藤圭子の突然の死から2カ月足らずの10月中旬、ノンフィクション作家・沢木耕太郎が、三十数年前の藤を描いた『流星ひとつ』(新潮社)を緊急出版し、話題を集めている。 藤の自殺直後、本サイトでは沢木がかつて藤と取材を通じて男女関係にあり、そのもつれから発表予定だった藤をテーマにした作品を封印してしまった事実を指摘していた(記事参照)。 『流星~』はまさに、その封印していた“幻のノンフィクション”であり、今回の出版は「沢木は藤が自殺を遂げた今こそ、作品を発表すべき」と書いた本サイトの声が届いた形だ。 ところが、この『流星~』に対し、藤の元夫でヒカルの実父である宇多田照實がかみついている。 11月2日のTwitterで、フォロワーから「沢木耕太郎さんの『流星ひとつ』は読みましたか?」と質問された照實は、「厚かましく本を送って来ました。許諾もしてないし、30年以上前に発行予定だった本。藤圭子は怒っていると思います」と怒りをあらわに。「藤圭子さんが生前に出版する事を快く了承しています」と反論する別のフォロワーには、「僕はNYで原稿を受け取った藤圭子の怒りを目の当たりにしました」と主張している。 しかし、この照實の発言には、いくつか首をかしげたくなる部分もある。まず、実子であり親族であるヒカルが出版に関し苦言を呈すのならわかるが、照實は藤と離婚しており、「許諾もしてない」と怒る権利はないようにも思える。さらに、藤はニューヨークで原稿を受け取ったと照實は述べているが、『流星~』のあとがきによれば、ニューヨークに移り住む以前に藤は沢木より原稿を受け取り「自分は出版してもいいと思うが、沢木さんの判断に任せる」と返事したと書いている。 しかも、マスコミ報道などとは違って、今回の作品は、藤の歌への情熱や、小さなことにもいちいち感動する素直でまっすぐな性格などを描いたもので、決して藤を貶めるような内容ではない。 にもかかわらず、照實が激怒している理由を、「許諾云々の問題ではなく、嫉妬のような感情があるのではないか」と週刊誌記者は話す。 「沢木の『流星~』は、照實と出会う前の藤の姿を描いています。沢木と藤は恋愛関係にあったとされていますから、照實にしてみれば沢木は“昔の男”。そんな人間が、2人の濃密な関係を漂わせる本を出版するのは、離婚したとはいえ気分のいいものではないでしょう」 しかも、沢木は長らく封印していた『流星~』を緊急出版した理由について、ヒカルと照實が発表したコメントによって「精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返したあげくの投身自殺、という説明で落着」してしまったことが「あまりにも簡単に理解されていくのを見るのは忍びなかった」と書き、ヒカルに「輝くような精神の持ち主」だった藤の姿を知ってほしいと願う気持ちから今、出版したのだと説明している。これではまるで“精神を病んだ人”というイメージを植え付けた照實から、藤を救済する目的で出版したとも受け取れる。 「こうした沢木の記述に、照實がカチンと来た可能性は高いでしょうね」(同) もっとも、照實の感情とは別に、沢木の『流星~』については、出版業界からも「きれいごとで片付けすぎではないか」という指摘もある。というのも『流星~』には、沢木と藤の関係性がきちんと描かれていないからだ。 例えば、そのひとつがあとがきの問題。沢木によれば、『流星~』の原稿を渡した後、藤から手紙が送られてきて、その手紙の最後には「追伸『流星ひとつ』のあとがき、大好きです」とあったという。ところが、沢木はそう書きながら、肝心のあとがきについてはなぜか“残っていない”として、執筆ノートに記されていたという“あとがきの断片”を公開しているだけなのだ。 「本当のあとがきには、“沢木から藤へのラブレター”が書かれていたはず。沢木さんはわざと残ってないとして隠したんじゃないでしょうか。それ以外にも、『流星~』は肝心な部分をことごとく避けて通ってる気がしてならない。そもそも2人の恋愛関係は、沢木さんが途中で逃げ出して終わった可能性が高い。別れの時にもいろいろあったはず。それをああいう“美しい物語”仕立てにしてお茶を濁すというのは、どうなんでしょう」(大手出版社のベテラン編集者) 自分と取材対象の関係性を丁寧に描く手法で“ニュージャーナリズムの旗手”として高い評価を得てきた沢木だが、今回はそこまで踏み込めなかったようだ。いや、それとも元夫を刺激して怒らせているのだから、やはり2人の関係性は作品からにじみ出ていると考えるべきなのだろうか?『流星ひとつ』(新潮社)
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「藤圭子の遺言あった」──宇多田ヒカルが緊急声明も、消えぬ照實氏の“ダミー疑惑”
先月22日に母の藤圭子さん(享年62)を亡くした歌手の宇多田ヒカルが5日、ブログを10日ぶりに更新し、母の弔いは“宇多田家”が中心となって行っていくことを宣言した。 冒頭でファンや関係者に感謝の言葉を並べると、その後は藤さんの訃報の際、本名を「阿部純子」とした報道が間違っていることに言及。「宇多田純子です。父と離婚後も、母は旧姓の阿部ではなく宇多田姓を名乗ることを希望し、籍も父の籍においたままでした」と説明した。 続けて、父で音楽プロデューサーの照實氏と藤さんの関係について「夫婦だとか夫婦でないなんてこと以上に深い絆で結ばれた二人でした。(中略)母が最後まで頼っていた数少ない人間の一人です」。喪主は宇多田だったが「(照實氏が)私に代わって、辛い思いをしながらも、父はこの役割を果たしてくれました」と擁護した。 このほか葬儀は行わず火葬のみとなった理由についても、生前に藤さんが残したという遺言書に沿った形で行ったと釈明。最後は「私も藤圭子のファンでした。今も、この先もずっとファンであり続けます」と結んだ。 このタイミングで宇多田が“緊急声明”を出した背景には、2週連続で「週刊文春」(文藝春秋)が“照實氏叩き”をしていることが関係している。先月29日発売号では実兄の藤三郎氏がインタビューに応じ、照實氏が“宇多田利権”を抱え込もうと周囲を排除した結果、孤独に駆られた藤さんの投身自殺につながったと告白。5日に発売された最新号では藤さんの叔母も同調し、遺骨は照實氏が推し進める宇多田家ではなく、生家の阿部家の墓に納めるべきであると主張した。 「照實氏はこうした報道に頭を悩ませ、さらに自分のスキャンダルが出ないか心配していた。血のつながった実の娘を担ぎ出し、一連の報道にクギを刺す狙いがあったとウワサされています」(ワイドショー関係者) ブログ更新日が文春発売日と同日だったことも、“疑惑”に拍車をかけている。 「図ったかのようなタイミング。ただ、ロンドンに戻ったといわれる宇多田さんが、文春のネガティブキャンペーンを相殺するためにこのような声明を出すのかなぁ、という疑問は残る。彼女のTwitterであれば信用できるけど、ブログが更新されたのは照實氏が代表を務める有限会社『U3 Music』内でのこと。照實氏が騒動を収束させるために、娘の“威光”を利用した可能性も捨て切れません」(週刊誌デスク) 文春側も、このまま黙っているとはとても思えない。騒動は収束するばかりか、さらに過激さを増しそうだ。「This Is The One」
「菊地凛子を主演に……?」故・藤圭子さんの生涯“ドラマ化”争奪戦が勃発中
8月に自殺した稀代の歌手、藤圭子さん(享年62)の半生をドラマ化しようと、複数の制作会社が競って企画を立案中であることが分かった。 制作会社J社では脚本家が、仮題を『夢は夜ひらく』として提案。この話を知るテレビディレクターによると「歌手時代の活躍はもちろん、謎に包まれたデビュー前の話やアメリカに渡って結婚するまでの話、引退後の生活なども可能な範囲で取材した上で組み立てられたら、という感じだと聞いた」という。 さらに、これとは別のドラマ制作プロデューサーが「2~3時間の特番でドラマ化したい。藤さん役を菊地凛子さんに引き受けてもらえたら……」という話を周囲に漏らしており、少なくとも2つの制作陣がドラマ化の意向を持っていることが分かっている。 ただ、双方とも遺族や関係者の許可を得なければならないという大きなハードルがあり、実現までの道は近くはない。前出ディレクターによると「藤さんの半生を描く上で欠かせないのは元夫の宇多田照實氏ですが、この件に関してはこれまで取材も一切受けていませんし、結婚時代のことを探られるのを相当に嫌っている様子。また、藤さんの実兄の三郎さんにすら遺体との面会を許さなかったぐらいで、現在、非常にナーバスになってしまっている」という。 それでも「時間が経過したら、状況も変わってくるのでは」と、どちらの関係者もあきらめていない様子で、前出プロデューサーの方は、関係の深いフジテレビの役員から「やれるなら年末、通常の倍以上の予算を出す」という意向を受けたというウワサもある。交渉に時間がかかることを考えれば、今年の年末に間に合うかは非常に厳しいという見方もあるが「企画を2~3年、寝かせることも珍しくない業界。リミットを決めなければ、不可能ではないのでは」とフジ関係者は話す。 「例えば、宇多田ヒカルの音楽活動にメリットがあるよう配慮した作りにするとか、彼女の意向を全面的に反映したものにするとか、手段はあります」(同) ドラマ化についてフジテレビに問い合わせてみると「現段階で藤圭子さんのドラマ化という話はありません」と否定したが、現在、藤さんのベストアルバムのセールスは急上昇中。セールスチャートでは、2005年発売の『GOLDEN☆BEST 藤圭子』(BMG JAPAN)は300位圏外から一気に50位に、10年発売の『GOLDEN☆BEST 艶歌と縁歌』(ソニー・ミュージックダイレクト)も203位から64位に上がり、これは藤さんにとって約40年ぶりのヒットとなっている。貪欲なテレビ関係者が食いつくのも当然か。 (文=ハイセーヤスダ)『ナイト・トーキョー・デイ』(ポニーキャニオン)
宇多田の父・照實氏バッシングが熾烈化! 週刊文春が藤さん実兄の囲い込みに成功し、さらなる爆弾を投下か
先月22日に投身自殺を図った元歌手の藤圭子さん。27日にはようやく娘の宇多田ヒカルと“対面”し、荼毘に付された。 だが、これで一件落着とはいかない。先週発売の「週刊文春」(文藝春秋)が藤さんの実兄で、元歌手・藤三郎氏のインタビューに成功。藤さんを“殺した”のは元夫・照實氏と言わんばかりの内容で、波紋を広げている。 同誌で三郎氏は、自殺の報を受け、警察や斎場に何度も足を運んだが、「宇多田照實氏の意向で面会は断る」と伝えられ、妹の遺体との対面はかなわなかったという。その時の心境について三郎氏は「妹の顔を見て、手を合わせたいだけなのです。照實氏は別れた夫であり、今は他人のはず。なぜ実の兄と妹の対面をさえぎるのでしょうか」とコメント。藤さんの遺骨についても、三郎氏は2010年に亡くなった母・竹山澄子さんと同じ墓に入れたい意向を明らかにしたが、現在、誰が納骨するかは未定だという。 週刊誌記者によると「22日に藤さんが亡くなった直後から文春は三郎氏をキーマンと捉え、連日接触を図っていたそうです。その後、他社が三郎氏の存在に気付きましたが、時すでに遅し。完全に文春に“囲われている”状態で、他社が取材をかけても『お答えできない』『しゃべりたくても、しゃべれない』と答えているそうです。三郎氏のインタビューは12時間に及び、今週発売号の文春でも照實氏バッシング第2弾が投下される予定です」という。 そればかりか、すでに三郎氏と文春側は告白本出版の方向で話が進んでいるそうで「早ければ年内にも出版される可能性がある。世間の注目度も高いだけに、ベストセラーは確実だろう」(出版関係者)。文春と金銭的な契約をしているのであれば、他社の取材に答えられないのも納得だ。 スポーツ紙記者は「照實氏サイドも今は静観を貫いていますが、バッシングが過熱するようだと反撃に出るかもしれない。そうなれば、泥沼化は避けられないでしょう。娘の宇多田さんは、両者のバトルから距離を置いているそうです」と話す。 天国の藤さんが泣いている……。「女のブルース」(Sony Music Direct)
裏社会からの圧力で封印された!? 故・藤圭子さんが娘・ヒカルの「Automatic」を熱唱した夜
「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました」──世間に衝撃を与えた藤圭子の死に、8月26日、娘の宇多田ヒカルがついにコメントを発表したのはご存じの通り。母娘の確執にまつわるさまざまなウワサ話が報じられていたところに、「精神の病」という衝撃的な告白は、マスコミや世の中の空気を大きく動かした。しかし、藤の自殺をすべて「病気」の一言で片付けてしまうのは、少し早計ではないだろうか。 少なくともヒカルのデビュー当初、藤はそこまで精神を蝕まれているようには見えなかったし、普通の母親がそうであるように、ヒカルの成功を心の底から喜んでいた。 そのことを雄弁に語っているのが、14年前のエピソードだ。ヒカルが「Automatic」で鮮烈なデビューを飾り、あっという間にミリオンセラーを記録、続くセカンドシングル「Movin’on without you」も大ヒットしていたそんな時期、藤はある地方の街で歌謡ショーに出演している。 当時、藤はヒカルと入れ替わるように表舞台から姿を消し、地方公演などの芸能活動も一切休止していた。それが、突如としてステージに姿を現しただけでも驚きだったが、もっとびっくりしたのは、彼女のパフォーマンスだった。 最初は演歌歌手の地方営業のパターンで持ち歌を歌っていたのだが、途中、MCでヒカルのことをうれしそうに語りだし、そのままカラオケに乗せて「Automatic」を歌い始めたのだ。しかも、娘とそっくりの振り付け、ダンスつきで、丸々1曲を歌い上げたという。 なんとも微笑ましいエピソードだが、このステージについては、奇妙な後日談がある。 「実はその地方営業には、ある芸能記者が居合わせていて、ステージの模様を克明にレポートする記事を『女性セブン』(小学館)に持ち込んだんです。ところが、その記事が掲載された『女性セブン』は発売直前、編集部に圧力がかかり、なんと輪転機が止められ、刷り直しになってしまった。内容的には差し障りのない記事だったのに、藤のくだりはすべて削除されたそうです」(週刊誌記者) この事件について、当時「FOCUS」(新潮社)や「噂の眞相」(噂の真相)などの雑誌が取り上げたが、輪転機を止めるほどの圧力をかけたのは、藤の公演を仕切っていた興行会社。当時の「女性セブン」副編集長は事務所に呼び出され、“半監禁状態”にまでされたという。 しかし興行会社はなぜ、そこまでして記事を潰そうとしたのか。背景には宇多田サイド、特に夫の照實氏の意向が働いていたとみられる。当時、照實氏とヒカルの所属レコード会社は、とにかくヒカルと藤の親子関係に触れられることを極度に嫌がっていた。藤が地方公演などの芸能活動を休止したのも、ヒカルのイメージダウンにつながるからと照實氏が藤を説得した結果といわれていた。 「ところがその照實氏らも、くだんの公演だけはやらせざるを得なかった。なんでも以前、藤が世話になった暴力団組長が絡んでいたために、断りきれなかったと聞いているが、とにかくそこに『女性セブン』の取材が入ってしまった。それで、報告を受けた照實氏が藤を通じてそのスジに頼み込んだんじゃないかといわれています」(スポーツ紙記者) 結果、「女性セブン」から藤のステージに関する記述はすべて削除された。だが、こうした親子関係の封印は、はたして藤の本意だったのだろうか。喜々として娘の曲を歌っていたステージの様子を聞くと、藤自身はヒカルのことを語りたがっていたし、自分も表に出たいと考えていたような気がしてならないのだ。 「実際、藤は一時、ヒカルのブレイクを契機に歌手として再起したがっていたようです。それを全力で周りが阻止していた状態だったと聞いています」(同) ヒカルがブレークするまで、一家の大黒柱は藤だった。彼女の地方営業で家族は食いつないできたのだ。それが、娘が一躍スターになると、お役御免とばかりに存在を表に出すことを制限され、自分が歌を歌う場さえ奪われてしまった。──心の病もあり、そうして藤は孤独感を増幅させていったのではないだろうか。 生前、藤はドサ回り時代に家族で移動していた愛車のミニを思い出し、「またあのときのように、3人寄り添うように乗りたい」と話していたといわれている。彼女が夢想したのは、貧しくても歌を歌うことができた時間……一人の歌手として、アーティストとしてステージに立つことができた時間でもあったのではないか。 ヒカルの人気が絶頂に達していた2000年、全国ツアーの札幌公演で、藤が飛び入り参加して「圭子の夢は夜ひらく」を歌ったことがある。つらい幼少期を送ったにもかかわらず、最後まで母を歌手としてリスペクトし続けたヒカルは、あの夜のことをどのように振り返っているだろう。そして、遠く離れた場所から、藤はどんなふうに思い返していたのだろうか。 (文=アベマサオ)『GOLDEN☆BEST 藤圭子ヒット&カバーコレクション 艶歌と縁歌』(ソニー・ミュージックダイレクト)
ロンドンで恋人と同棲……母・藤圭子逝去で明らかになった宇多田ヒカルの今
歌手・藤圭子が衝撃の死を遂げてから1週間がたち、新しい情報が明らかになってきた。「週刊文春」(文藝春秋/9月5日号)では、元歌手で実兄の藤三郎氏が、妹への思いとともに、圭子の元夫・宇多田照實氏に対する不信感を独白している。 記事によると、圭子と結婚した当時の照實氏は翻訳やガイド業を行っており、とても裕福とはいえない状況だったようだ。借金も抱えており、あるときは圭子の母に「金をくれ。ないんだったら、マンションを売って手配してくれ」と迫ったこともあったという。当然、母は難色を示したが、「マンションだって圭子が稼いだ金で買ったんだろ!」と怒鳴り、口論に発展。結局はマンションを売却して、3000万円ほどの金を照實氏に渡すことになった。 また、何度も離婚を繰り返している2人が復縁をするワケは、“離婚しても、照實氏が金に困って圭子の元に戻ってくるから”。三郎氏の家族と食事をした際も、圭子が「お金がない」と話し、20万ほど援助したことがあったという。 三郎氏の話から浮かび上がってくる照實氏の素顔は、少なくとも金銭面に関しては“典型的なダメ男”。圭子は最初の夫である前川清ともたった1年で離婚しており、恵まれた恋愛をしてきたとは言いがたい。 そして、宇多田ヒカルの足取りは、母に似ていると指摘されることも多かった。デビュー曲でヒットを飛ばし、音楽シーンで確かな存在感を放つ――という歌手としての歩みだけではない。19歳という若さで、かつ人気絶頂期に結婚し数年で離婚したところも、圭子と重なっている。 そんな宇多田の近況が、圭子関連の報道によって明らかになった。宇多田は現在、恋人とロンドンで暮らしているという。相手は、2009年に交際がスクープされた福田天人氏。長野県安曇野市に位置する、自然治癒力を高めることを目的とした施設の代表の息子で、仏教などをテーマとして扱う日本画家でもある。宇多田は精神的疲労を回復するために前述の施設を訪れ、そこで福田氏と出会った。とある音楽関係者は、こう話す。 「関係者の間では、宇多田は昔から『母に似て、躁うつの気がある』とささやかれていました。あの家庭で育てば無理もない話。実際、自伝『点 -ten-』(EMI Music Japan Inc)では、9歳の頃に『怒りとか不満とかいった感情が完全になくなっていることに気付いた。外界になにも求めなくなっていた』経験があると、自ら語っている。紀里谷和明氏との離婚も、自分の感情を無意識下でセーブしていたことが原因のようです。福田氏とは今のところうまくいっているようなので、このまま彼に支えられて、早いうちにアーティストとして復帰してくれればいいのですが……」 母ゆずりの類いまれな才能でトップアーティストとして君臨した宇多田だが、“男運のなさ”は継いでいないことを願いたい。 (文=足立くみこ)『This Is The One』(Umgd/Mercury)
ベテラン芸能記者・本多圭が回顧する、“怨歌歌手”藤圭子さんの素顔とは
芸能取材歴30年以上、タブー知らずのベテランジャーナリストが、縦横無尽に話題の芸能トピックの「裏側」を語り尽くす! 宇多田ヒカルの母親で演歌歌手の藤圭子さんが、8月22日早朝、新宿区内のマンションから飛び降り自殺した。享年62歳の若さだった。 今年3月、藤さんにとっては“恩師”といわれる作詞家の石坂まさをさんが亡くなった際、関係者が藤さんに連絡を取ろうとしたが、誰も彼女の連絡先を知らず、行方不明だったという。その藤さんが、デビュー曲「新宿の女」のキャンペーン時、石坂さんと駆け回っていた新宿という街にあるマンションから飛び降り自殺したというのは、因縁めいたものを感じた。 藤さんは69年に同曲でデビュー。この曲は「バカだな バカだな だまされちゃって♪」というフレーズが、70年代の全共闘世代の若者たちの共感を呼んだ。70年に発売された「圭子の夢は夜ひらく」はさらなる大ヒット、その年の音楽賞を総ナメにした。翌年には前川清と電撃結婚し、世間どころか、恩師である石坂さんをも驚かせた。しかし、結婚生活は長く続かず、1年で離婚。デビュー当時から藤さんを知る音楽関係者は「藤圭子はまだ、大人の女になりきっていなかったために、夫婦生活がうまく行かなかった」と当時、筆者の取材で語っていた。 その後、藤さんは79年に突然、引退を発表。アメリカに渡ったが2年後に帰国して、歌手復帰。翌年にはアメリカ滞在中に知り合った宇多田照實氏と再婚し、長女・宇多田ヒカルを出産した。夫婦でバックアップしてヒカルをデビューさせた後に、宇多田氏と離婚、再婚を繰り返して、07年に完全別離した。 離婚と前後して、藤さんはケネディ空港で所持していた42万ドルを没収された。その金はラスベガスのカジノで使う予定の金だった。藤さんはデビュー間もない頃にマージャンを覚え、それ以来、時間があればマージャンに没頭する無類のギャンブル好きだった。09年には、没収された42万ドルは返却されたが、それ以降、藤さんの消息は不明だった。日本に戻っているという情報もあったが、藤さんは業界関係者と一切、連絡を絶っていたことから、居場所はわからなかった。 しかし、今年3月の恩師の石坂さんの葬儀には姿を現すと誰もが期待していたが、ついに藤さんの姿を見ることはできなかった。藤さんと石坂さんの関係を知る音楽関係者は「藤さんは、石坂さんにさんざん利用されたと思い込んでいて、石坂さんを恨んでいました。彼のことだけじゃない、寄って集って彼女を食い物にした業界関係者を恨んでいましたよ。だから日本に戻ってきても、芸能関係者とは連絡を絶っていたんです」という。 筆者は藤さんが電撃引退して、2年足らずで復帰した姿勢について批判する記事を書いたことがあった。その記事に激怒した藤さんは、営業先だった立川市のキャバレーに筆者を呼びつけて、芸能界への恨みつらみを延々語り、深夜まで帰してくれなかったという苦い思い出がある。ここで藤さんは、石坂さんに、金銭面でも労働面でも過酷さを強いられ、そこから逃げる意味もあって、電撃引退したようなことを話していた。だが、復帰後の藤さんもその状況に満足しているようではなく、被害者意識が強かったような気がする。当時から、藤さんは芸能界というもの自体に怨念を持っていたのかもしれない。 それから、約30年の歳月が流れて、演歌ではなく、怨歌といわれた曲を歌い続けていた藤さんは芸能界との関係を絶って、この世を去った。亡くなった翌日23日は、皮肉にも石坂さんを偲ぶ会の日だった。あらためて、藤さんに合掌! (文=本多圭)「圭子の夢は夜ひらく」(株式会社ミュージックグリッド)
封印された藤圭子の評伝 運命を大きく変えた、大物作家との知られざる悲恋
8月22日、マンションから飛び降り自殺を図った藤圭子。ワイドショーでは連日、関係者が生前の彼女の様子や思い出を語っているが、ぜひ藤について語ってほしい人物がいる。いや、“書いてほしい”と言うべきだろうか。 その人物とは、『深夜特急』(新潮社)、『テロルの決算』(文藝春秋)などで知られる人気ノンフィクション作家・沢木耕太郎である。最近ではロバート・キャパの代表作を題材にした『キャパの十字架』(同)を出版して話題を呼ぶなど、ノンフィクション界の第一線に立ち続けている大御所だが、実は沢木は、今から34年前の1979年、藤圭子のノンフィクションを書くべく1年間に渡って密着取材を行っていた。そして原稿を書き上げたのだが、なぜかそれは日の目を見ることなく、今も封印されたままなのだ。 なぜ1年も密着し、書き上げたものが発表されずにいるのか……。誰もが不思議に思うが、その理由は沢木と藤が取材を通して恋愛関係に発展、それがこじれた結果、出せなくなってしまったのだという。 この2人の経緯を暴露しているのは、伝説のスキャンダル雑誌「噂の眞相」1999年11月号。新宿御苑に程近い雑居ビルの壁際で、カップルのように親しげなムードで内輪もめを起こしている様子を見たというマスコミ関係者のコメントや、藤が突然引退して渡米したのは、沢木とニューヨークで暮らす約束をしていたからだとする関係者からの証言を紹介している。 実際、当時、藤と非常に親しい間柄だった人物も、その関係を示唆する文章を書いている。それは写真評論家・大竹昭子のエッセイ集『旅ではなぜかよく眠り』(新潮社/95年)に記載された、ある一文だ。「歌姫」と題された文章の中に、「歌手」と呼ばれる女性が登場し、彼女が「著名な作家」が書いたノンフィクション作品の本をぎゅっと抱きしめ、「この作家のことは知らなかったけれど、本人に会ったらとてもステキな人で、たちまち好きになってしまった。もうすぐニューヨークに来るので会うことになっている」と打ち明けるのだ。 もちろん、ここで登場する「歌手」は藤を、「著名な作家」とは沢木のことを指している。実は大竹は、ニューヨークに来たばかりの藤をしばらく居候させていたというのだ。「噂の眞相」では、80年代初頭にニューヨークで藤と付き合いがあったという人物が、藤がいつも沢木の話をし、沢木が書いた幻の原稿をいつもうれしそうに持ち歩いては周囲にそれを見せていたこと、そしてニューヨークで沢木と同棲する計画があることを話していたとも報じている。 この「噂の眞相」の記事では、沢木に直撃取材を敢行。ここで沢木は大竹のエッセイに登場するのが自分と藤であることを認め、「取材のプロセスで確かに彼女は僕に好意を抱いていたし、僕も好意を抱いていた。これは間違いありません」と返答。男女関係にあったことや、同棲の約束をしていたことについては否定しながらも、取材の終わりには「藤さんの家庭はうまくいっているの?」と直撃した記者に逆質問している。 沢木との恋に破れた藤は、その後すぐに宇多田照實と出会い、ヒカルをもうけるわけだが、その経緯を知ると、沢木が藤の人生において与えた影響は大きいと言わざるを得ない。藤について書いた原稿を発表しない理由を記者に問われ、沢木は「それは……話せません」と歯切れ悪く答えているが、少なくとも藤は、愛する人が綴ったその原稿を宝物のように大事にしていたのだ。 なぜ藤は、自らの手で人生の幕を閉じなければいけなかったのか? 今、封印してしまった原稿の続きを書けるのは、沢木をおいてほかにはいない。芸能界を一度は引退するほどまでに藤がかなえようとした恋に対して、今こそ沢木は決着をつけるべきではないのだろうか? (文=エンジョウトオル)『藤圭子 ベスト・ヒット』(Sony Music Direct [Japan] Inc.)
元マネジャー? 詐欺師? 著名人の近親者? 投身自殺した藤圭子さんの同居人の素性をめぐり情報錯綜中
宇多田ヒカルの母・藤圭子さんが22日、東京・西新宿の高層マンション13階から投身自殺し、亡くなった。62歳だった。 遺体は23日に新宿署から目黒区の碑文谷会館に移され、今後、娘の宇多田が到着するのを待って荼毘に付されるという。気になるのは、現場の高層マンションで藤さんと約6年間同居していたとされる30代の知人男性M氏の正体だ。M氏は警察の事情聴取に「男女の関係ではない。寝室も別だった」と答えるも、肝心の職業については明言を避けたという。 一部報道では元マネジャー説やホスト説、「著名人の近親者」という話もあるが、どれも確証のあるものではない。マスコミ対応した新宿署の副署長も、職業について聞かれると「一般の方」と繰り返すのみで、「普通の会社員なのか?」という問いには「それは言えない」と口を閉ざした。 「M氏が副署長に『(マスコミに)自分のことは口外しないでくれ』とお願いしたそうですが、それでも会社員か否かくらいは答えてもいいはず。あの歯切れの悪さを見ると、ワケありな感じがする」そうこぼすのは、現場記者のひとりだ。 そんな中、キナ臭い情報が現場で出回っているという。 「彼女の身の回りの世話をしていた元アシスタントという説が有力ですが、アシスタントといっても、彼女のためを思って善意でやっているわけではなかったとか。現場のマンションは3LDKで、価格は6,000万円ほど。名義人はM氏で、資金は藤さんから調達したといわれているんです。彼女に取り入って、金を引き出していたのではないか? とウワサされています」(週刊誌記者) そればかりか「詐欺で過去に逮捕歴もあると聞きました」というから穏やかではない。現在、複数の週刊誌が総力取材中で、いずれ詳細が報じられるだろう。いまだ自殺の動機は明らかになっていないが、キーマン・M氏の素性から解決の糸口が見えてくるかもしれない……。『新宿の女』(Sony Music Direct)
母・藤圭子の急死で心配される、娘・宇多田ヒカルの今後
長らく行方が知れなかった歌手・藤圭子が8月22日、西新宿のマンションから飛び降りて亡くなった。62歳だった。 近年は“宇多田ヒカルの母”というイメージが強かった藤だが、彼女自身も輝かしい経歴を持つ歌手である。浪曲師の両親の元で、小学生の頃から人前で歌を披露して生活し、1969年「新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて」でデビュー。間をおかずリリースされた「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」など複数の楽曲を合わせて計42週連続でチャートの首位を守り抜くという偉業を成し遂げた。 歌手として華々しく活動する一方、スキャンダルでマスコミを騒がせてきた人物でもある。音楽業界関係者はこう話す。 「最初の夫である歌手の前川清と結婚したのは、人気絶頂だった19歳の頃。前川は22歳でした。周囲は『若すぎる』と反対しましたが、押し切って結婚し、わずか1年で破局してしまった。デビュー10周年である79年に『普通の女になりたい』という理由で引退した際も、『もうステージに立つことはない』と語って渡米したにもかかわらず、81年に『圭似子』の名義で復活。そんな藤の行動は世間に“気まぐれ”という印象を与えたのか、歓迎ムードというわけにはいかなかった。結局、翌年に再び渡米し、宇多田照實氏と結婚、83年に長女を――つまり、のちの宇多田ヒカルを出産しました」 藤が飛び降りたのは、同居していたという知人男性のマンションの13階。ふたりの関係は詳しく分かっていないが、6年前から共に暮らしていたという。しかし、遺体を確認したのは、前夫で音楽プロデューサーの宇多田照實。ふたりは07年に離婚しているが、絶縁状態という関係性ではなかったようだ。 「藤は離婚の際の財産分与で、多額の金を――恐らく100億円は受け取っているはず。06年、ニューヨークのケネディ国際空港にて、藤が所持していた約5,000万円の現金に麻薬探知犬が反応して差し押さえられていますが、その際は『カジノで使うために持っていた』『5年で5億を使った』と説明しています。藤は銀行を信用せず、いつも多額の現金をカバンに入れて持ち歩いていたようです。使い切れないほどの金を得たために、金銭感覚が狂ってしまったのでしょう。そういう意味では、宇多田ヒカルの成功がもたらした悲劇といえるかもしれない」 宇多田は活動休止後、ラジオで母の曲を流したり、YouTubeから母の動画が削除された際に「『面影平野』歌うカーチャンすごくかっこ良くて美しくて、ああくそどうにかあれダウンロード(保存?)しときゃよかった…」とツイートするなど、母としても歌手としても藤を尊敬していたようだ。 3年前に活動を休止した理由のひとつには、行方不明の藤を探すという目的もあったという。Twitterは21日で更新が止まっており、本人の心境を知ることはできないが、今後の活動が心配だ。 (文=木野雪)『藤圭子 ベスト・ヒット 昭和歌謡を歌う』(Sony Music Direct [Japan] Inc.)









