ケアマネは見た! 50代の娘が引きこもりに……富裕層の暮らしから一転、エリート家族の闇【前編】

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

家族をまるごとケアする

 野中瑛子さん(仮名・52)はスゴ腕ケアマネジャーだ。自称でない証拠に、他のケアマネジャーでは手に負えなくなった“困難ケース”と言われる難しい利用者の担当が回ってくることが多い。

 手に負えないのは、高齢者本人だけではない。

「ご本人だけならまだ何とでもなります。利用者さんを取り巻く親族に問題があって、進んでいた話を妨害してめちゃくちゃにされることも少なくありません。こうなるとケアマネがケアしなければならないのは家族全体ということになってきます。はっきり言って、安いお給料ではとても見合わないと思うことも多いです。もっと良い条件の事業所に移ろうと思っても、今担当している利用者さんを見捨てるようで、それもなかなか難しい。担当している方が皆施設に入られたり、お亡くなりになったりすれば――というのも申し訳ないですが、それが現実なんです――キリがいいんでしょうが、またすぐに次の担当の方が決まってしまうし」

 野中さんの話は止まらない。愚痴を言っているようでも、責任感の強さは伝わってくる。これが周りから頼られている理由なのだろうと思う。

50代の娘が引きこもりに

 多くの高齢者とその家族を見てきた野中さんだが、最近特に大変だった家族があるという。

 松原種子さん(仮名・83)と清さん(仮名・85)夫婦だ。いわゆるエリート一家で、清さんは一流企業の取締役まで務めた。種子さんも大卒で、都心の邸宅に住み、夫婦で音楽会や絵画の展覧会を楽しんでいた。海外生活も長く、娘2人はともに留学し、姉は欧州で、妹の小百合さん(仮名・52)は北米で仕事をしている。

 絵に描いたようなエリート富裕層の暮らしが一転したのは数年前、小百合さんの仕事がうまくいかなくなり、抑うつ状態がひどくなって帰国したのがきっかけだった。

「帰国後、小百合さんは統合失調症と診断されて、実家に引きこもるようになったようです。その前からご主人の清さんにも認知症の症状がみられるようになっていました。清さんも小百合さんも家族以外の人間を拒否されて、種子さんの負担が大きくなったんです」

 小百合さんの症状は急激に悪化した。北米でも入院した経験があったが、病室を抜け出してしまい、治療が中断されたことで一気に症状が重くなったようだ。帰国後、精神科を受診したものの、処方された薬を大量に飲んだり、種子さんに暴力をふるったりするようになった。

 壮絶な「8050」(※)だった。

「種子さんは小百合さんを不憫に思ったのか、小百合さんから拒絶されるのを恐れたのか、小百合さんの要求を拒むことなく、すべて受け入れていました。小百合さんから言われるままにお金も渡し続け、とうとう多額の借金を抱えてしまったんです」

 小百合さんはどうも投資に多額の資金をつぎ込んでいたらしい。お金を要求しては暴れる小百合さんを見かねて、当時のケアマネジャーが小百合さんを入院させようと奔走したが、種子さんが拒否した。

「小百合さんをだますようなことをしたくないとおっしゃったそうです。小百合さんの暴力や暴言は種子さんにしか向かわないのですが、それも小百合さんが心を許せるのは自分しかいないからだ、と思っている。蓄えてきたお金もなくなるし、種子さんの心身ももうボロボロなのに」

 ついに、種子さん夫婦は自宅を売り、小さなマンションに移らなければならなくなった。

※80代の親が50代の引きこもりの子どもの生活を支える状況

――続きは2月20日公開

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「義弟から聞いてゾッとした」認知症の母の介護を妹夫婦に任せた兄、背筋が凍ったと話す事情

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 石田和弘さん(仮名・56)の母・澄子さん(仮名・82)は認知症が進み、いったんは東北地方の実家近くに住む妹・真理さん(仮名・54)のもとで暮らしていたが、間もなく真理さんの夫と折り合いが悪くなり、ホームに入ることになった。コロナ禍で実家に帰ることもままならない石田さんは妹夫婦に大きな負担をかけたことを申し訳なく思い、澄子さんがホームでプロの介護を受けて暮らせることに安心していた。

▼前編はこちら▼

家を出た妹

 ところが、澄子さんがホームに入って数カ月すると、真理さんの夫から石田さんに電話が入った。

「真理が出ていった」と――。

「母のことで参った妹のダンナが出ていったというのなら、まだわかります。でも出て行ったのは妹の方だというので、キツネにつままれたようでした。母のことで妹夫婦はお互いにイヤな思いをしたとは思いますが、それまで妹夫婦の仲が悪かったなんてまったく気づかなかったし、もちろん妹からも愚痴めいたことを聞いたこともありませんでした」

 義弟の長い嘆きの電話を聞いて、石田さんは真理さんが水面下で周到に家を出る準備をしていたことを知り、愕然とした。それでも、少なくとも澄子さんを真理さんの自宅に引き取ったときまでは、家を出ることは考えていなかったはずだ。何が真理さんのスイッチを押したのか――。

 義弟にも、真理さんが家を出た理由はまったくわからないという。ただ石田さんは、澄子さんを看ていた真理さんが、自分のこれからを真剣に考えるようになったのかもしれないと思う。

 自らの今後を考えていたのは義弟もそうだ。石田さんよりも年上の義弟は、定年延長せずに勤め先を辞め、先祖代々の農地で本格的に農業をはじめていた。その老後像に真理さんはついていけなかったのではないか。

 真理さんは一人娘が巣立ったあと、パートをはじめていた。澄子さんの介護があったので、パートをするくらいが精いっぱいだったのだろう。

「妹のダンナが言うには、家を出る半月ほど前にパートを辞めていたらしいんです。苦笑してしまうのが、その送別会のために義弟が送迎までしていたというんです。何も知らなかった義弟が哀れで……」

 澄子さんが入ったホームも、家を出たあとのことを考えて選んでいたことに思い当たって、石田さんは背筋が凍る思いがした。

「ボクは、単に周辺環境や価格で選んだと思っていたんですが、それよりもっと優先した条件があったんです」

 それが交通の便だった。

「妹は家を出て、一人娘が住んでいる大きな街に行き、そこで二人で暮らせるマンションを借りたらしい。その街から母の住むホームには特急1本で行ける、ということを義弟から聞いてゾッとしました」

 つまりこういうことだ。石田さんの実家や真理さんの自宅のある町は、在来線の駅からさらにバスを乗り継がないといけない。その町や周辺にホームは多くはないが、まったくないわけではない。しかし、真理さんが選んだホームは特急列車が停まる大きな駅のすぐ近くにあった。真理さんは、娘の住む街から澄子さんのホームに通うことまで考えて選んでいたのだ。

「そういうことか、と義弟は腑に落ちたそうです。いやぁ、女ってコワいですねぇ」

 石田さんは「女はコワい」と繰り返す。コロナ感染予防のため、ホームは今も県外からの面会者は受け付けていない。真理さんは住民票を移すことなく、娘と住む街から月に数回、特急列車に乗って澄子さんに会いに行っているらしい。

「だからコロナワクチンも自宅のある町で受けたそうです。その間は空き家になった実家で過ごしていたというので、また変な汗をかきました。妹の読みの深さ、冷静さがとにかくコワい……」

 石田さんは、問わず語りに続けた。

「妹は、学生時代に付き合っていた男性と結婚の約束をしていたんです。県外の人でした。でも、ボクが東京で就職して地元に帰ってくることはないだろうからと、親が妹に地元にいてほしいと頼んだんです。そして地元の公務員と見合いをして、実家近くで家庭を持った」

 真理さんは、それから父親を見送って、一時は澄子さんを引き取って介護もしてくれた。

「だから、今妹が田舎を離れてどんな毎日を送っているのか、これから先のことをどう考えているのかはわからないけれど、妹の好きにさせてやりたいと思うんです。ときどき、妹のダンナがボクに『なんとかならないですかね』と電話で泣きついてきます。義弟には申し訳ないけれど、今は義弟の話を聞いてあげるくらいしかできません。そうして陰ながら妹を応援してやりたいと思っています」

 真理さんは「離婚はしない」と言っているらしい。それは義弟への情なのか、老後の計算なのかはわからない。澄子さんのもとに通う生活がどれくらい続くのか、夫婦の関係が今後どう変わっていくのか、冷静な真理さんにも読めないのだろう。

「女ってコワいね」妹に認知症の親を任せた兄、「たった半年でホームなんて」と話すわけ

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

女ってコワい

 「いやぁ、女ってコワいね」。石田和弘さん(仮名・56)は、感に堪えないようにもらした。

 石田さんのいう「女」、それは妹・真理さん(仮名・54)のことだ。

「妹のダンナから電話が来たんですよ。妹が出て行ったと。寝耳に水でビックリしましたが、義弟にとってもそうだったらしいんです」

 石田さんは東北出身だ。大学入学時に上京して以来、ずっと首都圏で暮らしてきた。幸い、真理さんが地元で家庭を持ち、父親が亡くなったあと一人暮らしになった母・澄子さん(仮名・82)のもとに頻繁に通ってくれていた。石田さんは仕事が忙しいこともあって、めったに実家に帰ることはなかったが、真理さんのおかげで澄子さんとの関係は良好に保たれていたのだった。

 その関係が一気に変わったのは、コロナがきっかけ――いや、コロナの時期だったのはたまたまだったのかもしれない。良好に保たれていたと思っていた均衡は実は危ういもので、コロナの時期についにそれが崩れた、ということなのだろう。

自宅に引き取った母と義弟が険悪に

 澄子さんは認知症を発症していた。コロナ禍で人と会うことが激減し、症状が急激に進んだようだった。真理さんが何度も様子を見に行き、さらにデイサービスを増やして対応していたが、夜に澄子さんを一人にしておくのが心配になった。コロナもあってこれ以上介護サービスを増やすこともできなかったので、真理さんは自宅に澄子さんを引き取ることにした。

 石田さんは真理さんから「そういうことだから」と知らされただけだった。「はなからボクはあてにされていなかったんでしょうね」と苦笑する。ただこれには、コロナ禍で県外にいる親族が澄子さんと会うと、受けている介護サービスを2週間停止されるという事情もあったのだろう。

 もちろん、石田さんに否があるはずがない。毎月少しばかりのお金を送ることで、真理さん夫婦に感謝の気持ちを示すのが、せめてもの誠意だと思っていた。

 ところが、石田さんが安心したのもつかの間。半年ほどして、真理さんから連絡が来た。良いホームが見つかったので、澄子さんをそこに入れることにしたという。またしても事後報告だった。

「それにしても妹の家に行って、たった半年でホームなんて……。何があったのか聞いてみたんです。すると、どうも母をホームに入れようと言い出したのは妹ではなくて、妹のダンナのようでした」

 認知症が進んだ澄子さんの言動で、真理さんの夫が精神的に参ってしまったというのだ。

「何度も同じことを言ったり、何かなくなったといっては義弟を疑ったりもしたようです。妹でさえイライラすると言ってるくらいなので、義弟が参ってしまうのも無理はないでしょう。同居してくれるまでは義弟も母と仲が良かったんですが、すっかり折り合いが悪くなってしまったようです。認知症の親と同居するってやはり大変だったんですね。妹に任せっきりにしていましたが、妹にも義弟にも申し訳ないことをしたと思いました」

 澄子さんが入ったホームは比較的安価らしい。面会は短時間ならできるようになっているが、やはり県外からの面会は許可されていないので、石田さんは真理さん経由で澄子さんの様子を聞くくらいしかできない。それでもプロに澄子さんの介護を任せることで、真理さん夫婦に負担をかけなくて済むと喜んでいた。

――つづきは1月23日公開

嫁はフィリピン人。「ダイジョーブよ、母ちゃん」認知症の義母の失敗も笑い飛ばす、まるでコメディアン

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

ダイジョーブよ、母ちゃん!

 介護施設やデイサービスで、外国人の介護職員を見ることも珍しくなくなった。こんな人がいてくれたら気持ちが安らぐだろうと思うこともよくある。

 訪問ヘルパーをしている押野和恵さん(仮名・53)が担当している丸田孝子さん(仮名・85)の息子の嫁、マリアさん(仮名・40)はフィリピン人だ。押野さんはマリアさんに理想の介護者像を見るという。

「マリアさんは丸田さんの息子さんとパブで知り合って、数年前に結婚されたらしいのですが、丸田さんはそのことを恥じているらしく、私にもよく愚痴をこぼされています。確かに丸田さんの気持ちもわからないではないですが、マリアさんを見ていると、逆によくぞ丸田さんの息子さんと結婚してくれたと思わずにはいられません」

 マリアさんは日本語があまり達者ではない。それも丸田さんをいら立たせる原因の一つのようだ。押野さんが訪問している間も、マリアさんに嫌味を言ったり、邪険にしたりする場面に出くわすことが多い。

「マリアさんも結婚以来、丸田さんにはさんざんイヤな思いをさせられてきたんだろうと思います。息子さんと結婚したのもお金目当てだと丸田さんは言っていますが、私に言わせればずっと独身だったアラフィフの息子さんが結婚できたんだから、マリアさんに感謝してほしいくらいです」

 その息子は仕事の関係で、今は単身赴任中だ。夫婦には子どもがいないので、マリアさんと丸田さんと二人きりでいる時間が長い。

「息子さんがいないので、マリアさんは一人で丸田さんの嫌みやいじわるを受け止めています。それでも、私が見ていると丸田さんはマリアさんの明るい性格に救われているのではないかと思います」

 マリアさんは丸田さんがどんなことを言おうと、どんな仕打ちをしようと、いつも屈託なく笑っている。日本語がうまく理解できていないことも幸いしているのかもしれない。

「丸田さんは認知症もあって、急に不機嫌になって暴言を吐いたり、時には排泄の失敗をしたりすることもあるのですが、マリアさんは『ダイジョーブよ、母ちゃん!』と笑い飛ばすんです。まるでコメディアンのようだなと感心します。マリアさんのこの対応はヘルパーや介護をしている家族にも学んでほしいといつも思います」

 丸田さんはプライドが高いのだろうと押野さんは想像している。フィリピン人の嫁を受け入れられないのもそうだが、認知症が進むにつれてデイサービスやケアマネジャーとの面談も拒否するようになった。近くに住む娘の瑞枝さん(仮名・50)との関係にも影響が出てきている。

「丸田さんのご主人の法事をするときに丸田さんにも出席してもらうよう準備をしていらっしゃったのに、当日になって着物を着るのに抵抗されて、とうとう法事には出席できなかったと娘さんが嘆いていました。着付けのときに、体を触られることがどうしてもイヤだったようです」

 それからしばらくして、丸田さんは急に体調が悪くなって救急車で運ばれた。救急車が来るまでの間、慌てて実家に駆けつけた瑞枝さんが丸田さんを抱いて支えようとしても手を払いのけ、頑として触らせなかったという。ところが意外なことに、マリアさんが差し出した手は受け入れたのだ。そして救急隊の言葉にも素直に従い、病院に搬送された。

「娘さんは大きなショックを受けていらっしゃいました。マリアさんは受け入れられて、実の娘である自分は拒否されたのですから、無理はありません。ただ、丸田さんが娘さんを拒否されたのは、丸田さんのプライドだったんではないかと私は思うんです」

 元気だったころの自分を知らないフィリピン人の嫁には老いて弱った自分を見せられても、自分が育ててきた娘の前ではそれができない――それが丸田さんのプライドだったのではないかと押野さんは言う。

「第三者である私の目にはそう映りましたが、娘さんには納得できないでしょうね」

 丸田さんはその後施設に移った。コロナ禍で面会もなかなかかなわない中、マリアさんは洗濯物を届けに足しげく施設に通っている。そんな姿を見た施設の職員から介護士を目指さないかと誘われ、目下日本語を猛勉強しているという。

弟を溺愛する母から「もう二度と会いたくない」と怒鳴られても……毎週、実家に通う理由

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 運転に過剰な自信を持ち、運転をやめようとしない母親に悩む宮下いづみさん(60)と母涼子さん(仮名・85)の話を続けよう。

母のような人間にはなりたくない

 見えてくるのが、涼子さんの異常なまでの自信とプライドの高さだ。宮下さんは「母は自分は世界一運転がうまいと思っている」と言う。『高齢ドライバーの安全心理学』(松浦常夫著・東京大学出版会)によると、高齢者は自分の運転を客観視できず、過大評価する傾向があるというが、涼子さんの過剰な自信は運転に限ったことではない。涼子さんには、コロナにもかからないという妙な自信があるようだ。

「母はこの緊急事態宣言下に、入院して眼瞼下垂の手術を受けたんです。『こんなときに受けなくてもいいじゃない。コロナにかかったらどうするの』と止める私に、『あなたが私の運転が危ないと言うからよ。瞼が落ちると視界が狭まるでしょ』と私のせいにしていました。それだけではありません。『コロナだからといって何で自粛しないといけないの』と、若いころからの趣味のブリッジをしに毎週遠くまで通っています」

 涼子さんのことを、「認知症なのかもしれない」と思うこともある。でも、宮下さんが幼いころから涼子さんはずっとこうだった。年を取ったからこうなったわけではないと思い直す。

「常に自分が第一。人の話は聞かない。感情のコントロールが効かない。弟のことをでき愛する一方、私には厳しく何をするにも常にトップを要求されてきました。母が『地球は三角』と言えば、私がそれを認めるまで言い続ける。自分の思い通りにならないと我慢ならないんです。私はずっと母のような人間にはなるまいと思って生きてきました」

 今も涼子さんは宮下さんへの要求は高い。

「母の誕生日に20万円の海外旅行をプレゼントしたのですが、『お友達はお嬢さんから100万円の旅行をプレゼントしてもらった。それなのに、あなたはたったの20万円。だから料理もおいしくなかったわ』と責められました。資産家のお友達と比べるのが間違いですよ。私は自分で稼いだお金でプレゼントしているんですから。花を贈っても『花は散るのよ。あなたは私に散れと言うのね』と怒鳴る。どんなに母に尽くしても、不満しかない。毎回こうして責められると、もう顔も見たくないと思ってしまいます」

 宮下さんが父・明さん(仮名・92)に涼子さんの理不尽な言動を訴えても「いつも苦労をかけてすまないな」と切なそうに謝るばかりで、それ以上は言えなくなってしまう。

 明さんの病状も気にかかる。医師からは「いつ急変してもおかしくない」と言われ、在宅医療を利用することになった。

「少なくともこれで母が父を連れて病院まで運転することはなくなってホッとしています」と、安堵しながらも複雑な思いだ。穏やかな明さんの存在は宮下さんの支えなのだろう。

 それにしても、だ。

 「もう二度と会いたくない」と涼子さんから怒鳴られ、宮下さんも同じ気持ちを抱きながらも、宮下さんは毎週両親のもとに通う。なぜ涼子さんと距離を置こうとしないのだろうか。

「もちろん精神状態に悪いのはよくわかっています。『親が死んでもトラウマは残る』と言った友人がいますが、本当にそうだろうなと思います。親を殺す人の気持ちもわかります。それでも親だから仕方ない、というしかないですね。母には期待しない、今はそれが私の心を守る方法だと思っています」

 話を聞いたこの日もこれから実家に向かうという。「なるべく母が出かけていない日に顔を出すようにしています」と自嘲気味に笑う。

「母を見ていると、人間は引き際が大事だと痛感しています。私はあと10年程度で運転はやめると決めています」

 宮下さんは「発言に責任を持ちたいので、本名を出してもらってかまいません」と言ってくれた。宮下さんのような女性を生み育てたことは、涼子さんの功績なのかもしれない。足早に立ち去る宮下さんの後姿を見ながら思った。もちろん、反面教師として、だが。

85歳でも運転免許を返納しない母、娘の説得に「恩知らず」と逆上! 父は「ママは運転がうまい」は甘やかすが……

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

母のおもらしが増え、家中が臭くなり、怒鳴る父……変わってしまった実家に娘の複雑な思い」や、「『わが母ながら立派』と思っていたが……同居する弟夫婦は『他人以下』、父の介護に一人で取り組む心情は聞くに聞けない」でも紹介したように、「高齢の親に運転をやめさせたい」と頭を悩ませている子どもは少なくない。

 宮下いづみさん(60)もその一人だ。85歳の母親涼子さん(仮名)が運転をやめてくれないことを新聞に投稿したところ、後日特集が組まれるほど大きな反響があった。親の運転問題で悩んでいる子どもがいかに多いかがわかる。

私は20代の若者より運転がうまい

 宮下さんの両親、明さん(仮名・92)、涼子さんは隣県で二人暮らしをしている。ともに大学を卒業後アメリカに留学した経歴を持つ超高学歴の夫婦だ。だが、こと運転に関しては対照的な考え方を持っている。

「父は70代半ばで自主的に免許を返納しました。母は留学していた22歳の頃に運転をはじめ、以来63年運転し続けています。母には、高齢になったから運転をやめないといけないという自覚はまったくありません。昨年までは高速道路を利用して別荘に通っていたほどです」

 涼子さんは「20代の若者よりも運転がうまい」と並々ならぬ自信を持っているが、そう考えているのは涼子さんだけのようだ。宮下さんは涼子さんの運転技術が明らかに衰えていると感じている。

「交差点で右折するときに、対向車が来ていないのにタイミングを逃して、信号が赤に変わる瞬間に右折する。バックでスムーズに駐車ができない。母の運転を見ていると怖くなることがたびたびあるんです」

 宮下さんは涼子さんの運転に不安を抱き、しばしば涼子さんの車に同乗しているという。そのときだけでも数々の危険な兆候があるのだから、宮下さんが同乗していないときにどんな運転をしているか考えると恐ろしくなると嘆く。

 昨年別荘を処分したため、涼子さんが高速道路を運転する機会はなくなったとはいえ、街なかを運転する機会はまったく減っていないのだ。

「父を病院に連れて行く、弟が飼っている犬を預かるため毎週末弟の家まで行く、買い物に行く、お友達に頼まれて車を出す……と母は車を運転しなければならない理由をいくらでも挙げるんです。でも父の病院へはタクシーで行けばいいし、犬は弟に連れて来てもらえばいい。両親のマンションは、スーパーも病院も徒歩圏内にあります。住み替えるときに、生活するのに便利な駅近の場所を私が探したんです。それなのにわざわざ車で遠くのスーパーや病院に行く。マンションから近い病院は『あそこはヤブだから』と言うのも、いかにも母らしい言いぐさです」

 宮下さんが涼子さんの代わりに運転すると言っても、「あなたの世話にはならない」「あなたは運転がヘタ」と断固拒否するというのだ。

 もちろん宮下さんも涼子さんの運転をやめさせるために、これまで考えられる限りの手立ては取ってきた。そのひとつが、宮下さんの夫や子どもたちによる説得だ。

「ところが夫や娘が説得すると、母は逆上しました。娘には『恩知らず』とまで言い放ったんです」

 涼子さんのかかりつけ医に運転をやめるように促してくれるように頼んだこともある。

「お医者さまのお母さまが事故を起こして免許を返納した話をして、返納を勧めてくださっても、『そんなボケた人がいるのね。私には関係ない』とまるで他人事でした」

 70代で免許を自主返納した明さんも、宮下さんの危惧に共感し、涼子さんが免許を返納した方が良いと言っていたというが、頼みの綱だった明さんにも暗雲が立ち込めてきた。

「父は今ステージ4のがんを患っていて、認知症も発症しているのか記憶も怪しくなってきました。そしてとうとう『ママは運転がうまい』と言うようになってしまったんです」

 弟の武さん(仮名・57)に至ってはもっと始末が悪い。

「弟は母の運転を『危ないとは思わない』『まだ大丈夫だろう』と言うんです。夫も子どもたちも、なぜ弟が母に運転をやめるように言わないのか不思議がっています。母は昔から弟を溺愛していて、弟もマザコンなんでしょう。母の行動に慣れていて、異常も感じていないのではないかとも思います」

 さらに、武さんは涼子さんに車を買い替えてあげたというのだから、絶句するほかない。宮下さんの嘆きはいかばかりか。

 宮下さんは、涼子さんが80歳を迎えるころから真剣に運転をやめさせようと説得し、有効な手段を考えてきたが、こうしてことごとく失敗に終わってきた。

「強硬手段として、車のキーを取り上げても危険を感じていない弟が母に渡してしまうでしょう。車に乗るなと私が体を張って阻止しても、母は振り切って出かけると思います」

 涼子さんに免許返納を促すたびに、「もうあなたなんか二度と会いたくない!」と怒鳴られる。

 だからといって、あきらめるわけにはいかない。車の運転には人の命がかかっている。何かあったら取返しがつかない。家族がどう責任を追えばいいのか。

 宮下さんは「法律で一定の年齢を決めて、運転を禁止してほしい」と訴えて、投書もそう締めくくった。

老いてなお「姫」の母、振り回される娘2人は「金輪際、電話もかけてこないで」! 普通の母親なら子どもを心配するが……

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――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 竹本多恵子さん(仮名・56)と姉の志津子さん(仮名・58)は、常に自分に注目してもらっていないと気が済まない母久江さん(仮名・80)に振り回されている。多恵子さんと姉は久江さんの悪意ある互いへの愚痴によってずっと関係が悪かったが、度重なる救急車騒ぎを経て姉妹の関係は一変した。

母は「姫」

 ケガの功名というか、姪の結婚式前日の“救急車事件”以来、多恵子さんと志津子さんは「同士」となった。それで母親に対する気持ちがずいぶん楽になったと笑う。

「どちらかが疲れたり、母と冷戦状態になったりすると、もう一人が対応するという分担ができるようになりました。姉とは母のことを『姫』と呼んでいます」

 「“姫”がこんなこと言ってたよ」と姉と情報を共有すると、やはり母はどちらかのいないときに、もう一人の悪口を言っていたことがわかった。それも事実をうんと歪曲していたのだ。母親の操縦法も、姉と話しているうちにだんだん身についていった。

「どんなに具合が悪いと言っていても、口数が多いときは放っておいても大丈夫。それが、静かになってくると、そろそろご機嫌伺いをした方がいいかなとかわかるようになりました。心の中では『またいつものことだ』と思いながらも、心配の言葉をかけてあげるとご機嫌になります。まあわかりやすいと言えばそうですね」

 自分が傷つかないようにうまく先回りするコツのようなものがわかってきたという。それでも、母のあまりの言いように堪忍袋の緒が切れることがある。先日も突然理不尽な言葉を浴びせられた。

「昔のことを持ち出して『あなたはあの時にこんなことを言ったじゃない』と罵声を浴びせられたので、『金輪際電話もかけてこないで』と電話を切りました。もう何十回目かの冷戦に突入です。今度はおいそれと折れるつもりはありません。少し頭を冷やしてくれないと」

 それでもまた何もなかったように甘えた声で電話をしてくるのだろう。

「自分が窮地に立つとお金で解決しようとするので、たぶんお小遣いをあげるとか言ってくると思います」

鬼のような母の形相がよみがえる

 話を聞いていると、久江さんの言動には認知症の兆候が見られるのではないかとも思える。

「姉ともそんな話をしたことがあるんですが、今になってそんな言動をするようになったのではなく、昔からそうだったよねということで一致しました。子どもの頃から突然怒りに火がついた母から何度泣かされたかわかりません。母の鬼のような形相やそのときの恐怖が今もフラッシュバックするくらいです」

 長子である姉のほうが、久江さんから受けた心の傷が大きいようだと感じている。だから多恵子さんはときどき志津子さんを食事に誘って慰労することも忘れない。

 姉や自分がグレなかったのは、真面目でやさしい父親の存在があったからだと思う。父親が定年退職後まもなく病気になって亡くなってしまったのも、母によるストレスのせいだと思っている。

「私たちへの防波堤になってくれていたんでしょう。昔から父は諦めたように笑って、『何か反論すれば10倍になって返ってくるからね』とつぶやいていましたが、その気持ちがよくわかります」

 先日起きた地震で、多恵子さんは友人の言葉に感じ入った。友人は母親から「地震は大丈夫だった?」と電話をもらったというが、それが地震から数日後のことで、「年を取るとタイムラグも大きいね」と笑っていた。多恵子さんも一緒になって笑ったものの、また別の感慨があったという。

「普通の母親ならそうやって子どもを心配するんだなあとしみじみ感じました。うちの母ですか? もちろん地震があったら真っ先にこちらから電話しますよ。母は心配してもらうことしか頭にないですから」

 娘二人にかしずかれる“姫”は幸せだ。多恵子さんは、ねぎらってもらうことがあるだろうか。

姉との関係はずっと悪かった――姉妹で「連絡を取らないよう」仕向けていた母の意図とは?

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 前回「仲良し姉妹の『3世帯同居』、母の介護も『妹と協力していけば大丈夫』と思っていたが……」では、仲の良かった姉妹が「他人のはじまり」となるまでを紹介した。逆のパターンもまたある。それが竹本多恵子さん(仮名・56)と姉の志津子さん(仮名・58)だ。

姉との関係はずっと悪かった

 多恵子さんは長い間姉の志津子さんとの関係がギクシャクしていた。父親を20年前に亡くして以来、一人暮らしをしている母・久江さん(仮名・80)のところに行くたびに、「志津子からこんなひどいことを言われたの」「志津子はあなたのことも悪く言ってたわよ」などと姉の愚痴を繰り返し聞かされていたからだ。

「母は昔から気性が激しく、私や姉は幼いころから母にどれだけ泣かされたかわかりません。そんな偏狭な性格が、年を取るにつれてますますひどくなっているんです」

 多恵子さんは母親に振り回されてばかりだとため息をつく。ご近所ともめるのもしょっちゅうだ。

「先日などはお隣のご主人を呼びつけて何時間も怒鳴り続けていたというんです」

 そのたびに多恵子さんは菓子折りを持って、ご近所に頭を下げてまわっている。「何かあれば、私に連絡をしてください」と言い添えるのも忘れない。事態を悪化させないためには、仕方ないことだと諦めの境地だ。

 にもかかわらず、久江さんは多恵子さんが間に入るのも気に食わないようで、逆に「謝る必要なんかない」と多恵子さんを怒鳴ることもあるという。

 そんな気苦労を姉はまったくわかっていない。それどころか、久江さんの機嫌を悪くしてばかりではないか――と不満を抱いていたのだが、同じように姉も多恵子さんに対してくすぶった気持ちを抱えていたとわかったのはここ数年のことだ。

「あるとき、母は私に姉の悪口を言うように、姉にも私の悪口を言っているのではないかと思い当たったんです。私と姉が母から距離を置かないよう、私と姉があまり連絡を取らないようにしているんじゃないか。母の性格を考えれば、そう考える方が自然です。そんな単純なことにこれまで気がつかなかった自分にあきれました」

 そうすると、久江さんのことも少しずつ客観的に見ることができるようになった。

「母の言うことを真に受けて、駆け付けたり、ご近所との仲裁に入ったりしているうちに、母は自分がいつも注目を浴びていないと気が済まないんだということが見えてきたんです」

 決定的なできごとがあった。姉の娘の結婚式直前のことだった。リゾート地で式を挙げるというので、親族は前日に空港で集合する予定だった。その日の早朝のことだ。

「母から電話が入ったんです。朝起きると具合が悪くて動けない。救急車を呼んで、と」

 多恵子さんは姉家族には先に行ってもらうように連絡を入れて、久江さんのもとに駆け付けた。だが――

「母はキレイにお化粧をして、着飾って玄関にいました。『大丈夫なの?』と言うと、大したことはないから救急車には帰ってもらったと言うんです」

 多恵子さんは心配していた気持ちがすっかり冷めたと明かす。

「母は、花嫁である孫娘が主人公になることが気に食わなくて、自分が具合を悪くして皆に心配してもらって注目を集めようとしたんでしょう。明確な意図があったかどうかはわからなくても、無意識のうちにそういうことをするんです。それで気がすんだのでしょう、皆から気を使ってもらって式の最中は終始ご機嫌でした」

 姉も多恵子さんと同意見だった。これまで母親から聞かされていた互いの悪口も、内容を誇張して伝え、姉と妹が反目し合うように仕向けていたこともわかった。「やっぱりね」と二人はうなずき合った。

「救急車騒ぎもこのときだけではありません。たぶん救急隊のブラックリストに載っていると思います。以前姉が友人と旅行を計画していたときも、旅行前日に救急隊から母が倒れて病院に搬送したという連絡が姉に入ったんです。姉は旅行をキャンセルして病院に行くと、母はケロっとして待合室で待っていたそうです」

 母親は志津子さんに付き添われて機嫌よく帰宅した。志津子さんの旅行がパーになったことについては謝罪の言葉ひとつなかったという。

――続きは11月7日公開

仲良し姉妹の関係は簡単に変わった……認知症の母について「妹とは気持ちが通じ合ってる」と思っていたが

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 親の「ヨロヨロ・ドタリ」期には家族の関係も変わっていく。川原路子さん(仮名・53)と妹の由美さん(仮名・50)の話を続けよう。

 路子さんと由美さんは、父親と離婚した母親の土地に家を建て、3世帯で仲良く暮らしていた。母親の物忘れがひどくなったころ、シングルマザーだった由美さんが再婚した。路子さんは由美さんが再婚後の家族を優先して、母親のことをないがしろにしていると感じるようになった。

▼前編はこちら▼

何かあったらそのときに考えればいいじゃない

 由美さんが再婚相手と同居すると、路子さんは由美さんののんびりした性格にいら立つことが増えた。由美さんは新しい家族をどうつくっていくかで頭がいっぱいだったのだろう。路子さんが母親の物忘れのことを相談しても、上の空のように思えた。そんな由美さんの態度に業を煮やした路子さんがきつい言葉で由美さんを責めても、「何かあったらそのときに考えればいいじゃない」という返事がきただけだった。

「みんなで暮らせる家を建てたときは、こんなことになるなんて思ってもみませんでした。父のことでずっと苦しんできて、妹とは気持ちが通じ合っていると思っていました。私たち姉妹の関係がこんなに簡単に変わってしまうなんて……。こんなことなら、みんなで住める家なんて建てなければよかった」

 母親は認知症と診断された。もはや由美さんとの関係が好転するのを待っている時間はない。今後、母親が金銭管理をするのも難しくなるだろう。土地のこと、家のこと、お金のこと……今のうちにやっておかなければならないことはたくさんある。

 路子さんは焦った。

「いろいろ調べると、任意後見制度というのがあるのがわかったんです。それで、母に判断力があるうちに私と妹を任意後見人に選んでもらって、財産管理ができるようにしておきたいと考えました。でも妹に何度そう言ってものらりくらりとかわすばかりなので、私一人で司法書士の先生のところに相談に行ったんです」

 路子さんがいう任意後見制度とは、認知症などで判断能力が低下したときに備えて、本人が選んだ任意後見人と事前に財産管理などを契約しておくという制度だ。路子さんは、一人で母の財産管理を行うのは荷が重たかったので、できれば由美さんと二人で行いたいと考えていた。

 ところが相談した司法書士の言葉で、路子さんは再び由美さんとの関係を考え直すことになった。

「今、妹との関係に不安を感じているのだとしたら、妹と一緒に任意後見人になるのはやめておいた方がいいと言われたんです。考えてみれば、確かにその通りかもしれないと思いました」

 もちろん、今後由美さんとの関係が良くなるのなら杞憂で済むだろう。でも、関係が改善しなかったとしたら――土地や家のことで、由美さんと意見が合わず、争う可能性も出てくる。そんなことまで想像して、路子さんはゾッとした。

「母の介護費用を捻出するのに、土地を売らなければならなくなるかもしれないし、悪くすれば私たち家族が住むところを失うことにもなりかねません。それだけは、どうしても避けたい」

 路子さんは司法書士の意見に従って、もう一人の任意後見人として路子さんの長男を選ぶことにした。といっても、選んだのは母親ということにはなっているのだが。

 任意後見契約をするとき、由美さんが欠席すると厄介だと路子さんは不安だったが、幸い同席はしてくれた。

「ものすごく機嫌が悪かったですが。そりゃ当然ですよね」

 そして意外なことに、路子さんと路子さんの長男が任意後見人になることにも反対しなかったという。

「あっさりと同意したので、私たちも拍子抜けしたほどでした。反対されたら司法書士の先生に説得してもらうよう準備もしていたんですが。たぶん、妹は面倒なことはしたくなかったんだと思います。緻密な金銭管理とか、アバウトな妹が一番苦手なことですから」

 ホッとしつつも、これから先のことを考えると、同じ屋根の下で暮らす由美さんとどんな問題が起きるのかわからない。「不安がなくなることはない」と路子さんはつぶやいた。

 まさに、きょうだいは他人のはじまり――。

仲良し姉妹の「3世帯同居」、母の介護も「妹と協力していけば大丈夫」と思っていたが……

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

これまで老親の「ヨロヨロ・ドタリ」期に変わっていった親夫婦、親子の関係を見てきた。今回は姉妹の関係をご紹介したい。

父は敵。母と姉妹の結束が固くなった理由

 川原路子さん(仮名・53)と妹の由美さん(仮名・50)の仲の良さは、周囲からもうらやましがられるほどだった。これは、複雑な家庭環境も影響していた。

 路子さんの父親は、路子さん姉妹が学生時代から浮気相手のところに行ったっきりで、家庭を顧みることはなかった。そういうわけで、路子さん姉妹と母親はずっと女3人で助け合いながら暮らしてきた。

「父という“敵”がいたから、私たちの結束が固くなるのも当然だったと思います」

 その後、路子さん姉妹が結婚して家を出たあと、ようやく両親は離婚。父親は浮気相手と再婚した。

「母は私たちが結婚するまでは、形だけでも父と夫婦でいて、結婚式で私たちに肩身の狭い思いをしないで済むようにしてくれました。私たちが家庭を持って、もう戸籍上だけの父親はいなくても大丈夫ということで離婚したんです

 母親は離婚の際、それまで住んでいた家と土地をもらった。しばらくそこで母親は一人暮らしをしていたが、由美さんが離婚して実家に戻ってきた。路子さん家族は賃貸マンション暮らしだったため、母親の土地に3階建ての家を建てて3世帯一緒に暮らすことにした。

「妹はシングルマザーで仕事と子育てが一人では大変です。だからみんなで住めば昔のように互いに助け合いながらやっていけると思ったんです。ありがたいことに私の夫も賛成してくれました

 1階に母親が、2階に路子さん家族、そして3階に由美さんと子どもが住むということにはなっていたものの、夕食は全員でとり、そのまま団らんということも多かった。路子さんにとっては居心地の良い、そして理想的な3世帯同居だった。由美さんにとってもそうだったはずだ。少なくともそのころまでは。

 そんな関係が壊れたのは、2年ほど前に由美さんが再婚したころからだ。由美さんの再婚相手は由美さん宅で暮らすことを受け入れはしたが、路子さんや母親とは一定の距離を取った。路子さんや母親、由美さんのそれまでの生活を考えれば、そこに入り込むのは確かに難しいことだっただろう。

 だが、みんなで食事をする機会が減るにつれて、路子さんにとっては由美さんまで自分たちから距離を取り始めたのではないかと思うようになった。

「はっきり言えば、母に介護が必要になっても、妹と2人で協力していけば大丈夫だと思っていました。そんな将来設計が、妹が再婚したことで微妙に崩れてしまったように感じたんです」

 というのも、由美さんの再婚前後から母親の物忘れがひどくなっていたのだ。路子さんが、母親の介護が現実的になったと覚悟していたときに、由美さんは再婚によって母親の老いに無関心になり、新しい家族のことしか考えていないのではないかという不満が生まれた。

 路子さんの性格も不安に拍車をかけた。

「私は先々のことまで考えて、計画的にものごとを進めていきたいタイプ。ずっと父が不在だったので、長女としての責任も大きかったのでそうならざるを得なかったというのもあります。それに対して妹は末っ子らしくのんびり屋。それでも妹が再婚するまでは、私たちの性格が正反対でもうまく役割分担しながら回っていってたんです」

――続きは10月10日公開