2015年も、テレビ界には数々のニューカマーが誕生した。だがその中でも誰一人、おそらく本人でさえ、予想しなかったほどの活躍を見せているのが、小説家の羽田圭介だろう。ピースの又吉直樹とともに芥川賞を受賞し、その時点では当然のようにメディアの話題は又吉一色。だが、その独特の存在感を、テレビは放ってはおかない。あれよあれよと出演回数を重ね、いまやテレビで見ない日はないほどの売れっ子となった。 その確かな証拠といえるのが、12月7日に放送された『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)への出演だ。「2015年の人気者大集合SP!!」として題されたこの日のビストロスマップには、とにかく明るい安村、厚切りジェイソン、藤田ニコル、三戸なつめといった紛うことなき人気者に並んで、羽田の姿があった。その人選に一切の違和感を覚えないほど、羽田は今年下半期のテレビを席巻していた。 それでは、タレントとしての羽田の魅力とはどこにあるのか? 今回は、こんな説を挙げてみたい。すなわち「羽田圭介=蛭子能収」説である。唐突に聞こえるかもしれない。確かに年齢も大きく違えば、印象も異なるだろう。だが、見れば見るほど、羽田と蛭子はそっくりなのだ。具体的に類似点を挙げてみよう。 (1)表情の均一さ 『SMAP×SMAP』でも、本人が「『いつも無表情で映ってる』って、いろんな人から言われますけど」と語っていた通り、羽田は表情を変えないという印象が強い。もちろん笑うこともあるのだが、無表情という表情がどこか顔に貼り付いている。これは、羽田とほかのタレントと大きく違う部分であり、ある意味でワイプ芸など過剰な表情に辟易した視聴者が好ましく思うところでもあるだろう。 一方の蛭子もまた、常に同じ表情をしていることでおなじみだ。両者の表情の均一さはともに、共演者やスタッフが求める表情をしないという、自己の強さと捉えることもできる。個であっていいというそのスタイルは、ときに価値観を押しつけられがちな現代社会において、ある種の視聴者が無意識下に求めているものだともいえる。 (2)度を越した偏食 蛭子といえば『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)でも、決して地元の名産品を食べずにその偏食をいじられるというのがお決まりだが、羽田の偏食ぶりもまた度を越している。同3日に放送された『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)の中で羽田の食生活が紹介されたのだが、毎日、朝昼晩、同じ鶏ハムメニュー。この点でいえば、蛭子を超えていると言っても過言ではない。 食欲とは言わずもがな、人間の三大欲求のひとつなわけだが、そこに対しての趣向のなさが生き物としての異物さを強調している。最後の最後で共感できなさそう、という雰囲気がどこかにある。だからこそ、怖いもの見たさで、視聴者は羽田や蛭子のような人知を超えた存在を求めるのかもしれない。 (3)ギャラに対する考え方 『ダウンタウンDX』においては、羽田のギャラに対する考え方も明らかになった。というか、ギャラ自体を自らの口で明かしていて「僕の原稿料だと(1本)80万円。それだと、テレビに3~4本出れば……」と堂々と発言。松本人志から「もうちょっと包み隠してもらっていいですか?」とクギを刺されるほどにあけすけであった。 そしてこの思想は「テレビに出るほうがギャラが良いから、漫画は描きたくない」と日々公言する蛭子とまったく同じだ。もちろん羽田はまだ若く、蛭子のような態度で創作に当たるということはないだろうが、本質は等しい。もし羽田が競艇にハマることがあったら、事態はどう動いてもおかしくはない。 以上、3つの点から「羽田圭介=蛭子能収」説を立証してみた。両者がかなり近い存在であることが、おわかりいただけたのではないだろうか。そして両者に共通するのは、徹底的な異物感であり、それはテレビという場所においても自己を曲げない、という態度に由来している。無理をせず、ウケを狙わず、ただ自分としてそこにいる。さまざまな意味でアイデンティティを失いつつある現代日本において、社会を象徴するメディアであるテレビが彼らのような強い自己を求めるのは、ある意味で必然だといえるのかもしれない。 【検証結果】 「羽田圭介=蛭子能収」説でさらに補足するなら、両者とも、人が言いにくいことを堂々と言ってくれるという点も挙げられるだろう。それを言うか、と視聴者が驚くような、身もフタもないことを彼らはしばしば口にする。それは異物のみに許される行為だが、一般人である視聴者のストレスを解消している。社会全体を息苦しい空気が包む中で、羽田圭介と蛭子能収の発言は、確かに求められているのだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa
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2015年のニューカマー、羽田圭介はすなわち蛭子能収であるという説 フジ『SMAP×SMAP』(12月7日放送)を徹底検証!
2015年も、テレビ界には数々のニューカマーが誕生した。だがその中でも誰一人、おそらく本人でさえ、予想しなかったほどの活躍を見せているのが、小説家の羽田圭介だろう。ピースの又吉直樹とともに芥川賞を受賞し、その時点では当然のようにメディアの話題は又吉一色。だが、その独特の存在感を、テレビは放ってはおかない。あれよあれよと出演回数を重ね、いまやテレビで見ない日はないほどの売れっ子となった。 その確かな証拠といえるのが、12月7日に放送された『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)への出演だ。「2015年の人気者大集合SP!!」として題されたこの日のビストロスマップには、とにかく明るい安村、厚切りジェイソン、藤田ニコル、三戸なつめといった紛うことなき人気者に並んで、羽田の姿があった。その人選に一切の違和感を覚えないほど、羽田は今年下半期のテレビを席巻していた。 それでは、タレントとしての羽田の魅力とはどこにあるのか? 今回は、こんな説を挙げてみたい。すなわち「羽田圭介=蛭子能収」説である。唐突に聞こえるかもしれない。確かに年齢も大きく違えば、印象も異なるだろう。だが、見れば見るほど、羽田と蛭子はそっくりなのだ。具体的に類似点を挙げてみよう。 (1)表情の均一さ 『SMAP×SMAP』でも、本人が「『いつも無表情で映ってる』って、いろんな人から言われますけど」と語っていた通り、羽田は表情を変えないという印象が強い。もちろん笑うこともあるのだが、無表情という表情がどこか顔に貼り付いている。これは、羽田とほかのタレントと大きく違う部分であり、ある意味でワイプ芸など過剰な表情に辟易した視聴者が好ましく思うところでもあるだろう。 一方の蛭子もまた、常に同じ表情をしていることでおなじみだ。両者の表情の均一さはともに、共演者やスタッフが求める表情をしないという、自己の強さと捉えることもできる。個であっていいというそのスタイルは、ときに価値観を押しつけられがちな現代社会において、ある種の視聴者が無意識下に求めているものだともいえる。 (2)度を越した偏食 蛭子といえば『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)でも、決して地元の名産品を食べずにその偏食をいじられるというのがお決まりだが、羽田の偏食ぶりもまた度を越している。同3日に放送された『ダウンタウンDX』(日本テレビ系)の中で羽田の食生活が紹介されたのだが、毎日、朝昼晩、同じ鶏ハムメニュー。この点でいえば、蛭子を超えていると言っても過言ではない。 食欲とは言わずもがな、人間の三大欲求のひとつなわけだが、そこに対しての趣向のなさが生き物としての異物さを強調している。最後の最後で共感できなさそう、という雰囲気がどこかにある。だからこそ、怖いもの見たさで、視聴者は羽田や蛭子のような人知を超えた存在を求めるのかもしれない。 (3)ギャラに対する考え方 『ダウンタウンDX』においては、羽田のギャラに対する考え方も明らかになった。というか、ギャラ自体を自らの口で明かしていて「僕の原稿料だと(1本)80万円。それだと、テレビに3~4本出れば……」と堂々と発言。松本人志から「もうちょっと包み隠してもらっていいですか?」とクギを刺されるほどにあけすけであった。 そしてこの思想は「テレビに出るほうがギャラが良いから、漫画は描きたくない」と日々公言する蛭子とまったく同じだ。もちろん羽田はまだ若く、蛭子のような態度で創作に当たるということはないだろうが、本質は等しい。もし羽田が競艇にハマることがあったら、事態はどう動いてもおかしくはない。 以上、3つの点から「羽田圭介=蛭子能収」説を立証してみた。両者がかなり近い存在であることが、おわかりいただけたのではないだろうか。そして両者に共通するのは、徹底的な異物感であり、それはテレビという場所においても自己を曲げない、という態度に由来している。無理をせず、ウケを狙わず、ただ自分としてそこにいる。さまざまな意味でアイデンティティを失いつつある現代日本において、社会を象徴するメディアであるテレビが彼らのような強い自己を求めるのは、ある意味で必然だといえるのかもしれない。 【検証結果】 「羽田圭介=蛭子能収」説でさらに補足するなら、両者とも、人が言いにくいことを堂々と言ってくれるという点も挙げられるだろう。それを言うか、と視聴者が驚くような、身もフタもないことを彼らはしばしば口にする。それは異物のみに許される行為だが、一般人である視聴者のストレスを解消している。社会全体を息苦しい空気が包む中で、羽田圭介と蛭子能収の発言は、確かに求められているのだ。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa
「人はそれぞれ自由に生きればいい」蛭子能収の最強の生き方を学ぶ
クズだなんだと言われようともテレビに引っ張りだこで、大人気の蛭子能収。最近では、自由に生きる蛭子さんの人生哲学も注目されている。そんなノッてる蛭子さんが読者の人生相談に答える、週刊誌「女性自身」(光文社)のコーナーが書籍化された。『蛭子能収のゆるゆる人生相談』がその本。 ゆるゆるとはいえ、中にはヘビーな相談内容もある。そんな悩みに対し「はっきり言ってめんどくさいです」と言いつつも、的確な回答や金言を連発している。 「上に立つ立場になっても実力がないのなら、立派なことをしようと力まない方がいいですよ。(中略)上司に適しているかどうかなんて自分じゃ決められないし、ダメだと思われたっていいじゃないですか」(店長を任されるプレッシャーに悩むエステティシャンへの回答) 「オレは、仕事をしている間は、雇い主に自分の考えも時間も拘束されていると割り切っているので、嫌なことがあっても我慢できますね」(職場のわがままな上司に悩む女性への回答) どうだろう、蛭子さんの、この職業観。できないものはできない。自分ができることを、自分のやり方でやるしかないのだ。ダメな自分を受け入れられる上司なら、ダメな部下への理解もあるだろう。結果的に全員がハッピー。なんなの、この名回答。 そして、仕事は自分の考えさえも拘束されることを理解していれば、煩わしい人間関係の悩みからも解放される。ただ仕事をして、お金をもらうのみ。余計なことは考えない。つまり、自我を捨てよということだろうか。すごすぎる……。悟りを開いていらっしゃるのでしょうか、蛭子さんは。 ほかにも、 「自由で楽しく生きるためには、後ろめたい気持ちにならないことも大事。そのためには、しっかりルールを守らなければいけません」(厳しい校則に納得がいかない女子高生への回答) など、「おっしゃる通り」と感心する回答ばかり。まったく、誰よ、蛭子さんのことをクズだなんていう人は。失礼よ! とはいえ、やっぱりクズかも……というエピソードもちゃんとある。 「事務所には美人マネージャーとワンランク下のマネージャーがいたんです。美人には「どうせオレなんか」と思い、美人じゃないほうのマネージャーに結婚しようと付きまとったことも。でも、すぐに彼女も辞めちゃったんです。このときに「ブスに限って、いい男を求めている」と気づけたのですが、それも彼女を作ろうと行動したからこそ」(交際経験のない49歳女性への回答) 付きまとわれて仕事も続けられなくなった女性マネージャーをブス呼ばわりした挙げ句、教訓を得るという身勝手さ……! ドイヒー! しかし、本人はいいことを言っているとか、ひどいこと言っているとか考えずに、ただ自由に楽しく生きているだけ。そんな蛭子さんに、誰が文句を言えましょうか。蛭子さんのように生きられたら、どんなにいいことだろう。そんな蛭子さんの生き方を学べる本書は、今よりちょっとだけかもしれないけれど、人生をラクにしてくれるはずだ。 (文=ナカダヨーコ)『蛭子能収のゆるゆる人生相談』(光文社)
太川陽介が示す、日本の美徳とは――テレビ東京『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(1月3日放送)を徹底検証!
かつて日本人は、控えめさと几帳面さを美徳としていた。そしてまた、和をもって尊しとなるという考え方は言葉にせずとも共有のものであった。そんな時代が、確かにあった。そう昔の話ではない。隣国の悪口を叫びながら街を練り歩いたり、早く子どもを産めと議会でヤジを飛ばしたり、東京駅の記念Suicaを求めて「それじゃ、転売できねえんだよ!」と言いだすような人々が出現する少し前までは、確かにそういう時代だったのだ。 それでは、控えめさと几帳面さという日本人の美徳は、誰からも失われてしまったのか? もちろん、そんなことはない。少なくとも太川陽介にはそれがある。テレビ東京の人気番組『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』のリーダー役。決して自分が出しゃばらない控えめさ。常に地図を広げて路線をさぐる几帳面さ。そして、蛭子能収というノーデリカシー・モンスターを相手にしても、決して怒らず、和をもって尊しとするその態度。彼がいなくては、この番組は成り立たないというのは断言できる。 1月3日に放送された『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』は、3時間45分のスペシャルであった。このシリーズの言動によって、現在何度目かのブレークを果たしている蛭子能収だが、やはりこの番組での蛭子能収はひと味違う。3時間45分の間、ずっとイライラさせてくれる。番組のオープニングで、太川陽介から「絶対、息抜きに来てるでしょ?」と問われて「俺だって、これに賭けてるんだから」と反論するのはいいのだが、顔が完全にニヤニヤしている。明らかに、そんなことを思っていないというのが丸見えだ。 数えだしたらキリがないが、ゲストのマルシアに対して「歌手のイメージないね」「まっすぐ歩くことができないんだね」と絶対に言わなくていい一言を言ってみたり、バスの中で財布を下向きに開いて小銭をすべてこぼすという無駄な面倒さを披露してみたり、バスを待っている間に近くに食事をする店がないため「ガソリンスタンドで出前を取ってもらう」という、実にこしゃくなアイデアを提案してみたりと、まさに蛭子能収ワールド全開。視聴者として見ている分には、“腹立つわー”と笑えてしまうのだが、一緒に3泊4日の旅をする太川陽介からしたら、たまったものではないだろう。 しかも、今回のゲスト(マドンナ)はマルシアだ。番組冒頭で「私は一日200歩しか歩かない」と堂々と宣言し、番組開始からわずか8分で愚痴を始める始末。もはやスタッフが太川陽介を本気で怒らせようとしているとしか思えないわけだが、それでも太川陽介は決して怒らない。二人に気を遣い、そして献身的にチームを引っ張る。理想的なリーダーである。一体なぜ太川陽介は、誰に対しても怒ることがないのだろうか? また、どうすれば、そんなことが出来るのか? ここに一冊の本がある。執筆者は太川陽介。書名は『ルイルイ仕切り術』(小学館)という、2014年9月に出版された一冊であるが、一体これを誰が買うのかと勝手ながら心配になる。しかしその中身は、いわゆるタレント本の中でもかなり充実したものとなっており、「仕切る人間は“決断”をしなければいけないけれど、それが“独断”であってはいけないと思う」といったリーダー論や、番組が始まる際にプロデューサーから言われた言葉が「本当にまったく台本のない旅番組をやりたい」というものだったりと、非常に示唆に富んでいる。 この本の中で書かれているのが「蛭子さん級にイライラする人に対処する」という、太川陽介が見つけた一つの真理だ。果たして太川陽介は蛭子能収にイライラしてしまう自分を、どうやってコントロールしたのか。少し長くなるが、引用してみたい。『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京)
だいたい考えてみれば、悲観的であろうと前向きじゃないことをいおうと、それが蛭子さんの個性なんですから。あの個性がなければ蛭子さんじゃないんですから。 みなさんも、時にはどうしようもなくイライラする人と出会うことがあると思うんです。 そういう時は潔くあきらめる。あきらめて、そういう個性の人なんだ、と大きな心で受け入れる。 そしたら、最近は本当にあまりイライラしなくなったんです。あきらめるのだ。あるいは言葉を変えれば、自分とは違う人間の存在を認める、ということになるのかもしれない。かつて立川談志は「落語とは人間の業の肯定である」と語ったが、太川陽介にとってもまた、蛭子能収との路線バスの旅は、人間の業の肯定なのだろう。自分と考え方が違うからといって、排除や差別をするのではない。むしろそのまま受け入れる。まさしく日本的な思想であり、そしてそれはいま多くの日本人が失いかけているものでもある。 よくよく考えれば『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』という番組の企画そのものが、日本的というか、日本ならではのものだろう。バスが時間通りに到着しなければ、そもそも企画にならない。そしてバスが時間通りに到着する真面目な国は、世界を見回してもあまり多いわけではない。テレビの画面には映らない多くの日本人の几帳面さや控えめさ、あるいは和をもって尊ぶという精神がこの番組を成立させているのであり、そのリーダーである太川陽介が日本的であるというのは、おそらくただの偶然ではないだろう。 景気の先行きも見えず、殺伐とした事件は絶えず起こり、イライラすることの多い世の中である。笑うよりも怒るほうがたやすい時代だ。だが、そのたやすさに甘んじるのが正しい道であるとは限らない。タクシーや高速道路を使わずに、ただただ愚直に路線バスと自らの足を使って初めて見える景色がある。『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』が教えてくれるのは、そういったことではないか。 シリーズ第19弾となる今回の旅で、一行は一人のバス運転手と出会った。高校の教員をやっていたその男性は、去年からバス運転手の仕事を始めたそうだ。その理由は、この『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』という番組が好きで、運転手をやってみたかったから。そう、人が季節をめぐるように、バスは路線を周り続ける。イライラする必要なんてないのだ。ここがどんな場所であれ、この世界は、それほど悪いものではない。 【検証結果】 2014年の暮れに行われた衆院選で自民党の安倍総裁が掲げたスローガンは「この道しかない」という、この息苦しい世の中のムードを的確に捉えた勇ましい言葉だった。だが、それは『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』の思想とは真逆のものだといえるだろう。道なんていくらでもある。そして人は、どの道を選んでもいい。差別や排除など必要ないのだ。あの蛭子能収に対してもイライラしない太川陽介という人間の存在は、確かにそれを証明している。 (文=相沢直) ●あいざわ・すなお 1980年生まれ。構成作家、ライター。活動歴は構成作家として『テレバイダー』(TOKYO MX)、『モンキーパーマ』(tvkほか)、「水道橋博士のメルマ旬報『みっつ数えろ』連載」など。プロデューサーとして『ホワイトボードTV』『バカリズム THE MOVIE』(TOKYO MX)など。 Twitterアカウントは @aizawaaa
「競合ない」「ギャラ安い」「NGない」……超“再ブレーク”中の蛭子能収、年末年始もテレビ界を席巻へ
「もはや“再ブレーク”という表現では足りないくらい、今のテレビ界には欠かせない存在になっていますよ。昨年の倍は働いているんじゃないでしょうか」(テレビ局関係者) 『ローカル路線バスの旅』(テレビ東京系)で再ブレークした蛭子能収。いまやテレビで見ない日はないというくらい、各局から引っ張りだこだ。 「どの局でもバラエティのキャスティングでは、いの一番に名前が挙がるようです。ほかに競合はいないし、ギャラは比較的安めな上、NGもない。若手芸人でも遠慮なくツッコミができるというのも大きいようです」(バラエティ制作スタッフ) この夏に出版した著書『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)も増刷に次ぐ増刷で、すでに3万部を突破しているというから、その人気ぶりは本物だ。 「今年に入って、休みは月に3日あるかないかだそうです。地方ロケも多いですし、かなりハードワークなことは間違いないですね。本業の漫画もやりつつ、タレント業に俳優業もこなしています。映画業界からも、ちょいちょいオファーはあるみたいです」(映画関係者) 先日も野村周平主演の映画『日々ロック』に出演するなど、俳優としての仕事も着実に増えている。 「その中でもやはり一番オファーが多いのはテレビ東京のバラエティで、今月も正月に放送される『ローカル路線バスの旅』の収録が予定されています。三が日の1月3日放送ということで、テレビ東京もかなり視聴率を見込んでいるようですよ。現在は年末年始の特番の収録が詰まっていて、かなり忙しいようです」(芸能事務所関係者) 年末年始は、蛭子さんを見る機会が多そうだ。
「奥さんさえいれば、友達なんていらない」テレビでは見られない“黒蛭子”の極端すぎる人づきあい観
最近『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』(テレビ東京系)がきっかけで再ブレーク中の蛭子能収。テレビへの出演歴もだいぶ長いのに、いまだに画面の中で異様な雰囲気を放っていて、なんだかモヤモヤした気持ちにさせられます。 そんな蛭子さんが『ひとりぼっちを笑うな』(KADOKAWA)という本を出版した。要は「友達がいなくたって、別にいいだろ」というような内容で。納得できるようなできないような……とにかくテレビでヘラヘラしている蛭子さんとは一線を画した、邪悪な蛭子さんが見え隠れする一冊なのだ。 「蛭子伝説」と呼ばれるような危険なうわさも多い蛭子さんにとっての「人づきあい観」って、どんなものなのか!? 聞いてみました。 ■友達なんていても、あんまりいいことはなかった ――テレビとかのイメージでは、蛭子さんってあんまり自分語りをするイメージがなかったんですが、今回この本はどうして出そうと思ったんですか? 蛭子能収(以下、蛭子) 広島でLINE殺人っていうのがあったでしょ? 友達とモメて殺されちゃったっていう。そういった、友達や仲間を作ることによってマイナスになることもあるんじゃないかな……っていうことを伝えたかったんです。 ――世の中的には「友達や仲間がいっぱいいるのはいいことだ」っていう風潮がありますよね。 蛭子 でも、その友達というのは、実は恐ろしい存在であったり、自分の自由を奪う存在であったりする可能性があるから、もう一度、友達というものを考えてみませんか? ということなんですよね。 ――蛭子さんは「友達がいて助かったな」みたいなことはなかったんですか? 蛭子 ううーん……うん、そういう記憶はあんまりないですね。 ――友達なんていても、あんまりいいことはなかったと。みうらじゅんさんとか根本敬さんは、よく「蛭子さんと友達だ」って言っていますけど。 蛭子 アレは……まあ、同じ絵を描く仲間ではありますけどね。でも、遊びに行こうとか電話をかけるような仲ではないですよ。仕事がある時に一緒になることはありますけど、プライベートでの付き合いはまったくないです。だから、プライベートでどっかに行く時には、ほとんどひとりなんですよ。映画に行くか、競艇に行くか、麻雀に行くか……。とにかく、ひとりで遊べるものが好き。 ――テレビで蛭子さんが何か言いだすとすぐにツッコまれちゃいますけど、本ではノーツッコミで丸々一冊蛭子さんの主張が繰り広げられていて面白かったです。意外だったのが、「とにかく目立ちたくない」ということですね。なんでそれが舞台に出たり、テレビに出たりすることになったんですか? 蛭子 いやぁ~、一般の人に埋もれて普通に過ごしたいんですよ、本当は。自分の顔とか姿を人前にさらしたくないですもん。最初に舞台に出たのは、柄本明さんから「出てくれ」って頼まれたから。オレは、ホントは出たくなかったんですよ。それからテレビの依頼も来るようになって……。だけど、人から頼まれたことを断るのもイヤなんですよ。仕事にしたって、せっかく頼まれたら普通断らないでしょ? ――あ、そうなんですか? ギャラも気にしない? 蛭子 「いくらくれるのかなー?」っていうのは、楽しみにするけど。安くてもとにかくやって、予想より多かったら「ヤッター!」、少なかったら「クソー!」って。だから、仕事は高くても安くても断らない。 ――なるほど、それじゃ今でもテレビに出るのはイヤだ……という感覚なんですか? 蛭子 今は出たいですね。お金稼ぎたいから。もう、お金を稼ぐのが面白くて面白くて! ――ああ(笑)。やっぱり漫画を描いているのと比べて、テレビのギャラは全然違いますか? 蛭子 「ガロ」で描いてた頃は、原稿料なんてもらえなかったですからね。今、普通の人が1日働いたとすると1万円くらい? それを、テレビに出ると10倍くらいもらえるわけじゃないですか。そりゃあ、辞められないですよ。すごく稼げるので、ドンドン出たいと思います。 ――漫画と違って、テレビに出ていると、チヤホヤされたりするわけじゃないですか。そのへんもうれしかったりしますか? 蛭子 それは、うれしくも悲しくもないって感じですね。まあ、いちいち声を掛けられて返事をするのがめんどくさいっていうのはありますけど。だから、かぶらなくてもいい帽子をかぶるようになりましたからね。おかげでハゲが進んできちゃって……。 ――それは年齢的な問題じゃないんですか? 蛭子 やっぱり帽子をかぶってると太陽の光をさえぎっちゃうから、栄養が足りなくなっちゃって……。 ――そんな光合成みたいな原理ではないでしょう! ■漫画でも意外と稼いでいる ――最近、『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』で再ブレークして、テレビによく出ていますけど、テレビの仕事が全然なかった時期ってあるんですか? 蛭子 いやー、意外とコンスタントにあるね。最初にテレビに出たのは『笑っていいとも!』で、それからドラマの『教師びんびん物語』と、『いつも誰かに恋してるッ』(すべてフジテレビ系)で宮沢りえのお父さん役が来て、それからもわりとずーっとあって、しばらくなくなったのは麻雀で捕まってから……半年くらいはなかったね。でも、その後もチョコチョコ仕事が入ってたから。でもこれからは、テレビに出るために、もっと話術とかを磨いていかないといけないですねぇ……。 ――えっ、今さらですか!? 蛭子 そろそろ新鮮味がなくなってきてると思うんで、お笑いの人みたいにしゃべりを上手にして、バーッとしゃべって最後にオチをつけられるようなトーク術を身につけたいですね。 ――それ、求められてない方向だと思いますよ……。 蛭子 そうかなぁ~? ――本にも書いてあって意外だったんですが、今でも「本業は漫画家だ」という認識なんですね。 蛭子 そうですね。「テレビタレント」というのは、ちょっと職業として言いづらいんですよね。「俳優」だったら言いやすいんだけど。オレはお笑いでもないし、テレビには漫画家として出てると思ってますね。まあ、漫画自体はほとんど描いてないけど。 ――本業だけど、仕事は全然していないと。 蛭子 ただ、イラストや4コマみたいなのはよく描いてますよ。だから、まだ漫画家っていってもいいんじゃないですかね。 ――収入的には、圧倒的にテレビのほうが……。 蛭子 そうですねぇ……。それでも、意外と思うかもしれないけど、漫画でも月50万くらいは稼いでるんですよ。テレビはもっとありますけどね。でも意外でしょ? ――ええーっ、そんなに!? 漫画の収入なんて、月2~3万くらいだと思ってましたよ 蛭子 そうでしょ? だから、今タレント辞めても細々だったら食っていけるの。 ――50万もあったら、細々でもないでしょう! ■奥さんは、どうしても必要な存在だった ――蛭子さんが、お葬式みたいな場所に行くと笑っちゃうというのは有名ですが、前の奥さんのお葬式では、ものすごく泣けたそうですね。 蛭子 そうですね、それまで他人の葬式っていうのは、どんなに親しい人でも全然悲しくなかったんですよ。 ――逸見政孝さんとか、山田花子さん(漫画家)なんかのお葬式にも出られたそうですけど。 蛭子 山田花子さんの時も、すごく笑ってしまったから……。すごく友達だと思ってたんですけど、だけどあんなに笑ったということは、そうも思ってなかったのかなって。 ――悲しいっていう気持ちはあるんですか? 蛭子 それはありますよ。あんなに面白い漫画を描いていたのに、どうして自殺してしまったんだと。それでも笑っちゃうんですよね……。だから、オレが死んだ時も別に悲しんでもらわなくていいと思ってます。死んじゃったら何の心もないわけですから、わざわざオレの葬式のために時間を使ってもらいたくないんですよ。各自で好きなことをしててもらいたい。人の自由を奪うのがイヤなんで。 ――それでも、奥さんの時はすごく泣けたと。 蛭子 やっぱり、どうしても必要な存在だったのかな、奥さんっていうのは。自分にとっては、すごく大切な人だった。 ――で、前の奥さんが亡くなってから、「必要な存在だ」ってことで、必死になって次の奥さんを探し出したらしいですね。 蛭子 ものすごく必死で探しました。ファンレターに電話番号が書いてあったら電話して「ご飯でも食べませんか?」とか。 ――それは「寂しい」っていう気持ちからだったんですか? 蛭子 そうですねぇ。電車に乗ってても、知らない女性が「寂しくなったら電話して」って電話番号くれたりしましたからね。 ■「奥さんって、セックスの面でも便利ですよね」 ――今回の本って、「自由」というのがテーマなのかなと思いますけど。 蛭子 そう。自由が一番楽しく生きる方法だと思いますね。ただ、そのためには、自分がやりたいことがなけりゃダメだと思うんですよ。やりたいことがない人に限って、友達に走って悪いことをする ――友達に走って(笑)。 蛭子 人間ってグループになると、たいてい悪い方向に行くでしょ。態度が大きくなるし、個人に対して失礼なことをしがちじゃないですか。だから、すべてのグループを否定しますね。ロクことはない、仲たがいもする、面白くない。だって、今までのグループって全部潰れてますよ。中核派とか革マル派とか、ロクなもんじゃないですよ。仲間割れになって殺し合いになって潰れていくじゃないですか。これがすべてのグループの末路ですよ。絶対に、支配する側と虐待される側に分かれちゃうんだから。 ――また極端な例を……。でも、確かに蛭子さんがそういうグループに所属したら、確実に虐待される側になりそうですよね。 蛭子 だから入りたくないんですよ。虐待する側だったら、楽しいかも分からないけど……。グループってどうしても、みんな平等ってことにはならないからイヤですね。 ――上下関係がイヤだと。 蛭子 そうですねぇ~。よっぽどリーダーができた人だったらいいと思いますけどね。たとえばオレみたいな……。オレがリーダーだったら、絶対にうまくやる自信がありますよ。グループをやる意思はないですけど。 ――確かにグループってめんどくさいですけど、それでも「寂しい」という気持ちに勝てない人も多いんじゃないでしょうか? 蛭子 そうなんですよ。そういう時は、趣味のグループに入るのがいいんじゃないですかね。適当なところに行ってみて、大丈夫かなっていうグループを探して。山登りでもいいし、コーラスでもいいし。 ――え? そういうグループだったらアリなんですか? 蛭子 あんまりリーダーが突出してないような、仲良しグループみたいなのだったらいいんじゃないですかね。 ――……? 蛭子さんは、寂しいっていう気持ちを、どこで解消しているんですか? 蛭子 うーん、競艇場に行っても寂しいですからね……。やっぱり、それが奥さんなんじゃないですかねぇ。お嫁さんと旦那さんっていう関係は、すごく大切だと思います。それが一番いいですよ。家で女房が待っていると思うからこそ、ひとりで競艇場に遊びに行っても寂しくないんですよね。 ――これだけ聞くとハートフルな話に聞こえますけど、蛭子さんは「奥さんとセックスすればタダだからいい」って、よく言ってますからねぇ……。 蛭子 それはそうじゃないですか! その面でも便利ですよね、奥さんって。オレは奥さんがいる時は絶対に浮気もしないですし、「いいな」って思っても声もかけないですし。……まあ、また亡くなったら必死で探すかもしれないですけど。 ――奥さんさえいれば、友達なんていらないという結論ですかね? 蛭子 まあ、どうしても友達が欲しかったら、たとえば「遊びに行こう」って電話がかかってきた時に、気軽に断れる人がいいと思います。本当はほかのことをしたいのに、気を使って「行く」って言わなきゃならないような関係は、あまりよくないんじゃないかと。それくらいお互いの自由を尊重できる関係が、いい友達だと思います。 (取材・文・写真=北村ヂン)




