もうネタにしないで! ナイナイ岡村隆史が芸能人結婚のたびにリスナーを“ドン引き”させるワケ

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いつの間にそんなキャラに
 最近、すっかり「イタいおっさん」が板についてきたお笑いコンビ・ナインティナインの岡村隆史が、またしてもリスナーを“ドン引き”させてしまった。  岡村は1日深夜放送のニッポン放送『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』で福山雅治と吹石一恵の結婚を話題に上げたが、「ずっと『隠れパーフェクト美人』と言うてたんですよ。福山君より先やと思うんですよ」と吹石への思いを吐露し、「いつもヒソヒソ話やったんですね。あの人、綺麗やなぁ。パーフェクトやなぁって」と、福山への嫉妬感丸出しのコメントを出した。  岡村としては旧知の間柄である福山の結婚を祝福する言葉だったのかもしれないが、ネット上では「まじでキモイ」「自己評価高すぎ」「すっかり嫌われキャラ」など散々に叩かれている。 「美人女優との結婚を夢見る話はよく明石家さんまなどが使うネタですが、さんまの場合は以前女優と結婚していましたし、いまだにスキャンダルを報じられるプレイボーイですから、軽いジョークに聞こえます。岡村の場合は“結婚できないおじさん”イメージが強く、ジョークにしても生々しい(笑)。リスナーとしても拒否反応が出てしまったんでしょうね」(芸能記者)  これまでも岡村は、著名人の結婚や出産に対し落胆か負け惜しみかのような発言を繰り返してきた。かつて熱愛疑惑が報じられた熊田曜子の結婚の際は「好きやった。でもビビッた」と過去をほじくり返して批判の的に。上戸彩の出産に際しては「娘さんと結婚できれば上戸彩ちゃんの息子になれる」と語って多くのリスナーを震え上がらせた。最近でも堀北真希と結婚した山本耕史の“ストーカー寸前”のアプローチに苦言を呈したものの、「そりゃあ岡村がやればストーカーだからな」と呆れさせる始末だ。 「2010年6月から半年ほど休養した岡村は、復帰後なぜか“物申す芸人”になってしまい、多くの問題発言で物議をかもしています。特に自身が芸能人であることを“特権”と捉え、ネットユーザーなどを見下すような発言が多い。DA PUMPのISSAが元AKB48の増田有華との熱愛を報じられ、ISSAに対しAKBファンからヤジが飛んだことにも『お前らとISSAはステージが違う』と一蹴し怒りを買っています。休養の理由は精神的なものとされていますが、このような“差別発言”を見るに情緒が安定しているとは思えませんね」(同)  自身を棚に上げ、感情のおもむくままに上から目線で発言し、他人の幸せにはネタ込みで嫉妬発言を連発……。“結婚できない”が、もはやネタにしても痛々しすぎる現状に、岡村は気づいているのだろうか。

ナイナイ・岡村隆史がNMB48を批判!? ご意見番気取りに「心が狭すぎる」「矛先間違ってる」と波紋

okamura053.jpg  16日深夜放送の『ナインティナイン 岡村隆史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)での岡村の発言が、NMB48のファンの間で物議を醸している。  岡村は、13日に決勝戦が放送された“コント日本一”を決める大会『キングオブコント2014』(TBS系)を振り返り、「すべての人(芸人)たちのレベルが高くて、めちゃくちゃ面白かった」と絶賛。続けて、「よう新聞に載ってるアイドルさんが、コンビを即席で組んで『キングオブコント1回戦、突破しました』とか、もうあいいうのやめませんか? あれ(決勝戦)見たら、あのレベルにないっていうの、毎年分かりませんかね?」と苦言を呈し、その理由について「2810組(のネタ)を、審査員が見ないといけないわけじゃないですか。ほんなら、審査員も飽きてきますよ。面白いコンビを見落とすんちゃうかなって」と臆測を展開。さらに、「あの決勝のコントを見て、『また来年出よう』って思わないでください。僕も出ませんもん、あのレベルやったら」と、重ねて注意した。  『キングオブコント』といえば、これまでNMB48のメンバーが即席グループで出場し、話題に。今年もNMB48の渋谷凪咲、大段舞依、中野麗来のトリオ「NMR48」が出場したほか、過去には岸野里香と小笠原茉由のコンビ「カルビ&ロース」や、近藤里奈、小谷里歩、白間美瑠のトリオ「TMR48」が挑戦している。 「NMB48の一部メンバーは同大会だけでなく、ピン芸人の大会『R-1ぐらんぷり』や、20歳以下のお笑いの大会『ワラチャン!』などに出場し、過去には『R-1』で3回戦に進んだメンバーも。NMB48は、吉本興業系列の事務所に所属しており、結成当初から“アイドルとお笑いの融合”を掲げている。アイドルの大会出場については、ネット上で『お笑いを舐めてる』『芸人に失礼』などと炎上したこともあったが、これらの大会は吉本興業主催であるため、事務所側が出場を促すのは自然な流れ。岡村が苦言を呈すなら、アイドルに向けてではなく、参加規定を定める吉本興業に抗議するべきでしょう」(芸能ライター)  岡村のくだんの苦言について、ネット上では共感するお笑いファンもいる一方で、「心が狭すぎる」「NMB48は参加規定に反しているわけではないだろ」「文句を言う矛先が間違ってる」と異論も目立つ。また、「言ってることは間違ってないんだけど、上から目線の物言いがイヤ」「最近の岡村って、偉そうな態度で損してる」と、態度そのものへの意見も少なくない。 「相方の矢部浩之が降板し、今月からピンで『オールナイトニッポン』のパーソナリティーを務めている岡村ですが、ここ2~3年はご意見番気取りの発言が急増。中には的外れなものもあり、ネット上ではすっかり“炎上芸人”として認識されている。先月も、全米オープンで決勝に進出したテニスの錦織圭選手について『ゆとり教育でアホが増えた分、スポーツでガンッていく人が出たのかなと思います』と発言し、『これじゃあ、錦織選手がアホみたいじゃん』『錦織選手は早いうちから留学してるから、的外れ』と異論が殺到したばかり。岡村の好感度は、ダダ下がり中です」(同)  『キングオブコント』にアイドルが出場する是非はさておき、岡村の今回の発言は、しばらく波紋を広げそうだ。

芸人顔負けの話術でリスナーを引き込む 鈴木おさむ『よんぱち~WEEKEND MEISTER~』

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『よんぱち~WEEKEND MEISTER~』
ラジオ解説者・豊田拓臣がラジオ難民に贈る、オススメの番組ガイド  いきなりのボヤキで恐縮だが、我ながら中途半端な時期に連載を始めてしまったと思う。ラジオ業界は4月と10月に番組改編が行われるからだ。つまり、次回を含む4回の原稿で取り上げた番組が、今月いっぱいで終了……なんて事態もあり得る。そんな恐怖心と戦いながら、オススメ番組を紹介させてもらおう。  今回は『よんぱち~WEEKEND MEISTER~』。TOKYO FMで金曜日の午後1時から4時30分まで放送されており、放送作家の鈴木おさむと、タレントの木夏リオがパーソナリティーを務めている。  タイトルの「よんぱち」とは、放送後に訪れる土曜日、日曜日のこと。その「48時間」をより盛り上げるエンタテインメントを提案するのが趣旨である。番組開始は2004年。今年で10年目、2月28日で放送500回を迎えた長寿番組であるが、「ラジオ関連の企画で取り上げられない」と、鈴木おさむが寂しがっているというウワサを耳にした。おそらく、「鈴木おさむ=テレビの放送作家」との印象が強いからだろう。  しかしこの番組を聴けば、氏に対する認識が大きく変わるに違いない。通常、この手のコンセプトでは、エンタメ情報の提供を主眼に置いた「情報番組」になることが多い。具体的にいえば、週末に行われる音楽・お笑いライブ、映画、舞台や、オススメの新譜、書籍を紹介していくという作りだ。  だが『よんぱち』は、鈴木おさむの個性が前面に押し出された「パーソナリティー番組」である。聴けば聴くほど、氏の“エンタテインメントへの愛情と造詣の深さ”が伝わり、それらを形にする技量に驚かされるのだ。  特に、ゲストとのトークを聴くとよく分かる。この番組は、話題のエンタメに関わる人物(出演俳優や歌手、作家など)を3人ゲストに招き、話を聞くのがメインコーナーとなっている。大抵の場合、鈴木おさむがゲストに問いかける形で進行するのだが、氏は、言葉を投げかけた直後に相手が良い回答、すなわち発展性のあるネタを持っているかを瞬時に見抜く。そして、あると判断すればゲストに主導権を委ね、ないと思えば自分の体験談を元にトークを膨らませていくのだ。放送作家でありながら、一流のしゃべり手と比較しても遜色のないコミュニケーション力を持っているのである。  事実、氏は恐ろしく頭の回転が速い。自分がインタビューされる側になった場合でも、普通ならば2~3回やり取りした後に出てくる回答が、1発で出てくる。要するに、相手がどんな言葉を欲しているのか、すべてお見通しなのだ。結果、必要な話は聞けているのに、インタビューは10分で終わる……なんてライターにとっては不思議な現象が起きる。  上記は余談だが、その切れ味は番組にも表れている。パートナーの木夏リオが進行を担当するコーナーはテンポが違うとか、もしくは鈴木おさむから話を振られて回答にまごついているといった印象を受けるかもしれないが、彼女が遅いのではない。氏のテンポが速すぎるのだ。そもそも3時間半にわたり、あのスピードと情報量に付き合える人間はなかなかいない。想像に過ぎないが、生放送終了後の木夏リオはクタクタになっていることだろう。  そうやってハイペースで情報量の多いトークをしていながら、内容がリスナーの頭にすんなり入ってくるのも、氏のすごさといえよう。その理由は「丁寧さ」にある。例えば、自分が担当しているテレビ番組のエピソードを披露する際は、「僕が担当している○○って番組には△△君が出ているんだけど、そこで……」といったように、前提条件からちゃんとしゃべってくれる。その上で時系列が行ったり戻ったりせず、話の「結」へまっすぐに向かっていく。しゃべり手や芸人も顔負けの話術といえよう。  では、氏は特別な訓練の末に、それらの能力を得たのか。おそらく違う。氏の活動を鑑みるに、エンタテインメントが好きで、自分の携わった作品を1人でも多くの人に知ってもらいたい。ならば、どうすればいいか……と突き詰めていった結果、今のしゃべりが身についたのだろう。実際、テレビ、ラジオ、舞台、執筆など幅広いジャンルに取り組み、すべて同列に扱っているのだ。どうしても報酬や相手にする人数の多寡で優劣をつけてしまいがちだが、氏はどれも同じように、どれも大切にしているのが分かる。だからこそ色眼鏡なしに現状を把握、分析し、必要なものを提供でき、結果として売れっ子作家になったのであろう。  以前はTBSラジオでも番組を持っていたが、現在、氏が担当しているのは『よんぱち』のみである。もっと氏のパーソナルな部分がのぞける番組も聴きたい……。そう思うのは私だけではないはずだ。 (文=豊田拓臣/文中敬称略)

実は本格的なしゃべり手? 元・フジ平井理央の意外な才能が開花する『WONDER VISION』

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平井理央 公式サイトより
ラジオ解説者・豊田拓臣がラジオ難民に贈る、必聴の番組ガイド  本稿執筆時では、みのもんたの担当番組終了と、4月からの新番組開始がアナウンスされている。だが、自分が生まれる前からしゃべっている人に対し、何かいえるほどの人間ではない。身の丈をわきまえつつ、当コラムに取り組ませてもらう。  さて、今回紹介するのは『WONDER VISION』。J-WAVEで日曜日の朝6時から9時まで放送されている番組だ。ナビゲーター(しゃべり手をJ-WAVEではこう呼ぶ)は平井理央。幼い頃からアイドルとして人気を博し、大学卒業後にフジテレビへアナウンサーとして入社。2012年に結婚・退社し、フリーへと転身した……という経歴は、日刊サイゾーをご覧の方ならご存じだろう。  番組開始は昨年4月。コンセプトは「ソーシャルデザインを合言葉に、より楽しい世の中を作るためのヒントを探す」。番組の趣旨に横文字が多く、放送局がオシャレ。……ラジオが好きな人ほど、敬遠してしまいそうだ。  だが、それらを補って余りあるほどの魅力が、平井理央のしゃべりにはある。まず第一に、口調に押しつけがましさが一切ない。そのため、堅苦しくなってしまいそうなコンセプトの番組を、非常に楽しく聴かせてくれるのだ。本人もインタビューで、「私、人間の中身として適当だったりとか、ちょっとひょうきんな部分もあったりして」(『ラジオ番組表2013年春号』三才ブックス)と話しているが、その性格が反映されているのである。  また、声だけで感情を表すのが抜群にうまい。楽しい話題のときは明るい声でしゃべり、悲しい話のときは少しトーンを落とすといった基本的な手法ではあるのだが、その微妙な変化でリスナーに自分の気持ちを伝え、共感を得ることができる。映像を見せ、自分の感情を隠して情報を伝えるテレビのアナウンサー出身とは思えない技を持っているのだ。  一方でゲストが来たときには、元アナウンサーの腕を惜しみなく披露してくれる。話の聞き役に徹して情報を引き出した上で、相手のトーク力に合わせた会話ができるのだ。その長所が遺憾なく発揮されたのが、今月16日の放送であろう。この日の番組テーマは、「いいチームの作り方」。ゲストに専修大学附属高校の教師と、元プロ野球選手の古田敦也を迎えた。同時にではないが、同じ日に技量がまったく異なる2人とトークをしているわけだ。  前者は、日本で唯一「チーム作り」という授業を行っている教師。授業内容や始めたきっかけなどを尋ねたのだが、教師は「具体的にどんなことをするのか?」という問いに、「“アイスブレイク”といって、ミニゲームなどのレクリエーションを学んだりします」と答えた。これだけでは、授業内容も効果もリスナーには伝わらない。そこで彼女は、「ゲームを学ぶと、どういうことが起こるんですか?」と質問し、相手をフォローしている。しかも優しい口調で何気なく、である。こうして相手の緊張を徐々にほぐし、気持ちよくしゃべらせることに成功している。  後者は言うまでもなく、東京ヤクルトスワローズで選手兼監督を務めたほどの人物だ。頭の回転が速く、質問者の意図を察して回答できるため、現役時代からしゃべりには定評がある。そこで彼女は、「今、お話をうかがっていて、『はい、監督!』って言いそうになりました」なんて変則的な返答を交えながらトークを進めた。彼女にこのようなちょっとした冗談を入れられるセンスと、入れていいタイミングを見計らう能力があるからこそ、『WONDER VISION』から「気取った番組」といった嫌な臭いがしてこないのだ。  そして彼女は、相手に合わせるだけではなく、自分の考えを論理立ててしゃべることもできる。番組のエンディングで感想を述べるのだが、本番中に聞いた話や出来事を交えながら的を射た総括をしている。3時間で何を伝えるべきか、本当に伝えられたかを客観的に分析できている証拠といえよう。容姿や声のかわいさが取り上げられがちだが、実は本格的なしゃべり手。それが平井理央なのである。  最後にもう1つだけ。『WONDER VISION』のようなコンセプトの番組では、評論家や何らかの教授といったお堅い肩書の人をしゃべり手にしてしまいがちである。その中で、彼女をナビゲーターに据えたスタッフの慧眼に拍手を送りたい。こういったチャレンジの積み重ねが、ラジオ人口の増加につながっていくのではないだろうか。 (文=豊田拓臣/文中敬称略)

『中学生円山』が、そのままラジオになった!? 『宮藤官九郎のオールナイトニッポン GOLD』

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大人計画 公式サイトより
ラジオ解説者・豊田拓臣がラジオ難民に贈る、必聴の番組ガイド  今回紹介するのは、『宮藤官九郎のオールナイトニッポン GOLD』。2013年にNHK連続テレビ小説『あまちゃん』が大ブームとなった「クドカン」こと、宮藤官九郎がパーソナリティーを務める番組である。  放送時間は毎週火曜日の22:00~24:00。ニッポン放送をキーステーションに、全国のラジオ局でネットされている。  さて、あまりしゃべるイメージのないクドカンだが、自ら「たけしチルドレン」だと公言している。81年1月から90年12月まで放送された、『ビートたけしのオールナイトニッポン』の多大な影響を受けているというのだ。正確には、「たけしになりたかったけど無理なので、その前で笑っている高田文夫になりたい」と思ったそうだ。しくじりにつながりそうな発言だが、9年ほど前に高田先生を取材させてもらったとき、クドカンを褒めていたので、すでに本人公認の話なのだろう。  それはさておき、この番組はクドカン自身がラジオ好きなことと、番組の作り手でもあることが相まって、ラジオの魅力が詰まった番組になっている。偉そうな言い方をさせてもらうと、ラジオでの遊び方が分かっているのだ。  その点は「烏丸せつこ最強説!」と、「お母さんに代わって!」の2コーナーが端的に示している。まず「烏丸せつこ最強説!」は、2本の映画の濡れ場をクドカンが鑑賞し、より興奮させてくれた女優が勝ち残るというコーナーだ。映画の音声は放送に乗らないが、クドカンが拙い(失礼)言葉で状況を説明してくれる。最初はリスナーが好きな女性芸能人とその魅力を投稿し、クドカンが最強だと唱えている烏丸せつこを超えられるか競う内容だったのだが、回を重ねるうちに趣旨が変わっていった。そして、14年2月4日現在で勝ち残っているのは、津川雅彦である。……もう、何がなんだか分からない。 「お母さんに代わって!」は、投稿をくれた若い女性リスナーと電話をつなぎ、本人とのトークはそこそこに、その母親とじっくり話をするコーナーである。何を意図してこんな内容にしたのか、考えれば考えるほど深みにはまる。  ただ、これがラジオなのだ。何事においても「情報がなければ価値がない」と判断されがちな現在において、「下らない」「意味がない」の一点突破で2時間の番組が作れてしまうのである。 「いやいや、テレビでもできるのでは?」と思う向きもあるだろう。だが、「烏丸せつこ最強説!」を映像付きでやろうとするとどうなるか。まず、権利関係の問題が発生する。映像を流すために、著作権者などの許可を取らなければならない。さらに、最近では出演者本人の許可も必要な風潮になっている。となると、OKしない女優もいるだろう。権利権利とうるさい昨今、「面白い」だけでは企画が通らなくなっているのだ。と同時に、良識がある(と自分では思っている)方々からの抗議も覚悟しなければならない。番組の作り手からすれば、はっきりいって面倒臭い。これらが各種エンタテインメントをつまらなくしている「自主規制」につながっていくのだが、余談なので今回は割愛させてもらう。  ともかく、映像や音声を使わなければ、上記の点は一切気にしなくていい。鑑賞者の言葉から想像を膨らませ、一緒になってリスナーが盛り上がっている分には文句のつけられようがない。しいていえば、「その姿が気持ち悪い」などの意見があるかもしれないが、完全に無視して構わない。なぜなら、そんな発言をする時点で、「私は仲間になれません」と表明しているからだ。リスナーになり得ない人間の意見で軸がブレる。これほど本末転倒なことはないだろう。 「お母さんに代わって!」も同様である。映像ありでやろうとすると、相手の元へカメラが行き、「画作り」が始まる。「娘さんは1カメで撮るので、目線はそっち。お母さんは2カメで撮るので、顔をあっちに向けるように」的な指示である。そして映像の世界では、画作りが出演者の行動を制限することがままある。「カメラのフレームに入らないから、この範囲内で動いてください」なんてことが、平然とまかり通ってしまうのだ。そんな不自然な姿を見て、面白いとは思えないだろう。何より「お母さんに代わって!」は、声だけだから笑えるのだ。映像があったら想像の余地がなくなる。結果、一部の嗜好の人にしか楽しめない内容になってしまう。  もちろん迫力を伝えるには映像のほうが優れているし、画で見せれば誰にでも分かるといった長所はあるので、「映像はすべてダメ」といっているわけではない。ただ、音だけでも楽しめる方法があると、頭にとどめておいてほしいのだ。 話を『宮藤官九郎のオールナイトニッポン GOLD』に戻そう。  この番組の面白さは何かを突き詰めていくと、「中学生がそのまま大人になって遊んでいる」感に行き着く。クドカン監督の映画『中学生円山』のテイストが、音声だけのメディアで繰り広げられていると考えてほしい。  また、フリートークでは、脚本家としても役者としても売れっ子であるクドカンの私生活が垣間見える。芝居の共演者との関係や稽古場であった妙なこと、さらには娘と遊んだときの様子など、他メディアでは聴けない話も満載だ。ラジオファン、クドカンファンだけでなく、演劇好きや業界通ぶりたい人も必聴の番組といえよう。 (文=豊田拓臣/文中敬称略)

不慣れなラジオの世界に切り込む、大喜利王者の一番槍『バカリズムのオールナイトニッポンGOLD』

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『バカリズムのオールナイトニッポンGOLD』
しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。  あのバカリズムが、ラジオで意外にも初々しさを炸裂させている。初々しさとはつまり、ある種の違和感であり、かわいげであり、アナーキーさでもある。リスナーによるネタ投稿を重視する芸人ラジオとバカリズムが得意とする大喜利との親和性を考えると、むしろなぜこれまで彼がラジオという場所にコンスタントな活動の基盤を持たなかったのか不思議なくらいだが、この10月から始まった『バカリズムのオールナイトニッポンGOLD』(ニッポン放送 毎週月曜22:00~24:00)は、バカリズムにとってラジオで初めての、まさしく「待望の」レギュラー冠番組である。  バカリズムの発散する初々しさは、自らも番組内で認めているように、実のところラジオに対する「不慣れ」から来ている。3度の単発放送を経てのレギュラー化ではあるが、まだまだ十分に不慣れである。それは、ラジオパーソナリティーとしての経験値の少なさによるものであると同時に、ラジオリスナーとしての経験不足によるところが大きいだろう。実際、バカリズムは芸人には珍しく、これまでラジオをあまり聴いてこなかったという。彼のネタのニッチな方向性からすると、ラジオの投稿職人上がりだといわれたほうがむしろ自然なくらいだが。ちなみにそのコントの作り込み具合と映画学校出身であることから、映画もさぞたくさん見ているだろうと思われがちだが、こちらもそんなに見ておらず、30過ぎてから『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をようやく見て、おすすめ映画に挙げたら笑われたという。  さらにはラジオや映画だけでなく、各方面の情報に疎いらしく、大人気朝ドラ『あまちゃん』(NHK)も見ていないため、NHKのレギュラー番組に出演者が来た際にはリアクションに困り、「ですよねー」と「そうそう」という当たり障りのない相づちでなんとか乗り切ったと語る。『半沢直樹』(TBS系)も見ていないから「倍返しだ!」とカマされてもさっぱり乗れず、「お・も・て・な・し」もいまだによくわかってないから「どうやら、滝川クリステルさんが放ったギャグなんですよ」と、いい感じの誤解を表明してみせる。  つまりこの人にとって、不慣れであり情報に疎いということはある種のデフォルトであって、さほど珍しい状態ではないということである。この状態で頻繁に単独ライブを開催するほどのネタを高水準で生み出し続けているというのは信じがたい事実だが、むしろ「まっさらな状態で物事に向き合える」という創作上のメリットがあるというのもまた間違いない。それは彼のように「物事に新たな角度を見出す」タイプの人間には必要不可欠なスタンスである。  たとえば、バカリズムには「都道府県の持ちかた」という代表的なネタがある。彼は以前、伊集院光の番組にゲスト出演した際にその発想の源について訊かれ、「たまたま部屋に貼ってあった地図をボーッと眺めていたら、どこに何県があるとかわからないから、都道府県が情報ではなく『形』として目に飛び込んできて、持つとしたらあそこだよなぁ」と思ったのがきっかけだと語っていた。情報が頭に入っていないからこそ、プレーンで新たな視点を獲得できるという、まさに彼の創作スタンスを象徴する好例だろう。もちろん、最後の「持つとしたら」の部分へたどりつくには、常人にはなし得ない飛躍が必要だが。  そんなバカリズムの創作姿勢を踏まえてこの『オールナイトニッポンGOLD』を聴いてみると、彼の不慣れに感じられる部分が、実は新たな視点を獲得するための強力な武器であることが見えてくる。  基本的に彼はまだ、「ラジオならではの距離感」に取り込まれていない。それが不慣れであり初々しくも感じられる最大の要因なのだが、あらゆるジャンルには特有の距離感というものがあって、それはリアルとSNS上の人間同士の距離感がまったくの別物であるように、ラジオにも独特の距離感というものがある。その距離感はその世界においては「常識」になっているから、そこに新たな基準を持ち込むと、一時的に受け手の混乱を招いたりもする。  実際、レギュラー放送初回の冒頭でバカリズムは、リスナーからの「なんとお呼びしたらいいですか? 好きな呼ばれ方はありますか? もしくはリスナーとわかる呼び方を新たに決めるとか」という内容の、ラジオでは良くあるタイプの距離感を詰めてくるメールを途中まで読んだ上で、「長い!」のひとことで一蹴するという、会心の一撃をいきなり繰り出した。結果として、このやりとり自体が「ありがちなラジオ」に対するパロディとして成立しており、すでに互いの距離感が確定している状態であれば温かい笑いが生まれるはずなのだが、その後リスナーからは、「オープニングでバッサリとリスナーを切り捨てる姿に足が震えています。バカリズムさんは僕たちのことが嫌いですか?」「バカリズムさんは長いメールが嫌いということで……」という怯えたメールが寄せられるという不測の事態に。  とはいえ確かに、この手の質問メールは半ば儀礼的なもので、特に面白く答えようのないものであるという判断は、おそらく正しい。ちょっと厳しいように感じるかもしれないが、これはリスナーを単なるファンとしてではなく、対等な対話相手としてその実力を認め、尊重するというスタンスの表れでもある。その証拠に、彼はコーナーに寄せられたそれぞれのメールに対し、非常に分厚いコメントをつけ加えて笑いを増幅させる。たとえばエロに関する偏見を募る『エロリズム論』のコーナーでは、「好きなアーティストを訊かれたときに、『誰も知らないと思うけど』を枕詞にしてマイナーバンドを答える女はマグロだ」という投稿に対し、「超わかる」「優越感に浸ってる顔」「サブカルぶってる女の感じ」「わかったわかった、はい詳しい詳しい」「マグロでもカジキマグロ」「貞操観念ゆるいくせにマグロ」「で、乳首が長い」「全然、歳言わない」「会う人によって歳変えてたりする」と、異様に元ネタを深追いして自身の偏見を乗っけまくるシンクロ率の高さ。  かと思えばやはり厳しい部分もあって、各コーナーごとに「面白がり方は発想というよりもチョイスの部分」「変にうまいことたとえるのではなくて、もっと不条理な感じ」などと、もちろん初回というのもあるが、リスナーに踏み込んだ方向性のアドバイスまで授けている。普通は「投稿者任せでコーナーの方向性がその都度変わっていき、収集がつかなくなった時点でコーナー終了」というパターンの番組が多いのだが(それはそれで面白い)、ここまでやるのは、かつて『JUNK』(TBSラジオ)をやっていた頃のアンタッチャブル柴田以来である。しかしこの遠すぎたり近すぎたりするバカリズム独特の距離感は、いずれにしろリスナーのセンスを尊重した姿勢と見るべきだろう。結果として投稿者のモチベーションはかなり上がっているはずだ。  それ以外にも、番組内に挿入される2度のニュースを読み上げる報道部のデスクの女性に異様に興味を示し、「2回目のニュースまでの間、何してたんですか?」「『デスク』って格好いいですよね」「デスクはみんなあるじゃないですか。僕もデスクあるんですよ家に」と急激に距離を詰める質問を連発するなど、その独特の距離感と角度のある視点は至るところに発揮される。  新しいものは常に外部から持ち込まれるといわれるが、もちろんその世界に一歩足を踏み入れたら、外部の人間も内部の人になる。つまり新参者には、内部にいながらにして外部からの視点を持ち続けることが求められるわけだが、ラジオにとってバカリズムは、話のプロである芸人であり投稿職人気質を持っているという意味では内部に、一方でラジオパーソナリティー経験の少なさ、そして聴取経験の乏しさという意味では、今のところまだ外部の感覚を残している。この先、経験を積むことでいくらか様相が変わるのかもしれないが、そもそも彼は、不慣れで情報のないところから奇抜な発想を立ち上げる魔術師である。その点を踏まえるならば、ラジオがバカリズムを飼い慣らすよりも、彼の外側からの視点がラジオをいい意味で変えてくれるのではないかと、期待が膨らむ。 (文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>) 「逆にラジオ」過去記事はこちらから

高嶋政宏のプログレッシブな面倒臭さ全開の10時間ラジオ『今日は一日“プログレ”三昧3』

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NHK-FM 『今日は一日“プログレ三昧”3』
しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。  史上最高に「面倒臭い」音楽番組である。何しろ、取り扱う音楽ジャンルが複雑怪奇な「プログレッシブ・ロック」限定で、放送時間は10時間。1曲目から25分強の曲がかかり、やっと終わったかと思えば、今度はうんちくまみれの音楽語りが止まらない。9月23日に放送された『今日は一日“プログレ三昧”3』(NHK-FM 12:15~22:45)は、そんな面倒臭さが絶妙な違和感となって通りがかりのリスナーを惹きつけるような、ある種理想的な音楽番組のありようを提示してくれた。  そもそもこの番組は、毎回ひとつのテーマに特定して一日中音楽を流すという特番「三昧シリーズ」の一環であり、ほかにも『“パンク/ニュー・ウェイブ”三昧』『“プロ野球ソング”三昧』『“ひげ男(メン)ソング”三昧』など、オーソドックスなくくりから斬新すぎてピンとこないくくりまで、これまでもさまざまな『三昧』が放送されている。その中で「プログレ」というテーマは最も硬派な部類に入るが、だからこそ出演者、リスナー共にこだわりが強く、面倒臭いということでもある。  今回はそんな『“プログレ”三昧』の第3弾。番組は、ナビゲーターの山田五郎と音楽評論家の岩本晃市郎とプログレマニアのリスナーが、今回初登場でプログレ初心者のNHK荒木美和アナにプログレの魅力を伝えるプロセスを通じて、ラジオの向こうの初心者リスナーにもプログレの良さをわかってもらおう、という図式である。司会の山田自身がプログレマニアな上、専門の音楽評論家もいて、さらに山田から「プログレはリスナーも面倒臭い」といわれるほどにマニアックなリスナーが山ほどメールを送ってくる状況は、プログレ初心者の荒木アナにとって、すでに十分過酷なアウェイの場といえる。  しかし今回はそこに、さらに恐ろしく面倒臭い男が登場した。「スターレス高嶋」こと高嶋政宏である。キッスのメイクで弟の泥沼離婚問題に関する質問にまで受け答えしたことで、結果的にその天然っぷりと人のよさと比類なきロックへの忠誠心を示すこととなった、あの高嶋政宏である。何しろ、キング・クリムゾンの名曲「スターレス」をその名に冠する男、彼のプログレ愛はもう誰にも止められない(というと、「そんなメジャーなバンドの曲を名乗るようではまだまだ甘い」というのがプログレマニアの面倒臭さなのだが)。  高嶋は登場まもなく、プログレ初心者の荒木アナにロック・オン。映画『バッファロー’66』のサントラでプログレをちょっと聴いたことがあるという荒木アナに対し、「プログレをコンピで聴く女は信用できない」といきなり憤慨。「荒木さん、プログレはベースとドラムの技術を聴かないとダメなんですよ。バスドラの踏みとか」と頼まれてもいない個人教育を始め、「さっと流しちゃダメなんですよ。家帰ってライナーノーツ見ながらヘッドフォンでじっくり聴かなきゃダメ」と正しい聴き方まで熱血指南。その直前には高嶋自身、「キング・クリムゾンの『レッド』を聴きながら毎日ウォーキングしている」と言っていたのに、他人には「ながら聴き」を許さないという見事なまでの自己矛盾。そしてさまざまな曲と目の前のプログレマニア3人の解説を聴いていくうち、「何がプログレかわかんなくなってきました……」とこぼした荒木アナの反応に、「何がじゃないんですよ! 感じてくださいよ!」と突如ブルース・リー化。それまで長々と説明してきた自らの理屈っぽさをも、一撃で全否定してみせる。  ほかにも、荒木アナがプログレならではの長く面倒な曲名に出てくるカッコや「~」まできっちり読まないと急に不機嫌になったり、NEU!(ノイ!)というバンド名の「!」の部分が伝わるように語尾を強調して読んでほしいと言いだすなど、高嶋の面倒臭さは留まるところを知らない。ところが、次の箇所でその読み方を高嶋の指導通りに実践すると、「いいですよ、いいですよぉ」と村西とおる口調で突如、別人のように上機嫌になるあたり、驚くほどの純粋さをも感じさせる。  しかしこの、理屈であって理屈じゃない感じ、そして自己矛盾を抱えたまま進んでいく話の展開の読めなさは、まさにプログレ的なこじれ方といえるかもしれない。言われている方からしてみれば、単なる面倒なオヤジだが……。まさに山田五郎言うところの「プログレ・ハラスメント」である。  しかし同時に、その面倒臭さこそがこの番組の魅力でありプログレという音楽の魅力でもあって、そこを明確に自覚している山田が司会を務めているというのが、やはりこの番組の肝だろう。マニアとしてジャンルの内側にいながら、同時に外側からの視点をも持ち合わせている。内部にマニアックな知識欲を抱えながら、常に外側に向けて開かれた言葉を持っている。この日は20代女性から寄せられたメールも多く読まれ、中には10代のリスナーまでいて驚いたが、そういった70年代プログレ全盛期を知らないリスナーが増えているのは、山田がプログレ及びプログレファン(自身含む)を形容する際たびたび口にする「面倒臭い」という言葉があるからだろう。  通常、マニアがビギナーをその世界に引き入れるためには、何よりもまずその簡単さや取っつきやすさをアピールするものだが、マニア側にいる彼の口から「プログレは面倒臭い」という言葉が発せられることによって、逆に面倒臭いからこそプログレがいい音楽なのだということが伝わる。彼のように、マニアックなものに接したときの第一印象を持ち続けている人の言葉を聴くと、どんなマニアであっても、誰もが初めは初心者であったということに思い当たる。そしてその言葉につられて聴いてみると、プログレも高嶋政宏も、間違いなく面倒臭くて面白い。いや、面倒臭いから面白い。趣味にしろ人間にしろ、実はほとんどのものがそうなのだ。実に面倒臭く、真の意味でプログレッシブな音楽番組である。 (文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>) 「逆にラジオ」過去記事はこちらから

ケンドーコバヤシの「許され力」がすべてを笑いに昇華する、性的逸話の解放区『TENGA茶屋』

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FM OSAKA『TENGA presents Midnight World Cafe TENGA茶屋』
しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。  世の中には、同じことを言っても許される人間と、そうではない人間がいる。たとえば女性の前で下ネタを言うと大半の男は嫌われるが、中には許される、あるいはむしろ積極的に下ネタを言ったほうがモテるとすら感じられる男がいる。そういう意味で、ケンドーコバヤシほど「許されている男」はいない。本質的には「許されざる男」の要素を多分に持っている彼こそが、いま最も世間に許され、愛されている。『TENGA presents Midnight World Cafe TENGA茶屋』(FM OSAKA 毎週土曜深夜1:30~2:30)とは、そんなケンドーコバヤシの本質的魅力が、余計なフィルターを通すことなくピュアに伝わってくる番組である。関西ローカルの番組だが、場所を問わずポッドキャストで聴くことができる。  そもそもこの番組のタイトルに含まれるTENGAとは、何しろあのアダルトグッズメーカーのTENGAである。日本一下ネタをノーモーションで自然と繰り出す男の番組スポンサーに、TENGAがついている。これぞまさに「Win-Winの関係」であり「鬼に金棒」状態である。これ以上、性的発言に関する自由度が確保された状況など、あり得ないだろう。 そんな解放区でのびのびと放たれるケンコバの発言には、強烈なインパクトと共に、妙なかわいげと後味の爽やかさがある。何事も極端に振り切れたものには、フルスイングの後のような爽快感が残るものなのかもしれない。  たとえば彼は番組内で、自らの自慰行為のスタイルについて赤裸々に語る。普通に考えれば、そんな話にかわいげも爽やかさもあるはずがない。しかし、かつて自慰行為を研究していた時期に、「毛の長いブラシの上をひよこ歩きして擦る」という「ひよニー」を行っていたと臆面もなく語られれば、「ひよこ歩き」というチャーミングすぎる言葉の衝撃と、その説明から思い浮かぶ構図のあまりのバカバカしさに、「性の求道者」という清々しい称号を与えたくもなる。ちなみにこの話は、その前にしていたカーリングの話からの流れであり、「カーリングの女子選手は確かに美人が多いし、あの股関節の可動域は魅力的だが、俺はそれよりもブラシのほうに痺れる」という場所へと見事に着地する。なぜか、カーリングと自慰行為とブラシが、一直線上にキレイにつながっている。何かがおかしいが、美しい。  実は、ケンコバの話術には思いがけぬ着地点が用意されていることが多く、その着地姿勢の見事さを聴き手は爽快感と錯覚する。もちろん本当に爽やかなことなどまったく言っていないのだが、彼の話の中ではなんらかのねじれや飛躍といった価値観の反転が頻繁に起こる。  「部屋に入るといきなり大外刈りされる風俗」にハマッたという話(その時点で十二分に面白いが)の先には、「そのあと受け身の研究するために、柔道の試合をじっくり見た」という本末転倒な着地点が待っている。この4月からアシスタントを務める若手芸人アインシュタインの稲田直樹のルックスに関する話(彼はブサイクであることを前面に出す芸風で知られる)になれば、「お前は前世で神を殺している」と突如スピリチュアル方面へと飛躍した発言を繰り出し、さらには「神話の世界に終止符を打った男」という途方もなくスケール感溢れる異名を授ける。内容的には単なる悪口がさらにエスカレートした形なのだが、そのファンタジックな言葉の響きにはもはや格好よさしかなく、その話の内容と着地点のギャップがもう面白くて仕方ない。すべてが笑いと共に許される。  自由を与えられた空間の中でこそ何かを極端にやり切れるし、極端に振り切れるとその先には逆サイドの端が見えてくる。行くところまで行けば善が悪になり悪が善になり、真面目が不真面目になり不真面目が真面目になり、下ネタにさえある種の品格が生まれてくる。この番組のコンセプトには「性を表通りに」という言葉が含まれているが、それはまさにケンコバが番組内で語っていた、かつての自身の体験に重なる言葉でもある。彼は若手時代、その行きすぎた芸風ゆえ腫れもの扱いされ、あるテレビマンから「お前なんか一生テレビ出れるか!」と言われたことがあるという。そんな男が、今メディアの最前線を張っている。現在のテレビが以前に比べて許容量を増しているとは到底思えないことを考えると、もちろん才能を認めてくれる人々との出会いというのも重要ではあるが、今のケンコバの「許される力」は、彼本来のファンタジックな発想力とトリッキーな話術を自ら大事に育み磨き続けてきたことによってもたらされた正当な結果だろう。この自由なラジオという空間で、それがあらためて明確になる。これほど痛快なことはない。 (文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>) 「逆にラジオ」過去記事はこちらから

『たまむすび』スペシャルウィークに降臨した井上陽水が紡ぎ出す、夏の終わりの白昼夢

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TBS RADIO『たまむすび』
しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。  夏の終わりのスペシャルウィーク、真っ昼間のAMラジオに最も不似合いな男が8月28日の『たまむすび』(TBSラジオ 月~金曜13:00~15:30)に降臨した。井上陽水である。彼の歌詞世界のユニークさは今さら言うまでもないが、トークも抜群に面白い。この日の放送は、彼の放つつかみどころのない言葉の数々が周囲を煙に巻くだけ巻いて鮮やかに去ってゆくような、「陽水無双」とでも言うべきものだった。  そもそも今回の『たまむすび』スペシャルウィークは、同じくTBSの人気ドラマ『半沢直樹』効果に完全に乗っかって「笑われたら笑い返せ たまむすび バカ倍返しウィーク」とうたっており、そのコンセプトで陽水を呼んだという文脈がまずすごい。もちろん、この日の曜日パートナーである博多大吉の「福岡コネクション」あってこそだが、この企画主旨で陽水に声を掛けたスタッフの勇気も素晴らしい。 ラジオで使われる「バカ」という言葉には、一般社会で使われる「バカ」に比べて愛や称賛の気持ちが多分に込められているケースが多く、それは芸術の世界でも同じことが言える。それは「既存の価値観からはみ出している」ことであり、「想定外の角度や切り口を持っている」ことであって、トークの合間からこぼれ落ちてくるそういった意外性のある言葉を愛する懐の深い文化が、ラジオには間違いなくある。そしてこの日の井上陽水のトークは、まさに既存の価値観を覆す想定外の言葉の連続であった。    パーソナリティーの赤江珠緒と大吉のオープニングトーク開始直後、1分足らずでいきなり軽々しく登場するというのがまず大物らしくなく、聴いているほうからすると早くも想定外だが、あの甘い声で放ったひとこと目の挨拶「歌をやっている井上です」というフレーズの絶妙さにいきなり心をつかまれる。言っていることは全然間違っていないのに、どこか予想外なこの感じ。歌手でもミュージシャンでもなく、「歌」と「井上陽水」の間の適切な距離感を感じさせる絶妙な言葉のチョイス。本来、大人の男に使うべき言葉ではないのかもしれないが、実にチャーミングとしか言いようがない。  そして、芸能人として遙か後輩の大吉を芸人仲間のように「先生」と繰り返し呼び、「僕にとっては(大吉は)ピカピカの芸能人ですから」と妙に持ち上げたかと思うと、自分は「芸能人恐怖症」な上「初対面恐怖症」であり「横に娘(依布サラサ)がいる恐怖症」であると、ひとりで突っ走って見事な3段オチを決める。しかし、天才肌にありがちなひとりよがりなしゃべりかというとそんなことはまったくなく、むしろその独特の言語センスが対話相手の琴線に触れ、「ドラ3ですね」という大吉の秀逸なツッコミを導き出す。特に自ら相手に合わせにいっているわけではないのに、結果として絶妙なコンビネーションが成立しているというのは、ある種ジャムセッション的な、音楽的なコミュニケーションといえるかもしれない。目の前の相手に単に調子を合わせるだけでなく、むしろ意外性のある刺激的なフレーズをぶつけることで相手のポテンシャルを引き出すような、そんな言葉の使い方が陽水トークの真髄だ。  そのほかにも読めないトーク展開は頻繁に訪れ、どんな生活をしてるのかという話題になると、まだ何も質問していないのに「歯ももちろん磨きますよ」と一足飛びに答える。意外とテレビをよく見るという陽水に、大吉が「お気に入りの番組とかあるんですか?」と訊ねれば、「ハハハハ。すいません、変なとこで笑って」と突然笑い出し、その先には「報道番組ですかね」という恐ろしく真面目な返答が待っている。  そして、スペシャルウィークの「バカ倍返し」というコンセプトに沿った若き日のバカ話として陽水が語ったのは、彼の現在のイメージからはあまりにかけ離れた純度の高いバカ話で、まるで同局の素人参加型おバカ番組『サタデー大人天国! 宮川賢のパカパカ行進曲!!』に出てくるような、この上なく庶民的な失敗談だった。  博多から山2つ越えた筑豊に住んでいた中学生時代の陽水は、ラジオの電波が入りにくいことに頭を悩ませ、エナメル線のラジオアンテナを隣の家の屋根まで這わせることを思いつく。そうすると画期的にクリアに聞こえることを発見し、それから陽水は頻繁に柿の木をつたって屋根を登り降りするようになる。そんなある日、陽水少年は柿の木の上から隣の家の風呂場の窓が丸見えであることに気づく。そこは思春期の男の子。気にならないことはない。しかし、見てはいけないというのもわかっている。でも、やっぱり気にならないことはない。そして、欲望は得てして悲劇を呼び込む。いわく、「中途半端な気持ちで柿の木から降りたら、足を踏み外して落ちた」。  陽水の代表曲に「少年時代」というこの上なく美しい名曲があるが、まさか本当はこんな少年時代だったとは。しかし純粋の方向性が違うだけで、どちらも純粋であることに変わりはない……というのは多少無理があるような気もするが、あの曲が表だとすればこの陽水の「裏・少年時代」のエピソードもまた違った意味で魅力的だ。  陽水は同じ福岡の先輩であるタモリと仲が良く、以前2人がテレビで共演しているのを見て、この両人には遊び心や、ある種の諦念から来るユーモアという部分で間違いなく共通感覚があると感じてはいた。とはいえ、ここまで素のしゃべりが面白く語り口が滑らかで、なおかつ芸人や女子アナとの連携が機能するタイプの人だとは正直思っていなかった。独自の感覚と論理で展開されるこのシュールでつかみどころがなく、しかし終始コンスタントにつかみどころがないという意味では一貫している不思議なトークには、その声の甘いトーンも相まって、まるで現世の価値観から解き放たれた白昼夢のような誘引力があった。陽水のしゃべりがもっと聴きたい。 (文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>) 「逆にラジオ」過去記事はこちらから

辛口2トップの知性と感性が絡み合う、禁じられた遊び『井筒とマツコ 禁断のラジオ』

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文化放送『井筒とマツコ 禁断のラジオ』
しゃべりと笑いと音楽があふれる“少数派”メディアの魅力を再発掘! ラジオ好きライターが贈る、必聴ラジオコラム。  「禁断」という言葉には、間違いなく人を惹きつける魔力がある。何かを禁ずるのは、それによって人間がコントロール不能な状態に陥ってしまうからであり、逆にいえばそこには人知を越えた根源的な力があることを意味する。『井筒とマツコ 禁断のラジオ』(文化放送 毎週金曜深夜2:30~3:00)は、映画監督の井筒和幸とマツコ・デラックスの辛口2トップが敵陣自陣関係なくゴールを決めまくる、まさしくその名の通り禁断のラジオである。  番組は進行役の文化放送アナウンサー寺島尚正と、ツッコミ役で映画パーソナリティのコトブキツカサを含めた4名で進められるが、そもそも守備役を2枚置いたこの4人編成という大所帯のフォーメーションが、2トップがいかにアウト・オブ・コントロールであるかを逆説的に物語っている。さらに、それだけではやはり禁句の発動を止め切れぬため、最終的な防御策として「危険な発言部分にかぶせて『オクラホマミキサー』を流し続ける」という特例措置がとられており、時には延々と同曲が掛かり続けることもあって、ラジオをつけるタイミングによっては異様に牧歌的な音楽番組だと思うかもしれない(直後には間違いなくその夢から叩き起こされるが)。  2枚看板を置いた番組の場合、やはり気になるのはそれぞれの魅力が並び立つのか否かという問題だが、この番組においては井筒の放つ強力な言葉が主導権を握る場面が多く、マツコはそこに反応する形でコンビネーションを形成している。毒舌同士という意味ではテレビで有吉と組んでいる時のマツコを連想するし、年輩者相手という意味では池上彰との組み合わせが思い起こされるが、ここでのマツコはそのどちらとも違う感触で、両者以上に井筒とのシンクロ率の高さを感じることが多い。特にエロスに関して手加減のない表現を好む井筒の言語感覚が、マツコの中にある女の部分を思いがけず引き出しているようなところもあって、反対にどんな言葉(たとえば「自衛隊」)からもエロスを連想できるマツコの想像力に、井筒が感心する場面も少なくない。  トークの内容は政治から井筒とコトブキの主戦場である映画、そしてドのつく下ネタに至るまで森羅万象にわたるが、それらが分け隔てなく、理屈と感情を総動員して同じまな板の上でシームレスに語られるのがこの番組の特徴である。真面目な戦争の話と下世話な下ネタの果てに共通の「死」を見だし、徹底的に考え抜いた上で感情を爆発させる。何が上で何が下というのではなく、あらゆる物事を並列に扱うことで見えてくる真実がある。エロ雑誌の付録の使用済みパンティを全員で嗅いでみるという謎の時間帯の直後に、内閣の話をするなんていうカオティックな展開もあった。ちなみに井筒は、かつてはみんな嗅いでいたし自分も嗅いだことがあると告白したのち、しかし雑誌の付録としてつけることには異議を唱え、「もっと牧歌的なノリで嗅げよ。オーガニックに」と憤慨してみせた。付録という、その取ってつけたような形式が「詩的じゃない」とのことだが、この怒るポイントの意外性と、わかるようでわからない、でもやっぱりちょっとわかるというギリギリのラインを突いてくるこの厳密な表現力は、目の前の対象がどんな題材であれ、やはり知性というべきだろう。  そして話題が井筒の本分である映画に及ぶと、その表現はさらに鋭さを増し、暴力的にすらなってくる。レオナルド・ディカプリオを「ガキ顔だろ」と揶揄した流れで「釣りキチ三平みたいな顔しとる」と謎の比喩を繰り出してくるこの跳躍力。見てもいない『戦火の馬』のラストを「最後、馬刺しになって終わりかい」と決めつける力業。そして「3Dメガネが煩わしい」という話になると、目の前のコトブキツカサのメガネが伊達メガネだということを持ち出し、「レンズ入ってへんメガネかけてる奴なんかね、まず泥棒と思ったほうがええよ!」と無茶苦茶な持論へ持ち込む驚異的な展開力。ここまで来るともうすっかりわけがわからないが、でも伊達メガネ掛けてる奴は確かに信用できないような気がしたり、馬の出てくる映画のラストが「馬刺しオチ」だったら間違いなく伝説に残る一本だなと思ったりもして。とはいえ、さすがに釣りキチ三平のたとえはまったくピンと来ないのだが、それでもここまで自信を持って言い切られると、なんだかもう面白くて仕方ない。  つまりこういうのを「痛快」というのだろう。ここでは「禁断」の果てに「痛快」がある。万事につけて手加減がなく、あらゆる言語表現が振り切れた結果としての「痛快」さ。手加減のないものは常に禁ずべき対象と見なされ、実のところ世の中は手加減のおかげでスムーズに回っていたりもするのだが、本当の面白さはそんなスムーズさから外れた場所にこそある。この番組に対する不満は唯一「時間が短すぎること」だけだが、それもすでに聴き手としての禁断症状の一種かもしれない。 (文=井上智公<http://arsenal4.blog65.fc2.com/>) 「逆にラジオ」過去記事はこちらから