1984 年 1月 10 日の午前9時半。小雪の舞う北海道・札幌市。当時9歳だった小学4年生の城下英徳くん(仮名)が、急に「外出してくる」と家族に言い残し、そのまま姿を消した。警察は城下家から約 100 メートルほどの距離にあるアパート2階に住む工藤和子(仮名)を疑ったが、成果が得られないまま、英徳くん失踪から3週間後に和子は夜逃げしてしまった。
そして87年12月30日。新十津川町で農家を営む男性と再婚していた和子は、夫を火災で亡くした。夫の寿夫は生前に「おれ、殺される」と身内に漏らしていたという。警察は和子を調べたが、火災原因の特定には至らなかったーー。
(前編はこちら:遺骨 DNA で判明した 14 年前の男児失踪“その後”......時効寸前に捕まったホステスの半生)
ふたたび娘とともに新十津川町を去った和子は、生まれ故郷の節婦町に近い、海沿いの街に移り住んだ。その後もホステスとしてクラブを転々としていたが、高級クラブの経営者と3度目の結婚をして、2人の女の子を授かった。しかしそんな結婚生活もわずか2年ほどで破綻している。
「和子は金遣いが荒くて『いくらあっても足りないんだよ』とよくこぼしてたな。高級ブランドが好きで、あっという間に何千万円も使ってしまうんだと。これじゃ破産だ、って離婚したんだ」(3番目の夫の知人)
3人の娘と西日本を転々とした時期もあるが、やがて同じ海沿いの街に戻り、家賃6万5,000円のアパートで4人暮らしを始めた。3番目の夫から養育費が支払われていたほか、離婚時には2000万円の慰謝料も手にしていた。これらの金を元手にやはり、サングラス姿でパチンコに通う姿を、パチンコ店の常連客たちは覚えていた。
「男みたいに足を組んで、たばこをふかしてさ。いくらスッても平然として一日中打っていた」
1998年。DNA鑑定の技術が進歩したとして北海道警は、寿夫さん宅の納屋から発見された人骨を再度鑑定。その結果、英徳くんのものだと断定され、時効2カ月前、和子は英徳くん殺人の容疑で逮捕された。
これで和子が真実を話せば、事件は解決だ……。英徳くんの家族や捜査員らは、そう思っていたのだろうか。だがそうはいかなかった。和子の物語はもう少し続く。
逮捕後の和子は、雑談にも応じず完全黙秘を貫いた。札幌地裁の公判でもその姿勢にブレはなく「お答えすることはありません」と、検察側からの被告人質問を全てこの返答で乗り切った。そして2001年5月、札幌地裁は和子に無罪判決を言い渡す。
「重大な犯罪により英徳くんを死亡させた疑いが強いが、殺害の明確な動機が認められず、殺意を持って英徳くんを死亡させたと認定するには、なお合理的な疑いが残る」(佐藤学裁判長)
証拠がないゆえの無罪だった。検察側は控訴するが、これも翌年3月に棄却され、和子の無罪は確定した。
その2カ月後。和子は“刑事補償法に基づく補償金”として1160万円を札幌地裁に請求し、その年の冬、同地裁は請求の約80パーセントに相当する930万円を支払うことを決定した。無罪判決を受けた場合は、国に対して補償を求めることができるのだ。「無罪にもかかわらず、身柄拘束された」ことに対する損失や苦痛への補償という意味合いになる。
しかし札幌地裁も、高裁も、和子が英徳くんの死に関わっていることは認めている。寿夫さん宅の火災にまつわる数多の不審な点、そして英徳くんの死。いったい和子は何をしたかったのか。
身代金目的の動機は十分にあった
控訴審判決で、札幌高裁は「身代金目的」の動機があると、踏み込んだ判断をしている。
地裁が「借金の返済に追われて深刻な状況にあったとはうかがわれない」と、身代金目的の誘拐の可能性を否定したのに対し、高裁は「当時の被告人は経済的に極めて逼迫した状況にあったと認められ、その点では、身代金目的で英徳くんを呼び出す動機となるものは、むしろ十分にあったように判断される」と指摘。さらに、こう続けた。
「被告人は、かつて東京上野のキャバレーのホステスをしていた時の客であるMから借金を繰り返し、残額495万円の支払いをしないままに札幌に来たが、その借金の経緯や返済を遅滞したことについては不誠実なところが見られ,昭和58年8月27日から同年12月1日にかけて3回ほど内容証明郵便による督促を受けていた。中でも、同年12月1日の督促の内容は、訴訟を提起する可能性を明記し郵便到着後2週間以内に支払うよう催告した厳しい内容のものであった。
被告人は、この督促を受けて、同月14日、495万円全額を同月26日までに返済することを約束した。しかし、その約束は履行されず、昭和59年1月10日の段階において、被告人はその返済をしなければならない状況に追い込まれていた」(札幌高裁・門野博裁判長)
厳しい取り立てをするかつての客からの、返済期限を過ぎていたころに起こったのが、英徳くん失踪事件だった。だが、幼子を抱えて、身代金目的の誘拐は実質的には困難であり、動機の真相や、その時、何があったのかは、謎のままだ。
完全黙秘を続けた和子だったが、一度は捜査員らに真相を話そうとしていた形跡がある。
「心を開く気持ちはある。だけど、今すぐは開けない。時期が来たら開けると思う」
「夕べ死のうとした。包丁で刺したら痛いし、なかなか死ねないものだね」
「子どもを抱いているときはマリア様になれるんだね。私の人生にあまりにも大きな犠牲を払った。私やり直せるんだろうか」
「私、どうして狂っちゃったんだろうね」
黙秘に転じるまで、こんな具合に葛藤を吐露していた。
寿夫さんと結婚していた頃は、仏壇に水や御飯、花に果物、野菜や生魚等を供えたり、仏壇の前で手を合わせたりしている姿を、当時の家族は記憶している。特別宗教心のない和子が、手を合わせて拝み、時にはこう話しかけていた。
「また、明日。おやすみなさい」
無罪だが無実ではない。02年に自由の身となった和子は、生きていれば65歳になる。彼女から真相が語られることはなく、時間とともに事件は世の中から忘れられてゆく。
【参考文献】
・「週刊読売」 1998.12.6号
・「週刊朝日」 1998.12.4号
・「週刊新潮」 1998.11.26号
・「週刊女性」 1999.1.25号
・「新潮45」 2001.7号
・「FOCUS」 2001.06.13号
・札幌高等裁判所 平成13年(う)第119号 殺人被告事件 判決文

