『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしをし、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?
第1回 倉橋まりさん(仮名、40代)前編
■DVに気づいたとき
「夫のやってることがDVだと気がついたのは、初めて殴られたときでした。『女性を殴るなんてひどい』と思いましたが、その思いを夫に伝えることはできませんでした。怖かったんです。
しばらくは殴られなかったんですが、半年くらい後に、また殴られました。そのとき私は勇気を出して、『殴るのだけはやめてほしい。今度殴ったら別れる』と夫に言いました。
それできっぱりやめてくれるのかと思ったら、その通りにはなりませんでした。さらに半年くらい後、また殴られてしまったんです。我慢せず別れればよかったのに、私は別れることはせず、ただ夫に心を閉ざしただけでした。そうして私は、殴る、蹴る、髪を引っぱる、大声で怒鳴る――といった暴力を、半年くらいごとに振るわれ続けたんです」
倉橋まりさんは、つらい体験の一端を口にした。
「夫と知り合ったのは、私が大学に通っていた頃です。彼は別の大学に通っている人で、頭のいい、優秀な人でした。見た目も格好よかったので、向こうから食事に誘われたときはうれしかった。そのままお付き合いすることになりまして、結局、彼とゴールインいたしました。それぞれ大学を卒業し、就職した後のことです。結婚後、私は家庭に入らず、仕事を続けました。出産後も、職場に復帰して子育てしながら、働き続けたんです。
振り返ってみると、そういえば結婚生活の初期から、前触れといいますか、DVの兆候がありました。例えば、次のようなことをされたんです。『お前のせいで大変なことになる』と脅されたり、お金(生活費)を少ししか渡されなかったり。長時間説教されたり、『お前は最低だ』と言われたり……。それでも最初は、結婚ってそんなものかと思って我慢していたんです。
先に申しましたように、初めて手を上げられたとき、夫にやられていることがDVだと理解しました。しかし殴られても、じっと我慢しました。抵抗すればさらに殴られる、ということが予想できたからです」
暴力を振るわれ続けて、離婚しようという気持ちが高まっていったのだろうか?
「いえ、そうはならなかったです。夫にけなされ続け、自尊心を打ち砕かれてしまっていたからです。『離婚しても、私のような出来の悪い妻では結婚してくれる人はいない。こんな私なのに夫は結婚してくれたのだから、ありがたい』と思っていた。要は洗脳されていたんです。何より夫は稼いでいましたし、浮気もしない。だから私、『子どものためにもと思って、たまに殴られることくらいは我慢すればいい』と自分に言い聞かせていたんです。
夫は夫で、私が殴られても別れようとしないことから、『こいつは殴っても大丈夫』だと思ったんでしょうね。『なんで殴るの?』と聞いたところ、『おまえしか殴ったことはない。おまえが悪いから殴るんだ』といったことを悪びれずに言われたことがあります。
では、なぜ離婚したかって? 夫の浮気が発覚したからです。夫は独身と偽って婚活サイトに登録していまして、真面目に婚活している若い女性たちを食い物にしていたんです。人というのは言葉では平気で嘘をつくのですね。夫を人として軽蔑しました。限界でした」
我慢してでも夫婦関係を維持しよう――。そうした気持ちが彼女の中から消えてしまったのだった。このあと彼女は家を出るという方法で気持ちを表すことになる。
■夫の旅行中に黙って引っ越し
「警察、弁護士(市の無料法律相談で知り合い、そのまま委託)、市役所、行政のDV相談、児童相談所、女性相談センター、小学校、中学校、実家の両親、NPO、民生委員など、別れる直前、あちこち相談に行きました。すべての方が親身に話を聞いてくださったことが何よりうれしかったし、その全員が私の味方になってくれたような心強さがありました。
具体的なアドバイスを出してくださったのは弁護士さんです。『証拠集めをするように』と言われました。その言葉に従い、写真ですとか領収書ですとか通帳ですとかを、夫が見ていない隙に集めていったんです」
そうして、倉橋さんは準備を進めてから家を出た。
「夫が旅行に行っている間に、黙って引っ越しました。『とにかく家を出ないことには、DV夫とは離婚の話し合いはできない』とアドバイスされたので。『弁護士と話してください』と書き置きをして。引っ越し先は教えませんでした。
出ていくとき、『もう無理なので、パパとは別れようと思う、あなたたちは、どちらについていきたいの?』と2人の子どもに尋ねました。すると『ママ』と2人とも即答しまして、それで2人とも連れて行くことにしたんです。そのとき、上の子は中学生で、下の子は小学生でした。
引っ越し先は、子どもが転校する必要のない、もといた家のすぐ近くでした。転校の説得をする時間がなかったため、子どもにも家出の話はギリギリまで内緒にしていました。相談した人からは、『近所だと、子どもがお父さんに待ち伏せされるからダメだ』と助言されていましたが、私は、『まあ大丈夫だろう』と、甘く考えていたんです。
案の定、その後が大変でした。夫がストーカーになったからです。実家に連絡されたり、子どもたちを学校帰りに毎日待ち伏せされたりしてしまいました。弁護士から夫に『近づかないように』と警告してもらったんですが、まったく聞く耳を持ってくれませんでした。その挙げ句、夫は子どもを脅して私の住所を聞き出し、『明日ママに会いに行く』と子どもに言ったんです。そう言われて怖かったんでしょう。家に帰ってきて、私に報告してくれたとき、子どもは顔面蒼白でした。
それを聞いて私、すぐに警察に相談したんです。生活安全課に。すると、親身になって耳を傾けてくれた上に、『今すぐ逃げたほうがいい』とアドバイスされました。さらにはシェルターへと連れて行ってくれました」
(後編へ続く)
