子育て中に生じる“焦り”の正体とは? 古泉智浩&しまおまほが語る「親」という存在

 里子を6歳未満で自分の籍に入れ、法的に実子と同じ扱いとする、特別養子縁組をした漫画家の古泉智浩さん。前編では、同じく子育て中のエッセイスト、しまおまほさんと、実子と里子や養子の育て方の違いについて思うことを語ってもらいました。後編ではさらに、育児に関する社会問題も含め、お互いの育児エピソードに踏み込んでいきます。

(前編はこちら)

■所構わず子連れで行くのは気が引ける

――お2人は、お子さんを今年から保育園に入れたんですよね。それによって、生活はどう変わりましたか?

古泉智浩(以下、古泉)・しまおまほ(以下、しまお) めっちゃ楽になりました!

――先日、熊本の市議会議員が預け先に困って議場に乳児を連れてきたことが、賛否両論を呼びました。保育園の時間外など、どうしても預け先が見つからないときもありますよね。

しまお そのニュース、あまり見ていないのですが、私自身はできる限り仕事場に子連れでは行きません。仕事柄、寛容な現場もあるのですが、決して子どもが好きな人ばかりではないでしょうし。とりあえず「可愛い」って言わないといけないような雰囲気にするのも、心苦しいと思ってしまっていて。息子が保育園に入る前は、家族や親しい友人に面倒を見てもらったり、託児所を利用したりしていました。

古泉 僕は、子どもを連れてきている人がいたら、うれしくて抱っこしちゃいますけどね(笑)。でも、そういう人ばかりではないですよね。

しまお 時と場合によりますね。勝手知ったる現場だったら、連れていくこともあるかな。でも、子どもって、基本的におとなしくはしていないので……。

――託児所は、「今日どうしても預け先がないから預けよう」と、いきなり行っていいのではなく、事前の登録が必要なんですよね?

しまお そうなんです。私がたまに利用しているところは、1階が託児所で2階がシェアオフィスになっていて、保育園入園前は助かりました。とてもきれいな場所で、来ているママたちもオシャレ。そんな中、テキトーな格好で机で昼寝したり、お菓子を食べながら原稿を書いている私は、完全に浮いていましたね(笑)。

古泉 アハハ! 利用料金はどれくらいなの?

しまお 保育園よりは高いですね。

古泉 でも、どこにも預け先がないときは助かるよね。

――ほかに、利用してよかった育児支援施設はありますか?

古泉 僕が住んでいる地域の役場の隣にある施設は、遊び道具があったり、「みんなで歌を歌いましょう」という時間があったりして、よかったです。預けるというより、保護者も一緒なのですが、保育園以外の時間で、家にずっといるのに飽きたときに利用していました。

しまお 私は演劇を鑑賞した際、劇場についている託児施設を使ったことがあります。

古泉 それは無料なの?

しまお 2,500円くらいかかりました。演劇のチケットにプラス2,500円と考えると結構な出費ですが、一緒に劇場まで行けるのはよかったです。利用者はずいぶん少なかったですけど。調べると、チケットサイトが運営している無料の託児サービスもあるようですね。

 行政の施設でいうと、区のベビーマッサージ講習に行ったことがあります。しかし実際は、講習は15分だけで、残りの1時間半は「みんなでおしゃべりをしましょう」という感じでした。住んでいる地域ごとに席が決められていて、「あそこのスーパーいいよね」といった、共通の話題を出しやすくされていました。孤立する母親をつくらないよう手厚く取り組んでいるんだな、と思いました。私は途中から参加したので、すでにできあがっている20代のママたちの輪に入れず焦りました(笑)。

古泉 うちも役所から保健師さんが来ましたよ。でも、当時は里親初心者だったから、虐待をしていないか監視されているのかなと疑心暗鬼になってた(笑)。

しまお でも、みんなスタートは一緒ですからね。私も子育て素人だったし、オムツ替えを練習しても、実践すると全然違ったりする。

古泉 女性は10カ月かけてお母さんになるけど、僕ら夫婦は(「里子を預かってくれませんか?」と連絡があってから)1週間で親にならなければなりませんでした。

しまお う〜ん、でも全然自覚はありませんでした。ただおなかが膨れていって……という感じで。そして、産んだ直後に「あ、これからずっと一緒なんだ、終わりがないんだ」と思ったら、ちょっと怖くなりました。産むのがゴールかと思っていたら、違った。

古泉 重荷みたいに感じたんですか?

しまお 重いと思いました(笑)。生まれたからには、死ぬってことじゃないですか。その重みが怖いというか……。友達の中には、「生まれた子どもの顔を見たら『大好き! 可愛い!』って幸せオーラしか出ないよ」と言っている人もいましたが、私は全然。「ゲッ、ヤバイ!」って思いました(笑)。

古泉 真面目なのかな。

しまお 真面目なのかもしれない。育児についてはサボったりもできるけど、責任をサボることはできない、と思ってしまって。

――入れる保育園を探す「保活」に取り組んでいる方も多いですが、お2人は、保活には苦労されなかったんですか?

古泉 僕が住んでいる地域は待機児童1人なので、特には。

しまお 周りではいましたね。私、病院も、産む1カ月くらい前になったら適当に探せばいいかと思っていたのですが、着床した段階で、大きい病院に連絡して予約する人もいるらしいです。妊娠してあまり間もない時期なのに、「産む病院をまだ決めてない」って言ったら「ヤバイよ」と言われてしまって……。

古泉 もし、決めてなかったら、怪しげな病院に回されるんですかね?

しまお どうなんでしょう。36歳で一応、高齢出産だったから、何かあったときのためにとりあえず大きい病院を選んだのですが、いま考えたら、近所の病院でよかったんじゃないかなと思います。

――都会では、ベビーカーを電車に乗せると、白い目で見られることもあります。どうすれば、もっと子育てしやすい社会になると思いますか?

しまお 東京のラッシュは本当にひどいですよね。私はほとんどベビーカーを使わなかったです。ずっと抱っこしていました。

古泉 うちの子も、ベビーカーに乗せると「降りるー! 抱っこしろー!」って言って全然おとなしく乗ってくれないので、ほとんど使い物にならなかったです。

しまお うちもベビーカーは1歳過ぎてから買ったんです。でも、エスカレーターに乗れないので、いちいちエレベーターを探すのが面倒に感じ、結局抱っこしていました。車があればベビーカーも楽なのかもしれないけど、ベビーカーがあるほうが、結構手間がかかるような気もします。

 「ベビーカーを買わなきゃいけない」わけじゃないのに、勝手に「買わなきゃ」って思い込んでいました。出産や育児ってなった時、急にレールに乗っているんですよね。病院を選ぶ、妊娠線予防のクリームを買う、ベビーカーを選ぶ、電動自転車を買う……みたいなラインに。

――焦ってしまうということですか?

しまお そうですね。情報が過多に入ってくる。でも、そんなの本当は、まったくと言っていいほど必要なかったりする。

古泉 ぼんやりしていると、取り残されてしまう感。

しまお ネットとかで育児グッズの情報を見るより、自分の子どもを見て、自分の子どもに合わせた取捨選択をしないと、逆に窮屈なんじゃないかと思います。ベビーカーや抱っこひもも、焦って買わなくていいんじゃないかな。

古泉 僕は、講師をしている漫画教室のママ友さんに、お古のアイテムをもらいましたよ。

しまお 結構みんなくれますよね。

古泉 チャイルドシートも、中古品を5,000円くらいで買いました。全然お金をかけていません。

しまお 私も服は、ほぼ友達のお古です。周りよりちょっと出産が遅れると、お古をたくさんもらえるんですよね。お古の服だから、全然インスタ映えしない子どもですけど(笑)。

(姫野ケイ)

古泉智浩(こいずみ・ともひろ)
1969年生まれ。ヤングマガジンちばてつや賞大賞受賞。代表作『ジンバルロック』(青林工藝舎)、『ワイルド・ナイツ』(双葉社)のほか、映画化された原作漫画に『青春☆金属バット』(秋田書店)、『ライフ・イズ・デッド』(双葉社)、『死んだ目をした少年』『チェリーボーイズ』(青林工藝舎/2018年2月公開予定)がある。DVD『渚のマーメイド』原作・脚本担当。子育てエッセイ『うちの子になりなよ ある漫画家の里親入門』(イースト・プレス)が話題を呼ぶ。Vコミで『漫画 うちの子になりなよ』連載中。
・ブログ:古泉智浩の『オレは童貞じゃねぇ!!』

しまおまほ(しまお・まほ)
1978年10月東京・御茶ノ水生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業。97年、『女子高生ゴリコ』(扶桑社)でデビュー。ファッション誌やカルチャー誌に漫画やエッセイを発表。著書に『ガールフレンド』(スペースシャワーネットワーク)、『ぼんやり小町』(ソニー・マガジンズ)、『しまおまほのひとりオリーブ調査隊』(プチグラパブリッシング)、『まほちゃんの家』(WAVE出版)、『漫画真帆ちゃん』(KKベストセラーズ)など。

子育て中に生じる“焦り”の正体とは? 古泉智浩&しまおまほが語る「親」という存在

 里子を6歳未満で自分の籍に入れ、法的に実子と同じ扱いとする、特別養子縁組をした漫画家の古泉智浩さん。前編では、同じく子育て中のエッセイスト、しまおまほさんと、実子と里子や養子の育て方の違いについて思うことを語ってもらいました。後編ではさらに、育児に関する社会問題も含め、お互いの育児エピソードに踏み込んでいきます。

(前編はこちら)

■所構わず子連れで行くのは気が引ける

――お2人は、お子さんを今年から保育園に入れたんですよね。それによって、生活はどう変わりましたか?

古泉智浩(以下、古泉)・しまおまほ(以下、しまお) めっちゃ楽になりました!

――先日、熊本の市議会議員が預け先に困って議場に乳児を連れてきたことが、賛否両論を呼びました。保育園の時間外など、どうしても預け先が見つからないときもありますよね。

しまお そのニュース、あまり見ていないのですが、私自身はできる限り仕事場に子連れでは行きません。仕事柄、寛容な現場もあるのですが、決して子どもが好きな人ばかりではないでしょうし。とりあえず「可愛い」って言わないといけないような雰囲気にするのも、心苦しいと思ってしまっていて。息子が保育園に入る前は、家族や親しい友人に面倒を見てもらったり、託児所を利用したりしていました。

古泉 僕は、子どもを連れてきている人がいたら、うれしくて抱っこしちゃいますけどね(笑)。でも、そういう人ばかりではないですよね。

しまお 時と場合によりますね。勝手知ったる現場だったら、連れていくこともあるかな。でも、子どもって、基本的におとなしくはしていないので……。

――託児所は、「今日どうしても預け先がないから預けよう」と、いきなり行っていいのではなく、事前の登録が必要なんですよね?

しまお そうなんです。私がたまに利用しているところは、1階が託児所で2階がシェアオフィスになっていて、保育園入園前は助かりました。とてもきれいな場所で、来ているママたちもオシャレ。そんな中、テキトーな格好で机で昼寝したり、お菓子を食べながら原稿を書いている私は、完全に浮いていましたね(笑)。

古泉 アハハ! 利用料金はどれくらいなの?

しまお 保育園よりは高いですね。

古泉 でも、どこにも預け先がないときは助かるよね。

――ほかに、利用してよかった育児支援施設はありますか?

古泉 僕が住んでいる地域の役場の隣にある施設は、遊び道具があったり、「みんなで歌を歌いましょう」という時間があったりして、よかったです。預けるというより、保護者も一緒なのですが、保育園以外の時間で、家にずっといるのに飽きたときに利用していました。

しまお 私は演劇を鑑賞した際、劇場についている託児施設を使ったことがあります。

古泉 それは無料なの?

しまお 2,500円くらいかかりました。演劇のチケットにプラス2,500円と考えると結構な出費ですが、一緒に劇場まで行けるのはよかったです。利用者はずいぶん少なかったですけど。調べると、チケットサイトが運営している無料の託児サービスもあるようですね。

 行政の施設でいうと、区のベビーマッサージ講習に行ったことがあります。しかし実際は、講習は15分だけで、残りの1時間半は「みんなでおしゃべりをしましょう」という感じでした。住んでいる地域ごとに席が決められていて、「あそこのスーパーいいよね」といった、共通の話題を出しやすくされていました。孤立する母親をつくらないよう手厚く取り組んでいるんだな、と思いました。私は途中から参加したので、すでにできあがっている20代のママたちの輪に入れず焦りました(笑)。

古泉 うちも役所から保健師さんが来ましたよ。でも、当時は里親初心者だったから、虐待をしていないか監視されているのかなと疑心暗鬼になってた(笑)。

しまお でも、みんなスタートは一緒ですからね。私も子育て素人だったし、オムツ替えを練習しても、実践すると全然違ったりする。

古泉 女性は10カ月かけてお母さんになるけど、僕ら夫婦は(「里子を預かってくれませんか?」と連絡があってから)1週間で親にならなければなりませんでした。

しまお う〜ん、でも全然自覚はありませんでした。ただおなかが膨れていって……という感じで。そして、産んだ直後に「あ、これからずっと一緒なんだ、終わりがないんだ」と思ったら、ちょっと怖くなりました。産むのがゴールかと思っていたら、違った。

古泉 重荷みたいに感じたんですか?

しまお 重いと思いました(笑)。生まれたからには、死ぬってことじゃないですか。その重みが怖いというか……。友達の中には、「生まれた子どもの顔を見たら『大好き! 可愛い!』って幸せオーラしか出ないよ」と言っている人もいましたが、私は全然。「ゲッ、ヤバイ!」って思いました(笑)。

古泉 真面目なのかな。

しまお 真面目なのかもしれない。育児についてはサボったりもできるけど、責任をサボることはできない、と思ってしまって。

――入れる保育園を探す「保活」に取り組んでいる方も多いですが、お2人は、保活には苦労されなかったんですか?

古泉 僕が住んでいる地域は待機児童1人なので、特には。

しまお 周りではいましたね。私、病院も、産む1カ月くらい前になったら適当に探せばいいかと思っていたのですが、着床した段階で、大きい病院に連絡して予約する人もいるらしいです。妊娠してあまり間もない時期なのに、「産む病院をまだ決めてない」って言ったら「ヤバイよ」と言われてしまって……。

古泉 もし、決めてなかったら、怪しげな病院に回されるんですかね?

しまお どうなんでしょう。36歳で一応、高齢出産だったから、何かあったときのためにとりあえず大きい病院を選んだのですが、いま考えたら、近所の病院でよかったんじゃないかなと思います。

――都会では、ベビーカーを電車に乗せると、白い目で見られることもあります。どうすれば、もっと子育てしやすい社会になると思いますか?

しまお 東京のラッシュは本当にひどいですよね。私はほとんどベビーカーを使わなかったです。ずっと抱っこしていました。

古泉 うちの子も、ベビーカーに乗せると「降りるー! 抱っこしろー!」って言って全然おとなしく乗ってくれないので、ほとんど使い物にならなかったです。

しまお うちもベビーカーは1歳過ぎてから買ったんです。でも、エスカレーターに乗れないので、いちいちエレベーターを探すのが面倒に感じ、結局抱っこしていました。車があればベビーカーも楽なのかもしれないけど、ベビーカーがあるほうが、結構手間がかかるような気もします。

 「ベビーカーを買わなきゃいけない」わけじゃないのに、勝手に「買わなきゃ」って思い込んでいました。出産や育児ってなった時、急にレールに乗っているんですよね。病院を選ぶ、妊娠線予防のクリームを買う、ベビーカーを選ぶ、電動自転車を買う……みたいなラインに。

――焦ってしまうということですか?

しまお そうですね。情報が過多に入ってくる。でも、そんなの本当は、まったくと言っていいほど必要なかったりする。

古泉 ぼんやりしていると、取り残されてしまう感。

しまお ネットとかで育児グッズの情報を見るより、自分の子どもを見て、自分の子どもに合わせた取捨選択をしないと、逆に窮屈なんじゃないかと思います。ベビーカーや抱っこひもも、焦って買わなくていいんじゃないかな。

古泉 僕は、講師をしている漫画教室のママ友さんに、お古のアイテムをもらいましたよ。

しまお 結構みんなくれますよね。

古泉 チャイルドシートも、中古品を5,000円くらいで買いました。全然お金をかけていません。

しまお 私も服は、ほぼ友達のお古です。周りよりちょっと出産が遅れると、お古をたくさんもらえるんですよね。お古の服だから、全然インスタ映えしない子どもですけど(笑)。

(姫野ケイ)

古泉智浩(こいずみ・ともひろ)
1969年生まれ。ヤングマガジンちばてつや賞大賞受賞。代表作『ジンバルロック』(青林工藝舎)、『ワイルド・ナイツ』(双葉社)のほか、映画化された原作漫画に『青春☆金属バット』(秋田書店)、『ライフ・イズ・デッド』(双葉社)、『死んだ目をした少年』『チェリーボーイズ』(青林工藝舎/2018年2月公開予定)がある。DVD『渚のマーメイド』原作・脚本担当。子育てエッセイ『うちの子になりなよ ある漫画家の里親入門』(イースト・プレス)が話題を呼ぶ。Vコミで『漫画 うちの子になりなよ』連載中。
・ブログ:古泉智浩の『オレは童貞じゃねぇ!!』

しまおまほ(しまお・まほ)
1978年10月東京・御茶ノ水生まれ。多摩美術大学芸術学科卒業。97年、『女子高生ゴリコ』(扶桑社)でデビュー。ファッション誌やカルチャー誌に漫画やエッセイを発表。著書に『ガールフレンド』(スペースシャワーネットワーク)、『ぼんやり小町』(ソニー・マガジンズ)、『しまおまほのひとりオリーブ調査隊』(プチグラパブリッシング)、『まほちゃんの家』(WAVE出版)、『漫画真帆ちゃん』(KKベストセラーズ)など。

「最後の不妊治療が失敗してよかった」漫画家・古泉智浩が語る、養子を育てる親のホンネ

 血縁関係のない子を6歳未満で自分の籍に入れ、法的に実子と同じ扱いとする「特別養子縁組」。不妊治療を続けたものの、失敗を重ねた末に治療をやめた漫画家の古泉智浩さんは、里子の男児「うーちゃん」に特別養子縁組の手続きを行った模様を自身のコミックエッセイ『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました』(イースト・プレス)に綴っています。今回は、古泉さんと交友があり、現在2歳である実子の男児を育児中のエッセイスト・しまおまほさんとの対談を企画。里子と実子では育て方が違うのか、不妊治療への考え、里子や養子縁組の制度について、お互いの子育てをもとに語ってもらいました。

■最初は里子に抵抗があったが、子どもがいないことに耐えられなくなった

――今まで身近に、里子を育てた方はいましたか?

古泉智浩さん(以下、古泉) 僕は、『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました』にも登場しているAさん。15年くらい前からの付き合いです。5歳の時にAさんが引き取ったので、お子さんは今年成人しました。

しまおまほさん(以下、しまお) 私の周りには里子を受け入れたり養子縁組をした人はいませんが、親戚や友達で不妊治療をしていた人はいます。それで、授かった人も授からなかった人もいます。

――古泉さんは、血のつながっていない子どもを育てることに、抵抗はありませんでしたか?

古泉 最初は抵抗があったのですが、なかなか子どもができないのに耐えられなくなってしまって……。

しまお 古泉さん、ずっと、いろんな人に「(奥さんの代わりに)産んでくれ」っておっしゃってましたもんね。そう言われて産む人はいないと思うけど(笑)。

古泉 そう、「(子どもを)産んでくれるなら誰でもいい!」って。でも、そんなことを言って妻を悲しませてしまったので、今はそれをとても反省しています……。

――古泉さんもしまおさんも、お子さんはやんちゃな時期ですよね。

古泉 そうですね。言うことを聞かないときは、「おばけが来るよ」とか「カミナリ様が、おへそを取りに来るよ」と言ったりします。特に、カミナリ様が来ると言うと、何があってもおへそから手を離さない(笑)。うーちゃんは怖がりなので。

しまお えーっ、素直ですね。うちの子は最初から見抜いててダメです。お化けとか通じないんですよね。現実主義なのかな? でも、なかなか寝てくれない夜、外からトランクをガラガラ引く音がしたとき、「あれは言うことを聞かない子をトランクに詰めて連れて行っている音だよ」と言ったら、すごく怖がってました。でも、そう言った私自身も怖くなってしまいました(笑)。

古泉 僕もそれ、パトカーバージョンで使います。「食べ物を粗末にするような悪い子は、おまわりさんがパトカーで連れて行くよ」って。しまおさんは、お子さんが悪いことしたとき、叱ります?

しまお 叱るけど、無視もします。泣いても無視。

古泉 えっ、無視!? かわいそうじゃないですかー! 僕は絶対無理。

しまお だって、こちらの反応をうかがいながら泣いたりするんだもん。

古泉 あー、あるある。

しまお 泣いたら優しくしてくれると期待しているから、そうなったらシカトを決め込むしかないですよ。

古泉 いや〜、僕なら、いくらでも抱っこしてあげますよ。

しまお クセになると、抱っこはこっちの体が持たなくなっちゃう。

古泉 僕の妻も、ぎっくり腰になっていましたね。

しまお 私も、はりに通ってますよ。

――実子と里子で、育て方の違いはあると思いますか?

古泉 僕は元婚約者との間に実子がいるのですが、育てたことはないのでわからないです。

しまお 私も、わからないです。

古泉 ただ、しまおさんが泣かせっぱなしにできるのは実子だからじゃないかなと、聞いていて思いました。やっぱり、僕は血縁関係がないから、もし関係が壊れたら、修復できなくなってしまうのではないかというおびえがあるんですよね。養子縁組をしたので、籍は入れていますけど。

しまお そうなのかな。私は自分に子どもができてみて、実子とそうでない子どもの区別ってなんだろうと考えるようになりました。

 今まで、子どもが嫌いでもなかったけど、すごく好きというわけでもなかったんです。「子どもはいたらいいな」くらいに思っていた感じで、みんなが「子ども可愛い〜」って言っているのもわからなかった。だけど、自分の子どもができたら、こういう行動はうちの子と同じだな〜と思えることが増えて、実子も他人の子も関係なく、本当に子どもっていとおしいものなんだな、と思えたんです。だから、逆に今のほうが血のつながりに固執していないかも。ただ、それはあくまで私の意見ですね。

 子どもに対して遠慮がなくなったので、保育園でほかの子の鼻水を拭いたり、乱暴をしている子がいたら普通に怒って、「出すぎたことをしたかな」と反省することもあります。古泉さんは実子でないことについて、普段から考えたりしますか?

古泉 いつも全然考えていないです。今年、最後に一度だけ不妊治療をしてみたのですが、失敗したのでもうやめようと決めました。635万円も使ってしまったので、これ以上はもったいないと。でも、今にして思うと、失敗してよかったなと思っています。もし、実子で弟か妹がいたら、うーちゃんが大人になったとき、自分だけ仲間外れというのはかわいそうだなと思ったんです。だから、次も里子か養子がいいなと思っています。

――里子や養子縁組の制度があることについては、どう思いますか?

古泉 僕はこの制度がなかったら、今もずっと暗い気持ちのままで発狂していたかもしれない(笑)。当初は民間の養子縁組業者にお世話になろうと思っていたのですが、年齢制限が46歳だったり、申し込むには行政の里親登録をしなければいけなかったりと、いろいろな条件がありました。それで、最初から行政の方にお願いすることにしました。

 行政の児童相談所って“お役所仕事”だろうと思っていたので、そんなに期待せずに登録だけして、民間の養子縁組委託業者に申し込もうと思っていたのですが、里親としての研修を受けた直後に「里子を預かってくれませんか?」と連絡が来たので、ものすごくびっくりしました。

しまお 古泉さんの漫画に登場する行政の方はみんな優しくて、親身になってくれていますね。

古泉 すごく親身に熱心に接してくれて、頼りになります。想像していたようなお役所仕事ではなくて、申し訳ない気持ちになりました(笑)。
(姫野ケイ)

(後編へつづく)

「最後の不妊治療が失敗してよかった」漫画家・古泉智浩が語る、養子を育てる親のホンネ

 血縁関係のない子を6歳未満で自分の籍に入れ、法的に実子と同じ扱いとする「特別養子縁組」。不妊治療を続けたものの、失敗を重ねた末に治療をやめた漫画家の古泉智浩さんは、里子の男児「うーちゃん」に特別養子縁組の手続きを行った模様を自身のコミックエッセイ『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました』(イースト・プレス)に綴っています。今回は、古泉さんと交友があり、現在2歳である実子の男児を育児中のエッセイスト・しまおまほさんとの対談を企画。里子と実子では育て方が違うのか、不妊治療への考え、里子や養子縁組の制度について、お互いの子育てをもとに語ってもらいました。

■最初は里子に抵抗があったが、子どもがいないことに耐えられなくなった

――今まで身近に、里子を育てた方はいましたか?

古泉智浩さん(以下、古泉) 僕は、『うちの子になりなよ 里子を特別養子縁組しました』にも登場しているAさん。15年くらい前からの付き合いです。5歳の時にAさんが引き取ったので、お子さんは今年成人しました。

しまおまほさん(以下、しまお) 私の周りには里子を受け入れたり養子縁組をした人はいませんが、親戚や友達で不妊治療をしていた人はいます。それで、授かった人も授からなかった人もいます。

――古泉さんは、血のつながっていない子どもを育てることに、抵抗はありませんでしたか?

古泉 最初は抵抗があったのですが、なかなか子どもができないのに耐えられなくなってしまって……。

しまお 古泉さん、ずっと、いろんな人に「(奥さんの代わりに)産んでくれ」っておっしゃってましたもんね。そう言われて産む人はいないと思うけど(笑)。

古泉 そう、「(子どもを)産んでくれるなら誰でもいい!」って。でも、そんなことを言って妻を悲しませてしまったので、今はそれをとても反省しています……。

――古泉さんもしまおさんも、お子さんはやんちゃな時期ですよね。

古泉 そうですね。言うことを聞かないときは、「おばけが来るよ」とか「カミナリ様が、おへそを取りに来るよ」と言ったりします。特に、カミナリ様が来ると言うと、何があってもおへそから手を離さない(笑)。うーちゃんは怖がりなので。

しまお えーっ、素直ですね。うちの子は最初から見抜いててダメです。お化けとか通じないんですよね。現実主義なのかな? でも、なかなか寝てくれない夜、外からトランクをガラガラ引く音がしたとき、「あれは言うことを聞かない子をトランクに詰めて連れて行っている音だよ」と言ったら、すごく怖がってました。でも、そう言った私自身も怖くなってしまいました(笑)。

古泉 僕もそれ、パトカーバージョンで使います。「食べ物を粗末にするような悪い子は、おまわりさんがパトカーで連れて行くよ」って。しまおさんは、お子さんが悪いことしたとき、叱ります?

しまお 叱るけど、無視もします。泣いても無視。

古泉 えっ、無視!? かわいそうじゃないですかー! 僕は絶対無理。

しまお だって、こちらの反応をうかがいながら泣いたりするんだもん。

古泉 あー、あるある。

しまお 泣いたら優しくしてくれると期待しているから、そうなったらシカトを決め込むしかないですよ。

古泉 いや〜、僕なら、いくらでも抱っこしてあげますよ。

しまお クセになると、抱っこはこっちの体が持たなくなっちゃう。

古泉 僕の妻も、ぎっくり腰になっていましたね。

しまお 私も、はりに通ってますよ。

――実子と里子で、育て方の違いはあると思いますか?

古泉 僕は元婚約者との間に実子がいるのですが、育てたことはないのでわからないです。

しまお 私も、わからないです。

古泉 ただ、しまおさんが泣かせっぱなしにできるのは実子だからじゃないかなと、聞いていて思いました。やっぱり、僕は血縁関係がないから、もし関係が壊れたら、修復できなくなってしまうのではないかというおびえがあるんですよね。養子縁組をしたので、籍は入れていますけど。

しまお そうなのかな。私は自分に子どもができてみて、実子とそうでない子どもの区別ってなんだろうと考えるようになりました。

 今まで、子どもが嫌いでもなかったけど、すごく好きというわけでもなかったんです。「子どもはいたらいいな」くらいに思っていた感じで、みんなが「子ども可愛い〜」って言っているのもわからなかった。だけど、自分の子どもができたら、こういう行動はうちの子と同じだな〜と思えることが増えて、実子も他人の子も関係なく、本当に子どもっていとおしいものなんだな、と思えたんです。だから、逆に今のほうが血のつながりに固執していないかも。ただ、それはあくまで私の意見ですね。

 子どもに対して遠慮がなくなったので、保育園でほかの子の鼻水を拭いたり、乱暴をしている子がいたら普通に怒って、「出すぎたことをしたかな」と反省することもあります。古泉さんは実子でないことについて、普段から考えたりしますか?

古泉 いつも全然考えていないです。今年、最後に一度だけ不妊治療をしてみたのですが、失敗したのでもうやめようと決めました。635万円も使ってしまったので、これ以上はもったいないと。でも、今にして思うと、失敗してよかったなと思っています。もし、実子で弟か妹がいたら、うーちゃんが大人になったとき、自分だけ仲間外れというのはかわいそうだなと思ったんです。だから、次も里子か養子がいいなと思っています。

――里子や養子縁組の制度があることについては、どう思いますか?

古泉 僕はこの制度がなかったら、今もずっと暗い気持ちのままで発狂していたかもしれない(笑)。当初は民間の養子縁組業者にお世話になろうと思っていたのですが、年齢制限が46歳だったり、申し込むには行政の里親登録をしなければいけなかったりと、いろいろな条件がありました。それで、最初から行政の方にお願いすることにしました。

 行政の児童相談所って“お役所仕事”だろうと思っていたので、そんなに期待せずに登録だけして、民間の養子縁組委託業者に申し込もうと思っていたのですが、里親としての研修を受けた直後に「里子を預かってくれませんか?」と連絡が来たので、ものすごくびっくりしました。

しまお 古泉さんの漫画に登場する行政の方はみんな優しくて、親身になってくれていますね。

古泉 すごく親身に熱心に接してくれて、頼りになります。想像していたようなお役所仕事ではなくて、申し訳ない気持ちになりました(笑)。
(姫野ケイ)

(後編へつづく)

子どもが「パパ、もうやめて」――復縁するも、夫の暴力は止まらず【別れた夫にわが子を会わせる?】

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第8回 田中千恵美さん(仮名・30代)後編

 友人の紹介で英会話講師のイギリス人と知り合い、真面目な人柄に惹かれて交際を始めた田中千恵美さん。妊娠を機に結婚したものの、夫の仕事に対する田中さんの両親の口出しなどをきっかけに、彼が暴力を振るうようになる。臨月に近い頃、夫にレイプされた田中さんは、彼を説得し、精神科へ連れて行く。投薬治療により、しばらくは落ち着いたものの、子どもが1歳のときに、夫がナイフを振り回したため警察沙汰になり、別居することになった。
(前編はこちら)

■カウンセラーの警告を無視して、面会交流を始めてしまう

 2人は復縁に向け、カウンセリングを受け始める。

「担当してくれたカウンセラーの先生には『お互いの気持ちがちゃんと落ち着くまでは、一緒に時間を過ごすのはカウンセリングの間だけ。それ以外では会っちゃダメ』と警告されていました。だけど、彼のほうが我慢できずに電話をかけてきて、『子どもに会いたい』って電話口で泣きながら言うんです。それを聞いて私、たまらなくなりました。同居中、彼は父親として、すごくしっかりやってくれてましたし、子どものことは溺愛してましたからね。子どもと会えないことは地獄の苦しさでしょう。子どもに直接手を出したわけじゃないですし、何より父子関係が良好だったという事情から、わざわざ引き離す必要はないって思ったんです」

 田中さんはカウンセラーの警告よりも、彼に対しての心配が勝ってしまったようだ。面会交流を勝手に始めてしまう。

「なんだか私、彼のことがいたたまれなくなって、電話を切った後、彼にメールしたんです。『毎週末の日中、会っていいよ。ただし家には入れないし、私とも引き渡しのとき以外は直接話さないこと』って。以来、週末の朝、彼がやってくるようになりました。ドア越しに『行ってらっしゃい。午後×時になったら戻ってきて』って感じで子どもを送り出しました」

――面会させて大丈夫だったのですか? 約束は破られませんでしたか?

「私が取り決めた面会ルールもちゃんと守って、夕方には帰してくれるんです。もちろん、彼は平日に保育園とかに勝手に会いに行ったりもしませんでしたしね。給料が25万円しかないのに、養育費を毎月10万円振り込んでくれていたこともうれしかった。そうした信用の積み重ねで、彼への警戒心が緩んでいきました」

 その後、田中さんは、予定よりも早い復縁を決意してしまう。

「カウンセリングを受けている効果なのか、別居直後よりも、彼はだんだんと穏やかになってきてました。と同時に、健康状態がよくないのか、日を追うごとに痩せていったんです。日々、私が彼と子どもを自由に会えなくしていることで、こうなってしまったのかなって、ちょっと自分を責めるようになりました。暴力を振るわれたのにそんなふうに思うんですから、彼をまだ愛してたんでしょうね。

 そうして1年後、私は同居を了承しました。カウンセラーからは『まだ早いからダメ。同居はやめなさい』と、きつく言われました。5年ぐらいカウンセリングを受けてからようやく復縁というのが、一般的らしいんです。だけど私、カウンセラーの警告を聞き入れず、一緒に住み始めたんです」

――復縁後の生活は、どうだったのですか?

「申し上げたように彼はきちょうめんで真面目でした。一緒にいたらいたで楽しい。はじめの半年間ほどは穏やかに過ごしていました。だけど、また3カ月に1回ほどの暴力が始まりました。壁を蹴って穴を開けたり、私を殴ったりと、爆発するんです。しかも、夜の営みもほぼ強制的で、避妊もなかった。それで、もう1人デキちゃったんです。また女の子でした。カウンセラーのアドバイスを聞かずに復縁をした手前、仲良くやっている素振りを見せるしかありませんでした。

 上の子のときと違ったのは、育児に熱心でなかったということ。長女のときは夜通しミルクをあげてくれたのに、下の子のときは『夜泣きするから寝られない』と言って、カッとするだけでした」

――再び別居に至ったのは、なぜでしょうか?

「下の子が1歳ぐらいになったときに、彼が殴りかかってきたんです。子どもに危害が及んだら大変だと思って、下の子にとっさに覆いかぶさって、背中を殴られ続けたんです。すると上の子が『パパ、もうやめて』って言いながら私に覆いかぶさって、私を守ってくれたんです……」

 そこまで言ったところで田中さんは、それまでこらえていた涙が、両方の目からあふれ出し、「ご、ごめんなさい」と言ってハンカチで目を押さえた。

――上の子は大丈夫だったんですか?

「上の子に手が出る前に、彼は手を止めました。暴力がやんで、ほっとしました。だけど、私、そのとき悟ったんです。『もうダメだな』って。『もう離婚しよう』って。それでまた家を出て行ってもらいました」

 以来、田中さんは子どもたち2人と暮らしている。住んでいるところは、独身時代から住み続けているマンションだ。彼には週1回のペースで子どもに会わせている。復縁は、もはや考えていない。

――離婚はしたのですか?

「いいえ、まだです。折り合いがつかないですから。というのも彼、『離婚したくない。まだやり直せる。子どもたちと一緒にいたい』って、電話やメールで伝えてくるんです。私自身、早く離婚したいんですが、調停をしたりして無理に進めようとは思いません。家を知られてますからね。弁護士の書いた主張を読んだ彼がカッとしたら、何をするかわかったものじゃありません。とにかく彼を怒らせないこと。そうして穏便に時が過ぎ去るのを待つしかない。3年たつと、離婚要件が満たされるそうですからね」

――父親のことは、子どもたちにどういうふうに伝えているのですか?

「聞かれたときだけ答えます。ちなみに、上の子に聞かれたときには『ちょっとパパは心の病気なんだよ。心の病気でお薬を飲んだほうがいいんだけど、イライラしちゃうときがあるんだよ』とか、そんなふうに言ってます。下の子はね、まだ小さいし、私が彼に殴られてるのを見てないので、だからあんまり、まだわかってない」

――彼は子どもたちに、田中さんのことをどう言ってるのでしょうか?

「悪く言ってるようですね。面会から帰って来た後、『パパが殴ったのは、ママのせいなんだね』って、上の子が言ったことがありましたから。それを聞いても私、彼のことを悪くは言いません。優しく『ママも悪いときがあるんだよ』って言うだけです」

――離婚が成立しても会わせますか?

「それは続けるつもりです。イギリス人だから子育てには一家言持っていて相談に乗ってもらえるし、教育とか子育てといった点で、いてくれたほうが何かと助かりますしね。夫としてはダメですけど、パパとしての彼は尊重してるんです。別れたからといって、切り離す必要はないのかなって思います」

――最後に、今後の展望は?

「離婚したいという気持ちは、ぶれてないです。愛情は、もはやないです。別に恋人を作ってくれたら楽に離婚できるんですが、そうはうまくいきませんね。だから、事を荒立てずに、穏便に3年待つしかないですね。子どもが元気に育ってくれているのがなんといっても励みになるし、元気のもとなんです。子どもたちのために頑張るしかないですね」

 暴力を振るわれ続けても、田中さんの彼への愛は続き、子どもが2人できた。そんな彼への愛情は、もはやなくなってしまった。しかし、田中さんと彼の愛情は、2人の子どもたちに今後ずっと絶えることなく注がれていく。それは間違いないだろう。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

子どもが「パパ、もうやめて」――復縁するも、夫の暴力は止まらず【別れた夫にわが子を会わせる?】

『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第8回 田中千恵美さん(仮名・30代)後編

 友人の紹介で英会話講師のイギリス人と知り合い、真面目な人柄に惹かれて交際を始めた田中千恵美さん。妊娠を機に結婚したものの、夫の仕事に対する田中さんの両親の口出しなどをきっかけに、彼が暴力を振るうようになる。臨月に近い頃、夫にレイプされた田中さんは、彼を説得し、精神科へ連れて行く。投薬治療により、しばらくは落ち着いたものの、子どもが1歳のときに、夫がナイフを振り回したため警察沙汰になり、別居することになった。
(前編はこちら)

■カウンセラーの警告を無視して、面会交流を始めてしまう

 2人は復縁に向け、カウンセリングを受け始める。

「担当してくれたカウンセラーの先生には『お互いの気持ちがちゃんと落ち着くまでは、一緒に時間を過ごすのはカウンセリングの間だけ。それ以外では会っちゃダメ』と警告されていました。だけど、彼のほうが我慢できずに電話をかけてきて、『子どもに会いたい』って電話口で泣きながら言うんです。それを聞いて私、たまらなくなりました。同居中、彼は父親として、すごくしっかりやってくれてましたし、子どものことは溺愛してましたからね。子どもと会えないことは地獄の苦しさでしょう。子どもに直接手を出したわけじゃないですし、何より父子関係が良好だったという事情から、わざわざ引き離す必要はないって思ったんです」

 田中さんはカウンセラーの警告よりも、彼に対しての心配が勝ってしまったようだ。面会交流を勝手に始めてしまう。

「なんだか私、彼のことがいたたまれなくなって、電話を切った後、彼にメールしたんです。『毎週末の日中、会っていいよ。ただし家には入れないし、私とも引き渡しのとき以外は直接話さないこと』って。以来、週末の朝、彼がやってくるようになりました。ドア越しに『行ってらっしゃい。午後×時になったら戻ってきて』って感じで子どもを送り出しました」

――面会させて大丈夫だったのですか? 約束は破られませんでしたか?

「私が取り決めた面会ルールもちゃんと守って、夕方には帰してくれるんです。もちろん、彼は平日に保育園とかに勝手に会いに行ったりもしませんでしたしね。給料が25万円しかないのに、養育費を毎月10万円振り込んでくれていたこともうれしかった。そうした信用の積み重ねで、彼への警戒心が緩んでいきました」

 その後、田中さんは、予定よりも早い復縁を決意してしまう。

「カウンセリングを受けている効果なのか、別居直後よりも、彼はだんだんと穏やかになってきてました。と同時に、健康状態がよくないのか、日を追うごとに痩せていったんです。日々、私が彼と子どもを自由に会えなくしていることで、こうなってしまったのかなって、ちょっと自分を責めるようになりました。暴力を振るわれたのにそんなふうに思うんですから、彼をまだ愛してたんでしょうね。

 そうして1年後、私は同居を了承しました。カウンセラーからは『まだ早いからダメ。同居はやめなさい』と、きつく言われました。5年ぐらいカウンセリングを受けてからようやく復縁というのが、一般的らしいんです。だけど私、カウンセラーの警告を聞き入れず、一緒に住み始めたんです」

――復縁後の生活は、どうだったのですか?

「申し上げたように彼はきちょうめんで真面目でした。一緒にいたらいたで楽しい。はじめの半年間ほどは穏やかに過ごしていました。だけど、また3カ月に1回ほどの暴力が始まりました。壁を蹴って穴を開けたり、私を殴ったりと、爆発するんです。しかも、夜の営みもほぼ強制的で、避妊もなかった。それで、もう1人デキちゃったんです。また女の子でした。カウンセラーのアドバイスを聞かずに復縁をした手前、仲良くやっている素振りを見せるしかありませんでした。

 上の子のときと違ったのは、育児に熱心でなかったということ。長女のときは夜通しミルクをあげてくれたのに、下の子のときは『夜泣きするから寝られない』と言って、カッとするだけでした」

――再び別居に至ったのは、なぜでしょうか?

「下の子が1歳ぐらいになったときに、彼が殴りかかってきたんです。子どもに危害が及んだら大変だと思って、下の子にとっさに覆いかぶさって、背中を殴られ続けたんです。すると上の子が『パパ、もうやめて』って言いながら私に覆いかぶさって、私を守ってくれたんです……」

 そこまで言ったところで田中さんは、それまでこらえていた涙が、両方の目からあふれ出し、「ご、ごめんなさい」と言ってハンカチで目を押さえた。

――上の子は大丈夫だったんですか?

「上の子に手が出る前に、彼は手を止めました。暴力がやんで、ほっとしました。だけど、私、そのとき悟ったんです。『もうダメだな』って。『もう離婚しよう』って。それでまた家を出て行ってもらいました」

 以来、田中さんは子どもたち2人と暮らしている。住んでいるところは、独身時代から住み続けているマンションだ。彼には週1回のペースで子どもに会わせている。復縁は、もはや考えていない。

――離婚はしたのですか?

「いいえ、まだです。折り合いがつかないですから。というのも彼、『離婚したくない。まだやり直せる。子どもたちと一緒にいたい』って、電話やメールで伝えてくるんです。私自身、早く離婚したいんですが、調停をしたりして無理に進めようとは思いません。家を知られてますからね。弁護士の書いた主張を読んだ彼がカッとしたら、何をするかわかったものじゃありません。とにかく彼を怒らせないこと。そうして穏便に時が過ぎ去るのを待つしかない。3年たつと、離婚要件が満たされるそうですからね」

――父親のことは、子どもたちにどういうふうに伝えているのですか?

「聞かれたときだけ答えます。ちなみに、上の子に聞かれたときには『ちょっとパパは心の病気なんだよ。心の病気でお薬を飲んだほうがいいんだけど、イライラしちゃうときがあるんだよ』とか、そんなふうに言ってます。下の子はね、まだ小さいし、私が彼に殴られてるのを見てないので、だからあんまり、まだわかってない」

――彼は子どもたちに、田中さんのことをどう言ってるのでしょうか?

「悪く言ってるようですね。面会から帰って来た後、『パパが殴ったのは、ママのせいなんだね』って、上の子が言ったことがありましたから。それを聞いても私、彼のことを悪くは言いません。優しく『ママも悪いときがあるんだよ』って言うだけです」

――離婚が成立しても会わせますか?

「それは続けるつもりです。イギリス人だから子育てには一家言持っていて相談に乗ってもらえるし、教育とか子育てといった点で、いてくれたほうが何かと助かりますしね。夫としてはダメですけど、パパとしての彼は尊重してるんです。別れたからといって、切り離す必要はないのかなって思います」

――最後に、今後の展望は?

「離婚したいという気持ちは、ぶれてないです。愛情は、もはやないです。別に恋人を作ってくれたら楽に離婚できるんですが、そうはうまくいきませんね。だから、事を荒立てずに、穏便に3年待つしかないですね。子どもが元気に育ってくれているのがなんといっても励みになるし、元気のもとなんです。子どもたちのために頑張るしかないですね」

 暴力を振るわれ続けても、田中さんの彼への愛は続き、子どもが2人できた。そんな彼への愛情は、もはやなくなってしまった。しかし、田中さんと彼の愛情は、2人の子どもたちに今後ずっと絶えることなく注がれていく。それは間違いないだろう。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

彼のことは嫌いじゃない。友達ならいいが、結婚相手ではなかった【別れた夫にわが子を会わせる?】

わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第5回 広瀬ちあきさん(仮名・30代)後編

 2歳年下の男性と、大学を卒業して3年後に、できちゃった結婚した広瀬ちあきさんは、仕事の付き合いと称してキャバクラや風俗に行っていた夫から、経済的DVや言葉のDVを受ける。ある朝、家事も育児もせず遊び歩く夫を問い詰めたところ、足を蹴られたため怖くなり、警察を呼んだ。夫が警察に話す言い分が自分と真逆だったので、法テラスに相談すると、弁護士から「離婚できる」と言われて我に返り、夜逃げしようと決意する。

(前編はこちら)

■週末の夜に彼が遊びに出かけたとき、荷物をトラックで運び出した

――いつ逃げたんですか?

「週末の夜に彼が遊びに出ていったのを確認した瞬間に、『今出て行った。だからお願い、来て』って、友人や親に連絡しました。地元の友達には、私が予約していたレンタカーのトラックで来てもらって、手分けして荷物を積み込んでいきました。運び出した荷物は、洋服だとか、実家から持ってきていたものばかり。大きいものといえば、子どもを乗せられる自転車ぐらい。お金を出し合って買ったものとか、冷蔵庫やたんすなどといった大型の荷物は持ち出さなかった。ケチな彼に“泥棒”と言われたくなかったので。

 3時間後ぐらいでしょうか。荷物を積み終わって、忘れものがないか確認していたとき、上の子が『出ていきたくないの!』って大泣きして、バタバタ暴れ始めたんですよ。上の子からしたら、保育園で新しいお友だちたちと仲良くできるかなって思ってた時期に、急に引っ越すわけです。つらかったと思います。私は『ごめんね』って声をかけて、なだめすかすしかありませんでした」

――彼は、いつ気がついたんですか?

「朝帰りの後だから、翌日の朝です。彼が実家に来ました。ドンドン! って激しくノックされ、『そこにいるんなら開けろ』って叫んでる声が聞こえました。『家に帰ったら誰もいないし、荷物がない』ってことで慌てたんでしょうね。だけど、彼のノックは完全無視です。『弁護士から連絡が行きます。私には連絡しないでください』って一筆置いて家を出ていったので。

 その後、会社にメールや電話が来たりはしました。『嫁に連絡が取れないんだけど、連絡を取ることはできますか?』って。何食わぬ、いい人のふりをしてね。娘たちを通わせていた保育園にも来ていたようで、後日連絡すると、『その後、何回か来たわよ』と保育園の先生に言われました。実家付近で待ち伏せされなかったのが幸いです。

 新しい保育園を見つける暇もなかったので、子どもたちは空いていた託児所に預けました。といいますか、託児所が空いていたから夜逃げしたともいえますね。8時から18時まで。2人合わせて月8万円ほどかかりましたけど、緊急事態だったので背に腹は代えられませんでした」

――別居後は離婚調停になったのですか?

「すべて弁護士さんに手続きをお願いして、月1回。同じ部屋で対面という形でやりました。最初は別の部屋でやっていたんですけど、お互いに言ってることが食い違ってるから、調停委員に言われて、対面で行うことになったんです。

 浮気の証拠とか、金遣いの荒さとか、彼が悪いという証拠はたくさん押さえていたので、弁護士には『確実に勝てる』とは言われていました。

 彼は弁護士を雇わなかったみたいで、知り合いの法律に詳しい人に来てもらってましたね。それで彼、『家族のために、一生懸命頑張ってきただけなんです』という趣旨の話を始めまして、挙げ句の果てには、『頼むから帰ってきてください』って懇願するんですよ。私と担当弁護士は、彼の“演技”を見ても嘘だとわかるんです。だけど、調停委員は彼の言うことを信じてる様子でしたね。しかも、私のことをディスったりは一切しないんです。私が彼のことをディスって感情的になるのとは対照的でした。そんなやりとりでしたからね。調停委員たちの心証は、彼の方が良かったのかも。

 調停はずるずる続きまして、1年半後、不調に終わりました。時間がかかったのは、彼が離婚を頑として認めなかったからです」

――調停の後は、どうしましたか?

「早く離婚したかったので、婚姻費用調停はしていません。絶対払ってくれないってわかってました。それにそもそも、婚姻費用の差し押さえを逃れるためか、離婚調停が始まってすぐ、彼は会社を辞めて、『オレには財産ありません。払えません』って明言してましたから」

――その後、離婚裁判をすることになったんですね。結果はどうなったんですか?

「1回で終わりました。向こうの母親が慰謝料の100万円を用意してくれて、それをもらって、それであっさり決着しました。彼は無職と見なされていたので、養育費は月に2万5,000円で決定です。『子どもに会わせてほしい』という要求は、結局ありませんでした。ただ『引き取る』とは言ってましたね。どうやって育てるつもりだったのかは、わからないですけど」

――裁判が終わった後は?

「メールのやりとりから始まって、彼と連絡を取り合うようになりました。それから、普通に会うようになりまして、あるとき、彼にしれっとお金をせびられてしまったんです。困りましたよ。でも私、そのとき、『どうせ返ってこないけど、別にいいや』って思ってしまって。結局、貸してしまったんです。その後は、『お金貸して』って言われても、さすがに断るようになりましたよ」

――離婚後も、子どもを会わせてはいるんですか?

「会わせてますよ。『遊ぼう』って言ってくるし、子どもたちも『会いたい』って言うので。父と子たちで何をしているかって? キャッチボールするとか勉強教えてあげるとか、一緒に遊ぶとかは、たまにしかありません。いつも、彼の趣味であるお買い物に出掛けるだけです。ただし、だいたいは彼の買い物に付き合わされるだけで、子どもたちがおもちゃなどを買ってもらうことはまれ。そんなときは、帰宅した後、子どもたちは『行き損だったよ』って淡々と言うんですよ。この間も、そう言ってました」

――一緒に旅行に行ったりはしないんですか?

「私は秋になると森へキャンプに行くんですけど、この前、彼をボディガード的に連れて行ったんです。『来る?』ってなんとなく誘ったら、来ました。でも、彼が来ると、彼の分のお金がかかるし、『肉肉肉』とか『焼酎あるか』とか、うるさかったんですよ(笑)。なので、『もう呼ばなくていいよね』って、子どもたちと冗談めかして話してます。別に、来たいなら来てもいいですけど」

――面会することで、普段足りていない父親の存在感をカバーできると思いますか?

「それはないですね。なんで面会するかっていうと、『会おう』って言われるから会ってるだけ。それだけです。『会いたくない』と子どもたちが言ったら会わせない。そこはシンプルに考えています」

――そのほかに、彼との付き合いはあるんですか?

「誘われて、たまに2人で食事に行くこともあります。今でも彼に子どものことで何かと相談をします。結果よければすべてOKの彼は、私とまるで逆。だから、プロセスでぐしゃぐしゃと悩んでるときに、彼に相談すると楽なんですよ」

――ずいぶん大変な目に遭ったのに。失礼ですけど、不思議な関係ですね。

「彼のこと、ひどく言ってますけど、別に嫌いじゃないんですよ。ただ、結婚相手ではなかったということ。一緒に住んだら、ぐちゃぐちゃになる。それじゃ、子どももかわいそう。友達とか元夫という存在ならいいんです」

―――離婚したことは、その後の自分にとってよかったですか?

「別居して離婚が成立した後も、なんで別居しちゃったんだろう? なんで離婚したんだろう? なんで父親から子どもを奪っちゃったんだろう? って、そんな思いに苛まれていて、うーん苦しかったですね。別居後の数年間は、ずっと悩んでいました。だけど、離婚後しばらくして、離婚した理由を自分なりに理解してからは、離婚してもしょうがなかったんだなって思えるようになりました。

 女性1人で子育てをしながら生きていくのは大変です。子育てをしていく上で、男性的な要素が欠けていることで困ったり、稼ぎが不安だったり。あと、ゆくゆく更年期障害になったとき、どうしようかなとか。それでも大正解だったって思いますよ。経済的DVがなくなって楽になりましたし、子どもたちを親に頼んで残業したり、飲みに行ったり、あと今日みたいにインタビューを受けることだってできますから」

――今後、再婚は考えたりしますか?

「どうですかね。そうなったらそうなったで、取りつくろったりせず、正直に子どもと話したいですね。再婚しても会わせるかですか? それも、そのときに子どもたちと話し合って決めればいいかなと思います。子どもの親権を私が持っているので、どうあれ私の方が優位ですし」

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

彼のことは嫌いじゃない。友達ならいいが、結婚相手ではなかった【別れた夫にわが子を会わせる?】

わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第5回 広瀬ちあきさん(仮名・30代)後編

 2歳年下の男性と、大学を卒業して3年後に、できちゃった結婚した広瀬ちあきさんは、仕事の付き合いと称してキャバクラや風俗に行っていた夫から、経済的DVや言葉のDVを受ける。ある朝、家事も育児もせず遊び歩く夫を問い詰めたところ、足を蹴られたため怖くなり、警察を呼んだ。夫が警察に話す言い分が自分と真逆だったので、法テラスに相談すると、弁護士から「離婚できる」と言われて我に返り、夜逃げしようと決意する。

(前編はこちら)

■週末の夜に彼が遊びに出かけたとき、荷物をトラックで運び出した

――いつ逃げたんですか?

「週末の夜に彼が遊びに出ていったのを確認した瞬間に、『今出て行った。だからお願い、来て』って、友人や親に連絡しました。地元の友達には、私が予約していたレンタカーのトラックで来てもらって、手分けして荷物を積み込んでいきました。運び出した荷物は、洋服だとか、実家から持ってきていたものばかり。大きいものといえば、子どもを乗せられる自転車ぐらい。お金を出し合って買ったものとか、冷蔵庫やたんすなどといった大型の荷物は持ち出さなかった。ケチな彼に“泥棒”と言われたくなかったので。

 3時間後ぐらいでしょうか。荷物を積み終わって、忘れものがないか確認していたとき、上の子が『出ていきたくないの!』って大泣きして、バタバタ暴れ始めたんですよ。上の子からしたら、保育園で新しいお友だちたちと仲良くできるかなって思ってた時期に、急に引っ越すわけです。つらかったと思います。私は『ごめんね』って声をかけて、なだめすかすしかありませんでした」

――彼は、いつ気がついたんですか?

「朝帰りの後だから、翌日の朝です。彼が実家に来ました。ドンドン! って激しくノックされ、『そこにいるんなら開けろ』って叫んでる声が聞こえました。『家に帰ったら誰もいないし、荷物がない』ってことで慌てたんでしょうね。だけど、彼のノックは完全無視です。『弁護士から連絡が行きます。私には連絡しないでください』って一筆置いて家を出ていったので。

 その後、会社にメールや電話が来たりはしました。『嫁に連絡が取れないんだけど、連絡を取ることはできますか?』って。何食わぬ、いい人のふりをしてね。娘たちを通わせていた保育園にも来ていたようで、後日連絡すると、『その後、何回か来たわよ』と保育園の先生に言われました。実家付近で待ち伏せされなかったのが幸いです。

 新しい保育園を見つける暇もなかったので、子どもたちは空いていた託児所に預けました。といいますか、託児所が空いていたから夜逃げしたともいえますね。8時から18時まで。2人合わせて月8万円ほどかかりましたけど、緊急事態だったので背に腹は代えられませんでした」

――別居後は離婚調停になったのですか?

「すべて弁護士さんに手続きをお願いして、月1回。同じ部屋で対面という形でやりました。最初は別の部屋でやっていたんですけど、お互いに言ってることが食い違ってるから、調停委員に言われて、対面で行うことになったんです。

 浮気の証拠とか、金遣いの荒さとか、彼が悪いという証拠はたくさん押さえていたので、弁護士には『確実に勝てる』とは言われていました。

 彼は弁護士を雇わなかったみたいで、知り合いの法律に詳しい人に来てもらってましたね。それで彼、『家族のために、一生懸命頑張ってきただけなんです』という趣旨の話を始めまして、挙げ句の果てには、『頼むから帰ってきてください』って懇願するんですよ。私と担当弁護士は、彼の“演技”を見ても嘘だとわかるんです。だけど、調停委員は彼の言うことを信じてる様子でしたね。しかも、私のことをディスったりは一切しないんです。私が彼のことをディスって感情的になるのとは対照的でした。そんなやりとりでしたからね。調停委員たちの心証は、彼の方が良かったのかも。

 調停はずるずる続きまして、1年半後、不調に終わりました。時間がかかったのは、彼が離婚を頑として認めなかったからです」

――調停の後は、どうしましたか?

「早く離婚したかったので、婚姻費用調停はしていません。絶対払ってくれないってわかってました。それにそもそも、婚姻費用の差し押さえを逃れるためか、離婚調停が始まってすぐ、彼は会社を辞めて、『オレには財産ありません。払えません』って明言してましたから」

――その後、離婚裁判をすることになったんですね。結果はどうなったんですか?

「1回で終わりました。向こうの母親が慰謝料の100万円を用意してくれて、それをもらって、それであっさり決着しました。彼は無職と見なされていたので、養育費は月に2万5,000円で決定です。『子どもに会わせてほしい』という要求は、結局ありませんでした。ただ『引き取る』とは言ってましたね。どうやって育てるつもりだったのかは、わからないですけど」

――裁判が終わった後は?

「メールのやりとりから始まって、彼と連絡を取り合うようになりました。それから、普通に会うようになりまして、あるとき、彼にしれっとお金をせびられてしまったんです。困りましたよ。でも私、そのとき、『どうせ返ってこないけど、別にいいや』って思ってしまって。結局、貸してしまったんです。その後は、『お金貸して』って言われても、さすがに断るようになりましたよ」

――離婚後も、子どもを会わせてはいるんですか?

「会わせてますよ。『遊ぼう』って言ってくるし、子どもたちも『会いたい』って言うので。父と子たちで何をしているかって? キャッチボールするとか勉強教えてあげるとか、一緒に遊ぶとかは、たまにしかありません。いつも、彼の趣味であるお買い物に出掛けるだけです。ただし、だいたいは彼の買い物に付き合わされるだけで、子どもたちがおもちゃなどを買ってもらうことはまれ。そんなときは、帰宅した後、子どもたちは『行き損だったよ』って淡々と言うんですよ。この間も、そう言ってました」

――一緒に旅行に行ったりはしないんですか?

「私は秋になると森へキャンプに行くんですけど、この前、彼をボディガード的に連れて行ったんです。『来る?』ってなんとなく誘ったら、来ました。でも、彼が来ると、彼の分のお金がかかるし、『肉肉肉』とか『焼酎あるか』とか、うるさかったんですよ(笑)。なので、『もう呼ばなくていいよね』って、子どもたちと冗談めかして話してます。別に、来たいなら来てもいいですけど」

――面会することで、普段足りていない父親の存在感をカバーできると思いますか?

「それはないですね。なんで面会するかっていうと、『会おう』って言われるから会ってるだけ。それだけです。『会いたくない』と子どもたちが言ったら会わせない。そこはシンプルに考えています」

――そのほかに、彼との付き合いはあるんですか?

「誘われて、たまに2人で食事に行くこともあります。今でも彼に子どものことで何かと相談をします。結果よければすべてOKの彼は、私とまるで逆。だから、プロセスでぐしゃぐしゃと悩んでるときに、彼に相談すると楽なんですよ」

――ずいぶん大変な目に遭ったのに。失礼ですけど、不思議な関係ですね。

「彼のこと、ひどく言ってますけど、別に嫌いじゃないんですよ。ただ、結婚相手ではなかったということ。一緒に住んだら、ぐちゃぐちゃになる。それじゃ、子どももかわいそう。友達とか元夫という存在ならいいんです」

―――離婚したことは、その後の自分にとってよかったですか?

「別居して離婚が成立した後も、なんで別居しちゃったんだろう? なんで離婚したんだろう? なんで父親から子どもを奪っちゃったんだろう? って、そんな思いに苛まれていて、うーん苦しかったですね。別居後の数年間は、ずっと悩んでいました。だけど、離婚後しばらくして、離婚した理由を自分なりに理解してからは、離婚してもしょうがなかったんだなって思えるようになりました。

 女性1人で子育てをしながら生きていくのは大変です。子育てをしていく上で、男性的な要素が欠けていることで困ったり、稼ぎが不安だったり。あと、ゆくゆく更年期障害になったとき、どうしようかなとか。それでも大正解だったって思いますよ。経済的DVがなくなって楽になりましたし、子どもたちを親に頼んで残業したり、飲みに行ったり、あと今日みたいにインタビューを受けることだってできますから」

――今後、再婚は考えたりしますか?

「どうですかね。そうなったらそうなったで、取りつくろったりせず、正直に子どもと話したいですね。再婚しても会わせるかですか? それも、そのときに子どもたちと話し合って決めればいいかなと思います。子どもの親権を私が持っているので、どうあれ私の方が優位ですし」

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

夫の人生に何も間違いはなかった。今も彼と娘との関係は友好的【別れた夫にわが子を会わせる?】

 『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第4回 岡田奈緒さん(仮名、40代)後編

 イベントコンパニオンや役者などとして活動していた岡田奈緒さんは、20代後半のとき、同じ舞台で知り合った10歳ほど年上の舞台俳優と結婚。翌年、娘を出産し、子育てに専念していたものの、娘が1歳になると、将来的なことを考えて不安が尽きなくなり、夫とすれ違い始める……。夫と別居しようと、関東近隣の団地から都内の実家所有のマンションに引っ越すも、夫がついてきてしまう。

(前編はこちら)

■価値観を押し付けたのは、たぶん私

――東京での暮らしは、どんな生活だったんですか?

「引っ越したのは、実家が所有しているマンションの、約13畳のワンルーム。ちっちゃいキッチンとちっちゃいお風呂がありましたけど、居住用というより事務所用の物件でした。そんな家ですから、夫の部屋は当然ありません。すると、余計ゴロゴロしてるのが目につくんです。でも、東京に来て環境が変わるので、夫が一念発起してくれればという願いがありました」

――一念発起とは?

「20代の頃には大人気だった夫も、すでに40代。俳優をやるにしても、別の仕事をするにしても、よほど改善をしなければヤバいわけです。だから、『何がしたいのか考えてみなさい』って、夫に言い聞かせてました。だって、そうでしょ? 子どもができてお金がいるというのに、どうやって稼いでいったらいいかとか、当然あるべき将来の青写真が、夫になかったんですから。

 あるときは、保険会社の人生設計相談を受けてもらったりもしました。そこでは、ライフプランを書かされるんですが、夫の書いた表に『何年後に家を買って』とかいう青写真的なものが、まったく出てこなかったんです。これじゃちょっと老後は背負いきれないな、ダメだなって。ガッカリしました。

 一方で、夫にとっては、私のそうした言動がストレスなんです。夫は、ご飯が食べられればいい。借金もしない。お金がまったくないわけでもない。お金はないんですけども、生きてはいける。月20万円ぐらいあれば、家族3人か4人生きていけるという人だったので、何を言われているかわからない。『子どもがいて楽しく暮らせればいいのに、何がいけないんだ』というすれ違いです。

 だから夫のモラハラとかDVというのとは真逆。価値観を押し付けたのは、たぶん私ですね。夫は現状で十分幸せなんですもの。夫の人生に、何も間違いはなかった。かわいそうに。だって夫からしたら、借金もないのに、なんで責められなきゃならないんだってことですよね」

――離婚を決意したきっかけは、なんですか?

「娘がクローゼットの陰で泣いてるのを見てしまったからです。東京に引っ越して1年ぐらい、それを見たときに『もうダメだ』って。子どもの精神状態がやばいと思って、『これはよくない。まずとにかく、夫と空間を分けるべきだ』って思ったんです。

 それからすぐ、どうやって離婚するかを調べ始めました。別居中の婚姻費用のことや、どういう段取りで離婚していくものなのかを、法テラス(無料法律相談)に行ったり、行政に相談しに行ったりして、教えてもらったり、本を読んで調べたりしました。調べると同時に、離婚後の生活の青写真を描きました。離婚するからにはガッツリ働こうと思って、いろいろ仕事の態勢を整えたんです。

 調べた後は夫の説得です。夫は、私が離婚したがってる意味がわからない。だから全然、話し合いが進まなかったですね。それで『本当に離婚したくないなら、策を考えなよ』って助け舟を出すんですが、提案してこない。公正証書とか事務的な決めごとを持ちかけると、逃げ回る。

 別居の話し合いの中で、双方がどこに住むかも話し合いました。『娘の近くに住みたいんなら、どうぞ。それで、いつ出ていくの? 年度末の3月31日がいいんじゃない? 期限を過ぎたら、日割りで家賃をもらうわよ』と話すと、夫は『やっぱり、実家に帰るよ』って答えましたね。そして劇団員の仲間に手伝ってもらって、引っ越していきました」

――娘さんには、どう説得しましたか?

「夫婦はやめたけど、親はやめられないという定義のもとに“離婚”しました。『パパとママは、仲良くできないんだ。楽しくないでしょ、この家庭。だからごめんね。パパとママ、夫婦はやめる。でもパパは減らないよ。ママがもし再婚しても、二番目のパパが増えるだけだよ』って娘には言って、納得してもらえました」

 岡田さんは、夫と別れる。面会の条件などを記した公正証書を先に作った上で、面会もすぐにスタートさせた。

――それで旦那さんは、ほかに仕事を見つけたんですか?

「最近は、タクシーの運転手をしているらしいです。すると、今度はタクシーのシフトが入ってしまって、役者のシフトを整理できなくなる。彼は不器用なので、自然と役者の仕事に手が回らなくなった。岩にしがみついてでも役者をやりたいんだっていう意地があったら、私は支えてもよかったんです。だけど、弱気になって、何がしたいのかわからなくなっちゃってた」

――面会は、どのように行っていますか?

「面会では、いろんなルールを作るじゃないですか。待ち合わせや引き合わせの方法とか、家には上げないとか。だけど、そうした決めごとは、ことごとく破られました。例えば『離婚後、週3日彼、週4日私が面倒を見る』ということを記したんですけど、6日に1回休みというタクシー勤務のシフトに合わせて、休みの日にうちに来るだけなんです。劇団とかの用事があれば来なかったり、逆に運動会とか、ぜひ来たいというときはシフトを調整して来たりしますけどね」

――面会が月に1回2時間とかいう人に、聞かせたい話ですね。ほかには?

「家に来ないというルールも破られましたね。離婚相手を、普通家に上げないでしょ。なのに彼は全然気にしない。今や泊まってますからね。彼が来たら来たで、彼がだらしないから娘が真似して、すごくだらしなくなっちゃう。宿題があるのに、教えたりとかはしなくて、ずっと2人でゲームやってるんです」

――どんなふうに面会するんですか?

「彼が娘と行くところといえば、ファミレスとかコンビニ、あとは公園。彼は食べることに興味がないので、特別なレストランなどには行きません。あと最近は娘が映画にはまっているので、新作映画には必ず連れていってくれます。それは良いことだと思います! あと夫の家族と旅行とか。まあそれで、娘も喜んでるんですけどね。

 彼と娘との関係は、今でもずっと友好的です。彼が来る日、娘は学校から小躍りしながら帰ってきます。娘の友達にも大人気だし、学校もわかってるんで、『お父さん、捨てられちゃったんだよね』って(笑)。彼はほんと大人気。彼が来る日は娘の友達もやってきて、うちがほとんど幼稚園状態です」

――養育費とかは、ちゃんと毎月もらってるんですか?

「今も婚姻費用のまま。離婚届は出したんですよ。だけど間違ってたから、もう1回書きました。『受理されなかったんだけど』って。まるでコントですよ。ちゃんと親権も決めたのに。書類がそろわずにグダグダ。なので、養育費じゃなくて婚姻費用ですね」

――復縁は考えますか?

「ないです。もう彼の面倒を見られないし、人としての魅力を感じないですしね。役者をやってたらまだしも、タクシーの運転手をやっているだけの彼は、なぜタクシーなのか、なぜそれがやりたいのかを話してくれないので、魅力を感じられない。でも彼、それで人生幸せだからすごいよなって、尊敬しますけどね。別に何も悩んでませんし」

――今後は、どうされるんですか? いい相手がいたら、再婚とか考えますか?

「去年、ライターの仕事がらみで婚活サイトを利用したんです。すると、『僕の子はいらない。君の連れ子以外に、僕の子を産んでほしいとかは求めない。ただ、やさしい奥さんに迎えてほしいんだ』という、お金も地位もあり、平穏を求める人ばかり。でも、それじゃ、私と全然合わないですね。私は娘を育てながら、会社も作っちゃったりしてきましたから。再婚相手とは、作ったり、挑戦したり、一緒に何かをしていきたいです。それが仕事でなくても。でも、落ち着きのない私は、結婚に向いていないのでしょうね(苦笑)。あと、私、気が多いんで、また新たなことを始めたくなってしまって。『富士山の方に移住しよう』とか『海外に住もうよ』とかって娘には話すんですけど、反対されるんです」

 今後、岡田さんは旺盛なバイタリティで、母として、一人の人間として人生を切り開いていくに違いない。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

夫の人生に何も間違いはなかった。今も彼と娘との関係は友好的【別れた夫にわが子を会わせる?】

 『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第4回 岡田奈緒さん(仮名、40代)後編

 イベントコンパニオンや役者などとして活動していた岡田奈緒さんは、20代後半のとき、同じ舞台で知り合った10歳ほど年上の舞台俳優と結婚。翌年、娘を出産し、子育てに専念していたものの、娘が1歳になると、将来的なことを考えて不安が尽きなくなり、夫とすれ違い始める……。夫と別居しようと、関東近隣の団地から都内の実家所有のマンションに引っ越すも、夫がついてきてしまう。

(前編はこちら)

■価値観を押し付けたのは、たぶん私

――東京での暮らしは、どんな生活だったんですか?

「引っ越したのは、実家が所有しているマンションの、約13畳のワンルーム。ちっちゃいキッチンとちっちゃいお風呂がありましたけど、居住用というより事務所用の物件でした。そんな家ですから、夫の部屋は当然ありません。すると、余計ゴロゴロしてるのが目につくんです。でも、東京に来て環境が変わるので、夫が一念発起してくれればという願いがありました」

――一念発起とは?

「20代の頃には大人気だった夫も、すでに40代。俳優をやるにしても、別の仕事をするにしても、よほど改善をしなければヤバいわけです。だから、『何がしたいのか考えてみなさい』って、夫に言い聞かせてました。だって、そうでしょ? 子どもができてお金がいるというのに、どうやって稼いでいったらいいかとか、当然あるべき将来の青写真が、夫になかったんですから。

 あるときは、保険会社の人生設計相談を受けてもらったりもしました。そこでは、ライフプランを書かされるんですが、夫の書いた表に『何年後に家を買って』とかいう青写真的なものが、まったく出てこなかったんです。これじゃちょっと老後は背負いきれないな、ダメだなって。ガッカリしました。

 一方で、夫にとっては、私のそうした言動がストレスなんです。夫は、ご飯が食べられればいい。借金もしない。お金がまったくないわけでもない。お金はないんですけども、生きてはいける。月20万円ぐらいあれば、家族3人か4人生きていけるという人だったので、何を言われているかわからない。『子どもがいて楽しく暮らせればいいのに、何がいけないんだ』というすれ違いです。

 だから夫のモラハラとかDVというのとは真逆。価値観を押し付けたのは、たぶん私ですね。夫は現状で十分幸せなんですもの。夫の人生に、何も間違いはなかった。かわいそうに。だって夫からしたら、借金もないのに、なんで責められなきゃならないんだってことですよね」

――離婚を決意したきっかけは、なんですか?

「娘がクローゼットの陰で泣いてるのを見てしまったからです。東京に引っ越して1年ぐらい、それを見たときに『もうダメだ』って。子どもの精神状態がやばいと思って、『これはよくない。まずとにかく、夫と空間を分けるべきだ』って思ったんです。

 それからすぐ、どうやって離婚するかを調べ始めました。別居中の婚姻費用のことや、どういう段取りで離婚していくものなのかを、法テラス(無料法律相談)に行ったり、行政に相談しに行ったりして、教えてもらったり、本を読んで調べたりしました。調べると同時に、離婚後の生活の青写真を描きました。離婚するからにはガッツリ働こうと思って、いろいろ仕事の態勢を整えたんです。

 調べた後は夫の説得です。夫は、私が離婚したがってる意味がわからない。だから全然、話し合いが進まなかったですね。それで『本当に離婚したくないなら、策を考えなよ』って助け舟を出すんですが、提案してこない。公正証書とか事務的な決めごとを持ちかけると、逃げ回る。

 別居の話し合いの中で、双方がどこに住むかも話し合いました。『娘の近くに住みたいんなら、どうぞ。それで、いつ出ていくの? 年度末の3月31日がいいんじゃない? 期限を過ぎたら、日割りで家賃をもらうわよ』と話すと、夫は『やっぱり、実家に帰るよ』って答えましたね。そして劇団員の仲間に手伝ってもらって、引っ越していきました」

――娘さんには、どう説得しましたか?

「夫婦はやめたけど、親はやめられないという定義のもとに“離婚”しました。『パパとママは、仲良くできないんだ。楽しくないでしょ、この家庭。だからごめんね。パパとママ、夫婦はやめる。でもパパは減らないよ。ママがもし再婚しても、二番目のパパが増えるだけだよ』って娘には言って、納得してもらえました」

 岡田さんは、夫と別れる。面会の条件などを記した公正証書を先に作った上で、面会もすぐにスタートさせた。

――それで旦那さんは、ほかに仕事を見つけたんですか?

「最近は、タクシーの運転手をしているらしいです。すると、今度はタクシーのシフトが入ってしまって、役者のシフトを整理できなくなる。彼は不器用なので、自然と役者の仕事に手が回らなくなった。岩にしがみついてでも役者をやりたいんだっていう意地があったら、私は支えてもよかったんです。だけど、弱気になって、何がしたいのかわからなくなっちゃってた」

――面会は、どのように行っていますか?

「面会では、いろんなルールを作るじゃないですか。待ち合わせや引き合わせの方法とか、家には上げないとか。だけど、そうした決めごとは、ことごとく破られました。例えば『離婚後、週3日彼、週4日私が面倒を見る』ということを記したんですけど、6日に1回休みというタクシー勤務のシフトに合わせて、休みの日にうちに来るだけなんです。劇団とかの用事があれば来なかったり、逆に運動会とか、ぜひ来たいというときはシフトを調整して来たりしますけどね」

――面会が月に1回2時間とかいう人に、聞かせたい話ですね。ほかには?

「家に来ないというルールも破られましたね。離婚相手を、普通家に上げないでしょ。なのに彼は全然気にしない。今や泊まってますからね。彼が来たら来たで、彼がだらしないから娘が真似して、すごくだらしなくなっちゃう。宿題があるのに、教えたりとかはしなくて、ずっと2人でゲームやってるんです」

――どんなふうに面会するんですか?

「彼が娘と行くところといえば、ファミレスとかコンビニ、あとは公園。彼は食べることに興味がないので、特別なレストランなどには行きません。あと最近は娘が映画にはまっているので、新作映画には必ず連れていってくれます。それは良いことだと思います! あと夫の家族と旅行とか。まあそれで、娘も喜んでるんですけどね。

 彼と娘との関係は、今でもずっと友好的です。彼が来る日、娘は学校から小躍りしながら帰ってきます。娘の友達にも大人気だし、学校もわかってるんで、『お父さん、捨てられちゃったんだよね』って(笑)。彼はほんと大人気。彼が来る日は娘の友達もやってきて、うちがほとんど幼稚園状態です」

――養育費とかは、ちゃんと毎月もらってるんですか?

「今も婚姻費用のまま。離婚届は出したんですよ。だけど間違ってたから、もう1回書きました。『受理されなかったんだけど』って。まるでコントですよ。ちゃんと親権も決めたのに。書類がそろわずにグダグダ。なので、養育費じゃなくて婚姻費用ですね」

――復縁は考えますか?

「ないです。もう彼の面倒を見られないし、人としての魅力を感じないですしね。役者をやってたらまだしも、タクシーの運転手をやっているだけの彼は、なぜタクシーなのか、なぜそれがやりたいのかを話してくれないので、魅力を感じられない。でも彼、それで人生幸せだからすごいよなって、尊敬しますけどね。別に何も悩んでませんし」

――今後は、どうされるんですか? いい相手がいたら、再婚とか考えますか?

「去年、ライターの仕事がらみで婚活サイトを利用したんです。すると、『僕の子はいらない。君の連れ子以外に、僕の子を産んでほしいとかは求めない。ただ、やさしい奥さんに迎えてほしいんだ』という、お金も地位もあり、平穏を求める人ばかり。でも、それじゃ、私と全然合わないですね。私は娘を育てながら、会社も作っちゃったりしてきましたから。再婚相手とは、作ったり、挑戦したり、一緒に何かをしていきたいです。それが仕事でなくても。でも、落ち着きのない私は、結婚に向いていないのでしょうね(苦笑)。あと、私、気が多いんで、また新たなことを始めたくなってしまって。『富士山の方に移住しよう』とか『海外に住もうよ』とかって娘には話すんですけど、反対されるんです」

 今後、岡田さんは旺盛なバイタリティで、母として、一人の人間として人生を切り開いていくに違いない。

西牟田 靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』『誰も国境を知らない』『日本國から来た日本人』『本で床は抜けるのか』など。最新巻は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。