“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。前回は、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)への入居をきっかけに起こった、“老妻の反乱”を紹介した。
井波千明さん(仮名・55)の義父、勇三さん(仮名・88)は認知症が進行し、義母の茂子さん(仮名・86)は初期の認知症に加え、硬膜下血腫の手術も受けた。二人暮らしを続けるのが難しくなったことから、井波さんの家から近いサ高住に入居した。しかし、同じ部屋に入るどころか、同じ階の別室に入るのもイヤだという茂子さんの頑強な抵抗により、二人は別の階で暮らしている。
天敵「ボスババ」と取っ組み合いの大ゲンカ
ところが、入居してからちょっとした“事件”が起こった。
入居してまもなく、井波さんがサ高住の茂子さんの部屋を訪ねたところ、友達が遊びに来ていたことがあった。井波さんは「もうお友達ができたんだ」と喜んでいたという。
このサ高住では、食事のときの座席が決められていて、毎日同じグループで話をしながら食事をしている。茂子さんはそのグループで仲良しの友達ができたようだった。
「それが義母に話を聞くと、グループにボス的な女性がいるらしくて、食事が配膳されると、いつも目配せして食事を友達から奪うというんです。義母はその行為が許せなかったようで、文句を言ったことからケンカがはじまり、スタッフから私に連絡が来るほどの関係になってしまいました。解決策として、スタッフが席替えをしようかと義母に相談したところ、義母は『私が悪いわけではないので、席は替わらない』と譲らなかったそうです。相手も同じようなことを言ったので、『じゃあ、今度ケンカしたら席替えしますよ』と警告されたのに、それでもまた取っ組み合いに近いケンカをしてしまったんです」
とうとう、茂子さんと“ボスババ”は、二人ともグループ席から離れた一人席にされてしまった。
そんな事件があった後に、井波さんは娘を連れて茂子さんのもとを訪ねた。井波さんの娘には障害がある。すると、ボスババは井波さんの娘を指差して、「これがあの人の孫よ」と周りの入居者たちに陰口を言ったというのだ。
「スタッフも『井波さんのお母さんが悪くないのは私たちもわかっています。相手の方が、これまでも何度も問題を起こしている、癖のある方なんです』と言っていました。その通り、ボスババはあきれるほど人間的に欠陥のある人のようです。そんな人に真っ向からケンカを挑む義母って……」
意外だった。井波さんはこれまで茂子さんのことをシャイで控えめな女性だと思っていたが、実は正義感に燃えた熱い人だったんだと見直した。
それでも、茂子さんに嫌な思いをさせまいと、それからは茂子さんのいるフロアには娘を連れて行かないようにしている。「老人集団って、小さな子どもの社会みたいですね」とため息をつく。
ちなみに、このサ高住を選ぶ決め手となったのは、庭に野菜や花を育てるスペースがあったことだった。井波さん夫婦は、義父母が部屋に閉じこもることなく、この園芸スペースで少しでも活動的に過ごしてもらいたいと考えたのだ。
しかしその園芸スペースでも、茂子さんの“天敵”ボスババがよく活動しているため、茂子さんは決して近づこうとはしない。「こんなはずじゃなかった」と井波さんは苦笑する。
それまで何十年も、一切口答えすることなく夫に仕えてきた茂子さんは、終の棲家となるサ高住に入居してはじめて夫を断固拒否し、ボスババに対しても決して妥協しようとしなかった。
「小さな子どもの社会のようだ」と井波さんは感想をもらしたが、茂子さんは、“長いものには巻かれろ”といった、いわゆる大人の対応をすることを一切拒否したといえる。
茂子さんは、人生の最後くらい「イヤなものはイヤ」と自己主張しようと思ったのだろうか。それとも、認知症によって、茂子さんの本来の姿が明らかになったのか。
井波さんにも本当のところはわからないというが、茂子さんの武勇伝はなんとも痛快だった。そのように生きられるなら、人生が楽になるだろうとうらやましく思う人は多いのではないだろうか。
それにしても、終の棲家でも女どうしの人間関係に悩まされるとは……。そんなボスがいるのなら、イヤな夫の方がまだマシかも?