしたんだ。でも、曲の使用許可までくれたから、リンチ監督には敬意を表して名前を入れている。パゾリーニ監督については、『ソドムの市』のポスターがマーフィーの部屋のベッドの天井に貼ってある。そこでポスターが映るから、パゾリーニ監督も敢えて入れていない。『アンダルシアの犬』は、もともとエレクトラの部屋にポスターが貼ってあったんだけど、よくよく考えてみたら画家志望の彼女の部屋に映画のポスターが貼ってあるのはおかしいなと思って、結局ポスターが映ったシーンはカットしてしまったよ。 ーーエンドクレジットには若松孝二監督の名前もありました。 ノエ:60年代〜70年代に、過激なラブシーンのある映画を作っていた若松孝二監督は、普段の生活の中にあるものを映画でやってもいいんだということを示してくれた先輩として、名前を入れた。彼とは個人的な交流もあって、フランスや日本で会ったり一緒に食事をしたりする、すごく気の合う仲間だったんだ。彼は自身の監督作以外にも、素晴らしい映画の製作に携わっていた。大島渚監督の『愛のコリーダ』もそのひとつで、あれほど肉体的な性愛関係を斬新に描いた作品はそれまでなかったんだ。僕はあの終わり方だけは賛同できなくて、あまり気に入っていないんだけど、それ以前の情熱的な性愛関係の描き方は、僕の感覚と全く同じで、とても共感しているんだ。大島監督のあの作品が世に出たのは、若松監督のおかげもあるので、彼の名前は絶対に載せようと思ったんだよ。 (取材・文=宮川翔) ■公開情報 『LOVE【3D】』 4月1日(金)より、新宿バルト9、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー! 監督・脚本・編集・製作:ギャスパー・ノエ 撮影:ブノア・デビエ 音楽:ケン・ヤスモト VFX:ロドルフ・シャブリエ、マック・ガフ・リーニュ社 出演:カール・グルスマン、アオミ・ムヨック、クララ・クリスティン 配給:コムストック・グループ 配給協力:クロックワークス 原題:LOVE 3D/2015年/フランス・ベルギー合作/英語/スコープ/135分/R18+ (c)2015 LES CINEMAS DE LA ZONE . RECTANGLE PRODUCTIONS . WILD BUNCH . RT FEATURES . SCOPE PICTURES . 公式サイト:http://love-3d-love.com/

『ドロメ』を“新感覚ホラー”と呼ぶべき3つの理由 気鋭の監督が仕掛けた「手法」に迫る

【リアルサウンドより】  映画であれ、なんであれ、「新感覚〜」という宣伝文句がその通りであることは稀だが、この『ドロメ』には、それ以上ふさわしい言葉がないかもしれない。その理由にまずあげられるのが、ダブル・アングル構成だ。  本作は主人公が、小関裕太の「男子篇」と、森川葵の「女子篇」に分けられていて、その両方を観て作品の全貌が明らかになる仕様になっている。しかし、異なる軸で同時に展開していくストーリーというのは決して珍しいものではない。むしろ通常映画では、 客観的な視点で様々な人物のドラマを見せていくものだ。だったら、何も2篇に分けず、最初から1本にまとめればいいじゃないかという意見もあるだろう。だが、本作はこの構成だからこそ、成功していると言える。なぜなら、非常にギリギリのラインで成立している作品で(そこには後で詳しく触れる)、仮に1篇にまとめていれば、破綻は免れなかっただろう。ダブル・アングルに分けたことによって、単体が観やすくなっている。情報の不足は生まれるけれど、それが進行の妨げになることもなく、別サイドで回収されるのだろうという予想も楽しめるのではないか。
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「女子編」主演・森川葵

 「新感覚」なる第2の理由は、その内容と監督・内藤瑛亮の独自の演出にある。学園ドラマとホラーがいっしょになることは常だが、本作はそれが混じり合わず、奇妙に分離している。例えば、トイレで化け物に出くわし悲鳴をあげる恐怖シーンがあったと思うと、次は男女全員で花火を振り回して踊る、まるで青春映画のクライマックスのようなシーンに変わる。つい20秒前に涙ぐんでいた少女が、すぐに満面の笑みを見せるのである。観ている側としては、戸惑わずにはいられず、ついていけなさを味わうのだが、それこそ内藤監督の狙いのはずだ。このような刹那的に変化する心情や状況こそが、高校生のリアルな感覚なのではないか。それは彼ら彼女らの会話、やり取りにも反映されていて、決して作り手や観客の都合によって動かされるのでなく、彼ら彼女らが自然に躍動するように作られており、それに納得させられる。こうした高校生らの嘘臭さの無い実体感を描かせれば、やはり内藤監督の手腕は随一。  そして、本作はホラーというジャンルに対しても、挑戦をしている。本来であれば、幽霊やクリーチャーなどは恐怖の対象として圧倒的優位に立つ。しかし、 『ドロメ』において、それらは携帯カメラで撮られるものだったり、恋の告白に立ち会ったり、はてはドラゴンクエストのスライムばりにめった斬り……とにかく従来のパワーバランスで人間側と対峙しているわけではないのが新鮮。しかもそれゆえ、バイオレンスシーンで胸熱と悲しみが同時に押し寄せてくるのだ。
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「男子編」主演・小関裕太

 また、内藤監督の初期作、たとえば『牛乳王子』の嘔吐、『先生を流産させる会』の胎児といった作家の原初的モチーフが炸裂しているのも、ファンには嬉しいはずだ。  男子と女子の淡い恋と友情、幽霊とクリーチャー、アイドルダンスとメイド服、ドラクエから戦隊ヒーローもの……と、萌えに笑いに恐怖にグロ、様々な要素が ふんだんに盛り込まれた本作。先ほどギリギリのラインで成立していると言ったのはそういうことだが、そのおかげで2篇観る価値をもっている。ちなみに私的には、愛らしい化け物“ドロメ”がよりフューチャーされる「女子篇」からの鑑賞がオススメだ。

『ドロメ』

■嶋田 一 87年生まれ。ライター、精力的に執筆活動中。 ■公開情報 『ドロメ【男子篇】【女子篇】』 3月26日(土)よりシネマート新宿にて2作品同時ロードショー 監督:内藤瑛亮 脚本:内藤瑛亮、松久育紀 主演:小関裕太、森川葵 出演:中山龍也、三浦透子、大和田健介、遊馬萌弥、岡山天音、比嘉梨乃、菊池明明、長宗我部陽子、木下美咲、東根作寿英ほか 製作:「ドロメ」製作委員会(日本出版販売、TCエンタテインメント、TBSサービス、是空、レスパスビジョン) 2016年/カラー/5.1ch/ビスタ/【男子篇】92分/【女子篇】98分 配給:日本出版販売 宣伝:太秦 (c)2016「ドロメ」製作委員会 公式サイト:dorome-movie.com