ここ最近のニュースは、なんだか“バツ”が多く並んでいる。
7月23日に所属事務所の公式サイトを通じ、キャンドル・ジュン氏との離婚を発表した広末涼子。
もちろん6月初旬にシェフ・鳥羽周作氏とのW不倫が公になったことが起源だろうが、妻の不倫報道を受けて会見を開いたキャンドル氏からは、広末の過去の浮気や疑惑についても語られ、結婚後も恋多き広末の一面がクローズアップ…
ここ最近のニュースは、なんだか“バツ”が多く並んでいる。
7月23日に所属事務所の公式サイトを通じ、キャンドル・ジュン氏との離婚を発表した広末涼子。
もちろん6月初旬にシェフ・鳥羽周作氏とのW不倫が公になったことが起源だろうが、妻の不倫報道を受けて会見を開いたキャンドル氏からは、広末の過去の浮気や疑惑についても語られ、結婚後も恋多き広末の一面がクローズアップ…
格闘家・才賀紀左衛門と事実婚を解消したと発表した絵莉さんが、今度は才賀らしき人物の“恫喝”音声を公開。ネット上では「完全にチンピラ」とドン引きする声が相次いでいる。
昨年10月、才賀との間に第1子となる男児を出産した絵莉さんだが、今年に入ると才賀への不満を訴えるブログ投稿が増加。4月にはついに別居を報告し、その後は絵莉さんが主に息子の面倒を見ていた。
そして…
バラエティ番組やグラビアを中心に、タレントとして活躍する熊田曜子が、4月21日に離婚を発表した。これまで、その過激な不倫の一部始終が各週刊誌で報じられ、フリーアナウンサーの平井理央も巻き込まれ離婚する事態に。大騒動を巻き起こしながら、ついに離婚という決着を見たことになる。
「不倫騒動で離婚したタレントは多くいましたが、熊田の場合は性行為の時に使う大人のおもちゃまで取り上げられ…
3月23日、実業家・高橋勇太氏との離婚を報告した元AKB48の篠田麻里子。今月、YouTubeチャンネル「篠田麻里子ん家」の動画が突然、全削除され、ファンを騒然とさせている。
同チャンネルは、2020年7月に開設。育児情報を伝える企画や、家族が顔出し出演する動画などを160本以上公開し、総再生数は2,700万回を超えていたという。
しかし、今月6日までにすべ…
アイドルを卒業後、ママタレとして活躍していた篠田麻里子がついに離婚を発表した。2019年に3歳下のベンチャー企業経営者と結婚した篠田は、20年3月に女児を出産。アイドル時代はマリコ様キャラで通していたが、出産後は仕事もできて育児もこなすバリキャリのママタレとして売り込むことに成功する。
しかし、昨年8月に別居が報じられると、篠田の不倫疑惑で揉めている夫婦の音声がネット上に流出…
歌手の華原朋美が10月21日、自身のブログを更新。夫であり、所属事務所・伝元の社長でもある大野友洋氏について「会えておりません」「本人が言っている事が本当か嘘なのか分かりません」などとつづり、ファンから心配の声が相次いでいるようだ。
最近は、仲睦まじいツーショット写真をSNSで公開するなど、夫婦仲の良好ぶりをアピールしている華原夫妻。そんな中、10月20日発売の「女性セブン…
産前産後の家族を救う場でありたい――
「産後TOMOサポ」を主宰する多田祐実さんは、孤独な育児に奮闘している母親たちをサポートし、支援する人や場所につなげている。多田さん自身、産後ウツとワンオペ育児に悩んだ経験があるからだ。
「産前に抱いていた育児のイメージと実際に子どもを産んだ後とではまったく違っていました。確かに赤ちゃんはかわいいけれど、泣きやまないし眠れない。誰かに助けを求めたいけれど、誰につながればいいのかも、そのつながり方もわからない。探す時間さえないんです」
完璧主義だったという多田さんは「できない」が言えなかった。こんなに頑張っているのに、認めてもらえない。社会からも孤立していると感じた。完全に産後ウツだったと振り返る。
多田さんは、理系研究者として仕事をしていた。育休から復帰した後は、子どもと仕事を天秤にかけながら仕事に向かう自分に罪悪感を抱くようになった。子どもも仕事も大切にしたいのに、どちらも中途半端なことに苦しんだ。ところが、多田さんが一日中走り回っているのに、夫は子どもが生まれてもそれまでと変わらない生活をしている。イライラが募り、夫とは気持ちがすれ違うようになっていた。
そんな経験から多田さんは、友達同士で産後を助け合う「産褥ヘルプ」の仕組みをつくった。
「産後のお母さんのいる家でごはんをつくったり、上の子の送迎をしたりする中で見えてきたものがあります。それは支援者が家庭に入って家事を助けても、子育てはお母さん一人が背負い込んでいることに変わりはないということ。お父さんに自分ごととしての意識がないんです」
根底にあるのは、家事育児をするのは女の役目という意識だ。その大変さがわかっていない夫に、多田さんは夫婦講座を開くようになった。そこで夫婦が互いの思いを伝えあったり、家事育児のタスク表を作成して、やるべき仕事を見える化したりすることで、夫婦でともに育児に取り組む意識が育っていく。「産後TOMOサポ」という第三者が入ることで、夫は自分も子育ての当事者であることに気づくのだと多田さんはいう。
こうして産前産後の母親が困難に直面する前につながる場所をつくり、地域の子育て支援窓口や専門家につなぐなど、現在の産後TOMOサポへと発展させていった。
多田さんとともに活動している古川美紀さん(仮名)も子育て中に夫との関係に苦しんだ経験がある。古川さんの夫は、こともあろうに妊娠中に浮気をしていたという。
「仕事が忙しいと言いながら、香水のにおいをぷんぷんさせながら遊び歩いていました。そのうえ、上の子に暴力を振るったり暴言を吐いたりしていたんです」
夫は反省するどころか、自分は被害者だと言い放ったという。幸い、古川さんが産後TOMOサポの「産褥ヘルプ」に支援を依頼したことで、家族の危機はいったん収束した。
「第三者が家庭に入ると、夫の暴力には歯止めがかかりました。産褥ヘルプの支援者が私に『よく頑張っているね』と声をかけてくれると、夫も『妻も頑張っているんだ』と気づくことができたのでしょう」
こうして、おさまったかのように見えた夫の浮気とDVだったが、数年たつと再び浮気の兆候が見られるようになった。
「あるとき、私の留守中に夫が子どもに暴力を振るっていたようで、戻ったら子どもたちが布団に隠れて震えていました。当然子どもたちから『パパは叩くから嫌だ』と言われるようになり、ますます浮気相手のもとに入り浸るようになりました。さらには『お前の食事がまずい。こんなもの食えるか』などと難癖もつけるようになったんです」
離婚を考えるうえで決定的だったのが、夫が古川さんに無断で家を購入しようとしていたのが判明したことだった。浮気相手のところに入り浸り、妻子にはDVをする夫が、なぜ家を買おうと思うのか、まったく不可解だ。
ともかくそれを知った古川さんは、すぐに弁護士に相談した。そのころには古川さんも夫との離婚を考えるようになっていたのだ。夫が家を購入すると財産分与に支障をきたすとアドバイスされたため、古川さんは意を決した。子どもを連れて家を出たのだ。行く先のあてはなかった。
(取材協力:産後TOMOサポ)
ーー後編は10月9日
夫と別居中の元AKB48の篠田麻里子が、すでに離婚調停に入っていると、9月8日発売の「女性セブン」(小学館)が報じた。
2019年に実業家の男性と“交際0日”で結婚した篠田。2020年には長女が誕生し、2021年に「第13回ベストマザー賞」を受賞するなど、最近はママタレとしても活躍していた。
しかし、昨年あたりから夫婦で喧嘩が絶えないようになり、今年に入って…
ベテラン芸能リポーターの城下尊之氏が、とかくあおり・あおられがちな芸能ニュースをフラットな目線で、おちついて解説!
――川崎麻世が、北海道日本ハムファイターズの新庄剛志監督の元妻・大河内志保と飲み歩いている姿が「FLASH」2022年8月9日号(光文社)で報じられました。週1回ほどのペースで会っているとか。
城下 関係筋に取材…
あびる優が、ニュースサイト「文春オンライン」の7月20日付け記事で、前夫で格闘家の才賀紀左衛門による娘の連れ去りを告発した。現在7歳になる娘は、才賀とその交際女性の3人で生活しているが、21年4月に東京高等裁判所により、親権者があびるになることが決定したという。
あびると才賀は2014年に結婚。翌15年5月に娘が誕生したが、19年に離婚。このとき、親権は才賀が持つと公表された。その後、あびるは親権者変更を求める調停を起こし、昨年、正式に親権者があびるに決定。娘の引き渡しが確定したものの、現在に至るまで才賀は行動に移していないという。
あびるは、こうした状況について「文春オンライン」の取材で、「違法な“連れ去り”状態にあるのです」と才賀を糾弾している。
このニュースが報じられると、ネット上は騒然。「裁判で決まったのなら素直に子どもを優さんに引き渡すべき! これ略取・誘拐罪になるんじゃないのかな?」「親権が法的に正式に認められた。強制的に執行のようなことはできないんだろうか」と、法律について疑問を抱く声や、「才賀の親権が棄却された、というのは、生育環境に問題があると見なされた。なかなかないことだと思う」「法的にはあびるに戻すように結論が出たが、娘に毎日あびるの悪口を言って、刷り込みを頑張ってるかもしれない」などと、才賀に否定的なコメントも多い。
今回の告発で注目を集めた子どもの「連れ去り」だが、実はこうしたケースは少なくない。サイゾーウーマンでは、離婚前に夫が子どもを連れ去り、親権を争うもそのまま会えなくなった女性や、〜〜〜の女性などにインタビューを行っていた。全十回の連載「わが子から引き離された母たち」のうち、元夫の連れ去りを罪に問えなかったという女性を、この機会に再掲したい。
(初掲:2021年9月20日)
『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。
おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?
第5回 キャサリン・ヘンダーソンさんの話(後編)
▼前編はこちら
「『あなた犯罪者じゃないのに、なぜ2年間も子どもたちに会えないの?』と、私の国の友人たちから言われます」
そう嘆くのは、高校生の娘と中学生の息子、2人の子どもを持つ、キャサリン・ヘンダーソンさん。彼女の祖国、オーストラリアでは共同親権、共同養育が当たり前、別れた後に子どもに会えなくなる母親は約1%にすぎないという。
彼女はなぜ、遠い日本の地で、わが子と生き別れになってしまったのか――。後編では、生き別れになってしまうまでのことを聞く。
――日本には戻ったんですか?
もちろん。私は学校で働いていて、生徒たちに対する責任がありますから。そのまま子どもとオーストラリアに住むことは考えませんでした。もしオーストラリアでそれをやると、アブダクション(誘拐)と見なされて罰せられます。でも今思えば、弁護士事務所に行くことを彼に予告してしまったのは、失敗でした。
――なぜ予告したんですか?
離婚する気はなかったし、嘘はつきたくなかった。それに「隠すべきではないな」って思ったんです。そもそも私、離婚しない方法を考えるために、弁護士事務所に行くつもりでしたし。でも彼は、私の予告を宣戦布告と捉えたんでしょう。このままだと、キャサリンに子どもを連れていかれてしまうと。
――彼は、どんな手を打ってきたんですか?
私が弁護士事務所を訪れる前日の18年1月17日、「明日、弁護士事務所に持っていってください」と敬語で言われて、記入済みの離婚届を渡されました。その届の親権者は私になっていました。
――とすると、その離婚届は使わなかったんですね。使っていたら、子どもたちの親権は、あなたのものだったのでは?
そうなんです。でも私、そのとき、離婚する気がなかったし、日本の単独親権制度の怖さがよくわかっていなかった。まさかその後、会えなくなるなんて思ってもみなかった。だから、区役所に提出しなかった。
――では、彼が子どもたちを連れ去ったのはいつですか?
その前に彼は離婚協議書の草案を作成して、私に渡しました。そこには、養育費の金額とかの条件がいろいろ書いてあった。彼が作った草案に私が目を通して修正した後、2月21日に承認しました。そして、その後すぐ、私が仕事から帰ってきたら、彼が家からいなくなっていました。何も言わずに。彼の荷物もない。数日前に「これが新住所」と記されたメールが届いただけ。
――そのとき、子どもたちは連れ去られたのですか?
いえ、子どもはまだ家にいました。だから、次の日から、私ひとりで子どもの世話をしなければならなかった。それで、私の母が子育てを手伝うために、オーストラリアから来てくれました。
――それから彼とは、どんな関係だったんですか?
次の週は息子の誕生日だったので、「家族4人でレストランに出かけましょう」と提案しました。すると、彼は来ました。でも、その食事は本当につらかった。私たちを捨てた彼とは会いたくなかった。彼が許せなかった。
――それでも、子どもたちのために頑張ったんですね。その後は? レストランでお別れしたんですか?
私たち3人の車に無理やり、彼が乗り込んできて一緒に家に帰ろうとした。「俺の家に帰るだけなのに何が悪いんだ。キャサリンが俺に指図することはできない」って言って。でも、私、我慢した。息子の誕生日なのに、ケンカするところを見せたくなかったから。
――迷惑に感じたでしょう?
そう思った。だって彼、その日、午後10時半を過ぎても帰らなかったんですよ。私は翌日学校があるから早く寝たかったし、鍵をかけたかった。だけど、帰ってくれなかったので、寝られなかった。
――で、その後の彼は?
子どもたちに会いに、週3回のペースで来るようになりました。
――それは意外な展開です。
子どもたちと一緒に出かけたり、なぜか息子と2人でシャワーに入ったり。その上、使用済みの自分のタオルを、「これ俺のタオル」だと言って置いていったり。
――帰るのも遅いのですか?
そうなの。私は朝が早いから、早く帰ってほしかった。だけど、彼は「これは俺の家だ」と言って、別居先の家になかなか帰っていかない。だから、子どもが宿題できなかったりしたこともしばしばあった。
――彼が何をしたいのか、わからなくなってきました。
4月、彼は行動を起こしました。別居をやめて戻ってきて、私と子どもたちの仲を引き裂く工作を始めたんです。まだ母がいるときに。そして私がいないときに、いろいろと私の悪口を言って、子どもたちが私を嫌いになるようにしていたんです。
――片親疎外(PAS)ですね。でも、子どもたちと一緒に住んでいるなら、効果が薄いのでは?
そうでもなかった。毎日毎日、私の悪口を言われ続けると、子どもたち、信じるようになった。親子関係は良好だと思っていたので、気がついたときはショックだった。
――いつ気がついたんですか?
毎年8月、子どもたちを連れてオーストラリアに行っていたんですが、その年、出発の1カ月ほど前に息子にこう言われました。「マミーに連れ去られるから行けない。パパが裁判を起こしたら2年かかる。そうすると私たちはパパに2年間会えなくなる」って。
――それはショックですね。
そのとき、私は「連れ去り」とは何かを知りませんでした。まだ8歳の息子がなぜそんな言葉を知っているのかなと思い、「連れ去りって何?」と聞いたんです。すると息子は「わからない」って。そばにいた娘は、やりとりを見て、「まずい」という表情をしました。2人に彼が「連れ去り」の話をしたのだと思います。
――ひどいですね。
当時、父がアルツハイマーにかかっていて心配だった。だから、子どもたちをオーストラリアに連れていって、顔を見せたかった。でも、子どもたちは彼の言葉を信じてしまって、一緒に帰ってくれなかった。悲しかった。でもどうしようもない。だから、私ひとりで、2週間ほどオーストラリアに帰りました。
――引き離すことに彼は必死ですね。
そうなの。もしオーストラリアで同じようなことをすれば、彼が親権を失います。別れても、共同で責任をもって養育するのが当然だから。もし相手の合意を得ずに子どもを連れていったら、実子誘拐として罰せられます。
――オーストラリアでは、離婚はどのように進められるのですか?
例外を除いて1年間、離婚する前に別居しなければならない。それが法律で決まっている。その間に、しっかりとした話し合いが行われるんです。その間に、考え直したり、お金のことを決めたり、養育計画を作り上げたりする。そうした決まり事を経たあと、弁護士とかに見せにいってOKが出たら、やっと離婚できる。オーストラリアは親権のことを何年か前に「ぺアレント・レスポンシビリティ(親責任)」とした。親が子どもに対して責任を持つ。だから、子どもから逃げることはできない。
日本では紙一枚だけで離婚できるから、責任を取らなくても離婚ができる。親権のことも紙一枚で決められてしまう。オーストラリアでは、親権のない親が子どもに会えなくなっても知らんぷり、という日本の離婚制度とは全然違う。
――彼が子どもたちを実際に連れ去ったのはいつですか?
私がオーストラリアから戻って約8カ月後の19年4月16日、彼に子どもたちを連れ去られました。
――その日の経緯を教えてください。
私が朝起きて職場に行って、夕方自宅に帰ってきたら、全部なくなっていました。テレビ、電子レンジ、炊飯器、車、ソファ。全部なくなりました。お皿、コップ、鍋、ポット。全部なくなっていた。それに子どもたちもいなくなっていた。
――1日でそういうことができるのは、あらかじめ計画してないと無理ですね。
でも裁判では、子どもは14歳と10歳で、まだ未成年だから連れ去りじゃない、それに物を持ち出すのは犯罪ではないと判断された。私の許可なしに盗んだのに。
――日本人として申し訳ない。
彼だけじゃなくて、裁判所や日本の法律が、私を悪い目に遭わせている。
――そもそもビジネスで忙しくなったんだったら、彼には子どもを育てる時間もないじゃないですか? 行動が矛盾しているように思います。
そうなの。彼が本当にやりたかったのは、自由な時間を持つこと、ビジネスをすることでしょ? でも子どもを連れ去って、子どもの世話をしなくちゃならなくなった。だから、今はそれができなくなった。それに家族を壊してしまって、子どもたちや私を傷つけた。男として父親として、完全な失敗。子どもに自分のお母さんを嫌いにさせるのってすごい。本当に恥ずかしい。全然尊敬できない。
――彼は、なぜ子どもたちをあなたに会わせることを、そんなに拒否するのでしょうか? 会わせたほうが楽なのではないかと思いますが。
「キャサリンが家庭を壊した犯人だから、キャサリンが悪い。だから、子どもと会う資格がない」というストーリーを彼は裁判で言い、子どもにも家で言い続けました。だから、私に会わせるとストーリーが壊れる。それが嫌。
もし私に会わせたら、「お母さんはあなたたちを愛してるよ」っていうことを、子どもたちが思い出すでしょう。そうすると、2人は母親と一緒に住みたがる。それを恐れて、完全に私と会わせないようにしている。私が本当はいい母親だから、こういう状態になったんだと思います。
――その後、どうなりましたか?
20年11月に判決が出て、親権者は彼になりました。連れ去りしたこと、片親疎外をしたことを罪に問うことはできなかった。それとは別に、面会交流の調停で、後日、ビデオレターを見せることが決まっていました。
――そのビデオレターは、どんな内容だったのですか?
私から子どもたちに向けたメッセージで、長さは20分間です。そのビデオレターを、私の弁護士が子どもたちにオンライン(Zoom)で見せる予定でした。
――子どもたち、喜んだでしょう?
いいえ。Zoomにつながった子どもたちの反応は、そうではありません。娘が私の弁護士に「私たちには見る義務があるのですか?」と言ったんです。弁護士が「別に」と答えると、娘は「私たちは見るのを拒否します。私たちはビデオを見たくない。お母さんの顔を見ると、気持ち悪くなるから」と言って、ビデオレターの視聴を拒否されてしまいました。Zoomにつないでいたのは、たったの10分間でした。
――言わされてるようですね。
20年12月の調停で、調停委員にこう言われました。「子どもが嫌がっているなら、面会は無理です。子どもたちは、あなたに会わなくても大丈夫。子どもの将来を考えて、会いにいくのを遠慮してください」と。そうして、「今後、面会交流はなし」という判断が出た。私はすごくショックを受けて、足がゼリーみたいにグニャグニャになって、立って歩くことすらできなくなった。そのとき、待合室で2時間ぐらい泣きました。
21年1月、追い打ちをかけるように、彼のほうから通知が来た。そこには、次のように書いてあった。婚姻費用(離婚前に配偶者と子どもたちに払う生活費)を払え。4人で住んでいた家から1週間以内に立ち退けと。1月にその手紙が来て、その後、ショックのあまり体調を崩し、約7週間、家から出られなくなった。
3月になってようやく、家を出られるようになった。だけど、通勤中にパニック状態になって、たどり着けなかったり。学校に着けたとしても、その途端にすごくストレスを感じて、保健室で休んでいたりしました。「生きているのは嫌。子どもがいない人生はいらない」って、そういうことばかり考えてしまう。
オーストラリアにある自殺防止の公共電話サービスに電話したり、カナダのカウンセラーにオンラインで相談に乗ってもらったり、漢方薬で症状を抑えたりしていて、今はこうしてやっとインタビューに答えられるようになった。
――子どもたちとは、まったく会っていないのですか?
3月に、息子の小学校の卒業式に参加しました。私と校長先生といい関係をつくっていたので、それができた。でも、息子の入学した中学校がどこかは知らない。今はどこにいるのかすらわからない。
――今後、どうやって生きていきますか?
今は、私が何をやっても、子どもに会うことができない。連絡先がわかっても、会うのを拒否されるでしょう。となると、子どもの気持ちの変化を待つしかない。でも、このようなインタビューを、たまたま子どもたちが見つけて読めば、私が何を考えていたかを知ることができるでしょ? そうすれば私の気持ちをわかってくれるし、きっと会いに来てくれる。私はそれを信じている。
(西牟田靖)
――連載「わが子から引き離された母たち」バックナンバーはこちら
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