小林麻耶と安藤なつ、離婚協議が報じられた2人の共通点はスピード結婚…電撃結婚は難しい?

 ベテラン芸能リポーターの城下尊之氏が、とかくあおり・あおられがちな芸能ニュースをフラットな目線で、おちついて解説!

――小林麻耶が整体師の夫・「あきら。」こと國光吟と、離婚協議に入ったと報じられましたね。メイプル超合金の安藤なつも、「ぽっちゃり好きの男性が集まるコミュニティ」で知り合い、2019年に結婚した6歳年下の一般男性と、代理人を立てて離婚協議に入っていると報じられるな…

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福原愛、イメージ失墜で日台に見切り? “中国ファンファースト”姿勢に囁かれる“中国市場進出”説

 元卓球日本代表の福原愛が、台湾の卓球選手・江宏傑との離婚が成立したことを8日に発表した。直後、福原は故郷の日本や結婚生活を送っていた台湾ではなく、中国のファンに向けて感謝のメッセージを送ったため、今後は中国を拠点にするのではないかとの見方が強まっている。

 離婚について、2人は連名の文書で「私どもの結婚に際して祝福してくださった方々、またご迷惑をお掛けした皆様に重ねてお詫び申…

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熊田曜子の離婚騒動、元カレの参戦と新たなる“参戦候補者”で孤立無援?

 夫に暴行を受けたと通報したことで夫が逮捕され、その後、離婚騒動に発展しているタレントの熊田曜子。

 熊田の夫が熊田の不倫疑惑を赤裸々に告白した「週刊文春」(文芸春秋)と「週刊新潮」(新潮社)に対し、「女性セブン」(小学館)は熊田の夫が暴行した証拠の音声データを入手し掲載。雑誌メディアによる“代理戦争”の様相を呈しているが、6月17日発売の「文春」は夫と出会う11年3月の直前ま…

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小川彩佳アナ離婚批判報道に垣間見られる「わきまえない女が許せない人」たちの存在

 フリーアナウンサーの小川彩佳さんが、6月2日に離婚が決定的だという報道に対して「事実誤認があります」と反論した件に関して、一部から「報道のプロとしていただけない」といった 批判が寄せられている。これまでもSNSを通して個人からの誹謗中傷は散見されていたが、ネットメディア記事にて批判が掲載されている事態だ。

 本来であれば、そのよっぽど特殊な例を除いて不倫された側が批判されるこ…

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熊田曜子、泥沼離婚問題の先はどうなる? 実際に裁判までいくケースはレア、とるべき実利とは

 ベテラン芸能リポーターの城下尊之氏が、とかくあおり・あおられがちな芸能ニュースをフラットな目線で、おちついて解説!

――5月18日に夫が暴行容疑で逮捕されてから1カ月。熊田曜子の離婚問題がドロ沼化していますね。夫はすでに釈放され、週刊誌のインタビューに応えるなどしています。今後どうなっちゃうのでしょう?

 そうですね。当初、問題は夫のDVだけかと思ったら、夫がま…

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再婚直後、「夫の元妻」とトラブル発生! 「よくものうのうと……」養育費増額の主張に怒り収まらず

 人生、何度でも、いくつになっても、やり直しができる。間違えても大丈夫、もう一度、立ち上がって生きていこう!――そんなメッセージを込めてお送りする連載「2回目だからこそのしあわせ〜わたしたちの再婚物語」では、失敗を糧にして「結婚」に再チャレンジし、幸せを手にしつつある人たちの物語を紹介していく。

結婚相談所に登録してお見合い、半年後に再婚

 滝沢美菜子さん(仮名・45歳)は、娘たちが4歳と3歳のときに離婚し、昨年まで15年間、シングルマザーとして生きてきた。お付き合いをした人も何人かいたが、いずれも結婚には至らず、ひとりでもいいかな、と思っていた。でも、娘たちが高校生になったころから、老後を共に過ごせるパートナーが欲しくなってきた。

「いずれ娘たちも独立してしまうし、老後ひとりなのはさみしいかなあと思って……」

 職場の人に紹介され、個人でやっている結婚相談所に登録し、お見合い。そこで出会ったのが、優作さん(仮名・50歳)だ。市役所に勤める公務員。3年ほど前に離婚し、3人いる子どもは前妻が育てていると聞いた。喫茶店で会って話をした第一印象は、「真面目そうな人だな」。

「まあ、どこにでもいるおじさん、でしたよ(笑)。でも、人間、お付き合いしてみないとわからないから、よっぽど変な人じゃなければ、とりあえず、ごはん行ったりしてみようかなと思っていました。それで、なんとなくお付き合いがスタートしたんです」

 お付き合いは順調に進み、半年後に再婚という流れになった。

「両親も喜んでくれたし、娘たちも『いいんじゃない』って」

 娘たちが学校に通いやすいように、美菜子さんが住んでいたアパートの近くにマンションを買い、4人で一緒に暮らし始めた。

 燃えるような恋愛感情はなかったが、堅い職業、朴訥な人柄に安心感をもった。一緒にいて、ほのぼのとした気持ちになれる人だった。

「元夫とは違うタイプ。元夫はスポーツも得意、人付き合いも上手で友達も多く、ノリのいい人でした。私がどちらかというと地味な性格だから、明るい元夫に憧れる気持ちがあったんだと思います。恋愛しているぶんにはよかったけれど、結婚してみたら消費者金融からの借金が発覚したり、小さな浮気もたびたびあったりで、私は気が休まりませんでした」

 美菜子さんの父親は半官半民の会社勤めで、美菜子さんは堅い家庭に育った。消費者金融など、縁のない世界。だから、CMでよく見る消費者金融のマークが入った督促状が家に届いたときは、恐ろしくて震え上がった。

「お金は、友達との遊びやギャンブルに使っていたみたいです。結局、借金が膨れ上がり、返済が追いつかなくなって。元夫が私に内緒で仕事を辞めていたのが決定打になり、私は離婚を決意しました」

 美菜子さんは地元の銀行に正社員として勤めていたので、子ども2人を育てていくことは可能だった。元夫も、少ないながらも養育費は毎月、入れてくれたので、生活は回った。それでも、シングルマザーとして生きていくことは生半可ではなかった。15年間、常に気を張っていた。優作さんと再婚することで、ようやく安らげる生活を手に入れたーーと思いきや、思いがけないトラブルが、優作さん、美菜子さん夫婦を待ち受けていた。

「主人(優作さん)が離婚したのは、前妻が不貞をし、子どもを連れて出て行ってしまったから。当時はいろいろあったけれど、養育費は一括で払い込み、もう決着がついていると聞かされていたんです」

 過去があるのはお互いさま。だから、前妻の存在は特に気にしていなかった。もう関わらなくてよい相手だと思っていたからだ。それなのに、結婚生活が始まってすぐ、優作さんは前妻から養育費増額調停を起こされてしまった。

「主人から『実は……』と打ち明けられて。初めは『そんな昔の女のことなんか知らん、自分で片付けてよ』と思ったんです。でも、一晩考えて、『いまは私がこの人の妻なんだし、味方になってあげたほうがいいんかな』って思い始めました」

 それで、一緒に弁護士事務所に相談に行った。

「男の人がひとりでいくより、女の人も一緒のほうが話を聞いてくれるかなあと思って」

 相談の過程で、知りたくない話もたくさん聞かされることになった。元妻は、思春期の子どもが3人もいるのに不貞をしたこと。優作さんが問い詰めたら、子どもを連れて出て行ってしまったこと。優作さんは子どもにも会わせてもらえず、家族で暮らしていた家にひとり取り残されたこと。元妻は自分の不貞を棚に上げ、子ども3人分の養育費を請求、優作さんは真摯にそれに応えたということ。元妻はその後、その不貞相手と再婚し、相手との間に2人も子どもをつくったということ。

「彼女のSNSをチェックしたら、このご時世に家族総出でチャラチャラと出かけている様子やらがたくさん出てきて。『なに、この女』って思うと同時に、つらい思いをさせられてきた主人のことが心底かわいそうになりました。『この人を絶対、傷つけたらダメだ』って、女としてというより、母親のような愛情が湧いてきたんです」

 結局、養育費増額調停では相手方の主張が認められ、優作さんは一括で支払った養育費に加え、さらに毎月、養育費を支払うことになった。子どものためのお金だから致し方ないが、「さんざん主人を傷つけておいて、よくものうのうと……」。

 美菜子さんの怒りは収まらない。

 しかし、「災い転じて福となす」とは、このことか。元妻から調停を起こされるという不愉快極まりない出来事のおかげで、夫婦の間にタブーがなくなった。本来、元の配偶者の情報など話したくもない、聞きたくもないはずだが、それが「触れてはいけない話題」ではなくなったということだ。

 弁護士費用をどうしようという話から、お金の話も互いにさらけ出せるようになった。優作さんの財布を預かり、美菜子さんが家計管理をする流れが自然に決まった。美菜子さんの娘にかかる費用も、「そこから出していい」と、優作さんは言ってくれた。

 そして、元妻という共通の敵に立ち向かうことで、夫婦としての絆がグッと強まった。

「私、主人が愛おしくて愛おしくてたまらないんです。キュッとくっついて寝るのが、とてもしあわせ……」

 平日は、美菜子さんのほうが帰宅が早い。食事の支度をし、子どもに食べさせ、ひと通りの家事を終わらせた8時か9時ごろ、優作さんが帰ってくる。

「2人ともお酒が好きなので、晩酌をしながらおしゃべり。職場での出来事や愚痴、テレビやネットで見たニュースの感想、毎晩、2時間も3時間も話していますね」

 休日は、料理が得意な優作さんが腕を振るう。先日の子どもの誕生日には、ケーキを焼いて祝ってくれた。こんなにいい人なのに、どうして元妻は浮気をしたのだろう? 優作さんを捨てたのだろう? 美菜子さんは不思議でたまらない。たちの悪い人間というものが、この世の中にはいるのだろうか?

 優作さんも同じように、いまこの生活にしあわせを感じているようだ。折に触れて「かわいいね」「大好きだよ」と言ってくれる。「美菜子がいて、しあわせ」と、ちゃんと言葉に出してくれる。

 この春、上の娘が大学進学に伴い、家を出た。来春には、下の娘も出ていくかもしれない。そうしたら、いよいよ夫婦2人の生活だ。ささやかだが、楽しい日常。派手なイベントはなくても、毎日、笑顔でいられる。これこそが結婚の醍醐味だ。2回目にして手に入れたしあわせを、優作さんも美菜子さんも愛しんでいる。

(上條まゆみ)

「これは連れ去りだ!!」不倫夫が警察官を連れて「息子を返せ」と激高! 子連れ別居した妻が「子どもと離れ離れ」になった理由

 『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。

 おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第3回 久保田美樹さん(仮名・37)の話(後編)

前編はこちら

「息子と名古屋の実家に帰って、1年間暮らしました。ところが、調停の結果、息子は夫の元へ行くことが決まり、離ればなれ。今は、息子に毎日弁当を届けられるよう、近くに引っ越そうと思っています」

 久保田美樹さん(仮名・37)は、つらい話なのに、気丈な様子で、明るく言った。彼女はなぜ、息子と離ればなれになったのか? そもそもなぜ、実家へ連れ去ったのか? 後編は、子連れ別居を経て、一転、息子と別れ、ひとりきりになった経緯、そして、ひとりの女性として立ち直るまでを記す。明るく話す彼女の夢とは何なのか?

実家に帰ったものの、夫が警察官を伴って現れる

――14年の2月、小学4年生の息子さんを連れて、名古屋の実家に帰ってからのことを聞かせてください。

 母と下の妹が住んでいる実家に身を寄せました。母は喜んでくれたんですが、下の妹と息子がぶつかってしまいました。妹は息子に対して、「なんで私が我慢しなきゃならないのよ!」って不満をぶつけてしまって。そんなわけで、家の中でもあまり安心できなかった。

――いきなり2人引っ越してきたら、狭くなるので、親族といってももめるでしょうね。美樹さんは、どうだったんですか?

 名古屋に帰ってきたとき、私はかなり精神的に参っていました。働くことができず、ずっと家で過ごしていました。病院に行って診てもらえばよかったんですが、そんな気にならなくて、ずっと実家で休んでいました。

――自宅には、どのぐらいいたんですか?

 半年です。すぐに息子の転校手続きをして、新学期から名古屋の小学校に通わせていました。

――ということは、東京に戻ってよりを戻すつもりは、もはやなかったということですね。

 はい。私自身が子どもと離れるつもりがまったくなかったし、私ひとりだけで実家に帰るということは絶対にしたくなかったんです。それに尽きます。私ひとりだけで家を出たら、もう二度と子どもと会えなくなるって思っていたんです。周りの人たちからも「今、手を離したら、一生会えないよ」って言われていましたし。

――なるほど。では、子どもと会えなくなった夫は、どうしたんですか?

 春休みが終わって1カ月ほどがたったゴールデンウィークの時期に、警察官を伴ってやってきて、「これは連れ去りだ!! いつ息子を返してくれるんだ!!」と言って、すごく怒っていました。

――子どもを連れていかれた男性のつらさ、僕自身は共感します。

女のことがバレて、両家で話し合いになったんです。なのに、私の人格がどうとか、話をすり替えて正当化して、私だけ家を追い出して、子どもと引き離そうとしたんですよ。

――なるほど……。それで、その後は?

 扉越しに警察官の方と、「これからどうするのか」という話をしました。私からは夫に、「ランドセルを送ってください」と伝えましたね。まあ警察の人がいたので、私も冷静に話してたんですけど。それからしばらくして、調停を起こされました。

――夫は、何の調停を起こしたのでしょうか?

 そのときは離婚を争っていなくて、どちらが育てるかという監護権と面会交流をどうするかという話し合いをしました。その間に私と息子は実家を離れ、2人でアパートに住むようになりました。息子と妹が不仲だったし、私も働けるぐらいの元気さを取り戻したんです。実家に来て半年後のことです。物件は、パート勤めのシングルマザーでも入れるアパートで、息子の小学校の近くでした。接骨院の受付と、引越センターの梱包作業と、ハンバーガーチェーン店の3つの仕事を掛け持ちして育てました。

――子どもを夫に会わせていた? または、会いに行ったりしたのですか?

 そのうち、月1回のペースで夫に面会交流をさせるようになりました。子どもを新幹線に乗せて東京に送り出したり、逆に向こうが来たりもしました。そのときのやりとりは、お互い事務的でした。感情を込めずに、敬語でやっていましたから。彼は金銭的にきつかったと思いますよ。私は法テラスだったのでそんなにかかっていませんが、夫は弁護士を立てていました。おそらく100万円ぐらいはかかったんじゃないでしょうか。調停が行われる日は、仕事を休まなきゃいけないですし。

――調停は、どのように進んだのですか?

 親として自分がいかにふさわしいかを主張し合いました。夫の主張は理路整然としていました。「両親のサポートはあるし、家も近い。正社員として働いているので、収入的には問題ない。子どもが戻ってきたら、残業しなくても帰れるような部署に、会社に移してもらう」といった感じです。

 その点、私は主張が弱かった。実家で一緒に同居していればよかったのに、子どもと2人暮らしということがマイナスにとられました。パートを掛け持ちしてもカツカツだということ。息子は家で留守番できる子ではありましたけど、ずっとゲームばかりしていた。そのこともマイナスだと判断されました。なので、掛け持ちをやめ、息子が小学校に行っている間に働ける昼間の事務に転職しましたが、タイミングが遅くて反映されず、そのまま、結審してしまいました。

――夫は調停においても理詰めだったんでしょう。とすると、美樹さんが、わーっと激高してつかみかかったときや、類似の出来事の詳細を、それぞれ証拠として提出したんでしょうね。

 そうだと思います。

――調停が結審したのはいつですか?

 15年5月です。育てる親として夫がふさわしいという判断が下され、息子の引き渡しが命じられてしまい、私は突然ひとりになってしまいました。監護権の調停で、母親としてやってきたことを全然主張できなくて、家裁の判断に母親としての頑張りが加味されなかったと思うと、いまだにちょっと涙目です。

――その後は、どうされたんですか?

 息子がいないのに、名古屋に住み続けるのは意味がないですからね。すぐに戻りたかった。だけど、仕事とかアパートの契約とか。東京での住む場所とか。いろいろと問題があったので、元いたS区に移るまでに4カ月かかりました。それまでは、私が東京に通って息子に会いに行きました。新幹線だとお金がかかるので、その間はリースした車で往復していました。

――その後、東京に戻ったんですね。

 そうです。もともと住んでいたS区にシングルマザーが入れるシェアハウスがありまして、そこの運営者が「一部屋空いてるから、住んでみない?」と誘ってくれたんです。本来はシングルマザーのみの物件だったんですが、ありがたいことに、運営者に優遇していただきました。名古屋で働いていた引越センターとハンバーガーチェーン店も、都内への引っ越しを認めてくれて、引き続き働けるという話が通ったところで、東京に戻りました。子どもがいなくなってから4カ月後のことでした。

――ひとりきりの生活、つらかったんじゃないですか?

 確かに意気消沈はしました。どん底でした。でも、シェアハウスの仲間や、子どもが幼児だった頃に仲良くしてくれた友人たちに支えられたんです。落ち込んでいる私を見かねたのか、皇居ランに誘ってくれた友人がいて、走り始めたことで、心も体も不思議と安定していったんです。

 こうして、自分ひとりで立って生きていけるようになったのは、別居してひとりになって、再び上京してからです。私にとって第二の人生のスタートでした。

――そこまで達観されたんですね。素晴らしい。

 あの時期のことをいま振り返ると、自分にとって必要だったって思うんです。たくさんの人たちに支えられたり、自分自身のことをひとりきりで見つめ直したりしました。だからこそ、今、人や社会、そして自然が自分の命の根っことつながっているんだという実感を持てているんです。昔のように、私は必要がない人間だと、卑下したりしません。

――なるほど。では当時のことに話を戻しますね。その後、法的には、いろいろ確定したんですか?

 離婚は調停ではないですが、決まりました。面会の条件や養育費について、取り決めをしたわけではないです。といいますか、気持ち的には、こちらが慰謝料をもらいたいくらい。実際に取れないのはわかっているのですが……。

――夫側は美樹さんに対して養育費の支払いを免除した上に、息子と会わせる機会を作ってくれているんですね。

 元夫は私に会わせる機会を作ってくれているというんじゃなくて、邪魔しないだけ。なので、「会わせてくれてありがとう」という感謝ではなくて、邪魔しないでくれてありがたいなぁという感じです(笑)。

――息子さんとの関係は?

 上京した直後は、毎週水曜に息子とデートしていました。小さい頃から連れて行っていた、なじみの喫茶店で、お茶して近況を聞いたり、「ブレスレットが欲しい」と言われて、ビーズを買ってきて作ってプレゼントしたりしました。あとは、たくさん書き込めるスケジュール帳をプレゼントしたりもしていましたね。息子は、そのスケジュール帳を使ってくれました。家族の誕生日とか予定とかをせっせと書き込んだり、月や季節に合ったイラストを描いたりしてくれました。

――それ以降、息子さんとはどのぐらいの頻度で会っていますか?

 しばらくは、月1回のペースで会っていました。中学に入って以降、息子は部活とかでいろいろ忙しくなってしまって。今は3カ月に1回ほどですかね。LINEでつながっていて、日常的にやりとりしていますけどね。息子はもう高校生。ママとは呼んでくれているけど、今や友達のような関係になりつつあります。21歳で産んで、年齢差がそんなにないので。

――高校生になった息子さんに、これだけはしてあげたいといったことはありますか?

 もう少し近くの、キッチンがもう少し立派な物件に引っ越して、息子のお弁当を毎日作って届けたいです。家が近ければ、便利だからってことで私のところにも息子が寄ってくれるだろうし、そうやって行き来してくれたらいいなって思ってます。

――今後やっていきたいことや目標ってありますか?

 将来的にですね、シングルマザーのシェアハウスを作りたいなと思ってます。お母さんをひとりにさせない、孤独にさせないっていうことが大事だと思っていて。もちろんひとりになる時間も大事なんですけど、いろんなサポートとつながるように。シングルマザーのほかにも、貧困女性とか児童養護施設出身の人とか、女性限定でもいろんな人の拠り所のようなところになればいいなと。

――それは、ご自身のつらい経験があったからですよね?

 そうです。特に調停後の、ひとりきりになった時期があったからこそ、孤独な母親に手を差し伸べたいんです。孤独な母親や困っている女性たちにとって、安心安全な居場所を提供してあげたい。「誰がなんと言おうと、私はあなたの味方だよ」というスタンスの居場所づくりをしていけたらいいなぁ。愛の波動で、プラスな輪を広げていきたいなぁって思っています。

(西牟田靖)

「息子に毎日弁当を届けたい」21歳で結婚・出産した女性が、“わが子と会えない”理由

『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。

 おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?

第3回 久保田美樹さん(仮名・37)の話(前編)

「息子と名古屋の実家に帰って、1年間暮らしました。ところが、調停の結果、息子は夫の元へ行くことが決まり、離ればなれ。今は、息子に毎日弁当を届けられるよう、近くに引っ越そうと思っています」

 久保田美樹さん(仮名・37)は、つらい話なのに、気丈な様子で明るく言った。彼女はなぜ、息子と離ればなれになったのか? そもそもなぜ、実家へ連れ去ったのか? 前編の今回は、結婚と出産を経て、別居するまでを記す。

中2の頃、父のDVが原因で、母や妹と家を出て母子寮へ

――まずは幼少期の頃について、教えてください。どんな子どもだったんですか?

 愛知県で生まれ育ちました。トラック運転手の父は感情表現がへたな人。お酒を飲んでは、カッとなって母や私を殴りつけました。針のむしろみたいな生活。理不尽な理由で殴られたり、家の外に出されたりするんですから。

――DVを受け続けると、肉体的にも精神的にもつらいですよね。

 いま思えば、私の性格はADHD※寄りでした。片付けられないし、こだわりが強い。時間に合わせて行動するのが苦手で、小学校のとき、集団登校ができなくて。ひとり遅れて学校に行っていましたし、中学で入った部活の朝練にも遅れたりしていました。

※幼児期から見られる発達障害の一つ。年齢不相応な多動性、注意の持続困難、衝動性などが特徴。家庭や学校でじっと座っていられないなどの状態を呈する。注意欠陥多動性障害(岩波書店「広辞苑第7版」)

――DV家庭という環境が、美樹さんに与えた影響は大きかったですか?

 幼少期の家庭環境から学び取ったものが大きかったのかもしれません。実際、私はこれまでずっと生きづらさを抱えて生きてきましたから。

――家では父親に暴力を振るわれる生活が、ずっと続いたんですか?

 いいえ。母が市役所にDV相談に行っていて、中2の夏休み、父に内緒で家を出ることになりました。市役所の方のお膳立てのもと、名古屋市内の母子寮に、母と2人の妹と共に入所しました。

――急に引っ越して、いろいろと大変だったのでは?

 引っ越した先の学校のレベルが高くて授業についていくのが大変だったり、母子寮に住んでることがバレたくなくて、友達に住所を言わずに隠し続けたり。大変は大変でした。でも、それ以上に、ほっとしていました。父の暴力から逃れることができましたから。

――その後も、ずっと母子寮で?

 高2で、今の市営住宅に引っ越しました。通っていた高校は商業高校で、演劇部に所属して、演じたり、裏方をやったりして、チームで制作する面白さを知ったのです。一生懸命取り組んだあの日々は、私の青春でした。

――高校を卒業してからは?

 テレビや映像制作を学ぶ専門学校に2年間通うため、上京しました。女手ひとつで娘3人を育てる母に無理をお願いできないので、新聞奨学生になり、配達所の寮に入って、毎朝、新聞を配達しながら、専門学校に通いました。

――専門学校を出た後、テレビ業界に就職したんですか?

 テレビや映像の仕事は向いてないかなって思って、卒業後、子ども関係の仕事を始めました。ベビーシッターのアルバイト。というのも、卒業半年前に番組宣伝映像制作のアシスタントをしたんですが、高度なことを求められすぎてしまって、私のレベルではついていけなかったんです。

――テレビから子ども関係? ジャンルが、ずいぶん離れていますね。

 子どもが好きだったので、ベビーシッター、楽しそうだなって。それに看護師や保育士は、資格を取るのに時間がかかるので。資格のいらないシッターならできるかなと思って、保育園で保育補助の仕事をしたんです。

――それからしばらくは、アルバイトをされたんですか?

 同棲して妊娠したので、辞めざるを得ませんでした。通っていた居酒屋で知り合った友達に紹介してもらったサラリーマンがお相手です。第一印象は真面目そうだなと。実際に真面目な人だったんですが。システムエンジニアをやっている26歳。そんな彼とすぐに、お付き合いするようになって、1年後の結婚を視野に入れた同棲ってことで、2004年に1LDKのマンションをS区に買いました。

――出産までの経緯は?

 05年の春、安定期に入ってから結婚式を挙げました。出産したのは9月で、私が21歳のときでした。

――とすると、社会で働く経験があまりないまま、お母さんになられたんですね。

 そうなんです。だから社会の矛盾とか人間関係の難しさとか、そういった複雑なことは考えないし、精神年齢も低いままでした。家庭という狭い世界ではそれでもよかったりする。それだけ若くて社会経験がないと、夫に従わざるを得ないので、夫婦間に波風が立ちにくいですから。だけど私の場合、夫に対して、主張ばかりが強くなっていきました。

――少し話を戻して、出産後まもなくのことを教えてください。

 出産するときは、双方の家族が見に来てくれました。生まれてきてくれたのは男の子。出産直後、猛烈にうれしかったし、感動もした。と同時に、「自分にも生まれてきた意味があったんだ」と、しみじみ思ったのを覚えています。

――若いお母さんだったんですね。子どもが生まれたら、夫も頑張ったんじゃないですか?

 仕事をすごく頑張っていました。クレジットカードのシステム構築を担当していて、毎日のように残業したり、休日出勤をこなしたりしていました。

――しっかり稼ごうと、日々頑張っていたんですね。

 買ったばかりのマンションのローン支払いがありましたから。支払いにかなり重圧を感じているようで、「マンションのローンを返さなきゃ。支払いどうしよう」って口癖のように、よく言っていました。

――美樹さんも、家事や育児を頑張ったんじゃないですか?

 私は私で苦手な家事を、家族のためにと思って頑張っていました。たとえば、レタスをシャキッとさせるために、氷水に漬けたりしていたんです。

――丁寧な家事をされていたんですね。ところで、家計の管理はどうされていたんですか?

 月々決まった額を夫からもらって家計を回していましたが、私、金銭管理が苦手なので、「お前には任せられない。俺が金銭を管理しなゃ」と、夫も言っていました。

――子育てのほうは順調でしたか?

 子どもが小さかったので、夜泣きするんです。夫は残業して疲れて帰ってきているからか、「泣き声がうるさいから別室で寝る!」と言われたり、夜泣きで抱っこしていたら「早く泣きやませろ」と怒鳴られたり。泣いている息子を落ち着かせようと、夜中に家の外でなだめたりしたこともありました。

――あまり協力的ではなかったんですね。では、そこからどうやって亀裂が入っていったんでしょうか?

 ひとつは私がADHD気質で、片付けられない人だったということが夫をいら立たせました。専門学校時代に映像制作用に買ったパソコンとか、服とか、本とか、さまざまなものを捨てずに持っていたんです。夫は真面目で片付けられる人だから、私が片付けられないことでストレスを感じていたんです。

――それはモラハラ?

 だと思います。「お前おかしいんじゃないか」って、常にバカにされていました。なので、私は、元夫のため息ひとつで萎縮していました。それで3回目にドカンと怒られるんです。そのときは決まって、理詰めで私のダメな点を一つひとつ挙げていくんです。

――正論って追い詰められますよね。

 そうかもしれません。でも私だって、一生懸命だったんですよ。最初の子だったので、どうやったら、この子をちゃんと育てられるか必死に考えていましたし、いろいろと行動していました。

――具体的にどんなことをしたんですか?

 ママ友作りというより、息子のために出かけていた児童館は、近くだけでなく、いろいろな場所に通い、たくさん居場所を見つけることの大切さを知りました。あと、私が頼ったのが、当時はやっていたミクシィでした。子育てコミュに入って、情報収集に努めました。

――子育てコミュのママさん同士で、オフ会をやったりしたのですか?

 「区内のママさん集まりませんか」と参加者を募って、集まってくれたママさんたちと一緒に育児サークルを立ち上げましたね。ここでは、たくさんのご縁ができました。

――その頃、夫の様子はどうだったんですか?

 子どもが3歳のとき、うつ病になってしまって、1年ほど働けなくなってしまいました。彼が自分で勝手に買ったマンションのローンのプレッシャーと仕事上の悩み、そして過労が原因です。

 彼が家にいるようになり、そうなるとずっと一緒に過ごさなければならないのと、家計の心配もあるということで、パートに出ることにしました。レジ打ちとかポスティング。その頃から、息子は幼稚園のプレ保育で外に預けていたので、日中は彼ひとりでした。

――夫がひとりになってよかったのでは?

 夫婦の関係はむしろ、どんどんと悪化していきました。夫はその間にオンラインゲーム依存症になってしまいましたし、私は私で、外での活動にのめり込みすぎてしまいました。パートをこなして家計を支えるほかに、親子カフェのボランティアとかオフ会とかの活動も、かなり活発にこなしていましたから。

――夫との関係は、その後、改善したんですか?

 年々関係は冷え込んでいき、子どもが小3の頃には、コミュニケーションがとれない感じになっていました。

――何か決定的出来事があったのですか?

 夫にまとわりつく、異性の影があったんです。私の知らないところで、外食に行ってて。財布に2人分の食事のレシートがあったんです。これは怪しいなと。それである日、夫が寝てる間に部屋に入って、スマホのLINEを確認したんです。すると、怪しいやりとりの証拠を見つけてしまいました。

――修羅場の予感がします。

 それで私、カッとなって叩き起こしました。すると夫は、眠い目をこすりながら、勝手に見たことの非を冷静に非難してくるんです。頭がいいので、理詰めで反論してくるんですよね。それで私、さらにカッとしちゃって。またもパニック状態。よく覚えていないんですが、おそらく、わーっと激高して、つかみかかったんだと思います。

――不倫が判明して、心のバランスが崩れたんでしょうか? 心療内科に通ったりしたんですか?

 レディースクリニックに通って、睡眠薬をもらっていました。その頃(不倫が発覚した頃)には、すぐに爆発することが多くて、自分をコントロールできなくなっていました。もう何かに乗っ取られているような状態。ひどいときは半狂乱で壁に頭ぶつけてたり、包丁で自分を切りつけようとしたり……。お酒と睡眠薬を大量に摂取したりもしていました。

――その後、夫婦関係が破綻したんですね。

 そうです。14年の2月、息子を連れて、名古屋の実家に帰りました。出るとき、夫は見送ってくれました。というのも、彼はそのとき、いったんクールダウンして、長くても、春休みの終わりまでには家に戻ってくると思ったんでしょう。

(後編へつづく)

夫の浮気で妊娠10カ月のときに離婚、現夫と出会ったのは「再婚希望者限定」の婚活パーティーだった

 人生、何度でも、いくつになっても、やり直しができる。間違えても大丈夫、もう一度、立ち上がって生きていこう!――そんなメッセージを込めてお送りする連載「2回目だからこそのしあわせ〜わたしたちの再婚物語」では、失敗を糧にして「結婚」に再チャレンジし、幸せを手にしつつある人たちの物語を紹介していく。

妊娠中に結婚生活が破綻

 沖田美加子さん(仮名・46歳)は、ぱっちりとした瞳が印象的で、「きれいなおねえさん」といった風情の女性だ。いまの夫とは、婚活パーティーで出会い、付き合い始めた。一緒に暮らして6年になる。当時12歳だった息子は、今年高校を卒業した。

「子どもを妊娠中に離婚してから、必死で子育てしてきました。ようやく息子が小学校に入学し、ほっと一息ついたとき、ふと『もう一度、男性とお付き合いしてみたいな』と思ったんです」

 一度目の結婚は、妊娠10カ月のとき、夫から「好きな女ができたから別れてくれ」と言われて破綻した。

「『浮気してごめん』と謝ってくれたならまた違ったんでしょうけど、『別れてくれ』と言われてしまっては、どうしようもなくて……。本人としては『浮気じゃなくて本気だ』と。別居、出産、調停を経て、離婚届を出しました」

 妊娠を機に仕事は辞めていたから、当時は専業主婦。貯金を取り崩しながら生活し、子どもが6カ月になった頃、介護の仕事を見つけて就職した。その後、資格を取得し、収入も上がって、気持ちに余裕が生まれた。それで母親としてだけではなく、女性としても生きてみたくなった。

「息子に聞いたんです。『お母さん、すてきな人がいたらお付き合いしてみようと思うんだけど、どうかな?』って。まだ小学校低学年ですから、無邪気に『いいよ』『弟とかできたらうれしいな』なんて言ってくれました」

再婚希望者限定の婚活パーティーに参加

 とりあえず、婚活パーティーに参加してみた。普通の婚活パーティーにも行ってみたが、子持ちとわかると邪険にされるなど嫌な思いもしたので、再婚希望者限定のパーティーに的を絞った。何回目かのパーティーでカップリングしたのが、いまの夫だ。

「その日はお茶を飲んで帰りました。夫は私に『一目ぼれ』した、と。私は『いい人だな』と。2回目のデートではお昼ごはんを一緒に食べて、会話がとても楽しかったので、『次はいつにしましょうか』みたいな感じで、お付き合いが始まりました。私は息子がいて夜は出られないから、昼間のデート中心。4回目くらいのときに『お子さんも一緒に』と言ってくれたので、一緒にお台場に行きました」 

 その頃、子どもは小学4年生。「弟が欲しい」などと言ってくれていた無邪気な時期は過ぎていて、終始、むすっとしていた。

「それまでずっと2人っきりで生きてきたから、お母さんを取られるという焼きもちだったのかもしれません。夫が話しかけてもそっぽを向いて、私にばっかり『お母さん、お母さん』って」

 それでも夫は諦めず、時間をかけて子どもとの関係を築こうとしてくれた。夫の猛プッシュで始まった交際だが、次第に美加子さんもその誠実な人柄と、ユーモアのある人間性に惹かれていった。

「元夫に手ひどい裏切られ方をしたから、とにかく誠実で安心できる人とお付き合いがしたかった。もともと私は恋愛体質というか、ドキドキハラハラする恋愛が好きだったのだけれど、もう相手に振り回されるのは嫌だな、と。いまの夫には落ち着いた愛情を感じていて、私自身、それがとても心地よかったんです」

 毎週末、泊まりに来るといった形でお付き合いを続けて1年後、子どもの中学入学を機に、一緒に暮らすことにした。

「もちろん息子には確認し、承諾を得た上で、です。でも、『嫌だ』と断ることはできなかったと思うから、かわいそうなことをしたかなと思っています」 

 当初、夫と子どもとの関係はまだギクシャクしていたが、美加子さんが間に入って調整しながら、なんとか暮らしを立ててきた。家族らしくなったのは、子どもの高校受験がきっかけだ。

「反抗期もあって、息子の家の中での態度はあまり感じのいいものではなかったけれど、夫は息子のために高校の情報をいろいろ調べてくれたんです。『この学校は校風がよさそうだ』とか、『あの学校は最近、評判がいい』とか。そんな夫の姿を見て、息子もだんだん夫に心を開くようになりました。息子は夫のことを『ケイさん(仮名)』って名前の愛称で呼んでいて、私も夫を息子のお父さんにするつもりはなかったんですけど、一緒に暮らす家族としての信頼関係は、ここで築けたような気がします」

 夫は、真面目でスポーツ好きな熱血漢。美加子さんは「松岡修造みたいな感じ」と笑う。

「けんかもしますけど、夫の悪いところってあんまり思いつかない。基本、彼が家のローンと光熱費、私が食費と息子関連――と別財布なので、それぞれのお金の使い方にはあまり口出ししていませんが、共同で買うものの出費の割合でもめることがあるくらい。お金以外でもめるのは、お風呂の温度とか。――こうやって考えてみると、あまり不満ってないですね」

 実はけんかをして、「別れる」と言いだすのは決まって夫。お金がらみで言い合いをしたときなど、美加子さんは深い意味があって言ったわけではなくても、夫は「人格を否定された」と怒る。そして、「どうせ美加子は、俺のことなんか好きじゃないんだろ」とすねる。「前の結婚でのトラウマがあるのかもしれませんね……」と、美加子さん。

「『もう別れる!』と夫が言うので、私が冷静に『こんな小さなことで別れていいの?』となだめて仲直り。その繰り返しで、ここまでやってきました。私、けっこう粘り強いんです(笑)」

 さすがに最近、「別れる、別れない」をめぐるけんかはなくなった。

 再婚してよかったのは、いざというときに支えてくれる人がいるという安心感が得られたことだ。数年前、美加子さんは仕事に悩み、心療内科に通うほど追い詰められていた。でも、それを「熱血漢」である夫には、なかなか打ち明けられずにいた。「甘えている」と、叱られてしまうのではないかと思っていたのだ。

「年に1回、夫婦で旅行に行くんですけど、そのとき思い切って話したんです。『弱い私を認めてもらえないんじゃないかと思って言えなかったけど、仕事がつらくて休んでいる。辞めようと思っている』って。そうしたら、思いがけなく『気づいてあげられなくて、ごめんな』と言ってくれて。ああ、つらいときは甘えて大丈夫なんだ、って、すごくほっとしました。直接、手助けしてもらえなかったとしても、そばにいてくれるだけで全然違う」

 温かい家庭を手に入れて、それを日々慈しみながら、いま美加子さんは心おだやかに生きている。

「実はまだ籍は入れていなくて、事実婚なんです。息子が20歳になったら、私から逆プロポーズしようと思っています」

(上條まゆみ)

離婚後すぐ、結婚相談所で再婚を決めた47歳女性の理由「息子に連鎖させたくなかった」と語るワケ

 人生、何度でも、いくつになっても、やり直しができる。間違えても大丈夫、もう一度、立ち上がって生きていこう!――そんなメッセージを込めてお送りする連載「2回目だからこそのしあわせ〜わたしたちの再婚物語」では、失敗を糧にして「結婚」に再チャレンジし、幸せを手にしつつある人たちの物語を紹介していく。

離婚後すぐに結婚相談所に入会

 第1回は、47歳で離婚後、すぐに結婚相談所に入会し、3カ月で成婚退会(婚約)し、お見合いから6カ月後に再婚した千原良枝さん(50歳)に話を聞いた。

 待ち合わせ場所のカフェに現れた良枝さんは、柔らかなロングヘアで楚々としたたたずまいの女性だ。少女っぽいかわいらしさがあり、21歳の息子がいるようには見えない。

 離婚は、かなりのエネルギーを消耗する。20年ほども連れ添った仲なら、なおさらだ。「もう結婚なんてこりごり」となってもおかしくない状況で、しかも、当時18歳の息子がいた。それなのに、離婚後すぐに婚活を始めたのはなぜ?

「息子には、幸せな家庭から巣立ってほしいと思ったんです」

 最初の結婚が壊れた理由は、元夫が転職でストレスを抱えるようになり、家庭の状態が悪くなってしまったことだ。

 次第に息子が精神的に不安定に、良枝さんもストレスから重度の喘息になってしまい、精神的にも身体的にもつらい状況が長く続いた。そのような状況で、良枝さんの人生を変えたのは息子のこの一言だった。

 「ママの病気は僕のせい?」。息子に二度とそんなことを言わせてはいけないと思い、まずは心因性だとわかっていた喘息を克服するために独学で心理学を学び始めた。

 さまざまな本を読んだりカウンセリングを受けたり、講座に参加したりしながら、心理学について学びを深めていく中で、なぜ夫婦関係がうまくいかないのかを解き明かしていった。そして、離婚に至った原因のひとつに、自分の育った家庭環境からくる男性への不信感や自己肯定感の低さが大きく影響していること。また、夫婦関係の良くない環境で育った子どもは両親からパートナーシップを学ぶことができないと気づいた。それを息子に連鎖させたくなかった。

「息子には私が苦労する姿を見せてしまっていたので、このままでは、母親を守ることが自分の役目と感じて自分の人生を送れなくなってしまうかもしれないと思いました。それで、私がパートナーをつくって幸せになることで、息子も心配せず、自分の好きなことをやって自由に巣立ってほしいと思ったんです」

 「再婚という明確な目的をもっているなら、パーティや合コンなどでなく、きちんとした相談所に入会したほうがいいよ。安くはない入会金を払っているぶん、遊び目的の人は混ざっていないはずだから」――そう知人に勧められ、素直な良枝さんは「なるほど」と納得。すぐに、とある結婚相談所の門を叩いた。

「私って、悩む前に直感で動くタイプなんですよ」

 女らしい雰囲気の良枝さんは、第一印象ではおとなしく見られがちだが、実は活発な行動派なのである。

 相談所は、写真やプロフィールなど個人のデータが登録されたファイルを見て、気に入ったり気に入られたりした相手とのお見合いをセッティングしてもらうシステム。良枝さんは、まずはお見合いを申し込んできてくれた人の中から、何人かと会ってみることにした。

「自分の感覚で選んでしまうと、今までの男性選びの癖が出て、また同じ失敗の繰り返しになってしまうから、できるだけカウンセラーさんの経験値から私に合いそうな人を選んでもらいました」

話し合いができなかった元夫

 良枝さんがキュンとくるのは、「俺についてこい」タイプの男性。でも、そういう人は、見た目と違って実は芯の強い良枝さんとは、実はあまり相性がよくない。元夫が、そうだった。

 若い頃、バイト先の先輩として知り合ったとき、リーダーシップのある彼に惹かれた。実際に生活を共にしてみると、その長所は良枝さんにとっての障害となった。また、そのリーダーシップは本来の自分の弱さを隠すためのものだったということにも気がついた。

「夫婦で解決すべき課題があっても、話し合いができず、一方的に力で押さえつけようとするところがありました。でも、心理学を学び、心のケアを続けるうちに、自分のなかに生まれ育った家庭で刷り込まれた固定概念やネガティブな思考の癖が元夫を傷つけていたことにも気づきました。自分は被害者でもあり加害者でもあったこと。そして、お互いに子どもの頃に親から傷つけられた被害者でもあったことにも気がつきました。自分が犯してしまった罪も認めたうえで、でも、話し合いのできない元夫との未来に自分の幸せはないと思ったのです」

 カウンセラーのアドバイスを受けながら、10人ほどとお見合いをしてみた。いろんな人がいた。年齢も5歳下から10歳上まで。初婚だったり再婚だったり、プロフィールもいろいろ。結婚相談所だからこそ、ふだんの生活の中では出会わないタイプの人にも短期間でたくさん出会える。

 今の夫は5歳年上で、バツイチ。最初の結婚では、生まれて数カ月の子どもを連れて元妻が実家に帰ってしまい、そのまま離婚したという経緯がある。元妻は外国人だったので、日本で子育てをする自信がないとのことだった。3カ月に1度は会いに行っていたが、元妻が再婚してからは子どもの幸せを考えて会っていない。

 良枝さんも初めてのお見合いでは、「誠実な人だな」「精神的に自立している人だな」と思ったが、それほどピンとこなかった。いわゆる男らしさを前面に出してくるのではなく、料理が趣味だというこまやかさがある人。良枝さんが一目ぼれをするタイプではなかった。それが、2回、3回とデートを重ねるうちに、だんだんお互いのことが見えてきた。

「私が再婚相手に求めるものは、とにかく『話し合い』のできる人。そして、夫は息子も含めて『家族』になることを希望してくれた。『自分が今までもらってきたバトンを次の世代につなげたい』そんな思いも話してくれて、未来に可能性を感じました」

 良枝さんは「後からトラブルになるのはいやだから」と、交際を始めて1カ月もたたないうちに、新生活を見据えた話し合いを持ちかけた。前の結婚のこと。家族のこと。お金のこと。互いに全部さらけ出し、気になることはクリアにしてから、一緒になることを考えようという提案に、夫は誠実に応えてくれた。

「ああ、話し合いのできる人だな、と」

 面倒なこと、楽しくない話題にも、きちんと向き合ってくれたことがうれしかった。この人となら、人生を共に歩いて行ける。気持ちを確かめ合い、結婚相談所はお見合いからほんの1カ月半で成婚退会、出会いからほんの6カ月で婚姻届を提出した。

コロナ禍のおかげで、家族らしくなった

 それでも、結婚したての頃は、大変だった。互いに決して若くない年齢だから、それぞれ生活のペースややり方が出来上がってしまっている。折り合いをつけるのが難しく、小さなけんかは絶えなかった。カウンセラーやセラピストを目指しながら10年かけて心のケアをしてきたはずなのに、まだ自分のなかにあるやり残しにも気がついた。

「ときには感情的になってしまうこともありました。最初の1年目は、何度か離婚を考えたことも(笑)」

 一緒に暮らし始めた息子は、入ったばかりの大学生活に夢中で、友達の家に泊まることも多く、あまり家にいなかった。それでもお互いに気を使いながらも歩み寄る努力をしてくれていたが、コロナ禍で大きく関係性が変わった。リモートで家にいることが増え、3人が常に顔を合わせる生活になったのだ。

「夫は料理が得意なので、食事の支度は夫に負担がかかることが多くなって、家庭のなかの雰囲気が悪くなっていきました。それを察知した私は、3人での家族会議を持ちかけたんです」

 この話し合いにも、夫は素直に応じてくれた。結果、お昼はそれぞれが自分の分を用意することに。息子は、良い機会だから料理の勉強をしたいけど、親の分まで作るのはプレッシャーだから自分の分だけ作りたい、と。

「家族みんなが本音で自分の気持ちを出し合い、話し合いができたことが本当にうれしかった。コロナ禍のおかげで、息子を含めた私たち3人、家族らしくなりましたね」

 先日、3回目の結婚記念日を迎えた。3年の間に少しずつ信頼関係が積み重なって、最近ではあまりけんかもない。休日には、サイクリングをしたり、高額ではないけれど、一流のお料理やサービスを提供してくれるお店を夫が探してくれて飲みに行ったり。これには一流のものに触れることで、それを良枝さんが自分の仕事にも生かせるようにという夫の思いも込められている。良枝さんがかつて望んでやまなかった、互いを思いやり、小さな楽しみを共有する、幸せな結婚生活が実現している。

 再婚当初、良枝さんは販売職に就いていたが、いずれ家族や夫婦問題を扱うカウンセラーになりたいという夢を持っていた。それが、さまざまな人の話を聞くうちに、「心と体はつながっている。ボディケアも自分のカウンセリングの引き出しのひとつにしたい」という思いが生まれ、昨年からリラクゼーションセラピストとして働き始めた。

 体をほぐし、心をほぐすことで、ねじれて固まった家族や人間関係をほぐしたい。さらには自ら結婚相談所も開設。離婚を経験した人が本当の幸せを手に入れるお手伝いをしていきたいと思っている。

「私がやりたいことを夫も理解し、応援してくれています。支えてくれている夫がいるから、私も冒険できるんです」

 話し合いができる人は、相手を尊重できる人だ。“話し合いができる”というその一点を重視して決めた再婚は、良枝さんにとって大正解だった。

(上條まゆみ)