「林家九蔵」襲名取りやめ問題の深淵……ビートたけしだけが知る「八代目正蔵」と「初代三平」の因縁

 国民的演芸番組『笑点』(日本テレビ系)の“ピンク”こと三遊亭好楽の弟子・三遊亭好の助に、襲名をめぐる騒動が勃発。好の助が2018年5月の真打昇進の際に予定していた「三代目・林家九蔵」襲名を取りやめたことが、3月3日に明らかになった。

 昨年12月、好の助は師匠の好楽の前名である「林家九蔵」を襲名することを公表。襲名にあたって、林家九蔵と縁がある関係者宛てに事前に承認を取り付け、今年5月の襲名披露に向けて準備を進めていた。

 ところが、2月に入り、林家九蔵襲名を知った九代目・林家正蔵と正蔵の母親の海老名香葉子さんから“待った”がかかったのだ。好楽は、香葉子さんから連絡を受け、すぐさま東京・根岸の海老名家に出向いた。3時間にわたる話し合いで理解を求めたが、賛同を得ることはできなかったという。

 好楽は先代の正蔵である八代目・林家正蔵(後の彦六)に入門し、初代・林家九蔵を名乗ったが、1982年に師匠の彦六が亡くなり、翌年に五代目・三遊亭円楽の門下に移籍。名前を三遊亭好楽と改めた。好楽は、師匠の故・円楽とともに現・正蔵が副会長を務める「一般社団法人 落語協会」を脱会している。そのために好楽の弟子である好の助が「林家」とは関係ない人物であることを、海老名家は問題としたわけだ。正蔵は「落語界で悪しき前例を作るのはよくないとは申し伝えました」とスポーツ紙の取材に答えたという。

 襲名披露まで2カ月を切った段階での白紙撤回という前代未聞の出来事に、落語界は激震。海老名家を絶縁された次女でタレントの泰葉は、ブログで「弟正蔵と母が権力でやめさせました」と海老名家を批判した。

 だが、過去の故・林家彦六氏と海老名家の関係を知る落語界関係者によると「そんな単純な話ではない」と言う。また、筆者は正蔵と親しいビートたけしから「林家彦六氏は海老名家から『林家正蔵』という名跡を強引に奪ったみたいだ」という話を、以前聞いたことがあった。それだけに、今回のクレームには好楽の師匠の彦六氏に対する海老名家の積年の恨みが背景にあるように思えてならない。

 彦六氏は三遊亭門下に入門。二つ目に昇進して橘家二三蔵に改名。その後、三代目・三遊亭円楽を襲名して真打に昇進したが、師匠の四代目・橘家円蔵の死去に伴い、柳家小さん門下に移籍。その後、兄弟子の四代目・蝶花楼馬楽一門の内輪弟子となるなど、一門間を渡り歩いた。前師匠の小さん引退に伴い、師匠馬楽が四代目・柳家小さんを襲名。彦六氏は馬楽の名を譲り受け、五代目・蝶花楼馬楽を襲名することとなった。

 その後、五代目・柳家小さんの名跡を狙っていた彦六氏だったが、襲名争いの末に、弟弟子の九代目・柳家小三治がその座に就くこととなった。そこで、当時空き名跡だった林家正蔵を一代限りで海老名家から譲ってもらい、八代目・林家正蔵を襲名したという話になっている。

 落語協会も、八代目正蔵を襲名予定だった初代林家三平は修業年数が2年と短く、時期尚早であるため見送ったとしているが、遺族は実子である三平の正蔵襲名を強く望んでいたという。彦六氏はケンカ早いことから“とんがりの正蔵”と呼ばれていたほどで、当時の関係者から聞いても、かなり強引に名跡を迫ったのは間違いない。

 さらに、海老名家に遊びに行ったビートたけしによると、「彦六師匠が海老名家に来て、日本刀を畳に突き立てて、名跡を迫った」と、事の真相を正蔵が打ち明けたそうだ。

 その後、三平はテレビで大ブレークし、落語ブームの火付け役となった。周囲からは名跡を海老名家に返して三平に正蔵を継がせるべきだと言う声も上がったが、彦六氏は返そうとはしなかったという。

 結局、彦六氏が名跡を返上したのは、三平さんが亡くなった後であった。夫に正蔵を継がせてやりたかった妻の香葉子さんと長男の正蔵の心中は、察するに余りある。

 好楽が林家九蔵の襲名をあっさりと断念したのは、海老名家の心情をくんだためかもしれない。それがせめてもの救いだろう。
(文=本多圭)

「林家九蔵」襲名取りやめ問題の深淵……ビートたけしだけが知る「八代目正蔵」と「初代三平」の因縁

 国民的演芸番組『笑点』(日本テレビ系)の“ピンク”こと三遊亭好楽の弟子・三遊亭好の助に、襲名をめぐる騒動が勃発。好の助が2018年5月の真打昇進の際に予定していた「三代目・林家九蔵」襲名を取りやめたことが、3月3日に明らかになった。

 昨年12月、好の助は師匠の好楽の前名である「林家九蔵」を襲名することを公表。襲名にあたって、林家九蔵と縁がある関係者宛てに事前に承認を取り付け、今年5月の襲名披露に向けて準備を進めていた。

 ところが、2月に入り、林家九蔵襲名を知った九代目・林家正蔵と正蔵の母親の海老名香葉子さんから“待った”がかかったのだ。好楽は、香葉子さんから連絡を受け、すぐさま東京・根岸の海老名家に出向いた。3時間にわたる話し合いで理解を求めたが、賛同を得ることはできなかったという。

 好楽は先代の正蔵である八代目・林家正蔵(後の彦六)に入門し、初代・林家九蔵を名乗ったが、1982年に師匠の彦六が亡くなり、翌年に五代目・三遊亭円楽の門下に移籍。名前を三遊亭好楽と改めた。好楽は、師匠の故・円楽とともに現・正蔵が副会長を務める「一般社団法人 落語協会」を脱会している。そのために好楽の弟子である好の助が「林家」とは関係ない人物であることを、海老名家は問題としたわけだ。正蔵は「落語界で悪しき前例を作るのはよくないとは申し伝えました」とスポーツ紙の取材に答えたという。

 襲名披露まで2カ月を切った段階での白紙撤回という前代未聞の出来事に、落語界は激震。海老名家を絶縁された次女でタレントの泰葉は、ブログで「弟正蔵と母が権力でやめさせました」と海老名家を批判した。

 だが、過去の故・林家彦六氏と海老名家の関係を知る落語界関係者によると「そんな単純な話ではない」と言う。また、筆者は正蔵と親しいビートたけしから「林家彦六氏は海老名家から『林家正蔵』という名跡を強引に奪ったみたいだ」という話を、以前聞いたことがあった。それだけに、今回のクレームには好楽の師匠の彦六氏に対する海老名家の積年の恨みが背景にあるように思えてならない。

 彦六氏は三遊亭門下に入門。二つ目に昇進して橘家二三蔵に改名。その後、三代目・三遊亭円楽を襲名して真打に昇進したが、師匠の四代目・橘家円蔵の死去に伴い、柳家小さん門下に移籍。その後、兄弟子の四代目・蝶花楼馬楽一門の内輪弟子となるなど、一門間を渡り歩いた。前師匠の小さん引退に伴い、師匠馬楽が四代目・柳家小さんを襲名。彦六氏は馬楽の名を譲り受け、五代目・蝶花楼馬楽を襲名することとなった。

 その後、五代目・柳家小さんの名跡を狙っていた彦六氏だったが、襲名争いの末に、弟弟子の九代目・柳家小三治がその座に就くこととなった。そこで、当時空き名跡だった林家正蔵を一代限りで海老名家から譲ってもらい、八代目・林家正蔵を襲名したという話になっている。

 落語協会も、八代目正蔵を襲名予定だった初代林家三平は修業年数が2年と短く、時期尚早であるため見送ったとしているが、遺族は実子である三平の正蔵襲名を強く望んでいたという。彦六氏はケンカ早いことから“とんがりの正蔵”と呼ばれていたほどで、当時の関係者から聞いても、かなり強引に名跡を迫ったのは間違いない。

 さらに、海老名家に遊びに行ったビートたけしによると、「彦六師匠が海老名家に来て、日本刀を畳に突き立てて、名跡を迫った」と、事の真相を正蔵が打ち明けたそうだ。

 その後、三平はテレビで大ブレークし、落語ブームの火付け役となった。周囲からは名跡を海老名家に返して三平に正蔵を継がせるべきだと言う声も上がったが、彦六氏は返そうとはしなかったという。

 結局、彦六氏が名跡を返上したのは、三平さんが亡くなった後であった。夫に正蔵を継がせてやりたかった妻の香葉子さんと長男の正蔵の心中は、察するに余りある。

 好楽が林家九蔵の襲名をあっさりと断念したのは、海老名家の心情をくんだためかもしれない。それがせめてもの救いだろう。
(文=本多圭)

「おカミさんは正しい」と洗脳されていた!? 師匠・林家こん平もたい平への海老名家の壮絶パワハラに加担の過去!

 『笑点』(日本テレビ系)の大喜利メンバーとしてお馴染みの三遊亭好楽。その弟子・三遊亭好の助が、真打昇進とともに、好楽がかつて名乗っていた「三代目林家九蔵」を襲名する予定だったが、直前に、林家正蔵からのクレームにより取りやめになった騒動が、思わぬ波紋を広げている。

 正蔵のクレームは、正蔵の母・海老名香葉子さんの意を受けてのものであったと「週刊女性」(主婦と生活社)が報じたのだ。香葉子さんの落語界への影響力は大きく、そのパワハラ体質について、「こんな妨害は日常茶飯事で、被害にあった人はたくさんいますよ」と、実の娘の泰葉までが、同誌の告発記事にコメントを寄せ、さらに「たい平君は大変でしたよ。私、そのときの話をすると泣いちゃうからやめてください」と、なんと『笑点』の林家たい平こそ、最大の被害者であることを明かしたのだ。

 予測不明、理解不能の言動で何度も世間を騒がせてきた、海老名家の問題児・泰葉のコメントだけに信ぴょう性が疑われそうだが、『笑点』に関わりのある日本テレビ関係者も、「今回ばかりは、泰葉さんの言う通り」と、こう明かす。

「『週刊女性』で報じられているように、たい平さんが2006年に代役から正式メンバーに昇格したのが気にくわなかった香葉子さんは日本テレビに『いっ平(現・三平)に座を譲れ!』と番組に圧力をかけてきていました。さらに、これはどこも報じていないんですが、実はこの海老名家のパワハラに、師匠の林家こん平さんも加担していたんです。香葉子さんはこん平さんの師匠だった林家三平さんの妻ということで頭が上がらず、『おカミさんの言うことはすべて正しい』と洗脳されていたようで……。たびたび、たい平さんにつらくあたるようになりました。ある日、大病を患い療養していたこん平さんの見舞いで訪れたたい平さんに、こん平さんはレギュラーを降りるように説得。それを拒否したたい平さんに、『おカミさんの言うことを聞け!』と灰皿を投げつけたということもあったようです。父親のように慕っていた師匠にそんな態度を取られるなんて、思ってもいなかったたい平さんは相当ショックを受けたみたいですね」

 そして、16年5月、5代目司会者の桂歌丸の勇退、春風亭昇太の司会昇格とともに、一つ空いた大喜利メンバーの座には、さまざまな若手人気落語家の名前が候補として上がった。しかしながら、蓋を開ければ、人気・実力ともに大きな疑問符のつく、三平だった。

「そんなたい平さんの姿を見かねた番組スタッフと大喜利メンバーは、『海老名家の圧力からたい平さんを解放してあげよう』と香葉子さんの要求を呑み、三平さんの起用に踏み切ったんです」(同)

 泰葉でなくとも泣いてしまいそうな事件。今後の『笑点』の見方が変わってきそうだ。

「おカミさんは正しい」と洗脳されていた!? 師匠・林家こん平もたい平への海老名家の壮絶パワハラに加担の過去!

 『笑点』(日本テレビ系)の大喜利メンバーとしてお馴染みの三遊亭好楽。その弟子・三遊亭好の助が、真打昇進とともに、好楽がかつて名乗っていた「三代目林家九蔵」を襲名する予定だったが、直前に、林家正蔵からのクレームにより取りやめになった騒動が、思わぬ波紋を広げている。

 正蔵のクレームは、正蔵の母・海老名香葉子さんの意を受けてのものであったと「週刊女性」(主婦と生活社)が報じたのだ。香葉子さんの落語界への影響力は大きく、そのパワハラ体質について、「こんな妨害は日常茶飯事で、被害にあった人はたくさんいますよ」と、実の娘の泰葉までが、同誌の告発記事にコメントを寄せ、さらに「たい平君は大変でしたよ。私、そのときの話をすると泣いちゃうからやめてください」と、なんと『笑点』の林家たい平こそ、最大の被害者であることを明かしたのだ。

 予測不明、理解不能の言動で何度も世間を騒がせてきた、海老名家の問題児・泰葉のコメントだけに信ぴょう性が疑われそうだが、『笑点』に関わりのある日本テレビ関係者も、「今回ばかりは、泰葉さんの言う通り」と、こう明かす。

「『週刊女性』で報じられているように、たい平さんが2006年に代役から正式メンバーに昇格したのが気にくわなかった香葉子さんは日本テレビに『いっ平(現・三平)に座を譲れ!』と番組に圧力をかけてきていました。さらに、これはどこも報じていないんですが、実はこの海老名家のパワハラに、師匠の林家こん平さんも加担していたんです。香葉子さんはこん平さんの師匠だった林家三平さんの妻ということで頭が上がらず、『おカミさんの言うことはすべて正しい』と洗脳されていたようで……。たびたび、たい平さんにつらくあたるようになりました。ある日、大病を患い療養していたこん平さんの見舞いで訪れたたい平さんに、こん平さんはレギュラーを降りるように説得。それを拒否したたい平さんに、『おカミさんの言うことを聞け!』と灰皿を投げつけたということもあったようです。父親のように慕っていた師匠にそんな態度を取られるなんて、思ってもいなかったたい平さんは相当ショックを受けたみたいですね」

 そして、16年5月、5代目司会者の桂歌丸の勇退、春風亭昇太の司会昇格とともに、一つ空いた大喜利メンバーの座には、さまざまな若手人気落語家の名前が候補として上がった。しかしながら、蓋を開ければ、人気・実力ともに大きな疑問符のつく、三平だった。

「そんなたい平さんの姿を見かねた番組スタッフと大喜利メンバーは、『海老名家の圧力からたい平さんを解放してあげよう』と香葉子さんの要求を呑み、三平さんの起用に踏み切ったんです」(同)

 泰葉でなくとも泣いてしまいそうな事件。今後の『笑点』の見方が変わってきそうだ。

山崎邦正こと月亭方正、ギャラダウンでも落語家転身の裏に「生活安定」の勝算

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『僕が落語家になった理由』/アスペ
クト

 11日に、東京で初となる冠がついた落語会『月亭方正 披露名の会』を行った、山崎邦正こと落語家・月亭方正。全国区のお笑いタレントの地位と名誉を捨て、居住地も地元・関西に変えるという無謀にも思える行動に出たが、月亭は落語家転身に「勝算」を見いだしているのだろうか。

 すでに昨秋から拠点を関西に変えていたという月亭。「在京キー局のバラエティ番組に出演する際は、その都度上京していた」(テレビ局関係者)そうで、今ひとつ落語家としての活動は目立っていなかった。しかし、今年1月から、月亭は本格的に落語家への道を踏み出したという。