デイサービスで出会った元バンドマンと元ダンサーの老夫婦――2人が突き付けられた厳しい現実

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

バンドマンとダンサーだった老夫婦

 デイサービスで出会った2人は、どこにでもいるような老夫婦だった。持田智宏さん(仮名・92)は少し認知症があるが、“昭和の男”を彷彿とさせる雰囲気だ。そんな智宏さんに寄り添うように座るのが妻の保子さん(仮名・89)。杖をついてはいるものの均整の取れたスタイルで、若い頃はさぞ美人だっただろうと思わせる。

 「ステキな奥さんですね」と智宏さんに声をかけたが、智宏さんは特段喜ぶこともなく、こう言った。

「背が低いからね。ステージでは映えなかったんだ」

 ステージ? その意味を教えてほしくて保子さんに目を向けると、「浅草の劇場でダンサーをしていたの」と、誇らしそうに答えた。

 ああ、だから姿勢がいいのか。確かに小柄ではあるが、背筋がビシッと伸びている。往年の保子さんの姿が見える気がした。

「ステキですね。智宏さんとはどこで知り合ったんですか」

 保子さんに聞くと、表情がパッと華やいだ。

「彼は舞台のバンドマンだったの。ピアノを弾いていたのよ」

 なるほど、ちょっと不良のバンドマンと、かわいい踊り子が出会ったわけだ。智宏さんは90歳を過ぎた今も体格が良くて、若い頃はさぞモテただろう。戦後、ピアノを弾く男なんてそういなかっただろうから。

 「こいつは舞台映えしないから」。謙遜なのか、照れ隠しなのか、智宏さんは繰り返す。昭和のバンドマンは、こんな感じだったのかもしれない。

「ピアノを弾いてもらいましょう」スタッフが誘いかけると……

 そんなやりとりを聞いていたデイサービスのスタッフが、フロアの片隅にあったキーボードを持ってきた。

 「私たちも持田さんご夫婦が芸術関係の仕事をしていらっしゃったとは聞いていたんですが、そんなに大きな劇場だとは思いませんでした。せっかく皆さんがお集まりになっているので、レクレーションとして智宏さんにピアノを弾いてもらいましょう」と誘いかけてくれた。

 スタッフに導かれて、智宏さんはキーボードに向かった。保子さんはうれしそうに智宏さんの後を追い、智宏さんの横に腰かけて、足を組んだ。その姿がまた美しくて、思わず見とれた。

 智宏さんは、指をそっと鍵盤にのばす。

「年だから、もう指が動かないんだよ」

 そう言いながらも、私たちに気を使ってくれているのか、片手でゆっくり曲を奏でてくれた。

 「昔取った杵柄」「認知症になっても昔のことは忘れない」――というのは、悲しいかな例外もあるようだ。智宏さんの指はぎこちなく、何度も間違えては同じところを繰り返す。

「指が動かないんだよ。昔はお客さんのリクエストに合わせて、即興でも弾けたんだがね」

 気を利かせたつもりで、キーボードを出してくれたスタッフも気まずい雰囲気だ。集まっていた利用者たちはおしゃべりに夢中になっている。

 申し訳なかったな、と居心地の悪い思いをしていたその時、保子さんの指がトトトトン……とリズムを取っているのが見えた。私たちには、智宏さんが何の曲を弾こうとしているのかさえ、さっぱりわからなかったが、保子さんはハミングまでしている。満足そうに、智宏さんを見つめる保子さんは、智宏さんに恋していた頃に戻っていたようだ。

 組んだ足は、今にも踊り出しそう。しかし、保子さんは膝が悪くて、杖なしでは歩けない。もちろん、もう二度と踊れることはない。

 つたないながらもピアノを弾く老バンドマンと、傍でリズムを取る老ダンサー。デイサービスのキーボード前が、2人の舞台だった。華やかだった時代の輝きが2人を包んでいるように見えた。

 ……と、ここで美しく終わらせてくれないのが「ヨロヨロ・ドタリ」期だ。

 実はこの2人、経済的事情でデイサービスの回数を減らさざるを得なかったのだという。バンドマンとダンサー。不安定な雇用形態で、蓄えができなかったのだろうか……。厳しい現実を突きつけられて、デイサービスを後にしたのだった。

生活保護を受ける兄と財産分与の問題に直面――30代で両親を看取った女性が「公平に半分」と決めた理由

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 高次脳機能障害の父、博之さん(仮名・69)の体調が悪くなり、瞬く間に看取り期となった。娘の中村万里江さん(仮名・36)は、博之さんが入居しているホーム近くのホテルに泊まりこんでいたが、ちょっとベッドから離れている間に博之さんは旅立ってしまった。

父を見送った後、旅へ出ることに

 中村さんは、母・晃子さんの葬儀から1年もたたないうちに、博之さんの葬儀を行うことになった。晃子さんのときと同様、対面での葬儀とオンライン葬儀だ。

「2年連続で葬儀を出すとは思ってもみませんでしたが、明らかに自分の“能力”が上がっているのがわかりました」

 博之さんが亡くなった翌日には、博之さんの思い出ビデオ制作に着手した。そしてその日のうちに、旅に出ようと決めていた。

「この地にいるとつらい。何か楽しいことをしたいと思ったんです。慶弔休暇をフルに使って、旅に出ようと思いました」

 葬儀を終えると、1週間、九州にいる友人たちのもとを回った。そして自宅に戻ると、日常を取り戻そうと弁当づくりに精を出したという。

「母のときは、重い荷物を持っているお年寄りを手助けするなど、人を助けることで日常を取り戻していきました。今度は、出来合いのものを食べる生活が続いていたので、丁寧な食生活をしようと思ったんです」

生活保護を受ける兄と相続問題

 両親が亡くなり、相続問題にも手をつけないといけなかった。実家は、晃子さんの死後、ガレージセールを開いてほとんどのものは片づけていたが、土地や家屋、博之さん名義の預金や株がある。

 中村さんの頭を悩ませていたのは、関西で生活保護を受けている兄のことだ。

「親の財産を相続すると生活保護はもらえなくなります。兄は生活保護を受給し続けたいので、相続放棄したいと言いましたが、そうすると今後、私が兄のケアをし続けないといけなくなる。それは負担が大きいと思いました。それなら土地も家も売って、公平にすべて半分に分けるのがベストだと。生活保護がもらえなくなったらケースワーカーもいなくなり、兄が金銭管理できなくなるかもしれません。だまされたりしないか、すぐにお金が底をついてしまわないか、心配は尽きませんが、それはもう兄の問題なんだと割り切ることにしました」

 両親の介護を1人で担ってきたのだから、中村さんが遺産を多くもらってもよいと思うが、中村さんはそれもすでに割り切っている。

「確かに兄は何もしませんでしたが、何もしなかったことが兄の仕事だと思っています」

 今は、相続のための目録を作成しているところだ。それから、中村さんは次のステップに移ろうとしている。

「父が亡くなった年の年末、仕事に力が入らなくなりました。次の年も同じ仕事をすることが考えられない。これは、次のステップに進む合図じゃないかと思ったんです。ちょうどオンラインの仕事が入ったこともあり、その仕事をしながら旅をしようと決めました」

 きっかけの一つになったのが、その年の大みそかのことだ。

「父が亡くなり、兄はいるものの、私が帰る家はなくなりました。大みそかに、友人が家に呼んでくれて寂しい思いはしなくて済みましたが、元日は友人家族で集まるとのこと。私はそこには参加できないわけで……自分は友人の“家族”ではないことを痛感しました」

 一方、若いうちに親を看取ったことで、大きな解放感を得られたという。

「2人の死を見て、人の一生なんてそう大きく違わないと思えたんです。母が亡くなるまでは自分のキャリアを細かく考えていましたが、いったん全部手放してもいいんじゃないか。そして旅をしながら、家族の形を考えてもいいんじゃないかと思いました。血縁はなくても、人を助け、助けられながら、世界に家族をつくっていきたいという気持ちが強くなりましたね」

 あと半年もすれば、自転車で友人のいる九州に向けて出発するつもりだ。住んでいたシェアハウスは解約した。荷物は友人に預かってもらったスーツケースと、自分が背負うリュックのみになった。

 自転車旅は、SNSで発信していくことにしている。中村さんからの報告が楽しみだ。

30代で経験した両親の看取り――「楽しかった」と介護を振り返る娘の“原動力”とは?

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 母の晃子さん(仮名)の死後、有料老人ホームに入居している高次脳機能障害の父、博之さん(仮名・69)が問題行動を起こすようになった。食事も摂れず、ホームでは手に負えなくなったため、精神科病院に2カ月入院した。このまま寝たきりになってしまうのではないかと危惧していた中村万里江さん(仮名・36)だったが、予想に反して博之さんは驚くほど回復していた。

面会できない父のためテディベアにメッセージを吹き込んだ

 ところが、喜んだのもつかの間。再びホームで生活するようになると、博之さんの状態は入院前より一層悪くなっていった。

「少しは反応がありましたが、食事も全介助になり、ほぼ寝たきりになってしまいました。父がかかりつけの病院に通院するときだけ会えましたが、座っているのもつらそうで、待ち時間もソファで横になっていました。気になったのは、爪が伸びていること。待ち時間に売店で爪切りを買い、切ってあげていましたが、ホームが父のことを見てくれていないんだと悲しくなりました」

 心配ではあったが、コロナ禍のためホームでの面会もままならない。中村さんはテディベアに自分の声を吹き込んで、博之さんに聞かせてもらうことにした。「おはよう! 起きて。ごはんモリモリ食べて!」と。

「いろんな問題が起きては、どんな対処方法があるか考えることは楽しかったです。介護って、クリエイティブだなと思いました」

 30代の中村さんの周りで、親の介護をしている友人はほぼいなかった。つらさを吐き出すこともできない中、こうして前向きに受け止める原動力となったのは、自助グループの存在だった。

 中村さんは、晃子さんの死の悲しみや博之さんの介護のつらさを吐き出す場を探して、いくつかの自助グループに参加していた。グリーフケア(※1)、高次脳機能障害の家族会、若年性認知症の親を持つ子どもの会だ。

「ピアサポート(※2)では、気持ちがずいぶん楽になりました。グリーフケアのグループでは、何年も親の死で苦しんでいる人がいて、母を亡くして数カ月の自分はまだ新米だなと思いましたね。若年性認知症の親を持つ子どもの会には、私くらいの世代の子どもの会がほかになかったので参加したのですが、共感することがたくさんあったんです。高次脳機能障害の家族会は当事者の奥さんが多かった。家族ならではのちょっと毒のある会話が許されていて、笑うことでスッキリできました。おすすめの病院や相談先も教えてもらいましたよ」

(※1)グリーフ=悲嘆、深い悲しみ。身近な人との死別を経験した人の心の状態を理解して、回復をサポートする取り組みのこと。
(※2)同じような立場や境遇、課題に直面する人がお互いに支え合うこと。

 試行錯誤を繰り返していた中村さんだったが、博之さんの介護のフェーズは一気に進んだ。精神科病院から退院して5カ月たった頃だ。

 ホームから博之さんの肝臓の数値が悪いという連絡が来たのだ。「がんなど重篤な病気が考えられるが、博之さんの体力や認知状態からすると、検査や手術は難しいだろう」と伝えられた。このとき9月。年末まで命がもつかわからないほど重篤な状態だという。博之さんが問題行動を繰り返したのは、体調が悪かったのが原因だったのかもしれない、と符号が合った気がした。

 さらに数日後、ホームから「博之さんの腫瘍マーカーが上昇している。呼吸も浅い」と連絡が来た。すでに看取り期であることを示唆されたのだ。

 中村さんは、晃子さんの看取りから1年もたたないうちに、博之さんにも死期が近づいていることに衝撃を受けながらも、行動は冷静だった。ホームには緩和ケアをお願いするとともに、晃子さんの最期のように、ホーム近くのホテルに滞在して博之さんのもとに通うことにした。

 幸い、博之さんは痛みを訴えることもなく、簡単な会話もできた。中村さんは、博之さんの友人たちに連絡して、会いたいという人とビデオ通話をセットしたり、「つらくて顔を見られない」という友人から送られてきた昔の写真を博之さんに見せたりした。

「困惑したのは、父のこの状態がどれくらい続くのかということ。3つ並行してやっていた仕事のうち2つは休めたものの、1つは休めなかったので、ホームのある市から都内まで通っていました。母の看取りは1~2週間でしたが、休ませてもらうにしてもどれくらい休むことになるのか、判断に迷いました」

 先の見えないトンネルは、10日後には出口が見えた。中村さんが仕事先からホームに向かっていると、「危ない」との連絡が来た。

「ホームに着いて、私が寝るためのベッドをつくってもらっている間に、父は息を引き取りました。母は最期までずっとついていられたのに、父は私がほんのちょっと席を外している間に……。でも友人から人は亡くなるときを自分で選んでいると言われて、ああそういうことなんだと気持ちが楽になりました」

 中村さんは、晃子さんの葬儀から1年もたたないうちに、博之さんの葬儀を行うことになった。

――続きは11月20日公開

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施設職員へのセクハラや食事拒否する父親に悩む娘――精神科病院への入院で予想外の結果に

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 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 「母がエンディングノートに書き残していた『望み』とは? 母親を看取った30代女性の胸中」で、母の晃子さん(仮名)を見送った中村万里江さん(仮名・36)は、晃子さんと同じ有料老人ホームに入っていた高次脳機能障害の父、博之さん(仮名・69)をどこでどう過ごさせるかを考えていたが、新しい住まいを探すどころではない問題が持ち上がった。

父の問題行動に頭を悩ます

 晃子さんの死後、博之さんの落ち着きがなくなった。部屋で寝ずに、廊下や職員の詰所の床で寝る。食事も拒否する。さらには、職員にセクハラをしたという連絡が来た。

「ボーっとする作用のある薬で父の問題行動を抑えるというんです。そうしないとこのホームにはいられないと言われると、わかりましたと答えるしかありませんでした」

 中村さんは、薬で抑えるのではなく、適切なケアによって博之さんを落ち着かせてくれる施設を探していた。

「介護が大変な人を受け入れて、成果を出しているという評判の良いグループホームがあると聞いて見学もしましたが、父のようなケースは無理だと断られてしまいました」

 担当医から「60代後半の大柄な男性で、要介護2はホームから一番嫌がられるパターンだ。ほかの施設では受け入れてもらえないだろうし、受け入れてもらえても施設ショッピングになってしまう。娘は父親が嫌がられていることも、施設ショッピングをしていることもわかっていない。今のホームの対応もどうかとは思うが、娘も施設を信用していない」という間違い電話――もしかすると、この医師は意図してこの本音を中村さんに伝えたのかもしれない、とさえ中村さんは考えている――が来たのもこのころだ。

 気丈に、一人で奮闘している中村さんがどんなにショックを受けたかと思うと言葉もない。

 ホームから、博之さんの異変は晃子さんの死に起因しているのではないかと言われたものの、ほかに手立てもなく、精神科から処方された薬でしのぐしかなかった。

38キロまで痩せた父、精神科へ入院することに

 晃子さんを失った悲しみに浸る間もないほど、次々と出てくる問題に頭を悩ませていた中村さんが一息つけたのは、皮肉にも、博之さんがホームから紹介されて新たに受診した精神科病院に入院したことだった。

「それまでの薬では父の症状が治まらず、大声を出したり窓をたたいたりするなど、さらに状態は悪化したんです。食事も水分も摂れないということで、1カ月ぶりに父に面会すると激やせしていて驚きました。父は身長が180センチあるのに、体重が38キロにまで減っていたんです」

 ホームから紹介された精神科を受診すると、「このままでは衰弱してしまうので、いったん入院して食事が摂れるようにしましょう」と提案された。

 中村さんはこの提案を受け入れたものの、入院になると博之さんはおむつをさせられて、そのまま寝たきりになってしまうんだろうと思った。その一方で、入院した博之さんと会えないことは、「どこか気が楽でもあった」と明かした。

 2カ月後、退院した博之さんと会った中村さんは、博之さんの回復ぶりに驚いた。予想とはまったく違う結果に、入院させたのは正解だったと思ったという。

「退院時には車いすになっていましたが、コミュニケーションも取れるようになっていたし、それまで大量の薬を飲んでいたのが薬の量も減っていたんです」

――続きは11月6日公開

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老人ホームに誕生した85歳女ボスの“戦略”「占いができるから、見てあげる」

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 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 未婚か既婚か、子どもの数、子どもの進学先、夫の会社や役職……とかく女同士は互いを値踏みしたがるのかもしれない。たくさんの老人ホームを取材するなかでも、夫や子ども、はたまた高齢の兄弟の存在にすがっているように思える高齢女性は少なくない。「亡くなった夫は~に勤めていた」「会社を経営している実家の兄はいつも自分のことを気にかけてくれている」など、夫や兄弟の肩書を自慢するのは、自分の経歴を誇る男性よりも多い気がするのはなぜだろう。

 ある老人ホームを訪れたときに会った女性は、自慢の方向がちょっと違っていた。

周りの入居者よりもほめられたい

 その女性、土屋文子さん(仮名・85)は、脳血管障害の後遺症で半身まひが残り、車いすで入居した。夫と息子と3人で暮らしていたのだが、どうも土屋さんのわがままに手を焼いて、自宅で介護するのは無理だとホームに入居させることにしたようだ。

 突然、身体の自由が利かなくなった土屋さんにとって、家族からも見捨てられたようで、ホーム入居は不本意だったのだろう。誰にも心を開こうとせず、職員にきつい言葉を投げつけることもあったという。ほかの入居者との関係もうまく築けなかった。人生を諦めたように投げやりな雰囲気が漂っていたという。

 リハビリを担当する職員は、土屋さんに再びやる気を取り戻してほしいと、根気よく声をかけ続けた。そして軽いものからリハビリに取り組んだ結果、少しずつ体力がついて、車いすから歩行器を使ってならゆっくり歩けるようになったのだ。リハビリ担当者は自分のことのように喜び、土屋さんの頑張りをほめた。

 すると、土屋さんの表情に変化が表れた。もともと負けず嫌いの性格で、「周りの入居者よりもほめられたい」という気持ちに火がついたようだった。リハビリの時間はそう多くない。土屋さんは、リハビリの時間が待ち遠しい様子だった。リハビリ担当は若い男性だ。マンツーマンでのリハビリを励みに頑張る高齢者、特に女性は多い。いくつになって若い男性の存在は励みになるものだ。悪いことではない。

 土屋さんは、それだけで終わらなかった。「もっと私に注目してほしい」という思いがあったのかはわからない。ただその自己主張が、夫や子ども、兄弟の自慢をするほかの入居者とは違っていた。

 土屋さんは「私は占いができるから、見てあげる」と言うようになったのだ。認知症による思い込みではない。もちろん、年相応の物忘れはあるが、逆に“戦略的”だったと言うと穿ちすぎだろうか。

 この言葉に反応したのは、女性職員たちだった。もちろん興味を示さない職員もいたが、土屋さんに手相を見せたり、生年月日を教えたりして、話し込む職員の姿が見られるようになった。半信半疑ながらも当たったらラッキーくらいの気持ちだったのかもしれない。

 老人ホームの職員は忙しい。入浴に食事介助、おむつ交換などのスケジュールに追われ、ゆっくり入居者と会話する時間も余裕もないと嘆く職員は多いが、時間を見つけては土屋さんのもとに寄って、恋愛や子育てなどちょっとした悩みごとを相談する職員が目立つようになった。

 占いがどこまで当たっているのかはわからない。それでも、土屋さんの物言いはハッキリしているし、長い人生経験から的を射ていることが多く、女性職員たちはすっかり信じ込んでいるようだった。介護される側だった土屋さんと立場が逆転した格好だ。職員に囲まれることの増えた土屋さんは、目に見えて生き生きとしはじめた。ほかの入居者にも自分から積極的に声をかけるようになった。

 そして手相を見ては、「大丈夫、長生きするわよ」などと言って、余裕たっぷりにほほ笑む――ホームの“ボス”の誕生だ。

 リハビリにもいっそう力が入るようになり、歩ける距離も伸びた。自信をつけた土屋さんは、家族に自前の歩行器を買ってほしいと言うまでになった。あまりお金をかけたくない家族は、購入を渋っているらしいが……。

 ホームの管理者は、そんな土屋さんや職員を複雑な思いで見ている。土屋さんが生きがいを取り戻したのだから、占いをするのは決して悪いことではない。どんなホームにも仲良しグループやボスが存在するのは事実だ。

 土屋さんの生存競争に勝つ力のようなものに舌を巻きながらも、どこかで職員に占い規制をしないといけないだろうとも考えている。そのときに土屋さんがどう出るか、期待する気持ちもある。お手並み拝見、だ。

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60歳で会社を退職後、ボランティアで喜びを感じる――依頼する高齢者が「母の姿とも重なる」

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――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 松野佳彦さん(仮名・60)の母・初枝さん(仮名・84)は北陸で一人暮らしをしている。松野さんは毎日、初枝さんに電話をかけ、絵手紙も毎月送るなど、「所詮、自己満足」と自嘲しながらも初枝さんを気にかけてきた。会話が続かなくなり毎日の電話をやめたが、なお一人暮らしのさびしさから初枝さんが「今日も誰ともしゃべらなかった」と訴えるのがつらく、「自分を悲劇の主人公にしているのではないか」とまで感じるようになってきた。

▼前編はこちら

母親に「近くに来ないか」と移り住むよう提案したが……

 頭では、「それはつらいね」「さびしいよね」と初枝さんに共感する言葉をかけてあげればいいんだろうとわかっていても、「照れもあってその一言がどうしても出ない」と苦笑する。最近は、初枝さんの声を聞いて“安否確認”したら、妻にバトンタッチするようにしたという。

 嫁と姑ではあるが、それくらいの関係のほうが、初枝さんのさびしさに共感やいたわりの言葉をかけやすいと感じている。「女の人のコミュニケーション能力には脱帽ですよ」と言うが、素直に認められる松野さんも素敵だ。

 離れていても、そんな息子夫婦がいる初枝さんは幸せだ。そう伝えると、「実は呼び寄せも提案した」と明かしてくれた。

「そんなに毎日さびしいのなら、近くに来ないかとは言ったんですが、それは嫌だと断られました。ときどき遊びに行くくらいならいいけれど、親戚も友達もいない、知らない土地に移り住むのは、やはり抵抗があるようです」

 初枝さんが断ったことに、ホッとした部分もあるというのが正直な気持ちだ。いざ初枝さんを近くに呼んだところで、都会に慣れなくて心細い初枝さんをどこまで支えられるのか、自信はない。毎日の電話でさえ負担になったのに、近くに住むとお互い無理をするのも見えていたし、初枝さんも松野さんに過大な期待や依存をしてしまうことも考えられる。

 期待に応えられなかったときの初枝さんの落胆もその分大きくなるに違いない。そうなるとお互いに不幸だ。

 「少なくとも、今よりハッピーではいられないだろうと思っていながら、母に呼び寄せを提案してみたのも、一応言うべきことは言ったという既成事実をつくりたかっただけなのかもしれません。これも自己満足ですね」と笑うのも、いかにも松野さんらしい。

 松野さんは、最近会社を退職した。再雇用制度を利用せずに、会社からはきっぱり離れた。初枝さんに何かあればすぐに行けるようにしておきたいという気持ちもあったが、初枝さんの様子を見ていて、これからの長い老後を自分はどう送るのか、会社から離れてゆっくり考えたいという思いも強くなったのだという。

 自由になった時間を、これまで取り組めなかった趣味の音楽や絵画に使うほか、地元の助け合いグループに入って、有償ボランティアもはじめた。

「少額ではありますが、ちゃんとお金をもらって、地域で困っている人の役に立っているという喜びを感じています。これは会社にいたころには味わえなかった新鮮な体験でした」

 依頼者の多くが、高齢者だという。庭の草むしりや剪定、電球の交換や家具の移動など、小さなことだが、自分ではできなくなった高齢者から感謝されて、逆に松野さんのほうが恐縮してしまうくらいだ。

「リタイアした自分でも、このグループでは最年少。『松野さんは若いから』とおだてられていますが、それもまんざらではないですね。私を指名して待ってくれている方もいます。作業している間の世間話が楽しみで、私たちを呼んでいるのかなと思うこともあります。母の姿とも重なる部分も多く、自分もいずれこうやって老いていくんだと実感します」

 松野さんはさらに介護ヘルパーの資格を取得することも考えはじめた。まだ60歳になったばかりだ。老いる自分を受け入れるための準備期間は、まだまだたっぷりある。準備しなくても老いは待ってくれないのだけれど。

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一人暮らしをする母から「今日も1日、誰ともしゃべらなかった」報告がつらい――息子が抱える後ろめたさ

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母が喜んでくれなくてもかまわない

 松野佳彦さん(仮名・60)は大学進学で上京して以来、松野さんいわく「親とはつかず離れず」の距離感を保ってきた。

 10年ほど前、認知症を患った父親を母の初枝さん(仮名・84)が介護し看取ってから、初枝さんは実家の北陸で一人暮らしをしている。そんな初枝さんを気にかけて、松野さんは毎日電話をかけ、絵手紙も毎月送っている。出張を利用して、遠回りになっても実家に立ち寄ることもあった。“つかず離れず”とはいえ、松野さんはかなり親思いだといえるだろう。

 初枝さんは父親を一人で介護してくれた。遠距離だったし、仕事も忙しかったので、松野さんはほとんど父親の介護にはかかわれなかった。仕事に打ち込めたのも、初枝さんが松野さんに助けを求めることなく、一人で頑張ってくれたからだと感謝している。

 一方で、初枝さん一人に負担をかけてしまったという後ろめたさもある。

 50代後半になると、会社での先も見えてきた。自分なりに頑張ったし、評価もそれなりにされてきたとは思うが、経営幹部には手が届かなかった。会社に人生を捧げるつもりもない、と言うと負け惜しみになるかもしれないが、これから先、自分はどうして生きていけばいいのか考えるようになった。

 初枝さんに絵手紙を描くようになったのも、そんな時期だった。

 絵手紙は、無理して描いているわけではない。昔から絵は好きだったという。見せてもらうと、見事なものだった。これを毎月、季節に合わせて描き続けるのは、いくら絵が好きとはいえ簡単なことではないはずだ。そう伝えると、松野さんは「趣味の一環、ある意味ボランティアのようなものですよ」と笑う。

「母に感想を聞くこともないので、喜んでいるかどうかもわかりません。母のためというより、自分のためにやっているようなものですから、喜んでくれなくてもかまわないんです」

「今日も誰ともしゃべらなかった」と言う母親

 初枝さんに毎日電話をかけるのも、同じ気持ちからだ。

「今日も元気でいるか、倒れていないかを確認したい。電話に出てくれると、ああ今日も無事だったと自分が安心できる。それだけなんです」

 離れて暮らす親の見守りサービスもたくさん出ているが、その多くは子どもが安心するためのものだ。「結局、子どもの自己満足だ」と言い切った医師がいたが、それも真実なのかもしれない。親孝行と自己満足は紙一重だと認める松野さんだが、最近初枝さんに毎日電話するのをやめたという。

「絵手紙は一方通行の自己満足で済みますが、電話は母と会話するので、絵手紙とは違うんですよ。毎日『元気?』『はい』なら、小学校の出席確認と変わらない。母からワン切りしてもらっても済む話です。でも毎日会話しようとすると、話題に困ってしまって……。次第に電話をするのが1日おき、2日おきになって、今では週に2回になりました」

 同じ屋根の下で暮らしているのなら、互いに無言でテレビでも見ていれば済むのだろうが、電話だと沈黙がつらい。松野さんに共感する人は多いのではないだろうか。母と娘なら、まだ話が弾むのかもしれない。電話する前に、その日の話題になりそうな内容を考えてから臨んでいる。「相撲をやっている時期は助かります」と笑う。

 つらいのはそれだけではない、と松野さんは表情を曇らせた。

「最近、電話するたびに母が『今日も1日、誰ともしゃべらなかった』とこぼすんです。確かに、1日中誰とも会話せずに過ごすのはどんなにかさびしいだろうとは思います。ただそれを毎日聞かされると、こっちもきつい。だんだん、母が自分を悲劇の主人公にしているんじゃないかと思うようになってきました」

――続きは8月28日公開

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片付けで見つけた義父の遺言書に絶句――“執行人”の名前に「これどういうこと?」


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 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 真山昌代さん(仮名・57)の義父母はそれぞれ違う老人ホームに入っている。当初は同じホームにいたのだが、認知症の義父が義母にひどい暴力を振るうようになったため、義母を別のホームに移したのだ。義父と離れた義母は、認知症の症状もすっかり落ち着き、趣味を楽しみながら生活するようになった。

 真山さんは、テレビとベッドしかない義父の部屋と、たくさんの趣味のものに囲まれている義母の部屋を比べながら、義父の人生って何なのだろうと考えるようになった。というのも、義父母のマンションが大規模修繕をすることになり、真山さんと娘が仕事を休んでは義父母のマンションに通っているからなのだ。

▼前編はこちら

これ、どういうことだと思う?

 大変なのは、都合をつけて義父母のマンションに行くこと、新幹線で帰るので交通費がバカにならないこと。それでも行ってしまえば、あとは工事業者が来たときに立ち会うくらいで特にすることもない。

 真山さんと娘は、この機会に義父母のマンションの室内を少し片づけることにした。

「いざという時、何がどこにあるかわからないのも困るので、部屋の中を確認しながら片づけていたんです」

 すると、いかにも元教師で几帳面な義父らしく、義父がまとめていたさまざまな書類が見つかった。

「お金や家の契約書、親戚など連絡先などちゃんとまとめてあったのは、さすが義父だと感心しました。これだけまとめてあれば、義父母が亡くなってもとりあえず混乱することはないでしょう」

 ところが――。娘が義父母の家に行っていたときのことだ。娘から真山さんにLINEで連絡が来た。

「遺言書があるというんです。いろんな書類がまとめてあったので、まあ遺言書まで作成しているのも当然というか、そう驚きませんでした」

 遺言書が手書きだったので、これが正式に遺言書として認められるのかは疑問だとしながらも、真山さんは娘に「あったんだね。おじいちゃんらしいね」と返事をした。

「でも、娘が私に言いたかったのはそのことだけではなかったんです。遺言書の写真が送られてきました。封はしてあるので、遺言の内容はわからないんですが、遺言の執行人として義姉が指名してあるのがわかりました。娘もそこに疑問を持ったようです。『お母さん、これどういうことだと思う?』と」

 確かに、これまで遠距離でありながら義父母のもとに通って、二人の様子を見ながら、介護サービスの手配をし、義父母の2人暮らしがこれ以上無理だと思えば、ホーム探しをしたり、義父の義母への暴力沙汰が起きると義母を別のホームに転居させたりと、奔走したのは義姉だ。

 それでも夫は長男として、何かあるたびに話し合いもしたし、義姉の都合がつかないときは今のように真山さんや娘が通っている。コロナ前にはたびたび面会にも行った。まったく何もしなかったわけではない、と真山さんは言う。

「執行人に義姉の名前があるということは、義姉は遺言書の存在を知っているということですよね。私たちにはまったく知らされていません。そのことが遺言書の中身がどうなっているかを物語っていると思いました。娘もそう感じたから、写真を送ってきたんでしょう。なんだか、義姉の代わりに私や娘が職場に頭を下げて休みをもらって、高い交通費をかけて何往復もしているのか、むなしくなってしまって……」

 遺言書の内容はわからない。それだけに、その執行人の名前だけでこれほど心が揺れるとは思わなかったし、そんな“小さい”自分に嫌悪感も抱いている、と自虐的に笑った。

 こんなことなら、義父母の家を片づけたりしなければよかった。それとも、今のうちにわかってよかったと思うべきかもしれないとも思う。遺産に差をつけられているのなら、その心つもりで今後の遠距離介護を考えよう……。葛藤しながら、真山さんは今月も新幹線に乗っている。

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教師だった義父は、肩書を取ったら何も残らなかった――趣味も友達もない老人ホームでの姿

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

義父の人生って何だったんだろう

 「『いくら認知症とはいえ理解できない』母のことが大好きだった父……老人ホームで『母に激しい暴力を振るう』」でお話を聞いた真山昌代さん(仮名・57)が、その後の義父母の様子を伝えてくれた。

 義父母は同じ老人ホームに入居したが、義父が突然、義母に激しい暴力を振るうようになり、義母は同系列の別のホームに移った。義父と離れた義母は「冷蔵庫がしゃべる」「テレビが動く」などといったそれまでの認知症の症状がすっかり落ち着き、普通の会話もできるようになった。

 それだけでなく、それまで住んでいた自宅マンションに時折戻って、趣味のサークルに顔を出すまでになったという。遠距離ではあったが、そんな義父母の様子を見ていた真山さんは、感に堪えないように言う。

「教師だった義父は、定年まで真面目に勤め上げました。でも退職して教師の肩書を取ったら、何も残りませんでした。趣味もないし、地元に友達もいないので、地域の人と交わることもありません。認知症になって老人ホームに入るお金があったのはよかったし、私たちにとってもありがたいことでしたが、ホームの義父の部屋に入ると、義父の人生って何だったんだろうと思ってしまいます。部屋にあるのは、ベッドとテレビだけ。義父の1日は、寝て、食べて、テレビを見るだけ、ということです。ホームで誰かと親しく話しているのを見たこともない。だから、義母への暴力が始まったのかもしれないと思ったりもします」

 かたや義母は、義父と離れると、生き生きとした生活を取り戻すことができた。

義父と対照的な義母の部屋

「義母は昔から多趣味でした。ホームにいても変わらず、洋裁や手芸、絵画など、毎日忙しそうに手を動かしています。部屋の中にもいろんな作品があって、義母が毎日充実した生活を楽しんでいるのが伝わってくるんです」

 たまたま義母の趣味が室内でもできることだったのは、幸運だったのかもしれない。それでも、つい義父の部屋と比べてしまうという。真山さんは、パートで毎日忙しいわが身を振り返り、自分には義母のように老後打ち込めるものがあるのか……と考えてしまうと明かした。

 こうして、義父母の生き方について考えるようになったのには、理由がある。義父母の家に、しばしば行かざるを得ない状況が発生したからだ。

「義父母のマンションは、義母が時々帰ることもあってそのままにしているのですが、そのマンションで大規模修繕がはじまったんです。工事業者が室内に入ることもあるので、その時には誰かが家にいないといけません。これまでホーム選びをはじめ、そうした雑務を引き受けてくれていた義姉は体調がすぐれず行けないというので、私たちが行くしかなくなって……。本当は夫の実家のことだから夫にやってほしいのですが、夫も仕事があってそう休めないので、私と有給の取りやすい娘が交代で行っているんです」

――続きは7月31日公開

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母の年金を使い込んでいた兄! 消費者金融の返済で介護サービスへの支払いがピンチ……

“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)

 そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。

 庄司美智代さん(仮名・51)はバツイチで一人暮らしだ。実家には認知症の母親(80)と仕事をしない兄(53)が二人で暮らしている。兄は、母親の認知症が進んでも介護サービスを利用することに反対し、庄司さんは頭を悩ませていた。

▼前回はこちら

母の通帳から引き出されていた大金

 兄には内緒で、母親に小規模多機能施設を利用させることにした庄司さんだったが、それを知った兄が「こんなに介護サービスを利用してどうするんだ。これ以上介護費用を払うことはできない」と、年金では足りないと言い出した。

 そんなはずはない。介護サービスを受けるくらいの年金はもらっているはずなのに、といぶかしんだ庄司さんは、兄が寝たスキに年金が振り込まれる通帳を探し出して確認した。

「すると、たびたび大金が引き出されていて、これまでの蓄えが激減していることがわかりました。母と兄の生活費でこんなにお金がかかるわけがありません」

 そういえば、兄あての消費者金融からの督促状のようなものを目にしたことがあったことを思い出した。

「これは兄が引き出して、借金返済に充てているに違いないと思いました。昔から、私の貯金にも手を出していたくらいですから、母の年金を狙うのも当然です」

 対外的には兄が母の年金を管理してやっていると言いながら、実際には使い込んでいる兄。母親の介護サービスを反対する理由がよくわかったと庄司さんはため息をつく。

兄が持っているキャッシュカードを使えなくしなければ

 そしてさらに問題が発生した。通帳は母の手元にあったが、キャッシュカードが見当たらないのだ。

「カードは兄が持っている。これ以上、母のお金を使い込まれると、利用する施設の支払いが滞ってしまう……」

 庄司さんは焦った。兄が勝手に母親の年金を使うのをなんとしても止めなければ――と、庄司さんはすぐに成年後見人選定の手続きをした。

 しかし、後見人が決定するまでには時間がかかる。それまでの間、兄にお金を下ろされると万事休すだ。

 「兄が持っているキャッシュカードを使えなくするしかない」と、切羽詰まった庄司さんは何か良い方法はないかとケアマネジャーに相談した。すると、ケアマネジャーから「家庭内のトラブルには介入できません。もめごとは困ります」と強く言われてしまったのだ。

「そう言われると、もうケアマネジャーに相談することはできません。兄は見た目は普通だし外ヅラがいいので、ケアマネジャーとしても母と一緒に暮らしている兄の言い分を信用しているんだと思います。逆に私のほうが虚言癖があると思われたようで、胡散臭い目で見られてしまいました

 困り果てた庄司さんは、弁護士に相談した。

「弁護士さんからは、『私も兄も、母に対しては同等の立場にあるんだから、母の年金を妹の私が独占することはできない』と言われました。私が勝手にキャッシュカードの再発行をするなど、絶対にしてはいけないと。第三者の専門家からすると、確かにそうなるんでしょうが……。働かない兄は法律に守られるのに、働きながら母を見ている私は報われることがないんだな、と痛感しました。ひとまず、後見人が決まるまで私がお金をなんとかするしかないのでしょう。私だって自分が食べていくだけでカツカツなのに」

 母親の年金を盗む兄は泥棒だと庄司さんは思う。いっそ他人なら、法律が罰してくれるのに、と寂しく笑った。

 それでも庄司さんは諦めていない。兄のスキをみて、何としてでもキャッシュカードを探し出すつもりだ。

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