韓国映画『マルモイ』、ハングル誕生までの物語ーー「独自の言葉」を守る意味とは

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『マルモイ』

 韓国にとって2019年は、植民地時代に起こった「三・一独立運動」からちょうど100年にあたる節目であり、この時代を背景にした映画が例年より多く作られた。そうなると当然、抗日運動家や日本軍との闘いを描いた作品が多くなる一方で、これまでにないテーマの映画も登場した。この時代に「銃」ではなく「ペン」を取り、言葉(朝鮮語)を守り抜いた人々の闘いを描いた『マルモイ ことばあつめ』(オム・ユナ監督、19年)である。「マルモイ(말모이)」とは、「言葉集め=辞書」を意味する固有語(朝鮮独自の言葉)であり、歴史上初めて試みられた朝鮮語辞書の名称でもある。

 監督のオム・ユナは、以前このコラムでも紹介した大ヒット作『タクシー運転手 約束は海を越えて』(チャン・フン監督、17年)のシナリオライターとして注目を集めた女性だが、本作ではさらに、子どもの頃からの夢だったという監督デビューも果たした。

 歴史的出来事にフィクションを加えて再構成するという作り方は、『タクシー運転手』をはじめ近年の韓国映画に多い傾向ではあるものの、若者の間でハングルを自由自在に作り変える略語や隠語がネット上に横行し、「ハングル破壊」が問題となっている今だからこそ、「韓国人なら必見」「ハングルの大事さを改めて感じた」と評価が高まり、動員280万人を超えるヒット作となった。

 1940年代、日本統治下の京城(現ソウル)。映画館の仕事をクビになったキム・パンス(ユ・ヘジン)は、息子ドクジン(チョ・ヒョンド)の学費を得るために、他人のカバンを盗もうとして失敗。その後、かつて刑務所でパンスに助けてもらったというチョ先生(キム・ホンパ)の紹介で、雑用係の面接に向かった朝鮮語学会にて、カバンの持ち主であるリュ・ジョンファン(ユン・ゲサン)と再会する。ジョンファンは文字の読めないパンスが学会で働くことに反対するが、ほかのメンバーたちが歓迎したため、パンスがハングルを覚えることを条件に渋々受け入れる。

 粗野だが人情に厚いパンスは、ハングルを学ぶなかで「朝鮮語」の大切さを知り、次第に「朝鮮人」としての民族意識にも目覚めていく。だがその一方で戦時下の朝鮮では、朝鮮語の使用を禁止し、日本語を強要する政策が行われており、そんな中でも朝鮮語辞書を作ろうとする朝鮮語学会に対し、朝鮮総督府は弾圧を強めていった……。

日本語強要、「朝鮮への弾圧」が厳しくなった時代

 映画の舞台となっている40年代は、あらゆる面で日本による朝鮮への弾圧が強くなった、日本の戦争遂行のための犠牲を強制された時期である。10年の日韓併合に始まる日本の朝鮮支配は、31年の満州事変以降、「内鮮一体」(日本と朝鮮はひとつ!)、「日鮮同祖」
(日本と朝鮮の祖先は同じ!)といったスローガンのもと、朝鮮語の使用禁止、創氏改名といった皇国臣民化や、軍隊への徴兵、労働者の徴用など、兵力や戦争物資の安定した確保のための政策を展開していた。とりわけ太平洋戦争勃発後は、「朝鮮人の日本人化」への動きが一段と強化され、現在韓国ではこの時代を「民族抹殺期」と規定しているほどである。日本人は朝鮮民族の言葉や名前と共に、朝鮮人としての精神までも奪おうとしたのだ。

 こうした当時の社会情勢は、例えばパンスが働く映画館で上映されている『朝鮮海峡』(パク・ギチェ監督、1943年)という映画が朝鮮人の志願入隊を題材にしていることや、ドクジンが通う学校での朝鮮語使用禁止、創氏改名の強制などを通して描かれている。パンスの幼い娘が無邪気に日本語を話そうとする姿は、幼子の純粋さが際立つだけに、一層胸が締め付けられる場面である。

 本作はそうした民族抹殺の時代を背景に、朝鮮語辞書を作ろうとした33人が逮捕されて拷問を受け、2人の死者が出た42年の「朝鮮語学会事件」をモチーフにしている。

 今回のコラムでは、本作が虚実入り混じった作品であることを理解したうえで、どこまでが史実でどこからがフィクションなのかを明らかにしてみたいと思う。そのためには、映画の中心である「朝鮮語学会事件」とはどのような事件だったのか、そして「マルモイ」はどのように生まれたのか、その経緯を紹介していこう。

 日本による朝鮮の植民地化が色濃くなっていく日韓併合の直前、朝鮮語学者チュ・シギョン(1876~14)は、朝鮮語消滅の危機感を抱き、本格的に朝鮮語研究を開始。そのために辞書の必要性を痛感した彼は11年、弟子たちと共に辞書作りに着手する。これが「マルモイ」の始まりなのだが、3年後チュの死とともに辞書作りは惜しくも中断し、再開したのは15年もの月日がたった29年のことだった。この年、朝鮮語学会に属する108人の学者たちが集まり、チュの遺志を継いで「朝鮮語辞典編纂会」という組織が発足したのである。

 編纂会はまず、バラバラだったハングルの書き方を整えた「ハングル正書法統一案」を発表、36年には「朝鮮語標準語査正案」を定めて、およそ6000の標準語を指定した。ところが標準語は定まったものの、ここで別の問題が浮上してしまう。各地方の方言が抜けていたのだ。そこで彼らが思いついたのが、学会誌「한글(ハングル)」に全国の方言を募集する広告を出すことだった。すると、全国各地からそれぞれの方言や意味を記した手紙が殺到、ますます辞書作りにいそしんだというわけだ。

 方言の収集をめぐっては、劇中でも公聴会を開いて標準語を決めたり、各地方出身のパンスの仲間たちの協力で方言を集める場面を通して描かれているが、映画が40年代として描いているのに対して、実際は36年の出来事である。ちなみに、お尻の細かな部位を示す「궁둥이(クンドゥンイ)」と「엉덩이(オンドンイ)」の違いが説明できなくて困っているジョンファンをパンスが助けるエピソードは、実際にあったものらしい。

 40年には総督府からいったん辞書作りの許可を得たものの、翌年の太平洋戦争勃発により一気に社会全体が臨戦体制に転換、日本統治下の朝鮮で「民族抹殺」政策が厳しくなると、総督府は政策に真っ向から違反する「朝鮮語辞書」の存在を無視できなくなっていった。だが学会は弾圧に抗いながら辞書作りにまい進したため、42年、総督府は学会を独立運動団体に指定し、内乱罪を適用して33人のメンバーを検挙、「マルモイ」の原稿も没収してしまった。逮捕されたメンバーらは裁判にかけられ、投獄されたうちの2人が拷問を受けて亡くなっている。これが朝鮮語学会事件の概要である。

 劇中では、ジョンファンとパンスが「マルモイ」の原稿を持って警察の追跡から逃げる場面があり、パンスは最後に駅の倉庫に原稿を隠すのだが、このあたりの描写は多くがフィクションである。ただし、現実は映画以上に奇妙な物語をたどることになる。

 戦争直後、裁判の証拠品としてあちこちに散逸し、行方がわからなくなった「マルモイ」の原稿が、45年9月に京城駅の倉庫で偶然発見されたのである。日本の裁判関係者が引き揚げ時に捨てたのではといわれているが、映画では「命をかけて言葉を守ろうとした人たちがいた」という事実を、フィクションに乗せてドラマチックに再構成しているといえよう。

 こうして困難な時代を乗り越えて、ついに47年、『朝鮮語大辞典』第1巻が出版された。その後も57年までに全6巻が作られ、チュ・シギョンから始まった朝鮮語辞書の夢は46年の時を経て「マルモイ」として形になったのである。この原稿は2012年、韓国の国家文化財に指定され、今でも国立ハングル博物館で目にすることができる。

 「マルモイ」作りは、実際には日韓併合前後から戦時下の厳しい時代を経て戦後に達成した、半世紀近くにわたる歴史であるが、映画では時間を凝縮し、コンパクトにまとめることで、エッセンスがより伝わるように工夫されているのである。

 ハングルとは、1443年、朝鮮の世宗大王によって作られた固有の文字である。だが長い間、中国の強い影響下にあった朝鮮では、漢字が文字としての公用語とされ、エリートは漢字を使っていたために、ハングルは子どもや女性、身分の低い者のみが使う「卑賎な文字」として扱われてきた。ハングルが正式に国家の文字として指定されたのは、誕生から400年近くたった1894年。当時は日本を含む列強が朝鮮の国家主権を脅かし、朝鮮は国家レベルでの強い共同体意識を必要としていた。共同体意識とはつまり、人々が「朝鮮」という国に暮らす同じ「朝鮮人」であると認識することにほかならない。そのために最も重要だったのが、共通の言葉である「朝鮮語」であり、それを表記する「ハングル」だったというわけだ。

 ベネディクト・アンダーソンという政治学者が提唱した「想像の共同体」という概念がある。「国家」とは初めからあるのではなく、後から作られるものである。そしてそれは、例えば共通の言語を通して個人個人が想像するものであり、あくまで「想像的な」構築物でしかない。つまり赤の他人同士でも、共通の言語・共通の文字を通して同じ「共同体」の意識を持つことができる、ということだ。

 劇中でジョンファンが何度も口にする、「言葉は民族の精神であり、文字は民族の生命」というセリフは、逆に言えば「朝鮮語」と「ハングル」こそが「民族=想像の共同体」を成り立たせているという意味でもある。当時日本によって、朝鮮固有の言葉と文字が奪われようとしていた時代ゆえに、朝鮮人たちは民族の証しである言葉を守ることで、朝鮮という共同体を守ろうとしたのだ。

 さて、時は流れ、時代は大きく変わった。K-POPや韓流ドラマなど韓国文化が世界に広まる中で、ハングルを勉強する人の数も増えている。私が非常勤講師を務めている大学の授業でも最近、講義に対するコメントや質問を書いて提出するリアクション・ペーパーに、ハングルでコメントを書いてくれる学生が何人かいる。外国語として一から学んでいる学生たちの言葉使いや文字は、正しく、とても丁寧だ。本作で描かれたように命を懸けてハングルを守った人々を思ったとき、彼らも天国できっとほほ笑んでいることだろう。ふとそんなことを想った。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

Stray Kids「GO生」だけじゃない、TWICEやBTSなどK-POPとDrum&Bass/Jungleの注目14曲!

――毎月リリースされるK-POPの楽曲。それらを楽しみ尽くす“視点”を、さまざまなジャンルのDJを経て現在はK-POPのクラブイベントを主宰するe_e_li_c_a氏がレクチャー。6月にリリースされた曲から[いま聞くべき曲]を紹介します!

今月の1曲 ‖Stray Kids(스트레이 키즈) - GO生

 6月17日に初フルアルバム『GO生』でカムバックしたStray Kidsのアルバム1曲目、「GO生」(ゴーナマ……ではなく고생(コセン)、苦労)です。

 これはアルバムリリース前にティーザーとして出た動画でわずか1分21秒と短いのですが、実際の楽曲も1分51秒しかなく、アルバムの中で1曲目として置かれており、イントロのような扱いになっています。2曲目に今回のタイトル曲「神メニュー」がありますが、1曲目の「GO生」を聞いた流れでこの曲を聞くと、よりすんなりと入ってくるように作られていると思います。

 曲が始まって聞こえるドラムがあまり聞き慣れず、リズムに乗りづらい方もいるかもしれませんが、このようなビートは「Breakbeats(ブレイクビーツ)」と言います。ブレイクビーツはビートの種類のことを言い、それ自体が音楽のジャンルではありません。

 サンプリング解説の記事でHiphopに絡めて少し説明しましたが、今回はブレイクビーツを使い、そこから発展した音楽ジャンルを中心に説明します。ブレイクビーツの発祥については以前の記事に書いたとおり、ソウルやファンクなどの曲のドラムブレイクを同じ曲の同じ部分につなぎ、ブレイクの部分だけを繰り返したもので、それを「ブレイクビーツ」と呼びます。もちろん、ドラムの部分が繰り返しやすければ楽曲はなんでもいいのですが、たくさんの楽曲にサンプリングされた有名な原曲も存在します。

■The Winstons - Amen Brother

 アメリカのファンク/ソウルバンドが1969年にリリースした「Amen Brother」という楽曲です。1:26~の6秒ほどのドラムソロの部分(ドラムブレイクの部分)について、楽曲の名前から「Amen Break」と呼ぶようになります。

 このドラムソロをループした楽曲として有名なものが、Dr.Dreの所属するN.W.A.のこの楽曲です。聞けば何となくわかると思いますが、Amen Breakの速度を落としてループしています。

■N.W.A. - Straight Outta Compton (1989)

 このAmen Breakをサンプリングした曲は、2,000曲以上も存在するといわれており、この動画のようにAmen Breakの歴史やサンプリングした楽曲の説明をする動画もたくさん存在します。

■The History Of The Amen break | Mixmag Originals

 1980年代後半から90年代初頭にかけて、イギリスではナイトクラブや一夜限りの野外イベント文化が発展し、Beakbeat Hardcore、Darkcore、Hardcore Jungleなどの新しいジャンルがレイヴシーンに誕生します。Amen Breakはアメリカからイギリスに渡り、そうしたジャンルの楽曲に使用されるようになります。ちなみに、今まではアメリカの音楽文化を紹介することが多かったですが、今回は全てイギリスがメインの舞台です。

■Double Trouble ft. Rebel Mc - Street Tuff (89)

■Carl Cox - Let The Bass Kick (90)

 Carl Coxの「Let The Bass Kick」はAmen breakを使ったBreakbeat Hardcoreの走りの一つといわれています。

 91年、Hardcore Jungleの先駆けとされるLenny Dee Iceの「We Are I.E」がリリースされますが、これはReggaeのベースラインを使い、Amen Breakの速度を上げたトラックです。単純にドラムの部分を繰り返してつなげループするパターンから、サンプラー(録音機材)を使いドラムの音を刻んだり、段々とベースラインやブレイクビーツが主体で、ダークなムードやメロディーのトラックがたくさん作られるようになります。

  Hardcore Jungleは、後に単に「Jungle」と呼ばれるようになります。以下2曲はJungle初期の楽曲といわれています。

■Bodysnatch - Euphony (92)

■Noise Factory - Set Me Free (92)

 Reggaetonの成り立ちで、プエルトリコではやっていたReggaeがHiphopから影響を受けてできたと説明しましたが、HardoreやJungleは、ロンドンのジャマイカやカリブ海地域など旧イギリス植民地の移民2世、アフリカ系イギリス人によって生み出されたとされています。

 たくさん楽曲がリリースされ、シーンでの人気も出てくるとチャートにJungleの楽曲が入るようになり、94年にリリースされた下記2曲はUK ChartのTop40に入ります。

■Shy FX & UK Apachi - Original nuttah

■M Beat feat. General Levy - Incredible

 M Beatの「Incredible」のブレイクビーツはBlowflyの「Sesame Street」という楽曲のドラム(0:25~)を、速度を上げてループしています。

 どちらもラップがReggaeのスタイルを強く感じさせるもので、「ラーダマスィー」と聞こえる「Lord have mercy」、「Booyaka」などのパトワ語のスラングもReggaeの楽曲に頻出するものです。パトワ語とは、ジャマイカの歴史と関係しており、スペイン・イギリスの植民地だったジャマイカに奴隷としてアフリカ大陸から連れてこられた西アフリカ・中央アフリカ地域の人々が、英語やスペイン語、自国のルーツであるアフリカ地域の言語を混ぜてできたものといわれています。成り立ちとして、支配階級のイギリス人たちに自分たちのしゃべっている言葉がわからないようにするためにという説もあります。正式名称はジャマイカ・クレオール語と言い、「パトワ」自体はフランス語で「訛り」の意味です。

 当時レイヴで主流だった他ジャンルに比べ、Jungleはより暗く、多幸感に乏しいスタイルが多く、イギリスの社会的な背景も影響しているとされています。90年代初頭のイギリスは社会構造が崩れかけており、幻滅した都市部の若者たちの感情がJungleに反映されていたといわれています。

 JungleはTechnoなどの当時レイヴで主流だったスタイルよりも、アメリカなどでのレイヴスタイルの影響を強く受けていましたが、特にアフリカ系イギリス人の若者層に人気がありました。Jungleのファン(Junglistと呼ばれる)は、若者のサブカルチャーの一部として認識されるようになり、Jungleはロンドンの下層階級の若者のための文化的表現の形、「Hiphopに対するイギリスの答え」ともいわれました。

 94~95年頃がJungleの人気のピークとされ、『Jungle Mania』や『Jungle Hits』というコンピレーションアルバムのCDがリリースされます。当時はラジオが新曲を聞くための主流なツールでしたが、ヨーロッパでは国営放送局にしか放送免許が認可されないことなどもあり、正式な放送免許を持たないラジオ放送(海賊放送)が横行します。このような海賊放送でJungleがたくさんプレイされていたのはもちろんですが、その人気も相まって95年には国営放送のBBC Radio1にて「One In The Jungle」というJungleを専門にした番組が週1で放送されます。こちらにアーカイブがあるので気になる方は是非聞いてみて下さい。

 ジャンルの性質上、コンピレーションアルバムやDJミックスがたくさん作られているので、さらにいろいろな楽曲を聞いてみたい方はこのようなミックスを探してみると良いでしょう。

 既存のジャンル(Raggamuffin sound, Dancehall, MC chants, Dub basslines)や複雑で重くエディットされたブレイクビートのドラムを取り入れ融合し、Jungleはさらに発展します。

Drum & Bassの注目曲

 一方でRaggamuffinの影響を受けたスタイルからは離れ、洗練され落ち着いたサウンドに重いドラムを乗せた楽曲も作られ始めます。

 これが後のDrum & Bass(ドラムンベースと発音)というジャンルにつながっていきます。93年にリリースされたThe Invisible Manの「The Beginning」という曲は、Jungle Drum & Bassジャンルの走りの楽曲の一つといわれており、さらに90年代中盤頃からは、より加工のされた、Amen Breakのソウルフルでジャジー(Jazzy)な面を反映した雰囲気を持ったものも出てきます。

■The Invisible Man - The Beginning (93)

■LTJ Bukem - Atlantis (93)

■Tom & Jerry - Airfreshner (94)

 Tom & Jerryの「Airfreshner」はBlowflyの「Sesame Street」をベースに、イントロはAlicia Keysの「Unbreakable」と同ネタの「Intimate Friends」(これはPaul Johnsonのカバー)が使われています。

■Goldie - Inner City Life (95)

 この年代は、Big beatの記事で書いたThe Prodigyの説明がちょうど同じぐらいの時期で、どちらも既存のレイヴシーンから影響を受け発展し、Big beatやDrum & Bassが作られていきます。

 Drum & Bassはたくさんのサブジャンルを内包する大きいジャンルのため、たくさん楽曲がありますが、私が好きなものをいくつか挙げたいと思います。

■Pendulum - Blood Sugar (07)

■High Contrast - Ghost Of Jungle Past (07)

■Nu:Tone - Jet Stream (07)

■4hero - Morning Child (L.A.O.S. D & B Mix) (07)

 95年を過ぎた頃から、Drum & BassはHardstep、Jump-up、Ragga、Intelligentなどがサブジャンルとして分裂し始めます。AtmosphericやJazzstepと呼ばれる、よりメロディックでJazzの影響を受けたサブジャンルが主流になり、96年にはTechnoの影響を受けたTechstepというサブジャンルも登場します。

 サブジャンルに関しては挙げたら切りがありませんが、Drum & Bassの主流なところではJump-up、Drumstep(Halftimeとも言う)、Drill 'n' Bass(Fungleとも言う)、ライトなDrum & BassにはIntelligentやAtmospheric、Jazzstep、Liquid funk、Sambassがカテゴライズされ、ヘビーなDrum & BassにはDarkstep、Techstep、Neurofunk、Hardstepがカテゴライズされます。

 正直私もこれらを聞き分けられる自信はないですし、聞いてもあまり違いがわからないかもしれません……。
【Jump-up】
DJ Hazard - Bricks Don't Roll

【Drumstep】
Tristam & Braken - Flight

【Drill 'n' Bass】
Squarepusher - 6

【Intelligent】
LTJ Bukem - Atmospherical Jubilancy

【Jazzstep】
Utah Jazz - Take No More

【Techstep】
Bad Company UK - Four Days

【Hardstep】
Zomboy - Mind Control

 このようなジャンルの細分化と並行して、 別のジャンルとの融合を図ったAsian Dub Foundationのようなバンドも出てきます。Dub、 Bangla Beats、Raggae、JungleやDrum & Bass、さらにはPunk Rockをミクスチャーした作品を中心にリリースし、 99年にリリースされたアルバムが全英チャート20位を記録します。

■Asian Dub Foundation - Real Great Britain

 ここまでBPMの話をしていませんでした。90年初頭のHardcore Jungleの時期はBPM120程度から始まり、Jungle初期は140前後、Jungle最盛期は160とどんどんBPMが上がっていきます。Drum & BassではBPM170~180が一般的です。JungleとDrum & Bassの違いについては、さまざまな切り口からの議論があり、「Jungle Drum & Bass」と呼ばれることもあるためはっきりと違いを定義するのは難しいですが、個人的にJungleはReggaeの影響を受けたサウンドと密接に関係しており、Drum & Bassはその要素のないものとざっくり考えています。

 ちなみにStray Kidsの「GO生」はBPM154なのでBPMで当てはめるとするならばJungle中期辺りに該当するでしょうか。楽曲自体はダークな上ネタがあったり、チチチチとTrapのようなハイハットがあったり、Dubstepのようにビートを半分で取るようなところもあり、Jungleがベースなのは間違いないですが、そこにさまざまなジャンルが合わさった楽曲になっています。

 Stray Kidsが結成される前、メンバーの3人(バンチャン、 チャンビン、ハン)がやっている3RACHAというユニットで2017年にリリースした楽曲に「P.A.C.E」という楽曲がありますが、これはGrimeというジャンルのものです。Drum & Bassの流行よりもっと先の話ですが、Jungleのビートにラップを乗せたところが始まりと言われているジャンルで、ロンドンで02年頃から流行し始め、09年頃にスタイルが確立します。2step記事で紹介した2stepやUK GarageをベースにHiphop、Raggae、 JungleやDrum & Bassなどの要素が混ざりあってできたジャンルです。P.A.C.Eの歌詞にはGrimeを代表するラッパーSkeptaの名前が 出てきて、このジャンルを知っている人にはおお! となる要素が盛り込まれています。

 さて、いつも通り韓国での話に移ります。

 もちろんブレイクビーツという点ではHiphopの楽曲でたくさん採用されていますが、ラップの事を書いた記事で紹介した韓国のHiphopグループ、ソテジワアイドゥルがロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団との共演形式で2008年に行った単独公演でAmen Breakが登場するので取り上げたいと思います。

 オーケストラでは誰もこのAmen breakを叩いている人はいないように見えるので、恐らく録音したものをわざわざ流しているのではないでしょうか。

■서태지 심포니(Seo Taiji Symphony) - 난 알아요 (08/9/27)0:10~0:45

 それではK-Pop楽曲に利用されているJungleやDrum & Bassの紹介をしますが、1曲目のEpik highと最後のCHUNG HAのみのみがJungleの楽曲で、あとはほとんどがDrum & Bassです。

■에픽하이(Epik high) - 1분 1초 (Feat. 타루) (11/5/23)

■TWICE - CHEER UP (16/4/25) 1:07~

■빈지노 (Beenzino) - Life In Color (16/5/27)

■드림캐쳐 (Dreamcatcher) - Sleep-walking (17/9/1)

■비투비 (BTOB) - Guiter (Stroke of Love) (17/10/16) 0:55~

■TWICE - What is Love? (18/4/9)

■임팩트 (IMFACT) - 빛나 (The Light) (18/4/17)

■아이오아이 (I.O.I) - 너무너무너무 (Very Very Very) (18/6/26)

■이달의 소녀 (LOONA) - Hi High (18/08/20)

■방탄소년단 (BTS) - I'm Fine (18/8/24) 1:14~

■Stray Kids - 0325 (18/10/23)

■설리 (Sulli) - 도로시 (Dorothy) (19/6/30) 2:30~

■드림캐쳐 (Dreamcatcher) - 거미의 저주 (The curse of the Spider) (19/9/18)

■CHUNG HA (청하) - Pre-Release Single #2 'PLEASURES' Concept Clip (20/7/1)

<落選したけど……紹介したい1曲>
■SEVENTEEN (세븐틴) - My My

Seventeenの夏!です。頭で紹介したStray kidsのアルバム『GO生』に収録されている「청사진(チョンサジン、青写真)」と「비행기(ピヘンギ、飛行機)」とこの「My My」の3曲があればもう今年の夏は越せます。

<近況>
 もうご存じのことかとは思いますが、Stray Kidsがカムバックしました。今回は現地に行けないため、夜中にデジタルメディアシティに行って7時間待機し、朝8時前からCJのスタジオで事前収録を見るということもないので、寂しさ半分安心半分という状態です。
今回のコンセプトのおかげか、虹プロのJ.Y.Park社長のおかげか、今まで全くStray Kidsに興味がなかった方も興味を持ってくれているようなのでとても嬉しいです。まだ活動は続くと思いますので、是非一度音楽番組の神メニューステージをご覧になって下さい。エプロンをしている回が当たりです。Youtubeで「Stray kids 神메뉴」で検索!

e_e_li_c_a
1987年生まれ。18歳からDJを始めヒップホップ、ソウル、 ファンク、ジャズ、中東音楽、 タイポップスなどさまざまなジャンルを経て現在K-POPをかけるクラブイベント「Todak Todak」を主催。楽曲的な面白さとアイドルとしての魅力の双方からK-POPを紹介して人気を集める。

Twitter @e_e_li_c_a TodakTodak 
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韓国映画『1987』、大学生の「死」が生んだ市民100万人の“権力”への怒り――歴史的「6月抗争」の背景とは

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『1987、ある闘いの真実』

 現在の韓国の政治・社会体制は「87年体制」と呼ばれる。長年にわたる軍事独裁を国民の力で倒し、民主化への土台を勝ち取ったのが1987年であり、その後も試行錯誤を重ねながら着実に民主化を進めて今に至るからだ。以前取り上げた、『タクシー運転手 約束は海を越えて』で見たように、60年代、パク・チョンヒに始まった軍事独裁は、彼の暗殺後もチョン・ドファンによって受け継がれ、国民に重くのしかかっていた。光州事件で幕を開けた80年代は、チョン率いる新軍部との闘いの時代だったと言っても過言ではない。

 『1987、ある闘いの真実』(チャン・ジュナン監督、2017)は、80年代を通して続いた軍事独裁との闘いに大きな変化が訪れる1987年を、さまざまな人の立場から描き出した群像劇である。700万人を超える観客たちの共感と支持を得て、日本でも、『タクシー運転手』との連続性の中で、隣国ではこんな歴史が紡がれていたのかと、驚きや感動をもって見られた作品だ。

 今回のコラムでは、韓国現代史に「6月抗争」として刻まれたこの歴史的出来事に至る流れを、学生運動を中心に、映画に登場するキャラクターと照らし合わせながら紹介しようと思う。

《物語》

 1987年1月、警察の拷問を受けてソウル大学の学生パク・ジョンチョル(ヨ・ジング)が死亡した。証拠を隠滅するために、内務部・対共捜査所のパク所長(キム・ユンソク)は当日中の遺体の火葬許可を検察に要請する。だが当直だったチェ検事(ハ・ジョンウ)はこれを拒否、司法解剖を命令する。ショック死と発表する警察に対し、新聞記者らは解剖を担当した医師との接触に成功し、拷問死であることを突き止めて大々的に報道する。すると対共捜査所や大統領府は、チョ班長(パク・ヘスン)ら一部の部下に罪をかぶせて、事件を収束させようとする。

 刑務所に入れられたチョ班長らを通して事件の真相を知った看守ハン・ビョンヨン(ユ・ヘジン)は、収監中の元記者イ・ブヨン(キム・ウィソン)にこっそり事件の真相についての告発文を書かせる。実はビョンヨンは民主化活動に協力しており、指名手配中の運動家キム・ジョンナム(ソル・ギョング)ともつながっていたのだ。姪のヨニ(キム・テリ)を使ってキムに告発文を届けようとするビョンヨンだが、とあることから逮捕されてしまう。キムは辛うじて追っ手から逃げ切り、手紙は司祭に委ねられる。

 光州事件の犠牲者追悼式で明かされるパク・ジョンチョル拷問致死事件の真相。パク所長らは逮捕され、学生たちによる独裁打倒のデモがますます激しくなる中、今度はデモ隊に向けられた催涙弾を頭に受け、デモに参加していた学生イ・ハニョル(カン・ドンウォン)が意識不明になる。これにより一般市民の怒りも爆発、独裁打倒と大統領直接選挙への改憲を要求する「6月抗争」が幕を開けるのだった。

 今作の主要登場人物はヨニを除く全員が実在し、ハン・ビョンヨンは、ハン・ジェドンとチョン・ビョンヨンという2人の人物を、名前を合わせて1人のキャラクターに仕立てている(なおハンはメディアからの取材にも応じているが、チョンは今でも一切のインタビューを断り続けている)。その中でも物語、そして「6月革命」の導火線となったのは、大学生の存在だ。

 まずは韓国における「学生運動」の歴史に触れておきたい。社会のさまざまな階層の人々が弾圧を受けながら軍事政権に命がけで抗った80年代、その中心には常に大学生たちがいた。

 韓国の学生運動は、植民地時代の1919年に朝鮮人留学生たちが東京で起草した「二・八独立宣言」が最初と言われる。それが契機となって、直後には歴史的にも有名な「三・一独立運動」が起こった。日本による植民地支配下において、学生たちは幾度となく「抗日」運動を起こしたが、45年の独立後、今度はイ・スンマン政権の腐敗に立ち向かい、60年の「四・一九革命」では政権打倒に成功した。どんな時代であっても学生たちは、常に自分たちに暴力的な権力を振るう相手と対峙し、恐れずに立ち向かっていったのだ。

 60~80年代のパク・チョンヒからチョン・ドファン政権下では、独裁政権を倒して民主化を実現することが学生たちの目標となり、アカに認定され、拷問を受け、時には死に至っても彼らはひるまなかった。無数の市民が虐殺された光州事件(80年)の真相究明を求めると同時に、光州事件には実はアメリカが加担していたのではないかという疑いから、80年代には韓国各地でアメリカ文化院放火、大使館占拠といった反米運動が盛んになった。一方で学生たちは、社会を変えるためには大学生というエリートだけの運動では不十分であり、もっと大衆的な広がりが必要だとして、労働者や農民たちへの啓蒙活動にもいそしんだ。

 大学生の身分を隠して工場に偽装就職をし、経済的な理由から進学をあきらめた同世代の若者に対して勉強会を開いて、労働環境改善のための闘いに導いたり(工活=工場活動)、あるいは夏休みを利用して人手の足りない農家を手伝い、農村が抱える問題を農民と一緒に議論して連帯を強めていった(農活=農村活動)。そうした中で軍事独裁や光州事件も取り上げられていったのだが、学生たちのこうした活動を、政府はすべて「アカ」と決めつけて弾圧した。

 本作および実際の「6月抗争」は、パク・ジョンチョルという一人の大学生の死から幕を開けるのだが、彼こそがまさに当時積極的に学生運動に参加していた人物であった。パクは85年、ソウルでのアメリカ文化院占拠によって逮捕されて以来、警察から「悪質なアカ」として監視されており、農活や工活も積極的に行ったために1年近く刑務所に収監されて釈放された直後に、同じく当局から目をつけられていた先輩をかくまった疑いで逮捕・拷問されたのだった(彼が黙秘を貫いてかばったその先輩が、後に転向して保守派の政治家を目指した人物であることは、なんとも悲しい現実である)。

 このように87年に起こった民主化への大きなうねりは突然起こったのではなく、80年代に盛んだった学生運動の帰結として捉えるべきものである。

 「6月抗争」は、パク・ジョンチョルとイ・ハニョルという2人の大学生の死なくしては起こり得なかった。わずか半年の間に、2人の学生を死なせてしまったという事実が、それまで民主化運動に興味を示さなかった人々を駆り立てた。また映画の最後にデモに加わるヨニのように、ハニョルの死がノンポリ学生たちを立ち上がらせるきっかけともなった。とりわけ印象的なのは、催涙弾を撃たれた直後のハニョルを捉えた写真である。エンドロールに登場する実際の写真を見ると、映画での再現性の高さにも驚かされるが、ロイター通信の韓国人記者によって撮られたこの写真は、国内外のメディアで報道され、「6月抗争」の象徴となった。

 高校までを光州で過ごしたハニョルは、中学2年の時に起きた光州事件の惨劇を目の当たりにし、大学進学後は学生運動に身を投じるようになったという。劇中、ヨニが誘われたサークル説明会で光州事件の映像が密かに上映されたように、当時の大学生たちは、違法に入手した光州の映像を新入生たちに見せて“教育”し、事件の真相究明を求めていたが、光州出身であれば、その思いは人一倍強かったことだろう。エンドロールに映し出されたおびただしい抗議の声を上げる人々の光景は、ソウルだけでも100万人以上が参加したというハニョルの“国民民主葬”である。

 本作は「6月抗争」までの一連の出来事を、緊張感たっぷりに描き出しているが、特に評価されるべきは、権力側とそれに対抗する民主化運動側の双方における人物を、史実に忠実に描いている点であろう。

 出演者の一覧を見ると、主演級の俳優ばかりをぜいたくに起用したように見えるが、たとえ登場時間が短くとも、歴史上の重要人物を演じることに対する意気込みが一人ひとりの演技から漂ってくる。

 唯一架空のキャラクターであるヨニは、『タクシー運転手』のマンソプ(ソン・ガンホ)同様に、観客が感情移入しやすい、ごく普通の女子大生として描かれている。労働運動の過程で裏切りに遭い、酒に溺れて死んだ父への想いから、叔父の活動や学生運動に対して冷ややかな態度をとっていた。しかし、叔父の逮捕やハニョルの死をきっかけに、彼女がデモ隊の車両に上り、そこから見た民主化を求める人だかりを映すラストショットには、誰もが思わず目頭を熱くするに違いない。

 このように、映画がすべて語り尽くしてくれていると言ってもいい力作なのだが、本作における最大の悪役、パク所長については、もう少しその背景を解説しておきたい。本作では悪の権化である彼こそが映画の支柱となっていることは間違いない。彼は徹底した反共主義者だが、意外にも出自は今の北朝鮮の地域にある。映画の冒頭で彼を「脱北者」と説明する字幕が出るが、この呼び名は94年の金日成主席の死去後に大量発生した北朝鮮からの脱出者を指すことを考えると、正確にはパク所長は「越南者」と位置付けられる。

 劇中でも回想されているように、彼はかつて、家族同然の仲だったにもかかわらず、共産主義思想に染まった北朝鮮の人民軍兵士に家族を惨殺された過去がある。47年に韓国へ逃れてからは、その復讐とばかりに対共捜査所で「アカ狩り」の先頭に立ってきたのだった。イ・スンマン、パク・チョンヒ、チョン・ドファンと歴代の大統領に仕えて表彰され、特に拷問で腕を発揮したという彼によって、一体どれだけの人が犠牲となったのだろうか。以前のコラムにも書いたように、韓国での「アカ」は共産主義者だけではなく、「政権に抗う者」を意味しており、不当に存在を消された者の数は計り知れないのだ。

 だがそんなパク所長も身を滅ぼす時を迎えた。パク・ジョンチョルの拷問死の疑惑が浮上すると、彼は苦し紛れに「机をバンと叩いたら、ウッと言って死んだ」と言い逃れようとした。新聞の1面に載ったその記事を見て、当時高校3年生だった私でさえもバカバカしいと感じたのを覚えている。この事件で失脚した彼は裁判で有罪となり、2008年に死亡している。映画では、彼の出自や憎しみの背景をきちんと描いた上で、名優キム・ユンソクが北朝鮮訛りでその存在感を見せつけ、見事に映画の中心として機能していた。

 余談ではあるが、本作の出演者の中には、実際の事件と深く関わっている人物もいる。パク所長の直属の上司にあたる治安本部長を気弱に演じたウ・ヒョンは、イ・ハニョルと同じ延世大学の出身で、学生運動の仲間でもあった。ハニョルの葬儀で彼の遺影を抱いている若き日のウ・ヒョンを写した写真は、今では歴史の1ページにその姿を刻んでいる。

 また、チョン・ドファンの最側近である国家安全企画部部長を演じた俳優ムン・ソングンの父は、民主化運動の指導者として有名なムン・イクファン牧師である。本作のエンドロールでは、運動により命を落とした学生や労働者たちの名前を涙ながらに叫んでいた人物だ。ムンもまた、俳優でありながら進歩派の政治家として活躍した時期もあった。実際には運動側の立場にあった彼らが、映画では権力側の人物を嫌みなほどうまく演じているさまは、俳優としての実力を感じさせると同時に、闘争の内実と権力側の本質をよく知る彼らだからこそだろう。

 最後にもう一点、1987年をめぐる歴史について注釈を加えておきたい。映画の最後、ヨニが目にする壮大なデモの光景は「6月抗争」の始まりを告げる出来事なのだが、そこで叫ばれていた「護憲撤廃」についてだ(ちなみにこの場面に響くシュプレヒコールを先導する女性の声は、監督の妻で、韓国を代表する女優ムン・ソリの声である)。

 87年は、チョン・ドファンの大統領としての任期が終了し、年末には大統領選を控えた年だった。その際に大きな論点となったのが、大統領選の制度である。もともと韓国の大統領選は、国民による直接選挙だったのだが、パク・チョンヒが改憲を強行、自らの追従者で固めた組織から大統領を選ぶという間接選挙に変えた上、任期の制限もなくしたために、憲法上は死ぬまで大統領を続けられる仕組みになってしまった。これが悪名高い「維新憲法」である。

 維新憲法に対する国民からの猛反発を知っているチョン・ドファンは、憲法に手を加え「1期のみ7年間」と任期を変更せざるを得なかったものの、間接選挙そのものは変えず、自らの後継者であるノ・テウに大統領を継がせようとしていた。だが民主化勢力にとっては間接選挙そのものが問題であり、それが続く限り独裁は断ち切れないとして、「憲法」を「守る」のではなく、「直接選挙」に「変える」ことを望んだのだった。

 「6月抗争」の末、政府はついに、大統領直接選挙への改憲を含む要求を受け入れ、「6.29宣言」を発表した。韓国が国民の力で民主主義を勝ち取った瞬間である。だが、その後に行われた大統領選挙の結果は、残念極まりないものだった。与党側の候補者ノ・テウに対して、野党側は統一候補を立てることに失敗、キム・デジュンとキム・ヨンサムが2人とも立候補したことで票が割れ、結果ノ・テウが当選するという、チョン・ドファンが望んだ形になってしまったのだ。中途半端な形で実現された民主化をさらに推し進めるため、学生をはじめとする民衆は、その後もしばらく闘い続けることになる。

 それでも民主化の道へと突き進んできて30年以上がたった。進歩と保守の対立で極端な二分化の様相を度々露呈してしまう韓国では近年、「87年体制」の原点に戻り、みんなで闘った記憶を呼び戻し、見つめ直そうとする動きもある。本作もそのひとつとい えるだろう。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

村上春樹原作・韓国映画『バーニング 劇場版』、『パラサイト』につながる“ヒエラルキー”と“分断”の闇

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『バーニング 劇場版』

 『万引き家族』(是枝裕和監督、2018)が最高賞パルム・ドールを受賞し、日本中が盛り上がりを見せた2018年のカンヌ国際映画祭。コンペティションのラインナップには、1本の韓国映画も名を連ねていた。イ・チャンドン監督の『バーニング 劇場版』である。イ監督は本作が8年ぶりの新作ということで、近年の韓国映画ファンにはなじみが薄い名前かもしれないが、ある男の死から時間をさかのぼって光州事件のトラウマまでたどり着く『ペパーミントキャンディ』(1999)、出所したばかりのチンピラと脳性マヒの女性の恋愛を描く『オアシス』(02)、娘を誘拐された母親の精神とカトリシズムの問題に切り込んだ『シークレット・サンシャイン』(07)などで数々の賞を受賞している、韓国を代表する映画作家である。

 『バーニング 劇場版』もカンヌで国際映画批評家連盟賞を受賞するなど高く評価されたが、それ以上に話題を集めたのが、村上春樹の短編『納屋を焼く』を原作にしていたことであった。世界的な人気作家であり、韓国でも老若男女を問わず幅広いファンを持つ村上の小説を、イ・チャンドンはどのように映画化するのか? 2人の巨匠の出会いがどんな化学反応を生むのかと、韓国メディアも製作当初から注目していた。

 今回のコラムでは、韓国における村上人気を紹介しつつ、原作と映画の違いに焦点を当てて、映画が目指した表現を探ってみたい。

 村上作品が初めて韓国に紹介されたのは、『ノルウェイの森(노르웨이의 숲)』が翻訳出版された1988年のことだった。実際この作品が国内外における村上の出世作となったわけだが、実は韓国では売れ行きが悪く、これといった反応も得られていなかった。タイトルの元になっているビートルズの同名曲が韓国では長年発売禁止曲だったため知名度が低く、「実際にノルウェイにある森についての本」だと誤解されてしまったため、このままでは作品の素晴らしさが葬られてしまうと判断した出版社は、間もなく『상실의 시대(喪失の時代)』と題名を変えて再出版に踏み切った。すると今度はたちまちベストセラーとなり、村上の名は一気に韓国中に知れ渡るようになったのである。

 その後の展開はもはや言わずもがなであろう。ファンが爆発的に増え、過去作品の翻訳出版が相次ぐ中、当時の若者に支持されていたアーティスト、イ・ソラが自身のテレビ番組で「村上春樹にハマっている」と発言し大反響を呼んだというエピソードが示すように、とりわけ『喪失の時代』は、若者たちの間で「洗練された文化アイコン」となり、「読まなければ話が通じない」と言われるほどの社会現象になった。

 こうした「春樹ブーム」は90年代を通して冷めることなく続き、しまいには韓国の若手作家たちの「盗作疑惑」まで持ち上がった。本人たちは、盗作ではないものの、村上独特の文体やスタイル、雰囲気といったものに多大な影響を受けたと認めた。いずれにせよ村上は、読者のみならず同時代の作家にも新しいスタイルをもたらし、村上からの影響を公言する作家の中には、映画化もされた『영원한 제국(永遠なる帝国)』のイ・インファらがいる。

 1980年代末に、最後の軍事政権である盧泰愚(ノ・テウ)政権から民主化の「約束」を勝ち取った韓国では、90年代初頭、軍事政権という目の前の「敵」が消え、学生運動は壮絶な宴の後の虚脱感、喪失感に包まれていった。そんな中で登場したのが、80年代の「闘いの世代」とは一線を画す、90年代の「新世代」と呼ばれる若者たちである。この世代の一番の特徴は「イデオロギーより私が大事」という個人的志向が強いことであった。80年代、国家との闘いに身を投じてきた世代が「個としての自分」を省察する余裕を持たなかったのに対し、90年代の新世代にとっては、内面の葛藤や人間関係などの私的領域が生活の中心となった。

 こうして80年代の闘いの世代は「喪失感」を、90年代の新世代は「個としての自分」と向き合っていたところに、『喪失の時代』が登場したのである。韓国での“春樹ブーム”の背景には、「この喪失の時代をどう生きるべきか」を提示してくれる作家の存在を必要としていた時代の変化と、それに伴う新たな価値観の模索があったといえるだろう。

 このように、“春樹ブーム”といっても韓国には韓国ならではの文脈があったわけなのだが、ではイ・チャンドン監督は村上の原作を、どのように韓国の文脈に置き換えて映画化したのだろうか? まずはあらすじから見てみよう。

≪物語≫
 作家を夢見るジョンス(ユ・アイン)は、宅配のアルバイトの途中で幼なじみの女性ヘミ(チョン・ジョンソ)と偶然再会する。まもなくヘミは、旅行中の猫の世話をジョンスに頼んでアフリカへと旅立つ。帰国すると、現地で出会った男性ベン(スティーブン・ユァン)をジョンスに紹介する。金持ちだが素性のわからないベンと付き合う中で、ジョンスはベンからビニールハウスを焼く趣味があること、そして近日中にジョンスの家の近くのビニールハウスを焼くつもりであることを聞く。近所のビニールハウスを調べるジョンスは、同じ頃、突然姿を消したヘミを探すうちに、ベンに対する疑念を募らせていく。

 人物構成や、納屋(ビニールハウス)を焼くというモチーフは生かしつつ、サスペンス的な要素をふんだんに取り入れて、原作にはない「謎(犯人)の解明」という面白さも追求した本作だが、それだけで終わらせないのがイ・チャンドンのすごさである。監督自身が言及しているように、現在の韓国の若者たちが抱える無力感や怒りが、本作の物語展開に大きく関わっているのだ。では、「韓国の若者たちが抱える現実」とは一体どのようなものだろうか? 映画に描かれている2つのメタファーからそれを探ってみよう。

 ひとつは「名前」である。原作では登場人物はすべて「私」「彼女」「彼」という代名詞で書かれ、名前を持っていない。それに対して映画では「ジョンス」「ヘミ」「ベン」という名前が与えられている。短編小説と長編映画の違いを考えると当たり前かもしれないが、この「名前を与える」ことこそが、物語の展開において非常に重要なメタファーとなるのである。

 原作は名前がないゆえに、世界中の誰もがそれぞれの生活や環境に合わせて、物語を解釈できる。つまり原作が普遍性を獲得しているのに対して、映画では具体的な名前を与えることで「韓国」という文脈を付与している。そして、「ジョンス」「ヘミ」というありふれた名前と、「ベン」との間には、決定的な格差が横たわっている。

 日本人にもすぐにわかるように、「ベン」はいわゆる韓国人の名前ではなく、英語では「Ben」とつづられる外国人の名前である。つまり、得体の知れない不思議な男「ベン」は、在米韓国人(または帰国者)と推測できる。

 韓国には、今に至るまで、「在米韓国人」への憧れが根強く残っている。実際に成功したかは別として、韓国人にとっては「アメリカン・ドリーム」を叶えた成功者そのものなのだ。数多くのドラマや映画で「在米韓国人」は、おしゃれで金持ちで社会的地位の高いキャラクターとして描かれてきた。高級マンションに住んで高級外車を乗り回し、パーティと大麻の日常を送る「ベン」もまた例外ではない。「ベン」と名付けることで、彼について多くを語らずとも、韓国社会に根強く残る「羨望の眼差しを向けられる在米韓国人」のイメージを植え付けることができる。

 そんな「ベン」と、大学は出たものの就職もできず、小説も書けず、アルバイトをしながらトラブルメーカーである父親の裁判を見守る「ジョンス」との間には、到底乗り越えられない「格差」が存在している。それは、借金返済のために安っぽいダンサーのバイトをしながら空虚な日常を送る「ヘミ」(その空虚さは、彼女が習っているというパントマイムに象徴される)も同様だ。

 近頃、韓国の若者の間では、「금수저(クムスジョ=金のスプーン」「흙수저(フクスジョ=土のスプーン)」という言葉がはやっている。それぞれ「金持ち」と「貧乏人」を意味し、経済的に困窮している若者たちが自嘲的に使うものだ。“高嶺の花”である「クムスジョ」=ベンと、ご飯すらろくに食べられない「フクスジョ」=ジョンス。若者の失業率が最悪な状況に陥っている今の韓国社会には、「ベン」よりも「ジョンス」や「ヘミ」が圧倒的に多いのは言うまでもない。

 本作には「ベン」という象徴的な名前が入ることで、3人の登場人物の間に明確なヒエラルキーが生まれ、原作には描かれなかった「名前」が、多くを語るメタファーとなっているのだ。

 もうひとつのメタファーは「分断」である。ジョンスの実家があるパジュは、北朝鮮との境界である38度線に最も近い田舎町だ。この町では、北朝鮮からの「対韓国宣伝放送」が日常的に響きわたり、「分断」という現実が生々しく迫ってくる。パジュの町が自由に行き来できない南北の断絶を表しているように、前述した3人の間のヒエラルキーが、決して乗り越えられない「分断」によって断絶していることを隠喩する。

 宣伝放送を聞いてひとごとのように「面白い」というベン、「この世の果てのアフリカで感じた」絶望感を韓国の果てであるパジュで思い出したかのように、上半身裸になってグレイト・ハンガー(生きる意味に飢えている人)のダンスを踊るヘミ、そんなヘミの内面には気づかずに「(男の前で裸になるなんて)売春婦のようだ」と怒るジョンスの間の「分断」は、歴然としている。それ以上進むことのできない「境界線」という意味では、パジュという街はどこにも行き場のない、追い詰められたジョンスの立ち位置を象徴しているともいえるだろう。追い詰められているジョンスに、ヘミの内面まで見てくれる余裕などないのだ。

 そんな分断の空間では、言葉も断絶される。相手の発する言葉の意味合いが伝わらないのだ。本作を本格的なサスペンスへ導く言葉「ビニールハウス」は、断絶のメタファーでもある。同じ「ビニールハウス」という言葉でも、ベンの言うそれと、ジョンスの捉えるそれにズレが生じることで、分断・断絶の意味合いはさらに強まることになる(まるで延々とズレるばかりの南北会談のように)。

 ヘミとベンがジョンスの家に遊びに来た際に、ベンが語った「ビニールハウス」は、最初から意味深なニュアンスを含んでいたが、文字通りに受け取ったジョンスは、そのズレのために大切なもの(ヘミ)を失い、無力感からやがて強い怒りへと突き動かされていく。

 同じ言葉に対する意味合いのズレがもたらす分断は、韓国社会に度々見られるものである。つい最近大きな関心を集めている、慰安婦支援団体をめぐる問題がいい例だ(※)。彼らは30年以上にわたって一緒に闘ってきた「同志」にもかかわらず、それぞれの名分と利害にズレが生じていたために、知らず知らずのうちに分断が生まれ、醜い暴露合戦に至ってしまった。「慰安婦」問題の解決というひとつの指標を共有していたはずなのに、些細な意味合いのズレがやがて大きな断絶となり、彼らは大事なものを失ってしまったように見える。

 映画のラストに描かれる、ベンに対するジョンスの復讐(それが現実でも想像でも)は、社会的格差と階層間の分断が生み出す無力感と怒りが、「象徴的な暴力」となって表現されたと言ってよいだろう。昨年のカンヌ、今年のアカデミー賞で大きな話題をさらった韓国映画『パラサイト 半地下の家族』(ポン・ジュノ監督)の結末にも共通するこの描写は、現在の韓国社会において、格差と分断の問題がそれほど深刻であることを物語っている。焼かれるべきは「ビニールハウス」ではなく、「格差」や「分断」かもしれない。

※日本軍「慰安婦」だった李容洙氏が2020年5月に会見を開き、30年間共に活動してきた「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」の前代表・尹美香氏に対し、寄付金の使途の透明性や、活動の在り方などの問題を提起。その後も、互いの主張が平行線をたどったり、保守派・進歩派それぞれのメディアや論客が“場外”から参戦するなど、大きな騒動となっている。

『バーニング 劇場版』
Blu-ray、DVD発売中
販売・発売元:ツイン

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

EXO・ベッキョン「Bungee」、BTS、BAPほか……Jazzy HiphopのK-Pop20曲を解説!

――毎月リリースされるK-POPの楽曲。それらを楽しみ尽くす“視点”を、さまざまなジャンルのDJを経て現在はK-POPのクラブイベントを主宰するe_e_li_c_a氏がレクチャー。5月にリリースされた曲から[いま聞くべき曲]を紹介します!

今月の1曲 ‖ 백현 (Baekhyun) - Bungee

 6月はEXO・ベッキョンのソロEPの2枚目『Delight』から「Bungee」を取りあげます。前作のEP『City Lights』もそうでしたが、1曲単位より是非アルバムで聴いていただきたい1枚です。

 今回はEP収録の「Bungee」や「R U Ridin'?」に感じる、Jazzy HiphopやChillHop、Lo-fi Hiphopについて解説します。紹介するのはどれも梅雨時にぴったりの楽曲なので、是非この時期に聞いてみてください。

 Jazzy Hiphopとは、一般的には2000年代初頭に日本ではやったJazzをサンプリングしたHiphopを中心に、そのムーブメントを取り巻く日本・海外のアーティストの楽曲のジャンルのことを指します。日本でしか使われないジャンル名の一つで、英語圏では「Jazz Rap」と呼称することのほうが多いです。ただ「Jazzy」に関してはJazzっぽい・Jazzの要素があるという意味でも使うので、検索したらDJ Mixなどは出てくると思います。

 では、JazzがHiphopに取り入れられるところから話していきますが、1985年にFusionバンドのCargoが出したJazz Rapがはしりと言われています。

 Fusionとは70年代半ばに発生した、Jazzに電子楽器を導入してロック・ラテンなどを融合させた派生ジャンルのことです。JazzというよりはFusionが前面に出ていて、あまり皆さんがイメージするJazzではないかもしれません。BPMもかなり速く、文字通りJazzにRapを乗せているという印象です。

■Cargo - Jazz Rap

 続いて88年にGang StarrというNYのコンビがリリースした「Words I Manifest」というデビュー曲です。JazzやFunk、Hiphopなど5曲ほどをサンプリングしていますが、曲が始まってすぐのベースのループがCharlie Parker & Miles Davisの「A Night in Tunisia」の冒頭です。サンプリングしている部分がベースの1ループだけなので、これもまだあまりJazzという感じはしないかもしれません。(サンプリングについてはこちらの記事「K-POP、サンプリングの元ネタを一挙解説」を参考にしてください)

■Gang Starr - Words I Manifest

■Miles Davis & Charlie Parker - A Night In Tunisia

 90年にはスパイク・リーが監督を務めた『Mo' Better Blues』という、Jazzを題材にした映画のサウンドトラックとしてGang Starrの「Jazz Thing」が使われます。これもThelonious MonkやLouis Armstrong、Duke Ellingtonの曲などたくさんのJazz楽曲をサンプリングしています。

■Gang Starr - Jazz Thing

Jazz Rap楽曲がプラチナディスクに

 88年から始動した「Native Tongues」はJungle Brothers、De La Soul、A Tribe Called QuestなどのHiphopグループを抱える集団ですが、たくさんのJazzをサンプリングしてJazz Rap楽曲をリリースしています。

 89年リリースのDe La Soulのデビューアルバム『3 Feet High and Rising』や、90年にリリースされたA Tribe Called Questのデビューアルバム『People's Instinctive Travels and the Paths of Rhythm』、91年リリースの2ndアルバム『The Low End Theory』も評価が高く、最終的にはアメリカでゴールド(50万枚)やプラチナ(100万枚)ディスク認定を受けます。

 『3 Feet High and Rising』や『The Low End Theory』は史上最高のHiphopアルバムの一つと言われており、今までのハードコアやギャングスタスタイルなどの、"ワルい”ことがカッコいいというHiphopの価値観の幅を拡げる転換点になり、以降たくさんのアーティストに影響を与えてきました。

 是非アルバム1枚を通しで聴いていただきたいですが、その中からJazz Rapとわかりやすいものを一つ挙げます。

■A Tribe Called Quest - Jazz (We've Got) (91)

 サンプリングの説明をした回でも少し言及しましたが、既存の曲をサンプリングする場合、どうしても著作権の問題がつきまといます。

 正式に許可をもらうには費用がかさみ、うまく切り取ってループにすれば原曲の製作者にバレないかもしれない……そもそもサンプリング文化が始まった当初は、製作者から使用許諾を取らないといけないという意識さえなかったかもしれません。

 91年にBiz Markieというアメリカのラッパーがリリースした曲が、サンプリング問題で訴訟を受け敗訴するなど、これ以降も著作権を巡ってたくさんの訴訟が起こされています。このJazz Rapのムーブメントにも、もちろんそのような問題はあり、弁護士を立てて対応していたレーベルもあります。

 一方で92年、イギリスのHiphopグループUs3が、Blue Note Recordsという39年設立のJazz専門名門レコードレーベルに所属しているGrant Greenの「Sookie Sookie」をサンプリングした楽曲「Tukka Yoot's Riddim」をリリースしますが、Blue Note Recordsは訴訟せず、Us3と契約を結びレーベルの楽曲を自由に使えるようにします。HiphopがBlue Note及びJazzの歴史に関心を集めてくれる可能性があるという考えからの行動でしたが、その後リリースされたHerbie Hancockの「Cantaloupe Island」をサンプリングした「Cantaloop」はアメリカで大ヒットを記録し、Blue Note Records初のゴールドディスク認定を受けます。

 以降サンプリングによって楽曲が大量に使用されたJazzアーティストの中には、金銭的に大きな利益を得る人もいました。

■US3 - Cantaloop (Flip Fantasia) (93)

 また92年、ジャズトランペット奏者のMiles Davis死後に、HiphopプロデューサーのEasy Mo Beeとの共作アルバムがリリースされ、JazzとHiphopの融合が実現します。Jazzを引用し、時には訴えられる側であったHiphopが、圧倒的に歴史の長いJazz側から歩み寄られることになったのです。

■Miles Davis - The Doo Bop Song

 このあたりがJazz Rapの人気の最高潮と言われていますが、先述のGang Starrメンバー・GuruはJazz Rapの人気に好感を持っており、更にネクストレベルへと昇華したい思いからJazzのアーティストたちをスタジオに呼び新しいジャンルを作ろうと試みます。「Jazzmatazz」という彼のソロプロジェクトのシリーズはvol.4まであります。どれもとても良いアルバムですが、個人的には3枚目の『Vol. 3: Streetsoul』がとても好きです。

Apple
Spotify

■Guru Featuring Donald Byrd - Loungin' (Vol. 1、93)

■Guru Featuring Erykah Badu - Plenty (Vol.3、2000)

■Guru feat. Commom - State Of Clarity (Vol.4、07)

 その後も90年代はたくさんのJazz Rap楽曲がリリースされます。

■Digable Planets - Rebirth Of Slick (Cool Like Dat)(93)

■Nas - The World Is Yours (94)

■De La Soul feat. Guru - Patti Dooke (93)

■Souls Of Mischief - 93 'Til Infinity (93)

■Common - Resurrection (95)

■The Pharcyde - Runnin' (95)

■The Roots - Dynamite! (99)

 90年代後半からはよりJazzを前面に打ち出したJazz Rapがたくさんリリースされ、個人的にはこの辺りからをJazzy Hiphopと呼ぶイメージがあります。

■Youth Explosion - People Under The Stairs (00)

■The Sound Providers - Who Am I? (feat. Grap Luva) (01)

■Asheru & Blue Black - This Is Me (01)

■Nujabes Featuring Shing02 - Luv(sic) (01)

■Jazz Liberatorz - What's real(feat. Aloe Blacc) (03)

 上記に名前のあるNujabesは、2003年に『サムライチャンプルー』という日本のアニメのサウンド制作を担っており、アニメの力を借りて一気に世界中に名前が知れ渡ることとなります。当時は日本人トラックメイカーもかなりシーンに影響を及ぼしており、Five DeezやFat Jon、Pase Rockなど海外のアーティストを客演に呼んだり、Shin-skiやDJ Ryowなどたくさんのトラックメイカーが頭角を現すようになります。

■Nujabes - Battlecry

 03年にはBlue Note RecordsがDJのMadlibに楽曲使用許可を出し、『Shades Of Blue: Madlib Invades Blue Note(ブルーノート帝国への侵略)』という、新たな視点からBlue noteの再構築を試みたアルバムがリリースされます。こちらも1曲しか挙げませんが、是非アルバムを聴いて頂きたいです。
Apple
Spotify

■Madlib - Slim's Return (03)

 Madlibは翌年04年にラッパーのMF Doomとの共同プロジェクトをMadvillainと名付け、『Madvillainy』というアルバムを出します。いわゆるJazzy Hiphopのような楽曲もあれば、後のLo-fi Hiphop、Chillhopと呼ばれるような楽曲もあり、Lo-fi Hiphopの元祖と言われるアルバムとなります。

■Madvillain - Raid

■Madvillain - Bistro

 さて、ここでLo-Fi Hiphopについてですが、「Lo-Fi」とはLow-Fidelityの略を起源としており、2000年代以降のLo-Fi Hiphopとしての「Lo-Fi」はサウンドが不明瞭だったり古臭かったりするイメージを指します。レコードを再生する時のプツプツ音や、よれたビート、環境音などが特徴です。

 古いJazzやSoulをサンプリングする点は今まで説明したJazz RapやJazzy Hiphopと同じですが、そのトラックの上にラップやボーカルが乗ることは少なく、インスト楽曲が多いです。Chillhopとも言われるように、Chill(ゆったりした、落ち着いた、リラックスしている)の部分がJazzy Hiphopに比べて強調されており、Chill out(スローテンポで家でゆったり聞くような音楽ジャンル)や、Chill Wave(ノスタルジー感のあるメロウなレトロポップサウンド)などからChillの部分がきているともいわれています。

 この「Chill」がつくジャンルは大きなくくりで「ベッドルームミュージック」などとも言われており、文字通り寝室でゆったりしながら聞くイメージの音楽のことを指します。Nujabesや、先程名前を出したMadlibと共同プロジェクトを組んでアルバムをリリースしたJ DillaなどがLo-Fi Hiphopの先駆者といわれています。

Youtubeストリーミングチャンネルの注目どころ4つ

 13年、Youtubeで一般ユーザーがライブストリームをホストできるようになり、VaporwaveやChill Waveなどの細分化されたジャンルに特化したチャンネルができ、リスナーは24時間常に同じようなジャンルの楽曲をラジオ局のように聞けるようになります。

 17年には、Lo-Fi HiphopやChillhopとタグ付けされたダウンテンポの楽曲をかけるチャンネルが流行し、数百万人の登録者がいるようなチャンネルも出てきます。

 有名なものをいくつか挙げると、Chilled cowChillhop MusicRyan Celsiusなどがあり、現在進行系で配信が続いています。韓国でも、ここ2~3年インディーシーンでLo-Fi HiphopやChillhopのブームがあり、Mellowbeat Seekerのチャンネルでは韓国のインディーR&BやHip-hopが24時間聴けます。

 18年にはCozy(心地の良い)+K-Pop=KozyPopというプロジェクトが立ち上がり、Lo-Fi HiphopやChillhopの楽曲を集めたコンピレーションアルバム『Seoul Vibes』シリーズが始動し、つい先日『Seoul Vibes Pt.16』がリリースされ現在進行系で人気が続いています。こちらもYoutubeのチャンネルがあり、24時間韓国のR&BやHip-hopが聴けます。

Jazzy HiphopのK-Pop15曲

 それではいつも通りK-Popアイドルの楽曲でJazzy HiphopやLo-Fi Hiphopなものを挙げます。

 ちなみに「Jazzy」とくくるともっとたくさんありますが、Jazzy Hiphopだと「Hiphop」なのでビートがはっきりしていて上ネタ(ピアノやシンセなど)がループしているものをメインに、ラップが乗っているものだけと限定するとあまり数がないのでラップ・ボーカル問わず選んでいます。

■B.A.P - COFFEE SHOP (2013)

■Red Velvet 레드벨벳 - Be Natural (feat. SR14B TAEYONG (태용)) (2014)

■방탄소년단 (BTS) - Rain (2014)

■JONGHYUN 종현 - Love Belt (feat. YounHa) (2015)

■지코 (ZICO) - 너는 나 나는 너 (I Am You, You Are Me) (2016)

■정기고(Junggigo)X찬열(CHANYEOL) - Let Me Love You (2017)

■IU(아이유) _ Palette(팔레트) (Feat. G-DRAGON) (2017)

■문별 (Moonbyul) - 구차해 (2017)

■SUNMI - Black Pearl (2018)

■로꼬 (Loco), 화사 (마마무) - 주지마 (2018)

■Zion.T - 멋지게 인사하는 법(Hello Tutorial) (feat. 슬기 of Red Velvet) (2018)

■Brown Eyed Girls - 하늘 (2019)

■BANG YONGGUK (방용국) - ORANGE DRIVE (2019)

■태연 (Taeyeon) - 하하하 (LOL) (2019)
Apple
Spotify

■온앤오프(ONF) - Moscow Moscow (2019)

■CLC - Open the Window (2015)
Spotify

■백예린 (Yerin Baek) - Datoom (2019)

■BVNDIT (밴디트) - Children (2020)

■TXT (투모로우바이투게더) - 샴푸의 요정 (2020)

 昨今のたくさんの配信に疲れてしまった方は、何も考えずに流せるBGMに是非聞いてみてください。ちなみにここまで説明した欧米のJazz RapやJazzy Hiphopについては「WhoSampled」というサイトで曲名を入れると大体のものがどんな曲をサンプリングしたかが出てくるようになっています。曲の中で気になったフレーズがあったら是非探して原曲を聞いてみてください。JazzやSoulに対する苦手意識やハードルが下がると思います。

<落選したけど……紹介したい1曲>

■YUBIN(유빈) - yaya(넵넵) (ME TIME)

 先月のチョンハと同じような選曲になってしまいましたが……元Wonder Girlsのユビンの新曲です。Wonder Girlsが2017年に解散してからもユビンはJYPに残り何曲かリリースしていますが、2020年に独立し自身でrrr Entertainmentという事務所を設立します。

 今回は新事務所になってから初のリリースで、曲の歌詞にも「와 Free다 프리야 now #d-day 디데이 I'm done with that 이 날만 기다림 (ああ自由だわ now #d-day ディーデイ それはもういい この日を待ってた)」や「THX JYP but Free now 참 편했지 뭐 꿀 빨았지 뭐 건강한 유기농 집밥 내 입엔 msg가 (JYPありがと でも今はもう自由 気楽だったし幸せだった 健康なオーガニック家庭料理 私の口にはmsgが)」とJYPという大きい会社に所属していた気楽さや恩恵、社食で提供されるオーガニック料理を半ば揶揄する歌詞が出てきます。

 JYPは会社を離れるアーティストにもバックアップ等を惜しまないことで有名ですが、13年JYPに所属していた彼女らしい曲ではないかなと思います。

<近況>
エンターテイメントのコンテンツが全てネット上に集中したことにより、今までよりもずっと忙しい日々を送っています。休みの日はオンライン配信されるライブやDJ配信などをハシゴしているといつの間にか1日が終わっています。
毎年世界各地で行われているKCONが6月20日からオンラインで7日間行われるらしいのですが、私は一体どうなってしまうのでしょう……。

e_e_li_c_a
1987年生まれ。18歳からDJを始めヒップホップ、ソウル、 ファンク、ジャズ、中東音楽、 タイポップスなどさまざまなジャンルを経て現在K-POPをかけるクラブイベント「Todak Todak」を主催。楽曲的な面白さとアイドルとしての魅力の双方からK-POPを紹介して人気を集める。

Twitter @e_e_li_c_a TodakTodak 
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光州事件の被害者・加害者の双方の苦しみを救った、韓国映画『26年』の“ファンタジー”性

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

※参照:韓国映画『タクシー運転手』異例の大ヒットがあぶり出した、「光州事件」めぐる国民の怒りと後悔

『26年』

 1980年5月の光州。家の中で、生まれたばかりの子どもの名前を相談する若い夫婦に突然飛んでくる銃弾、そして子どもを背負ったまま息絶える母親。好奇心で見物していたデモから逃げ遅れた姉弟にも銃弾が容赦なく降り注ぎ、体内から漏れ出る臓器を抱えながら弟を逃がそうとする姉。行方不明の夫を探して、腐敗し蝿のたかる死体の山をかき分ける妻。市民と対峙した恐怖で、反射的に惨殺してしまう戒厳軍の兵士……。

 韓国映画『26年』(チョ・グニョン監督、2012)の冒頭、アニメーションで描写される光州事件の様子だ。残酷と思われる描写もあるかもしれない。だがこれらはすべて、光州事件の写真や証言として語られてきた真実がもとになっている。この場面だけアニメーションを選択したのは、原作が同名のウェブ漫画だという事情もあるのだろうが、この事件がデモ隊以外の市民をも惨殺した事件だったことを知らしめる意図も隠されているのかもしれない。

 前回取り上げた『タクシー運転手 約束は海を越えて』が事件当時を描いた作品であるのに対して、今回の『26年』は「その後」をテーマにしている。光州事件で大切な人を失った遺族たち、あるいは思いがけず加害者となった兵士が、「その後」をどのように生きたのか。映画ではその帰結としての彼らの大胆な計画が、アクションたっぷりに描かれるが、これは決して馬鹿げたフィクションなどではない。前回は事件の歴史的経緯を中心に紹介したが、今回は生き残った人々のトラウマについて焦点を当ててみよう。

≪物語≫

 光州事件から26年後のソウル。ヤクザのクァク・ジンベ(チン・グ)、女子射撃の韓国代表選手シム・ミジン(ハン・ヘジン)、警察官のクォン・ジョンヒョク(イム・スロン)の3人は、警備会社社長のキム・ガプセ(イ・ギョンヨン)と秘書のキム・ジュアン(ペ・スビン)の呼びかけで一堂に会す。一見何のつながりもないように見える3人だが、実は光州事件の犠牲者遺族という共通点があった。さらにジュアンもまた同じ境遇であり、キム社長は虐殺に加担した元戒厳軍で、強い罪悪感からジュアンを養子にしていたことが明らかになる。

 キム親子の目的はただひとつ。虐殺の元凶である「あの人」(チャン・グァン)を暗殺し、遺族の恨みを晴らすこと。手厚い警備によって保護されている「あの人」を暗殺するため、緻密な作戦計画を進めていく一行。そしてついに、キム親子は「あの人」との面会を果たすのだが……。

 物語からも明らかなように、本作は、被害者遺族たちによる事件の首謀者・全斗煥(チョン・ドファン)元大統領の暗殺計画を描いている。ただし映画の中に「全斗煥」という名前は一度も登場しない。すべて「あの人」と言い換えられている。だがそれでも、韓国人にとっては「あの人」が「全斗煥」であることは火を見るよりも明らかであり、存命中の元大統領の暗殺というストーリーを進めるためには、これが精いっぱいの方法だったことは想像に難くない。映画公開時の試写会では、全に銃口が向けられる場面で観客から「撃て!」という声が上がり、ネット上でも「まだ生きている人間の暗殺を描くなど、一体どれだけ嫌われているんだ」といった書き込みが見られた。うそでもいいから「全の死」を目撃したいと願う国民が非常に多かったことがよくわかる。

 だがそんな国民感情に反して、一度は死刑宣告を受けた人物にもかかわらず、全の暮らしは手厚く守られている。劇中でも描かれているように、24時間365日の厳重な警備に加えて、外出時は警察官の手動操作で、車がスムーズに通れるよう信号は切り替えられる。そのすべてが税金によって賄われていることは言うまでもない。

 さて、事件の関係者たちが抱え込んだ痛みは、癒えることのないままトラウマとなって残り続ける。実際に当時、近しい人の無残な死を目の当たりにしたショックから、その後自殺に追い込まれたり、精神的苦痛にさいなまれ続けているという家族らの話は、現在でもニュースなどで度々耳にする。2018年に放送された時事番組『그것이 알고 싶다(それが知りたい)』の新たな検証では、戒厳軍によるレイプの被害者の悲惨な現状や、子どもを含む民間人への無差別乱射などの事実が明かされ、光州事件の惨状を改めて実感させた。

 多くの支援団体が、遺族や被害者の心のケアに力を入れているが、中でも「光州トラウマセンター」では、毎年事件の起きた5月になると心理的不安を起こす現象を「5月症候群」と名付け、その治療を専門的に行っているという。そんな光州の人々にとっては、虐殺の元凶でありながら自らの罪を認めようともせず、のうのうと暮らす全が存在している限り、光州事件は常に「現在」であり続けている。彼らが事件に何らかのピリオドを打つためには、ウソでもとっぴなストーリーでも、トラウマの根源を除去するための儀式=「全の死」が必要だったに違いない。

 その意味で本作が興味深いのは、“トラウマを治癒するためのファンタジー”の役割を引き受けたことである。精神分析の創始者であるフロイトの言葉を借りれば、トラウマを癒やす装置であるファンタジーは、「現実に反してでも願望を成就させ、再び現実に戻らせる場」であり、ファンタジーという「心理的装置によって、人間は神経症にならずに生きることができる」のだという。そして、想像力を土台にした芸術活動にこそ、現実にはかなわない願いをファンタジーという形でかなえ、現実の苦痛を癒やす機能があるのだと。

 それを踏まえると、本作は映画という芸術の装置を通して、現実にはかなわない「全の暗殺」という願望を昇華し(実際の映画の結末がどうであれ)、トラウマを抱えながらも人々が再び人生を生きられるよう、現実に戻してくれるファンタジーと捉えることができる。

 ただしトラウマは、事件の被害者だけに現れるのではない。本作でのキム社長のように、命令に従うしかなかった戒厳軍兵士の中にも、罪悪感というトラウマに苦しんだ人は多い。彼らは犠牲者に謝罪したり、光州の記念公園を訪れたりすることで自らの罪を癒やそうとしてきたが、一方で本作の登場人物で、全のSPであるマ室長(チョ・ドクジェ)のように、軍人としての人生そのものを否定される恐怖から、全を生き延びさせ、罪悪感を抑圧したまま生きている者もいる。いずれにせよ光州事件は、加害者vs.被害者という単純な二項対立からはわからない、幾重にも深いトラウマを生んだ歴史的出来事だったのである。

 一方、フロイトが提示したファンタジーの効能は、韓国において伝統的とされる情緒「한(ハン、恨みやトラウマの意)」とも共通するものがある。そして「ハン」を晴らすための儀式を「한풀이(ハンプリ)」というが、この「ハンプリ」が言うならば「ファンタジーを繰り広げる装置」になるのだ。たとえば、つい先日、市民が作った全の像をトラックの荷台に乗せ、全の自宅近くをぐるぐると回るデモが行われた。韓国メディアは「ドライブスルー・デモ」と報じたが、これもまた、一向に謝罪する姿勢を見せない全をファンタジーの世界に召喚し、「ハン=トラウマ」を晴らそうとした「ハンプリ」の儀式だったといえよう。

 話を映画に戻そう。実は本作は、完成までに紆余曲折を経ている。製作にあたり、当初は大手通信会社の支援が予定されていたものの途中で手を引いてしまい、急きょクラウドファンディングで資金を集めたのだ。また監督2人が続けて降板し、結局美術監督だったチョ・グニョンが監督を任されるという混乱ぶりだった。その背景には、当時の李明博(イ・ミョンバク)率いる保守派政権の介入があったともウワサされている。それでも公開時はちょうど、朴槿恵(パク・クネ)と文在寅(ムン・ジェイン)による大統領選が盛り上がりを見せており、進歩派の文は僅差で破れるものの、映画は観客動員約300万人というヒットとなった。

 残念ながら日本では劇場公開もDVD発売もされていないが、動画配信サイト「Netflix」では見ることができる。エンドロールに連なる膨大な数の名前は、クラウドファンディングに協力した人たちだ。決して知名度は高くないが、多くの国民の怒りと応援によって支えられた作品であり、もっと多くの人に見られてしかるべき映画だと思う。

事件を「心で理解した」、当事者とのエピソード

 最後に、私自身にとっての光州との邂逅を紹介して終わりたいと思う。事件当時小学5年生だった私には、正直何の実感もなかったのだが、その後、通っていたソウルの小学校に光州からの転校生がやってきた。彼との記憶はただひとつだけ。事件のとき、彼は「すごくキュウリが食べたかった」のだそうだ。話の文脈も、彼の意図するところも今となっては思い出せないが、私の脳裏にはそれ以来、暑い5月の光州で、惨劇の最中、食べ物も飲み物もろくに与えられなかった子どもが、のどの渇きと空腹を同時に満たすために、キュウリを欲する姿が焼き付いて離れない。

 「光州事件は頭だけでなく、心で理解しなければならない」とよく言われる。光州事件という「歴史」だけでなく、それが人々にもたらしたさまざまな「記憶」、その双方から事件を語り継いでいかなければならない。

崔盛旭(チェ・ソンウク)

1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

韓国映画『タクシー運転手』異例の大ヒットがあぶり出した、「光州事件」めぐる国民の怒りと後悔

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『タクシー運転手~約束は海を越えて』

 韓国では今年、1980年5月に起こった光州事件からちょうど40年という節目の年を迎えている。本来ならば記念式典や関連イベントが開催されるはずだったのだが、コロナ禍で中止が相次ぐ中、4月末に大きな注目を集める裁判が開かれた。被告は全斗煥(チョン・ドファン)元大統領、光州事件の「主犯」ともいえる人物である。

 チョン氏は2017年に出版した『全斗煥回顧録』の中で、相変わらず「光州事件はアカ(共産主義者)によって煽られて起きた反乱」「ヘリからの銃撃は真っ赤なウソ」といった記述を繰り返し、事件の犠牲者に対する名誉毀損だとして市民団体から提訴されたのだ。裁判でも予想通り、容疑を否定し主張を貫くその姿には、自らが指揮した虐殺への反省も、犠牲者や遺族への謝罪も毛頭見られなかった。そこには、不当な裁判だと逆ギレしている元権力者の醜悪な本性しかなかった。

 ではその「光州事件」とは一体なんだったのか? なぜ40年という月日がたった今でも、韓国国民にとって「まだ終わっていない」事件として関心を集め続けているのか? このコラムでは5月に配信する2回にわたって光州事件を取り上げる。1回目は、ドイツ人記者と彼を乗せたタクシー運転手の目線から事件を描いた『タクシー運転手~約束は海を越えて』(チャン・フン監督、2017)を通して、歴史的な視点から事件の概要を振り返りたい。

 韓国では2017年5月、朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾・罷免に伴い、文在寅(ムン・ジェイン)が大統領に就任し、10年ぶりに進歩派政権が誕生した。進歩派政権はこれまでも光州事件の真相究明に力を入れてきたこともあり、前政権下では公開が厳しかったであろう、光州事件を題材にした映画が文政権下に公開されたこと自体は不思議ではない。驚くべきは、本作が観客動員1,200万人以上という大ヒットを記録したことだった。光州事件を扱った映画は、数は少ないもののこれまでにもあったが、完成度は別としてどうしても重苦しさが先に立ってしまい、ヒットはしにくいと考えられていたからだ。では本作の大ヒットの要因はなんだったのだろうか? 私見では、本作が「外側からの目線」で光州事件を描いたからではないかと思う。まずは物語から紹介しよう。

≪物語≫

 1980年のソウル。タクシー運転手のマンソプ(ソン・ガンホ)は、あちこちで繰り広げられる学生デモに悪態をつきながら車を走らせていた。ひょんなことからドイツ人記者ピーター(トーマス・クレッチマン)を光州まで乗せる仕事について聞きつけたマンソプは、大金に目がくらみ喜び勇んで向かうものの、光州への道路はなぜか軍人によって遮断されていた。

 検問を逃れ、なんとか光州にたどり着くも、そこにはデモ隊と軍隊が衝突する異様な光景が展開されていた。危ないから引き返そうとするマンソプだが、ピーターはカメラを向けて街を撮影し始める。ピーターと対立しつつも、大学生ジェシク(リュ・ジュンヨル)や光州のタクシー運転手(ユ・ヘジン)と知り合う中で、次第に事の重大さに気づいていくマンソプ。一人家で待つ娘を心配し、一度はソウルへ戻ろうとするマンソプだったが、光州での実態が捏造されて報道されている事実を知り、再び光州へと車を向かわせる。
 物語からもわかるように、マンソプは知識も教養もない一般「庶民」と呼べるような存在であり、当初学生デモにもまったく理解を示していなかった。そんな彼がソウルという「外側」から光州に入り、少しずつ真相に近づきながら権力者の横暴に目を覚ましていく、という作り方そのものが、私を含め多くの韓国人の共感を呼んだのではないだろうか。

 というのも、当時ほとんどの国民は軍事政権の捏造通り、光州事件をアカによる反乱だと信じ切っていたのだ。そして時が流れ、軍事政権が幕を下ろし、徐々に事件の全貌が明らかになるにつれて、外側の人々は軍事政権への怒りと同時に、事件から目をそらしてきた己の愚かさを恥じ、事件の犠牲者に対する罪悪感にさいなまれるようになっていった。いまさら光州事件を自分が語るのは図々しい……そんな複雑な思いを多くの人が抱いていたところに、マンソプが登場したのだ。自分と同じ目線を持つマンソプに感情移入し、事件を目の当たりにして次第に変わっていく彼に自分を重ね合わせる――本作の大ヒットの背景には、多くの韓国人(観客)に共有されていた、歴史をめぐる国民的心情があったと考えられる。

 ではここからは、光州事件についての歴史的な経緯を紹介していこう。光州事件は1980年5月18~27日にかけて、韓国南部の都市・光州で起こった反軍事独裁・民主化闘争運動である。その端緒は、79年10月26日の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の暗殺事件にまで遡る。朴の暗殺をきっかけに全斗煥による軍事クーデターが起こり、それに対する抵抗として光州事件は始まったのだ。

 暗殺から2カ月後の12月12日、全と盧泰愚(ノ・テウ、後に全に続いて大統領になる)らが率いる軍の組織がクーデターを起こして実権を掌握する。18年間にも及んだ朴の独裁政権が終わり、いよいよ韓国にも民主化の春が来ると思われた矢先だったため、社会全体からの反発は大きく、とりわけ大学の春休みが明けた80年4月以降は、大学生や労働者たちのデモが全国に拡大していった。

 全の率いる新軍部は、5月17日に集会の禁止や報道の事前検閲、大学の休校など戒厳令の拡大措置を発令、翌18日には他の大学と同じように、光州の全南(チョンナム)大学でも学生と戒厳軍が対峙したのだが、光州では戒厳軍が突然棒で手当たり次第に殴り始め、学生は次々と連行された。市民らが軍の過剰な暴力に驚き止めに入ると、軍は一般市民に対しても暴力を振るい、こうして市民を巻き込んだ光州事件が始まったのだ。

 19日、市民によるデモが大きくなるにつれ、戒厳軍も兵力を増やし、ついに市民に向けて発砲を開始した。この発砲を命じたのが誰かという問題は、現在でも大きな争点となっている。韓国の憲法に「国軍は、国家の安全保障および国土防衛の神聖なる義務を遂行することを使命とし」(第5条)とあるように、国民を守るはずの軍が主権者である国民に向かって発砲することは、いわば「反逆罪」にあたる。それだけの判断を最前線のいちチ軍人や作戦本部が行うはずもなく、軍のトップだった全が命令を下したことは間違いないものの、全自身が否定し続けているのが現実だ。20日には軍の銃撃に対抗して市民も武装を始め、組織化して軍の撤退や民主化を要求する声明を発表する。しかし軍による統制で孤立状態に陥っていた光州の声が外部に届くことはなかった。

 映画ではピーターが20日に光州に入り、命がけで撮影したフィルムを持って21日に脱出するが、光州ではその後も全羅南道庁を拠点に、市民軍が戒厳軍に対して応戦し続けた。膠着状態を打開しようとした戒厳軍は、大勢の兵力に加えて戦車をも光州に送り込み、ついに27日、道庁で最後まで抵抗した市民軍はほとんどが射殺されて、光州事件は「北朝鮮に煽られたアカによる反乱」として終結した。この日に道庁ではどれだけの市民軍が殺害されたかも正確にはなっていないし、光州事件全体を通じての犠牲者数も不明のままだ。ピーター(実際はユルゲン・ヒンツペーター)が持ち出したフィルムによって事件の映像が報道され、韓国は国際社会から批判されるものの、言論統制によって当時国民が真実に触れることはなかった。

 韓国ではその後も長きにわたって、徹底して事件の真相を捏造する新軍部に対し、真相を究明しようとする闘いが続いた。そしてついに軍事政権の終焉とともに発足した金泳三(キム・ヨンサム)政権下の95年、光州事件を検証するための「5・18特別法」が成立した。光州事件は「5・18民主化運動」と正式に名付けられ、「アカによる反乱」などではなく「戒厳軍の鎮圧に対して、民主主義のために光州の学生・市民らが命をかけて立ち向かった歴史的事件」と定義されて、5月18日は光州民主化運動の国家指定記念日となった。全斗煥と盧泰愚は虐殺の罪を問われてそれぞれ死刑・懲役刑を言い渡され(後に特別赦免)、軍による虐殺を司法が認めたことで、光州の犠牲は無駄ではなかったことが証明された。2011年には、事件の関連史料がユネスコの世界記憶遺産に登録され、犠牲者・遺族への補償や行方不明者の捜索は今もなお続けられている。

 以上が事件の全体像だが、そもそも当時各地でデモが起こっていたにもかかわらず、なぜ光州だけがこのような事態に陥ったのだろうか。その背景には、朴正煕政権時代に作られた根強い「地域差別」が存在している。1963年以来続いていた軍事独裁政権だったが、70年代前半、彼には手ごわい政敵がいた。金大中(キム・デジュン)である。軍事独裁打倒の先頭に立ち、国民からの熱い支持を受けていた金に対抗するため、朴は金をアカに仕立て上げ、金の出身地であった全羅道(光州を含む地方)の連中もアカだという間違った認識を広めていった。「全羅道出身者とは付き合うな」という差別意識は国全体に浸透し、テレビドラマに登場する汚れ役は、多くが全羅道の方言をしゃべっていたものだ。全もまたこの地域差別を利用し、アカたちの反乱を制圧した自分こそが大統領にふさわしいのだと見せつけようとした。光州事件は、政府による統制だけではなく、光州なら起こってもおかしくないという、外側の人々の「やっぱりね!」という誤った認識・偏見が、光州をスケープゴートに仕立ててしまったといえる。

 最後に、映画にまつわる後日談を紹介して終わりにしよう。ピーターのモデルとなったドイツ人記者ヒンツペーター氏は光州事件を世界に知らしめたことを評価され、2003年に韓国の権威ある言論賞を受賞、その時のスピーチでタクシー運転手キム・サボク氏に言及したことが映画製作のきっかけになったことはよく知られている。本作はほとんどが実話に基づいているが、ピーターに偽名を告げ、彼の受賞を街角でそっと見守るマンソプというラストは、作り手の温かな想像力によるものであり、映画の最後では再会がかなわないままヒンツペーター氏が他界した事実が語られていた。

 ところが、映画の公開後にキム・サボク氏の息子と名乗る人物が現れたことによって、サボク氏の消息が明らかになったのだ。息子によると、実際のサボク氏はマンソプのような庶民派運転手ではなく、外国人相手の観光ガイドを専門にしていた「ホテルタクシー」の経営者であり、早くから政治活動に参加、光州にも強い使命感を持って向かった人であることがわかった。そして、光州事件から4年後の84年、すでにがんで亡くなっていたことも。ヒンツペーター氏が必死でサボク氏を探していた時、彼はもうこの世に存在していなかったのだ。

 この報道を聞いて、私は少しばかりがっかりしてしまった。マンソプのようなキャラクターを期待していたのに、実はそんな「エラい」人だったのかと。だがそれと同時に、映画の力を実感したのも事実である。タクシー運転手の正体がわからなかったことで、ソン・ガンホ演じるマンソプが誕生し、彼だったからこそ多くの観客が映画に惹きつけられたのだから。本作が韓国国内に限らず、日本をはじめ外国でもヒットした要因もそこにあるに違いない。本作はこれからも末長く愛されてしかるべき映画だと思う。

『タクシー運転手 約束は海を越えて』
発売元:クロックワークス 販売元:TCエンタテインメント
提供:クロックワークス/博報堂DYミュージック&ピクチャーズ
Blu-ray  5,184円(税込) / DVD 4,104円(税込)

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

韓国映画『タクシー運転手』異例の大ヒットがあぶり出した、「光州事件」めぐる国民の怒りと後悔

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『タクシー運転手~約束は海を越えて』

 韓国では今年、1980年5月に起こった光州事件からちょうど40年という節目の年を迎えている。本来ならば記念式典や関連イベントが開催されるはずだったのだが、コロナ禍で中止が相次ぐ中、4月末に大きな注目を集める裁判が開かれた。被告は全斗煥(チョン・ドファン)元大統領、光州事件の「主犯」ともいえる人物である。

 チョン氏は2017年に出版した『全斗煥回顧録』の中で、相変わらず「光州事件はアカ(共産主義者)によって煽られて起きた反乱」「ヘリからの銃撃は真っ赤なウソ」といった記述を繰り返し、事件の犠牲者に対する名誉毀損だとして市民団体から提訴されたのだ。裁判でも予想通り、容疑を否定し主張を貫くその姿には、自らが指揮した虐殺への反省も、犠牲者や遺族への謝罪も毛頭見られなかった。そこには、不当な裁判だと逆ギレしている元権力者の醜悪な本性しかなかった。

 ではその「光州事件」とは一体なんだったのか? なぜ40年という月日がたった今でも、韓国国民にとって「まだ終わっていない」事件として関心を集め続けているのか? このコラムでは5月に配信する2回にわたって光州事件を取り上げる。1回目は、ドイツ人記者と彼を乗せたタクシー運転手の目線から事件を描いた『タクシー運転手~約束は海を越えて』(チャン・フン監督、2017)を通して、歴史的な視点から事件の概要を振り返りたい。

 韓国では2017年5月、朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾・罷免に伴い、文在寅(ムン・ジェイン)が大統領に就任し、10年ぶりに進歩派政権が誕生した。進歩派政権はこれまでも光州事件の真相究明に力を入れてきたこともあり、前政権下では公開が厳しかったであろう、光州事件を題材にした映画が文政権下に公開されたこと自体は不思議ではない。驚くべきは、本作が観客動員1,200万人以上という大ヒットを記録したことだった。光州事件を扱った映画は、数は少ないもののこれまでにもあったが、完成度は別としてどうしても重苦しさが先に立ってしまい、ヒットはしにくいと考えられていたからだ。では本作の大ヒットの要因はなんだったのだろうか? 私見では、本作が「外側からの目線」で光州事件を描いたからではないかと思う。まずは物語から紹介しよう。

≪物語≫

 1980年のソウル。タクシー運転手のマンソプ(ソン・ガンホ)は、あちこちで繰り広げられる学生デモに悪態をつきながら車を走らせていた。ひょんなことからドイツ人記者ピーター(トーマス・クレッチマン)を光州まで乗せる仕事について聞きつけたマンソプは、大金に目がくらみ喜び勇んで向かうものの、光州への道路はなぜか軍人によって遮断されていた。

 検問を逃れ、なんとか光州にたどり着くも、そこにはデモ隊と軍隊が衝突する異様な光景が展開されていた。危ないから引き返そうとするマンソプだが、ピーターはカメラを向けて街を撮影し始める。ピーターと対立しつつも、大学生ジェシク(リュ・ジュンヨル)や光州のタクシー運転手(ユ・ヘジン)と知り合う中で、次第に事の重大さに気づいていくマンソプ。一人家で待つ娘を心配し、一度はソウルへ戻ろうとするマンソプだったが、光州での実態が捏造されて報道されている事実を知り、再び光州へと車を向かわせる。
 物語からもわかるように、マンソプは知識も教養もない一般「庶民」と呼べるような存在であり、当初学生デモにもまったく理解を示していなかった。そんな彼がソウルという「外側」から光州に入り、少しずつ真相に近づきながら権力者の横暴に目を覚ましていく、という作り方そのものが、私を含め多くの韓国人の共感を呼んだのではないだろうか。

 というのも、当時ほとんどの国民は軍事政権の捏造通り、光州事件をアカによる反乱だと信じ切っていたのだ。そして時が流れ、軍事政権が幕を下ろし、徐々に事件の全貌が明らかになるにつれて、外側の人々は軍事政権への怒りと同時に、事件から目をそらしてきた己の愚かさを恥じ、事件の犠牲者に対する罪悪感にさいなまれるようになっていった。いまさら光州事件を自分が語るのは図々しい……そんな複雑な思いを多くの人が抱いていたところに、マンソプが登場したのだ。自分と同じ目線を持つマンソプに感情移入し、事件を目の当たりにして次第に変わっていく彼に自分を重ね合わせる――本作の大ヒットの背景には、多くの韓国人(観客)に共有されていた、歴史をめぐる国民的心情があったと考えられる。

 ではここからは、光州事件についての歴史的な経緯を紹介していこう。光州事件は1980年5月18~27日にかけて、韓国南部の都市・光州で起こった反軍事独裁・民主化闘争運動である。その端緒は、79年10月26日の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の暗殺事件にまで遡る。朴の暗殺をきっかけに全斗煥による軍事クーデターが起こり、それに対する抵抗として光州事件は始まったのだ。

 暗殺から2カ月後の12月12日、全と盧泰愚(ノ・テウ、後に全に続いて大統領になる)らが率いる軍の組織がクーデターを起こして実権を掌握する。18年間にも及んだ朴の独裁政権が終わり、いよいよ韓国にも民主化の春が来ると思われた矢先だったため、社会全体からの反発は大きく、とりわけ大学の春休みが明けた80年4月以降は、大学生や労働者たちのデモが全国に拡大していった。

 全の率いる新軍部は、5月17日に集会の禁止や報道の事前検閲、大学の休校など戒厳令の拡大措置を発令、翌18日には他の大学と同じように、光州の全南(チョンナム)大学でも学生と戒厳軍が対峙したのだが、光州では戒厳軍が突然棒で手当たり次第に殴り始め、学生は次々と連行された。市民らが軍の過剰な暴力に驚き止めに入ると、軍は一般市民に対しても暴力を振るい、こうして市民を巻き込んだ光州事件が始まったのだ。

 19日、市民によるデモが大きくなるにつれ、戒厳軍も兵力を増やし、ついに市民に向けて発砲を開始した。この発砲を命じたのが誰かという問題は、現在でも大きな争点となっている。韓国の憲法に「国軍は、国家の安全保障および国土防衛の神聖なる義務を遂行することを使命とし」(第5条)とあるように、国民を守るはずの軍が主権者である国民に向かって発砲することは、いわば「反逆罪」にあたる。それだけの判断を最前線のいちチ軍人や作戦本部が行うはずもなく、軍のトップだった全が命令を下したことは間違いないものの、全自身が否定し続けているのが現実だ。20日には軍の銃撃に対抗して市民も武装を始め、組織化して軍の撤退や民主化を要求する声明を発表する。しかし軍による統制で孤立状態に陥っていた光州の声が外部に届くことはなかった。

 映画ではピーターが20日に光州に入り、命がけで撮影したフィルムを持って21日に脱出するが、光州ではその後も全羅南道庁を拠点に、市民軍が戒厳軍に対して応戦し続けた。膠着状態を打開しようとした戒厳軍は、大勢の兵力に加えて戦車をも光州に送り込み、ついに27日、道庁で最後まで抵抗した市民軍はほとんどが射殺されて、光州事件は「北朝鮮に煽られたアカによる反乱」として終結した。この日に道庁ではどれだけの市民軍が殺害されたかも正確にはなっていないし、光州事件全体を通じての犠牲者数も不明のままだ。ピーター(実際はユルゲン・ヒンツペーター)が持ち出したフィルムによって事件の映像が報道され、韓国は国際社会から批判されるものの、言論統制によって当時国民が真実に触れることはなかった。

 韓国ではその後も長きにわたって、徹底して事件の真相を捏造する新軍部に対し、真相を究明しようとする闘いが続いた。そしてついに軍事政権の終焉とともに発足した金泳三(キム・ヨンサム)政権下の95年、光州事件を検証するための「5・18特別法」が成立した。光州事件は「5・18民主化運動」と正式に名付けられ、「アカによる反乱」などではなく「戒厳軍の鎮圧に対して、民主主義のために光州の学生・市民らが命をかけて立ち向かった歴史的事件」と定義されて、5月18日は光州民主化運動の国家指定記念日となった。全斗煥と盧泰愚は虐殺の罪を問われてそれぞれ死刑・懲役刑を言い渡され(後に特別赦免)、軍による虐殺を司法が認めたことで、光州の犠牲は無駄ではなかったことが証明された。2011年には、事件の関連史料がユネスコの世界記憶遺産に登録され、犠牲者・遺族への補償や行方不明者の捜索は今もなお続けられている。

 以上が事件の全体像だが、そもそも当時各地でデモが起こっていたにもかかわらず、なぜ光州だけがこのような事態に陥ったのだろうか。その背景には、朴正煕政権時代に作られた根強い「地域差別」が存在している。1963年以来続いていた軍事独裁政権だったが、70年代前半、彼には手ごわい政敵がいた。金大中(キム・デジュン)である。軍事独裁打倒の先頭に立ち、国民からの熱い支持を受けていた金に対抗するため、朴は金をアカに仕立て上げ、金の出身地であった全羅道(光州を含む地方)の連中もアカだという間違った認識を広めていった。「全羅道出身者とは付き合うな」という差別意識は国全体に浸透し、テレビドラマに登場する汚れ役は、多くが全羅道の方言をしゃべっていたものだ。全もまたこの地域差別を利用し、アカたちの反乱を制圧した自分こそが大統領にふさわしいのだと見せつけようとした。光州事件は、政府による統制だけではなく、光州なら起こってもおかしくないという、外側の人々の「やっぱりね!」という誤った認識・偏見が、光州をスケープゴートに仕立ててしまったといえる。

 最後に、映画にまつわる後日談を紹介して終わりにしよう。ピーターのモデルとなったドイツ人記者ヒンツペーター氏は光州事件を世界に知らしめたことを評価され、2003年に韓国の権威ある言論賞を受賞、その時のスピーチでタクシー運転手キム・サボク氏に言及したことが映画製作のきっかけになったことはよく知られている。本作はほとんどが実話に基づいているが、ピーターに偽名を告げ、彼の受賞を街角でそっと見守るマンソプというラストは、作り手の温かな想像力によるものであり、映画の最後では再会がかなわないままヒンツペーター氏が他界した事実が語られていた。

 ところが、映画の公開後にキム・サボク氏の息子と名乗る人物が現れたことによって、サボク氏の消息が明らかになったのだ。息子によると、実際のサボク氏はマンソプのような庶民派運転手ではなく、外国人相手の観光ガイドを専門にしていた「ホテルタクシー」の経営者であり、早くから政治活動に参加、光州にも強い使命感を持って向かった人であることがわかった。そして、光州事件から4年後の84年、すでにがんで亡くなっていたことも。ヒンツペーター氏が必死でサボク氏を探していた時、彼はもうこの世に存在していなかったのだ。

 この報道を聞いて、私は少しばかりがっかりしてしまった。マンソプのようなキャラクターを期待していたのに、実はそんな「エラい」人だったのかと。だがそれと同時に、映画の力を実感したのも事実である。タクシー運転手の正体がわからなかったことで、ソン・ガンホ演じるマンソプが誕生し、彼だったからこそ多くの観客が映画に惹きつけられたのだから。本作が韓国国内に限らず、日本をはじめ外国でもヒットした要因もそこにあるに違いない。本作はこれからも末長く愛されてしかるべき映画だと思う。

『タクシー運転手 約束は海を越えて』
発売元:クロックワークス 販売元:TCエンタテインメント
提供:クロックワークス/博報堂DYミュージック&ピクチャーズ
Blu-ray  5,184円(税込) / DVD 4,104円(税込)

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

K-Popアイドルいま注目のラップ人材、15曲! ソテジワアイドゥルからMCNDまで、韓国ラップ重要まとめ

――毎月リリースされるK-POPの楽曲。それらを楽しみ尽くす“視点”を、さまざまなジャンルのDJを経て現在はK-POPのクラブイベントを主宰するe_e_li_c_a氏がレクチャー。4月にリリースされた曲から[いま聞くべき曲]を紹介します!

今月の1曲 ‖ MCND - 떠(Spring)

 3月に「落選したけど、紹介したい1曲」枠で少し紹介した、TOP MEDIA所属5人組男性グループMCNDの「떠(Spring)」です。今年2月27日にデビューし、3月29日に「ICE AGE」の活動が終わりましたが、2週間もたたずに高速カムバックしました。リパッケージなら理解できる間隔ですが、シングルとして新たにこの曲をリリースし、即座に1カ月程度活動をするというのは前代未聞です。そもそも1月2日にフリーデビューということで、前述リンク先にある「TOP GANG」という曲をリリースし、2週間弱活動していたので、つまり1月からほぼ休みなしです。今これを書くためにスケジュールを整理していて途端に心配になってきました。ちなみにいま現在「떠(Spring)」は11バージョン動画が出ているので、是非Youtubeで検索して見てみて下さい。

 と、ここまで一息で説明しましたが、今回は何の特集かというと、「ラップ」についてです。今更ではありますが、よく知らない方も多いと思うのでラップのルーツや変遷について説明していきたいと思います。

 ちなみに「ラップ」と「Hiphop」は密接に結びついており、これからの説明は「Hiphopのルーツ」と言い換えることもできますが、HiphopはラップやDJ、ブレイクダンスなども含めた文化全般のことを指しているため、今回はラップに焦点を当てて解説していきます。

ラップのルーツとは?

 まず「ラップ(Rapping)」という単語ですが、元々は擬音語でトントン・コツコツのような物音を表します。音楽的な意味では60年代頃にアメリカ東海岸で誰かを説得したり楽しませたりする、ユニークで滑らかな話し方、言葉遊び的な意味でスラングとして使われだしたのが始まりで、そこから転じて「しゃべるような歌」という意味が広がりました。

 次はルーツについてですが、「Griot(グリオ)」と「Dozens(ダズンズ)」の2つがラップのルーツと言われています。ルーツなので、これがラップに直結するわけではありません。

 Griotは13世紀以降、西アフリカのコミュニティーで歴史家、語り手、賛美歌手、詩人、ミュージシャンとさまざまな役割を担ってきた人たちのことを言います。世代を越えたコミュニティーを維持していくために必要な情報を、楽器と共に独特のリズムと掛け声で言葉・歌に乗せてパフォーマンスすることで伝えていました。どこの国・地域でも昔は口承伝承というものがあったかと思いますが、その一つと言えるでしょう。

 Dozensは18世紀頃、アフリカ大陸から奴隷としてアメリカ大陸の主に東海岸に連れてこられたアフリカン・アメリカン(ここでアメリカンとつけるのが正しいかどうかはわかりません)が始めた遊びの一つで、観客がいる中1対1で互いの学力や見た目、経済状況、家族をけなす罵りの言葉を言い合い、一方が感情的になったり手を出すなど、言い返せなくなってしまったら負けというものです。

 当時は奴隷だったアフリカン・アメリカン同士のストレス発散に一役を買っていたと言われており、目的は罵倒や喧嘩をすることではなく、馬鹿にされても怒らない精神力の強さや言葉の表現力を競うことだったそうです。これが現在のフリースタイルラップバトルの原型と言われています。フリースタイルバトルと言えばイメージできる方が多いと思いますが、音楽がかかっていない状態でDozensに近いわかりやすいものを挙げます。

 更に、1960年代前半に盛んだった公民権運動でマルコムXやキング牧師などの演説があったこと、レゲエのToasting(トースティング、祝杯を上げること)という、ビートに合わせてしゃべったり語ったりする行為も、ラップの成り立ちに影響していると言われています。公民権運動を経て、70年代前半にThe Last PoetsやGil Scott-Heronなどはポエトリーリーディングのように音楽に詩を乗せるスタイルを取りました。

1979年、最初のラップ曲がBillboardでTop40入り

 サンプリングの説明をした際にも挙げたKool Herc。彼はジャマイカ出身ですが、親の仕事の関係でNYのサウスブロンクスに引っ越し、Hiphopのビートとなるブレイクビーツを生み出します。

 70年代NYで、はやりのディスコに行くお金のない若者たちは、街角(ブロック)で電柱から電気を拝借してDJ機材を設置し、無料のDJパーティー(ブロックパーティー)を始めます。そこでかかるブレイクビーツに、マイクを取って言葉を乗せる人たちが出てきました。恐らくここはDozensやレゲエのToastingの影響が大きいのではないかと思いますが、言い回しや拍子の取り方に段々と多様性が出てきて、韻を踏むようなことも行われ始めます。

 そうして最初のラップ曲と言われているThe Sugarhill Gangの「Rapper's Delight」が1979年にリリースされ、BillboardのTop40に入ります。

 ここまでが、ざっくりとHiphopの創始の部分となります。ちなみにNetflixの『Hiphop Evolution』というドキュメンタリーがこのあたりをわかりやすく説明しているので興味がある方は見てみて下さい。

 NYのサウスブロンクスから始まったHiphopは東海岸から西海岸に広がり、さらに南部にも波及していき、Jukeのルーツとして紹介したMiam BassやTrapなどにも影響していきます。またHiphopが国を越え浸透し、既存のジャンルとラップが融合しGrimeやReggaetonなどと言った新しいジャンルも生まれます。

 楽曲の雰囲気、歌詞の内容やラップのスタイル、 BPMは年代や地域によってさまざまですが、 80年代半ばから90年代初頭にかけては「Golden age Hiphop」とカテゴライズされるHiphop黄金期で、 BPM85~100ぐらいが主流でした。

 ラップのスタイルとしては下記のSnoop Dogg、Dr.Dre、2Pacなどの「ストレートフォワード」、CommonやLauryn Hillの「ルービックキューブ」、Lil Jonの「チャント」、Twistaの「シンコペートバウンス」などに分けられます。

■Eric B. & Rakim - Paid In Full (1987 NY)

■De La Soul - Me Myself And I (1989 NY)

■A Tribe Called Quest - Check The Rhime (1991 NY)

■Common - Take It EZ (1992 Chicago,Illinois)

■Snoop Dogg - Gin & Juice (1993 California)

■The Notorious B.I.G. - Big Poppa (1994 NY)

■2pac feat Dr.Dre - California Love (1995 California)

■Lauryn Hill - Doo-Wop (1998 NY)

■Lil Jon & The East Side Boyz - Get Low (2002 Atlanta,Georgia)

■Nelly - Hot In Herre (2002 Austin,Texas)

■Eminem - Without Me (2002 Detroit,Michigan)

■Ludacris ft. Shawnna - Stand Up (2003 Atlanta,Georgia)

■T.I. - Rubber Band Man (2003 Atlanta,Georgia)

■Twista - Slow Jamz (2004 Chicago,Illinois)

 HiphopがNYメインだった時期から東海岸、さらには南部に拡がっていく様子が、なんとなくわかりやすそうな曲を選んでみました。

東海岸・南部のHiphop〜現在の主流へ

 2000年代に入るとBPMが少し速くなりますが、アトランタを中心したサザンHiphopからTrapが派生した流れによりBPMは段々と落ち、トラックの音数も少なくなっていきます。

 下記に挙げたものはBPM60~70台です。ラップを聞くとわかるように、BPMが遅くなると1小節4拍(1、2、3、4)が時間的に長くなり余裕が生まれることで、4拍中に123、123、123、123と3連符を取れるようになります。昨今耳にするラップはこの、Trapのラップスタイルがかなり主流になってきていると思います。

■Gucci Mane - Wasted (2009 Atlanta,Georgia)

■Drake - Hotline Bling (2015 Toronto,Canada)

■Migos - Bad and Boujee (2016 Atlanta,Georgia)

 韓国での話に移りましょう。89年に発売された홍서범(ホン・ソボム)の김삿갓(キムサッカッ 金笠)が韓国で初めてのラップ曲と言われています。

 しかし当時韓国にはHiphopという概念自体がなかったため、発売してすぐに放送禁止曲となります。理由は「音程不安」。その後、90年代に入りDEUXやソテジワアイドゥル、ジヌションなどのアーティストを中心にHiphopの文化も含めたラップが浸透していきます。ソテジワアイドゥルのメンバー、ヤン・ヒョンソク(通称:ヤンサ)は言わずもがなYG Entertainmentの元社長です。

■서태지와 아이들(ソテジワアイドゥル) - 난 알아요(ナン アラヨ 私は知ってます)

 94年にデビューしたDJ DOC、98年にデビューしたYG Entertainment所属の1TYMなどがHiphopアイドルの走りと呼べるでしょう。
■DJ DOC - 머피의 법칙(マーフィーの法則) 1995

■1TYM - Hot 뜨거(Hot 熱い) 2003

 現在、K-Popグループには必ずラップ担当という立ち位置がありますが、直接的な理由はわかりません。アイドルの走りでもあるソテジワアイドゥルなどがHiphop路線の楽曲をやっていたことが影響しているのでしょうか。

 90年代から00年代前半にかけての、韓国では第一世代のアイドルと位置付けられる人たちの中に、すでにラップ担当というものがありましたが、ボーカルができないダンス担当メンバーが仕方なくやるパート、という位置付けでした。ただ当時はラップに詳しい聞き手も少なく、スキルなどはそこまで重要視されませんでした。

 そんなYG Entertainmentでしたが、恐らく思惑外だと思うのですがBIGBANGやWinnerなどラップのうまいグループのデビューがあり、他事務所からもBlock Bなど、第一世代のような取ってつけたラップ担当ではなくスキルのある人間がきちんとラップを担当するケースも増えていきます。

K-Popアイドル、注目のラップ人材

 ということでここまで道のりが長かったわけですが、私好みなラップをする人を挙げていきます
■Block B (Zico、パッキョン)

■BTOB (イルン、ミニョク)

■AOA (ジミン)

■Monsta X (ジュホン)

■iKON (B.I、BOBBY)

■NCT127 (テヨン、マーク)

■VICTON (ハンセ)

■THE BOYZ (ソヌ)、(G)I-DLE (ソヨン)

■Stray Kids (バンチャン、チャンビン、ハン)

■D-Crunch (O.V、Dylan、チャニョン)

■ATEEZ (ホンジュン)

■TREI (チャンヒョン)

■WE IN THE ZONE (イスン)

■DKB (イチャン)

■MCND (Castle J、BIC、ウィン)

<落選したけど……紹介したい1曲>
■청하 (CHUNG HA) - Stay Tonight

 チョンハの新曲、Stay Tonightです。サウンドはディープハウス・ベースラインハウス、ダンスはヴォーギング・ワッキングなどが取り入れられ、スタイリングは南アジア意識などさまざまな要素が入り組んでいます。そして一人だからこそできるこの布陣……。最早チョンハ節を確立したと言っても過言ではないでしょう。

<近況>
普段は家と会社を行き来する生活しか送っていませんが、5月8日(金)19時~からTwitchにて、今度はJYP特集のDJをします。前回のSM特集では同時最高視聴数4600人だったようで、反響にびっくりしています。これから準備がんばりますのでお楽しみに!

e_e_li_c_a
1987年生まれ。18歳からDJを始めヒップホップ、ソウル、 ファンク、ジャズ、中東音楽、 タイポップスなどさまざまなジャンルを経て現在K-POPをかけるクラブイベント「Todak Todak」を主催。楽曲的な面白さとアイドルとしての魅力の双方からK-POPを紹介して人気を集める。

Twitter @e_e_li_c_a TodakTodak 
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聴覚・知的障害を持つ子どもたちへの性暴力を描いた韓国映画『トガニ』、社会と法律を変えた作品の強さ

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『トガニ 幼き瞳の告発』

 1本の映画が社会を変えることは可能だろうか――そんな疑問とともに思い出される作品がある。『トガニ 幼き瞳の告発』(ファン・ドンヒョク監督、2011)だ。聴覚・知的障害を持つ子どもたちが通う特別支援学校で実際に起きた、教職員による生徒たちへの性暴力事件を扱った本作は、韓国社会を大きく揺るがし、事件の結末までをも変えてしまったのだった。現在も韓国で、日本で、そして世界で絶え間なく起きている性犯罪だが、この事件はとりわけ「障害を持つ子ども」=自ら声を上げることができない最も弱い立場にある者への性暴力という点で卑劣極まりないものであった。今回のコラムでは、現実に起こった事件の推移と、映画がそれをどう変えたかを紹介していきたい。

≪物語≫

 韓国南部の街・霧津(ムジン)にある聾学校「慈愛学園」に美術教師として赴任したカン・イノ(コン・ユ)は、自分を警戒する生徒たちの態度や、夜中に女子トイレから聞こえる悲鳴など、校内の異様な雰囲気に疑念を抱く。ある日イノは、ヨンドゥ(キム・ヒョンス)、ユリ(チョン・インソ)、ミンス(ペク・スンファン)と彼の弟が、双子である校長と行政室長(チャン・グァンによる二役)、教師らに性的暴力や虐待を受けており、ミンスの弟はそのことが原因で自殺したと知る。イノは彼らを保護し、人権センターで働くソ・ユジン(チョン・ユミ)とともに告発するが、学園と結託した警察や教会団体の妨害に遭ってしまう。

 テレビ報道によってようやく校長らは逮捕され、裁判が行われる中でイノらは決定的な証拠にたどり着くも、司法の悪習によって、加害者たちは執行猶予で釈放される結果に。親が知的障害を持つことにつけ込まれて示談にされ、証言すら許されなかったミンスは、自らの手で復讐すると言い残し、家を出る。イノとユジンはミンスを探し回るが、待っていたのはさらに悲惨な現実だった。

 以上のあらすじを踏まえつつ、実際の事件の概要をまとめていこう。事件は2000~05年に光州市にある「インファ学校」という聾学校と、この学校の寮「インファ園」で起きた(映画の舞台になっているムジンは別の地名だが、霧深い町として有名なムジンは“真実を覆い隠す”という事件の本質のメタファーとして選ばれたのだろう)。校長をはじめ、行政室長(日本の事務局長にあたる)や教師ら計5人は、聴覚障害を持つ9歳と13歳の少女、7歳と9歳の少年、そして知的障害を持つ18歳の女性に対し、5年間にわたりレイプや性的虐待を繰り返していた。この学校は、校長と行政室長が兄弟、学校施設管理室長や寮長はその親族という、韓国独特のいわゆる「族閥経営」だった。この体制の一番の弊害は、血のつながりを最優先するがために、犯罪だろうがなんだろうがグルになって隠そうとするところにあり、彼らは一族で犯罪を繰り返しながら、それを隠し続けてきたのだ。信心深い教育者のツラをして最低な犯罪を続けてきたことに、今更ながら驚愕を禁じ得ない。

 この悪行は、一族ではない心ある教師の内部告発によって警察に通報され、校長らは逮捕される。裁判での厳しい刑の言い渡しが見込まれたが、結果は予想を大きく裏切るものだった。主犯格の校長は懲役2年6カ月に執行猶予3年、行政室長は懲役8カ月、教師3人のうち2人は懲役6カ月、残り1人は時効のため無罪と、あまりにも軽い判決だった。学校側と被害者の保護者との間に示談が成立したこと、それまでの地域社会への貢献が評価されたことなどがその理由だったが、本作にも描かれているように、退任して弁護士になった元検事・元裁判官に初弁護で勝たせてあげるという「前官礼遇」の忖度ゆえではないかと一部では疑われた。

 判決に猛反発した在校生や市民団体が抗議活動を行ったものの、自治体や教育庁など関係機関の態度は消極的で、その間に加害者はちゃっかり学校に復帰していった。内部告発した教師を解雇し、同調した他の教師らも罷免や停職させるなど、盗人猛々しいことこの上ないが、事件の記憶はすぐに忘れられていったのである。

 事件が世間の注目を集めるのは、作家コン・ジヨンによる小説『トガニ』(09)だった。裁判の終結を伝える新聞記事を読んだ彼女は、事件をこのまま闇に葬ってはならないと徹底的に調べ、作品を発表した。正直、小説自体の反響は決して大きくなかったのだが、そこに登場したのが人気俳優のコン・ユである。兵役中に小説を読んで衝撃を受けた彼は、絶対映画化すべきだと自ら本作を企画し、製作にこぎ着けた。そして内容的な問題から年齢制限(R-18)となったにもかかわらず、460万人という観客動員を記録。国民の関心と憤りに火をつけ、韓国社会を変えるきっかけとなったのだ。

 映画を見るとわかるように、本作の展開は決して観客にカタルシスを与えない。犯罪が正しく裁かれず、正義が敗北する裁判結果に私たちは納得できないし、主人公のイノでさえ、子どもたちに寄り添うだけで世界を変えるヒーローにはなれない。そんなすっきりしない結末はいうまでもなく、それがその時点での現実を反映しているからである。子どもたちが実際に感じたに違いない恐怖をわかりやすく提示するホラー映画のような前半と、公権力がいかに信頼できないものかを痛感させる後半は、映画的な快楽と消化不良を併せ持つ。また実際にはそうではないのに校長と行政室長を双子の設定にし、一人の俳優が演じることで、族閥経営である学園の体質を一瞬で観客に悟らせる。派手さを求めるのではなく、作品が伝えるべきことを的確に丁寧に表現した本作は、隠蔽と無関心がもたらした11年時点の現実を忠実に描いたからこそ、観客を動かすことができたのだろう。

 国民を怒らせたのは、弱い存在である子どもたちへの性暴力だけではない。事件の捜査を怠った警察、加害者にあまりにも軽い判決を下した司法など、本来なら子どもたちを守るべき立場の公権力が、むしろ加害者側に立っていた実態だった。事件の再捜査とやり直し裁判を求める声が一気に高まり、デモはもちろん、大統領府への国民の請願は10万人を超えた。国民の行動が尋常ではない様相を見せていることに驚いた国会・政府は、映画公開後わずか2カ月というこれまでにない早さで、当時の李明博(イ・ミョンバク)大統領の指示による再捜査と、障害者や未成年への性暴力の厳罰化を盛り込んだ特例法の成立が実現した。当事者や市民団体からの訴えには無反応だった公権力を、まさに1本の映画が動かし、新しい法律まで作らせたのだ。

 とりわけ裁判の鍵となった「示談」(前述したように、映画では学校側が生徒の保護者の弱みに付け込んで示談に持ち込む様子が描かれる)とは関係なく処罰できるようにしたり、性犯罪の時効をなくして無期懲役も可能にするなど、以前に比べて被害者保護が強化されたこの法律は、本作のタイトルにちなんで「トガニ法」と呼ばれている。(「トガニ(도가니)」とは“るつぼ”を意味し、閉鎖空間に閉じ込められた状況を象徴する表現として使われる。外部との接点を持たない子どもたちが学校に閉じ込められていた状況をうまく言い表している)

 こうして振り出しに戻った裁判では、教師たちに対しては原審が認められたが、行政室長については更なる暴力行為が発覚したため、懲役8年の実刑が言い渡された(なお、校長はすでにがんで死去していた)。学校の運営法人は解散させられ、学校は廃校。現在光州市は学校の跡地に、障害者のための総合福祉施設の建設を進めている。これが、1本の映画が韓国社会に甚大な影響を及ぼし、現実を変えた結末である。

 だが20年のいま、性犯罪の実際はどうなっているだろうか。昨今の「#MeToo」運動が記憶に新しい中、韓国ではつい最近、新型コロナウイルス感染の大混乱さえも忘れさせる衝撃的な事件が発覚した。スマートフォンのチャットアプリを使って“ルーム”を作り、ルームごとに番号を振って女性たちの性的動画や写真を配信する会員制の闇サイトが摘発されたのだ。「n番部屋事件」と呼ばれるこの事件は、被害者の中に未成年の少女が16人も含まれていたこと、それ以上にサイトの会員数が26万人にも上るという事実に、社会全体があぜんとした。26万というおびただしい数の男たちが高額な「入場料」を支払い、騙された少女たちの裸の画像に殺到したのだ。このような性犯罪事件は韓国だけのものではないが、『トガニ』の教訓が社会に生かされていないばかりでなく、そこには女性を男性より下等な存在と見なす、韓国特有の思想と習慣があるように思う。この問題については、今後、別の映画に絡めて取り上げることになるだろう。

 最後に、インド出身の女性文芸評論家、ガヤトリ・C・スピヴァクの言葉を紹介したい。フェミニズムやポストコロニアルの分野で先鋭的な理論を展開するスピヴァクは、植民地支配やジェンダー、階級など、幾重もの抑圧を受ける弱い立場の「サバルタン」と呼ばれる存在が、自らを主張したり異議を唱える「声」すら持つことができない構造を理論化している。そのうえで、彼女はサバルタンたちの「沈黙の声」を世間に聞かせるための「媒介者」の必要性を強調する。媒介者によって「沈黙の声」は世の中に届けられ、社会に変化をもたらす「肉声」になるのだと。

 本作では、言葉を持たない聴覚障害児たちの文字通りの「沈黙の声」を、映画の中ではイノやユジンが、そして現実社会では小説やコン・ユが「媒介者」となって、観客の「肉声」を生み出したといえるだろう。「沈黙の声」に耳を傾ける「媒介者」がより多く存在すること。これこそが、弱き立場の人間が被害者となる性犯罪に立ち向かう方法なのだと、私は思う。

崔盛旭(チェ・ソンウク)

1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正  戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻  スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。