井上尚弥の活躍も…休刊の老舗雑誌『ボクシングマガジン』最終号はアノ“大物俳優”降臨か

 井上尚弥や村田諒太の活躍で盛り上がるボクシング界に、悲しいニュースが飛び込んできた。業界最古参の専門誌『ボクシングマガジン』(ベースボール・マガジン社)が7月に発売する8月号で休刊を発表。那須川天心も参戦を発表し、俄然沸き立つボクシング界だが、それを支える土台が揺らいでいる。

「ベースボール・マガジン社から発行されている“ボクマガ”は、日本初の世界王者が誕生し、世界タイトルマ…

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瀕死状態の洋楽雑誌、にわかにメタルブーム到来?「背に腹は変えられない」厳しい裏事情

 いまやすっかり斜陽産業となった洋楽界に異変が起きている。老舗の音楽雑誌が次々と特集テーマとしてヘビーメタルをピックアップ。“にわかメタルブーム”が到来しているのだ。

 先陣を切ったのは、1982年創刊の『レコード・コレクターズ』(ミュージック・マガジン)だ。これまで幅広くロックを取り上げてきた同誌の2021年8月号の企画に洋楽ロックファンはどよめいた。特集の内容は「70年代ハ…

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昼飯と共にほとばしる本音『ビジネス・ランチをご一緒に』

 こんな本があったのか。なんで、今まで読んでいなかったのだろう。

 ノンフィクションやルポルタージュを読むときに古い本、いわば、このジャンルの古典を読みつぶそうという理由は、ほかでもない、方法論を真似たいからである。パクリではない。使われている取材手法や描写の方法を、現代の別のテーマに当てはめてみるとどうなるだろうかと思っているのだ。

 なにせ、だいたいの方法論なんてものは、過去に発明され尽くしている。それをどのようにアレンジメントするかで、また新しい作品を生み出すことができるはずである。

 で、そのためにとさまざま本を読んでいるのだが、まだ読んでいない、知りもしない本もわんさか。

 このロン・ローゼンバウム『ビジネス・ランチをご一緒に』(東京書籍)もそうである。

 この本、まだ事業家だった頃のドナルド・トランプを取材していることで評価されている。それも重要だけれども、もっと重要なのはローゼンバウムの取材手法。

 それは、さまざまな人と一緒に昼飯を食べながら、テープレコーダーを回しっぱなしにしておくというもの。

 なんてこった。こんな単純な誰でも思いつきそうな方法なのに、今の時代にやっている人を見たことはないぞ。一緒に昼飯を食べながら話をしていると、どんな大物も口が軽くなったり、ふっと警戒心が戻ったり。その瞬間、その一瞬をローゼンバウムは見逃さない。

 そうなのだ。夕食だとか夜の酒席と違って、

 大物に限らず昼食時の語らいでは、なぜか饒舌なったり、本音をポロリと漏らしてしまう人は多いもの。筆者も、これまでそうして得た一言を作中に挿入したり、これから書こうとしていたりする。

 でも、ここまでじっくり昼食に重点を置いてという方法は思いつかなかったな。さて、これを現代にアレンジするなら、どうしよう。
(文=昼間たかし)

実は初めて読んだ『復讐するは我にあり』

 物書きとして自分を律するために読むのは、最近古典ばかりである。

 古典といっても別に『万葉集』を読んでいるわけじゃない。ノンフィクションの古典である。ノンフィクションだとかルポルタージュと呼ばれるジャンルの作品を立て続けに書こうと悪戦苦闘はしているけれども、これはなかなか苦しい作業である。ひとつのことを取材しても解釈はさまざま、アウトプットの方法は無限。ああ、それに取材の時のスタンスもいろいろとある。

 筆者は、四十を回ったけど、いまだ顔つきが年齢に追いついている気がしない。なので取材に出かける時は、服装からしても工夫をしないと取材相手に対峙するには精神性に欠ける。

 そりゃ、高名な○○先生の活動とか作品を絶賛し、応援するだけで面白おかしく書いてみたり、文字通りの「御用」をするならそれでも構わない。そっちのほうが「自分は○○先生と仲良しなんだぜ」と狭い界隈でヘゲモニーを握って、矮小な自尊心くらいは満たせるかもしれないけれど、そんなことをしたいわけじゃないからねえ。

 と、平成の終わりに読んでいたのは佐木隆三の実際の連続殺人事件を題材にしたノンフィクション小説『復讐するは我にあり』(講談社)。これ、映画はすごかった。いや、映画を見直したので、そういや原作本は読んだことがなかったなと取り寄せたのだ。

 映画のほうは緒形拳と三國連太郎の鬼気迫る演技。そして、倍賞美津子と小川真由美のエロスが光る。その原作は映画に比べると意外にあっさりしている。

 ひたすら淡々と、連続殺人犯である榎津の犯罪を時系列で追い、そこに絡む人々の人間模様を描いていく。映画を先に観ると、綴られる時系列の動向は印象が薄い。でも、それが構成の妙技。ひとつひとつの人間模様が絡み合っていくうちに次第に味を濃くしていくのだ。いわば、ページをめくるごとに味が煮詰まって濃くなっていく感じ。

 一見、ひとつひとつの出来事がさらっと記されているがために、その犯罪がごく身近に起きているように感じさせる。ワイドショー的だったり、覗き見的だったりするものとは違う作品の魅力がここにある。なるほど、映画化権をめぐってトラブルが発生したことも頷ける。

 果たして、今の時代にここまで熱のこもった作品がいくつあるのか。そう考えると、やはり古典ばかりを読みたくなる。
(文=昼間たかし)

Koki,雑誌表紙続々……ゴリ押し感に同情の声も! 雑誌専属モデルになる可能性も?

 4月23日発売の「ViVi」(講談社)6月号の表紙を飾ったKoki,。しかし、その号が7年以上も専属モデルを務めていた河北麻友子の卒業号だったということで、Koki,や「ViVi」編集部にブーイングが起こっているという。

 今月11日に河北が同誌を卒業することを発表したので、読者たちは一度も表紙を飾ったことのない河北が表紙を担当することができるよう期待していたという。しかし、蓋をあけてみればカバーガールは本誌初登場となるKoki,だったことで、功労者である河北の扱いが悪いということで、「ViVi」公式Instagramアカウントには苦情の声が殺到している状態だ。

 ネットでも、この「ViVi」の判断に対し「河北麻友子にやらせなよ……」「かわいそうなのは河北ちゃん……最後くらい表紙を飾りたかったよね」と河北に対する同情の声が続出。

 またKoki,のプロデューサーとして暗躍する工藤静香の顔がチラついたのか「裏で働くお静の力って、そんなに絶大なわけ?」「ゴリ押しじゃん! しーちゃん鼻高々だね(笑)」「なんでわざと嫌われるようなことするんだろう」「あーあ、ここにも出てきてしまったのか」とゴリ押しにうんざりする声が上がっていた。

 雑誌「ELLE」から始まり、「NYLON」「ViVi」……と続くKoki,の華々しい表紙ジャックに関し、関係者は「もしかしたら工藤さんの狙いはKoki,さんの専属モデルかもしれません」と推測する。

「専属モデルになると目立つ扱いになる代わりに、他誌への登場やブランドイメージモデルの起用に規制がかかるというデメリットがあります。またハイブランドのイメージモデルを務めていると一般ブランド服の着用がNGになるので、シャネルのアンバサダーのKoki,さんが着用できる服は限られてしまうので雑誌にとっても使いにくいモデルとなるのは間違いない。それでも今までの展開を見ていると、工藤さんからはKoki,さんをファッション誌の看板モデルにしたい意欲が感じられます」(ファッション誌編集)

 さらにこの関係者は、「工藤さんの力でそういった規制を解除する可能性がある」と語る。

「専属モデルをしながら他誌への登場やハイブランドのアンバサダーに就任、なんてこともKoki,さんに限り適用なんてことになるかもしれません。ただそれをしてしまうと、他の専属モデルの事務所から文句が出るのは間違いないですね」(同上)

 専属モデルになったら、話題にはなりそうだが、ますます風当たりが強くなりそうな予感も…!?

平成の終わりに花柳幻舟【後編】

■前編はこちら

 幻舟に「テロリスト」としての情熱を吹き込んだのは間違いなく彼女の人生である。旅芸人の父と共に生きた幼少期、幻舟は差別と不条理とを理屈ではなく、自らの血肉にして学んだ。

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旅回り先で生まれた私は、「旅役者、河原乞食」とからかわれ、行く先々で疎外されてきました。
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 今となっては、これもまた歴史の彼方に消えてしまいつつあるが、かつて日本列島のあちこちには、放浪する人々がいた。今日はあっちの町に、それから数日を過ぎれば向こうの町へと。土地に居着かぬ旅芸人を、娯楽に飢えた土地の人々は歓迎すれども、決して心の底から受け入れることはない。

 どの本を読んでも、その幼少期の記憶が形を変えて幾度も触れられているところをみると、幻舟の人間としての軸は、そうした体験にあるのは間違いない。でも、そうした虐げられた恨みが幻舟の軸というのは、いささか違うと思う。それよりも幻舟を形作ったのは、芸に生きる父親の背中であったのだと思う。なんらかの強大なものと戦うことにのみ、人生を費やそうとしたのではない。芸を通じて命を燃やす方法。その独特の芸風の表出が家元襲撃であり、爆竹テロだったのであろう。

 幻舟の本は数多あるけれども、表面に記されたイデオロギーを額面通りに読んでは読み解けない。それは、読者サービスである。『はだしのゲン』を描いた中沢啓治は、初期は「週刊少年ジャンプ」(集英社)の読者に合わせて、ドキツク、下品に原爆の惨状と庶民の生き様を描いた。後年、共産党系の雑誌に連載が移行してからは急に日本の戦争責任問題を挿入されている。それと同じようなものなのだ。

 さて、家元襲撃から4年後の1984年、テレビドラマ『花柳幻舟獄中記』がテレビ朝日系列で放送された。主演は本人である。事件の当事者が本人役を演じるなんてことは、果たして今の時代に可能だろうか。昭和から平成へとなり、最後の10年あまりの間に、勢いを失った世情は、極めて窮屈なものになった。かつては、舞台の上にいる時には称讃され、それ以外の時には蔑まれていた芸を生業にする人たちにも、一般民衆と同じ尺度でモノを見て語る機会が与えられ、それが「常識」となった。

 いったい、いつの時点で世の中は「常識」を変えたのだろう。記憶をたどれば90年代はそうじゃなかった。90年代には数々の「悪趣味」が礼賛され、さまざまな文化が生まれていたのを覚えている。ところが、平成の終わりになって、その当事者たちも含めて皆、口を揃えて「あれは、間違いだったのだ」と反省の言葉を口走るようになっている。

 先日から、ピエール瀧はあたかも存在を抹殺されたかのような扱いを受けている。一部には、それに対する批判はあるものの、瀧を擁護するような論調はどこにもない。かつて勝新太郎が「パンツに……」といって、世間もまあしようがないなとなったようなムードはどこにもない。世間が、そんなムードになることがあるとすれば、物故した人物に対してだけである。

 余裕がなく普遍的な価値観が当たり前かのような窮屈さの中で平成は終わろうとしている。平成が終わるのではない。昭和から連綿と続いてきた戦後の終止符が、これなのだ。

 もはや、日本も衰退は避けられないような雰囲気に包まれ、重苦しい。でも、それだからこそ、みんなどこかで願っているはずだ。

 理屈をこねくりまわすのではなく、情念のままに自分だけをベースにして、世を騒がせる人の登場を。

 爆竹ではない、新たな形で。
(文=昼間たかし)

平成の終わりに花柳幻舟【前編】

 いよいよ平成が終わる。5月1日から令和になる。そんな時代の転換点を前に花柳幻舟が死んだ。碓氷峠の手前にあるめがね橋から落ちて。享年77歳。

 ひとつの時代が終わった。

 今まで、まだどこか絵空事だった昭和から平成というひとつの時代が終わることを認めざるを得なくなった。

 メディアの取り上げ方はさまざまだった。とりわけテレビは抑え気味で「舞踊家の~」と、通り一遍な説明で、その死を報じた。より詳細だったのはスポーツ新聞や週刊誌。そこでは「家元襲撃」「即位の礼で爆竹投げ逮捕」「爆竹テロ」などインパクトのある言葉が躍っていた。

 そう、バブル景気の真っ只中だった昭和天皇の崩御と、まもなく上皇となられる今上陛下の即位の礼へと至る時代。バブルの狂乱と相まって状況は混沌としていた。日本が、混沌とした中で何かをつかみ取ろうという情熱を持っていた最後の時代。札束が舞う日常の中で、片隅に追いやられていた左翼と右翼と、左右では表現できないさまざまな熱情を抱えた人々が、何かのきっかけを欲していた時代。幻舟が、即位の礼のパレードがさしかかる南青山の路上で天皇制を批判するビラをぶちまけて、爆竹を投げつけたのはそんな時代であった。1980年、家元制度の打倒を叫び花柳流家元の花柳寿輔を斬りつけた幻舟。

 家元制度批判が天皇制へと接続される主張をある人は喝采し、ある人は罵倒した。

 幻舟の主張するところは、彼女の著書の中に幾度も綴られる。『修羅 家元制度打倒』(三一書房)、『小学校中退、大学卒業』(明石書店)など。数多の著書の中で、そうした理屈が綴られる。

 彼女の綴る天皇制批判には、まったく共感は湧かない。むしろ彼女自身も、そうした言葉を述べながらも、なんかの活動家のように精緻に理屈をまとめていたというわけではない。それらに怒りの感情を昂ぶらせることで、自らの人生への輝きを生み出そうとしていたのではないか。文章からは、幻舟自身も気づいていないであろう、そんな意識が垣間見えるのだ。

 そう、ここで思い出すのはロープシンの『蒼ざめた馬』(岩波現代文庫ほか)。ロープシンは本名をボリス・サヴィンコフというロシアの革命家であった。革命家というが、実態は否定的な意味でなく「テロリスト」である。社会革命党(エスエル)に所属し、党指揮下の組織である社会革命党戦闘団を率いた。この社会革命党戦闘団は、滅茶苦茶な組織である。とにかく帝政ロシアの要人を爆弾で吹き飛ばし暗殺することに血道を上げる。党の指導など話半分にしか聞きはしない。おまけにサヴィンコフと共に団を率いたエヴノ・アゼフは内通者。自ら要人暗殺を計画し成功させながらも、同時にその情報を秘密警察に流している。もう、滅茶苦茶である。

 滅茶苦茶だけどつじつまは合う。なぜなら、彼らにとって手段と目的は転倒……いや、混沌としたものだから。目指すところは帝政ロシアの打倒かもしれない。でも、そんなことは些末なこと。やるべきことは要人暗殺。いずれは自分が逮捕されて死刑になるやもしれない。その明日をも知れぬ緊張感に身を置くことが自己目的化している。明日をも知れぬ緊張感が輝かせる人生の価値を味わうこと。ただ、それだけが目的となっているのだから「テロリスト」以外、なにものでもない。現にサヴィンコフは十月革命が起こると亡命し、ソビエト政権を打倒すべくイギリスの情報部とも手を結び、反ソ活動にいそしんだ。しかし、ついにはゲーペーウー(GPU:国家政治保安部)が遂行した彼を逮捕するための壮大な作戦によって人生を終えた。

 結局、理論は後付けであり、自分の情熱を燃やすための言い訳みたいなものにすぎない。幻舟とはそういう人なんだと思う。
(文=昼間たかし)

市井の人々を追う価値を改めて知る『東京湾岸畸人伝』

 なかなか市井の人を取材するのは苦労するものである。だって「何を目的に……?」とか言われることもしばしばあるからだ。

 とうとうと、取材する理由とか情熱を語ることができるとは限らない。だって、なんとなく関心があって、どういうふうに書くのか。それをどういう媒体で発表するのか。何も決まっていないままに取材が始まることも、たびたびあるからだ。

『東京湾岸畸人伝』(朝日新聞出版)では、築地のマグロの仲卸、横浜港の沖仲仕、馬堀海岸の能面師、木更津の寺の住職、久里浜のアル中病棟の広告アートディレクター、羽田の老漁師と、東京湾岸に暮らす市井の人々の人生を追っていく。

 この山田清機という書き手の筆致は見事。名前からしてハードボイルドな雰囲気だけど、この本といい『東京タクシードライバー』(同)といい、ハードボイルドな文体と行動で、取材対象の人生と生き様とを追っていく。

 うっすらとテーマ性は見えるけど、それよりも書き手の興味が情熱が光る。なんというか、自分しか出会うことができなかったであろう取材対象に、どんどん惹かれていくのを隠さないのである。

 どの章も、オシャレとはまったく無縁であることは言うまでもない。でも、この泥臭さこそが湾岸の片隅にある人生をキラリと光らせているのだ。

 実のところ、この本に出会ったのは、たまたまであった。ふと、ネットで見つけた書評を読んで「こんな本があったのか」と、すぐに購入したのである。

 こうした本。書き手の興味を出発点として、無名の人々を追っていくノンフィクション。それは、今は決して主流にはなり得ていないだろう。でも、ノンフィクションの本質とは、こうした作品にあるということを、改めて教えてくれるはずだ。
(文=昼間たかし)

虚実ない交ぜで記される特務機関の戦い『特務諜報工作隊 秘録 雲南の虎と豹』

    『特務諜報工作隊 秘録 雲南の虎と豹』(番町書房)

 時に1944年。重慶軍の攻勢に拉孟・騰越は玉砕。インパール作戦は失敗に終わり、ビルマ・シャン高原は風雲急を告げていた。

 そういう状況の中で、制空権を奪い次々と工作員を落下傘で送り込む英中と戦うために組織された雲南機関の諜報戦を描く物語。

 という内容が記された本が、『特務諜報工作隊 秘録 雲南の虎と豹』(番町書房)なのだが、回想録かと思いきや、どうも違う。後書きを読むと「ノン・フィクションは時にフィクションになり、フィクションはまたノン・フィクションになり、人間の感情は複雑に揺れ動くものだということをしみじみと感じた次第」と記されている。

 著者の丸林久信は、ビルマ戦線を生き延びた後に、戦後は黒澤明の映画のチーフ助監督を務めたことなどで映画史に名を刻む人物。どこまでが、真実かはわからぬが、自身が体験したビルマでの戦いが反映されたのが、この本ということか。

 この番町書房という出版社は、虚実ない交ぜの戦記読み物を多数手がけていた出版社なのだが、この本は特に煽りがスゴイ。「雲南の虎と豹の対決」「日・中・英入り乱れての諜報合戦」。そんな知られざる戦争の記録が……と、読み始めたら、まったく期待を裏切られる。

 現地の朝鮮人慰安婦といい仲になって逢い引きを繰り返したり、現地人の信頼を勝ち取るために村の娘と結婚したり。

 おまけに、各国の特務機関が入り乱れる高原のシーンは奇妙だ。たとえ敵の工作員に遭遇しても、しめたとばかりに撃ってはならない。なぜなら、周囲の現地人こそが、敵方かもしれないから。結果、英国側の工作員であるゴードン中佐とは、何度も邂逅し奇妙な友情が芽生える。

 ただ、いくら現地人を味方に付ける工作を行っても戦況は挽回されない。度重なる敗北に気の立った将校は、特務機関の意志を一顧だにしない。情報収集のために泳がしていた人物を、後先考えずに処刑してしまう。自暴自棄になった兵隊は、現地の娘を犯そうとする。

 ほんと、どこまでが事実なのかが判然としない状況が書き綴られる本。ただ、明日をも知れぬ戦場だというのに、描かれる風景は、どこか平和だ。そんな一時の平和を描写できるのも、著者自身の体験が記されているゆえか。
(文=昼間たかし)

長野県で天皇陛下に出会う話『アホウドリの人生不案内』

「アホウドリ」を自称して、あちこちの妙な人を訪ねることに人生の多くの時間を費やしたルポライター・阿奈井文彦。76年の生涯の中で、けっこうな数の本を上梓しているが、自称である「アホウドリ」を冠したタイトルの本が多いあたり、けっこう自分のやりたいことだけをやりまくった人生といえるだろう。

 その中の一冊である『アホウドリの人生不案内』(百人社)。おそらく、ここで取材した相手のほとんどは、すでにこの世の人ではなかろう。中には、取材して雑誌の記事にした頃には意気揚々だったが、単行本に収録するにあたって連絡を取ると亡くなっていたという人もいる。

 ともあれ「アホウドリ」の中に、どういった興味が湧いたのか。心惹かれるままに、日本列島あちこちの市井の人々へと取材の記録は綴られていく。かれこれ20年も前から自分の葬式の準備をしっかりと整えているという熊本の老人。この道ウン十年のタクシー運転手。はたまた、長嶋茂雄やら山口百恵やらと、たまたま有名人と同姓同名だった人を訪ねて、その人の人生を聞く。あちこち、妙な人を訪ね回って「アホウドリ」は、時には天皇陛下にも出会う。

「アホウドリ」が天皇陛下に出会ったのは、長野県は上田市の郊外。最寄り駅は下之郷駅とあるから別所線の沿線である。そこには確かに平屋の“皇居”があった。出会った天皇陛下は、御年32歳。無遅刻無欠勤で上田市内の印刷会社へと通っている。

 いやいや、正気を失ったかと思えば違う。陛下が語るのは祖父からの教え。明治天皇の皇子であった祖父は、暗殺を避けて平民となり、この地に至ったというのである。

 世を忍ぶ仮の姿で、毎日印刷機を回している陛下。「アホウドリ」は、そんな人となりを、懇切丁寧に綴っていく。批判もなければ、称讃もなく。ただ、丁寧に。ともすれば「どうでもいいや」の一言で終わる話は、その精緻な文体によって、温かみを得る。

 単に個人の面白さをネタにするのではない。市井の人々への真摯な視線が、そこにはある。
(文=昼間たかし)