『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?
第17回 寺田倫子さん(仮名・29歳)の話(後編)
知人の紹介で出会った、くまのプーさんみたいな5歳年上の男性に一目惚れ。笑いのツボが合うところも好きになった理由だった。2人の子を連れて出て行った前妻と彼の離婚が成立した後、同棲を始めた途端にモラハラ男だったことが発覚。しかし、妊娠がわかり、結婚、出産した。その後も変わらない態度に我慢できなくなり、役所に相談してDVシェルターに身を寄せた。
(前編はこちら:くまのプーさんみたいな彼に一目惚れ! 実は“モラハラ男”で出産後、シェルターへ避難)
■DVシェルターから母子生活支援施設へ
――DVシェルターへは、どうやって行ったんですか?
すべての窓が覆われた車で連れて行かれました。携帯は預けさせられるので、場所の確認もできません。だから、どこに連れて行かれたのかわからないんです。それこそ関西にあることしかわからない。ひどい暴力夫から命からがら逃げてきたママさんなんかは、どこにいるのか絶対バレちゃマズいじゃないですか。もしかすると探偵に頼んで場所を特定して、追いかけてくるかもしれないですから。だから秘匿は仕方ないです。
――シェルターは、どんなところでしたか?
テレビのある個室をあてがわれます。3食バッチリ付いていて、おむつとかも全部常備されていて、お金は一切かからない。入所していたのは、せいぜい3組ほど。入れ替わりは激しかったです。連絡先の交換は禁止。あちこちにアザがあるのを隠してるお母さんが、けっこういました。それでも子どもたちは割と健全でしたし、お母さんも一見普通の人たちでした。
――以前この連載でお聞きした中に、シェルター生活の不自由さについて不満を話していた人がいました。
私もすごく嫌でした。1カ月間、本当に牢屋かなって思いました。携帯は没収されましたし、外出は禁止。だから本当に何もできない。娘は食事が合わなくて、ずっと下痢をしていたんですよ。なのに「栄養士が考えている食事なんやから、そんなはずあらへんよ」「これはごっつい体にええから」と言われて看護師さんが見張っている目の前で飲べたり食んだりさせられました。買い物をお願いしても全部却下でしたし。電話するにしても、施設内の公衆電話。スタッフが見ている中での電話です。外出禁止ですから、仕事をしていても辞めなきゃならないし、子どもたちも保育園や学校に行かせられない。そんな環境。うちの子はまだ3歳だったので問題なかったんですが、小学生は勉強室で自習してましたね。
――そうですか。やっぱり逃げるために、いろんなことが制限されるんですね。
本当なら2週間がリミットなんですけど、結局1カ月いました。その間に次の行き場所を決めるんですが、私が母子生活支援施設(母子施設)に行くと言わなかったので、出してもらえなかったんです。私の場合、彼は追ってこないから大丈夫だったのに。
――母子施設は、DVシェルターと比べると何が違いますか?
住むところがタダで、スタッフが支えてくれるという点で共通していますが、母子施設は母子の自立を促すための施設です。1階に受付を兼ねた事務所があり、そこにスタッフがいて、入所者の将来をサポートしてくれます。心理士とか診療士、保育士などもいました。働きに出る間、子どもを預かってもらいました。仕事ですか? 今は週5回、家事代行業スタッフとして9時~5時で働いています。
DVシェルターと違うところは、自由だということですね。携帯を持っていてもいいし、ネットもできるし、午後10時までなら外出ができる。食事は出ないから、自炊しなきゃいけないし、働かなきゃいけない。母子の自立を支援する施設なので、貯金をしないといけないとか、仕事のシフトを全部申請しないといけないとかということもあります。あと嫌なのは、人は呼べませんし、外泊は禁止。恋愛禁止。男性と会っていたとか、そういった理由で何人か退所させられてます。若い子とかが。
――母子施設の住み心地はどうですか?
今で1年。あと1年で退所します。相変わらず自由は制限されていますが、夫と暮らしていたときよりは断然幸せかな。彼と暮らしていたときは、家に帰ると常に嫌な上司がいるような感じでしたから。
――すでに離婚は成立したのでしょうか?
去年の春、調停を起こしました。離婚と親権、養育費です。調停をするにあたって、「弁護士なんていらない」って思ってたんですが、支援措置の件でお世話になった役所に強く勧められて、紹介された弁護士に、結局お願いすることになりました。調停も最初のうちは気を使って、弁護士の主張に合わせていたんです。慰謝料ウン百万円を請求したりとか、面会交流を極力しないよう調節したりとか。だけど途中からは、私のやりたいようにやりました。
――どういうことでしょうか?
「慰謝料はいらない」って言いましたし、面会については、調停委員に「時間制限なくやってくれて構いません」って言いました。だって、弁護士のやってることって一般論すぎるんですよ。私や彼に当てはまらないってことが多々ありました。これじゃ、解決しないですよ。弁護士さんとは相談してるふりはしてたけど、調停の本番では全然違うことを言ったんです。弁護士泣かせの依頼者ですよね。
――それで、どのように決着したんですか?
私には彼の行動がわかってたので、予測して動いて、最後は和解です。親権は私、養育費は毎月ウン万円。慰謝料はなし。面会は無制限。
――では、彼と娘さんは、しょっちゅう会ってたりするんですか?
いや、まったく会ってません。彼が「会いたい」と言ってこないんです。そのことは、彼の前回の離婚後の行動で、だいたい想像はついてましたけどね。
――彼は、前妻の子たちとも会ってなかったんですか?
私と結婚しているとき、前妻と電話で、子どもたちに会うか会わないかの話をしていたことがありました。それで1回ぐらいは長女と会ったのかな。だけど、それ1回きりだったみたい。こちらに娘が生まれてからは、向こうには養育費を払うだけで一度も会いに行ってませんから。
■自分の実父との再会
――ところで話は戻りますが、その後、寺田さんご自身のお父様とは会えたんですか? ご自身が1人で育ててみて、父親がいないことでの大変さとか、いろいろ考えることがあったりするのかなって推察するんですが。会うことで、ご自身が別れた夫と会わせるべきか考える参考にしようとか、思ったりしなかったんですか?
いえ、会うのは会ってますけど、それは子どもを産む前のことです。5年前に、突然「会ってみようかな」って思い立って、20年ぶりに会いました。それまで会いたいと思う気持ちはみじんもなかったし、生きてるか死んでるかということすら、関心もなかったのに。なんででしょうね。
――自分自身は何者なのか、というアイデンティティを追求しようとしたのでしょうか?
単純に好奇心です。どこにいるのかわからないけど、本気を出せば会えるんじゃないかなと思って、父方の祖母に電話をしたんです。そうしたら実は居場所を知ってて、泣きながら「会ってくれるんか。許してるんか」って。「いや、私は恨みとかあらへんから」って返事をしました。そのことを母に言ったら「私は全然反対もしない。(父親に)会ったら、『ひどいことをされたけど、恨んでへんから』って伝えておいて」って言われました。
――会ったときに、何を思いましたか?
父はジャージ姿。太って年取ったなぁって思いました。私に会うということを聞かされていなかったみたいで、自然体な感じで、「おうおう、びっくりするがな。なんやおまえ、お母さんやなくて俺のほうに顔が似てるやん」って。逆に私のほうが感極まっちゃって泣いちゃった。本当にいたんだ。会おうと思えば、人って会えるんだなっていう、そっちの感動ですごく泣きました。とにかく父は穏やかでニコニコしてました。だから人に信用されるし、誰にでも好かれる。ギャンブルさえなければね。そんな人だから、母もなかなか別れなかったんでしょう。父とは今もLINEで連絡取り合ってますよ。
――話を、ご自身の結婚に戻します。子どもを、元夫と会わせてもいいと思ってるんですか?
もちろん。彼が「会いたい」って言ってくれれば、全然会わせます。娘は父親のことはすごく好きですし。彼が抱っこしてる写真とか動画を見せると、娘はすごく喜びます。「パパ、大好き。パパに会いたいなー」みたいなことを気軽に言うんです。
――元夫のほうから、「子どもに会わせてほしい」と連絡してきたことはありますか?
1回だけありました。だけどそのとき、今のところで週5で働いてたし、土日に会わせて娘に熱を出させたくないと思って、「年末まで待ってください」って返事をしました。するとそれ以来、「会いたい」という連絡はないです。養育費は、ちゃんと毎月振り込んでくれてますけどね。
――今までの話を聞いていると、今後、面会実現の望みは薄そうな気がします。
娘に会ってほしいので私、「パパに会いたいな」って娘が言ってる映像を彼にメールで送ったりしています。父親だという自覚はしてほしいですから。でも難しいでしょうね。もし今後、彼の気が変わって、「会いたい」と言ってきたら、もちろん会わせます。彼が私よりも素晴らしい子育てができるんだったら、別に親権もいらないし、それで暮らしていけるんだったら、全然そっちでもいいですよ。私だって自由な時間が欲しいですし。
――やり方次第で面会も可能なんですね。
別居している父親の方々が「子どもに会えない」と嘆いているようですけど、やり方次第。もうちょっと相手に配慮すれば会えますよ。相手の都合とか、会えない理由とかを自覚してないだけ。それこそ「手が足らないときは預かる」とか言えばいいんですよ。
支援措置を受けて、DVシェルターへと移り住むことと、夫と子どもを会わせないこととは関連していないのだ。いったんDVシェルターへ避難したとしても、子どもを会わせたいと思う親も中にはいる。周囲の援助者は、別れたから会わせたくないだろうと忖度せずに、もっとひとりひとりの気持ちをくみ取るべきではないだろうか。元夫は元夫で責任を放棄せず、娘に会うべきだ。倫子さんの元夫が娘と会ってくれることを、私は切に祈っている。
西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『〈日本國〉から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。