フジテレビ秋元優里アナ“離婚成立”報道の意外な余波……他局でも「アナ同士の交際は控えて」

 自身の不倫騒動なども影響して生田竜聖アナウンサーとの離婚成立が判明したフジテレビの秋元優里アナウンサー。その余波が、意外なところに及んでいる。

 今年1月に週刊誌で年上の男性プロデューサーとの「竹林不倫騒動」が報じられた秋元アナ。現在はすべての番組出演を見合わせており、今後、部署を異動してそのまま社内に残るものとみられている。

「今、仮にフリー転身したところで仕事はない。それでなくとも、テレビ局は近年、コスト削減の観点からフリーアナのカットに躍起になっている。他局にしても、火中の栗をわざわざ拾いにいく余裕はないですよ」(在京テレビ局スタッフ)

 一方、昨年4~9月期には営業赤字に陥るなど、フジテレビの経営状況も惨憺たるもので「今後もボーナスカットなどで対応しそう。もともと高かったとはいえ、年収は下げ止まらないだろう」といわれている。

 まさに“身から出たさび”で窮地に陥ったのだからどうしようもないのだが、迷惑なのは他局のアナウンサーたち。意外な余波が出ているようだ。

 ある地方局のスタッフは「私がいる放送局では、彼女の不倫騒動後、上層部からアナウンス部に対し、水面下で『アナウンサー同士の交際は控えてほしい』と、お達しがあったと聞いている。もちろん、不倫関係などは論外。独身同士の交際ならば問題はないのでしょうが、とにかくトラブルやリスク排除に傾く放送局が増えていると実感しています」と話す。

 かつて、テレビ局といえば、社員の中にも破天荒なキャラクターの人物が多かったが“まとも”になったということなのか。

「俺は利用された」ナルシストの元夫は子どもへの愛情がなく、親子の縁は切れてしまった

singlemother15b『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第15回 小松めぐみさん(仮名・40代)の話(後編)

 子どもが欲しくて白人男性とデキ婚したものの、夫はお坊ちゃん育ちで、世の中の常識がわからないまま大人になったような人だった。徐々にプライドは高いが、ケチな夫の姿が明らかになっていく中、妊娠8カ月の頃に浮気が発覚。前妻がDV妻だったという嘘が発覚すると同時に、自分も警察官の前で「DV妻」呼ばわりされてしまう。

(前編はこちら)

■「男も育児をするべき」という気持ちだけはあった

――妊娠中に浮気の現場を発見し、警察を呼ばれた後、どうなったんですか?

 臨床心理士のところへ2人で行って、カウンセリングを受けました。私と夫、それぞれ1人ずつ事情を話したんですが、元夫は「置物を全部なぎ倒したりして、家で暴れまくった。あいつはDV妻なんです」などと話したそう。もちろん私は否定しました。「物を壊したり暴力を振るったりしたことは一度もないです」と。警察官同様、すぐに察したようで、治療ターゲットは元夫になりました。すると彼は「僕、先生のこと大好きですよ」と、味方につけようと必死になっていましたね。

――出産は問題ありませんでしたか?

 元夫には「外国人専用の病院で産め」って言われました。でも、そんなときまで格好をつける気はありません。まして私にとって英語は母国語じゃないし、金額だって無駄に高い。「普通の病院で産む」って宣言して、実際、そのようにしました。元夫は立ち会ってくれました。そういうわかりやすく感動的な部分は好きなので。涙? もちろん流していました。

――育児はしてくれたんですか?

 アメリカの大学や大学院を出た元夫だけに、表面上はリベラルを自負しているんです。それで、「男も育児をするべき」という気持ちだけはあったみたい。おむつを替えたりとかミルクをあげたりとか、何かと甲斐甲斐しくやってくれましたよ。だけど、ちょっと大きくなっちゃうとだめ。子どもに自我が出てきて、自分のコントロールが利かなくなる。それが嫌だったみたい。だから、ちょっと大きくなったら、すごく突き放していて、厳しすぎると感じました。

――結婚して子どもができると、仕事との兼ね合いとか、育児の労力という点で大変ですよね。

 私が楽になるようなアシストならよかったんですが、彼の提案って私の求めていない、むしろ邪魔で足手まといなものが多かった。覚えているのは、子どもを保育園に入れようと必死になっていたときのことです。私は仕事を休んで手続きに行く予定を立てていました。ところが元夫は私のそんな努力をくみ取らず、いきなりヨーロッパ旅行の予定をボンとぶち込んできたんです。なんの相談もなく。「俺が休みを取れるのは、ここだけだから」って。それで私、「ちょっと待って、行けるわけないでしょ。保育園の手続きとか、患者さんの予約が入ってるんだから」と返しました。

 すると、「お前も、前の妻と同じだ。俺が必死で休みを取って計画したのを、お前は何ひとつ喜ばないのか。いつもそういう女性に出会うんだ、俺は」って、また被害者モードに入って、ふてくされるんです。

――離婚するまでの経緯を教えてください。

 子どもが2歳になる手前で別居しました。きっかけは、彼が突然、会社のトップをクビになってしまったことです。外資系は、責任者であろうが、いきなり辞めさせるんです。おそらく原因は彼自身にあるはずなのに、「お前が支えないからだ。妻として内助の功が足らないからだ」って言うんです。

――リベラルとか言ってるのに“内助の功”だなんて、矛盾していると思わないんですかね?

 だから彼は、ダブルスタンダードなんです。表面はリベラルだけど、すごく差別的で封建的。それと、彼が独特なのは、自分に酔ってるというか、絵に描いたようなナルシストだってことです。

――そこから別居へは、どうつながるんですか?

 クビになって以来、元夫は落ち込んで、ずっと家にこもっていました。ある日、2歳の誕生日が近くなった頃、子どもが元夫におもちゃを持って近寄っていったことがありました。遊んでほしくて、子どもは「パパ」って話しかけた。すると元夫は「ハァ」ってため息をついて、顔をしかめたまま、子どもを相手にしないんです。異様な様子に、途端に子どもがビビってしまって……。

 それを見て「これはやばい。お父さんの機嫌を一生懸命取ろうとする子どもになっちゃう。子どもの情緒が育たなくなる」と思ったんです。それで私、彼に言いました。「病院でうつ病だと判断されて薬をもらってきたようだけど、これを機会にしっかり療養したほうがいいよ。子どもがチョロチョロいたら、あなたが休まらない。あなたのメンタルの回復のため、一度離れよう」って。すると、夫は「そうだね、ありがとう」と言って、すぐに引っ越していってくれました。

――別居だけで、離婚はしなかったんですか?

 私は「子どものためによかれと思って」という気持ちもあるけども、「うつ病と診断された彼の心が休まらないから」という理由もあった。まずは別居して修復していこうと思っていたんです。

――出て行った後は、どうなりましたか?

 別居してから離婚するまでの2年間は、子どもを彼に会わせていました。月1回のペースで。うつであまり無理をさせられないので、毎回3〜4時間から、長くても半日ぐらい。ボウリングに行ったり、一緒に公園に行ったり、食事に行ったり。子どもが行きたそうな場所を優先して出かけていました。あくまで、子どもに付き合ってあげているという感じですね。

――お子さんと2人きり?

 いえ、私も同席していました。彼は子どもの世話ができない人だから、むしろ私に来てほしかったんです。別居しているから顔を見たくないというわけでもないし、子どもの面会についての連絡は普通に取り合っていました。別居中でも、子どもはお父さんのことを好きでしたよ。たまに会うだけなら、彼の機嫌の悪いところも見ないですし。

――別居を経て修復できなかったのはなぜですか?

 「俺がクビになって使いものにならなくなったら、捨てる女なんだ」と彼の中で、いつの間にか話がすり替わってしまったようだから。そのうち「お前に追い出された」という恨みを、直接私にメールでぶつけてくるようになりました。それで最終的には「あの親子(私と母)が俺を追い出した。あいつらは子どもが欲しかっただけで、俺は利用された。捨てられた」というふうに、さらに母も彼の怒りの対象となりました。

――どういう手続きを経て別れたんですか?

 彼の方から「離婚届を出して別れよう」と、メールで連絡してきました。会ってみると、彼の怒りのオーラがすごかった。ここで説得して撤回させようとしても、また大げんかになる――。そう思ったら、面倒くさくなっちゃって、離婚に同意して、届を書いて押印しました。彼のメンタルが回復せず、破局に至ったことは、とても残念でした。

――彼は離婚届を書きながら、ずっと怒ってたんですか?

 いえ。いざ印鑑を押すというとき、「あの子に会えなくなると、俺は……」とか言って涙を流しました。そのとき、彼の本性がわかっていたので、「この人は、泣きたいときに泣けるんだ」ってあきれながら見てましたね。

――その後はどうですか?

 元夫から、完全に音沙汰がなくなりました。子どもはかわいそうに、しばらくは父親を恋しそうにしていました。

――慰謝料とか養育費はどうしましたか?

 彼がドケチだってことは常々感じていましたから、最初から諦めていました。絶対、慰謝料も養育費も無理だと。だから最初からもう何も言わなかったです。私がラッキーだったのは、多くのシングルマザーが直面する経済的な問題がなかったことです。

――彼は「子どもに会いたい」と言ってこないんですか?

 一度もない。むしろ、電話してもガチャ切りされるぐらいです。今や何の興味もないみたい。だから親権問題とか、残念ながら私は個人的にはまったく悩んだことがないし、彼から面会交流したいという要望すら一切ないんですよね。おそらく自分の子どもに対して愛情もないんだと思います。というか、ないとしか思えないです。親子の縁は、実質的には切れてしまってます。

――離婚を経て、いま彼に対してどう思いますか?

 不安感が募る妊娠中とか、子どもを産んだ直後の狂乱状態とかの大変な時期に、元夫を支えることは無理でした。だからその頃、「もうあなたとはやっていけない」と強く言って、彼をはじいてしまった。その点は後悔しているし、申し訳ないという気持ちが残っています。とはいえ、再婚すべく話し合いたいとは思わないですけどね。それとは別に、離婚後も、元夫と定期的に子どもを会わせたり、元夫としての彼との関係を築いたりということはしたかった。

――子どもに会わず、彼は何をしてるんですか?

 風のうわさによると、私と別れた後、結婚し、また離婚したみたいなんです。だからバツ3か4なのかな。前妻に加え、私のことも「妻からDVを受けた」って、付き合う女性たちに言ってるんでしょう。

――お子さんはお父さんに会いたがりますか? また小松さんが、お父さんのことをお子さんに伝えることはあるんですか?

 子どもはいま9歳で、「全然会いたいと思わない」って言ってます。もうちょっと成長して10代の後半とか20代とかになって、ちゃんと父親と話がしてみたいってことで本人がアプローチしたとしても私は止めません。そのとき子どもには「あなたに会ったら、パパは間違いなく涙を流すと思う。『パパは、ずっと会いたいと思ってた』って間違いなくやるから。だけど、それは演技だから」とは言っておくつもりです。そうじゃないと、騙されちゃいますから。

西牟田靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(角川学芸出版)『誰も国境を知らない』(朝日新聞出版)『〈日本國〉から来た日本人』(春秋社)『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)など。最新刊は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

<取材協力者募集>
この連載の取材にご協力いただける方を募集しています。夫と別居または離婚して子どもを育てているお母さん、子どもと夫との面会状況についてお話をお聞かせいただけると幸いです。下記フォームよりご応募ください。

ご応募はこちらから

「俺は利用された」ナルシストの元夫は子どもへの愛情がなく、親子の縁は切れてしまった

singlemother15b『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第15回 小松めぐみさん(仮名・40代)の話(後編)

 子どもが欲しくて白人男性とデキ婚したものの、夫はお坊ちゃん育ちで、世の中の常識がわからないまま大人になったような人だった。徐々にプライドは高いが、ケチな夫の姿が明らかになっていく中、妊娠8カ月の頃に浮気が発覚。前妻がDV妻だったという嘘が発覚すると同時に、自分も警察官の前で「DV妻」呼ばわりされてしまう。

(前編はこちら)

■「男も育児をするべき」という気持ちだけはあった

――妊娠中に浮気の現場を発見し、警察を呼ばれた後、どうなったんですか?

 臨床心理士のところへ2人で行って、カウンセリングを受けました。私と夫、それぞれ1人ずつ事情を話したんですが、元夫は「置物を全部なぎ倒したりして、家で暴れまくった。あいつはDV妻なんです」などと話したそう。もちろん私は否定しました。「物を壊したり暴力を振るったりしたことは一度もないです」と。警察官同様、すぐに察したようで、治療ターゲットは元夫になりました。すると彼は「僕、先生のこと大好きですよ」と、味方につけようと必死になっていましたね。

――出産は問題ありませんでしたか?

 元夫には「外国人専用の病院で産め」って言われました。でも、そんなときまで格好をつける気はありません。まして私にとって英語は母国語じゃないし、金額だって無駄に高い。「普通の病院で産む」って宣言して、実際、そのようにしました。元夫は立ち会ってくれました。そういうわかりやすく感動的な部分は好きなので。涙? もちろん流していました。

――育児はしてくれたんですか?

 アメリカの大学や大学院を出た元夫だけに、表面上はリベラルを自負しているんです。それで、「男も育児をするべき」という気持ちだけはあったみたい。おむつを替えたりとかミルクをあげたりとか、何かと甲斐甲斐しくやってくれましたよ。だけど、ちょっと大きくなっちゃうとだめ。子どもに自我が出てきて、自分のコントロールが利かなくなる。それが嫌だったみたい。だから、ちょっと大きくなったら、すごく突き放していて、厳しすぎると感じました。

――結婚して子どもができると、仕事との兼ね合いとか、育児の労力という点で大変ですよね。

 私が楽になるようなアシストならよかったんですが、彼の提案って私の求めていない、むしろ邪魔で足手まといなものが多かった。覚えているのは、子どもを保育園に入れようと必死になっていたときのことです。私は仕事を休んで手続きに行く予定を立てていました。ところが元夫は私のそんな努力をくみ取らず、いきなりヨーロッパ旅行の予定をボンとぶち込んできたんです。なんの相談もなく。「俺が休みを取れるのは、ここだけだから」って。それで私、「ちょっと待って、行けるわけないでしょ。保育園の手続きとか、患者さんの予約が入ってるんだから」と返しました。

 すると、「お前も、前の妻と同じだ。俺が必死で休みを取って計画したのを、お前は何ひとつ喜ばないのか。いつもそういう女性に出会うんだ、俺は」って、また被害者モードに入って、ふてくされるんです。

――離婚するまでの経緯を教えてください。

 子どもが2歳になる手前で別居しました。きっかけは、彼が突然、会社のトップをクビになってしまったことです。外資系は、責任者であろうが、いきなり辞めさせるんです。おそらく原因は彼自身にあるはずなのに、「お前が支えないからだ。妻として内助の功が足らないからだ」って言うんです。

――リベラルとか言ってるのに“内助の功”だなんて、矛盾していると思わないんですかね?

 だから彼は、ダブルスタンダードなんです。表面はリベラルだけど、すごく差別的で封建的。それと、彼が独特なのは、自分に酔ってるというか、絵に描いたようなナルシストだってことです。

――そこから別居へは、どうつながるんですか?

 クビになって以来、元夫は落ち込んで、ずっと家にこもっていました。ある日、2歳の誕生日が近くなった頃、子どもが元夫におもちゃを持って近寄っていったことがありました。遊んでほしくて、子どもは「パパ」って話しかけた。すると元夫は「ハァ」ってため息をついて、顔をしかめたまま、子どもを相手にしないんです。異様な様子に、途端に子どもがビビってしまって……。

 それを見て「これはやばい。お父さんの機嫌を一生懸命取ろうとする子どもになっちゃう。子どもの情緒が育たなくなる」と思ったんです。それで私、彼に言いました。「病院でうつ病だと判断されて薬をもらってきたようだけど、これを機会にしっかり療養したほうがいいよ。子どもがチョロチョロいたら、あなたが休まらない。あなたのメンタルの回復のため、一度離れよう」って。すると、夫は「そうだね、ありがとう」と言って、すぐに引っ越していってくれました。

――別居だけで、離婚はしなかったんですか?

 私は「子どものためによかれと思って」という気持ちもあるけども、「うつ病と診断された彼の心が休まらないから」という理由もあった。まずは別居して修復していこうと思っていたんです。

――出て行った後は、どうなりましたか?

 別居してから離婚するまでの2年間は、子どもを彼に会わせていました。月1回のペースで。うつであまり無理をさせられないので、毎回3〜4時間から、長くても半日ぐらい。ボウリングに行ったり、一緒に公園に行ったり、食事に行ったり。子どもが行きたそうな場所を優先して出かけていました。あくまで、子どもに付き合ってあげているという感じですね。

――お子さんと2人きり?

 いえ、私も同席していました。彼は子どもの世話ができない人だから、むしろ私に来てほしかったんです。別居しているから顔を見たくないというわけでもないし、子どもの面会についての連絡は普通に取り合っていました。別居中でも、子どもはお父さんのことを好きでしたよ。たまに会うだけなら、彼の機嫌の悪いところも見ないですし。

――別居を経て修復できなかったのはなぜですか?

 「俺がクビになって使いものにならなくなったら、捨てる女なんだ」と彼の中で、いつの間にか話がすり替わってしまったようだから。そのうち「お前に追い出された」という恨みを、直接私にメールでぶつけてくるようになりました。それで最終的には「あの親子(私と母)が俺を追い出した。あいつらは子どもが欲しかっただけで、俺は利用された。捨てられた」というふうに、さらに母も彼の怒りの対象となりました。

――どういう手続きを経て別れたんですか?

 彼の方から「離婚届を出して別れよう」と、メールで連絡してきました。会ってみると、彼の怒りのオーラがすごかった。ここで説得して撤回させようとしても、また大げんかになる――。そう思ったら、面倒くさくなっちゃって、離婚に同意して、届を書いて押印しました。彼のメンタルが回復せず、破局に至ったことは、とても残念でした。

――彼は離婚届を書きながら、ずっと怒ってたんですか?

 いえ。いざ印鑑を押すというとき、「あの子に会えなくなると、俺は……」とか言って涙を流しました。そのとき、彼の本性がわかっていたので、「この人は、泣きたいときに泣けるんだ」ってあきれながら見てましたね。

――その後はどうですか?

 元夫から、完全に音沙汰がなくなりました。子どもはかわいそうに、しばらくは父親を恋しそうにしていました。

――慰謝料とか養育費はどうしましたか?

 彼がドケチだってことは常々感じていましたから、最初から諦めていました。絶対、慰謝料も養育費も無理だと。だから最初からもう何も言わなかったです。私がラッキーだったのは、多くのシングルマザーが直面する経済的な問題がなかったことです。

――彼は「子どもに会いたい」と言ってこないんですか?

 一度もない。むしろ、電話してもガチャ切りされるぐらいです。今や何の興味もないみたい。だから親権問題とか、残念ながら私は個人的にはまったく悩んだことがないし、彼から面会交流したいという要望すら一切ないんですよね。おそらく自分の子どもに対して愛情もないんだと思います。というか、ないとしか思えないです。親子の縁は、実質的には切れてしまってます。

――離婚を経て、いま彼に対してどう思いますか?

 不安感が募る妊娠中とか、子どもを産んだ直後の狂乱状態とかの大変な時期に、元夫を支えることは無理でした。だからその頃、「もうあなたとはやっていけない」と強く言って、彼をはじいてしまった。その点は後悔しているし、申し訳ないという気持ちが残っています。とはいえ、再婚すべく話し合いたいとは思わないですけどね。それとは別に、離婚後も、元夫と定期的に子どもを会わせたり、元夫としての彼との関係を築いたりということはしたかった。

――子どもに会わず、彼は何をしてるんですか?

 風のうわさによると、私と別れた後、結婚し、また離婚したみたいなんです。だからバツ3か4なのかな。前妻に加え、私のことも「妻からDVを受けた」って、付き合う女性たちに言ってるんでしょう。

――お子さんはお父さんに会いたがりますか? また小松さんが、お父さんのことをお子さんに伝えることはあるんですか?

 子どもはいま9歳で、「全然会いたいと思わない」って言ってます。もうちょっと成長して10代の後半とか20代とかになって、ちゃんと父親と話がしてみたいってことで本人がアプローチしたとしても私は止めません。そのとき子どもには「あなたに会ったら、パパは間違いなく涙を流すと思う。『パパは、ずっと会いたいと思ってた』って間違いなくやるから。だけど、それは演技だから」とは言っておくつもりです。そうじゃないと、騙されちゃいますから。

西牟田靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(角川学芸出版)『誰も国境を知らない』(朝日新聞出版)『〈日本國〉から来た日本人』(春秋社)『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)など。最新刊は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

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「父親は早く死んだらいい」ゴミ屋敷で3年間の家庭内別居の末、離婚した女性の壮絶体験

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第14回 山本裕子さん(仮名・40代)の話(後編)

 看護師として勤務していた都内の大学病院の入院患者だった男性と退院後に交際を始め、3カ月で結婚の話に。Uターン就職したいという夫の実家がある東北へ移住したものの、義父母はもちろん、盛大な結婚式を挙げた4カ月後に出戻りした義妹からも冷たい仕打ちに遭う。その後、長男、長女を出産し、一軒家を購入するが、家事も育児もせず、妻をこき使う夫は変わらなかった。自分の両親は結婚を反対していたため、挨拶にも行かずじまいだったが、老後の面倒を見てもらおうと、九州から、目と鼻の先に引っ越してきた。しかし、その実の両親との関係も改善せず、精神安定剤を飲んで泣いてばかりいた。

(前編はこちら)

■夫が、甥の借金の連帯保証人になろうとした

――家庭内別居を3年続けながら、離婚裁判を戦ったそうですね。その発端は何だったんですか?

 義妹の息子(夫の甥)が漁協に就職した後、3年前の5月、夫が変なことを言いだしたんです。「保証人になるから、ハンコと印鑑証明持ってこい」って。何のことかと思ったら、「甥が140万円でローンを組んで車を買うらしい。だったら僕が連帯保証人になってあげたい」って。しかもその申込書、“○○ファイナンス”って書いてある。これは明らかにサラ金です。

――親である義妹が買ってあげたらいいのに……。

 彼女は息子を産んだ後、親戚のコネでいろいろ仕事していました。だけど続かなくて、家賃を滞納したり、借金取りから逃げるために居留守を使ったりしてたんです。車を買ってあげるお金なんか、彼女にあるはずがない。だから兄である夫が甥の親代わりってことで、車を買ってあげようとしたみたいです。身内愛が強いから。でも、私からしたら、とんでもない話。百歩譲って買ってあげるにしても、中古で十分だし、サラ金を使う必然性もない。下手したら、利息が膨らんで家を取られかねない。だから私、夫に言ったんです。

「連帯保証人になるってことの重さをわかってるの? それとも今後もし甥が『家を買ってよ』って言ったら、家の保証人にだってなるつもりなの? 車よりも10倍20倍の額になるよ」
「なるに決まってるだろ! 俺は親代わりなんだから」
「私は、そこまではできない。自分の子どもが一番だから。あなたがそう言うのなら、もう一緒にはいられない」
「そうですかそうですか。だったら離婚すればいいんですね。僕は弁護士いっぱい知っているんだから」
「保証人になるのも断って!」

 そんなとき、当時高3の娘が帰ってきたんですよ。帰宅早々、異様な修羅場です。緊迫感に娘は耐えられなくなって、かわいそうに泣きだしてしまいました。そんな娘を気にかけるどころか、夫は背を向けて電話をかけ始めました。

「ごめんね。保証人になれないんだ」

 すごく申し訳なさそうに、電話で言ってるんです。そのときからです。家庭内別居が始まったのは。

――その後の同居生活は、どうなったんですか?

 連帯保証人になると夫が言いだしてケンカになった後、半年以上波風を立てないよう普段通りにしていました。というのも、娘の大学受験が終わるのが、その年の12月だったからです。ただ、そういう事情を夫は知りません。だから5月以降、いきなり家庭内別居状態となりました。

――それぞれ、どこに住んでいたんですか?

夫は1階のダイニング(15畳)と2階の4部屋のうち3部屋。私たち3人は、1階の6畳間に固まって住みました。娘は私とずっと一緒に6畳間にいて、受験勉強もコタツでずっとやってました。

――旦那さんとの会話は?

 まったくありません。何か不満があって、私が直接言ったら「弁護士を通してください」って言われておしまい。同じ家にはいるんだけど、何から何まで別でした。洗濯機の洗剤とか、そのうちティッシュペーパーまで別にするようになりました。トイレはさすがに共用。だから私が結局、掃除してました。

――一緒の家にいて、攻撃したりされたりはしなかったんですか?

 トイレのドアにヘアクリームが塗りたくられてたり、髪の毛を切ったものを風呂場にまかれたりと、夫からの嫌がらせが続きました。だけど一番こたえたのは、ダイニングにある大型液晶テレビ(52インチ)の音を最大限で、しかも部屋の照明を完全に落としてのシアターモードで、夫が見ていたってこと。しかもダイニングはモノで埋まってた。ペットボトルや空き缶、各世代のデスクトップパソコン5~6台。彼の大学時代のテキストすべてとか。6畳間とキッチン以外はゴミ屋敷状態でした。

――食事は、どうされていたんですか?

 鶏肉を2キロとか買ってきて、チャーハンと唐揚げと鶏チリ、鶏の南蛮煮、鶏シュウマイを作ったり。ミンチを何キロも買ってハンバーグを10個とか、まとめて作ったり。食費はひとり一食100円と切り詰めました。そのとき夫は事実上、お金を入れてくれなくなってたから。

――真っ暗な中、料理は旦那さんがいる前を運ぶわけですね。

 それでもね、ダイニングにいてくれたら、まだよかったですよ。夫がいたのはキッチンとダイニングの間なんです。彼が在宅中はずっとそこにいるんだけど、「通るよ」という言葉のやりとりすら、その頃はなくなってて。彼が陣取ってると、事実上キッチンは使えない状態だったの。夫は何を食べてたかって? お弁当とか買って食べていたみたい。

――3年間ずっとそういう生活が続くって、想像がつかないですが……。

 それこそ夫に放火されて、夫以外、焼死ということだってありうる状態でした。何をされるかわからないし不安なので、3人で固まって6畳間で寝ました。私と娘はシングルベッドで、息子はコタツでね。

――それに加えて、調停や裁判でのやりとりがあったんですね?

 同居しながらの離婚裁判とか調停って、本当に大変。裁判所には別の車で行き、裁判なり、調停なりを終えた後、同じ裁判所から出てきて、それぞれ別の車で移動するんです。それで、帰ってきたら、ずっと夫がいるわけ。気持ちが休まらない。

――離婚に至るまでの経緯を、お話しいただけますか?

 その年の12月。娘の受験が終わった後、近くにある法律事務所を訪問しました。20万円を支払って、弁護士に解決をお願いしたんです。目的は協議離婚の実現。だけど、夫の方が一枚上手でした。というのも、夫は保険会社のトラブル対応係で、のらりくらりかわすのが上手なんです。裁判所での振る舞い方も心得ている。それで、私がお願いした弁護士も、まんまとやられました。

――どういうことですか?

 先ほど「家にはお金を入れてくれなくなった」と話しましたが、弁護士は夫との間で「毎月15万円を振り込む」と取り決めてくれたものの、振り込み先が彼の通帳になっていたんです。夫は家に生活費を入れているふりをして、全部自分で使っていました。だから、私と子ども2人は、私の収入(手取り14万円)だけで暮らすしかなかった。

――よく飢え死にしなかったですね。

 家のローンは終わってましたが、本当に毎日がギリギリでした。それで途中、もうダメだと思って、夫に「離婚してください」と土下座したこともあります。すると、夫に鼻で笑われました。そして、椅子に座ったまま足をぶらぶらさせて、「弁護士の先生に聞いてみないとね~」って、バカにしたように言うんですよ。

――よく心が折れませんでしたね。

 いえ、とっくに折れてますよ。ストレスまみれ。精神安定剤をどれだけ飲んでたか。その日、娘が手を握って一緒に寝てくれなかったら、たぶん一睡もできなかったと思う。その頃はほんときつくて、夫が出勤していなくなると、ひたすら皿を割りまくりました。破片が飛び散らないよう、段ボールの中でね。あとは職場の仲間ですね。看護師仲間とバカを言い合ったりすることで、気分転換ができた。

――その後は、どうなりましたか?

 半年後となる2年前の6月、人づてで別の弁護士を紹介してもらい、会いに行きました。その弁護士先生、顔を合わせたとき、「どうぞおかけください。話は聞いてます。大変でしたね。私でよかったら、お話を聞かせください」と言ってくださった。それを聞いて、せきを切ったように涙が出てきました。でも泣いて、すごく気持ちが楽になりました。精神安定剤なんかより、ずっと効きます。まさに“神対応”です。

――裁判は、どういうふうに進んでいったんですか?

 6月に相談に行って、さっそく7月に離婚調停が始まった。3回やって不調。その後、離婚の件は裁判になりました。親権を争っているわけでもないし、DVでもない。案件として、深刻さはそれほどでもない。だけど、一向に解決しなかった。

――なぜですか?

 夫が頑強に解決を阻んだからですよ。夫は親戚の手前、離婚だけは避けたかったみたい。のらりくらりと話をそらしたり、逐一、証拠の提出を要求したり。裁判官が読み間違えたら大声で指摘したりして、裁判が一向に進まないように妨害を繰り返したんです。裁判沙汰になるような、面倒な人身事故の担当を20数年やっているから、裁判所は彼にとっては“自分の家の庭”同然のところなんです。老獪のひとことです。

――結局、まとまったのはいつですか?

 同時に進行していた婚姻費用調停は、半年後に先にまとまりました。それで毎月11万円が、私の口座に入ってくるようになりました。そこからは生活が楽になって、貯金ができるようになりました。一方、離婚裁判の方は、ほぼ1年かかりました。結審したのは昨年の9月末のことです。ローンが終わっている2階建ての家は、私と子ども2人のもの。子どもは月5万円の養育費が2人分。ただ上の子は、大学を卒業する今年3月末まで。娘はまだ先なので、そのときまでですね。

――それで、旦那さんはすぐに出ていったんですか?

 また、ごねだして振り出しに戻ったら大変です。だから、年末までの努力目標としました。

――彼が家を去っていったのはいつですか?

 最後の最後、昨年の大みそかです。私たちは道向かいの両親の家にいて、彼が出ていくのを待ちました。軽トラを借りて、彼1人で作業して引っ越していきました。出ていったのは大みそかの夜9時でした。最後の最後まで、家を使い倒して出ていきましたね。ゴミがぶちまけられてて、家全体が正真正銘のゴミ屋敷になってました。

――彼が出ていった後の生活はどうでしたか?

 年が開けて元日の朝、ウォーターベッドからナメクジが大量に出てきて、ぞっとしました。だけど、これまでつらかった3年間を考えると、大したことはなかったです。意を決して駆除しました。2階の部屋のうち1つを残して3つを彼が使ってたんですけど、出ていった後、3日3晩ほとんど寝ずに掃除しました。

――ゴミは、どのぐらいありましたか?

 リサイクルショップの人には、軽トラで3往復してもらいました。お金になったものもあったので、差し引きマイナス3万円ほど。あとは全部ゴミ捨て場へ持っていきました。段ボール箱で30箱ほどと、ゴミ袋数十袋。夫のものだけじゃなくて、いらないものは全部捨ててリセットしたんです。いわば人生の一大断捨離という感じです。

――3日たって部屋が片づいた後、心境の変化はありましたか?

 朝起きて、物音を立ててもいい幸せ。ご飯をテーブルの上で食べられる幸せ。本当に何もかもが幸せ。テレビのリモコンを持って、子どもたちと一緒に何を見ようかとチャンネルを選ぶ幸せ。そういう当たり前のことが、幸せに感じられます。私、今人生で一番幸せだと思う(笑)。

――お子さんたちの様子はいかがですか?

 娘なんか、あまりの解放感からか、冬なのに家の窓を開けっぱなしにして馬鹿笑いしたり、ヘンテコな踊りをしたりしてますよ。父親に対しては、裏切られたって気持ちが大きかったみたい。だから、3年間の仕打ちについては当然恨んでます。

 息子は、もっとドライです。私が「弁護士に頼もうか」って話をしてたとき、「割り切って、生活費入れてもらってたらいいんじゃない?」と冷静に言い放ってましたもの。私が十数年前に「別れたい」って話してたときから、「覚悟してたし、父親のことはそう見てた」って、離婚後に話してくれましたから。

 ともかく、今になって言えるのは、3人で結束したからこそ、この3年間を乗り越えられたってことです。だから、子どもたち2人との絆はものすごいですよ。

――今後、子どもを父親に会わせますか? 

 息子は23歳で、娘は20歳。もう2人とも大人だから、会いたければ会いに行けばいいし、連絡も取ればいい。だけど、子どもたちにしたって、そんな気持ちはさらさらないみたい。「早く死んだらいい」って言ってるぐらいだから。怖いのは、彼が病気になったときです。15年以上、1日3回風邪薬を飲み続けていたぐらい呼吸器がおかしいんです。タバコの吸いすぎ。このままだと、持病の肺気腫が悪化する。そのとき子どもたちに「助けて」と言ってくるかもしれない。

――この先、元夫と会うのは嫌ですか?

 私は二度と会いたくないし、風のうわさでも、彼がその後どうなったか……とかすら聞きたくもない。ただ、彼は保険会社の人だから、うちの病院に仕事で電話をかけてくるんですよ。本人から。お互い、相手のことはわかっているけど、名前は名乗らない。それで「はい担当者に代わります」と言って電話を渡します。つまり、お互いに名乗りはしないけど、会話はしてるわけ。そんなふうに、大人な対応をさせてもらってるんです。

 婚姻費用調停後、入ってきた月11万円ずつの貯金を使って、近々、家をリフォームする予定です。どんな家にするか、いろいろ考えるのが楽しいですね。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『〈日本國〉から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

歌手・橋幸夫、熟年離婚・即再婚に大バッシング!「1人でひっそり暮らすんじゃ……」「このゲス老人が!」

 40年以上連れ添った妻と昨年末に離婚していたことが、3月1日にデイリースポーツ紙にて報じられた歌手の橋幸夫。2人は16年11月から別居。その後、離婚の話し合いを続け、昨年末に円満に成立し、財産分与として、橋の自宅などが入る都内のビルは妻の所有になったという。橋の所属事務所は「詳細は聞いていないが、本人同士が話し合ってお互いの道を進む選択をしたのだと思う」と説明し、円満な熟年離婚だと強調。同紙のインタビューで、橋は「人生の最後は、ひっそり1人で自由な生き方をしたかった」と語っていた。

 しかし、3月8日発売の「週刊文春」(文藝春秋)にて、離婚直後に20歳下の女性と再婚していたことが発覚。前妻が役員を務めていた個人事務所を清算し、新妻と一緒に新しい個人事務所を始めたことや、昨年中頃に新妻名義で中古マンションを購入していたことが報道され、橋の所属事務所は「入籍したのは事実」と認めた。

 記事の中で、橋の親しい知人は、離婚・再婚が「これが最善だと決断したのでしょう。彼の一種の“終活”だと思います」と語っており、橋らしい行動だったようだ。だが、ネット上ではこの文春報道により、橋への批判が高まっているようだ。

「デイリースポーツ紙では円満な熟年離婚という報道だったはずが、再婚したということで、『ひっそり1人で暮らすんじゃなかったの!?』『介護は若い方がいいのかよ!』といった批判する声が続々と上がっていました。その他にも、再婚が“離婚直後”ということで『前妻との婚姻が継続していたときから不倫していたのでは?』と勘ぐる人が続出。ネットでは『このゲス老人が!』という声も上がっていましたね」(芸能記者)

 また、ネット上では橋の浮気癖についても話題になっていた模様。

「橋さんは結婚3年目から、家族に『ゴルフに行く』と残し、浮気を繰り返していたことを雑誌で語っており、昨年6月に放送された『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)に出演した際、浮気がバレ、危うく熟年離婚になりそうになったエピソードを告白。共演者たちから浮気を責められた橋は、『浮気がなんなのよ!』と開き直っていましたが、この発言を覚えていた人たちからは、『そんな男とは離婚して正解!』という声も上がっていました」(同)

 熟年再婚した芸能人といえば、加藤茶や故・やしきたかじんさんがいるが、どちらもたびたびバッシングを受けており、順風満帆とはいかないよう。「ひっそり自由な生き方をしたかった」と語っていた橋だが、そうはいかないかもしれない。

渡辺謙、『西郷どん』出演終了後に妻・南果歩との離婚発表か

 鈴木亮平主演で1月7日にスタートし」た18年のNHK大河ドラマ『西郷どん』だが、初回の平均視聴率は15.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、1989年の『春日局』に次いで、ワースト2位と低空発進。その後も苦戦が続いている。

 そんな中、一人気を吐いているのが、島津斉彬を演じている渡辺謙だ。その圧倒的な存在感に、ネット上では「無双すぎる」「覇王感がハンパない」と絶賛する声が飛び交っている。

 渡辺といえば、昨年3月に「週刊文春」(文藝春秋)で不倫が報じられ、騒動が勃発。7月に謝罪会見を開いたが、続報は聞かれないまま。芸能記者が、その裏事情を明かす。

「離婚は時間の問題とみられていましたが、2人の間では“婚前契約”が交わされていたようです。それによると、渡辺側になんらかの不都合があって離婚する場合に、財産のほとんどを南に譲るという内容があり、それがネックになっていた。しかし、ここにきてようやく話し合いがまとまりだしたと聞きます。渡辺演じる島津は毒殺される設定で、5月頃で出番が終了する。それをもって離婚が発表されるのではないかと、もっぱらです」

 さらに、芸能記者たちは離婚の先まで注目しているという。

「『西郷どん』の後、渡辺は来年5月に全米公開されるハリウッドの実写版ポケモン映画への出演が決まっており、しばらくアメリカが活動拠点となる。そこで不倫相手と合流し、再婚に踏み切るのではないかとみています」(スポーツ紙記者)

 同じく不倫騒動で『西郷どん』出演を辞退した斉藤由貴は4月にドラマ復帰することが決まり、最近の“不倫=犯罪”といった空気も薄れてきている感がある。渡辺もこの流れに乗れるか?

中島美嘉、バレー選手との離婚の裏に“有名人形作家”の影?「依存していた感じだった」

 歌手の中島美嘉が、バレーボール選手の清水邦広と離婚。「別々の道という選択肢がお互いの将来のために最善」とのコメントを連名で発表。東京と大阪という“遠距離別居婚”だったが「それぞれの生活が多く家族としての時間を作ることが難しかった」とした。

 ただ、わずか3年間での破局には、中島の知人から「彼女が心酔していたアドバイザーがいなくなったのも原因では?」という話が聞こえてきた。

「よく、占い師に心酔しているタレントが話題になりますけど、美嘉ちゃんは以前、人形作家の堀佳子さんに依存していた感じだったんです。私生活でも、かなりアドバイスをもらっていて、恋愛や結婚にも影響していたようなので、その人がいなくなったのが離婚の一因かもしれません」(同)

 人形作家の堀氏は、一時RIHOの名でも活動、まるで生身に見える「生き人形」(球体関節人形)の制作で名を上げ、ロックバンド・黒夢のイメージビジュアルに採用されたり、海外での個展開催、NHKの番組で特集されるほどの人気を誇っていたが、各所で金銭トラブルを起こして2015年ごろから失踪。果てに約9,000万円の詐欺容疑で告発され、昨年の夏、マネジャーの女性ともども逮捕されてしまった。

 1体200万円ともいわれる精巧な人形の制作技術は確かなものを持っていたが、儲かるからと個展開催を持ち掛けるなどして各所で金を騙し取っていたとされる。

 中島は07年ごろから堀の作品をコンサートの舞台演出に使ったり、パンフレットに掲載したりと、かなりの入れ込みようだったが、表向きはあくまで作品への傾倒で、本当に私生活へのアドバイスまでもらっていたかは明らかではない。ただ、先の知人女性は「堀さんは口がうまいので、美嘉ちゃんが心酔して、必要以上に彼女の作品を起用していた」と見ている。

「知り合いのお金持ちに堀さんの人形を紹介して、営業みたいなこともしてあげていたり、『堀さんから聞いた言葉にインスピレーションを受けた』と言っていたので、作品のいちファンという以上の関係だったと私は思います」(同)

 ただ、堀氏の個展に多数携わったアート関係者によると、「堀先生が引き起こした金銭トラブルは、実際には彼女のマネジャーが主導したもので、堀先生の方が操られていた側」という話もある。

「そのマネジャーはカルト団体か何かに入れ込んでいて、堀先生の売り上げをそこに注ぎ込んでいるというウワサでした。実際、お金はマネジャーがすべて管理していたんですが、やたら迷信めいた話をしたがる人なので、堀先生が洗脳されているようにしか見えませんでしたよ。堀先生は国内外に熱烈なファンが数多くいるので、普通に人形制作していれば十分に大金を稼げていたのに、マネジャーに操られて私生活も仕事もめちゃくちゃになっていた印象です。先生が何か他人にアドバイスするような話をしたとしたら、マネジャーに言われていたことの受け売りでしょう」(同)

 そうなると間接的に、中島の私生活が人形作家のマネジャーに左右されていた可能性が出てくるのだが、ある芸能関係者は「中島さんは熱しやすく冷めやすい人なので、たとえ人形師に心酔したとしても一定期間だけだと思う」とした。

「彼女は好きになると、すぐに全力疾走しちゃう。昔、永瀬正敏と付き合っていたときは、中島が熱烈な永瀬ファンで、事務所の反対も無視して彼の家の近所に引っ越して『帰る方向が一緒』と迫り、恋愛に発展させた力技だった。その後、ギタリストと交際して結婚目前になったけど、休業中に早々に破局して、直後の11年ごろに付き合い始めたのが男子バレー日本代表の清水クンだった。恋愛に夢中になると仕事が疎かになるのは相変わらずで、その後に音楽活動で初めてオリコン10位から外れるスランプとか、激太りとか、何かと仕事に身が入っていないようなこともあった。そうなると冷めるのも早いので、結婚も長くは続かないとは思っていた」(同)

 この関係者の話だと、人形作家の影響による破局ではなさそうだが、いずれにせよこういった話の真実は当人のみぞ知ること。結婚後のライブでは「売れ残らなくてよかった」と発言していた中島だが、離婚後はなんと言うか注目してみたい。
(文=藤堂香貴/NEWSIDER Tokyo)

「子どもを元夫に会わせるのは、自分のため」慰謝料も養育費もなく離婚した妻の思い

singlemother13b『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第13回 尾崎豊美さん(仮名・47歳)の話(後編)

 20代後半で一目惚れした、バツイチの男性と結婚。長男を妊娠中、夫には700万円もの借金があることが発覚。夫の服を売ったほか、食品のまとめ買いや、子ども服をすべて友人からのお下がりで済ますなどして節約し、サラ金4社の借金を数年かけて返済した。しかし、子育てに一切関わらない夫は、次第に暴力を振るい始め、三男が生まれて長男が学校で荒れだすと、「お前の育て方が悪い」といって殴るので、離婚を考えだす。

(前編はこちら)

■私を殴る夫に、長男はおびえるようになった

――豊美さんが叩かれたとき、子どもたちはどういう反応でしたか?

 私が叩かれている姿を見て、「パパがママをいじめてる」と認識したようです。それ以来、長男は父親のことをすごく毛嫌いするようになった。それでも、会話までは拒否してませんでしたけどね。

――とすると、旦那さんと息子さんの関係は、そのまま大丈夫だったんですか?

 いえ。その後、長男は、夫におびえるようになりました。夫が珍しく「外行くか」って誘ったことがあったんです。そのとき長男は勉強中で「終わるまで待ってて」って答えたんです。すると、途端に夫が腹を立てて、「行くのか。行かねえのか」って怒鳴りながら、テレビのリモコンで長男を殴りつけたんです。殴られてからというもの、長男は夫が帰ってくるたびにビクビクするようになっちゃった。そんな長男の姿を見て私、「急いで決着をつけないと」って思いました。

――その後、家から旦那さんを追い出して、離婚したのですか?

 いえ。その前に1回、私が子どもたちを連れて、多摩にある私の実家に帰ってます。その間、彼は1年間にわたり、この一軒家にひとりで生活していました。

――お父さんが買ってくれた家なのに、豊美さんは自ら出て行ったんですね?

 夫が長男をリモコンで殴った頃から、私は心身共にガタガタでした。顔面麻痺に加えて失語症にもなって、もはや限界。そんなとき、父が「家はそこだけじゃないぞ。戻ってこい」と救いの手を差し伸べてくれました。そうして親に甘える形で、私と子ども3人は、実家に住み始めたんです。その頃、私は在宅ワークで収入を得ていて、そこから家賃や食費を親に渡していました。

――決着をつけるべく、旦那さんと話し合いをされたのですか?

 やりとりは、主にメールで行いました。私のほうから「もう限界、別れて」って離婚を切り出すと、夫は渋りました。「別居のままでいいから、離婚はしないでくれ」って。「無理です」と短く返信したんです。

――別居中、旦那さんと子どもたちの関係は、どうだったのでしょうか?

 月に1〜2回のペースで会わせていました。でも、夫の発言を境に、会わせなかった時期もあります。というのも、別れ話の最中、夫は私にこんなことを言ったんです。「『離婚したい』っていうのは俺の意思じゃない。本当に離婚するっていうなら、おまえが慰謝料を払うべきだし、子どもには会わせろ。だけど養育費は払わないからな」って。

 離婚を切り出さざるを得ないぐらいに私たちを追い詰めておいて、『俺の意思じゃない』って、よく言えたものですよ。これには、震えるほどの強い怒りを覚えました。頭にきた私は、それから3カ月ほど連絡を絶ったのですが、すると子どもたち3人それぞれに、「なんで最近パパと会えないの?」「このままずっとパパに会えなくなるの? やだよ、そんなの」などと言われたんです。

 それを聞いて私、思いました。「なんだったんだろう? この10年以上。借金を返してきて、一生懸命あんたたちのためにと思って頑張ってきたのに、なんで『パパ、パパ』なの?」ってやるせない気分になって、下戸なのに私、ワンワン泣きながら浴びるようにお酒を飲み続けて、泣いて泣いて泣きまくったら、明け方になってしまっていました。

 夜が明けていく中、私、達観したんです。親は子どもから愛されている。父親と母親、子どもにはどちらも大事だと。床に就く前に、夫にメールしました。「養育費も慰謝料もいらないから、家から出て行って。その代わり、子どもたちとは好きに会っていい」って。するとすぐに、承諾する旨の返事がきました。そうして、あっさり協議離婚が成立したんです。

――別れた後の心理的な変化はありましたか?

 「今後は、自分が頑張ればいいんだ」っていうことに気がついて、すごく気持ちが楽になったんです。だからなのか、子どもには「離婚して、ママもパパも優しくなった」と感謝されました。だけど、もし夫が調停や裁判を起こしてきたりして長引いたら、私もアウトだったかもしれない。

――面会は、どのような調子で行っていますか?

 リモコンで殴られたことがある長男は当初、夫に会うことを怖がっていました。それでも次第に警戒心が解けていくと、長男が面会の段取りをリードするようになりました。連絡は、夫と主に長男が話をつけてるようです。面会させて帰ってきたときに子どもの様子がおかしいといったことはないですが、「なんでパパとママは一緒に住めないの?」と何回か言われたりはします。そのときは、「地球がひっくり返っても、ママは無理。その分、いっぱい会っていいから」と言ってます。

――面会をさせて、つらくなることはありませんか?

 当初はつらかった。「なんでこんなに喜んで帰ってくるんだろう?」とか「また夫だけいいとこ取りか」とか、面会させるたびに、そんなふうに気持ちがザワザワしていました。なので面会ごとに、エステに行ったり、友達とおいしいものを食べに行ったりして、あえて気を紛らわせていました。

――その後も、ずっと会わせているんですか?

 2年ほど前、夫が急に「子どもに会わなくていい」って言いだしたことがありました。たぶん彼女ができたんでしょうね。しかも、「一軒家を売りたい」って言って、それだけの理由で調停を起こされました。離婚したときは「家は私に譲る」という約束だったのに。

――そこで初めて調停なんですね。

 私、悔しくて、裁判所の調停室でワンワン泣いてしまいました。すると見かねた調停委員が、夫を注意してくれたみたいです。「今、調停をするのは、『子どもに会わせてくれ』っていう人がほとんどですよ。なのに、あなたは好きに会わせてもらって、しかも養育費も払わずに済んでるのに『家を売りたい』って主張する。いったいどういうことですか!」って。

 調停は「家は売らない」という結論で終了しました。それまで口約束だった取り決めを公正証書化し、そこには「家は私に譲渡する」という項目が含まれています。面会交流の項目も入れました。ただ、それは「最低でも夫は月に1回は子どもに会わなければ、罰金を科す」というものでした。結果的には、旦那が『家を売りたい』と言ってきたことで初めて、離婚後の約束を証書にまとめることができました。

――調停後の面会は、どのような感じですか?

 日曜日が多いかな。ご飯を食べに行きますね。長男と次男はもう大きくなっているので、昼間はパパと出歩くのは気恥ずかしいみたい。三男はもちろん、喜んで昼間から会いに行きますよ。それで夕飯には、長男と次男が合流するんです。夏なんかは一緒に、夫と泊まりでG県に行ってきたりしますよ。元義母からは、今でも電話は来ます。

――旦那さんとのやりとりはあるんですか?

 ほとんどないですが、連絡するとき、別にためらいはないです。子どもたちの父親ではあるけど、私にとっては過去の人だから。ここまで気持ちを整理するのに4年かかりました。定期的に淡々と会わせていくことで、私の中のわだかまりを消化していったんだと思う。

――今の生活はどうですか?

 育ち盛りの子どもが3人いると、何かしら出費が増えてしまって大変。だけど、結婚してたときみたいに耐えてないので楽です。家計が大変な分、子どもたちにはかわいそうな思いをさせてて、申し訳ないです。それでも学費だけは出してあげようって決めています。

――今後は何をしたいですか?

 子どもを元夫に会わせるのは、別れた後、幸せになるため。つまりは自分のためだということを、関わっている面会交流支援を通じて伝えたいです。「会わせたくない」という気持ちはすごくわかる。だけど、そのまま1人で抱え込むのは負担が大きすぎますよ。だから、私が支援している人たちには、「会わせ続けることが自分の新しい一歩になるし、自分の人生を生きることにつながるよ」って伝えています。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『〈日本國〉から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

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「元夫が今後再婚しても、親子関係は継続してほしい」障害のある子を守りたい元妻の願い

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第12回 東智恵子さん(仮名・51歳)の話(後編)

 学生時代に出会った男性と結婚。大学の助手になった夫とともに関西に移住し、半年後、長男を出産。産後半年で仕事を再開し、順風満帆に見えたが、2人目の子はなかなか授からない。6年の不妊治療を経て、長女を出産したものの、身体や知能に障害を持っていた。この頃から、夫との間に溝ができ始める。

(前編はこちら)

■障害がある娘の教育について、夫と私との考えが全然違った

――障害がある娘さんの小学校生活は、どのような感じだったんですか?

 入学予定の小学校に障害児のサポートについて聞いたところ、「障害児学級に入る」という選択肢を示されました。これは、別室で先生が個別指導をするというもの。ここに入って6年間勉強したら、娘が将来、集団生活をすることができなくなるんじゃないかと思いました。しかも「途中での変更はできない」と校長先生が言うんです。それはマズいと思い、私は学校に「普通学級に入れてほしい」と、強く要望しました。すると幸い、希望が通り、娘は普通学級に入ることになりました。しかし、現場では異論もあったようで、担任の先生からは、後から「障害児学級に変更すべきです」と、何度も言われましたね。

――先生側が強く言うのは、何か理由があるんですか?

 娘が生まれた頃に、神戸で、障害児などが犠牲になった連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)がありました。あの事件以降、健常児と障害児を分けて教育すべきだという考えが、全国各地の小学校で広がっていきました。分けずに教育すると、障害児がいじめられ、被害感情や疎外感を募らせて、ゆがんだ大人になるから――というのが、その理由でした。いじめっ子はいましたけれど、学年主任が対応に慣れていたからか、その後、高学年で転校するまで大きな被害を受けることはありませんでした。

――娘さんは実際、学校になじめていたんでしょうか?

なにしろ娘は性格が真面目ですし、素直なんです。覚えるのは苦手で、しゃべり方はたどたどしかったですけど、成績は、さほどは悪くはなかった。小学校のときは風邪などで何度か休んだこともありましたが、中学高校では皆勤賞でした。

――大勢の中で障害児を育てるという東さんの教育方針は、旦那さんにも共有されていたんですか?

 それがね、元夫と私との考えが、全然違ってたんです。私が娘を障害児学級に入れるのを学校に断ってからは、教育方針の違いがもとで、元夫との仲が一気に悪くなってしまいました。それ以来、元夫は私に対して「娘を虐待している」「オマエはサイコパスだ」と、しばしば言うようになったんです。伴侶に向かってそんなことを言うのって、どうかしてますよね? それで私、元夫は頭が変になったんじゃないかと思って心配しました。

――夫婦間の問題を、第三者に相談したことはないんですか?

 元夫が精神科病院や児童相談所に「行こう行こう」としつこく言ったので、しぶしぶ付き合ったことはあります。元夫の相談内容は、「妻による娘への虐待を、なんとかしてほしい」ということでした。私が娘を病院へ連れていったり、牛乳を飲ませたりするのが虐待だという不可解な主張したんですよ。「なんとかしてほしい」と元夫が懇願するのを見て、相談員さんは「娘さんを預かりましょうか?」と、助け船を出してくれました。ところが元夫は、その提案をなぜか断りました。

 元夫のそうした反応に、相談員さんは内心、あきれてしまったようです。元夫が席を外したタイミングで「旦那さんは何を考えているのか、よくわかりませんね」と、こっそり私に耳打ちしてきましたから。その後、私は東京に学校事務の仕事が見つかったので、娘を連れて家を出ました。娘が小5のときでした。

――それはまた突然ですね。家を出たのはなぜですか? 

 夫が精神病になり、仕事をクビにされたら、子どもたちを養えなくなると思ったからです。 だけど家を出るとき、私は離婚を望んではいなかったんですよ。別居して冷却期間をつくれば、夫は普通に戻ると思ったんです。

――息子さんは、連れていかなかったんですね。

 息子はそのとき、関東にある某進学校で寮生活をしており、私と娘が東京に移ってからは、たまに会い、一緒に食事をしたりしました。ところが翌年、息子はいきなり姿を消してしまったんです。元夫が息子に対し、「母親が妹を虐待している」という嘘を吹き込んで洗脳したんでしょう。そういえば、ちょうど、息子は大学に入学する頃でした。

――それは単に、大学に進学するから、寮を出ただけのことでは?

 それもあるかもしれません。だけど急にいなくなってしまいました。1年ぐらいすると、メールすら来なくなりました。

――東京に住むようになってからの生活は、どのようなものだったのでしょうか?

 月1回は、奈良の家に帰っていました。私がかなりの資金を出して買ったマイホームですからね。あの家こそが、私や娘の家です。私たちが家を出る前、元夫は部屋にこもりっぱなしでしたが、私たちが東京に移住してからは、態度が変わりました。一時的に帰ってくると、協力して掃除をしたり、食卓を一緒に囲んだりするようになったんです。関係がこれで回復するかなと期待しました。

 ところがある日突然、家の鍵を替えられて、入れなくなりました。それは、別居して1年半後のことです。「なぜ入れてくれないの?」と元夫へメールしたら「おまえは娘を虐待する。家に入れたら、どんな嫌がらせをされるかわからない」といった抗議のメールがすぐに届きました。

――旦那さんの主張の意味が、よくわからないですね。それで、家に入れなくなった後は、どうしたんですか?

 東京に戻った後、弁護士を立てて、調停の申し立てを行いました。家に入れてほしいということと、婚姻費用(離婚前に支払う、子どもの養育費と妻の生活費)の請求。6年前のことです。私は奈良の家に住む権利があるのに、追い出されたんですから。でも、その頃は、離婚をする気持ちはまったくありませんでした。

――旦那さんの主張は?

 「ひどい浪費をしていた」「ヤクザも行っている病院に娘を連れて行く」「娘に薬物を飲ませるという虐待をやっている」「妻自身、サイコパスで精神科へ通院していた」といった荒唐無稽な嘘が、陳述書に記されていました。その一方、財産分与や親権、離婚といった要求については何ひとつ記されていないんです。元夫は弁護士を立てていなかったので、元夫自身が書いているはずなんです。なのに文体がいつもと違って、粗雑で長々としたものでした。

 その後、裁判所から「妻と娘を家に入れなさい」という決定が下されました。それで、家に入れてもらえましたし、婚姻費用も払ってもらえることになりました。ところが、また鍵を替えられて、入れなくなりました。それで再び調停を起こしました。

――その後の調停の様子は?

 合計3回、調停をやったんです。最後の調停では、すでに離婚を考えていたので、財産分与の項目を加えました。元夫の主張は、一貫して変わりません。私による娘への虐待とかサイコパスとかいった虚偽の申し立てを、相も変わらず並べ立てていたんです。彼は、ぶるぶる震えていたそうで、それだけ追い込まれていたのかもしれません。ちなみに3回目は9カ月もかかりました。これで調停はすべて終了です。1回目の調停開始から、6年がたっていました。

――終了というのは、どういうことですか?

 離婚が成立し、財産分与の問題が解決したんです。家を建てるときに使った私の父の保険金を返してもらい、マイホームは元夫だけのものになりました。もうあそこに行くことはありません。離婚が成立したので、婚姻費用ではなくて、養育費という名目で娘に毎月支払ってもらうことになりました。離婚して、私なりにすっきりしました。夫にしても将来、私を養わなきゃいけないということがなくなって、すっきりしたでしょうね。だけど、長年、調停を続けて、正直疲れました。調停をすると、実生活のかなりの時間が失われます。たとえ勝っても、失うものが多すぎますよ。こういうことをしていると、人生が無駄になってしまいます。

――家に入れなくなった後の、息子さんとの関係は?

 3回目の調停の最中に、弁護士さんが見つけ出して、会ってきてくれたんですよ。それでやっと様子がわかりました。息子は大学を卒業して、会社員をしているそうです。なぜ今でも会いたがらないのかが、私にはわかりません。やはり元夫から私の悪口をずっと聞かされていたという事情が影響しているのではないかと思いますけど。

――旦那さんから、「娘に会いたい」という要求はないんですか?

 それがまったくないんです。かといって、元夫の娘への愛情がなかったわけでもない。こっちに引っ越したばかりの頃は手紙をよく寄越していましたし、一時的に止まりはしましたが、その後は養育費をちゃんと払ってくれてますし。

――今、旦那さんに思うことは?

 恨みはありません。ただ陳述書のオリジナルを書いたのは誰だったのか、なぜ嘘八百を並べるような文章を許容したのかってことに関しては、真相を知りたいですね。元夫が今後、再婚したりしても、親子関係は継続してほしいです。元夫には、音信不通になった私たちと息子の仲を元に戻してほしいし、娘にも関わり続けてほしい。一応、身辺自立はできていますが、それでも娘は、ややハンディがあります。彼女を守れるのは、家族しかいないです。

 夫と別れてもなお、東さんは親子の絆を信じて生きている。夫婦の絆は途絶えても、親子の絆が修復されることを私は祈っている。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

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元モー娘。新垣里沙が離婚で蒸し返される“2つの黒歴史”「コネ垣事件」&「田中れいなとの確執」

“ガキさん”の愛称で親しまれるモーニング娘。の7代目リーダー新垣里沙が、16年に結婚した舞台俳優の小谷嘉一と離婚したことを1月5日に発表した。

「昨年3月のハワイでの挙式から1年もたっていないので、驚きました。それまではインスタグラムでも小谷とのツーショット写真を頻繁に公開してラブラブぶりをアピールしていましたが、昨年11月に新たに作成されたアカウントには、小谷の姿はありませんでした。小谷が以前テレビ出演した際に、『今どこにいるか、行動を逐一連絡する』『けんかをしてもメールの文面に必ずハートを入れる』など、細かい夫婦のルールがあることを明かしていましたから、それが息苦しくなったのかもしれません」(スポーツ紙記者)

 今回の離婚はネットニュースなどでも注目を浴びたが、新垣といえば代名詞的な“2つの黒歴史”が存在する。その一つが「コネ垣事件」だ。

「新垣が加入した5期のオーディションの特番で、まだ合格してもいない彼女が出演するCMが放送されたのです。番組スポンサーのCMに出演した候補者がそのまま合格するという不自然さから、コネ疑惑が噴出。新垣を含めた新メンバーのお披露目ライブでは“コネ垣コール”が巻き起こりました」(アイドル誌編集者)

 そしてもう一つが、6期生の田中れいなとの確執だ。

「お互いのブログにまったく相手の写真が載っていなかったり、新垣の誕生日に田中だけプレゼントを贈っていなかったり、番組の企画の中で新垣が田中にだけプレゼントを買おうとしなかったことから、不仲説が取り沙汰されました。田中自身も新垣の卒業セレモニーで、新垣とギクシャクしていたことを告白しました」(同)

 その後、「和解」が報じられた2人だが、実はこんな後日談があった。舞台関係者が明かす。

「田中は新垣の元夫の小谷と、16年に舞台で共演しているんです。その際、小谷がよほどKYなのか、新垣が田中の悪口を言っていることを本人に向かってアケスケに語っていたそうで、田中はかなりショックを受けていたとか」

 昨今、バラエティ番組ではタレントの暴露トークが増えているが、新垣も「離婚の真相」や「田中との不仲話」での出演オファーが殺到するかも?