『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?
第8回 田中千恵美さん(仮名・30代)後編
友人の紹介で英会話講師のイギリス人と知り合い、真面目な人柄に惹かれて交際を始めた田中千恵美さん。妊娠を機に結婚したものの、夫の仕事に対する田中さんの両親の口出しなどをきっかけに、彼が暴力を振るうようになる。臨月に近い頃、夫にレイプされた田中さんは、彼を説得し、精神科へ連れて行く。投薬治療により、しばらくは落ち着いたものの、子どもが1歳のときに、夫がナイフを振り回したため警察沙汰になり、別居することになった。
(前編はこちら)
■カウンセラーの警告を無視して、面会交流を始めてしまう
2人は復縁に向け、カウンセリングを受け始める。
「担当してくれたカウンセラーの先生には『お互いの気持ちがちゃんと落ち着くまでは、一緒に時間を過ごすのはカウンセリングの間だけ。それ以外では会っちゃダメ』と警告されていました。だけど、彼のほうが我慢できずに電話をかけてきて、『子どもに会いたい』って電話口で泣きながら言うんです。それを聞いて私、たまらなくなりました。同居中、彼は父親として、すごくしっかりやってくれてましたし、子どものことは溺愛してましたからね。子どもと会えないことは地獄の苦しさでしょう。子どもに直接手を出したわけじゃないですし、何より父子関係が良好だったという事情から、わざわざ引き離す必要はないって思ったんです」
田中さんはカウンセラーの警告よりも、彼に対しての心配が勝ってしまったようだ。面会交流を勝手に始めてしまう。
「なんだか私、彼のことがいたたまれなくなって、電話を切った後、彼にメールしたんです。『毎週末の日中、会っていいよ。ただし家には入れないし、私とも引き渡しのとき以外は直接話さないこと』って。以来、週末の朝、彼がやってくるようになりました。ドア越しに『行ってらっしゃい。午後×時になったら戻ってきて』って感じで子どもを送り出しました」
――面会させて大丈夫だったのですか? 約束は破られませんでしたか?
「私が取り決めた面会ルールもちゃんと守って、夕方には帰してくれるんです。もちろん、彼は平日に保育園とかに勝手に会いに行ったりもしませんでしたしね。給料が25万円しかないのに、養育費を毎月10万円振り込んでくれていたこともうれしかった。そうした信用の積み重ねで、彼への警戒心が緩んでいきました」
その後、田中さんは、予定よりも早い復縁を決意してしまう。
「カウンセリングを受けている効果なのか、別居直後よりも、彼はだんだんと穏やかになってきてました。と同時に、健康状態がよくないのか、日を追うごとに痩せていったんです。日々、私が彼と子どもを自由に会えなくしていることで、こうなってしまったのかなって、ちょっと自分を責めるようになりました。暴力を振るわれたのにそんなふうに思うんですから、彼をまだ愛してたんでしょうね。
そうして1年後、私は同居を了承しました。カウンセラーからは『まだ早いからダメ。同居はやめなさい』と、きつく言われました。5年ぐらいカウンセリングを受けてからようやく復縁というのが、一般的らしいんです。だけど私、カウンセラーの警告を聞き入れず、一緒に住み始めたんです」
――復縁後の生活は、どうだったのですか?
「申し上げたように彼はきちょうめんで真面目でした。一緒にいたらいたで楽しい。はじめの半年間ほどは穏やかに過ごしていました。だけど、また3カ月に1回ほどの暴力が始まりました。壁を蹴って穴を開けたり、私を殴ったりと、爆発するんです。しかも、夜の営みもほぼ強制的で、避妊もなかった。それで、もう1人デキちゃったんです。また女の子でした。カウンセラーのアドバイスを聞かずに復縁をした手前、仲良くやっている素振りを見せるしかありませんでした。
上の子のときと違ったのは、育児に熱心でなかったということ。長女のときは夜通しミルクをあげてくれたのに、下の子のときは『夜泣きするから寝られない』と言って、カッとするだけでした」
――再び別居に至ったのは、なぜでしょうか?
「下の子が1歳ぐらいになったときに、彼が殴りかかってきたんです。子どもに危害が及んだら大変だと思って、下の子にとっさに覆いかぶさって、背中を殴られ続けたんです。すると上の子が『パパ、もうやめて』って言いながら私に覆いかぶさって、私を守ってくれたんです……」
そこまで言ったところで田中さんは、それまでこらえていた涙が、両方の目からあふれ出し、「ご、ごめんなさい」と言ってハンカチで目を押さえた。
――上の子は大丈夫だったんですか?
「上の子に手が出る前に、彼は手を止めました。暴力がやんで、ほっとしました。だけど、私、そのとき悟ったんです。『もうダメだな』って。『もう離婚しよう』って。それでまた家を出て行ってもらいました」
以来、田中さんは子どもたち2人と暮らしている。住んでいるところは、独身時代から住み続けているマンションだ。彼には週1回のペースで子どもに会わせている。復縁は、もはや考えていない。
――離婚はしたのですか?
「いいえ、まだです。折り合いがつかないですから。というのも彼、『離婚したくない。まだやり直せる。子どもたちと一緒にいたい』って、電話やメールで伝えてくるんです。私自身、早く離婚したいんですが、調停をしたりして無理に進めようとは思いません。家を知られてますからね。弁護士の書いた主張を読んだ彼がカッとしたら、何をするかわかったものじゃありません。とにかく彼を怒らせないこと。そうして穏便に時が過ぎ去るのを待つしかない。3年たつと、離婚要件が満たされるそうですからね」
――父親のことは、子どもたちにどういうふうに伝えているのですか?
「聞かれたときだけ答えます。ちなみに、上の子に聞かれたときには『ちょっとパパは心の病気なんだよ。心の病気でお薬を飲んだほうがいいんだけど、イライラしちゃうときがあるんだよ』とか、そんなふうに言ってます。下の子はね、まだ小さいし、私が彼に殴られてるのを見てないので、だからあんまり、まだわかってない」
――彼は子どもたちに、田中さんのことをどう言ってるのでしょうか?
「悪く言ってるようですね。面会から帰って来た後、『パパが殴ったのは、ママのせいなんだね』って、上の子が言ったことがありましたから。それを聞いても私、彼のことを悪くは言いません。優しく『ママも悪いときがあるんだよ』って言うだけです」
――離婚が成立しても会わせますか?
「それは続けるつもりです。イギリス人だから子育てには一家言持っていて相談に乗ってもらえるし、教育とか子育てといった点で、いてくれたほうが何かと助かりますしね。夫としてはダメですけど、パパとしての彼は尊重してるんです。別れたからといって、切り離す必要はないのかなって思います」
――最後に、今後の展望は?
「離婚したいという気持ちは、ぶれてないです。愛情は、もはやないです。別に恋人を作ってくれたら楽に離婚できるんですが、そうはうまくいきませんね。だから、事を荒立てずに、穏便に3年待つしかないですね。子どもが元気に育ってくれているのがなんといっても励みになるし、元気のもとなんです。子どもたちのために頑張るしかないですね」
暴力を振るわれ続けても、田中さんの彼への愛は続き、子どもが2人できた。そんな彼への愛情は、もはやなくなってしまった。しかし、田中さんと彼の愛情は、2人の子どもたちに今後ずっと絶えることなく注がれていく。それは間違いないだろう。
西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。