『艦これ』で愛を育んだ戦友を捨てるのか? 『アズールレーン』は二次元愛の踏み絵だ!

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『アズールレーン』公式サイトより
 9月14日に、日本語版サービスを開始した中国発のスマホゲーム『アズールレーン』が、急速にユーザーを伸ばしている。  このゲームは、艦船を擬人化した育成ゲームのひとつである。  艦船を擬人化したゲームということで、パッと見は『艦これ』という雰囲気があることは、否めない。ただ、ゲームの方向性は大きく異なり、シューティングゲームとなっているのが特徴である。そのあたり、これまで幾つか登場した『艦これ』パクリゲーとはまったく異なる。  また、中国政府が目を光らせていることもあって、スマホゲーながら、ガチャに頼る課金ゲーであることを拒否しているというのも、特徴である。そうしたこともあってか、サービス開始から1週間あまりにして、すでにユーザーは100万人に達しようとしている。  そんなゲームに登場するキャラクターは、第2次世界大戦当時の艦船を擬人化したものばかり。当然、すでに『艦これ』で、おなじみの艦船も、姿を変えて、主にケモミミ姿で登場している。そうした、姿は違えどおなじみのキャラクターを敵として打ち破ることに「反日ゲー」という、ぶっ飛んだ罵りをする人もいる。  もちろん、そんな罵りには加担する気はない。だいたい、限られた政治的なクラスタを除けば、中国本土の人々と「ゼロ戦カッコイイ」に始まり、マニアックな大戦ネタで盛り上がれる時代である。  ただ、腑に落ちないのは急激な『艦これ』からのシフトである。Twitterに自作の絵をアップしている絵師のアカウントなどでは、一気に『艦これ』から『アズールレーン』へのシフトが起こっている。とりわけ「愛宕」で検索すると『艦これ』ではなく『アズールレーン』の愛宕のほうが、多くなっているような気がする。  けっこうな数の人が、ケモミミロングヘアの愛宕と称するキャラクターの絵を見て。「何これ? アズレンって何?」とゲームを知ったのではなかろうか。  いや、もちろん流行のもの。描きたい衝動に駆られる題材に創作の時間を割きたいのはわかる。でも、そんなに簡単に乗り換えられるものなのか……。  確かに、オタクの中には定着していた「今期の嫁」という表現自体、疑問視せざるを得ないものだった。愛するキャラクターを1クールごとに変えることができるのか。キャラクターへの愛は、そんなに浮ついたものだったのか……。 『アズールレーン』の場合は、さらにその想いが強くなる。『艦これ』における、艦娘たちは、共に深海棲艦と戦ってきた戦友(と、書いて<とも>と読む)である。『アズールレーン』に登場する同名で姿が違うキャラクターを見て「こっちもこっちでいいね~」と、愛でることができるものなのか。 『アズールレーン』の流行は、個々人の二次元キャラへの愛が、本物かどうかの踏み絵になっているような気がしてならない。 (文=是枝了以)

新作『女装千年王国』も大好評! 西田一が語る、ただひとつの“愛の物語”

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『女装千年王国』(の~すとらいく)
 その晩、私はひとりの男と酒を飲んでいた。 「明日上京するので、お会いできませんか?」  ゲームブランド・の~すとらいくを主宰する西田一から、そんな連絡をもらったのは、前日の夕方だった。ヒロインが全員男の娘ということで注目された『女装山脈』を出発点に、ひたむきに男の娘をテーマにしたアダルトゲームをつくり続ける男。  ともすれば「変態」と謗(そし)られるテーマに人生を賭けた男と初めて会ったのは、昨年制作した『女装学園(孕)』が発売された直後のことだった。  共通の知人がいたことがあったからか、それとも、私自身が「男の娘が最高である」とか、「三次元で男の娘になっている人たちは羨ましい」という本音を隠す必要もないと思って話をしたためか、いずれにしても、話は弾んだ。  私の想いに応えるかのように、西田もまた作品への情熱を、とめどもなく語ってくれた。  中でも、彼が熱く語ったのは『女装山脈』から通底する、男の娘の<妊娠>を描くことへの使命感であった。 「妊娠して子どもが生まれるというのは、エロゲーの中では最大のハッピーエンドだと思っています。ゆえに、男の娘でも妊娠することができたら、すべての問題は、その場で解決するんです。ハッピーエンドに持っていくためには、男の娘を妊娠させなくてはいけない……」  愛を育んだ結果としてのセックス。その結果としての妊娠。そこには「エロゲー」を超えた崇高な思いと、幸福に包まれた興奮があるような気がした。  事実、ネットで作品名で検索してみても、批判的な意見はほとんど見られない。購入した無数の人たちが、西田と同じように幸福を感じているように見えた。  西田の作品は、決して大きく宣伝が打たれるものではない。有り体にいえば、熱心に取り上げるメディアも少ない。いわゆる「大手」に比べれば、市井のユーザーに言及されることは多くはない。けれども、そんな市場の片隅にそっと置かれた作品を通じて、西田は新しい常識を創造している。男の娘が妊娠することが、当然であるという常識を……。 「それが、ボクのシナリオとしての仕事だと思ってるんです」  その一点の曇りもないまなざしは、ずっと記憶に残っていた。だからである。年末に「週刊SPA!」(扶桑社)から「今年のエロゲーの十大ニュース」をテーマに取材を受けた時、私の口からは迷うことなく『女装学園(孕)』が最初に飛び出した。  * * *  それから約1年。新作『女装千年王国』の告知が始まったのは、春のことだった。ライトノベルの定番である「異世界転生もの」をモチーフに描かれる、男の娘物語。異世界に召喚された主人公は、勇者として魔王を打ち倒す。  そして、平和が訪れた世界を舞台に、女装姫騎士、女装サキュバス、女装聖女との物語は綴られる。なんでも「女装」と付ければよいのか。そんな取って付けたようなキャラクター設定。その緩さが、逆に、より硬質な芯のある物語世界を構築しているように思えた。
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 当初の予定より、1カ月遅れた発売日。私もすぐにダウンロード版を購入し、インストールを終わらせた。けれども、さまざまな原稿と、それに付随した読書に忙殺されて、なかなか「入国」することはできなかった。  Twitterをみると、次々と「入国」を果たし、愛を育んだ人々が幸せそうなツイートを紡いでいた。  どのヒロインと愛を育めばいいのだろう。メインヒロインである姫騎士か。それとも、翻弄してくれそうなサキュバスか。いやいや、アダルトにおいては定番ながら、禁忌を犯す感じが一段と強い聖女なのか……。そんなことを考えながら、入国を前に足踏みしていたら、西田から連絡が来たのである。  別件の用をどうにか切り上げた私は、どしゃぶりの雨の中を、待ち合わせ場所のバーへと急いだ。狭い路地、傘を差した酔客の間をすり抜けた先に、目当ての店はあった。扉を開けて、狭い階段を昇る。壁がブルー一色に塗られた薄暗いカウンターだけの店内。その一番奥で、すでに少し酔っているのか、西田は壁にもたれかかるように座っていた。  再会の挨拶の後、ザ・フーが流れる中で、あれこれと言葉を交わした。酒の上でのことである。たいした話ではない。作品の売れ行き。最近の注目している男の娘作品。TSFには、何か感じるものはあるか……。  この夜は、そんな他愛もない会話で終わるのかと思っていた。  だが、しばらくしてから、ふと、西田がつぶやくような声でいった。 「ボクの理想とする男の娘は、理想の中にしかいないんです」 「理想の中に?」  私が問いかけると、西田は少し考えてから、言葉を続けた。 「いや、現実にも一人だけ……。大島薫さんが出てきた時だけは違いました……」  そして、西田はグラスの三分の一ほどになった酒を飲み干した。しばらく沈黙が続いた。次にどんな問いかけをすればいいのだろう。少し迷って、私が言葉を口にしようとした。それよりも一瞬早く、近くに座ってた女性がカルーアミルクを注文する声がした。 「ボクもカルーアミルクをください」  私が次に紡ぐ言葉に迷っているのを察したのだろうか。西田は、またつぶやくような声でいった。 「ボクも大島薫さんみたいな女の子になって犯されたい。それが、原点にはあるんです」  それから、また他愛もない話が続いた。けれども、その合間に私は自分の興味の赴くままに質問を投げかけた。こうしたテーマを取材する時に、必ず聞かなくてはいけないこと。その人が情熱を傾けるジャンルに、どのようにして出会い、夢を育んでいったかということである。  * * *  ブランド・脳内彼女で『女装山脈』から始まる3つの作品を世に問うた後、西田は独立し、自らのブランド「の~すとらいく」の看板を掲げた。現在の「の~すとらいく」は商業流通で作品をリリースさせている同人サークル。いわば、個人事業主として、男の娘というジャンルに絞って作品を作り続けている。  普段は神戸の湾岸にある自宅で、一人シナリオを書き、ディレクションを行っている西田。たとえ、男の娘が支持を集めるジャンルとはいえ、そこに人生を捧げるには、どれだけの覚悟がいるのだろうか。昨年取材をしてからも、興味は尽きることがなかった。  そんな西田が、持参した手土産が、また興味を引いた。西田には馴染みであるバーで、ほかの客にも振る舞ったそれは、ケーニヒスクローネのはちみつアルテナの抹茶味だった。決して安くはない。かといって、慇懃無礼なほどに高額でもない。それでいて、一口食べれば、神戸ならではの上品さが感じられる味。上京にあたって、それを選ぶ優れたセンスは、一朝一夕にできるものではないと思った。 「もしかして、実家はお金持ちなのでは?」 「いや、お金持ちの知り合いはいるけど、うちはそうじゃないし」  西田が人生の初動部分を長く過ごしたのは、阪神のある都市。新興住宅地にあるマンションだった。両親は公務員の、ごくごく一般的な中産階級。ただ違うのは、自身の祖父のことだった。  熱心なキリスト教の信仰を持っていた祖父は、多額の寄付を欠かさず、ついには献堂までして先祖代々の財産を使い潰したという。そんな祖父と比べれば、両親の信仰心は、さほど篤くはなかった。ただ、食事の前にお祈りを欠かさない程度であった。それでも、西田はキリスト教に対する「親愛の情」はあるという。でも、その情は極めて複雑なものだ。 「『女装千年王国』のヒロインの一人は女装聖女なのですが、彼女が神様の子どもを孕む<受胎告知プレイ>は、書かずにはいられなかったんです。でも、同時に、とてつもない背徳感がありました。それがどうしようもなくて……声を収録する時には、スタジオの隅で十字を切っていたんです」  幼い頃から育まれてきた道徳観。いかなる信仰に拠ろうとも、それを汚すような行為をする時、人は漠然とした恐怖心を抱くものだ。私も、建物の中に入って人の話を聞くときには帽子を脱ぐ。和室であれば、勧められるまで褥することはない。神社仏閣の前を通るときには一礼するし、茶碗の中にご飯粒を残したりはしない。そんな根源的な道徳観に畏れを抱きながらも、西田の男の娘への情熱は、抑えることができなかった。  西田の記憶の最深部にある、男の娘との出会い。それは、中学生の時に何度も足を運んでいた、エロ本が立ち読みできる書店だった。ある日、いつものようにエロマンガ雑誌を立ち読みしていた西田は、ある作品を見て身体を震わせた。それは、ひんでんブルグの短編であった。タイトルは忘れてしまったのに、自身を興奮させた細部だけは、心に焼き付いて離れることがない。 「あの人、時々ショタ同士のセックスを描くじゃないですか。まさに、それだったのです。『魔神英雄伝ワタル』のワタルと虎王のような少年が、女のコに好き放題にされた挙げ句に、2人でセックスするように命令されるんです」  自分が男同士のセックスで興奮していることには、うしろめたい気持ちも芽生えた。でも「すげえ興奮する」という正直な気持ちが、それを遙かに凌駕していた。人には絶対にいえないかもしれない。けれども、興奮する。もっとこんな作品を読みたい衝動を、抑えることはできなかった。エロマンガ界の最大多数である男女間の営みとは違うジャンルで覚えた興奮……。  現在よりも、そうしたジャンルの市場が小さかった1990年代。その昂ぶりに応えてくれる作品に出会うのは、容易なことではなかった。高校生になった頃、茜新社から発売された男性向けショタアンソロジー『アンダーカバーボーイズ』は、幾度も読み、使った。  西田が幸運だったのは、青春の真っただ中で、そうした昂ぶりを隠さなくてもよい仲間たちに出会えたことだった。  大学に進学した西田は、ギターマンドリンクラブに入部した。どうしたわけか、そこは、音楽と共にアダルトゲームにも青春を捧げる男たちが集う場だった。 「なぜか、サークルのメンバーは男ばかりで……」  ロリ好きもいれば、熟女好きもいて当たり前の空間で、西田も自分の好きなものを隠すことはなくなった。 「その時は、変態キャラと開き直っていたんです。でも、言い始めたら薄れますよね」  2回生になってから、西田は実家を出て一人暮らしを始めた。誰かが、新しいアダルトゲームを買えば、狭いアパートの一室に集まって攻略を繰り広げる濃密な青春の一時が、過ぎていった。  * * *
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「でも……」  西田には聞こえないような小さな声で、私は呟いた。自分の心に刺さるような性的な情景を描いた作品との出会い。世間では、なかなか大っぴらにしにくい性的な志向を隠さなくてもよい仲間たちとの出会い。それだけで、西田が描く魅力的な男の娘が生まれるだろうかと、思った。性別を超えて孕む。それだけにはとどまらない聖母のようであり、ファムファタールのような、あの男の娘たちを描くことが……と。 「女性とも経験しているのでしょう?」 「ええ。でも、それが高校生の時だったら、もっと感動があったかもしれない……」  なぜ、高校生の時なのだろう。それを聞こうとした時、どやどやと新しい客が入ってきた。賑やかな雰囲気の中では、とてもそれを聞くことはできないような気がして、また、とりとめもない話が始まった。  そうした会話の後だったからだろう。酒の上でのとりとめのない話とはいえ、なんら隠したり飾ることなどない会話は楽しかった。何しろ、アルコールを口にしているのは西田だけ。下戸の私が口にしているのは、ずっとウーロン茶であった。つまり、ずっと素面なのだけど、何か気持ちは高揚していた。だから、普段はあまり人にはいわない秘密を、西田に教えた。 「私も、次の輪廻で女のコになれるのなら、こんな女のコになりたいと思って、気に入った画像はDropboxにフォルダをつくって保存しているのです」 「どんな画像があるのか、ぜひ見せてください」  iPhoneの画面に表示されるさまざまな画像を、西田は笑うでもなく、褒めるでもなく、ただ興味深そうに眺めていた。何かが、溶けて混ざり合っていくような感覚があった。  賑やかな時間が過ぎて、時計が午前1時を回った頃。急に客が引けて、再び店は私たち2人だけになった。また、ザ・フーのCDが回り始めた。 「ボク、コーラをください」  西田は酔って熱く昂ぶった身体を少し冷やそうとした。私も続いてコーラを注文した。西田はカバンの中から、眼鏡ケースを取り出し、ふうっと息を吸ってから眼鏡をかけた。  それから煙草を2本。高い天井に吸い込まれていく音楽に身を委ねて、いくばくかの時が流れた。  店と同じだけの時間を過ごしてきたとおぼしき灰皿で、煙草の火を消してから、西田は私に語りかけた。 「高校3年生の時。あれから、ボクは人間に興味を持ててはいないのです……」  * * *  その頃の西田は、まごうことなき中二病だった。  サイケデリックミュージックの話をして盛り上がれるヤツなんて、クラスにはほとんどいなかった。まだ、小室サウンドのムーブメントは続いていて、クラスメイトが話している音楽の話題といえばTRFとか安室奈美恵。そうでなければ、JUDY AND MARYの話ばかりだった。オタク趣味の友達とは、マンガやアニメの話で盛り上がることができた。でも、どこか物足りない気がしていた。  そんなクラスに、その少女はいた。  決して美人ではないけれども、肌から青春の輝きが滲み出ている少女。その輝きが、どこか昏さを持っていた、あの時の西田には眩しすぎた。遠足や文化祭。さまざまな行事の中で、何かと中心になっている少女。裏表のない愛嬌のある姿が、いつも心の片隅に残るようになっていた。でも、彼女の輝きに近づけば、陰のような自分は消滅してしまうような気がしていた。  高校3年生の一学期。席替えで、偶然にも少女が西田の後ろの席になった。太陽のような輝きに、何か落ち着かない気持ちで授業を受ける毎日が続いていた。でも、ある日、落ち着かない気持ちは終わりを迎えた。 「ねえ、なんの音楽を聴いているの?」  どうして、そんな会話になったのかは忘れてしまった。どうせ、お前にはわからないだろう。そんな捨て鉢な気持ちで、西田は自分の聴いている音楽の話をした。しばらく話を聞いていた少女は、うれしそうにこういった。 「わたしジャニスが大好きなの」  今となっては平凡な音楽の話かもしれない。でも、その時の西田には、ようやく訪れた幸運以外の何ものでもなかった。少女の持つ、うっとうしい輝きは、心地よい陽の光へと変わっていた。  気がつけば、毎日のように少女と話をしていた。クラスメイトたちは、大学受験への不安と未来への希望の中で、落ち着かない日々を過ごしていた。でも、自分にとって、これほど登校することが楽しい経験はなかった。  家に帰ってからも、ふっと少女と話をしたい想いが何度もめぐって抑えられなかった。そんな時は、リビングの電話機のところに行って、記憶している彼女の自宅の電話番号をダイヤルした。呼び出し音が鳴っている時、すぐに少女が電話に出てくれることを、心の中で願っていた。愛嬌のある、あの声が受話器の向こうから聞こえてくると、そのたびに、今までの人生では感じたことのなかった感覚が湧き出して止まらなかった。 「デヴィッド・ボウイ好きだな」 「わたしも好き」 「ボウイの『スターマン』は聴いてるよね?」 「大好き」  季節は夏。もう夏休みが始まろうとしていた。告白は西田のほうからした。告白も、電話だった。電話の向こうで、少女のうれしそうな声がしていた。それが、何か気恥ずかしかった。 「結局、2週間で別れたんです……」  私が「なぜ」と問いかけるよりも先に、西田は言葉を続けた。 「ボクには、恋愛……人を愛するためには、どういうことをすればよいのか、わかっていなかったんです。デートした時にも、キスどころか、手もつなげなくて、キスもできなくて、自分から行動することができなかったんです。すでに恋愛経験のあった彼女は、そんなボクを歯がゆそうに見ていたんです。それが、とても苦しくて……やつの高3の夏を、俺でふいにしてしまったんです」  最後に、西田が自らの抱える「原罪」を吐露したように見えた。  * * *
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 同世代の中では、尖った音楽の趣味を語り合っていた男女。それが「中二病特有のシンパシー」だったのだと、西田が思ったのは大学に入学してからだった。その青春の失敗の原因はなんだったのか。こうした時に、たいていの人は、こんな答えを導き出すはずだ。自分の恋愛スキルが低かったのだ、と。  そして、次へ次へと、新たな女性との出会いを求めていく。でも、西田はそうではなかったのだ。その苦い経験の先に「なぜ、自分は女性を愛そうとしたのか」を考え続けた。中学生の頃に、当時はまだ「ショタ」でひとくくりにされていた、男の娘趣味に目覚めた。それなのに、なぜ当たり前のように女性との恋愛や、その先のセックスを求めようとしてしまったのか。 「……そういう経験が、一緒になって、作品の世界観が構築されていると思っているんです」  そういって、西田は眼鏡を外して、煙草に火をつけた。塗り直したばかりのブルーの壁に、波打つ白い煙。その煙を眺めながら、改めて『女装山脈』に始まる、西田の作品のことを思い出した。『女装山脈』が発売されたのは2011年。  すでにジャンルとしては、そこそこメジャーになったとはいえ、まだニッチな雰囲気は拭えなかった。マンガの単行本やアンソロジーは増えていた。けれども、アダルトゲームで男の娘ジャンルの作品を購入して、プレイすることには、まだ多くの人が「俺は、変態になってしまうのではないか」という抵抗を持っているように思えた。  それが、今はどうだろう。男の娘との恋愛を描くことは当たり前になり、妊娠すらするようになった。そうなのだ。もはや、西田の作品において、ヒロインが男の娘であるとか、妊娠するとかは、きっかけに過ぎない。いうなれば、幼なじみとか妹とかと同じ。誰もが当たり前に持っている属性の好みにまでハードルを下げてきた。どうしても、男の娘ではないと興奮できない。男の娘が妊娠する作品でないと射精もできない。そんな人は少数派だろう。  多くは「男の娘なのだから、おちんちんから射精するのは当然のことだ」と考え、愛の結果としての妊娠を自然に受け入れている。西田の志向に基づいて描かれるのは男の娘ということにはなっている。  けれども、実際に描かれているヒロインは、性別を超越した存在。それも、単なるキャラクターでもない、西田の考える理想の愛を、絵を用いて人間のような形に具現化したものではないのか。 「まだ、理想の相手を求めているのですか? 自分が人生を懸けて愛したい人を?」 「……」  西田は、何も答えなかった。  午前2時を回った頃、ホテルに戻るという西田を見送って、私も家路に就いた。夕方から降り始めた雨は、ますます強くなっていた。「ルポライターは傘など欲しがらないものだ」と心に決めている私も、信念を曲げたくなるような、どしゃぶりだった。  帽子から垂れる水滴を拭いながら、路地を抜けて通りへと急いだ。客待ちをしていたタクシーに飛び乗って、自宅近くのいつも目印にしている交差点の名前を告げた。週末の深夜。どしゃぶりの雨。通りは混んでいて。タクシーも思うように進まなかった。 「早く、早く、家に帰ろう」  私は心の中で、何度も呟いた。早く帰って、濡れた服をハンガーにかけてから、ノートパソコンのスイッチを入れよう。そこにはもう『女装千年王国』が、入国を今か今かと待っている。  早く、一刻も早く入国しよう。きっと今なら、作品の中に見えるはずだ。西田が求める、理想的な愛とは何かという答えが。だから、一刻も早く帰らなくてはいけない……。  タクシーは遅々として進まなかった。 (文=昼間たかし)

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『女装千年王国』(の~すとらいく)
 その晩、私はひとりの男と酒を飲んでいた。 「明日上京するので、お会いできませんか?」  ゲームブランド・の~すとらいくを主宰する西田一から、そんな連絡をもらったのは、前日の夕方だった。ヒロインが全員男の娘ということで注目された『女装山脈』を出発点に、ひたむきに男の娘をテーマにしたアダルトゲームをつくり続ける男。  ともすれば「変態」と謗(そし)られるテーマに人生を賭けた男と初めて会ったのは、昨年制作した『女装学園(孕)』が発売された直後のことだった。  共通の知人がいたことがあったからか、それとも、私自身が「男の娘が最高である」とか、「三次元で男の娘になっている人たちは羨ましい」という本音を隠す必要もないと思って話をしたためか、いずれにしても、話は弾んだ。  私の想いに応えるかのように、西田もまた作品への情熱を、とめどもなく語ってくれた。  中でも、彼が熱く語ったのは『女装山脈』から通底する、男の娘の<妊娠>を描くことへの使命感であった。 「妊娠して子どもが生まれるというのは、エロゲーの中では最大のハッピーエンドだと思っています。ゆえに、男の娘でも妊娠することができたら、すべての問題は、その場で解決するんです。ハッピーエンドに持っていくためには、男の娘を妊娠させなくてはいけない……」  愛を育んだ結果としてのセックス。その結果としての妊娠。そこには「エロゲー」を超えた崇高な思いと、幸福に包まれた興奮があるような気がした。  事実、ネットで作品名で検索してみても、批判的な意見はほとんど見られない。購入した無数の人たちが、西田と同じように幸福を感じているように見えた。  西田の作品は、決して大きく宣伝が打たれるものではない。有り体にいえば、熱心に取り上げるメディアも少ない。いわゆる「大手」に比べれば、市井のユーザーに言及されることは多くはない。けれども、そんな市場の片隅にそっと置かれた作品を通じて、西田は新しい常識を創造している。男の娘が妊娠することが、当然であるという常識を……。 「それが、ボクのシナリオとしての仕事だと思ってるんです」  その一点の曇りもないまなざしは、ずっと記憶に残っていた。だからである。年末に「週刊SPA!」(扶桑社)から「今年のエロゲーの十大ニュース」をテーマに取材を受けた時、私の口からは迷うことなく『女装学園(孕)』が最初に飛び出した。  * * *  それから約1年。新作『女装千年王国』の告知が始まったのは、春のことだった。ライトノベルの定番である「異世界転生もの」をモチーフに描かれる、男の娘物語。異世界に召喚された主人公は、勇者として魔王を打ち倒す。  そして、平和が訪れた世界を舞台に、女装姫騎士、女装サキュバス、女装聖女との物語は綴られる。なんでも「女装」と付ければよいのか。そんな取って付けたようなキャラクター設定。その緩さが、逆に、より硬質な芯のある物語世界を構築しているように思えた。
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 当初の予定より、1カ月遅れた発売日。私もすぐにダウンロード版を購入し、インストールを終わらせた。けれども、さまざまな原稿と、それに付随した読書に忙殺されて、なかなか「入国」することはできなかった。  Twitterをみると、次々と「入国」を果たし、愛を育んだ人々が幸せそうなツイートを紡いでいた。  どのヒロインと愛を育めばいいのだろう。メインヒロインである姫騎士か。それとも、翻弄してくれそうなサキュバスか。いやいや、アダルトにおいては定番ながら、禁忌を犯す感じが一段と強い聖女なのか……。そんなことを考えながら、入国を前に足踏みしていたら、西田から連絡が来たのである。  別件の用をどうにか切り上げた私は、どしゃぶりの雨の中を、待ち合わせ場所のバーへと急いだ。狭い路地、傘を差した酔客の間をすり抜けた先に、目当ての店はあった。扉を開けて、狭い階段を昇る。壁がブルー一色に塗られた薄暗いカウンターだけの店内。その一番奥で、すでに少し酔っているのか、西田は壁にもたれかかるように座っていた。  再会の挨拶の後、ザ・フーが流れる中で、あれこれと言葉を交わした。酒の上でのことである。たいした話ではない。作品の売れ行き。最近の注目している男の娘作品。TSFには、何か感じるものはあるか……。  この夜は、そんな他愛もない会話で終わるのかと思っていた。  だが、しばらくしてから、ふと、西田がつぶやくような声でいった。 「ボクの理想とする男の娘は、理想の中にしかいないんです」 「理想の中に?」  私が問いかけると、西田は少し考えてから、言葉を続けた。 「いや、現実にも一人だけ……。大島薫さんが出てきた時だけは違いました……」  そして、西田はグラスの三分の一ほどになった酒を飲み干した。しばらく沈黙が続いた。次にどんな問いかけをすればいいのだろう。少し迷って、私が言葉を口にしようとした。それよりも一瞬早く、近くに座ってた女性がカルーアミルクを注文する声がした。 「ボクもカルーアミルクをください」  私が次に紡ぐ言葉に迷っているのを察したのだろうか。西田は、またつぶやくような声でいった。 「ボクも大島薫さんみたいな女の子になって犯されたい。それが、原点にはあるんです」  それから、また他愛もない話が続いた。けれども、その合間に私は自分の興味の赴くままに質問を投げかけた。こうしたテーマを取材する時に、必ず聞かなくてはいけないこと。その人が情熱を傾けるジャンルに、どのようにして出会い、夢を育んでいったかということである。  * * *  ブランド・脳内彼女で『女装山脈』から始まる3つの作品を世に問うた後、西田は独立し、自らのブランド「の~すとらいく」の看板を掲げた。現在の「の~すとらいく」は商業流通で作品をリリースさせている同人サークル。いわば、個人事業主として、男の娘というジャンルに絞って作品を作り続けている。  普段は神戸の湾岸にある自宅で、一人シナリオを書き、ディレクションを行っている西田。たとえ、男の娘が支持を集めるジャンルとはいえ、そこに人生を捧げるには、どれだけの覚悟がいるのだろうか。昨年取材をしてからも、興味は尽きることがなかった。  そんな西田が、持参した手土産が、また興味を引いた。西田には馴染みであるバーで、ほかの客にも振る舞ったそれは、ケーニヒスクローネのはちみつアルテナの抹茶味だった。決して安くはない。かといって、慇懃無礼なほどに高額でもない。それでいて、一口食べれば、神戸ならではの上品さが感じられる味。上京にあたって、それを選ぶ優れたセンスは、一朝一夕にできるものではないと思った。 「もしかして、実家はお金持ちなのでは?」 「いや、お金持ちの知り合いはいるけど、うちはそうじゃないし」  西田が人生の初動部分を長く過ごしたのは、阪神のある都市。新興住宅地にあるマンションだった。両親は公務員の、ごくごく一般的な中産階級。ただ違うのは、自身の祖父のことだった。  熱心なキリスト教の信仰を持っていた祖父は、多額の寄付を欠かさず、ついには献堂までして先祖代々の財産を使い潰したという。そんな祖父と比べれば、両親の信仰心は、さほど篤くはなかった。ただ、食事の前にお祈りを欠かさない程度であった。それでも、西田はキリスト教に対する「親愛の情」はあるという。でも、その情は極めて複雑なものだ。 「『女装千年王国』のヒロインの一人は女装聖女なのですが、彼女が神様の子どもを孕む<受胎告知プレイ>は、書かずにはいられなかったんです。でも、同時に、とてつもない背徳感がありました。それがどうしようもなくて……声を収録する時には、スタジオの隅で十字を切っていたんです」  幼い頃から育まれてきた道徳観。いかなる信仰に拠ろうとも、それを汚すような行為をする時、人は漠然とした恐怖心を抱くものだ。私も、建物の中に入って人の話を聞くときには帽子を脱ぐ。和室であれば、勧められるまで褥することはない。神社仏閣の前を通るときには一礼するし、茶碗の中にご飯粒を残したりはしない。そんな根源的な道徳観に畏れを抱きながらも、西田の男の娘への情熱は、抑えることができなかった。  西田の記憶の最深部にある、男の娘との出会い。それは、中学生の時に何度も足を運んでいた、エロ本が立ち読みできる書店だった。ある日、いつものようにエロマンガ雑誌を立ち読みしていた西田は、ある作品を見て身体を震わせた。それは、ひんでんブルグの短編であった。タイトルは忘れてしまったのに、自身を興奮させた細部だけは、心に焼き付いて離れることがない。 「あの人、時々ショタ同士のセックスを描くじゃないですか。まさに、それだったのです。『魔神英雄伝ワタル』のワタルと虎王のような少年が、女のコに好き放題にされた挙げ句に、2人でセックスするように命令されるんです」  自分が男同士のセックスで興奮していることには、うしろめたい気持ちも芽生えた。でも「すげえ興奮する」という正直な気持ちが、それを遙かに凌駕していた。人には絶対にいえないかもしれない。けれども、興奮する。もっとこんな作品を読みたい衝動を、抑えることはできなかった。エロマンガ界の最大多数である男女間の営みとは違うジャンルで覚えた興奮……。  現在よりも、そうしたジャンルの市場が小さかった1990年代。その昂ぶりに応えてくれる作品に出会うのは、容易なことではなかった。高校生になった頃、茜新社から発売された男性向けショタアンソロジー『アンダーカバーボーイズ』は、幾度も読み、使った。  西田が幸運だったのは、青春の真っただ中で、そうした昂ぶりを隠さなくてもよい仲間たちに出会えたことだった。  大学に進学した西田は、ギターマンドリンクラブに入部した。どうしたわけか、そこは、音楽と共にアダルトゲームにも青春を捧げる男たちが集う場だった。 「なぜか、サークルのメンバーは男ばかりで……」  ロリ好きもいれば、熟女好きもいて当たり前の空間で、西田も自分の好きなものを隠すことはなくなった。 「その時は、変態キャラと開き直っていたんです。でも、言い始めたら薄れますよね」  2回生になってから、西田は実家を出て一人暮らしを始めた。誰かが、新しいアダルトゲームを買えば、狭いアパートの一室に集まって攻略を繰り広げる濃密な青春の一時が、過ぎていった。  * * *
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「でも……」  西田には聞こえないような小さな声で、私は呟いた。自分の心に刺さるような性的な情景を描いた作品との出会い。世間では、なかなか大っぴらにしにくい性的な志向を隠さなくてもよい仲間たちとの出会い。それだけで、西田が描く魅力的な男の娘が生まれるだろうかと、思った。性別を超えて孕む。それだけにはとどまらない聖母のようであり、ファムファタールのような、あの男の娘たちを描くことが……と。 「女性とも経験しているのでしょう?」 「ええ。でも、それが高校生の時だったら、もっと感動があったかもしれない……」  なぜ、高校生の時なのだろう。それを聞こうとした時、どやどやと新しい客が入ってきた。賑やかな雰囲気の中では、とてもそれを聞くことはできないような気がして、また、とりとめもない話が始まった。  そうした会話の後だったからだろう。酒の上でのとりとめのない話とはいえ、なんら隠したり飾ることなどない会話は楽しかった。何しろ、アルコールを口にしているのは西田だけ。下戸の私が口にしているのは、ずっとウーロン茶であった。つまり、ずっと素面なのだけど、何か気持ちは高揚していた。だから、普段はあまり人にはいわない秘密を、西田に教えた。 「私も、次の輪廻で女のコになれるのなら、こんな女のコになりたいと思って、気に入った画像はDropboxにフォルダをつくって保存しているのです」 「どんな画像があるのか、ぜひ見せてください」  iPhoneの画面に表示されるさまざまな画像を、西田は笑うでもなく、褒めるでもなく、ただ興味深そうに眺めていた。何かが、溶けて混ざり合っていくような感覚があった。  賑やかな時間が過ぎて、時計が午前1時を回った頃。急に客が引けて、再び店は私たち2人だけになった。また、ザ・フーのCDが回り始めた。 「ボク、コーラをください」  西田は酔って熱く昂ぶった身体を少し冷やそうとした。私も続いてコーラを注文した。西田はカバンの中から、眼鏡ケースを取り出し、ふうっと息を吸ってから眼鏡をかけた。  それから煙草を2本。高い天井に吸い込まれていく音楽に身を委ねて、いくばくかの時が流れた。  店と同じだけの時間を過ごしてきたとおぼしき灰皿で、煙草の火を消してから、西田は私に語りかけた。 「高校3年生の時。あれから、ボクは人間に興味を持ててはいないのです……」  * * *  その頃の西田は、まごうことなき中二病だった。  サイケデリックミュージックの話をして盛り上がれるヤツなんて、クラスにはほとんどいなかった。まだ、小室サウンドのムーブメントは続いていて、クラスメイトが話している音楽の話題といえばTRFとか安室奈美恵。そうでなければ、JUDY AND MARYの話ばかりだった。オタク趣味の友達とは、マンガやアニメの話で盛り上がることができた。でも、どこか物足りない気がしていた。  そんなクラスに、その少女はいた。  決して美人ではないけれども、肌から青春の輝きが滲み出ている少女。その輝きが、どこか昏さを持っていた、あの時の西田には眩しすぎた。遠足や文化祭。さまざまな行事の中で、何かと中心になっている少女。裏表のない愛嬌のある姿が、いつも心の片隅に残るようになっていた。でも、彼女の輝きに近づけば、陰のような自分は消滅してしまうような気がしていた。  高校3年生の一学期。席替えで、偶然にも少女が西田の後ろの席になった。太陽のような輝きに、何か落ち着かない気持ちで授業を受ける毎日が続いていた。でも、ある日、落ち着かない気持ちは終わりを迎えた。 「ねえ、なんの音楽を聴いているの?」  どうして、そんな会話になったのかは忘れてしまった。どうせ、お前にはわからないだろう。そんな捨て鉢な気持ちで、西田は自分の聴いている音楽の話をした。しばらく話を聞いていた少女は、うれしそうにこういった。 「わたしジャニスが大好きなの」  今となっては平凡な音楽の話かもしれない。でも、その時の西田には、ようやく訪れた幸運以外の何ものでもなかった。少女の持つ、うっとうしい輝きは、心地よい陽の光へと変わっていた。  気がつけば、毎日のように少女と話をしていた。クラスメイトたちは、大学受験への不安と未来への希望の中で、落ち着かない日々を過ごしていた。でも、自分にとって、これほど登校することが楽しい経験はなかった。  家に帰ってからも、ふっと少女と話をしたい想いが何度もめぐって抑えられなかった。そんな時は、リビングの電話機のところに行って、記憶している彼女の自宅の電話番号をダイヤルした。呼び出し音が鳴っている時、すぐに少女が電話に出てくれることを、心の中で願っていた。愛嬌のある、あの声が受話器の向こうから聞こえてくると、そのたびに、今までの人生では感じたことのなかった感覚が湧き出して止まらなかった。 「デヴィッド・ボウイ好きだな」 「わたしも好き」 「ボウイの『スターマン』は聴いてるよね?」 「大好き」  季節は夏。もう夏休みが始まろうとしていた。告白は西田のほうからした。告白も、電話だった。電話の向こうで、少女のうれしそうな声がしていた。それが、何か気恥ずかしかった。 「結局、2週間で別れたんです……」  私が「なぜ」と問いかけるよりも先に、西田は言葉を続けた。 「ボクには、恋愛……人を愛するためには、どういうことをすればよいのか、わかっていなかったんです。デートした時にも、キスどころか、手もつなげなくて、キスもできなくて、自分から行動することができなかったんです。すでに恋愛経験のあった彼女は、そんなボクを歯がゆそうに見ていたんです。それが、とても苦しくて……やつの高3の夏を、俺でふいにしてしまったんです」  最後に、西田が自らの抱える「原罪」を吐露したように見えた。  * * *
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 同世代の中では、尖った音楽の趣味を語り合っていた男女。それが「中二病特有のシンパシー」だったのだと、西田が思ったのは大学に入学してからだった。その青春の失敗の原因はなんだったのか。こうした時に、たいていの人は、こんな答えを導き出すはずだ。自分の恋愛スキルが低かったのだ、と。  そして、次へ次へと、新たな女性との出会いを求めていく。でも、西田はそうではなかったのだ。その苦い経験の先に「なぜ、自分は女性を愛そうとしたのか」を考え続けた。中学生の頃に、当時はまだ「ショタ」でひとくくりにされていた、男の娘趣味に目覚めた。それなのに、なぜ当たり前のように女性との恋愛や、その先のセックスを求めようとしてしまったのか。 「……そういう経験が、一緒になって、作品の世界観が構築されていると思っているんです」  そういって、西田は眼鏡を外して、煙草に火をつけた。塗り直したばかりのブルーの壁に、波打つ白い煙。その煙を眺めながら、改めて『女装山脈』に始まる、西田の作品のことを思い出した。『女装山脈』が発売されたのは2011年。  すでにジャンルとしては、そこそこメジャーになったとはいえ、まだニッチな雰囲気は拭えなかった。マンガの単行本やアンソロジーは増えていた。けれども、アダルトゲームで男の娘ジャンルの作品を購入して、プレイすることには、まだ多くの人が「俺は、変態になってしまうのではないか」という抵抗を持っているように思えた。  それが、今はどうだろう。男の娘との恋愛を描くことは当たり前になり、妊娠すらするようになった。そうなのだ。もはや、西田の作品において、ヒロインが男の娘であるとか、妊娠するとかは、きっかけに過ぎない。いうなれば、幼なじみとか妹とかと同じ。誰もが当たり前に持っている属性の好みにまでハードルを下げてきた。どうしても、男の娘ではないと興奮できない。男の娘が妊娠する作品でないと射精もできない。そんな人は少数派だろう。  多くは「男の娘なのだから、おちんちんから射精するのは当然のことだ」と考え、愛の結果としての妊娠を自然に受け入れている。西田の志向に基づいて描かれるのは男の娘ということにはなっている。  けれども、実際に描かれているヒロインは、性別を超越した存在。それも、単なるキャラクターでもない、西田の考える理想の愛を、絵を用いて人間のような形に具現化したものではないのか。 「まだ、理想の相手を求めているのですか? 自分が人生を懸けて愛したい人を?」 「……」  西田は、何も答えなかった。  午前2時を回った頃、ホテルに戻るという西田を見送って、私も家路に就いた。夕方から降り始めた雨は、ますます強くなっていた。「ルポライターは傘など欲しがらないものだ」と心に決めている私も、信念を曲げたくなるような、どしゃぶりだった。  帽子から垂れる水滴を拭いながら、路地を抜けて通りへと急いだ。客待ちをしていたタクシーに飛び乗って、自宅近くのいつも目印にしている交差点の名前を告げた。週末の深夜。どしゃぶりの雨。通りは混んでいて。タクシーも思うように進まなかった。 「早く、早く、家に帰ろう」  私は心の中で、何度も呟いた。早く帰って、濡れた服をハンガーにかけてから、ノートパソコンのスイッチを入れよう。そこにはもう『女装千年王国』が、入国を今か今かと待っている。  早く、一刻も早く入国しよう。きっと今なら、作品の中に見えるはずだ。西田が求める、理想的な愛とは何かという答えが。だから、一刻も早く帰らなくてはいけない……。  タクシーは遅々として進まなかった。 (文=昼間たかし)

『社にほへと』開発中止で、神社本庁を“悪玉”にする人の不可思議から考えたこと

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神社本庁公式サイトより
「どう読んだら、神社本庁にヘイトをぶつけることができるのだろう」  ここ数日間、そんなことを考えた。  自分が書きたいテーマを体で感じ取るために、さまざまな人に出会い、現場へと参加する。それが、文章を書くための基本だと思っている。「参加」とはいうけれど、実際には「覗き屋」である。すでに終わってしまった過去の出来事には参加できないし、取材すべき人物と行動を共にするといっても限界はある。だから「覗き屋」なのである。大手メディアの報道や、学者・批評家の類いは、上から覗いて、すべてを知った気になるものだ。  私が目指しているのは、そうではないものである。まず、さまざまなテーマに首を突っ込んでみたい自分がいて、その後から文章を書く気力が湧いてくるのである。正邪の判断。ともすれば、取材相手が吐く言葉がホントかウソかなども、どうでもよい。まずは自分の感じ取ったことを記録し、それを読者にも共感し、追体験してもらいたいと思っているのである。  先日、DMM GAMESがブラウザゲーム『社にほへと』の開発を中止したことを発表してから、4月に書いたルポルタージュへのアクセスが再び増えた。実のところ、記事が出て事前登録受付が中止されて以降の内部での動きが、ちらほらと耳には入っていた。だから、タイミングを見計らって開発中止を発表するのだろうと思っていた。そして、みんな『社にほへと』の存在を忘れたであろう頃になってからの開発中止の発表。それが注目を集めたことには、少々驚いた。  どういった人々が私のルポルタージュを読んで、どんな感想を抱いたのだろうか。それを無視することはできない。だいたい、原稿を書く集中力が途切れた深夜に、浅川マキでも聞きながらエゴサーチをする。  4月に神社本庁に取材に出向き、いざ原稿を書こうと机の前に座った時、思い浮かんできたのは、自分がいかにして神社を崇敬するようになってきたかということであった。大手企業が手がけるこのゲームが、神社には連絡もなく製作されていることはセンセーショナルな話題だと思った。けれども、わずかな文字数で、そのことだけを記しても意味はないと思った。それよりも、この話題を入口にして、大勢の人が神社と信仰を考える機会になればよいと思った。  4月の時点でも、今回、再びアクセスが増えた時でも、大勢の人が共感をしてくれているように見えた。  けれども、そうではない人もいる。神社本庁がゲームにクレームをつけたと思い込み、ツイートをする人もいた。さらに驚いたのは、私が神社本庁に取材に行ったことそのものを批判する人もいた。  すでに読んでくれている人には説明する間でもないが、取材に応じてくれた広報国際課の岩橋克二氏は、神職らしく冷静で丁寧な人物であった。ゲームの「おみくじ」には「これはちょっと……」という言葉を漏らしたけれども、わかりやすく、本来の「おみくじ」の意味について語ってくれた。取材の時間の多くは、ゲームそのものの話題よりも、私が好奇心のままに神社と信仰について尋ねるために費やされた。  最近、神社本庁というと、いくつかの騒動、あるいは「日本会議」「安倍政権」といった言葉とセットで語られるものだ。けれども、実際に尋ねてみれば「見ると聞くとは大違い」という言葉がぴったりと似合うものだと思った。その体験を、文章の中でも反映させているつもりであった。だから、どこをどう読めば「神社本庁=ゲームを潰した悪の組織」のような構図を想像できるのか、不可解であった。  しばらく考えた推論は、ごくごく当たり前のもの。私の書いたルポルタージュを、ちゃんと読んでいないのではないかということである。  幸いにも、本サイトは私にルポルタージュを発表する場を与えてくれている。それは、ネットのニュースサイトでは長文かも知れないが、実は極めて短い。だいたいが掌編。少し言葉を盛って短編か中編。紙の本にしたならば、ほんのわずかなページ数にしかならないものである。  そうして発表したものが、どういった評価を受けているかは、やはり気になる。これまでの経験から感じているのは、ネットにしては長い文章でも、内容がよければ読んでくれるということである。Twitterでエゴサーチをしてみると、私の意図に共感し内容を評価してくれる人が半分。もう半分は、批判。アクセスの多かったものについては、だいたいが、そうなる。  それを見ると、批判をしている人に、どのように共感を持ってもらうかが今後の課題だと思えてくる。だから、批判は大いに参考になるのだが、一方で批判にもなっていない、どうしようもないものにも出くわす。そうしたツイートをしている中には、なぜか物書きを生業としている者が多いように見える。  彼らが一様に語るのは、「長い」だとか「自分語りを書くな」というふうなものである。  これには首をひねってしまう。  前述のように、ある程度文章を読む習慣があれば、決して長い文章ではない。それに、ルポルタージュとは「主観」を記すものである。新聞報道のように、ストレートニュースを無機質に記すものではない。けれども、自分のTwitterアカウントに物書きを生業として記しながら「長い」などとツイートする者は、そうは考えていないのだと思う。  ただ、必要な情報を短い文章で語ること。できれば140字以内で書くこと。そうでなくても、読者がサラっと読んだだけで理解できる簡易な内容で、センセーショナルな部分だけを記せばよいのだと考えているふうに見えるのだ。  もちろん、ニュースサイトにおいては、そうした文章も必要だと思うし、私も毎日楽しく読んでいる。けれども、ニュースサイトは雑誌のようなものである。かわいい女のコのお色気記事が載ってるかと思えば、さまざまな分野のニュースを知らせるトピックス。そして、腰を据えてからページを開きたくなる、読み物系の記事。それらが、相互に作用して総体としての面白さをつくっている。だから、なぜ「長い」という前に「これは、じっくりと読むもの」ということに考えが及ばないのであろうか。  そうした、書き手側の意識こそが、今さら神社本庁を攻撃する人を生み出す土壌となっているのではないかと思う。  けれども、そうした相手に、わざわざTwitterを通して論争を挑む気も起こらない。  というのも、自分もネット媒体での仕事が増えてきた当初は、何かを勘違いしていたと思うからだ。ニュースサイトというものは、目を引く言葉を使って、センセーショナルなことを書くもの。「バズる」「炎上する」の違いはあれど、アクセスが稼げればよいものだと思っていた。  でも、ある時、そうではないことに気づいた。強烈な刺激をいくら与えても、すぐに読者には飽きられる。よくて、バカ者として名前が片隅に記憶される程度。大方の読者には、名前も書いたものも記憶してはもらえない。なので、すべてがそうとはいかないまでも、これはという体験に出会えば、ルポルタージュの形で書かねばならないと思っている。それは、発表の場を与えてくれている本サイトへの感謝でもあるし、共感を得てくれる読者との出会いの機会ともなる。  もう「ネタを探す」とか「記事を書く」というような態度ではダメなのだ。なぜか状況に興味を持ってしまい、それを書かねばならない気持ちになってしまう自分がいる。そうでなければ、読者が時間を費やしたことを後悔しないものは書けない。それに、まず、そんなことになってしまった書き手なのだと提示しないと、覗き見する相手に対しても近寄ることができない。  たかがニュースサイトで何をやってるのかと、笑うならそれでも構わない。自分は、紙でもネットでも、掲げる旗を変える必要があるとは思わない。 (取材・文=昼間たかし)

神社関係者の困惑→沈黙から5カ月あまり……神社擬人化ゲーム『社にほへと』が、ついに開発中止を宣言

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『社にほへと』公式HP
 本日、DMM GAMESがブラウザゲーム『社にほへと』の開発を中止したことを発表した。4月末に不具合を理由に事前登録受付を休止して以来、5カ月あまりを経ての発表である。  同社のお知らせによれば「配信の発表以降、クオリティの向上、不具合の修正のために開発を続けて参りましたが、度重なる検討の結果、正式サービスを行うためのクオリティの確保、並びにお客様への安定的なサービスの提供に支障があると最終的に判断し、開発の中止を決定」したとしている。  ただ、事前登録開始以来、このゲームをめぐっては重大な問題が提起されていた。  現在も信仰されている実在の神社を、相談することなく無断で擬人化に使用していることの是否。その擬人化されたキャラクターのレアリティを「大吉」や「凶」という言葉で表記していることの是否などが、それである。  4月に執筆したルポルタージュで、取材に応じた神社本庁の担当者は「信仰を持つ側としては気分のよいものではありません」という言葉を漏らした。  一方、DMM GAMESは「本ゲームは『神社』をイメージした“フィクション”である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係はございません」とメールで返答するのみで、取材には応じてもらえず、その真意を諮ることはできなかった。  そのルポルタージュが公開されてから間もなく、事前登録受付は中止され、公開されていたPVも削除。ほとんど動くこともなかったTwitterアカウントも、中止の発表と共に削除されるに至った。  この『社にほへと』をはじめ、近年、神社が新しいカルチャーによって注目を集めることていることは、筆者はいくつも取材している。 『社にほへと』についても、単なるゲームそのものの是否ではなく、日本人の生活に根付いた信仰を考える機会として、ルポルタージュを執筆した。  そこでは、困惑する神道関係者の姿だけでなく、読者諸氏が神社について考える機会を提示したつもりだ。以下にその『社にほへと』についてのルポルタージュを再録するので、ぜひとも読んでほしい。 (文=昼間たかし)  * * * 以下、「おたぽる」より転載(初出/2017年4月4日) 神社本庁も「これはちょっと……」と漏らした。「DMM GAMES」新作『社にほへと』から考えるオタクの信仰 『艦隊これくしょん-艦これ-』や『刀剣乱舞-ONLINE-』など数多くのヒット作を世に送り出してきた「DMM GAMES」が新たに発表した『社にほへと』。夏からのリリースを予定して、事前登録が始まっているこのタイトルは、神社を擬人化した「社巫娘」なる美少女キャラクターが登場する。  事前登録をすると、毎日1回おみくじを引くことができ、「伏見稲荷」「鹿島」「春日」などのキャラクターを引き当てることができる。だが、そこには神社や神道への理解、そして畏敬や信仰への畏敬を疑わざるを得ない面が見受けられる。「おみくじ」を引くと、大吉から凶までがキャラクターのレアリティによって分類されている。つまり、特定の神社は大吉、あるいは凶と分類されているようである。  信仰心や日本における神社の存在理由を少しでも知っていれば、ここに超えてはいけない線を越えていることを感じるのではないか。取材に応じてくれた神社本庁の担当者も、おみくじを見て「これはちょっと……」と顔を曇らせる。  また、凶の「おみくじ」を引くと登場するキャラクターに割り当てられた石清水八幡宮に話を聞いたところ「(神社の名前を)使用したい等の連絡は来ておらず、まったくの無断使用」というのである。  ところが、当の「DMM GAMES」にも話を聞いたところ「本ゲームは『神社』をイメージした“フィクション”である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係はございません」という。そして「おみくじ」についても「結果の運勢に『社(やしろ)』がひもづいているものではない」というのである。  これをどういう形で書くべきか? 凡庸なニュースサイトのごとく、センセーショナルな部分のみをクローズアップして記すだけで、終わってはならぬように思った。すると、筆は勝手に走り続けたのである……。  昨年、縁あって御柱を曳く機会を得た。  御柱祭の年、諏訪大社の御柱祭が終わった後の秋、諏訪の神社では地域の人々によって、それぞれ御柱祭が催される。地域の人々によって山から切り出された御柱は、地域中で曳かれ、境内に建てられるのだ。  そうした神社のひとつに、岡谷市の洩矢神社がある。数年前の夏に偶然、私は神社を訪れて驚いた。普段は人もいない神社に設置された絵馬掛には、いくつものキャラクターを描いた絵馬が設置されていたのである。  そう、この神社はゲームに『東方Project』シリーズのキャラクター・洩矢諏訪子にゆかりのある神社だとされ、多くのファンが訪れるところになっていたのである。  いったいどのようなファンが集まっているのだろうか? たまたまTwitterで見つけた地元の人に聞いたところ、大みそかの夜には、地元の人々によって絵馬や熊手などの頒布も行われるという。ならば、ファンも集っているのだろう。早速、現地へ行ってみることにした。  2014年の大みそか。私のほか、わずかな客だけを乗せて走る夜の中央本線各駅停車。  上諏訪まで高速バスで行き、そば千(上諏訪駅近くにあったコンビニと合体した、立ち食い蕎麦屋)で年越し蕎麦を食べた後に向かおう。そんなスケジュールを考えていたのだが、行ってみると店は閉まっていた。年越し蕎麦を食べ損なったガッカリ感にどうしようもない気持ちを抱えたまま岡谷駅を降りると、雪がしんしんと降り積もっていた。  岡谷駅から洩矢神社へは、市街地とは逆方向の道を進むことになる。誰も歩いていない道の雪は、ただただ深かった。  そんな道を20分あまり。うっそうとした森に包まれた洩矢神社は雪化粧を施されて、夏に訪れたときとはまったく違う風景を見せていた。石段の道には提灯が並び、新年への期待と厳粛な空気とが混じり合い、幻想的な雰囲気に包まれていた。  石段を昇ると、普段は閉ざされている社殿の扉は開かれ、その横に設置されたテントでは、地元の人たちによって熊手と破魔矢の頒布も行われていた。そして私の姿を見ると、待ってましたとばかりに樽酒を紙コップに注いで勧めるのである。まったくの下戸である私だが、ひとまずは口をつける。ところが、まったく酔わない。それほどあたりは寒いということに気づいた。  頒布されている熊手や破魔矢を見る。驚いた。破魔矢には300円と書かれていた。おみくじは100円。前に訪れたときには、絵馬掛けの横に積まれ100円を賽銭箱に入れるように案内されていた絵馬は、無料で頒布されていた。安さには驚くが、決して値段の高い低いの問題ではない。本来は、地元の人のために頒布するものだからの値段なのである。儲けなど関係なく、神社への崇敬の念で、このような値段になっているのだろう。だからといって、ふと訪れただけの私にも、分け隔てなく頒布してくれた。ただそれだけのことなのだが、そこに何か神社の温かさというものを感じた。  さて、境内を見渡すと地元の人にまじって「東方民」は10人あまりだったろうか。それぞれ、ファン同士で交流したり、地元の人と会話を交わしていた。  そんな風景を眺めているうちに、年が変わると打ち上げ花火が上がった。それが合図だったのか、地元の人々がどっと神社に押し寄せてきた。それぞれ新年の挨拶をして、縁起物を手に戻っていく。それが、この地域での大みそかから新年にかけての過ごし方のようだった。  そんな混雑も30分あまり。すぐに境内には静寂が戻る。さて、これからどうしようかと考えた。東京のような異常な大都会とは異なり、新年を迎える夜に営業している店など、ほぼあり得ない。いまだに十代のときと変わらず野宿を楽しんでいる身ゆえ、駅のあたりで始発まで寝ようかと考えていた。あるいは、諏訪湖をほとりを歩いて下社への参拝くらいならできるだろう、と。  そんな時「東方民」の一人に、声をかけられた。 「一緒に、回りませんか?」  長野県在住の男性であった。彼は「せっかく来てくれたんだから」と、車で上下の四社、さらに御頭御社宮司総社と手長神社まで案内してくれた。道中、彼は仕事の合間にさまざまな神社を参拝していることを聞いた。ゲームをきっかけに、神社への関心を高める人も増えているのだろうか? そんなことを考えた。  神社に限らず、マンガやゲームがきっかけに違う何かが芽生える人々の姿は、それまでも見ていた。岡谷からさらに先、飯田線の沿線にある伊那市や飯島町が、そうだ。そこは、『究極超人あ~る』の「聖地」として知られる土地である。ここで2012年に飯田線開業100周年を記念した行事の一環として、作品のアニメ版で描かれた飯田線田切駅から伊那市駅までを自転車で走るイベントが開催された。参加者は申込みの上で、自転車を持参して田切駅に集合。そんなハードルの高い催しにもかかわらず、見物も含めて集まったのは100人あまり。以来、このイベントは毎年の恒例行事となった。  詳しくは別に書こうと思っているが、そこでは、マンガやアニメを軸にした「聖地巡礼」や地域起こしとは違うことが起こっているのを感じる。今でも参加者の紐帯が作品であることには変わりはない。でも、参加者の多くが、作品をきっかけにして地域の魅力を知り、何もないときにでも、ふらりと街を訪れるようになった。私も、その一人である。東京で、事務所の傍にあるコンビニの「ローソン」が、伊那名物の「ローメン」に見えてしまうほどである。「いつかは、このあたりに住もうか」そんなことを、考えている人も増えている。  だから、ゲームをきっかけに神社を訪れてその魅力を知り、信仰心や知的欲求を高める人もいるのは当然だと思った。何しろ洩矢神社は、ただ単にゲームのモデルとされた神社などという軽々しいものではない。諏訪の伝承では、そこに祀られるのは諏訪の土着神であり、ミシャクジ様とも同一視される洩矢神。その土地に、国譲りの際に、天津神に抗した建御名方神が出雲を追われ、この地へとやってきた。ここで出会った二柱の神は争った後に和解した。そして、建御名方神は祭神となり、洩矢神の子孫は明治まで、諏訪神社上社の神長官となった。その神の子孫である守矢家は今も続き、その自宅がある茅野市の神長官守矢史料館には、歴史と現在も続く信仰を伝える資料が展示されている。  諏訪の歴史や信仰は、それだけで何冊も本が書けるほどなので簡潔に記したが、自ずと畏敬の念の湧き上がるものだと思う。  前述の大みそかの参拝の際には言葉を交わす機会を逸したのだが、しばらく後にネット経由でT氏と知り合った。初めて出会ったのは、その年の秋の例大祭を訪問したときであった。ゲームのファンだと思っていたT氏は、法被を着て地元の人と一緒に働いていた。なぜ、そこまで地元になじんでいるのだろうかと驚いた。聞けば、ゲームのモデルが洩矢神社だとファンの間でささやかれ始めた頃に、彼は一人でこの神社を訪れたという。やはり、行事のないときの神社には人もおらず、当時は絵馬もなかったという。そこで見つけたのは、神社の案内板に記された例大祭の日時であった。何も情報がないまま、T氏は例大祭の日に神社を再訪した。その日はちょうど大雨の日だったという。神事を行っていた地元の人たちは、誰ともわからぬT氏を雨に濡れないところに案内してくれたのだ。それから、数年。埼玉県から通っているT氏は、すっかり地元になじんでいる。 「大社にお詣りするよりも、こちらにお詣りする機会のほうが増えましたね」  そして、諏訪の地域の信仰の魅力を語るのだ。変わらずゲームも愛好している。けれども、もはや東方ファンというよりは、洩矢神社のファン、信仰者というのが、彼の偽らざる姿である。  だが、人が増えれば必ずしもすべてが明るい方向にはいかない。昨年、大社の御柱祭が終わった頃から、T氏と幾度も話をしていたのは、洩矢神社の御柱祭のことである。私は、ぜひこの祭りに参加をしてみたいと思っていた。けれども、単なる「にわか」が「祭りがあると聞いて来ました」と参加してよいものだろうかと、畏れがあったのである。  というのも、人気のゲームの「聖地」として注目を集めることに対する地域の人々の想いには、複雑なものを感じていた。例大祭や、大みそかに参拝したときには、分け隔てなく歓迎してくれる。洩矢神社を管理している地元の自治会の神社委員の人たちは、各地から参拝に来てくれる人のために、絵馬だけでなく御守りまで作るようになった。それは「聖地巡礼」でありがちな、作品の舞台になり人が集まるようになったので、ここらで一儲けしよう、地域を活性化させよう、なとどいうものではない。あくまで、遠くから神社に参拝に訪れる人がいることの喜びから始まった自発的な活動だ。  つまり、主体は神社であり、ゲームは従にすぎない。その親切心にあぐらをかいてはならないと思っていた。そもそもゲームのモデル、すなわち創作の材料とされ、制作者の創造力の趣くままに使われていることが、単純に喜ばれているとは思えなかった。  前述の守矢家の現在の当主は、第78代の守矢早苗氏である。サイト「ニコニコ大百科」などでは、『東方Project』中に登場するキャラクター・東風谷早苗の「元ネタ」は、この人だと書かれている。さらに、制作者自らゲームに出す許可を取りに行ったと記しているサイトもある。自身がキャラクターとされていることや、ゲームのファンが訪れていることをどう思っているのか。自ずとそんな疑問が沸いた。 「お会いする機会があれば、来てみたい」と言ったところ、T氏には止められた。さらに、本人とも交流のある地元の郷土史研究団体の人は「それはやめておいたほうがいい」と、苦い顔をする。何かしらの形で許可は出したようだが、必ずしもゲームによい印象を抱いているわけではないことは、容易に感じ取れた。  ここは神社であって、作品の聖地でも観光地でもない。だから、洩矢神社の御柱祭も人が来るのは歓迎するけれども、大っぴらに宣伝するようなものではないというのが、地元の人々の考えのようだった。  それでも、Twitterなどに流れた洩矢神社に掲示されている神事の日程表などを見て、里曳きには十数人の「東方民」の姿があった。そこで、私はもしも公式サイトなどを立ち上げて、大々的に宣伝すれば、予想だにしない事態が起こるであろうことの片鱗を見てしまった。  今回の御柱祭は9月に山出しを終えたあと、10月9日に里曳き。そして、翌日に建御柱というスケジュールだった。てっきり、曳いているフリだけしておけばよいのかと思っていら、甘かった。柱も太いが人数も多い大社とは、まったく違った。地元の人たちを中心に、かなり必死に曳かねばならない、けっこうな重労働であった。御柱の進む先では、沿道の住民が振る舞いを用意して待ってくれているが、なかなかそこまでは進まない。一度神社に集まってから、御柱まで向かうときは「案外、短い距離だな」と思った。でも、まったくそんなことはなかった。加えて、坂もあり道は曲がっているために、なかなか先が見えない。  日頃の運動不足を恨みつつ、曳きながら、こんなことを考えた。このような大変な行事を、地元の人たちは7年に一度行っている。それは、なぜだろうか。単に伝統だからとか、そんな単純なことでできるものではない。観光客が来て儲かるわけでもない。金融資本主義にまみれたアメリカ風のドライな見方をすれば、なんら個人が利益を得る行事ではないのだ。にもかかわらず、地元の人が集い絶えることなく神事が続いている。それは、神社が単に人が拝み、神様が何がしかの御利益をくれるギブアンドテイクの関係の場所ではない存在であることを、教えてくれた。  その里曳きで、S氏と知り合った。Facebookで私が来ていることを見つけた伊那の友人が「その地区にSさんという、諏訪信仰に詳しい方がいるので探しなさい」と連絡をしてきた。T氏に「Sさんって、どの人?」と聞いたら、目の前にいた。  地域の信仰や歴史について、さまざま話をして、翌日の建御柱に守矢早苗氏が来てくれるという話になった。ご挨拶することはできないかと尋ねると、S氏はタイミングを見てつないでくれることを約束してくれた。  翌日、小雨の中で建御柱の神事は、始まった。先を切って尖らせて、木遣り唄の中を慎重に建てていく。その最中に、早苗氏に挨拶をする機会を得た。長く教師をしていたという早苗氏は、まったく気取るところもない親しみやすさのある女性であった。しかし、同時に本人や周囲の人々の立ち振る舞いからは、そこにある連綿と続いてきた信仰と歴史とが一人の人間を通じて、止めどもなく溢れているように感じた。神々しさなどとはまた違う、言葉では表現できないもの。遠い祖先から続く人間の営み。その積み重ねが、一人の女性を通じて現れ出ているのだ。そこに、畏敬があるのは当然であった。  けれども、集っている中には、別のものが見えている人もいた。前日から、初めてやって来たことに興奮気味だったゲームファンの若者が、早苗氏にノートを取り出してサインを求め、周囲の人に止められていた。それはまだ、気持ちがわからなくもない。若さゆえの過ちかもしれないからだ。  でも、もうひとつ、見たくはなかったものを見てしまった。御柱の先を尖らせるときにできた木片に、サインを求める人物もいたのである。この人物は、岡谷市内の別の地区の住人だと聞いていた。曲がりなりにも、地域に住みながら、どうしてそのような行為ができるのか不可解であった。  後日、この人物が「自分は、天照大神と話ができる」などと喧伝して、さまざまな神様を込めた勾玉を販売したりしていることを知った。さらに、この人物が長野県白馬村にある、やはり『東方Project』の「聖地」だと目されている城嶺神社が地震で倒壊したために再建の事業を手伝っていると聞いた。何か違和感を覚えて本人のFacebookを見てみると、勾玉を販売したりする傍らで、仮想通貨・ビットコインの勉強会を開催したり、情報商材を販売していることもわかった。それは、ゲームファンに注目されている神社に関わることに、ビジネスチャンスを見いだしているように見えた。  そこで、本人に尋ねてみたところ「私は手助けしたい一心で動いている」と言い張り、筆者の取材を再建の妨害とまで、非難してきたのだった。この件は、昨年別に記事にしたが(http://otapol.jp/2016/12/post-8967.html)、この人物によって作成された「洩矢神社公式ホームページ」は、この事件の後に、地域の神社委員の管理へと移行している。それでも、この人物はいまだに神社や神様をビジネスの場にしようとうごめいていると聞いている。近年、新聞やテレビでも当たり前のように報じられるマンガやアニメ発の「聖地巡礼」。その光と影の両方を、洩矢神社にはあった。  これまで、いくつもの「聖地巡礼」を体験し取材してきた。それは、必ずしも歓迎されるものではなかった。時として、地域の生活に負の要素をもたらす。人が増えれば、必ずしもよい人ばかりはやってこない。むしろ、迷惑な人や怪しげなビジネスを企画する人は、ここぞとばかりに寄ってくる。  神社は、そうした人々が土足で踏み入ってよい場所であるはずがない。  実のところ『社にほへと』は、さまざまな問題のほんの一部にすぎない。神社がマンガやアニメの舞台となり「聖地巡礼」する人々が集まっている。あるいは、神社の中にも、作品とのコラボをしてマンガやアニメのファンに盛んにアピールをしているところもある。こうした話題のネガティブな面が報じられることは、極めて少ない。いわゆるオタク系メディアの書き手は、そうしたネガティブな面を、私よりも知っているはずだ。けれども、そうした人々の多くは「御用」であることを相争い、目を背ける。  だからこそ、あらためて神社の存在理由や、神道というものについて、詳しく知りたい、ひとつの文章にまとめなくては、と思った。  そこで、神社本庁にアポイントメントを取った。神社本庁は、日本でもっとも多くの神社が加盟する宗教法人として知られている。ただ、キリスト教における教皇庁のような教義やら何やらを隅々まで指導する総本山ではない。あくまでも、全国の多くの神社が相互に協力し連絡しあうための組織といえる。  ただ、そうした役割は必ずしも正しく理解されてるとは言い難いと思う。やはり、総本山的な理解をしている人は多いし、昨今、左翼的な思想の人は政権批判と絡めて、その存在までをも批判する。これまた、神道への無理解や信仰というものが失われていっていることを示す、一つの事象であろう。  ただ、そのような状況だから、少し敷居の高さを感じたのも事実である。話の入口はゲームの話である。ともすれば「ゲームなんかの話で」と、断られるのではないかとか、どこから説明すればよいのか、考えながら電話した。  でも、それは杞憂であった。こちらの取材の趣旨を告げ、『社にほへと』の件に触れると「そういうのもあるみたいですね」と、すでに知っていたのである。  電話で応対してくれた神社本庁広報国際課課長の岩橋克二氏は、すぐ翌日に会ってくれた。  冒頭、和歌山県出身という岩橋氏は「関西弁でもいいですか?」と断った。その言葉や立ち振る舞いには、神職らしい「来る者は拒まず」の姿勢を感じ取れた。取材の中でも決して難しい言葉などを用いることがなかったのも、人柄を示すものだろうと思う。  そうして始まった取材。最初は、やはり発表になったばかりのゲームの情報まで知っていることに驚いた私の感想から始まった。聞けば『ポケモンGO』をはじめ、神社に何かしら関連があったり、影響が懸念されるコンテンツには、常にアンテナを張っているのだという。だから『社にほへと』も知ってはいた。ただ、実際に事前登録をして「おみくじ」を引いたりはしていなかった。  現在公開されている『社にほへと』では、「事前登録」のボタンを押すと、ページが遷移する。そこでは「おみくじ一覧」として、神社の名前を持つ美少女キャラクターを見ることができる。そして、Twitterで『社にほへと』のアカウント(@yashiro_staff)をフォローすれば、毎日1回「おみくじ」を引くことができるという仕組みだ。  私の持参したノートパソコンで「おみくじ一覧」を見てもらったとき、岩橋氏の顔が少し曇った。その「おみくじ一覧」には、キャラクターのレアリティ(希少度によるキャラクターのランク付け)によって大吉から小吉までが割り当てられているようであった。このレアリティが、どのように設定されているのかはわからない。ただ、ある神社は大吉、あるいは小吉とカテゴライズされているようだった(ゲームが稼働前のため、詳細なレアリティの設定などは不明)。 「これはちょっと……」  そう言葉を漏らし、少し間をおいてから、岩橋氏は続けた。 「ここまでは見ていませんでした。信仰を持つ側としては気分のよいものではありません。いったい、なんの根拠があってやっているのでしょうか……」  岩橋氏は決して、偏狭な考えから話しているのではない。あくまで、しごく真っ当な懸念であった。 「気になるのは、お宮自身が承諾をしているかどうかです。これが、ご祭神名であれば、逃げられるんですが……春日大社があるのに、鹿島神社もありますよね」  春日大社と鹿島神社は、同じ建御雷之男神を祭神とする神社である。神社を「擬人化」というのが『社にほへと』のコンセプトのようではあるが、開発段階で祭神を同じくする神社が重なっている。そこに、神道への理解の浅さを感じているようであった。  とりわけ、私も驚いた「おみくじ」の部分には、それを感じているようだった。大吉を引くと登場するキャラクターは、それを喜ぶ。かと思えば中吉のキャラクターは「せいぜい、中途半端な一日を過ごすとよい」と言うのだ。 「おみくじは、明確な定義のあるものではありません。大吉中吉小吉とあり、よく幸運の度合いを示すと理解している人もいらっしゃいますが、それはあくまでも現状のことであって、例えば凶が出たからといって、お先真っ暗なわけではありません。大吉を引いたからといって、人生遊んで暮らせるわけではありません。今はいいけど、気を抜かないでねという意味合いのもの。内容を見て、努力して改善していけばやがてよくなるというものです。ですから、ここにはやはり意味の取り違え、単純に格付けとして理解している感がありますね」  日本の神社には、熊野や八幡、諏訪などさまざまな「系列」は存在する。また、神社の社格というものあるが、これは、いわば朝廷や政府が管掌する上での分類。どこそこの神社は、○○神を祀っているから強いとか、御利益はほかの神社の三倍などということはない。だから、日本の神様はランク付けができるような存在ではないはずだ。 「確かに天照大神が一番貴い神様とはいわれますが、その一方で、天照大神のお一方ではできないこともあります。日本の神様は人間と同じく得手不得手もあるのです。たとえば、オモイカネ(思金神・常世思金神)という世の中のすべてを知っている神様もいらっしゃいますが、オモイカネは自分自身では動くことはできないのです。なので、神様同士で力を合わせて世の中をよくしていくというのが、日本の神様なんです。モチーフとしてこういうところに使うという気持ちはわかりますが、なぜ神様じゃなくて神社なんだという疑問はありますね」  ならば、こうしたゲームが登場したことによって、どのようなことが懸念されるのだろうか? 「神社とか日本の神様に対して、意識の薄い人たちが純粋にゲームとして楽しむかもしれません。怖いのは、そういう方たちが『舞台だから、登場人物だから』というだけで神社に行ったときに、ほかの参拝の方がいらっしゃる中で、不敬な行為を行うことです。神社側としては『節度を保ってください』とは言うのでしょうけど、ほかの参拝の方の気分を害しないのか、と」  マンガやアニメなどの作品により深く寄り添いたいと「聖地」を訪れるファン。彼らは作品の舞台を訪れたことに喜びを感じているかもしれない。けれども、その「聖地」が神社だったとき、彼らは神社をどのようなところとして捉えているのか。岩橋氏はそこに、いささかの疑問を感じているようだった。 「埼玉県の鷲宮神社が『らき☆すた』で注目を集めてから以降も、神社が舞台になることはよくあります。最近では『君の名は。』も、そうですよね。でも、訪問される皆さんが、そこを神社として認識しているのか、あるいは、単にアニメの舞台だから行っているだけなのか、そこはこちらとしては疑問です。もちろん、神様も人が来てにぎやかになることは好きですし、歓迎なんです。けれども、そこがお宮であること、そこには神様がいらっしゃるということをまったく埒外にして、記念写真だけ撮って帰るとかになるはどうでしょうか」  意味を取り違えたまま、神社を訪問してしまう。それは「聖地巡礼」に限った現象ではない。もはや、定着した感のある「パワースポット」でも、似たような問題は起こっている。神社本庁に隣接する明治神宮では、一時期境内にある「清正の井戸」が「パワースポット」であるとして、整理券も出すほどのブームになったことがある。けれども「清正の井戸」を写真に収めた後、お詣りもせずに帰る人もいたというのだ。 「やはり、清正の井戸が明治神宮の境内にある意味を考えていただきたい。もちろん、深く知る必要があるとは思いませんが、日本の神様というのは、より人間の近いところにいる存在です。よその家にお邪魔したときに、庭だけウロウロして挨拶もしないで帰るのと一緒になってしまいます」  だからといって「聖地巡礼」や「パワースポット」が、すべて神社にとっていらないもので、お断りというわけではない。むしろ、最近では『ポケモンGO』でもなんでも、せっかく来てくれるのであれば積極的に働きかけていこうとする気運も神社側にはあるという。 「気づきがある人が3割いればありがたい、と思っています。お越しいただいた中の3割にすぎなくても、その方たちが周りに広げてくれると思っていますから」  最近では、神社がアニメとコラボしてキャラクターの描かれた絵馬や御朱印帳などの頒布を始めたりもしている。岩橋氏は、それを真っ向から否定したりはしない。 「時代を捉えているとは思います。定期的にお宮に来ていただく手段としては、あり得ると思います」  一方でやりすぎのある神社があれば、神社本庁として指導していかなくてはならないともいう。ただ、テクノロジーがどんどん発展し、新たなビジネスのあふれる現代において、何をどのように指導していくかも難しい。例えば、すでにどこそこの神社で祈願しており、こういう御利益があるなどとうたった「祈願済み」の商品。これは、あってはならないものと即答する。 「神社というのは、そこに行って、神様に直接お願いすることに意味があるものです。なんとかご祈祷済みとか、ご祈願済みとか、こういう御利益がある商品というのは、つまり神様の名前を使った商売になってしまう。“神社も商売”と言われるとそこまでなんですけど。やはり、お宮の中で起こっていることと、外で行われていることは違うと思うんです」  一方で、意外だったのはインターネット参拝に対する意見だ。2000年代半ばに登場したこれは、多くの神社がサイトに設置したが、神社本庁は06年に「信仰の根幹に関わる問題だから、もう一度考えていただきたい」と注意喚起を出している。 「あれは、判断が難しいことでした。というのも、神社の信仰の中に遙拝(ようはい)というものがあります。例えば、式典では国旗を通じて伊勢神宮を遙拝することがあります。それが、バーチャル参拝とどう違うのかといわれることもあるんです。たぶん、その作法が長く定着しているので、受け入れられているのだと思うのです。伝統的なものとテクノロジーの発展というのは、かみ合うようになるまで時間がかかると思います。お賽銭に電子マネーが使える神社も議論を呼びましたが、お賽銭というのも貨幣経済が発達してから登場したものです。私自身も抵抗はあるけど、100年後にはインターネット参拝は、当たり前になっているかもしれません」 「聖地巡礼」も、インターネットが発達したことによって流行しているという一面がある。もはや、どんな作品であっても「モデルはここではないか」という情報が流れ、訪問記も当たり前のように見ることができるからだ。だから、ビジネスのチャンスと考えるのを止めることはできない。でも、欲にまみれて、やりすぎたりしていれば神様はちゃんと見ていることを、岩橋氏は語る。 「そこに力を入れすぎると、神様が軌道修正をします。急にブームがぴたっと終わってしまうでしょう。ですから、神主としては、欲に走ることなく、あくまで神社なんだということを常に忘れずにやっています」  だから「聖地巡礼」や「パワースポット」で神社に関心を持った人には、むしろ地域の氏神にも参ってほしいという。 「日本全国どこでも、どこかの氏子地域なわけですよね。いつも面倒をみてくれている神様がいるわけですから、そこにご挨拶に行かずに有名な神様のところに行っているのは、いけないと思うんですよね。私が父から言われたことですが、神様は頼むものではなく讃えるもの。大事にするから、おかげがいただける。お願いするのは、自分が十分やってから後の話なんです」。  やはり、神社とは歴史に裏打ちされた、数多の人間の想いによって成り立っているもの。それがゲームのキャラクター、それも、それぞれが1枚のカードのようなものにされてしまうことには、違和感を拭えなかった。 「自分の信仰が」だからではない。日本の歴史が2677年、そして神や人間の営みは、それ以前から存在する。それを、わずか数十年に満たない期間の間で勃興した「オタク文化」の中でもてあそんでよいとは思えないのだ。近年、マンガやアニメは、日本の中心的な産業のごとく位置付けられ、政府や行政機関までもが利用するものとなった。確かに今、この瞬間は価値と力を持つ文化なのかもしれない。だからといって、祖先から受け継いだ神社や神様を、簡単にもてあそんでよいものだろうか? でも、それは判断が難しい。100年後には完全なメインカルチャーとなっていているかもしれない。現在、神様の肖像として紹介される画像が浮世絵や日本画であるように、未来では神社に祀られている神様はすべてアニメキャラクターになっているかもしれない。  でも、今はどうなのだろうか?  神社本庁への取材の後、編集部と相談して神社にも取材をすることにした。電話で話を聞いたのは「凶」に割り当てられている石清水八幡宮である。対応してくれた担当者は、電話口の向こうで驚いているようであった。 「私が広報なんですが、こうした連絡はありません。無断使用です」  数日後、あらためて電話をくれた担当者は「ほかのお社さんとも話をして」しばらくは様子を見ることになったと教えてくれた。当初は、すぐにでも削除を要請することも考えていたようだが、まだリリース前でもあり、ゲーム自体がヒットするかどうかもわからないため、事態の推移を見守るという方針に落ち着いたようだ。一方で、正直な気持ちも伝えてくれた。 「あまり気持ちのいいものではないですね」  担当者は、キャラクターの名前を「石清水八幡宮」ではなく「石清水八幡」と、一文字だけ削ることで神社と無関係に見せる意図を感じ取っていた。それは、無断使用される以上に不快なものだったのだろう。  この取材と同時に、DMMにも取材を申し込んでいた。質問事項として送ったのは、次の2点である。 1.このタイトルでは神社の擬人化が行われておりますが、これは該当する神社には許諾あるいは、なんらかの事前折衝を行っていらっしゃいますでしょうか? 2.当方でも事前登録をさせて頂きましたが、キャラのレアリティに応じて大吉~凶に振り分けがなされております。これは特定の神社が、凶になってしまうことであり、当該の神社はよい気持ちを得るとは思えないのですが、いかがでしょうか?  願わくば、ぜひ会ってゲームの意図を聞きたいと思ってた。なぜなら、決して制作側も神道を貶めることを目的として開発している淫祠邪教の徒ではないはず。多くの人々に喜んでもらいたいと思って、ゲームを開発しているはずである。イラストレーターはキャラクターに愛情を込めて執筆しているはずだし、声優もそうであるはずだと思ったからだ。  しかし、願いは叶わず、メールで次の回答が返ってきた。 1.「社(やしろ)」の擬人化について  本ゲームは「神社」をイメージした「フィクション」である内容のため、実際に実在する人物・建物・団体とは一切関係はございません。また、実在する地域や神社等の関係性につきましても、一切関係がございません。 2.事前登録おみくじについて  事前登録おみくじは、結果の運勢に「社(やしろ)」が紐づいているものではなく、結果の運勢についてキャラクターが説明しているものになります。  あらためて、ネットでこのゲームを事前登録し「おみくじ」を引いている人たちが、どのような感想を得ているのか検索して見た。自分の縁のある神社の登場を期待する人。手に入れたキャラクターを喜ぶ人も多いが、やはりゲームとしてキャラクターの強弱やレアリティを気にしている人の存在も否めなかった。  これは、なんなのだろうか。  強弱どころか、多くのキャラクターがそうであるように、二次創作の形でエロを期待している人を見つけたときには、言葉にならない根源的な恐ろしさを感じた。  でも、それを真っ向から批判しても、なんら解決にならない。西洋的な異端や邪教を狩る行為は、日本には似合わない。誤りに気づき、感じさせるのこそが日本的な精神の根本であろう。だから今は、この推移を見守るしかないと思うのだ。  そう考えながら、しばらく氏神様にご無沙汰してしまったのを思い出して、参拝に向かった。  参拝の後、春の祭りの準備が進む境内を散策し、おみくじを引くと大吉が出た。けれども、決して思いのまま万事がうまくいくようなことは書かれていなかった。  あらためて神道の意味を感じた。 (文=ルポライター/昼間たかし http://t-hiruma.jp/

『龍が如く6 命の詩。』最新情報が発表! ビートたけし、藤原竜也、真木よう子、小栗旬ら豪華キャストが出演

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撮影:山本宏樹/deltaphoto
 毎回豪華キャストの出演が話題を呼ぶ人気アクションアドベンチャーゲーム最新作『龍が如く6 命の詩。』(PS4専用ソフト)の記者発表会が秋葉原UDX THEATERで行われ、先行公開されていたビートたけしの出演に加え、宮迫博之、藤原竜也、真木よう子、大森南朋、小栗旬ら豪華キャスト陣の出演が発表された。発売日は12月8日。巨大歓楽街を舞台に金、女、暴力、欲望の渦に翻弄されながらも生き抜く男たちの姿を描いた本シリーズで、桐生一馬を主人公にした物語の“最終章”が展開されるという。  総合監督の名越稔洋は「今回は血のつながりや人間関係を考えて『命の詩。』というタイトルにしました」とサブタイトルを説明。物語の舞台はおなじみの東京・神室町と、新たに広島・尾道仁涯町が加わった。広島を舞台に選んだ理由については「都会と反対のコントラストを見せたかったので田舎町を選んだ。いろんな田舎がある中で広島は、戦争という暗い過去の歴史の中で這い上がってきたようなバックボーンのある街。ドラマを作る上ではいろんなものを生み出しやすい環境だし、ポテンシャル自体を土地自体が持っている場所だから」と紹介。  キャストについてはたけしが広島のヤクザ、広瀬一家の総長・広瀬徹役を演じ、宮迫はその広瀬一家の若頭・南雲剛役。藤原も若衆・宇佐美勇太役で出演する。たけしの役所については「極道なんだけどユーモアもあり、人間的な魅力を持ち、そして物語の中のキーマンとなる役」だといい、共に本シリーズ2度目の出演となる宮迫、藤原についてはそれぞれ味のある田舎ヤクザ役を熱演。名越も「抜群に演技がうまい」と太鼓判を押した。
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 真木は地元・広島の街でマドンナ的存在のスナック清美のママ・笠原清美役。大森は実業家でありながらもいろいろな企みを持つ、造船会社巌見造船の社長・巌見恒雄役。小栗は新興勢力、染谷一家の総長・染谷巧役で出演する。  豪華キャストの登用は「シリーズのブランド力が上がっている証拠」と名越。「シリーズ最初の頃は(有名な俳優に)オファーをかけてもなかなかOKをもらえなかった。今回は逆オファーを頂いた人もいて、11年かけてここまできたんだなと思います」とにっこり。「前作より確実な進化を遂げていると思います。作品の中身は原段階ではまだサプライズも残っております。その続報を楽しみにお待ちください」と胸を張って最新作をアピールしていた。
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●龍が如く6 命の詩。 http://ryu-ga-gotoku.com/six/

まずマリオを出せ!? 任天堂・スマホ事業の動きにガッカリ多数も、「マリオカート」と「ポケモン」が……

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任天堂公式サイト
 日本ゲーム業界の「ガリバー」である任天堂が、インターネット企業であるDeNAと業務・資本提携を発表してから、はや半年以上が過ぎている。10月末には任天堂が年内リリースを予定していた初のスマートデバイス向けアプリ『Miitomo(ミートモ)』の発表を来年に延期したと発表し、株価が一時急落していたが……。  そもそもこの『Miitomo』は、社長の君島達己氏がいうには「ネタふりコミュニケーション」だそう。友だちの知らなかった意外な一面や、思いがけない共通点を発見できるアプリということだが、ネット上や期待していたファンの間では「マリオじゃないのか」「ゲームなのかこれは」「アメーバピグの真似事」など散々な意見ばかりが目立つ。リリース延期と合わせ、多くの人が失望を感じたということだろう。  『スーパーマリオブラザーズ』や『ゼルダの伝説』などのような、任天堂が誇るゲーム界の「最強コンテンツ」に多くの人が期待するのは当然のこと。任天堂の動きを“温存”と見る向きもあるが、不満が出るのも仕方なしか。 「『マリオ』がどうというより、ゲーム会社として『Miitomo』のようなコミュニケーションツールよりではなく、純粋なゲームを出すべきだったとは思いますね。『マリオカート』などヒット間違いなしのコンテンツがあるのに出さないのは、自社製品である『NX』『Wii U』などハード機の売上への影響を懸念して、出せないのか……何にせよ、釈然としませんね」(ゲーム記者)  そもそも、任天堂はゲーム機とそれに付随するゲームソフトで確固たる地位を築いた企業だが、端的にいえばそれは開発してリリースしたらそれで“終了”ということ。一方、DeNAの主戦場であるスマホゲームは、課金率や売上に応じてスピーディに改良を重ねる必要があるという点で大きく異なる。任天堂としても今はスマホゲーム市場の“常識”をインプットしているころなのかもしれないが、一朝一夕で体制を整えることは難しいに違いない。 「DeNAとしては任天堂の、それこそマリオやゼルダなど圧倒的な知的財産を利用するという点で大きなメリットがあります。最低でも数本、任天堂がこれまで出したゲームのスマホ版をリリースさせることは間違いないでしょうね。ある程度のヒットは問題なく見込めますから」 スマホゲームの帝王である『パズドラ』のガンホーや『モンスターストライク』でV字回復を果たしたmixiも、任天堂という究極のネームバリューは当然無視できないはずだ。  ただ、どうもスマホゲームに挑戦する任天堂の姿からは、不安が消えない。  来年、株式会社ポケモンよりリリースされる、現実の街を舞台に歩き回って「ポケモン」をプレーできる、スマートフォン向けゲーム「ポケモンGO」にも任天堂が開発に参加しているが、腕時計サイズの端末を開発して「歩きスマホ」防止をアピールしているものの、それだけでトラブルを軽減できるのかと疑問の声も多い。さらに、『ニンテンドーDS』や『Wii』を生み出した天才・岩田聡社長が今年3月に没し、その後継となった三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)出身であり、ゲーム業界としては“門外漢”の現・君島社長の手腕にも、心配な声が多いのが現状だ。  過去のヒット作を流用するだけでも、一定の結果を出せるのが想像に容易い任天堂のスマホゲーム。どうせなら、「これぞ任天堂」というゲームを開発して、DeNAとともに業界をひっくり返すところが見たい。

ヒロイン全員S女! 体験入部イベントまで開催したすげえエロゲー『サド★部 ~S女に虐めヌかれ部~』

R0036437.jpg  気がついたら人生の半分以上をエロゲーをやって生きてきた筆者。いやいや、不惑が近づこうともエロゲーはやめられませんよ。きっと、棺桶に入るまでエロゲーをプレイし続けるんじゃないかな……きっと、同じ思いの人は多いだろう。  エロゲーに何を求めるか、目的はさまざまあるだろうけど、筆者は「作者は何を考えているんだ」あるいは「制作した会社は、いったいどこへ行こうとしているのか」というマジ○チな雰囲気である。けなしているのではない、褒めているのだ。なぜか、エロゲーはエロマンガに比べて異端なもの、マニアックな内容に出会う機会が多い。どのようなユーザーを想定するかといったビジネス面はよそにして、我が道を行くエロゲーは、やっぱり面白い。そりゃそうだろう。なにせ、エロゲーは一人じゃつくれないわけで、複数の人間のリビドーの集合体なのだから。  そして、凡百な「萌え」よりも、我が道を行く会社のほうが知名度はアップするし、固定客を得られると思う。だからこそ、筆者は常にキャラの立ったエロゲーを探し求めているのだ。  そんな中、今年もとんでもないタイトルの作品を発見してしまった。その名も『サド★部 ~S女に虐めヌかれ部~』。タイトルからおのずとわかるように、登場するヒロインは全員S女である。なんとも、ニッチな層を狙ったタイトルであろうか! 世の中、エロマンガもエロゲーも百花繚乱だけど、やっぱりマニアックなプレイは、まだまだ広く受け入れられてはいない。筆者は、エロゲー雑誌でレビューの仕事などもしているのだが、ここ数年は際立った変態ゲー担当である。担当編集いわく「凌辱系とか嫌がるライターさんが多いんですよね……」だって。変態の間口は広くしておいたほうが、世の中が楽しくなるハズ! でもまあ、ニッチはニッチだよね……。  そんなこの作品、発売を記念して「“初心者(よい子)のためのSM講座”サド★部体験入部会!」なるイベントを開催するという。しかも、協賛はもはや秋葉原の名所と化している大人のデパートm’sである。これは、とてつもなく妙なイベントに違いない! まだ見ぬ変態を見ることができるのではないかと、期待して会場に駆けつけた。
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 このゲームを制作したCLOCKUPは、「実用性」もさることながら「ちょっと、大丈夫か」とワクワクさせてくれるメーカーだ。  筆者の個人的な意見を書き記すなら、2011年に発売された『プリーズ・レ○プ・ミー!』は、スゴかった。いや、タイトルもだけれど、オープニングで流れる主題歌のタイトルが『LOVEレイプ』である。これが、女性ボーカルで、けっこう上手いにも関わらず、歌詞がタイトルに即した内容なんだから……。もちろん、今回の『サド★部 ~S女に虐めヌかれ部~』の主題歌も、やっぱりか! というものである。こんな会社のやるイベントなんだから、期待しない方がオカシイのである(断言)!  さて、イベントはネット配信中のラジオ番組「☆(ド部)ラジ」出張版ということで、CLOCKUPのいけだかなめ。氏と声優ユニットのりん月(東かりん氏・鈴音華月氏)をMCに、『サド★部』出演声優のヒマリ氏をゲストに招いたトーク……と思いきや、ちょっと違った。いや、イベントタイトルに「サド★部体験入部会」と書いてあったんだけど「大人のデパートm’s協賛」と銘打っている通り、トークもそこそこにステージ上のテーブルの上に、次々とSMグッズが並べられるではないか! おまけにスタッフから「登壇される方に顔出しNGの方がいるんですが」と写真撮影の注意があったのだけれど、ステージ上の女性全員が女王様っぽいマスクをしているし……。いや、あのマスクってすごいね、もう装着しているだけで淫靡な香りがするよ。もはや、三次元には興味のないハズだった筆者も、次第に会場を包み込む、なんともいえない淫靡な雰囲気に取り込まれていくではないか!  それをさらに加速させるのは、出演した声優の皆さんが「これ、どう使うんですか?」と、エネマグラを手に取った瞬間である。会場にいた男性の諸君は、経験の有無に限らず、その使い方をネットなどでよ~く知っているハズ、それを、本気で疑問形で話しながら手に取られたらさあ……。  そして、イベントは本気で体験ということで、来場した男性諸君に鞭、ロウソクなどを体験させるターンへと突入。体験したい人は手を挙げてと問われて、大半は手を挙げるではないか! いや、そりゃそうだろう。プレイは素人の女のコにSMして貰えるなんて、まずあり得ない機会じゃないか(違うか?)。  見事に指名されて、登壇した男性諸君は鞭打たれたり、ロウソクを垂らされたりして、ちょっと嬉しそう……。  いや、こんなノリのよいユーザーたちがCLOCKUPのゲームを支えているんだなァと、ちょっと感動した。ちょっとニッチなテイストの作品にもかかわらず、イベントを開催したり広く世間に打って出ようとするCLOCKUPは、もっと評価されてしかるべき。今、エロゲー業界が冬を迎えているといわれる。そうした中で、こうしたタイトルの登場は「エロゲーは作品内容も売り方も禁じ手なし!」という冒険心をくすぐってくれるのではないだろうか。  なお『サド★部 ~S女に虐めヌかれ部~』は、筆者もプレイ中だし、発売から日がたっておらず、あまりネタバレするとマズイので、ちょこっとだけ感想を記して置くと、とにかくヒロインのキャラ立ちがたまらない。ゲームをプレイしてSMに目覚めるか否かは、個人差はあるだろうが(いや、目覚めても困る気が)「ねえよ!」と突っ込みたくなるような強引な展開を交えつつ、グイグイと引きずり込んでくれる……。きっと、このまま一生、エロゲーをヤリ続けるんだろうな、オレ。 (取材・文=昼間たかし)

現役女子大生と「おもいで、つくろ。」パジャマ女子のプライベートを独占せよ!

こんなかわいい女子と思い出つくれるなんて!
 自分が気に入った女子大生の女のコのプライベートを7日間独占できるとしたら、あなたの胸にはどんな“おもいで”が残っているだろう──。  現役女子大生によるパジャマ・パフォーマンス集団「PAJACOLLE(パジャコレ)」と東芝がコラボした疑似恋愛コンテンツ『7Daysmemory~おもいで、つくろ。~』が話題だ。
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どちらの女子が好み?
 毎日、2択で現れる女子大生から自分好みの一方を選択すると、その女子とのデートスナップやプライベート動画が出現。日に日に親密になっていく2人の関係を疑似体験することができるという。 7Daysmemory18.jpg 7Daysmemory21.jpg 7Daysmemory28.jpg  オシャレなカフェやダーツバー、そして、彼女の部屋でパジャマ姿の彼女と過ごす時間。そんな“おもいで”を積み重ねていくことができるのだ。  だが、途中で違う女子を選んでしまうと、それまでに蓄積された“おもいで”は消滅してしまう。  だが、誘惑に負けず、一途に思いを貫ければ、実際に出演しているパジャマ女子と会えるイベントの応募資格をゲットできるというスペシャルな特典も! 詳細は、下記公式サイトでチェックしてほしい。  果たして7日後、あなたの目の前にいる女子は、どんな姿で、どんな顔であなたを見つめているだろうか? ◆URL:http://www.7days-memory.com ◆公開:2012年12月17日 ◆利用方法:Facebookまたはtwitterアカウントでログイン (1日だけログインのいらないお試し機能あり) ◆対応端末:PC(Flash)・スマートフォン・タブレット ◆衣装協力:FELISSIMO・株式会社ワコール

コンシューマーゲーム信仰と嫌儲思考がゲーム業界を滅ぼす!?

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大ヒットとなったソーシャルゲーム
『怪盗ロワイヤル』。
 ソーシャルゲームの勢いが止まらない。9月に開催された、毎年恒例の世界最大規模のゲーム見本市「東京ゲームショウ2012」は、出展社数209社、来場者数22万3,753人と、過去最多となった。華やかな数字が喧伝される一方で、ゲーム業界の先行きは不透明だ。その中で、一際目立つのがソーシャルゲームである。今回のゲームショウでは、出展の7割がソーシャルゲーム関連で占められるまでになった。  もはや、ゲーム業界の主流となった感もあるソーシャルゲーム。現在のところ、ほとんどのゲームがカードバトルのスタイルで運営されている。今後、ほかのジャンルへの展開や技術革新が進めば「バブル」と呼ばれる状況から、安定成長へと転換することができるだろう。しかし、そこに至るには、まだ大きな壁が立ちはだかっている。コンシューマーゲームへの篤い信仰と、ユーザーと開発者の双方が持つ「嫌儲」の意識が、それだ。  月々の稼ぎの中で、娯楽に費やせる金額が減少している中で、コンシューマーゲームの参入障壁は高くなっている。ファミコン時代のような「ゲーム機ならば、これが主流である」という状況がなくなり、据置型ゲーム機から携帯ゲーム機まで、さまざまなものが乱立している。限られた小遣いの中で、多くのゲームを購入して楽しむことは困難だ。それに、長い時間を費やして遊ぶスタイルも、もはやコアなユーザーを除いては敬遠されるようになった。誰もが持っている携帯電話で手軽に遊ぶことができるソーシャルゲームの普及は、社会状況を考えれば自明の理といえる。ソーシャルゲームは、これまでとは違うユーザー層、あるいは、極めてライトなユーザー層を取り込むことに成功しているのだ。  ところが、既存のゲームユーザーの中には、いまだにコンシューマーゲームへの「信仰」が根強い。そして開発の現場でも、それは同じく信じられている。大手開発会社のゲームプロデューサーは語る。 「新入社員にコンシューマーゲームとソーシャルゲームと、どちらに行きたいかを聞くと、ほぼ間違いなくコンシューマーゲームを選びます。やはり、コンシューマーゲームがゲーム業界の頂点であるという意識は根強いです」  ゲームユーザーのコンシューマー信仰を最も如実に表しているのは、既存のゲーム情報誌だ。例えば、もっとも権威のあるゲーム情報誌「週刊ファミ通」(エンターブレイン)で、ソーシャルゲームが扱われることはほとんどない。増刊枠でソーシャルゲーム専門誌は発行されているものの、本誌やオフィシャルサイトでソーシャルゲームが扱われることはほぼないのが実情だ。普段目にすることのできるゲーム情報誌やサイトで何かとスポットを浴びることができるコンシューマーゲームに対して、ソーシャルゲームは日陰者のような扱いなのだから、あえて選択する者が限られるのはよくわかる。だが、もはやコンシューマーゲームに身を投じてもスポットライトを浴びることができるとは限らない。 「ソーシャルゲームが『メタルギアソリッド』シリーズよりも売り上げが高かったとしても、小島秀夫監督のようにスタッフの名前が出ることはめったにありません。片やコンシューマーゲームは、1タイトル当たりの売り上げが落ちているにもかかわらず賞賛されています。その構図は、文芸の世界のように見えますね。さほど売れなくても“大先生”と呼ばれるような業界で、若い才能が生まれるはずはありません」(同)  このことは、名の知れているコンシューマーゲームのゲームクリエイターを考えてみれば、おのずと理解できる。いまや大御所クラスといえる小島秀夫氏、名越稔洋氏、宮本茂氏、野村哲也氏くらいは、ある程度以上のコンシューマーゲームのユーザーなら、すぐに出てくるだろう。しかし、5年前に名の知れているコンシューマーゲームのクリエイターとして名前を挙げられたのも彼らのハズ。となると、5年後もそうだろう。もはや、新たな才能が生まれることはなく、大御所クラスがいつまでも「大先生」として君臨しているのがコンシューマーゲーム業界の一側面なのだ。新陳代謝のない業界に先があるとは思えない。 「現在のゲームメディアは、既存のコンシューマーゲーム業界を支えるための“御用マスコミ”でしかありません。そして、そうしたメディアだけで支えることができるくらいの市場規模しかないんです。もし、業界に革新を起こすとしたら『週刊ファミ通』が“偉い人を使うのをやめる”くらいしないとダメなんじゃないでしょうか」(同)  結局、既存のファンが限られた情報だけしか掲載しないメディアを通じて情報を得て、ゲームを購入することで成り立っているコンシューマー業界。それは、縮小再生産でしかないのだ。  コンシューマーゲームへの信仰心と並んで、ソーシャルゲームの成長を阻むのが「嫌儲」の感覚だ。 「MMOを制作する時、多くのクリエイターはアイテム課金ではなく月額課金にしたがります。企業としての利益はアイテム課金のほうがずっと増えるにもかかわらず、です。クリエイター、ユーザーであるかにかかわらず、世の中全体に金を取ることや、不公平なことへの拒否感が増加していると思います。そうした中で、ソーシャルゲームは“お金の取り方が汚い”という批判をされます。でも、それは単なるエゴなんじゃないでしょうか」  と、別の大手開発会社の社員は話す。この人物は、ソーシャルゲームはむしろ公平なゲームであると主張する。 「ソーシャルゲームは、むしろ公平だと思います。課金しなくても、時間をかければ(カードバトルの場合だと)レアカードはちゃんと入手できます。逆に時間がなければ、課金すれば短時間で強いカードを手に入れることもできます。時間か金かどちらを費やすか選択肢があるのですから、従来のゲームよりも公平だとは思いませんか?」  どうもゲームユーザーたちの間では、金を儲けることへの嫌悪感、さらにむやみやたらと公平感を求めている人ばかりが「声が大きい」ようだ。そんなものを気にしていては、ちゃんと企業が潤うゲームを開発するなんて不可能だ。『ドラゴンクエストX』は、元気玉システムの導入に見られるように、公平感に配慮しているが、それでも問題が発生している。もう「ソーシャルゲームが嫌い」「課金が嫌い」「強いヤツがいるのが不公平」「俺がカネを払っているのに、儲けているヤツがいるのは許せん」みたいな思考の人々を、相手にしていられない。  「東京ゲームショウ2012」出展社数が過去最多となった一方で、出展を見送り注目されたのがマイクロソフトと任天堂だ。特に、マイクロソフトが出展を見送ったことは、日本のゲーム業界が世界市場から見限られつつあることを如実に示した。 「マイクロソフトが出展しなかった理由は明白です。同社が最も推しているのはKinectなのですが、海外では好評を得ているにもかかわらず、日本ではあまり売れていません。同社はもう、日本市場を切り捨てたと考えてよいでしょう」  と、海外事情に詳しい業界関係者は話す。  コンシューマーゲームが勢いを失い、海外市場からも見離される状況で、唯一、可能性があるのがソーシャルゲーム業界なのは間違いない。ほとんどすべてがカードバトルで占められている現状は大いに問題があるとしても、ユーザーの参入障壁の低いソーシャルゲーム、あるいはブラウザゲームがゲームの主流になっていくのは間違いない。だが、ゲーム業界内外のさまざまな動きが成長を阻害している。 (取材・文=昼間たかし)