裸写真も“流出”!? ラグビー日本代表・五郎丸歩の「ゲイ人気」が急上昇中!

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ヤマハ発動機ジュビロ公式サイトより
 ラグビーW杯イングランド大会1次リーグ初戦で強豪・南アフリカ撃破の立役者となった日本代表・五郎丸歩(ヤマハ発動機)の出現に、二丁目界隈が歓喜の涙で濡れているという。  身長185センチ、体重100キロのマッチョ体形に、あごヒゲを蓄えたイケメンなのだから鬼に金棒。案の定、南アフリカ戦直後から“ゲイの聖地”では「いい男!」「ファンになったわ」と、ラブコールが続出している。  こうした五郎丸人気には、このところゲイの世界で“悲報”が相次いだのも大きい。人気の双璧を成してきた男子ハンマー投げの室伏広治、サッカー日本代表GKの川島永嗣がそろって結婚を発表。現在、希望の星は現役引退した男子フィギュアスケートの高橋大輔くらいなものだ。  都内在住のオネエ男性は「室伏と川島はずっと“コッチ系”だと思っていたので、ショックはデカかったわ。五郎丸は妻子持ちだけど、最初からわかっている分、傷は浅い。なにせ、ゲイ憧れのスポーツであるラクビーですもの。そりゃあ、みんな興奮するわよ!」と話す。  しかも五郎丸の場合は、あたかもゲイ人気を意識したかのような画像をTwitterにアップしているところが憎らしい。 「チームメイトと上半身裸で肩を組む写真や、短パン&タンクトップで開脚している写真など、ゲイにしてみれば“オカズにしてください”と言っているようなもの。すでにゲイのSNSでは彼のセクシー写真が大量流出してるわ。今後も見逃せないわね!」(同)  次の試合は来月3日のサモア戦。きっと二丁目は、大歓声に包まれることだろう。

エージェント批判、暴力団フロント企業との関係、そして芸能活動をする姪……引退を発表した藤田伸二元騎手の素顔

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※イメージ画像
 43歳の若さながら突然の引退を表明した、ダービージョッキー・藤田伸二。ここまで日本ダービーを含むG1レースを17勝、歴代8位となるJRA通算1918勝を記録した、誰もが認める名ジョッキーだ。レースで稼いだ賞金は24億円以上といわれ、『騎手の一分――競馬界の真実』(講談社現代新書)といった著作の多くが競馬界では異例のベストセラーになるなど、武豊騎手に続く人気を誇っていた。  藤田元騎手が引退を表明したのは、9月6日のレース終了直後。事前にマスコミを含め、JRA(日本中央競馬会)にすら伝えていなかったという前代未聞の引退劇だった。しかし、以前から競馬関係者の拠点である栗東(滋賀県)から、奥さんが雑貨店を経営する札幌へ住居を移すなど引退に向けた準備はしていたようで、関係者の間では「地元の札幌開催が最後だと思った」という声も聞かれていたという。  そんな藤田元騎手だが、引退にあたり、JRAのエージェント制度を批判したことも話題になった。競馬界の代理人制度ともいわれるエージェント制度とは、騎手に代わって競馬新聞の記者らが厩舎を回り、「どの騎手が」「どのレースで」「どの馬に乗るのか」を決める“慣習”である。藤田元騎手は自身の著作などでもこの制度を批判していたが、現役関係者は冷ややかな目で見ているという。関西の騎手はこう語る。 「もともと優秀なエージェントを雇って、優先的に実力のある馬を手配してもらい、レースに勝利して賞金を稼いでいたのは藤田さん本人。それを今さら批判するのは、正直みっともない。現場から誰も藤田さんに賛同する声が出ないのは、どの口がそれを……と思っているからですよ」  この騎手が語るように、本人も過去にエージェントを利用し、実力馬に乗ってG1レースを勝つなど、エージェント制度による恩恵があったのは否めない。特に関西所属の藤田元騎手が関東に遠征する際は、そのエージェントが騎乗馬確保に動いており、関東の馬でもG1レースを2勝しているほどだ。  藤田元騎手のエージェントを務めていたA氏は日本屈指の“敏腕”として知られ、藤田元騎手も多くの馬をこのA氏を通じて確保していたのだ。にもかかわらず今回のような批判をするのは「的外れ」という声も多く、その後エージェント制度に関して内外から声が上がっていないことからも、単に藤田元騎手の愚痴だったと見る向きが多い。  そもそも藤田元騎手は、2014年に出演したテレビ番組『有吉反省会』の中で、自らを「チャラい」「(既存のルールを)打ち砕いていこう」といった発言をしていたが、その破天荒ぶりを示すように、多くの武勇伝が存在する。レース中の若手騎手への恫喝、レース後の先輩騎手への暴言、極めつきは06年暮れに起こした飲食店店員に対する暴行事件(書類送検後、示談により起訴猶予で3カ月の騎乗停止処分)もある。そして本人にとって“悪い意味”で転機となったのは12年4月、信頼していたエージェントの死だろう。敏腕エージェントであったA氏の死を境に、藤田元騎手は騎乗確保が困難になり、さらに自由奔放な性格が災いして競馬界を牛耳るグループや大物馬主から敬遠され、騎乗が激減した。  最後にG1レースおよび重賞レースで勝利したのは11年12月であったことからも、やはり12年を境に生活環境は激変していく。藤田元騎手の年間勝利数は06年の127勝がピークで、その後10年まで100勝前後で推移し、11年59勝、12年31勝、13年50勝、14年は33勝、今年も引退当日の9月6日まで18勝と大幅に減少している。加えて11年には年間重賞8勝を記録したが、12年以降は未勝利。また13年に競馬界の内部事情に触れた本『騎手の一分』の出版で関係者から距離を置かれるようになり、弟のようにかわいがっていた若手騎手も離れていってしまった。  この環境でプライドの高い藤田元騎手がモチベーションを維持できるはずもなく、騎手生活を終了するという選択に至ったのである。 ●引退の裏側に見える、ある競馬予想会社の存在  さて、15年9月6日、藤田元騎手の引退表明と同時に、ある競馬サイトに本人の直筆メッセージが公開された。そのサイトでは藤田元騎手が引退直後の9月8日に、札幌にオープンするカフェバー「cafe bar favori」を紹介している。さらにそのサイトに記載されている引退表明後のサポートやマネジメントをすることになったO社のM社長は、北海道出身で藤田元騎手と20年ほどの付き合いがある人物。藤田元騎手が親友と認める数少ない一人だ。そのM社長、過去に札幌のカラオケコンテストで2位になるなど歌唱力に定評があり、飲食店経営を経て、歌手デビューを目指して上京。その際、CDデビューの面倒を見たのが東京を拠点にする某競馬情報会社グループだったという。 「松本大地の名前でデビューし『ありがとうのうた』は、北海道日本ハムファイターズの公認ソングに決定するも、その後、歌手として成功するには至らず、北海道全市町村を回るなどといった企画も頓挫。以降は大きな活動はしていませんでしたが、今では歌手は諦めたようですね」(芸能関係者)  O社は同グループが陰で設立したという会社で、社名はそのグループ名から一字をもらったそうだ。  実は同グループ、過去に法人税法違反で二度起訴されて、実質代表だったS氏は実刑が確定。このS氏は静岡出身の元暴力団組員である広域暴力団のフロント企業として、不動産、飲食、芸能興行など多岐にわたって展開していたと報じられた。11年2月には「週刊文春」(文藝春秋)による記事に端を発し、当時与党だった民主党議員(野田佳彦、蓮舫、前原誠司など)への黒い献金疑惑が国会で追及されたが、同年3月に発生した東日本大震災の影響で、うやむやになったという。事情を知る競馬関係者は、次のように語る。 「藤田さんが競馬サークルから離れて活動するにあたり、バックアップをしたのがそのグループとみられています。おそらく藤田さん本人はご存じないでしょうが、今もJRAがマークする競馬予想会社の一つであるため、藤田さんを集客に利用するのでは、といった声もあるみたいですね」  ただし藤田元騎手本人は競馬業界内での活に動は消極的で、周囲の競馬関係者も非協力的な状況だという。それでも過去に発刊した書籍の販売が好調だったため、現在藤田元騎手による本の出版や雑誌のコラム、対談などが企画されているとの話もある。その書籍で競馬界の裏事情を暴露されるのではないかと、JRA、騎手、馬主、調教師は戦々恐々としているというが、あまり過激なことは書けないのではと、ある出版関係者が語る。 「藤田さんの姪が大手芸能プロ・スターダストプロモーションに所属し、芸能活動をしているためか、あまり敵を作りたくないともっぱらだそうです。AKBグループや演歌の大御所・北島三郎さんなど、芸能界には馬主も多いですから。あまり過激な本を書いて姪に飛び火するのは避けたいはずです」  43歳といえば、サラリーマンでは最も脂が乗っている時期。アスリートとはいえ体力の限界ではなくモチベーションや制度への不満が引退の要因のようだが、本人はこれからどんな活動をしていくのだろうか。多彩な才能を持つ希有な存在だけに今後はマルチな活躍が見られると思われるが、多くの競馬ファンから慕われる存在でもあり、経験と見識を生かして、いつまでも競馬に接していってほしいものである。 (文=桑山謙太郎)

エージェント批判、暴力団フロント企業との関係、そして芸能活動をする姪……引退を発表した藤田伸二元騎手の素顔

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 43歳の若さながら突然の引退を表明した、ダービージョッキー・藤田伸二。ここまで日本ダービーを含むG1レースを17勝、歴代8位となるJRA通算1918勝を記録した、誰もが認める名ジョッキーだ。レースで稼いだ賞金は24億円以上といわれ、『騎手の一分――競馬界の真実』(講談社現代新書)といった著作の多くが競馬界では異例のベストセラーになるなど、武豊騎手に続く人気を誇っていた。  藤田元騎手が引退を表明したのは、9月6日のレース終了直後。事前にマスコミを含め、JRA(日本中央競馬会)にすら伝えていなかったという前代未聞の引退劇だった。しかし、以前から競馬関係者の拠点である栗東(滋賀県)から、奥さんが雑貨店を経営する札幌へ住居を移すなど引退に向けた準備はしていたようで、関係者の間では「地元の札幌開催が最後だと思った」という声も聞かれていたという。  そんな藤田元騎手だが、引退にあたり、JRAのエージェント制度を批判したことも話題になった。競馬界の代理人制度ともいわれるエージェント制度とは、騎手に代わって競馬新聞の記者らが厩舎を回り、「どの騎手が」「どのレースで」「どの馬に乗るのか」を決める“慣習”である。藤田元騎手は自身の著作などでもこの制度を批判していたが、現役関係者は冷ややかな目で見ているという。関西の騎手はこう語る。 「もともと優秀なエージェントを雇って、優先的に実力のある馬を手配してもらい、レースに勝利して賞金を稼いでいたのは藤田さん本人。それを今さら批判するのは、正直みっともない。現場から誰も藤田さんに賛同する声が出ないのは、どの口がそれを……と思っているからですよ」  この騎手が語るように、本人も過去にエージェントを利用し、実力馬に乗ってG1レースを勝つなど、エージェント制度による恩恵があったのは否めない。特に関西所属の藤田元騎手が関東に遠征する際は、そのエージェントが騎乗馬確保に動いており、関東の馬でもG1レースを2勝しているほどだ。  藤田元騎手のエージェントを務めていたA氏は日本屈指の“敏腕”として知られ、藤田元騎手も多くの馬をこのA氏を通じて確保していたのだ。にもかかわらず今回のような批判をするのは「的外れ」という声も多く、その後エージェント制度に関して内外から声が上がっていないことからも、単に藤田元騎手の愚痴だったと見る向きが多い。  そもそも藤田元騎手は、2014年に出演したテレビ番組『有吉反省会』の中で、自らを「チャラい」「(既存のルールを)打ち砕いていこう」といった発言をしていたが、その破天荒ぶりを示すように、多くの武勇伝が存在する。レース中の若手騎手への恫喝、レース後の先輩騎手への暴言、極めつきは06年暮れに起こした飲食店店員に対する暴行事件(書類送検後、示談により起訴猶予で3カ月の騎乗停止処分)もある。そして本人にとって“悪い意味”で転機となったのは12年4月、信頼していたエージェントの死だろう。敏腕エージェントであったA氏の死を境に、藤田元騎手は騎乗確保が困難になり、さらに自由奔放な性格が災いして競馬界を牛耳るグループや大物馬主から敬遠され、騎乗が激減した。  最後にG1レースおよび重賞レースで勝利したのは11年12月であったことからも、やはり12年を境に生活環境は激変していく。藤田元騎手の年間勝利数は06年の127勝がピークで、その後10年まで100勝前後で推移し、11年59勝、12年31勝、13年50勝、14年は33勝、今年も引退当日の9月6日まで18勝と大幅に減少している。加えて11年には年間重賞8勝を記録したが、12年以降は未勝利。また13年に競馬界の内部事情に触れた本『騎手の一分』の出版で関係者から距離を置かれるようになり、弟のようにかわいがっていた若手騎手も離れていってしまった。  この環境でプライドの高い藤田元騎手がモチベーションを維持できるはずもなく、騎手生活を終了するという選択に至ったのである。 ●引退の裏側に見える、ある競馬予想会社の存在  さて、15年9月6日、藤田元騎手の引退表明と同時に、ある競馬サイトに本人の直筆メッセージが公開された。そのサイトでは藤田元騎手が引退直後の9月8日に、札幌にオープンするカフェバー「cafe bar favori」を紹介している。さらにそのサイトに記載されている引退表明後のサポートやマネジメントをすることになったO社のM社長は、北海道出身で藤田元騎手と20年ほどの付き合いがある人物。藤田元騎手が親友と認める数少ない一人だ。そのM社長、過去に札幌のカラオケコンテストで2位になるなど歌唱力に定評があり、飲食店経営を経て、歌手デビューを目指して上京。その際、CDデビューの面倒を見たのが東京を拠点にする某競馬情報会社グループだったという。 「松本大地の名前でデビューし『ありがとうのうた』は、北海道日本ハムファイターズの公認ソングに決定するも、その後、歌手として成功するには至らず、北海道全市町村を回るなどといった企画も頓挫。以降は大きな活動はしていませんでしたが、今では歌手は諦めたようですね」(芸能関係者)  O社は同グループが陰で設立したという会社で、社名はそのグループ名から一字をもらったそうだ。  実は同グループ、過去に法人税法違反で二度起訴されて、実質代表だったS氏は実刑が確定。このS氏は静岡出身の元暴力団組員である広域暴力団のフロント企業として、不動産、飲食、芸能興行など多岐にわたって展開していたと報じられた。11年2月には「週刊文春」(文藝春秋)による記事に端を発し、当時与党だった民主党議員(野田佳彦、蓮舫、前原誠司など)への黒い献金疑惑が国会で追及されたが、同年3月に発生した東日本大震災の影響で、うやむやになったという。事情を知る競馬関係者は、次のように語る。 「藤田さんが競馬サークルから離れて活動するにあたり、バックアップをしたのがそのグループとみられています。おそらく藤田さん本人はご存じないでしょうが、今もJRAがマークする競馬予想会社の一つであるため、藤田さんを集客に利用するのでは、といった声もあるみたいですね」  ただし藤田元騎手本人は競馬業界内での活に動は消極的で、周囲の競馬関係者も非協力的な状況だという。それでも過去に発刊した書籍の販売が好調だったため、現在藤田元騎手による本の出版や雑誌のコラム、対談などが企画されているとの話もある。その書籍で競馬界の裏事情を暴露されるのではないかと、JRA、騎手、馬主、調教師は戦々恐々としているというが、あまり過激なことは書けないのではと、ある出版関係者が語る。 「藤田さんの姪が大手芸能プロ・スターダストプロモーションに所属し、芸能活動をしているためか、あまり敵を作りたくないともっぱらだそうです。AKBグループや演歌の大御所・北島三郎さんなど、芸能界には馬主も多いですから。あまり過激な本を書いて姪に飛び火するのは避けたいはずです」  43歳といえば、サラリーマンでは最も脂が乗っている時期。アスリートとはいえ体力の限界ではなくモチベーションや制度への不満が引退の要因のようだが、本人はこれからどんな活動をしていくのだろうか。多彩な才能を持つ希有な存在だけに今後はマルチな活躍が見られると思われるが、多くの競馬ファンから慕われる存在でもあり、経験と見識を生かして、いつまでも競馬に接していってほしいものである。 (文=桑山謙太郎)

「なぜ今年!?」 藤田伸二騎手は競馬界の“現実”に飲み込まれた

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競馬(中山競馬場)
 JRA(日本中央競馬会)所属、ダービージョッキーの藤田伸二騎手(栗東・フリー)が、6日の札幌競馬騎乗をもって引退することを発表した。JRA通算1918勝(うちGI17勝)を誇る名手の突然の引退に、競馬界は大きく揺れている。  以前から「エージェントでリーディング騎手が決まってしまう」現在の中央競馬に不信感を抱いていた藤田。「何が面白いのか? 2、3年前から疑問を抱くようになり、競馬に対するモチベーションが無くなっていました」と引退メッセージでも語っている通り、最後までその思いは変わらなかったということだろう。  ただ、正直に言えば「なぜ今年なのか?」という疑問を拭い去ることができない。競馬記者の間でもそれは同じのようだ。 「藤田が、特にエージェント制度や外国人騎手偏重を中心として、JRAを公然と批判した著書『騎手の一分 競馬界の真実』(講談社)を発表したのは2013年5月。その時点で競馬界への興味はほぼなくなっていると語っていました。にもかかわらず、本当の引退は約2年半後の今月。本当に競馬に興味がなくなったのであれば、とうに引退していても不思議ではないでしょう。本人にしかわからない“未練”があったのかも」(競馬記者)  11年、ヒルノダムール(当時4歳)で藤田が「どうしても勝ちたかった」天皇賞・春(GⅠ)に勝利し、「ヒルノダムールが引退したら、俺も一緒に辞める」と発言したという情報や、GⅠ競走4勝(地方交流含む)のトランセンドについても、「トランセンドが辞める時は、俺も潮時だな」などとつぶやいたという話もあったが、2頭が現役を引退しても、藤田が身を引くことはなかった。 「調教師や厩舎スタッフに『もう辞め時かも』とグチることで同情を誘い、騎乗の営業をかけているという良からぬ噂も流れていました。強気でコワモテなイメージに反して、藤田は歴代最多19回の『フェアプレー賞』を受賞するなど、騎乗はいたってクリーン。ある意味、騎手としての“誇り”を強く持っていた男と言えます。騎手への愛着を簡単に捨てきれないのも十分に理解できる」(同)  そして記者は、現在の競馬界の“現実”により、藤田は「引退せざるを得なかった」のではないかと考えている。 「『騎手の一分』を発売したことで、当然ですが藤田はJRAからは距離を置かれる形になってしまった。それでも13年には50勝とまずまずの成績をおさめていました。しかし、やはり顔の広いエージェントを抱える福永、岩田、川田、戸崎などリーディング上位騎手の勝鞍には遠く及びません。さらに、昨年まで『短期免許』で数カ月の滞在のみだったM・デムーロとC・ルメールというなじみ深い外国人騎手に、今年から『JRAの通年免許』が与えられ、当然のごとくリーディング上位に食い込んでいます。他の騎手が割を食うのは当然でしょう。藤田はその中の一人として、ついに“立つ瀬がなくなった”という可能性もあります」(同) “男・藤田”として、長きにわたり中央競馬に確かなスパイスを与えてくれた藤田伸二。結局は、彼も現在の競馬界の“現実”に屈したということなのだろうか。彼の引退が、エージェントや外国人騎手礼賛の競馬界を見直す契機になるのかは、定かではない。

五輪エンブレム盗作問題で佐野研二郎氏輩出の多摩美大生が悲鳴「就職活動に影響が……」

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閉鎖された『東京オリンピック2020エンブレムページ』より
「もうやめてくれ……」  続々と盗用が発覚して五輪エンブレムの白紙撤回にまで至ったデザイナー、佐野研二郎氏のパクリ騒動で、佐野氏が教授を務める母校・多摩美術大学でも盗用疑惑が持ち上がり、同大学の学生たちが悲鳴を上げている。中には「佐野氏のせいで就職活動にも影響が出ている」と話す学生もいるほどだ。  同大学で発覚した新たな疑惑は、海外でも受賞歴がある広告ポスターのシリーズ「MADE BY HANDS.」の1作品で、メガネの画像など2点が他からの無断使用だった。  デザインは佐野氏が代表を務める事務所「MR_DESIGN」所属のデザイナーで昨年同大学を卒業した香取有美氏によるもので、佐野氏はシリーズの監修者。画像を勝手に使われたサイト運営者は、同大学や佐野氏側から連絡を受けていないとしている。 「MR_DESIGN」はこの件に関して「無断流用したというのは事実無根」とし、あくまで独自に撮影した画像を使用したとしているが、これまでの数々の盗用発覚の中にあっては説得力に欠ける。  母校で起こった事態にショックが大きいのは多摩美で、佐野氏が1996年に卒業したデザイン科は中でも大手広告代理店への入り口となる業界エリートコースという位置付けだったが、いまやそのイメージはガタ落ち。  ある男子学生は「佐野さんは学生の憧れでもあったんですが、彼と同じく多摩美のデザイン科出身で博報堂に入るようなことになったら、疑惑のイメージしか持たれず、何か発表してもネットユーザーにいちいち指摘されることになりそうで……」と顔を曇らせる。  就職活動中の女子学生からも「企業の担当者から『今、大変だねえ』と、まるで私たちの問題であるかのように言われたんですよ。佐野さんの出身校だからダメだとは言われてないですけど、悪影響がないとは言いきれない。本気で海外の大学にでも転校したい気分」という話が聞かれた。  佐野氏は栃木・日光江戸村のキャラクターデザインで頭角を現し、2008年に独立。サントリーやトヨタをはじめとする大手企業の広告などを次々に請け負う売れっ子で、五輪エンブレム採用は業界の頂点に立ったような栄誉だった。  昨年4月、新設の統合デザイン学科の教授に就任していた佐野氏だが、来年4月からも専門科目の授業を担当予定で「ここでは五輪エンブレムの話もしてもらう予定だった」と同大学関係者。しかし、いまや同大学も「本人から事情を聴いて理事会で判断する」と予定の白紙も匂わせるほどで、キャンパス内はまるで“嫌・佐野”状態。 「ライバル校の武蔵野美術大学の学生が躍起になってパクリを探しているというウワサが流れて、それを武蔵美の学生に聞いたウチの学生がいて、ケンカになる事態もありました。佐野さんのニュースを見るたび暗い気分になってしまって、もうやめてくれって思います」  そんな中、佐野氏の過去の卒業制作の優秀作品の一部に盗用が指摘されたり、佐野氏の在学中作品にも盗作があったという話まで聞かれ始めていることから「パクリは多摩美の伝統」などという風評も広がっている。無関係な卒業生、在学生には気の毒だが、学ぶべきものを学ばせていなかったのかという大学への疑念が強まるのは止められない。 (文=ハイセーヤスダ)

佐野研二郎氏だけが悪いのか? 責任逃れする森元首相に“ノーパンしゃぶしゃぶ男”武藤敏郎

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削除された『東京オリンピック2020』内のエンブレム
 新国立競技場に続き、デザイナー・佐野研二郎氏が手掛けた2020年東京五輪エンブレムも白紙撤回された。  今回の特徴はネット民が中心となって盗用疑惑を指摘し、過去の作品群に対してもローラー作戦を繰り広げたことだ。結果、佐野氏は音を上げ、五輪組織委員会も取り下げを認めるしかなくなった。  だが、佐野氏だけが本当に悪いのだろうか? 「コンペの審査員は佐野氏とつながりの深い人物で、当初から佐野氏ありきの選考といわれていた。今回だけに限らず、この業界では癒着が横行していて、発言力のある大物デザイナーの意向が反映される傾向にある。コンペで勝ち残るには『才能より人脈』といわれるのはそのため。業界の悪しき慣習が表に出たことは、佐野氏の功績だ」とは某デザイン事務所社員。  組織委員会にも当然、責任はある。中でも森喜朗会長や1日の記者会見に出席した武藤敏郎事務総長は自ら職を辞すべきだろう。 「政界のキングメーカー」ともいわれる森氏は1日の緊急理事会後、マスコミから「(エンブレムの取り下げは)残念な結果になりましたね?」と聞かれ「何が残念なんだ!」と不機嫌そうに言い放った。  週刊誌では、五輪利権に固執する森氏を「老害」呼ばわりだ。武藤氏も1日の会見で責任逃れの発言に終始。「誰かに責任があるとはするべきではない」と表明し、白紙撤回の理由を「一般国民が納得しないから」と述べた。武藤氏といえば、旧・大蔵省時代の1998年に当時世間を騒がせた“ノーパンしゃぶしゃぶ事件”で名前の挙がった人物。銀行がこぞって大蔵省職員を東京・新宿歌舞伎町の「楼蘭」なるノーパンしゃぶしゃぶ店で接待していたあの事件だ。 「武藤氏の場合は写真に撮られていないが、うっかり店に置いていった名刺がバレるマヌケけぶり。そこで完全に失脚したと思われましたが、その後、大蔵・財務事務次官に就任し、2003年には日本銀行の副総裁に就任。大手企業の監査役にも名を連ね、昨年1月に五輪組織委員会の事務総長に任に就いた。一度“ノーパンしゃぶしゃぶ事件”で痛い目を見ているだけに、現在の地位に固執しているのでしょう」(社会部記者)  責任の所在がわからず、わかったところで責任を取る気もない。佐野氏のエンブレム問題に登場する人物の大多数は、“真っ黒”なようだ。

「これで全部、佐野のせいに……」五輪エンブレム問題が“展開例盗作”発覚で急展開したワケ

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削除された『東京オリンピック2020』内にあったエンブレムより
 東京五輪のエンブレム使用中止を受けて9月1日、遠藤利明オリンピック・パラリンピック担当大臣は、責任問題について問われ「組織委員会と審査委員会、デザイナーの佐野研二郎氏、三者三様に責任があった」とした。  だが、この中止決定については、五輪スポンサー企業と関わる広告代理店の関係者から「佐野さんに責任をなすりつける算段ができてからの発表だった」という、驚くべき話が聞かれる。 「一部の情報番組でテレビコメンテーターが『ベルギーから起こされた裁判が予想以上の逆風になったからこのエンブレムの使用をした』なんてテキトーなことしゃべってたけど、実際は違う。盗用疑惑が持ち上がった時点で『こんなもの、もう使えない』という白紙撤回論はあったんだけど、とにかく関係者が恐れていたのは責任問題と損害賠償、これに尽きた。組織委にそれが跳ね返ってきたら、大変なことになるわけだから」  佐野氏がデザインしたエンブレムは、すでに東京都が大々的な広報活動などで使用していたほか、五輪のスポンサー企業もこれを使ったグッズなどを大量制作。都は旧エンブレム掲載のパネルやポスター、紙袋などを制作済みで、問い合わせたところ「費用の賠償請求も検討中」だとしている。  東京ガスは旧エンブレム入りの名刺を大量に印刷したが、急きょ使用を中止。アサヒビールはイベント告知用の広告を旧エンブレム使用のまま使っている状態で、ほかでも旧エンブレムを表示していたCMの差し替えが続々と起こった。これには組織委も「企業への説明を第一優先に」と火消しに躍起だ。  しかし、長らく「使用継続」の一点張りで押し通してきた組織委が一転してこのタイミングで使用中止に転じたのは、妙な話。前出関係者は「一定の責任回避が成り立つ話になって、一気に決まった」とする。 「この問題で深刻なのは、出来レースでデザイナーを選定していたデザイン利権の構図があったことで、関係者ぐるみでやっていたと見なされると賠償責任がみんなに降りかかってくる。でも、都合がよかったのは、エンブレムの展開例を示したプレゼン資料の盗作指摘だった。あれのおかげで組織委は『我々も騙されたと言える』ということになった。組織委の連中、あのオリジナル画像を探してくれたネットユーザーには感謝していると思う」  たしかにエンブレム使用中止は、佐野氏が展開例写真での個人サイトからの流用を認めた直後、同日のことだった。本来、内部資料あれば違法性は低いが、組織委はこの無断流用を佐野氏に認めさせたということをわざわざ公表してから中止発表に結びつけた。  舛添要一都知事は2日、Twitterで「新国立競技場と同様、責任の所在が不明確、情報公開が不十分という問題が背景にある」と批判したが、前出関係者は「言い換えれば、莫大な税金をかけて五輪招致したけれど、東京都の責任はゼロだっていうアピール」とする。 「ネット上では利権構造が次々に指摘されて組織委や審査委への責任追及にも広がっていた中で、とにかく佐野さんひとりを悪者にして終わらせたいという思惑が高まっていたからね。これは建築デザイナーにだけ説明させて肝心の箱モノ建設利権の中枢連中が逃げてしまった新国立競技場のときと、まったく同じ話だよ」(同)  ちなみにこの関係者が試算した、エンブレム関連の損害賠償額は「もし損害を受けた全員が賠償請求するとなれば、10億円は超える」というが、「組織委のトップがあの森喜朗さんだから、森さんに牙をむくようなことはできないという企業が大多数。実際の請求はあったとしても、かなり控えめになるはず」とする。 「ウワサでは、あるデザイン界の大物が、佐野さんに『今回は泥をかぶってくれ。あとでこの埋め合わせは必ずする』と頭を下げたってのも聞いたけど、それがホントなら、余計なことしゃべるなよって釘刺しだよ。それぐらい、守らなきゃいけないことがあるんだろう」(同)  ただ、各企業から旧エンブレム入り商品の制作依頼を受けていた下請け業者の中には、「もしこれで損害が出たら訴えを起こす」としているところもあり、盗作の張本人である佐野氏をはじめ、組織委と審査委などの面々は、しばらく戦々恐々とすることになりそうだ。 (文=ジャーナリスト・片岡亮)

「遭遇率が高いのは試合終了1時間後」元サッカー日本代表たちが電車通勤!?

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イメージ画像(「足成」より)
「サッカー元日本代表の○○を電車内で見た」  近年、サッカーファンの間で、このようなツイートが散見している。ほかのスポーツの有名選手や芸能人を電車内で見かけることもあるため、別に驚くようなことでもないように思えるかもしれない。しかし、彼らが目撃されているのは多くの場合、新幹線のホーム。一方、サッカー元日本代表選手たちが目撃されているのは、都内や埼玉の普通電車なのだ。  これに、ファンたちは驚愕しているようだ、「元代表選手なのに、普通の電車移動なんだ……」「ポルシェじゃないのね」などと悲しげな声が上がっている。 「元日本代表選手とはいえ、民放以外の解説者のギャラは2桁に届かないことがほとんど。しかも、交通費が含まれていることも多い。そのため、電車移動しているんでしょう」(サッカー関係者)  確かにファンに発見されているのは、スカパー!の解説陣ばかり。民放の解説を務めることの多いゴンこと中山雅史氏などが電車に乗っている姿は発見されていない。というよりも、前出のサッカー関係者いわく「ゴンさんは、マネジメント会社の車がありますから」とのこと。同じ元日本代表、解説者とはいえ、待遇には雲泥の差があるようだ。それにしても、なぜ、近年になって電車移動が多く見かけられているのだろうか? 「今までのサッカー解説者たちは、“ドーハの悲劇”より前の世代だったため、サッカーファンにもあまり知られていなかった。それが、近年は1998年W杯フランス大会や2002年日韓大会を経験した元日本代表選手たちに替わったため、ファンたちが気づくようになった。近年になって待遇が悪くなったというわけではなく、今までは電車通勤する解説者に気づいてなかっただけです。スカパー!の解説者ならば、ほとんどがスタジアムの最寄り駅で会えると思いますよ。狙い目は、試合終了から1時間後の電車ですね」(同)  好きな解説者に電車内で会えるというのは、ファンからすればお得かもしれない!? (文=TV Journal編集部)

サッカー東アジア杯で“出入禁止”食らった日本人カメラマンの悪評「サポーターに『黙れハゲ!』」

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柿谷曜一朗公式サイトより
 中国で行われたサッカーの東アジアカップで、態度の悪さから取材拒否となった日本人カメラマンが“トラブルの常習者”であると、取材者間でささやかれている。 「あのカメラマンは去年、セレッソ大阪の試合でもサポーターとケンカになっていたんですよ。観戦の邪魔だと野次を飛ばしたサポーターのひとりに向かって『黙れハゲ!』と叫んで、乱闘になりかけたんです」  目撃したメディア関係者によると、昨年7月の大阪・キンチョウスタジアム(長居球技場)で、FW柿谷曜一朗の壮行セレモニーが用意された試合で、柿谷がゴールを決める瞬間を狙ってカメラマンたちがゴール周辺に移動。これが壁となって視界を遮られた観客が野次が飛ばしたところ、このカメラマンは振り向いて罵声を浴びせ、詰め寄ったサポーターが身を乗り出そうとするなどして、騒然となったのだという。  このカメラマンは8日、中国での試合で禁止されていた「場所取り」を強行し、注意した女性スタッフを手で押して抵抗。その場で取材禁止を通達されるも無視したため、最終的には複数の警備員が出動しての強制退場となったことが、山東省の地方紙などで伝えられた。  日本ではサッカーのみならずマスコミの慣例となっているカメラマンの「場所取り」だが、今回は韓国のカメラマンと熾烈な場所の奪い合いに発展していたという話だ。 「運営サイドが見かねて整理番号を出すといった対策をとったようでしたが、中国や韓国のカメラマンが場所取りをしても割って入ってくることは以前に何度もあったので、一部のカメラマンたちが反発していたんですよ。試合前から日本人カメラマンたちが、かなり殺気立っていた感じもありました」(前出メディア関係者)  ただ、問題のカメラマンは「中でも力づくで競争に勝とうとする武闘派」という同業者の話もある。 「同業者をヒジで押して取材現場で殴り合いになったという話を聞いたことがありますし、南アフリカでのワールドカップのときは選手入場のとき100人以上のカメラマンが撮影スペースに殺到して押し合いになった中で、イギリス人のカメラマンから『あいつはナイフを持っている』と言われたことがあったんです。実際にはナイフと言ってもペーパーナイフだったのですが、他のカメラマンに尖ったところを突きつけながら押し入ってきたという話でした……」  もっとも、この同業者に言わせればカメラマン同士のいざこざは珍しくないことで、「去年のブラジルでも、ドイツとアルゼンチンの決勝戦では、カメラマン同士がケンカになって人種差別の罵声も飛び交っていた」という。 「カメラマンは人柄やマナーよりも、どれだけ決定的な瞬間を撮れたかという成果主義なところがあるので、性格の優しい人はにあまり向かない側面もある」と前出関係者は言うが……。 (文=ハイセーヤスダ)

NYでゲイパレード参加の元フィギュア代表・高橋大輔に、浅田真央&安藤美姫が「だって彼は……」

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高橋大輔インスタグラムより
 男子フィギュアスケート界で一時代を築き、昨年10月に現役引退した高橋大輔が、ゲイパレードに参加していたと話題になっている。  現在、アメリカ留学中の高橋は、ニューヨークのセントラルパーク近くにある「バーナードカレッジ」という大学に通い、英語を猛勉強中。近況は、週に1~2回の頻度で更新されるインスタグラムからうかがい知ることができる。 「写真の中には、かつて大食い番組で一世を風靡し、アメリカでホットドッグ早食い選手権6連覇などを成し遂げたフードファイター・小林尊さんとの写真もあります」とはファン女性。  そんな中、6月末にアップされた世界最大のゲイの祭典に高橋と小林氏が一緒に行った写真が物議を醸している。  別のファン女性は「ワイルドな風貌で女性人気の高い彼ですが、会話の最中に時々“オネエ言葉”が混ざることもあるみたいで……。ゲイパレードの記事を見て、いろいろ想像してしまいました」と話す。  「週刊女性」(主婦と生活社)は、岡山県倉敷市に住む母・清登さんを直撃。ゲイパレード写真について「あぁ、なんかそうみたいですね。ファンの人から聞いて知ったくらい。本人は何も考えずにやっているんだろうなと思って。“アホやなぁ”なんて、家では言っていますよ」と穏やかな様子で語っている。だが、一方ではこんな話も耳にする。 「フィギュアの世界はやはり女社会。男性であっても、知らぬ間に話し言葉がソッチ系になってしまうことはあるかもしれません。その昔、安藤美姫さんや浅田真央さんに彼について尋ねたところ、2人は笑いながら『だって彼は、私たちと同じ“仲間”ですから~』と答えたそうです。2011年12月に亡くなった真央さんのお母さんも、高橋さんについて『男というより、家族ね』と話していたそうです」(フィギュア関係者)。  高橋は、もはや性別を超えた存在なのかもしれない。