『とと姉ちゃん』第二週で描かれた“情けないお父さん”像ーー高畑充希、いよいよ本格登板へ

【リアルサウンドより】  昭和十年。小橋常子(高畑充希)は十五歳となり、高等学校の四年生となっていた。次女の鞠子(相良樹)は三年生。三女の美子(根岸姫奈)は尋常小学校の四年生となっていた。母の君子(木村多江)は亡き父が勤めていた遠州浜松染工の下請けをしながら、会社から資金の援助を受けており、小橋家は貧しいながらも明るく暮らしている。  そんな中、美子だけは父のいない寂しさから暗く落ち込んでおり、学校で孤立していた。常子は美子のために、美子の教室でおどけてみせるが、それが逆効果。二人の間には深い溝が生まれてしまう。それから数日後、小橋家に叔父さんの鉄郎(向井理)が戻ってくる。家族がいない間に家の中に忍び込んだ鉄郎は、小橋家の残り少ない米を食べつくしてしまう。このままでは食べるものがなく家計は火の車。悩んだ常子は町内運動会の二人三脚に出場して一位の米一俵を手に入れるために母と二人三脚の練習をはじめるのだが……。  幼少期を描いた第一週が終わり、いよいよヒロインの高畑充希が本格的に登板する第二週。常子が女性でありながら強い父としてみんなを導いていくようなカリスマ性を見せる話になったら嫌だなぁと懸念していたが、展開されたドラマは、少女が父のように振る舞おうとするものの、現実にはうまくできない姿だった。  常子は失敗もするし、いつも悩んでいる。「どうしたもんじゃろのぉ~」という口癖は、彼女が悩むヒロインであることの現れだ。あまり悲壮感がないのは、常子を演じる高畑充希のふわっとした存在感があるからだろうか。強がっても、おどけても、どこか不安そうに見えるのが彼女の良いところで、立派な台詞と不安そうな表情と声の二重性が、人間的な奥行きになっている。アニメ『TIGER&BUNNY』の鏑木・T・虎徹を筆頭に、西田征史は「情けないお父さん」を魅力的に描くのが得意な脚本家だ。少女でありながら父として振舞う常子も「情けないお父さん」だ。  そんな常子のがんばりを呆れながらもサポートする小橋家。その意味で常子以外の小橋家の女性たちの個性がはっきりした回だったと言えよう。 中でも、魅力が際立ったのが次女の鞠子だ。最初は「運動は苦手だからと」二人三脚には出ないと言っていたが、父のことを玉置兄弟に馬鹿にされて、心に火が着いた鞠子は、あれだけ嫌がっていた運動会に参加。「ふじ、さん、ふじ、さん」という掛け声で走り、三位に入賞する姿には爽快感があった。優勝ではなく三位というのも程良い按配だ。  また、見逃せないのが叔父さんの鉄郎(向井理)だろう。新しい商売に手を出しては失敗を繰り返しているダメな男だが、飄々としていてどこか憎めない。本作のプロデューサー・落合将は朝ドラ『ゲゲゲの女房』で向井を水木しげる役で起用したが、今回の向井はねずみ男のようなトラブルメーカー。しかし彼が米をたいらげたからこそ、二人三脚をやることにつながったこと考えると、彼にも存在意義があると言える。彼のような存在を許容しているのが、本作の優しさだ。  本作の世界観は、悪い奴が登場しない性善説でできあがった牧歌的な世界だ。あれだけ常子をからかっていた玉置兄弟の長男・茂雄(大内田悠平)も常子の怪我を治療されて、コロッと惚れてしまう。この単純馬鹿っぷりは、この年の男だなぁと思う。  そんな中、小橋家には、さらなる困難が押し寄せる。突然、会社からの援助を打ちきると告げにきた杉野社長(田山涼成)。他にも結核で亡くなった社員が何人かいて、全ての遺族に援助することはできない。だから、小橋家も特別扱いをすることはできないという。こう言われて、この時代、結核で亡くなるということが、ありふれたことだということを視聴者は思い知らされる。  そして、援助を打ちきられて生活の心配をする君子は、大家さんから「知り合いの妾にならないか」と誘われる。どちらも、小橋家を追い詰めようとする悪意ではなく、あくまで当時のふつうの人々の感覚として描かれているのを見逃してはならない。  第二週では当時の日本人“みんな”の考え方と優しい父親に育てられた小橋家の有り方が微妙に食い違っていることが、先週に続いて描かれていた。この小橋家とみんな(=当時の日本人)という小さな対立軸は、やがて戦争に向かっていく中で決定的なものとなっていくのかもしれない。  尚、熊本を震源地とした大地震の報道番組が放送されたため、土曜日の12話は中止となり18日(月)に変更された。『とと姉ちゃん』以外にも、いくつかのドラマは放送延期となったのだが、どうしても東日本大震災直後のことを思い出してしまう。  ドラマ本編の内容とは関係ないが、リアルタイムで連続ドラマを見ていると同時期に起きている社会的出来事とどうしても重ねてしまう。2011年の朝ドラ『おひさま』の時は作中の戦争に向かっていく空気と震災以降の緊張感を重ね合わせてみていたが、今回の大地震は、本作を見る視聴者にどのような影響を与えるのだろうか。 ■成馬零一 76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

山田裕貴が明かす、役者としての決意とこれから「僕は仕事に対して欲望の塊」

【リアルサウンドより】  2015年に公開された映画『闇金ドッグス』の続編『闇金ドッグス2』が現在公開中だ。ヤンキーアクション映画『ガチバン』シリーズに登場した安藤忠臣を主人公に、裏社会で生きる人間たちを描いた『闇金ドッグス』シリーズ。『闇金ドッグス2』では、ヤクザから闇金業者に転身した安藤忠臣が、債務者の岡林に200万円を融資したことから、トラブルに巻き込まれる模様が描かれる。リアルサウンド映画部では、『闇金ドッグス』に続き、『闇金ドッグス2』で主人公の安藤忠臣を演じ、5月21日に公開される『闇金ドッグス3』にも出演している、山田裕貴にインタビュー。岡林役を演じた黒田大輔との共演秘話や、役者としての思いを語ってもらった。

「より役に入り込めるようになったし、余裕を持てるようになった」

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(c)2016「闇金ドッグス2&3」製作委員会

ーー前作から1年も経たずに続編が決まりました。最初に話を聞いた時、どう思いましたか? 山田:安藤忠臣という役は、去年の『闇金ドッグス』はもちろん、『ガチバン』シリーズでも演じてきた役で、『闇金ドッグス3』を含めると、5回も演じたことになるんです。『闇金ドッグス』は、忠臣がヤクザをやめて闇金の世界で生きていくことになるまでの話で、個人的にはエピソードゼロのように感じていたこともあり、僕も続きがあればすごくいいなと思っていたんです。でも自分が主演の映画がシリーズ化されて2や3ができるなんて、願ってはいましたけど、まさか本当に叶うとは思っていませんでした。なので、「2と3」をやりますと聞いた時は、本当に嬉しかったですね。 ーー同じ役柄を5回も演じるなんて、なかなか経験できることではないですもんね。 山田:そうですね。本当に貴重な経験をさせてもらっているなと思います。僕は自分が演じる役柄をキャラクターとして捉えるのがすごく嫌で、いつも人間味を持たせることに力を入れているんですけど、前作では、忠臣像を固めすぎてしまったところがあって、深く切り込んでいけていなかったなと感じています。 ーーというと? 山田:ヤクザの下っ端から兄貴を撃って組長になったものの、周りのヤクザからいろいろ仕掛けられて、結果的にヤクザをやめざるを得なくなってしまう。そこから途方に暮れて闇金になるという、忠臣にはすごいドラマがあります。そのバックグラウンドを大事にしすぎた部分があったんですよね。でも、人間ってもっと変わるよなと思って。その日に見たことや感じたことによって、考えが変わることもある。そう考えたら、あまり自分の中で決めつけないほうがいいなと思ったんです。だから、2と3では、“忠臣がこうだから”とかじゃなくて、人間だったらどうだろう、自分だったらどうだろう、というところまで掘り下げて、自分が出せる感覚を忠臣に投影していきました。その結果、いろいろな表現ができたと思うので、そういう意味では、忠臣の魅力もすごく広がったと思います。それは1と比べた時の大きな変化なので、1を観た人はより楽しんでもらえると思いますし、2から観る人には、じゃあ1はどうだったのか、それこそ『ガチバン』まで遡ってもらって、過去はどうだったのかを観比べてみていただきたいですね。
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(c)2016「闇金ドッグス2&3」製作委員会

ーー『闇金ドッグス』と『闇金ドッグス2』『闇金ドッグス3』の間には山田さん自身にも大きな変化があったと。 山田:より役に入り込めるようになりましたし、余裕を持てるようになりました。いい意味で力を抜いてやれるようになったのは、成長した部分かもしれないですね。今回の現場では、カメラが回っていない時でも、僕自身、周りの人たちに口が悪くなってしまうこともあって。でもそれも、忠臣を演じる上で必要なことでもあると思うんですよ。役に入り込もうとして入り込むのではなく、“忠臣になる”ことがしっかりできたので、自分でもその点は成長を実感しましたね。 ーー岡林役の黒田大輔さんとの掛け合いのシーンは非常に迫力がありました。黒田さんとは今回が初共演ですよね? 山田:一応、今回が初めてではあるんですけど、6月に公開される『ふきげんな過去』でも共演していますし、その『ふきげんな過去』の前田司郎監督伝いでお互いに知ってはいたんですよ。いつか絶対一緒にやりたいなと思っていたら、今回ご一緒できることになって。だから、岡林役が黒田さんに決まりましたって聞いた時は、「えっ!?」という感じで、非常に嬉しかったですし、実際に共演してみて、すごく楽しかったですね。
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(c)2016「闇金ドッグス2&3」製作委員会

ーー現場ではおふたりで役について話をすることも? 山田:黒田さんがどうやってお芝居を考えていらっしゃるのかを知りたかったので、そういう話をさせていただきましたね。黒田さんは、「役半分、自分半分じゃない?」とおっしゃっていて。もちろん、いろいろな考え方があると思うんですけど、僕はそれを聞いた時に、そのやり方はすごく自分にハマっているんじゃないかと思って、それを意識するようになったんです。役がもっと広がったり、現実味が帯びたり、よりリアルに見せられたりできるようになってきて。セリフをひとつ言うのにも、今までとは全然違う感覚でやれるということを、ここ最近思えるようになってきたんですよね。どう評価をされるかは分からないですけど、今回の作品や、公開が控えている『ふきげんな過去』や『HiGH&LOW』などの作品では、個人的に地に足をつけてやれているなと感じられるようになってきました。 ーー『闇金ドッグス2』では具体的にどのような変化が表れているのでしょうか? 山田:黒田さんとの掛け合いのシーンは、監督の指示ではなく、全部自分の動きでやっているんです。相手が黒田さんということもあって、自然に生まれてくるものがたくさんありました。台本に書いてあることだけを表現するのではなく、その瞬間に生まれてくるものを大事にしたというか。僕はいつも台本は文字だけを覚えて撮影に臨むんです俳優の瑛太さんはト書きを全部消すと聞いたことがあるのですが、それも「なるほど!』と思ったんです。細かいところまで覚えてしまうと、動きが制限されたり、自由じゃなくなる感じがしちゃって。もちろん大事なト書きもあるんですけど、ト書きの“間”を埋めるのが僕らの仕事で、そこにはいろいろな感情の動きや流れがある。ただセリフを言っていればいいというわけではないので、そういうことも含めて、今回は黒田さんをはじめ共演者の方々としっかりできたのではないかと思います。
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山田裕貴

ーー共演者の方々に助けてもらうことも多かった? 山田:そうですね。忠臣が鏡を割るシーンがあるんですけど、そのシーンの動きがどうしてもハマらなくて、自分でもなかなか納得できなかったんですよ。怒りをどこまで出すのかを悩んでしまって。そこで僕がすごく悩んでいるのを察してくれたのか、黒田さんが「あまり出さなくていいよ。抑えて抑えて。心の中だけでグッとやりな」って言ってくださったんです。それがすごく参考になりました。撮影スケジュールもタイトで、そこに時間をかけていられないし、本当に瞬発力でやらなきゃという感じだったので、その黒田さんのアドバイスは本当に助けていただきました。

「全てのイメージが付く役者になりたい」

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(c)2016「闇金ドッグス2&3」製作委員会

ーー今回の『闇金ドッグス2』では、黒田さん演じる忠臣の常連客・岡林が、保険金詐欺の被害に遭う模様が描かれています。 山田:男女間のことなんていろいろあって、惚れてしまったほうが負けとよく言いますが、僕は本当にそう思っています。女の人を見る目はどうやって肥やしていけばいいのか、読者の皆さんに聞きたいぐらいです(笑)。岡林も、純粋な思いで人を好きになってしまった結果があの展開ですからね……。男からしたら悪魔ですよ(笑)。そんな女性いるの!? って。もちろん人を殺すなんてダメに決まってますけど、騙して殺すのが一番タチが悪いと思いますね。もちろんダメですけど、「お前のことを殺す」と言ってから殺すほうがまだマシな気がします(笑)。 ーー(笑)。今回の保険金詐欺もそうですが、『闇金ドッグス』シリーズでは“お金”にまつわるいろいろなエピソードが展開されていきます。 山田:前作の『闇金ドッグス』で、アイドルの女の子がもやしを食べるシーンがあるんですけど、そこが1番響きましたね。自分もそういう時期があったなって。今こうやってお仕事をさせていただいていますけど、昔は明日の電車賃どうしようとか、パスタをどうやって分けて食べようかとか、僕にもそういう経験がありました。お金がないことで、心の余裕がなくなることってやっぱりあるじゃないですか。でもお金は生きていく上で絶対に必要なもの。生きるってなんでこんなに難しいんだろう、お金なんてなきゃいいのにって思うこともあります(笑)。
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(c)2016「闇金ドッグス2&3」製作委員会

ーー忠臣と山田さんご自身を比べて、共感する部分はありますか? 山田:忠臣はお金を稼ぎたくて金貸しをやっているわけではなくて、自分の意地とプライドであの仕事をやっているんです。金貸しという職業に覚悟と信念を持っている。そこは僕も同じですね。お金を稼ぎたいから役者をやっているわけではない。かといって、人を感動させたいとか、何かを伝えたいなんて、正直おこがましいと思うこともあります。すごい身勝手かもしれないし、わがままかもしれないけど、自分にとって、一番生きがいを見出せて、熱くなれて、悔しくなれて……っていう仕事が役者なんです。まだ25年ですけど、これまで生きてきて、野球をやっていて熱くなれず挫折したことも全部含めて、そう思えるのがこの仕事なので、それでお金をいただけるのは本当にありがたいというぐらいの感覚なんです。だから、そこは忠臣と一緒なのかなと思います。 ーー「人生のどん底はいつでしたか?」という質問をしようと思っていたんですが、野球で挫折したその時がどん底だった? 山田:どうですかね……。でも野球をやめて、役者をやろうと決めて東京に出てきたその日ですかね。東京に向かう新幹線の中で、家族一人ひとりに初めて長文のメールを送りながら、東京に出てきたはいいけど、「希望なんてあるの? 本当にできるの?」と思っていました。ベランダに出て、ずっと空を眺めていたのを今でも覚えています。そこから挫折はあっても、どん底はないですね。もちろん悔しいことはたさくさんあるし、テレビや映画にももっと出たい、あの役をやりたいなんて、めちゃくちゃ思いますけど、何もなかった時と比べたら、今は本当に幸せだなと思います。でも、僕は仕事に対しては欲望の塊なので、どれだけやっても満足することはないんですけどね(笑)。
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山田裕貴

ーー今後、挑戦してみたい役柄はありますか? 山田:『十三人の刺客』のような捨て身で戦う役や、『あずみ』で成宮寛貴さんが演じられていた、刺されても刺されても立ち上がる、生にしがみついているような役はすごいやりたいなと思います。あと、教師役ですね。もしもまた『GTO』があるなら、今度は生徒役ではなく、鬼塚役をやりたいなって。さっき言っていたことと矛盾してしまうんですけど、伝えられないかもしれないからこそ、人に何かを伝えられる役で、伝えようとしたいんです。あと、僕は目標にしていることがあって、「山田裕貴くん、あの役やってたよね」じゃなく、「あの役の人、いいよね」って言われるようになりたいんです。作品の中で生きているほうを先に覚えてほしい。そのあとで僕の出演作品を調べてもらった時に、「この役もやってたのか!」と気付かれないぐらいの方がいいなと思っています。イメージが付くことはすごくいいことでもあるんですが、それなら、僕はすべてのイメージが付く役者になりたいと思っています。 (取材・文=宮川翔)

『闇金ドッグス2』山田裕貴コメント

■公開情報 『闇金ドッグス2』 新宿バルト9ほかにて公開中 出演:山田裕貴、青木玄徳、黒田大輔、菅野莉央 、谷田歩、十貫寺梅軒、波岡一喜、伊藤裕子 監督:土屋哲彦 脚本:池谷雅夫 企画・配給:AMGエンタテインメント  2016年/日本/82分/カラー/シネマスコープ (c)2016「闇金ドッグス2&3」製作委員会 公式サイト:yamikin-dogs.com

『デアデビル』主演チャーリー・コックスが語る、スーパーヒーローの葛藤 「人間くささは、演じるときの醍醐味でもある」

【リアルサウンドより】  アベンジャーズに並び、マーベルコミックスを代表するヒーローとして愛されるデアデビルは、悪を裁く存在でありつつも、“不殺”をモットーにする異色のヒーローだ。Netflixオリジナルドラマとして配信されている『デアデビル』は、NYに実在する街“ヘルズキッチン”を舞台に、昼は盲目の弁護士、夜は悪人を一掃するデアデビルとして街を守る主人公、マット・マードックの活躍を描く。登場人物たちの心の葛藤を浮き彫りにする濃厚な人間ドラマや、CGを使わないリアルアクションで人気を呼んでいる。さらに、2016年の3月から配信されているシーズン2では、多くのファンを持つ新キャラ、フランク・キャッスル(パニッシャー)やエレクトラが登場し、ますます盛り上がりを見せていく。今回は、主人公のマット・マードックを演じ、初来日を果たしたチャーリー・コックスに、本作の見どころや主人公マットの魅力を聞いてみた。
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チャーリー・コックス

ーー主人公のマット・マードックは、シーズン1の最終話に本当の意味でデアデビルになりましたね。シーズン1とシーズン2では、同一人物でありながらも、マットの内面は大きく変化していると感じました。 チャーリー・コックス(以下、チャーリー):シーズン1のマットは、カトリック教徒であることや弁護士という職業から、デアデビルになることが正しいのか、その活動が本当に人のためになっているのか、ずっと心の中で問い続けているんだ。シーズン1の最終局面でウィルソン・フィスクが逮捕された時、ようやくマットは自分の行いが間違っていなかったと思えるようになるんだ。けど、シーズン2の冒頭を見ると、マットが傲慢さを持ち始めていることがわかる。彼は自分の行動に誇りを感じるようになり、スーパーヒーローとしてのエゴを見せるようになるんだ。でも、すぐにその考えは間違いだったと打ちのめされることになる。マットとは異なる正義感や信念を持つフランクと出会い、彼の中に再び疑問が芽生えることになるからね。 ーー手段は違いますが、フランクはデアデビルと同じく正義の心を持っているキャラだと思います。 チャーリー:「悪人はすべて殺してしまえばいい」という考えを持つパニッシャーと邂逅したことで、マットはデアデビルとして行ってきた活動が正しかったのか、再び自問自答するようになるんだ。もしかすると自分の行動が引き金になり、他のヴィジランテ(自警団)が過激な活動を行いやすい環境を作ってしまったのではないか、と。ただ、シーズン2で彼は気付くんだ。正しいとも、間違いとも言えない、グレーのエリアが存在するのではないかって。フィスコやパニッシャー、そしてマットも、みんなやり方は違うけど根本は人や街を良くしたいという願いがあるからね。スーパーヒーローでありながら、そういう心の中で葛藤してしまう人間くささは、演じるときの醍醐味でもあるんだ。
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ーーシーズン2では、新しいヒロインとしてマットの元恋人・エレクトラが登場します。カレンとエレクトラ、タイプが正反対のヒロインの間で揺れ動くマットの心理描写も見どころのひとつだと感じました。 チャーリー:僕が面白いと感じるのは、マットがどっちの女性に対してもありのままの姿を見せているところだ。それぞれ見せている面は違うけどね。例えば、カレンといる時のマットは、自分が理想に思っている姿でいることができる。あるいは、彼女がそれを引き出してくれていると言える。親切で自分よりも他人を大切にすることができて、それを法律に則った形で叶えようとしていくんだ。問題があるとすれば、彼女がマットのダークな側面を知らないことだろうね。一方、エレクトラはカレンとは真逆で、マットがデアデビルでいることを肯定してくれる。白黒決めることを押し付けないから、そのことに対して葛藤してきたマットにとってはすごく安らぎになっているんだ。マットが抱える闇を理解してくれる存在だと言えるね。タイプが相反するものを同時に求めてしまうことで、マットの気持ちは引き裂かれるような状態にあるんじゃないかな。 ーーフランクとエレクトラの登場によって、シーズン1以上にマットの二面性が強調されているようですね。マットとの共通点や演じる際に意識したことはありますか? チャーリー:僕はどんなキャラクターを演じる時も、自身と役の共通している特徴と共通していない特徴を、あらかじめ確認するようにしているんだ。ただ、どんな特徴でも人生のある局面で一度は触れているものだと思っている。その中で長く触れ続けたものが、その人のキャラクターになっていく、と僕は考えているんだ。例えば、僕が過去に演じた『ボードウォーク・エンパイア 欲望の街』のオーウェンと、今回のマットも共通する特徴はあると思うし、もちろん僕とマットにも似ている部分もあると思う。まぁ、僕はマットほどイケてないけどね(笑)。でも、日常生活において僕の方が彼よりも感情を抑制できると思うよ。
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ーーほかのアメコミヒーローと比較して、デアデビルはより人間味のあるヒーローだと思います。マットという役を演じることで影響を受けた部分はありますか? チャーリー:他のスーパーヒーローたちと比べて、デアデビルは演じやすいキャラクターだと思っている。何かを救うために緑色のモンスターになる必要もないし(笑)、特殊な能力も持っていないからね。アベンジャーズが世界や宇宙を守るのに対して、マットが守るのはヘルズキッチンという町のストリートだ。限定された地域の中で悪人とも一人ずつ戦っていく。戦いの中で生まれる葛藤に苦しみながら少しずつヒーローとして覚醒していく姿は、すごく人間的で身近に感じられるんだ。なにより、社会という名の抗い難い巨大なシステムの中で、自分の無力さを感じながらも、町を良くするためにできることをひとつずつ行動していくところは尊敬しているよ。背負っているものに押しつぶされることなく、毎日に希望を持ちながら、一歩ずつ前進していくところは、僕自身がマットという役を通して学んだところだね。

『Marvel デアデビル』シーズン2 予告映像

(取材・文=泉夏音) ■配信情報 『Marvel デアデビル』シーズン2 Netflixにてストリーミング配信中 (C) Netflix. All Rights Reserved. Netflix:https://www.netflix.com/jp/ 

映像の魔術師が『グランドフィナーレ』で描く、甘く切ない“老い”の境地

【リアルサウンドより】  いつしか誰もが彼のことを“現代のフェリーニ”と呼ぶようになった。なるほど、確かにパオロ・ソレンティーノの描く映画は人生を俯瞰した叙事詩的な作風で知られる。主人公に内面を吐露させながら、意識や記憶を自在に行き来し、魔術的な映像表現が人生の甘美さや悲哀を見事に彩っていく。  ソレンティーノを“イタリアが生んだ若き巨匠”と呼ぶ向きも多いが、とりわけアカデミー賞外国語映画賞を受賞した『グレート・ビューティー/追憶のローマ』、そして今回の最新作『グランドフィナーレ』を発表した40代半ばという年齢は、かつてフェリーニが代表作『8 1/2』を生み出した時期とちょうど重なる。その意味でもまさに円熟期にある監督と言えるのだろう。

“老い”を掘り下げ、ヴィヴィッドな映像世界へ昇華

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(c)2015 INDIGO FILM, BARBARY FILMS, PATHE PRODUCTION, FRANCE 2 CINEMA, NUMBER 9 FILMS, C - FILMS, FILM4

 カンヌやアカデミー賞で無冠に終わったとはいえ、『グランドフィナーレ』も一言で、素晴らしい作品だった。原題は「YOUTH」。スイスのアルプス山脈の麓にある高級ホテルを舞台に、そこへ休暇を過ごしにやってくる様々な年代のセレブたちを描き出す。中でも主軸となるのがマイケル・ケイン演じる作曲家だ。人生の大部分を仕事に捧げてきた彼だが、今では引退を宣言し、ホテルで静かな毎日を送っている。また彼の親友であり、ハリウッドを代表する映画監督役としてハーヴェイ・カイテルが登場する。  ロンドン下町っ子のケインと、ブルックリン出身のカイテル。まさに対照的な存在だしメソッドも全く異なる。いざ共演シーンを観るまで、2人がひとつの画面に共存して一体どんな空気が生まれるのか、想像すらできなかった。  しかし、さすが伝説的な2人である。それほど感情を顔に表さず、口を開けばまるで音楽のように深く、チャーミングに言葉を響かせる響くケイン(現在83歳)。一方の、眉間のシワがトレードマークと言えるほど赤裸々に感情を発露させ、なおかつ絞り出すような掠れ声がかえって魂の躍動を感じさせるカイテル(現在76歳)。2人の醸し出す空気はまるで音楽だ。それもロックで、ポップで、クラシック。一瞬も飽きることがないし、思わず笑ってしまうユーモアと、辛辣な皮肉もまたスパイスとなる。2人が「本日の小便は何滴だったか」について語る場面のなんと小粋で素敵なことか。
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(c)2015 INDIGO FILM, BARBARY FILMS, PATHE PRODUCTION, FRANCE 2 CINEMA, NUMBER 9 FILMS, C - FILMS, FILM4

 さらにこのホテルには、SF映画のロボット役で人気を博したという若手俳優(ポール・ダノ)や主人公の娘(レイチェル・ワイズ)、ミス・ユニバースに、あのマラドーナそっくりの巨漢の男も滞在している。温泉、サウナ、プールが完備され、マッサージや健康診断、それに中庭では夜な夜なコンサートまで開かれるこの場所が、滞在者の身と心を癒していくというわけだ。  そんな中、英国王室から主人公の元に使者が訪れ、女王きってのリクエストで彼の代表曲「シンプル・ソング」を指揮してもらえないかというオファーがなされる。即座に断る彼。このような名誉をなぜ固辞するのか? 本作はこの楽曲に込められた思いを解き明かすとともに、老いてなお輝き続ける魂の“YOUTH”を、様々な登場人物の表情や精神性を借りながら描き出していく。

回転するステージ、そして直進する回廊

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(c)2015 INDIGO FILM, BARBARY FILMS, PATHE PRODUCTION, FRANCE 2 CINEMA, NUMBER 9 FILMS, C - FILMS, FILM4

 本編ではミュージシャンが回転ステージで円を描くようにして歌い、楽器を奏でる。その光景はどこかソレンティーノ的な、あえてゴールを設定せず「円を描く」ように点描を重ねていく作風を思わせる。『グレート・ビューティー』はまさにその典型とも言えるものだった。一方、今回の『グランドフィナーレ』ではそれを踏襲しながらもしかし、回転運動に加えて、時折、印象的な直線運動が幾度も映し出される。  例えば、回廊の場面。一直線に続く回廊には人生の縮図のような荘厳さがある。すぐそこに終着地が見えるのではないかという恐れ、慄きを感じるこのひととき。そして道すがら出逢った人との肌と肌が触れ合うかのような邂逅。その意味でも『グランドフィナーレ』には、老いの中を円状にたゆたうのみならず、同時にストーリーを力強く導いていく線形の推進力を感じるのだ。もちろん、それには終盤にジェーン・フォンダがもたらす圧倒的な“生”のインパクトも密接に関わっているのだろう。

なぜ、彼は“老い”に魅了されるのか?

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(c)2015 INDIGO FILM, BARBARY FILMS, PATHE PRODUCTION, FRANCE 2 CINEMA, NUMBER 9 FILMS, C - FILMS, FILM4

 私たちはよく“未来”や“夢”について目を輝かせて語りあう。しかし、ソレンティーノはそこでふと立ち止まり考える。「仮に80歳を超えた人物は、その人生の最終章で、一体どのような“未来”を思い描くのだろう?」。  老人がふとした瞬間に人生を顧みる、いわゆる走馬灯のような映画はこれまでに何本も作られてきた。ソレンティーノはその逆なのだ。ようやく人生の折り返し地点にたどり着いた齢の彼が、あえて創造してみせる老いの境地。そこには「今の自分が経験していないことに興味がある。分からないことだからこそ、掘り下げてみる価値がある」という思いがあったようだ。そしてなおかつ、若き彼が掘り下げる“老い”だからこそ、そこには静謐さとヴィヴィッドさを併せ持つダイナミズムが生まれ、主人公の内面描写も無限の創造性によって膨らみを増していくのだろう。  また、ハーヴェイ・カイテル演じる、老いてなお精力的に脚本執筆を行う映画監督には、ソレンティーノ自らの「老いてなお、こうありたい」という憧憬があるのは明らかだ(加えて、親交の深かった故フランチェスコ・ロージ監督への敬意も多分に含まれている)。
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 最後にもうひとつ触れておきたいのが、ソレンティーノの辿ってきた数奇な人生だ。映画学校に通うことなく世界的監督へと昇り詰めた彼は、16歳の頃、事故によって両親を2人同時に亡くすという悲劇に見舞われたことでも知られる。  本来なら、子にとって親は、最も身近なところで“老い”を直視させてくれる存在。この機会を奪い去られたことは彼の人生に大きな影響を及ぼしたはずだ。もしかすると歳を重ねれば重ねるほど、そしていつしか自分が両親の年齢を超える頃合いになって、改めて様々な思いがこみ上げてきているのではないか。“老いの冒険”とでもいうべき彼の特異な作風には、このような感情の機微も大きく介在するのではないかと、余計な推測が膨らんでやまない。  ちなみに、両親を亡くした時、本来ならソレンティーノ自身も同行するはずだった。しかし奇しくもマラドーナの出場する試合を観に行ったことで彼は死ななかったという。  彼は何もギャグとして本作にマラドーナ(のソックリさん)を登場させたわけではない。ソレンティーノにとって彼はあらゆる意味でヒーロー。それを意識しながら本作に臨むと、あの巨漢な男が登場するたびに何か胸に熱いものがこみ上げてくるはずだ。
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 マラドーナだけではない。本作はそんな胸にしみる瞬間の繰り返しなのだ。ひとつひとつの襞をめくるように、記憶が、思いが、情熱が、そして音楽が溢れ出してくる。その全てがひとつに集約されるラストの「シンプル・ソング #3」。聴きながら、観ながら、思わず涙がこぼれた。と同時に、改めて、この若き巨匠の大胆さと情熱に圧倒される思いがした。  人生は回転と直進の連続だ。これからもソレンティーノはフェリーニを超え、さらなる得体の知れない何者かへ、進化し続けていくに違いない。 ■牛津厚信 映画ライター。明治大学政治経済学部を卒業後、某映画放送専門局の勤務を経てフリーランスに転身。現在、「映画.com」、「EYESCREAM」、「パーフェクトムービーガイド」など、さまざまな媒体で映画レビュー執筆やインタビュー記事を手掛ける。また、劇場用パンフレットへの寄稿も行っている。Twitter ■公開情報 『グランドフィナーレ』 4月16日(土)新宿バルト9、シネスイッチ銀座、Bunkamuraル・シネマ、シネ・リーブル池袋ほか全国順次ロードショー 監督:パオロ・ソレンティーノ 出演:マイケル・ケイン、ハーヴェイ・カイテル、レイチェル・ワイズ、ポール・ダノ、ジェーン・フォンダ 原題:YOUTH/2015/イタリア、フランス、スイス、イギリス/124分/カラー/シネスコ/5.1chデジタル (c)2015 INDIGO FILM, BARBARY FILMS, PATHE PRODUCTION, FRANCE 2 CINEMA, NUMBER 9 FILMS, C - FILMS, FILM4 公式サイト:http://gaga.ne.jp/grandfinale/

なぜ彼らは残虐行為ができるのか? メキシコ犯罪組織との戦い描く『ボーダーライン』が問うもの

【リアルサウンドより】  FBIが指揮する武装チームが誘拐団のアジトに踏み込むと、そこは壁一面に大量の被害者の腐乱死体がびっしりと塗り固められた「死の家」だった。経験豊かで屈強な捜査官でさえ、耐え難い腐臭とおぞましい光景に思わず嘔吐してしまう。エミリー・ブラントが演じる捜査官の目を通し、凶悪化するメキシコの犯罪組織との戦いを描いた本作『ボーダーライン』は、実際の事件を基にした、このおそろしいシーンによって観客に衝撃的な先制パンチを食らわせる。  「なぜ彼らは、こんなにも非人間的な残虐行為ができるのか」  特異な作家性を押し出したミステリー映画で話題を集めてきた、本作の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴは、このクライム・アクション映画の中でも、主人公ケイトの目を通し、やはりある種の謎を観客に投げかけている。今回は、映画ファンの支持も高い『ボーダーライン』の魅力を追いながら、この冒頭で提示された謎の答えを解き明かしていきたい。
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(c)2015 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.

 ここで描かれたようなアメリカ国内でのメキシコ犯罪組織の犯行は、彼らの悪行の氷山の一角でしかない。国外での捜査活動を許されないFBIに所属しているケイトは、犯罪組織の中核を叩けないことに不満を感じていた。彼女はアメリカ政府の要請を機に、対策チームに同行し国境を越え、「世界で最も危険」といわれる、メキシコのシウダーフアレス市街に入っていくことになる。そこで目にしたのは、体を切り刻まれ吊り下げられ、路上でさらしものにされたいくつもの死体だった。  ここで描かれる残虐描写は、とくに面白おかしく誇張しているわけではない。実際に2000年以降、メキシコの一部地域の治安は急激に悪化してきている。麻薬を栽培・精製し流通させる、違法で巨額のビジネスを営む「麻薬カルテル」が、このようなおそろしい見せしめと軍隊並みの装備によって街を恐怖支配しているという。現地警察は多くが買収され、凶悪化していく組織のあらゆる犯罪を見逃し協力すらしている。さらにカルテル同士の抗争、武装した自警団や軍隊との攻防など、いくつかの街は日常的な戦闘地域になっており、この「麻薬戦争」の死者は10万人規模ともいわれている。そして麻薬や犯罪者の流入など、その余波はアメリカ社会にも及び、無視できない事態になっているのだ。    「南部ゴシック」と呼ばれる、アメリカ南部の未開的な文化を娯楽的に描く文学ジャンルがあるが、『悪の法則』の脚本を書いた南部文学者コーマック・マッカーシーの作品のように、近年ではメキシコ犯罪の凶悪化にしたがって、このようにメキシコとアメリカとの負の関係が描かれることも多くなってきている。より殺伐とした南部ゴシックとして『ボーダーライン』は、緊張感をはらむ異界への越境作品として、いささか悪趣味な娯楽作として楽しめるものになっている。そのような特異な映像世界を監督とともに作り出しているのが、撮影監督ロジャー・ディーキンスだ。実際の街のロケと美術スタッフ達によって再現されるセット撮影を組み合わせ、ドキュメンタリーと見まがうようなリアリティある世界を作りあげながらも、その映像はときに美学的に先鋭化する。装甲車の中に差し込む光の不気味な美しさは南部ゴシックの手触りであり、必要以上の高度からの俯瞰撮影は、反リアリズム的な抽象表現に近づき、多くの犯罪映画とは区別されるような、ある種の哲学的予感を感じさせ、作品の方向を定めている。ちなみに『プリズナーズ』からのヴィルヌーヴとディーキンスのコンビは、今後製作される『ブレードランナー』続編まで継続が予定されている。
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 本作でケイトが帯同したチームは、市街地でいきなり銃撃戦を始めたり、容疑者に拷問を行うなど違法行為を犯し始める。ケイトは作戦に手を貸すことに強い違和感を覚え、チーム自体に疑念を深めていくが、その彼女自身も、やがて違法行為に踏み込む事態に陥っていく。容赦のない悪を倒すためには自分自身すら悪の世界に身を投じなくてはならないだろうか。ケイトはこの善悪の「ボーダーライン」の前で立ち尽くす。作品はそこでの彼女の選択を描くことで、善悪の問題について、観客を甘ったるいヒューマニズムの外に連れ出して考えさせるきっかけを与えている。  映画『ボーダーライン』のアメリカ本国でのタイトルは"Sicario"である。これは、スペイン語で「殺し屋」を意味する言葉だ。本作ではその語源に解説が加えられている。これはもともと「短剣の男」を意味するラテン語で、同時に「武装したユダヤ教の狂信者」、すなわちマントの中に短剣を隠し、異教徒を闇で殺害していたという武力組織「熱心党」の実行部隊のことでもある。キリストが生きていた時代は、彼らによる殺人事件が日常的に多発していたという。 新約聖書のなかでは、十二使徒のひとりに「熱心党のシモン」という人物も登場する。シモンは聖書のなかでも記述が少ない謎の人物で、実際に武力組織に入党していたかどうかは定かではないが、聖人の伝記集「黄金伝説」のなかで、キリスト教に改宗した彼が、異国の地で異教徒の手によって生きたままノコギリで体を切られ吊り下げられるという、まさに本作で描かれたような状況で、殉教者として最期を遂げたことが記されている。
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 メキシコ犯罪組織の現在の蛮行は、このような古代や中世の暴力的暗黒時代に世界を引き戻そうとするかのようだ。それを意識したのか、2015年にボスが逮捕された実際の麻薬犯罪組織は、自らを「テンプル騎士団」と名乗っていた。ここでは、非人間的な暴力行為の起源を古代や中世ヨーロッパに求めているのである。暴力行為は全人類に共通する問題である。現代のアメリカですら「衝撃と畏怖」と称しイラクの街を爆撃し見せしめを行うなど、やっていることはメキシコの犯罪者集団に近いものがある。本作の麻薬組織のボスは、このような暴力について「誰がこれを始めた?」と問いかける。それは麻薬戦争の報復合戦を示していると同時に、歴史的、世界的なスケールで我々に突き刺さってくる言葉だ。  「なぜ彼らは、こんなにも非人間的な残虐行為ができるのか」  本作では、ケイトの物語とともに、シウダーフアレスの汚職警官と幼ない息子の物語が並行して語られている。警官は犯罪に加担しながらも、家庭では善き父親として描かれ、息子は典型的なメキシコのサッカー小僧だ。元気にサッカーに興じる少年達のすぐ近くでは、今日も銃声や爆発音が鳴り響いている。彼らはごく一般的な小市民だが、そのような普通の人々までも残虐な暴力や犯罪の世界に、すでに巻き込まれているのだ。キリストの生きた時代、暴力や殺人は日常的な風景だった。その恐怖のなかで生まれる子供達は、モラルから切り離された現実のなかで生きることになる。我々がその時代、その環境に置かれたとしたら、非人間的な残虐行為から果たして無関係でいられるだろうか。『ボーダーライン』の真の凄さは、このように「暴力」というものを、メキシコ麻薬戦争の中だけで完結させず、より大きな枠組みの中で捉えた作り手の確かなまなざしにこそあるだろう。 ■小野寺系(k.onodera) 映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト ■公開情報 『ボーダーライン』 角川シネマ有楽町、新宿ピカデリーほかにて公開中 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 脚本:テイラー・シェリダン 撮影監督:ロジャー・ディーキンス 出演:エミリー・ブラント、ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン 配給:KADOKAWA 提供:ハピネット/KADOKAWA (c)2015 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved. 公式サイト:http://border-line.jp/

なぜ彼らは残虐行為ができるのか? メキシコ犯罪組織との戦い描く『ボーダーライン』が問うもの

【リアルサウンドより】  FBIが指揮する武装チームが誘拐団のアジトに踏み込むと、そこは壁一面に大量の被害者の腐乱死体がびっしりと塗り固められた「死の家」だった。経験豊かで屈強な捜査官でさえ、耐え難い腐臭とおぞましい光景に思わず嘔吐してしまう。エミリー・ブラントが演じる捜査官の目を通し、凶悪化するメキシコの犯罪組織との戦いを描いた本作『ボーダーライン』は、実際の事件を基にした、このおそろしいシーンによって観客に衝撃的な先制パンチを食らわせる。  「なぜ彼らは、こんなにも非人間的な残虐行為ができるのか」  特異な作家性を押し出したミステリー映画で話題を集めてきた、本作の監督ドゥニ・ヴィルヌーヴは、このクライム・アクション映画の中でも、主人公ケイトの目を通し、やはりある種の謎を観客に投げかけている。今回は、映画ファンの支持も高い『ボーダーライン』の魅力を追いながら、この冒頭で提示された謎の答えを解き明かしていきたい。
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 ここで描かれたようなアメリカ国内でのメキシコ犯罪組織の犯行は、彼らの悪行の氷山の一角でしかない。国外での捜査活動を許されないFBIに所属しているケイトは、犯罪組織の中核を叩けないことに不満を感じていた。彼女はアメリカ政府の要請を機に、対策チームに同行し国境を越え、「世界で最も危険」といわれる、メキシコのシウダーフアレス市街に入っていくことになる。そこで目にしたのは、体を切り刻まれ吊り下げられ、路上でさらしものにされたいくつもの死体だった。  ここで描かれる残虐描写は、とくに面白おかしく誇張しているわけではない。実際に2000年以降、メキシコの一部地域の治安は急激に悪化してきている。麻薬を栽培・精製し流通させる、違法で巨額のビジネスを営む「麻薬カルテル」が、このようなおそろしい見せしめと軍隊並みの装備によって街を恐怖支配しているという。現地警察は多くが買収され、凶悪化していく組織のあらゆる犯罪を見逃し協力すらしている。さらにカルテル同士の抗争、武装した自警団や軍隊との攻防など、いくつかの街は日常的な戦闘地域になっており、この「麻薬戦争」の死者は10万人規模ともいわれている。そして麻薬や犯罪者の流入など、その余波はアメリカ社会にも及び、無視できない事態になっているのだ。    「南部ゴシック」と呼ばれる、アメリカ南部の未開的な文化を娯楽的に描く文学ジャンルがあるが、『悪の法則』の脚本を書いた南部文学者コーマック・マッカーシーの作品のように、近年ではメキシコ犯罪の凶悪化にしたがって、このようにメキシコとアメリカとの負の関係が描かれることも多くなってきている。より殺伐とした南部ゴシックとして『ボーダーライン』は、緊張感をはらむ異界への越境作品として、いささか悪趣味な娯楽作として楽しめるものになっている。そのような特異な映像世界を監督とともに作り出しているのが、撮影監督ロジャー・ディーキンスだ。実際の街のロケと美術スタッフ達によって再現されるセット撮影を組み合わせ、ドキュメンタリーと見まがうようなリアリティある世界を作りあげながらも、その映像はときに美学的に先鋭化する。装甲車の中に差し込む光の不気味な美しさは南部ゴシックの手触りであり、必要以上の高度からの俯瞰撮影は、反リアリズム的な抽象表現に近づき、多くの犯罪映画とは区別されるような、ある種の哲学的予感を感じさせ、作品の方向を定めている。ちなみに『プリズナーズ』からのヴィルヌーヴとディーキンスのコンビは、今後製作される『ブレードランナー』続編まで継続が予定されている。
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(c)2015 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved.

 本作でケイトが帯同したチームは、市街地でいきなり銃撃戦を始めたり、容疑者に拷問を行うなど違法行為を犯し始める。ケイトは作戦に手を貸すことに強い違和感を覚え、チーム自体に疑念を深めていくが、その彼女自身も、やがて違法行為に踏み込む事態に陥っていく。容赦のない悪を倒すためには自分自身すら悪の世界に身を投じなくてはならないだろうか。ケイトはこの善悪の「ボーダーライン」の前で立ち尽くす。作品はそこでの彼女の選択を描くことで、善悪の問題について、観客を甘ったるいヒューマニズムの外に連れ出して考えさせるきっかけを与えている。  映画『ボーダーライン』のアメリカ本国でのタイトルは"Sicario"である。これは、スペイン語で「殺し屋」を意味する言葉だ。本作ではその語源に解説が加えられている。これはもともと「短剣の男」を意味するラテン語で、同時に「武装したユダヤ教の狂信者」、すなわちマントの中に短剣を隠し、異教徒を闇で殺害していたという武力組織「熱心党」の実行部隊のことでもある。キリストが生きていた時代は、彼らによる殺人事件が日常的に多発していたという。 新約聖書のなかでは、十二使徒のひとりに「熱心党のシモン」という人物も登場する。シモンは聖書のなかでも記述が少ない謎の人物で、実際に武力組織に入党していたかどうかは定かではないが、聖人の伝記集「黄金伝説」のなかで、キリスト教に改宗した彼が、異国の地で異教徒の手によって生きたままノコギリで体を切られ吊り下げられるという、まさに本作で描かれたような状況で、殉教者として最期を遂げたことが記されている。
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 メキシコ犯罪組織の現在の蛮行は、このような古代や中世の暴力的暗黒時代に世界を引き戻そうとするかのようだ。それを意識したのか、2015年にボスが逮捕された実際の麻薬犯罪組織は、自らを「テンプル騎士団」と名乗っていた。ここでは、非人間的な暴力行為の起源を古代や中世ヨーロッパに求めているのである。暴力行為は全人類に共通する問題である。現代のアメリカですら「衝撃と畏怖」と称しイラクの街を爆撃し見せしめを行うなど、やっていることはメキシコの犯罪者集団に近いものがある。本作の麻薬組織のボスは、このような暴力について「誰がこれを始めた?」と問いかける。それは麻薬戦争の報復合戦を示していると同時に、歴史的、世界的なスケールで我々に突き刺さってくる言葉だ。  「なぜ彼らは、こんなにも非人間的な残虐行為ができるのか」  本作では、ケイトの物語とともに、シウダーフアレスの汚職警官と幼ない息子の物語が並行して語られている。警官は犯罪に加担しながらも、家庭では善き父親として描かれ、息子は典型的なメキシコのサッカー小僧だ。元気にサッカーに興じる少年達のすぐ近くでは、今日も銃声や爆発音が鳴り響いている。彼らはごく一般的な小市民だが、そのような普通の人々までも残虐な暴力や犯罪の世界に、すでに巻き込まれているのだ。キリストの生きた時代、暴力や殺人は日常的な風景だった。その恐怖のなかで生まれる子供達は、モラルから切り離された現実のなかで生きることになる。我々がその時代、その環境に置かれたとしたら、非人間的な残虐行為から果たして無関係でいられるだろうか。『ボーダーライン』の真の凄さは、このように「暴力」というものを、メキシコ麻薬戦争の中だけで完結させず、より大きな枠組みの中で捉えた作り手の確かなまなざしにこそあるだろう。 ■小野寺系(k.onodera) 映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト ■公開情報 『ボーダーライン』 角川シネマ有楽町、新宿ピカデリーほかにて公開中 監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 脚本:テイラー・シェリダン 撮影監督:ロジャー・ディーキンス 出演:エミリー・ブラント、ベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン 配給:KADOKAWA 提供:ハピネット/KADOKAWA (c)2015 Lions Gate Entertainment Inc. All Rights Reserved. 公式サイト:http://border-line.jp/

妊娠中のエミリー・ブラントも登場 『スノーホワイト/氷の王国』LAプレミアにキャスト陣集結

【リアルサウンドより】  5月27日に日本公開される『スノーホワイト/氷の女王』のLAプレミアが、4月11日(現地時間)に、米ロサンゼルスのレジェンシー・ヴィレッジ・シアター、マン・ブルーイン・シアターにて開催され、シャーリーズ・セロン、エミリー・ブラント、ジェシカ・チャステイン、クリス・ヘムズワースらが登壇した。  LAプレミアは、4月22日の北米公開を前に開催されたもの。会場には衣装や魔法の鏡など、実際に撮影で仕様された小道具などが展示される中、多くのファンが詰めかけた。  邪悪な女王・ラヴェンナを演じるシャーリーズ・セロンは、クリスチャン ルブタンのヒールに、肩から背中のラインにかけてテントウ虫やミツバチなどの飾りが付いたクリスチャン ディオールのブラックドレスで現れ、ファンのサインやセルフィーに応じた。ハンターのエリックを演じるクリス・ヘムズワースは、妻のエルサ・パタキーを引き連れ登場。「前作とは違って、ユーモアやロマンスもある。ジェシー(ジェシカ・チャステイン)も自身でアクションをこなしていたり、体を張って挑んでるんだ。ぜひその迫力を映画館で味わってほしいよ!」とコメントを残した。  “氷の女王”フレイヤを演じたエミリー・ブラントは、現在2人目の子どもを妊娠中。氷の女王をイメージした白いマタニティ・ドレスで現れ、「みんなに観てもらうのが本当に楽しみ! 絶対大きいスクリーンで観るべき作品よ!」と作品をアピールした。“戦士”サラを演じたチャステインは、ブラックとメタリックのラインが入ったアルトゥザラのロングドレス姿で登場し、「強い女性を演じられるのが本当に大興奮だったわ! 特にシャーリーズとエミリーが素晴らしいの!」と、セロンとブラントの演技を称賛した。  会場には、小人のニオンを演じたニック・フロスト、メガホンを取ったセドリック・ニコラス=トロイヤン監督、「Castle」で主題歌を担当するホールジーも登場。招待客の中には、クリス・ヘムズワースの弟リアム・ヘムズワースとマイリー・サイラスらの姿も。トロイヤン監督は、「今までは、お姫様が王子様に助けられるおとぎ話が多くあったけど、近年では視点が変わりつつある。娘とよくそういう作品を観ているんだけど、それは本当に素晴らしいことだと思うよ」とコメントした。
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会場に展示された衣装

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ホールジー

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エミリー・ブラント

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ファンのサインに応じるシャーリーズ・セロン

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セドリック・ニコラス=トロイヤン監督

■公開情報 『スノーホワイト/氷の女王』 5月27日(金)より、TOHOシネマズ 日劇ほか全国ロードショー 監督:セドリック・ニコラス=トロイヤン 脚本:エヴァン・スピリオトポウロス、クレイグ・メイジン 製作:ジョー・ロス 「マレフィセント」「アリス・イン・ワンダーランド」 製作総指揮:サラ・ブラッドショウ、パラク・パテル 出演:クリス・ヘムズワース(“ハンター”エリック)、シャーリーズ・セロン(“邪悪な女王”ラヴェンナ)、エミリー・ブラント、(“氷の女王”フレイヤ)、ジェシカ・チャステイン(“戦士”サラ)、ニック・フロスト 原題:The Huntsman: Winter’s War(北米公開日:2016年4月22日) 配給:東宝東和 (c)Universal Pictures 公式サイト:http://snow-movie.jp/

NY在住マイノリティーの“あるある”を描くコメディ  『マスター・オブ・ゼロ』が高い評価を得た理由

【リアルサウンドより】  『マスター・オブ・ゼロ』は、売れない役者のインド系アメリカ人が主人公のコメディー・ドラマだ。Netflixのオリジナル作品として去年11月に配信され、NYに住むマイノリティーの日常を描いた点などが人気を集めている。放送テレビ批評家協会賞の最優秀コメディー・シリーズや、アメリカ映画協会賞TVプログラム・オブ・ザ・イヤーに輝くなど、批評家たちからの評価も高い。本稿では、ここまで幅広い人気を得られた魅力について述べていく。
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 NYを舞台にしたドラマや映画といえば、『セックス・アンド・ザ・シティ』シリーズのように派手で華やかな生活が描かれた作品をイメージするかもしれない。しかし『マスター・オブ・ゼロ』は、何気ない日々の一コマを描いていく。このドラマのストーリーには、主人公のデフを演じるアジズ・アンサリの実体験が反映されており、それゆえ作り込みすぎたフィクションでは見られない親しみやすさを生みだせている。  その親しみやすさの一例は、第1話「プランB」における一幕で見られる。子育てに励む友人に彼は、「遊んでた頃が恋しくないか?」と問いかける。だがその友人は、子どもとのエピソードを嬉しそうに披露したあと、「夜遊びはこの充実感の100万分の1にも満たない」と断言する。それを聞いた時の表情はどこか寂しそうに見えるが、こうした感情は多くの人が体験するものだと思う。このような“あるある”を、『マスター・オブ・ゼロ』は軽快なテンポの会話劇という形で浮き彫りにする。この軽快さを作りだせるのは、制作総指揮も務めるアジズ・アンサリがコメディアンということも関係しているだろう。ひとつひとつのセリフがシャレを効かせたものとなっており、ドラマに笑いをもたらしている。笑いがあることで、視聴者はヘヴィーな題材を楽しみながら受けとめられるのだ。  また、マイノリティーが受けがちな差別を取りあげるのも『マスター・オブ・ゼロ』の特徴だ。それがもっとも明確に表れているのは、第4話「インド人・オン・TV」である。この話は、デフが差別的扱いを受けたことから物語が転がっていく。“インド人”にまとわりつくステレオタイプに戸惑うが、生活のためには仕事をしなければいけない。そんな葛藤を抱えてしまう。これだけでも考えさせられるが、すごいのは差別的扱いをした男が死んだときのシーン。役者仲間に「差別野郎が死んで俺たちの時代だ」とハイタッチを求められるが、「人が死んだんだ。ハイタッチはしない」と彼は言う。このやりとりには、その死を喜んでしまえばある基準に基づいて人の扱い方に差をつける差別者と変わらないのではないか? という良心が表れている。こうした深い描写が随所で見られるのも、『マスター・オブ・ゼロ』の魅力だ。  何気ない日々を描いたドラマは、下手したら抑揚がない退屈なものになりがちだ。しかし『マスター・オブ・ゼロ』は、あるあるネタと笑いを上手く使うことで、日常を娯楽性あふれるドラマとして表現することに成功している。そんな『マスター・オブ・ゼロ』が教えてくれるのは、わざわざ大仰なフィクションに浸らずとも、劇的な場面は日常の至るところにあるということだ。 (文=近藤真弥) ■配信情報 『マスター・オブ・ゼロ』 Netflixにてオンラインストリーミング中 Netflix:https://www.netflix.com (c) Netflix. All Rights Reserved.

NY在住マイノリティーの“あるある”を描くコメディ  『マスター・オブ・ゼロ』が高い評価を得た理由

【リアルサウンドより】  『マスター・オブ・ゼロ』は、売れない役者のインド系アメリカ人が主人公のコメディー・ドラマだ。Netflixのオリジナル作品として去年11月に配信され、NYに住むマイノリティーの日常を描いた点などが人気を集めている。放送テレビ批評家協会賞の最優秀コメディー・シリーズや、アメリカ映画協会賞TVプログラム・オブ・ザ・イヤーに輝くなど、批評家たちからの評価も高い。本稿では、ここまで幅広い人気を得られた魅力について述べていく。
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 NYを舞台にしたドラマや映画といえば、『セックス・アンド・ザ・シティ』シリーズのように派手で華やかな生活が描かれた作品をイメージするかもしれない。しかし『マスター・オブ・ゼロ』は、何気ない日々の一コマを描いていく。このドラマのストーリーには、主人公のデフを演じるアジズ・アンサリの実体験が反映されており、それゆえ作り込みすぎたフィクションでは見られない親しみやすさを生みだせている。  その親しみやすさの一例は、第1話「プランB」における一幕で見られる。子育てに励む友人に彼は、「遊んでた頃が恋しくないか?」と問いかける。だがその友人は、子どもとのエピソードを嬉しそうに披露したあと、「夜遊びはこの充実感の100万分の1にも満たない」と断言する。それを聞いた時の表情はどこか寂しそうに見えるが、こうした感情は多くの人が体験するものだと思う。このような“あるある”を、『マスター・オブ・ゼロ』は軽快なテンポの会話劇という形で浮き彫りにする。この軽快さを作りだせるのは、制作総指揮も務めるアジズ・アンサリがコメディアンということも関係しているだろう。ひとつひとつのセリフがシャレを効かせたものとなっており、ドラマに笑いをもたらしている。笑いがあることで、視聴者はヘヴィーな題材を楽しみながら受けとめられるのだ。  また、マイノリティーが受けがちな差別を取りあげるのも『マスター・オブ・ゼロ』の特徴だ。それがもっとも明確に表れているのは、第4話「インド人・オン・TV」である。この話は、デフが差別的扱いを受けたことから物語が転がっていく。“インド人”にまとわりつくステレオタイプに戸惑うが、生活のためには仕事をしなければいけない。そんな葛藤を抱えてしまう。これだけでも考えさせられるが、すごいのは差別的扱いをした男が死んだときのシーン。役者仲間に「差別野郎が死んで俺たちの時代だ」とハイタッチを求められるが、「人が死んだんだ。ハイタッチはしない」と彼は言う。このやりとりには、その死を喜んでしまえばある基準に基づいて人の扱い方に差をつける差別者と変わらないのではないか? という良心が表れている。こうした深い描写が随所で見られるのも、『マスター・オブ・ゼロ』の魅力だ。  何気ない日々を描いたドラマは、下手したら抑揚がない退屈なものになりがちだ。しかし『マスター・オブ・ゼロ』は、あるあるネタと笑いを上手く使うことで、日常を娯楽性あふれるドラマとして表現することに成功している。そんな『マスター・オブ・ゼロ』が教えてくれるのは、わざわざ大仰なフィクションに浸らずとも、劇的な場面は日常の至るところにあるということだ。 (文=近藤真弥) ■配信情報 『マスター・オブ・ゼロ』 Netflixにてオンラインストリーミング中 Netflix:https://www.netflix.com (c) Netflix. All Rights Reserved.

松江哲明の『COP CAR コップ・カー』評:ケヴィン・ベーコンを正面から撮れば、良い映画は作れる

【リアルサウンドより】  『COP CAR コップ・カー』は、ケヴィン・ベーコンが主演と製作総指揮を務め、新『スパイダーマン』シリーズの監督に抜擢された新鋭ジョン・ワッツ監督が手がけた作品で、一見すると地味なのですが、まさに“拾い物”といっていい傑作でした。ジョン・ワッツ監督の前作『クラウン』は、イーライ・ロスがプロデュースを手がけた作品とのことで、ヒューマントラストシネマ渋谷で観たんですけれど、正直、さほど印象には残りませんでした。しかし、本作はそのときのイメージとは全然違う。もし、これがデビュー作であれば、それこそ“驚異の新人”と銘打って売り出されたんじゃないかと思えるくらい、センスが炸裂しています。  まず、本作がおもしろいのは、ケヴィン・ベーコンひとりしかスターは出ていないのに、様々な映画の要素がうまく採り入れられていること。悪徳警察官に追われるサスペンスであり、『スタンド・バイ・ミー』を思わせるような少年たちの成長物語であり、さらにデヴィッド・リンチ的な不条理性もある。それでいてどこか寓話的で、映画の魅力がぎゅっと凝縮されているんです。
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 一方で、脚本や演出には一切無駄がない“巧い映画”でもあります。そもそも、この脚本の脚本の面白さを見抜いて、プロデューサーまで買って出たケヴィン・ベーコンの眼力にも脱帽です。決して派手な物語ではないから、よほどセンスが良い監督が撮らないと、グダグダな映画になりかねないのですが、ちょっとしたカメラワークや演出、演技のプランが絶妙で、とても“観せる”作品に仕上げている。また、背景の説明も必要最小限で、ケヴィン・ベーコン演じる警官がなぜ、屍体を運んでいたのかさえ描かない。しかしながら、少し観ただけですっとその世界に入っていけるように、隅々まで演出が行き届いています。それによって、ケヴィン・ベーコンは単に頭のおかしい警官ではなく、非常にクレバーな一面を持った恐ろしい大人として映るし、男の子同士の関係性も活きてくる。  また、本作を優れた作品にしている要素のひとつに、カメラの位置の適切さもあります。ただベタッと撮るのではなく、どこかに不穏さを感じさせるカメラワークで、観ていて緊張感があります。映画的な快楽を追求している、と言い換えることもできるでしょう。たとえば、広い荒野をシネスコのロングで捉えて、フレームの中に車が入ってくる様をじっくり撮ったり、縦の構図で見せたり、すごく映画らしい絵作りをしています。子供たちがパトカーを運転するシーンも、彼らのわくわく感をうまく伝える一方で、観客には「あ、危ない!」と思わせるように描いたり、細かい気配りが効いているんですね。そのカメラワークをちょっとでも間違えたら、ビデオスルーの未公開映画になっていたと思いますが、とにかく演出が巧くて、平均点以下のショットは絶対に撮らないという気迫があります。  銃撃戦のシーンも非常に素晴らしいです。最低限の発砲数でタイトに描いているんですが、その開始の合図となる一発がとにかく鮮烈。それほど長いシーンではないけれど、あれで十分なんですよね。最小限で最上の効果を生んでいる粋な演出だと思います。やはり映画の基本は引き算ですよ。
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 ジャン=リュック・ゴダールが「車と銃と女があれば、一本の映画が作れる」と言っていますが、この映画はまさにそういう作品です。車が動いて、銃での撃ち合いがあって、女はシーバーの声と、あのおばさん。それだけの映画なのに、ものすごく面白い。映画が本来持っている、しかし誰も解明できていない不思議な魅力を受け継いだ、ある意味では古典的な作品と言えるでしょう。2016年のいま公開されている映画だけど、10年前にあっても不思議ではないし、それこそ70年代にあってもおかしくない。この映画がそうした魅力に満ちていることに気付いたケヴィン・ベーコンは、やはりすごいと思います。たぶん、もし彼が製作総指揮を務めていなかったら、「もっと派手にした方が良い」とか口を出す人が出てきて、駄作になっていたかもしれません。しかし、最低限の演出にとどめることで、絶妙な作品になっています。  実は、この映画を観る直前に『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』を観たんですけれど、個人的にははっきり言って『COP CAR コップ・カー』の方が断然面白かった。『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』は、いろいろと面白くない理由はあるんですけれど、なんといっても交通整理がうまくいっていなくて、原作のコミックの世界観を大事にしているのか、映画としての魅力を大事にしているのか、よくわからなくなっていました。ところどころで事故が起こってしまっていて、がっかりする部分が多かったです。ザック・スナイダー監督はセンスのある監督だと思うし、『ドーン・オブ・ザ・デッド』や『300 〈スリーハンドレッド〉』、『ウォッチメン』なんかは文句のない傑作だったと思います。しかし、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』は、大人の事情が見え隠れして、うまく着地させることができなかったという印象です。そのガチャガチャした絵作りを観たあとということもあって、おそらく何百分の一の予算で撮った『COP CAR コップ・カー』の方が、余計に面白く感じました。たとえるなら、『COP CAR コップ・カー』はそれほどスピードは出ていないけれど、助手席に乗っていてすごく気持ち良い車。この運転に身を任せてずっと乗っていたいと思わせるんですね。一方、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』は渋滞に巻き込まれて、一刻も早く降りたかったです。  また、ケヴィン・ベーコンの存在感も素晴らしかった。下手にお金をかけるより、ケヴィン・ベーコンをしっかり正面から撮れば、良い映画は作れるんですね。彼は本当におもしろいし、自分のおもしろさを客観的に捉えることもできていると思うんです。日本でいうと山田孝之タイプで、映画の中における自分の役割を理解している役者。その上、洒落もちゃんと分かっているという。ハリウッド映画の悪役とかでは振り切れた演技をしているけれど、ここではちゃんと抑えた演技を見せて、映画の雰囲気を引き立てているんですね。彼は『JFK』で、刑務所の中にいるゲイの男役をしていたけれど、そのときもケヴィンの色をちゃんと消していた。芝居が上手な人は、作品に合わせてそのイメージをちゃんと抑えることもできるんです。それでいて、本作では物語の邁進力にもなっている。急に鉢植えを壊して犬を驚かしたり、ちょっとした仕草に狂気を匂わせつつも、ところどころでクレバーさも見せていて、映画に緊張感を走らせています。
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 映画というものは、スクリーンを見上げて鑑賞するもので、僕らはヒーローや悪役を見上げたいんですよ。そういう意味で、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』は、ヒーローものなのに、小さなことにウジウジ悩んでいて、彼らが魅力的に見えないんです。だけど、『COP CAR コップ・カー』のケヴィン・ベーコンは、悪役ながらちゃんと見上げられる人物として描かれている。映画向きの芝居をちゃんとしていて、しっかりセンターに立っているんです。それだけで90分映画を引っ張るのだから、素晴らしいですよ。  少年の成長物語としても、この映画は秀逸です。思春期前の少年たちの無邪気さと、背伸びしたい感じがすごくよく描かれていて、誰が観てもおもしろい作品になっていると思います。少年たちの長い一日の物語は、後味も良いし、観終わったあとに「良いもの観たな」っていうお得感もあります。入り口はサスペンスなのに、出口では全然違う清々しさが待っていて、そういうところが僕は好きです。隠れた傑作と呼ぶのにふさわしく、映画ファンほど好きになる作品だと思います。それから、映画を志す人にとっても、とても勉強になる作品だとも思います。面白い映画のお手本のような作品ですから。  『COP CAR コップ・カー』を観て、ケヴィン・ベーコンの旧作を改めて観たくなってしまいました。ちなみにオススメは、『トレマーズ』という1990年のアクションホラー映画。地面の中を這うモンスターをやっつける話なんですが、一見ホラーなのに、どこかおかしくて仕方ないという不思議な魅力があって、「ケヴィン・ベーコンってなんか変…」と最初に思った作品です。ぜひ見てみて下さい。 (取材・構成=松田広宣) ■松江哲明 1977年、東京生まれの“ドキュメンタリー監督”。99年、日本映画学校卒業制作として監督した『あんにょんキムチ』が文化庁優秀映画賞などを受賞。その後、『童貞。をプロデュース』『あんにょん由美香』など話題作を次々と発表。ミュージシャン前野健太を撮影した2作品『ライブテープ』『トーキョードリフター』や高次脳機能障害を負ったディジュリドゥ奏者、GOMAを描いたドキュメンタリー映画『フラッシュバックメモリーズ3D』も高い評価を得る。2015年にはテレビ東京系ドラマ『山田孝之の東京都北区赤羽』の監督を山下敦弘とともに務める。最新監督作は、2016年4月8日より放送中のテレビ東京系ドラマ『その「おこだわり」、私にもくれよ!!』。番組公式サイトはこちら→http://www.tv-tokyo.co.jp/okodawari/ ■公開情報 『COP CAR コップ・カー』 2016年4月9日(土)公開 監督:ジョン・ワッツ 製作:コディ・ライダー、アリシア・バン・クーバリング、サム・ビスビー、ジョン・ワッツ 出演:ケビン・ベーコン、ジェームズ・フリードソン=ジャクソン、ヘイズ・ウェルフォード 公式サイト:http://cop-car.com/ (C)Cop Car LLC 2015