「パプリカ」でビートを取る1歳の息子に”神々しい……!” 30代サブカル男に父性が芽生えるまで

 イクメンという言葉はもはや陳腐化し、男性が育児参加するのは当たり前という風潮が高まるなか、多くの男性を悩ますひとつのトピックスがある。それは、「父性が芽生えるのは一体いつなのか?」問題だ。

 日に日に膨らんでいくパートナーのおなか、ホルモンバランスの乱れによる理不尽をさんざん浴びせられ、「おれ、本当に父親になれるのか?」と不安におののく男性も少なくないだろう。

 そんなギモンに答えてくれる情報は、ググっても出てこない。だったら自分で書いてみよう、というのが、8月中旬に上梓された『こうしておれは父になる(のか)』(イースト・プレス)だ。著者は、ネット上では知る人ぞ知る有名人、本人(@biftech)氏。ライブ鑑賞が趣味で、大のネット好きの30代後半の男性が、パートナーの妊娠発覚から子どもが1歳になるまでの約20カ月を実況レポートしたエッセイ本だ。Cakesの人気連載に「妊娠編」を加え、パワーアップ。果たして彼は、どのようにして父親になったのだろうか?

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――そもそもこの本は、2018年の文学フリマで発売された同人誌「チャーミーグリーンに挑む」が元になっているんですよね?

本人 はい。当時、交際2カ月だった妻から妊娠を告げられ、これはすごいことになったなと。ライブレポートやTwitter実況など、体験したことを文章にするというのは日常的にやっていたので、記録しない手はないなと思いまして。ただ、これまでにないほど大きなトピックスだし、長いプロジェクトだと思ったので、日々少しずつネット上で出すというよりは、同人誌として一冊にまとめて出したほうがいいだろうなって。

 で、満を持して文フリに初参加したところ、たまたま隣のブースが作家の小林エリカさんだったんです。お手伝いに来ていた担当編集さんが1冊購入してくれたんですが、その場で「連載にしましょう!」と口説かれまして……。

担当編集 僕もサブカル寄りの人間なんで、サブカルの人間がどう社会に適合していくのか興味があったんですよ。

本人 (笑)。同人誌は妊娠編だけでしたが、出産後のことも書こうと思っていたので、「ぜひお願いします」と引き受けました。

――2018年8月にcakesで連載がスタートし、隔週でアップされていましたが、ただでさえ仕事に育児にと忙しい中、コラムを書いている夫に対して、奥さんから不満の声はなかったですか?

本人 ありましたね……。妻の体とかメンタルの変化についても赤裸々に書いてましたし。アップ前に読んでもらうようにしていましたが、朝までカタカタやってたり自分がスポットライト浴びてるところばかり書いたりしてるのは、やはりどうなんだと。本ができた今は「記録が残せてよかったね」ということになったんですが。

――読者からの反応は?

本人 もともとは僕と同じような男性に向けて、“同じ轍を踏んでくれるなよ”という気持ちで書いていたんですが、フタを開けてみると、わりと新米ママたちから「そうか、男性側はこういう気持ちなんだ」とか「パパも大変なんだね」という声があって「そっちもか!」と思いました。

――これまで趣味最優先だった独身男性が、いきなり育児モードになれるものですか?

本人 結婚前はGoogleカレンダーに気になったライブの予定とかをビッシリ書き込んでいたんですが、今は娯楽カレンダーは真っ白で、会社の予定、夫婦の予定、子どもの予定で埋まってる。人って変わるんだと思いました(笑)。

――フラストレーションはたまりませんか?

本人 「あのバンド今日ライブするんだ?! 当日券でライブ行こ!」ってのができないから、不満はたまらないわけではないんですが、その代わり新たに加わった育児で得られる刺激にグッときてますね。最近だと、音楽に対する興味が出てきていて、(Foorinの)「パプリカ」が流れると踊りだしたり。アリーナ席で、「1歳なのにビート取ってる!」っていうのを見てる感覚ですからね。神々しいって。

――(笑)。

本人 あと、ユニットの新メンバーみたいな感覚もあるんですよ。これまで、おれ、妻、たまに猫だったところに子どもが加入したような。相互作用というかユニット単位で高め合うというか、新章を迎えた感じが楽しいですね。

――そもそも、子どもは好きだったんですか?

本人 好き嫌いでいったら、好きではないほうでした。電車とかでワーキャー言ってるのを見て、それこそネットでよく話題になる、ひどいこと言っちゃうおじさんのような心境になることもあったし。そもそも得体の知れない生き物っていう見方をしていました。

――この本は「自分に父性が芽生えるのか」というのがテーマになっていますが、デキちゃった婚ではなく、結婚→妊娠という順番だったら、そういった焦りは生まれなかったものなのでしょうか?

本人 僕個人でいえば、順番が変わったからって、父性の芽生えの時期は変わらなかったと思いますね。実物を見るという体験をもって初めて気づかされたことってやっぱり多かったし、生まれる前にいろいろなエッセイとか子育て本を読みあさったんですが、自分の心自体は、そこまで変わらなかったですからね。何か書くときは基本「見たものじゃないとソースにしちゃいけない」って考え方でやってるんですけど、子どもに対しても同じなんだなと。

――「子どもができた!」「生まれた!」という喜びと、父性は違うものなんですか?

本人 最初に妊娠を告げられたときは、「いよいよ自分にもこのトピックが降りかかってきたか」が50%、「はえーな」が50%でしたね(笑)。子どもが生まれた瞬間は「子どもすげー」が50%、「妻、最高にえらいし、本当にかわいい」が50%。正直、産後しばらくは子どもというより、妻への愛情のほうが強かったですね。でも、生後2カ月くらいの時に、初めて僕の言動に対して子どもが笑い返してくれて。「自分には父性がないんじゃないか」と少し焦っていた時期だったんで、子どもへの愛おしさと安堵感が爆発して涙が止まりませんでした。

――確かに、特に前半は奥さんへの愛がにじみ出てますね(笑)。「妻に認めてもらいたいから頑張る」みたいな。

本人 ならよかった(笑)。妻にしろ子どもにしろ、育児ってコミュニケーションの入門みたいなところがありますよね。これまで、こんなに至近距離で人と接し続けることなんてなかったし、やっぱり家族ユニットとしてのバイブスを高めていくというところからスタートしてるんで、そういうふうに感じられるのかもしれません。

――やはり育休を取ったというのが大きかったんですか?

本人 それもありますね。産後、2週間ほどで育休に入ったんですが、一つ屋根の下で3人と1匹だけで生活していくという経験は大きかったです。日中は2人がかりで家事育児をやって、夜中のミルクは当番制でした。

――大変でしたか?

本人 外に遊びに行く余裕はなかったですけど、代わりに宅配食材のサンプルを取り寄せまくったり、メルカリで不用品を数万円に換えたりはしました(笑)。まあ最初こそ、「育児、途方もない……」って感じでしたが、一連のルーティーンができると、一人でやっているより格段に楽だったと思いますね。あの時期は揉めたりもなかったから、なんだかんだ2人でシェアできてるという実感がありましたし。夫婦で揉める時って、どっちかが睡眠不足か、キャパがオーバーしてるかのどっちかですからね。

――実際のタスクの分担以外に、育休のメリットってどんなところですか?

本人 フタを開けてみたら実はこうだったんだ、というのを当事者として体験できたということでしょうか。現場を見ないまま日中に家でどういうことが起きているのか理解するのは、やっぱり難しいと思うんですよ。そういう意味で、体験すると頭の片隅にずっと残りますからね。出産前の両親学級でシミュレーションとか、そういう話じゃないんですよね(苦笑)。

――人形相手の沐浴体験やオムツ替えと現実は違う(笑)。

本人 それに、育休中の妻が言ってた「世間から切り離される疎外感」とか「アウトプットできない悲しさ」の一端も味わえたと思います。家の中がすべてになってしまうから、久々にコンビニへ出かけて季節の移り変わりを知ったり。子どもの世話をするのは当然だけど、やっぱり自分を犠牲にしなきゃいけない部分もあるなって。

――24時間、緊張感と責任感で押しつぶされそうになるっていいますからね。

本人 逃げられないし、誰かに相談するにしても、この案件って人それぞれすぎますからね。ほんと、世の中のお母さんたちおつかれさまです……! あと、今回あらためて思ったのは、父親側の意見も全然違うなって。「子どもかわいい」ってところでは共通していても、得意不得意も違うし、仕事の関わり方も周りの理解も違うから、これを共有する、わかってもらうというのも、かなり大変なことだと思いましたね。

――育児に関わりたくてもどうか関わっていいのかわからない、という男性は少なくないのかもしれないですね。

本人 父親といえば大黒柱的なイメージがこれまでずっとありましたけど、実際はもっとヘタレだし、自分の頼りなさは一人の人間の命を扱う上ではすげえ欠点だなって思いましたね。だから、そういったダメなところも含めて、育児の敷居を下げたいと思ってこの本を書いたわけです。

――運よく育休を取れたとしても、パタハラに遭って退社を余儀なくされた、なんて話も聞きますが、本人さんが職場復帰するにあたって、トラブルとかはなかったんですか?

本人 勤務先はすごく理解があって、社長も育児経験者だし、女性に限らず全社員育休取ってなんぼでしょ、みたいなスタンスなんですよ。だから、特にトラブルはなかったと思います。ただ、やっぱり復帰した直後はいろいろバタバタして、何かひとつに本腰を入れると、マルチには回せないっていうのを痛感しました。仕事はどんどんたまっていくけど、家に帰って子どもをお風呂に入れなきゃいけないとか。ユニットのバイブスをよくするためにやってるはずが、単なる義務感にさいなまれる日もありましたね。

――振り返ってみて、一番つらかったのはその時期ですか?

本人 そうですね、子どもが寝返りを覚えて、仕事が忙しくなってきて、妻もフラストレーションがたまってきて、それが積み重なったのが生後3~5カ月あたりですかね。2週間に一度くらいのペースで夫婦間が荒れてました(笑)。

――育児にも関わりたいけど、仕事もしなきゃいけない。そして家庭は不協和音……。そんな状況を、どうやって打破したんですか?

本人 Excelで家事育児タスクをすべて書き出して、再分担したんです。いわゆる“見える化”をしないと全体像もわからないし、その作業の中で何げないことが相手にとって負担だったってわかったんですよね。たとえば、僕の連れ子である猫のエサやりとか。当然、仕事に関する項目はないので、「おれはこんなにやってない」を可視化する儀式のような気がして、最初はなかなか進まなかったんですが(笑)。

――家事や育児は、不公平感で揉めることが多いですよね。

本人 でも、家事分担って、ボリュームだけで言い切れるものじゃないなって。自分はフルタイムで責任のある仕事をやってるけど、毎月生理痛とかないし、社会にコミットできない育休中のフラストレーションっていうのは解消しようがないものだなと。難しいですよね。だから、互いに何かしら不満はあるだろうなっていうところに落ち着きますね。

――これから新米パパになる人に向けて、何かアドバイスはありますか?

本人 体力と睡眠を確保するための準備を全力でやろう! ですかね。バジェットか協力要請かアイデアで余裕を勝ち取るっていう。

――具体的には?

本人 白物家電は財布と相談しながらアップグレードさせていったほうがいいし、育児グッズに関しても、新生児期は電動で動くベッドをレンタルしたんですが、それで寝かしつけの時間が短縮できたり。あと、職場では周囲に配慮を要請するってことですかね。「この時間は絶対会議を入れんなよ」とか。結局、トラブルの多くはお互いのキャパオーバーから来ていたので、余裕こそすべてだと思うんですよね。だから、自治体や企業のベビーシッターサービスに登録しておくとか、何か気分転換になる趣味を見つけておくとか、心のケータリングみたいなものを隙あらば選別しておくのは、パパだろうがママだろうが、絶対にやっておくべきことだと思います。

――現在、お子さんは1歳半になり、奥さまも仕事復帰されてますます大変そうですが、続編が楽しみです。

本人 実は今、妻が第二子妊娠中でして……。

――それはおめでとうございます! 2人目は、すんなり父性が芽生えそうですか?

本人 前回同様の、ものすごいやつが確実に来る! 気がする! くらいの感じですね(笑)。少なくとも、前回やらかした失敗は二度とやらねえぞって気持ちです。やっぱり、パートナーのこと、よくわかってなかったなって。妻というか、女性の体のこと、体と心境の変化かな。今度はうまいことやってくれよな、おれ、って感じですね(笑)。

(取材・文=編集部)

水嶋ヒロ、ブログで絢香と長女のパンづくりの様子明かす姿に「肩書パパタレブロガーにした方がいい」「辻ちゃんみたい」の声

 俳優で起業家の水嶋ヒロが公式ブログで、歌手で妻の絢香と長女が一緒にパンを作ったことを明かした。

 水嶋は12日にブログを更新し、「娘のうちゅうねこぱん」というタイトルのエントリーを投稿。「ちょっと前に妻のサポートを受けながら娘がパンをつくってた」「娘は初めてのパンづくりに大興奮 ある絵本がきっかけでずっとやりたがってたんだよね」と娘が絢香とともに念願のパンづくりに挑戦した模様を報告した。

 娘はお気に入りの絵本に出てきた「うちゅうねこ」のパンをつくったそうで、水嶋はその出来栄えについて「娘はおおはしゃぎ よくできました!」と絶賛。「娘は自ら選んだものや自らやりたいと思ったことに対する愛着や集中力がすごい」と娘の特性について触れ、最後には「没頭できるものがあるって幸せそう ちゃんと感じとってあげたい 俺も探そうかな 時間を忘れて取り組めるなにかを‥」とつづっていた。

 しかし、こうした水嶋のイクメン路線にネット上では、「子どもの話しかないの?一人で自分だけの日記帳につづってほしい」「この人の肩書もう俳優じゃなくてパパタレブロガーにした方がいいよ」「毎日子どもをネタにしてブログ収入稼ぎ?辻ちゃんみたい」という厳しい声が飛び交っていた。

 先月、公式チャンネルで動画配信を開始した辻希美を見習って、「ヒロちゃんネル」を開設する日も近そうだ。

吉川ひなの、“洗わない育児”を明かすも賛否両論「自分だけやるならまだ良かったのに」「夏は地獄」

 吉川ひなのが自身のブログに投稿した内容が話題となっている。吉川といえば私生活では2011年9月に会社経営者の男性と再婚し、現在は二児のママとしてブログで子育てなどについて投稿を続けている。

 そんな吉川が先月24日、「洗わない育児」と題してブログを更新。「娘と息子は、独自の『洗わない育児』ということをしてみていて。その名の通り、基本、洗わないの。 オムツ周りだったりはもちろん常に清潔に、オーガニックお尻拭きや、時間があるときはオーガニックコットンに三年番茶を浸して拭いたり(中略)そろそろお風呂かな?と思ったときは、洗わずに、バスタブにお湯をためて、塩素を除去して、遊ばせてる。(中略)これがなんと、すっごくいい感じなんです。ただ、これはほんとにわたしが全責任持って自己流でやっていることなので、おすすめもしないし、偉そうなことを言うつもりはないけど、でも、娘と息子にはこれが一番合っていて、とってもよいです」とつづり、独自の子育て論を明かした。

 この内容に対し、ブログには「我が家もです!」「私もやってみようかなー!」
「シャンプーなどを使わないノンプーという言葉もあるらしく。シャンプーや石鹸で洗わないお湯シャンを薦めてるドクターさんの本を貸してもらい実践しています!」といった共感の声が多く寄せられている。

 しかし、その一方で、一部のネット上では「私が全責任って…もうすでに子供に押し付けているじゃん」「自分だけやるならまだ良かったのにね」「日本だったら夏は地獄そう」といった声が飛び交っている。

 吉川自身も周りに勧めているわけではなく、あくまで吉川流の子育てを明かしただけだったが、疑問に思った人も少なくなかったようだ。

相思相愛だったはずの夫との仲を義母に引き裂かれ、2人の息子を連れ去られた

OLYMPUS DIGITAL CAMERA『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第16回 有井なみさん(仮名・30代前半)の話(前編)

「自分で言うのもなんですけど、私の人生って激動すぎると思いません? 『渡る世間は鬼ばかり』(TBS系)が全然、鬼だと感じない。“私の姑の方が鬼だったよ!”って言いたいです」

 マジシャンの有井なみさんはそう話す。現在、9歳と6歳の2人の息子と一緒に暮らしているが、一時は、その子どもたちを連れ去られ、ひとりぼっちになっていたという。そんな有井さんが“激動すぎる”と話す体験を伺う前に、まずは元夫との出会いについて話してもらった。

「関東のやや郊外にあるベッドタウンで育ちました。美術大学卒業までは、ずっと実家住まい。マジックは小さいときからやっていて、美大に通っていたときのバイトも新宿のマジックショップでした。元夫のHはバイト仲間でした」

■最初は相思相愛のラブラブカップルだった

――Hさんは、どんな方ですか?

 温和な性格で、怒ったところを見たことがなく、行きたいところややりたいことを私に押し付けてきたりもしない。それどころか私の好みをくみ取って、先回りして選んでくれる。そんな彼を、私は好きになっちゃったんです。相思相愛。周りから見たらベッタリくっついてるラブラブのカップルって感じだったんでしょうね。

――完璧な関係じゃないですか?

 ところが、付き合っているうちに嫌な部分が出てきた。1つは誰かに依存したい体質だってこと。あともう1つは、彼がマザコンだということです。母親と毎日とりとめのない内容のメールのやりとりをしていていましたし、半熟のゆで卵の作り方をわざわざ電話して聞いてみたり、母親に耳かきをやってもらってるっていう話を自分からしたりするんです。

 Hさんと2年付き合った頃、有井さんは妊娠していることに気付く。それを機会に2人は結婚し、関東の郊外にある賃貸マンションで同居を始めた。今から10年前のことだ。

――子どもが生まれたらどうするかといった気構えはあったんですか?

 ベビー用品をそろえたり、育て方を本やネットで調べたりしました。2人して話し合ったりもしましたよ。それで生まれる直前になって、彼はこんなことを私の両親の前で言ったんです。「洗濯とか掃除は、昼空いてる私が全部やります」って。

――頼もしい約束ですね。彼は昼の時間が空いているんですか。それで実際、やってくれたんですか?

 いいえ。赤ちゃんが生まれても、朝から夕方まで寝てて、何もしてくれないんです。というか、約束したこと自体忘れてるんですよ。

――それはひどいですね。

 赤ちゃんが全然おっぱいを飲んでくれなくて、毎日夜泣きしてたんです。昼は昼でお世話をしなきゃならない。だから私、その頃は慢性的な寝不足でした。一方で、彼は昼間ずっと寝てて、掃除や洗濯はまったくやらないんです。だから結局、私がやってました。そんな感じでずっと寝不足のまま、育児も家事もすべて私がこなしてたせいか、心身共に追い詰められちゃって、「離婚」という言葉が頭に浮かびました。

――では、全然、子どもの面倒は見てくれなかったのですか?

 家に友達が遊びに来るとか、そういう人目があるところでは、オムツを替えてくれたり、抱っこしたり、あやしたりしてくれました。だけど、普段、家では家事や育児を全然やってくれなかったです。

――3年後には2人目の男の子が生まれたんですよね? その頃、上のお子さんはどこかに預けたりしたんですか?

 私も彼も、日中は家にいて夕方から仕事ということが多いため、保育園だとほとんど一緒に過ごす時間がなくなってしまうと思い、上の子は幼稚園に入れて、下の子は仕事のある日だけ、区の一時保育を利用していました。

 2人の子どもを育てたり、家事や仕事をこなしたりと、有井さんは日々奮闘した。一方でHさんは、そんな彼女に、恋人時代のような気遣いを見せることができず、2人は徐々に親密さを失っていく。さらに彼らの仲を決定的に引き裂いたのは、義母の存在であった。

――お義母さんに何かされたのですか?

 3カ月に1回とか、ひどいときなんか毎月、お金の無心をされました。それに応じてHがお金を貸すんですが、一度も返してもらったことがありません。それどころか義母はまったく悪びれずに、「お母さんがパチンコで勝ったお金で、全部リビングを模様変えしたのよ」とか「はい、これプレゼントよ」などと平気で言うんです。

――金遣いが荒そうですね。

 金銭感覚が普通じゃなかった。自己破産をしたことがあり、“パチンコ狂い”なんです。親戚から借金しまくっていて、返してない。私たちの結婚式に親戚が来てくれなかったのは、借金踏み倒しが原因だってことは式の後に知りました。

――その後も、お金を貸し続けたんですか?

 下の子が2歳になった頃。さすがに堪忍袋の緒が切れまして、Hにはっきり言ったんです。「これ以上、私に無断でお金を貸さないで。このままじゃ、破産しちゃう。もし次、勝手にお金を貸したら離婚するよ」って。「わかった、もうしない」とHは言ってくれました。ところが1カ月後、またお金を貸しちゃったんです。「こないだ約束したのに!」って怒りながら、記入してあった離婚届を彼に渡しました。すると、1週間後に、彼が家からいなくなりました。

――ダブルショックですね。

 急性ストレス障害になってしまいました。記憶はなくすし、眠れないし、気力が湧かない。しかも人間不信。もちろん最低限の子育てはするんですけど、無気力で無感情になってしまったんです。子ども2人抱えて、彼は消息不明。もう茫然自失です。たまたま彼のSuicaが出てきたので、履歴を確認しました。すると、特定の駅とマジックのレッスン場との間を往復してることがわかりました。彼は浮気してたんです。

――では、彼は家を出て行ってから、浮気してる女の家にいたんですか?

 いえ。いたのは実家でした。振られちゃったみたいで、義母がかくまっていたんです。それで私、子どもたちを連れて、車で義父母が住んでいる茨城県西部まで行きました。すると到着した途端、義母に罵倒されました。「子どもを殺す気か! この人殺しが」って。そのとき、私、睡眠薬や安定剤を飲んでいて、本当は車を運転しちゃいけない状態だったんです。でも心配して、薬を調整して必死になって会いに行ったのに、あんまりじゃないですか。だからそのとき、「これはもうない。離婚しよう」って心の中で決意したんです。

――そこからすぐに離婚とはならなかったんですか?

 いや、それどころかHから「別れたくない」ってメールで連絡がありました。

――意味がわかりません。

 愛人に振られちゃったから、私とはやっぱり別れたくないって思ったみたいです。つまり彼は、どこかに居場所があればいいし、一緒にいられれば、誰でもよかったのかなと思います。

――その後は、彼とよりを戻したのですか?

 子どもたち2人が、自宅マンションから連れ去られました。有利に離婚を進めるため、義母が入念な計画を作り上げて実行したんです。

――連れ去られたのにシングルマザーって、話がつながらないですが……。順を追って話してもらえますか?

 茨城県西部の義実家から帰ってきてしばらくしたある日の深夜、義母から電話がかかってきたんです。「おじいちゃん(Hの祖父)が亡くなったから、お通夜に来なさい」って。どう答えていいいのか困っていると、「あんたは来なくてもいい。今すぐに、子どもたちだけでもこっちによこせ」って。「絶対行きません」と言って私、電話を切りました。

 その後、しつこく何度も電話がかかってきましたが、出ませんでした。お葬式はおじいちゃんのことを思うと心苦しかったけど、結局出ませんでした。連れて行ったら最後、子どもたちと離ればなれになるかもしれないって思ってましたから。

――それから、どうなったんですか?

 1週間後、義母たちが突然やってきました。私たち母子が住んでるマンションに。ほかにHや義兄夫婦も一緒という大所帯でした。それで来るや否や、部屋の入り口で、義母がひとりわめき始めたんです。「お前は統合失調症だ。子どもたちがかわいそうだから連れていく」って。ちなみに、統合失調症というのは根も葉もない大嘘です。「私は子どものことを愛してます!」って興奮して言い返しました。すると「そんなふうに怒るから、息子(H)だって家にいるのが嫌になったのよ」って、私が何か言うたびに、怒らせようとして揚げ足を取るんです。

――その間、義兄夫婦は何をしていたんですか?

 私が義母とやり合ってる間に、子どもたちを連れ出していきました。義兄たちに息子2人は懐いていますから、全然警戒はしません。そのまま、ついていったんです。「やめてください。子どもたちを無理やり連れていくとか、本当にやめてください」って叫んで抵抗しようとしたんですけど、義母に突き飛ばされてしまって。その隙に、子どもたちは連れていかれました。

――Hさんは、どうしていたんですか?

 外で私と義母が揉めている間に、家の中で、私の通帳やら銀行印やらマンションの権利書や現金、車の鍵といった大事なものを物色して、かばんの中にどんどんと詰め込んでいたようです。

――その後、有井さんは、どういう行動を取られたのですか?

 翌日、警察へ相談に行きました。すると警察は、「まだ離婚していないんだから、盗難ではありません。一切何の犯罪でもありません」って言うんです。そんな警察の対応を夫側は百も承知の上の犯行だったんです。ひどいでしょ。しかも、私が警察に行っているその日のうちに、子どもたちの住所変更などの手続きを済ませてしまったんです。車もいつの間にか持っていかれて、気がついたときには、すでに名義変更されていました。

 用意周到な義母たちの仕打ちによって、有井さんは大事なものすべてを失ってしまった。その最たるものが、2人の息子たちであった。

(後編へつづく)

育児の温度差が「産後クライシス」を生む? 専門家に聞いた、夫を男脳から「父親脳」にする方法

 出産を機に夫婦関係が急激に冷え込んでしまうことを「産後クライシス」と呼ぶ。もともとこの言葉は、2012年9月放送の『あさイチ』(NHK)によって紹介された造語だ。同番組で、産後クライシスは「妻の出産から子どもが2歳ぐらいまでの間に起きる現象」と定義している。

 それを裏付けるかのように、夫婦間の離婚率は、実はこの時期が最も高い。厚生労働省が11年に発表した「全国母子世帯等調査結果報告」によると、夫婦が離婚した時の末の子どもの年齢は0〜2歳が最も多く、その割合は全体の35.1%にも上る。

 幸せなはずの子育て期に、離婚に至るまで夫婦仲が引き裂かれてしまうのは、なぜなのだろうか?

■産後、夫への拒絶感が増す妻たち

 育児工学を専門とする東京未来大学准教授の小谷博子氏は「出産後、妻が夫に愛情を感じられなくなるのは、ホルモンの影響も考えられます」と話す。

「妊娠・子育て中の女性の脳は、ホルモンの洪水に見舞われて、大きく変化します。たとえば、妊娠中から上昇するプロラクチンというホルモンは、動物を勇敢にしたり、敵対感情を引き起こしたりする作用があることが、ラットを使った実験で明らかになっています」

 プロラクチンは血液中で母乳生成を促すホルモンだが、わが子を外敵から守るために、母親を果敢にさせているとも考えられるという。

「本来、夫は一緒に子どもを育てる同志なのですが、妻から“敵認定”されると“外から雑菌を持ち帰ってくる存在”となり、嫌悪感を抱かれるようになります」

 これまで、小谷氏は多くの母親にヒアリング調査を行ってきたが、子どもを育てる女性からは「産後は夫に近寄られるだけでもイヤだ」「夫がいなくても子どもがいれば幸せ」といった声が寄せられたという。

 また、小谷氏によると「プロラクチンは性欲を減退させる作用もある」とのこと。産後はセックスレスになりやすいというが、こうしたホルモンの影響も考えられるのである。

 しかし、ここまで妻に毛嫌いされてしまえば、夫としても面白いはずがない。一線を引かれるような態度に戸惑い、拒絶された寂しさを紛らわすために浮気でもしようものなら、離婚問題に発展しかねない。

 このようなホルモンの作用による夫婦間の「すきま風」にうまく対処できなかったため、その関係性までもが変化してしまうのが「産後クライシス」の正体なのだ。

 では、妻の妊娠・育児期間中、夫はひたすら耐え忍ぶしか道はないのか? 産後クライシスで関係にヒビが入る夫婦とそうでない夫婦について、小谷氏は「夫が妻にとって“敵”となるか、一緒に子どもを育てる“同志”となるかが分かれ目だ」と話す。

 「夫が子育ての同志になる」とは、どういうことだろうか? 実は、子育てモードに入った男性も、脳に変化が表れるのだという。

「たとえば、妻の妊娠中に父親としての自覚に目覚めた男性は、テストステロンという攻撃性を増すホルモンが3分の1に減少することが報告されています」

 ただし、妊娠・出産を経験することで脳が変化する女性とは異なり、男性が「父親脳」になるには、周囲の環境や自らの心がけが必要になってくるという。

「日本ではいまだに男性が育児休暇を取ると白い目で見られることが多いですし、父親が育児に集中できる環境が整っていません。そうした中で夫が父親としての自覚を持てないままでいると、夫婦の意識に大きな差が出てしまうのです」

 男性の脳は職場では戦闘モードになるため、帰宅したらクタクタで、子育てに参加するどころではなく、わが子の泣き声すら煩わしくなってしまう。しかし、妻としては産後の不安定な時期こそ夫の協力を得たい。それなのに、協力どころか「俺の飯は?」なんて言われた日には、腹立たしいことこの上ないだろう。

「さらに、『泣き声がうるさい』などと夫の不満の矛先が子どもに向かってしまうと、妻は『子どもを守らなくては』という意識が働き、夫のことをより外敵と見なしてしまうのです」

■産後クライシスを迎える前に、知っておくべきこと

 夫と妻が“同志”になるためには、小谷氏は「夫も妻の妊娠中から“わが子”と触れ合うことが大切」だと言う。

「たとえば、社会保障が手厚いことで知られるフィンランドは、妊娠中から夫婦で参加できるプログラムが充実していたり、男性の育休取得率も8割になります。こうして、妊娠中から男性が『父親』になれるように促していくことが大切なのです。日本では、まだまだ男女の役割が固定化されたままなので、行政レベルで問題を改善していくしかありません」

 性別役割分担意識の改善は、近年、社会における女性の権利向上といった視点で語られることが多い。だが、家庭内での夫婦の関係性においても、こうした意識改革が必要なのだ。

「“イクメン”といった言葉が話題になるなど、今の日本社会は男女の固定化された役割が変化していく過渡期。そうした中で、妊娠・出産に伴う女性の体の変化についても、多くの夫婦が知っておく必要があるのではないでしょうか」

 父親・母親になるにあたって、お互いの脳の変化についてあらかじめ知識を得ておけば、「産後クライシス」も回避できるのではないだろうか。
(松原麻依/清談社)

「俺は利用された」ナルシストの元夫は子どもへの愛情がなく、親子の縁は切れてしまった

singlemother15b『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第15回 小松めぐみさん(仮名・40代)の話(後編)

 子どもが欲しくて白人男性とデキ婚したものの、夫はお坊ちゃん育ちで、世の中の常識がわからないまま大人になったような人だった。徐々にプライドは高いが、ケチな夫の姿が明らかになっていく中、妊娠8カ月の頃に浮気が発覚。前妻がDV妻だったという嘘が発覚すると同時に、自分も警察官の前で「DV妻」呼ばわりされてしまう。

(前編はこちら)

■「男も育児をするべき」という気持ちだけはあった

――妊娠中に浮気の現場を発見し、警察を呼ばれた後、どうなったんですか?

 臨床心理士のところへ2人で行って、カウンセリングを受けました。私と夫、それぞれ1人ずつ事情を話したんですが、元夫は「置物を全部なぎ倒したりして、家で暴れまくった。あいつはDV妻なんです」などと話したそう。もちろん私は否定しました。「物を壊したり暴力を振るったりしたことは一度もないです」と。警察官同様、すぐに察したようで、治療ターゲットは元夫になりました。すると彼は「僕、先生のこと大好きですよ」と、味方につけようと必死になっていましたね。

――出産は問題ありませんでしたか?

 元夫には「外国人専用の病院で産め」って言われました。でも、そんなときまで格好をつける気はありません。まして私にとって英語は母国語じゃないし、金額だって無駄に高い。「普通の病院で産む」って宣言して、実際、そのようにしました。元夫は立ち会ってくれました。そういうわかりやすく感動的な部分は好きなので。涙? もちろん流していました。

――育児はしてくれたんですか?

 アメリカの大学や大学院を出た元夫だけに、表面上はリベラルを自負しているんです。それで、「男も育児をするべき」という気持ちだけはあったみたい。おむつを替えたりとかミルクをあげたりとか、何かと甲斐甲斐しくやってくれましたよ。だけど、ちょっと大きくなっちゃうとだめ。子どもに自我が出てきて、自分のコントロールが利かなくなる。それが嫌だったみたい。だから、ちょっと大きくなったら、すごく突き放していて、厳しすぎると感じました。

――結婚して子どもができると、仕事との兼ね合いとか、育児の労力という点で大変ですよね。

 私が楽になるようなアシストならよかったんですが、彼の提案って私の求めていない、むしろ邪魔で足手まといなものが多かった。覚えているのは、子どもを保育園に入れようと必死になっていたときのことです。私は仕事を休んで手続きに行く予定を立てていました。ところが元夫は私のそんな努力をくみ取らず、いきなりヨーロッパ旅行の予定をボンとぶち込んできたんです。なんの相談もなく。「俺が休みを取れるのは、ここだけだから」って。それで私、「ちょっと待って、行けるわけないでしょ。保育園の手続きとか、患者さんの予約が入ってるんだから」と返しました。

 すると、「お前も、前の妻と同じだ。俺が必死で休みを取って計画したのを、お前は何ひとつ喜ばないのか。いつもそういう女性に出会うんだ、俺は」って、また被害者モードに入って、ふてくされるんです。

――離婚するまでの経緯を教えてください。

 子どもが2歳になる手前で別居しました。きっかけは、彼が突然、会社のトップをクビになってしまったことです。外資系は、責任者であろうが、いきなり辞めさせるんです。おそらく原因は彼自身にあるはずなのに、「お前が支えないからだ。妻として内助の功が足らないからだ」って言うんです。

――リベラルとか言ってるのに“内助の功”だなんて、矛盾していると思わないんですかね?

 だから彼は、ダブルスタンダードなんです。表面はリベラルだけど、すごく差別的で封建的。それと、彼が独特なのは、自分に酔ってるというか、絵に描いたようなナルシストだってことです。

――そこから別居へは、どうつながるんですか?

 クビになって以来、元夫は落ち込んで、ずっと家にこもっていました。ある日、2歳の誕生日が近くなった頃、子どもが元夫におもちゃを持って近寄っていったことがありました。遊んでほしくて、子どもは「パパ」って話しかけた。すると元夫は「ハァ」ってため息をついて、顔をしかめたまま、子どもを相手にしないんです。異様な様子に、途端に子どもがビビってしまって……。

 それを見て「これはやばい。お父さんの機嫌を一生懸命取ろうとする子どもになっちゃう。子どもの情緒が育たなくなる」と思ったんです。それで私、彼に言いました。「病院でうつ病だと判断されて薬をもらってきたようだけど、これを機会にしっかり療養したほうがいいよ。子どもがチョロチョロいたら、あなたが休まらない。あなたのメンタルの回復のため、一度離れよう」って。すると、夫は「そうだね、ありがとう」と言って、すぐに引っ越していってくれました。

――別居だけで、離婚はしなかったんですか?

 私は「子どものためによかれと思って」という気持ちもあるけども、「うつ病と診断された彼の心が休まらないから」という理由もあった。まずは別居して修復していこうと思っていたんです。

――出て行った後は、どうなりましたか?

 別居してから離婚するまでの2年間は、子どもを彼に会わせていました。月1回のペースで。うつであまり無理をさせられないので、毎回3〜4時間から、長くても半日ぐらい。ボウリングに行ったり、一緒に公園に行ったり、食事に行ったり。子どもが行きたそうな場所を優先して出かけていました。あくまで、子どもに付き合ってあげているという感じですね。

――お子さんと2人きり?

 いえ、私も同席していました。彼は子どもの世話ができない人だから、むしろ私に来てほしかったんです。別居しているから顔を見たくないというわけでもないし、子どもの面会についての連絡は普通に取り合っていました。別居中でも、子どもはお父さんのことを好きでしたよ。たまに会うだけなら、彼の機嫌の悪いところも見ないですし。

――別居を経て修復できなかったのはなぜですか?

 「俺がクビになって使いものにならなくなったら、捨てる女なんだ」と彼の中で、いつの間にか話がすり替わってしまったようだから。そのうち「お前に追い出された」という恨みを、直接私にメールでぶつけてくるようになりました。それで最終的には「あの親子(私と母)が俺を追い出した。あいつらは子どもが欲しかっただけで、俺は利用された。捨てられた」というふうに、さらに母も彼の怒りの対象となりました。

――どういう手続きを経て別れたんですか?

 彼の方から「離婚届を出して別れよう」と、メールで連絡してきました。会ってみると、彼の怒りのオーラがすごかった。ここで説得して撤回させようとしても、また大げんかになる――。そう思ったら、面倒くさくなっちゃって、離婚に同意して、届を書いて押印しました。彼のメンタルが回復せず、破局に至ったことは、とても残念でした。

――彼は離婚届を書きながら、ずっと怒ってたんですか?

 いえ。いざ印鑑を押すというとき、「あの子に会えなくなると、俺は……」とか言って涙を流しました。そのとき、彼の本性がわかっていたので、「この人は、泣きたいときに泣けるんだ」ってあきれながら見てましたね。

――その後はどうですか?

 元夫から、完全に音沙汰がなくなりました。子どもはかわいそうに、しばらくは父親を恋しそうにしていました。

――慰謝料とか養育費はどうしましたか?

 彼がドケチだってことは常々感じていましたから、最初から諦めていました。絶対、慰謝料も養育費も無理だと。だから最初からもう何も言わなかったです。私がラッキーだったのは、多くのシングルマザーが直面する経済的な問題がなかったことです。

――彼は「子どもに会いたい」と言ってこないんですか?

 一度もない。むしろ、電話してもガチャ切りされるぐらいです。今や何の興味もないみたい。だから親権問題とか、残念ながら私は個人的にはまったく悩んだことがないし、彼から面会交流したいという要望すら一切ないんですよね。おそらく自分の子どもに対して愛情もないんだと思います。というか、ないとしか思えないです。親子の縁は、実質的には切れてしまってます。

――離婚を経て、いま彼に対してどう思いますか?

 不安感が募る妊娠中とか、子どもを産んだ直後の狂乱状態とかの大変な時期に、元夫を支えることは無理でした。だからその頃、「もうあなたとはやっていけない」と強く言って、彼をはじいてしまった。その点は後悔しているし、申し訳ないという気持ちが残っています。とはいえ、再婚すべく話し合いたいとは思わないですけどね。それとは別に、離婚後も、元夫と定期的に子どもを会わせたり、元夫としての彼との関係を築いたりということはしたかった。

――子どもに会わず、彼は何をしてるんですか?

 風のうわさによると、私と別れた後、結婚し、また離婚したみたいなんです。だからバツ3か4なのかな。前妻に加え、私のことも「妻からDVを受けた」って、付き合う女性たちに言ってるんでしょう。

――お子さんはお父さんに会いたがりますか? また小松さんが、お父さんのことをお子さんに伝えることはあるんですか?

 子どもはいま9歳で、「全然会いたいと思わない」って言ってます。もうちょっと成長して10代の後半とか20代とかになって、ちゃんと父親と話がしてみたいってことで本人がアプローチしたとしても私は止めません。そのとき子どもには「あなたに会ったら、パパは間違いなく涙を流すと思う。『パパは、ずっと会いたいと思ってた』って間違いなくやるから。だけど、それは演技だから」とは言っておくつもりです。そうじゃないと、騙されちゃいますから。

西牟田靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(角川学芸出版)『誰も国境を知らない』(朝日新聞出版)『〈日本國〉から来た日本人』(春秋社)『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)など。最新刊は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

<取材協力者募集>
この連載の取材にご協力いただける方を募集しています。夫と別居または離婚して子どもを育てているお母さん、子どもと夫との面会状況についてお話をお聞かせいただけると幸いです。下記フォームよりご応募ください。

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「俺は利用された」ナルシストの元夫は子どもへの愛情がなく、親子の縁は切れてしまった

singlemother15b『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第15回 小松めぐみさん(仮名・40代)の話(後編)

 子どもが欲しくて白人男性とデキ婚したものの、夫はお坊ちゃん育ちで、世の中の常識がわからないまま大人になったような人だった。徐々にプライドは高いが、ケチな夫の姿が明らかになっていく中、妊娠8カ月の頃に浮気が発覚。前妻がDV妻だったという嘘が発覚すると同時に、自分も警察官の前で「DV妻」呼ばわりされてしまう。

(前編はこちら)

■「男も育児をするべき」という気持ちだけはあった

――妊娠中に浮気の現場を発見し、警察を呼ばれた後、どうなったんですか?

 臨床心理士のところへ2人で行って、カウンセリングを受けました。私と夫、それぞれ1人ずつ事情を話したんですが、元夫は「置物を全部なぎ倒したりして、家で暴れまくった。あいつはDV妻なんです」などと話したそう。もちろん私は否定しました。「物を壊したり暴力を振るったりしたことは一度もないです」と。警察官同様、すぐに察したようで、治療ターゲットは元夫になりました。すると彼は「僕、先生のこと大好きですよ」と、味方につけようと必死になっていましたね。

――出産は問題ありませんでしたか?

 元夫には「外国人専用の病院で産め」って言われました。でも、そんなときまで格好をつける気はありません。まして私にとって英語は母国語じゃないし、金額だって無駄に高い。「普通の病院で産む」って宣言して、実際、そのようにしました。元夫は立ち会ってくれました。そういうわかりやすく感動的な部分は好きなので。涙? もちろん流していました。

――育児はしてくれたんですか?

 アメリカの大学や大学院を出た元夫だけに、表面上はリベラルを自負しているんです。それで、「男も育児をするべき」という気持ちだけはあったみたい。おむつを替えたりとかミルクをあげたりとか、何かと甲斐甲斐しくやってくれましたよ。だけど、ちょっと大きくなっちゃうとだめ。子どもに自我が出てきて、自分のコントロールが利かなくなる。それが嫌だったみたい。だから、ちょっと大きくなったら、すごく突き放していて、厳しすぎると感じました。

――結婚して子どもができると、仕事との兼ね合いとか、育児の労力という点で大変ですよね。

 私が楽になるようなアシストならよかったんですが、彼の提案って私の求めていない、むしろ邪魔で足手まといなものが多かった。覚えているのは、子どもを保育園に入れようと必死になっていたときのことです。私は仕事を休んで手続きに行く予定を立てていました。ところが元夫は私のそんな努力をくみ取らず、いきなりヨーロッパ旅行の予定をボンとぶち込んできたんです。なんの相談もなく。「俺が休みを取れるのは、ここだけだから」って。それで私、「ちょっと待って、行けるわけないでしょ。保育園の手続きとか、患者さんの予約が入ってるんだから」と返しました。

 すると、「お前も、前の妻と同じだ。俺が必死で休みを取って計画したのを、お前は何ひとつ喜ばないのか。いつもそういう女性に出会うんだ、俺は」って、また被害者モードに入って、ふてくされるんです。

――離婚するまでの経緯を教えてください。

 子どもが2歳になる手前で別居しました。きっかけは、彼が突然、会社のトップをクビになってしまったことです。外資系は、責任者であろうが、いきなり辞めさせるんです。おそらく原因は彼自身にあるはずなのに、「お前が支えないからだ。妻として内助の功が足らないからだ」って言うんです。

――リベラルとか言ってるのに“内助の功”だなんて、矛盾していると思わないんですかね?

 だから彼は、ダブルスタンダードなんです。表面はリベラルだけど、すごく差別的で封建的。それと、彼が独特なのは、自分に酔ってるというか、絵に描いたようなナルシストだってことです。

――そこから別居へは、どうつながるんですか?

 クビになって以来、元夫は落ち込んで、ずっと家にこもっていました。ある日、2歳の誕生日が近くなった頃、子どもが元夫におもちゃを持って近寄っていったことがありました。遊んでほしくて、子どもは「パパ」って話しかけた。すると元夫は「ハァ」ってため息をついて、顔をしかめたまま、子どもを相手にしないんです。異様な様子に、途端に子どもがビビってしまって……。

 それを見て「これはやばい。お父さんの機嫌を一生懸命取ろうとする子どもになっちゃう。子どもの情緒が育たなくなる」と思ったんです。それで私、彼に言いました。「病院でうつ病だと判断されて薬をもらってきたようだけど、これを機会にしっかり療養したほうがいいよ。子どもがチョロチョロいたら、あなたが休まらない。あなたのメンタルの回復のため、一度離れよう」って。すると、夫は「そうだね、ありがとう」と言って、すぐに引っ越していってくれました。

――別居だけで、離婚はしなかったんですか?

 私は「子どものためによかれと思って」という気持ちもあるけども、「うつ病と診断された彼の心が休まらないから」という理由もあった。まずは別居して修復していこうと思っていたんです。

――出て行った後は、どうなりましたか?

 別居してから離婚するまでの2年間は、子どもを彼に会わせていました。月1回のペースで。うつであまり無理をさせられないので、毎回3〜4時間から、長くても半日ぐらい。ボウリングに行ったり、一緒に公園に行ったり、食事に行ったり。子どもが行きたそうな場所を優先して出かけていました。あくまで、子どもに付き合ってあげているという感じですね。

――お子さんと2人きり?

 いえ、私も同席していました。彼は子どもの世話ができない人だから、むしろ私に来てほしかったんです。別居しているから顔を見たくないというわけでもないし、子どもの面会についての連絡は普通に取り合っていました。別居中でも、子どもはお父さんのことを好きでしたよ。たまに会うだけなら、彼の機嫌の悪いところも見ないですし。

――別居を経て修復できなかったのはなぜですか?

 「俺がクビになって使いものにならなくなったら、捨てる女なんだ」と彼の中で、いつの間にか話がすり替わってしまったようだから。そのうち「お前に追い出された」という恨みを、直接私にメールでぶつけてくるようになりました。それで最終的には「あの親子(私と母)が俺を追い出した。あいつらは子どもが欲しかっただけで、俺は利用された。捨てられた」というふうに、さらに母も彼の怒りの対象となりました。

――どういう手続きを経て別れたんですか?

 彼の方から「離婚届を出して別れよう」と、メールで連絡してきました。会ってみると、彼の怒りのオーラがすごかった。ここで説得して撤回させようとしても、また大げんかになる――。そう思ったら、面倒くさくなっちゃって、離婚に同意して、届を書いて押印しました。彼のメンタルが回復せず、破局に至ったことは、とても残念でした。

――彼は離婚届を書きながら、ずっと怒ってたんですか?

 いえ。いざ印鑑を押すというとき、「あの子に会えなくなると、俺は……」とか言って涙を流しました。そのとき、彼の本性がわかっていたので、「この人は、泣きたいときに泣けるんだ」ってあきれながら見てましたね。

――その後はどうですか?

 元夫から、完全に音沙汰がなくなりました。子どもはかわいそうに、しばらくは父親を恋しそうにしていました。

――慰謝料とか養育費はどうしましたか?

 彼がドケチだってことは常々感じていましたから、最初から諦めていました。絶対、慰謝料も養育費も無理だと。だから最初からもう何も言わなかったです。私がラッキーだったのは、多くのシングルマザーが直面する経済的な問題がなかったことです。

――彼は「子どもに会いたい」と言ってこないんですか?

 一度もない。むしろ、電話してもガチャ切りされるぐらいです。今や何の興味もないみたい。だから親権問題とか、残念ながら私は個人的にはまったく悩んだことがないし、彼から面会交流したいという要望すら一切ないんですよね。おそらく自分の子どもに対して愛情もないんだと思います。というか、ないとしか思えないです。親子の縁は、実質的には切れてしまってます。

――離婚を経て、いま彼に対してどう思いますか?

 不安感が募る妊娠中とか、子どもを産んだ直後の狂乱状態とかの大変な時期に、元夫を支えることは無理でした。だからその頃、「もうあなたとはやっていけない」と強く言って、彼をはじいてしまった。その点は後悔しているし、申し訳ないという気持ちが残っています。とはいえ、再婚すべく話し合いたいとは思わないですけどね。それとは別に、離婚後も、元夫と定期的に子どもを会わせたり、元夫としての彼との関係を築いたりということはしたかった。

――子どもに会わず、彼は何をしてるんですか?

 風のうわさによると、私と別れた後、結婚し、また離婚したみたいなんです。だからバツ3か4なのかな。前妻に加え、私のことも「妻からDVを受けた」って、付き合う女性たちに言ってるんでしょう。

――お子さんはお父さんに会いたがりますか? また小松さんが、お父さんのことをお子さんに伝えることはあるんですか?

 子どもはいま9歳で、「全然会いたいと思わない」って言ってます。もうちょっと成長して10代の後半とか20代とかになって、ちゃんと父親と話がしてみたいってことで本人がアプローチしたとしても私は止めません。そのとき子どもには「あなたに会ったら、パパは間違いなく涙を流すと思う。『パパは、ずっと会いたいと思ってた』って間違いなくやるから。だけど、それは演技だから」とは言っておくつもりです。そうじゃないと、騙されちゃいますから。

西牟田靖(にしむた やすし)
1970年大阪生まれ。神戸学院大学卒。旅行や近代史、蔵書に事件と守備範囲の広いフリーライター。近年は家族問題をテーマに活動中。著書に『僕の見た「大日本帝国」』(角川学芸出版)『誰も国境を知らない』(朝日新聞出版)『〈日本國〉から来た日本人』(春秋社)『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)など。最新刊は18人の父親に話を聞いた『わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち』(PHP研究所)。数年前に離婚を経験、わが子と離れて暮らす当事者でもある。

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この連載の取材にご協力いただける方を募集しています。夫と別居または離婚して子どもを育てているお母さん、子どもと夫との面会状況についてお話をお聞かせいただけると幸いです。下記フォームよりご応募ください。

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「義母がくれたのは、3万1000円のガスレンジだけ」訛りの強い東北で、四面楚歌の結婚生活

 『わが子に会えない』(PHP研究所)で、離婚や別居により子どもと離れ、会えなくなってしまった男性の声を集めた西牟田靖が、その女性側の声――夫と別居して子どもと暮らす女性の声を聞くシリーズ。彼女たちは、なぜ別れを選んだのか? どんな暮らしを送り、どうやって子どもを育てているのか? 別れた夫に、子どもを会わせているのか? それとも会わせていないのか――?

第14回 山本裕子さん(仮名・40代)の話(前編)

「今考えると彼は、研究所で試験管を持ってたときの方が人間くさかった。少なくとも今のような冷酷さはなかった――」

 そう話すのは、看護師の山本裕子さん。彼女には23歳の息子と20歳の娘がいる。そんな彼女は、夫と同居しながら離婚裁判を戦ったという体験の持ち主。3年にわたる家庭内別居、離婚後のシングルマザー生活について話を伺った。

■付き合い始めて3カ月もしないうちに、結婚の話が

――旦那さんと知り合ったきっかけを教えてください。

 東京の医療系の短大を卒業して、都内の大学病院に勤務していたとき、そこに、夫となる男性が入院してきました。彼は7つ年上の理系で、当時、民間企業の研究所で働いていました。

――入院した理由は?

 視力が、かなり失われていたんです。それで数カ月入院しました。私が担当だったんですが、良い意味で粘り強い、悪く言えばねちっこい性格。枯れ木みたいに細くて背の高い人でした。

 入院中に、「(視力が悪くなった)原因を知りたいから、医学書を貸してほしい」と頼まれて、ナースステーションにある本を貸したら、必死にずっと読んでいました。落ち込んだそぶりは一切なくて、調べることに没頭してるんです。「この人は真面目な人だな。問題から逃げない人なんだな」と思って好意を抱きました。

――お付き合いを始めたきっかけは?

 目が回復して退院した彼が、病院に挨拶に来たんです。「その節はありがとうございます」って。立ち話をしてるうちに、「じゃあ1回外で会いましょうか」ってなったんです。それで毎週とか会ってたのかな。

――お付き合いしてるうちに接近していったということですか?

 3カ月もしないうちに結婚の話が出ました。そのときは「東京で」という話だったのに、いつの間にか「Uターン就職する」って言い始めた。「親戚付き合いはしなくていい。俺、オマエを守るから」って言うんです。

――ずいぶん急な展開ですね。

 東北の小さな町で育って、理系の大学を出た研究者ですから、それまでは順風満帆。ところが目をやられて挫折して、故郷に帰りたくなったみたいです。

 結婚について私が九州の実家に電話したら、両親に強硬に反対されました。私は一人娘で、うちの両親は気が強いので、電話でケンカになっちゃって、最後は「勝手にするったい!(勝手にしなさい!)」と電話口で怒鳴られました。2人して挨拶に行けばよかったんですが、ずいぶん怒ってるし、展開が急だったってこともあって、行かずじまいとなってしまいした。

 彼の新しい職場は、大手保険会社の地元支社。勝手に話が進んでて“あれ?”って思ったけど、私は昭和の女だから、男の仕事には口を挟みたくない。それに私、看護師だから、どこでも仕事ができると思ってたし。ついていくことにしました。

――どこに住み始めたんですか?

 彼の実家から車で30分ほど離れた、隣町のアパート。まずは看護の仕事を探そうとしました。だけど、こちらの訛りが予想以上に強いので、ひとまず断念。そんなとき、妊娠がわかりました。それで就職はいったん諦めて、無理くり籍を入れたんです。彼の両親から私の両親への挨拶もなし。長男の結婚なのに、結婚式はしてくれないし、新婚旅行も行かずじまい。なんにもない。義母がくれたのは、3万1000円のガスレンジだけ。

――親戚付き合いは、しなくてよかったんですか?

 いえ。話はまったく違ってました。親戚付き合いの連続です。籍を入れてから1カ月後には、夫の妹の結婚式がありました。300人ほどが出席する盛大な式。私は留袖を着せられて、親戚の1人として手伝いをさせられました。だけど、その場で誰も私のことを知りません。だから会う人会う人、「○男(夫)の妻です」と挨拶して回りました。ご祝儀は10万円。夫が勝手に包んでいました。私ら、義妹から何ももらってないのにね。

――義理の妹さんとの待遇差はひどいですね。

 しかも義妹は、たった4カ月で離婚して、実家に帰ってきたんです。あれだけ盛大な結婚式をやったのに。その後、義妹は実家の近くで1人暮らしを始めました。だけど実家には入り浸ってましたね。ご飯は自分で作らずに、親に作らせて持ってきてもらってたようです。両親や夫、そのほかの親戚たちに「働かなくていいよ」って言われて、みんなに守られた、甘えた生活を送ってるわけ。私は大いに不満でしたが、気がついたら彼女も妊娠してた。しかも私よりも先に、結婚した年のうちに産んじゃってました。

――一方で、山本さんのお子さんはどうなったんですか?

 年明けには臨月。だけど、生まれる前が大変だった。何が大変かって? 冬の雪かきですよ。普通は父親がやるんだけど、夫は一切やらないんです。

――では、雪かきは誰が?

 私がやるしかなかった。前年の春に妊娠がわかったとき、慣れない雪かきを、まさか臨月ですることになるとは思ってもみなかった。

――流産したら大変ですよ。

 いえ。夫はそんなこと、まったく気にしない人なんです。2月にいよいよ出産ってときだって、立ち会うはずがない。産んだのは病院です。会陰切開で生みました。夫や夫の親戚のお見舞いは、結局なかった。

――病院から帰った後は、どのような生活でしたか?

 息子を出産後、1週間ぐらいで病院からアパートに戻ったんですが、家の中はコーヒーとかの空き缶があちこちに転がってる状態。彼が一向に動こうとしないので、赤子を抱いたまま掃除し始めたんです。すると夫は、「あー焼き鳥食べたい。焼き鳥買ってきて」って言うんです。

 それで私、結局買いに行かされましたよ。車の免許を持ってなかったし、雪もなかったから自転車。痛くてサドルに座れなかったから、立ちこぎ。なんでこんな人と結婚しちゃったんだろって後悔しましたよ。だけど、子どももできちゃったからね……。

――でも、その後、家を建てたんですよね。それはなぜですか?

 家を建てて責任感が増せば、自然と変わってくれるんじゃないかって思ったからです。22年前かな。夫が「生まれ故郷の町に、どうしても帰りたい」と言ったのが発端で、息子が1歳になったときでした。土地の購入には私が独身のときに貯めた1000万円弱を使いました。上物(建物)は2500万円。彼の名義でローンを組んで建てました。

――それで、旦那さんは変わりましたか?

 いえ、一向に変わりませんでした。子育てひとつ取ってもそうです。彼は「おむつ換えしてる」と胸を張ってましたが、とてもとても。おむつを「はい」といって手渡ししてくれるだけ。インフルエンザで私が約40度の熱を出していたときなんて「裕子さん、(赤ちゃんが)うんちしてるみたい」と言っておろおろするだけ。絶対、自分は手を出さないんです。

――その分、義父母が面倒を見てくれたのではないのですか? 実家がそばですよね。

 それもなかった。面倒を見てくれたり、かわいがってくれることは、ほとんどなかったです。その一方、4カ月で離婚して戻ってきた義妹の子は、親戚みんなからかわいがられてました。

――旦那さんは長男ですよね。跡継ぎだってことで大事にされるのでは?

 こちらでは、そういう感覚はまったくないのです。私の子どもたちなんて、親戚からクリスマスプレゼントをもらったことすらない。一方、義妹の息子(義理の甥)は、毎日小遣い1000円をもらってた。よそ者が産んだ子どもも、よそ者だっていうわけです。

――義理の妹さんは、別れた夫から養育費をもらわなかったんですか?

 そうなんです。別れた夫から養育費とかもらったらいいはずなのに、見栄を張って、それはしないわけ。その分、私たちの方に降りかかってきた。「結婚式に行く自分たちの洋服を買ってくれ」とか言って、何かあるたびに、義母や義妹から10万円を要求されました。そのたびに私が「不公平だからダメ。無理」と夫に言って断ると、夫は「うちのやつがダメっていうから」って申し訳なさそうに電話で報告してるんです。

――自分の家族よりも、実家が大事なんですね。

 娘が生まれるときもそう。よりによって、予定日に親戚の結婚式の受付を引き受けてたんです。それを聞いて私、「私に何かあったらどうするの!?」って問い詰めたんです。すると彼、「じゃ息子(当時3歳)を連れて行けばいいだろ! オマエは勝手に産んだらいいじゃないか!」って。

――家族として大事にされていないんですね。とすると、家にお金を入れないとか、そんな仕打ちもありましたか?

 それはなかったです。生活費として、毎月25~26万円は入れてくれていました。

――その後は、専業主婦だったんですか?

 息子が生まれた後は、養鶏場でバイトしていました。方言が理解できなかったので、看護師は難しかった。だけど娘が生まれてしばらくたった頃には、方言が理解できるようになっていました。それで、娘が学校に入るタイミングで看護師に復帰しました。子どもが2人になって、家計のやりくりに不安を感じるようになってたし。夫に「復帰したら、家のことを少し手伝ってもらうけどいい?」って聞いたら、なんて言ったと思います? 「いいんじゃないの。オマエの仕事が増えるだけだから」って言うんですよ。

――九州にいたご両親との関係は、どうなりましたか?

 それが、結婚して6~7年後(2000年頃)、九州で経営していた店を畳んで、こっちに引っ越してきたんです。私の家と目と鼻の先の、道路向かいの家。私、一人っ子なんで、老後の面倒を見てもらいたかったみたい。それで今度は、両親からも責められるようになりました。「オマエがうまくいっとるごと信じとったたいね。ほんなこつこのザマは何ね?(オマエがうまくいっていると信じていたのに。本当にこのざまは何だ?)」って。

――山本さんのご両親と旦那さんの関係はどうでしたか?

 両親はこっちの家族観が理解できなくて、夫や彼の実家に対して怒ってました。とはいっても、直接、彼らに言えるわけでもない。だから、私に文句ばかり言うんです。「オマエの夫はおかしか」って。すぐそばに住んでるのに、ギクシャクして、両方の家族の間に会話はまったくなかった。

――四面楚歌ですね。

 ほんとそう。しかも、義父母や義妹からはお金の無心をされてばかり。どこにも頼ることができなくて、私、精神安定剤を飲んで、「別れたい」って独り言を言いながら、毎日泣いてました。
(後編へつづく)

厄介な「ヘリコプターペアレント」の実態と対策――何も決められない子どもが育つ!?

 愛情を持って我が子に接するのは、もちろん大切なこと。しかし、愛情の示し方を一歩間違えると、歪んだ親子関係が生まれてしまう。近年では、子どもの行動を管理し続ける親を「ヘリコプターペアレント」と呼び、その行動が問題視されている。では、具体的に何が問題なのか? ヘリコプターペアレントの定義や対策について、育児相談室「ポジカフェ」の主宰者として多くの育児相談を受けている子育て心理の専門家・佐藤めぐみさんに話を聞いた。

■常に子どもを管理し続ける「ヘリコプターペアレント」

「ヘリコプターペアレントは『常に子どもを観察し続ける親』と『観察され続ける子ども』という親子関係が、ヘリコプターが上空でホバリングしている様子に似ていることから名付けられました。アメリカで出版された『Parenting with Love and Logic』という書籍の中で、著者のフォスター・クライン氏とジム・フェイ氏が用いたのが始まりといわれていますね」

 子どもを常に“観察する”ことがヘリコプターペアレントの定義のひとつという。ただ観察するだけなら問題なさそうだが、特徴はそれだけではない。

「毒親、カーリングペアレントなどなど、いろいろな呼び方がありますが、ヘリコプターペアレントの最大の特徴は『過管理』と『過干渉』です。親が子どもの行動や人生に関わらずにはいられないのです。特に学業や学校に関することへの干渉が強く、学校で子どもの身に何か起きようものなら、親が自ら抗議する場合もあるようです。ヘリコプターペアレントはアメリカ発の言葉ですが、日本で生まれた“モンスターペアレント”に近い部分もありますね」

 先日放送された『ねほりんぱほりん』(Eテレ)でヘリコプターペアレントが特集され、「中学生の娘の尿採取を手伝っていた母親」「子どもと恋人のLINEをこっそり開いて確認する母親」などの衝撃的なエピソードが飛び出して話題になった。佐藤さんによれば、彼女たちのように度を越した干渉をする親は“しっかり者”であるケースが多いという。

「一見すると、しっかりしている母親という印象があるのですが、その“しっかり”が行きすぎると『この子のことは私が一番わかっている』という思い込みがエスカレートしていきます。そのため、子どもが大きくなっても干渉・管理を続けている場合が多いですね」

 ヘリコプターペアレント化するのは圧倒的に母親が多いそうだ。

「アメリカの状況は存じ上げませんが、日本は母親が育児の大半を背負っていることが多いので、ヘリコプターペアレント化してしまうようです。日本はまだまだ母親への重圧があり、その息苦しさも行きすぎた育児の要因になっていると思います」

 そのほか、親側に「こういう子に育ってほしい」という確固たる思想があり、その枠にはめたい気持ちが強いのも、ヘリコプターペアレントの特徴だとか。

「私の経験則ですが、自ら『私はヘリコプターペアレントだ』と気づくケースは少ないように思います。どこからが過干渉や過管理に当たるのかというボーダーが明確でないため、自分の行動に何ら疑問を持っていないことが多いですね」

 子どもの行動を観察し、問題が起きれば飛んでいくヘリコプターペアレントは、子どもの成長のチャンスを奪う、と佐藤さんは指摘する。

「ヘリコプターペアレントが抱える最大の問題点は、自分で立つ力が子どもに育たないこと。親が子どもの人生や経験の多くを決めてしまうので、圧倒的に“決断”する機会が減ってしまいます。すると『自分で決められない』『自分の意思がない』といった、いわゆる“自分力”が欠如したまま育ってしまうのです」

 さらに、幼少期に失敗を重ねなかったことから、“完璧な自分しか認められない”“自分を好きになれない”などのネガティブな自己観や、精神的な不安定さにつながっていくという。

「幼少期は、ママに見てもらうことがうれしいため、『うちの親は距離感が普通とは違う』ということに気づきにくく、小学校高学年〜中高生になって初めて、自分と親の“距離の近さ”にとまどいや苦痛を感じるようになります。その間も、親によるヘリコプターペアレンティングは続きますが、苦痛や煩わしさを感じつつも、十分な自分力が育っていないために従わざるを得ないという、不格好な共依存で悩むケースもあります。私が行っている育児相談でも、ヘリコプターペアレントに育てられた人がママになり、自分の育児に悩んでいるというケースは多いです。みなさん、親からの過干渉によって子ども時代にツラい思いをしていて、『私はヘリコプターペアレントになりたくない』と、親を反面教師にしてがんばっている方が多いように感じます」

 子どもが悩まないように――と親がレールを敷き続けた結果、親元を離れた途端に、その子どもは途方に暮れてしまうというパターンだ。

「このようなケースは、大きくなってから『自分力が欠如している』と認識することが多いと思います。大人になってから気づく人も多くいらっしゃいます。なので、克服法を欲しているのは、自分の力で立つことを求められる大人に(ママに)なってからが多いように感じています。手前味噌になりますが、私が普段している活動そのものが、それに当たります。ポジティブ育児メソッドでは、子どもの心だけでなく、ママの心も支え、ママ自身の心を強くする働きかけをしています。小さい頃からの自己概念は根強いものですが、きちんとした働きかけがあれば、大人になってもそれを塗り替え、たくましくすることができるからです」

 佐藤さんの言う「小さい頃からの自己概念」をたったひとりで変えるのは、とても難しいはず。母としての“たくましさ”を身につけるために、専門家にサポートしてもらうのも、克服法のひとつなのだ。

 子どもの将来を思うならば、過度な干渉や管理は控えなければならない。それでは、親子にとっての適切な距離の取り方とは?

「基本的には、子どもが“適切な距離”を知っています。そのときどきで、子どもが示した距離が、その子の心の状態に合った距離感なのです。たとえば、普段は公園内でママと離れた場所で友だちと遊ぶのが大好きな子でも、転んだりイヤなことがあったりすると、ママのところに飛んできます。子どもは自分の心を満たすために、器用に距離を調節できるのです。なので、親があれこれと考えるよりも、子どもが求めている距離に順応してあげるのが一番です」

 もちろん、子どもが赤ちゃんの頃は親が近くにいる必要があるが、幼少期に入り、子どもが自分で行動できるようになれば話は別。少しずつ子どもに“決断”をさせていく必要がある、と佐藤さん。

「もしも、お子さんとの会話の中で『ママ、これどう思う?』『ママどうしよう。ボクどうしたらいいかわからない』『ママが決めて』といった発言が多いようであれば、注意が必要です。その場合は、少しずつでいいので、日々の会話に『あなたはどう思う?』という質問を盛り込み、その子が自分の行動に主体性を持っていくように働きかけるのがポイントとなります」

 大人になれば、さまざまな場面で決断を迫られる。その予行演習は、子どもの頃から育まなければならない。

「過管理・過干渉は、ここまでならOKでここからはやりすぎという明確な線がなく、知らず知らずにエスカレートしていることが多いため、自分がヘリコプターペアレントだと思ってもいない人がほとんどです。しかし、そこをあえて“自分はヘリコプターペアレントではないか”と客観視し、“その状態から脱却したい”と思ったら、まずは年相応の決断力や判断力が、我が子に伴っていないことに危機感を持ってほしいと思います。『子どものためにと思ってやっていることは、本当に子どものためか』『逆に足を引っ張っていないか』など、自分の行動を疑うことが第一歩です」

 いつでもレスキューできる場所にいたいという親心があったとしても、その距離感を適切に保ててこそ、優秀な操縦士、ということのようだ。
(真島加代/清談社)

佐藤めぐみ(さとう・めぐみ)
アメリカ、イギリス、オランダで学んだ心理学を、日本のママたちが取り入れやすい形にした「ポジティブ育児メソッド」を考案。現在は、ポジティブ育児研究所・代表を務める傍ら、育児相談室でのカウンセリング、メディアでの執筆を通じ、子育て心理学でママをサポートする活動に尽力。
佐藤めぐみオフィシャルサイト

SHIHO、高島彩、東尾理子……「叱らない子育て」が物議を醸したママタレ芸能人4名

 バラエティ番組で披露された「叱らない子育て」が、再び炎上しているSHIHO。週刊誌の直撃を受け、「私が間違っていた」と釈明しているが、芸能界では同様のパターンが炎上するケースが相次いでいるようだ。

 1月19日、SHIHOは『ダウンタウンなう』(フジテレビ系)にゲスト出演。番組内で子育てエピソードが披露され、その内容が物議を呼んだ。韓国では“国民的スター子役”というSHIHOの一人娘・沙蘭ちゃんだが、新幹線で他人の携帯を勝手に触ったり、食事中にハンバーガーのレタスを投げてしまっても、SHIHOは一切叱ることなく、知らん顔なのだという。ネット上では「躾しないの?」「叱らないのはひどい」などと批判が殺到。SHIHOのこうした「叱らない子育て」へのバッシングが、日本どころか韓国からも寄せられているとして、2月27日発売の「女性自身」(光文社)は、本人に直撃取材を行っている。

 類似のケースとしては、2016年に放送された『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)の密着取材を受けた東尾もまた、長男・理汰郎くんが「怒りやすい子供にならないように」と、極力「叱らない子育て」を実践していると発言していた。

「放送では、臨月中だった東尾が理汰郎くんを連れて有機栽培の農園に出かけたり、バイオリン教室に通わせるシーンが放送されました。そこで、理汰郎くんが畑の泥を東尾の服にこすりつけたり、バイオリンをわざと落とす場面があったものの、東尾が叱ることはなかった。他人に迷惑をかけたり、危険があるような場合は注意すると付け加えたものの、放送中から批判が殺到してしまいました」(芸能ライター)

 また15年には、前年に長女を出産したばかりだった高島彩が、イベント出演時に自らの子育てルールを明かし、反感を買ってしまっている。

「高島は、子どもがやってはいけないことをした時に、大きい声で怒らず、いいか悪いかを子供が考えてくれるよう諭すようにしていると話していた。しかし、まだ1歳の子供にしか接していないとして、ネット上では『子どもが成長したら、そうもいかないよ』『理詰めが効かないのが子どもなのに』『理想論にしか聞こえない』などと、反発を受けていました」(同)

 そして最後は、事件を起こして逮捕されてしまった息子にさえ、甘い言葉を掛けたとして大炎上してしまった、高畑淳子。

「長男・裕太が強姦致傷罪で逮捕されたことを受け、緊急会見が行われた際に、高畑は面会時『どんなことがあってもあなたのお母さんだからね、と言った』と発言。世間を騒がせたことや、被害女性に対し、何度も謝罪はしていたものの、この発言から『被害者がいるのに、まだ甘やかすの?』『更生のためにも、突き放すのが愛情だと思う』『ちゃんと叱らないと』と、バッシングは裕太よりもむしろ高畑へ向かっていきました」(情報番組ディレクター)

 必ずしも「親の育て方」がすべてではないが、子どもの人格形成に親の教育が影響することは間違いない。芸能人は、良くも悪くも視聴者に影響を与えてしまうだけに、節度ある子育てを実践してほしいものだ。