映画『野球少女』で描かれた、韓国初の女性野球選手はいま――物語とは決定的に異なる「悲しい」結末

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『野球少女』

 韓国には、野球、サッカー、バスケットボール、バレーボールと4種目の代表的なプロリーグが存在する。中でも、プロ野球の人気ぶりはほかの追随を許さない。日本やアメリカとたがわず、韓国プロ野球もまた、開幕すればほぼ毎日のように試合が行われ、テレビやインターネット、衛星放送で生中継されるのはもちろん、老若男女幅広くファンを持つ国民的なスポーツだ。

 日本では、野球とサッカーは国を二分する人気スポーツといえるが、韓国では野球がサッカーの3倍の観客動員を誇っている。ワールドカップのようなサッカーの国際試合における韓国人の熱狂ぶりを思うと、国内リーグでの観客数の少なさ、国民の無関心ぶりには驚くばかりだが、ともすると日本以上にスポーツがナショナリズムと結びつきやすい韓国において、プロ野球がいかに韓国人の「日常生活」に浸透しているかを物語っているといえよう。近年では本場のアメリカや日本のプロリーグに進出する選手も増え、韓国プロ野球の実力の底上げを証明している。

 にもかかわらず、上記の4大スポーツの中で唯一「女子プロリーグ」を持たないのが、野球であるということもまた、韓国の現状にほかならない。いや、プロうんぬん以前に、女子野球部のある中学・高校はひとつもなく、女性は“趣味”で野球をやるもの、という先入観が強く根付いている。プロリーグを可能にする土台が皆無であり、そもそも、女子プロ野球選手という発想自体がないのだ。

 もっとも、このような事情を抱えているのは韓国だけではない。野球の宗主国アメリカでさえ現在女子プロ野球は存在しないし、日本は2009年に女子プロ野球機構(JWBL)が発足したものの、昨年「無期限の活動休止」を発表し、事実上消滅している状況だ。観客動員がもたらす莫大な興行収入を前提とするプロリーグの実現には、選手の土台とは別に、どうしても大きなハードルがあるといわざるを得ない。その背景には、国民の間にまん延する「プロ野球=男性の専有物・女性には無理」といった、無意識の固定概念があるのだろう。

 そうだとするならば、プロ野球選手になって大歓声の中グラウンドを走り回りたい、と願う女性はどうすればよいのだろうか? 

 今回取り上げる映画『野球少女』(チェ・ユンテ監督、2019)の冒頭で説明されていたように、韓国野球委員会(KBO)は1996年、所属選手を男性のみに制限していた規則を撤廃し、女性がプロ野球選手になる可能性を一応は開いている。だが現実として、いまだかつて女性プロ野球選手は実現していない。

 かといって、プロに挑戦した女性がまったくいなかったわけではない。「禁女の領域」とまでいわれるプロ野球のマウンドに立つために幾度もトライアウトに参加し、偏見と差別という高い壁に向かってボールを投げ続けた選手がいたのだ。彼女の名はアン・ヒャンミ。韓国で野球選手として公式に登録された最初の女性だ。

 今回のコラムでは、プロ野球選手という夢に向かって真っすぐに走る少女を描いた『野球少女』を取り上げ、監督自ら「モデルにした」と明かしたアン・ヒャンミの野球人生と照らし合わせながら、現実と映画の違いや、映画が伝えようとするメッセージについて考えてみたい。

<物語>
 全国で唯一、高校の野球部に所属する女子選手であり、「天才野球少女」と呼ばれ注目を浴びていたチュ・スイン(イ・ジュヨン)。彼女の夢は高校卒業後、プロ球団に入団して野球を続けることだ。だが、かつてはスインの実力に到底及ばなかった同級生男子が、彼女の身長を追い越し力もつけて、ドラフト指名を受けるまでになる。スインが持つ134キロという最高球速記録も、凡庸な数字にすぎなくなってしまった。

 女子であるという理由だけで入団テストの機会もろくにもらえず、家族や監督からも現実を見るよう諭されるが、スインは諦めずに日々練習に励む。そんなある日、野球部に新しいコーチのジンテ(イ・ジュニョク)がやってくる。最初はまともに取り合わなかったジンテも、めげないスインの姿に徐々に心を動かされ、“球の回転数が多い”というスインの長所を伸ばした指導を行った結果、やがて大きなチャンスが訪れるのだが……。

 本作に対しては、「女性の能力に限界がないことが証明された」「わが娘にも見せたい」といった好意的なレビューが多く、ひたむきなスインが「ガラスの天井」を打ち破っていく姿に共感し、多くの観客が拍手を送ったことがわかる。だが一方で、「ジェンダー平等」や「フェミニズム」の文脈から映画を見た場合、スポーツ競技において男女が同じ土俵で競い合うことへの疑問や、“女が男に勝つ・女が男になろうとする”というフェミニズムの誤った理解に結びつくことの危険性を感じないわけではなかった。

 「女だから無理」という周囲の無理解と闘うスインと、幼い頃は自分のほうがはるかに優れていたにもかかわらず、成長の過程で男性に追い抜かれるという、野球の能力ではない生物学上の理由によって苦しむスインを、同じ問題として捉えるべきではないと思うからだ。

 だが、本作の真のメッセージはそうではない。映画では、スインが自分の最大の武器として変化球の「ナックル」を磨き、弱点が最大の長所に変化していく過程を描くことで、力がすべてではないことを証明してみせ、それがスインの未来を切り開いていくことになる。

 つまりチェ監督も述べているように、本作の核となるのは、スインによって象徴される「弱者・マイノリティー」が何かに挑戦することを肯定し、周囲もまた彼らの挑戦を諦めさせるのではなく、後押しできるような社会の取り組みが必要であると訴えることだ。

 では翻って、モデルとなったアン・ヒャンミの現実はどうだったのだろうか? 1981年生まれのヒャンミは、弟の通う野球教室に遊びに行ったことがきっかけとなり、小学校5年生で野球を始めた。弟が教室をやめてもヒャンミはどんどん野球の魅力に取りつかれていったが、野球部があるのは男子中学ばかり。それに韓国では、私立を除き、家から近い学校順に、抽選で行き先を決められるため、仕方なくヒャンミは女子中学に入学した。

 しかし、野球教室の監督の計らいにより、野球部のある男女共学中学に転校がかなう。そして性別欄に「女」と書いた初めての野球選手としてソウル市の野球協会に正式登録され、その存在は当時のメディアにも大きく取り上げられたため、ヒャンミはたちまち時の人となった。

 中学では主力選手にはなれず、主にベンチ要員として試合に出場。それでも練習だけは誰にも負けない熱心さで、監督からも「根性のある選手」と褒められた。だが、問題は高校進学。男女一緒に活動できる野球部は数えるほどで、「身体的能力の差」を理由に入部を断られるなど、ヒャンミを受け入れてくれる高校の野球部はなかった。

 それでもヒャンミの野球に対する情熱は消えず、ソウル市の教育庁を動かした。彼女が高校の野球部に進学できるよう教育庁が「体育特技生」に認定し、高校側もそれを受け入れたため、今度は初の高校野球女子選手が誕生したのだ。

 映画の中で、校長室の壁に掛けられた新聞記事が「20年ぶりに高校野球女子選手誕生」というスインのものから、プロ入団が決まった男子選手のものに替えられる場面があるが、この20年前に誕生した女子選手というのが、実際にはヒャンミである。20年という歳月を経てもなお、女性を取り巻く野球環境の厳しさが変わっていないことを物語る場面といえるだろう。

 また、作中でも合宿先の部屋割りやロッカールームの問題、監督や部員からの嫌がらせなど、野球を続けてきたスインの苦しみが語られるが、ヒャンミも同じように練習から排除されたり、試合当日にバスに乗せてもらえず取り残されたこともあったという。「野球部に女がいることが許せない」という監督のパワハラが問題となり、ヒャンミの父親が訴えて辞職させるという事態にまで発展したりもした。

 そんな苦難を乗り越えて、ヒャンミは3年生で全国大会を迎える。準決勝まで進んだチームの大事な大一番で、ヒャンミは先発投手として初めてマウンドに上がり、打者1人と対戦した。当時、大学に進学して野球部に所属するためには、高校時代に必ず一度は公式戦に出場しなければならない、という規則があったからこその登板だが、ヒャンミにとってそれは、何ものにも代えがたい喜びとなった。

 全国大会を終え、まだまだ野球を続けるために、ヒャンミは野球部のある大学の門を片っ端から叩いた。しかし、「女性1人のためにシャワー室やロッカールームを作ることはできない」と、すべての大学から受け入れを断られた。次にプロ球団のトライアウトに何度も挑戦したが、結果はすべて不合格。国内のあらゆる可能性を模索し断念したヒャンミが、次に選んだ場所は「日本」だった。

 全日本女子軟式野球連盟所属の「ドリームウィングス」というチームに入り、02年から3年間、投手や三塁手として活躍したヒャンミ。帰国後、自らチームを立ち上げ、日本で学んだことを生かして韓国女子野球の活性化のため孤軍奮闘した。だがチーム運営に苦労し、メンバー同士のトラブルなどもあって野球を諦め、オーストラリアへの移住を決意。21年時点で、ヒャンミは食肉生産会社の販売店マネジャーとして、野球とは無縁の生活を送っている。

 『野球少女』の公開とともに、ヒャンミも再び脚光を浴びることとなり、多くのインタビュー記事に登場した。映画の感想を聞かれたヒャンミは「面白かったけど、悲しかった」と答えている。孤立した環境の中でも野球を続けたいと願うスインとヒャンミは多くの面で重なるものがあるが、結果的にプロにはなれなかったヒャンミと、トライアウトの結果プロの夢がかなったスインでは、決定的に結末が異なっている。映画を見たヒャンミは、「プロの夢」をかなえられなかった現実の自分を再び突きつけられてしまったかもしれない。

 だが、未来的な視点に立つならば、こうして映画が「ファンタジー」を描くことは、第二、第三のヒャンミたちの希望となり、彼女たちがスインになれる可能性を広げてくれるように思う。現実社会からは生まれない発想を映画がファンタジーとして描くことで、逆にそれが現実になり得る。それは「映画」が持つ力でもある。

 1905年、アメリカ人宣教師によって韓国に初めて野球が紹介されてから、軍事政権下で国民の目を政治からそらす目的もあって、全斗煥(チョン・ドファン)がプロ野球を発足させたのが82年。極めてのろのろとした歩みではあるが、韓国野球界も今日まで発展を遂げてきた。

 次なる目標が、現在のシステム内での女子選手の活躍なのか、女子プロ野球リーグの設立なのか、正直私にはわからない。だが、女性であれ男性であれ、トランスジェンダーであれ障がい者であれ、はたまた金持ちだろうと貧乏だろうと、誰でもやりたいことに挑戦でき、それを受け入れて応援する人々の姿は、社会が目指すスポーツの最も健全なあり方であることに変わりないだろう。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

韓国映画『バッカス・レディ』4つのセリフが示す、韓国現代史の負の側面を背負う高齢売春婦の悲しすぎる人生

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『バッカス・レディ』

 ミスク(ユン・ヨジョン)は1950年、朝鮮戦争が始まる1週間前に生まれた。戦争についての記憶はないが、それが残した悲惨さだけは、身に染みるほど経験しながら成長した。彼女の故郷は韓国にはない。戦争勃発後、両親が南北軍事境界線(=北緯38度線)以北から南へ避難してきたためだ。南には親戚も友人もいない両親が、戦後の混乱の中で流れ着いたのは、北からの避難民たちが集まる貧民街、解放村(ヘバンチョン)だった。

 避難民たちは「38따라지(サムパルタラジ)」と呼ばれ、冷遇・差別されて、北の出身という理由で厳しく監視もされた。幼いミスクにとって、サムパルタラジとは戦争以外の何物でもなかった。そんな状況の中でも、両親は生き延びるため昼も夜もあくせく働いたが、貧困はあまりにも重い足かせだった。

 その足かせからは、ミスクも自由ではなかった。いやむしろ、それは分厚い壁となってミスクの人生に立ちはだかった。中学を卒業した彼女は、同じ境遇の多くの少女たちがそうであったように進学を諦め、「식모살이(シクモサリ、食母暮らし)」を始めた。

 貧しい家の少女が、経済的に余裕のある家に預かってもらう代わりに、無給で家事を手伝う――シクモ(食母)とはそんな存在だった。食べさせてもらうだけでも感謝しろということだ。ご飯の支度、洗濯、掃除から夜の戸締まりまで、終わらない家事に明け暮れる毎日が何年続いただろうか。だが、ミスクの家は一向に楽にならなかった。口を減らすだけではだめだ、金を稼がなければ意味がない。ミスクはシクモサリを辞める決心をした。

 新聞広告を見たミスクが訪れたのは、ソウルの清渓川(チョンゲチョン)にある小さな「工場」だった。子どもたちの縫いぐるみを作るその工場で、ミシンかけの仕事が彼女に与えられた。仕事は単純だったが、朝から晩まで、ときには徹夜で、ほとんど休憩もなく彼女はミシンをかけ続けなければならなかった。

 地下のミシン室は狭く、換気もできずにほこりにまみれていた。何度か喀血し倒れたこともあったが、ミスクは粘り強く耐えた。「給料が欲しければ働け!」と怒鳴る社長の声が耳に刺さる。「このままでは死んでしまう!」とミスクは叫びたかった。あまりにも理不尽な境遇だったが、そう思うたびに目に浮かぶのは両親の顔だった。自分が倒れれば両親は生きていけない。我慢を重ねたミスクの体は日に日に衰弱していった。そんなある日、彼女のもとにある誘いが舞い込んだ。1970年、ミスクがちょうど20歳を迎える年だった。

 それは、お国のために米軍を慰安する仕事、「米軍慰安婦」への誘いだった。工場の前で、若い女性に声をかける男をニュースや新聞で見たことがあった。当時新聞では「(北の)人民軍から韓国を守ってくれている米軍兵士の心身を癒やすことこそ愛国である」と「政府も奨励」しており、慰安婦たちは「外交官のような存在」だと持ち上げられていたが、ミスクはそんなことはどうでもよかった。実際世間では양공주(ヤンゴンジュ、洋公主)と蔑まれていることは百も承知だったが、お金が必要なミスクに、この誘いを断ることは到底無理だった。

 報酬はドルでもらえて、工場で働くより何倍も稼げるというのは、どんな言葉より魅力的だったのだ。数日後、工場を辞めた彼女は、男と一緒に「동두천(ドンドゥチョン、東豆川)」行きのバスに乗った。京畿道北部にある東豆川は、米軍基地と周りを囲む基地村(キジチョン)で知られた町だ。ミスクは、○○クラブという看板の掛かった古いアパートの一室に案内された。廊下にはすでに何人もの米軍兵士が彼女を待っていた。

 こうしてミスクは「ソヨン(So-young)」になった。まだ年若い彼女につけられたニックネームだった。米軍兵士相手の売春がどんなにつらくとも、それでお金を稼いで家族が幸せになれるのなら我慢できるとミスクは思っていた。だが、いくら働いてもお金はたまらなかった。収入のほとんどが、米軍兵士のあっせん料や家賃、食事代などの名目で「パパ」と呼ばれる男に奪われ、いつしか借金ばかりが膨らんでいった。

 ミスクが基地村にいることを知られて以来、両親との連絡も途絶えてしまった。彼女の居場所はもう基地村にしかなかった。絶望して自暴自棄になったこともあったが、ミスクには、ソヨンとして基地村で生き続ける以外に選択肢はなかった。

 それからどれほどの歳月が流れただろうか。60歳を過ぎたミスクに、もはや米軍兵士の慰安はできない。「ソヨン」を求める米軍兵士は10年も前からいなかった。それでもミスクは残りの借金返済のため、若い米軍慰安婦たちの世話役に回り、掃除や洗濯に精を出した。そして返済が終わった今、ようやくミスクは基地村を離れる時が来たと思ったのだ。

 バスターミナルに向かうミスクは、悪夢のような日々の中で、つかの間に味わった幸せを思い出していた。かつて、「スティーブ」という黒人兵士と恋に落ち、2人は子どもを授かった。必ずミスクと子どもを呼ぶからね、と約束を交わして帰国したスティーブだったが、その約束が果たされることはなかった。

 スティーブと愛し合い、これまでの苦労が一気に報われるような幸せを感じていたミスクに、さらに過酷な現実が待っていた。赤ん坊を抱えたままでは仕事にならないので、やむを得ず子どもを海外養子縁組に出した。ミスクはずっと、赤ん坊を捨てた悪い母親だと自分を責めながら生きなければならなかった。心の片隅ではスティーブからの便りを待っていたが、連絡が来ることはなかった。それでもミスクは、自分の人生はそう悪いものでもなかったと思う。米軍兵士に殺された慰安婦は数知れず、死には至らなくても殴られ、蹴られるという暴力は日常茶飯事だったからだ。

 ソウルに出てきたものの、ミスクにできる仕事などほとんどなかった。生まれながらの貧困が、今もなおミスクを苦しめていた。食堂の手伝いなどで辛うじて生計を立てていたある日、ミスクは妙なうわさを耳にした。鍾路(チョンノ)にあるタプコル公園に、老人男性相手に売春をする「박카스 할머니(バッカス・ハルモニ、バッカスおばあさん)」がいるといううわさだ。己の年齢を考えて何度もためらったが、覚悟を決めてコンビニでバッカス(日本でいう「リポビタンD」のような栄養ドリンク)を何本か買うと、ミスクは鍾路へと向かった――。

 以上は、高齢者の売春や貧困問題をテーマにした『バッカス・レディ』(イ・ジェヨン監督、2016)を見て、映画に登場するいくつかの手がかりをもとに、当時の韓国社会と照らし合わせつつユン・ヨジョン演じるミスクのそれまでの人生を描写したものだ。

 あくまで私の想像を小説の形式を借りて書いたにすぎないが、本作を見て真っ先に私の頭に浮かんだのは、ソヨン(本名はミスク)の存在が持つ悲しい歴史の文脈だった。映画の冒頭でバッカス・ハルモニとなって公園にたたずむ彼女が、どんな人生を歩んで、なぜそこに立っているのか、「何が彼女をそうさせたのか」を理解する必要があると思ったのだ。今回のコラムでは、ソヨン(ミスク)の人生を通して、本作の意味を考えてみたい。

<物語> 
 鍾路一帯で老人男性を相手に売春をして生活している67歳の「バッカスおばあさん」のソヨン。客の間では“セックスのうまい女”として、鍾路一の人気を誇っている。性病の治療のために訪れた病院で偶然出会った混血児の少年ミノ(チェ・ヒョンジュン)を保護したソヨンは、トランスジェンダーの大家・ティナ(アン・アジュ)や義足の青年ドフン(ユン・ゲサン)らが暮らすアパートにミノを連れ帰る。

 ある日ソヨンは、脳梗塞で倒れた常連のソン(パク・ギュチェ)から「自分を殺してほしい」と依頼される。かつての凛々しさを失い、家族からも見捨てられたソンへの憐憫に駆られたソヨンは、迷いつつもソンの頼みを受け入れる。これをきっかけに、ソヨンには同じような依頼が相次ぎ、彼女は戸惑いながらも彼らの死に手を貸すようになる……。

 物語からもわかるように、本作は高齢者問題のみならず、トランスジェンダーや障がい者、混血児といった社会的弱者を中心に置き、「弱者が弱者を助ける」構図を見せることで、逆にそこに福祉や人権が不在・欠如していることを可視化した。本作はほかにも、韓国社会が抱えるさまざまな問題を含んでいる。その詳細を見ていこう。

 ソヨンの過去が推測できる手がかりとして、劇中には4つのセリフが登場する。出てくる順は前後するが、「38따라지(サムパルタラジ)」-「식모살이(シクモサリ、食母暮らし)」-「工場」-「동두천(ドンドゥチョン、東豆川)」の4つだ。ソヨンが自らの過去を語ることはほとんどないが、言葉少なに彼女が口にするこれらの単語だけで、韓国人ならば彼女が「差別と蔑視、貧困」の中で生きてきたことに気づくだろう。

 映画の中盤で、鍾路を追われたソヨンは、新たな立ち場所を求めてソウルの公園をさまよう。そこで本名の「ミスク」と呼びかけられたソヨンは、かつての知り合いと再会し、観客はソヨンが「ドンドゥチョン」という基地村の「米軍慰安婦」だったと知ることになる。そして、恋人だった米軍兵士のスティーブに捨てられ、彼との間に生まれた子どもを海外養子縁組に出したことも。さらに、バッカス・ハルモニの取材をするドキュメンタリー監督に請われて、しぶしぶソヨンは、「シクモサリ」や「工場」で働いた後に米軍慰安婦になったと語る。

 そして終盤、ソヨンはミノ、ティナ、ドフンを誘って遠出をする。そこは38度線近くの臨津閣(イムジンカク)だ。ティナの「お姉さんはサムパルタラジだったのよね?(字幕では「38度線を越えた?」)」との問いかけに対し、ソヨンは遠い目で「その言葉を久しぶりに聞いた」と話す。最後に刑務所で彼女の生涯が終わったとき、朝鮮戦争が勃発した1950年から2017年までを生き、無縁仏となったソヨンの人生の全貌が観客に理解されるのだ。

 コラムの冒頭に書いたソヨンの人生は、こうした手がかりに基づいて想像力を働かせたものだ。さらに、60年代後半、仕事を求めて地方から上京する少女が激増し、「食母」「工場」「バスの車掌」が三大職業だったという社会状況や、町工場が集中していたソウルのチョンゲチョンで、劣悪な労働環境にデモが多発し、70年には活動家のチョン・テイルが抗議の焼身自殺を遂げたといった歴史も加味している。だがその中でも、「米軍慰安婦」についてはもう少し説明を加えておきたい。

 「米軍慰安婦」という言葉自体は、朝鮮戦争直後から新聞の見出しに登場するが、公式的な行政用語として浮上するのは、朴正煕(パク・チョンヒ)軍事政権下でのこと、きっかけは69年の「ニクソン・ドクトリン」であった。当時の米大統領ニクソンが発表したアジア防衛の新政策に、韓国からの米軍撤収が含まれていたのに慌てたパク政権は、米軍の撤収を止めるために躍起になった。そこで米軍側の要請に従い、「基地村の環境改善」と「米軍慰安婦たちの性病予防の徹底」を実践したのである。

 「基地村浄化運動」(1971〜76)と称して、全国の基地村に性病診療所を設置。定期的な検査を実施したほか、英語やアメリカ文化に関する教育を行い、米軍兵士に対してより丁寧な接待のできる「米軍慰安婦」を養成した。さらに、地域の市長や警察署長が頻繁に訪れて、「あなたたちこそ愛国者だ」と慰安婦たちを激励した。法律では売春を禁じていたにもかかわらず、米軍慰安婦に関しては法律を無視して政策として積極的に推し進めるという矛盾を、パク政権は躊躇なく実践し、守るべき自国の女性を惜しむことなくアメリカに差し出し続けたのだ。

 だが実際、米軍慰安婦がメディアの話題になったのは、「お国のために献身する愛国者」としてではなく、米軍兵士によって惨殺された「被害者」としてであった(米軍兵士による慰安婦殺害事件に関しては、コラム『グエムル 漢江の怪物』を参照)。

 2000年には、耳の不自由な68歳の元慰安婦が、米軍兵士と部屋に入った後に凄惨な遺体で発見されるという痛ましい事件も起きている。散々体をもてあそばれた挙げ句に、あっけなく殺され捨てられる道具としての慰安婦を生んだのは、韓国という「お国」であり、女性を性的客体として位置付けてきた韓国の「男性中心主義」にほかならない。「サムパルタラジ」から「シクモ」へ、そして「ソヨン」から「バッカス・ハルモニ」へと、ミスクがミスクであることが一度としてなかったのは、その象徴であると言えよう。

 このように考えると、ソヨン=ミスクが、老い衰えてプライドを失った男たちを、彼らの望み通りに「殺してやる」のは、彼女の人生を絶えず踏みにじってきた「男性(中心社会)」への彼女なりの復讐ではないかと思えてならないのだ。

 脳梗塞で倒れて体が思い通りにならないから殺してくれだと? 物忘れがひどくなったから死にたいだと? 妻が先立って寂しいからあの世に行きたいだと? ふざけるな! 私の人生に比べれば、おまえたちはどれほど幸せな人生を送ってきたことか。わかるか? おまえたちにはわからないだろう。こんなことくらいで死にたいだの、殺してくれだの、あきれて物が言えないよ。どこまでもバカな男たち、だったらいくらでも殺してやろうじゃないか。

 心優しいミスクだが、その奥には、こんな無意識が渦巻いていたのではないだろうか。韓国現代史の陰で常に犠牲を強いられてきたミスクには、男たちの死への願望は、「贅沢な甘え」としか映らなかったに違いない。

 ちなみに、90年代後半、戦時中に日本の従軍慰安婦だった女性が初めて名乗りを上げて以来、韓国にとって「慰安婦」は日本との歴史問題にとって極めて重要な存在となり、神聖化されることになる。そして、韓国がアメリカのために法を犯してまで用意した「米軍慰安婦」はあらゆる意味で邪魔とされ、その名は抹殺された(※)。ミスクのような存在は、最後までお国の都合でもてあそばれたのだ。

※2010年代に「基地村浄化運動」に関する資料が公開され、歴史に埋もれてきた問題として浮上した。また、14年に元慰安婦たちが国家賠償訴訟を起こし、2審では初めて国家の責任を認める判決が出た。しかし、現在も最高裁で係争中。その後、元慰安婦たちの名誉回復と生活支援の救済法が発議されたが、進展がない。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

人気の韓国映画『7番房の奇跡』、時代設定が「1997年」だった知られざる理由

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『7番房の奇跡』

 韓国でよく使われる言い回しのひとつに、「세상에 이런 법은 없다(セサンエ・イロン・ポブン・オプタ、世の中にこんな法はない)」というものがある。例えば濡れ衣を着せられたときや納得し難い状況に直面したときに、「こんな理不尽なことを許す“法”が世の中にあるわけがない!」と悔しさや理不尽さを強調するための表現だ。これがいつからどのように使われるようになったかは特定できなかったが、ある韓国の歴史からその背景を探ることは可能かもしれない。それは、法の名の下で不当な判決を繰り返し、「冤罪」の犠牲者を数多く生み出してきた、韓国の司法における負の歴史である。

 帝王的独裁を敷いた初代大統領のイ・スンマンから、最も長く政権を維持したパク・チョンヒ、光州事件を首謀した罪を最後まで否認したまま昨年亡くなったチョン・ドファンとその後継者ノ・テウまで、韓国で長く続いた軍事独裁時代には、権力者の命令が法に優先して扱われ、彼らの意向に合わせて法が利用されていた。『弁護人』『1987 ある闘いの真実』『チスル』『殺人の追憶』などのコラムで言及してきたように、警察・検察の拷問による虚偽自白や証拠捏造、それに対する司法の黙認、法ではなく権力に従った判決など、当時の政治・社会的構造そのものが冤罪とその被害者を作り出してきたのだ。

 受け入れがたい不当な判決を受けるたびに、被害者や遺族をはじめ多くの国民は、「世の中にこんな法があるはずない!」と憤慨してきただろう。そしてそれがいつの間にかひとつの言い回しとなって定着していったのではないだろうか。少なくとも法の執行において、司法が法に基づいた公正な判断ではなく、権力者の顔色を判決の尺度にしてきた歴史があることは事実だ。

 今回のコラムでは、ファンタジーを交えながら冤罪を描いた『7番房の奇跡』(イ・ファンギョン監督、2012)を取り上げ、映画の基になったという実話や、「韓国史上最悪」と言われる裁判について紹介したい。死刑制度そのものは残っているものの、刑の執行は停止されて事実上死刑が廃止されている韓国の現状が、どのようにもたらされたかを知るヒントにもなるだろう。

<物語> 
 1997年、知的障害を持つイ・ヨング(リュ・スンリョン)は、幼い娘イェスン(カル・ソウォン)と2人暮らし。駐車誘導の仕事に就いているヨングは、イェスンが欲しがっていたランドセルを買うためにお金を貯めていたが、店にあった最後のひとつが売れてしまい、がっかりする。数日後、最後のランドセルを買った少女が、同じものを売っている店まで案内してくれるというのでついていくが、路地でヨングは転んでしまい、ようやく追いつくと、少女はなぜか倒れて死んでいた。訳がわからず、警備の仕事で教わった救命措置を施すヨングだったが、その様子が逆に怪しまれ、彼は誘拐と殺人の罪で逮捕されてしまう。

 収監された刑務所の7番房の面々にいじめられるヨングだったが、ケンカに巻き込まれた房長(オ・ダルス)を自分の命を顧みずに助けたことで信頼を得る。恩義を感じた房長は、娘に会いたがっているヨングのため、聖歌隊の慰問を利用してイェスンを7番房に招き入れる。再会に歓喜する父娘の姿に、7番房のメンバーもヨングの無実を信じるが、アクシデントから帰りそびれたイェスンは、密かに7番房で一緒に生活することに……。

 一方、自身もヨングに命を救われた刑務所課長(チョン・ジニョン)は、ヨングの罪に疑問を持ち、事件を調べ始める。そして亡くなった少女が警察庁長官の娘で、なんとしても犯人逮捕しなければならなかった警察の強引な捜査によってヨングが犯人にされてしまったことがわかると、刑務所総出でヨングに証言を練習させて裁判に備える。しかし迎えた公判でのヨングの証言は、練習とはまったく異なるものだった……。

 知的障害を持つ社会的弱者が、権力によって殺人犯に仕立て上げられ、娘を守るために自らを犠牲にする――泣かせる映画の典型ともいえる本作は、「お涙頂戴作」「感動を強制してくる」といった批判が少なからずあったものの、1,280万人という驚きの観客動員を記録。韓国映画の歴代興行ランキングでも8位(映画振興委員会統計)と大ヒットを飛ばした。前回のコラムで取り上げた『エクストリーム・ジョブ』でうだつの上がらないコ班長を演じたリュ・スンリョンが、一躍スターとなった作品でもある。

 本作で描かれる純粋な親子の愛情、刑務所内の友情が万人に受け、観客は泣いたり笑ったりしながら物語に共感したことは間違いないが、それ以上に、この映画が「死刑と冤罪」を描いている点、そして悲劇的な結末を迎えるこの物語が「実話」に基づいている点を見逃してはならない。

 本作の基になった事件とは、1972年、春川(チュンチョン)で起こった「春川女児レイプ殺人事件」である。貸本屋にテレビを見に行く(テレビの普及率が低かった当時は、お金を取ってテレビを見せる貸本屋が多くあった)と家を出た10歳の少女が何者かに誘拐、レイプされて殺されたのだ。幼い子どもに対する残忍な犯行ゆえ、社会を震撼させたこの事件は、さらに被害者が警察署長の娘だったこともあって、警察は犯人逮捕に総力を挙げた。そして難航する捜査に激怒した当時の大統領パク・チョンヒは、警察の家族が殺される=国家権力がなめられたことになると叱咤し、10日以内の犯人逮捕を厳命したのだ。

 軍事独裁政権下、絶対的であったパクの命令に追い詰められた警察がとった手段は、犯人を「捕まえる」のではなく「作る」ことだった。証拠や目撃者を「捏造」した警察は、満を持して貸本屋の店主、チョン・ウォンソプを犯人として逮捕、彼が犯行のすべてを自白したと発表した。その後の裁判でチョンは、「自白は拷問によるものであり、警察が証拠として提出した。血液は自分とは血液型が異なる」と無実を主張したが、それらは徹底的に無視された挙げ句、無期懲役の判決が言い渡されたのである。

 犯人逮捕後の過程で、警察、検察、裁判官たちの眼中に「法の下で保護されるべき人権」はみじんもなかった。彼らの目に映るのは、パクの「顔色」のみだったのだ。チョンは15年の服役後、模範囚として仮釈放された。彼は己の無実を証明しようと何度も再審請求をしたが、その都度退けられた。2007年「真実・和解のための過去史整理委員会(過去史委)」が再調査に乗り出し、裁判所に再審を勧告してやっとやり直し裁判が認められて、もちろん「無罪」の判決が下された(「過去史委」についてはコラム『KCIA 南山の部長たち』を参照)。

 だが、殺人犯のレッテルを貼られ、本人のみならず家族までもが社会からの厳しい非難と差別の中で生きなければならなかった歳月と、踏みにじられた人生は二度と取り戻せない。真犯人は明らかにならないままであり、権力の手下になった司法が招いた悲劇として記憶されている事件である。

 映画は、物語の大枠においては実際の事件を下敷きに用いているが、最終的な判決は無期懲役から「死刑」に変更している。それによって悲劇的な効果が高まり、観客の涙を誘っているわけだが、そこにはもうひとつ、死刑制度のあり方を問いかけるメッセージが込められていると考えられる。なぜなら、物語の時代設定が「1997年」であるからだ。

 韓国では97年を最後に死刑の執行が停止されており、国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」からも「実質的死刑制度のない国」と分類されている。民主化が進んだ90年代後半、この事件のような冤罪による被害、中でも人の命を奪う「死刑」(特に軍事独裁時代は、権力の暴走による理不尽な死刑が多発した)をめぐっては慎重になるべきだという議論が高まって以来、死刑廃止の賛否について、いまだ世論が対立している状態である。

 こうした議論は、パク政権時代に実際に死刑宣告を受けたキム・デジュン元大統領が、在任中に死刑廃止を主張してから始まったとされている。そして廃止論者がその根拠として言及する代表的な裁判が、「司法殺人」の代名詞ともなっている「人民革命党事件」である。略して人革党事件とも呼ばれるこの出来事は、64年と74年にKCIAが「北(北朝鮮)のスパイ」と罪を捏造したことで無実の人々が死刑になったという、独裁政権の最も悪らつで汚い手口が露呈した事件だ。

 64年といえば、翌年結ばれることになる日韓基本条約の締結に反対する学生デモが、連日全国各地で繰り広げられていた。それに対してパク政権が非常戒厳令を敷き、大々的な鎮圧に乗り出すと、KCIAはデモの混乱に紛れて「北の指令を受けて人民革命党を組織し、国家をかく乱しようとしたアカ(共産党員)たちを検挙した」と発表。ジャーナリストや大学教授、学生らを拷問し、彼らが存在すらしない「人民革命党」の党員で、国家の転覆を企んだと自白させたのだ。あからさまな捏造と凄まじい拷問に、さすがの検察も起訴を断念しようとしたが、KCIAは逆らうことのできない相手であり、良心にさいなまれた担当検事は4人中3人が自ら辞職する結果となった。

 その後、捏造の疑惑と拷問に社会は強く反発。結局「捏造された主犯」たちは懲役1~3年の実刑判決を受けたが、そうでなければ間違いなく死刑になっていたことだろう。だがこれは序の口にすぎなかった。それから10年後、韓国史上最悪と言われる2回目の人民革命党事件、いわゆる人民革命党再建委員会事件の裁判が彼らを待っていたのだ。

 72年、永久独裁をもくろんだパクが、憲法まで改悪して「維新体制」を宣言する(維新体制についてはコラム『1987 ある闘いの真実』を参照)。

 三権分立などお構いなしですべての国家権力を一人の独裁者に集中させた維新体制は、国民の自由と民主主義を踏みにじる前近代的なものだと当初から反発は大きく、中でも大規模な学生デモは独裁政権にとって何よりの「脅威」だった。どんな手を使ってでも抑え込みたかったKCIAは74年、またしても「学生デモを背後で操っているのは北のスパイ」とのでっち上げを発表した。そして、KCIAの筋書きに合わせて、10年前に「人民革命党党員」と決めつけれた被害者たちを含む新たな「北のスパイ」が引きずり出されたのである。

 かつて「人民革命党党員」に仕立て上げられた被害者たちは、10年の時を経て、今度は党を再建し、学生デモを背後で操り国家転覆を狙ったとして、再びKCIAによって「北のスパイ」の汚名を着せられることとなったわけだ。裁判では事件の「主犯」と名指しされた8人に死刑が言い渡され、当然上告したが、大法院(最高裁判所)が棄却し、刑が確定。

 そして信じがたいことに、刑の確定からわずか18時間後の75年4月9日に死刑が執行され、無実の8人の尊い命が奪われたのである。驚くべき速さでの死刑執行は、家族にすら知らされなかったという。独裁者に逆らえばこうなるという見せしめのような仕打ちであった。

 あまりに短時間のうちに行われた独裁政権の蛮行は、国内外からおびただしい非難を招いた。アムネスティ・インターナショナルは抗議声明を出し、国際法律家委員会(ICJ)はこの死刑を「司法殺人」と非難、執行日の4月9日を「司法暗黒の日」と宣言するに至った。人民革命党事件をめぐる裁判と判決は、韓国の消えない汚点として、世界に記憶されることになったのである。

 この事件はその後、2000年に当時のキム・デジュン政権が立ち上げた「疑問視真相究明委員会」(前述の「過去史委」はノ・ムヒョン時代の名称で、両者は同じような位置づけ)が再調査によって、捏造による冤罪事件であることを発表、犠牲者たちの再審が行われ、07年、8人は無罪となった。その死から30年以上がたって彼らの名誉は回復されたが、権力のスケープゴートにされて奪われた命を思うと、そのむなしさが晴れることはない。

 このように、冤罪と死刑をめぐる2つの歴史的事件の教訓として、韓国では97年以来、死刑執行が停止されている。映画『7番房の奇跡』は、刑務所を舞台に父と娘のあり得ない奇跡が展開するファンタジーではあるが、最終的に「死刑の執行」が2人に決定的な別れをもたらし、成長した娘は自分自身で父親の名誉を取り戻す。そこには、韓国の悲しい歴史とその転換点となった「1997年」という数字がしっかりと埋め込まれており、作り手たちの強い気持ちを見いだすことができる。

 映画の終盤、刑務所内で仲間が作った気球に乗り込んだヨングとイェスンは、そのままフワフワと空高く舞い上がっていく。観客の誰もが「なんとかこのまま2人を脱出させてあげたい」と思ったに違いない瞬間、刑務所の壁にロープが引っ掛かり、2人は元の場所に戻されてしまう。観客がどんなにヨングの無罪を望んでも、間違った裁判で理不尽な判決が出ても、「悪法も法だ」という言葉がある通り、法は守られなければならない。気球の場面は、そのことを象徴的に描いている。

 だからこそ、私たちは法が「正常に」機能しているかを常に監視しなければならない。独裁時代が終わったとはいえ、「権力」が厳然と存在する限り、いつどんな巧妙な手法で彼らが再び「法」を乗っ取るか知れないからだ。今の韓国で死刑は執行されていないが、制度そのものはなくなっていない。「世の中にこんな法はない!」と叫びながら死んでいく人が、二度と現れてはならない。 

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

『エクストリーム・ジョブ』を韓国コメディ映画部門の歴代1位に押し上げた、韓国の国民食“チキン”

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『エクストリーム・ジョブ』

 スマートフォンで簡単に出前を頼めるようになった現在ではほとんど見られなくなったが、一昔前の韓国には「給料日の風物詩」と呼ばれた光景があった。我が子のために、香ばしく黄金色に焼かれた「トンダク(통닭、鶏の丸焼き)」を手に帰路に就くお父さんたちの姿である。小学生に好きな食べ物のアンケートをとると、常にトップを争うトンダクは、誕生日や遠足、こどもの日、クリスマスと、特別な日には欠かせない料理の王様だった。普段仕事に追われる父たちも、せめて給料日くらいはと、トンダクで子どもたちを喜ばせようとしたのだろう。

 トンダクが大好きなのは大人も同じだった。中でもビールとの相性は抜群で、「10mごとに一軒」とまで言われたほどおびただしい数の「ホップ屋(호프집、トンダクと生ビールを提供する韓国式ビヤホール)」の存在によって、“ビール+トンダク”の意識が定着、拡散したのは間違いない。韓国ではしばしば、言葉の組み合わせを略して新たな語彙が生まれるのだが、ビールと鶏肉の組み合わせは、近年ではドラマや映画を通して「チメック(치맥、チキン+ビール)」として親しまれ、海外にも浸透しつつある。その原点が「ホップ屋」だったといえる。

 統計によると、1980年~2018年までの40年弱の間に、韓国人が最も食した肉類は鶏肉だという。ここには参鶏湯(サムゲタン)や白熟(ペクスク、백숙)といった伝統的な鶏肉料理も含まれているが、圧倒的に多いのはやはりトンダクである。仕事帰りの父からスマホへと購入方法こそ変化したものの、韓国人のトンダク愛は変わることなく、さらに深まっている。ホップ屋に加えて、いつしか街にあふれるようになったヤンニョム(味付き)トンダク専門チェーンは、その愛の印にほかならない。

 だが、いったい韓国人はなぜこんなにもトンダクに親しむようになったのだろうか? その始まりはいつなのだろう? 今回のコラムでは、国民的料理ともいえるこのトンダクを「出演」させ、刑事モノというジャンルにコメディやアクションの「ヤンニョム」を加味した大ヒット映画『エクストリーム・ジョブ』(イ・ビョンホン監督、19)を取り上げ、韓国におけるトンダクの近現代史を振り返りながら、トンダクが韓国で愛される背景を考えてみたい。

<物語>
 昼夜を問わず犯人逮捕に東奔西走、孤軍奮闘するもこれといった成果は上げられず、ついに解体の危機にさらされる麻浦警察署の麻薬捜査班。最後のチャンスとして国際的な犯罪組織による麻薬密輸の捜査を命じられた面々は、リーダーのコ班長(リュ・スンリョン)と4人の部下、チャン刑事(イ・ハニ)、マ刑事(チン・ソンギュ)、ヨンホ(イ・ドンフィ)、ジェホン(コンミョン)で張り込みを開始。だが、アジトの向かいにある張り込みにぴったりだったトンダク屋の主人は、売り上げ不振のため閉店を宣言してしまう。

 班の解体のためにはもう後がないコ班長は、悩んだ末に退職金を前借りしてトンダク屋を買い取り、捜査とわからないよう偽装のトンダク屋を始める。トンダクの作り方すら知らない彼らだったが、絶対味覚を持っているというマ刑事が故郷のカルビの味付けを応用して腕を発揮、「おいしい」とたちまち話題となり、メディアにも取り上げられて店は連日大繁盛。いつしか張り込みは後回しとなり、一行は接客に振り回されることに。そんなある日、ついに犯罪組織から注文が入り、捜査班に一網打尽の絶好のチャンスが訪れる。だが、そこには巨大な陰謀が待ち受けていた……。

 「今までこんな味はなかった。これはカルビだろうかトンダクだろうか? はい、水原(スウォン)王カルビトンダクです」――捜査会議中だろうと、電話が鳴ればトンダク屋に早変わり、店主がすっかり板についたコ班長の口から淀みなく飛び出す宣伝フレーズだ。直訳のため映画の字幕とは少し異なるが、映画レビューサイトで「最も面白い名台詞」にも選ばれた。見終わった後もずっと耳に残り、思い出すたびに笑ってしまうという観客も少なくないらしい。

 警察の麻薬捜査班とトンダク屋という、関係性の薄いミスマッチな設定を行き来しながら、そのギャップから必然的に生み出される喜劇を最大限生かして絶え間ない笑いを誘う。これが芸人顔負けの俳優たちのコミカルな名演技と相まって大受けし、観客動員1,280万人以上、韓国コメディ映画部門の歴代興行ランキング1位、全体でも8位という驚異の大ヒットを記録した。そしてその背景に、今も昔も、小さい子どもからお年寄りまで、世代や時代を超えて愛されてきたトンダクの存在があることは、韓国人なら誰もが認めるところだろう。

 朝鮮半島では、そもそもニワトリは主に卵を得るために飼育されていた。古くからの習わしに「婿が来たらシアンタク(씨암탉、卵を産むめんどり)をつぶす」というものがある。貴重なめんどりを料理してもてなすほど婿は大事だという意味だが、同時にニワトリの飼育の目的が肉ではなく卵であることも表している。『백년식사(百年食事)』という本によれば、食用の鶏肉が量産され毎日のように食べるほど一般化したのは、1960年代に入ってからだという。ニワトリは肉より卵、という認識はずいぶん長い間続いたというわけだ。

 さらに調べてみると、最も古いもので1929年8月11日付の「東亜日報(동아일보)」の記事に「トンダク」の文字を見つけることができた。記事の内容としては、焼き畑農業をなりわいとする「火田民」たちが立ち退き命令を免れるため、役人が取り締まりに来るたびにトンダクで接待したが、結局山を追われてしまったというもの。植民地時代は土地を失った農民の多くが火田民となっていたのだが、この頃から「トンダク」という言葉が用いられていたことは興味深い。記事ではさらにハングル文字の横に「統鶏」という漢字まで添えられている。「1羽を丸ごと料理した」を意味するその漢字は、現在の意味とそう変わらないものだが、わざわざ漢字の説明までつけたのは、言葉自体がまだ一般的ではなかったからだろうか。記事には「トンダクという制度を実施」とも書かれており、貴重な鶏を1羽つぶして役人を接待すること自体がそう呼ばれていたのかもしれない。

 前述したように60年代に入ると鶏肉の消費量が一気に加速するのだが、その背景には政治的な事情が存在する。朝鮮戦争後、牛肉の消費増加によって値段が高騰すると、当時の朴正煕(パク・チョンヒ)独裁政権は国民に対し、鶏肉の消費を積極的に促すようになった。そして62年に、元祖トンダクともいえる「電気焼きトンダク」が鶏肉の新たな食べ方として登場した。塩コショウで味付けしたニワトリ1羽を丸ごと金串に刺し、電気オーブンでくるくる回しながら焼いたトンダクをメニューに出した店の名前は、「明洞(ミョンドン)栄養センター」。新聞広告には「韓国初」「味が特異」「遠足・パーティー・お祝いに」といった文句が躍っている。「栄養センター」という名前は、鶏肉の消費を奨励した政府が、鶏肉には栄養が豊富であることを強調したこととも結びついているのだろう。以後、「栄養センター」はトンダク屋を表す代名詞として定着し、数は減ったが現在も健在だ。

 牛肉の値段が不安定になり、政府の鶏肉増産政策が強化されるといった「悪循環」(当時の新聞による)が繰り返された60年代、とりわけ後半になると栄養センターは全国的に急増していった。明洞栄養センターが慌てて新聞に「ほかの電気焼きトンダクはすべて偽物」という広告を出すほどだった。だがいくら元祖でも時代の流れには逆らえず、70年代に入ると学術的にも「牛肉より鶏肉のほうが高栄養」と証明されたことも後押しとなり、栄養センターはさらに増え続けた。と同時に、「生ビール」とのセットで宣伝する店も現れるようになった。ちなみに筆者が初めて食べたトンダクも、この電気焼きのものだった。小学生の頃、テストで良い点数を取ったご褒美として父が買ってくれたのを覚えている。

 競争が激しくなるなか、突破口となった「冷たいビールと香ばしいトンダク」のコラボは、あっという間に栄養センターの定番メニューに君臨した。生ビールとトンダクを楽しむ場面が小説やテレビドラマにも描かれるようになり、大衆の日常生活に急速に普及していった。のちの「チメック」の始まりである。そして忘れてならないのは、大豆油の大量生産によって食用油の値段が下がり、いよいよ揚げたトンダクが登場したことだ。こうして流れは一気に揚げトンダク(=フライドチキン)へと傾いていく。

 81年、こうした流れを象徴する事件が起きた。フライドチキンが電気焼きトンダクを抑えて人気を得ていくなか、アメリカ発の世界的なチェーン「ケンタッキーフライドチキン」を勝手にそのまま商品名にしていた業者が捕まったのだ。この事件のおかげで本家の「KFC」は韓国における需要の高さに気づき、3年後の84年、ついに韓国に上陸するに至った。KFCは瞬く間に韓国のトンダク市場を席巻し、トンダク文化自体をも変えていく。それまで丸ごと1羽を売るのが当たり前だったのが、部位別に切り分け、ばら売りもするなどトンダクの概念をひっくり返し、「トンダク」でも「(フライド)チキン」でも通じるようになった。

 KFCの独占に対し、韓国のトンダク業者たちも黙ってはいなかった。差別化を図って、トンダクに甘辛いソースを絡めた「ヤンニョムトンダク」を生み出したのである。以来、ヤンニョムトンダクはKFCの独走を抑え、韓国における鶏肉料理の「王座」に君臨し続けている。一方80年代は、先述した「トンダク+生ビール」のホップ屋が本格的に始まった時代でもあった。さらに、日本の焼き鳥のようなつまみとビールを専門にするチェーン店も現れるなど、トンダクの多様化が見られていく。これらの店は栄養センターとは違って酒類をメインにしているため、オフィス街や大学周辺を中心に広まり、若者の人気を獲得した。ニワトリのキャラクターがビールジョッキを持つイラストをロゴにした会社もあり、トンダク+ビールの認識もすっかり韓国社会に根を下ろした。

 思い返すと90年代は、ヤンニョムトンダクチェーンの戦国時代だったといえるだろう。韓国にはひとつのビジネスが当たると、誰もが我先にと同じ種類の店を一斉に始めるという悪い習性があるが、芸能人がヤンニョムトンダクチェーンの運営に転じるなど自営業者も数えきれないほど増え、そこら中にトンダク屋が立ち並ぶ事態となった。その背景には、97年に起こったIMF金融危機による失業者の大量発生がある。彼らの多くが「少ない資金」で始められる「大人気」のヤンニョムトンダクに殺到したというわけだ。だが、ここまでトンダク屋が増えてしまうと、そのぶん競争相手も多く、退職金をつぎ込んだものの失敗して一家で無理心中に及ぶといった事件も絶えなかった。もちろんこれはこの時代に限ったものではない。フライドチキン熱風が吹いた80年代には、借金して始めたトンダク屋の失敗で両親が夜逃げ、家に一人残された小学生の女の子が、借金取りの恐怖から飛び降り自殺をしたという痛ましい事件も起きている。トンダクは生死を分ける大ばくちともなり得たのである。

 2000年代に入るとヤンニョムのソースも多様化し、「チメック」がトンダクの代表的な食べ方として時代のアイコンとなっていく。02年の日韓ワールドカップでは、ビール片手にヤンニョムトンダクを食べながら応援するスタイルが定着し、「チメック」流行の決定打となった。その後は、プロ野球やプロサッカーのKリーグの観戦にはチメックが欠かせなくなり、野球場・サッカー場を取り囲む広告がヤンニョムトンダクで埋め尽くされていることからも、スポーツ観戦とチメックの相性の良さがわかるだろう。

 「チメック」が韓国国外で知られるようになったのは、中国で大ヒットしたドラマ『星から来たあなた』(13)で主演女優のチョン・ジヒョンが「チメック」と言ったことがきっかけだったが、直近では、オーストラリアを訪問した文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、晩餐会の席で同国の要人に「Do you know “チメック”?」と尋ねたというニュースまで報じられた。牛肉の代替として戦略的に推し進められた鶏肉食は、次々と進化を遂げ、もはや世界に羽ばたいていこうとしている。日本にも韓国のトンダク屋が明らかに増えてきた。日本に住んで20年以上になるが、こんなふうに日本でも気軽にトンダクを味わうことができる日が来るとは感激だ。筆者もまた、一番好きなのは牛でも豚でもなく、鶏肉だから。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。 

韓国人との「区別」、詐欺・セクハラ被害……映画『ファイター、北からの挑戦者』に映る “脱北者”の現実

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『ファイター、北からの挑戦者』

 このコラムではこれまで、朝鮮民族受難の歴史を物語る「コリアン・ディアスポラ」についてたびたび言及してきた。日本による植民地統治とそこからの解放、直後の南北分断から朝鮮戦争へと続く激動の歴史の中で、自発的であれ強制的であれ、朝鮮半島から日本へ、中国へ、旧ソ連へと散らばっていき、それぞれの国で在日コリアン、中国朝鮮族、カレイスキー(高麗人)と呼ばれながらマイノリティーとして共同体を形成していった多くの人々を指す言葉である。(『ミッドナイト・ランナー』や『焼肉ドラゴン』を取り上げたコラムを参照)だがその中には、忘れてはならないもう一つの、現在進行形のディアスポラがある。今この瞬間にも命を懸けて中国との国境を越えているかもしれない「脱北者」だ。

 彼らは、政治的な弾圧や経済的な貧困、閉鎖的な社会体制への不満など、さまざまな理由で北朝鮮から脱出する。北朝鮮と韓国の軍事境界線は、多くの映画やドラマでも描かれている通り、対峙の緊張感が張り詰めていて越えることはほぼ不可能なため、脱北者は必然的に、まず中国へ渡ることになる。だが中国政府は彼らを亡命者や難民ではなく「違法入国者」と見なしており、捕まったら強制送還されてしまう(国際社会は、このような中国政府の態度を人権侵害だと批判している)ため、逮捕の不安と強制送還の恐怖にさいなまれながら、身を隠し、逃亡し続けなければならない。違法入国者である脱北者は、助けを求めるどころか、犯罪の被害に遭っても訴えることすらできないのだ。

 韓国では身の安全が保障されるものの、外交上韓国政府が直接介入することはあり得ないので、それまでは、いつ、どうなるかもわからないまま、自力で韓国を目指さなければならない。韓国の民間支援団体の助けを待つこともあれば、衝撃的な映像で世界に衝撃を与える「外国の大使館への駆け込み」のような命懸けの行動に出る者もいる。韓国入りできないまま、中国の国内を密かに逃げ回っている脱北者がどれほど多いか、数千人とも数万人ともいわれているが、その実態は明らかにされていない。労働搾取や女性への強制売春、虐待や餓死といった悲惨な目に遭っている人も多いという(映画『クロッシング』<キム・テギュン監督、08>は、こうした脱北の過程の苦難をリアルに描いて韓国社会を震撼させた)。

 限りなく険しく困難な道のりを経て、やっとの思いで韓国にたどり着いた脱北者たちを待ち受けているものとは何だろうか? 彼らが命の危険も顧みずに求めた自由や豊かさを、韓国で手に入れることはできるのだろうか? 今回のコラムでは、韓国でボクサーを目指す女性脱北者を描いた現在公開中の『ファイター、北からの挑戦者』(ユン・ジェホ監督、20)を取り上げ、北朝鮮とはまったく違う環境の中で必死に生きようとしている脱北者の現実について考えてみたい。

<物語> 
 脱北者の支援施設を出て、ソウルで一人暮らしを始めたジナ(イム・ソンミ)。食堂で働き始めるが、脱北して中国で身を隠している父を韓国に呼び寄せる資金を稼ぐため、さらにボクシングジムの清掃の仕事を掛け持つことに。ジムでのトレーニングの様子を目にしたジナは、少しずつボクシングに魅了されていく。やがてトレーナーのテス(ペク・ソビン)や館長(オ・グァンノク)に勧められ、戸惑いながらもジナはリングに立つことを決心する。

 一方ジナには幼い頃、家族を捨てて脱北し韓国で再婚して暮らす母(イ・スンヨン)がいた。母と再会するも心を開くことができないジナだが、ボクシング練習に励み、ついにデビュー戦を迎える。果たしてジナは、ボクサーとして韓国での新たな人生に挑むことができるだろうか?

 「脱北者」といえば、ややもすれば重くなりがちなテーマであるが、ユン・ジェホ監督は単に「脱北者」としてだけではなく、韓国という不慣れな土地でボクシングを通して再出発しようとする一人の「女性」に焦点を合わせ、温かいまなざしで描いている。監督はジナと母を通して、朝鮮戦争がもたらした家族の離散と再会、その後に起こる問題は決して過ぎ去ったことではなく、脱北によっていつでも起こり得る韓国社会の現在的な問題であることを提示している。脱北という特殊な状況ではあるものの、家族という普遍的な存在を通して描くことで、彼らが抱えている問題や絆がごく自然に観客に受け入れられるのだろう。

 こうした現実の問題とドラマの絶妙なバランスは、家族を脱北させるために「脱北ブローカー」になった女性を収めたドキュメンタリー『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』(16)や、脱北女性と息子の再会を描いた『ビューティフルデイズ』(18)、そして本作と、連続して脱北者をテーマに取り上げてきたユン・ジェホ監督だからこそ、深い知識と理解の上に実現できたといえるかもしれない。

 さらに1カ月半ものトレーニングを受けてジナ役に挑んだというイム・ソンミの演技も評価され、釜山国際映画祭では主演女優賞とNETPAC賞を同時に受賞した。彼女は大ヒットドラマ『愛の不時着』(Netflix)にも出演し、日本でも注目を集めている。

 では、「脱北者」はいつから現れたのだろうか? 北朝鮮から韓国への脱北(亡命)は、朝鮮戦争が勃発する直前から存在していたが、その様相が大きく変化するきっかけは、1994年の金日成(キム・イルソン)主席の死去であった。94年以前は、亡命者の数そのものが少なく、また軍人や外交官、留学生など北朝鮮の支配層やエリートたちの「政治的亡命」がほとんどだった。韓国にとってもこの時期の亡命者は「帰順勇士」と呼び、韓国の優越性を宣伝し北朝鮮を動揺させる格好の「反共材料」であった。

 それが金主席の死後、深刻な経済危機と、数十万(それ以上ともいわれる)もの餓死者が出たとされる食糧不足によって北朝鮮を脱出する一般市民が急増、韓国を目指す脱北者も増え続けた。

 ちなみに私の記憶には、一家5人で脱北を試み、中国朝鮮族を介して韓国政府関係者とつながり韓国入国を果たしたと大々的に報じられた、94年の「ヨ・マンチョル一家」の印象がなぜか強く残っている。反共教育で作り上げられた北朝鮮家族のイメージとは異なる、私たちと何ら変わらない「平凡さ」を感じて意外だったからかもしれない。

 こうして94年以降、それまでの政治的亡命とは明らかに異なる様相を呈したことで、「帰順勇士」という戦略的な呼び名も使えなくなり、代わりに「脱北者」という言葉が広まっていった。なお、否定的なイメージを与えるとの理由から2005年、当時の廬武鉉(ノ・ムヒョン)政権が「脱北者」から「새터민」(セトミン、新しい地に定着した住民)に呼び名を変えたのだが、これもまた差別的だと反発を受け、結局、公式名称は「북한이탈주민(北韓離脱住民)」に落ち着いた。世間では今も相変わらず「脱北者」と呼ばれている。

 脱北者が増えるにつれて、韓国社会への適応と定着が新たな問題として浮上した。そこで設立されたのが「하나원(ハナウォン)」という支援施設である。映画では具体的に描かれていないが、ジナもこの支援施設での教育を経て自立した設定になっている。韓国入りした脱北者は必ず、社会に出る前に3カ月間このハナウォンで「資本主義韓国の仕組み」と日常生活の基本を教え込まれるのだ。もちろん、国家情報院や警察による脱北の動機に対する取り調べを含めて「共産主義思想の払拭」も行われる。だがこの一方的な教育だけで、脱北者が韓国社会に適応し、定着できるわけはない。ハナウォンを出た脱北者たちは、教育の中とはまったく異なる韓国と出会うことになる。

 現実の韓国では、社会の至るところに脱北者に対する「差別」が潜んでいる。しかも、意図したわけではないだろうが、国の制度自体が差別を助長する一つの原因になった事実もある。韓国には、日本のマイナンバーのような「住民登録制度」があり、役所に出生届を提出すると一人ひとりに13桁の固有の番号が振り当てられる仕組みになっている。番号には誕生日や性別、出生地を表す地域コードが含まれるのだが、脱北者は共通してハナウォンの所在地のコードが含まれ、住民登録番号だけでその人が脱北者であることが瞬時にわかるようになっていた。

 この制度によってどれほどの「就職差別」が生まれたかは言うまでもない。資本主義社会で自立するために就職は欠かせないにもかかわらず、番号によって最初から差別され、脱北者の自立を阻む事態となってしまった。実際に就職差別を受けた脱北者が、生活に困って自殺するケースも報告されている。問題の深刻さに気づいた韓国政府は09年、ようやく住民登録番号での区別を廃止したが、だからといって差別がなくなったわけではない。制度上の「区別」は、差別を最もわかりやすく可視化した例にすぎないのだ。

 またもう一つの大きな問題は「詐欺」だ。脱北者にはそれぞれの事情に合わせて「定着支援金」が政府から支給されるのだが、それを狙った脱北ブローカーによる悪質な犯罪が後を絶たない。本作でもジナが中国の父を呼び寄せようとブローカーに頼むシーンがあるが、残した家族を呼び寄せるために戦々恐々とする脱北者の焦りを利用して「韓国に連れてくる」からとお金だけをだまし取る詐欺は非常に多く、命懸けで韓国にたどり着いた脱北者の中には、差別や詐欺に遭って中国、あるいは北朝鮮に逆戻りする「脱南」をせざるを得なくなる人もいる。

 最近は、映画でジナが不動産屋からセクハラを受けたように、弱い立場の女性脱北者に対する性的暴行事件も発生するなど、多くの深刻な問題が露呈し続けている。本来は「同じ民族」なのに、である。

 問題は根深く複雑で、解決への道のりは遠い。だが、目の前の壁にひるまず立ち向かおうとするジナを、差別のないまなざしで見守るテスの存在は、本作に込められた答えであり、願いであろう。そして日本においても、かつて北朝鮮への帰国事業が盛んだった時分に、朝鮮人の夫と共に北朝鮮に渡り、その後脱北した日本人妻という存在がいることを忘れてはいけない。拉致問題などで日本と北朝鮮が対立する中で、沈黙を強いられている彼女たちの存在は、脱北者の問題が決してひとごとではないことを、日本にも訴えかけているはずである。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。 

ベトナム戦争の虐殺被害者の証言と市民同士の連帯を映した、韓国ドキュメンタリー映画『記憶の戦争』

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『記憶の戦争』

 韓国ではかつて、高校・大学のカリキュラムに「教練」と呼ばれる軍事訓練の授業が存在した。授業では、男子生徒は銃剣術や行軍のような基本的な戦闘訓練、女子生徒は負傷者治療を想定した包帯法や担架搬送といった看護訓練を受けた。男子はさらに大学に入ると、軍隊で1週間の兵営生活体験も義務付けられていた。

 こうした教育は、北朝鮮の侵攻に備え、必要になれば高校生までをも戦争に動員するために朴正煕(パク・チョンヒ)軍事独裁政権が1969年から始めたものだ。反共の方針のもと国全体を「軍隊化」し、命令と服従で動く軍隊のような統制社会を作ろうとした、いかにも独裁者らしい教育政策といえる。この教練は、87年の民主化闘争を経て大学生たちの猛反発を受け、88年を最後に大学ではなくなった。私はまさにその最後の年に大学に入り、運悪く1週間の兵営生活を送る羽目になった。高校では、軍事訓練から次第に防災・衛生教育に移行したものの、2011年には完全に廃止され、教練は学校からその姿を消した。

 だが私にとって、ほふく前進や兵営生活以上に記憶に残っているのは、高校時代の1人の教員である。当時、教練担当の教員の多くは退役軍人であり、彼もその一人だった。そして唯一彼だけは「オレはベトナム戦争の『参戦勇士』だ」と授業でいつも自慢げに「武勇伝」を繰り返していた。そして、韓国軍は「敵兵を1人殺すたびに米軍からドルをもらった」のだが、何人殺したかを証明するために「相手の性器を切り取り、袋に集めて米軍に見せた」という衝撃的な内容を、高校生相手に事もなげに語ったのだった。人間の命をただのドル稼ぎの手段としてしか考えない人間、さらに何のためらいもなく死者の体を棄損する人間が、教員として自分の前に立っていることが、ただ恐ろしかった。これが、私が初めて知った生々しいベトナム戦争である。

 思い返せば、当時学校で習ったベトナム戦争は、「ベトナムを共産化から救うための正義の戦争」「韓国の経済発展に大きく貢献した戦争」という類いの、参戦を正当化するものがほとんどだった。例えば、勲章をつけたベトナムからの帰還兵を村中が歓迎し宴会を開くという内容の歌謡曲「월남에서 돌아온 김상사(ベトナムから帰ってきたキム上士)」は、「正当な参戦」という認識が、韓国では広く一般的であることを端的に物語っているといえるだろう。

 69年に発表され大ヒットしたこの曲は、最近もガールズバンドによってカバーされるなど、韓国国民に深く浸透している。もちろん、そこにもはやベトナム戦争の正当化という政治的な含意はないのだが、アメリカに加担する政府を批判しながらもあくまで第三者という立場にあった日本人に比べて、韓国人にとってベトナム戦争は当事者としての関わりを免れない、極めて身近な歴史だったのだ。くだんの教員が「参戦勇士」であることを堂々と自慢できたのには、こうした背景があるからだろう。

 だが今では、韓国の参戦は、クーデターで政権を掌握した朴正煕がアメリカのご機嫌取りのために自ら手を挙げたものであり、「正義の戦争」うんぬんなどではなく「ドル稼ぎ」が真の目的だったということが明らかになっている(以前のコラム『国際市場で逢いましょう』を参照)。とりわけ、89年に出版された安正孝(アン・ジョンヒョ)の長編小説『ホワイト・バッジ』(日本での翻訳出版は93年)は、ベトナム戦争に参戦した理由や韓国軍の実情を告発し、米・韓で大きな反響を巻き起こした。作家自身の参戦経験を基にしたこの小説は、92年にはチョン・ジヨン監督によって映画化もされ、ベトナム戦争をめぐる真相を韓国社会に知らせるきっかけとなった。

 にもかかわらず、依然として「正当な参戦」という認識が根強いのは、30年続いた軍事独裁政権下での美化と隠蔽がもたらした負の産物としか言いようがない。そんな中、1本のドキュメンタリー映画がベトナム戦争での韓国軍による民間人虐殺を改めて追及して注目を集めた。日本でも現在公開中の『記憶の戦争』(イギル・ボラ監督、2018)である。「改めて追及」したというのは、1999年に週刊誌「ハンギョレ21」が初めて韓国軍による虐殺問題を報道してから現在に至るまで、真相究明や被害者への補償などを求める運動は絶えることなく続いてきたからだ。

 「미안해요 베트남(ごめんなさいベトナム)」のキャッチフレーズに代表されるこの運動は、さまざまな市民団体を中心に、虐殺の現地調査や支援のための募金、慰霊塔の建立、被害者との交流など多岐にわたる。ただ、これらの活動はすべて民間レベルで行われており、成果は残しているものの、それが社会全体に広く知られているとは言い難く、国家レベルでの公論に至っていないのが事実だ。

 主にメディアの無関心に起因するこのような事態に対して、監督をはじめ製作スタッフ全員が女性であり、女性のまなざしでベトナム戦争を見つめた本作は、虐殺問題や市民団体の活動、そして参戦軍人団体の妨害工作を社会に改めて喚起・再認識させた点で大きな意義を持つといえるだろう。今回のコラムでは、映画の内容に沿いながら、日本ではあまり知られていないであろうベトナム戦争と韓国の関係について紹介したい。

 映画は主に、ベトナムの有名な観光都市・ダナンからそう遠くないフォンニィ村で68年2月12日に起こった虐殺事件を取り上げている。子どもや女性、老人を含め、確認されただけで74人が韓国軍によって殺された事件だ。韓国は64年9月~73年3月に延べ30万人以上の兵力をベトナムに送っているが、この期間に約80件の虐殺事件を起こしたと報道されており、被害者は最低でも約9,000人に達すると推定される。ウワサレベルでしか語られていないものや、証言はあっても裏付ける証拠のない事件も多いため、実態の把握は非常に難しく、正式に認められたのは80件のうち、敵兵と誤認して6人の民間人を射殺したというたった1件のみである。92年に韓国とベトナムが正式に外交関係を結んでからは、一つの虐殺も認められていない。

 このような現状からは、韓国政府が真相究明にいかに消極的な姿勢を貫いてきたかがうかがえる。だがフォンニィ村の虐殺は、映画に登場する家族を殺された女性のタンさんや、視力を失ったラップさん、殺りくを目の当たりにした聴覚障害のあるコムさんらの証言だけでなく、当時の米軍の報告書の発見や虐殺に加担した韓国軍兵士の証言もあり、虐殺の事実はほとんど明らかだと言わざるを得ない。

 市民団体の支援を得たタンさんは、勇気を出して2018年、韓国政府に虐殺を認めさせ、元参戦軍人たちからの謝罪を求めるため、虐殺の被害者として初めて韓国を訪れる。彼女は、00年に日本で開かれた日本軍「慰安婦」問題についての責任を追及する民衆法廷「女性国際戦犯法廷」をモデルにした、「ベトナム戦争時期の韓国軍による民間人虐殺真相究明のための市民平和法廷」で証言した。

 裁判では虐殺を「重大な人権侵害で戦争犯罪である」と認め、「韓国政府に責任がある」と断定したが、元参戦勇士からの謝罪はなかった。それどころか彼らは、軍服姿で「市民法廷」に対する反対集会を開き、虐殺の否定と国家への貢献を声を荒げて主張したのである。彼らにとって、虐殺を認めることはすなわち、全人生を否定されることでもあるのだろう。そんなゆがんだ歴史認識に基づく集団的ヒステリーの様相を映画は捉えている。

 タンさんは、日本軍「慰安婦」問題の解決と謝罪を求める集会にも参加し、同じ戦争被害者として元「慰安婦」のおばあさんたちと交流する。加害の主体が誰であれ、戦争という極めて男性中心的な暴力の被害者は女性であり、同じ過ちを繰り返さないためには国境を超えた女性の連帯が必要だ――こうしたメッセージが読み取れるこの場面は、女性監督ならではのまなざしが最も際立っているように思われる。

 その後もタンさんは、韓国政府に対して真相究明と被害の回復措置を訴え続けたが、返ってきたのは「ベトナム当局との共同調査の条件が整っていない」ことを理由に事実上拒否する回答だった。20年4月、タンさんは韓国政府に損害賠償の訴えを起こし、映画はその事実を伝えて終わる。

 その後の推移を簡単に述べるならば、韓国政府は虐殺の立証が不十分であると請求棄却を求めたり、調査記録を国家情報院に照会しようとした裁判所からの要請を拒否したりと、相変わらず非協力的な姿勢を貫いている。最新の報道によると、裁判所は虐殺の証言をしてきた元参戦軍人を証人として認め、間もなく出頭して証言を行うらしい。裁判結果によって政府がどのような対応を見せるか、虐殺を認めるか否か、引き続き見守る必要がある。

 一方で、韓国政府の消極的な姿勢には、ベトナム政府との関係も絡んでいるという見方もある。政府レベルでの真相究明には同国政府の協力が不可欠だが、ベトナム軍による自国民の虐殺が発覚することを恐れて同国側も積極的ではないというものだ。実際、当時のベトナムでの虐殺の中には、韓国軍の格好をしたベトナム軍による殺りくを疑う声もあり、真相究明に乗り出せば、同国にとっての不都合な真実もまた露呈される可能性は否めない。

 歴代の韓国大統領たちの中で、進歩派である金大中(キム・デジュン)、廬武鉉(ノ・ムヒョン)、そして現在の文在寅(ムン・ジェイン)の3人は、ベトナム戦争への参戦について正式に「謝罪」しようとしたものの、「戦勝国(=ベトナム)が敗戦国側から謝罪を受けるのはおかしい」とベトナム政府が難色を示したため「遺憾」に変更せざるを得なかったともいわれている。映画では言及されていないが、こうした複雑な政治的事情が絡んでいることも忘れてはならないだろう。また、元参戦軍人たちの集団的な主張に対してはカメラを向けるものの、虐殺を証言している者も含めて「個」としての彼らの言葉ももっと引き出してほしかったというのが正直な感想だ。

 いずれにせよ、ベトナムにおける韓国軍による虐殺は否定できない事実であり、韓国政府がこれを認めなければならないのは言うまでもない。「我々がベトナム戦争の問題を解決しなければ、日本との歴史問題も解決できないだろう」というソウル大学のパク・テギュン教授の指摘に、政府は耳を傾ける必要がある。「歴史を正す」という政府の主張が、都合のいい部分だけを正すという意味ではないことを信じたいと思う。

 最後に、教練教員の武勇伝にあった死体損壊について一言付け加えよう。当時軍人だった全斗煥(チョン・ドファン)もまた、司令官としてベトナムに赴いているが、彼が率いる部隊では、戦果を膨らませ、米軍からより多くのドルを得るために、民間人まで殺して身体の一部を切り取っていたという証言もある。その全斗煥が約15年後、韓国・光州で多くの民間人を虐殺したことは歴史が示す通りだ。ベトナムから光州へ、残酷極まりない恐ろしい負の連鎖が続いていたことに、韓国人として暗澹たる思いを禁じ得ない。虐殺の被害者のため、真実は必ず究明されなければならないのだ。 

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正  戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻  スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

『記憶の戦争』

監督:ギイル・ボラ (『きらめく拍手の音』)
プロデューサー:ソ・セロム、チョ・ソナ/撮影クァク・ソジン
エグゼクティブプロデューサー:イギル・ボラ/プロダクションデザイナー:クァク・ソジン
編集:パトリック・ミンクス、イギル・ボラ、キム・ナリ、キム・ヒョンナム/音楽:イ・ミンフィ

製作:Whale Film |英題:UNTOLD|原題:기억의 전쟁

2018年|韓国|韓国語・ベトナム語|カラー| 79分| DCP | (C)2018 Whale Film
宣伝美術:李潤希/配給・宣伝:スモモ、マンシーズエンターテインメント

『イカゲーム』のイ・ジョンジェ主演! エセ宗教問題を扱ったオカルト・ミステリー『サバハ』に見る韓国人の宗教的心性

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『サバハ』 

 今から30年以上も前、入隊を控えた冬のことだ。ソウルの繁華街・鍾路(チョンノ)を歩いていると、若い女性から突然「あなたは“ド”を知っていますか?」と声をかけられた。そして「天の“ド”」やら「人の“ド”」やら長々と並べ立てられた挙げ句、運命を占ってあげるからと半ば強引にカフェに連れて行かれた。店内をのぞいた瞬間、当時、鍾路一帯で布教活動を行っている新興宗教団体があるという噂が頭をよぎり、自分が勧誘されていたことを理解した私は、挨拶もそこそこにその場から逃げ出した。

 後になってその“ド”とやらは、仏教や道教での悟りの境地であり、宇宙の根本原理である《道》を彼らが身勝手に解釈して都合よく作り上げ、“ド”を極めて神になったという教祖の言葉を集めたデタラメなものだと知った。内容もさることながら、その宗教団体は、道端で人を捕まえては入会を強制し、入会費を要求したり団体の商品を押し売りしたりするなどの迷惑行為で警察の取り締まりの対象になっていた。そのような団体は減るどころかますます増え、ネット上にはいまだに「“ド”を知っていますか」と近づいてくる人への注意を促す書き込みなどが後を絶たない。

 こうした新興宗教は韓国では「似而非(サイビ)」と呼ばれている。いわゆる「エセ宗教」だが、その数は数え切れないほど多く、昨年政府による集団礼拝の自粛要請を無視して新型コロナウイルス感染拡大の原因となった「新天地」はその代表格といえる。新天地のようなキリスト教系のエセとその弊害については、『フェイク~我は神なり』を取り上げた以前のコラムで紹介しているので、今回は仏教系の新興宗教による犯罪を描いた『サバハ』(チャン・ジェヒョン監督、2019)を取り上げ、その実態と共に、絶えずエセ宗教を生み出してきた韓国人の宗教的心性に触れてみたい。

<物語>

 ある田舎の村に双子の姉妹が生まれる。足にかまれた傷を負った妹のグムファ(イ・ジェイン)と、グムファの足をかみちぎった姉の《それ》だ。《それ》は長生きしないとみられたが、16年たっても、小屋に鎖でつながれながら生きていた。

 一方、新興宗教の不正を捜査している「極東宗教問題研究所」のパク・ウンジェ牧師(イ・ジョンジェ)は、“鹿野園”なる新興宗教団体を調べるために部下のコ・ヨセフ(イ・デビッド)を潜入させる。そんな中、トンネルの壁の中から女子中学生の遺体が見つかり、殺人の容疑者としてキム・チョルチン(チ・スンヒョン)が浮上、パク牧師は事件と鹿野園がつながっていると直感する。間もなくキムは自殺、そして彼が自殺直前に会っていた男チョン・ナハン(パク・ジョンミン)が現れる。チョンについて調べ始めたパク牧師は、彼がグムファを探していることを知る。徐々に明かされる鹿野園の謎。パク牧師はついに衝撃的なその実態と向き合うことになる。

 エセ宗教団体の最も深刻な問題は、詐欺まがいの布教活動にとどまらず、最悪の場合、人命まで奪うような犯罪も起こしかねない点にある。映画では日本のオウム真理教によるサリン事件について言及があるが、韓国でも教祖や信者32人が集団自殺をした「五大洋事件」(先述のコラム参照)など、社会を揺るがせた事件が幾度も発生している。こうした事件を防ぐためには、「神を自称する者」を疑い、本質を見抜くべきだという、当たり前だが忘れがちな注意を本作は喚起しているといえるだろう。

 実際イ・ジョンジェが演じるパク牧師は、国際宗教問題研究所の所長を務めながら「似而非」の不正や犯罪の実態調査に尽力し、エセ団体の信者に殺害された実在の人物タク・ミョンファン牧師をモデルにしており、本作は「似而非」がまん延する韓国の現実を反映した数少ないオカルト・ミステリーとして、230万人以上を動員するヒット作となった。世界的な舞踊家であり俳優としても活躍する田中泯がチベット仏教の高僧役で出演しているが、日本では一般公開されず、現在はNetflixで見ることができる。タイトルの「サバハ(娑婆訶)」とは仏教用語で、「円満な成就」を意味するという。

 372年に高句麗に伝来したという長い歴史を持つ仏教は、エセの歴史も古く、またエセ仏教は儒教や道教、キリスト教といった既成宗教に朝鮮半島の民間信仰である巫俗(ムソク)までを都合よくミックスしているため、その実態を理解するのは非常にややこしい。そこで今回のコラムでは、本作のキーマンである“鹿野園”(東方教)の教祖キム・ジェソクを中心に、現代における仏教系「似而非」の存在感を見ていこう。 
 

 映画によるとキム・ジェソクは「1899年生まれで、成仏の境地に至り、朝鮮総督府の総督さえも師として崇めた。一方で独立運動の支援など抗日活動もした」人物である。この設定から連想されるのは、植民地時代の新興宗教「普天教(ポチョンギョ)」だ。西学(キリスト教)に対抗して生まれた東学(仏教・儒教・民間信仰を融合させたもの)に、道教の教理を混ぜ合わせた「甑山教(チュンサンギョ)」の一派として1921年に創始されたもので、教祖は1880年生まれのチャ・ギョンソクである。

 信者が急増し教団が大きくなった1926年には、当時の朝鮮総督府の斎藤実総督が教団本部にチャ・ギョンソクを訪ねたという逸話もある。大韓民国臨時政府(上海臨時政府)設立に資金を提供するなど、ひそかに独立運動の支援活動もしたのだが、教祖の神格化や信者に対する財産寄付の強制などが批判され、36年に同教団の存在に危機感を抱いていた総督府により解体された。物語上のキム・ジェソクの「朝鮮総督との関わり」や「独立運動の支援」といった設定は、まさに普天教の教祖チャ・ギョンソクから借りているのだ。

 映画のキム・ジェソクは、戦後(独立後)「日本に奪われた文化財や国有財産を取り戻したが、政局が不安定になると宗教界に私財を投じ、勢力を拡大させ、東方教を創始。社会奉仕活動をした」とある。韓国が正式に日本から文化財を取り戻すようになるのは、65年の日韓基本条約で「日韓文化財及び文化協力協定」が成立してからであり、66年に初めて仏像や陶磁器など1300を超える文化財が返還された。文化財の返還に力を注いだというくだりは、キム・ジェソクの歩みが少なくとも東方教という新興宗教を創始する前までは、成仏の境地に至った師として尊敬に値するものであったことを示しており、またその後「突然消えた」キム・ジェソクのミステリーの効果的な前置きとなっている。だが私が引っ掛かったのは、「社会奉仕活動」の部分である。

 「似而非」が自らの怪しさを隠すために「社会奉仕活動」を建前とするのはよくある手法で、ここから思い浮かぶのは「チェ・テミン」である。パク・クネ政権の失脚をもたらした「お友達国政介入スキャンダル」で脚光を浴びた元大統領の親友チェ・スンシルの父であり、長い間パク元大統領との内縁関係を疑われてきた人物である。

 チェ・テミンは70年代に「永世教」という仏教・キリスト教・天道教を組み合わせたエセ宗教団体を作り、弥勒菩薩を自称して教祖となった。ところがパク・クネとの交流が頻繁になると永世教を解散、今度は「牧師」になり(キリスト教側は金で牧師の資格を買ったのが発覚し追放したと主張)、「救国宣教団」という団体を作ってパク・クネを名誉総裁に仕立て上げた。この団体は「救国奉仕団」「セマウム奉仕団」と名前を変えながら、公には自然保護や貧民救済などの社会奉仕活動をしたものの、裏では権力を後ろ盾にさまざまな不正をはたらいて蓄財したことは韓国では誰もが知る話だ。

 だが一番の問題は、チェ・テミンが牧師の仮面をかぶって、当時、母(パク・チョンヒ元大統領の妻)が暗殺され大きなショックを受けていたパク・クネに接近し、呪術的に操ったことだ(以前のコラム『KCIA 南山の部長たち』参照)。この関係性がテミンの娘チェ・スンシルにも受け継がれ、国を揺るがすスキャンダルに発展し、パク・クネは大統領を罷免されるという、韓国史上初の大事件につながったのだ。

 そう考えると、本作のキム・ジェソクはさまざまなエセ教祖たちを組み合わせたキャラクターであり、ある意味では、韓国エセ宗教の縮図といえるだろう。とりわけ、成仏の境地に至り「老いない身体」を得たという設定は、消えては現れる韓国の新興宗教そのものに対するメタファーかもしれない。

 本作には、キリスト教もまた一つの軸として取り入れられている。チベット仏教の僧に死を予言されたキム・ジェソクが、自らを守るため、弟子たちに女子中学生の連続殺人を教唆するのは、イエスの誕生を恐れていたヘロデ大王が、ベツレヘムの幼い男の子たちを殺したという聖書の記録から取り入れたものだ。そしてキム・ジェソクと対峙する双子の姉妹は、旧約聖書の創世記に書かれている双子の兄弟「ヤコブとエサウ」をモチーフにしたキャラクターと思われる。ヤコブがエサウのかかとをつかんだまま生まれたことや、エサウが全身毛だらけだったというのは、グムファと姉の誕生の秘密に盛り込まれている。つまり本作は、仏教からキリスト教まであらゆる宗教を混合させてきた韓国の新興宗教の特徴を、作品全体のオカルト的な世界観に落とし込んでいるといえるのだ。

 最後に、映画の冒頭で描かれる巫女による儀式「굿(グッ)」の場面に触れておこう。伝染病により牛が大量死した牛舎の外では、追い出された医者たちが途方に暮れているのに対して、中ではこの不吉な事態を脱しようと、村人たちが呼んだ巫女が熱い儀式を繰り広げている。セリフや字幕もない短い場面ではあるが、朝鮮半島で最も古い民間信仰である「巫俗」をシンプルにわかりやすく伝えている。牛の大量死を前に村人たちが頼るのは、現代医学ではなく巫俗である。そこには、病気そのものではなく、病気をもたらす邪悪な何かが存在すると信じてきた、はるか昔からの土着的な宗教の心性が表れている。彼らは、「グッ」を通して邪悪な何かを追い払わない限り、病気を治すことはできないと信じているのだ。

 病気だけではない。日常生活のあらゆる場面、人生の大事な局面では、仏教徒だろうがキリスト教の信者だろうが、宗教に関係なく「巫女の占い」に頼る人が少なくないのは、巫俗への信仰が数千年の時を経て、韓国人の意識のどこかに受け継がれてきているからではないだろうか。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。 

韓国映画『アシュラ』、公開から5年で突如話題に!? 物語とそっくりの疑惑が浮上した、韓国政治のいま

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『アシュラ』

 現在韓国では、2022年3月に控えた大統領選挙をめぐって、与野党が擁立する候補者選びの真っ最中だ。軍事政権時代、権力の長期化がもたらした政治腐敗への反省から、任期5年、再選不可というシステムになっている韓国大統領制だが、それでも在任中は大統領に強大な権力が集中することから、時には欲に負けて本人や家族が罪を犯し、時には疑惑をかけられて、その後不幸な末路を迎えた大統領経験者も少なくない。野党・保守政党は、親友で占い師でもあった女性に政権の舵取りを頼っていたパク・クネ前大統領の記憶の払拭に躍起になり、与党・革新政党は珍しくクリーンなイメージを維持し続けたムン・ジェイン現大統領の成果作りと、保守寄りのメディアが野党と組んで仕掛けてくるネガティブキャンペーン(韓国では「黒色宣伝」という)をかいくぐるのに必死である。

 そんな中、最近メディアやインターネット上で「역주행」(ヨクチュヘン、逆走行)という言葉が多く見られるようになった。本来は日本語の「逆走」の意味にあたる言葉だが、音楽やドラマ、映画などで「最初の反応はイマイチだったが、時間がたってから何らかの理由により社会的に大きく注目される現象」として、ここ数年使われるようになったものだ。そして、この大統領選挙をめぐって、1本の映画がまさに「逆走行」的に大きな話題を呼んでいる。権力の横暴を極端な暴力にデフォルメして象徴的に描いた『アシュラ』(キム・ソンス監督、16)だ。

 二枚目俳優として高い人気を誇り、これまでは「善い人」役を演じることの多かったチョン・ウソンが、権力と癒着した腐れ刑事に挑戦し、目を覆うほどの悪態ぶりを発揮した意欲作だったが、公開当時の観客の反応はあまり好意的ではなかった。誰一人として善い人間が登場せず、ファン・ジョンミンやクァク・ドウォンといった実力派俳優たちが喜々として悪を演じているが、「最高級食材を使ったまずいビビンパ」といった冷笑的なレビューが多かったのだ。それなのに公開から5年もたって、本作は突如「逆走行」を巻き起こし、韓国のNetflixでは人気ランキング第2位にまでのし上がった(10月1日付)。

 今回のコラムでは、この『アシュラ』と大統領選挙がどのように絡み合い、映画の「逆走行」をもたらしたのか、そして映画のテーマでもある「政経癒着」が韓国の現代史をいかに覆い、この国の暗部を形成してきたかについて紹介することにしよう。

<物語> 

 再開発を控える韓国の地方都市・アンナム。刑事のハン・ドギョン(チョン・ウソン)は、権力と利権のためなら手段を選ばない市長のパク・ソンベ(ファン・ジョンミン)の悪行の後始末を行い、カネをもらっている。末期がんを患うハン刑事の妻は市長の妹でもあり、2人は義理の兄弟関係であった。妻の治療費が必要なハン刑事は、市長の不正を暴露しようとする動きを暴力で潰すなど、パク市長の言いなりになっていた。一方、市長を内密に捜査している検事のキム・チャイン(クァク・ドウォン)は、ハンの弱みを握り、市長の悪事の決定的な証拠を手に入れるスパイとして利用しようと画策。市長と検事の間で板挟みになっていくハン刑事は、ついに両者を直接対峙させ、事態は修羅場と化していく……。

 本作の「逆走行」の要因となったのは、与党側の次期大統領最有力候補とされる、現・京畿道(キョンギド)知事のイ・ジェミョンに対して、野党側から映画そっくりの疑惑を告発されたことに始まる。つまり、映画に登場するファン・ジョンミン演じる悪徳市長の、政治的権力維持と経済的利権のためなら殺人も辞さないやり方が、京畿道・城南市長時代のイ・ジェミョンをモデルにしたのではないかと野党側が指摘したため、本作が一気に国民の関心を引いたのだ。

 野党が指摘した、イ・ジェミョンの実際の疑惑とは、次のようなものである。

 イ・ジェミョンが市長を務めていた2015年、城南市の都市開発のために建設施工会社が設立された。市と多数の民間企業がこれに投資したが、株の半分以上を市が保有していたため、実質的に経営権は市側が握っていた。ところが、開発に伴う利益の多くが、持ち株の少ない特定の民間企業ファチョンデユ社に流れていたことが発覚し、その企業の背後に、イ・ジェミョン市長(当時)がいたのではないかというのである。疑惑に対し、イ・ジェミョンはもちろん全面否定。「市が開発を主導することで、自分はむしろ利益のすべてが民間企業に持っていかれるのを阻止したのだ」「市が得た利益は市民のために使われた」と真逆の主張を展開した。

 だが、面白いのはここからである。こうして疑惑をめぐり与野党の対立が激化し、『アシュラ』の逆走行が起こる中、つい先日、事態は驚きの展開を迎えた。ファチョンデユ社に6年間勤務したのち退職した30代の男性社員が、50億ウォン(約5億円)という巨額の退職金を得ていたことが発覚したのだが、その男性社員はなんと、イ・ジェミョンを告発した野党の国会議員クァク・サンドの息子だったのだ。野党にとっては、超特大のブーメランとなったわけである。

 この事実に怒りを爆発させたのが、厳しい就職難や失業による貧困に苦しむ20~30代の若者たちだった。一生働いても手に入れることのできない夢のような巨額の金を、たった6年働いただけで受け取れるというのは、クァク・サンドへの賄賂以外の何ものでもないではないか――高まる批判の中、結局クァク・サンドは国民に謝罪し辞職に追い込まれたが、こうなると野党側の主張が完全に矛盾することになる。果たして民間企業の背後にいたのは誰なのか? 捜査中の事案であるため、今の時点で書けるのはここまでである。

 ただ、現在争点になっているのは、開発が始まった15年当時はパク・クネ政権下であり、クァク・サンドは大統領の最側近だったという事実だ。真の「悪徳市長」とは誰なのか、疑惑の行方はどう着地し、次期大統領選挙にどんな影響が及ぶのか、韓国の政局からますます目が離せない。

 映画の中では詳しく描かれていないものの、パク市長の最大の目標は都市の再開発であり、それによって発生する莫大な利益の一部を自分のものにすることだ。ではそのためにはどうすればいいのだろうか? それは、単純だが典型的な「政経癒着」の構図を通してである。最も多くのリベートを約束する建設業者(中には本作のようにヤクザが経営するフロント企業もある)に再開発を任せればいいのだ。そして、その過程で当然必要になってくる不正・犯罪行為は、カネで買収した警察や検察を利用すれば簡単にもみ消すことができる。映画のストーリーや、パク市長・ハン刑事・キム検事の関係性は、まさにこの構図の中でつながり合っているのである。

 韓国現代史を振り返ってみると、その規模の大小はともかく、政経癒着はどの政権下でも存在していた。とりわけ、1940年代後半のイ・スンマンから90年代前半のノ・テウまでの独裁政権時代は、政経癒着の全盛期と言ってもいいほど「慣習化」していた。その中から、政経癒着の現実を最も象徴的に国民に知らしめた「チ・ガンホン人質事件」と「チョン・ギョンファン横領/脱税事件」を紹介しよう。ソウルオリンピック直後の88年に起きたこの2つの事件は一見何の関連もないように見えるが、実は強く結びついている。

 88年10月8日、刑務所に護送中の囚人12人が拳銃を奪い、護送車から脱走した。ほとんどは間もなく捕まったが、チ・ガンホンを含めた4人は、一般市民の住宅に侵入して身を隠しながら逃げ続けていた。15日、侵入先の家族の1人が脱出して通報、警察が駆け付けると、チ・ガンホンらは残りの家族を人質にして立てこもったのである。警察をはじめ、囚人の家族らも総出で説得を続ける様子が全国に生中継され、韓国中がかたずをのみながらテレビにかじりついた。その間にチ・ガンホンは、逃走のための自動車とBee Geesの名曲「Holiday」の入ったカセットテープを要求し、警察に用意させた逃走用の車の確認をするため外に出た1人が取り押さえられると、仲間の2人は絶望して拳銃自殺を遂げ、事件は悲劇に向かって加速。

 残りの銃弾数を見誤り、1人残されてしまったチ・ガンホンは、人質を連れて窓際に立ち、外に群がる警察や報道陣、周辺の住民たちに向かって「腐った世の中への不満」を叫ぶと、ガラスの破片で自らの首を刺し、同時に突撃してきた警察の銃に撃たれて絶命、こうして事件は終結した。

 事件の展開が生中継された点や、立てこもった犯人が世の中への痛切な思いを叫ぶといった点から、68年に日本で起こった「金嬉老事件」を想起する人も多いかもしれない。また事件が社会に与えたインパクトは、72年の「連合赤軍事件」に匹敵するものがあるだろう。だがそれ以上に、この事件が現在でも重要な意味を持つのは、チ・ガンホンの壮絶な叫びであった。

 それは、「無銭有罪、有銭無罪」という、権力とカネによって牛耳られた韓国社会に対する心の底からの批判だった。チ・ガンホンは500万ウォン(約50万円)あまりを窃盗した容疑で懲役・保護監護17年の実刑判決を言い渡されていた(ほかの脱走犯も、おおむね似たような罪だった)。だがちょうどその頃、70億ウォン(約7億円)以上の横領と4億ウォン(約4000万円)以上の利権介入の罪で逮捕されたチョン・ギョンファンという人物に対しては、金額の大きさにもかかわらず、懲役7年という短い判決が下された。

 そのことを知ったチ・ガンホンは「無銭有罪、有銭無罪」と叫び、貧しい人間ばかりが罪を着せられ、カネを持った人間は悪事を働いても罪にならない現実を突きつけたのだ。これこそまさに政経癒着という韓国の暗部を言い当てた言葉であり、多くの人々は「彼のやったことは犯罪だが、彼が言ったことは正しい」と、今でも格言のように人口に膾炙している。

 ところで、巨額の横領等を行ったチョン・ギョンファンとは誰だろうか? 勘の良い人はすでにお気づきかもしれないが、彼はあの悪名高き元大統領チョン・ドファンの弟である。

 チョン・ドファンの大統領在任中、チョン・ギョンファンは大統領の弟というだけで、国土開発組織「새마을운동본부(セマウル運動本部)」の会長の座に就き、再開発や建設事業を利用して莫大なリベートや賄賂を受けてきた。にもかかわらず、50万円を盗んで17年の罪となったチ・ガンホンと、7億円以上でたった7年の罪(しかも2年後には恩赦で釈放された)で済んだチョン・ギョンファンの、理不尽な判決の違いは、どう説明できるのだろうか。「カネがあれば無罪、なければ有罪」という現実を思い知ったチ・ガンホンは、チョン・ギョンファンに対する判決を知って脱走を試みたのだ。「延禧洞(当時、チョン・ドファンが住んでいた街)に行って殺したかった」と言ったように、彼の怒りが最終的には権力欲とカネにまみれたチョン・ドファンに向けられていたことがよくわかる。

 チ・ガンホンがなぜBee Geesの「Holiday」を要求したかは謎のままだ。人質になった家族の証言によれば、立てこもっている間ずっと繰り返し聴いていたといい、事件はこの名曲とともに人々の記憶に焼き付けられた。さらに、人質に対する紳士的な態度が明らかになるにつれ、チ・ガンホンに対する人々の共感は高まり、2006年には『ホリデイ』(ヤン・ユンホ監督)というタイトルで映画化もされている。

 大統領選挙に向けた状況や報道は、日々刻々と変化している。与党側の最有力候補イ・ジェミョンは、仕事はできると評判だが、その厳しさゆえ敵も多く、次から次へとスキャンダル疑惑が湧いては消え、ネガティブキャンペーンも絶えない。一方、野党側の最有力候補ユン・ソクヨルは、元検察トップという立場から一転大統領候補に浮上した人物で、ムン・ジェイン政権下での元法務大臣チョ・グクのスキャンダルを追及した人物である。そんな彼もつい最近、テレビの討論会に出演した際、手のひらにまじないのような文字「王」と書いていたことがわかり、国民は再び、迷信に惑わされたパク・クネのトラウマに襲われている。さあ、この選挙はどのような決着を見せるだろうか。 

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

韓国サイコホラーアニメ『整形水』が描く、“整形大国”になった儒教社会の落とし穴

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『整形水』 

 「整形」と聞くと、私には頭に浮かぶ2つの記憶がある。ひとつは今から10年ほど前、偶然目にしたあるテレビドキュメンタリーだ。顔と体に重度のやけどを負った韓国人女性を取り上げたその番組では、韓国で数多くの病院を転々としたものの、すべての病院から「手術は不可能」という絶望的な答えしか得られなかった彼女が、藁にもすがる思いで日本にやって来た様子を取材していた。そして、初めて訪れた病院の医師から「難しいが、希望はある」と言われて号泣した彼女は、数カ月後、手術を経てやけどの痕がだいぶ改善され、カメラの前で明るくほほ笑んでいた。私は、日本の医療技術の高さと、それが傷ついた人々に与える希望に感心しつつ、整形大国といわれる韓国で、なぜそれができないのかを不思議に思った。

 もうひとつは、知人女性のことである。私が就職して間もない1996年、ある集まりで久々に会った彼女の印象が、以前とは変わったような気がしてならなかった。どう尋ねていいものかともやもやしていた私に、彼女のほうから「目と鼻を整形した」と明かしてくれた。なるほど、確かにまぶたは二重に、鼻筋は高くなっていて、前よりくっきりとした印象の顔に整えられていた。彼女いわく、両親に結婚をせかされ、相談所に行ったところ、整形を勧められたらしい。少しでも「美人」になったほうが、より良い男に出会えるチャンスにつながる。考えてみれば、当時こういった認識は、すでに根づきつつあった時代だったのだ。

 この2つの記憶から浮かび上がるのは、韓国における整形の現状である。なぜやけどを負った女性は、韓国での整形をあきらめざるを得なかったのだろうか。一方で、なぜ知人女性はいとも簡単に整形を受けられたのだろうか。もちろん、私は医療に関してはまったくの門外漢であり、ましてやその内部事情などはわからない。だが韓国メディアが報道しているように、韓国は人口100万人当たりの美容整形専門医の数が世界一(2014年国際美容外科学会統計)であり、それはソウルの街にあふれている美容整形医院が証明している。 

 一方で、やけどなど事故による体の損傷を回復させる再建整形病院は、大学病院など大規模な総合病院などごくわずかな数にとどまっている。実際、韓国での「整形」は美容整形を意味し、再建整形は美容整形に吸収されつつあるとの報告もある。こうした現状が、記憶の中にある2人の女性のケースを生み出したひとつの原因だといえるだろう。

 ならばなぜ、韓国では、美容整形医院だけが雨後のたけのこのようにはびこるようになったのだろうか? 「親からもらった体は命より大事」と、声を荒らげて教え込んできた世界一の儒教大国・韓国は、どうしてそれに反するどころか「整形大国」とまでいわれるようになったのだろうか?

 今回のコラムでは、日本公開を控えた整形を素材にしたホラーアニメーション『整形水』(チョ・ギョンフン監督、20)を取り上げ、韓国での整形の実態やその背景について探ってみたい。 
 

<物語> 

 幼い頃、バレエの才能の片鱗を見せていたイェジは、外見による壁にぶつかり、それがすっかりトラウマとなってしまった。大人になった今は、人気タレント・ミリのメイク担当として働いている。ミリからは毎日のように罵倒され蔑まれるなか、偶然出演する羽目になったテレビショッピング番組で、悪意ある切り取られ方をしたイェジの姿がネット上に広まり、外見に対する悪質な書き込みでショックを受け、部屋に引きこもるように。

 そんなある日、ウワサで聞いていた「整形水」が、なぜかイェジのもとに届く。それに顔を浸せば、思うがままに簡単に、顔や体を変えられるという水だった。半信半疑ながらも試してみると、イェジは信じられない変貌を遂げる。変わる周りの視線。さらに美しくなるため、イェジは巨額の借金を重ねて整形水にのめり込む。だが、彼女の整形への欲望は、徐々に恐ろしい方向へと逸脱していく。

 ネットで大人気を集めたウェブ漫画『奇々怪々 整形水』(日本版は『奇々怪々』)を原作に、「美」へのゆがんだ欲望の行く末を描いた作品である。「外見ですべてを判断しようとする悲劇を伝えたかった」という監督の言葉通り、韓国での整形の現実を十分に反映していると高く評価され、上映館の少ない低予算インディーズ映画にもかかわらず、10万人以上の観客を動員するヒット作になった。また、アヌシー国際アニメーション映画祭をはじめ、世界有数の映画祭にも招かれるなど、海外でもその完成度や芸術性を認められた作品である。

 では、韓国で今現在のような美容整形がはやり始めたのは、いつごろからだろうか。整形手術の技術自体は西洋医学が到来したころからあったはずだが、新聞などの資料によれば、整形を促すような広告が目立つようになったのは1980年代からのようだ。ただし、これはあくまでも法的に問題のないクリーンな病院の広告であり、実は「ヤメ」と呼ばれる無免許の整形医は、それ以前から存在していた。「ヤメ」とは日本語の「闇医者」のヤミの韓国なまりで、「あそこの娘はヤメで鼻を直した」といった話を母から度々聞いたことをよく覚えている。

 その後、広告が格段に増え、実際に施術を受ける女性も急増したのは90年代半ばからである。当時を象徴的に物語るのが、96年にあるインターネット会社が始めた「整形手術情報サービス」。有名な医師の紹介や手術の後遺症、注意点から、避けるべきヤメの情報まで発信したこのサービスは、韓国ですでにどれほど整形が日常化していたのかを端的に表しているだろう。

 だがここで注目したいのは「90年代半ば」という時期だ。90年代に入って女性の社会進出が活発になったのはよく知られているが、それに伴って整形も右肩上がりに伸びたという事実は何を意味するだろうか。そう、就職活動において、数多くのライバルたちの中で、少しでも有利になるためである。

 とりわけ、正社員の解雇が簡単にできるようになり、非正規労働者が爆発的に増えた97年のIMF時代の「就職大乱」は、女性を実力より外見で判断する「外見至上主義」を暴走させた原因のひとつとも言われる(ちなみに、整形しても就職できずに、今度は少しでも良い条件の男性を探して積極的に婚活することを「チジップ<취집、就職+結婚の合成語>」と呼び、嘲笑の対象となっていた)。

 こうした流れは収まることなく年々拡大し現在に至っているわけだが、整形をあおる外見至上主義は「女の変身は無罪」といった広告コピーや「美人だから許す」といった類いのセリフを平気で口にするようなドラマを量産し、そこに潜む女性差別を、見えないものにしてしまうだろう。

 そして近年は、「社会通念」と言ってもいいほど一般化しているのだ。このような状況は、本作で主人公のイェジが整形後の美女・ソレに変貌していく様子を通して生々しく描かれている。罵倒されたりバカにされたりしていたイェジが、「美しい」ソレに変わった途端、注がれる男たちの熱い視線は、イェジとしては味わったことのないものだった。当然ソレは、外見がすべてだと、ゆがんだ欲望に突き進むことになる。

 だが問題は、こういった欲望は、そもそも「誰の」欲望かということだ。この場合、欲望の根源的な持ち主は女性ではなく、間違いなく男性である。ソレになったイェジの「美しくなりたい」という欲望は、自分を見つめる男性の視線を手に入れたいというものなのだ。精神分析の理論家ジャック・ラカンは、これを「他者の欲望」と呼んだ。

 では、何がイェジや韓国の女性を、男性の欲望に合わせるように働きかけているのだろうか。私はその裏にはやはり、この上なく男性中心的な社会を築いてきた儒教のシステムが働いていると思う。システムに合わせなければ、つまり男性が欲望する「美しい」女性でなければ、社会の中に「進出」することはできない――それこそが女性に整形を強制させ、そしてほかの女性にも強制に加担させたのではないだろうか。いや、ある意味では男性の欲望の視線に合わせ、女性自らも自分自身を商品化してきたともいえるかもしれない。

 もちろん、整形をめぐるこのような異常な社会を批判し、整形大会と呼ばれた「ミス・コリア」という美人大会のテレビ中継を廃止し、死亡者が出るなど後を絶たない整形手術の弊害を取り上げ、警鐘を鳴らそうとする動きが常にあったのも事実である。だが、男性中心社会の外側から中に入ろうとする女性たちに「美」を求める限り、ソレになりたいイェジのような女性はそこに存在し続けるだろう。

 こんなことを考えているうちに、ふと思い出した日本のアニメがある。『笑ゥせぇるすまん』のエピソード「プラットホームの女」だ。整形に失敗し、本当の顔を仮面の下に隠している女性が、仮面の顔だけを見て「愛している」と告白する男に、怪物のようになった顔を見せながら「これでもあなたは愛してしてくれますか」と迫る。

 男が悲鳴を上げ逃げてしまう背後から、喪黒福造の「どーん!」が聞こえてくるような気がするが、果たして「イエス!」と答えられる男性はいるだろうか。この問いかけに答えられない限り、イェジのゆがんだ欲望は、そして彼女をそうさせる男たちの欲望による「悲劇」は、果てしなく繰り返されるだろう――紛れもなくそれこそが、本作が伝えようとする力強いメッセージである。 

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。

韓国映画『シュリ』『JSA』 から『白頭山大噴火』まで! 映画から南北関係の変化を見る

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『白頭山大噴火』

 2010年、韓国では「近く白頭山(ペクトゥサン)が大噴火する!」というウワサをメディアが騒ぎ立て、国民を不安と恐怖に陥れたことがあった。結果的には現在まで噴火は起こっていないのでただのウワサにすぎなかったのだが、かといってまったく根拠がないわけでもなかった。当時、大噴火の可能性をめぐって韓国や北朝鮮、中国の間で共同研究の動きがあり、シンポジウムなども頻繁に開かれていたからだ。 
 
 朝鮮半島一の標高2744mを誇る白頭山は、北朝鮮北部の咸鏡道(ハムギョンド)と中国東北部・吉林省の国境にまたがっている。建国神話として知られる「檀君神話」(神と、人間の女性になった熊が結ばれ、2人の子どもが古朝鮮を開いたという神話)の舞台であることから、朝鮮民族発祥の地とされ、また半島の山々はすべて白頭山から始まったとするいわゆる「祖宗山」でもあり、それゆえ古くから民族の霊山として信仰されてきた。南北それぞれの国歌にも登場し、とりわけ北朝鮮では金日成(キム・イルソン)の直系家族を「白頭血統」と呼び、金氏一家の神格化に利用している。いずれにせよ朝鮮半島において白頭山は、朝鮮民族の原点を象徴する超自然的な存在なのだ。 
 
 このように日本での富士山のような存在感を持つ白頭山だが、10年にはちょうどアイスランドで火山の連続噴火が発生し、ヨーロッパの航空運航に大混乱をもたらしたことも、白頭山への注目が一気に高まった一因となった。だが北朝鮮には火山や地震の専門家はおろか、測定に必要な設備すらなく、韓国は勝手に手が出せないため、韓国側は中国からの情報提供に頼るしかない中で、中国からは「数年以内に火山性地震再活発化の可能性」という情報がもたらされた。 
 
 こうして一部の韓国メディアが「14年ごろ火山爆発?」といった刺激的な見出しをつけてほぼ確実な情報として大げさに報道したというわけだ。結果、メディアが無責任に「大噴火」と騒ぎ立てたことが判明して大バッシングとなって終わったが、ある与党議員は「北朝鮮の核実験のせいで白頭山の大噴火が近づいている」と主張、噴火までをも「反共」に利用しようとした旧態依然な発想は国民をあきれさせたものだ。 
 
 今回取り上げるのは、こういった一連の騒ぎを背景に作られた『白頭山大噴火』(イ・へジュン監督、19)である。もし本当に大噴火が起きれば朝鮮半島は破滅を免れないと想定し、それを防ぐために命を懸けて共闘する南北を描いたパニック映画である。思えば韓国ではこの20年ほどの間に、何らかの「問題」を解決するために南北が力を合わせて立ち向かうといった映画が何本も作られてきた。軍事独裁の終焉とともに台頭した「同一民族主義」が根底にあるそれらの映画には、南北関係に対する韓国の思惑が少なからず反映されているといえる。そこで本稿では、韓国映画史を振り返りながら、反共から始まり、時代や政権の移り変わりによって共闘へと変化していく、“映画から見える南北関係の変化”をたどってみたい。 
 

<物語> 

 北朝鮮と中国の国境にまたがる白頭山で、観測史上最大規模の噴火が発生。韓国も北朝鮮もパニックに陥って朝鮮半島は甚大な被害に見舞われる。さらなる大噴火が予測される中、南北の破滅という最悪の事態だけは避けようと、政府は地質学者カン・ボンネ教授(マ・ドンソク)に協力を要請、カン教授は北朝鮮が保有する核爆弾で白頭山地底のマグマの流れを変えて噴火を阻止するという作戦を立てる。 
 
 除隊を控えた特殊部隊の大尉チョ・インチャン(ハ・ジョンウ)をはじめ、隊員たちは南北の運命がかかった任務を背負って北朝鮮に向かう。そこで作戦の鍵を握る北朝鮮の工作員リ・ジュンピョン(イ・ビョンホン)との接触に成功。白頭山へ向かうが、中国や米軍までもが核を狙って介入し、噴火までのタイムリミットは刻々と迫ってくる。ようやく白頭山に到達したチョ大尉とリ・ジュンピョンだが、彼らを待っていたのは過酷な運命の分かれ道だった……。 
 
 白頭山大噴火という社会的な話題性を取り入れ、さらに最先端のCGを駆使してリアルに撮り上げた映像、スリリングなタイムリミット付きの死闘など、高い完成度を見せつけた本作は、韓国国内で800万人以上の観客を動員する大ヒット作となった。とりわけCG技術は、20年の大鐘賞と21年の青龍映画祭で立て続けに「技術賞」を受賞するほどの高評価だった。ハ・ジョンウとイ・ビョンホンのダブル主演かつ初共演作としても注目を浴び、同じく20年の大鐘賞でイ・ビョンホンが主演男優賞を受賞している。本来であれば肉体を駆使したアクションが期待されるマ・ドンソクは、本作の製作にも名を連ねていたこともあって学者役にとどまったものの、最後まで目が離せないエンタテインメント作品になっている。 
 
 世界中から問題視されてきた北朝鮮の核爆弾のおかげで噴火を阻止し、韓国も救われるという発想の自由さには正直舌を巻いたが、今でも続く南北の緊張関係ゆえに、映画製作においても豊かな想像力が駆使され、韓国映画界の質を底上げしている点は否めない。ここからは本作の重要な軸である「南北共闘」から見える南北関係と、そこに至るまでの関係性の変遷を、反共映画の歴史を通してたどってみよう。 
 

 韓国で長い間、政権に抗う人々を弾圧/排除するため“武器”として「反共」が利用されてきたことについては、このコラム(『チスル』『スウィング・キッズ』『弁護人』など)でも言及してきた。1948年の建国から軍事独裁が終わる90年代前半までは、映画もまたその反共を美化し、国民を右傾化するプロパガンダの手段として使われてきた。当然のことだが、映画の中で韓国(時の政権)は常に「善」であり、北朝鮮はその善を正当化する「悪」の塊として描かれ、そのルールから逸脱すれば問題となった。

 たとえば、『7人の女捕虜』(65)では人民軍に助けてもらった韓国の女兵士が彼を“素敵”と形容するシーンが「反共法違反」とされ、監督のイ・マニはKCIA(韓国中央情報部)による拷問を受け、裁判にまでかけられた。北朝鮮を良く描くことは、1mmたりともあってはいけなかったのだ。イ・マニ監督はその後「罪滅ぼし」として、徹底した反共映画『軍番なき勇士』(66)を撮らざるを得なかった。 
 
 98年に金大中(キム・デジュン)政権が発足し、北朝鮮に対する融和政策「太陽政策」が本格化すると、反共にがんじがらめにされて硬直していた時代もようやく終わりを告げ、反共映画も著しく変化を遂げることとなった。その幕開けを国内外に広く知らしめたのは『シュリ』(カン・ジェギュ監督、99)である。北朝鮮のテロリストやスパイを「内面を持つ一人の人間」として描き、それまでの反共映画とは比較にならない進化を見せたのだ。とりわけ、金大中大統領の平壌訪問と、金正日総書記との南北首脳会談の実現は、北朝鮮との関係を敵ではなく同じ民族の視点から見直す動きに拍車をかけた。本作の南北共闘の根底にある「同一民族主義」は、この時代に形成されたものにほかならない。 

 
 政治・社会・軍事など、あらゆる局面で対立はしていても同じ民族ゆえに必ず融和できるはずだと訴える同一民族主義は、南北関係の進むべき理想の道とされてきた。しかし、豹変を繰り返す北朝鮮の態度はその限界を露呈させるものでもあった。だからこそ同一民族主義は韓国にとって「欲望」であり、その欲望を収斂する場として映画というファンタジーを必要としたのかもしれない。 
 
 南北兵士の密かな交流を描いた『JSA』(パク・チャヌク監督、00)、南の男子大学生と北の女子大学生の恋物語『南男北女』(チョン・チョシン監督、03)、南北離散家族が偶然見つけた38度線付近の地下トンネルで再会する『出会いの広場』(キム・ジョンジン監督、07)など、金大中の後を継いだ盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権までは、南北統一はそう遠くないといったムードの中で、同じ民族であることを前面に出した映画が量産された。

 中には、北朝鮮が故郷である病気の父のために家族全員がウソの南北統一の世界を作るという『大胆な家族』(チョ・ミョンナム監督、05)のような奇想天外な映画もあった。同作は朝鮮戦争後初めて北朝鮮でロケをした韓国映画としても歴史に残っている。この時代の映画は、反共映画に反旗を翻した「反・反共映画」と呼んでも差し支えないだろう。ただ、問題は韓国のこうした思惑に対して、北朝鮮側はどうだったかである。同一民族主義への韓国の願いは、残念ながら「片思い」に近いものだったと言わざるを得ない。 
 

 このような同一民族主義に基づく映画は、韓国において保守派が政権を取ると、すぐさま姿を消すことになる。その豹変ぶりは、北朝鮮のそれに負けないほどだ。保守派政権下になった08年からの李明博(イ・ミョンバク)と朴槿恵(パク・クネ)大統領時代、南北関係はまたそれまでと方向を変えて進んでいく。ただし、さすがに軍事独裁時代の反共政策には戻れないため、映画における反共ぶりはかなり変形した姿で現れる。 
 
 「反共映画」「反・反共映画」に続く、新たな反共映画を私は「新反共映画」と名付けたい。この時代の作品としては、人権問題の観点から北朝鮮を批判する『クロッシング』(キム・テギュン監督、08)や、昔の反共映画に酷似しているものの実話に基づいていることを強調した『戦火の中へ』(イ・ジェハン監督、10)がよく知られている。北に対する保守派政権の強硬な姿勢が反映されているものの、かつてのような一方的な表現はもはや成立しないという意味で「新反共映画」といえるのだ。 
 
 そんな中、朴槿恵政権が重大な不正によって幕を閉じ、現在の文在寅(ムン・ジェイン)政権に交代。金大中と盧武鉉をの路線受け継ぐ文政権は当然「同一民族主義」に戻り、金・盧大統領と同様、北朝鮮の最高指導者・金正恩(キム・ジョンウン)委員長と会談、再び韓国は南北融和の期待感に満ちあふれた。映画も再び「反・反共」に戻り、本作に代表されるような、南北が力を合わせて危機を乗り越えるといった作品が登場するようになった。 
 
 『鋼鉄の雨』(ヤン・ウソク監督、17)では、クーデターが起こった北朝鮮から、瀕死の金正恩を南に運び出し治療するという展開で、金正恩の後ろ姿やベッドに横たわる姿だけを断片的に見せる手法が斬新だった。これらの映画では、一致団結して難局を乗り越える南北のキャラクターの友情をメロドラマ的に描き、同じ民族ゆえにいかなる混乱も平和的に解決できるという同一民族主義への欲望が堂々と反映されている。 
 
 だが翻って現実はどうだろう? たとえば些細なもめ事が起こるたび、文大統領と金委員長の「融和」の象徴といえる開城連絡所を北朝鮮が一方的に爆破する態度を見ると、同一民族主義があくまで韓国だけの思惑にすぎないことを物語っていないだろうか? もちろん、同じ民族が協力して問題を解決しようとする姿勢が間違っているとは思わない。ただ、どの映画でも結局のところ、南北融和のために犠牲になるのは北朝鮮側の人間であることを考えると、韓国側の同一民族主義にもまたご都合主義が潜んでいるという限界を思わずにいられない。

 ポストコロニアリズムの著名な理論家エドワード・サイードは、著書『オリエンタリズム』で「心象地理」という概念を展開している。西欧によって想像され描かれた東洋という地理は、あらゆる空想や作り話によって満たされた挙げ句、「実在する東洋」は消え、西欧によって想像された「東洋化した東洋」だけが残るというものだ。この理論に基づくならば、韓国に都合のいいように練り上げられた同一民族主義により、北朝鮮は「心象地理」になってしまうだろう。

 ただし、西洋と東洋のようにかけ離れていない、隣り合っている南北では、白頭山大噴火のような両国にとって重大な事件が起こる場合には、最後の選択肢として「南北共闘」はまだあり得るのかもしれない。非現実的でしかない「南北統一」の幻想に冷ややかな視線を送りつつ、そう考えてしまう私もまた朝鮮民族の一員なのである。 
 
 最後に余談だが、「反・反共映画」で南北それぞれの要人を演じる俳優を並べてみると、興味深い共通点が浮かび上がってくる。イ・ビョンホン、チョン・ウソン(『鋼鉄の雨』)、カン・ドンウォン(『義兄弟』)、ヒョンビン(『コンフィデンシャル/共助』)と名だたる二枚目俳優が北側の人間を演じているのに対し、南側の人間を演じるのはハ・ジョンウ、クァク・ドウォン(『鋼鉄の雨』)、ソン・ガンホ(『義兄弟』)、ユ・ヘジン(『コンフィデンシャル/共助』)と、超がつく名優ながら容姿的には決して二枚目ではない(私はこっそり“じゃがいも顔”と呼んでいる)俳優たちばかりだ。

 もちろんこの図式が当てはまらない作品もあるし、個々に異論もあるだろう。だがこのようなキャストをもってくることで、それまでの「反共映画」とは違うのだという作り手側の意図が一目瞭然になるとともに、北の軍服に身を包んだイケメンたちに観客がうっとりする効果を発揮するのは言うまでもない。 

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。