オードリー・春日は東大、ロンブー淳は青学……お笑い芸人の「大学受験企画」は、なぜウケるのか

オードリー・春日は東大、ロンブー淳は青学……お笑い芸人の「大学受験企画」は、なぜウケるのかの画像1
『得する人損する人』(日本テレビ系)で東大受験企画に挑戦中のオードリー・春日俊彰。番組では京大大学院卒の個人教師をつけ、春日の学力は上昇中だという。春日の最終学歴は日本大学商学部卒。附属校の日大二高出身だが、内部進学に漏れ、難易度の高い一般受験で合格している。こうした努力家の性格が東大受験において“ミラクル”を起こす可能性を秘めているともいえよう。  お笑い芸人の大学受験企画は、過去のバラエティ番組でも多く行われてきた。 「有名どころとしては、ナインティナインの岡村隆史がいますね。『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)において1999年に筑波大学と早稲田大学を受験しています。これは最強素人として知られるヨモギダくんの大学受験に合わせたもので、同時に早稲田に推薦入試で合格した広末涼子の同級生になるという目的もありました。各教科ごとに家庭教師をつけ勉強に打ち込み受験に挑みますが、いずれも不合格となっています。ただし、早稲田の第二文学部の小論文では『笑いについて』がテーマに出るなど、予期せぬドラマも生まれました」(放送作家)  大学受験企画は本番までの過程と「合格」「不合格」の結果がはっきりと出るため、ドキュメント性が高い点が人気なのだろう。岡村の場合、無謀な挑戦といえるが、実際に合格を勝ち取りかけた例もある。 「ウッチャンナンチャンの内村光良ですね。もともと映画監督志望だったため『ウンナン世界征服宣言』(日本テレビ系)で、1995年に日本大学芸術学部の映画学科を受験します。日芸は一次に筆記試験、二次に実技と面接試験が課されますが、内村は一次試験を突破。しかし、面接で芸能界を完全に辞めるよう求められ、入学は断念しました。これもリアリティのあるドラマが生まれた瞬間といえるでしょう」(同)  2018年の芸人の大学受験はオードリー春日の東大受験のほか、ロンドンブーツ1号2号の田村淳が青山学院大学、浅草キッドの水道橋博士となべやかんが明治大学受験を宣言している。特に明大は、博士となべにとって師匠ビートたけしの母校であり、博士は一度入学するも4日で中退、なべは替え玉受験をしてしまった大学であるだけに、結果には注目だ。 (文=平田宏利)

水道橋博士と太田光が18年ぶりに対峙! テレ東生放送「ビートたけし不在」の醍醐味

水道橋博士と太田光が18年ぶりに対峙! テレ東生放送「ビートたけし不在」の醍醐味の画像1
 ついに、恐れていたことが起きてしまった。  あのビートたけしが朝の生放送をやるということだけで驚きだった『おはよう、たけしですみません。』(テレビ東京系)。それも5日間連続で放送するというのだから、大丈夫なのかと思っていた。  実際、たけしは初日から暴走気味。生放送でカットされないのをいいことに、得意のヅラネタをふんだんに連発し、政治ネタから自身が出演している番組のネタまでギリギリのラインで攻め続けていた。  その結果、2日目は謝罪からスタート。その後もCM明けのたびに謝罪を繰り返す、まさにたけしの真骨頂が繰り広げられていた。  そして3日目の10月4日。番組がスタートし、映し出されたのは、誰も座っていない椅子。そう、たけしが来ていないのだ。  もう生放送は始まっている。正直言って、たけしが“ズル休み”をするというのは予想できなくもなかった。事実、1日目、2日目の番組中も、本人の口から予告めいた発言はなされていた。だが、本当にやるとは……。たけしの不在に困惑しているのは、視聴者だけではない。誰も座っていない席の傍らにいる、浅草キッドの水道橋博士と、爆笑問題の太田光だ。 「いるはずの人がいないし、君とはやってられない」と博士が口を開けば、「オレだって不愉快極まりない」と太田も返す。  本番前から険悪なムードで、ひと言も口をきいていないという2人。そう、この2人は“犬猿の仲”で知られる関係なのだ。  それは30年近く前のことだ。やはり、ビートたけしの“ズル休み”が原因だった。1990年、自身がパーソナリティを務める『ビートたけしのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)をたけしが休んだ際、その代役を務めたのが、当時若手有望株として「ポスト・ツービート」などといわれていた爆笑問題だった。  そのオープニングで、血気盛んな太田は言った。 「たけしさんがとうとうですね、死んじゃいました」  さらに、ライバルの浅草キッドを挑発。それに怒った水道橋博士が生放送中に“乱入”したのだ。ちなみに玉袋筋太郎は、ちょうど入院中だったため、現場に駆けつけることができなかった。  放送中はプロの芸人同士。芸人vs芸人の対決の範疇で収めたものの、放送後、博士が太田に長時間のマジ説教をしたとも伝えられている。  また、このことで爆笑問題はニッポン放送から数年間、出演禁止処分が下された。その後も、2組のライバル関係は続く。  ともにたけしイズムを継ぐ漫才師として時事ネタに毒を吐く漫才を作り続けているが、同じ時事ネタ漫才でも考え方の違いが浮き彫りになっている。  爆笑問題は矢継ぎ早に毒を吐き、どんどん話題を変えていくことで、テレビでギリギリ使える漫才に仕立てていくのに対し、浅草キッドはその毒を深化させることで、1秒もテレビでは使えないネタをライブ限定で披露しているのだ。  そうした2組が、テレビでがっつり共演したのは、99年の『新春爆笑ヒットパレード』(フジテレビ系)のみ。この時も、つかみ合いのケンカになった(といっても、これは打ち合わせ済みのものだったという)。  2人のテレビでの共演はそれ以来、18年ぶりだ。  たけしからのオファーだから断れない2人が対峙した初日。「ここは38度線だから」と、たけしを間に挟み座る博士と太田。若干ぎこちなさを感じさせつつも、時間がたつにつれ、3人はスイングする。 「橋下徹と東国原はインチキです」などという博士の言葉に、太田が手を叩いて笑う姿は感慨深いものがあった。  そして、たけし不在の3日目。  聞くと、たけしは「2日間の苦情に耐えきれなくて」休んだという。すかさず太田が「俺たちのほうが耐えられないよ! 今日どんだけ苦情来るか」と返し、「なんで呼ばれてない講談社には来るのに、呼ばれてるテレ東には来ないの?」などと、たけしを肴に息の合った掛け合いをする2人。  こんな光景がテレビで実現するとは思わなかった。冒頭で、「恐れていたことが……」と書いたが、違う。これを期待していたのだ。  たけしが4日目も最終日も、来るか来ないかわからない。このまま博士と太田の仲がうまくいくかもわからない。この「わからない」というドキドキ感こそが、生放送の醍醐味だ。それをテレビという不特定多数の人が見る場で、しかも朝っぱらからやるからこそ面白い。「明日はちゃんとたけし来てくれ」と願う自分がいる一方で、「来なくても面白いかも」と思う自分もいる。その引き裂かれる感じがたまらないのだ。 (文=てれびのスキマ http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

水道橋博士と太田光が18年ぶりに対峙! テレ東生放送「ビートたけし不在」の醍醐味の画像2
笑福亭鶴瓶論 スキマさんの新刊、好評発売中です! 水道橋博士と太田光が18年ぶりに対峙! テレ東生放送「ビートたけし不在」の醍醐味の画像3

視聴者の心に刺さるコメントはNG!? 毒にも薬にもならない「芸人コメンテーター」は本当に必要なのか

心に残ることは言っちゃダメ!? 毒にも薬にもならない「芸人コメンテーター」は本当に必要なのかの画像1
カンニング竹山 単独ライブ『放送禁止2015』(リバプール)
 お笑い界には“まともな職業に就いても出世したタイプ”と“芸人としてしか生きられなかったタイプ”の2つがある。前者にはタモリやビートたけしが挙げられるだろうし、ジミー大西やウド鈴木などは完全に後者だ。  昭和の時代、“まともな職業に就いても出世したタイプ”のほうがレアだったはずのお笑い界だが、それも様変わりした。いまや、ある程度の知識と良識がないとバラエティにはフィットしない。ボケよりもツッコミのほうが重宝されるという風潮からも、その現実はうかがえるだろう。  結果、ついにはお笑い芸人が「コメンテーター」として活躍するようになった。カンニング竹山やオリエンタルラジオ・中田敦彦といった社会派芸人らの存在は、もはやおなじみだ。  この方向性には、理由がある。言うまでもなく、テレビで最も大事なのは視聴率だ。もちろん、すべての層がニュースやワイドショーを視聴するわけではない。だからこそ、間口を広げる目的で、お笑い芸人が起用される。芸人が映れば絵力が強まるし、一気に画面が華やかになる。「この人が出ているなら見てみようか」と、クロスオーバーするはずのなかった視聴者を取り込む契機にもなる。 ■「合格点を取るためにコメントするなんて本末転倒」(博多大吉)  芸能界は椅子取りゲーム。そう考えれば、芸人の側からすると新たな“椅子”(コメンテーター席)が生まれたということになるだろうか。  9月13日、博多大吉がMCを務める『いつかボクらもご意見番 コメンテーター予備校』(日本テレビ系)が放送された。今年になってから不定期で放送されている特番の第2回である。  タイトルの通り、各タレントが優秀なコメンテーターになるべくコメント力を学ぶのが番組の趣旨。「コメンテーター」はもはや余芸ではなく、芸能活動のれっきとした本道として認識されたようだ。  大吉やブルゾンちえみ、林修といった面々が、番組の指定するトピックに対して自分なりのコメントを発し、その内容を一般視聴者に採点されるこの番組。例えば、こうだ。 ――人気女子アナと交際、小栗旬芸人浮気騒動についてコメントせよ。 「私は欲張りボーイにはついていけない。好きな人ができたなら、そっちに行ってください。地球上に男は35億人いますし、こっちもアナタだけじゃないんだよ。Good Bye!」(ブルゾンちえみ) ――「会社辞めます」、LINEで退職願はアリ? ナシ? 「『引き継ぎだけは頼むよ!』というLINEを送り返してはいかがですか? ここで『非常識だ』『俺ら世代は……』と揉めると心のしこりが残るし、その人に説教するのは残りの人生を考えると時間がもったいない。だから、ここはLINEで『引き継ぎだけは頼むぞ』と伝え、あとはもうお別れでいいんじゃないですか。そういった意味も込めて、送る時間は3時47分。『サ(3)ヨ(4)ナ(7)ラ』ということで」(大吉)  両者が獲得した評価だが、ブルゾンは100点中63点、大吉は100点中68点。番組は70点を“合格ライン”に設定しているので、2人は不合格ということになる。  番組のエンディングにて、大吉はこんな発言を残している。 「『合格点を取るために、こういうことを言おう』って、本末転倒でしょ? そんなのだったら、自分がやる仕事じゃないし」  大吉とブルゾンの回答を振り返ると、もはや大喜利でしかない。本意を込めるのか、向こう受けを意識するのか。“芸人コメンテーター”が担う役割は、いろいろと破綻している気がしてならない。 ■印象に残らないコメントを心がけるカンニング竹山、刺さるコメントを求める制作陣  9月21日に放送された『アメトーーク!』(テレビ朝日系)のテーマは「コメンテーターやりたい芸人」であった。出演したのは品川庄司・品川祐やアンジャッシュ・児嶋一哉、TKO・木下隆行といった面々。  なぜ、彼らはコメンテーターになりたいのだろう?   「まずイメージとして、賢そう! ちょっと文化人っぽく思われるというか」(TKO木下)  そして“ご意見番”として、今回はカンニング竹山も登場している。いまや、3番組でコメンテーターを務める「Mr.コメンテーター」である。  彼はオープニングで、コメンテーターとしての秘訣を明かしている。 「心に残ることを言っちゃダメなんです! 心に残ることなんか言ったら、印象に残っちゃうから。邪魔になるんですよ。どうでもいいことを難しそうに言うのがコツなんです」  これって、ポジショントークを推奨しているのだろうか? 本音を吐露し、もしもそれが視聴者の心に刺さったとしたならば? 竹山のロジックからすると、それはNGということになる。  ちなみに、この日の放送では『羽鳥慎一モーニングショー』(同)のスタジオを借り、芸人たちがコメンテーターとなって仮想のワイドショーを収録。コメンテーターとしての実力を測定している。しかも、収録後は『モーニングショー』のチーフ・プロデューサーが全芸人のコメント力を評価するというガチぶりである。  結果、最も高評価を獲得したのはロッチ・中岡創一であった。彼は「プレミアムフライデーの定着には何が必要?」というテーマに対し、「“プレミアムフライデー祭り”みたいなことがあれば『じゃあ、祭りに行こうか』ということになる。イチゴが名産の土地だったら“イチゴ食べ食べ祭り”みたいな」と、コメントしていた。  このコメントの何がいいのだろう? チーフ・プロデューサーいわく「突拍子もない意見だが、よく聞くと説得力がある。そういう発想がコメンテーターには大事」とのことだ。要するに、置きに行くコメントは評価されない。人とは違う発想、そして視聴者にどれだけ刺さるかが、制作がコメンテーターに求める要素である。  しかし、だ。この考え方と竹山が心がける「心に残ることを言っちゃダメ」は、完全に相反している。制作の求める方向性と演者が心がけるコツは、正反対なのだ。  現代は、うかつなことを言った途端にネットニュースとして取り上げられる時代。もしくは視聴者に切り取られ、SNSでネガティブな形で拡散されることもしばしば。芸人が発言の一つ一つに細心の注意を払うのも無理はない。  本音を言うのがはばかられる時代。印象に残らないコメントを心がける演者。刺さるコメントを求めにいく制作側。  交わらない三者が一緒くたになり、芸人コメンテーターを取り巻く状況が出来上がった。これって、誰も得しない大喜利でしかない。  落語家の桂春蝶は、9月26日にTwitterでこんなつぶやきを発信している。 「‏一部のワイドショーが求めるコメンテーターの資質って… 『当たり障りの無い意見をどれだけ大きい声で言えるかどうか?』 なんだって。 特に東京発信の番組はそれなんだと。 誰がそんな番組出たいんかね?笑」  確かに、「コメンテーター」も芸人にとって大事な仕事のひとつだろう。生活のために引き受けた者だっているかもしれない。でも、考えれば考えるほどに破綻している。「武士は食わねど高楊枝」を求めるのは無責任だと、百も承知である。それでも、「コメンテーターなんてやめたほうがいい!」と、芸人たちに訴えたい気持ちでいっぱいだ。 (文=寺西ジャジューカ)

“不要芸人”はwith Bだけじゃない!? 爆笑問題・田中、海老一染太郎……「要らないのでは?」と言われた芸人たち

不要芸人はwithBだけじゃない!? 爆笑問題・田中、海老一染太郎……「いらないのでは?」と言われた芸人たちの画像1
 木下優樹菜が7日放送の『PON!』(日本テレビ系)で、ブルゾンちえみの後ろに並ぶwiht Bことブリリアンに“クビ切り”を宣告し、話題となっている。番組では缶コーヒーのCM撮影現場に密着するも、何もしないwith Bに、木下が「もう、おつかれ!」と引退を促したのだ。  ある意味では、誰もが思っている本音を代弁したともいえるが、お笑い芸人には、こうした関係性は珍しくない。 「若手芸人の新人時代は、ギャラは折半するのが通例です。ある程度、コンビ格差が開くと調整されるのですが、そのまま折半を続けるコンビもいます。先日、ウーマンラッシュアワーの中川パラダイスは『何もしなくても月100万円入ってくる』と、ネット番組で暴露し話題となりました。ブルゾンちえみの場合は、3等分とはいかないでしょうが、ブルゾン単体の仕事でも、彼らに一定のギャラが流れているのではないでしょうか」(放送作家)  芸人の不要説は、どの時代にも存在する。いまや大物クラスになったあの芸人たちにも。 「若手時代の爆笑問題は、太田光の頭のキレの早さが注目され、ツッコミの田中裕二は『要らないのでは?』と、たびたびイジられていました。しかし、立川談志が太田に『田中は絶対に切るな』とアドバイスしていたのは有名な話です。傘の上で物を回す芸で広く知られていた“お染ブラザーズ”こと海老一染之助・染太郎は、弟の染之助が傘を回し、兄の染太郎が盛り上げ役を行い『これでもギャラは一緒です』が決めゼリフでした。実際は、マネジメントを染太郎が担っており、分業体制が確立されていたといえます」(同)  お笑い芸人には、見えないところでの活躍や、当人たちにしかわかりえない絆も存在するようだ。 (文=平田宏利)

相方、ママタレ、モデル……全方位に向けられる“腐り芸人”ハライチ・岩井の狂気

相方、ママタレ、モデル……全方位に向けられる腐り芸人ハライチ・岩井の狂気の画像1
 BOØWY在籍時、あの氷室京介は「ユーミンとかだって、じゃああれが本当にやりたい音楽なのかなあって考えたら、きっと違うかもしれないし。(中略)無理をしない程度の一種のサービスっていうか。宿命だよね」という発言を残している。 “世間”という最大公約数に対し、どのように自分をすり合わせていくか。これは、“芸能”という世界に携わる者にとって永遠のテーマだ。含むところは多いが、言えない本音もあるだろう。  しかし、心に茨を持っていたならば話は別。村八分にされることもいとわず、芸能人が本音をブチまける貴重なテレビを目撃してしまった。9月16日放送『ゴッドタン』(テレビ東京系)が、すごかったのだ。  この日の企画は「かぶりタレント統一マッチ」なるもの。同じキャラの芸能人が集まり、その中で誰が最もキャラが濃いかを決定する内容である。  さて、どんなキャラの芸能人が招集されたのか? それは“腐り芸人”だ。スタジオに登場したのはハライチ・岩井勇気、インパルス・板倉俊之、平成ノブシコブシ・徳井健太の3人であった。さすが『ゴッドタン』、納得の人選だ。見事に全員腐ってる。 ■ロケのスキルにのっとった芸人を冷笑する板倉、TENGAを食卓に置く徳井  まず、板倉の腐りっぷりについて。彼は、多くの芸人を見て「こいつ、ヤッてんなぁ」と感じているという。  例えば、飲食店でのロケ。通常は一斉に食事を始め、各々が感想を言っていくだろう。だが、ある1人が食べて感想を言っていると、カメラが来るまでおあずけを食らったかのようにずっと待っている芸人がいるのだ。 「『待ってんなぁ、こいつ』と思って見てて。で、結局『これ、青葉が効いてて』ってコメント。ヤッてんなぁ、こいつって(笑)。青葉のくだり言いたいがために待ってたんだ」(板倉)  芸能界の正道を行く者にとって、この行動はれっきとしたスキルだろう。しかし、その臭さを板倉は冷笑する。  こんな態度で売れることができるのか他人事ながら心配してしまうが、彼は「淘汰されることに抵抗してない」と断言する。  一方の徳井の場合、芸人として以前に、人として腐っている。彼は妻と2人の子持ちだが、自分が何回も使ったTENGAを食卓に置きっぱなしにしているらしいのだ。遠慮せず、サラダの横にTENGAを置く徳井。さすがの板倉も「ドレッシングみたい!」と驚きの表情を見せ、「おぎやはぎ」小木博明は「かけちゃうよ、知らない人は!」と指摘する。  しかし「もともとTENGAって、そういうコンセプトでしたよね?」と、まるで悪びれない徳井。確かにポップでおしゃれなデザインゆえ、TENGAをインテリアのように扱っても違和感はないだろう。しかし、なぜ食卓に置く必要があるのか? その問いに「食べる前に使ったんでしょうね」と、サラッと説明する徳井。完全にどうかしている。 ■ゴールデンを“30点の笑い”と評し、売れる芸人の条件に挙げる岩井  板倉、徳井もハンパじゃなかったが、岩井は2人の上を行く。まず、彼の口撃の矛先は、相方・澤部佑に向けられた。  ある日、パンサー・向井慧との会話中に「俺らの世代では澤部が一歩抜けてる」という話題になったところ、岩井は「あんな奴、1を増やすのが得意なだけで、ゼロから1を作れないからね」「ゼロから1を作れない奴は、芸人じゃなくて芸人風なだけ」と、全否定したらしい。何もそんな、実の相方を……。  だが、このエピソードが披露されても岩井は決して慌てない。それどころか「ゼロから笑いを作れない人間って、下請けじゃないですか」「ゼロから1にしないと、そいつら存在できない」と、追撃の手を緩めない。  芸人には、いろいろなタイプがいる。皆がゼロから1を創造できるわけではない。では、どうすればいいのか? 岩井には、真意があるらしい。彼の言い分は「もっと感謝しろよ。感謝して引き上げろよ」であった。“ゼロから1を作れる者”から“ゼロから1を作れない者”への心の叫びだ。  ほかにもある。岩井の言い分は、とにかく全部すごい。 「ママタレ、イクメンのブログには『以下の文章を使い、お金稼ぎをさせてもらうために書きました』と頭につけろ。子どもを食いものにしてるだけだ」 「モデルなんか、足にクリーム塗ってるだけの職業」 「ゴルファーなんて、お金がないとできない職業。だったら、もっとうまくなれる奴いるだろうな。ヘヘッ(笑)」  正直、どの意見も一理ある。しかし、ある部分で妥協しないと芸能界での成功は難しいと思うのだ。もちろん鋭い岩井にとって、そんなことは百も承知なのだが。 「俺らが思う100点の笑いってあるじゃないですか。でも、ゴールデンって、30点くらいの笑いがちょうどいいんですよ。その30点を100点だと思ってる芸人が売れるんです」(岩井)  わかる。うなずける。もしかしたら、口には出さずとも多くの芸能人が抱いている本音かもしれない。しかし、このマインドを胸に芸人生活を送っていたら、制作側からすると使い勝手は決してよくはないはずだ。  おぎやはぎも劇団ひとりも、どこかで折り合いをつけてゴールデンに出演している。8月26日に放送された『ゴッドタン ゴールデン3時間半スペシャル!』にて、おぎやはぎは「ゴールデンに出てる劇団ひとりは全然面白くない」「『ボンビーガール』ですげぇ手抜いてる」と、ひとりに指摘。「こっちはゴールデンで仕事してるんだよ!」と激高する劇団ひとりの姿は印象的であった。  今のところ、おぎやはぎと劇団ひとりがレギュラーを務める『ゴッドタン』が、今回の3人の持ち味が許容される唯一の場だ。その腐れっぷりを、うまくタレント力へ昇華させる手法があるといいのだが……。芸能界は世知辛い。 (文=寺西ジャジューカ)

斉藤由貴はスリムクラブ・真栄田に学ぶべき!? 不倫スキャンダルの正しい対処法とは

斉藤由貴はスリムクラブ・真栄田に学ぶべき!? 不倫スキャンダルの正しい対処法とはの画像1
吉本興業公式サイトより
 昨今の芸能人にとって、“ワキの甘さ”は厳禁だ。例えば、斉藤由貴。当初、50代医師との不倫疑惑をキッパリと否定していたものの、「キス写真」「パンツかぶり写真」が流出してしまい、ついに彼女は窮地に陥ってしまった。  この流れについて「最初の会見で本当のことを言っていれば、マスコミから“二の矢”“三の矢”が飛ぶことはなかったのではないか?」という声が聞こえてきている。事後にどんな対応を取るかで、その後の芸能生活は残酷なまでに変わってくるということだろう。 ■ハニートラップだと知りつつ、やることはやっていた真栄田  9月14日放送『じっくり聞いタロウ』(テレビ東京系)に、スリムクラブの真栄田賢が出演した。実は彼、今までにいくつもの不倫スキャンダルをやらかしている。その数々の詳細を、今回は自らあけすけに暴露したのだ。  まず、スリムクラブが「M-1グランプリ」で準優勝した直後の頃の話。西麻布のクラブで“北川景子似”の女性をお持ち帰りした場面を、写真週刊誌「FRIDAY」(講談社)に激写された。この件について、今になって「ハニートラップだった」と主張する真栄田。彼いわく、クラブに入店するや、その女性から「一緒に踊りましょう」「私の部屋で飲みましょう」と声を掛けられたという。そしてタクシーを降りた瞬間、女性宅の前でカメラマンが待ち構えていたそうだ。  しかし、カメラマンの存在に気づいた真栄田は、なぜかそのまま女性の自宅へ立ち寄り、そして“一線”を越えてしまったと告白している。その時にUターンしていれば「シロだ」と言い訳できそうな気もするのだが、真栄田は「どっちにしろ、『ヤッちゃった』と載るわけです」「めっちゃヤリたかったんです」と、悪びれもせずに主張する。  もはや、ハニートラップでもなんでもない。結局のところ、ただの浮気ではないか。雨上がり決死隊・宮迫博之は「オフホワイトです」と自虐しているが、真栄田に関しては「真っ黒」以外に適当な色はない。 ■嫁に浮気の事実を打ち明け、逆にエールを送られる  なんと真栄田、ほかの芸能人に先駆けて“文春砲”の餌食にもなっている。話は2011年にさかのぼる。ある晩、大阪で一人で飲んでいた真栄田に、「大ファンなんです」と女性が声を掛けてきた。そして「宿がないんです。一晩泊めてほしい」と懇願。当然、真栄田は女性を部屋に泊め、やはり一線を越えてしまう。そしてその後、くだんの女性は「週刊文春」(文藝春秋)に真栄田との不倫ネタを売ってしまった。  まだある。一時期、浮気していた女性にフラれそうになったという真栄田。彼は既婚者でありながら、自宅で落ち込む態度を隠そうとしなかった。そんな様子に気づいた嫁から「最近どうしたの?」と問われた真栄田は、自分が落ち込んでいる理由(浮気)を全部話してしまったという。  この行動に「えーっ!?」と驚くMC陣であったが、一方で「後悔しないように、追いかけたいなら追いかけたほうがいいと思う」と真栄田にエールを送る嫁は、かなり一筋縄ではいかない。 ■斉藤由貴が犯したミス “ゲス不倫”の渦中にいる芸能人は、マスコミに対し、どのような対応をするべきか? 万人に当てはまる正解は、恐らくないだろう。しかし、今回の真栄田が取った態度は、もしかしたら選択肢のひとつになり得る。  週刊誌が誌面で不倫疑惑を大々的に展開した場合、かなりの確率で“二の矢”“三の矢”が控えていると考えておいたほうがいい。斉藤由貴の件でいえば、不倫相手の「パンツかぶり写真」のことだ。あれほどのクリティカルな物証が公開されると、芸能生活も重大なピンチに陥ってしまう。  しかし最初から認めておけば、次の矢を飛ばす必然性が薄れる。もし矢を放たれたとしても、事前に認めていれば、イメージの下降度はいくらか和らぐはずだ。事実、自らの不貞を暴露した真栄田にガチギレする共演者は皆無であった。  何を思ったか、率先して人柱となり、貴重な対処法を披露して見せた真栄田。その勇気には拍手を送りたい。しかしなぜ、とうにほとぼりの冷めたかつての不倫騒動を自ら掘り起こしに行ったのかだけは不明だ。

【島田洋七“がばい”独占手記/最終回】さんま、タモリ、紳助……天才が語る天才が天才たるゆえん

【島田洋七がばい独占手記/最終回】さんま、タモリ、紳助……天才が語る天才が天才たる所以の画像1
 明石家さんまとは漫才ブームの時に何回か飲みに行ったけど、最近は行かんね。当時はさんま、あんまり飲まなかったからね。  それに、みんな、自分の世界をつくる。先輩と飲みに行ったら、せこせこせなあかんからね。自分は自分でいたいんやと思う。芸は明るくて面白い。島田紳助がいなくなってから、あの明るさとトークが余計、際立ちますね。  紳助と比べると、さんまの明るさはカリフォルニア。紳助は演歌っぽい。涙を流す番組も作るし、ジャパンやね。さんまはとことん明るい。人にインタビューして涙を流す番組はやりませんもん。頼んでもたぶんやらないと思う。紳助はホントに涙を流す、感情が激しいから、ジーンとくるんですよ。  タモリさんとは付き合いはありませんが、フジテレビの『笑っていいとも!』の前の番組『笑ってる場合ですよ!』の司会をやっていたのはボクなんですよ。タモリさんの芸はお笑い芸人の芸とは違う。テレビの中のお笑い。テレビ芸。だから、30年以上もやれたんやと思います。すごいですよ。あの人だからやれるんですよ。漫才師は、あれじゃ物足らんもんね。わしらは一生懸命、笑わそうとするから、持たない。お笑い芸人は「司会どうぞ」と言われたら、自分がしゃべらないと損するみたいにしゃべる、だから飽きられる。  その点、タモリさんは淡々としてる。人にやらせて見てる。だから、年数をやれたと思いますよ。その余裕が長続きの秘訣だと思います。さんまもそうですが、芸人は自分が笑かさないと気が済まないからね。  紳助は兄弟弟子ですから、引退後も「嫁共々、元気にやっています」というようなメールは来ますよ。引退前は、紳助がいるときに大阪のミナミの寿司屋や東京の寿司屋にも遊びに行きましたけどね。  あいつ、一人っ子だから寂しがり屋なんですよ。引退して沖縄にいた時も、周りに人がたくさんいたみたいですが、常に周りに誰かがいないと落ち着かない。わかりますよ。近所のお山の大将みたいなもんですよ。  ああいうことになってしまったことは仕方ないけど、お笑いとしては、もったいない。これだけは、ほんま、そう思いますわ。  紳助にはもう一度、芸能界に戻ってきてほしい。あそこまで作り上げたネタで人を笑わせているんですよ。あんなヤツおらん。俺とは上下関係ですから、俺の前では「ハイ」としか言いませんけど、すごいヤツですよ。  うちのカミさんが日本テレビの『行列のできる法律相談所』に出た時も、カミさんを「姉さん」、ボクには「兄さん」。「兄さん、食事に行きましょう、先輩なんやからおごってくださいよ」。紳助のほうが稼いでいてもそうです。かわいいですよ。あいつの性格は子どもっぽいし、変わりませんよ。  あれから1年間、誰が紳助の代わりをやるのかテレビを見てましたが、誰もおらん。最近になって誰かが見つかった。それは私です、アハハ。冗談ですよ。誰かがしゃべらなあかん。年寄りから子どもまで、みんなにわかりやすい番組ができればいいですね。  俺らは物のない時代に生まれてきて、ネタが豊富。今の30代の若手は裕福な時代に生まれてきてるから、ネタがないのかなぁ。番組でやっていることは、楽屋受けが多い。だから、大人が若手の芸人を見ない。わからないからですよ。自分たちだけがどこの派閥やとか、この間、誰それとメシを食いに行ったとか言われても。  特に漫才師は基本コンビでしょ。それぞれの名前を知っている大人は少ないですよ。先日、某売れっ子漫才師に新幹線で会ったんですよ。コンビ名は知っているけど、個人はどっちがどっちかわかりませんよ。芸を披露する、寄席番組がないからですよ。寄席番組を作ろうとしたら、ものすごい数のネタがいる。年に1回くらいならいいけど、1週間に1度だったら、それだけのネタをやれる芸人はいませんよ。  演歌のヒット曲が少なくなってほかのものに変わっていくみたいなもんで、今はお笑いも変わっていっている。最近、第2次お笑いブームが終わりだといわれているけど、絶対、なんかできたら違うもんが来る。  漫才ブームで売れている時に一瞬、このまま行くと思いましたよ。でも、マスコミが最近、漫才は面白くないと言ったらホントに面白くなくなっていたことに気づく。マスコミのほうが早いですよ。マスコミはお客さん目線や視聴者目線で書くから当たってますよ。  誰か紳助に司会をやらせて――。  今の若手のお笑いは気の毒。ボクなんか、がばいばあちゃんに育てられたから、62歳まで生きてこられた。今の時代だからこそ70歳の人の話を聞かなきゃダメですよ。  ばあちゃんの家に預けられてよかったですよ。あんだけお金がなくて、7人も子どもがいて、子どもが大きくなったと思ったら私を預かって、平気だもん。普通だったら、7人育て上げたら、孫を預かるのは嫌だと思うでしょ。でも、うちのばあちゃんは7人も8人も一緒だから連れてこいと。それで広島から母親に佐賀に連れていかれた。明るいばあちゃんでね。学校から帰って、腹へったと言うと、気のせいやと言うんです。  私も子どもだからそうかなと思うでしょ。それでテレビもラジオもないから、外に遊びにいこうとすると、外に遊びにいくと腹がへると言う。なら、どうしたらいいの? と聞く。寝なさい。寝なさいといってもまだ夕方の4時半。冬なんか日が落ちるのが早いから4時半に寝てましたよ。なかなか、朝が来ない。寝ても寝ても夜中、寝るのは力仕事でしたよ。  やっと朝が来て、ばあちゃん、朝ご飯と言うと、昨日食べたやないかと。素晴らしいばあちゃんでしたよ。普通だったら悲しい顔をして孫に対して今日はご飯がないと言う。つらくなりますよ。ばあちゃんは全部、笑いながらでしたね。  あとは学校に行って、給食ですよ。当時の給食はまずかったらしい。とくに脱脂粉乳のミルク。クラスの55人の半数は飲まない。そのおかげで余っていたミルクを7~8人分飲んでいた。昔はわかりやすかった、ガリガリの子は貧乏人の子どもだった。割と裕福な子どもはふっくらしていた。俺は貧乏人の子どもだけどふっくら、反比例していた。ミルクのおかげです。近所歩いてもよく、いいとこの子かなと言われた。だから、楽しかった。  お金がないところに幸せがあるとばあちゃんは言ってたけど、ほんまでっせ。8年間、お世話になって、母ちゃんのところに帰れる日が来て、ばあちゃんに俺みたいなアホはこれから人生どうなるのかと聞いたら、ものすごく笑いながら、アホはそんなことに気づかないから大丈夫と言われた。気づかないままの62歳。  ばあちゃんに育てられたからこそ、人を笑かすことができるんやと思いますわ。 『北野演芸館』(TBS系)見たけど、温かい。温かいから芸人は自由にやっている。その点、なんとかグランプリね、審査員席に文化人やわけのわからないアイドルが座って偉そうに言ってるけど、アンタに言われたくないですよ。  お笑いの審査員はお笑いがやらな。相撲を見に行って、審判席に野球選手が座っていますか。プロ野球の実況中継でも歌手が解説に加わって「ヘタな捕り方ですね」と言ったら、怒りたくなるでしょ。  で、何をやりたいかというと、大人のトークショーですね。ゲストで一番当たっている人を呼んでもいいし、何十年も前に当たった人も呼んでいい。いろんな話をして懐かしいと悲しますんじゃなくて、笑かしたい。ショーですね。ゲストひとりを笑かす。例えば、黒柳徹子さんや美輪明宏さんみたいな知的な人から、あまり笑うイメージのない沢尻エリカさんなどでも自信がありますよ。  たけしにも言われたけど、ボクの人生はビックリするくらい変化がある。それに、何もなくて生まれてきたから全部捨てても気にならん。地位とかもいらんし。よくテレビで見てますよと言われても、うれしくない。もうこだわっとらんもん。  ただ、最近になって、お笑いはこうじゃないかと思い始めた。紳助がいなくなったからですよ、何か物足らん。若手の芸人たちが食べる番組をやっているでしょ。本心じゃないと思う。テレビ局は強いから、こういう番組をやりたいと言われたら断れない。仕方なくやっているかもね。本当は違うことで笑かしたいんだと思う。  昔、『オレたちひょうきん族』に出演していたんですよ。プロデューサーが「実力がある人は残るのよ。ない人は消えるのよ」と言ったんです。ボクに直接言わんとマネジャーに言えと伝えたんで、ケンカして降りたんです。ヘタということですもん。  最後に電話がかかってきて「洋七さん、もう1回、出てください」と言ってきましたよ。世の中、ケンカはある。でも、2~3分で忘れる。ボクはそんなに気にしない。  今はただ、面白い番組を作りたいなと思ってます。 (企画・構成=本多圭) ●しまだ・ようしち 1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。

【島田洋七“がばい”独占手記/第3回】「ヤメロ、バカヤロー!」ビートたけしに“マジ”で怒られた夜

【島田洋七がばい独占手記/第3回】「ヤメロ、バカヤロー!」ビートたけしにマジで怒られた夜の画像1
 漫才ブームが去って売れなくなってから、いろんなことをやりました。六本木で「芸バー」もやりました。当時は東京にお笑いをやる劇場がなかったし、弟子を6人くらい抱えてましたからね、芸を披露する場としてオカマではなく、芸人の芸の芸バーを開いたんです。  ワイドショーが取材に来たんで、着物着て、化粧してオカマの格好をしてインタビューを受けたんです。たまたま、たけしが見ていたんでしょうね、夜、店にやってきて「ヤメロ、バカヤロー。恥ずかしいじゃねぇか。ヤメロ、バカヤロー、早く化粧を取れ。金に困っているならやるから、こんな恥ずかしいことはヤメロ」とマジに怒った。  明石家さんまもフジテレビの『オレたちひょうきん族』のプロデューサーと一緒に来て、「兄さん、恥ずかしいからやめてください、オカマにならんでもいいでしょ」と。あくまでギャグや、その日しかやりませんでしたからね。そう言いながら、たけしもさんまも心配してよく来てくれた。店は4カ月くらいやりましたかね。  その後だったか、伊豆で民宿をやろうと土地を買ったんですが、温泉が出ないことがわかって、失敗しました。  埼玉の所沢に住んでいるときには、ラーメン屋もやりました。「まぼろし軒」。名付け親はたけし。いつ潰れてもいいから。まぼろしのように現れて消えるからだって。  所沢では初の芸能人のラーメン屋ということで、たけしのアイデアで和田アキ子さんに電話して「花輪出してもいいですか」とお願いしたら、「ええよ」と言うんで出してもらった。所沢ですからね、西武の監督だった東尾修さんをはじめ、西武の選手の花輪がずらっと並びましたよ。  マイケル・シャクソンという花輪も出しましたよ。そしたら、外国のレコード会社の人から電話があって「マイケル・ジャクソンとお知り合いですか?」と問い合わせがあった。「いや、ジャクソンではなく、点々がないシャクソンです」と言うたら、「抗議でなく、知り合いか、友達かなと思っただけです」と。マイケル・ジャクソンと知り合いなわけないじゃないですか。ホンマ、いいかげんでしたね。  開店初日は、記念やから半額。ところが、たけしが『オールナイトニッポン』で「洋七の店のラーメンはタダらしいぞ」とまちごうて情報を流した。  店に700人くらいの行列ができたんです。パトカーがやってきて「ガードマンを雇って、整理してくださいよ」と言うけど、ガードマンなんておらんよ。お客さんに、なんで並んでるのと聞いたら、「たけしがラーメン、タダ、タダとラジオで言ってた」と。ラーメン、70杯分しか用意してませんよ。70杯分はタダにして、食べられんかった人にはすいません、すいませんと謝って回りましたよ。700人の列は結構、長い距離ですよ。近所の店にも迷惑をかけたんで、夜中に「たけしがラジオで言い間違えました」と謝りに回りましたよ。  10年前に所沢から佐賀に引っ越すんで、まぼろし軒は店長に退職金代わりにやるわ、と。今でもありますよ。  参院選にも出馬しましたね。法定得票数を取って、埼玉で5位で。供託金は没収されなかったですね。出馬するきっかけだけど、ある日、たけしと飲む時に背広を着て行ったんですよ。たけしから「おまえ、国会議員みたいだな。どうせ暇なんだから選挙に出ろ。おまえが言っていることは合っていることが多いからな、出ろ、出ろ」と言われたんですよ。  そういう話があった時に、所沢の行きつけの寿司屋に来るおばちゃんたちにも「洋七さん、選挙に出てよ。洋七さんが話していることはまともや」と言われて勝手連みたいなムードになったんで、ほな、出ようかなということになったんです。  といっても、選挙に詳しい人は誰もおらんし、選挙事務所もない。自宅を選挙事務所にして、近所のおばさんたちに手伝ってもらいましたよ。国政選挙は約2週間でしょ。朝8時半から走り回って、握手するだけ。終わるとグッタリ。酒もたばこもやらんから、2週間で9キロ痩せましたよ。  それにしても、選挙違反というのは、ようわからん。お菓子ひとつとってもスーパーの菓子はいいけど、虎屋の菓子はダメだとか。大宮で薬屋に入って、「よろしく」と言ったら写真を撮られて、選挙違反だと言われた。選挙参謀はいないから、わからんことばかりでした。  昔、埼玉県から参院選に出馬しましたが、選挙はようわからん。でも、新聞はバックに誰もついとらんことがわかっていたから、応援してくれましたね。たけしも「応援に来るからな」と言ったけど、来んかった。「洋七、政治はやばいな」だって。自分から選挙に出ろって言いながら、コロッと変わる。終わってから「惜しかったな」だって。いい加減にせいや。  選挙のレンタカー代やガソリン代を含めて、300万円を供託したんです。選挙が終わってから「供託金を返しますから、取りにきてください」って言うんで行ったんです。没収じゃなかったんですね。行くと2万円くらいの利子がついてましたわ。  そういうところは国はしっかりしてますね。  選挙初日はマイクを持っても照れますよ。それに「島田洋七です」と連呼していいのを知らんかった。わかった3日目からはテンションが上がりましたよ。ただ、選挙参謀がいないから、どこが県境かわからん。タレントでお笑いですから、話を聞こうと人は集まりますよ。  50人以上集まった場所で20分くらいしゃべって「島田洋七です、よろしくお願いします」と言ったら、聞いていた人たちが一斉に「ここは群馬だよ」だって。こんなことが十数カ所でありましたよ。秩父の先に行った時ですよ。東京と山梨の境なんですね。細長い東京都の土地を飛び越して、「島田洋七です」と演説していたら、パトカーがやってきて「洋七さん、ここは山梨ですよ」と言うんですよ。「えっ、山梨ですか」と言うと「どこまで来てるんですか」と言われて、道を教えてもらって帰りましたよ。  あと、選挙で思ったのは、自分でポスターを貼るのを知らんかったことですよ。埼玉は昔はダサイタマなんていわれましたが、人口は700万人以上ですよ。ポスターは1万1,700カ所。貼る人も貼らん人もいますが、組織がないと個人では無理ですよ。それに、1万部以上のポスターを作るのに金がかかる。選挙は金がないとダメだということがわかりましたよ。それでも2,000部くらい作って、近所のおばさんたちがあちこち貼ってくれた。それでは目立ちません。  でも、法定得票数を取って5位、落ちましたが、選挙のたびに出馬の誘いは来ます。でも、選挙はもうこりごり。たけしの誘いに乗ったボクがバカだった。  参議院選挙に落ちてよかったと思いますわ。私は国会というのは、頭のいい人が集まってやっているのかと思ってました。ところが、ウソつくのは平気。態度は横柄。  3~4年前に自民党から政権が民主党に代わる時、その時の大臣。私が京都から新幹線に乗ったら、その大臣がボクの顔を見て「キミ」と言うんですよ。ボクは弟子でもなんでもない。「キミ、テレビで見たな」、キミ、キミとあんまり言うから、ボクは「卵か?」と返したけど、シャレがわからん。「卵とは言ってないよ。キミだよ」とまた言われた。「ちょっと来たまえ」だって。来たまえって、時代劇じゃないんだから。  今どき、民間人に上から目線で物を言うんじゃないって。選ばれたと思って勘違いしている。俺たちが選んであげたのに。国会議事堂は1億2,000万人がみんなで話をするところ。入れないから代表で行っている。それを上からこっちに来たまえと。あんた来たまえと言ってやりましたよ。  そしたら「キミは辛口だね」って。俺の唇をしゃぶったことがあるのか? なめたことがあるのか? そうしたら意味がわからないって。  その間、横にいたSPが笑いをこらえてましたよ。その人、バカでしたね。それですぐに選挙が始まって、落ちました。それぐらいのレベルの人なんですよ。どこの人とは言わないけど、70歳くらいで長崎出身。  総理になった鳩山由紀夫さんも似たようなもんですよ。身長180センチ、体重が72キロくらい、東大出で家は金持ち、ボクにとっては見たこともない完璧な人間だと思いましたよ。顔を見て、新聞に宇宙人みたいな顔と書いてあったけど、あれ以来、宇宙人の顔は鳩山さんだと、思い出してしょうがない。  鳩山さんもすごく頭が悪いですね。お母さんからもらった12億円を知らんと言ったんだから。なんぼ金持ちでも、12億円は知ってますよ。毎月、親から1,500万円ずつ、何年ももらっておいて、知らんて。親子の友愛、人との友愛と言っているんだから、その間に親と話す機会はあるでしょ。お母さんも知らんと言う。振り込んだ方も知らんし、もらったほうも知らんのよ。そんな頭の悪い政治家の仲間にはなりたくありませんよ。 (続く/企画・構成=本多圭) ●しまだ・ようしち 1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。

【島田洋七“がばい”独占手記/第3回】「ヤメロ、バカヤロー!」ビートたけしに“マジ”で怒られた夜

【島田洋七がばい独占手記/第3回】「ヤメロ、バカヤロー!」ビートたけしにマジで怒られた夜の画像1
 漫才ブームが去って売れなくなってから、いろんなことをやりました。六本木で「芸バー」もやりました。当時は東京にお笑いをやる劇場がなかったし、弟子を6人くらい抱えてましたからね、芸を披露する場としてオカマではなく、芸人の芸の芸バーを開いたんです。  ワイドショーが取材に来たんで、着物着て、化粧してオカマの格好をしてインタビューを受けたんです。たまたま、たけしが見ていたんでしょうね、夜、店にやってきて「ヤメロ、バカヤロー。恥ずかしいじゃねぇか。ヤメロ、バカヤロー、早く化粧を取れ。金に困っているならやるから、こんな恥ずかしいことはヤメロ」とマジに怒った。  明石家さんまもフジテレビの『オレたちひょうきん族』のプロデューサーと一緒に来て、「兄さん、恥ずかしいからやめてください、オカマにならんでもいいでしょ」と。あくまでギャグや、その日しかやりませんでしたからね。そう言いながら、たけしもさんまも心配してよく来てくれた。店は4カ月くらいやりましたかね。  その後だったか、伊豆で民宿をやろうと土地を買ったんですが、温泉が出ないことがわかって、失敗しました。  埼玉の所沢に住んでいるときには、ラーメン屋もやりました。「まぼろし軒」。名付け親はたけし。いつ潰れてもいいから。まぼろしのように現れて消えるからだって。  所沢では初の芸能人のラーメン屋ということで、たけしのアイデアで和田アキ子さんに電話して「花輪出してもいいですか」とお願いしたら、「ええよ」と言うんで出してもらった。所沢ですからね、西武の監督だった東尾修さんをはじめ、西武の選手の花輪がずらっと並びましたよ。  マイケル・シャクソンという花輪も出しましたよ。そしたら、外国のレコード会社の人から電話があって「マイケル・ジャクソンとお知り合いですか?」と問い合わせがあった。「いや、ジャクソンではなく、点々がないシャクソンです」と言うたら、「抗議でなく、知り合いか、友達かなと思っただけです」と。マイケル・ジャクソンと知り合いなわけないじゃないですか。ホンマ、いいかげんでしたね。  開店初日は、記念やから半額。ところが、たけしが『オールナイトニッポン』で「洋七の店のラーメンはタダらしいぞ」とまちごうて情報を流した。  店に700人くらいの行列ができたんです。パトカーがやってきて「ガードマンを雇って、整理してくださいよ」と言うけど、ガードマンなんておらんよ。お客さんに、なんで並んでるのと聞いたら、「たけしがラーメン、タダ、タダとラジオで言ってた」と。ラーメン、70杯分しか用意してませんよ。70杯分はタダにして、食べられんかった人にはすいません、すいませんと謝って回りましたよ。700人の列は結構、長い距離ですよ。近所の店にも迷惑をかけたんで、夜中に「たけしがラジオで言い間違えました」と謝りに回りましたよ。  10年前に所沢から佐賀に引っ越すんで、まぼろし軒は店長に退職金代わりにやるわ、と。今でもありますよ。  参院選にも出馬しましたね。法定得票数を取って、埼玉で5位で。供託金は没収されなかったですね。出馬するきっかけだけど、ある日、たけしと飲む時に背広を着て行ったんですよ。たけしから「おまえ、国会議員みたいだな。どうせ暇なんだから選挙に出ろ。おまえが言っていることは合っていることが多いからな、出ろ、出ろ」と言われたんですよ。  そういう話があった時に、所沢の行きつけの寿司屋に来るおばちゃんたちにも「洋七さん、選挙に出てよ。洋七さんが話していることはまともや」と言われて勝手連みたいなムードになったんで、ほな、出ようかなということになったんです。  といっても、選挙に詳しい人は誰もおらんし、選挙事務所もない。自宅を選挙事務所にして、近所のおばさんたちに手伝ってもらいましたよ。国政選挙は約2週間でしょ。朝8時半から走り回って、握手するだけ。終わるとグッタリ。酒もたばこもやらんから、2週間で9キロ痩せましたよ。  それにしても、選挙違反というのは、ようわからん。お菓子ひとつとってもスーパーの菓子はいいけど、虎屋の菓子はダメだとか。大宮で薬屋に入って、「よろしく」と言ったら写真を撮られて、選挙違反だと言われた。選挙参謀はいないから、わからんことばかりでした。  昔、埼玉県から参院選に出馬しましたが、選挙はようわからん。でも、新聞はバックに誰もついとらんことがわかっていたから、応援してくれましたね。たけしも「応援に来るからな」と言ったけど、来んかった。「洋七、政治はやばいな」だって。自分から選挙に出ろって言いながら、コロッと変わる。終わってから「惜しかったな」だって。いい加減にせいや。  選挙のレンタカー代やガソリン代を含めて、300万円を供託したんです。選挙が終わってから「供託金を返しますから、取りにきてください」って言うんで行ったんです。没収じゃなかったんですね。行くと2万円くらいの利子がついてましたわ。  そういうところは国はしっかりしてますね。  選挙初日はマイクを持っても照れますよ。それに「島田洋七です」と連呼していいのを知らんかった。わかった3日目からはテンションが上がりましたよ。ただ、選挙参謀がいないから、どこが県境かわからん。タレントでお笑いですから、話を聞こうと人は集まりますよ。  50人以上集まった場所で20分くらいしゃべって「島田洋七です、よろしくお願いします」と言ったら、聞いていた人たちが一斉に「ここは群馬だよ」だって。こんなことが十数カ所でありましたよ。秩父の先に行った時ですよ。東京と山梨の境なんですね。細長い東京都の土地を飛び越して、「島田洋七です」と演説していたら、パトカーがやってきて「洋七さん、ここは山梨ですよ」と言うんですよ。「えっ、山梨ですか」と言うと「どこまで来てるんですか」と言われて、道を教えてもらって帰りましたよ。  あと、選挙で思ったのは、自分でポスターを貼るのを知らんかったことですよ。埼玉は昔はダサイタマなんていわれましたが、人口は700万人以上ですよ。ポスターは1万1,700カ所。貼る人も貼らん人もいますが、組織がないと個人では無理ですよ。それに、1万部以上のポスターを作るのに金がかかる。選挙は金がないとダメだということがわかりましたよ。それでも2,000部くらい作って、近所のおばさんたちがあちこち貼ってくれた。それでは目立ちません。  でも、法定得票数を取って5位、落ちましたが、選挙のたびに出馬の誘いは来ます。でも、選挙はもうこりごり。たけしの誘いに乗ったボクがバカだった。  参議院選挙に落ちてよかったと思いますわ。私は国会というのは、頭のいい人が集まってやっているのかと思ってました。ところが、ウソつくのは平気。態度は横柄。  3~4年前に自民党から政権が民主党に代わる時、その時の大臣。私が京都から新幹線に乗ったら、その大臣がボクの顔を見て「キミ」と言うんですよ。ボクは弟子でもなんでもない。「キミ、テレビで見たな」、キミ、キミとあんまり言うから、ボクは「卵か?」と返したけど、シャレがわからん。「卵とは言ってないよ。キミだよ」とまた言われた。「ちょっと来たまえ」だって。来たまえって、時代劇じゃないんだから。  今どき、民間人に上から目線で物を言うんじゃないって。選ばれたと思って勘違いしている。俺たちが選んであげたのに。国会議事堂は1億2,000万人がみんなで話をするところ。入れないから代表で行っている。それを上からこっちに来たまえと。あんた来たまえと言ってやりましたよ。  そしたら「キミは辛口だね」って。俺の唇をしゃぶったことがあるのか? なめたことがあるのか? そうしたら意味がわからないって。  その間、横にいたSPが笑いをこらえてましたよ。その人、バカでしたね。それですぐに選挙が始まって、落ちました。それぐらいのレベルの人なんですよ。どこの人とは言わないけど、70歳くらいで長崎出身。  総理になった鳩山由紀夫さんも似たようなもんですよ。身長180センチ、体重が72キロくらい、東大出で家は金持ち、ボクにとっては見たこともない完璧な人間だと思いましたよ。顔を見て、新聞に宇宙人みたいな顔と書いてあったけど、あれ以来、宇宙人の顔は鳩山さんだと、思い出してしょうがない。  鳩山さんもすごく頭が悪いですね。お母さんからもらった12億円を知らんと言ったんだから。なんぼ金持ちでも、12億円は知ってますよ。毎月、親から1,500万円ずつ、何年ももらっておいて、知らんて。親子の友愛、人との友愛と言っているんだから、その間に親と話す機会はあるでしょ。お母さんも知らんと言う。振り込んだ方も知らんし、もらったほうも知らんのよ。そんな頭の悪い政治家の仲間にはなりたくありませんよ。 (続く/企画・構成=本多圭) ●しまだ・ようしち 1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。

【島田洋七“がばい”独占手記/第2回】次長課長・河本準一の“生保不正受給”騒動は「情けない!」

【島田洋七がばい独占手記/第2回】次長課長・河本準一の生保不正受給騒動は「情けない!」の画像1
 吉本興業の後輩・河本準一の生活保護の不正受給問題。情けないですわ。私が小さいときなんか、がばいばあちゃんがあんだけ苦労して生活保護なんか受けてないんですよ。  とりあえず、昔の人は働こうとしか思わなかった。うちのばあちゃんは44歳でじいさんを亡くしたとき、7人の子どもがいた。生活保護も何もなかった。7人きょうだいで、長女がうちの母親なんです。「これから先どうするの?」と近所の人のほうが心配する。ばあさん、くるっと振り返って「今から寝ます」と言ったらしい。  なんでそんなことを言ったのか聞いたら、「死んですぐに、そんなこと考えられるわけがない。頑張るんは私なんや」と。河本にも聞かせてやりたいですわ。  北野武の映画『アウトレイジ 最終章』が10月に公開されるけど、ボクにはたけしが映画監督と言われてもピンと来ん。たけしとは“漫才ブーム”で売れる前から、亡くなった横山やすしさんの紹介で知り合って、仲良くなりました。でも、いまだに照れ屋だから、電話でも恥ずかしそうに用件だけ言ってすぐ切っちゃうもん。「じゃーな」って。  たけしとやった1時間のショクナイ(業界用語で内職)の漫才はスリルがありましたよ。  漫才ブームが去った直後でしたよ。ボクが、ある保険会社に頼まれたんです。それまで歌手でやってたけど、ギャラが高すぎる。それに歌手も飽きたということで「漫才で1時間持ちますかね」と相談されたんです。  で、「たけしとどうですか?」と言ったんですよ。そしたら向こうが、「そりゃ無理でしょ」と言いましたよ。でも、やらなしょうがないとたけしに言ったんです。酒を飲んでいる時に「金はともかく、それじゃ行ってみっか」ということになって、3回行きましたよ。  忙しいたけしがショクナイで営業を行っているとは誰も思いませんよ。ギャラはたけしが相方のビートきよしさんに遠慮して言わなかったけど、1時間なんてやったことはなかった。ボケも突っ込みもありません。お互いボケと突っ込みですよ。ボクは田舎もんをバカにするネタ。たけしは下ネタは言いませんからね、得意な毒舌で1時間。会場は大爆笑でしたよ。今までで一番スリルがありましたね。1時間ですよ。今の若手は3分か5分。俺らを見習えって。  やっていて、たけしの記憶力は抜群だと思いましたね。漫才やりながら「昔、このネタ、10年くらい前やったよな」と。普通、10年前のネタ、忘れまっせ。彼ははっきりと覚えている。すごいと思いましたね。  たけしは映画を作ったり絵を描いたり多才ですが、彼にはお笑いの脳がある。頭の中は7割がお笑いですよ。だから、映画監督と言われてもピンと来ない。  そのたけしだって「フライデー事件」を起こした時は、あんなに強気な発言をしていたけど、「俺、漫才をできるかな」と弱気になった時もありました。石垣島の砂浜で、海の水が膝まで満ちてくるのも忘れて話しました。  マスコミの目がうるさいし、暖かいところがいいやろと沖縄の石垣島に行ったんですよ。芸能人って、事件を起こすと関わり合いになりたくないから、付き合うのをやめる人が多いでしょ。ボクの場合は売れる前からの友だちですからね。  ひとりじゃ寂しいだろうと思って、石垣島に何度も行きましたよ。強気な発言をしてましたが、裁判の判決を待っている時でしたからね。砂浜に座りながら「俺、刑務所に行くんやろか」と話してましたよ。「もし、懲役になったら、しょっちゅう面会に来いよ」と言うから、「そんなところ、しょっちゅう行けんやろ」と言いましたよ。「冷たい」と言うてたけど。  やっぱりビビッてたんですよ。ワイドショーで裁判所に入っていく時の顔と、執行猶予の判決が出て、出てくる時の表情はまったく違ってましたからね。紺のスーツに、カッターシャツ。実刑が決まれば、そのまま刑務所行きですからね。真剣な顔でしたよ。  石垣島では砂浜に海水がだんだん満ちてきて、膝の上までつかるまで気がつかないくらい話しましたよ。「もし、刑務所に入ったら、お笑いなんかできなくなる。どうしようかな」と言ってました。「もし、北野武という人間が芸能界からいなくなるんだったら、俺だってやめて広島か佐賀に帰る」と言いましたよ。  フライデー事件が終わった後にバイク事故でしょ。あの頃は3~4年に1回、何かありましたね。よく「死にたい」と言ってましたね。バイク事故から4年後に2人で会った時に、「ボチボチ何かやらな」と言ったら、たけしが「アホか、おまえがせい」って言うから「俺、別にすることないもん」言うたけど。  時々、人のせいにする。  TBSの『ニュースキャスター』で“洋七伝説”なんてコーナー作って勝手なことを言ってますが、自分がやったことを俺がやったことにしている。よく友だちが自分でやりながら人のせいにするのと同じですよ。  たけしとは漫才ブーム直後、2人で銀座で遊びましたよ。2人ともお客さんに連れて行ってもらったことはあったけど、自腹は初めて。たけしが、銀座には月に200万円稼ぐホステスが5~6人いるという週刊誌の記事を、1軒200万円かかると勘違いして、お互い2,000万円抱えて銀座に行きました。  8丁目のクラブ「G」というところに行きましたよ。入り口で「カバンを預かりましょ」と言われましたけど、「大金が入っているからいいです」と断ったら、変な目で見られました。  店に入っても、安いところばかりで飲んでいるから落ち着かない。20分たった頃にママを呼んで、「今、帰ったらいくらですか?」と聞いたんです。「クラブは一緒です」。それでも心配だから、また20分くらいたってから、ママを呼んで「今、帰ったらいくらですか?」と聞いたら、「普段、どんなところで飲んでんですか?」と聞かれましたよ。時間制の安いところと言ったら、「クラブは関係ない、1時間半はいてください」と言われて安心しました。  たけしが「洋七、こういうところで寿司を頼むと金持ちに見えるぞ」と言うんで、ボーイを呼んで、ホステスたちの分も含めて5人前頼んだんです。また、ボーイを呼んでたけしはほかの客にも聞こえる声で、「いま頼んだ寿司は並じゃなく、上、上」と連発したんです。そしたら、ピアノを弾いていた黒人が「お呼びですか?」と来た。その人、ジョーという名前だったんですよ。「あなたじゃなくて寿司の上」と言って戻ってもらいました。  ボトルを入れる時も大変でした。ボクら高い酒は飲まんから、ボトルの名前もようわからん。当時、レミーマルタンというブランデーがはやっていた。たけしに「レミー知ってるか?」と聞いたら「レミーなんてねえちゃん知らねぇよ」と言う。店のボーイが「ヘネシーはどうですか?」と言ったらたけしは「ヘネシーって外人は知らねえな」。仕方なくサントリーのリザーブを頼んだら、ないと言われた。当時、日本のウイスキーはクラブに置いてなかったんです。  2人で割り勘でしたが、13万円。30年以上前ですが、ママが安くしてくれたんでしょうね。あんなきれいな人がぎょうさんいるとは思いませんよ。安かったですよ。それに「サインしてくれ」と言うホステスもいませんしね。  佐賀のスナックだったら大変ですよ、じいさんばあさん、軽四輪に乗せて「ほら、洋七、来てッとばい」。家からじいちゃんばあちゃん、連れてくるなって。 (続く/企画・構成=本多圭) ●しまだ・ようしち 1950年、広島県生まれ。本名・徳永昭広。広陵高校出身。1975年に島田洋八と漫才コンビ「B&B」を結成し、ツービート、紳助・竜介とともに「漫才ブーム」を牽引した。