レアな映像満載!『NHK×日テレ 60番勝負』が見せたテレビの底力

nhknittere.jpg
『NHK×日テレ 60番勝負』
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。  日本で初めてテレビ放送が始まったのは1953年2月1日、NHKによるものだった。しかし、最初に放送免許の予備免許を国から受けたのはNHKではなく、アメリカの技術を取り入れ「コマーシャル収入による商業放送」を掲げた読売新聞社・正力松太郎率いる日本テレビだった。対するNHKは大正時代から研究を続け、自前の技術力で放送設備を完成。「受信料収入による公共放送」を掲げ、日テレに半年先駆け本放送を開始したのだ。そんな本放送開始前からのライバル2局によるテレビ放送60年を記念した合同番組が、2月1日深夜の『NHK×日テレ 60番勝負』(NHK総合)と2日深夜の『日テレ×NHK 60番勝負』(日本テレビ系)だ。 両日とも、司会を務めたのは中居正広と両局のアナウンサー。そして、1日目には爆笑問題、2日目には笑福亭鶴瓶が司会に加わった。生放送では“暴走”してしまいがちな爆笑問題太田は、この日も冒頭からエンジン全開。 「(生放送で)何かあったら頭丸めます!」 と“時事”ネタを早速ブチ込んで笑わせると、その暴走は止まらない。この番組のスタジオのひな壇には、両局を代表する社員やスタッフが並ぶという「芸能人にしかわからない豪華さ」だったのだが、太田はそのNHK側に向かって「『おはよう日本』のスタッフは?」と投げ掛ける。もちろん、スタジオはドン引きだった。  番組では「大物レア映像対決」「ハプニング映像対決」「怪しい?映像対決」「お色気映像対決」など両局が保有する貴重な映像を見せ合い、視聴者から「イィ」ボタンを押された数を競うという形が行われた。ちなみにこの「イ」は、テレビの父といわれる高柳健次郎が日本のテレビに初めて映し出した文字である。そんなレア映像は長嶋茂雄の秘蔵VTRだったり、手塚治虫や渥美清の密着、「ハプニング」という言葉が一般化した番組だったりと興味深いものばかり。特にすごかったのは、NHKが1957年に収録したもののお蔵入りとなった「霊媒師の交霊実験」だ。モノクロで一部だけしか流れていないためか、何が行われているかいまいち判然としないものの、何か怪しげですごいことが行われているのだけはビンビン伝わってくる衝撃的な映像だった。  そんな中で「イィ」数を多く獲得したのが、半裸の男性がとても「趣味」ではできっこない高度な「ヨーガ」を教えるNHKの『趣味百科ヨーガ』だったのが面白い。「NHKは時として無意識に前代未聞なチャレンジをする」という、言葉どおりの強烈なNHKの「天然」っぷりだった。  こうしたレア映像対決の合間に行われたのは、若手ディレクターがそれぞれの局に行って番組制作を体験する「テレビ交換留学」などだ。VTRはそれぞれの局が自局の人気番組『はじめてのおつかい』『プロフェッショナル 仕事の流儀』をパロディにして制作。ここでも、本気でパロディを作ったら無類の強さを発揮するNHKが光った。  そして、2日にわたっての通し企画「24時間ドラマ」。これは、その場で決められたジャンルに沿って、24時間で5分ドラマを作るというもの。ディレクター以外(日テレのほうはディレクターもその場で言い渡された)ほぼ何も決まっていない状態でドラマ制作がスタートし、その模様をWebで中継。そして、完成させたドラマを2日目の放送で発表するというものだった。こちらは、自由度と柔軟性の優れた日テレが底力を見せつけた。  奇しくもこの番組の1日目に放送された『テレビのチカラ』(NHK総合)で、萩本欽一はテレビについて「あさま山荘事件」(72年)を例に挙げて分析していた。この事件は各局が生中継をし、NHK、民放を合わせた視聴率は89.7%に達した。視聴者は、窓しか映っていない画面に釘付けになったのだ。それを見た欽ちゃんは、テレビの特性を発見する。「テレビって『何かが起きてる』じゃない、『何かが起こりそうだ』でみんなが集まるんだ」と。まさに、『NHK×日テレ 60番勝負』は、そんな「何かが起こりそうだ」というワクワク感でいっぱいだった。  そして、「何か」が実際に起こる。  番組の終盤、突然、明石家さんまがスタジオに登場したのだ。そしてCMが入らないNHKで30分近くノンストップでしゃべり続け、笑わせ続けた。  さんまのNHK出演は実に28年ぶり。さんまは『クイズ面白ゼミナール』(81~88年)の番組内で、退屈そうにあくびをしていたのが視聴者の逆鱗に触れ、新聞の投書欄を賑わせて降板。その後、朝ドラ『澪つくし』(85年)に出演して以来の登場だった。そんなサプライズに「今、テレビご覧になってる方は、本当にビックリされていると思う」と興奮するアナウンサーの言葉を遮り、さんまは言う。 「いや、テレビの前の人はそうビックリしてないやろ、テレビやから」  その言葉は何気なく発せられたが、さんまのテレビに対する哲学とプライドが詰まっているように感じられた。そう、テレビは「何かが起こりそうだ」を映すメディアであるのと同時に、何が起きても不思議ではない「何でも起こり得る」メディアなのだ。  テレビがほかのエンタテインメントと異なるのは、それが「日常」と地続きなことだ。「日常」の中に、突如として「非日常」の興奮が紛れ込む。そして見たことがない「何か」が起こったカタルシスは、すぐに当たり前の「日常」の風景に変わる。だとしたら、それは僕らが生きていくしかない「日常」にも、ワクワクする「何か」が起こり得る証明にほかならない。  「非日常」の興奮と多幸感は、いつだって「日常」のすぐそばに存在する。そんなことを思い起こさせてくれることこそ、テレビの力だ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

視聴率確保とコストカットの両立!? 民放バラエティ「2時間スペシャル番組」乱発の功罪

tore0204.jpg
今日の2時間SPはこちら(『謎解きバトルTOR
E宝探しアドベンチャー』日テレ)
 かつて、通常番組の2時間スペシャルというのは、ほとんどが番組改編期や年末年始などに放送されるものだった。  しかしここ数年、そんな特番が放送される時期と関係なく、やたら2時間スペシャルを連発するバラエティ番組が増えている。中には毎週のように「2時間SP」と銘打ち、実は通常の1時間放送よりも頻度が高いのではないかという、本末転倒な状態の番組もチラホラ。  なぜ、こんなに2時間スペシャルの放送が増えているのだろうか? 人気バラエティ・情報番組を手がける作家はこう言う。 「一言でいえば、視聴率のためですよね」  “2時間SP”という響きには、やはり特別感が漂う。通常の1時間放送でも、“○○SP!”といったアオリを番組欄に踊らせてスペシャル感を出す番組も少なくない。 「“2時間SP”となると、見とかなきゃいけないかなと思ってくれる視聴者が一定数見込めるわけですね」  2時間という長さの利点について、こう語る。 「たとえば19時、20時とで、1時間番組を2本やると、視聴者の気持ちは必ずリセットされますよね。そこで“ほかでは何か面白い番組をやっているかな”と、チャンネルを変えられる可能性が出てくる。2時間番組にすることで、リセットしないで続けて見てくれるということはありますね。そのためには、2時間見続けたくなる面白さが必要になりますが。ここで気をつけているのが、視聴者を満腹にさせないというところなんです。2時間という特別感で満たされてしまうと、“次の回はいいか”となることがありますからね」  2時間スペシャルを連発しているような番組は、やはりその2時間スペシャルが、安定した人気を獲得しているということなのだろうか? 「なんとか2時間の特番で息を吹き込もう、生き返らせようとしたい番組を、逆にやることもありますね。なぜこれの特番やっちゃうんだろうという番組も、けっこうありますよね。また、スペシャル枠としての別のパターンとして、2つの番組を合体させる形のものもあります。お互いの出演者をコラボさせることもありますが、枠をつなげただけというものもあります。これも、特別感を出すやり方のひとつです」  1時間番組を2本作るよりも、2時間で1本のほうがいいといったような、制作コスト面の影響はあるのだろうか?  「コストでいえば、1時間でも2時間でも実際にはそこまで差は出ないですね。ただ、今はもうそこまでコスト削減が理由にされるケースは減っている気がします。やはり、より視聴率が取れる形であるということではないでしょうか。ただ特番が連発されると、調査したネタをガンガン連発していくような番組はネタ切れてしまいます。連発に向いている番組と、そうでない番組がありますね」  その一方で、何年にもわたって人気が安定している番組は、比較的この手の2時間スペシャルの連発はあまり見られず、従来通りに改変期などに3時間、4時間といった大型の特番をやる傾向が強いようだが、これについてはこう語る。 「普通にやっていてちゃんと人気がある番組に関しては、形を変えることで消耗させたくないというのはありますね。視聴率も安定して取れているわけですから、下手にいじらないほうがいいんだということだと思います」  連発される2時間特番。その裏には、さまざまな思惑や事情があるようだ。

中野美奈子アナ「フジテレビは地獄だった」発言に局ディレクターが激怒「こっちが地獄だったよ!」

numero000.jpg
「Numero TOKYO」HPより
 フリーアナウンサー・中野美奈子の告白に、古巣のフジテレビ関係者が嫌悪感を露にした。 「『ウチにいたことが地獄だった』とか言ってるけど、彼女をフォローしてきたスタッフのほうが地獄だったよ!」  中野出演の番組制作スタッフだったディレクターを怒らせたのは、中野が1月28日発売のファッション誌「Numero TOKYO」(扶桑社)のグラビアに登場した際のインタビュー内容だ。昨年まで在籍したフジテレビ時代を「地獄の日々」とし、先輩アナウンサーから「あまりにも下手だから辞めろ」「ニュースを読むセンスがない」と叱られてばかりだったことなどを挙げ、「トイレにひとりでいるときが一番楽しかった」と語っている。  しかし、これにディレクターが反論。中野アナが「かなりの問題児だった」というのだ。 「ニュース原稿で、中学生でも読める漢字が読めない。金庫をチンコ、一目をイチモツ、冗談としか思えない誤読に苦情だらけだった。ルビ(ふりがな)を振ってあげても間違えて、それを指摘されるとふてくされ『ルビが小さい』だの『仕事が多すぎるせい』だの捨てゼリフを吐いて女子トイレに立ち去る。怒られて当然だった」(同)  実際、中野アナのニュース読みについて評判が悪かったのは確かだ。野球での「左投左打」を「サトー・サダ」と読んだり、韓国の射撃場で事故があった際は「射殺場」と読んだこともあった。それでも“ミス慶応”の肩書きを持つ美人とあって、人気女子アナのランキングでは常に上位。前出ディレクターによれば、それが「中野を生意気にさせた」という。 「あるとき間違いを指摘した先輩アナに対し『でも、私のほうが視聴率取ってるから』と反論したんです。そのことを先輩アナが上司に報告すると、上司は『人気があるのは事実だから仕方ない』とかばってしまい、以降は注意する人も少なくなっていました。おかげで中野は、開き直ったような態度になった」(同)  別のフジ関係者に聞いても、似たような回答だった。 「控え室に用意する飲み物の種類まで細かく指示したり、人気女優がやるようなことをしていました。1時間の待ち時間があっても5分前まで打ち合わせに顔を出さず、メイクルームにいたことも多かった」  中野アナはここ3年ほどは局内でも「もう辞めようかな」と公言、口癖のようにつぶやいていたというが「そうなると上層部が慰留するので余計に“彼女を怒らせるな”という空気ができあがっていた」と関係者。 「だから、退社が決まったときはうれしかったですよ。グラビア仕事は問題なくこなせたんでしょう? 最初からそういう職業でやってくれたらよかったのに」(同)  “円満”と報じられたフジ退社だったが、とても円満とは思えない話だ。 (文=鈴木雅久)

何が本当の「まとも」なのか――『まほろ駅前番外地』で起こる小さな奇跡

mahorodrama.jpg
ドラマ24『まほろ駅前番外地』テレビ東京
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。  映画『モテキ』の大ヒットを挟み、約2年半ぶりとなる連続ドラマのメガホンを取ることになった大根仁。その最新作に彼が選んだのは“深夜ドラマ番長”という異名の通り、テレビ東京の深夜という“辺境の地”だった。それが1月12日からスタートした『まほろ駅前番外地』だ。  舞台は、「まほろ」という、都会でも田舎でもない架空の街(町田がモデル)。便利屋を営んでいる多田(瑛太)と、そこに転がり込んできた行天(松田龍平)が主人公の、いわゆるバディ物だ。  第1話の冒頭では、2人がまほろ市内を車で走っているシーンから始まる。カーラジオからは、まほろのローカルラジオ番組が流れている。 「さて、続いてのリクエストは、まほろ駅前の便利屋さんから。えぇ? 便利屋さん!? ホントにあるんだね、便利屋さんって。『僕はまほろの駅前にある便利屋で働いてますが、社長がヒドい人間で、もう1年以上働いているのに、ろくに給料を払ってくれません。だから住む部屋もなく、便利屋で社長と2人で暮らしています』」  それを困惑の表情で聴き、怪訝そうに行天をにらむ多田と、ちょっとふざけた無表情で聴く行天。2人の関係性が、その1シーンだけでわかってしまう。 「『そんな僕にも幸せが訪れるんでしょうか? 教えてください』。うーーん、知らない! ゴメン! アハハハ。そんな便利屋さんのリクエストは『特にありません。音楽は聴きません』。ないんかい! もういいよ、俺が選ぶよ! フラワーカンパニーズで『ビューティフルドリーマー』」  そしてそのまま、このドラマのオープニングテーマ『ビューティフルドリーマー』が流れ、一気に見る者の心がわしづかみにされてしまうのだ。ちなみにそのOPのタイトルバックは、町を歩く2人の周りで、逆再生のように人々が動いているという、あらかじめ決められた恋人たちへによる「Back」のPVのパロディというか、オマージュというか、完コピ。監督も、そのPVを撮った柴田剛が務めている。  原作は三浦しをん。第1作の『まほろ駅前多田便利軒』(文藝春秋)は、大森立嗣の脚本・監督で映画化。そして第2作となる『まほろ駅前番外地』(同)は、同じキャストで監督を大根仁に代えて連続ドラマ化されるという、少し変わった成り立ちをしている。  原作や先に映画があるという状況の中で、大根は「番外地」の名の通り「確かにまほろの世界観はあって、多田と行天は出ているんだけれども、原作や映画の世界とは違うパラレル的なものを作ろう」(公式HP)ということで主演2人のキャラクターを生かしつつ、原作にはないエピソードを盛り込んで(というより、ほとんどオリジナル脚本で)ドラマ化した。実際、第1話は『電気グルーヴのメロン牧場~花嫁は死神4』(ロッキングオン)に書かれた、ピエール瀧と「静岡プロレス」のスタンガン高村とのエピソードが元ネタになっている。  昨今、原作ありきの映像作品が頻繁に制作されているが、原作ファンから反感を買っているケースは少なくない。しかし大根の場合、近作でも『モテキ』『湯けむりスナイパー』など、原作ファンからも愛される映像化を成功させている。本作もまだ2話までしか放送されていないが、原作にはないエピソードでありながら、「まほろ」としか言いようがない世界観を作り出している。それはいったいなぜなのだろうか?  かつて大根は、自身のブログに橋本忍の『複眼の映像』(文藝春秋)に書かれた、“原作物を脚本化する”ことに関する、伊丹万作と橋本の会話を引用している。 「原作物に手をつける場合には、どんな心構えが必要か」と師である伊丹に問われ、橋本はこう答えている。 「牛が一頭いるんです。(略)私はこれを毎日見に行く。雨の日も風の日も…あちこちと場所を変え、牛を見るんです。それで急所がわかると、柵を開けて中へ入り、鈍器のようなもので一撃で殺してしまうんです。もし、殺し損ねると牛が暴れだして手がつけられなくなる。一撃で殺さないといけないんです。そして鋭利な刃物で頚動脈を切り、流れ出す血をバケツに受け、それを持って帰り、仕事をするんです。原作の姿や形はどうでもいい、欲しいのは血だけなんです」  これに大根は「この一文だけでも読む価値があった」と賛同し、自分も「(原作物で)上手くいったものは間違いなく『一撃で殺せた』ものであり、上手くいかなかったのは『殺し損ねた』ものだ」と振り返っている。まさに、そこに流れる「血だけ」があれば、「姿や形はどうでもいい」のだ。  第2話の「麗しのカラオケモデル、探します」も出色だった。ひと昔前の古いレーザーディスクのカラオケビデオに映った女性を探してほしい、といういかにも『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)にありそうな依頼を受ける多田と行天。2人は『ナイトスクープ』ならぬ、「探偵!スクープナイト」のスタッフを装い、その女性の行方を追う。  大根の監督デビューはカラオケビデオだった。その後、1年近くにわたって30本くらいのカラオケビデオを作っていた。当時のカラオケビデオは安価な制作費で、B級、C級モデルを使って1日3本撮りというのがオーソドックスなスタイルだったという。そんな中で、印象的なモデルの子に出会った。おそらく彼女が、この回の女性のモチーフになっているのだろう。  制作会社などの情報をもとに、その女性を探し当てた多田と行天。彼女はモデルの仕事が低迷し、歌舞伎町のホステスに。しかし芸能界への憧れが捨てきれず、AV女優デビュー。その頃から覚せい剤に手を染め、逮捕。現在はバーを経営していた。  彼女に幻想を抱いている依頼者には会わせないほうがいいんじゃないかという行天に、「頼まれた仕事は極力引き受ける」と多田は一計を案じつつ、依頼者をそのバーに案内する。そこで依頼者は、ある小さな奇跡のような対面を果たす―――。  そんなシーンのバックに「この小さい町にも奇跡はありえる」と坂本慎太郎が歌う、エンディングテーマ「まともがわからない」が流れ始めるのだ。  このドラマを見ていると、ED曲のタイトルの通り、何が本当の「まとも」なのかわからなくなる。生真面目に「まとも」に便利屋稼業を務めようとする多田の周りにいるのは、バディの行天を筆頭に、誰ひとり「まとも」とは言いがたいまほろの住民たちばかり。心に何かを抱えているに違いない多田にしたって、本当に「まとも」なのかどうかは危うい。「まとも」からずれた人々の、おかしみや哀しみが、このドラマからはあふれているのだ。  彼らのダメさ加減は心地いいし、カッコ悪くてカッコいい。  そして、そのダメさと優しさが重なり化学反応を起こすことによって、ハッピーエンドともバッドエンドともいえないラストシーンに、小さな奇跡が降りかかる。そうやって、まっとうで「まとも」な深夜ドラマが生み出されるのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

2回目“急落”、3回目は……? NHK大河『八重の桜』と綾瀬はるかの商品価値

yaenosakura.jpg
大河ドラマ『八重の桜』公式サイトより
 13日に放送された、綾瀬はるか主演のNHK大河ドラマ『八重の桜』第2回の視聴率が18.8%だったことがわかった(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。21.4%だった初回の視聴率を2.6%下回り、先行き不安をのぞかせる格好となった。 「大河ドラマ史上最低の平均視聴率だった前作『平清盛』の初回視聴率17.3%を上回ったのは当然のノルマだったでしょうが、宮崎あおい主演の『篤姫』の20.3%をも上回る好発進だっただけに、関係者のショックは大きかったようです」(テレビ情報誌編集者)  ドラマでは、初回よりも2回目のほうが視聴率を下げることはままあることだが、2.6%の下げ幅は“急落”と言っていいだろう。関係者の間では、さらなる不安もあるという。 「それは『平清盛』の視聴率と同じ末路をたどるのではないか、という不安です。というのも、『清盛』の第2回の視聴率は17.8%と、『八重の桜』の18.8%と大差ない。それが最終的には史上最低の平均12.0%だったわけですから、関係者の不安もわかろうというもの」(同)  前作の『清盛』とは打って変わって、明るく色彩鮮やかな色調が話題となっている同ドラマだが、ネット掲示板などでは「マイナー過ぎるんだよ。しかも、明治で地方の話とか盛り上がらんよ」「八重とか、誰それ?って話だし、視聴率なくて当たり前でしょ」「東北弁がきついせいか、何をしゃべっているのかよくわからない」「大丈夫、まだ立て直せる。早く『JIN』のキャストをまんま持って来い」といった具合に、酷評もないわけではない。  今後、同ドラマの視聴率は“V字回復”を果たすのか、それとも低迷を続けて『清盛』の二の舞いを演じるのか。「『JIN-仁-』(TBS系)など、出演ドラマが高視聴率を記録してきた綾瀬も、今回の大河で岐路に立たされている」と、民放キー局関係者は話す。ちまたでは、大河ドラマ出演のおかげでCMギャラが5,000万円に上昇したともささやかれる綾瀬だが、その大河ドラマの成績次第では自身の商品価値を下げてしまいかねないのは、なんとも皮肉なもの。まずは20日に放送される第3回の視聴率に、注目が集まっている。

“普通”の人々の歴史が面白い! 著名人の家族を通してひもとく、日本の庶民史『ファミリーヒストリー』

famihis.jpg
『ファミリーヒストリー』(NHK総合)
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。  2009年から毎年年明けに放送されている『新春TV放談』(NHK総合)。千原ジュニアが司会を務め、NHK・民放問わず、その前年に放送されたテレビについてトークを繰り広げている。5回目である2013年は、秋元康、大根仁、小島慶子、鈴木おさむ、関根勤、テリー伊藤をパネラーに迎え、放送された。  そこで大根仁が2012年のベスト番組に挙げたのが『ファミリーヒストリー』(NHK総合)だった。大根は「あんなシンプルな切り口で、テレビ見てこんなに泣くのか」と絶賛。ジュニアや小島も口々に「大好き」と賛同した。  『ファミリーヒストリー』は、著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材し、そのルーツを探るドキュメンタリー。プロデューサーで制作統括を務めるのは『プロジェクトX』や『プロフェッショナル 仕事の流儀』をデスクとして支えてきた小山好晴。2008年10月に『番組たまご』としてパイロット版が放送された以降、毎年新作が作られてきたが、ついに2012年10月からレギュラー化された。これまでルー大柴、浅野忠信、永瀬正敏、宮川大輔、余貴美子、市川猿之助、小塚崇彦、コロッケ、武蔵、そして出川哲朗など実に多種多様な人物の先祖をたどってきた。  自分の家族の歴史なんて、知っているようで実は全然知らないものだ。たとえばルー大柴は、自分の祖母が「満州で時計屋を営んでいた」ということは知っていたが、それが「満州で一番大きな時計屋だった」ことはまったく知らなかった。しかも、第二次世界大戦の敗戦で、時計屋の金品がソ連軍に略奪され、ルーの父である稔は日本人捕虜としてシベリアに抑留されてしまっていたことさえ、これまで知る由もなかったのだ。戦後4年たってようやく日本に帰国した稔は、ルーの母と出会い結婚。しかし、日本の生活に馴染めなかったこともあって離婚。その後、ルーと会うことはなかった。  ルーはそんな自分の知らない家族史に驚きつつも、冷静さをギリギリで保ちながらそのVTRに見入っていたが、ついに耐え切れなくなって嗚咽する。それは、父が糖尿病を患って入った療養所で、友人に「マイサンが今度テレビジョンに出るんだ」と得意げに話していたというエピソードが紹介された時だった。ヨーロッパで放浪の旅をし、今では「ルー語」と呼ばれる英語交じりの話し方をするルー大柴と同様、父もまた満洲やシベリアで英語を使っていたせいで、英語交じりの話し方をしていたという。それは些細だけど奇妙で心動かされるルーツのひとつだった。  現在写真家としても活動する永瀬正敏の曽祖父が実は写真館を開業していたり、「お祭り男」宮川大輔の先祖が神田明神の防火用の天水桶を作った人物であったりと、本人がまったく知らない現在の自分と符合する事実が次々と明かされていく。宿命と呼ぶのは大袈裟かもしれない。けれど、ただの偶然と切って捨てることはできないルーツであり、それは家族と本人のアイデンティティにもつながっていく。「事実は小説よりも奇なり」という使い古された言葉がリアリティをもって迫ってくるのだ。  「出川哲朗とNHK、真逆のところでやってきたんで……」と、本人もこの番組への出演を驚いたという出川哲朗は、創業100年以上の歴史を持つ海苔問屋の息子として生まれた。この回は、その伝統ある店の三代目に嫁いできた彼の母親が、夫の放蕩の果て家業が傾く中、必死で店を守り抜いた人生を中心に描かれた。父は調子に乗って手を出したクラブ経営で失敗して多額の借金を抱え、おまけに愛人を作って、家には帰らない。そんな父の人となりは、ええ格好しいの調子乗りで出川哲朗そっくりだ。それでも父と意地でも離婚せずに気丈に家業を守りぬいた母。彼女は時折、海の見えるところに行き、その先にある故郷の宮城県塩釜に想いを寄せるようにジッと海を眺めていたのだという。  58歳で亡くなった父の葬儀には、予想をはるかに超える参列者が集まった。母との別居中も父は、多くの人に対して見返りを求めることなく世話を焼いていたのだ。「母親は完全に最後に父のことは許していました」と、出川の姉は振り返る。父からはええ格好しいで友人思いの性格を、そして母からは常に身を粉にして全力で仕事に取り組む姿勢を受け継いだ出川哲朗は、家族の歴史の事実を見て「心を新たに、いただいた仕事を一つ一つ頑張ってやっていく」と涙をこぼした。  ただ、そんな感動的な話も、出てくる先祖の写真がことごとく出川本人とソックリすぎて笑ってしまい、前半は頭に入ってこなかったのだけど。  毎回、さまざまなゲストの家族史を追っているのに、そのどれもが劇的なことに驚く。そしてほとんどの回に共通するのが、そのターニングポイントに戦争が色濃く関わっているということだ。戦争によって翻弄され、厳しい選択を強いられ生き延びた家族。そんな無名の庶民の昭和史・近代史は、これまでほとんどテレビで語られることはなかった。タレントの家族というフィルターを通すことで、そういった「普通の人々」の生活と歴史をひもとく。それは、今まで「面白くない」「興味がない」と漠然とイメージされてきたものだ。しかし、それは違う。普通に生きてきた人々の歴史だからこそ面白いのだ。そして、庶民史だからこそ見えてくる日本の近代史が確かにある。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

『終の信託』大コケ、『海猿』絶縁、大みそか『鉄人』惨敗確定……フジテレビは無事に年を越せるのか!?

「今、いろいろな媒体でうちがヤバいヤバいと書かれてますが、あながち間違ってないんですよね。現場のムードは最悪ですし、社内もかなりどんよりした空気になっています。大みそかも視聴率は取れないでしょうし、社内では“転職”っていう言葉もチラホラ聞こえ出しましたね」(フジテレビ社員)  とにかく、今、フジテレビが危ないという。昨年は7年間続けていた視聴率3冠を日本テレビに奪われ、今年は「振り返れば、テレビ東京」などと長年揶揄されてきたテレビ朝日にまでも抜かれてしまった。 「韓国偏重とネットで叩かれたり、デモが行われたりと散々ですが、極めつけは『アイアンシェフ』と映画事業の失敗でしょうね。『アイアンシェフ』に至っては、大みそかに6時間特番ですからね。“和の鉄人”の道場六三郎さんが復帰ということですが、今の若い世代で道場さんを知ってる人がどれだけいるのか。お金がなくて外食さえままならない人が多いのに、そういう空気が読めなかったんでしょうね」(芸能事務所関係者)  映画事業では、先日もフジのドル箱コンテンツである『海猿』の原作者である佐藤秀峰氏から、“絶縁状”を突きつけられたことも記憶に新しい。 「また、10月末に公開された周防正行監督の『終の信託』が大惨敗に終わりました。主演の草刈民代さんを他局のバラエティ番組にまで引きずり回してプロモーションした挙句、1カ月でたった興収3億円ですからね。担当者は左遷されるんじゃないかって、もっぱらのウワサですよ。『アイアンシェフ』も、大みそかの結果次第では、番組は打ち切りになって担当者は飛ばされるでしょうね」(前出・フジテレビ社員)  果たして、フジテレビは無事に年を越すことができるだろうか。

不快なのに目が離せない――異色の朝ドラ『純と愛』があぶり出す人間のさが

juntoai.jpg
NHK『純と愛』
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。  とにかく不快。イライラする。今期の朝ドラ『純と愛』(NHK総合テレビ)はそんな作品だ。  ヒロインの純(夏菜)は、死んだ“おじい”のホテルのように「お客さんを笑顔に変える魔法の国」にしたいと老舗ホテルに就職。そこでは、英語はもちろん敬語さえ使えず、「こんなの私がやりたいサービスじゃない!」などと悪態をつきながら、社会人としての基本も、職業意識も、自分の仕事も放り出してルールも無視。やることなすことすべてがトラブルを招き、挙げ句「おじい、私が悪いの!?」などと心の声で叫ぶ始末。テレビを見ながら何度「そうだよ、お前が悪いよ!」と言い返しそうになったことか。  「愛」と書いて「いとし」と読む純の恋人(風間俊介)は「人の本性が見える」という朝ドラらしからぬ特殊能力を持ち、自分の価値観を曲げない純に「そのままでいてください」と言ってしまう。いやいやいや、純はそのままじゃダメだ! 「おじい、それでもこのドラマを見続けているのは、なぜ!?」と、純ばりに心の声で叫ばずにはいられない。  脚本を担当する遊川和彦は、『女王の教室』や『家政婦のミタ』(ともに日本テレビ系)など次々と異色の“問題”作を世に送り出してきた。いずれも人間の醜さを過剰ともいえる密度であぶり出し、視聴者に「不快」感を味わわせつつも、その「目が離せなさ」加減で視聴者の興味を引いた。  今回もその構造は同じだ。しかし『女王の教室』では、阿久津真矢(天海祐希)、『家政婦のミタ』では三田灯(松嶋菜々子)といった超人的なキャラクターが柱となることで痛快さがあって見やすかったが、今回は超人的な能力を与えられた愛が弱々しいため、痛快さが乏しくイライラしてしまうのだ。何より苛立つのは、分かりやすい悪役は出てこない代わりに、出てくる全員がことごとく“悪”なのだ。  純の父(武田鉄矢)は継ぎたくもない経営難のホテルを継ぎ、なんとか利益第一でホテルを守っている。それを純から「おじいのホテルを返して!」などと言われ、「おまえといるだけで不快」「生まれてこないほうがよかった」と言い返してしまう始末。母(森下愛子)は家族を守るためにそんな夫をかばい、純の味方にはなろうとしない。弟(渡部秀)は「俺の相手は世界だ!」などとうそぶき家出するも、結局家に戻ってきたり出て行ったりを繰り返すマザコンニート。兄(速水もこみち)はフィリピン人ハーフのキャバ嬢(高橋メアリージュン)に手を出し妊娠させてしまう。それを父が手切れ金で別れさせ、新たにホテルに資金を援助してくれるという金持ちと結婚させようとさえするのだ。  純の勤めるオオサキプラザホテルもヒドい。純の先輩でイケメンのコンシェルジュ(城田優)は、純を口説くも失敗するとその高いプライドからしつこく言いよるペッラペッラぶり。純の同期(黒木華)はそのイケメンに一目惚れし、純を逆恨み。上司たち(矢島健一、や乃えいじ)は仕事もできない上、責任回避の自己保身ばかり。そして社長(舘ひろし)はいつもヘラヘラしチャラくて頼りない。そのホテルを乗っ取ろうとしている外資カイザーグループの弁護士を務めるのが、純の天敵であり愛の母(若村麻由美)である。  ほとんどの登場人物たちが目の前の現状をよしとし、それにしがみついて必死に守ろうとする。しかも、その守ろうとする現状よりも何よりも自分が大切だから、その守り方までいびつで見苦しい。そして例外なく全員が「自分のせいじゃない、他人のせいだ」と思っている。  それは何かに似ている。そう、現実そのものだ。  先ほど「出てくる全員がことごとく“悪”」と書いたが、それは正確ではないかもしれない。全員がごく普通の、それゆえに根深い醜さと弱さを抱えているのだ。  社長は純や愛、そしてこのドラマのほぼ唯一の良心ともいえる桐野(吉田羊)に背中を押され、ようやくやる気になり、彼らの作り上げたホテル再建プランを持ってカイザーグループと対決する。 「この経営案で、死ぬ気で結果を出してみせます。だから、1年でも2年でもいいから私に任せてくれませんか? 私は本気です。生まれて初めて本気になったかもしれない。情けない話ですが、先代からオオサキを受け継いで何年もたつのに、いま心から思うんです。このホテルを経営したい! 優秀な部下たちと一緒に、世界一のホテルにしたい! って」  しかしその熱弁も「討論する必要もない」と一蹴され、今まで必死にオオサキを支えてきた総支配人(志賀廣太郎)からは緊急動議が出され、社長を解任されてしまう。このドラマでの数少ない愛されキャラである社長の失脚は、今まで何もしてこなかったのに土壇場でやる気を出しても、事態が好転するほど現実は甘くないことを容赦なく痛烈に描き出した。  ありふれた醜さと弱さを丸出しにする登場人物の右往左往は、見たくない現実を否応なくあぶり出す。だが、その不快さは、自虐的な快感と表裏一体だ。『純と愛』の目をそらしたくなるリアリティは、一方でその目を釘付けにしてしまう力を持っているのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから

「ハリウッドの人気作でも1ケタ台」苦戦を強いられるテレビ映画放送枠はどうなる?

nichiyoyoga.jpg
『日曜洋画劇場』テレビ朝日
 今年の夏、1967年から45年にわたって続く長寿番組『日曜洋画劇場』が、10月の番組改編期に終了するというニュースが一部で流れた。もちろん同番組は現在も放送中なのだが、改編期のには、この枠にバラエティやドラマなどを変則的に投入していくというテレ朝の発表が、番組終了と勘違いをされたということのよう。  確かにこの枠では、今年に入ってからは、『池上彰の学べるニュース』や『シルシルミシルさんデー』などの人気番組のスペシャル版をたびたび放送していて、この秋の改編での決定も、それらが高視聴率を獲得したことが理由だとされている。改編期の発表に際して、テレ朝の編成制作局長っは、 「他局もそうだが、洋画の安定的なラインアップの配置に苦労している。ここ数年の洋画の興行収入等の成績を見ていると、なかなか難しい」 と発言したのだが、各局地上波での映画放送は視聴率的に厳しい現状ということのようだ。『日曜洋画劇場』だけでなく、TBSが4月からスタートさせた『水曜プレミアシネマ』は、ハリウッドの人気作品を投入しても、視聴率1ケタにとどまることが多く、フジの『土曜プレミアム』の枠も、映画以外の特番が放送されることが多い。日テレの『金曜ロードSHOW!』だけは、何度やっても視聴率が20%を超え、裏番組に脅威を与えることから“ジブリ砲”と呼ばれることもあるジブリ作品を抱え、『ルパン』『コナン』『ヱヴァ』など、自社系列のアニメ作品も数多く放送、安定した視聴率を獲得している印象がある。しかし、4月に『金曜ロードショー』からタイトルをリニューアルし、定期的にスペシャルドラマなどを放送していく体制に変更されていたりもする。  近年はDVDの低価格化や、ソフト化されるまでの期間の短さ、さらに配信の普及もあったりするため、これらの映画放送枠がよくウリにする「地上波初放送」や「ノーカット放送」といったもののヒキが弱くなっていることも考えられる。実際、テレビでの映画放送の現状は、厳しいものなのだろうか? ある放送作家はこうみる。 「ジブリなど一部を除くと、やはり全体的に厳しいですね。それは、近年の映画そのものの勢いがなくなってきていることとも、つながってくるのではないでしょうか」  前出のテレ朝局長の発言もそうだが、映画業界の苦戦がそのままテレビの映画枠に跳ね返ってきている状態のようだ。 「ゴールデンでやるには、万人受けする作品というのが不可欠なのですが、ハリウッドの大作でも万人受けするものが減ってきていますからね。結果的に、何回もやったようなものをまたやったほうがまだいいということになるんです。それに、近年は3Dをウリにする映画が増えていることも、原因として考えられるかもしれません。わざわざしょぼくなってるテレビ放送版を見なくても、と思う人も多そうですね」(同)  邦画に関しては、テレビ局が主体となって制作するものも近年は多く、日テレの『ごくせん』やTBSの『ROOKIES』、フジは『踊る大捜査線』に『SP』、テレ朝の『相棒』など、テレビドラマの劇場版も数多く公開されている。あるテレビ関係者は言う。 「当然、なるべく自社のものを優先という編成になりがちですね」  『日曜洋画劇場』の枠にバラエティ特番が多く放送されるようになったように、フジの『土曜プレミアム』なども、映画を軸としながら、2時間特番を放送することが多い。これは、映画枠として常に2時間の枠を獲得しておくと、都合がいいこともあるのだろうか? 前出の作家は言う。 「映画はたいてい21時からのスタートですよね。21時からの2時間の枠だと、19時から21時の枠ではやらないような企画もできることがあります。必ず映画というのではなく、柔軟に動いていくというのが最近の流れですね。ただ、音楽番組という枠が基本的になくならないように、映画番組という『枠』そのものを持っておいたほうがいいという事情はありますね。映画の部署自体がなくなると困るといった、社内的な事情もあるでしょうし」  テレビの映画枠人気が復活するには、まずは映画界が活気づくことが不可欠なようだ。

「笑いは、いじめそのもの」NHK『探検バクモン』が探求する、いじめ問題

bakumon.jpg
NHK『探検バクモン』より
「テレビはつまらない」という妄信を一刀両断! テレビウォッチャー・てれびのスキマが、今見るべき本当に面白いテレビ番組をご紹介。  いじめ問題が表面化するたびに、テレビのお笑い番組が「いじめを助長している」などという批判が持ち上がる。そんな時、必ず「お笑いといじめは違う」とするお笑いを擁護する意見も出てくる。しかし、そういった意見は軽視され、テレビの笑いは少しずつ規制が多くなっていった。分かりやすい敵として駆逐し、それがほとんど効果をもたらさなかったにもかかわらず、再び問題が起きればさらに規制を厳しくする。その繰り返しである。  『探検バクモン』(NHK総合テレビ)は通常、爆笑問題が一般視聴者が見ることのできない場所へ“探検”し、時代をリードする学識者の話を聞きながら、さまざまなテーマを探求する教養エンタテインメント番組だ。  この番組では、大津の中学で起きたいじめ問題を見た太田光の「いじめについて学生たちと語りたい」という意向がきっかけとなり、「バクモンいじめ調査委員会」が発足。11月21日に73分拡大スペシャルとして放送されたのが、いじめを特集した「いじめ × 爆笑問題」だった。  爆笑問題は、フリースクールが母体になって設立された不登校経験の子どもたちが通う私立中学校「東京シューレ葛飾中学校」を“探検”し、いじめへの取り組みを紹介しながら、尾木ママ(尾木直樹)、はるかぜちゃん(春名風花)、ROLLY、志茂田景樹ら異色メンバーに、いじめられた経験を持つ学生たちが加わり、いじめについての討論会が開かれた。  「僕の子どもの頃は、いじられるのも楽しんでいたところもあった。今は陰湿」という志茂田に対し、太田は「昔といじめは変わったっていうけど本当かな? って思うんだよね。それほど変わるもんですか?」と問題提起する。番組では、いじめに対する漠然とした先入観を否定し、「いじめは日本だけの現象ではない」「いじめっ子はいじめられっ子にもなる」「いじめは仲のよい子の間で起こる」という3点を大きな特徴として挙げ、分析した。  この手のテレビ番組などで行われるいじめの討論では、多くの場合、出席者のいじめられた体験ばかりが語られる。しかし、先の特徴でも分析されているように、いじめられた人のほとんども、いじめた経験はあるはずだ。しかし、それが語られることは少ない。それこそ、いじめられたことは本人にとって深刻な問題であるが、いじめたことは大した問題ではない、といういじめの性質そのものだと思う。そういう意味において、黒人のハーフの少年がその容貌から「ボブ」と呼ばれ嫌だったという告白をした時、「俺、絶対言っちゃいそー!」と悪者を引き受ける太田の言葉は、ほかの人たちの言葉よりも胸に迫ってくるのだ。 「僕自身が田中とコンビやってると、『こいつ片玉ですから』『チビだから』ってやるわけですよ。そうやると、ワッとウケるんですよ。でも別の角度からすれば、いじめですよ」  からかいといじめの線引きは、非常に曖昧である。悪意を持って「チビ」と罵るのも、愛情を持って「チビ」と呼ぶのも、表面上は同じだ。 「こいつ(田中)が突然自殺したら、これはもうお手上げなんです、僕らは。それをやってもおかしくないことを言いますから。で、たぶんそういうことは学校でも起きてるんじゃないか」  いじめは笑いに変えればいい、とはよく言われる対処法だ。しかし、ネタにはオチがあって終わるが、いじめにオチはない。だから終わらない。それに付き合う必要なんてない、と太田は言う。では、逃げ場がない時、自殺しないで済む方法とはなんだろうか?   それこそが「学校」なのだと太田は言う。 「死よりも生。生きることのほうが楽しいんだって思えていれば、死なないわけでしょ? 死よりも生がいいんだっていう確信がなくなった時に死を選ぶわけだから、そうすると死よりも生が面白い、生きているほうがいいと、どう思わせるかですよね、子どもたちに。それはおそらく学校にあると思うんだよね。(略)学校で教えていることが本当に面白いんだ、と。どうやって生きればいいのかっていうのの答えが、その教科にあるんだよね。教科の中に『こんなにまだ分からないことがあるんだぜ、世の中には』って。それは“先に対する期待”ですよ。それはおそらく学問が持っている性質じゃないですか」  太田は色紙に「言葉を書いてください」と言われると、「未来はいつも面白い」と書くと、以前放送された『爆笑問題の大変よくできました!』(テレビ東京系)の最終回(2009年9月9日)で語っている。そこで子どもたちからの質問に答える形で「学問」について、文芸評論家の小林秀雄の言葉を借り、説明している。「対象と長ーく付き合うこと、何十年も付き合っていればそのことが理解できるってことが学問」だと。分からないことだらけのものでも長く付き合えば少しずつ理解できることが増え、同時に新たな分からないことも出てきて、その疑問をまた解消していく。その過程が面白いのだ。まさに“先に対する期待”であり「未来はいつも面白い」。 「笑いは、いじめそのものだと俺は思ってるんです。下手すりゃ俺のやってることは、人を殺すなあって思う。だから俺から見ると『テレビ番組はいじめとは違います』っていう論理は『ウチの学校にいじめはありません』って言ってる奴と同じことだと思うの」  人をバカにして笑ったことがない人は、いないはずだ。人がずっこけるのはおかしい。そこにはサディスティックな快感と同時に、ある種の共感がある。幸福と不幸、憎しみと愛情などは根底は同じものじゃないか、と太田は言う。 「人が死ぬ原因になるものと、人が生きる糧になるものは、本当に同じ場所にある」  だから死の原因になるものを排除することは、生きる糧を奪うことと同じだ。笑いは、いじめそのものであると同時に、救いでもあるのだ。 (文=てれびのスキマ <http://d.hatena.ne.jp/LittleBoy/>) 「テレビ裏ガイド」過去記事はこちらから