「オレの正体をいま話して聞かせる」94歳オンナ詐欺師、最後の大ボラ! 商店街を主婦を巻き込む大脱走劇【岡山・高齢女性詐欺師:後編】

(前編:94歳、“オンナ詐欺師”の仰天「ホラ吹き」人生ーー「年寄りには親切に」を逆手に

商店街の人々を丸め込む、得意の「手段」

 市内に住むAさんはこのころ銭湯で、滝本キヨと名乗るトミヨと出会った。年を聞いて驚いた。なんと94歳だというのだ。

「10歳は若く見えますよ」
「ふふふ、そうだろうねえ」

 トミヨは年齢を逆に“水増し”することで、相手の警戒心を弱めていた。

 さらに駅前商店街にふらりと現れ、そこでも“仕掛け”を続ける。ちり紙を買うにも分厚い札束をチラリと見せ、ときには、札束の包みを店先に忘れ、すぐに取りに戻って、こうトボける。

「やれやれ、94歳にもなるとボケちゃって。天涯孤独で金ばかりあっても、どうしようもないよ。あっはっは……」

 寿司屋では、500円の寿司を食べても千円札を投げ出し、きっぷの良さを見せつける。

「お釣りだって? いらないよ。オレは江戸っ子だよ」

 こんなふうに存在感を示しながら商店街を練り歩くが、トミヨはよたよた歩きでよく転ぶ。通りがかりの女性が助け起こすと、その手を振り払って「何するんだい。親切そうな顔して、本当は私の財産を狙ってるんだろ? 銀座の土地かい? 株券かい?」などと叱り飛ばす。

「まあ、何を言うんです。私はただ、お年寄りだと思ったから……」

 女性が憤慨していると、トミヨはじっと女性を見つめ、ぽろりと涙を流しながら言うのだった。

「ごめんなさい。本当に親切心で助けてくれたのかい。ああ、若いのにやさしい人だ。あなた、住所と名前を教えておくれ。私はもう94歳。明日にも死ぬ身だ。でも天涯孤独で遺産を譲る相手もない。今のあなたの親切、忘れずにお礼をしますよ……」

 この手を使えば、住所と名前を教えない者はいなかった。

 また銭湯で出会った先のAさんは、後日、商店街でトミヨにこんなことを頼まれた。

「岡山の人は親切じゃと聞いたが、このあたりで余生を送りたい。どこぞに間借りをお願いしたい。金は十分銀行に預けてあるから、利子だけで生活できる」

 品のある和服に白足袋姿のトミヨを、Aさんもすっかり信用した。そしてGさん夫妻にも話した“銀座のタバコ屋”を話題にする。これはトミヨの定番ストーリーだったようだ。

「銀座に持っていた数十坪の土地を最近処分してな。いくら入ったかって? 考えてごらんな、天下の銀座だよ、計算すればわかるだろ」

「銀座に菊水というタバコ屋があってな。今改装中だが、それが終わると、そこの社長に収まることに決まっててな」

 などと言っては、岡山から東京に出て行くたびに、海外のタバコを仕入れ、戻っては「ここの株を持っているが、これは配当代わりに送ってきたもの」と言ってばらまき、皆を信用させていた。

 こうして機が熟した頃、詐欺に乗り出す。

「しまった、きょうは土曜日か。銀行は閉まっちゃったねえ。ちょいと、月曜まで1万円貸しとくれ。2万円にして返してやるよ」
「あら、1万円なんて言わないで、おばあちゃん。ここに5万円あるから、お使いなさいよ」
「そうかい。倍にして返してやるからね」

 月曜日が来ても、トミヨは金を借りたことを忘れているようだ。しかし貸した者が催促しようとすると、

「お前さんには、遺産の半分ぐらいあげようかと思ってんのさ。いつも親切にしてもらって、うれしくってねえ。それにひきかえ、あっちの女房、あいつは嫌だ。むりやり私に金や品物を押し付けて。あれは親切の押し売りだよ」

 立て板に水のごとく、スラスラとこんな話をするので、催促もできずじまい。そのほかにも、

「私はヒスイの鑑定士」
「金を引き出してくるから旅費を……」
「貸してくれれば5倍にして返す」
「土地を買ってやる」
「私の弟は、代議士の知り合い」

 など口から出まかせを言っては、5,000円から5万円を商店街の人々から借りまくった。貸した人間がさすがに気にし始める頃、滝本キヨ名義で、東京のデパートから座布団などのプレゼントが届けられるため、また黙ってしまうのだった。

 銭湯で出会ったAさんも、トミヨのために間借りする部屋を世話したのち「東京の土地を処分したいのだが親戚がうるさいので……」といったトミヨのいつものホラ話を信じてしまったひとりだ。「東京にいい土地がある。手つけを出しなさい」と持ちかけられたことを皮切りに、27回にわたり260万円をだまし取られてしまった。

 同じ手を使い、近所の主婦10人からも金をだまし取る。借用書には「返済の折には金百万円をつける」とあった。いかにも怪しい内容だが、トミヨの話術に丸め込まれ、一時は信用してしまっていたようだ。

 むろん、そのなかにも、金の催促をする者はいた。しかし血相を変えて返済を求めても、トミヨは一向に動じず、今度は銀行や役所も巻き込むのだ。

「うるさいねえ、200万円や300万円の金でゴタゴタ言うんじゃない。オレはいま、東京の銀行から5000万円ばかり、この岡山の銀行に預金を移そうと思っているんだよ。ちょっとお待ち、支店長を呼ぶから」

 本当に銀行に電話をかけ、支店長が飛んでくる。取り立てに来た者はバツが悪くなり引き返したという。また別の日には、複数人がトミヨのもとに金の取り立てに来たが、その目の前で県庁に電話をかけ“1億円の寄付”の相談をまとめるのだ。失いかけた信用は一挙に元に戻った。

 あの手この手で、借りた金の返済を免れてきたトミヨだったが、ごまかしの万策も尽き果て、被害者たちに取り囲まれた。逮捕直前の夏のことだ。

「株も土地もないのとちがうか?どうだ、全部嘘だろう」

 銀座のタバコ屋に“滝本キヨ”について確認し、トミヨの話が嘘だと知った者たちは問い詰めた。するとトミヨは、全て嘘だと認めたその直後、皆を一喝する。

「オレの正体をいま話して聞かせる。オレは密輸グループの一員で、サツに追われている身なんだ。だけどさ、お前たちに借りた金ぐらい、耳を揃えて返してやるから安心しな」

 検挙された時の罰金や追徴金のために、密輸グループらで金を積み立て、隠し持っている……という“最後の大ボラ”をかましたのだ。

「このうちの1000万円を引き出してくるから、2日だけ待て」

 そう言って、トミヨは岡山から立ち去った。

 嘘に嘘を重ねて金を借りまくり、逃げた先の静岡でも、同じように嘘をつき続けたトミヨは、詐欺罪で起訴後、懲役2年、執行猶予5年の判決を受け、のちに岡山県の老人ホームに引き取られた。

 しかし「オレ、こんな老人ホーム、いやだ、いやだ」と、一度脱走。岡山駅裏の旅館で、長野から出稼ぎに来ていた70歳の男性に、

「絵を預けてある名古屋の知人のところまで、一緒に行ってくださいな」

 とまた得意の作り話で、名古屋行きの切符を用立ててもらおうとしていたところ、すぐに発見され、老人ホームに戻されたという。

【参考文献】
S48.10.17 「女性セブン」
S48.10.15 「週刊文春」
S49.8.8 「女性自身」

【宮城・婚活サイト殺人事件:後編】「胸も大きかったんで、好みだった」女との結婚を夢見て……罪に飲み込まれた男たち

 

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 いわゆる〝首都圏連続不審死事件〟で殺人などの罪に問われ、死刑が確定した木嶋佳苗死刑囚(45)は、出会った男性たちからたびたび金を詐取し、うち3名を殺害していた。出会いの場は婚活サイトだ。

 ここに彼女は「結婚相手を探している」と登録し、男性たちに「学校に通うための授業料が必要」だと嘘をついて多額の金を振り込ませたり、ホテルに誘い、睡眠薬入りの飲み物で男性を眠らせた上で、財布から金を盗んで部屋から立ち去るなどしていた。

 木嶋死刑囚の一審裁判員裁判が開かれたのは、さいたま地裁。2012年のことだ。それから2年後、ここで同じように「婚活サイト」が出会いの舞台となった事件の裁判員裁判が行われた。宮城県に住む女・伊藤奈苗(仮名)は、埼玉県行田市在住の男性・黒木誠さん(仮名)とサイトで出会い、結婚をほのめかしながら多額の金を貢がせた揚げ句、黒木さんを殺害した。

 だが彼女自身が手を下したわけではない。実行犯は、同じく婚活サイトで出会った別の男・鈴木光俊(仮名)だった。男は惚れた弱みにつけ込まれ、身も心も操られていた。

(前編:【宮城・婚活サイト殺人事件:前編】木嶋佳苗に続いた“セックスと金”の婚活オンナ

蔵王の殺人未遂と埼玉での殺人実行

 「後には引けないからよろしく。返り血を浴びないように眼鏡をかけてね」……奈苗は黒木さんに睡眠薬を飲ませ、寝入った黒木さんにさらにインスリンを注射し、隣の部屋で待機する光俊に声をかけた。一人、黒木さんの部屋に赴いた光俊は、仕事で使っていたL型アングルを手に持ち、床で眠っていた黒木さんの目元や眉間を何度も殴った。

「殺してしまった。間違いなく警察に捕まるが、奈苗さんのことを黒木さんから守ることができた」

 こう思ったというが、しかし黒木さんは脳挫傷や目の損傷など大けがを負いながらも、九死に一生を得ていた。そしてなぜか、光俊のことも警察に話さなかった。罪を逃れたふたり。いま奈苗から離れるか、それともとことん付き合うか。光俊にとっては、運命の分かれ道だったことだろう。ところが、奈苗はこう言ってきた。

「黒木さん名義のクレジットカードを作って、楽天で指輪を買ってしまった。黒木さんにバレると、これまで以上に取り立てが厳しくなる。ここまで来たらもう、後戻りできない」

 光俊は、奈苗の望みを叶えることを選んだ。退院後の黒木さんを車に乗せ、埼玉県の自宅へ送る途中に、奈苗が黒木さんに睡眠薬入りのコーヒーを飲ませた。自宅に着く頃に黒木さんは目覚めていたが「病院で処方された薬を飲もう」と奈苗がもう一度睡眠薬を飲ませる。黒木さんが再び寝入ったことを確認し、奈苗は言った。

「今度こそしっかりやるんだよ。こんちくしょう、みたいな気持ちでやらないと、だめなんだからね」

 この言葉に背中を押された光俊は、眠り続けている黒木さんの右手を取り、牛刀を握らせた。自殺に見せかけるための方法だった。何度も奈苗と予行演習していたやり方だ。それでも、なかなか決心がつかない。

「実際、黒木さんを殺すのが怖かった。手は小刻みに震えていました。なんとか黒木さんを刺しましたが、全然力が入ってなくて、首の皮が一枚切れたような状態……それで、自分なりに今度こそ、と決意を固め、黒木さんの首を切りました。

 とうとう黒木さんを殺してしまった。これで間違いなく警察に捕まるという思いがありました。ただ……それでも、やっとこれで、奈苗さんを黒木さんから解放することができたという達成感がありました」

 2人は黒田さんを殺害後、彼の現金や健康保険証、指輪、キャッシュカードなどを奪い、部屋を後にした。

 奈苗と光俊は、退院後の黒木さんに対する強盗殺人などで起訴され、14年7月、さいたま地裁で裁判員裁判が行われた。罪に問われたのは、強盗殺人だけではない。黒木さんが詳細を明言しなかった蔵王のホテルでの大けがも、2人によるものだったとして強盗殺人未遂で起訴されていた。

 さらに殺害直後、福島県内のコンビニATMで黒木さんのキャッシュカードを使い不正に現金を引き出した(総額188万円)ほか、光俊が黒木さんになりすましスマホ10台を契約。これを売却し約14万の利益を得ていた。11年にはまた別の男性の家に忍び込みネックレスや着物などを奪った罪にも問われていた。

 起訴状や証拠によれば、奈苗は黒木さんから1000万円以上を借りており、返済を迫られていた。そのために殺害を企図したとされている。実行犯となった光俊も同様に、奈苗に夢中になるあまり、600万円~700万円ほどの“援助”をしたという。

 法廷に現れた奈苗と光俊は、どちらも小柄な中年だったが、2人ともかなり太っており、証言台の前に並んで立つ姿は横から見ても前から見ても同じ幅で、どこか“ゆるキャラ”を彷彿とさせる。これでも光俊はかなり痩せたといい、逮捕前は100キロを超える巨漢だったそうだ。そして光俊は、奈苗のそんな肉体にも惹かれたのだと明かした。

「初めて会った時の第一印象は……ふくよかな方で……え~、胸も大きかったんで、私の好みだと思っていました」

 光俊による2度の黒木さん襲撃は奈苗への愛ゆえだった。彼のいびつな愛は、この事件だけで示されたわけではない。震災の前の年のフィリピン旅行で、奈苗は「光俊の足を拳銃で撃ち、海外旅行保険金をだまし取る」ことを提案してきたのだという。

「結局それは実行しませんでしたが保険金はおりました。自分で足の指を……切断しようとして、実際に切りました。一人で途中までは切りましたが……どうしても切り落とすことができなかったので、ナイフを足の指の上に置いている状態で、奈苗さんが、スーツケースを上から叩き落とすというのをやりました」

 足の指を失い、二股をかけられた上、なんの恨みもない男性を殺害させられた光俊。奈苗に人生を一変させられたにもかかわらず、最後に言った。

「こういった事件を起こすくらい、愛してたってことですから、一概に、なんとも思っていないとは言えないですけど……まだ完全に奈苗さんのことを嫌いにはなれません」

 だが、一方の奈苗は、光俊への愛情など最初からなかったかのような供述に終始した。まず事件は“光俊が勝手にやったことであり、共謀などしていない”と、消え入りそうな声で一部否認し、光俊に罪をなすりつけた。被告人質問になると、それまでとは比べ物にならない大きな声で、こう言い放った。

「私は結婚できないと伝えてました。婚約者でもありません。私にとっては援助してくれる男性。光俊さんもそれでいい、と言っていました。私にとっては、援助してくれる男性です」

 これを目の前で聞く光俊は、大きな背中を丸め、ただうなだれるばかりだった。一途な愛を利用し、借金返済を免れようと、黒木さんを殺害させた奈苗には、光俊と同じく無期懲役の判決が言い渡された。ふたりは控訴、上告していたが、15年9月、最高裁で確定している。

真実を語らなかった被害者

 一途な愛で振り回されたのは光俊だけではないだろう。蔵王町のホテルで、視力を失うほどの大けがを負わされた黒木さんは、当時の警察の取り調べに真実を語ることはなかった。

「奈苗さん、光俊さんとホテルにチェックインし、別室の光俊さんが部屋に来て一緒に飲んでいた。体が熱くなり、ももひきになった。その後、風呂に行くため全裸になり、ソファの上で服を蹴飛ばしたりしていると、床に転げ落ちた。テーブルか椅子の角に顔面と頭を強く打ち付け、そこから意識がない。光俊さんと言い争いはしていない」(当時の黒木さんの調書)

 奈苗に渡していた1000万の返済を促すため、彼らに貸しを作ろうとしていたのか。それとも、やはり彼も、奈苗に理屈を超えた愛情を持っていたのか。誰も知ることはできない。

<参考文献>
・「女性セブン」(小学館) 2013年3月14日号
・「週刊新潮」(新潮社) 2013年3月7日号

 

 

【宮城・婚活サイト殺人事件:前編】木嶋佳苗に続いた“セックスと金”の婚活オンナ……「結婚するつもりの男」と1000万円の援助金

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

【宮城 婚活サイト殺人事件】

 宮城県刈田郡蔵王町、蔵王連峰を望む高原のリゾートホテルMは、2012年10月も、例年と同じく繁忙期を迎えていた。この時期は紅葉が見頃で、各地から観光客が訪れるのだ。Mに入社して3年の従業員・山本は、同月21日から夜勤でシフトに入り、翌日22日の10時に退勤予定だったが、紅葉シーズンで混み合うフロントでのチェックアウト業務に追われ、11時を過ぎても仕事を続けていた。

 レジ締めにもようやく終わりが見えてきた正午前、フロントの電話が鳴った。

「救急車呼んで。ちょっと部屋に来て」

 女性スタッフを伴い部屋の前まで行くと、ドアの外に中年の男女が立っていた。宿泊客の連れで、隣の部屋に泊まっていたのだという。「すごいことになってるので、部屋を見てほしい」と、通報主である女が言う。スタッフを残し山本がひとり部屋に入ると、そこには異様な光景が広がっていた。

 窓の方を向き、寝室の床に座る初老の男性。壁には血が飛び散り、床には嘔吐物や排泄物が散乱している。山本が男性の顔をよく見ると、両目の上がボクサーのように腫れていた。山本は思った。「転んでけがをしたんじゃなく、誰かにやられたな」

 幸い、男性には意識があった。

「大丈夫ですか」

 こう問いかけると男性は朦朧とした様子ながらも「ああ、ああ」と答える。まもなく到着した救急車で、すぐに男性は病院に搬送、入院となったが、目のけがにより、視力を喪失していた。担当医師は「人為的外傷の可能性がある」と消防に伝えている。だが、瀕死の重傷を負った当の男性は、何者かをかばうように、こう言うのだった。

「酔っててソファから転落した。覚えていない」

 退院日の11月3日、男性を迎えに来たのは、ホテルMで部屋の前にいた、あの男女だった。そしてその日に男性は殺害されることになる。

 いわゆる〝首都圏連続不審死事件〟で殺人などの罪に問われ、死刑が確定した木嶋佳苗死刑囚(45)は、出会った男性たちからたびたび金を詐取し、うち3名を殺害していた。出会いの場は婚活サイトだ。ここに彼女は「結婚相手を探している」と登録し、男性たちに「学校に通うための授業料が必要」だと嘘をついて多額の金を振り込ませたり、ホテルに誘い、睡眠薬入りの飲み物で男性を眠らせた上で、財布から金を盗んで部屋から立ち去るなどしていた。

 木嶋死刑囚の一審裁判員裁判が開かれたのは、さいたま地裁。2012年のことだ。それから2年後、ここで同じように「婚活サイト」が出会いの舞台となった事件の裁判員裁判が行われた。宮城県に住む女は、埼玉県行田市在住の男性とサイトで出会い、結婚をほのめかしながら多額の金を貢がせた揚げ句、男性を殺害した。

 だが彼女自身が手を下したわけではない。実行犯は、同じく婚活サイトで出会った別の男だった。男は惚れた弱みにつけ込まれ、身も心も操られていた。

 蔵王のホテルで瀕死の重傷を負ったのは、埼玉県行田市に住む電気設備業・黒木誠さん(仮名・67=当時)。彼は退院後の11月15日、自宅一階の居間で遺体となって発見された。死因は首元を牛刀で切られたことによる失血死で、死亡推定日時は11月3日であることがわかった。現場の状況から、自殺の可能性も捨てきれなかったために、他殺との両面で捜査が進められていたが、これはのちに他殺だったことがわかる。

 翌年2月に、黒木さんに対する強盗殺人容疑で逮捕されたのは、宮城県丸森町に住む無職・佐藤奈苗(仮名・逮捕当時42)とその交際相手である仙台市太白区の会社員・鈴木光俊(仮名・逮捕当時48)だった。

 奈苗は生まれて間もなく、子どものいない夫妻に引き取られ、丸森町で育った。仙台市内から車で南へ1時間。緑豊かでのどかな風景が広がる福島県との境にある小さな町は、その面積の1割を国有林が占める。雄大な自然と心優しい養父母のもとで育った彼女だったが、近所では“万引きの常習犯”として知られていたという。

「いつも服の下に本やお菓子など盗品を隠していた。注意すると、悪びれた様子もなく、謝りもしないんです。捕まえるたびに、お母さんが謝りに来ていました」(近所の住民)

 学校での評判は“ませた子”。中学生の頃から化粧をしていた。当時から高級品志向で、ブランド物の化粧品を万引きすることもあったという。地元の高校を中退した奈苗が飛び込んだのは夜の世界だった。ルイヴィトンのバッグを持ち歩き、都会への憧れをたびたび口にしていた。

「私はこんな場所にいる人間じゃない」

 20歳で地元の男性と結婚し、2人の子どもに恵まれたが、6年で離婚。子育てを義父母にまかせ、再び夜の世界に舞い戻る。さまざまな婚活サイトを通じて複数の男性と交際し、その男性を騙しては金を貢がせていたともいう。奈苗はバツ2になった02年、3度目の結婚を果たすが、夫となったAさんは2年後、31歳で突然死した。

「Aさんは体格が良く、元気だったのに突然病気で亡くなった。彼には3500万円の保険金がかけられており、受取人は奈苗だった」(捜査関係者)

 夫を亡くした奈苗は実家に戻り、毎日のように通販でブランド物を買いあさるようになる。「夫の保険金で買い物するなんて……」――そう近所で囁かれていたともいう。

 だが特にAさんの死が事件として扱われることはなかった。

 黒木さんと奈苗が出会ったのはAさんの死から2年後の06年。登録した中高年向けのお見合いサイトでマッチングし、交際を始めた。奈苗は黒木さんに借金を重ねる一方で、09年には同じサイトで光俊とも知り合い、交際を始める。

 奈苗と出会うまで、女性と付き合ったことがなかったという光俊は、彼女の胸の大きさに惹き付けられ、一気にのめり込む。

 初めて会った日に、リサイクルショップで10万円の指輪を買い与え、奈苗と結婚するつもりだった。でも「一番下の子が18歳になるまでは」と、籍をすぐに入れることができないと言われていたという。

 それでも“夫婦同然の関係”だと思い、給与や貯金も奈苗に渡していたという。また“あなたの子どもを妊娠した”と告げられたこともあった。

「『今はまだ産めないので、子どもは堕ろさなくちゃいけない』と言われました。実際に中絶したかは確かめていませんが、そこから給与の全額を渡すようになりました。年齢的に考えて、今後もう子どもは無理だろうと思ったからです」

 のめり込んでいた光俊に奈苗は、2012年に入ってからこんなことを告げてきた。

「黒木さんという男から1000万円ほど借り入れている。借金の返済がなかなかできないため、肉体関係を強要されている」

 夫婦同然だと思っていた女性が、借金のカタに体を捧げていた……この話に、光俊は「私以外の男との肉体関係があったということで嫉妬心を覚えました」と振り返る。この日から黒木さんのことを「埼玉のエロじじい」と呼ぶようになった奈苗は、光俊にこんなメールを送る。

「黒木には死んでほしい、この世からいなくなってほしい。誰かに殺してもらうか、ミッチーに手を下してもらうしかない」

 そして起こったのが、蔵王での強盗殺人未遂事件だった。

――後編は11月13日公開

<参考文献>
・「女性セブン」(小学館) 2013年3月14日号
・「週刊新潮」(新潮社) 2013年3月7日号

“女性器えぐり取り”殺人犯の告白……「あそこがあるから自分も苦しむ」男を二度寝取られた女【神奈川“阿部定”イズム殺人事件:後編】

 昭和11(1936)6月21日、神奈川県都筑郡二俣川村(現:横浜市地区)。あまりにも有名な阿部定事件の翌月に起こった殺人事件は、「神奈川のグロ殺人」「お定を逆に」「怪奇!開かずの家で多情の老婆惨殺さる」などと新聞でセンセーショナルに報じられた。金子みつ(63)の顔面は鈍器のようなもので殴られ、下半身は鋭利な刃物でえぐり取られていたのだ。

 みつには別居中の夫がいたが、夜になると入れ替わり立ち替わり、みつの家に男たちがやってきていたという。このため最初に疑われたのは、生前のみつと関係のあった男たちだった。

(前編:63歳の“えぐり取られた女性器”――惨殺された「多情な老婆」、男たちとの肉体関係

空振りが続く捜査

「みつと特殊な関係にあったといわれる村民五名を召喚 取調を進めている」(当時の新聞記事)

 村内の若者から老人まで、みつと肉体関係のあった男たちが次々と取り調べを受ける事態となり、「次はうちの亭主や息子が警察に連れて行かれるのではないか」と村の女性たちは戦々恐々としていたという。

「グロ殺人の容疑者追求 容疑者中の同村男性を最も有力なものとして追及を開始したが今のところ凶行当夜とされる十六日夜のアリバイが立っていない」(同)

 追及を行ったのは、阿部定事件の記憶が鮮烈に残る中での類似事件とあり、男女間の痴情の線に引きずられすぎていたのだろうか。

 それでも捜査は進展しない。空振りの取り調べが続いていた捜査本部のもとに「近所の農業・杉本某(60)をめぐり、みつと口論していた女がいる」という目撃情報が寄せられる。任意取り調べの末に犯行を自供したのはみつの知人、59歳の鈴木よねだった。

10年前から男を取り合っていた、みつとよね

 よねは夫と6人の子どもたちと暮らす、髪結の仕事を持つ女だ。みつとは、事件の10年以上前に、近くの51歳の男性と親しくなったが、みつがこの男性に手を出したので喧嘩になった。その後、よねが杉山と肉体関係になったところ、今度もみつが杉山と親しくなり、杉山の気持ちがよねから離れていったのだという。

 単純な痴情のもつれというよりも、男関係をめぐり女の嫉妬が起こした暴走だった。一度ならず二度までも、意中の人を奪われたよねは、怒りに駆られた。夕食を共にするふりをして、みつの自宅に赴く。そしてこう言い向けた。

「二度もこんなことをするなんて人情知らずだね」

 ところがみつは、こう言い返した。

「自分の体で自分が自由にするならいいじゃないか」

 自分が好意を抱いた男に、自分の意思で近づき、良い仲になっただけであり、よねにとやかく言われる筋合いはない……みつはそう思ったことだろう。

 しかし、この一言によって、よねの嫉妬はさらに燃え、怒りの導火線に火がついた。

 玄関口に戻り、そこにあった拳大の石ころを手に取って再び六畳間にいるみつに駆け寄り、顔面を殴りつけたのだ。殴打は一度では止まらなかった。謝り逃げようとするみつを追いかけ、今度はその後頭部を二回、殴打。とうとうみつは絶命した。

 それでも怒りが収まらないよねは、石を投げ捨て、今度は台所にある菜切包丁を手に取った。そして、仰向けに倒れて亡くなっているみつの着物の裾をめくりあげ、「男が殺したように見せかけるため」(当時の新聞記事より)あらわになった女性器に包丁を突き立て、無残にも下腹部をえぐり取ったのだった。

 さらに、これを持ったまま戸外に出て、敷地内の井戸に投げ込んだ。警察が捜索しても見つからなかった下腹部は井戸に投げ棄てられていたのだ。

 まもなく変わり果てたみつの姿を、近所の者たちが発見し、新聞に「グロ事件」「お定事件の逆」と大きく報道される事態になりながらも、よねは素知らぬ顔で、夫と6人の子どもたちとの生活を続けていた。

「おみつさんのあそこがあるから自分も苦しむ」

 63歳のみつ、59歳のよね。彼女たちのもとへ足繁く男たちが通い、愛欲に溺れる日々。よねは幾度もみつに男を奪われ、悪感情を募らせた。一方、よねが言うには、みつもよねを意識していたようだった。

 逮捕当時の供述によれば、

「自分の髪結仕事の邪魔をするために、みつが他から髪結を連れてきた」
「近所の男の家に入浴に赴いた際に顔をあわせると恐ろしい目つきで睨みつけられた」

など、互いに嫉妬心を抱き合う関係だったこともうかがえる。

 よねは逮捕後にこう語っていたという。

「おミツさんのあそこがあるから自分も苦しむようになった。東京の阿部定事件が新聞に出ていたので思いついたのです」

 みつの下腹部をえぐり取る残虐な行為は、やはり阿部定事件をヒントにしていた。

 しかし、定のように懐に抱きかかえて時折口に含むことはなく、みつのあそこは井戸に投げ棄てられた。その井戸水は、葬式などに来た村人たちが何も知らずに盛んに飲んでいたという。

<参考文献>
・「朝日新聞」昭和11年6月
・「アサヒ芸能」(徳間書店)2012年3月
・『明治・大正・昭和事件犯罪大辞典』(東京法経学院出版)

63歳の“えぐり取られた女性器”――惨殺された「多情な老婆」、男たちとの肉体関係【神奈川“阿部定”イズム殺人事件:前編】

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 昭和11(1936)年5月、東京都荒川区尾久の待合(ラブホテル)で男性の遺体が見つかった。その陰部は刃物で切り取られていたうえ、布団の上には男性のものとみられる鮮血で「定吉二人キリ」と大書きされていた。

 さらに遺体の左太ももに「定吉二人」の血文字。左腕には刃物で「定」と刻まれていた。

 遺体と犯人の身元はその日のうちに判明する。男性は東京・中野にあった鰻料理店「吉田屋」の主人、吉田吉蔵、42歳。犯人は吉田屋において田中加代の偽名で働いていた阿部定、32歳。2人は不倫関係に陥り、店の人間らに気づかれぬよう逢瀬を重ねていたが、そのうち定に「吉蔵を独占したい」という欲求が生まれる。そして事件の日、性交中に定は吉蔵の首を腰紐で締めて殺害したのだった。

 定は吉蔵のペニスをハトロン紙に包み、それを持って一人、宿を出た。翌日にはこの事件は大々的に報じられたが、当の定は吉蔵のペニスを肌身離さず身につけ映画を楽しんでいたという。また時折、ハトロン紙の包みからペニスを取り出し、口にくわえたりもしていた。だがそんな倒錯した日々が長く続くはずもなく、翌日、偽名で宿泊していた品川の宿に踏み込まれた高輪署の警察官に逮捕された。

 二・二六事件からわずか3カ月後に起こった、あまりにも有名な阿部定事件。今回紹介する事件はその翌月に、神奈川県で起こった。

【神奈川 定“イズム”事件】

 同年6月21日、神奈川県都筑郡二俣川村(現:横浜市地区)。木々で鬱蒼とした小高い丘の上に住む、金子みつ宅の戸が3〜4日開かないのを不審に思った近所の者たちが多数集まった夕方。竹やぶに包まれた金子宅の雨戸をこじ開けて室内を開いたところ、そこには目を疑う光景が広がっていた。

 63歳のみつは、六畳間の畳の上に野良仕事のままの服装で仰向けに倒れ、血まみれで死んでいたのだ。遺体は腐敗が始まっており、その顔面は鈍器のようなもので殴られた形跡があった。

 なにより雨戸をこじ開けた近所の者たちが一番恐怖したのは、みつの下腹部が鋭利な刃物でえぐり取られていたことだった。

 男性の下腹部を切り取った阿部定事件を否が応でも想起させる犯行態様について、新聞はさまざまに書き立てた。

「神奈川のグロ事件」
「お定を逆に」
「怪奇!開かずの家で多情の老婆惨殺さる」

 こんな見出しが躍る新聞記事には、「老人ながら極めて多情者でいろいろな浮いた噂もあるので犯人は痴情関係の恨みから『お定事件』を逆に行ったものではないかと見られている」とも記されている。

 みつの倒れていた部屋には食卓があり、茶碗などが散らかっていたことから、4日前の夕食どきに被害にあったと警察は推定した。時折流れる続報では、「グロ殺人事件につき、家の内外を大捜索の結果、まず室内から下腹部を切り取った血がこびりついている菜切包丁を発見、ついで付近の畑から顔を殴った石を発見」など記されている。

 また、えぐり取られた下腹部については「家の中にも付近にも見当たらぬので犯人はお定事件の場合のごとく持回っているのではないか」(当時の新聞記事)とされ、犯人の目星は全くついていないことが報じられた。

夫と別居中だったみつの“夜の顔”

 みつには13歳年上の夫との間に三男三女がおり、子どもはいずれも独立。事件の5年前から夫婦関係が悪化し、みつは二俣川村に家を借りて夫と別居を始めていた。

 そのうち、夜になると入れ替わり立ち替わり、みつの家に男たちがやってくるようになったのだという。このため最初に疑われたのは、生前のみつと関係のあった男たちだった。

――後編は月日公開

「結婚してブラジルに渡ろう」ウソと虚栄にまみれた女スパイと謎の男【藤沢つづら詰め殺人事件:後編】

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

(前編:ミイラ化した全裸死体ーー離婚した女二人の同居生活、消えた女と庭の遺体

近所で不審がられた3人暮らし

 住んでいた家の庭から、つづら詰めの遺体となって発見された檜山逸子さん(45)は、近く弟と住む予定があった。

「逸子は淋しがり屋だから私の宅に5坪ほどの建て増しをして引き取りつもりで設計までしていたんです。それが『美津代が同居して淋しくなくなったから止めてくれ』と言ってきました」(弟の証言)

 藤沢駅前の不動産仲介業者の伝手で、逸子さん宅にて同居を始めたのは鶴岡美津代(当時35)。54年春のことだ。彼女の人目を惹くルックスと、派手な身なりや言動は、淋しがり屋で物静かな逸子さんにも魅力的に映ったのか、やがて何をするにも二人連れとなった。しだいに、近所づきあいや組合費の徴収、挨拶、留守を頼みに来るのも美津代が行うようになり、近所には美津代がこの家の主だと思われていたようだ。

 そのうち家には美津代の“叔父”で、炭鉱の経営者と称する横山太郎(48)が入り浸りになり、逸子さんは次第に奇怪な行動をとるようになったらしい。近所の住民は、当時こう声を潜めて話した。

「美津代は買い物に出かけても八百屋やたばこ屋で大声で満州時代の自慢話をするが、逸子さんはニコニコして黙って聞いていた。逸子さんは身なりが派手になり、厚化粧をしだした。そのうち横山と美津代と逸子さんで夜、雑魚寝をしているという話も広まっていた」

「美津代さんは、戦争中にはスパイだったとか、馬賊の宣伝工作をしたとかいって、飛行服を着たアルバムを見せていましたが、不思議な女でした。感心しない男が出入りするようにもなりました。横山という男などは朝からドテラ姿でやってきたり、20歳前後の学生風の男が来て泊まったり……もっとも、その学生はだいぶ家の金品を持ち出して美津代に貢いだらしく、父親が『あの女のために、すっかりグレた』と怒っていました」

 戦時中の活躍を近隣に吹聴していた美津代は、近所の者たちに不審がられていた様子だ。「美津代は何か麻薬関係があるのではないか」といううわさまで囁かれていた。

 そんな彼女は明治維新の志士、西郷隆盛平野国臣と親交のあった家に生まれた6人きょうだいの3女。3歳までは“お屋敷のお姫様”として福岡で育った。7歳の時に一家は上京し、小学校を優秀な成績で卒業したのち、女学校に入学。ここでも成績は79人中の2位だった。『じゃじゃ馬』とあだ名されるほど派手な存在だったらしい。

「成績は確かによかった。美貌で先生間にも人気があったようだ。友達交際もいい。1年ちょっとで退学したが、快活なお嬢さんタイプと思った。体が弱く学校は良く休んだ。ただ金銭関係がルーズで借金しても平気で返さぬことは度々あったと思う」(当時の教諭)

「東郷元帥の死について作文を書き一等賞を受けて朗読させられたことがある。才気走っていた。人形遊びをするような少女らしいところはなかった」(美津代の姉)

 のちに美津代はフィリピン戦線の特派員から帰って来た男性と結婚するが、わずか半年で離婚。離婚後に中島飛行機立川工場に勤め始めたところ、その才気を買われ、陸軍少将の秘書となる。少将とともに満州に渡り、スパイ工作に従事していたともいわれており、その頃が美津代の生涯で最も華やかな一時期であり、「この時代こそ、美津代にウソと虚栄を植え付けたのだ」と彼女を知る者は言う。

 終戦後にふらりと福岡に戻って来た彼女は、人を言葉巧みに騙して金品を持ち去るようなことを繰り返し、周囲を落胆させたようだ。

 「美貌の女スパイ」として暗躍していた美津代はその後、横浜の芸者置屋にて“その子”という名で芸者となっていた。ここから、嘘の経歴を語っては人を欺くようになる。

 太郎に見受けされ、同じ町の別の芸者置屋で働き始めるも、自分を“作家・小糸のぶ”だと名乗り、「花柳界をテーマにした作品を執筆している」「新聞記者は友人だ」などと、原稿用紙の束を見せながら女中たちを騙し、23万円相当の料理その他金品を詐取。わずか半年で行方をくらまし東京へ。銀座のクラブで女給として働くも、翌年には辞め、藤沢市の特殊飲食店で働き始めた。こうした店に“売春婦”と呼ばれる女性が置かれていた時代のことだ。店では「妖気ただよう女」として知られていたともいう。

 流れ流れて移り住んだ藤沢で、美津代が住む家を探しているなか、出会ったのが、逸子さんだった。美津代は逸子さんに出会ったとき「両親がブラジルに広大な土地を持っているので、渡航費用を稼ぐために藤沢市内でカフェーを経営している」と嘘をついて取り入った。ふたりで大島や日光を一緒に旅するようになり、間もなく“美津代の叔父”と称する太郎もその家に入り浸るようになる。ふたりは逸子さんの財産に狙いを定めて動き始めた。太郎は妻子がいるにもかかわらず独身と偽り、逸子さんに結婚を持ちかけたのだ。

 逸子さんから見れば、美津代は同居をきっかけに親密になった女友達。両親はブラジルで農業をやっているという。その叔父だという太郎から、繰り返し結婚を迫られ、徐々に逸子さんは気持ちが傾いてゆく。それにはふたりの手の込んだ工作も影響した。美津代らは、太郎の父親の名で「逸子さんとの結婚を承諾する」という内容の手紙を逸子さんの弟に書き送ったほか、晩餐会に招かれた太郎がその会場に向かう途中で逸子さんとのエンゲージリングを購入。会場では妻として逸子さんを皆に紹介するなどして、徹頭徹尾、逸子さんを騙し抜いた。

 さらには「ブラジルへは毎月20万仕送りしている」「結婚してブラジルに渡ろう」と甘言を使い、逸子さんをその気にさせ、3人でブラジルに行く計画を練り始める。渡航費用にするためと嘘をつき、美津代が逸子さんの株券を売り飛ばし20万円をだまし取ったのだ。逸子さんもここでようやく、自分が騙されていることに気づいた。怒った逸子さんは、美津代をなじり、太郎に結婚を迫り続ける。楽しげだった3人の関係はこじれにこじれ、口論が絶えないまま、年が明けた。そして……。

「55年の正月の終わり頃ですかねえ、急に隣がシーンとしちゃったんです。留守なら、いつも美津代が用心を頼みに来るのに、こなくなった。変だなあと思っていると10日ほど経って横山が一度やってきました。『ここの行方不明の人はどうなったか?一人は知っているが、何かご存知か?』と聞いていました」(隣の住民)

 こうして行方不明となった逸子さんは、翌年の夏、自宅の庭に埋められたつづらの中から遺体で見つかった。直ちに全国に指名手配が行われた美津代は、逸子さん殺害後、名古屋や広島、松山や小田原など各地を転々とし、寸借詐欺や、病院の医療費を踏み倒して姿を消すなど犯罪を繰り返していた。広島で出会った男・栗原は美津代に惚れ込み、こうした事件の尻拭いを続けていたという。

 美津代が見つかったのは、遺体発見の4日後。東京・新宿百人町の旅館に栗原と投宿しているところを「前夜から手配の女に似ている客がある」と通報され、駆けつけた警察官に身柄を確保されたのだった。太郎も20万円の詐欺罪で逮捕されていた。1年半の逃避行のうちに肺結核が進行していた美津代は、取り調べが続く警察署において、毎夜のように喀血していたが、日中の刑事の追求には、頑として否認を続けていたという。

 さて、逸子さんの3度目の遺体捜索のきっかけとなったのは、その家に買い手がついたことだけではない。藤沢市内の土木工事労働者から「あの庭にゴミ捨ての穴を掘らされた」という証言があったことも大きい。逸子さん殺害に関わった者は、美津代と太郎だけではなさそうだ。遺体の入ったつづらを部屋の中で引きずった形跡もない。庭に深さ約180センチもの穴を掘り、つづらを地中深くに埋める作業を、女性一人で、近隣に気付かれずにやり遂げるのは難しい。状況的には美津代の単独犯と見るには無理があるが、関わった人物は謎のまま、すでに60年がたった。

 藤沢駅のそばで、こうした事件があったことすら、人々の記憶には残っていないことだろう。

(参考文献)
・「週刊読売」1956年8月5日号
・「週刊サンケイ」1956年8月5日号

ミイラ化した全裸死体ーー離婚した女二人の同居生活、消えた女と庭の遺体【藤沢つづら詰め殺人事件:前編】

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 戦後の湘南。東海道線藤沢駅の南口から、賑わいのある橘通り商店街を10分ほど進んだところにある花沢町は当時、サラリーマンの小住宅や別荘がぎっしりと並ぶ住宅地だった。このど真ん中に位置する、高い生垣で囲まれた民家に、神奈川県警本部の刑事部長や捜査一課長、横浜地検刑事部長らが集まったのは1956年7月12日、もうすぐ正午になろうとする頃だ。荒れ果てた庭にダリヤが咲き誇る。何事かと周辺の住民やマスコミも、民家の外からその様子を伺っていた。

 縁側から続く便所の角に植えられた木の下に、係官らがシャベルを突っ込む。掘れども掘れども土ばかり。いつしか穴の深さは180センチほどにまで達した。いよいよ係官も掘り進める手を止めようとしたその一瞬、シャベルが「ガチッ」と硬い音を立てた。注意深くシャベルで土をよけると地中には、約60センチ四方、朱色の麻縄が十文字にかけられた、つづら(木箱)が埋まっている。

 地上に持ち上げたつづらをゆっくりと開けると、捜査員らの目に飛び込んできたのは、全裸で足を折り曲げ横向きに押し込まれている女性の遺体。白蠟のごとくミイラ化しており、その首元には、なおも細紐がくいついていた。

藤沢つづら詰め殺人事件

 つづらが掘り起こされたその民家については、前年の2月ごろから、近隣住民の間で“幽霊屋敷”としてうわさになっていた。

「雨の降る夜になると庭先から青白いリンのような光が、ぼーっと立つそうだよ。あれはきっと幽霊に違いないんだって。そういえば、あの家には誰も住んでいないのに、真夜中になると雨戸をコソコソと叩く音もするんだそうだ……」

 尋ねる人影もなく、庭は夏草が生い茂り、つるバラが這うにまかせて荒れ放題。風で窓がガタガタと揺れ、誰かが中にいるかのような気味の悪さがあった。しかし、その“幽霊屋敷”には、かつて頻繁に人の出入りがあったのだ。

「ここには檜山逸子さんという奥さんが住んでいましたが、昨年の2月、突然姿を消したまま行方不明になったんです。工学博士の弟さんが警察へ捜索願いを出したり、秘密探偵を頼んだりして一生懸命捜したけれど、わからないそうです。同居していた女が姿を消していますが、もしかするとこの女に殺されているんじゃないか、という話もあるんですがね……」(近隣住民の証言)

 こうしたうわさが流れる中、つづらの中から遺体で見つかったのは、やはり檜山逸子さん(45=当時)だった。姿を消した前年2月、弟は捜索願いを出し、以降、行方探しに奔走していた。幾度となく警察に掛け合うが、姉の居所は知れぬまま。独自に秘密探偵に依頼し、調査を行い、失踪から1年後、「逸子は殺されたのだ」という疑念を強く持つようになった。

 弟の熱意もあり、藤沢署は“幽霊屋敷”の捜索や、2度にわたる庭の掘り起こしを行うも、逸子さんに繋がる手がかりは得られず月日は過ぎる。いよいよ半ば諦めた弟が、この家を売りに出したところ、新しい買い手がついた。神奈川県警本部と藤沢署はそこで最後の調査を行うことになり、3度目の庭堀りを始めたところ、つづらが発見されたのだった。

 首を絞められて殺害されたのちに、つづらに押し込まれ、庭に埋められていた逸子さんは、もともとこの家に一人で暮らしていた。1947年に東京都の公務員と協議離婚し、1953年に家を購入。離婚の際、約300万円の財産を分けてもらい、株券の配当や預金の利子でつつましく暮らしていたのだという。母は彼女の性格をこう評する。

「逸子は子供の頃から静かでおとなしい子でした。友達もあまりなく、離婚してからは誰も知らない遠くで暮らしたいと言っていた。藤沢市に移り住んでからは、身体も肥えて、元気そうに過ごしていた」

 隣家の住民も同様に、物静かな逸子さんを記憶していた。

「綺麗好きで几帳面で無口な人でした。両家の育ちらしく、世間知らずの人でした」

 離婚後の穏やかな生活が一変したのは、藤沢に移り住んでから1年がたったころ。「四間もある家で一人でいるのはもったいない」と、不動産仲介業者を介して知り合った一人の女と、同居を始めたことがきっかけだった。

――後編は明日公開

ミイラ化した全裸死体ーー離婚した女二人の同居生活、消えた女と庭の遺体【藤沢つづら詰め殺人事件:前編】

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 戦後の湘南。東海道線藤沢駅の南口から、賑わいのある橘通り商店街を10分ほど進んだところにある花沢町は当時、サラリーマンの小住宅や別荘がぎっしりと並ぶ住宅地だった。このど真ん中に位置する、高い生垣で囲まれた民家に、神奈川県警本部の刑事部長や捜査一課長、横浜地検刑事部長らが集まったのは1956年7月12日、もうすぐ正午になろうとする頃だ。荒れ果てた庭にダリヤが咲き誇る。何事かと周辺の住民やマスコミも、民家の外からその様子を伺っていた。

 縁側から続く便所の角に植えられた木の下に、係官らがシャベルを突っ込む。掘れども掘れども土ばかり。いつしか穴の深さは180センチほどにまで達した。いよいよ係官も掘り進める手を止めようとしたその一瞬、シャベルが「ガチッ」と硬い音を立てた。注意深くシャベルで土をよけると地中には、約60センチ四方、朱色の麻縄が十文字にかけられた、つづら(木箱)が埋まっている。

 地上に持ち上げたつづらをゆっくりと開けると、捜査員らの目に飛び込んできたのは、全裸で足を折り曲げ横向きに押し込まれている女性の遺体。白蠟のごとくミイラ化しており、その首元には、なおも細紐がくいついていた。

藤沢つづら詰め殺人事件

 つづらが掘り起こされたその民家については、前年の2月ごろから、近隣住民の間で“幽霊屋敷”としてうわさになっていた。

「雨の降る夜になると庭先から青白いリンのような光が、ぼーっと立つそうだよ。あれはきっと幽霊に違いないんだって。そういえば、あの家には誰も住んでいないのに、真夜中になると雨戸をコソコソと叩く音もするんだそうだ……」

 尋ねる人影もなく、庭は夏草が生い茂り、つるバラが這うにまかせて荒れ放題。風で窓がガタガタと揺れ、誰かが中にいるかのような気味の悪さがあった。しかし、その“幽霊屋敷”には、かつて頻繁に人の出入りがあったのだ。

「ここには檜山逸子さんという奥さんが住んでいましたが、昨年の2月、突然姿を消したまま行方不明になったんです。工学博士の弟さんが警察へ捜索願いを出したり、秘密探偵を頼んだりして一生懸命捜したけれど、わからないそうです。同居していた女が姿を消していますが、もしかするとこの女に殺されているんじゃないか、という話もあるんですがね……」(近隣住民の証言)

 こうしたうわさが流れる中、つづらの中から遺体で見つかったのは、やはり檜山逸子さん(45=当時)だった。姿を消した前年2月、弟は捜索願いを出し、以降、行方探しに奔走していた。幾度となく警察に掛け合うが、姉の居所は知れぬまま。独自に秘密探偵に依頼し、調査を行い、失踪から1年後、「逸子は殺されたのだ」という疑念を強く持つようになった。

 弟の熱意もあり、藤沢署は“幽霊屋敷”の捜索や、2度にわたる庭の掘り起こしを行うも、逸子さんに繋がる手がかりは得られず月日は過ぎる。いよいよ半ば諦めた弟が、この家を売りに出したところ、新しい買い手がついた。神奈川県警本部と藤沢署はそこで最後の調査を行うことになり、3度目の庭堀りを始めたところ、つづらが発見されたのだった。

 首を絞められて殺害されたのちに、つづらに押し込まれ、庭に埋められていた逸子さんは、もともとこの家に一人で暮らしていた。1947年に東京都の公務員と協議離婚し、1953年に家を購入。離婚の際、約300万円の財産を分けてもらい、株券の配当や預金の利子でつつましく暮らしていたのだという。母は彼女の性格をこう評する。

「逸子は子供の頃から静かでおとなしい子でした。友達もあまりなく、離婚してからは誰も知らない遠くで暮らしたいと言っていた。藤沢市に移り住んでからは、身体も肥えて、元気そうに過ごしていた」

 隣家の住民も同様に、物静かな逸子さんを記憶していた。

「綺麗好きで几帳面で無口な人でした。両家の育ちらしく、世間知らずの人でした」

 離婚後の穏やかな生活が一変したのは、藤沢に移り住んでから1年がたったころ。「四間もある家で一人でいるのはもったいない」と、不動産仲介業者を介して知り合った一人の女と、同居を始めたことがきっかけだった。

――後編は明日公開

アパートのカーテンに火をつけ、駅前でめった刺し……「有名大学の彼」を殺めた、人気風俗嬢の悲しき“覚悟”【世田谷・学習院大学生刺殺事:後編】

 渋谷典子(仮名・当時26)が、福岡則夫(仮名・当時21)さんをめった刺しにしたのは、1997年10月19日、19時15分過ぎのこと。福岡さんは近くの病院に搬送されたものの、1時間半後に息を引き取った。学習院大学文学部哲学科4年生の福岡さんと、風俗店勤務の典子。出会いは、福岡さんのアルバイトがきっかけだった。夜の六本木でスカウトマンとして稼ぐ福岡さんが、山梨に暮らす典子を口説き落とし、新宿の風俗店に入店させたのだ。「有名大学の学生でしっかりしている」ーー親身に世話を焼く彼を信用した典子は、「お金を貯めて美容院を開き、彼と結婚する」という夢を持つ。マンションに同棲し、多い月で250万円は稼ぎ、店でもナンバー3となった典子だったが、福岡さんには、スカウトの顔とも、大学生の顔とも違う、別の顔があった。

(前編:風俗スカウトマンで「有名大学の真面目」な彼との同棲――人気ヘルス嬢に芽生えた殺意【世田谷・学習院大学生刺殺事件】)

スカウトマンには「風俗の女の子が札束に見える」

 女性と遊びたい盛りともいえる21歳の福岡さんは、典子と同棲しながらも、彼女を特別扱いしなかった。彼の携帯電話には、典子の知らない複数の女の子たちから毎日、電話がかかってくる。はじめの数カ月は仲の良かった二人も、些細なことで喧嘩が絶えなくなった。まもなく福岡さんは喧嘩の際、典子に手を出すようになる。

「福岡には、『ガキのうちから、女を殴ってどうするんだ』と説教をしたこともあるよ。『もう、絶対そんなことしません』って答えてたけど、そのときだけだったね。外面のいい子で、喧嘩したあと、仲直りエッチしてごまかすんだよ」

 典子と同じ店に勤め、同じマンションに入居していた女性はこう証言した。彼は典子を平手でなく、拳で殴った。お店に出た典子が、顔や足を腫らしていることもあった。

「私、彼女によく聞いたんだよね。『付き合って何が残る?』って。『何もない』って答えてた。『前にも向かっていない』って。いつも彼のことで悩んで、別れることを真剣に考えてたこともあるけど、結局は許してしまうんだよね」

 周囲からは“尽くすタイプ”と言われていた典子は、自分のほうが年上だということもあったのか、福岡さんの食事代はもちろん、生活費まで面倒を見ていた。それどころかブランド好きな福岡さんが4年生になったときは、ブランド物のリクルートスーツまでプレゼント。彼はそのスーツを着て臨んだ氷河期時代の就職活動で、ほどなくアパレル会社の内定を勝ち取っている。

 福岡さんのスカウト仲間は、スカウトという仕事柄、女性を見る目も変化すると語っていた。

「スカウトという仕事は、ナンパと同じです。とにかく相手に好かれないと、次の段階には進めない。個人的に付き合ってもいい、という男でなければ女の子は信用しないですからね。自分らにとって、風俗に勤めてくれる女の子は金のなる木。札束に見えます。福岡も、同じ場所でスカウトしてました。『風俗の女の子が札束に見える』という気持ちも、同じだったと思いますよ」

 確かに福岡さんは、典子を“札束”として見ていたフシがある。リクルートスーツだけでなく、マルイで思う存分買い物をしては、その支払いを全て典子に押し付けてもいた。そして事件2カ月前「淋病事件」が起こる。

 8月、淋病をもらった福岡さんは「お前がもらってきたんだろ」と典子を疑い、殴る蹴るの暴力を振るった。しかし典子の検査結果は陰性。にもかかわらず「こうなったのはお前のせいだ、お前の持っている金を全部よこせ」と凄んだのである。店長は、福岡さんを寮から追い出したが、すぐに元サヤに。

「こんなに寂しい思いをするんだったら……。私が東京に来て初めて優しくしてくれた人だから。それにセックスの相性がすごくいいの」

 こう言って福岡さんを許し続けた典子は、福岡さんに丸め込まれ、福岡さんが見つけてきた経堂の賃貸アパートの引っ越し費用を全て支払った。にもかかわらず、この部屋に典子が入ったのは一度きり。「お前は風俗嬢だから、お前の名義で部屋は借りられない。名義は俺にする」と部屋に住み着いた彼は、家事や掃除、セックスのために典子を呼びつけるようになる。そのとき典子はこの部屋で、使用済みのコンドームを見つけたが、福岡さんは悪びれることもなく言い放った。

「待て。俺は確かにモテる。いまも18歳と19歳の女の子から言い寄られているが、お前も含めた3人を冷静に見ている。その中で、一番俺に尽くしてくれる子と付き合おうと思う。最近、お前を見直したところなのに……」

 そして、いつものようにセックスになだれ込み、なし崩しになる関係。典子は限界だった。彼が社会人になるまでは……そう思って金の面倒を見ていたが、貯金もほとんどなくなった。

 事件の日の午後6時。典子は合鍵で経堂のアパートに入り、福岡さんのいない部屋で、ストッキングの空き袋、使い捨ての歯ブラシなど“女の痕跡”を見つける。コンドームの個数が減っていることも確認し、福岡さんに電話をかけ、問いただしたが、逆にこう責められてしまう。

「お前、勝手に部屋に入ったのかよ! 女がいようといまいと、関係ないだろうが!」

 実際、女はいた。福岡さんは先ほどまでこの部屋で過ごした19歳の女の子を、神奈川まで送っていたところだったのだ。ガチャ切りされた電話を握りしめながらしばらく放心した典子は、せめてもの腹いせにと、部屋のカーテンを燃やそうとした。ところが、火をつけたところすぐ火災報知器が作動し、大家が駆けつける騒ぎに。慌てて部屋を飛び出し、再び福岡さんに電話をかけると、こう罵られた。

「馬鹿野郎! お前の親に来てもらうからな、弁償しろよっ!」

 19時に経堂駅で待ち合わせる約束をして、典子はスーパーに入った。トイレで用を足してから、調理器具売り場で刃渡り20センチの洋包丁を買った。もう一度トイレに入り、包丁を抜き身にして、ショルダーバッグにしまった。このとき、典子は福岡さんの目の前で死ぬ覚悟を決めていた。

 19時過ぎ。駅で落ち合ったとき、再び福岡さんに罵倒された。マンションに向かう途中の横断歩道で信号待ちをしていたとき、背中や頭を拳で殴られた。こう言いながら。

「お前なんか、懲役くらって、臭い飯を食った方がいいんだ!」

 典子が福岡さんの求めに応じ、金を出してきたのは「いずれ結婚する関係だから、財布はひとつ」……こんな考えからだった。福岡さんの妻となり、自分の店を持つために、風俗で週に6日の勤務をこなしてきたのだ。

 だが、この言葉を聞いて、そんな未来を夢見ていたのは典子だけだったとようやくわかった。

 バッグの中に利き手の左手を突っ込み、抜き身の包丁を取り出した典子は、それを、彼の胸元めがけて振り下ろした。

【参考資料】
「週刊女性」 1997年11月11日号
「メンズウォーカー」 1999年6月22日号
「週刊文春」 1997.年11月6日 1999年4月29日・5月6日号
「週刊新潮」 1997年11月6日号、1998年1月1日・8日号
「FOCUS」 1997年11月5日

風俗スカウトマンで「有名大学の真面目」な彼との同棲――人気ヘルス嬢に芽生えた殺意【世田谷・学習院大学生刺殺事件】

世間を戦慄させた事件の犯人は女だった――。平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。自己愛、欲望、嫉妬、劣等感――罪に飲み込まれた闇をあぶり出す。

 日曜夜の東京都世田谷区。小田急線経堂駅から南に延びる「農大通り」を歩いていた二人。ロングヘアで面長美人の女性は、すらっとした長身に、白いシャツと黒いパンツがよく似合う。男性も身長180センチを超える長身に、ペアルックのごとく白いシャツと、チェックのズボン。駅で待ち合わせをして、これから食事に向かう幸せな若いカップルのように、他人からは見えたことだろう。だが、二人は今日の出来事を楽しげに話すことも、手をつなぐこともなく、無言だった。

 たまたまその時間に居合わせ、二人とすれ違った女性が語る。

「女がカバンに手を入れて、何かゴソゴソとやっていました。私が二人とすれ違うときに、男が女に、何か罵るようなことを言ったんです。耳元で言葉を吐き捨てるような感じだった。その直後、二人はいきなりボコボコに殴り合いを始めたんです。女がアンテナのようなものを手にしているのが見えました」

 女性が向きを変えて歩き直そうとしたとき、長身の男が叫んだ。

「助けてッ! 助けてッ!!」

 慌てて女性が近づくと、男の胸と、一緒に歩いていた女の手が血で真っ赤に染まっていた。男は叫びながら、近くの洋服店に駆け込む。

「血まみれの男がよろめくようにして店内に入ってきたと思ったら、崩れ落ちて膝立ちになり、すぐにうつ伏せに倒れた。あとから来た女は包丁を振りかざし、血相を変えて男の上で馬乗りになった」

 アンテナのようなものは包丁だった。女はそのまま、男の背中に包丁を突き立てる。

 ザクッ、ザクッ、ザクッ……

 血しぶきが店内の洋服に飛び、男の周りにたちまち血だまりが広がり始める。洋服店店主が阿波踊りに使う棍棒を持って駆け寄り、女が持っていた包丁を叩き落とすと一転、女は放心状態になり、

「お母さんに、連絡して……」

 そして、ただ泣くのだった。

世田谷・学習院大学生刺殺事件

 渋谷典子(仮名・当時26)が、福岡則夫(仮名・当時21)さんをめった刺しにしたのは、1997年10月19日、19時15分過ぎのこと。福岡さんは近くの病院に搬送されたものの、1時間半後に息を引き取った。現場に駆けつけた警察官は典子を殺人未遂の現行犯で逮捕した。のちに彼女は殺人罪で起訴され、東京地裁で懲役10年の判決が確定している。

 二人は事件の約1年前に出会い、同棲していた。大学生の福岡さんと、風俗店勤務の典子。出会いは、福岡さんのアルバイトがきっかけだった。

 東京・江東区に生まれた福岡さんは国立お茶の水女子大学附属中学学から学習院高等科へ進学。事件が起きたとき、学習院大学文学部哲学科の4年に在学中だった。日本美術史を専攻していた彼の卒論テーマは「日本野球に関する文化論」だったという。

 高校時代から硬式野球部に所属するスポーツマンでもあった文武両道の福岡さんが、六本木のキャバクラのスカウトマンを始めたのは、典子に出会う少し前。ボーイとして働いていたキャバクラの店長から「やってみないか」と誘われるまま、いわば軽い気持ちでスカウトのバイトを始めた。ところがこれが抜群に向いていた。

「福岡は女の子の面倒見が抜群によかった。愚痴を聞いたり、プライベートな相談にものってやってました。電話がかかってきたら、昼夜関係なく出かけて行って、世話を焼くんです」(スカウト仲間)

「並のスカウトマンが月に5人だとしたら、彼は月に10人は女の子を店に連れてきた」(キャバクラ店店長)

 昼間は大学生、夜は六本木トップクラスのスカウトマンとして日々を謳歌していた福岡さんは、事件前年の暮れに、スカウト仲間から「山梨にいい娘がいる」と聞く。それが典子だった。

 典子は山梨県F市に生まれたが、幼いころに両親が別居。母親がスナックで生計を立てていたが、そのうち内縁の夫となる男性と同棲を始め、姉との4人暮らしとなる。高校を卒業後に東京の美容専門学校に進学。卒業してしばらくは、都内の美容院で見習いとして勤め、その後帰郷した。

 地元でも美容師として働いていたが、実家の居心地はよくなかった。血のつながった母と姉はともかく、義父とはうまく会話が続かない。家を出ることを考え始めた。一方で「結婚願望が強くて、男にのめり込むタイプ」(友人の証言)である典子は、地元で中学時代から親しい男友達がおり、恋愛経験が豊富だったものの、失恋も多かった。家庭の居心地の悪さや失恋の痛手を癒やすために、ときどき東京に出てきては、遊んでいたという。そんなとき、スカウトマンに声をかけられたのだ。

 スカウト仲間から典子の話を聞いた福岡さんは乗り気になった。典子が上京してきたときに会い、東京の店に勤めるよう、熱心に口説き落としたのである。そして東京で勤めることになった典子と付き合い始めた。

 もっとも、典子はキャバクラではなく新宿の風俗店に入店することになるのだが、それは典子の意志だと生前の福岡さんは語っている一方で、当の福岡さんがそう仕向けたといううわさもある。

 源氏名「クミ」として、いわゆる“性感ヘルス”と呼ばれる形態の店で働き始めた典子は店が借り上げていた新宿の寮に引っ越した。ここに福岡さんも転がり込み、同棲が始まる。

 夜の街の福岡さんを知る者は皆、彼の仕事ぶりを褒めた。

「いいヤツでしたよ。仲間もみんな彼が好きでした。仕事にも熱いヤツでした。社員と同じくらい店のことを親身になって考えてくれていた」

 彼がアルバイトしていたキャバクラ店店長は振り返る。渋谷の路上で福岡さんにスカウトされて入店したキャバクラ嬢も続ける。

「まずカッコ良かった。彼だから話を聞いてみようという気になりましたね。最初に出勤する日、渋谷まで迎えにきてくれた。初日はラストの深夜2時まで待ってくれました。『どうだった?』と親身になってくれた。2日目も迎えにきてくれて、ラストまで。『イヤなお客さんいなかった? イヤなお客がいたら、オレにいつでも言ってくれ』と、とても親切でした」

 トップスカウトマンとして月に30万円以上を稼いでいた福岡さん。一方「クミ」として性感ヘルスで働き始めた典子も、週に5、6日真面目に出勤し、客のマニアックな要求にも応えることから、すぐにナンバー3にまで駆け上がる。美容師の資格を取得していた典子は「お金を貯めて美容院を開き、彼と結婚する」という夢を持ち、多い月で250万円は稼いだ。上京直後に勤めていた府中の店をすぐに辞め、新宿に移ったのも「短期間でお金を稼ぎたい」という目標があったからだ。そんな典子の目には、福岡さんは「有名大学の学生でしっかりしている」真面目な男性そのものに見えていた。結婚相手には彼しかいない、そう思っていた。

 しかし福岡さんには、スカウトの顔とも、大学生の顔とも違う、別の顔があった。そして二人の関係も、ねじれてゆく。

――後編は明日31日公開