「長女の私に、とにかく厳しかった」監視する母とアル中だった父――老いた親を前に、娘の本心は

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。……なのだが、親と向き合うことができない子どもも少なくない。「老いた母親と息子の屈折した愛情」では母と息子の濃密過ぎる関係について書いたが、今回は母と娘の関係について考えてみたい。

アルコール依存症だった父

 先日、津久井やまゆり園の被害者のその後がテレビで報道されていた。被害者のある男性は、大けがから回復しても施設に戻らず、一人暮らしをはじめていた。そして、これまでテレビで何度も流されてきたどの表情よりも、明るくなっていたことに驚いた。もちろん、事件から時間が経過したということもその理由なのだろうが、自立して生活しているという自信や、自由を喜んでいるような雰囲気が画面越しに伝わってきた。

 この男性のように、自立して生活する障害者をサポートする活動に取り組んでいる団体がある。その理事長自身も車いす生活を送っている。理事長の妻で、自らもその団体で介護職などとして働く東野晴美さん(仮名・51)は、公私ともに介護漬けの毎日だ。

「母から離れたくて仕事を次々と入れていたら、ものすごく忙しくなってしまって……」と苦笑する。

 母親から離れたい――それは、冗談でも何でもない。東野さんの本心なのだ。

「父はアル中だったんです」

 北関東の実家にいたころから、東野さんは高校を卒業したら家を出ようと決めていたという。

「父は酒を飲んでは暴れて、母に暴力を振るっていました。私と妹に暴力を振るうことはありませんでしたが、母には早く離婚してほしいとずっと言い続けていました。でも母は、『あなたたちのため』と言って、離婚せずに頑張っていたんです」

 それだけではなかった。子どもたちのための、母の“頑張り”は、「東野さんを監視する」という形で表出した。

母から常に監視される

「長女である私にはとにかく厳しかった。高校生になっても門限にうるさく、部活で帰りが遅くなると連絡してくれた先生を怒鳴りつけることもありました。自分の部屋にいても、常に様子を見られているんです」

 そんな生活は、高校を卒業するまで続いた。東野さんは大学入学とともに実家を離れ、母親の監視からようやく逃れることができた。……はずだった。

「仕送りはしてくれましたし、部屋に電話も引いてくれましたが、今度は毎晩、電話がかかってきました。今日、どこで何をしていたのかを報告させられて、大学に入っても母から解放されたという感じはありませんでした」

 息苦しい関係は、東野さんの結婚とともに終わった。障害を負い、車いす生活を送る夫との結婚には紆余曲折もあったが、ここでは置いておこう。

「結婚すると、母もさすがに私がどこで何をしていようと構わなくなったので、本当に楽になりました」

 家を出て以来、ほとんど帰省していなかった東野さんも、子どもが生まれると孫の顔を見せに帰省するようになっていた。

「このころには、母へのわだかまりもほとんどなくなっていました」

 一方で、父親の酒浸りは相変わらず。東野さんが30代半ばになったころから、酒のために体が利かなくなり、寝たきりに近い状態になっていたという。

「実家には妹家族が住んでくれていました。母の束縛も、父の暴力も、妹は比較的おおらかに受け止めていたようです」

――続きは1月24日公開

「はあ、何? この状況!?」衝撃的すぎた介護ホーム担当医の発言、 60代父の施設選びで直面した現実

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

『突然大声を上げて怒り出す』要介護4の父と生活保護の兄……30代女性が背負った“家族”と“介護”の現実」で紹介した中村万里江さん(仮名・35歳)は、高次脳機能障害を負って有料老人ホームにいる父親(68)がホームでトラブルを起こして、ホームから「ボーっとさせるクスリ」を使うか、それができなければ退去してほしいと言われた。突然迫られた”究極の選択“に、クスリを使うことを認めたものの、ホームへの不信感が募っている。

父を廃人にした「クスリ」を少しずつ減らしていった

 中村さんの話を聞いた筆者は、似たような話を思い出した。Hさんは、前にいたA介護施設で介護拒否や暴力があったために向精神薬を多量に投与され、一気に廃人になった。B介護施設のスタッフ、緒方由紀恵さん(仮名・45)はHさんの娘さんから「父を助けてほしい」と懇願されA施設を訪ねたところ、その施設長から「私はHさんが嫌いです」「Hさんのような人は、一番重度の要介護5になって、特養に入るのが一番いい」と言われ愕然とした。

前回はこちら

 緒方さんはあまりの衝撃に、Hさんを自分たちの施設で介護することを決心したという。

「協力医療機関の医師や看護師とともに、様子を見ながらクスリを少しずつ減らしていきました。そして、Hさんが暴力を振るったり暴言を吐いたりするのがどんなときか、24時間観察したんです」

 すると、着替えや入浴など、Hさんの身体介助の際に暴力や暴言が出現することがわかってきた。

「認知症のHさんは、知らない人が急に自分の体を触ったり、衣服を脱がしたりするのが不安で怖かったんです。このことがわかってからは、私たちもHさんの介助をするときには『今から着替えますね』などと、何をするのか伝えてから介助するようにしました」

 緒方さんたちスタッフは、認知症について勉強しなおし、効果があるといわれる認知症介護メソッドを実行しては検証し、効果のあったやり方を根気よく続けた。すると、次第にHさんに笑顔が見られるようになったという。

「認知症ですから完全に元のHさんに戻ることはできませんが、それでも昼は起きて、リビングで過ごし、夜は寝るという当たり前の生活ができるようになりました。レクレーションに参加して歌を歌われることもあります。娘さんがいらっしゃって、Hさんと一緒に食事をされて『父とご飯を食べることのできる日が来るとは思わなかった』と涙を流されて、私たちも本当にうれしかったです」

 娘さんの喜びは想像に難くない。そして恐ろしいのは、Hさんをクスリ漬けにしたA施設に今も多くの入居者がいるということだ。

 「ほかに預かってくれるところはないから」「家ではもう看られないから」仕方ないと、あきらめている家族もいるはずだ。確かにそれはそうなのだが……。

 その一方で一筋の光明があるとすれば、緒方さんのいるB施設のような心ある施設もあるということだ。そんな施設に巡り会えたHさんや家族はまだ幸運だった。いや、“運”で済ませてはいけないのだが。

 そして頭をよぎるのは、中村さんの父親のことだ。ボーっとさせるクスリを使うか、退去するか、という選択を迫るホームに父親を安心して任せることができるだろうか。

 中村さんの父親はまだ60代だ。「仕方ない」ではすませられないと中村さんは思う。

「完璧な施設はないというのもよくわかっているつもりです。それでも、父にとってよりよい場所を見つけたいというのはわがままなのでしょうか?」

 父親の人生を自分が決めてしまうことに対する責任の大きさを痛感している、中村さんは言う。クスリに頼ることなく、父親を受け入れてくれる施設はないのか、ホーム紹介会社や以前のケアマネジャーに相談した結果、三度(みたび)施設探しをはじめることを決心した。

 ところが、そんな矢先にまた中村さんの気持ちがくじける出来事があった。

「紹介会社から新しいホームを紹介されたので、見学に行くことになりました。そのホームから、父を精神科に受診させて、診療情報提供書をもらって来てほしいと言われたので、ホームの担当医に紹介状をお願いしたんです。担当医からは精神科の受診はお勧めできないと渋られたのですが、なんとか紹介状を書いてもらえるよう電話でお願いしました。すると電話を切ってまもなく、その先生から電話がかかってきたんです」

 その電話がどうもおかしい。受信履歴から間違って中村さんに発信してしまったようだった。

「先生は私に電話をかけているとは思っていないようで、奥さんらしい人との会話が聞こえてきたんです。その内容が、私と父のことのようでした。『介護が必要な人は60代後半の大柄な男性で、要介護2はホームから一番嫌がられるパターンだ。ほかの施設では受け入れてもらえないだろうし、受け入れてもらえても、施設ショッピングになってしまう。娘は父親が嫌がられていることも、施設ショッピングをしていることもわかっていない。今のホームの対応もどうかとは思うが、娘も施設を信用していない』と……。はあ、何? この状況!? ですよね。もし先生が意図して私に電話をかけて、この会話を聞かせていたとしたら、それはそれでびっくりですけどね」

 まったく。安物のドラマを見ているような展開だ。しばらくこの会話を聞いたあと、中村さんは徒労感に襲われて電話を切った。

 あるホームの入居相談員がこうこぼしているのを聞いたことがある。「100点の施設などないのに、気に入らないとまるで服を買い替えるように施設を変える人がいる」と。

 そのときは、お金を持っている高齢者の贅沢な話だと思ったが、中村さんや緒方さんの話を聞いたあとでは一概に施設を移ることが悪とは言えないと思える。誰も好き好んで施設を移りたくはないのだから。

 中村さんと父親の安住の場所が見つかることを心から願う。

「父を助けてください」向精神薬で“廃人”にされた親、老人ホーム施設長のあぜんとする本音

 “「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

『突然大声を上げて怒り出す』要介護4の父と生活保護の兄……30代女性が背負った“家族”と“介護”の現実」で紹介した中村万里江さん(仮名・35歳)は、高次脳機能障害を負って有料老人ホームにいる父親(68)がホームでトラブルを起こして、ホームから「ボーっとさせるクスリ」を使うか、それができなければ退去してほしいと言われた。突然迫られた”究極の選択“に、クスリを使うことを認めたものの、ホームへの不信感が募っている。

 がん末期の母親と最期の時間を一緒に過ごさせてあげたいと、父親も母親と同じ有料老人ホームに転居させていた。母親を看取り、ようやく肩の荷を下ろしたときに起こった問題に、中村さんは三度(みたび)父親のホーム探しをしたほうがよいのか迷っている。

前回はこちら

父を助けてください

 中村さんの話を聞きながら、似たような話をある介護施設のスタッフ、緒方由紀恵さん(仮名・45)から聞いたのを思い出した。

 その施設に入居しているHさん(80代)は、入居した1年前にはまったく表情がなく、昼も目を覚ましていることがなかった。椅子に座ることも、食事を自分で摂ることもできない。ほとんど寝たきりという状態だったという。

「そのうえ、私たちが着替えや入浴の介助をしようとすると、激しく暴れて抵抗されるんです。暴言もありました」

 Hさんは、自宅からこの施設に直接入ったわけではなかった。この施設に入る前は、似たような施設に1年間入居していた。

「Hさんの娘さんが、私たちのところにいらっしゃって、『うちの父を助けてください』とおっしゃるんです。私たちの施設はケアマネさんからの紹介がほとんどで、家族の方が直接入居の相談をされることは珍しいので、どうされたのかなと思いました」

 娘さんの話を聞いて、緒方さんは驚いた。

「一人暮らしをしていたHさんは、物忘れがひどくなって、病院の紹介である認知症専用の施設に入られたそうです。それからあっという間に表情がなくなり、昼も夜も寝てばかりになったというんです。娘さんや家族の顔もわからなくなって、コミュニケーションもまったく取れなくなったと。それで娘さんは、そんな施設とは知らずに入れてしまった自分を責めて、Hさんを少しでも元の状態に戻せないか、それが無理ならせめて昼は起きることだけでもできないかと考えて、私たちの施設に問い合わせてくださったということでした」

 娘さんの話を聞いた緒方さんは、Hさんが入っている施設を訪ねた。すると驚くべき実態が明らかになったのだ。

「うすうす感じてはいましたが、Hさんがあっという間に寝たきりに近い状態になったのには、向精神薬の多用が原因でした。施設に入居したことで突然環境が変わり、不安になったHさんが介護拒否をし、ときにはスタッフに暴力をふるい、暴言を吐くようになったため、施設はクスリで静かにさせることにしたのです」

 緒方さんは、耐えられないというような悲痛な表情を見せた。

 おそらくこれが、中村さんが父親を入れている有料老人ホームのスタッフから「父親に投与したい」と言われた「ボーっとさせるクスリ」なのだろう。中村さんの父親のホームは、まだクスリを使用していいか家族に許可を求めただけマシだったのかもしれない。

 Hさんはそのクスリの量や種類を増やされ、一気に廃人になったのだろう。それほどHさんの変貌は激しく、そして急だった。Hさんの娘さんが「せめて昼は起きていてほしい」と、緒方さんにすがったのもよくわかる。

 しかし、施設長の言葉はそれだけでは終わらなかった。

「『私は、Hさんのことが嫌いです』と言われたんです」

 もちろん介護に携わる職員なら誰もが聖人であれ、というつもりはない。人間だから相性もあるだろう。だが、それを大っぴらに口にするとは。いくらスタッフがHさんの暴力や暴言で傷ついていても、「嫌い」と言ってしまうのは介護職失格ではないか。

 さらに、この施設長からはこんな“本音”も出たという。

「Hさんのような人は、一番重度の要介護5になって、特養に入るのが一番いいんですよ」と。

 緒方さんが同業だから本音が出たのかもしれないが、あまりに残酷だ。いやしくも介護を生業(なりわい)としている人が、ここまで言ったことにあぜんとする。

 そして同時に、こういう施設が実際にあるということに戦慄した。これも立派な虐待だ。クスリではなく、毒だ。

――続きは1月10日公開

父親が老人ホームの女性スタッフにセクハラ!? 「同意しないなら退去」担当者が提示した条件

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。コロナ禍で不安な1年だった。そんな今年を締めくくるお話なので、少し救われる話題を……と考えていたところに、以前お話を聞いた女性から連絡がきた。

 「『突然大声を上げて怒り出す』要介護4の父と生活保護の兄……30代女性が背負った“家族”と“介護”の現実」で紹介した中村万里江さん(仮名・35歳)だ。

父親が女性スタッフにセクハラ

 中村さんは、今何度目かの岐路に立っている。

 前回お話を聞いて以来、中村さんは奔走していた。闘病中だったがん末期の母親を、看取りのできる有料老人ホームに入れ、別の有料老人ホームに入っていた高次脳機能障害の父親(68)を母親と同じ有料老人ホームに転居させた。母親の残り時間を父親とともに過ごせたかったのだ。

 その母親もこの秋に亡くなり、父親は一人になった。父親が妻の死をどこまで理解しているかは、中村さんにもわからない。それでも、状態が大きく悪くなることもなく、中村さんは肩の荷を下ろしたのだった。

 ところが、母親の死から1カ月ほどたったある日、父親が入っているホームから中村さんに連絡が入った。

「父が食事を拒否しているというんです。そのうえ、女性スタッフを触ってセクハラまがいのことをしたり、夜に自室ではなくロビーのソファーや廊下で寝たりして、ほかの入居者からクレームが来ていると。それで、父にボーっとさせるクスリを飲ませてもいいかということでした。当然、そんなクスリだから、ふらついて転倒するリスクもあるそうなんです……」

 中村さんは即答できなかった。家族とすれば躊躇するのももっともだ。

 しかし、返答に窮する中村さんに追い打ちをかけるように、ホームの担当者から「クスリを飲ませることに同意していただけなければ、ホームを退去してもらうことになります」と告げられたのだ。

「しかも、退去して他施設を探しても、おそらく今の父を受け入れてくれるような施設はないだろうと言われました。そのうえ、もし精神病院に入れても、今より面会できる回数は減るし、クスリももっと強いものになるだろうと言うんです」

 突然、“究極の選択”を迫られて、思考がまとまらなくなってしまったと中村さんは力を落とす。

「その2択だと、クスリを使うことしか選べませんでした。それでよかったのか、ずっとモヤモヤしています」

 中村さんの困惑は大きい。

 ホームからの電話を切ったあと冷静になって考えてみると、ホームの言うことが本当なのかもわからないし、クスリを飲ませるために脅しをかけているようにも思えて、憤りも覚える。

「父を自宅で介護していたときのケアマネに相談すると、クスリという対処療法ではなく、環境を変えれば改善するかもしれないと言われました。それに今のホームは他の入居者とのコミュニケーションが足りないのではないかともいうんです。確かに父が前にいたホームでは、アクティビティに参加したりもしていたし、スタッフも今よりはよくかかわってくれていました。そうやって父をうまいこと持ち上げてくれていたせいか、毎日楽しそうにしていたんです。今のホームは以前のホームより月額料金が10万円ほど安いんですが、こうしたかかわりの少なさが料金の差なのかなと思ったりします」

 中村さんはそう言うが、今のホームの月額利用料は30万円もするのだ。スタッフのかかわりが少ないとあきらめるような料金ではない。

「よく親を施設に入れたとたん、一気に認知症が進んだという話を聞きますが、こういうことだったんだと腑に落ちました」

 今のホームも、決して妥協して選んだものではない。両親が一緒にいられる残り少ない時間を悔いなく過ごせるよう最善を尽くしたつもりだっただけに、中村さんの落胆は大きい。

 ホームへの不信感が募った中村さんは、三度(みたび)父親のホーム探しをしようかと考えてはじめている。

老いてから金に執着するようになった母ーーその悲しい理由とは? 「年金で足りない費用」めぐる家族関係

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 鷲津さんの話を続けよう。鷲津さんの母親はウツ傾向が強く、自傷行為を繰り返し、今はグループホームに入っている。認知機能はそう落ちていないが、お金への執着が顕著だという。その理由を聞いてみると……

(前回:母が自傷行為で「閉鎖病棟に入った」――半年後、退院してから息子が覚えた“大きな違和感”

母が金に執着する理由

 母親がそれほどお金に執着するのには、理由があるのか? という問いに、「実は……」と鷲津さんは心当たりを明かしてくれた。

「お金に困ったことがあるというわけではないのですが、昔、借金の保証人になって、当時住んでいた家を手放すことになった経験があるんです」

 母親がお金に執着する理由が、これで腑に落ちた。母親にとっては、終生忘れることのできない痛恨のできごとだったのだろう。しかも、借金を踏み倒したのは、実の娘――。つまり鷲津さんの姉だったというのだ。

 当時、姉の夫は事業を営んでいた。商才がなかったのだろう、と鷲津さんは考えている。資金繰りを任された姉が借金をするようになったのだ。

「姉とは10歳離れているんです。姉には、幼い頃からコツコツ貯めた貯金を貸してと言われて戻ってこないという悲しい思いをさせられたし、住み続けたかった実家にも住めなくなった。でも幸い当時はまだバブルの余韻があって、家を手放して、姉の借金を返済してもまだマンションを買えるくらいのお金が残ったんです」

 でも、姉との関係は戻らなかった。

連絡が取れなくなった姉

「このトラブルのあと、姉とはずっとつかず離れずの関係でしたが、母がグループホームに入るときに、母の年金で足りない分の費用をどうするかという話になったとたん、姉と連絡がつかなくなりました。母のところに顔も出していないようです」

 歳の離れた姉は、鷲津さんが子どもの頃かわいがってくれたという思いがあるので、心底姉を恨んだり、憎んだりしているわけではないという。

「あきれている、というのが正しい表現ですかね。お金に苦労する人は一生苦労するし、一生お金に不自由しない人もいる。これはそういう星の下に生まれたとしか言いようがない」

 母親の病気によって、家族関係も変わった。

 変わったというなら、鷲津さん自身もそうだ。家を建てるときに仕事の形態を変えた鷲津さんだったが、その後新しく事業を起こし、今はそれがメインになっている。

「金に執着する母を見ていると、つくづく金のない老後はみじめだと思う」――そんな思いが、鷲津さんを新しい事業に向かわせた。

「不動産の運用会社を起こしたんです。まあ、つまり大家業です。地元にアパート5棟のほか、首都圏にも所有しています。といっても簡単ではないし、大金が入ってきても右から左に流れていくという感覚ですよ。手元に残るのはそう多くない。母にも、学生の娘にもまだお金はかかります。正直、自分の老後の不安はぬぐえません」

 これがいつまで続くんだろう、と鷲津さんはため息をついた。

「母には長生きしてほしい。でも長生きすればそれだけコストもかかるんですよね。生きている限り……」

 コストですか、と返すと、鷲津さんの顔が少しゆがんだように見えた。何億も金を持っていると思い込んでいるのに、母親のつらさも消えそうにない。

母が自傷行為で「閉鎖病棟に入った」――半年後、退院してから息子が覚えた“大きな違和感”

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 鷲津さんの話を続けよう。鷲津さんは自宅を購入し、一人暮らしをしていた母親と同居した。それまで多少認知症ではないかと疑わせる兆候はあったが、同居後母親の症状は一気に悪化した。自傷行為をするようになったのだ。

(前回はこちら:「自傷行為をするようになった母」父が亡くなって12年、積み重なる違和感は「年を取ったから」だと考えていた息子

グループホームでも自傷行為を

 施設に入れた方がいいのではないかとケアマネジャーに助言され、鷲津さんが選んだのはグループホームだった。

「グループホームにしたのは、それが費用的に一番妥当だと思ったからです。病院が経営しているグループホームで、月に12万円くらいでした」

 グループホームに入ることに対して、母親は特に嫌がることもなかった。飲食店を経営していたくらいで社交的だったので、グループホームにもすんなりなじめたようだった。

 しかし、2年ほどでグループホームを出ることになる。入院することになったためだった。

「ウツがひどくなり、また自傷行為をするようになったんです。それで、精神病院に入院することになりました。長期になりそうだったので、グループホームは退去しないといけなくなりました。病院は閉鎖病棟で、一般の病院とは雰囲気がまったく違います。母がかわいそうでしたが、再び自傷行為をしないためには仕方ないと思いました」

 母親の入院は半年近くに及んだ。退院間近になって、再度グループホームを探した。

「空きがあるグループホームが優先で探しましたが、結果として前のグループホームよりも良いところが見つかりました。施設探しも2回目なので、目が肥えたというのもあると思います。何よりスタッフが人間的に好印象だったのが決め手になりました」

 新しいグループホームも月に13万円台というので、首都圏の相場のおよそ半分だ。個室の特別養護老人ホームよりも安いので、首都圏の人から見るとうらやましい限りだろう。

 母親がこのグループホームに入って2年になる。コロナ禍で面会はできないが、先日母親の誕生日に特例で面会がかなった。認知機能はそう悪化していないようだった。鷲津さん家族の顔も認識できているし、コミュニケーションも取れる。

 そんななか、一番大きな違和感は金銭感覚なのだという。

「今は私が母のお金を管理しています。グループホームに入るまでは母親が管理していましたが、友人にお金を貸していたりしてトラブルのもとになっていたんです。最初は母も『自由になるお金がほしい』と抵抗していましたが、グループホームには大金を持ってこないように言われているので、日用品を買うくらいのお金しか持たせていません」

 そのせいか、母親はとにかくお金のことが心配でたまらないようだという。

「そもそも母には国民年金しかないので月4万ほどしか入ってきません。それなのに、『年金がもうずいぶん貯まっているはずだ』とか言うんです。13万のグループホームの費用にもまったく足りなくて、私が出しているというのに……」

 母親がそれほどお金に執着するのには、理由があるのではないか? そう聞いてみると、「実は……」と鷲津さんは話し出した。

――続きは12月6日公開

 

「自傷行為をするようになった母」父が亡くなって12年、積み重なる違和感は「年を取ったから」だと考えていた息子

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 平成29年版高齢者白書によると、2012年の認知症患者数は462万人。2025年には5人に1人が認知症になるという推計もある。こうした状況もあって、認知症はかなり身近な病気だと感じている人は多いと思う。周りに認知症になった人がいるという人も少なくないはずだ。その一方で、老人性ウツはあまり話題になることがない。認知症と老人性ウツの初期症状が似ていることから、見分けがつきにくいという。「認知症よりも老人性ウツの方がやっかい」と話す医師もいるほどだ。

 今回、話を聞いた鷲津昇平さん(仮名・51)も、「母は認知症で、グループホームに入っています」というが、老人性ウツか、ウツ傾向の強い認知症なのではないかと思われる。鷲津さん自身、母親が認知症だと診断された記憶はないという。

母の金銭感覚がおかしくなった

 鷲津さんが母親の異変を感じたのは、父親が亡くなった12年前にさかのぼる。

「父が亡くなって母が一人暮らしになったころ、母のお金に対する感覚に違和感を抱くようになりました。『預金がこれくらいあるはずだ』とか何度も繰り返すし、それが現実とは明らかにかけ離れた額、億単位なんです。それでも、それが日々の生活に直接影響するわけでもわけでもなかったで、特に大ごととも思えませんでした。年を取ったからだろう、くらいに考えていたんです」

 鷲津さんの母親の場合、何か決定的に「おかしい」と思えるできごとはなかった。ただ、母親の近くの賃貸マンションに住んでいた鷲津さんにとっても、別世帯で暮らしていくのは経済的にもったいないという気持ちが大きくなっていった。父親が亡くなって2年ほどして、鷲津さんは母親が住んでいたマンションを処分し、戸建て住宅を購入して母親と同居することにした。

「それまでフリーで仕事をしていたんですが、体力的にも一人で仕事を続けるのが大変になっていました。会社組織にして従業員を雇い、自分はマネジメントに専念したいと考えていたので、家の購入は自宅を事務所にするいいきっかけとなりました」

 マンションだったとはいえ、母親の家を片付けるのは想像以上に大変だった。

「トラックで何十回ゴミ処理場に運んだかわかりません。思い出があって、捨てるに忍びないものもたくさんありましたが、捨てないとどうしようもない。割り切って処分しました。それでもすべて片づけるのに半年はかかりました」

 母親と同居することに関して、妻は「仕方ないよね」と納得してくれたが、大変だったのは食事だった。当時、中高生の娘がいて、母親とは好みが合わなかったということもあるが、母親自身にも認知症の影響は現れていた。

「母は昔、飲食店を経営していたこともあるくらい料理上手だったんですが、母が作ってくれる料理の味付けが明らかにおかしくなったんです。塩とか砂糖とか、調味料の量が多すぎる。料理のカンみたいなものがなくなったようでした」

 母親の症状は少しずつ悪化していった。長年住んでいた家から引っ越したとはいえ、近距離だったのでそう大きく環境が変わったわけではなかったが、土地勘がないせいか、外出して帰れなくなることが増えたり、感情を制御できなくなって怒りっぽくなったりした。

 鷲津さんも妻も働いていて、娘たちも学校に行くと、昼間は母親一人になる。

「デイサービスには週に2日行っていましたが、だんだん一人で家にいさせるのが危なくなってきました。火の始末も不安だったし、何より、母がノイローゼのようになって自傷行為をするようになったんです」

 ケアマネジャーに相談すると、施設に入れた方がいいのではないかと助言された。

――続きは11月29日公開

 

 

「末期がんの父、離婚した息子」娘が見つめた家族の結末――母にとっては「願ってもないこと」と語るワケ

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。今回は母親と息子の関係について考えている。糸野圭子さん(仮名・53)の話を続けよう。

 糸野さんは母親(81)のもとを訪ねることがめっきり減った。というのも、実家には圭子さんと仲の悪い弟(50)が母親と同居しているのだ。学生時代から問題を起こしては親にしりぬぐいをしてもらっていた弟は、離島に移住し家庭を持っていた。が、7年前、父親にがんが見つかった。

前編はこちら

父親の介護のため、実家に戻った弟

 末期がんと診断された父親は、しばらくは入退院を繰り返しながら生活していたが、「最期は家で過ごしたい」という父親の望みをかなえたいと、母親が在宅で介護をすることにした。

 ところが、老いた母親一人では体の大きな父親を介護するのは負担が大きかった。糸野さんもできるだけ実家に通い、介護を手伝うようにはしていたが、子どもたちの受験が重なったりして、なかなか思うようには動けなかった。

 実家を離れて20年以上。40代になっていた弟は、これまで心配のかけどおしだった父親の最期を、母親とともに近くで支えようと考えたようだ。家族を残して、弟は単身、実家に戻ってきた。

「弟は家庭を持っても、相変わらず仕事も非正規だったので、こちらに帰ることにそう大きな問題はなかったようです。弟の奥さんは、子どももいるし、向こうの親も見ないといけないというので、弟が一人で実家に戻ったんです。父の状態も悪かったので、介護はそう長期にはならないと思っていたんでしょう」

 両親が喜んだのは言うまでもない。母親は弟の助けで力を得たし、父親も宣告された余命より1年以上も長く生きた。

 父親の介護を通して、母親と弟の結びつきは否応なしに強くなった。特に母親は、これまで離れて暮らしていた20年を取り戻そうとするように、弟に愛情を注いだだけでなく、依存するようになっていた。

 在宅介護をして2年あまりで、父親が亡くなった。

 四十九日が過ぎ、納骨をした。そして初盆を迎え、1周忌を終えても、弟は家族のもとに戻らなかった。

「要は、母が弟を放さなかったんです。20年ぶりに戻ってきた息子と離れたくなかったに違いありません。母は介護が必要な状態ではありませんが、買い物や通院など一人では不便なので、一人暮らしをするのは無理だと弟に訴えたんでしょう。弟も優柔不断だから、母のそんな様子を見ていると、家族のもとに戻るに戻れず、ズルズルとこちらでの生活を続けるしかなかったんだと思います」

 そうこうしているうち、業を煮やした弟の妻から離婚届が送られてきた。

「母にとっては願ってもないことだったんではないでしょうか。こうなるまでに、弟と奥さんの間でどんなやりとりがあったかはわかりません。でもこのときには弟も覚悟ができていたようで、すんなり離婚が成立しました」

 こうなると母親は強かった。父親が遺した金で、弟に手に職をつけさせたのだ。ずっと非正規でしか働いたことのなかった弟は、この資格のおかげで、50歳間近にして地元の建設会社に就職がかなう。

 お見事。というか、母親の本領発揮というか。いつまでたっても、母は母。情けないほど、息子も子どもだ。

 それでも母親は息子との二人暮らしに満足し、糸野さんの足が遠のいていても気にするふうはない。終わりよければすべて良し……と言ってよいのだろうか。

「今は弟が仕事でいない間に、ときどき実家の様子を見に行く程度です。息子のためにと思うのか、母もちゃんと家事をしているようで、皮肉なことですが安心ですね。とはいえ、母も80代。この生活がいつまで続けられるか……」

 弟の子どもの養育費や、子どもとの関係など、詳しいことは弟とは不仲なのでよくわからない、と糸野さんはいう。しかし、もし今後母親に介護が必要になったら、さらに母親が亡くなって弟が一人になり、そして老いていくとしたら、この母子関係も姉弟関係も、はなはだあやうい。

 母親の介護はまだ何とかなるだろう。糸野さんもいるし、弟もいる。でも、母親がいなくなったら? 家族を失い、一人になった弟は、その後どう生きていくのか。母親が自分の家族を奪ったと、恨むことにならないだろうか。もしも、介護が必要になった母親に、その恨みを向けることになれば……? 筆者の杞憂であればいいのだが。

老いた母親と息子の屈折した愛情ーー「孝行息子」と評判だった男たちの暴走

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。「『母親と一緒にいつのが子どもの幸せ』ある娘を介護する親、『子どもと離れられない』と語る言葉の先」で、息子を手放すことができなかった母親について触れた。

 井波千明さん(仮名・55)の友人の義母は、障害のある息子を施設に入れるも、1年もたたないうちに退所させて自宅に戻した。自分たちが老いて、いなくなったあとも一人で生きていけるように、と施設に入れたが、山奥にある施設での集団生活を中途で不憫に思ったのだ。そんな母親の思いとは裏腹に、息子は親しくなった入所者やスタッフと泣いて別れを惜しんでいた。施設スタッフから友人は、「お母さんが息子さんから離れられないと、難しいですね」と言われたという。

 「『突然大声を上げて怒り出す 』要介護4の父と生活保護の兄……30代女性が背負った“家族”と“介護”の現実」では、中村万里江さん(仮名・35)の母親が、一時期引きこもっていたものの、今は関西で生活保護を受けて暮らしている兄を心配し、家に戻したいと言い出した。母親の過剰な支援により、兄をまたダメにしてしまうことを恐れた中村さんは、「兄を家に戻すなら、もう二度とかかわらない」と反対したが、中村さんの判断は賢明だったと言えるだろう。

母と息子の屈折した愛情

 高齢者施設を運営する人たちからは、子ども、特に息子と老いた母親の関係について、さまざまな声が聞かれる。

「施設にいる母親が毎日『息子が会いに来てくれない』と嘆いているのに、息子が来ると『私は大丈夫、心配しないでいいからね』と明るくふるまう。そして翌日にはまた『息子が会いに来てくれない』と繰り返す」と高齢者施設の職員。

 逆に、息子の母親への思いに戸惑うことも少なくないという。ある医師は、「お母さんのことが大好きな息子さんから『胃ろうでも、点滴でもいいから、とにかくお母さんを長生きさせてほしい』と哀願される」と嘆息する。

 一方でこんな例もある。「マスコミにもよく登場するある男性は、毎月のように海外に出張されて、超多忙ななかでも、出張帰りには必ずお母さまの顔を見にいらっしゃいます。こちらが頭が下がるほど、親孝行な息子さんは多い」とホームの生活相談員はいう。このホームはかなり高額な利用料で有名だ。

 かと思うと、こんな痛ましいニュースもあった。新型コロナウイルス感染拡大により、特別養護老人ホームに入所している母親と面会ができなくなったため、「親孝行がしたい」と90代の母親を引き取った息子が、ホーム退去の翌日母親を殺して自殺した。母親がホームに入所中、息子は毎日のように見舞いに行き、朝から晩まで付き添っていて、「孝行息子」と評判だったという。

 こうした「評判の孝行息子」が、何かのきっかけで、この事件のように親を殺してしまったり、虐待したりと、濃い愛情がまったく逆方向に暴走してしまうということも少なくないというのだ。

 ある介護サービス提供事業所の幹部は、「母と息子、二人で暮らしている場合は特に、お母さんに虐待によるアザや傷がないか注意して観察するようにしている」と明かす。

 母との関係に息苦しさを抱えていた娘たちが声をあげはじめて久しい。「母娘はわかりあえる」というのはもはや幻想だと、世の中の人たちも気づき出したが、老いた母親と息子の屈折した感情はまだ表面化していないようだ。

 今回は、そんな息子と母親の関係を、姉として危惧する糸野圭子さん(仮名・53)に話を聞いた。

 糸野さんは、母親(81)がいる実家に顔を出すことが少なくなった。新型コロナウイルスのせいではない。車で15分ほどの距離なので、行こうと思えばいつでも行けるし、そのつもりで今住んでいるマンションも実家の近くに買ったのだ。

 父親が健在だったころまでは、実家には頻繁に通っていた。それが一変したのは、父親が病気になり、弟(50)が実家に戻ってきてからだ。

「弟は離島が好きで、若いころから離島の民宿でアルバイトをしながらダイビングやサーフィンをするような生活を送っていました。大学も中退していますし、親が紹介した仕事についても長続きせず、両親にも心配をかけてばかり。だから、実家からは遠いし、不安定な仕事だけれど、好きなことを続けながら生活できるのならひとまずそれでもいいだろうと、親も半ばあきらめていたんです」

 そして弟はその地で結婚。30代半ばになっていた。仕事はまだアルバイトで、収入も少なかったものの、相手の女性は地元の人で、妻の両親に援助してもらいながら妻の実家で暮らしていたので、生活はまずまず安定していたようだった。2人の子どもにも恵まれた。

「といっても、私は弟の結婚式に出席したくらいで、ほとんど連絡することもありませんでした。学生時代からよく問題を起こしていた弟とは、仲も悪く、会っても話すことがありません」

 ところが7年ほど前、糸野さんの父親に末期がんが見つかった。

――後編は、11月8日公開

 

「お父さん、亡くなったんですか?」知らないご近所の方の一言に「本当に救われた」と娘が思うワケ

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 三井麻美さん(仮名・31)は高校生のときに、まだ52歳だった父、義徳さん(仮名)が若年性アルツハイマー病と診断された。徘徊がひどく、毎回警察のお世話になったが、受け入れてくれる施設は見つからず、在宅介護は7年に及んだ。ようやく義徳さんが隣県の特別養護老人ホームに入居できたのは、麻美さんの結婚式の1カ月前だった。

(前回:認知症の父は「まったく怒らず、子どものよう」だと語る娘……「ムカつくけど一緒に過ごす」と決めた思い

コロナ禍で会えたのは15分だけだった

 施設に入った義徳さんのことが心配で、麻美さん家族は高速を利用しても1時間半かかる道のりを毎週面会に通った。

 入所してしばらくはまだ笑顔も見られ、家族の顔もわかっていたというが、2〜3カ月たち施設に慣れたころから、徐々に表情も会話もなくなり、施設内を無表情で徘徊するようになった。排泄も自分でできていたのが、おむつに変わった。

「この頃には、家族のこともわからなくなっていたと思います。環境が変わると進行が早くなるとは聞いていましたが、聞きしに勝るものでした。入所して1年たつころには車いすになっていた気がします。そして、あっという間に歩けなくなり、寝たきりになりました。私たち家族が行くと、知らない人が来たと思うのか、『アアアア~!』と泣き叫び、いつも面倒をみてくださる施設の方が来てくれると少し落ち着いていました」

 進行していくのが目に見えてわかったので、会いにいくのもつらかった。それでも施設に行って、義徳さんの手を握ったり、家族の写真を見せたりして、一緒の時間を過ごすようにした。

 そして、この5月。義徳さんは誤嚥性肺炎で亡くなった。コロナ禍で、義徳さんに会えたのは亡くなる3日前。許されたのは15分だけだった。

「それでも、最期に生きている父に会えて、本当によかったです」

 葬儀が終わり、母の典子さん(仮名・63)が家の前を歩いていたら、知らないご近所の人に声をかけられた。

 「ここのお父さん、亡くなったんですか? いつもうちに来て、いろいろお話していたんですけど、ずっとニコニコして、良い方でしたよ」と言われたという。

「その言葉で肩の荷が下りた、と。父が徘徊して、ご近所や警察から叱られたり、『ちゃんと面倒をみろ!』と怒鳴られたりして、家でヒステリックになっていた時期もありました。私も、近所に味方はいないと思っていました。でも父を『良い方』と言ってくれる人もいたんだと、その一言で本当に救われました。母もつらかったと思うし、それを見てきた私もつらかったので」

「父が今元気だったら、一緒にバイクに乗りたかった」
「重機オペレーターだった父と一緒に、庭もつくりたかった」
「いつも人の喜ぶ顔が見たくて、人のために一所懸命だったな」
「ものづくりが好きだったな」
「動物が好きだったな」

 一緒にやりたかったことが次から次へと出てくる。

「父の死から葬儀まで5日間くらいあって、父は新しくなった実家にゆっくり帰ってこれたし、久々に家族だんらんができてよかったと思います」

 親はいつも近くにいて当たり前の存在かもしれないけれど、そうじゃない。失ってからでは遅い。いつでも言えると思わずに、今感謝の気持ちを伝えてほしいと、麻美さんは父の話を締めくくった。