シャーロット・ケイト・フォックス、ドラマで引っ張りだこの理由は“大和撫子”感にあり?

【リアルサウンドより】  今から約一年半前、透きとおるような白い肌とブロンドの髪をもつ一人の女性が朝のテレビ画面に現れて視聴者たちを魅了した。NHK連続テレビ小説『マッサン』のヒロイン・エリーを演じたシャーロット・ケイト・フォックスである。朝ドラ史上初の外国人ヒロインに抜擢された彼女は、見事に役を演じて人気者となり、現在も活躍中だ。外国人でありながら、日本で非常に愛されているシャーロット。それは、彼女の姿に日本の古来よりの魅力的な女性像、大和撫子(やまとなでしこ)らしさがあるからではないだろうか。  『マッサン』でシャーロット・ケイト・フォックスが演じたのは、大正時代、ウイスキー製造を夢見た“マッサン”こと亀山政春(玉山鉄二)の妻でスコットランド人の女性・エリー。まだ、外国人が物珍しかった時代の日本でマッサンの母親(泉ピン子)から結婚を反対されるのに始まり、ごはんがうまく炊けなかったり、日本のしきたりを知らなかったりと生活は困難の連続。ときには偏見の目で見られ、戦争時にはスパイ容疑をかけられてしまう。しかし、幾多の苦難にもめげずに愛する夫とともに、日本人として生き抜こうとしたエリーは、非常にけなげなキャラクターとして見る者の心をつかんだ。  日本人になると決心して、自身のお国柄は奥にしまいこみ、懸命に日本語や日本料理を覚え、でしゃばらずに夫のマッサンを立てつつ支え続けたエリー。彼女はある意味、日本人よりも日本人らしい奥ゆかしさがあるといってよかった。そして、このエリーという役柄は、異国の地でドラマの主役という大任を果たそうと頑張るシャーロット・ケイト・フォックス自身とリンクしていた。当初、日本語がしゃべれなかったエリー=シャーロットが、どんどん言葉が上達していく姿からは、まさに日本に懸命になじもうとしているエリー、そして、シャーロット自身のひたむきさがよく伝わってきて、海の向こうからやってきた女性がこんなに日本にとけこもうとしてくれているのだ…と、多くの人に感動を与えたように思う。  大和撫子(やまとなでしこ)とは、美しく奥ゆかしい日本人女性を表す言葉、そして、撫子(カワラナデシコ)は、白や淡いピンクの清楚な花を咲かせる。外国人の女優というと、たとえば、ハリウッド女優の多くは華やかできらびやかなイメージがあり、日本で活躍する外国人及びハーフのタレントも、語学力、美貌、スタイルなど、“日本人離れ”した魅力で注目を集めるケースが多いが、シャーロット・ケイト・フォックスは、清楚で奥ゆかしい、むしろ、日本女性たちがもつ昔ながらの撫子の淡い花のような清楚な美しさがあり、加えて自身が日本人に寄りそっていく努力をした結果として、日本人から愛されるようになったといえるだろう。  そして、奥ゆかしさとともに忘れてはならない、シャーロット・ケイト・フォックスのもう一つの魅力が、ときおり見せる茶目っ気である。もともと、『マッサン』に起用された理由として、プロデューサーが「ズバ抜けた演技力とコメディーセンスを発揮した」(引用:連続テレビ小説「マッサン」マッサン&エリー主役夫婦発表します!)と語っていたが、『マッサン』でも、“鴨居の大将”こと鴨居欣次郎(堤真一)を真似て腕を組んでみせる場面など、エリーのコミカルなしぐさにくすっとさせられる場面があった。  また、2015年秋、2016年春と放映された主演のスペシャルドラマ『名探偵キャサリン』(テレビ朝日系)では、アメリカ副大統領の娘であり、美しく頭脳明晰なキャサリン・ターナーという役どころだったが、おかしな日本語を連発する、屋台ではしゃぐ、パートナーの一郎(谷原章介)と他の女性の姿に焼きもちを焼く、といったコメディエンヌぶりを発揮。いわゆる外国人のセレブリティであり、一歩間違えれば、優秀さ、華麗さが鼻につきかねない役どころを、親しみあるキャラクターへと仕上げてみせた。清楚な女性というのは、ときとして「いい子ぶっている」「男ウケを狙っている」など、同性から反感をもたれることもあるが、「おかしさ」「滑稽さ」を演じることをきちんと理解しているクレバーさもあるシャーロット・ケイト・フォックス。彼女は清楚でありつつも、いわゆる“ぶりっ子”にならず、だからこそ、幅広いファン層を獲得できているのだろう。  4月17日からスタートするドラマ『OUR HOUSE』で、芦田愛菜とともに民放の連続ドラマ初主演をつとめるシャーロット・ケイト・フォックス。ここで、彼女は再び日本人男性・奏太(山本耕史)の妻となって来日する女性・アリスを演じる。『マッサン』と異なるのは、相手の男性に死んだ前妻との間にできた子どもたちがいること。新しい母親を認めたくない長女・桜子(芦田愛菜)とのバトルを繰り広げる役どころで、今まで以上にコメディエンヌぶりを発揮してしてくれることを期待したい。 ■田下愛(たおり あい) フリーランス・ライター。雑誌、書籍、Webメディアで、幅広いジャンルの仕事をこなし、現在は、映画・マンガ・音楽などエンターテイメントを軸に活動中。著書に「選挙はエンターテイメントだ!」(HK INTERNATIONAL VISION)がある。ブログTwitter ■ドラマ情報 『OUR HOUSE』 4月17日(日)21時から放送 脚本:野島伸司 出演:芦田愛菜、シャーロット・K・フォックス、山本耕史、加藤清史郎、寺田心 公式サイト:http://goo.gl/OJr2q8

朝ドラの新ヒロインに抜擢 芳根京子はなぜ大役を射止め続けるのか?

【リアルサウンドより】  つい2週間ほど前に月9ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の終盤に登場した芳根京子に関する記事(関連記事:参考:「芳根京子、『いつ恋』最後のキーパーソンに選ばれた理由 二面性を持つキャラと演技力に迫る」)を書いていたときには、まさかこんなにも早く次の記事を書くことになるなんて考えもしなかった。しかもそれが、秋から放送されるNHK朝の連続テレビ小説『べっぴんさん』のヒロインに選ばれたという、彼女の大出世を象徴するニュースなのだから、ここ数ヶ月に渡り女優・芳根京子をウォッチしてきた甲斐があったと、喜びもひとしおである。  今回彼女がヒロインに抜擢された『べっぴんさん』は、子供服ブランド・ファミリアを創業した坂野惇子をモデルにし、昭和初期から戦後にかけての激動の時代を生きた女性を描く。同作の脚本はフリーアナウンサー羽鳥慎一の妻で、昨年公開された映画『レインツリーの国』や夏に公開される映画『植物図鑑 運命の恋、ひろいました』で知られている渡辺千穂が務める。先日第一子を出産したばかりの渡辺にとって、産後最初の大仕事となる本作で、自身の生活に身近な子供服ブランドの創業者について描くというのは非常に興味深い。NHKのホームページに掲載されている「脚本家のことば」(引用:平成28年度後期 連続テレビ小説「べっぴんさん」制作のお知らせ)で渡辺は、「運命のように感じています」と述べており、本作が脚本家・渡辺千穂のキャリアに大きな1ページとして記されることは間違いないだろう。  本作のモデルとなる坂野惇子については、ファミリア創業秘話と共に同社のホームページに詳細に記されている。1918年に貴族院議員でレナウンの創業者であった佐々木八十八の三女として生まれた彼女は、神戸大空襲で自宅を失い、終戦後は幼い子供を抱えながら疎開先で夫の消息を待つ。それまでの裕福な暮らしから一転した生活の中で、自立することを決心した彼女は女学生時代の友人らと4人で、ベビー服を売る店を開くのである。「女性の一代記」を描く作品が中心の朝の連続テレビ小説とはいえ、ここのところ『あさが来た』、『とと姉ちゃん』と『べっぴんさん』と、自らひとつの時代を作り上げた女性が描かれる作品が続いているのは、本来であれば至極当然のことである「女性の社会進出」を課題にしている現代社会の流れを汲んでいるのだろうか。  ところで、今回の『べっぴんさん』のヒロインオーディションには2261人の応募があったようだ。その中で芳根京子が選ばれた決め手となったのは「愛らしさと芯の強さ、真っすぐさを持っている」ということだ。先月『いつ恋』に抜擢された決め手が「“強さとかれんさ”、“明るさとけなげさ”」だったのだから、まさに彼女の持ち味が多く知れ渡ってきていると同時に、彼女自身もそれを表現する術がうまくなってきているのであろう。『まれ』から4作続けて受けてきたヒロインオーディションで、ついにその一人に選ばれたのは、イメージに合うという理由だけでなく、女優に必要なアピール力が備わってきたからでもあるだろう。  6日に行われた会見で彼女は、中学2年時にギラン・バレー症候群を発症したことを明かした。ウイルスや細菌などの感染をきっかけに自己免疫機能が神経細胞の軸索などに障害を引き起こし、筋力の低下などの運動障害を発症する、国の特定疾患に認定された指定難病である。重症に至らなければ一年程度で完治する病とされ、例えば現在サンフレッチェ広島で活躍する佐藤寿人選手も過去にこの病を発症した経験があると知られている。この病を経験したことで、「自分をしっかり持とうと思ったからだと思います」と、自ら女優・芳根京子の「芯の強さ」の起源について語り、いつもと変わらない笑顔を見せたのが印象的であった。  2年前の『花子とアン』で、仲間由紀恵演じる宮本蓮子の娘・富士子役として朝ドラデビューを飾ってから2年。芸能界デビューを果たしてから3年半でのヒロイン昇格は、最近では『どんど晴れ』の比嘉愛未や『ウェルかめ』の倉科カナと同じぐらいのスピード出世である。まだ19歳の彼女が、本作で初めて挑戦する役どころはたくさんある。既婚者の役も、母親の役も、何より実年齢より上の年齢を演じるということも初めてである。これまで演じてきた他のどんなキャラクターよりも難しいとは思うが、彼女ならば、こちらの期待を余裕で超えてくるだろう。  来月からクランクインするとのことで、来年3月までは他の作品で見ることがほとんどなくなってしまうのは寂しいけれど、毎朝彼女の芝居が見られると思えば、こんなにも有意義な半年間があるだろうか。それに、『あまちゃん』以降好調が続いていることも考えると、放送終了後の来年春以降、彼女へのオファーが殺到することも想像に易い。くれぐれも無理をせずに、順調に大女優へのステップを上がっていってもらいたい。 ■久保田和馬 映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。Twitter ■番組情報 連続テレビ小説 『べっぴんさん』 2016年10月3日(月)~2017年4月1日(土) 《全151回》 主演:芳根京子 脚本:渡辺千穂 演出:梛川善郎、安達もじり プロデューサー:堀之内礼二郎 公式サイト:http://www6.nhk.or.jp/drama/

「悪役を演じるのは役者冥利につきる」なんてのは迷信だよーーケヴィン・ベーコン、役者道を大いに語る

【リアルサウンドより】  2人の少年と、コップ・カー(パトカー)の持ち主である一人の警官、登場人物はほぼその3人。舞台は見渡す限り道路と草と木しかないコロラドの田舎。そんなミニマルな佇まいの心理サスペンス劇『COP CAR カップ・カー』だが、その警官を演じているのがあのケヴィン・ベーコン、そして監督(ジョン・ワッツ)はまだ無名だが『スパイダー・マン』新シリーズに抜擢されたと聞いたら、映画ファンなら俄然興味が湧いてくるだろう。  今回、リアルサウンド映画部は、本作の製作総指揮も務めているケヴィン・ベーコンにインタビューをするという貴重な機会を得た。「アメリカ人の役者にはアメリカ人のキャラクターを演じる機会しか与えられない」「悪役を演じるのは役者冥利につきるなんてのは迷信だ」などなど、ハッとさせられる発言が次々と飛び出した取材。今やハリウッドを代表するベテランのスター俳優であり、数々のチャーミングな逸話でも知られているケヴィン・ベーコンだが、その素顔は、想像以上にインテリジェンスに溢れていて、とにかく映画に関して「熱い」男だった。(宇野維正)

「「こういう役はやらない」というルールはまったくない」

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——今作『COP CAR コップ・カー』が好例ですが、大作から低予算のインディペンデント映画まで、そして善良な人物から悪役まで、ハリウッドのアクターの中でもあなたくらい幅広い作品で幅広い役柄を演じてきたアクターはなかなか見当たりません。それでも、そこにはあなた独自の作品を選ぶ基準、役柄を選ぶ基準のようなものがあると思うのですが、それについて詳しく教えてもらえないでしょうか? ケヴィン・ベーコン(以下、ベーコン):まずプロジェクトが自分のところにきた時は、ストーリーよりもキャラクターに目を向けるんだ。その役に自分がなりたいかどうか、自分にとっては演技とはそういうものだから、それを考えるのと同時に、この役と同じような役を過去にやったことがあるかどうかを考える。やったことがなかった場合、つまりそれは自分にとって新しいことなので、より興味を持つことができる。それから、脚本全体、監督、共演者、ロケーションといったほかの部分もじっくりと考えて、総合的にやりたいかどうかを決めていく。ある時点で「よし、これならやろう」という一線が見えてくるんだ。 ——逆に「こういう作品には出ないようにしてきた」「こういう役柄は演じないようにしてきた」というルールのようなものはあったりするんでしょうか? ベーコン:「こういう役はやらない」というルールはまったくないな。コメディからホラーからアクションからヒューマンドラマまで、僕はほとんどのジャンルの作品をやってきているし、基本的に映画作りが、映画の現場で仕事をするのが大好きだから、そういう壁は一切設けないようにしているんだ。ハリウッドで周りを見渡すと、人によっては「自分はこういうタイプの役しかやらない」と自分の領域を決めている人がいたり、「これはちょっと自分のイメージが崩れるからやりたくない」とある種の役を演じるのを怖がる人もいるけれど、僕にはそういうのは一切ないんだよね。 ——再来年の2018年には、あなたは映画役者としてのデビュー40周年、そして60歳の誕生日を迎えます。約40年間、あるいは『フット・ルース』での大ブレイクから数えても30年以上、あなたはアメリカの映画界の第一線でサバイブし続けてきたわけですが、その秘訣があるとしたらそれは何だと思いますか? ベーコン:とにかく映画の世界の中に一旦入ったら、そこでいろんな状況や出来事にもまれながら、それでもひたすらがんばっていくってことに尽きると思うんだ。長期的に、自分の人生をかけて、映画の仕事にコミットすること。簡単にやれること、簡単にくる仕事なんていうのは、この世界には一切ないわけだから、とにかく努力を重ねること。弛まぬ努力は絶対に必要だよ。人によっては「天から恵まれた才能を与えられて」なんていう人もいるけれど、僕はそういうことは信じない。僕は努力すれば努力するほど自分の芸を磨けると考えている。 ——『COP CAR コップ・カー』の舞台は現代ですが、70年代と言われてもそのまま通じてしまうようなコロラド・スプリングスという極めてアメリカ的な風景が印象的で、ある意味、あの風景がもう一つの主役と言ってもいい作品だと思いました。そこでふと気づいたんですけど、あなたのこれまでのバリエーションに満ちた出演作に何か共通点のようなものがあるとしたら、どこか「70年代のアメリカ映画」的なテイストを持った作品が多いように思ったんです。ケヴィン・ベーコンという役者がそういう作品を引き寄せているのか、あるいはあなた自身がそういう作品に引かれていることが多いのかどうかはわかりませんが。 ベーコン:それについては意識をしたことはないな。でも、確かにこれまで自分が演じてきたキャラクターの多くは、本質的な意味で、アメリカ的な資質を持ったキャラクターが多かったように思う。あと、これは最近の映画を見ればよくわかると思うけど、英国人やオーストラリア人がアメリカン・アクセントの英語を訓練してアメリカ人を演じるということはよくあるし、それだけでなく、外国の役者はとても自由に自分の母国とは違う国籍のキャラクターを演じているだろ? でも、僕らのようなアメリカ人の役者には、あまり外国人を演じるチャンスが与えられていないように思うんだ。 ——確かに! ベーコン:それはそうとして、僕は良くも悪くも典型的なアメリカ人を演じることに、特に不満を覚えているわけではないよ。あと、君が指摘した「70年代アメリカ映画」的なテイストの作品が多いということについても、考えたこともなかったけど、実際に自分が最も影響されてきたのは70年代のアメリカ映画だし、ちょうどその頃、映画の道に進みたいと思って、決断したわけだから、とても思い入れがある時代でもある。だから、そう言われるのはちょっと嬉しいよ(笑)。

「重要なのは、「この役は自分にとって挑戦だった」と思えるかどうか」

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——『COP CAR コップ・カー』であなたが演じている役柄は、得体の知れない野蛮な「悪」の存在を体現しているように思いました。映画で善人を演じることと、悪人を演じること。あなたにとってはどちらの方が役に入り込みやすいですか? ベーコン:どちらが入り込みやすいか、つまり、演じやすいか、演じにくいかというのは、実は重要な問題ではないんだ。演じる前に思っていたよりも簡単だったりすることもあるし、逆に難しかったりすることもあるけど、自分は演じやすい役を求めているわけではないから、それは結果論でしかないし、そこに自分の関心はない。重要なのは、「この役は自分にとって挑戦だった」と思えるかどうかなんだ。映画業界には「悪役を演じるのは役者冥利につきる」っていう神話みたいなものがあるんだけど、それについて自分は懐疑的だ。そんなの迷信だと思うね。善人か悪人かなんてことよりも、そのキャラクターがどれだけ複雑か、そのキャラクターにどれだけ驚きがあるか、僕が気にしているのはいつもそこで、その先にキャラクターの「声」のようなものを見つけることができれば、それが自分の演じたいキャラクターってことなんだ。 ——40年近くに及ぶあなたの映画俳優としてのキャリアの途中には、我々には伺い知ることのできない、あなたにとって個人的なターニングポイントとなった作品、あるいは監督との出会いがあったのではないでしょうか? それはどの作品で、どのような意味でターニングポイントになったのか教えてください。 ベーコン:まず重要だったのは、やっぱりデビュー作となったジョン・ランディス監督の『アニマルハウス』だね。初めて映画の現場に足を踏み入れて、映画作りの現場のカオスの中に放り込まれ、それを本当に魅力的に感じて、映画の世界に引き込まれたのがこの作品だった。僕は、映画と本当に恋に落ちてしまったんだ。次に印象的だったのはバリー・レヴィンソン監督の『ダイナー』。それまで演劇の勉強をしたり、演技の学校に行ったりしていた時に磨いてきた自分の演技スキルというものを、初めて少なからず表現することができたという実感を得ることができた。自分にとって初めての大きな役だったということもあって、演劇と映画の違いを強く感じた作品でもあったね。それから……うん、やっぱりハーバート・ロス監督との『フット・ルース』についても触れないわけにはいかないな。いわゆるスターダムというのを初めて経験することになって、わくわくもしたんだけど、それ以上に混乱したり、怖い思いもした。それ以降は、素晴らしい監督、脚本家、撮影監督をはじめとするクルーたちとのとたくさんの仕事に恵まれて、そこで影響を受けたり、助けられたり……。そうやって僕のキャリアは進んでいった。今の僕という役者を作ったのは自分の力ではなくて、そうした数えきれない人たちのおかげだよ。

「デビューした当時は、もっと人間の深部を描いたような作品がたくさんあった」

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——今作『COP CAR コップ・カー』では製作総指揮にも携わっていますが、具体的にはどのようなことをしたのですか? ベーコン:僕が製作に携わることになった時点で、もう資金も集まっていたし、脚本もできあがっていたので、作品の立ち上げや資金集めに奔走したわけじゃないんだ。ただ、映画って怖いもので、どんなに条件が整ったように思えても、撮影時の天候だったり、キャスティングの問題だったり、公開タイミングだったりの影響で、「やっぱりこの作品は作らないでおこう」となってしまうことがあるんだ。製作延期や製作中止になる理由はいつだって山のようにある。だから、僕のこの作品での裏方としての役割は、レールに乗った作品を、止まらないように後ろから押し続けたということかな。ちょうど『ザ・フォロイング』(FOX製作のテレビシリーズ。ケヴィン・ベーコン主演)のシーズン2と3の間にちょっとだけ休みの時間があったので「そこで撮るしかないよ」と念を押したりしてね。ただ、この作品の現場は、みんながプロデューサーであり、誰もプロデューサーではないような、そんな感じだった。少人数での撮影だったから、みんなで昼のケータリングの準備から機材運びまで、なんでもやっていたんだ。久々にそういう現場に参加するのは、とても楽しいことだったよ。
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——そんな低予算の作品だった本作の次作として、まだ30代前半という若さの監督のジョン・ワッツは、『スパイダー・マン』シリーズの新作という大きなプロジェクトに挑むことになりました。映画界の先輩として、彼に何かアドバイス、あるいはエールを送るとしたら、どんなことでしょうか? ベーコン:ジョンにアドバイスなんて不要だと思うけど(笑)。彼はまだ本作を含めて長編作品は2作しか撮ってないけれど、本当にびっくりするほどの自信を持っていて、彼だけのぶれないビジョンを持っているんだ。決して生意気にはならずに、そういったものを持ち合わせているのは見上げたものだと思う。きっと『スパイダー・マン』でも今回と同じようにクリアなビジョンを持って、いい作品を作ると思うよ。個人的には、きっと彼の『スパイダー・マン』は成功するだろうと思うけど、その後は、また『COP CAR コップ・カー』のように自分からアイデアを出した、自分自身で作りあげたような作品に立ち戻ってほしいと思っている。ずっとスーパーヒーローものだけを作り続けるようになるとしたら、彼の才能の無駄遣いになるんじゃないかなって(笑)。多分、僕がそう思うのは、今の映画業界って、そうしたメガヒット・フランチャイズ、それこそ製作費だけで1億ドルも2億ドルもかかっていて、興収も10億ドルくらい稼がないとつじつまが合わないような作品ばかりが作られているからなんだ。自分がデビューした当時は、もっと人間の深部を描いたようなストーリーの作品がたくさんあった。だからスーパーヒーローもの、モンスター、それから宇宙もの、こういったものじゃない、より人間を掘り下げられるような作品を、ジョンにはこれからもぜひ撮ってほしい。映画にとってアクションも大事だし、サスペンスやスリルも大事だ。でも、それと同時に心理描写やディテールに富んだ、人間をしっかりと描いた作品というのも大事なんだ。まぁ、僕がそう言ったとしても、彼はスーパーヒーローものを撮り続けるかもしれないけどね(笑)。 (取材・文=宇野維正)

「Cop Car/コップ・カー」予告編

■公開情報 『COP CAR コップ・カー』 2016年4月9日(土)公開 監督:ジョン・ワッツ 製作:コディ・ライダー、アリシア・バン・クーバリング、サム・ビスビー、ジョン・ワッツ 出演:ケビン・ベーコン、ジェームズ・フリードソン=ジャクソン、ヘイズ・ウェルフォード 公式サイト:http://cop-car.com/ (C)Cop Car LLC 2015

人間は“孤独”とどう向き合うべきなのか 『孤独のススメ』が投げかける普遍的なテーマ

【リアルサウンドより】  孤独は誰の人生にとっても大きなテーマだろう。文学でも映画でも繰り返し登場するテーマでもある。人は孤独から逃れることはできない。孤独は私的で普遍的な問題である。  本作『孤独のススメ』は、その人類普遍の問題をユーモアにくるんで静かに語りかける。妻に先立たれ、息子とも絶縁した初老の男フレッドが、無精ひげで会話のできない中年男に出会い、ともに暮らすようになる。彼との共同生活でフレッドは、型にはまった単調な生活から抜け出し、次第に解放されていく。
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 本作の原題は「Matterhorn(マッターホルン)」。マッターホルンは、スイスとイタリアにまたがる欧州の霊峰であり、天国に一番近いところとも言われる。フレッドは敬虔なキリスト教信者であり、日曜の礼拝は欠かさない。物語の展開上、キリスト教関連の事物が関わってくることもあり、もし本作が原題のまま公開されていたら、信仰に関する作品として受け止められたかもしれない。邦題は映画ファンの間で作品内容に合わない、などと槍玉に挙げられることも多いが、本作の邦題は特定宗教の枠を超えて普遍的な問題意識に目を向けさせる。  人は孤独に生まれ、孤独に死んでいく。孤独は富める者にも貧しい者にも等しく持たされる宿命だ。キリスト教色から切り離し、普遍の題材「孤独」をフィーチャーした配給会社の采配は見事であると思う。  例えば、仏教でも孤独は重要なテーマだ。瀬戸内寂聴は、時宗の開祖一遍上人の言葉「生ぜしもひとりなり、死するも独なり。されば人と共に住するも独なり、そひはつべき人なき故なり」に触れ、孤独を恐れなくなったそうだ。  人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。誰かとともに暮らしていても本質的にはひとりであると説くこの言葉は本作に通ずるものがある。
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 本作の監督ディーデリク・エンリケは「宗教的な教義からの解放についての映画というよりは、主人公がある洞察を得ることを巡る話であり、誰にでも当てはまる物語」と語っている。本作は、孤独から得られる気づきを描いた作品だ。  本作の主人公フレッドが暮らすのはオランダの保守色の強い小さな村だ。そこに「よそ者」の来訪者テオがやってくる。まともにコミュニケーションが取れないテオはどこからやってきたのかもわからない。フレッドはテオを自宅に泊めることになるのだが、周囲は二人に対して良からぬ噂を立て始める。日曜日の礼拝を欠かさない敬虔な信徒でもあるフレッドだが、身元不明の男を泊めた彼の善意は理解されない。彼は村のコミュニティの中で孤独な存在となるが、小さな村の慣習から外れ、超然とした存在のテオに触発されるように、フレッドは自らを解放して、自由な存在となっていく。
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 説明台詞もなく、主要役者の表情も敢えて硬めで淡々と展開するため、わかりにくいと感じる方もいるかもしれない。だがこれは思索に耽るための映画だ。  映画観賞もまた孤独な体験だ。友人や恋人、家族と並んで座っていても、スクリーンと向き合うのは一人ずつなのだ。映画館の暗闇の中、孤独について思いを巡らすのも良い観賞体験になるのではないだろうか。 ■杉本穂高 神奈川県厚木市のミニシアター「アミューあつぎ映画.comシネマ」の支配人。ブログ:「Film Goes With Net」書いてます。他ハフィントン・ポストなどでも映画評を執筆中。

■公開情報 『孤独のススメ』 4月9日(土)、新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー 監督・脚本:ディーデリク・エビンゲ 出演:トン・カスフレッド、ロネ・ファント・ホフテオ、ポーギー・フランセカンプス、アリーアネ・シュルター 配給:アルバトロス・フィルム (c)2013, The Netherlands. Column Film B.V. All rights reserved.

松田龍平はいつから“ゆるキャラ俳優”に!? 不安定かつユニークな特性が培われた背景

【リアルサウンドより】  松田龍平は、クール、ミステリアス、無機質、孤高、冷静沈着といった形容詞が当てはまる、唯一無二の存在感を放つ俳優だ。ところが、4月9日から全国公開される沖田修一監督『モヒカン故郷に帰る』では、モヒカン頭のバンドマン役で主演を務め、今秋に公開が控えている北杜夫の児童文学原作の映画『ぼくのおじさん』では、哲学者で変わり者のおじさん役に初挑戦するなど、かつての硬派でシリアスなイメージから一転、最近では“ゆるキャラ”的な親しみやすさを備えたユニークな役柄を演じることが多くなっている。いったいどこで、松田龍平のキャラクターは変化したのか。  おそらく、松田龍平のイメージを大きく変えたのは、松尾スズキ監督のラブコメディ『恋の門』(2004年)だろう。三枚目に初挑戦した彼は、石で漫画を描く童貞の男という特殊な役で、コスプレをさせられたり、悔しくて走ったり、緊張して吐いたり、エッチを試みるも失敗ばかりのダメな男を演じ、その“ダサかっこいい”魅力を打ち出した。かの『大人計画』を率いる松尾監督の世界に入ると、その孤高さは偏屈さに、クールな佇まいは間抜けな頓馬に変換されてしまうのだ。視点を変えることで彼の面白さを発見したのは、松尾監督の観察力の成せる業である。その11年後に再びタッグを組んだコメディ映画『ジヌよさらば~かむろば村へ~』の舞台挨拶で松尾監督が、「いかにもコメディっぽい人を使うのは安っぽくなると思ったので、龍平君のようなコメディっぽくない人の方が落差があっておもしろいかなと」と、彼をキャスティングした理由を述べていたように、この“落差”こそが、役者としての大きな武器になった。  伝説的俳優・松田優作の長男であり、1999年、鬼才・大島渚監督の遺作『御法度』で映画デビューを果たした松田龍平は、同作で新選組の男たちを虜にする美少年の剣士役を演じ、その色気と冷たい眼差しで注目を集めた。その後、不良高校生たちの痛々しくも鮮烈な日々を切り取った2002年の青春映画『青い春』では、同世代である新井浩文や瑛太といった俳優と共演し、映画界に新風を巻き起こす。その、あまりに“カッコいい”経歴があったからこそ、そのコメディ俳優ぶりはインパクトがあったのである。  だが、昨今の松田龍平の役柄は、単に“かっこいいのが逆に面白い”というだけでもない。イケメンであることが笑いに繋がる例として、竹野内豊が缶コーヒー「Roots」のCMで演じる間の抜けたビジネスマンなどが挙げられるが、いまの彼の演技はそうしたタイプとも少々異なるのだ。  “ゆるキャラ”の提唱者であるみうらじゅんが、その条件のひとつとして「立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること」と挙げているように、どこか不安定さを感じさせるのも魅力のひとつである。彼は、2011年よりスタートした映画『まほろ駅前』シリーズで、瑛太演じる便利屋の多田啓介の元に転がり込んで来る同級生で、“小指を切断した”過去を持つミステリアスな男・行天春彦を演じた。便利屋を手伝うふりをして何にでも首をつっこみ、ヘラヘラしていると思いきや急にキレたりと、まったくつかみ所のない性格は、余計に松田龍平という人物をわからなくさせた。ユーモアと狂気の境が曖昧なところは、『探偵物語』の松田優作にも似ているように感じるが、松田龍平の方がより脱力した雰囲気である。  一方で、30代になった松田龍平は、その演技に独特の繊細さも湛え始めている。2013年の石井裕也監督『舟を編む』では、真面目で人見知り、編集部で十数年ひたすら辞書作りに励む男を丁寧に演じ、第37回日本アカデミー賞主演男優賞に輝いた。話し下手でありながら、その朴訥とした言葉に説得力を宿す演技は、本来の彼らしいものだろう。しかし、ただ真面目でかっこいいだけではないのが、コメディ経験以降の彼の奥深さだ。同年、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』では、主人公が所属するアイドルグループのマネージャー・水口役として出演。ぶっきらぼうで興味なさそうなフリをしているくせに、実はあまちゃんを一番応援しているツンデレキャラで、全国のお茶の間に“ゆるくてかっこいい松田龍平”を強く印象付けた。  “ゆるキャラ”的な役どころは、一見すると意外にも感じられるが、実は華々しくも奥行きに富んだキャリアからじっくりと培われてきたものである。今回の『モヒカン故郷に帰る』は、『南極料理人』や『横道世之介』といった作品で、人間の滑稽さをハートフルに描いてきた沖田修一監督によるコメディで、まさに彼に打ってつけの作品といえよう。特有の、クールで繊細なのに、どこか不安定で愛嬌のある絶妙な“ゆるさ”は、同じく独特の雰囲気を持つ前田敦子との共演の中で、どのように発揮されるのだろうか。予想不可能なそのキャラクターから目が離せそうにない。 (文=本 手) ■公開情報 『モヒカン故郷に帰る』 2016年3月26日(土)広島先行公開、4月9日(土)テアトル新宿ほか全国拡大公開 監督・脚本:沖田修一 出演:松田龍平、柄本 明、前田敦子、もたいまさこ、千葉雄大 主題歌:細野晴臣「MOHICAN」(Speedstar Records) 音楽:池永正二 配給:東京テアトル (c)2016「モヒカン故郷に帰る」製作委員会 公式サイト:mohican-movie.jp

松田龍平はいつから“ゆるキャラ俳優”に!? 不安定かつユニークな特性が培われた背景

【リアルサウンドより】  松田龍平は、クール、ミステリアス、無機質、孤高、冷静沈着といった形容詞が当てはまる、唯一無二の存在感を放つ俳優だ。ところが、4月9日から全国公開される沖田修一監督『モヒカン故郷に帰る』では、モヒカン頭のバンドマン役で主演を務め、今秋に公開が控えている北杜夫の児童文学原作の映画『ぼくのおじさん』では、哲学者で変わり者のおじさん役に初挑戦するなど、かつての硬派でシリアスなイメージから一転、最近では“ゆるキャラ”的な親しみやすさを備えたユニークな役柄を演じることが多くなっている。いったいどこで、松田龍平のキャラクターは変化したのか。  おそらく、松田龍平のイメージを大きく変えたのは、松尾スズキ監督のラブコメディ『恋の門』(2004年)だろう。三枚目に初挑戦した彼は、石で漫画を描く童貞の男という特殊な役で、コスプレをさせられたり、悔しくて走ったり、緊張して吐いたり、エッチを試みるも失敗ばかりのダメな男を演じ、その“ダサかっこいい”魅力を打ち出した。かの『大人計画』を率いる松尾監督の世界に入ると、その孤高さは偏屈さに、クールな佇まいは間抜けな頓馬に変換されてしまうのだ。視点を変えることで彼の面白さを発見したのは、松尾監督の観察力の成せる業である。その11年後に再びタッグを組んだコメディ映画『ジヌよさらば~かむろば村へ~』の舞台挨拶で松尾監督が、「いかにもコメディっぽい人を使うのは安っぽくなると思ったので、龍平君のようなコメディっぽくない人の方が落差があっておもしろいかなと」と、彼をキャスティングした理由を述べていたように、この“落差”こそが、役者としての大きな武器になった。  伝説的俳優・松田優作の長男であり、1999年、鬼才・大島渚監督の遺作『御法度』で映画デビューを果たした松田龍平は、同作で新選組の男たちを虜にする美少年の剣士役を演じ、その色気と冷たい眼差しで注目を集めた。その後、不良高校生たちの痛々しくも鮮烈な日々を切り取った2002年の青春映画『青い春』では、同世代である新井浩文や瑛太といった俳優と共演し、映画界に新風を巻き起こす。その、あまりに“カッコいい”経歴があったからこそ、そのコメディ俳優ぶりはインパクトがあったのである。  だが、昨今の松田龍平の役柄は、単に“かっこいいのが逆に面白い”というだけでもない。イケメンであることが笑いに繋がる例として、竹野内豊が缶コーヒー「Roots」のCMで演じる間の抜けたビジネスマンなどが挙げられるが、いまの彼の演技はそうしたタイプとも少々異なるのだ。  “ゆるキャラ”の提唱者であるみうらじゅんが、その条件のひとつとして「立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること」と挙げているように、どこか不安定さを感じさせるのも魅力のひとつである。彼は、2011年よりスタートした映画『まほろ駅前』シリーズで、瑛太演じる便利屋の多田啓介の元に転がり込んで来る同級生で、“小指を切断した”過去を持つミステリアスな男・行天春彦を演じた。便利屋を手伝うふりをして何にでも首をつっこみ、ヘラヘラしていると思いきや急にキレたりと、まったくつかみ所のない性格は、余計に松田龍平という人物をわからなくさせた。ユーモアと狂気の境が曖昧なところは、『探偵物語』の松田優作にも似ているように感じるが、松田龍平の方がより脱力した雰囲気である。  一方で、30代になった松田龍平は、その演技に独特の繊細さも湛え始めている。2013年の石井裕也監督『舟を編む』では、真面目で人見知り、編集部で十数年ひたすら辞書作りに励む男を丁寧に演じ、第37回日本アカデミー賞主演男優賞に輝いた。話し下手でありながら、その朴訥とした言葉に説得力を宿す演技は、本来の彼らしいものだろう。しかし、ただ真面目でかっこいいだけではないのが、コメディ経験以降の彼の奥深さだ。同年、NHK連続テレビ小説『あまちゃん』では、主人公が所属するアイドルグループのマネージャー・水口役として出演。ぶっきらぼうで興味なさそうなフリをしているくせに、実はあまちゃんを一番応援しているツンデレキャラで、全国のお茶の間に“ゆるくてかっこいい松田龍平”を強く印象付けた。  “ゆるキャラ”的な役どころは、一見すると意外にも感じられるが、実は華々しくも奥行きに富んだキャリアからじっくりと培われてきたものである。今回の『モヒカン故郷に帰る』は、『南極料理人』や『横道世之介』といった作品で、人間の滑稽さをハートフルに描いてきた沖田修一監督によるコメディで、まさに彼に打ってつけの作品といえよう。特有の、クールで繊細なのに、どこか不安定で愛嬌のある絶妙な“ゆるさ”は、同じく独特の雰囲気を持つ前田敦子との共演の中で、どのように発揮されるのだろうか。予想不可能なそのキャラクターから目が離せそうにない。 (文=本 手) ■公開情報 『モヒカン故郷に帰る』 2016年3月26日(土)広島先行公開、4月9日(土)テアトル新宿ほか全国拡大公開 監督・脚本:沖田修一 出演:松田龍平、柄本 明、前田敦子、もたいまさこ、千葉雄大 主題歌:細野晴臣「MOHICAN」(Speedstar Records) 音楽:池永正二 配給:東京テアトル (c)2016「モヒカン故郷に帰る」製作委員会 公式サイト:mohican-movie.jp

板野友美主演『のぞきめ』の“恐怖システム”はどう機能する? Jホラーの系譜から考察

【リアルサウンドより】  昨年の『劇場霊』から、今年の1月に公開された『残穢 住んではいけない部屋』と、このところJホラーが息を吹き返してきているのが何とも喜ばしい。少々ヨーロッパ風ホラーの印象を受けた『劇場霊』の素晴らしさはさておき、『残穢 住んではいけない部屋』といい、今回の『のぞきめ』といい、日本古来の怪談話をベースにした、そこはかとない不気味さを映画に還元できるのは、Jホラー映画にのみ許された特権である。  この『のぞきめ』は、「何だかわからないが妙に視線を感じる」という、不条理な恐怖を前面に打ち出していた宣伝から打って変わって、いざ蓋を開けてみると、定番の怪談話である「六部殺し」を主軸にしているというのが興味深い。「六部殺し」という怪談話は夏目漱石の『夢十夜』の中でも描かれるほどにポピュラーなもので、霊場を巡る旅人が、訪れた村の百姓の家に一晩泊まらせてもらうのだが、金品を奪うなどの目論見を持った百姓に殺されてしまう。その金品で繁栄を遂げた百姓の子孫に、殺された旅人の魂が生まれ変わって、百姓の罪を暴き出すというもの。  その六部殺しで繁栄した村に、殺された六部の少女の霊が眠っていて、それを鎮めるための生贄となる少女を村のお堂の地下に閉じ込めていたのだが、外界からやってきた男によってその調和が乱される。その顛末として、村自体がダムの底に沈む廃村になってしまい、六部の少女の霊は浮遊し、外界とその村を繋いでいた峠に訪れた者に取り憑くようになるのである。ともなれば、その生贄という存在がまったく映画に機能していないようにも思えるのだが、そこに目を瞑ることも苦ではないほど、「六部殺し」と「ダムの底に沈んだ村」というプロットが魅力的に描かれるのである。  「ダムの底に沈んだ村」というと、白石晃士の『ノロイ』が真っ先に思い浮かぶ。他にも、“のぞきめ”の呪いによって死を迎えた者たちの死体が捻れているというのを聞くと、Higuchinskyの『うずまき』を思い出してしまうし、終盤で母親を求める少女の霊の悲痛な叫びには、中田秀夫の『仄暗い水の底から』を連想させる。それだけでなく、これまでのJホラー映画を追いかけてきた観客にとっては、妙に記憶中枢を刺激される数多くのオマージュを感じることができるだろう。  とくに、その最たるものは『呪怨』であろう。思い起こしてみると、劇場版1作目の『呪怨』の中に、友人たちと呪いの家に肝試しにいく女子高生たちを描くシークエンスがあった。一人だけが助かり、残りの三人は行方不明となるのだが、助かった一人は、その三人の霊が窓の外から覗くことに怯え、部屋の窓ガラスを新聞紙とガムテープで塞いでいるのである。つまり、本作と同じ「覗かれる恐怖」に対する典型的な対処法がすでに描かれているのだ。  それを踏まえると、『のぞきめ』はJホラーの系譜の中でも『呪怨』に近しいテイストであると思える。村人が誰も近付かない峠に行った者だけが〝のぞきめ〟と遭遇し、その恐怖に襲われるという本作の恐怖システムは、呪いの家に足を踏み込んだ人間とその関係者だけが、恐怖を体験するという『呪怨』のシステムと同じである。『リング』や『劇場霊』のように恐怖の原因が移動可能な状態になく、はたまた『富江』のような一人の人間の周りでもなければ、『弟切草』のように限定された空間というわけでもない。あくまでも原因自体は不動産であり、そこに自ら踏み込んだ者が死に至るまでひたすら恐怖のスパイラルに巻き込まれ続けるという、自己責任色が強い点で共通しているのだ。  強いて言うならば、その呪いの連鎖が、誰かれ構わずパンデミックしないあたりは少々こじんまりとした印象を受ける。劇中で、最初に描かれるカップルと、その解明のために峠に向かう主人公カップルの4人以外が、この“のぞきめ”の恐怖を体験する姿が描かれていないのである。これが『呪怨』や『リング』のような強力な感染力を持っていれば、事件を取材したテレビ局の関係者まで広まっていきそうなものであるが、もう一人、過去に“のぞきめ”と遭遇したという吉田鋼太郎演じる男が語るように、あくまでもこの「見られてる」という感覚は錯覚であると言い切ってしまうのである。主人公が、被害者の恋人と会うシーンを見ると、完全に潜在意識に刷り込まれたような、極めて個人的な錯覚としての恐怖が描かれているのがわかる。  そんなホラーの要である心霊体験という現象に対する妙に消極的なスタンスは、本作があの『トリハダ』シリーズを手掛けた三木康一郎が監督しているということを知ると、納得ができるだろう。恐怖を体験している者にフォーカスを当てるのでなく、その原因となる事象に関するミステリーに重きを置いているあたりは、ホラー映画に必要不可欠なロジカルさへの追求を感じることができる。あくまでも死者が一方的に悪いのではなく、調和を踏みにじった生者に全ての原因があるというわけだ。それでも、『トリハダ』から一転して、幽霊の存在を可視化させたり、クライマックスで主人公がダムの底に沈んでいるはずの村を訪れるというファンタジックなシーンを織り交ぜるという方法論は、純粋にホラー映画として期待する観客を楽しませるということを忘れていないのだろう。 ■久保田和馬 映画ライター。1989年生まれ。現在、監督業準備中。好きな映画監督は、アラン・レネ、アンドレ・カイヤット、ジャン=ガブリエル・アルビコッコ、ルイス・ブニュエル、ロベール・ブレッソンなど。Twitter

映画『のぞきめ』予告編

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『のぞきめ』ポスタービジュアル (c)2016「のぞきめ」製作委員会

■公開情報 『のぞきめ』 4月2日(土)全国ロードショー 出演:板野友美、白石隼也、入来茉里、東ちづる、玉城裕規、小澤亮太、石井心愛、池田鉄洋、つぶやきシロー、石井正則、吉田鋼太郎 監督:三木康一郎 原作:三津田信三「のぞきめ」(角川ホラー文庫) 脚本:鈴木謙一 音楽:小山絵里奈 主題歌:板野友美「HIDE & SEEK」(キングレコード) 製作:映画「のぞきめ」製作委員会 制作プロダクション:ホリプロ 配給:KADOKAWA、プレシディオ (c)2016「のぞきめ」製作委員会 公式サイト:www.nosokime.jp

『ドロメ』内藤監督が語る、Jホラーとアメリカンホラーの融合「主人公の成長物語でもある」

【リアルサウンドより】  森川葵と小関裕太がW主演を務め、内藤瑛亮監督がメガホンを取ったダブルアングルホラー映画『ドロメ』が現在公開中だ。本作は、とある高校の演劇部部員たちが、部活の合宿中、謎のモンスター“ドロメ”に襲われていく姿を描いた青春ホラーで、同じ時間軸で進行する男子と女子の物語を、2つの視点、2本の作品として制作された“シンクロ・ムービー”。『先生を流産させる会』『ライチ光クラブ』など、これまで少年少女の内面にスポットを当てた作品を数多く手掛けてきた内藤瑛亮監督に、『ドロメ』の斬新な手法や作風がどのように生み出されたのか、話を聞いた。

「限られた制約の中から生まれたアイデアでした」

ーー『ドロメ』をダブルアングルホラーで撮ろうと考えたきっかけを教えてください。 内藤瑛亮(以下、内藤):プロデューサーからの二本立てのホラーを作りたいって依頼からはじまりました。ただ、予算的には1本を撮るのも大変って感じだったので、別々の物語を撮るのは厳しくて、そこでワンシチュエーションで起こるひとつの物語を、ふたつの視点で撮るなら大丈夫だろう、と。限られた制約の中から生まれたアイデアでした。 ーー視点を分けたことで、それぞれの作品を見た時の発見が楽しめました。 内藤:一本観ただけでは解明できない謎を入れたいと考えていました。こういった企画でなければ出来ない仕掛けなので。霊現象だと思っていたものが実は人為的なものだったり、妙な行動をする背景には幽霊がいた、みたいな。視点を少し変えると物語の印象もガラッと変わりますし、幽霊描写としても新鮮なものを作れたと思います。 ーーほかに、プロデュース面での要望はありましたか? 内藤:若いキャストを使いたい、制服風の衣装で撮りたいなどのオーダーもありました。でも、学園ホラーで制服はありきたりだし、『ライチ光クラブ』も学生服だったので、そこは避けたいと思って、高校の演劇部の設定を思いつきました。個人的にジャージ姿が好きなんです。それに「制服風の衣装」というオーダーもコスプレ感というニュアンスだったので、演技部だったらメイド服やロリータファッションを着させることもできるし、それが最終局面で戦う時の戦闘服みたいにも見えるかなって(笑)。 ーー商業映画としての制約を、うまく活用している印象ですね。 内藤:僕としてはその制約との戦いが面白いというか。決まった枠があるからこそ、その中で自分なりの色やアイデアを出していく楽しさがあるし、ギリギリのラインを狙っていくことで、もともと想定していなかった面白いものが生まれてくることもあります。一方で、もっと自由に作りたいって思いもあります。濱口竜介監督の『ハッピーアワー』、橋口亮輔の『恋人たち』、小林勇貴監督の『孤高の遠吠』、塚本晋也監督の『野火』など、昨年公開された面白い日本映画の殆どが自主映画あるいはインディペンデントな体制で制作されていました。監督がどうしても語りたい話を語っている印象があって、そんな監督の覚悟や切実さが、映画の緊張感に反映されていて、凄く刺激も受けました。どの作品も劇場で観たんですけど、客席からお客さんの熱気を感じて、みんなこういう作品に飢えてるのかな、と感じました。制約の多い商業映画を観客も窮屈に感じ、監督の個人的な欲望がはっきり現れている作品が観てみたい、という気持ちが潜在的にあるのかもしれませんね。

「『ドロメ』は転換点で、新しいことに挑戦したという自負もある」

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ーー今回の『ドロメ』も、監督の色はすごく表れていたと感じました。 内藤:制約はありましたが、内容については割と自由にやらせていただきました。『先生を流産させる会』『パズル』『ライチ☆光クラブ』を観てきた人からすると、今回は「妙に明るい」と驚かれることがあります。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で上映した時も、田代尚也監督や鈴木太一監督から「内藤さんの映画でこんなに笑いが起こるなんて」と言われました(笑)。 ーーなぜ明るい作品を作ろうと? 内藤:十代の鬱屈した感情が過剰な暴力に結びつく物語を撮り続けてきたし、今後もやっていくテーマですが、今回に関してはいままでと違うものを撮ろうと意識的に取り組みました。同じことの繰り返しをしていては、表現として劣化していくって、自分自身への危機感も感じていました。自分の中で『ドロメ』は転換点だと思っていて、新しいことに挑戦したという自負もあります。ずっと少年少女たちの視点にこだわって撮り続けてきて、いままではそれぞれの欲望が破滅していく方向にしか描いていなかったのですが、今回初めて少年少女たちの姿を肯定的に描けたと思うので、それは嬉しいです。 ーーホラーというよりもコメディに近い印象でした。 内藤:ジャパニーズホラー(以下、Jホラー)の要素を取り入れつつ、僕が幼い頃から慣れ親しんだ80年代のアメリカンホラー的な物語を描こうと考えていたら、こうなりました。主人公から成長を奪い、幽霊を人間には絶対倒せない存在として描くことで怖さを生み出しているJホラーに対して、アメリカンホラーは主人公が成長して最後は幽霊やモンスターを倒しちゃうんですよね。『ドロメ』は入り口がJホラーなんだけど、実はアメリカンホラーで、主人公は成長し、最後は敵を倒して明るく笑い飛ばします。意図としては『ショーン・オブ・ザ・デッド』が近いかもしれません。コメディだけど根っこにあるのは悪ふざけだけではなく、オリジナルの精神も引き継ぎつつ、主人公の成長物語にもなっているみたいな。『ドロメ』も幽霊やクリーチャーの存在に怖がるのではなく、それらに怖がって盛り上がる少年少女たちのわーきゃーしている姿を観て面白がってほしい。幽霊もドロメも校舎に迷い込んできた犬と同じで、絶望的な危機ではなく楽しいトラブルで、あくまで彼らの学生生活に彩りを与えた存在でしかないんですよ。
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ーー男子女子全員でドロメをボコボコにするシーンは衝撃的で、ここには監督が描き続けてきた少年少女の狂気も感じられました。 内藤:ある意味、いままでの中で一番暴力的な描写かもしれないですね(笑)。このシーンは映画学校時代から温め続けているアイデアで、「→Pia-no-jaC←」が演奏するベートーベンの第9を聴いた時に、モンスターをフルボッコにするイメージが浮かんだのがきっかけでした。最後は学園祭のフィナーレみたいにスカッとする終わりにしようとした結果、スカッとを通り越えて可哀想な感じになってしまいました。最初の想定とは違いますが、可哀相過ぎて笑っちゃうっていう面白さがあって、これはこれでアリだな、と。 ーー今回は珍しく血の描写が一切ない、というよりも泥が血の役割を果たしてました。なぜ泥を使ったのですか? 内藤:貞子や伽椰子って役者を白塗りにすることでモンスターとして成立するので、予算規模が小さい日本映画にとって、経済効率が高いアイデアなんです。そこで、泥塗れならどうだろうと考えたんです。ゾンビ的な描写もありますが、泥を吐き出したり、飲ませたりって、フレッシュな見せ方もできる。血がダメな人でも受け入れらるし。あと、泥ってモチーフには日本らしい土着的な雰囲気が感じられるのも面白いな、と。口から吐き出す演出は『牛乳王子』でもやっていて、口から吐いたものを人にかけるとか、吐かれたもので人の顔をぐちゃぐちゃにするのは、ある意味、性癖に近いものがありますね(笑)。水っぽい泥なら、ねちょねちょぐちょぐちょしているし、吐き出す素材としては最適です。
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ーー男子編、女子編では友情の描き方やホラーの仕掛けを明確に分けていましたね。 内藤:女子編の方は精神不安定者を中心に置いた古典的なホラー形式。そこからコミカルなホラ―に転換していく。男子編はバカ騒ぎする男連中を中心に進行していきます。『21ジャンプストリート』とか、アメリカンコメディを意識しました。ちなみに、男子編の子離れできない幽霊の設定は、『悪の華』の押見修造さんからお聞きした体験談を拝借しました。劇中にフェイスブックで好きな異性のことを調べるシーンがあるんですけど、女子は恋愛話に繋がるのに、男子は犯罪を連想してしまうとか、そんな男女のリアクションの違いの面白さも盛り込んでます。脚本は僕と松久君(松久育紀)が書いているので、女子の部分は多少皮肉や妄想が入っているとは思いますが。

「その人にしか語れない形で物語を撮ること、そこに監督する意味や意義がある」

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【左から】森川葵、小関裕太

ーー川那小春役の森川葵さん、星野颯汰役の小関裕太さん、それぞれキャスティングした理由を教えてください。 内藤:小春役はショートカットが似合う、すこし影のある女子をイメージしていたので、パッと思いついたのが森川さんでした。現場での彼女からは、すごく悩みながら手探りで演技をしている印象を受けましたね。舞台の練習をしている最中に小春が泣くシーンがあって、そこが本人的に上手く演じることができず、もうできないって撮影中に座り込んでしまうこともありました。引っ張り起こしてもう一回やってもらいましたが(笑)。小関くんは、女性の幽霊に取り憑かれそうな中性的な雰囲気がハマっていたと思います。撮影では、事前にきちんと作り込んできますが、その場での柔軟な対応やアイデア出しもできる方でした。 ーー今回の『ドロメ』も含め、内藤さんの作品には鑑賞者を驚かせようとする仕掛けがいつも用意されていると感じます。今後もそういった方向性で制作を続けていくのでしょうか? 内藤:おそらく他の作り手も同じだと思いますが、自分が面白いと思うものじゃないと作れないだけです。恋愛ならこういう形、ホラーならこうあるべき、といった既存のフォーマットにあてはめられた作品が一番つまらないと思っていて。抽象的な言い方ですが、そこに魂を感じないというか。自分の視点を通した映画は、描写にその人の資質が滲み出てくるだろうし、そうすると必然的に既存の形からもずれてくると思います。その人にしか語れない形で物語を撮ること、そこに監督することの意味や意義があるのかなって。僕から見た幽霊ホラーやモンスターホラーは、今回の『ドロメ』でしっかり形にできたと思います。

『ドロメ』予告映像

内藤瑛亮監督 コメント動画

(取材・文=泉夏音) ■公開情報 『ドロメ【男子篇】【女子篇】』 公開中 監督:内藤瑛亮 脚本:内藤瑛亮、松久育紀 主演:小関裕太、森川葵 出演:中山龍也、三浦透子、大和田健介、遊馬萌弥、岡山天音、比嘉梨乃、菊池明明、長宗我部陽子、木下美咲、東根作寿英ほか 製作:「ドロメ」製作委員会(日本出版販売、TCエンタテインメント、TBSサービス、是空、レスパスビジョン) 2016年/カラー/5.1ch/ビスタ/【男子篇】92分/【女子篇】98分 配給:日本出版販売 宣伝:太秦 (c)2016「ドロメ」製作委員会 公式サイト:dorome-movie.com

『ドロメ』内藤監督が語る、Jホラーとアメリカンホラーの融合「主人公の成長物語でもある」

【リアルサウンドより】  森川葵と小関裕太がW主演を務め、内藤瑛亮監督がメガホンを取ったダブルアングルホラー映画『ドロメ』が現在公開中だ。本作は、とある高校の演劇部部員たちが、部活の合宿中、謎のモンスター“ドロメ”に襲われていく姿を描いた青春ホラーで、同じ時間軸で進行する男子と女子の物語を、2つの視点、2本の作品として制作された“シンクロ・ムービー”。『先生を流産させる会』『ライチ光クラブ』など、これまで少年少女の内面にスポットを当てた作品を数多く手掛けてきた内藤瑛亮監督に、『ドロメ』の斬新な手法や作風がどのように生み出されたのか、話を聞いた。

「限られた制約の中から生まれたアイデアでした」

ーー『ドロメ』をダブルアングルホラーで撮ろうと考えたきっかけを教えてください。 内藤瑛亮(以下、内藤):プロデューサーからの二本立てのホラーを作りたいって依頼からはじまりました。ただ、予算的には1本を撮るのも大変って感じだったので、別々の物語を撮るのは厳しくて、そこでワンシチュエーションで起こるひとつの物語を、ふたつの視点で撮るなら大丈夫だろう、と。限られた制約の中から生まれたアイデアでした。 ーー視点を分けたことで、それぞれの作品を見た時の発見が楽しめました。 内藤:一本観ただけでは解明できない謎を入れたいと考えていました。こういった企画でなければ出来ない仕掛けなので。霊現象だと思っていたものが実は人為的なものだったり、妙な行動をする背景には幽霊がいた、みたいな。視点を少し変えると物語の印象もガラッと変わりますし、幽霊描写としても新鮮なものを作れたと思います。 ーーほかに、プロデュース面での要望はありましたか? 内藤:若いキャストを使いたい、制服風の衣装で撮りたいなどのオーダーもありました。でも、学園ホラーで制服はありきたりだし、『ライチ光クラブ』も学生服だったので、そこは避けたいと思って、高校の演劇部の設定を思いつきました。個人的にジャージ姿が好きなんです。それに「制服風の衣装」というオーダーもコスプレ感というニュアンスだったので、演技部だったらメイド服やロリータファッションを着させることもできるし、それが最終局面で戦う時の戦闘服みたいにも見えるかなって(笑)。 ーー商業映画としての制約を、うまく活用している印象ですね。 内藤:僕としてはその制約との戦いが面白いというか。決まった枠があるからこそ、その中で自分なりの色やアイデアを出していく楽しさがあるし、ギリギリのラインを狙っていくことで、もともと想定していなかった面白いものが生まれてくることもあります。一方で、もっと自由に作りたいって思いもあります。濱口竜介監督の『ハッピーアワー』、橋口亮輔の『恋人たち』、小林勇貴監督の『孤高の遠吠』、塚本晋也監督の『野火』など、昨年公開された面白い日本映画の殆どが自主映画あるいはインディペンデントな体制で制作されていました。監督がどうしても語りたい話を語っている印象があって、そんな監督の覚悟や切実さが、映画の緊張感に反映されていて、凄く刺激も受けました。どの作品も劇場で観たんですけど、客席からお客さんの熱気を感じて、みんなこういう作品に飢えてるのかな、と感じました。制約の多い商業映画を観客も窮屈に感じ、監督の個人的な欲望がはっきり現れている作品が観てみたい、という気持ちが潜在的にあるのかもしれませんね。

「『ドロメ』は転換点で、新しいことに挑戦したという自負もある」

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ーー今回の『ドロメ』も、監督の色はすごく表れていたと感じました。 内藤:制約はありましたが、内容については割と自由にやらせていただきました。『先生を流産させる会』『パズル』『ライチ☆光クラブ』を観てきた人からすると、今回は「妙に明るい」と驚かれることがあります。ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で上映した時も、田代尚也監督や鈴木太一監督から「内藤さんの映画でこんなに笑いが起こるなんて」と言われました(笑)。 ーーなぜ明るい作品を作ろうと? 内藤:十代の鬱屈した感情が過剰な暴力に結びつく物語を撮り続けてきたし、今後もやっていくテーマですが、今回に関してはいままでと違うものを撮ろうと意識的に取り組みました。同じことの繰り返しをしていては、表現として劣化していくって、自分自身への危機感も感じていました。自分の中で『ドロメ』は転換点だと思っていて、新しいことに挑戦したという自負もあります。ずっと少年少女たちの視点にこだわって撮り続けてきて、いままではそれぞれの欲望が破滅していく方向にしか描いていなかったのですが、今回初めて少年少女たちの姿を肯定的に描けたと思うので、それは嬉しいです。 ーーホラーというよりもコメディに近い印象でした。 内藤:ジャパニーズホラー(以下、Jホラー)の要素を取り入れつつ、僕が幼い頃から慣れ親しんだ80年代のアメリカンホラー的な物語を描こうと考えていたら、こうなりました。主人公から成長を奪い、幽霊を人間には絶対倒せない存在として描くことで怖さを生み出しているJホラーに対して、アメリカンホラーは主人公が成長して最後は幽霊やモンスターを倒しちゃうんですよね。『ドロメ』は入り口がJホラーなんだけど、実はアメリカンホラーで、主人公は成長し、最後は敵を倒して明るく笑い飛ばします。意図としては『ショーン・オブ・ザ・デッド』が近いかもしれません。コメディだけど根っこにあるのは悪ふざけだけではなく、オリジナルの精神も引き継ぎつつ、主人公の成長物語にもなっているみたいな。『ドロメ』も幽霊やクリーチャーの存在に怖がるのではなく、それらに怖がって盛り上がる少年少女たちのわーきゃーしている姿を観て面白がってほしい。幽霊もドロメも校舎に迷い込んできた犬と同じで、絶望的な危機ではなく楽しいトラブルで、あくまで彼らの学生生活に彩りを与えた存在でしかないんですよ。
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ーー男子女子全員でドロメをボコボコにするシーンは衝撃的で、ここには監督が描き続けてきた少年少女の狂気も感じられました。 内藤:ある意味、いままでの中で一番暴力的な描写かもしれないですね(笑)。このシーンは映画学校時代から温め続けているアイデアで、「→Pia-no-jaC←」が演奏するベートーベンの第9を聴いた時に、モンスターをフルボッコにするイメージが浮かんだのがきっかけでした。最後は学園祭のフィナーレみたいにスカッとする終わりにしようとした結果、スカッとを通り越えて可哀想な感じになってしまいました。最初の想定とは違いますが、可哀相過ぎて笑っちゃうっていう面白さがあって、これはこれでアリだな、と。 ーー今回は珍しく血の描写が一切ない、というよりも泥が血の役割を果たしてました。なぜ泥を使ったのですか? 内藤:貞子や伽椰子って役者を白塗りにすることでモンスターとして成立するので、予算規模が小さい日本映画にとって、経済効率が高いアイデアなんです。そこで、泥塗れならどうだろうと考えたんです。ゾンビ的な描写もありますが、泥を吐き出したり、飲ませたりって、フレッシュな見せ方もできる。血がダメな人でも受け入れらるし。あと、泥ってモチーフには日本らしい土着的な雰囲気が感じられるのも面白いな、と。口から吐き出す演出は『牛乳王子』でもやっていて、口から吐いたものを人にかけるとか、吐かれたもので人の顔をぐちゃぐちゃにするのは、ある意味、性癖に近いものがありますね(笑)。水っぽい泥なら、ねちょねちょぐちょぐちょしているし、吐き出す素材としては最適です。
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ーー男子編、女子編では友情の描き方やホラーの仕掛けを明確に分けていましたね。 内藤:女子編の方は精神不安定者を中心に置いた古典的なホラー形式。そこからコミカルなホラ―に転換していく。男子編はバカ騒ぎする男連中を中心に進行していきます。『21ジャンプストリート』とか、アメリカンコメディを意識しました。ちなみに、男子編の子離れできない幽霊の設定は、『悪の華』の押見修造さんからお聞きした体験談を拝借しました。劇中にフェイスブックで好きな異性のことを調べるシーンがあるんですけど、女子は恋愛話に繋がるのに、男子は犯罪を連想してしまうとか、そんな男女のリアクションの違いの面白さも盛り込んでます。脚本は僕と松久君(松久育紀)が書いているので、女子の部分は多少皮肉や妄想が入っているとは思いますが。

「その人にしか語れない形で物語を撮ること、そこに監督する意味や意義がある」

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【左から】森川葵、小関裕太

ーー川那小春役の森川葵さん、星野颯汰役の小関裕太さん、それぞれキャスティングした理由を教えてください。 内藤:小春役はショートカットが似合う、すこし影のある女子をイメージしていたので、パッと思いついたのが森川さんでした。現場での彼女からは、すごく悩みながら手探りで演技をしている印象を受けましたね。舞台の練習をしている最中に小春が泣くシーンがあって、そこが本人的に上手く演じることができず、もうできないって撮影中に座り込んでしまうこともありました。引っ張り起こしてもう一回やってもらいましたが(笑)。小関くんは、女性の幽霊に取り憑かれそうな中性的な雰囲気がハマっていたと思います。撮影では、事前にきちんと作り込んできますが、その場での柔軟な対応やアイデア出しもできる方でした。 ーー今回の『ドロメ』も含め、内藤さんの作品には鑑賞者を驚かせようとする仕掛けがいつも用意されていると感じます。今後もそういった方向性で制作を続けていくのでしょうか? 内藤:おそらく他の作り手も同じだと思いますが、自分が面白いと思うものじゃないと作れないだけです。恋愛ならこういう形、ホラーならこうあるべき、といった既存のフォーマットにあてはめられた作品が一番つまらないと思っていて。抽象的な言い方ですが、そこに魂を感じないというか。自分の視点を通した映画は、描写にその人の資質が滲み出てくるだろうし、そうすると必然的に既存の形からもずれてくると思います。その人にしか語れない形で物語を撮ること、そこに監督することの意味や意義があるのかなって。僕から見た幽霊ホラーやモンスターホラーは、今回の『ドロメ』でしっかり形にできたと思います。

『ドロメ』予告映像

内藤瑛亮監督 コメント動画

(取材・文=泉夏音) ■公開情報 『ドロメ【男子篇】【女子篇】』 公開中 監督:内藤瑛亮 脚本:内藤瑛亮、松久育紀 主演:小関裕太、森川葵 出演:中山龍也、三浦透子、大和田健介、遊馬萌弥、岡山天音、比嘉梨乃、菊池明明、長宗我部陽子、木下美咲、東根作寿英ほか 製作:「ドロメ」製作委員会(日本出版販売、TCエンタテインメント、TBSサービス、是空、レスパスビジョン) 2016年/カラー/5.1ch/ビスタ/【男子篇】92分/【女子篇】98分 配給:日本出版販売 宣伝:太秦 (c)2016「ドロメ」製作委員会 公式サイト:dorome-movie.com

『ミラクル・ニール!』サイモン・ペッグ、“愛されキャラ”の理由 イギリス人喜劇俳優の特異性とは

【リアルサウンドより】  4月2日より先行公開が始まった映画『ミラクル・ニール!』はイギリスの伝説的コメディ集団モンティ・パイソンのテリー・ジョーンズが約20年ぶりに監督をつとめた長編コメディだ。それだけでなく、ジョン・クリーズ、テリー・ギリアム、エリック・アイドル、マイケル・ペイリンら同グループの現存するメンバーも声で出演。そして、主演は『ミッション:インポッシブル』シリーズなどで活躍中のイギリス人コメディ俳優サイモン・ペッグである。同作は、いわば新・旧英国コメディスターが夢の競演を果たした作品だ。
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 ところで、みなさんは“イギリス人コメディ俳優”にどんなイメージをお持ちだろうか。日本でも比較的知られている人物としては、『Mr.ビーン』のローワン・アトキンソン、『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』で知られるサシャ・バロン・コーエンあたりの名前が挙がるだろう。彼らのほとんどが過激でシニカル、時に自虐的な笑いを得意としているため、親しみやすいイメージを持つ方はそう多くはないはず。そして、そんなイギリス人コメディ俳優たちに大きな影響を与えてきたのが、他ならぬモンティ・パイソンなのである。彼らは宗教裁判や政府、さらには王室すらネタにするタブーのなさ、オチのないシュールなコント、ポップなビジュアルで笑いに革命をもたらした。一方でそのユーモアは極めて毒が強く、難解なイメージを持たれることも多い。  本作『ミラクル・ニール!』もモンティ・パイソンらしく、主人公が宇宙人に全能の力を授かり、その力をどう使うのかを監視されるという皮肉に満ちた設定の作品だ。ところが、思いのほか温かみのあるライトな作品に仕上がっているのである。これは、ひとえに主演サイモン・ペッグのキュートな魅力によるところが大きいのではないか。現在インターネットの検索エンジンで「サイモン・ペッグ」と入力すると予測検索で親友「ニック・フロスト」や「かわいい」といったポジティブな単語ばかりが並び、いかに彼が愛されているかがわかる。なぜペッグは旧来のイギリス人コメディ俳優らしからぬ“愛されキャラ”になることができたのだろうか。彼の生い立ちや、過去のイギリス人コメディ俳優との比較から考えてみた。
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複雑な環境から生まれるイギリス人コメディ俳優たち

 モンティ・パイソン以降のイギリス人コメディ俳優の多くは高学歴であったり、宗教的に厳しく複雑な環境に育った人物が目立つ。例えばモンティ・パイソンの象徴的な人物グレアム・チャップマン(故人)は警官の父親を持ち、ケンブリッジ大学を卒業した医師でもあった。他のメンバーも多くがオックスフォードなど名門卒のインテリ、また軍人の子息であったり、厳格な家庭の者が多い。また、ローワン・アトキンソンは聖歌隊学校の出身で、幼いころからキリスト教のある種のコミュニティで育ってきた。彼も大学では電子工学を専攻し、オックスフォード大学院に進んだインテリである。“エミネムに尻ダイブした男”ことサシャ・バロン・コーエンは、ペルシャ系イスラエル人の母親を持ち、ユダヤ教の中流家庭に育った。その後はケンブリッジ大学で歴史を学んでいる。程度の差はあるにしても、彼らは組織や宗教、イデオロギーや人種をシニカルな目で見やすい環境にあったのではないだろうか。
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イノセントなオタク=サイモン・ペッグ

 一方のペッグは、7歳の時に両親の離婚を経験しているものの、イングランドののどかな街・グロスターシャー州の中流家庭で育った。また、ニック・フロストとともに公言しているとおり無神論者である。そんなペッグが幼いころに興味をひかれたのは『スター・ウォーズ』や『スター・トレック』そして『ドクター・フー』といったSF作品、スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカスらの映画、そして音楽などのカルチャーだったのである。こういったものに触れることができたのは、母親が元女優、父親が元ミュージシャンという環境も影響しているのだろう。  ペッグの自伝「Nerd Do Well」(オタクは成功する)はページのほとんどが映画のタイトルや俳優など埋め尽くされ、彼の人生がいかに映画で構成されているかを教えてくれる。また、ペッグと盟友エドガー・ライト監督が作り上げた『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!』などの作品には『ハート・ブルー』をはじめとする映画パロディが多数登場する。これは、彼らがシニカルな表現で批判することより、何かを好きであることをひたすらに語るイノセントなオタクであることの証なのである。屈折せず、好きなことをストレートに表現する人間は魅力的……実に当たり前のことがペッグがモテる理由なのではないだろうか。  『ミラクル・ニール!』は、そんなペッグのイノセントな存在感と、毒のあるモンティ・パイソンの世界が上手く調和した素敵なコメディに仕上がっている。モンティ・パイソンファンとペッグ、どちらの魅力も味わえる入門編的な作品としておススメしたい。 ■藤本 洋輔 京都育ちの映画好きのライター。趣味はボルダリングとパルクール(休止中)。 TRASH-UP!! などで主にアクション映画について書いています。Twitter ■公開情報 『ミラクル・ニール』 4月2日(土)渋谷シネクイントにて先行公開 4月9日(土)新宿バルト9ほか全国公開 監督:テリー・ジョーンズ 出演:サイモン・ペッグ、ケイト・ベッキンセール、ロビン・ウィリアムズ(声優)、モンティ・パイソン(声優) 配給:シンカ (c)2015 Anything Absolutely Ltd All Rights Reserved 公式サイト:miracle-neil.jp